はてなキーワード: 承認とは
社会人になってから、後輩を持ったことがない。どの職場でも一番年下の一番下っ端で、なんなら先輩らしい先輩もいなかった。上司と二人、みたいな組み合わせが多かった。気楽な反面、後輩がきたら面倒の見方もわからないし付き合い方も分からないし、正直後輩なんかいらないな、と思っていた。
最近転職をした。異業種、未経験なので多少ビジネスマナーがある新卒みたいなものだ。社会人10年目だけどこんなに怒られる?と思いながら日々過ごしている。
新しい会社は新陳代謝が活発らしく、上司は少なく先輩が多い。みんな数年で転職するから、そういう構成になったらしい。なので在社一年目くらいの先輩が多い。おまけに年下だったりする。それについては構わない。みんなそれなりに親切で、いろんなアドバイスもくれる。
だけど最近気づいた。先輩たちがくれるアドバイスは、アドバイスの皮を被った「俺はこんなにすごいんだ!こんな苦難を乗り越えてきたんだ!」という武勇伝披露会だということに。
これまで中高の部活や大学のサークルでもあまり先輩と関わるタイプではなかったし、仲良くしてくれた方は優しくておっとりした人が多かったので、こういう武勇伝大会ははじめてだった。しかも、先輩方のアドバイスは、あなたの新人の時と状況もシチュエーションも違うのに、よくそんなアドバイスしようと思ったな(例えば「上司に飲みに連れて行ってくださいよーと言っておけば関係が作れて相談しやすいよ!」とか。このご時世で?しかも完全在宅なのに?)、みたいなのが多い。
彼らは親切心からアドバイスしてくれている。こちらが少しでも早く馴染めるように、少しでも早く仕事ができるようにと心を砕いてくれている。それに嘘はない。ただ、一方でこちらにアドバイスをすることで、自分達の辛かった新人時代を振り返り懐かしみ、こちら側に知恵を授けたつもりになり、わあすごい、とか大変でしたね、の承認をもらって、かなり気持ち良くなってるのがミエミエなのだ。
使えない新人なので、こういう時に先輩孝行するのも仕事のうち、とか、先輩たちも完全在宅で褒めてもらったり感謝されたりの承認に飢えているからアドバイスしたがるのも仕方ない、という風に割り切ろうとしているが、ストレスが溜まる。先輩たちは一日15分こちらに先輩風を吹かせてリフレッシュしている様子だが、こちらは一日30分から1時間をわあすごい〜、参考になります〜、ありがとうございます〜、と唱える係になっている。
転職してまだ二ヶ月だが、この先輩最高ですね係が本当にきつい。仕事の本編よりきつい。仕事自体は嫌いではないので辞めたくないが、これがしんどいので負担軽減のためにもはやく後輩が欲しい。苦難を分かち合いたいし、助けて欲しい。先輩風吹かせて武勇伝は語らないように努力するから、早く後輩がほしい。
単なる性欲でかたずけられないだろうと俺も思うが、ブコメに散見される悪しき支配欲をなくせばいいというのは同意できない。
男はうっすらと嫌われる世界に生まれた中で、女性から承認され心を通じ合わせ、愛されたいという欲求が性欲と結びついて存在しており、単に性欲が無くなれば消える欲望ではない。
これを彼女らは、単なる男の女に対する征服欲求や支配欲と呼んでそれを真に邪悪なものだからなくせという。まぁ100歩譲ってそれを支配欲やら征服欲と呼ぶとしよう
しかし、世の中のパートナーを見れば、過半数のパートナーにおいて暗黙的に男側が女性側をリードする(ある意味支配)関係を双方が同意して構築されている。
同性愛者間のパートナーにおいてもリードする側(男役)とリードされる側(女役)がいて成立していることがほとんどである。これはホモサピエンスとして進化してきた中で培ってきたものなので役割分けができたものなので、良し悪しはないと考える。
(余談だがフェミニズム的思想を支持する人でもBLにおいては性行為以外の関係においても喜んで受け側と攻め側を設定して楽しんでいることがあり興味深い)
つまり一部のDV等の犯罪を除いて、好意を持つ強いものに支配され、引っ張てもらいたいという欲求が存在し、これがリード(支配)する側と合致することによる共犯関係を作って初めてパートナーが成立しているのである。
そもそも法治国家において支配欲一方だけしか存在しなければればパートナー制度は崩壊するのは明白だろう。
よって彼女らは好意をもつ強い男の支配欲とそれに対する彼女ら自身の被支配欲を透明化し、弱者男性らのパートナーを作りたい欲求を単なるホモソーシャル的価値観の悪しき支配欲と断定し
その欲望を捨てれば楽になるだの、男同士で慰め合えば解決と放言しているのだ。
本当に彼女らは弱者男性が女性のパートナーと番おうと足掻いているが嫌で、人知れず淘汰されてほしいんだと心の底から思っているのだろう。
その一方で男女の共犯関係を無視して女性の無罪性と道徳的地位を信じてやまず、ホモソーシャル的価値観が諸悪の根源だのを何の悪びれもなく真顔でいってみせる様子には絶句する。
ドイツとナチスが絡むと必ず出てくる言説で、ここでもやはり大量に見られる。
はてなブックマーク:欅坂46も立憲民主党議員も…「ナチスをもてあそぶ日本人」にドイツ人がドン引きする理由 | 文春オンライン
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/50047
なんかズルいなあ。現ドイツはナチスとは別で第2次大戦は全てナチスが悪いっと言ってる感じ。昭和天皇は責任から逃げなかった。
コイツの祖父や祖祖父の世代がナチスを指示したからナチスがああなった。ナチスに全てをおっ被せているのは否定できないだろうよ。
ナチスこそが全ての原因で邪悪で悪魔で国民はその被害者という形にしないと成り立たないのがドイツ。想起するあらゆるものは排除っていうスタンスは、他のジェノサイド等の件では全く見られない特殊なもの
戦争責任をナチスに押し付けたからこそ、「我々一般のドイツ人とは違う狂信的な集団」として極端にタブー視する必要があるんじゃないかと穿った見方をしてしまう。
そりゃ「ナチス党を絶対悪においてドイツ人が悪い訳では無い」というスタンスだからな。だから謝罪も賠償もしない。外から見ると「ナチス⊂ドイツ」だけどな。
この言説の出元はズバリ西尾幹二である。といっても西尾が「西ドイツ(当時)はナチスを切断処理して反省を拒否している」と言ったのではない。
前年に西ドイツ大統領に選出されたヴァイツゼッカーは1985年連邦議会で後に有名となる演説を行った。西ドイツ大統領は米国や米国の政体をモデルにした韓国のようなものと違い、首相の上に立つが実権力は少なく元首のような役職だ。
この演説は「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」の節が有名で、要するにナチスの蛮行の責任を戦後のドイツ人は引き受けねばならない、蛮行に手を貸していないと言い張るのは許されないとの内容だ。
この演説を岩波の『世界』が取り上げて掲載し、後には数百円のリーフレットも発売した。「戦争への反省のモデルケース」としての評価であるのは言うまでもない。
因みに『世界』は敗戦後に相当な影響力を持った論壇誌だったが、経済成長や全共闘の進歩派攻撃などによって影響力は下がっていた。だがこのヴァイツゼッカー演説の掲載は反響を呼び、リベラル人士に挙って引用されるようになった。
ところで複数人で編集されるwikipediaのヴァイツゼッカーの項は、演説内容が「悪いのはヒトラーとナチズムであり、ドイツ国民・民族も被害者である」だったとの節と、「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。」との引用文が併置されるという面白い状態になっている。
この盛り上がりに対し、ドイツ文学者の西尾幹二が文藝春秋社『諸君』で批判を加えた。
「演説文章をよく読んでみると、ドイツ国民の直接の罪は回避されている」「ナチスの罪はドイツ国民個人に無い事が前提となっている」という内容だ。
そして「日本の戦争犯罪と違ってナチスの罪は人道に対する罪であって国家そのものが犯罪国家で責任の取りようが無い」。
責任が取れない種類のものを引き受けると言っているのだから欺瞞だ、という事だ。
これは文章解釈であり、悪意を持てば文章は逆の意味に解釈する事も出来る。(「ナチスの手口に学べ」は反語だ、など)
それは言語的堕落だが、西尾がそう評価されなかったのはニーチェ思想を専攻とする文学者の実績があった為だ。例えば中央公論の『世界の名著』シリーズのニーチェの編纂、解説は西尾である。実態が無い〇〇総研勤務や過去論文が紀要に全くない文学研究者やバイト以外職歴不明の動画投稿者ばかりで構成される昨今の保守論壇と当時は全く違った。
それ故、西尾の批判は「無邪気な戦争責任論への懐疑」として評価されていた。ヴァイツゼッカー演説のリテラル(文字通り)の内容は、云わば民族原罪論のようなものなので、それに対してニーチェ的視点から欺瞞を突きつけたくなるのは無理もない。
但し、
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
の様な一文を持って「集団が免責されてる」という辺りはニーチェもへったくりもなく単に低質なデマだ。あとで触れるがこれをやり始めたのは小林よしのりだ。この文章は「当時にも残虐行為にタッチしていない人間は居たがその罪は国民は免れない」という意味だからだ。
だから西尾を哲学的文脈で好意的に評価する時、こういう所は無視して、ユダヤ・キリスト教の道徳に類似した欺瞞を指摘した、と評することが多い。
だが西尾はニーチェ専攻にも拘らずにルサンチマンに駆動させられやすく、「切断処理を表明する演説」論者にのせられてそう言っちゃうのよな。で、論壇が経歴不明なバカや宗教右翼で埋まってパージされると冷静さを取り戻す、というのをずっと繰り返している。
90年代前半までとその後の保守論壇というのは質が全く違って、例えば引用したブコメで言うと、
とかは今は普通に見られるが、当時ならあり得ない。何故といって日本は交戦相手の米英仏豪に謝って賠償金を払っただろうか?勿論していない。
フィリピン以外の賠償金は全てチャラにして貰った。特に米国は自国の民間企業に対しても対日債務は諦めるようにした。ドイツも同じスキームだ。
そして日本はそれら交戦相手の連合国にチャラにしてもらう代わりに戦場となった主に東南アジアに対して復興後の開発援助を約束した。これらの戦後処理を全てやったのは自民党であって、それ故保守論壇人士の方が戦後処理に詳しかった。だから「ドイツは交戦国に賠償していない」なんて事は相当のバカじゃなきゃ言わなかった。それはどこも一緒だから。
こういう訳で当初は「ニーチェ研究者の文章解釈」として評価されていた西尾言説が、「ドイツはナチスを切断処理して反省を拒否する立場である」という風に化けて行く。
この決定的な曲がり角は先にも言った小林よしのりなのだが、小林を論壇に引き込んだのは西尾なのだ。だから西尾は小林やそのフォロワーが後者の言説を流布して行くのを黙認していた。
その後西尾は宗教右翼に教科書運動を乗っ取られてパージされてしまい、「彼らの運動論は左翼のそれだ」と批判する羽目になるのだが、彼らを引き込んで論壇の真ん中で活動させたのも西尾だったのだな。
という訳で「ドイツはナチスを切断処理して反省しない立場」節の原初は西尾で、それが解釈ではなくて「表明したという事実」に化けていったのである。
2015年にメルケルが来日した際、朝日新聞で講演して安倍政権の歴史認識を批判する場面があった。
講演、インタビューに態々選んだのが朝日新聞というのは明確なメッセージだ。
これにネットの一部は沸騰してドイツ叩きが盛んになった、という事があった。
何故そんなに逆上したかと言えば、一部で「常識」となっているドイツナチス切断処理論と反対の立場から冷や水をぶっかけられたからだ。
仕舞にはメルケルは極左に振れているという噴飯ものの意見も多く見られた。メルケルの所属するCDUは保守政党である。
このナイーブな恐慌状態は集団で信じていた事を現実が裏切る事で起きていたので、これぞまさにルサンチマンだ。
ニーチェの思想に沿って生まれた解釈が30年経って反ニーチェ的なナイーブに転化していたというのは寓話的だと思う。
当たり前だが、メルケルもドイツもナチス切断処理なんて立場を表に出した事は無い。統一ドイツの成立条件見れば当たり前だ。
西ドイツはEC加盟国だったが東ドイツはそうではない。統一は他の加盟国の承認が必要だった。
そしてベルリンというのは統一の前日、最後まで連合国の占領下にあった。
ソ連は勝手に東ベルリンを自分の勢力下としてしまったが、米仏英はそんな事認めていない。法的には最後まで共同統治であった。
つまりベルリンの占領はこれら4国の承認が無い限り解けない。もしヴァイツゼッカーがナチスを切断処理してドイツに責任無しという演説をしたら、東西ドイツがその態度だったら、ベルリンを首都に出来ただろうか?
そしてEUの顔役が出来ただろうか?
当たり前すぎてバカらしい。
人は自らを或る属性を持つ集団に属させて、その集団同士で勝ち負けを争い合うのが大好きだ。
肉体的スポーツに限らず、デジタル、アナログ問わずのテーブルゲームや手遊び、東西、紅白、善悪正邪、二元論的対立でなくとも、プロアマ問わず複数からなるチーム対抗戦、地域、国家、思想、就労組織、親類一族、家、出身校、同一校内でも学級、学科、部活、委員、学内地域、血液型、星座、誕生日、好きな食べ物、フェティッシュの方向性、何のファンか誰推しか何沼にハマっているかに至るまで己を自らカテゴライズして、そのカテゴリ同士で優劣を決めるのが好きで好きでしかたがない。
自分で戦えない場合は時に相手の罵倒をも織り交ぜながら贔屓への応援支援。味方の勝利は己の勝利、実効的な行為は何一つせずとも馬鹿騒ぎ。負けてしまえば最悪の場合、殺人事件にまで発展する始末。争いは嫌だという場合も、嫌だという主旨でそうでない連中と争うことになる。『「長話はダメだ」という長広舌をふるう』ようなものだ。言葉とは斯くも自己言及的で――まあ、それは今更なのでいいだろう。
何にしろ、単に自分対他者よりも所属或いは肩入れする集団間での抗争が特に好まれる傾向にある、と言っていい。個人で戦うよりも楽だからというのは勿論のこと、責任は分散しつつ比較的安全圏から敵を攻撃できるからだ。
本気で対決せずとも二項の対立状況自体を面白がる風潮というのもある。無責任だったり判官贔屓だったり、要するに他人の軋轢に首を突っ込むというか、頼まれもしないのに乗っかっていく、むしろ煽っていくという状況がよくあるのは知っているだろう。
例えば、競合する商品やサービスを担う二社があったとして、そのどちらか一方のみを支持し、もう一方は徹底的に根絶する。そういう流れを見たことはないだろうか。その場合、どっちも買えば良いとかどっちも楽しめば良いとか、そういう一般的な思考は敢えて除外される。まあ、中には真剣な『アンチ』『信者』もいるんだろうが、別に両方同時に手を出していけない法はない。
つまり、好き好んで仲違いし自らを持ち上げて相手をこき下ろし、朗報悲報だのと立場によって逆転するニュースをラベリングしてひたすらにマウントの取り合い、自陣営に勧誘する事もなく、互いに罵倒し合うさまをこそ楽しんでいるとしか思えない。
現実的には、個人の資産や費用の限界による購買制限、つまり、どちらかしか選択できないという事情もあろうが、そうであったとしても選択できなかった方を貶める事で自尊心を保つ行為にしては少々度が過ぎていると感じやしないか。
詰まるところやはり『優劣をつけること』が主たる目的であって、エコノミックなパイの奪い合いというよりもこれらは、自分が正しく相手が間違っている事の確認、証明、『相手を攻撃できればなんでもいい』という事なのだろう、実際は。その『なんでもいい』部分に、同族集団というものがもっともらしい大義名分をもたらしてくれるという訳だ。なにしろ実利は無関係、というか寧ろ機会の損失という意味では損している訳で。まあ、対立状況を面白がる人間はそもそも外部の野次馬であって、失うものは最初から無かったりもするものだけれど。責任の分散どろこか、そんなものは無いと思ってるからこその、というべきか。要するに、自分自身が戦うということは絶対条件ではないって事さ。優劣を付けるのと勝敗を決するのとは、似て非なるものだからね。
誤解無きよう言っておくが、それ自体が駄目だと言ってるわけではない。人はどうやらそういう風にできている、という説明解説なのである。
元々は生存競争、捕食被食、繁殖する為に異性を取り合う等、勝つことが悦びであるという根本的な反応だろう。知恵により食物連鎖から仮初めとはいえ脱し、生存率も他に比べて高い水準を保てるようになった人にとって、その悦びを得る為の代替行為を欲するのは自然な事だ。闘争を避けること、つまり逃走が生存維持に繋がるならそれも勝ちの一種ではあるが、さっきも言った様に勝敗自体はどうやら人々にとってはさほど意味が無いようなのだ。そういう意味で、主として一人用ゲームというのは、プレイヤーが気持ちよくなる為の都合の良い仮想的を設定し、そしてそれはあくまで倒される前提、つまり攻略可能な範囲での接待と気づかれないギリギリの強さでの抵抗をし、最後に負ける事を定められた存在を配する事により悦びを得る為の疑似戦闘として非常に有用、と言うかまあ、人気な訳だ。
ただ、先に一人用と断ったように、対人戦特化型は全く別の話になるし、一人用でも高難易度特化のものはあるのだが、それはハードルが高く門戸が狭い事によって、他の奴等には出来ない事を出来る自分、というより強い優越感に浸れるという付加価値があるが故に、一定数の指示を得ている状況であり、誰でも簡単にクリアできる爽快さは、そういう人間にとっては悦びどころか、……まあ、あくまでも攻略をなせる腕があればの話だが、寧ろ無粋でつまらないものだろう。
当然、ストレス発散の為に結果としての悦びを求める者達にとっては、悦びを得る為に苦行をこなさねばならぬそれは、ゲームの為にゲームをしているという、全くもって本末転倒な思考回路なのだ。
決してそんな事はないんだが、それこそ属する集団が違うという事だ。
そして大事な事だが、『或る集団に「属する」』事は、戦う大義名分――通るか通らぬかは兎も角――を得られると共に、自分が何らかの役に立つと思い込める格好の機会でもあるのだ。特に、普通のコミュニティに馴染めない人間にとって、それは蠱惑的なのだ。
現実社会では必要とされない自分が、疑似コミュニティにおいては貢献する事が出来る。……まあ敢えて疑似としたが、要するに社会と直接には繋がっていないと言う事だ。
そして上の人間、主催は、そういう心情を利用する事が多い。現実では得られなかった役割を与え、達成感という報酬で縛り、更なる貢献……否、献身を自ら進んで行うよう巧妙に仕向ける。直接的な強制はせずとも良い訳で、自覚のない都合よき駒として、一層離れられなくしていく。無論、普通のコミュニティとてそういうものではあるのだが、マイナスを経験した後での逃げ道として用意された幸福だから、同じ分のプラスだとしたらマイナス分で絶対値は増えている、依存が強まってもおかしくない。
実際、例えばオンラインゲームにおける共闘のように、自らの役割がハッキリとしていてかつ効果に即時性があり目に見えて貢献度が分かるようなパーティプレイは、少なくとも勝っている間は、それはそれは愉しい。自らの貢献、味方との連携、互いを求め、そして求められる関係作戦立案そして実行。結果敵が倒されるのだ、自己の承認と敵の殲滅が同時に得られる。脳汁が止まらないって奴だ。つまりね、組織だった戦闘というのは、悦びを最も実感出来るシチュエーションなのだ。
その通り、厄介な事に、物理的集団戦闘行為が、その悦楽を最も得やすいんだよ。
さっき言った様に、集団を主催する人間はそれを利用するし、強烈な快楽故に強制すら不要だ。
論戦については、『双方がルールに則って』戦う前提ありきだ。そもそも言葉というのは真理でないと、今までも何度も言ってきた。言葉が通じない相手とは論を戦わせられないのだから。ある動物の威嚇行為が、人から見れば愛らしいファニーな行動に見えるように、概念での戦いは言語をはじめとした共通ルールの確固とした共が大の大前提だ。
逆に言えば、ルール厳守を徹底するなら、言語は強い武器たり得るという事でもある。
まあ、普通に暮らしている分には、我々は言語という呪文が通じる世界にいるので、その威力は人を生かすも殺すも出来るレベルであり、あくまで言葉が通じる場でなら、用いて戦闘行為は可能さ。
そもそも属性集団の属性に言語によって分けられたものがある以上、強い悦楽が物理戦闘に限るわけでは無いのだが、実際問題、同じ社会にいながら『言葉が通じない』相手が結構いるものなのだ。
どちらが良いとか悪いとかではない、勿論優越でもない、君が何処に属しようと、どういう戦闘を愉しもうとするかは僕がどういう言うことではない。
※はじめに※
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逃げ口上で申し訳ないですが、性格が良いわけでも、論理的なわけでもない私が、甘ったれた考えを述べている記事です。
炎上したら傷つくだろうけど、もしかしたら参考になるコメントがきて、病状改善に繋がるかもしれないと、
一縷の望みをかけてネットに公開しています。どうぞお手柔らかにお願いします...
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現在、休職してしばらく経ち、目立った病状はなく、日々を過ごしてはいる。
とはいえ、回復のため、意図的に傷つくことを避けているだけで、
ふとしたきっかけで、辛い気持ちや考えに向き合うと、胸が重苦しくなり、涙が止まらなくなる。
前に進むために、傷つきを頭の隅に追いやり行動していくこと、自分自身を認めて幸せにしようと努めることが大切だと、重々承知している。
しかし、今は、些細なことにすら傷ついてしまうので、立ち止まることしか出来ないと思ってしまう。
そして、そんな自分自身を、正しいと思うことができないのだ。
「都合の良い選択ができるよう、思考を捻じ曲げているのではないか」とも思うし、
「少なくとも、幸せに生きるために必要なことをしているのだ」と、自分を肯定することもできない。
幸い、贅沢はできないが、しばらくは金銭的困窮には陥らないし、家族や友人の愛情を感じながら過ごしている。
前よりも熱中できなくなってはいるが、気分転換になるような趣味もある。
それでも、生きていたいと思えない。
社会に適応できない苦しみを重ねながら生きていくぐらいなら、今すぐ死んでしまいたい。
今すぐに死なないと耐えられないわけじゃない。でも、生きていたくない。だから、死ねるなら死にたい。
甘えだということは、重々承知している。
しかし、甘えだという自覚が、死にたいと思う気持ちを止めてくれはしない。
自殺を止めてほしい、誰かに優しくされたい、というかまってちゃんに思われるだろうか。
信じられないかもしれないが、私はかまってほしいがために自己主張をするタイプではない。
読み手が私の構ってほしいという意図を感じて、耳ざわりの良い言葉を投げかけてくれているのではないかと疑ってしまうので、
かまってもらいたいという欲求を満たすために行動することも、
向けられた言葉や行動を深く疑わずに自分の安心につなげることも、私はできないのだ。
かまちょは一長一短ではあるが、私に関しては、かまちょになれない、こういった疑い深さが、精神的健康を害する一因なのだろうな。
ここ数日、薄暗い考えがぐるぐる頭の中を巡って、どうしようもなく苦しくなり、落ち着いていた病状も少し悪化してきてしまった。
誰かから思いがけない意見を貰えないだろうか、と思い、行き詰っている気持ちの発散も兼ねて、文章を書き連ねてみた。
傷ついた人は、人との関わりの中で、救われるのだというメッセージが込められているものが多いことに気づいた。
私も、人との関わりを避けるのは安全だが、病状改善を目指すためには、人とのコミュニケーションをとっていくことが重要だと思う。
実際、自己啓発本や病気の本を読んで、慰めを得たり、論理的な解決策を学ぶよりも、
人とのコミュニケーションをとる中で、気分が満たされたり、自分に自信を持ったり、考えが変わることの方が、影響が大きかった。
だから、この記事でも、あわよくばコメントを貰って、病状改善のきっかけにしたい、という淡い期待を抱いている。
昨今の、自分らしく生きよう、自分を肯定して、自分で自分を幸せにしよう、という世の風潮は、大変素晴らしいと思う。
自分が深く傷ついたからこそ、自分を責めずに、無理をせずに、最大限幸せに生きることを目指す大切さは、普通の人よりも身に染みている自負すらある。
そういった考えを発信する著名人が増え、若い世代を中心に浸透していっているのも、本当に喜ばしいことだ。
この風潮がもっともっと広まって、世界中の人が傷つきから解放され、幸せだと思いながら生きていければ良いなと、心の底から願っている。
こんなにも、自己肯定の重要性を感じているのに、どうして私は自分を肯定できないのだろう。
自分を肯定しないことで、傷つきを盾に、現実と向き合うことを避けているのだろうか。
そうだったとして、それはどうすればやめられるのだろうか。
特に根拠のない考えなのだが、個人を尊重する、優しい世界が構築されていく中で、
家族にのびのびと育てられ、友人とも大きないさかいがないまま成長していった結果、
傷つくことにも、それを乗り越えていくことにも慣れていない人が増えているのではないだろうか。
もしかしたら、今後私のような悩みを抱える人が出てくるかもしれない。
その人たちが、この記事に対するコメントなどで、解決策を得られたらとても嬉しいし、
そうでなかったとしても、同じような人がいるよ、ということだけでも、伝えられたら良いのだが...
自己肯定が上手くできない人々が、経験や考えを共有しながら、解決策を見つけていく事で、
少しでも多くの人が、生きていることを楽しめるようになってほしい。
どなたかからのコメントか、天啓的な閃きか、ささやかな気づきか、何か解決への糸口が見つけられたら、またブログを書いてみようと思う。
ネットで18禁小説や漫画を検索、2000円程度のジョークグッズを股間にON!
これだけで全てが終わる。
わずか2000円とネットの接続料金とたまにローション買うだけで一生楽しめる。
なにゆえそこまで人肌を求める?
そもそも御SEXまで行ったら相手が自分を承認してるなんてどう信じられるの?
マジで単に御SEX出来たら誰でもいいだけかも知れないじゃん?
肉バイブ・肉オナホ・肉アナル・肉オーラルを持っていてキモくない程度の外見や匂いなら誰でもいいのでは?
外見を承認されたいの?
それはルッキズムという檻で自分を縛って勝手に苦しんでいるだけでは?
ほんまいとおかし
けんすうさんがいってたカルトの記事ってどれだろうと思って検索したら
https://r25.jp/article/612464296217267514
どっちもハズレです。ああいう勧誘って、見るからに「アイツらあぶないな~」って思うじゃないですか。で、周りの人は「近づかないでおこう」ってなる。
周りとの関係を断ち切らせるためにやってるんですよ。人が近づかなくなれば、承認してもらえるのがカルトのなかだけになって、もう抜けられなくなる。
相手を承認しないと、自分が承認されることなんてありえないのだけどね。
逃げれないように捕まえて、殴り続けていれば従属と名の承認がえられるのを期待しているのだろうか。しかも、それを下方婚増田は高収入女に期待すると。
過ぎた承認は身を亡ぼす
仮に貧困を理由に上げたとしても、それを鵜呑みにするのはどうなのかなって思うんだよな
貧困が原因だって言うなら、金なり物なりを奪おうとする奴の方が多いと思うんだ
たくさん人を殺してやろうって発想に至るのには別の動機があると思うんだよ
ぶっちゃけあの手の人達って目立ちたいっていう欲求が強いんじゃないの?
強すぎる承認欲求を貧困のせいで満たせなくなった(或いはそう思い込んだ)から、それを満たす為に派手な犯罪を実行しようとするんじゃないか?
悪人としてではあっても有名にはなれるし、みんなが自分の事を話題にしてくれる
連続して似たような事件が起きるのも、ニュースを見て「自分も同じ様に目立ちたい」って思ったからじゃないかと思うんだ
逆に言えば承認欲求を満たす手段さえあれば、この手の犯罪って完全に防ぐまではいかなくても結構減らせるんじゃないだろうか
弱者男性に女をあてがえ論も、要はモテっていう強い承認を与えろって話だし(流石に女あてがえ論は乱暴過ぎるとは思うが)
今の世の中って他人の承認欲求をバカにしたり毀損する事に無頓着になってる節はあると思うんだ
18歳以下の子育て世帯への10万円給付に年収制限を設けることを検討すると報じられた。
またきたよ年収差別。努力して稼いでも地獄。怠けて貧しくても地獄ということか。
サラリーマンとして真面目に高い税金を給与天引きで公明正大に納め続けたら、一体いつ何をもってどう報われるの?
人より稼ぐために努力して、理不尽にも耐えて、その先にあるのがコレ?
給付額や自分の年収の多い少ないが問題じゃない。努力しても報われそうにない、認められそうにない、ひたすらモチベが奪われる制度設計に問題がある。
例えば、飛行機にファーストクラスとエコノミークラスがあったら、「いつかファーストクラスに乗りたい」と思える希望そのものに価値があると思ってる。あるいは「乗るのにふさわしい人だ」と周囲に認められることでモチベが上がる。もちろん実際に全ての人がファーストクラスに乗れる訳ではない。けれど、全ての人が「もしかしたら自分も乗れるかも?」「乗っていいんだ」という希望が持てたり、承認されたり、ただそれだけで絶望感はだいぶ減る。実際に乗れるかどうかはどうでもよい。
自分が期待できない、他人に認められてるとも思えない。その中で、自分の社会でのポジションが固定されてることに対する諦めが大きくなりつつあるような気がする。格差が埋まらない絶望感が待ちのそこここで醸成されている。
繰り返すが、実際の格差の有無やそれが埋まらないことは問題じゃない。埋めようとする姿勢がない、「もしかしたら逆転できる!」という期待が持てない社会構造に問題がある。「もしかしたら自分の居場所はここだ!」と思えるような、他人に認めてもらえる場所がない社会構造に問題がある。
例えば「親ガチャ」って言葉もそう。格差が固定化されていることに対する若者の不満そのものでしょ。
楽天カードのリボ払いを使い、スマートニュースのクーポンを使って買ったマクドナルドを食べ、ストロングゼロを飲みながらソシャゲをする日々。そこから抜け出せるかも、とは到底思えない。それに対して生まれる、不安と不満。
頑張って書いた論考がトランス差別と言われてなんだかんだで消えちゃった千田有紀先生のTwitterが別垢で復活していたよ。
すごいのでいくつか千田先生がフォローしているアカウントのbioを並べてみます。
ジェンダー温存=性差別温存 / 身体的性差を無視して不利益被るのは女 / ミソは男女問わず人類の敵 / 女性だけのスペースを守る / 性犯罪者は4んでくださいねー
Female,Mum。翻訳については必ずご自身でダブルチェックを。動物好き。歴史好き。#SexMatters #SexIsReal #IStandWithJKR 🌞sisterhood 🌞【NetNewsへのツイート転載禁止】【スクショはしないでね】
反出 猫好き Sex is real 性自認は『髪型も服装も内面もぜんぶ自由でいい。FTM・ゲイのあるべき姿なんてない。』 性自認反対派
シャモル/シャモール。好きな方で。INTP。4w5 ジェンダー解体。天皇制解体。女性差別撲滅 PCR検査拡充。ワクチンは科学を元に慎重に。イベルメクチン承認を。女性に装飾しない自由を。反TRA。反ネオリベ。
no more 女性差別!/ 赤色のハートうずまき矢印の鬼/ ジェンダーは解体されるべき/ sex is real/ ジェンダークリティカル/ GIRLS HAVE A RIGHT TO SINGLE SEX SPACES/ 声楽/ 香水/ 怪談/
農村出身 Fラン大卒 性別違和でホルモン療法中の身体男性 ジェンダークリティカル ADHD ロスジェネ 倫理を重んじるコミュニタリアン 同性婚や夫婦別姓を補完するパートナーシップ制度を希望 反トランスジェンダリズム、セクシズム、レイシズム、歴史修正主義、権威、原発、緊縮財政、資本主義 左右ではなく上下の戦い 実は蕎麦派
女性差別を許さない女 身体障害有 性被害経験者 性犯罪を許さない 性犯罪厳罰化しろ セルフID反対 女性のための場所を守りたい
もちろんAPP研国際情報サイトや中野五百雀、Plumといったトランスジェンダーに関する最新の情報を積極的に発信・拡散している著名アカウント(皮肉だよ)もしっかりフォロー。
千田先生の自認は「トランス活動家に不当に差別者呼ばわりされるいじめを受けた」というものらしく、そのような主旨の擁護ツイートをせっせとリツイートなさっている。
ある意味牟田先生のようにこそこそ迂遠にトランス差別言説に加担する姑息さと比べればむしろ正々堂々とした態度は好ましいと言えるかもしれません。
まあ頑張ってほしいですね。
安全性が確認できるまで交渉を躊躇してたら調達は大幅に遅れていたと思うよ
アストラゼネカ、ファイザー、モデルナのワクチン交渉においては以下の4パターンが想定されていた
政府は(2)~(4)となって政治的な打撃を覚悟して(1)のパターンに賭けて、そして勝ったんだよ
もし立憲民主党が政権与党だったら自民党政権と同じ(1)を選んでいたか?というと絶対にないでしょ
彼ら絶対(3)か(4)選んでた
というか中国やロシアのワクチンに手を出してた可能性すらあった
もしくは
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=120314260X00420201124
より
○石橋通宏君 これ、トランプ政権が、これワープスピード作戦というんでしょうか、相当に、ワープスピード、これ、先ほどの参考人の説明ですが、これ、ワープスピードなるものの中身について、つまりこれ、後ほどの議論に関わる、我が国における第三相試験を省略してもいいものなのかどうかというところにも関わるんですが、アメリカにおけるこのワープスピード作戦自体の詳細な中身というのは把握されているんでしょうか。
○石橋通宏君 これ、是非改めてその辺はしっかりと、ここも含めた情報開示をしていただかないといけないのではないか。
重ねて、我が国における、この後、今後の承認申請の話、これから聞きますが、それと関わる話ですね、海外でいかなる治験が行われ、それが、安全性、信頼性がいかに確認をされたのか。これが、ワープスピードなるものがその通常のやり方とどう違うのかも含めて関わる話ですので、重ねてしっかり確認をいただいて、これを我々に対しても説明をいただきたい。その意味での問題提起をさせていただきました。
もう一点、アストラゼネカも発表されたというのが昨日今日でニュースで出ております。ただ、これ、アストラゼネカについては九月の段階で重大な問題があったということで一旦治験が中断をされております。例えば、このアストラゼネカが一旦中断をしたその詳細な中身、結果どうだったのか。そして、今、この今回公表された約七〇%前後の有効性と、そういったものについても、これアストラゼネカとも基本合意を結んでいるわけですが、政府は詳細情報をつかんでいるんでしょうか。
○石橋通宏君 いや、結局、九月の有害事象について中身は知らないということ、説明を受けていないということなんでしょうね、先ほどの答弁でいくと。
そうすると、今回公表されたことについて、ここで全部つまびらかにしてくださいとは言いませんが、そういったことについてちゃんと政府として情報提供を受けているのかどうか、把握をされているのかどうか、それが課題だと思いますが、情報提供すら受けていないということでしょうか
○石橋通宏君 重ねて今回先ほどの川田委員を含めて議論しておりますのが、こういったことも含めてしっかりと情報開示、国民に対する説明をしていただかないといけない。こういったことの積み重ねですよ。そういった事象があったにもかかわらず、それが分からない、説明もできない、いや、それではなかなか納得いただけないのではないか。ここも今後の議論で重大なポイントだと思いますので、引き続きフォローさせていただきたいと思います。
アストラゼネカについては、一部治験そのものに対して重大な疑義も挟まれているようです。こういったことも政府としてしっかり把握をしていただいて、重ねて情報開示をしていただかないといけないということも申し添えておきたいと思います。
それでは、本論に入っていきたいと思いますが、まず大臣、今日、資料の一で、これ衆議院で我が党の長妻委員から大臣に対しても課題共有があり、御説明があったと思います。我々、ワクチン法案の議論にも資する形でこの立憲民主党としての新型コロナワクチン五原則というものを党として確認をさせていただいて、大臣にも共有をさせていただいたところです。
今日、一つ一つ中身はこの後の議論でそれぞれのポイントについて取り上げてまいりたいと思いますのでここでは御説明しませんが、大臣、衆議院の答弁でも、課題認識については共有をしておるという答弁もあったと思いますが、これ、それぞれの五原則、大変重要な、当然政府としてこれを肝に銘じて今後のコロナワクチン対応いただきたいということだと思いますが、重ねて大臣、問題意識共有をいただいて、これしっかり今後の対応に踏まえていただける、そういうことでよろしいでしょうか。
○石橋通宏君 何か答弁がトーンダウンしましたね。後退したような気がしますが、重ねて、これ、一つ一つ情報をしっかりと国民の皆さんに共有をいただきたい、説明すべきだ。
で、今後の議論になりますが、接種判断、国民一人一人が接種判断をしていただく、それは科学的根拠も必要だ、そういった、当然だと思いますが、これ確認させていただいておりますので、是非大臣、これ一つ一つしっかりと踏まえた上での対応をいただきたい、これはお願いをしておきたいと思います。
その上で、先ほど申し上げたとおり、今回やっぱり国民の皆さんの多くの御懸念、不安に思っておられる点、その一つは、今回のコロナワクチン開発、皆さん待ち望んでおられるわけですが、一方で、やはりかなり拙速に進められているのではないか、安全性は大丈夫なのか、信頼性は本当に足りるのかということを疑問に思われているんだというふうに思います。
通常のワクチン開発、これ、物によっては十年という歳月が掛かるものもあると理解をしておりますが、通常はどれぐらいの年月掛けてワクチンというのは世に出るものなのでしょうか。
○石橋通宏君 やはりワクチンの安全性、これをしっかり確保する上で、やっぱり物によっては十年という、一般的にも五年とかいうふうに専門家の皆さんからも我々もお聞きをしております。
今回、資料の二、先ほどもちょっと触れましたが、正式契約、モデルナ、それから基本合意、ファイザーとアストラゼネカがあるわけですが、ちょっと参考までに簡潔に、これら三社、今回のワクチン開発、まあファイザーの場合はいよいよ十二月には先ほど言ったように接種が開始されるのではないか、一体、ワクチン開発、その接種までどれぐらいの期間なんでしょうか
○石橋通宏君 はっきり言われませんが、当然、今回コロナですから、コロナの発症以降の対応ということでいけば一年に満たない開発期間で対応されているということで、今おっしゃられた技術革新、それから、今回は初めてメッセンジャーRNA等々を含めて、それがどう作用したのか、そういったことも関係するんだとは思いますが、一方で、通常であれば五年、中には十年というものがこれだけ短期間で開発をされ、そして接種がされようとしているということについて考えれば、やはり殊更にむしろ安全性というものはしっかり確認、確保をしていかないといけないんだというふうに思っております。そこが、重ねて国民の皆さんの一番の心配、懸念点で、政府にはそこをしっかりと説明していただかなければいけないんだというふうに思っております。
これも簡単で結構ですが、これまでやはり一定期間、時には数年たって重篤な副反応が出たワクチンケース、これ多々、先ほど川田委員も触れられましたが、あると理解しておりますが、そういうことですね。
○石橋通宏君 重ねて、今回初めてのメッセンジャーRNAということも含めて、やはり今後、中長期に副反応が出ないとも限らないと。そのために、しっかりとした安全性の、接種が始まるまでのところの安全性の確保、始めて以降もこれしっかりと確認をしていっていただかないといけないというのを、これやっぱり殊更にやっていただかないといけないんだというふうに思います。
その上で、ちょっと飛ばしながら、ワクチンの承認の件について、特に衆議院段階でも、あと本会議の代表質問でも何人か取り上げておられましたが、第三相試験をやるのかやらないのかという論点について少し改めて確認をしておきたいというふうに思います。
資料の四に、新型コロナの早期実用化のプランというものを、厚生労働省、公表されております。加えて、じゃ、国内で通常、第三相の試験、これが必要だと。ところが、衆議院段階でも政府答弁、もう資料の五で幾つか重要な答弁について紹介をさせていただいておりますが、海外で第三相試験をやっていれば国内ではやらなくてもいいんだというような答弁があるようですが、重ねて確認します。これ、コロナ、三社のワクチンについて、海外で第三相試験がやられていれば、その結果をもって国内では第三相試験はやらないんだ、やらなくてもいいんだ、そういうふうに厚生労働省としては判断しておられるということでしょうか。
○石橋通宏君 済みません、はっきりしないので。
科学的根拠に基づいてそれは判断をされていると。つまり、今回コロナについては感染の状況などもまだまだ分からないことも多々あるんでしょうけれども、やはり日本人含めたアジア系の皆さんとさらには欧米系の皆さんと、やっぱり感染の広がり等々も違うのではないか、重症化の度合いも違うのではないか、そういったこともこれまで言われているところです。つまり、かなりの部分、人種とかそういったものにくっついて違いが生じている、違いがあるのではないかということも言われております。そんな中で、海外で治験が行われ、第三相が行われれば、それをもって日本で第三相をやらなくてもいいと。ちょっとなかなか説得力が分からないんですけれども。
○石橋通宏君 済みません、国内でも治験が行われている。じゃ、三社はそれぞれ国内でどれぐらいの治験を行っていますか。これを教えてください。
○石橋通宏君 モデルナは公表なしということで分からないんですが、これは聞いていない、分からないということですか、情報開示ができない、若しくはやっていない、どれですか。
○石橋通宏君 これ、今言われたとおり、ファイザー百六十、アストラゼネカ二百五十、モデルナは分からない、これから準備やる。それで、先ほど大臣が言われたような、国内で第三相をやらない、海外でやっていれば。これだけの数をやれば、先ほど言われた日本人における免疫原性、安全性の確認というものができるんですか。ちょっと、ここがやっぱりにわかに国民の皆さんに御理解をいただけないところでないかなと。
どれだけ海外で、先ほど言った海外での治験の状況もまだこれから申請が出てこなきゃ分からないということ、一体どれだけの治験が対象で行われているのか。例えば、今回でいけば、三社とも妊婦さんは除外をされているということのようですし、一定年齢以下の子供さんも除外をされているということも伝えられております。じゃ、例えば人種の違いとかそういった様々な違いというものがどこまで反映されているのか。
いや、全部把握をされて、大臣、さっきの答弁されているんですか。日本がこれだけの百六十、二百五十的な規模で、それだけの違いというものが本当に分かるんですか。重ねて、そこが国民の皆さんの理解、納得をいただく上で大変重要なポイントだと思いますが、これ、科学的に本当にそれ示していただけるんですか。
○石橋通宏君 いや、重ねてこれ、大臣、しっかりとその情報、データ、根拠、科学的なデータ、開示をしていただけるということでよろしいんですね。
○石橋通宏君 重ねて、これはしっかりとその点説明していただかないと、我々もこの点は、国民の皆さんの懸念に我々自身も応えることができません。ですので、しっかりとその根拠を含めて開示をしていただきたい。今お約束をいただきました。是非しっかりとした対応をお願いしておきたいと思います。
過去にも、これ衆議院でも議論がありましたが、海外でのデータのみで、第三相を海外で行われて国内で第三相を省略した結果、重大な副反応被害を出した新薬あったと理解しておりますが、それ、事実ですね
○石橋通宏君 ちょっとこれ、衆議院の厚労委員会の質疑で取り上げられておりましたので、そこにおられたんだと思いますが、これ、ちょっと重ねて、過去にそういう事例があったのであればそれもしっかりと情報開示をいただきたいと思いますので、いま一度これ過去の事例も含めてお調べをいただいて情報提供をしていただきたいというふうに思いますので、ここはよろしいですね。はい、大臣うなずいていただいておりますので、対応の方をよろしくお願いします。
それで、もう一点、今後やられる上で、これも衆議院の質疑で気になることが、新聞報道にも出ましたけれども、これで何やら、承認をして、第三相をやらないままに承認をしながら、最初の段階で希望者を募り、約一万人に協力を求めて、まずは接種をしていただいて健康状況を確認するというようなことが報道にもありましたが、まず、これ事実関係、一体どういう趣旨で、それをどういう形でやられるのか、御説明いただけますか。
○石橋通宏君 それは、多くの皆さんに接種を始める前に一万人の方々に接種をいただいて、その結果を待ってから先に進んでいくという趣旨なのか。つまり、本法案でいけば、臨時接種で大臣から都道府県経由で市町村に指示を出す、その指示を出す前にその一万人の接種をお願いする、そういうことですか。
○石橋通宏君 いや、しかし、同時にやるのでは意味がないのではないですか。何のためにこの一万人の先行接種、これ先行なのか同時なのか。もし確認をされるということであれば、当然ですが、国民の皆さんに接種勧奨をする前にこれをやって、そして反応を見ると。
本来、承認前に先ほど来お願いしている第三相試験をしっかり同程度やってから承認を判断をされるべきものではないかとやっぱり我々なんかは思いますが、そうではない、まずは承認なんだ、承認後に一万人にお願いするんだ。であるとすれば、やはりこれ、接種勧奨する前にこれ一万人ということに、皆さんにお願いして状況を確認するということなのかなと思ったんですけど、違うんですか。
○石橋通宏君 いや、しかし、こういう形でまた新聞報道にも出る、それが一体どういうものなのか、国民の皆さんも一体どういうことなのかという、かえって何か不安感を招きかねません。
これはしっかりとやはり考えていただいた上での国会で質疑対応もしていただければと思いますが、これはやっぱりもう早急にどういう形でやられるのか、まだ承認申請が出ていない段階だからと言われるのかもしれませんが、本来の承認手続の在り方も含めて、重ねて、国民の皆さんに安心をしていただける形を整えていただかなきゃいけないので、これは引き続きしっかりとした説明を求めていきたいというふうに思います。それでよろしいですね、局長ね。
同じアメリカに占領されていた地方として比較すると、フィリピンは薬物の自国での独自の治験・承認を行っていない。
アメリカで通ればノーチェック。
アメリカでいったん承認されたものの重篤な副作用で承認取り消しになった薬は複数ある。
トログリダゾンを例にとると、治験において副作用あるものの承認され要注意添え書きのもと日米英で販売開始。
治験を上回り大量に販売・使用された結果副作用が容認できないレベルであることが明らかになり、英国でまず1997販売中止。2000年米国で自主回収。その翌日日本で自主回収。
(WIKIPEDIAより)
フィリピンのことは書かれていないが、欧州(英国以外)については書かれている。
”肝障害の顕在化により、トログリタゾンは英国市場から1997年12月[6]に、米国市場から2000年3月[7]に、日本市場からその後直ちに[7]撤退した。欧州の他の国では承認されなかった。”
欧州の他の国ではトログリダゾンの重篤な副作用から国民を守ることに成功したわけ。一方、日本国民は2年と数か月間、余分に危険に晒された。
COVID19に対するmRNAワクチンに慎重であったことは一理ある。何でもアメリカ様のやる通り(生殺与奪の権を他国に握らせる)、独自に判断する、どちらを選ぶか。
この件
知念実希人 小説家・医師 on Twitter: "『野党はワクチンに協力的だった嘘つくな!』と大量のリプライ頂きますが、 一部野党が主張していた『国内で第3相をしてからワクチンを承認するべき』が万が一とおっていたら まだ日本ではワクチン打ててない可能性高いですからね! 承認は数か月は遅れ、万単位の犠牲者が出たはずです。"
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/MIKITO_777/status/1456533064134193153
公明党の高木委員も、専門家の言う通り第三相試験をちゃんと検討してねって言ってるみたいなんですけれどね。
第203回国会 厚生労働委員会 第5号(令和2年11月18日(水曜日))
https://www.shugiin.go.jp/Internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009720320201118005.htm
(略)
昨日の参考人質疑におきましても、ワクチンの国内における第三相試験について、岡部参考人も、また宮坂参考人も、必要だ、時間と目標人数を決めて行うべきである、このように言及をされておりました。例えば岡部参考人は、やはり「基本線からいえば、ルールどおりの三相試験は必要だと思います。 ただし、人数を例えば少し制限をするとか、このぐらい時間がかかるものをもっと短く、議論するんだというようなことも含めて、総合的に議論が必要だというふうに思います。」と。宮坂参考人も同様のお話でございました。
国内のデータをどのように蓄積をしていくか、やはり何らかの手だてを講じる必要があると思っております。厚労省の見解を求めます。
(回答含む質疑略)
大変重要なところでございますので、できれば一社一万人という規模でやっていただければよろしいのではないかというふうに、ここもやはり専門家の意見をしっかり聞いていただく。せっかくやっても有効性を問われるのでは意味がありませんので、そうしたことも含めて御検討をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
それとも、与党はノーカンで野党だけが一方的に悪いって事になるんでしょうか。
id:barelo 令和2年11月24日・立憲民主党・石橋通宏「第三相試験をしっかり同程度やってから承認を判断をされるべきものではないかとやっぱり我々なんかは思います」 https://kokkai.ndl.go.jp/txt/120314260X00420201124/106
○石橋通宏君
いや、しかし、同時にやるのでは意味がないのではないですか。何のためにこの一万人の先行接種、これ先行なのか同時なのか。もし確認をされるということであれば、当然ですが、国民の皆さんに接種勧奨をする前にこれをやって、そして反応を見ると。
本来、承認前に先ほど来お願いしている第三相試験をしっかり同程度やってから承認を判断をされるべきものではないかとやっぱり我々なんかは思いますが、そうではない、まずは承認なんだ、承認後に一万人にお願いするんだ。であるとすれば、やはりこれ、接種勧奨する前にこれ一万人ということに、皆さんにお願いして状況を確認するということなのかなと思ったんですけど、違うんですか。
切り取られた部分だけを読むと「第三相試験やってよ」と要請しているように受け取ってしまいますが
全文読めば「本来は第三相試験してから承認だと思うんだけど、まず承認するんだって理解でいいですよね」と、政府の進めようとしているプロセスを確認している趣旨なのがわかります。
id:bareloに悪意は無いのかもしれませんが、結果として元々の文意とは異なる”切り取り”をしています。
え?でも「先ほど来お願いしている第三相試験」ってあるんだから、その前に散々要請はしてるんだろ、ですって?
ならその「先ほど来」の部分から切り取ればいいですよね。
なぜそうしなかったんでしょう?
実はそこまでの議論を読んでも、石橋氏は第三相試験を要請してないんですよ。
ずっと「第三相試験なしで承認するなら国民に理解してもらえるように根拠説明して」って言ってるだけで、第三相試験をやれなんて言ってないんですよ。
これ喋ってるものをそのまま書き起こしてるからわかりにくいんですけど、要は
『本来、承認前に先ほど来(から実施しない理由についての説明を)お願いしている第三相試験を』
全部の議事録を読んだわけではないですが、他にも立憲の長妻氏は「早ければ12月には承認」するスケジュール前提で喋っており
スピードは大事だけど拙速にならないようにくれぐれも注意してくれ、程度ですが、まあそりゃそうだろうなとしか。
立憲の中島氏は確かに「第3相試験やるべきではないか」と発言してますね。
でも読む限りの個人的感想ではそんなにしつこく求めてるわけでもなくアリバイ作り的に言ってるだけに見えるので、
スケジュールを遅らせようとか何が何でもって意図は無いように見えます。
つかこの程度で責められるなら、上述した公明党の委員さんだって第3相試験やれ言うてるやん、て話です。