はてなキーワード: 中途採用とは
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更に言うと長く働いている能力のあるエンジニアや中途採用したエンジニアにもちゃんと給与を出して欲しい。
それなりに評価されて入社時から見ると200くらい上がった。600ちょい貰っている。
見渡すと同世代の友人たち(ITエンジニア)もそれなりに活躍してそれなりに評価されている。
一番上を見ると4桁に達した人もいるし、800超えている人も何人か居る。
これは素晴らしい話だと思う。
でも30代くらいの知り合いを見るとどうだろうか。
物凄く貰っている人ももちろん見る。しかしそういう人達は役職がついた優秀だ。凡庸エンジニアではない。
増田がこんな事を言うのも要らぬおせっかいなのかもしれないが、就職氷河期世代だか何だか知らないけど、給与の更新をちゃんとしろよ経営者って思う。
幸いなことに現状の就活世代は少なくともエンジニアに関しては売り手市場だと思う。
やる気さえあれば適当にGitHubとかで適当にコードを晒しておくと実力のエビデンスにつながるし、割と簡単に就職できてしまうだろう。
お陰で新卒市場の給料はそれなりに高騰していると思う。もちろんもっと上がって良いと思うし、客観的に新卒の方が優秀なやつが多い印象はある。
その事実を踏まえても30代の人がしっかりと評価されているようには思えない。
それなりに書けて、それなりな設計ができて、それなりなコミュニケーションを取れる人間はもう少し評価されても良いのではないだろうか。
約一年前、わたしがいまの会社に中途採用で入社したのと同じくらいの時期に数か月の休職から復帰した人がわたしの先輩だ。
復帰した当初は、「○○さんは病気で少し休職していて、まだ復帰したばかりで本調子じゃないので就業時間中に眠ったりしてしまうことがあるかもしれないけど、教えてくれれば起こすなり休ませるなりするので僕も気を付けてみるようにするけど気が付いたら教えてね」と上司に言われていたので、気が付いたら上司に報告して、上司の判断で休憩したり、場合によっては早退してもらうようなこともあった。
少しして、先輩とも徐々に懇意になってきた頃、先輩本人から、「メンタル系の病気で休んでいた」「うちの会社は休職中はお給料が出なくて、医者にも反対されたけど復職した」「医者からも会社からも最初は午前か午後だけ働いて徐々にっていうのを薦められたけどそれだとお給料が少なくなっちゃうから断った」という旨の話を聞いて、あまりいい気分ではなかったのが正直なところだったけど、地方から上京して一人暮らしというのも大変だろうし、金銭関係はシビアだろうな、くらいにしか思っていなかった。
わたしの部署では、部署内でいくつかにチーム分けして業務を行っており、わたしのチームはわたしと先輩と派遣さんの3人だ。
有りがたいことに弊社は業績を伸ばしており、その分わたしのチームの仕事量も増えている。
毎日眠っているわけではないが、日によっては半日以上眠っていることもある。
当初は「薬が合わないみたいで、いろいろ試してるんだけど…」などと言っていたので、大変だなあくらいに思っていたのだが、だんだん「復職した時にもっときちんとケアしてほしかった」「そもそも上司がちゃんと仕事してくれたら休職するようなことにはならなかったのに」などと言われるようになり、わたしを信用してそういう話をしてくれていたのかもしれないが、わたしとしてはそういう話を聞くのは結構きつかった。
仕事中に「ふあぁぁ~~~」と声を出して欠伸をされたり、日がな一日うつらうつらしていたのに「疲れた~~~」「全然終わんな~~~い!」と言われたりするのにカリカリして、残業をお願いすると次の日に残業した分だけ居眠りされてしまうので「もう帰っていいですよ」と言わざるを得ないし、仮に残業してもらっても、次に出勤した時「昨日○時までいたから疲れが取れなくて…」と言われてしまうし、わたしの残業時間と終わらない仕事の山とストレスだけが日に日に積もっていくばかりだ。
詳しい病名は知らないが、鬱だった場合、そういう症状が出てしまうということはわかる。夜眠れないとか、眠っても眠っても眠いとか。わたしだって、それなら仕方がないなと寛容でありたい。
でも、わたしの心の狭さと前述のような言動のせいで、「夜眠れないんです」と相談されても、「昼間眠ってるからじゃないか」と思ってしまう自分の性格の悪さがつらい。
わかりたいし、理解もしたいけど、いらいらしてしまってそれが出来ないことがとてもつらい。
同じチームの派遣さんにそれとなく聞いたら「よく眠る人だなくらいにしか思ってないので」と言われて本当に感心してしまった。
わたしもそのくらい寛容というか、無関心というか、許容できるようになりたい。
人は与えられた給与に見合う仕事をするべきで、安い給料しか出せないならそれなりの仕事しかしないことを前提に仕事を依頼すべきだと思っている。
私には部下と呼べる人間が1人いて、私の行っているやや専門性の高い仕事の一部を手伝ってもらっている。
さて、その部下には年間600万円(税込み)程度の給与を支払っており、10時出勤19時退社、昼休憩1時間くらいの勤務時間で土日祝日は確実に休ませるようにしている。
休日出勤が年に2~3回あるものの、代休は取るようにさせていて、持ち帰り仕事はさせていない。
社用メールも自宅からのアクセスはさせないようにしている。携帯電話の番号などはそもそも知らない。
職場内においては、嫌がらせなどの問題行為はなさそうだし、周りも部下に対し節度と敬意をもって接している。
身に着けてほしい能力は、自分からの発案能力で、状況を調べたうえで最善と思われる業務を提案することを求めているのだが、現状の分析が甘く、知識も足りないため、出てくる提案が頓珍漢なことが多い。
私の労力を教育に避ける余裕があまりない(残念ながら部下よりも労働環境は悪く日常が仕事に浸食されている。)。
適切な教育体制を組めないことを心苦しく思っているが、中途採用で雇用して自ら技術的制度的な部分を学びながら仕事をしてほしい旨を伝えている。
過去に、ある程度責任と権限を持たせた仕事を任せたところ、ミスから大規模なトラブルを起こしてしまい、以降私のチェックが外せない。
私は部下に多くを望み過ぎなのだろうか?
部下はどうすべきだろうか?
私はどうすべきなのだろうか?
ちょっと面接で疲れたので愚痴がてら書いてく。
面接してる数はそんなに多くないけど
「え、そんなこと言っちゃう、書いちゃうの?」みたいなのが場面にちょいちょい出くわす。
経歴書は結構華々しく、○人月のプロジェクトを無事障害なくリリースした、という記載があったので
「どういった動き方をしたんですか?」と深掘りします。
するとどうも歯切れの悪い回答が多い。
で、訊いていくと本人の活躍によるものではなく他の人の動きによって成功していたパターンだったり
その○人月のプロジェクトのごく一部だけを担当していたりする。
確かに間違ってはいないのですが、大きく見せて面接で突っ込まれてしどろもどろになるのはいかがなものかと。
よく見る度:★☆☆☆☆(1名だけ)
残念度:★★★★★(期待値が上がってたぶん、落差が…)
これについては賛否両論あるかも。自分の人生だから自分のスキルを磨き続けたいという気持ちはわかります。
でも転職理由で「前職より御社のほうが成長できると思い」とか「御社に入ってもスキルアップをして…」と言われると、あなたを育てるために採るわけではないですよ、と言いたくなります。
20代とかなら成長枠としてはありかもしれないですけど、30後半くらいでこれを言われるとちょっと残念な気持ちになります。
たぶん言い方の問題で「こういった技術を身につけて社会貢献をしていきます」と、あくまでもスキルアップは手段なんですよ、みたいなオブラートに包んだ形にしてくれればいいのですが…
よく見る度:★★☆☆☆
残念度:★☆☆☆☆(40半ばの人が「あと5年はスキルアップに専念したい」って言ったときはさすがに脱力した。ライザップじゃないけど結果にコミットしてほしい…)
前職の社員数が2桁規模の人にありがち。
これを一番最初に言われると安定を求めてるのかな?という気持ちになってしまいます。このご時世、大きい会社でも安定してるとは限らないんだから
大きい会社で何をしたいのかってことを言ってオブラートに包んでほしいです。
無理がある(それ大きい会社じゃなくてもよくね?みたいな)場合もありますけど。
よく見る度:★★★☆☆
残念度:★★★☆☆
素晴らしいことです。休みの日は1日寝ていたい私と大違いです。
でも自己学習してると言えるレベルが面接官側と大きくズレてることにより学習の内容が薄いと見なされる可能性があります。
「意欲はあるけど行動が伴っていない」と判断される諸刃の剣、期待値が上がったぶんマイナスに働きます。
もちろんこれも年齢や成長枠採用の場合なんかではアリですが…
相手がその自己学習をしている技術のプロの場合でも見せられるレベルかどうかは一考したほうが良いかと。
これは前職が受託開発系かつ転職経験がない人にありがちです。
よく見る度:★★★☆☆
残念度:★★★★☆(ドキュメントを見てフレームワークをインストールしただけの人、それはアピールしないほうが良い)
このパターンが一番多いです。年齢、前職問わず。
これを言う人に「最新技術というと例えばどういうのですか?」と当然聞きたくなります。
これについて答えられない人もいます。バズワード拾ってるだけかい、と残念な気持ちになります。
「クラウドとかIoTとかAIとか」と答えられる人もいます。(最新技術と言われてクラウドを挙げられると「おや?」という疑念がわきますけど)
「それらの中で特に興味があるのは?何か最近試したりしてますか?それを使ってどんなことをしてみたいですか?」とさらに質問をすると、だいたい中身がありません。
バスワード拾ってるだけかい、と残念な気持ちになります。
自己PR欄に「最新技術に興味がある」的なことを書くんだったらなんかしら試してたり実現したい世界みたいなのを期待するわけじゃないですか。そうじゃないなら書かないほうが良いですよ。
よく見る度:★★★★★(落とした人の半数くらいこれ)
残念度:★★★★★(Web界隈ってたぶんテクノロジーの進化だとかアーキテクチャの変遷のスピードが早いと思うんです。他業種にいたことないので知らんけど。そんな界隈に来ようとして「最新技術」とか言うならちゃんとキャッチアップしてほしい)
職務経歴書に書くということは、面接で深掘りされること、そして期待されていることなので安易な気持ちで書かないでほしいなぁというのが採用側の意見です。
あと慰めってわけでもないけど、採用されなかったからと言って卑屈になったりしないでくださいね。採用する側になって初めて気付いたんですけど、転職って本当に巡り合わせだなぁと思っていて、採用したいポジションに収まるかどうかなんですよね。結構いいなぁと思う人がいても、オーバースペックだったり、今いる人のポジションとかぶってたり、数ヶ月前だったら空いてたのに!みたいなのがちらほらあるので。転職活動頑張ってください。
▶活動内容
面接通過:18社
内定:1社
雇用形態:正社員
想定年収:340万円
勤務地:東京23区内
▶経歴
運転免許なし
経験社数3社
デブで見た目がかなり悪い
・見た目悪いのが懸念点なんだよね
・下っ端は社内清掃があるけどいい?
・Webデザイナーになってほしいな
・すぐ辞めそうだね
・ごめん職歴書あんま見てなくて
関西弁の人(めんどくさい)
▶感想など
普段採用担当なので面接を受けるのがなんだか新鮮で楽しかった。
特に見た目悪いのが懸念点と言われたのが最高に面白かった、実際その場で笑ってしまった。その通りだったから。結果その企業は不採用だったが、採用に対しての考え方に共感できそれに対するスキルもあるということで、別の企業から内定を貰った。第一志望の企業だった。
今、自分の職歴を思い返している。
新卒で就職活動をした時はだめすぎて、やっと決まった仕事は契約社員で一般事務、6時間半勤務で時給は1150円だった。やっとありついた仕事も、汚職やパワハラがあり、1年7ヶ月で辞めた。
転職先はやはり契約社員だった。フルタイム勤務の時給1000円スタート。仕事内容は事務だったが、いつの間にか採用活動をしていた。ある日取締役から、目標達成をしていて評価が高いので時給を10円上げると言われ、脱力して退職した。辞める時は、取締役から裏切るのかと怒鳴られた。思えばここもパワハラだらけだった。
3社目では派遣社員として採用事務をしている。現在も就業中だ。この会社にも不満はあるがそれ以上にいいことばかりだった。今まで就業した企業でいっぱいになっていたよくわからない不信感もなくなり、ちゃっかり自信もつけてしまい、やっと自分のキャリアを前向きに考えることができた。
しかも2人いる。
1人は50代の男の人。
足がスラッと伸びた長身の男性でひょうきんでお調子者な振る舞いをする。
誰にだって。私みたいな下っ端にも声やチョークスリーパーをかけて可愛がってくれた。
何より普段はひょうきん者やってる癖に仕事をさせれば誰よりも真面目で丁寧なの。
周りは真面目なふりしてめんどくさいことサボったり適度に手を抜いてるっていうのにその逆。
しかしどんなに真面目に働いても褒められない。おじさんだから。出来て当たり前だから。
だから「他人よりお仕事真面目に頑張ってるのが、好きです」と伝えたら、「なんで、そんなに嬉しいこというの!!!!」とひどく喜んでぎゅうっと抱きしめられてしまった。
かわいかった。
過度なスキンシップはあるが、他のクソジジイとは違って下心が無いっていうのがまた魅力だったと思う。
下心のある中年に言い寄られたり、セクハラを見聞きしたりするのに疲れていたので安心感があった。
父親が娘にするようなスキンシップがたまらなく好きだった。 そう私には父親がいない。
オシャレな女性の多い中で真っ黒な髪を短く切ってほぼすっぴんに丸メガネという素っ気ない見た目だったので印象が強かった。
私は非正規(仕事自体は正社員と変わらない)なので自分よりあとから入ってきた奴に何かと軽く見られて挨拶されなかったり無視されたりとか普通だった。
でもこのヒトはちゃんと挨拶してくれたし、年下の私にすら敬語を使ってペコペコしていた。
私が飲み会でセクハラゴミジジイに逆上して泣いた時も「〇〇さん大丈夫ですか…」と心配してくれた。
てかまず名前を覚えてくれていた。
非正規で他の課の下っ端のみんなが話しかけないような私の名前を。嬉しかった。
同じ仕事をしなくなってから最近久しぶりに彼女の課を訪ねたら、彼女の姿が変わっていた。
黒のショートカットだったのを、少しだけ暗い茶色に染めて軽くゆるゆるパーマをかけていた。
ほんの少しだけ目元にカラーのある化粧をして、服もスーツじゃなくてカジュアルなオフィスコーデになっていた。
正直めちゃくちゃかわいかった。
あの地味な子がここまで綺麗になるなんて。驚かされてしまった。
あまりに綺麗すぎて、挨拶しようと思っても声が出なかったので口パクパクしながら会釈だけした。
ヒトは強い感動を覚えると言葉が出なくなる。
この二人への気持ちは恋と呼ばずになんと呼ぶのだろう。
来年は仲良く出来るといいな。
私がシューカツした2002年は採用凍結している企業がいっぱいあって、私も上手くいかずに公務員に進路変更した。
自分の選択に責任を持ってるし、正しかったと自信を持ってるけど、まわりの優秀な友だちも苦戦していたし、シューカツに失敗して非正規やフリーターを選んだ仲間をたくさん見てきたから、就活氷河期は社会問題だったと思うのね。
「無能な面接官」が選ぶ「意識高い系」の使えない人材 日本企業の採用面接を問う https://www.nagoyanz.com/japanese-shukatsu-crisis
正直羨ましい。そしてこう思う。
就職氷河期世代(ロスジェネって死語かしら?)を中途採用して欲しい。いっぱい優秀な人間はいるけど、チャンスがなかったの。だから機会を与えて欲しい。まだギリギリ間に合うと思うの。
http://nakamorikzs.net/entry/around40_labor
40代前半の人材不足が言われているが、自分もちょうど当てはまる
その企業は十年前くらいから中途採用をちょっとづつしていた。今は全くしていない。(人が足りているため)
ご多分にもれず氷河期に人を取っていなくて、このままでは数十年後にやばいと考えた上層部が一気には取れないが、年に数人づつ中途採用を取っていた
みんな仕事がなくて苦しんでいる人たちだったので、応募者数はすごくて、かなりの難関だった
だがいったん雇用してもらえると、誰一人辞めることはなくずっと続いている
飲み会等で会って話すとみんな口をそろえて、新卒時代の氷河期のひどさと、中途もなく、苦しんでいた20代後半以降の時期に、雇ってくれた会社に本当に感謝していた
会社としては愛社精神と忠誠心のある社員をたくさん手に入れたことになる。
http://www.asahi.com/articles/ASKCK4CX1KCKULFA00S.html
またこの話か。
法人として過去より連なる一貫した意思があると捉えるしそうでないと話が進まない。
社内人口がフタコブラクダになっているというのはもう10年以上前から言われてきたこと。
それに伴う弊害がその時点でも存在しその先現在に至るまで更に顕在化することは予見されていた。
企業として過去10年にわたって少しずつフタコブの谷を埋める中途採用を進めていれば良かっただけだし、
直近の人手不足よりちょっと前までずっと買い手市場だったのに対策をうってこなかっただけでしょ。
氷河期世代は第二次ベビーブーム世代でもあるのだから人はたくさんいたのにね。
今対策を打たないと少子化が更に進むと方々から指摘されていたにも関わらず対策を打たなかった行政、
そういう指摘と行政をみて企業がフタコブラクダ問題と人手不足対策に手をつけていたら今のような状況にはならなかった。
氷河期世代は超氷河期を抗うことのできない現実として20年前からずっと突きつけられて、
素直にではないにせよ少しずつ受け入れてもう諦めたのだからね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASKCK4CX1KCKULFA00S.html
一応前提として身バレ防止用にいろいろとボカすのとフェイク混ぜて書く。
離職期間はあるものの、実質3年ほど派遣社員として在籍した会社から直雇用のオファーをいただいている。
プログラマーとして勤務していたのだが、元々ソフトウェアエンジニアが少ない会社ということもあり、重宝してもらった。
が、現実はそう甘くなくて人が少ないゆえに様々な事が降りかかってきた。ソフトウェアに理解のないハード屋さん、無理難題をふっかけてくる上席、仲間がいない孤独感・・・。
離職期間というのは現実から目を背けたいあまりに逃げ出した期間だ。
当然現実から逃げただけではお財布は寒くなる一方でまがりなりにも大企業ということもあり、在籍中は派遣社員ながら結構もらえていた(と思う)
あまりにもお財布が寒くなりすぎてカードが止められたことで現実に戻ってきて、前の上席に泣きついた。ら、割と簡単に戻れた。
だけども周りが頭いいこともあって付いていくのが精一杯でやっぱりしんどかった。
最近は頭のいい人たちの真似をしたらソフトウェア周り以外のことはそれなりに取り繕えるようになってきたんだけども、その段階になって派遣期間満了が近づいていることに気がついた。
色々と揉まれたこともあって、フリーランスとしてやっていこうと考えていたんだけども、なんとなく中途採用の話を上席に聞いてみたら結構本気で動いてくれたようだった。
ようだったというのは裏が取れないのと確約はされてない(コンプラだの考えれば当たり前の話というのと派遣元の手前そうなる)からだが、人事関連に手を入れるのは昨今の情勢を考えると結構リスクあるように思う。
そもそも私がいる部署はプロパーが基本で事務のオネーチャン以外で派遣社員は片手で数えるくらいしかいない。
というのも専門性や新規性が高い領域なので、私みたいにフクザツな経歴の持ち主以外は好き好んで派遣社員でくる必要がない。
ということに気がついたら派遣でやっているのが馬鹿馬鹿しくなりフリーランスになろうか他にいこうか考えていた所、上述のような状況になった。
正直金銭的には色々と周りがぶっちゃけてくれたこともあって、今より確実によくなる。というより経歴考えたらほぼ奇跡に近い。
会社の信用、額面の給料、福利厚生、職場環境、一緒に仕事をする仲間・・・。マジでこんな話あんのかっていうくらいだと思う。
んだけど、ハイリターンではないことがどうしても悩んでしまう。ハイリスクではあるけども、生き様としてそれでいいのかと。
学歴、キャリア双方ともに訳がわからない(と実際に言われてる)ので、ここまできたら寧ろその訳のわからなさを武器にのし上がっていきたいと思っていた矢先のことなのだ。
ハイリターンが欲しくて今まで何回もピンチになってきたけど、その度に親だったり友人だったり嫁だったり子供だったりに助けてもらってきた。たまたま運が良かった。野垂れ死ななかった。
でももうそんなラッキーは限界に近いことも悟ってて、だからこそ確実に勝てる方にベッドすべきだという考えだった。
けどそんなので俺の人生おもしろいのか?ソフトウェアというよりプログラミングは人類史上初めて共通のAPIとして使える最高の技術じゃなかったのか?そしてそれを武器に裸一貫で勝ち抜いて今まで否定された生き方に復讐するんじゃなかったのか?
ケツの青いガキの考え方が未だに抜けていなくて未だにこんなことを考えてしまう。
俺はどうするべきなんだろうか。
いつもウンコ漏らしてる増田諸氏のクソみたいな助言はクソの役にも立たない事ばかりだが今日に限っては俺が下痢ピーのようだ。まったく話にならないな?
全くゲーム業界関係者ではないものの、プログラマの端くれとして関心があったためタイムシフト配信でゼルダの伝説の8本のセッション全部見た(また、他のセッションも色々視聴した)
内容については(増田がSNSかは微妙だが)SNSへの投稿禁止、また専門家ではないので言及しない。
興味のある人は是非タイムシフトパスを購入してその目で確認しよう!と言いたいところだが、CEDEC最終日(9/1)の19時が購入期限で今から視聴は不可能である(様々な事情があるだろうし、残念ながら致し方ない)
専門外のため用語や実際の作業として理解できない部分もあったものの、8つのセッション全てプレゼンとしてとても丁寧に整理されており、他業種の私にも参考になる・刺激を受ける部分が多くあった。
内容以外で特筆すべきは、プレゼン資料の統一性もだが、十二分なトレーニングを積んだと思われる16人の発表者であろう。
8つのセッション(1セッション1時間なので8時間)で16人発表したわけだが、話す速度、スライドをめくるタイミング含めて完全にコントロールされており、全てほぼ時間ぴったりに発表を終えている。
また、言い間違いや詰まる箇所は合計8時間の中で数えるほどしかなく、資料を見っぱなしということもない。
こういったセッション、カンファレンスで必ずしもこのようなクオリティで発表すべきとは全く思わないが、任天堂の完璧主義ともいうべき姿勢が見えて尊敬の念と同時に、少し空恐ろしいものを感じた。
セッションの中では、過去のカンファレンスや論文などを参考にしたなどの言及もたびたびあり、オープンにされた知見への「お返し」という面もあるのかなぁ、オープンソース的な流れを感じる良い話だぁなどと暢気に考えていた。
また、先日のOSC2017京都にも任天堂は協賛しており、求人広告を出している。
OSC2017京都の件については、私は求人広告は注目しておらず、任天堂が昨今のマクロソフト・アップル同様、秘密主義からOSSへ歩み寄り始めているのかと思っており、CEDECに任天堂関係者が登壇する、というのもその流れで観察していた。
(ちなみに今年のHTML5カンファレンスへも任天堂はスポンサーとして協賛しており、同様に求人広告を出すのではないかと予想している)
ただ、これほど立て続けにこれまで関わりの薄かった他業界への求人アピールが続くと今回のCEDECの講演内容について別の側面から見たくなってくるものだ。
CEDECのセッションだからという面はあるのだろうが、8つのセッションの多くはこれまでの任天堂の「アイデア」「枯れた技術の水平思考」的なイメージから離れたモダンな効率化・自動化を中心としたセッションであった。
実際、セッション内容をまとめた記事を見たと思われる人々から任天堂のイメージが変わった、という感想も多く見受けられる。
(既存のイメージと合致するのはフィールドレベルデザインのセッションの一部ぐらいだろうか)
セッションで繰り返し述べられたのは、自動化・効率化によって「最後まで何度も調整できた」「クリエイティブな作業に集中できた」ということである。
その「クリエイティブな繰り返しの調整」こそ任天堂の元来のイメージに相当する部分であると思われるので、任天堂の開発手法が大きく変わったというのも事実ではあろうが、外部に見せる側面を変えたという印象が強い。
つまり、既存イメージを強調するセッション行おうと思えば出来たにも関わらずそうしなかったように思えるのだ。
とにかく、メディアの記事を確認してもわかるが、今回のセッションではブレスオブザワイルド特有の面白さの根幹に関わる部分はほとんど出てこない(例えば以前から話題になった2Dマップでの検証や化学エンジンに関する内容)
それもあるだろう。ただここで一つ仮設を立てたい。
8つのセッションは開発の様々な知見からある効果を狙って特定のテーマに基づいて選定されているのではないだろうか。
そして、そのテーマはおそらく「ゲーム制作を支援する技術(者)」である。
先ほど述べた通り、発表内容・資料・プレゼンターのクオリティは一定以上に統一されて非常に高い。ほぼ間違いなく、開発チーム・制作部署以外の部門も深く関与しており、そのテーマの選定にも関わっていると考えるのが自然だ。
ゲーム自体に関わる部分への知見ではなく、他業界にも理解しやすく応用できる内容を意図的に選定しているのではないか?
セッションを視聴した人、またメディアの記事を読んだ人でこういう感想を持った人も多くいただろう。
「他業種だけど参考になる」
「ゲーム以外のソフトウェア開発にも応用できる部分もありそう」
「分野は違うけど、自分のやっている(やりたい)仕事と似ている」
秘密主義の任天堂はある日突然、知見の共有に目覚め、OSSの理念に共感し始めたのではなく(部分的にはそうなのかもしれないが)、他業界の(優秀な)エンジニアに自社の存在をアピールしようとしているのではないだろうか。
自社の技術を開陳し、それを一種の求人広告とするというのは他のカンファレンスでもよくあることではあるが、今回のCEDECのセッションもその面が強いのではないだろうか。
IT企業・ベンチャー企業経営者は「参考になる!」とか言ってfacebook・Twitterで記事を能天気にシェアしている場合ではない。
平均年収840万の(日本を本社とする)世界的企業が本格的に君たちとの人材獲得競争に参戦したのである。
昨今のコンシューマゲーム業界に対するサイゲームスの立場に近いものを感じた。
ちなみに私はフレックスなし、制服(作業着)着用の時点で中途採用への応募は断念した。
今回の内容では余りに任天堂が腹黒いかのような印象を与えてしまうので、補足としてCEDECに関してはセッションへの登壇こそ初めてのものの、任天堂は長年スポンサーとして協賛しており、過去数回基調講演への登壇は行っていると書き添えておく。
また、多かれ少なかれ企業というはこの手のカンファレンスへはある程度作為を持って参加するのが当然のため、私自身は任天堂に他意はない。
給与の額面は40万円だからそこまで悪くはないが、ボーナスや手当などは存在しないので年収は500万円いかない。
修士課程でそのまま就職した友人を見るともちろんトータルでの給与は僕より良い。好きなことを仕事にしているから、給与の面で文句を言うのはダメだろうと思ってはいるが、人並み以上に頑張ってきたことや能力への対価としてのお金は欲しい。
もちろん助教になればボーナスが貰えるから給与も上がるだろうし、手当も貰える。更に定職に就いたという安心感が生まれて研究のモチベーションも上がるかもしれない。でもなかなか助教のポストが空いているわけでもないし、公募があっても出来レースであることも多い。
まぁ本当に優秀な人はすぐ助教になれるし、私に大学教員になる能力がなかったと割り切るのが一番なのかもしれない。民間企業に中途採用で行こうかな。そっちは比較的簡単に職を見つけられるみたいだし。
結局は夢よりもお金なんだよなぁ。
https://anond.hatelabo.jp/20170727140517
コメントくださった方ありがとうございます。
ペットを飼うっていう解決方法は意外でした。確かにペットって癒しになりますよね。
出社しただけで感謝される職場っていうのも、確かにそうだなって思いました。転職先は、入ってからまだ数ヶ月しか経ってなくて、中途採用とはいえ、第二新卒ですし、即戦力人材でもないので、そういった発想がなかなか生まれませんでした。
こういうブログって、どんなコメントが付くかわからないからドキドキしてたけど、自分が考えたこともない意見が出たりして、すごく新鮮だった。
その後の顛末。
ブログを書いた日、わたしは過呼吸発作を起こしてしまった。その日は心療内科の先生の指示で安定剤を飲んで収まったけれど、次の日は普通に出社できると思って、薬を飲まずに行った。でも、駅前で、あの満員電車に乗るかと思うと胸の動悸が激しくなってひどい過呼吸を起こし、駅前で動けなくなってしまった。
夫はオロオロして、通勤途中のたくさんのひとたちに見られて、どうしようもない、もうだめだって思って余計に発作がひどくなった。
何人か優しいひとが紙袋くれたりしたみたいで、それが余計に申し訳なくて、発作は収まらず、息が苦しくなるばかりで、結果警察官が来て救急車に運ばれる羽目になってしまった。
何やってるんだろう、私って思った。
仕事はやりがいがあるはずだし、勤務時間だってそんなに長いわけでもない。
なんとなく抑圧された気持ちの原因は分かってる。
他の仕事は華やかでやりがいもあって、充実した毎日を送ることができる。
そんな馬鹿なことを私は本気で思っていた。
薬剤師の仕事は退屈だと思っていた私は30歳の時、自惚れもあっただろう、薬剤師の関係ない職場で働いた。
誤った決断でどん底の生活を経験し、資格無しの自分の無力さにあらゆる絶望を味わい、私はまた薬剤師として働いている。
薬剤師という資格、そして私が当たり前と思っていた環境がいかに恵まれていたか毎日噛み締めながら生きている。
この経験を「同じ失敗をしてほしくない」という意味で伝えてみたくなった。
興味があったら読んでみてください。
特に頭が良かったわけではない。高校時代、医師を目指し勉強したが、早々にその器ではないと見切りをつけた。
「これで私も薬剤師になれるんだ」
難関資格と言われる薬剤師になれるという喜び、そして人生においてある程度の地位は約束されたという自惚れた感情でいっぱいだった。
私の念願であったこともあり、学業に励んだ。資格取得は仲間との協力もあり順調だった。
そして資格取得後、教授のすすめもあり、私は病院勤務の薬剤師として働くこととなった。
夢の薬剤師。
仕事内容はおおよそ先輩方などから聞いてはいたが、薬剤師の仕事は思っていた以上にとても地味だった。
朝から晩まで閉鎖的な空間で調剤・監査。電子カルテに誤りがあれば医師に疑義照会をかけて煙たがられる。
私の働いていた病院は常連さんがほとんどだったから、毎日同じ患者さんの調剤。単調極まりない毎日の繰り返し。
休みもしっかり取れる
ただ、毎日続く変化のない仕事がとても苦痛に感じるようになっていた。
昔から人より向上心・好奇心が少しばかり強かった私は働き始めて早々に薬剤師という仕事は自分に向いていないのではないかと思ってしまった。
それからの3年間、わたしは毎日、薬剤師に向いてないと思いながら仕事を続けていた。
そんな私に転機が訪れる。
亜子は学力・見た目は私と同じくらいのレベルだった。ただ持ち前の明るさとリーダシップで常にクラスの人気者だった。私はそんな亜子に対していつも憧れと嫉妬心の入り混じった感情を抱いていたのを覚えている。
亜子は私立の工学部を出て、院を卒業後、大企業には行かず、メディアでも多く取り上げられるIT企業に就職し広報として活躍していた。
その亜子とここで出会ってしまったことがその後の私の人生を大きく狂わせることになるとはこのときは思いもしなかった。
薬剤師の仕事にくすぶりを感じていた私は、亜子に面白みを感じないことについての相談をした。
「うちの会社、今営業の中途採用積極的にやってるから来てみれば?薬剤師に縛られている必要もないんじゃない?」 <h3>o- *</h3>
薬剤師を捨てて働く
私は最初は戸惑いを隠せなかった。意外な提案に驚くとともに亜子が私を誘ってくれたという喜びで、冷静な判断力を失って
「ぜひ紹介して欲しい」
この安易な決断が後に私の人生を絶望の淵まで追い込むことになろうとはこの時考えもしなかった。
紹介を快諾すると話はトントン拍子に進み、亜子の紹介もあってすぐに内定、入社となった。
「私は刺激もなにもないお金だけの仕事をしたいわけではない。やりがいを感じられる仕事を一度やってみたくなった」
この思いを正直に伝えると面接官、特に社長は喜んでいたように感じる。
薬剤師になれたという過去の栄光、それだけを根拠とする自分の能力に対する過剰な期待感を持つ私は、
薬剤師以外なら上手にやれる。そう思える若さもあっただろうか。全く関係ないIT企業の営業職にチャレンジをすることになった。
全く未経験ゆえの新鮮さもあっただろうが、営業の仕事は楽しかった。自分でお客を開拓し、会社が持つ商品をお客様に合うように提案を考える。
活気あふれるメンバーと仕事を進める。毎日が文化祭のような楽しさがあり、長時間の労働も全く苦にならなかった。
楽だけど仕事は決まっている。そんな薬剤師の仕事とは大違いだった。
昔は想定できる毎日に楽しさ、興奮も見いだせずとにかく退屈だった。その苦しみから解放され、ちょっとした幸せを感じた・・・。
ただし数ヶ月して事態は一変する。研修期間を終え、営業に本配属になった。ここからは新人とはいえ営業成績が求められる。
3ヶ月が経過した。
私なりに死ぬ気でやったが成果は0だった。同時期入社の仲間の中でも最下位。
3ヶ月でこの状態だと、これまで優しく接してくれていた会社が途端に私に牙をむく。
数字の上がらない人間は非常に居心地が悪い。私がどんな人間なのかそんなことは数字を上げてから判断される世界。会議でも発言力はないし、何を話しても
「数字出てないやつがなにいってんの」
という顔をされてしまう。
チームで仕事はするけど結果を出すのは個人。最初は仲間だったチームメンバーもなかなか数字のでない私に「価値のない人間」のレッテルを貼り、人格すらも否定されているような気持ちだった。
思えば、病院だと患者さんが怒れば、ダメな私を叱りながらも、誰かが守り助けてくれた。主任だったり、先輩だったり、後輩だったり・・・。
でも、この会社では誰も助けてくれない。数字に追われひたすら動く。
そこに「やりがい」なんて洒落た言葉は一切存在しなくなっていた。
IT企業での給料はとにかく安かった。薬剤師の時には40万なんて当たり前だと思っていたのに・・・
転職時の私は根拠のない自信があったため、出来高の方にとらわれ基本給の安い契約も問題ないと思っていた。
それがこんなに厳しい生活になることを想定できていなかった。
基本給が23万円。
家賃、水道光熱費、食費、携帯代、交通費などを使えば、残り5万円。
毎日12時間以上も働いて、お客、上司に怒られ、身も心もすり減らしても、手元に残るのはたったの5万円。
5万円じゃ貯金ができないし、友人と遊びに行くにもお金のことを考えてしまう。当然外食なんてできない。
朝は仕事帰りに買ったおにぎり一個。お昼はコンビニ弁当かマクドナルド。夜は、コスパを重視してスーパーの安売り惣菜とライス。
本当に余裕の無い日々。何かトラブルがあれば、一貫の終わり。本当に危うい生活だった。
会社に誘ってくれた亜子も最初はランチなど一緒に行動することも多かったが、私の会社の立場を察してかあまり寄り付かなくなってしまった。
私は会社の中で完全に一人だった。。。
彼女は、早々に薬剤師を辞めて法律事務所の秘書になった。ただ、そのときは給料が安く、夜の仕事もしていると言っていた。
3年くらいは会ってなかったが、薬剤師をやめた同士話し合いたいと思って私から久しぶりに食事に誘った。
美咲は3年前より少し雰囲気が変わったように感じた。秘書という仕事、夜の仕事もやっていたということもあり、すこし派手な格好をしていた。
早速の仕事で悩んでいることを相談しようと思った矢先、美咲は私を絶望に叩き落とす言葉を放った。
「ごめん。なかなか言えてなかったんだけど、私。薬剤師に戻ったんだ。。」
美咲は続けた。
「薬剤士って地味な仕事だけどさ、職には困らないしやっぱスゴい資格だよ。変な欲なんて出さずにおとなしく薬剤師やってればよかったよね・・・」
「私って何をやってたんだろう・・・」
私は彼女の方針転換への失望からか、自分の過去を後悔し、将来への不安と虚しさと絶望で、理性を保つのでやっとだった。
やりがいだけを求めて、飛び込んだ一般企業でのチャレンジは失敗に終わったのだ。
復職をするにあたっては非常に厳しいのかなと思っていたが、薬剤師という資格は本当にすごい。
友人からの紹介、ハローワーク、求人サイト引く手あまたで驚いた。
IT企業で絶望的な苦労を味わったあとだからだろうか、以前の退屈な仕事に戻ってもかまわないとは思っていた。
できるなら、やりがいも感じられるそんな仕事があるなら探してみたいと思い人材紹介会社を中心に就職活動を行った。友人の紹介や、ハローワークでは出ていないような職場が存在して面白かった。
人材紹介会社が頑張ってくれて、資格も活かせて、やりがいも感じられる職場から奇跡的に内定をもらえた。
「苦労されている方だからこそ、こちらの内定取れたんだと思います」
と言ってくれた、あれこれ手を尽くしてくれ本当に大変だったと思う。(お世話になった担当者のYさん。ありがとう)
薬剤師の転職は、人手不足もあり簡単だと言われているが、事実そうだ。
給料がそこそこ貰え、
仕事をそこそこ楽しめ、
将来の安定もある。
私にはちょうどいい環境。
だから転職して、今までの悩みは笑っちゃうくらいサッパリ無くなった。
働く時間は半分程度だ。
30万円もあれば、固定費を払っても毎月15万円近く自由に使える。病院時代のように貯金もできるようになった。
仕事内容は商品の品質管理がメインで、新商品が出るときは企画会議から薬事申請の業務まで一通り携わっている。
病院・ドラッグストア勤務に比べて仕事内容も変化に富んでいるし、社内外問わず薬剤師以外の人との交流が増えた。刺激が多いのですごく楽しい。
何より「これってどうなんですかね?」と意見を求められる仕事というのが心地よい。
わたしの本心は「誰かに頼られる心地よさ」を求めていたのかもしれない。
薬剤師の活躍する場所はこれからも増え続け、薬剤師はもっと必要になる。薬剤師の資格がある限り、仕事が無くなることはない。
40代や50代になったら、どうやって食べていこうかと悩むこともなくなった。
正社員として雇ってもらえるか?
身をもって痛感したことだが、女性が資格を捨てて働くのは本当に難しい。
薬剤師の資格はこの上ないほど強力な武器だ。それを捨てるのは愚かなこと。
武器があるなら、それを使って有利に戦う。薬剤師の資格を持っているなら、それが価値を生む場所で働く。
薬剤師はどこでも人手不足だから、一般企業の世界でも薬剤師として、ものすごく重宝がられる。
薬剤師を辞めるなら、それなりの覚悟が必要だった。少しでも迷いがあるなら、辞めてはいけない。
薬剤師の資格を活かせる転職をすることをおすすめする。退屈な仕事が嫌なら、仕事は病院以外にも沢山ある。
でも、勤務先はじっくり選んで欲しい。上記勤務先でも当たり外れはかなりある
そのためには情報を集めなきゃいけない。
実際の給料は?
手当、残業代、ボーナスの有無、そしてその金額、福利厚生の内容も。
職場の雰囲気、仕事内容は?、仕事仲間がどんな人かも聞いておこう。
これをきちんと聞くだけでも、失敗の可能性は少なくなる。
そして「こんなこと聞いて変な奴だと思われたらどうしよう」とか遠慮したら終わり。
後悔したくないなら恥を忍んでとにかく聞く。
夢を語れる人って自営業とかお家が豊かとかそういう理由もあるのではないでしょうか。
アニメ業界は現実が厳しく目指す人がいなくなってしまいました。
大学を途中で挫折してアウトする人(海外の大学は学士レベルでも卒業が難しい)や自由業的仕事で成功出来なかった人、就職出来なかった人には社会保障あるの?
パラサイトが多く、年取ってから就職する話はよく読むけど(若年者の失業率50%のところとかあったじゃないですか)。
職業訓練はないに等しいし。
日本は職歴無しで中途は難しくなかったですか?(アベノミクス以降は知らない)
食えなくなったらと思うと普通に怖くないですか?
相次ぐ法科大学院の募集停止という記事が新聞に掲載されたのを見て、筆を執りました。
では、法科大学院制度は崩壊大学院…もとい制度として失敗だったのか?
結論から言うと、個人的には失敗だった(但し改善すれば救いはある)と思います。
…等とそれっぽい書き出しですが、人によってはただの愚痴じゃないかと思われるかもしれませんので、チラシの裏の落書き程度に思って頂ければ幸いです。
但し、チラシの裏と言いながら、ちょっとしたレポート並に長いので注意してください。もはや日記ではないのだ。
後で時間泥棒と言われたくないので、先に分量だけお伝えすると、400字詰め原稿用紙で7枚ぐらいです。
それでも読んでやるよという心の広い方はどうぞ。
ちなみに、読まなくても何の支障もない書き手のスペックはこんな感じです。
・合格率の低さから初年度で司法試験に受からなかった場合の不安を感じ、今年の3月から2018年卒として就活を開始。
一言でまとめると、こんな感じです。
年度にもよりますが、法科大学院全体で見ると基本的に三割から四割です。
合格率が高かったのは制度開始の初年度以降数年で、ここ最近は大体三割程度です。
(詳しくは法務省等が公開している受験者データを見てください。
ちなみに直近の平成28年度試験では受験者数(途中欠席者含む)6899名に対して最終合格者は1583名でした。)
なぜ法科大学院生の合格率が低いのかについては、よく言われる予備試験の方が本試験より難しいから
予備試験合格者の合格率の方が高いのは当たり前、という意見以外にも現役生なりに思うところは多々あるのですが
(一つ考えている事として、法科大学院のカリキュラムと司法試験で要求されている事が噛み合っているのかという
問題点があるのですが、今回は指摘するだけにとどめて、あたうならば誰か別の人が検討してくれるのを待ちたいと思います。)
自分が法科大学院は崩壊大学院か?などと言うつまらないダジャレを入れながらも問題提起したかった事は、断じて合格率の低さではありません。
真に憂慮すべきは、合格率が低いとどうなるか、という問題です。
仮に、5年で5回、全てのチャンスを使い切ったとします。
(現在法科大学院を修了した場合の司法本試験への受験資格は5年で5回までです。)
大学からストレートで法科大学院に入学、修了した人を想定した場合、その時点での年齢は30歳前後。
司法試験を志す途中で何か資格を取るか、国家公務員試験や地方公務員試験に合格しない限り、最悪の場合、厳しい言い方ですが
社会人経験も仕事に役立つ資格もない、ただ司法浪人生の肩書きだけが残るのです。
この時点で就活をしようとしても、非常に厳しいと言わざるを得ません。
中途採用は基本的に職歴のある事が前提なので、大学からストレートで挑戦した法科大学院修了生には無理な話です。
(よくこう言った場合の法科大学院生のキャリアとして、パラリーガルという選択肢が挙げられます。
しかし一般企業の正社員と同じような待遇で雇ってくれる事務所がどれだけあるのか、大変疑問です。)
では、司法試験はキリの良い所で諦めて、進路変更した場合はどうでしょう。
大体は結果発表までの4ヶ月の間で事務所や一般企業の法務などへ就職活動を行うのが一般的です。
しかし、事務所や一般企業の法務もそう受け皿が多い訳ではありません。
特に、法律の勉強をしていても、実務においては全くの未経験者である法科大学院修了生が
万が一、不合格で資格が取れなかった場合の事を考えると、法務職に就けない人の数もそれなりの数出る事になります。
そうなった場合は一般企業への総合職や一般職での就職活動をする事を考えるのですが、問題はそこにあります。
普通の新卒・第二新卒の採用は、司法試験受験生が就活を始める6月あたりから、既に内定が出始めているからです。
つまり、司法試験を受験した修了生は、どうしても世間一般の就職活動に乗り遅れる形になります。
自分は、以上の理由から、在学中に一度就職活動をするという選択肢を取り、今年の3月から実行しました。
しかし、今の法科大学院は在学中の就職活動など想定していません。
面接や筆記試験を理由とする欠席は考慮されないので、下手をすれば単位を落とします。
(就活で一番大変だったのは、このスケジュール調整だったかもしれません)
そして就活をする中で、自分は必ず『来年の5月に司法試験を受験する予定です。しかし、合格してもそのまま勤め続けます』と言いました。
大変ありがたい事に、『働きながら受けるのは大変だと思うけど、頑張ってね』と励ましのお言葉を賜りました。
不採用の理由の全部が全部、司法試験の受験だとは思っていません。
ですが最終面接まで進んだものの、やはり司法試験の受験は諦めないと伝えた所、不採用になった事もあります。
また、はっきりと『受験するなら、合格した場合修習に行ってすぐに辞めてしまう可能性があるので採用できない』と断られた所もありました。
黙っておけばよかったのに、と思われる方もいるかもしれません。
しかし、こういう事で嘘を吐くのはなんとなく自分が今まで学んできた事を裏切る気がして嫌でした。
まあこういう頑固さも就活的にはマイナスポイントだったかもしれませんね、ガハハ!
どんなに努力して勉強しても、その努力が実らない可能性もあります。
その時どうするか、それを考えた上での就活でした。
今年は幸い売り手市場、自分のようなどっちつかずのクソ優柔不断ダメ人間でも何とか一つは内定を頂きました。
しかし、今後どうなるかはわかりません。
だからこそ、法科大学院、ひいてはそこに通う学生は、合格率が低いという現実をまず直視する事。
そして仮に司法試験を諦めた時、どうキャリア形成していくのか、在学中から真剣に向き合う事も必要だと思います。(大きなお世話かもしれませんが)
例えば、法科大学院のカリキュラムの中で、資格を取れるようにするか、一部の資格を単位認定に代替する。
或いは、法科大学院修了の資格に、もっと意味を持たせる、など。
(個人的にはパラリーガルの資格の一つとして法科大学院卒の資格を採用してほしいところではありますが…
法律を専門的に学んだ人は、長い目で見れば減少するかもしれません。
だからこそ、今後法曹資格が取れなかった法科大学院生でも、それまで学んだ知識を無駄にせず、活かす方向で活躍の機会や場所が増えればいいなと思います。
以上、多分に私情や愚痴混じりのチラシの裏をここまでお読み頂きありがとうございました。
最後に、ここまで読んだ中にもしロー生がいたら、この一言を贈ります。
とりあえず目先の定期試験、頑張ろうぜ!