「レトリック」を含む日記 RSS

はてなキーワード: レトリックとは

2015-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20151130135740

素質があるからニートをやっているのか、

他に素質がないからニートをやっているのか。


よつばとの「"何もない"がある」みたいなレトリック

2015-11-27

自民党が好きなわけじゃないけど民主党もっとダメから自民党しかない」は馬鹿好みのレトリック責任転嫁思考停止を同時に達成できる。

2015-11-15

はてなブロガーおもしろくないっつか、はてなブクマカがバカしかいなくなった

ブロガーハイレベルな内容の記事を書いても、ブクマカが前提となる知識や理屈を追えてない。

追えてない状態自分不快な内容だと、否定したがる。

馬鹿馬鹿しいからレベルの高いブロガーからどんどんやめてく。

結果として、中身の無いレトリックしか能がない連中のドヤ顔合戦になる。

2015-11-09

すげえブーメラン

こいつよか頭いい自信がある

そのレトリックバカだと言ってること自体に気づいてない辺りにこの人の底が知れてる。そもそも、ポイントカード持ってる持ってないを聞く理由だって10年も商いに関わってたら普通ならだれだって思いつくような理由なのに、それが出ない時点でバカ

読者にわかるように書けない(批判反響として僕の言ってることは他のコメントとそこまでズレてない)時点で、これは筆者の責任だと思いますけどね〜。または、ミスリードされることを想定して書いている時点でこういった反論をすることがおかし

思ったよりも喧嘩腰だったから さんはブロックしよう。あん頭が悪い、なんの努力も苦労も葛藤もない人間に同情のようなリプライを送って送られること自体が僕にはストレスだ。

はてなから追い出そう♪あれははてなレベルを落とす。30前半であんだけ頭が悪いなら彼の頭の悪さは改善しない。アタマが悪いくせに態度も悪いからあいつは潰していいよ。

2015-10-03

話180度変わるけど、最近読んでる女性向けのモテ本が「じゃあ、どうしろと」という内容で困ってる。ちなみに、その作者の男向けのモテ本と同じようなことが書いてあるんだけど、レトリックが男の時は「理屈で殴る」だったのが、「理屈で擦り寄っていく」に変わってて大変気持ち悪い

もうちょっと言うと、女性に物を申す途端に急に誰かに気を使っている感じになって、歯切れがわるく頭でっかちなことをずらずらと並べるから「知りたいのは本当にそういうことか?」と言いたくてしゃーなくなってる。

そもそも、僕に言わせてもらうと女の人の恋愛に関連した情報サイトなり本なりで見てると「結局どうしたいんだよ」と言いたくなるものが多いんだよなぁ…。不審者を通報する感覚危険人物を周知する感覚でああいう男はダメ、こういう被害に遭ったと愚痴るけど、こっちから聞いてると「で?」しかない

そこに対して、「よしよしかわいそうに」といえば満足なさるのかも知れないけど、それ以外に言いようのない話を自分から振っておいて思い通りの返しが来て嬉しいか?というしっくり来ない気持ちにさせられるんだよなぁ…。僕が女性絡みの話につかれているのか、僕が理解がなさすぎるのか…知らんよ

2015-09-27

安倍よ、日本の誇りの為に立ち回ってみせろ

 安倍首相は今年の7月、中国を「身近な脅威」と名指しして、今回の安保法制の可決をすすめた。(安倍政権太鼓持ちとして以前からその姿勢を隠していない産経新聞によるソースである。)

http://www.sankei.com/politics/news/150729/plt1507290039-n1.html

 そして日本が「国を守る為」というレトリックのもと、"集団的自衛権"というアメリカを利するためだけのもの日本戦後でも稀に見るほどの強行的な手段で通すことになった直前、中国は全世界から注目を浴びる場で、期限まで名言はしていないものの、30万人規模の軍備縮小を表明した。

http://jp.reuters.com/article/2015/09/03/china-xi-parade-idJPKCN0R306520150903

 (そんなことは少し調べたり考えたりすればありえないことだとわかるものではあるのだが)もし万が一中国が攻めてくるとしても、この時点で国際的観点でどうみられているかという立ち回りの時点において、中国現在日本安倍政権よりも2枚も3枚も上手である。もし日本が望む通り、中国が脅威として日本に攻めてきて、その戦いに日本が勝利したとしても、すでに日本海外諸国で「70年間の平和路線放棄した狂信的なナショナリズム政権」と報じられている。

http://www.dailymail.co.uk/news/article-3238173/It-s-surprise-attack-Punch-breaks-Japanese-parliament-opposition-politicians-claim-crucial-vote-abandon-70-years-pacifism-held-without-knowing.html

 平和的な路線を歩み始めている(少なくともそうした姿勢を打ち出している)中国を、好戦的日本武力行使によって制圧したという構図からは逃れられない。安倍政権が縋っているアメリカ政府だって、もし国際的非難日本に及べば、容易く安倍政権に対するハシゴを外すだろう。

 私が不安に感じるのは、このどうしようもないほどの国際的な場における立ち回りの下手さである自民党が党是として掲げ続けている"自主憲法制定"にしたって、自民党によるのそ憲法改正草案現在日本国憲法よりも国民基本的人権制限こそすれ、決して拡張できるようなものとして読み取れるものではないものである点においても、どう足掻いても味方を得られるようなやり方をすすめてはいない。ネット上で勇ましく敵国から日本を守るべきだ、自分にはそのために命を捨てる用意まであるとまでと言う若者論調を見るにつけ、この日本政府内閣という日本の首脳陣の無能さが泣けてくるほどに情けない。

 いくら法案内閣の言動を読み合わせてもアメリカに媚びを売り、軍需産業を拡大して経団連を設けさせようという以上の効果を見出せない集団的自衛権とやらが、本当に日本の誇りを取り戻すために必要だったとしよう。ならばせめて、その大義名分の元に散っていくであろう命に対して、キチンとしたはなむけをする用意はできないのだろうか。

 "誇り"や”プライド”は誰かの足を引っ張る為に、誰かを相対的に貶す理由としてあるものじゃない。その人がその人個人の人生立脚するうえで必要であり、ゆずれないものこそ、"誇り"と呼ぶにふさわしい。

 さて、戦場への積極的介入が行われれば、必然的犠牲になる人の命は増える。その時の用意や覚悟責任は、東京オリンピック国民行事と定めながらもグダグダであり、2011年原発事故収束のメドすら立てられない今の日本に、果たしてあるのだろうか?敗戦記念日での靖国神社への参拝を、慰霊行事として国際的に認めさせることすらろくに出来ず、ただ近隣国感情を逆なでする行為としてむしろ中国韓国に利を与えている結果しか及ぼしていない現在自民党に、その手腕があると想像する方が賢明なのだろうか?

2015-09-03

五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言


五輪エンブレム白紙に戻った。

この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授純丘曜彰である

反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。

エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で

純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。

筆者の感じた純丘氏への疑問とは、

「明らかなデマの流布」「度の過ぎた個人的感情の表出」

そして「独りよがりデザイン論」「デザインに関する知識不足である



明らかなデマの流布


東京オリンピックエンブレムはもう無理筋8月10日

http://www.insightnow.jp/article/8591


瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である

デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、

純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。

以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である


ニーチェの独文の警句英文引用して、名前綴りコピー元のままに間違っていたり

(page:2 より)


Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、

その最後名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、

すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。


このニーチェの脱字の件は、丸ごと事実誤認なのである

Pinterest綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。

ここで問題なのは佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。

事実誤認、それも2ちゃんねるが発信源である単純なデマを、

純丘氏はのまま引き写して記事構成しているのである


この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、

ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。

純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである

最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。


このような杜撰情報収集と決めつけで書かれた文章

大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。

論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが

こんなお粗末な方法文章を書いている人物が学生論文指導をしているのはいかがなものだろう。



度の過ぎた個人的感情の表出


オリンピックに潜り込んだゴキブリたち」8月20日

http://ironna.jp/article/1881


あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。


この記事の、黒い生き物の比喩を用いた執拗レトリック

およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。

まるでいやな気分にさせること自体目的ひとつにもなってしまっているようだ。

純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。

だがそれは個人的感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。

大学教授美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。

識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。

騒動の中、感情ほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。

これ以降、掲示板でもエンブレムゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。



独りよがりデザイン


佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」8月26日

http://www.insightnow.jp/article/8644


もはやリエージュロゴからの盗用かどうかは関係なく、

ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。

疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたもの

超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、

この他者制作物に対する容赦ない物言いは、おそらく氏の、

デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。

むろんそれ自体問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、

己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは

それこそ「無理筋」ではないか、と言葉を返しておきたい。


孤の中心がロゴの中心にある限り、この2つのパーツは、このロゴの四隅以外に配置することは不可能である

(1. 形態問題:パーツの寄せ集め より)


この一文の含まれ段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら

ぜひ翻訳してほしい(もちろん逐語的な理解はしている)。

「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデア否定するのが目的のようだが

なぜそこに「無理と矛盾」(純丘氏)があるのかわからない。

9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?

さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、

あのアニメーションのどこに無理と矛盾があるというのだろう。


黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス悪趣味

(2. 配色の問題ナチスフラッグ色 より)


ここは純丘氏お得意の表象である

解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。

エンブレムを仮に芸術ひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。

しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザインである

デザインとは、提示された課題を〝解決〟するものであって、

アートのように何ものからも束縛されない自由意志構成、配色したものではない。

見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレムであるという情報とともに接する、

そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。

解釈といっても常識的範囲がある。


佐野エンブレムスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。

が、「ナチスフラッグである、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは

エンブレム出自コンテクスト無視した悪意のあるミスリードしかない。

ゴキブリ画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがり解釈

強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。



デザインに関する知識不足


どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視RGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷YMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり

(上掲「佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」page:3 より)


デザイン生業としている人、その周辺に詳しい人で

この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。

この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを

結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである


CMYK を「YMCK」としているところはご愛敬だが、

純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。

発表されたエンブレムRGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、

色指定の要領を知らず、特色を用いてしまっているらしい、

佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、

あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……


RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり

CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である

RGBCMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである

RGB ベースでできている」もなにもない。

ウェブでの使用に向けてロゴを配布するならば RGB だし、

ポスタープログラム印刷するなら CMYKデータを用意する。

純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、

デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。


ここに、さら意味不明な特色のくだりが加わる。

特色というのは印刷インクの一種で、

通常のプロセスカラーCMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである

エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこから情報かわからないが

(筆者は見たことがないので、まずはそのソース問題である)、

それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。

RGBCMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用現場に応じて「自然に」決まるのであって

雑誌カラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである

媒体や場面によっては、予算や仕上がりを考慮した上で

金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。

もちろんそのために CI マニュアルのようなものがあり、

特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、

4色で表現する場合はこの CMYK 値、

そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。


・特色番号(印刷用)

CMYK 値(印刷用)

RGB 値(映像用)


純丘氏の言葉を再掲する。

以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナー想像できるだろうか。

すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定CMYK 値)のない、

そのような色指定が本当に存在するだろうか。

純丘氏の作為産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。

むろん常識的デザインの知識さえあれば、

このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも

デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。


RGBベースでできていて(略)「特色」の金銀が入っている



最後


大阪芸術大学教授純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。

佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど

エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、

このペダンティック解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、

エンブレム白紙化の力のひとつになったと考える。

芸術デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、

この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、

己の求める結論佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉作為的イメージを用いて

流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。


ここには、筆者の知る事実デザインとその周辺に携わる者なら誰でも知っているような知識から

明らかにおかしいと思われるものについてだけ論じた。

五輪エンブレム騒動の中で交わされた、デザインに関する言葉への理解一助となれば幸いである。

http://anond.hatelabo.jp/20150902234727

35歳以上を医学的に高齢出産とよぶのは、それだけ露骨にいろいろなリスク高くなるからなんだよな。

そんなん一昔前は30歳以上だったのが35歳以上に変えられたくらい政治的に決められてるもんで。

ダウン症リスクだって35歳でも相当運悪くない限り当たらないレベルだよ。

「○倍以上」って実数出したくない時によく使われるレトリックだよね。

具体的に例えると、1人が3人になっても3倍!と煽れるけど、実際は1人だろうが3人だろうがどっちみち大したことなくね?という。

伝染病とか犯罪統計でもよくあるが。

それに実際のダウン症児の母親は35歳以下の方が多い。

35歳過ぎると出生前検査を勧められ、検査で陽性になると殆どの人が中絶してしまうため、最初から検査しない年代の方が実際の出生数が高くなるという。

その程度のもん。

2015-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20150830133323

現実を認めたくないあまりレトリックではなくマジでそう言ってるんだったら老害ですらなくただの馬鹿だな。

2015-08-25

朝起きた時ってなんであんなに眠いの?

煽りでも、レトリックでもなんでもなく。

朝起きた時なぜあんなに眠いかよくわからない。

寝たじゃん、ねえ。

今日起きてふと思ったんだよ。

昼寝で起きた時の得も言えぬ爽快感

電車ウトウトしてて、ふと目が覚めた時の爽快感

寝起きってあれが正解じゃないのかね。

それとも朝の寝起きがつらいのって私だけかしら。

みんなの朝の寝起きは、あの、昼寝後の爽快感みたいな感じなのかしら。

だとしたらずるい。

いずれにせよ、

脳の作用、脳に渡っていた酸素の量、血液の循環、後は気の持ちよう、

この辺りが絡んでいるんだとは思う。

だとしたら、

朝の寝起きにも、昼の寝起きの時と同じようなそれらを招くことはできないんだろうか。

朝はつらいもんだって思いこんでいたんだけれど、

きっと違うんだよね。

何とかなると思うんだ。

簡単に言うと、

例えば朝起きたら物凄い美少女が横に添い寝していて、

起きなきゃいけない時に、優しく抱きしめてくれてさ、

ごにょごにょしてくれたらさ、そりゃ起きるじゃん。

脳も活性化して、呼吸も上がって、血圧上がって血も流れて、気持ちも良くて。

これを、自分引き起こしたい。

そしたら朝の寝起きが100倍良くなると思うんだ。

始めから諦めないで、どうにか体を思いの方向に持ってきたい。

そう思いませんか。

2015-08-19

ブクマ1000超増田作家が送る超力作

まさかの長文増田純文学

一週間にも及ぶ製作日数!

推敲推敲を重ね織り込まれた数々のレトリック

全ての伏線が回収される最後の数1行はまさに鳥肌モノ!

新鋭本格増田作家が満を持して送り出す超大作!

まさかの2userで終了。なんでだー

2015-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20150814100609

全然レトリックでもなんでもないけど。

デザイン業界は、賞を自分でつくって自分で受賞して、

多分一つぐらいは簡単にでてくるはずだけど。

2015-08-01

芝村裕吏氏「大東亜共栄圏発言について

経緯

人気ゲーム刀剣乱舞スタッフが「大東亜共栄圏発言 一部ユーザーの間で物議、製作会社謝罪 : J-CASTニュース http://www.j-cast.com/2015/07/31241692.html?p=all

芝村裕吏氏「大東亜共栄圏発言まとめ - Togetterまとめ http://togetter.com/li/854899

ざっくりまとめると、

・今年5月コンテンツ文化史学会ファンコミュニティを「大東亜共栄圏」と呼ぶ。

・いかがなものかとツイッターで言われたため、20回にわたる長文ツイート意図を説明し逆に炎上

ゲーム運営会社謝罪

という流れ。

この長文ツイートでの反論。芝村さんがレトリックを駆使してけむにまいているだけなのかもしれないけど、かなり事実誤認があるんじゃないか、と。政治信条は抜きにして事実に関する部分が気になったので書いておく。

日本人軍国主義悪者にして、他の免罪符としている。

中国韓国軍国主義(せいぜい昭和初期から終戦まで)よりも長いタイムスパン日本帝国主義問題視していて、軍国主義についてはあんまりどうも思っていない。

・より短いタイムスパンについての大東亜共栄圏についても悪とは思っていない。

日本人大東亜共栄圏を悪とするあまり経済協力圏構想を悪としてきたがいかがなものか。

それぞれ?がつくところ。中国に関していえば「軍国主義」のほうが「日本帝国主義」よりもよっぽどよく使われる。中国グーグルトレンドである百度指数」で調べたら軍国主義のほうがダブルスコアで多い。大東亜共栄圏に関しても中国ウィキペディア百度百家ではっきりと侵略ツールと書いてあるが、そうした認識一般的

そもそも周辺国で「悪は日本帝国主義であって、軍国主義大東亜共栄圏スルー」みたいな風潮が成り立つの常識的に考えて難しいと思う。どれが悪いと思いますかと聞いたら、「全部悪じゃ!」という返答以外ないでしょう。

2015-07-25

特攻アウシュビッツは違う」とかなんちゃらかんちゃらについて

記事 http://www.sankei.com/politics/news/150725/plt1507250002-n1.html

要するに知覧町おこしじゃなかった特攻隊関連資料世界記憶遺産登録を目指す動きの中で出てきた話だと思うよ、たぶん。はてサの俺が言うんだ、間違いない。

「賛美・美化が目的ではない」〜特攻隊員の遺書などの世界記憶遺産を目指す南九州市長らが会見

http://blogos.com/article/112053/

上の記事読めば以下の引用切り貼りクソ文は読まなくて済むよたぶん リンク踏むの面倒な人むけに俺の論旨に沿うよう二つの記事恣意的抜粋しつつ書くよ

まず、記憶遺産登録へ向けたお題目

特攻隊員の遺書手紙だけでなく、交流のあった女子学生子どもたちなどの住民による記録も合わせ、『「知覧に残された戦争記憶1945年沖縄戦に関する特攻関係資料群』として総力戦の恐ろしさを後世に伝えるものだと、その主旨を説明した。

私たち目的は、特攻を賛美、美化すること、正当化することではございません。

悲惨戦争記憶を後世に伝え、二度と戦争を繰り返さないために申請するものでございます

(霜出勘平・南九州市長)

プロジェクトアドバイザー、M・G・シェフタル静岡大学教授、もうちょい具体的に語る

今回の申請の中核的な概念に、総力戦問題があります。(中略)第二次大戦のあらゆる悲惨もの、火に包まれ都市、陥落した街に兵士に入っての破壊行為強制収容所原爆…本当に狂気であり、残虐です。これらは人類全体の失敗を意味すると思います狂気が私達全体を覆ってしまった時期です(中略)また、それが国家プロパガンダによって推進され、人々が相互憎悪あい愛国的なレトリックの虜になってしまいました。知覧資料はそうしたことを示すタイムカプセルだと思います

総力戦惨禍の諸相を記録したものの一つとして特攻隊員らの手記などを捉える、それは世界記憶にとどめるべき遺産たりうる、というところですかね、アウシュビッツ知覧差異ではなく共通項にこそフォーカス連携しようという発想もここから出てくるわけですたぶん。個人的にはその志には賛同するものであります。それが実をともなったものになるかどうかはまだ分かりませんが、昔見た知覧特攻平和記念館の展示に特攻作戦立案指揮者ものケツを蹴り上げる内容なんて無かった記憶しかないので個人的はいまいち期待薄ですがまあうっすら期待はしなくはないです

なお、オシフィエンチム市とのやりとりがすんで9/21(国際平和デー)に先方の市長を招いて友好交流協定を締結するという段になってから地元の反応

特攻の母」と呼ばれた故・鳥浜トメさんの孫、明久氏は「戦争の“狂気”といえば共通する面もあるが、アウシュビッツと全く違う。知覧知覧で良いと思う」と話した。

http://www.sankei.com/politics/news/150725/plt1507250002-n2.html

お題目がぜんぜん浸透してねーじゃないか市長

党県連関係者は「地方自治体の取り組みに干渉はしないが、アウシュビッツと異なり、知覧は決して『忌まわしい過去』ではない。(以下略

いや、そもそもプロジェクトアドバイザーに「人類の暗い過去」呼ばわりされてるんですが、それは

これは人類の暗い歴史を賛美するもではなく、そこに光を当て、決して戻ってはならない、とするプロジェクトです。特攻を決して繰り返してはならない、そのためにこの資料必要なのです。

ちなみに以前の会見での「お前んとこのリヴィジョニストどもは元気してるよなあ?」と言わんばかりのツッコミには

ー私は平和会館を10年ほど前に訪れました。先ほどのご説明では、このような戦争は二度と起こしてはならないとおっしゃいましたが、では、誰がその責任を持っていたのか、ということも言うべきだと思います平和会館の中ではそれには全く触れられていません。(中略)そういうことについては議論されているのでしょうか。(ドイツ記者

桑代参事南九州市は、遺族から寄贈された資料を保存している、いち地方自治体です。そのため、戦争責任については答える立場にないというところです。

シェフタル教授:(前略)取り組むのには時間がかかると思います。このプロジェクトが推進力となって、平和会館を世界各国からより多くの方に訪れていただくためにも個人的には戦争責任について扱うべきだという、その考えには賛同します。

中国慰安婦関連の資料南京事件関係資料登録しようとしています。それについてみなさんのご意見どうでしょうか。(ロイター

シェフタル教授:私の個人的意見ですが、歴史家としては、どこの国が努力すべきとかではなく、人類の不幸な時代歴史についての資料でキチンと検証されたものであるかぎりは、どのようなものであれ登録すべきだと思います

霜出市長:これは大きな問題でありまして、いち地方都市首長言及すべきものではないと思います。お許しを頂きたいと思います

この時点で自治体さんサイドは右巻きの連中のケツ舐めてる認定を下す事に吝かではない(はてサ的には)のですが、大丈夫でしょうかと不安になるところですが、

ー(前略)おっしゃったような精神をこれからどうやったら維持できると考えますか。違う見方を持った、歴史修正主義的な圧力があったとしたらどうしますか。(スイス記者

霜出市長:そういう懸念もあろうかと思いますが、これは我々の平和会館としての方針でやっておることでございますので、いろんな方々から圧力があっても断固として我々は、これまで縷々お話したような主旨に基づいて頑張っていきたいと思っております

おう、頑張れよとささやかエールを送らせていただく次第であります

以下は関係無い話「南九州市って何だよ」

単に「南九州」て言うと熊本宮崎鹿児島の三県だよ、でも何か鹿児島で「南九州最大の」みたいな謳い文句だと「九州最大規模(福岡除く)」みたいなイメージ個人的にあるだよ、ちなみに鹿児島地元紙は南日本新聞だよ、福岡あたりが西日本名乗るのと同じようなもんだよ!「南九州市」って大雑把過ぎね?って言われても、北九州市だってじゅうぶんおおざっぱだしそもそも川辺郡川辺知覧町指宿寄りの頴娃町合併で生まれたクソ地名の一つに過ぎないんであまり気にしないでね!加世田あたりが先に「南さつま市」名乗っちゃったから大きく出ないとね、仕方が無いね。ちなみに南さつま市にも万世っていう「最後特攻基地」があったけどまああんま有名じゃないよね、いまでも航空自衛隊基地ある鹿屋なんかも特攻基地だったんだけどね、知覧けが群を抜いてメジャーだよね、ていう話は「「知覧」の誕生」に詳しいからみんな読んでね!っていうか知覧と言えばお茶ですよ鹿児島県って静岡に次ぐ茶生産県なんだけどみんな知ってた?溝辺空港から鹿児島市内に向かう高速バスからも霜防止のでかい扇風機が立ち並ぶ茶畑が見えるよ、あと知覧は全国津々浦々にある小京都ズの一員でもあるよ、まあ知覧で一番のおすすめ薩摩英国館だね、トライフル食おうぜ

2015-07-19

http://anond.hatelabo.jp/20150719132348

そうだね。おじさん論破されちゃったなぁ。

君はおっさんではないよ。

当たり前だね。君が社会人入学ではない大学生であるとして、まだおっさんじゃないよね。

まだおっさんじゃなかった。

比喩とかレトリックとか難しいから杓子定規おっさんであるかないかを論点にしなきゃだめだったよね。

特に講義中に後ろの方の席で暇つぶししてる学生相手なんかだと。

確かに君はおっさんじゃない。

からおっさんニートに代わる呼び名を考えないといけないね

2015-07-18

岩田さんは社長が聞くとか読んでて立派だなあとかぼんやり感じてたが、

今回のことで知った演説(?)でのレトリックとかには違和感があったなあ。

俺がレトリック一般に警戒する癖があるからだろうが。

レトリックのもの賞賛することはできないが、

そういうことをやって肯定的感情的反応を引き起こすことは

説得という観点から重要ことなんだろうけど。

2015-06-25

Fate SN UBW 20メモ でもにっしょん

昔、ある出会いがあった。

おそらくは、一秒すらなかった光景。

されど。

その姿ならば、たとえ地獄に落ちようとも、鮮明に思い返すことができるだろう。



その先が地獄だとしても前に進むと決めた士郎と

その先が滅亡と知っていても王になると決意したセイバー

やっぱりこの二人は似たもの同士だと改めて思ったなあ



本編のアーチャーの詳細の中で「なんのペナルティもなく固有結界を使いこなし」という一文があったが、本当に消えかかった身でも発動可能なくらい消費が少なかったんだな

わりと初期の頃このペナルティがどれくらいのものなのかと議論されていたがまさかこんなところで結論が出ようとは



HAの『たとえ地獄に落ちようとも思い返すことのできる光景』をまさかUBWで見れようとはなぁ………

アーチャーが契約した“かつてのセイバー”に対する思い入れ出会いの強さがしんみりと来たぜ

……だからこそ、歯痒いものを感じる

セイバーの聖杯に対する願望、そして自分の内にある鞘の存在を知るほどの関係に至っていたのに、なんで彼女を救えなかったんだ馬鹿野郎………!!



この世界の士郎は先にアーチャーを見たからこそ、アーチャーの様にはならないんだろうな。

守護者の立場が確定したアーチャーはもう抜け出せないけど、後悔だらけの自分とは違う道を示す自分を見たわけで。

本人にはもう救いはなくても、可能性を感じられるだけマシ、なのかなあ。



問おう、貴方が私のマスター

カットが入っててまたいいわ。あのシーンて確か本編士郎じゃなくて

本編アーチャーの過去編だったよね。

セイバーの表情もとても良かった。



そういえば士郎はよく「借り物の理想に執着してしまった愚かな男」って言われてるけど、どっかの誰かさんが言ったように「借り物の理想を持たない人間はいない」んだよな。そして自分も元だけど「借り物の理想」をもった人間に該当する。

何年か前、ある人の実況動画をみて、その実況者がプレイしたゲームの素晴らしさに憬れて、自分もそのゲーム製作者のように素晴らしい作品を造りたいと思うようになったのよ。

でもいつからだったか覚えてないんだけど、自分の抱いた理想が「そのゲーム製作者のように」ではなく「自分だけの、自分にしかできない作品を創りたい」という理想に変わったたんだ。

つまり何が言いたいかっていうと、全ての理想に対するanswerは「他人から受け継いだ借り物の理想を借り物の理想のままに終わらせるか」と「借り物の理想を自分だけの理想に変えられるか」という二つの結論に帰結するんじゃないかなといいたいんだ。



新規の人のコメントで「袖がないアーチャーの服は『涙を拭くことができない』ことを表していると思った。」っていうのを見てめちゃくちゃ納得した。



一晩たって落ち着いて考えてみると、この一番大事なシーンを時間の制限ついたアニメにしっかり合わせて分かりやすく構成してると感心するわぁ…

原作やったのがだいぶ昔でアーチャー言葉にひたすら対抗して打ち合ってたイメージあったけど、ちゃんとその苦しみを理解してその上で対峙するって段階を丁寧に丁寧に描写してたのがほんとよかった、特に同情なんてしないけど心が欠けそうになるってシーン。

あと原作やった時は二人にしか目が行かなかったけどセイバーさんめっちゃ辛そうだな



挿入歌の「傷だらけの硝子の心が」の部分でボロボロの士郎が映って、「忘れかけた熱をともす」でアーチャーに切り替わってるんだよな

偶然かもしれないけど、なんか感じるところがあった



ある意味では士郎にとっても(桜関係や横暴なところを除けば)そういった持ち味を持った慎二も愛おしい日常象徴だったんだな。だからこそHAでの殺し殺されるっていう緊迫した感じや魔術に対する毒気が抜けて、これから間桐家から出て一般人として再出発しようと語る慎二と士郎のやり取りは(セイバー&桜√で死んでることを考えると)胸にくるものがある。もしHAが映像化したらぜひ入れて欲しい。



理想に執着しているのであって助ける相手に執着していないと言っているのだと思う

衛宮士郎幸福のために邁進する者ではなく、もっとあいまいなものを守ろうとしているに過ぎないと

だから誰を救うのかも定まらない

それは特定の誰かを助けるために必死になれる人間(たとえば士郎のために真剣に怒った凛など)に比べれば動機が弱い

自分の欲望ではなく願いのために戦うから薄っぺらいんだとエミヤは言いたいんだと思う

じっさいは薄っぺらいどころか士郎は折れる気配すらないと悟るんだけど



今思えばアヴァロンって必ず誰かを救ってくれる要なんだよね…士郎の命が切嗣によって救われただけじゃなく切嗣自身も士郎と出会い救われたし、SNでは後にセイバーが士郎と忘れられないあの夜に出会って彼女自身が救われるきっかけになったしさ。皆の架け橋のような存在だよね。

数ある宝具の中でも、特にアヴァロン(全て遠き理想郷)は尊いものに感じるな。



エミヤに「その先は地獄だぞ」と言われた後の士郎の微笑みが素晴らしかった。

自分の理想の根底にかつての自身の願いがあったことに思い至っての、自身の理想が空虚な借り物でなかったことへの安堵、かつての自分と同じようにたとえ未来自分から進む先が地獄だと告げられてもその道を進むことをやめようと思わない「自分」と言う人間の性への苦笑、そしてこれからも理想を追い求めていくという決意、それらがあらわれた絶妙な表情だった。

「士郎は人間の振りをしたロボット」とよく言われていたけれど、実は士郎も自分自身のやりたいことを追い求めたれっきとした人間だったんだな。



士郎の始まりは切嗣との出会いでも「正義の味方」という借り物の理想ではなく大災害の地獄の中で願った「誰かを助けたい」という思いだった

今回の話は視聴するまで不覚にも自分ですら忘れていた事柄を士郎と一緒に再確認させられたエピソードだった

これまで士郎は「人間のフリをしたロボット」や「士郎が人間になれるのはHFだけ」っていう意見が多かったし、自分もそう思っていたところがあったけど

今回の回想を見て、改めて以前にきのこが語っていた「士郎という人間は大災害に遭わなくっても最初からああいう人間だった」や「士郎は成長しない主人公」という言葉通り、士郎は最初から士郎以外の何者でもないと改めて気付かされた

今回のUBWはアーチャーが忘れてしまった大切な事を思い出す物語であると同時に、視聴者が「衛宮士郎衛宮士郎という一人の人間である」っていう原作をした時には分かっていたことを思い出す話じゃないのかな?

そういう風に思わせてくれるufoときのこの演出は本当にすごい

ある意味ではこれまでのfateの総決算ともいえるの名エピソードでした 



Fate/stにおいては近くにアーサー王がいるとオートリジェネが入る便利装備

もう一つ便利機能があるがこれは別の話

アーサー王物語にて、策略でアーサー王決闘させられたある騎士がすんでで相手の正体に気がつき

鞘をアーサーに返却、同時に鞘の加護が消滅してしまい、治癒しきっていなかった致命傷が元で死亡してしまった

と、本来なら死亡しているであろう傷でも命を繋ぎとめてしまう能力がある

もう一つの便利機能、害意判別といいアーサー王物語におけるエクスカリバーの本体はこっちなんじゃないかとの声も



上手く言葉に出来ないけれど、ダイバーのようだった。

忘れてしまったモノを思い出す為に記憶(うみ)に潜り、あの地獄、あの原初の光景の中にある大切なモノを手繰り寄せる。

Fateは偉大な英霊同士のバトルが目玉なのはよく分かるし、派手だから目に付きやすいし当然だと思う。

でもやっぱり、こういった『人間の想い』を丁寧に織り上げる物語こそが、Fate真骨頂だとPC版をプレイした時からずっと感じてた。

次話の『answer』もだけど、これから終局まで続く怒涛の展開に期待!



ユニクロ士郎は前編通してやるともうこれしかねぇって感じになるからね、仕方ないね

個人的に士郎のユニクロについては、端的に士郎の特徴を現してる気がする。

服装って現代では(昔からそうではあるが)自分をよりよく見せたいとか人と異なる服装をして自己個性を出したい、または同じ服装をすることで一体感を味わいたいといった意味で使われると思う。でも、士郎にはそういった人より優れた自分を見せたいという“自己”には乏しい。士郎がユニクロ着てることからそういう風にも読み取れるんじゃないかなぁと自分は思ってます。



凛の「アイツはああでなくちゃいけないって、ああいうヤツがいてもいいんだって救われてる。」

20話視聴後の感想はまさにこの心境だった

衛宮士郎というキャラクター創作物の中でも一番好きなキャラかもしれん



違うアーチャーも言ってただろ

「助けたいから助ける」そこに理由がないから偽善だって言ってる

普通の人は大切な人だからとか誰かを助けるに足る理由存在する

でも士郎は見ず知らずの人すら命がけで助けてしまう

でその理由を挙げるなら死にそうな誰かを助けたいという理想しかないんだよ

間違ってない願いだけど人間として致命的に欠けている



総てを見通す魔術師は、選定の剣に手を掛ける少女に忠告した。

「それを手にする前に、きちんと考えたほうがいい。それを手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ」

地獄を見てきた男は、荒野を目指す少年忠告した。

「おい、そこから先は地獄だぞ」

剣を抜くカットもそうだけど、この辺りもまた対比になってるなぁ



元から、「今、願ってる主体」が士郎以外の誰かだったことはないよ原作でも。

切嗣への憧れから始まってるから「所以が」借物だってだけ。

これ、普通物語なら「始まりがなんだろうとこれは俺の心だー!」になるんだけど

そこで、「もう借物だとか自分の心だとか、理想が理想である前には超些細ですし」

までぶっとぶのがUBW。

「笑いたかっただけ」みたいな話は、普通キャラにとっては深刻なんだけど

衛宮士郎二人にとっては、自分が偽善呼ばわりされるなんて大した話じゃないから

話さくさく流れて理想の話になっちゃうんだよね。

「笑いたかっただけ」は作中である意味投げっぱなしだから

そこを凄い脳内で拡大してる人が出たりする。

それこそ、「士郎は切嗣の行動をなぞってるだけ」とか。

原作にそんな描写どこにもないんだけど。



士郎は切嗣に「憧れた」わけだけど、

それはつまり、「ああいうものに憧れを抱く、善しとする価値観」を

士郎が元々持っていないと始まらない。

それを考えると、もうちょっと複雑なんだよねその辺り。

アーチャーの「幸せそうだったから憧れただけ」を真に受けるのはナシだしな。

「実は贖罪」もそうだけど、UBWであいつが殊更露悪ぶって口にする言葉

鵜呑みにしたって始まらない。

それよりは

>「―――覚えてる。俺を覗き込む目とか、助かってくれと懇願する声を。

> その淵で思ったんだ。自分が助かった事じゃなくて、助けてくれるヤツがいる事は、なんて」

> 素晴らしい、奇蹟なんだって事を。

の辺りを読み込んだ方が未だヒントになりそうな。



UBWの荒野は、アーチャーが辿り着いたものの象徴だから

 どうやら相手は、自分の記憶を流し込まれているらしい

→じゃぁもっと決定打になるものを見せてやろう

っていう意味じゃないか? UBW展開は。

「お前の辿り着く先はこの不毛の荒野だ」を文字通り目に物見せると。

あと、演出的には、Ufoはアーチャーと士郎を背負う空(特に雲)で表すそうだから

多分answerが凄いことになる。

UBWは心象世界だから、心象のぶつかりあいをビジュアル化する装置になりうるんだよ。

まさかここにきて、「アーチャーのUBW展開はローコスト」という設定が

演出上の最強のカードになろうとは。



某動画サイトでのコメントアーチャーセイバーを間接的にdisってるwwって解釈してるから違和感ある。

あそこのシーンのセイバーアーチャー言葉に傷ついてるわけじゃなくて自分と同じような道を歩んだ士郎の成れの果てのアーチャーを痛々しく思いながらも自分と似た願いを持つアーチャーを否定しきれない葛藤も持ちながら二人の問答の答えがどうなるか見守ってるんだと思う。



ホントそれ。そもそも願いが間違いなだけでセイバーの在り方自体はFateの全編を通して否定しえないものとして書かれてる。

SNから入った人はセイバー√で初めにそれを理解するんだけどそれをZeroで盛大に全否定したもんだから

そこから入った連中はセイバー=否定される、していいキャラとして認識してるから大問題。

虚淵のネームバリューもあって被害は甚大よ。



士郎って、熱血少年ぽいパーツそろったデザインだし、

たまに絵に起こしてもらうと、ゲームのCGイベントは戦闘だし、

パッケージイラスト起用でも戦闘系だしで、

「いかにもうおおおおおとか言いそう」なとこが対外的には押されがちだったけど

基本「己と向き合い自分の心を形にする」人間だから

実は「動」だけじゃなくて「静」の面も強いんだよね。

しろ「静」が本質って気もする。

その「静」に支えられるから熱さもあるって感じ?

今回の、内面でのアーチャーとの静かな対峙で

「静」の面が凄いクローズアップされたと思った。

自分はこれが見たかったんだよね。



とりあえず、「以前の記憶がない」は「ほほをつたう」と矛盾してると思う。

士郎、思い出に浸るのを自分に禁じただけで、普通に記憶はあるぞ。

> 何もなくなった場所にいって、有りもしない玄関を開けて、

> 誰もいない廊下を歩いて、姿のない母親に笑いかけた。

> ……あの日の前に戻れて。

> 何もかも悪い夢だったのだと、そう目が覚める日を待ち続けた。

一度心が死んだってフレーズが印象的なんで、

マジで大火災が0才状態と思われてたりするけど。

士郎って割と元々ああよ。



衛宮士郎アーチャーと士郎に分かれて真剣に自分の将来を模索するお話まじ熱い

アーチャー自分が辿った選択ではろくな道筋にならないと力説する

士郎は自分が進む未来は「選べる道」ではなく「選びたい道」を進もうとする

幾度の面談を経て衛宮士郎は見つけづらい険しい道筋を見つけて答えとする

自分会議(物理)は死ぬほどストレスたまりそうだけどその分効率の良さが半端じゃないな



今回のエピソードは、アーチャーの月下の誓いに対する「呪い」という言葉

あまりにそのまま伝わり過ぎていることに対する反論的な意味もあるのかな……と思った。

余人から見れば呪いととられかねない歪なものなのは確かだし、発言したのが未来の士郎と

いう点もあって、「信憑度が高い」と取られても仕方がない部分はある。

だが、そうじゃない。そんなものは、アーチャーレトリックに過ぎない。

「月下の誓いに至るには、大火災のさなかで救いを求める自分がいて、生存者がいないと分かりながらも

助けようとした切嗣がいた。だからこそ、救われない人間をこそ救おうとするエミヤが生まれた。呪いなんて、忘れてしまったアーチャーの後付だ」というように。

ここら辺、原作やってても勘違いちゃう人間がいるし。これをより説明的にしたことを指してデチューンと言ってたのかもね。

なんだかんだ分析してるが、初見じゃもうボロボロ涙でて凄かったよ。そうだよ!そうだよ!と絶叫しちまった。



価値観っていうと語弊があるのかもしれないが

とにもかくにも「心」はないと憧れも発生し得ないってところは

押さえておいてもいいのではと。憧れって心の働きなので。

災害中の描写から、衛宮士郎連続性を断つ描写は作者したつもりないと思うんだよな-。

っていうか、原作描写をそう読まれちゃったことを踏まえて再構成したのが

今回アニメ描写って気もする。



んー、言いたいことは分る。確かにもっともだ。

だが、「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」だと

極論すると、士郎以外の誰であっても

上記二条件を満たせば、士郎の如き人間になるってことだろう。

実際問題、それは非常に考えづらくないか?

なんで士郎がああまで凄まじい人間になっちゃったのかって言ったら

やっぱり元々「何もできないのに謝って楽になるのはだめだ」と

涙を呑んで歩き続けるような真っ当すぎて真っ直ぐすぎる子供だったからで、

そういう心をベースに憧れが発生したからだろう。

「心が死んだ」「ゼロの状態で切嗣から新規に心を貰った」

を強調し過ぎると、なんっかその辺拾えてない印象になる。



VSって原作時からして情報量凄い上、

大事そうな話をよく読むとさっくり投げっぱなしにしつつ

「え、そこ?」ってとこに落ち着くのな。

よく考えたら何故その話が理想に落ち着く、みたいな。

読み甲斐があるといえばそうなんだけど、お陰で

「借物」が「心がない」と誤解されたり

「笑いたかっただけ」が一人歩きしたり、

ある意味衛宮士郎の誤解の発祥源でもあったわけだが

今回、物凄い分かり易くバッサリまとめてきて、色々衝撃だった。

始まりは憧れ、でも根底に在るのは願い って、きのこだなぁおい



思い出したよ、くっそながい文章アホみたいにぶっ通しで昼夜読み続けてここの所で「なんて尊い大馬鹿野郎どもだ」ってボロボロ泣いたの。

嗚呼、あの当時原作プレイした俺は幸福だった。



今回は素晴らしかった。

なんというか、エミヤシロウというキャラクターの魅力を再確認できたよ

人間なら誰であれ死に絶えるような地獄の中で意味もなく切り捨てられる小さな命をこそ守りたいと願った少年が、その地獄の希望をくれた人から受け継いだ理想によって、その最も救いたかったものを切り捨てて大多数を救うものになってしまったんだからやるせないよなあ

士郎が本当に凡人なら、途中で折れるんだろうけど、地獄の道行を後悔なく駆け抜けることができてしまった心身の強さに物悲しくなる



一応補足しとくけど、兄貴ディルでは置かれた状況が全く違うから

兄貴ディルを比べてディルをけなしている人はそこらへんを忘れているし、あえてどちらがより酷いかといえばディルの方が遥かにひどい状況だったんだよなぁ

そりゃ恨み節の一つも吐きたくなるだろって納得するくらいに

仮にディルが戦闘続行を持ってて、セイバーと切嗣を倒してケイネスたちを救えた後に消滅したなら恨み節は残さなかったろうし

もし兄貴ディルと同じ状況だったら、恨み節はともかくとしてやはり憤怒の形相で怒っていたんではなかろうか

それに主君に忠を尽くすってディルの願いも、強い奴と全力で戦いたいっていう兄貴の願いも自分本位な願いという意味では同じだからディル兄貴同様、立派なケルト英雄だと思うけどなぁ



士郎が人助けをしたいのに、元々法政志望してたことが昔から疑問だった。救急隊とか医者とか、もっとわかりやすく人助けできる仕事があるのに、と。

でも、きっと士郎はそんな自分の手の届く距離だけに留まるミクロ人助けではなく、社会の仕組み全体を変えるようなマクロ人助けをしたかったんだろうな。

そう思うと、世界と契約したのも、膨大な力で社会全体をよりよくできるという期待を持ってたのに、実際は何の権限もないただの末端の処刑人でしたっていうオチに涙せずにいられない。

なんて愚かで、なんて愛おしいんだろう。大人しくレスキュー隊にでもなっていれば良かったのに。でも身の程を超えて、それより上を、人類の幸福の根源を求めてしまう士郎だからこそ、愛せずにはいられない。

大河になってアーチャー馬鹿馬鹿って言いながら思い出してくれるまで思いっき抱きしめたい



俺もそんな風に思っていたけどFateを深く考察するようになってちょっと考えが変わった

士郎が最も助けたいのは苦しみ足掻いてなお幸せになろうとする人なんだよね

だからもしかしたら罪を犯しても尚幸せになろうと苦しんでいる人をこそ助けたいと思っていたのかも

分かりやすい消防隊員や警察官を目指さないのは

本人に自覚が無くても無意識にそう感じていたのかな?と思った

だからあのゲリラ少年を始めとする人々はアーチャーにとっては助けたい相手だったんじゃないかって

指導者はともかく実際に戦っている人達は思想に関係なく自分家族が食べていく為だったりするし



>>「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」

>原作ではこう

>>自分では持ち得ないから、その尊さに涙した。

>>いけないのか。自分気持ちではないから、それは偽物なのか。

それ、別に矛盾しなくない? 

士郎は元々恐ろしく真っ当な子供で、「『誰か』この地獄を覆してほしい、みんな助かってほしい」

っていう願いを持ってた。

でもそれは、救いのない、誰も彼も死んでいく現実をつきつけられて

意味をなさなくなった(これを「心が死んだ」作中では表現する)

そして、その地獄にあって未だ生存者を探す、

「『自分で』地獄をどうにかしようとする」切嗣に会って、

士郎は、「助かりたい」「助かってほしい」という情動すらボロボロになった己の心では

抱けなくなってたその思いに涙したわけだろう。



SN切嗣では強すぎて物語にならないのは分かるけどだからといってケイネス一人に原作で語られた外道戦術使うのはちょっと弱体化させすぎやな(せめてもう一組くらい・・・

会話の制約があったとはいえ、セイバーをあからさまな無能騎士道中にしたり、切嗣に明らかにおかしい戦争は英雄のせいだ論を抱かせるのもちょっとな(過去編から考えても切嗣が恨むようになるのは魔術師のはずだし、セイバーがあんなに騎士道大好きなはずもないから、明らかに話の都合のためにそうなったようにしか見えない)

これはもうちょっとやり様があったのじゃないかと思ってしまう

後やっぱりなぜ切嗣は火災の犯人になったのだろうか?

虚淵さんが言峰大好きだったから変えたんじゃないよな流石に

ナタリアとの別れによる正義への絶望故郷での事件等の過去編がよかったから余計にそこらへんの矛盾や弱体化が気になってしまうな



横からだけど、「士郎は正義の心を元来から備えていた」と思われる描写は今回、原作、前回のアニメでも見えたりしてるよ。

・泣きながら災害のなかを歩いた。その時、周囲から「助けて」 と声が聞こえてきた。止めてくれ、オレにはそんな力はない。という感じの描写

・そして今回の顔。泣いてはいるけど、泣き顔ではない。

「誰か助けて」ではなく、「助けられないのに助けを求められることに対して謝りながら、歩き続けた」

スマホからだと書きにくいな…



俺は

「たしかに、始まりは憧れだった」

「けど、根底にあったものは願なんだよ」

「(幼士郎の)この地獄を覆してほしいという願い」

「(切嗣)誰かの力になりたかったのに、結局、何もかも取りこぼした男の、果たされなかった願いだ」

って解釈した

根底にある願いは切嗣に会う前から持っていた



コメントを見て思ったけど、確かに「こんな地獄を覆して欲しい」っていう表現は、今まであの手この手を尽くして地獄を覆すために努力してきた切嗣の願いとしては受動的すぎるかなって思うんだよね。だからこれはやっぱり地獄を前に何も出来なかった子供士郎の願いなんだと思う。



車の傍の死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

トンネルの中の死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

荒野の木の周りの死体

暗転[黒い画面に白い文字で]理想(じごく)を見た。

世界との契約

暗転[赤い画面に黒い文字で]――いずれ辿る、地獄(りそう)を見た。

という事?



そうじゃなくて、

地獄を見た。

地獄を見た。

地獄を見た。

――いずれ辿る、理想(地獄)を見た。

ってこと。



いや、原作ではとてもそうは見えなかったけどな。

実力的には1/10しか戦闘能力出せない状態でも圧倒的に士郎<アーチャー

そして勝負のついた最後の一刀もアーチャーなら余裕で防げた。けれど防がずに士郎の攻撃を受け入れたってちゃんと理解出来る用になってる。

セイバーも「アーチャー…何故……」って疑問を口にしてた筈だし。

だからこそDEEN版でそこが分かりづらくて不満点になってるんだし。




セイバーが辛そうなのは士郎達が殺し合ってるのに見てる事しか出来ない辛さだと、思うけどな。

彼女はずっと士郎の生き方は危ういと言ってたし、実際に破滅したアーチャーが士郎を殺そうとしてるんだからそりゃ辛い。

士郎とセイバーは似たもの同士だから士郎やアーチャー気持ちセイバーは理解できるだろうしね。



挿入歌にあるSTARDUSTって星屑もそうだけど「夢を見るようなロマンチック気持ち」という意味もあると知ってショックを受けたよ。星屑はまさに「願い」の記号だけどそれだけじゃなく、地獄と知っていても夢を掴みにいく士郎の熱い気持ちも表しているようでAimerさん、なんという言葉を選んでくれたんだ。ついでに、

Dustは赤く燃えるStardustから零れる欠片=士朗

Ashは色も熱も失った灰塵=アーチャー

Judasエミヤシロウを最後には殺してしまう裏切り者=理想

として歌詞を見ると本当にアニメ映像とリンクしていてもうこの歌が大好きになってしまったよ。本当になんてすばらしい物をつくってくれたんだこの人たちは。



士郎自身は無自覚だけど、彼の行動がひたすらトライアンドエラーを繰り返して道を探すやり方だからじゃないかな?

普通の人は Permalink | 記事への反応(2) | 14:43

2015-04-17

http://anond.hatelabo.jp/20150417113806

そんなに古くはないだろうけど最近でもないという感じ。

スラングというほど砕けてはいないけど正しい言葉遣いかと言えば首を傾げる感じ。

よく使われるレトリックの一つ、というくらいの認識で良いのではないか。

2015-02-26

一刀両断論客の没落

ちきりん女史の評判が悪い。

ここ2年ほどで、永らく切れ味の鋭いテキストで人気を博してきたブロガー権威失墜が目につく。

いろいろ理由があるとおもうけれども、その一刀両断型のレトリックがあまりにもくりかえしつかわれたが故に

彼らが何をいっても「既視感」が醸成されてきたがゆえではなかろうか。

一度そういう感覚を得てしまうと、また同じ構造テキストをみると「もうその手には乗らない」と身構えてしまうし反感も感じてしまうのだろう。

論客に対する信頼の担保になるのは、ロジカルな切れ味ではなく、最後には「テキスト倫理感が通底しているか」というところに尽きるとおもう。

倫理感がベースにない論客はもう賞味期限が切れたのだ。ひろゆき氏とか池田信夫とか(同列に扱うのはどうかと思うがイケダ某とか)

山本一郎氏がまだ健在なのは、根っこに正義感があるからだ。

ロジカルシンキング等を駆使した一刀両断的な言説はもうオワコンだ。

2015-01-18

http://anond.hatelabo.jp/20150118182202

ポルノ」という単語に備わっている性的忌避感を利用して筆者が攻撃したい事象も同じくらい忌避感のあるものだよってミスリードさせる

もちろんそのために選ばれた隠喩であって、そういう用法批判のための隠喩、あるいは諷喩などと呼ばれる。昔からある普通レトリックだよ。

ただ、ネット時代には隠喩、仄めかし、皮肉などの、文脈依存する高度なレトリックが好まれない(意味が伝わりにくいので普通は避けられる)せいで、こういうレトリックがハマった事例を見ると「なんだかみたこともないズルいやり方をしてる」に見えるんだろうね。

ちなみに、この文章には二重の皮肉が含まれています。念のため。

2014-12-09

洋楽聞いてる人って全体的にセンス高いのは何故ですか?

洋楽厨選民思想煽りJ-POPerな僕がより惨めになるかもしれんが書いていく。

頭の良い悪いに関係なく、洋楽を聞いてる人は全体的にセンスが良いと思います

正しくは「音楽的なセンスが良い」とも言いますが、とにかく小さい頃にピアノを習っていたり、

学生時代バンド趣味でやっていましたとかそういった人達です。

何故なのでしょうか?ちょっと考えてみます


僕がそういうのを自覚したのは20代前半で、友人と遊んでいる時に

何となく話している言葉が的確で面白い」「何気なく選んだ服のセンスが良い」

といった日常のささいな出来事に気付いたことです。



僕は昔から服が好きで、お笑いも好きで、本も好きです。

洋楽を聞いている友人は特にそれらに興味を持つわけでもないのですが、

安くても何となくセンスの良い服を着ていて、話も面白くて、メールする時もスッキリしていて読み易いです。

一方でいくら僕が好きなモノを磨いていても、出来上がった完成品(服、文、話した言葉)を思い出すとどこか違和感があります

最近ではゲームでも同じことを思います

バトオペという操作者の腕が大きく問われるオンラインゲームをしていますが、音楽センスが良い人はやはり圧倒的に上手いです。



はいちょっとしたクリエイティブ職に就こうと転職活動中ですが、そういった人達とやっていけるのか、あるいは勝てるのかとても不安です。

音楽センスを磨くために、キーボード買おうとしているぐらいです。それでもまだ不安なのでレトリック覚えようとしています

全体的にセンスの良い人生っていいなといつも思います



結論ですが、それが良い人は、空気を読むのがうまいのではないでしょうか。

そういった方たちは会話中に音の「澱み」を聞き取り、的確にそれを「浄化」する音を返す事が出来るのではないでしょうか。

意味が分かりませんね。僕も何言ってるか分かりません。

要は人が心地の良い音を聞き取ったり、発したりすることが自然と出来ているという事でありまして、

さなから人の立場に立って考えたりすることが出来ていたのではないでしょうか。

結果、会話のセンス文章センスが良いという話になります


後は服のセンスの話ですが、これは分かりません。「人が気分の良い服を着ることが出来るから?」うーん違う気がします。

誰か答えを知っている人は教えてください。



センスの無い人の独り言でした。

2014-10-07

炎上記事ガイドライン

詭弁のガイドライン的な、炎上記事ガイドライン

ズイショさんが言ってたから、オレの私家版を公開しとくわ。

これに3つ以上引っかかったらブコメ待ち、ビジネス界隈ならやまもとい<検閲されました>さん待ちになる。

主語を森にする

あえて、主語デカイ、ではない。

「私は」「自分は」でなく、自分を含む某かのグループを持ってくる。

自分を木にして、森の中に隠す卑怯さがポイント

これが「スリランカでは」等の記述者と関係の無い対象言及していると、間違いや勘違いは指摘されたらそれで終わり。

あくまでもポイントは、「俺はこう思う」を「日本男児はこう思う」と、群衆の一員になろうとするところ。

煽り文は『自分意見を、誰かの意見だってことにしないと表現できないチキン

思い込みを断定する

思い込みはだれにでもあるし、ウッカリ勘違いもある。

「だと思います」「と定義されています」「と聞きました」でなく、断言する。

  • 例:「~だけです」「~に過ぎません」「~です」

ソースは?(要出典)」と言わせないところがポイント

ポイントは「俺はこう思う」を「いや、普通そうでしょう」と、自分感情共通認識にしようとするところ。

煽り文は『挙証責任という単語を知らない程度には無知

免責を入れて暴行

先に謝っておくが殴る。もしくは、殴ったことを無かったことにしようとする。

「オマエはクソだ」「ビッチが」「だから友達居ないんだよ」ではなく、回避したり冗談にしたりする。

  • 例:「あえて悪く言えば」「とまでは言わないが」「もちろん本気にする人は居ないと思いますが」

さらに高度な応用として「本当だとすればトンデモナイことだ」がある。

これもポイントは、「俺はオマエが嫌いだ」ではなく「口汚く罵るけどレトリックだよ?」と、暴行をじゃれあいと呼ぶところ。

煽り文は『主題別にあるなら、品のない物言いはお控えになってはいかがでしょうか』

もしくは『本当でなかった場合は、当然本人に土下座して詫び入れますよね?』

呪詛意見と言う

ストレート罵倒炎上にならない。みんな無視するからだ。

成功できない」「幸せにはなれない」「間違っている」ではなく、語尾を曖昧に濁す。

ポイントは、単なるイヤミ攻撃を、自分感想として言うところ。

煽り文は『気がする程度で相手を殴る危険人物』

非難ではなく「自分はする」と言う

大抵の場合は合わせ技になっているが、相手に直接言及せずに、非難をする。

奉行は「てれすこ」の事を「すてれんきょう」と呼ばない、と暗に読める書き方にする。

江戸ならこんなもん打首ですよ。

(補足:「自分なら児童保護するが(普通の人は保護しない)」という括弧無しの書き方な)

煽り文は『自分は違うと言いたい残念な推察力』

小町話法

相手にボールを投げる。細かく相手に同意を求めるので、一々否定していられないようにする。

断定するのではなく、「~ではないでしょうか」「ですよね」「間違っているでしょうか?」

  • 例:「私が悪いのでしょうか?」「みなさん賢いので理解できると思いますが」「~ではないでしょうか?」

相手に意見を求めているのではなく、同意や追認を求めているのがポイント

煽り文は『相手に押し付けることだけは得意な文章構成

まとめ

反論されそうなことは、個ではなく群として意見表明し、

免責入れとけば何言っても良いと思ってて、罵倒してみたり、

俺が俺がではなく、オマエもそう思うよな、な?と絡んでくる感じで、

上から目線ソース無くこれが一般論でござい、とやると、釣果高いイメージ

大きなポイントは「責任関連を他に押し付けつつ、言いたいことだけ言う」という、

公共空間で気持ち良く排出された時点で周りにとっては負け、みたいな状況かな。

正直「あの人トイレ行かないタイプなんだって奥さん」みたいな吹聴だけが対策かなー

蛇足

私家版に解説付けただけなんだけど、公開の直接のキッカケはこれね

Rlee1984

大は小を兼ねる、ってこともあるよね。

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20141006214523

んなわけあるかい

投石はしたいけど逮捕は嫌だから群衆に紛れて投げます、みたいな卑怯チキンを許してはイカン

まあ、増田利用者呪詛を投げつける存在に過ぎないので犬に噛まれたと思ってもらうしか無いのですが、

前述のブクマのようなクソみたいな意見表明、とまでは言いませんが、あまりにどうでも良いコメントを残していると

はてブ利用者幸せにはなれないと言う気がしますし、自分承認欲求の為に生活を切り売りは勿論しませんし、

このエントリを読むのは当然知的レベルの高い高等遊民のみなさんだと思いますので理解できないとは思いませんが、

無名の人だとPVが稼げないので、炎上を狙って釣り針だらけの雑な記事を載せるメディア死滅した方が良いと考えるのは

私だけでしょうか?

2014-08-18

anond.hatelabo.jp/20140818223457

そもそも国民ひとりあたりの〜というレトリックが何の意味もないということに気がついてない事の方がよっぽどヤバい

2014-07-24

http://anond.hatelabo.jp/20140723204824

あんま本筋と関係ないが…

誰が言い出したか知らんけど「日本では正社員解雇が許されてない」ってのは本当に巧妙なレトリックやな

確かに許されてない(制限されてる)わ。法的にはな。

でも実際は一方的解雇が横行してる。横行しまくってる。

だって誰も取り締まらんし。裁判所も往々にして追認するし。そりゃ横行するわ。


今この時点で一方的解雇とたたかってる人がイッパイいるのに

こないだも石川島播磨(IHI)とかNTTをいきなり解雇された人の話を聞いたが、ホント中小であろうが大企業であろうが関係ないな。

しろ大企業のほうがえげつないことをする場合もある。イジメ倒して自主退社に追い込むとかな。

新日鉄住金職場事故があって怪我した人が労災申請しようとしたら、申請するな自主退社しろ言うてぶっ続けで監禁・説得されて

最後は床に電話椅子が置いてあるだけの部屋に異動になった挙句解雇されたとか

まあ報道もされんしな。せやし増田みたいに実態を知らん世間知らずなやつが「実際も解雇されてない」と勘違いするんさ

2014-07-21

諸君 私は戦争が好きだ

諸君 私は戦争が大好きだ

殲滅戦が好きだ

電撃戦が好きだ

打撃戦が好きだ

防衛戦が好きだ

包囲戦が好きだ

突破戦が好きだ

退却戦が好きだ

掃討戦が好きだ

撤退戦が好きだ

ブコメで ブログ

ハイクで 増田

Skypeで チャット

ツイートで DM

ツイキャスで オフ会

はてな村で行われるありとあらゆる戦争行動が大好きだ

巧みにしかけられたレトリック地雷の上に足を踏み入れたはてなーが轟音と共に吹き飛ばされるのが好きだ

得意気にマンティングしている敵兵がブーメランで頭を吹き飛ばされた時など心がおどる

netcraftの操るカラースターに魅入られた88名の同志たちが古参撃破しようと突っ込んでいくのが好きだ

悲鳴を上げて炎上中のブログから飛び出してきたブロガー愚痴ツイートさらブコメで突っ込んだ時など胸がすくような気持ちだった

銃剣先をそろえた古参村長親衛隊サードブロガーブコメ蹂躙するのが好きだ

ホッテントリ入って舞い上がった新規ブロガー勘違いしてを何度も何度もブログ論を書いている様など感動すら覚える

予防線貼りまくり敗北主義者をブコメで吊るし上げていく様などはもうたまらない

泣き叫ぶ炎上ブロガーが私の書き下ろし増田とともに再炎上してバタバタ薙ぎ倒されるのも最高だ

哀れな抵抗者達が雑多なロジックで健気にも立ち上がってきたのを論理的に追い詰め自作自演増田エントリーと2chへの晒しあげで木端微塵に粉砕した時など絶頂すら覚える

トピシュの小町軍団に滅茶苦茶にされるのが好きだ

必死に守るはずだったはてな女子蹂躙され犯され村から追い出されていく様はとてもとても悲しいもの

古参の読者の物量に押し潰されて殲滅されるのが好きだ

粘着はてなーハゲ子・得るものなし・メガネおっさん)に追いまわされ害虫の様に鍵垢になるのは屈辱の極みだ

諸君 私は戦争地獄の様なはてな村戦争を望んでいる

諸君 私に付き従うはてなー戦友諸君

君達は一体何を望んでいる?

第三次はてな村戦争を望むか?

情け容赦のない糞の様な戦争を望むか?

罵詈雑言の限りを尽くしはてなー全員のアカウントを凍結に追い込む嵐の様な闘争を望むか?

戦争! 戦争! 戦争!』

よろしい ならば第三次はてな戦争

我々は渾身の力をこめて今まさに振り降ろさんとする握り拳だ

だがこの暗い闇の底で5年もの間堪え続けてきた我々にただの戦争ではもはや足りない!!

大戦争を!!

リアル生活にも影響を及ぼす大戦争を!!

我らはわずかに一個小隊 10人に満たぬブクマーに過ぎない

だが諸君は目立ちはせずとも古のインターネットを知るはてな古参だと私は信仰している

ならば我らは諸君と私で総力100と1人のはてな集団となる

我々を忘却の彼方へと追いやり眠りこけているサードを叩き起こそう

古参の髪の毛をつかんで引きずり降ろし口の中にカラースターを入れてやろう

連中にネットリアル侵食する恐怖の味を思い出させてやる

連中に我々のブクマの音を思い出させてやる

ネットリアルのはざまには奴らの哲学では思いもよらない事があることを思い出させてやる

100人はてなーブクマ団で

ブログを燃やし尽くしてやる

青二才指揮官より全空中艦隊へ」

目標はてな村定点観測所・並びに村長ブログ上空!!

第三次はてな作戦 状況を開始せよ

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