「レトリック」を含む日記 RSS

はてなキーワード: レトリックとは

2016-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20161011151436

レトリック学でいうところの、撞着語法。類例)黒い光 暖かな氷 秩序だった混乱 etc

2016-09-27

http://anond.hatelabo.jp/20160927145239

「殺しつくす」もレトリックなんて言い出したら、ネトウヨだって乱暴な表現ほとんどレトリックで実際、物理的に殺したヤツなんかほとんどいないだろう。いい加減、そういう擁護無駄だと理解して欲しい。

2016-09-11

僕がシン・ゴジラについて「はいはい庵野庵野」と言ったのは、庵野秀明作品の中ではあからさまな様式美の詰め合わせでかつ、他作品でやったことのやきうつしだったからだし、そこに熱狂する人はオタクとして強度が… / “東浩紀氏「シン・ゴジ…”

典型的学者気取りのオタクが書いた、わっかりにくい日本語と、エビデンスで取り繕ったクソみたいな文章の好例。こういう文章自己満足でつくることを評論だ、批評だと言う人が嫌いで俺は評論同人への寄稿をやめた / “『君の名は。』の大ヒ…”

アニメについての評論批評を見ても作品面白くなる解釈ができるようになるわけでもなきゃ、アニメの見どころや作画的な技術論がわかるわけでもないことに気づいた途端に急に冷めてしまったのです。あー僕がやりたいのは作品紹介や楽しく見るために抑えておきたい情報であって評論じゃないな~と

オタク文化リア充色や社会派色を帯びて一般化して、オタク時代は終わった」とか言ってる東浩紀に心底言いたいのは「今の20代子どもの頃に押井守アニメエヴァみたいな要素を含んだ冒頭からスタートするミュウツーの逆襲からアニメを見始めてそれがおとなになっただけ」ってことさ!!

支援ブクマ。いいぞ~ころしあえ~ / “「『動物化するポストモダン』はどこがまちがっているか」はどこがまちがっているか - 赤目無冠のぶろぐ” (2

オタク論」は学者ごっこでしかなくて、実際にコンテンツ好きな人コンテンツの話をするためにやってることではないからなぁ~。「評論ごっこ」「論文的なエビデンス漫才ごっこ」であって、もしこれを人文系学問というならこんなもんに国がカネ出してる方が異常。憧れて同人作るのも狂気

オタクという自意識を持たない人をリア充だというならそれってどうなんだろうって感じはあるし、ジブリアニメで育った世代オタクじゃなくてもあんなこじらせたもの国民的娯楽だと言って幼いうちから見せられてるんだからオタクじゃなくてもその基礎的な土台はオタクなんだと思うぜ?


@tm2501 いやだからその事実自体が「オタク時代は終わった」なのでは

@kimiterary だったら、それは20年前(もののけ姫や、ミュウツー邦画歴代ランキングで上位に食い込んで、アニメ映画オタク以外が見に行く時代になった時)に約束された話だから、今それを言うこと自体が遅すぎない?…とは思う。

まぁ、その辺は記事にしたので夜に出すけど.それはね、多分「表面上の言葉でこの言い方をしたら絶対に誤解されるから、俺なら絶対こんな言い方をしないわ」っていうレトリック問題であり、ある種の(正直言って、納得行かないけど)同族嫌悪なんだと解釈してるよ…うん

@tm2501 確かにもののけ姫ミュウツーに「オタク特有グダグダした心理」の描写はないんだけど、その二十年分の変化の集大成として、節目の年と感じてるって話じゃないのこれ。その二十年前にいるのがまさにエヴァなわけでさ。

@kimiterary 東浩紀文脈オタク定義動ポモで扱ったものやそれを論じたゼロ年代ゲンロンとした上で)あるものエヴァでありエロゲなんだろうと思うけど、世の中の人ターニングポイントが本当にエヴァだったのかと言われるとそこにはとても疑問を感じるかなぁ…数字問題として

というか、うちのブログやそのスタンス自体が、「哲学者批評家の言ってることを噛み砕いて、アカデミック言葉を使わないで書く」という部分(本人すらアカデミックでそれをもっとシンプルに言い表した言葉があったことを知らずに書くことは多い)があるからねぇ~うん。

@tm2501 「誰しも土台にオタク的部分がある」のは普遍的にそう。ただ、それを突き詰めても「だからみんなオタクであり同時にオタクではない」みたいなところに帰結するだけで、そこからこぼれ落ちる人間、こぼれ落ちる想像力は確実にあって、で、それらはもはや力を持てないって話なんかなと。

@tm2501 世の中のターニングポイントエヴァだったのかが問題なのではなくてシンゴジラ監督庵野であることがこの文脈では問題なのでは?

@kimiterary あー…直感的には理解したけど、いいアクションを持ち合わせない部分がある話やなぁ~。

@kimiterary あー…うん。(概ね納得)

だとするとすげー個人的な話を主語がでかいままネットに書き込んだ系のことやなぁ~。「お前はそうかもしらんが、一般的分岐はそこじゃないだろ」的なモヤモヤ個人的な話である時点ですでに意味を持たないというかその人の手を離れるわな…

@tm2501 つまりアニメマンガ文化愛好者」としてのオタクと「少数派としてのグダグダメンタリティ所有者」としてのオタク問題。前者がもはやメインストリームに取り込まれた(皆オタクであり非オタ世界)として、後者想像力が表出してくる余地果たしてあるのか、でしょ。

@tm2501 そもそもアレ個人の感想だけどな?

@kimiterary それな(盛り上がってるから真夜中にがんばって記事を書いたけど、結局東浩紀との対立というよりも、EXILEまでオタク的になったという話までの道のりを自分ポケモンとかジブリを使って補填するようなすごく説明的な記事からいいんだけどさ…)

@kimiterary 「後者はそもそもオタクなのか」とはてなブログにいるとすげー思うけどなぁ~。結局、何を議題にしてもグダグダにグズグズに揉めてる印象があるからオタク論争だけでなく、人間関係でも、サイトブログアルゴリズムテクニカルな話でも

@tm2501 ちなみにこんなこと言っておいて難だけどセカイ系とは相性が悪いマンからさほど感慨はない……w

@kimiterary あ、僕もそこはどうでもいい派。15年以上前オタク同士でランデブーしてろ派だし、安易に話に入ると誰も幸せにならないか意図的スルーする

@tm2501 端的に言って本人の能力値がどこでいいからどこかに向けて高くない限り救いようがない人種だけど、わりとそれオタクの本質の1つだと思うんだよな。








@tm2501 てゆーか貴方だしすっげえ雑なこと言うけど、要は1つのテンプレとしては太宰に感情移入ちゃうタイプメンタリティが挙げられるんじゃないの、後者ファウスト系に人生曲げられたマンとしてはこの辺他人事ではない

@kimiterary それ、私には発達障害問題IQの低さと高さが混在した人間宿命や悩み)の話に聞こえるから哲学案件ではなく、精神科案件か臨床寄りな心理学案件な感じがあるかなぁ…。個人的な話でもあると同時に、それらを病気や克服すべき問題定義したのはそっちだし。

@kimiterary そこまで広くくくっていい話だとすると、それは確かに哲学案件


@tm2501 俺としては「病気が治ってしまったら病気が治る前の自分は死んでしまう」みたいな感慨があるからいかに病を抱え続けていけるかの問題自己肯定問題なんだけどなそれ。戯言遣いが言う「変わりたいって気持ち自殺だよね」に未だに取り憑かれてる感。

@tm2501 「太宰に感情移入ちゃうタイプ」の「太宰」に代入出来る解としての庵野なり新海ではもはやなくなった、ってことだと俺は理解してるし、なんならそこに代入できる解って今の世界にいるのか?そもそも求められているのか?ってところで一般化していけそうではある。


はてなブログ投稿しました #はてなブログ

オタク時代が終わったのではなく、リア充オタクな影響を受けた世代大人になっただけじゃないの? - かくいう私もでね

http://www.tm2501.com/entry/2016/09/11/204500

2016-08-26

乳首を含んだ文章

がどうしても思い出せない

なんか文中に乳首という単語が含まれてて

通例、そういった表現をする際に乳首という単語を用いないので印象に残るとかなんとか

なんか一種レトリックっぽいもの解説する際に乳首が例示されていた気がする

2016-07-26

そもそも「非モテ童貞ほどミソジニーな傾向にある」って前提がイミフ

ミソジニー持ってる非モテやら童貞やらがいる」なら、まあ分かるし受け入れられる。

だが「恋愛経験が無い非モテほどミソジニー傾向が強い」とか言われるとハアア?ってなる。

だって既婚者だったり彼女いるような人ですら、ミソジニックなこと言ってるのよく見かけるんですけどォ。僕は見まくってるんですけどォォォ。

彼女いるけど非モテ」「結婚してるけど精神的に童貞」みたいなうんこレトリックは受け付けません。

主観」「観測範囲問題」とか言うかァァァ?

だったらその前提自体が「主観」「観測範囲問題」じゃねえのかァァァ??

ったくよ~ホント何でもかんでも非モテやら童貞やらのせいにされてやんなっちゃうぜ。

日本不況なのも非モテ童貞のせいにされそうな勢いだぜ。

2016-07-14

増田って結局

文章として本当にいいものを書いたな、という手応えがあるときにいい反応は絶対にない。

マイナスかけるマイナスがわからない馬鹿にでもなったつもりで、趣旨も一貫しないような、主観をまき散らすだけの、「思う」連呼小学生の作文みたいな稚拙落書き推敲一切無しで書き散らすと簡単につまら説教がしたいアホが釣れる。

増田に限らず、ネットで話題になるものって全てこう。

みんなただマウンティングがしたいだけなんだよね。

本当に興味があるとか感動したとかそういうものに対する反応を大きく取り上げるシステムになってないんだよ。

しろ、誰にとってもクズしかないものほど、クズを利用して相対的自分を立派に見せたい承認欲求を吸い寄せる事で成立する仕組みになってる。

これはそもそもいいものを素直に褒める習慣のない日本人性質問題もあるのかも知れない、とは思う。

まあでもそれもたぶん程度問題だ。

自分英語しか読めないが、英語話者の言論空間で繰り広げられる世界的なやりとりを眺めていても、多少の自制心は感じられるが、本当にしょうもないものほど無視出来ずに衆目が集まり、結果として逆にクズ存在感を高めてしまうだけという現象はそれなりに見られる。

日本場合は、それをある意味で『薄める』効果を持った、「ほんの些細ないいものでもとにかく褒める」というカウンター熱量相対的に足りないだけだ。

 

他人に教えてあげたい新情報を盛り込み、読みやすさを考えてきちんと順を追って説明し、一読諒解でスッと頭に入って来るように文章を整えると、まあ、まず酔っぱらいの気まぐれくらいな無差別なクソレス以外は、トラバブクマもつかない。

スッと読んでうむ、と納得して終われるように読者への配慮を怠らない事は、通常の作文技術で言えば必要不可欠の基礎技術に当たる。小学生算数が覚束ない状態で高度な数学へ手を出そうとしても、計算間違いばかりで教科書を読み進めるのすら難しいのは誰にでも想像がつくことだ。

しかしこれがネットで発表するブログSNS記事となると、むしろそんなことをしない方が生存戦略としては正しいという現実になる。

違いはたぶん評価タイミングにある。

古来文章というものはそもそもリアルタイムメディアではない。

読んですぐ、どころか読みながらすらすでに反論や混ぜっ返しを構想しつつ出しゃばる計画企図し、吸った息を吐くようにそのままノータイムで書き込むなんてことは従来の文章の使い方としてなかったことだ。単なる口頭会話の置き換えのつもりで軽く見ている人もいるかも知れないが、文章には口から発する言葉と違って一息(一文章)で長々と演説が出来たり、本当のリアルタイムというにはタイムラグがあったり、それらに起因する割り込みや訂正の難しさがあったりして、現実としてこれらネット上の文字コミュニケーションは音声と文章、両方の悪いところだけを引き継いだような最悪のコミュニケーションツールになっている。

文章は、書き、読み、思い、反論でもそれを踏まえたまったく別の場所での言及や自説の開陳でも、それらステップの間にいくらでも考えを改めたり気づき直したりという猶予があるものだった。

からこそ、文章術とはまずすんなりと理解させることに重点を置いていた。

スッと読んでうむと納得して、まとまった形で頭に残っているからこそ、検討検証も出来る。わかりやすさとは頭に残り、こころに残り、読み手のその後の人生の中でじっくりと「対話」をしてもらうための絶対条件だったのだ。

感情空気に流されがちな体面の問答と違い、ひとつ思想パッケージとして読み手の中に取り込み、そのあとでじっくりと自問自答という形で葛藤してもらうことこそが文章と言うメディアを用いた「対話」のやり方だった。

 

増田でバズった記事に、名文と呼べるものがあるだろうか?

「逆に名文。」「むしろ名文。」?そんなありきたりの逆説は要らない。

から折りに触れじんわりとその一行一行を噛み締めたり、何度も読み返したくなったりする深みがあるか?

せいぜい「日本死ね」が大喜利的にバズワードになるだけじゃないか

バズワードと心に残る言葉は違う。

日本死ね」はレトリックとして死なないものの死を願うという無常感、絶望感を含有した良い捨て台詞だと思うが、バズワードにはそういう文脈考慮されない。ただ字面上同じであれば単に自分の気に入らない相手普通に死ぬ比喩になってない相手)を死ね罵倒するのにも平気で使われる。

皮相的な反発の応酬で起こせる波の、これが限界だ。

あくまでそれはただ大海原の表面が鳴動しているに過ぎない。船を転覆し浅瀬の生態系をかき乱す力はあるかも知れないが、人のこころの深いところを揺り動かし、大きな変化をもたらすような津波にはならない。…変な比喩だが。

自分こころの深いところに入り込み、そこに不可逆な変化をもたらしてしまうようなものを読まなければ、書かなければ、知は停滞する。

停滞し、後退する。それが生体としての脳の摂理からだ。

 

文章がただの文字列という刺激になっている。

まとまったものを読み、読み切った後に意識の中に残った断片あるいは芯のようなもの、それらの感触、反芻、自己言及的な葛藤を通して得られる新しい自分

そういう一種コース料理のようなひとつづきの体験文章という表現に当たり前に付随するものとして認識されなくなっている。

いきなり俗な話になるが、これはエロゲーシナリオ文章物語として扱う層への違和感と似ている。

ひと文字いくらで量を書いてナンボなんて世界で書き増されるだけのテキストデータに芯や内容なんて生まれない。エロゲーシナリオには「読み終わり」すらない。

ただカネを納得させる「量」と水増しを誤摩化すための「刺激」でエロシーンまでの間を前戯的に埋めているだけのものだ。さながら増田が、ネットバズるブログSNS投稿が、文字として表された思想人格葛藤するよりもただ愉快な炎上を持続させるための刺激としての埋め草であるように。

ネット言論空間というのは、本当に「脊髄反射」という言葉が相応しい。

文章の、言論の装いを纏ってはいるが、その実いっさい論者の芯の部分を経由していない、ごくごく皮相的な反発の応酬で成り立っている。

その場で読んで、その場で反発して、三日経てば何を読んだのか何が書いてあったのかその一節すら思い出せないようなインクメモリ)のカス右往左往して、白熱した議論かなにかを装いながらどんどん使われない脳味噌が退化していっている。

これがネットでだけならいいのかもしれない。使い分けが出来ているのなら良いのかも知れない。しかし実際のところ、刺激としての文字列に慣れた脳味噌はまとまりを、芯を感じる力を明らかに加速度的に低下させている。

2016-06-28

増田を書いて1ヶ月

さっき初めて個々の記事にどんな反応があったのかを見る方法を知った。

真面目なものからレトリックを駆使したものまで数本書いたけど、結局反応が多かったのは、他の記事漠然と見渡して「こんなのが良いのかねえ」と半信半疑で書いたような超やっつけの代物だった。

恋愛だのアニメだの身近な話題で、とにかく愚痴っぽく、くだくだしく、何かに対する不平不満を出来るだけ主観的言葉で延々と垂れ流す。

主張の筋が通ってる必要はない。それどころか、ナンセンスすぎるくらいでちょうど良い。

最初最後で言ってることが違っても気にしない。

無理矢理いちゃもんをつけるのに必死過ぎて、小学生でも言わないような屁理屈になっていても気にしない。

自分で書いてて、あまりにも話がとっ散らかり過ぎだろうと思ったくらいでも、全然問題はなかった。

しろ、それが良かったのだろう。

読んで勉強になるような耳に新しい話よりも、自分でも完璧理解出来るぞと思うような話題で、自分の方が頭が良いぞと思えるような突っ込みどころの多い記事が「彼ら」のテイストなのだ

ロジックの穴は多ければ多いほど良い。

わざとらし過ぎて、俺なら相手するだけむしろ恥ずかしいと思うような破綻ぶりでも、むしろかえって丁寧に突っ込んでくれる。

なんてくだらない「言論空間」だろう。

ここで行われているのは終わることのない資源無駄遣いだ。

馬鹿馬鹿を書いて、それを大喜びで歓迎する馬鹿が嬉々として更なる馬鹿をそこに付け足す。

何の生産性もない。恨みと溜飲がひたすら溜め込まれていくだけの集積場。

集団幼児退行の展覧会

精神的に向上心のないもの馬鹿だって学校で教わらなかったのか。

昔のはてなはこんなところじゃなかった。

日本人は退化してしまった。

くだらない、実にくだらない。

自分はもう二度とこんなサイトには近づかない。

今後も君たちがこの空しい人生の浪費を続けていくさまを、生暖かい目で見守っていてやろう。

せいぜい、このまま自分たち知的遊戯に耽っているとでも勘違いしてれば良い。

ああ、時間無駄にした!

2016-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20160627140527

カクヨムだったら個性とかレトリックとか語彙の豊富さとか出てくるんだろうけど

ここは増田。分かりやすさを重視したい。

あと親切心を出して文章に例え話とか入れると

なぜかそちらにばかり反応があって困ったりするので、

簡潔さも欲しい(願望)

2016-06-06

不死を殺す

劇作品でよくある、「不死を殺す」と言う描写

どんな存在であれ死ぬ以上、相手は不死でないのだけれど、「不死ではない」という正攻法に行かず、「不死を殺す」というレトリックに逃げる。

その方がインパクトがあるし、演出としてオイシイのもわかるけれど、そういう事書く作家が、言葉定義を使った駆け引きしてると褪めるんだ。

お前にとっての「不死」の定義はなんだよ、と。

いっそ、ゆで理論やら車田飛びみたいな、理屈?勢いだよ勢い、みたいな物の方が、よほど物語を阻害せず楽しめる。

2016-05-26

政治的正しさと「正しさ」と欲望について

最近、多少揶揄的なニュアンス予防線を込めて政治的正しさ、あるいはPCについて言及されるケースをいくつか目にした。

なるほど、確かに過度な政治的正しさへの配慮自由闊達表現を陰に陽に萎縮させるものであろうし、形骸化された政治的正しさは単にナンセンスだ。

しかし他方で、「それとは全く別の問題として」、多くのことがらがある種の正しさをめぐって回っているように僕には見える。

たとえば(誇張した表現になるが)経済原理主義者は最適化・あるいは効率化こそが正しさを担保すると考えているフシがあるように思えるし、

過度にアニメ制作者サイドに寄り添い「楽しんでる!」と必死タイプ消費者はあたかも楽しむことこそが正しさを調達するとでもいいたげなように感じられる。

(注意:僕はここで経済原理主義者や全肯定的アニメ消費者批判したいわけではない。正しさの調達パターンをいささか戯画的に書き出してみたいのだ。

また、前者であれば最適化後者であれば肯定的スタンス無意味であると断じたいわけでもない。

むろんそれぞれの立場から有益な結果・知見が引き出せることはあるだろう。

ただ僕は、あるタイプの信念・行動からある正しさへの意志ピックアップすることは「権利上」可能であるだろうという前提の上で思考実験してみたいのだ。)

さて、人がある物事に大して価値判断を下す際、無数の観点をとることができるように思えるが、ここでは大きく「正しさ」「効率性」「面白さ」の三つに分けられるとしよう。

たとえば学問では正しさが重視されるし、通常の社会では効率性が重視されるし、共同体では面白さが重視されるだろう。

(注意:学問的な「正しさ」と政治的「正しさ」とでは「正しさ」の意味するものが異なるのでは?というのは正当な指摘だ。

ここでは政治的正しさというフレーズに引きずられてこう命名したが、「真理」とラベルを貼れば言語ゲーム癒着は多少解消されると僕は考えている。

はいえ、これでもまだ混同が起きているという疑問はあるだろう。しかしここはこれで議論を進めるのでご容赦いただきたい。)


しかし、学問で正しさを追求することが「楽しさ」を帯びることは多くの人が多かれ少なかれ知っていることであるし、

ある種の「面白さ」が正しさを担うことも趣味に熱中したことがある人なら知っていることだろう。

このように、しばしば三つの領域は混合する。

この視点から、先ほどあげた例を捉え返してみる。

するとつまり経済原理主義者」は「効率性」を追求することによって「正しさ」を調達するように見えるし、

「全肯定的アニメ消費者」は「楽しさ」を追求することによって「正しさ」を調達しているように思える。

(注意:ここで「そんな深いこと考えていないよ」というのは一旦はそうだ。

はいえ、現に「そう見える」しこれはある種の無意識考察だと考えてもらって差し支えない。)

ここで僕が言いたいのは「なぜ素直になれない!」ということだ。(もちろん僕がこの指摘をまぬがれているというつもりはない)

正しさを追求したいのであれば正しさを追求すればよいし、それ以外の効率性や面白さがウエイトを占めるケースであれば全力でそれに没入すればよいではないか

いそいで付け加えておくと、僕はこのような「正しさ」の追求が悪であると言いたいわけではない。

しかしながらそこに、ある種のねじ曲がった欲望を見て取ってしまうのだ。

なぜ、ストレートに正しさや効率性や面白さを追い求めることができないのだろうか?

程よく住み分けることはできないのだろうか?

これは裏を返していえば、あらゆる価値判断メタレベルには正しさをめぐる判断があり、結局全て(これはレトリックです)は政治であるということなのだろうか?

しかし、全てが政治であるとして、その裏側には欲望が張り付いているのだとしたら、それを上手く調節したり整流することも可能ではないのだろうか?

僕が思うに、今必要なのは欲望論だ。

2016-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20160508145302

水素水効能うたってねえよ低能

ギリギリで法には触れないように回避してるだけだろ。その結果破綻した文章になってるだけで。

http://水素水おすすめ一覧.com/law/

水素水トクホでも機能性表示食品でもありません。

作用する分野が広すぎる水素水は、今後もこういう認可を取る方向にはいかないのではないかと予想します。

機能性表示食品ですらないものによくここまで書けるなあ。作用する分野が広いならひとつでいいからやりゃーいいのに、やらない。

言質取られないようにあたか効果があるようににおわせるしょうもないレトリック。こういうのに引っかかる人もいるのだろうけど。

2016-04-24

流行に向き合う、表現者

増田文学の不毛さ

君がどういう立場文章と向き合っている人間か分からない。プロアマチュアワナビかも知らないが、真面目に憤っているみたいなので、まぁ取り敢えず整理してみようか。

 

記事は以下の2つのテーマと、その結論にわけられる。

  1. 増田文学が嫌いである話
    1. 実体験を偽装したフィクションが多く、姑息に感じられる。
    2. 安易レトリックが、姑息に感じられる。
  2. バイラルとの向き合い方の話
    1. 話題になる=文章の力量がある」ではない。
    2. “本当にウケる文章”をやりたいなら、“本当の文章の実力”で勝負すべきだと思っている。

 

う〜ん、根深い。何が根深いって、君の自意識が、こじれてる。

居酒屋で飲み交わしたら、面倒臭いタイプだ。あなた文章に関わるプロもしくはプロ予備軍なら、2つの意味で深刻なので、珈琲でも片手に落ち着いて考えるべきだ。

  1. 文章構成が下手。(1)と(2)の論点を適確に整理して書くべき。ごちゃごちゃに書いている為、文章の焦点が定まらず、散漫な記事になっている。
  2. 流行に対する視点感情世間ズレしている。ネットにおいて売れる文章を嘆いても仕方が無い。それは世の流れだし、憤るくらいなら自己が満足する表現で勝つ他ない。それが、流行に対して創作者が取れる唯一の方法から

 

つまるところ元エントリで登場する「本当のバイラル」や「実力」や「力量」ってのは、

増田の考える本当のバイラル」「増田の考える実力」「増田考える力量」であって、それは世間一般で求められる表現とズレているんだな。残念ながら。

そんな悶々とした憤りを表現しようにも、「1. 文章構成が下手」なので、ちゃんと読者に伝わってないね。残念ながら。

 

あなた文章表現する者たりえるなら、解決方法一般的に3つしかない。

批評家になる」「自分の満足する表現で、世間勝負する」「不毛だと感じる場所から去る」である

少なくとも、元記事のような「増田文学不毛である事を下手クソな文章で嘆く」のは、誰にも影響を与えない愚痴の上、批評問題提起としても浅い。それこそ不毛だと思うね。

流行愚痴を言うようになったら、おしまい一歩前だ。

 

こんな不毛記事レスをした僕の文章も、まあ不毛なんだろうけれど。なぜ書いちゃったかというと、かつて自分が抱えていた感情に似たものを覚えたからだ。

もし君が文章プロを目指すなら、社会だの流行だのバイラルだの互助会など、そんな些末な事を屈服させ吹き飛ばすような、そんな文章勝負するしかあるまい。

それしか心のわだかまりから抜ける方法はないだろう。多くのワナビはそれに挑み、敗れる。しかし、真の表現者であるなら、不毛流行に憤りを感じるなら、そうせざるえないだろう。

 

君が次に何を書くのかなんて、知ったことじゃあないけどね。

がんばれよ。

2016-04-15

それです。ついでにいうと、穴モテありきな戦略に走ってる人に限って穴モテ狙いの男を批判して『私、こんな経験あるんやで』が多すぎるから『節子、それ経験やない!ただの消費行動や』と三沢文也a.k.a.青二才さんが追加

>言ってる意味全然からないんですけど「穴モテしてるだけの、たいして恋愛経験のない女が偉そうに恋愛論を語るな」ってこと?

アレだけやったんだから、もうやらんからね。

君のリクエストに最大限お答えして、はあちゅう記事なんかとは比べ物にならない程のゲスさと、両名へのIDコールまでやったら、僕は色々な意味で期待してたアオヤギさんからブロックされて軽く凹んだよw

男の友情を優先させすぎると、そのせいでモテなくなるから程々にしておこうと思った。一応、ちゃんと読めばちゃんと中身があるし、今のインターネットをきっちりと切り取った記事を書いただけに、すごく聡明な彼女からブロックされたことに「え?」とはなったけど…落ち度は僕にあるしなぁ〜

あとさ…あの記事って、そもそもゲス女系シンパシーのある女性が読めば、

あなたモテないのはあなた気持ち悪いから」の法則で、論理が正しいとか正しくない以前にレトリックで「ああ、こいつはコンプレックスの塊だからそこから女を批判してるんだ」とか議論すり替えるのよね…つまり不毛

オヤギ・トイアンナ両名にツイートされてからついたブコメが「青二才童貞」「コンプレックスの塊」だといった資質を問う声があるわけだが…童貞ではないけど、経験が少ないからあんまり恋愛の話をしないようにしているんでしょ?

まして、人の恋路にアドバイスできるほど僕は上手じゃないでも、上手じゃないからこそ「いい理論があればうまくなりたいなぁ〜」と思って、本や記事をぐらい読む程度には興味はあるわけさ。でも、その大半は自己肯定欲の低い男性説教して安心させる記事か、女性同士の世間話メディアに載せただけ

「泣けば許されると思ってる女がいる」

とまでは言いません。ただ、ゲスなことを言うだけ言って、支持するだけして、そのことを批判された時に「私が悪かった」感が一ミリもないはあちゅうとか峰なゆからへんのひとを見てたら、

女の子いじめたらかわいそうでしょ】待ちなんだなぁ〜」と。

一応、二村ヒトシメソッドと、恋愛工学理論を重ねながら語ったのは、(当然ながら男女問わず、)ある程度理屈っぽく考えられる人なら「二村ヒトシの言い方でたいていのことは批判できるし、(著書を読んでいる人なら気づいたと思うが)都合のいいように出し入れできれば、無敵の論法」と気づくため

ただ、僕はいわゆる「ゲス女」にイラときた時に言うのはコンプレックスというよりも、自分母親がバブリーな価値観に染まって、早々と寿退社した分際で、男の趣味昭和から出てないのに、それを押し付けられて子どもの時にすげー迷惑たから。そういう女が増えると僕が生きづらくなるんよ…

ただ、自分の中で「子どもの時にされてすごく嫌な思いをしたことをしてる女を増殖させる出版社二村ヒトシは大半の人が生きていくのをしんどくする」と思って言えば言うほど…僕の身の周りの女性自己肯定を低くしちゃうんだよなぁ…。

いや、僕も男は99.99%死ねばいいと思ってる派だけどさ

僕は「男は競争に勝って1万人に一人にならないと幸せになれない」と思ってるけど、女性については「考える事をめんどくさがらなかったら幸せになれる」と思ってる派なんですよね…。意外とわかってもらえないというか逆に取られがちだけど

僕が男の人に「好きなことを大事にしよう」だの「楽しめ」だのと言うのは、競争の勝ち負け、モテお金のあるなしを幸せ基準にしちゃったら、男の大多数は競争に負けて幸せになれないから

女性に対して「考えるのがめんどくさいからって共感できることに乗っかってない?」と言うのも、逆

ただ、僕に近づいてくる女て、僕が「考えるのがめんどくさって共感できそうなことを言う人」じゃない代わりに、僕と同じように「私の性では1万人に一人しか競争に勝ち抜けず、そういう人しか幸せになれないから大半の人は死ぬか、生きている以上最大限の現実逃避をするしかない」的な人なんだよね

で、僕はすごく話があって心地よいんだけど…ただ、あまりにも僕に都合が良すぎてと言うか、自己肯定欲が低すぎて「趣味があるから生きてるけど、それがなかったら死んじゃうんじゃないの?」という女の子とばかり会うのよね。心の穴の一致?うん

「遊んで暮らしたい」じゃなくて、「遊んで暮らしますビジネスマンマッチョイズムとか、キッチリ感がないから、とことんちゃらんぽらんかつ現実逃避して凡人らしく生きます。そりゃ、マネタイズのことは考えるけど、お金について考え過ぎると病むからあくまでもほどほどに。

最近の交友関係見てると、男の方はい意味でも悪い意味でも現実を生きてないか、社会舐めてるかで競争自体拒否してる人にいっぱい会う。

なんか、自分のいいところをもっと尖らせたような人に会える。

でも、コレが女性になると、ネット上見てる限り自分の危うさの部分を尖らせてるのよね…

2016-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20160330010443

あいレトリックは、フォロワーが生まれるというより

もっと地味な部類に入るから、たぶんに雑記ブロガー無意識で影響受けてると思うよ

2016-03-26

増田だけどこんな日記ホットエントリ入りして何が面白いの?

意識高い系スライドショーみたいにまず自己紹介が来ると思った? しねーよ。匿名だよ。

つーか、こんなフォントが超ちっちゃいテキストエリアで、ほとんどテキストしか書けないクソみたいなUIサイトで、

はてな地方だかはてな痴呆だかよくわかんないマークアップ言語強要されたあげく、

延々仕事愚痴だかプライベート愚痴だか知らんが、よくわからんゲロみてーなもんを吐き出してる連中がいるってことがマジ信じらんない。

Anonymous?(アノニマス?)とかいハッカー集団みたいな名前も気に入らないし、最近上場ゴール果たしたとか噂されるはてなのものも気に食わない。

そしてたぶんこういうクソみたいな日記でさえ「またミイラ取りがミイラになったよ」「増田にようこそ」「土曜日の昼下がりに投稿乙」とかブコメついて

むなしく消費されていってしまうんだなと思うと怒りさえ沸いてくる。

ちまたではプロブロガーなどといって、カネに変えるために延々クソみたいな文章をひりだしている輩が存在するらしく、そいつらにも怒髪天である

求めているのは話題性か? 身内ウケするレトリックか? サロンに通って金を落としておいて、自分だけは起業家気取りか? 笑えるな。

つーか、この増田をちらっと見てにやけた顔してるお前。そうお前だよ。お前に言ってるんだよ。こんな日記の何が面白いの?

もっと生産的なことに時間を使えよ。お前の人生はそんなものなのか?

2016-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20160314164623

昔、流行ったエコロジー思想の名残りだよそれ

地球に優しくあるために経済成長を捨ててしまおうという左翼ムーヴメントがあった

その時に人々に清貧を受け入れさせようとするレトリックが沢山生み出された

余談だが、人はより豊かで生活に余裕がある方が環境配慮する傾向にある

貧すれば鈍するのであり、貧しい方がエコであるという考えは短絡的だ

2016-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20160226081717

読者をケムに巻いてなんだかわかったような気にさせるレトリック?

2016-02-15

http://anond.hatelabo.jp/20160214233846

強いって意味じゃなくて、他人とは違う主人公けが持つ孤高の属性や力みたいな話でしょ

そんな俺定義で語られても。

もうこの時点で、主張の根っこが思い込みにすぎないことが露呈しているわけで、

その上に構築された論理も全て間違いになるよね。

転生というのは異世界メタな知識を持ち込むための舞台装置にすぎないから

「転生」そのもの特別感を見出すのは難しいよ。

あと「現代知識チート」と俺TUEEEは区別しようね。

転生チート(これも現代知識チートとは区別したほうがいいね)というと「膨大な魔力」がお約束で、

使える魔法自体は汎用的なものであることが多いよ。

(それらを組み合わせてオリジナル魔法を作ったりはするけど)

主人公が最強なら俺TUEEE。主人公が最弱ならよく訓練された俺TUEEE。

というのは典型的な「ジャングル地獄論法で、結論ありきのレトリックにすぎないよ。

転生してもっかいやり直しだね。

2016-01-07

節子、それトリックやない、レトリックや……

kanose教育が足りない

2015-12-26

リハビリ目的私的記録その1

合本版で安かった時に「円環少女」を買い、3巻まで読んだ。1巻目の感想

良いところ

人間世界魔法との関わり方が秀逸。ヒロインや第二ヒロイン、1巻の主敵の魔法能力が魅力的。つまり魔法まわりの設定・世界観が魅力的。

・1巻の構成オーソドックス無難

悪いところ

文章力がひどい。当初は筆者の個性レトリックかと思ったが、すぐに「これまともな校正がついてるのか?」と疑うようになった。第2部である2ー3巻ではある程度改善され、求めたい水準よりやや下というところまで来ている。

ヒロインが幼すぎる。年齢的に。成人である男性主人公恋愛的な関係を迫ってくるが、主人公保護者立場からそれを全面的却下しないので気持ち悪いことになっている。

イラスト男性主人公が若すぎないだろうか。もうちょっとおっさんみの影があってもいいのでは。話中で主人公イラストを見るたびに「違うんじゃね」という気持ちになってしまう。

2015-12-22

おっぱい募金についての強弁ではなくただの全セックスワークヘイト

きみはレトリックとして

売春おっぱい触らせ>|ココ|握手会

に壁を作るべきだと主張して、その実は読者に

売春>|ココ|おっぱい触らせ>握手会

に壁を幻視させようとしてる。実に典型的な「誤った二分法」の応用だ。醜悪極まる。

増田はてな読者を舐めすぎだ。あるいは自分自身の理性を。

さておき。現実歴史

|ココ|売春おっぱい触らせ>握手会

にあるべきだし、ある。

その前提の上で、嫌悪なく、国内で言えば資金面での反社会性やフロントに立つ人間の身体的精神リスクセカンドライフジョブ?)を解決する方向にはどうしたら持っていけるのか、または優良店情報以外に語るべきことはない。新小岩駅前の2000円サロってあれヤバい店だと思うんだけどどの方向性タケノコかお兄さんか単に年齢なのか、ぐぐっても何もでない……

2015-12-11

http://anond.hatelabo.jp/20151211125740

横だけど、元増田が言ってるのは、そいうレトリックとしての意味不明ではなくて、

もっと主題の部分でも意味不明さだと思います

ラブコメアニメ最終回で、やっとここで主人公告白してヒロインも快諾してハッピーエンドになるだろうと

誰もが予想できるシチュエーションで、いきなり、主人公パイケーキヒロインの顔にぶつける…。

それで「あーこれ意味分かんねー。お前らもそう思うよなぁ?」って愚痴ったりするじゃん。

そうするとさ、

「いやいやこれはドリフ元ネタで~~そんなのも知らんのか?」

「これは有名な映画告白シーンを再現して~~馬鹿は書き込むな」

みたいなの。

2015-12-03

☆☆遠回りまみれの青春タイプの人 福満 しげゆき

モテないのではない モテたくないのだ! ! カラスサトシ

食肉の帝王 (講談社文庫) 溝口

夜の経済学 飯田 泰之

あらためて教養とは (新潮文庫) 村上 陽一郎

プラットフォーム ブランディング 川上 慎市郎

キャリアデザイン入門〈1〉基礎力編 (日経文庫) 大久保 幸夫

作家は行動する―文体について 江藤

出会う」ということ 竹内 敏晴

科学宗教 (サイエンスパレット) Thomas Dixon

生きることのレッスン 内発するからだ、目覚めるいのち 竹内 敏晴

得手に帆あげて―本田宗一郎人生哲学 本田 宗一郎

小倉昌男 経営学 小倉 昌男

パイロット 万年筆 カクノ FKA-1SR-GYF 細字 グレー PILOT

疑う力 (PHPビジネス新書) 西成 活裕

レトリック人生 ジョージレイコ

リーン・スタートアップ エリックリース

☆なぜ、「怒る」のをやめられないのか 「怒り恐怖症」と受動攻撃 (光文社新書) 片田 珠美

広告なのにシェアされるコンテンツマーケティング入門 谷口マサト

鉄道が創りあげた世界都市東京 矢島

会社の値段 (ちくま新書) 森生 明

☆反解釈 (ちくま学芸文庫) スーザソンタグ

2015-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20151130160857

言うまでもなく助言だと思うが。助言として「無駄」という言葉を使うのは別に珍しいことじゃない。

リアルなら「無駄」という直接的な表現を使わずマイルド言葉を使うことの方が多いとは言えるかもしれんが、この場においてそんなレトリックどうでもよくね?

どんだけ優しくしてもらいたいんだよ。

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