安倍首相は今年の7月、中国を「身近な脅威」と名指しして、今回の安保法制の可決をすすめた。(安倍政権の太鼓持ちとして以前からその姿勢を隠していない産経新聞によるソースである。)
http://www.sankei.com/politics/news/150729/plt1507290039-n1.html
そして日本が「国を守る為」というレトリックのもと、"集団的自衛権"というアメリカを利するためだけのものを日本の戦後でも稀に見るほどの強行的な手段で通すことになった直前、中国は全世界から注目を浴びる場で、期限まで名言はしていないものの、30万人規模の軍備縮小を表明した。
http://jp.reuters.com/article/2015/09/03/china-xi-parade-idJPKCN0R306520150903
(そんなことは少し調べたり考えたりすればありえないことだとわかるものではあるのだが)もし万が一中国が攻めてくるとしても、この時点で国際的な観点でどうみられているかという立ち回りの時点において、中国は現在の日本の安倍政権よりも2枚も3枚も上手である。もし日本が望む通り、中国が脅威として日本に攻めてきて、その戦いに日本が勝利したとしても、すでに日本は海外諸国で「70年間の平和路線を放棄した狂信的なナショナリズム政権」と報じられている。
平和的な路線を歩み始めている(少なくともそうした姿勢を打ち出している)中国を、好戦的な日本が武力行使によって制圧したという構図からは逃れられない。安倍政権が縋っているアメリカ政府だって、もし国際的な非難が日本に及べば、容易く安倍政権に対するハシゴを外すだろう。
私が不安に感じるのは、このどうしようもないほどの国際的な場における立ち回りの下手さである。自民党が党是として掲げ続けている"自主憲法制定"にしたって、自民党によるのそ憲法改正の草案が現在の日本国憲法よりも国民の基本的人権を制限こそすれ、決して拡張できるようなものとして読み取れるものではないものである点においても、どう足掻いても味方を得られるようなやり方をすすめてはいない。ネット上で勇ましく敵国から日本を守るべきだ、自分にはそのために命を捨てる用意まであるとまでと言う若者の論調を見るにつけ、この日本の政府、内閣という日本の首脳陣の無能さが泣けてくるほどに情けない。
いくら法案と内閣の言動を読み合わせてもアメリカに媚びを売り、軍需産業を拡大して経団連を設けさせようという以上の効果を見出せない集団的自衛権とやらが、本当に日本の誇りを取り戻すために必要だったとしよう。ならばせめて、その大義名分の元に散っていくであろう命に対して、キチンとしたはなむけをする用意はできないのだろうか。
"誇り"や”プライド”は誰かの足を引っ張る為に、誰かを相対的に貶す理由としてあるものじゃない。その人がその人個人の人生に立脚するうえで必要であり、ゆずれないものこそ、"誇り"と呼ぶにふさわしい。
さて、戦場への積極的介入が行われれば、必然的に犠牲になる人の命は増える。その時の用意や覚悟や責任は、東京オリンピックを国民的行事と定めながらもグダグダであり、2011年の原発事故の収束のメドすら立てられない今の日本に、果たしてあるのだろうか?敗戦記念日での靖国神社への参拝を、慰霊行事として国際的に認めさせることすらろくに出来ず、ただ近隣国の感情を逆なでする行為としてむしろ中国や韓国に利を与えている結果しか及ぼしていない現在の自民党に、その手腕があると想像する方が賢明なのだろうか?
安倍は、アメリカのコントロールから外れて暴走しかねない、アメリカにとっても危険な存在だが、ここまでうまく奴隷の役を演じているのでアメリカは騙されているかもな。 「なあに...