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2019-11-18

パソコン20年以上だけど

さっきMとNのキーを外して掃除したんだけどね。

戻す時、逆にはめてしまった。恥ずかしい。

なんとなく隣り合ってるならアルファベット順にM,Nだろう、と薄ぼんやりした認識でいたら、Nよ、キミ左なのか。

さすがに打とうとした時には一発で気づいたけどさ。

2019-11-17

父親には犯されかけ、母親には殺されかけた

ぼんやりと覚えている子供の頃の記憶だ。

それはそれぞれ一度きりのことで、幸い私は生き延びた。

上京し、先生と呼ばれる職についている(教職ではない)。

誰も私の家庭環境悲惨だったなんて思わないだろう。

私だけでなく、多くの似た境遇の人はわざわざ自分からは言わないから、周囲もわからないはずだ。

からというわけではないが、私の境遇を知らずに「親が馬鹿人間そいつ馬鹿」「貧乏人はどうやっても這い上がれない」と言ってくる人間がいる。

そして舌の根も乾かぬうちに私に媚びてくる。

そんなことはけしてないって証明するために私は今の仕事を選んだ。

這い上がりたい人間が這い上がれない社会は、ただ未熟なのだ

それを是とするのは恥ずべき行為だ。

父親には犯されかけ、母親には殺されかけた私が、

必ずこんな世界を変えてやるからな。

2019-11-14

初めて風俗に行って、その子の自宅で犯された話

最近じゃなくて、かなり昔の話。田舎

20歳。当時童貞バイト代を貯めて、免許を取って、お金が余った。

性欲はもともと強くて、ある日「今日女の子エッチなことしてみよう」と思い立ち、地元風俗街をぶらついた。

客引きに声をかけられ「30分、1万円ポッキリ」と言われ、ふらふらとお店の中に入っていった。ピンサロだった。

(いま思えば、ピンサロで1万は高い。いろいろ知らなかった)

案内されたのは赤いちょっと高級感のある、でもやや手狭なシート。

2,3分ほど経って来てくれたのは、30前後の少し化粧の濃い、でも綺麗なお姉さん。

「こんばんわー。はじめまして。何歳?」

「ハタチです。」

若いねー!こういうところは初めて?」

はい、緊張してます...」

彼女はは少し喜んでたように思う。

「優しくしてあげるね...」

柔らかくキスをしてくれた。唇が柔らかく、いい匂いがした。勃った。

服の上から股間をまさぐられ、

「もう固くなってるね、嬉しい」

彼女は言った。ズボンを脱がされる。

固く反ったソレが温かい口腔に包まれる。今までにない心地よさ。

「いっぱい出してね...」

色っぽく言われ、私は3分と待たずに射精した。初めてのときのような痺れる快感。脳がチカチカする。

ありがとう。またね」

名刺を渡され、店を出た。何気なく名刺の裏面を見てみると、携帯番号らしきもの手書きで書かれていた。

風俗店では当たり前のことなんだろうか(今考えると全然当たり前ではない)、とぼんやり考えながらその日は家に帰った。

翌日の昼、名刺に書かれた電話番号電話した。「はい」あの声だ。

「昨日のお客さん?」

はい迷惑でしたか?」

「ううん、嬉しいよ。今日はお店に来てくれるの?」

今日ちょっとお金なくて。すみません

「じゃあさ、私の家、来ない?」

「え、いいんですか」

「じゃあ18時くらいに、○○町のセブンまで来てね」

正直、淡い期待を抱いた。

18時前、セブン女性を待つ。ひょっとしたら怖い人がくるんじゃないかとか、ドキドキしていたのを覚えている。

私服姿の彼女はあっさり来てくれた。化粧が少し薄いせいか、昨日ほど綺麗じゃない。けどなんか興奮した。

「じゃ、いこっか」

私は彼女の後をついていく。オートロックはないけどマンションだった。

少し散らかってはいたけど、女性の部屋って感じだった。冬だったからか、加湿器が蒸気を吐いていた。

とりとめのない話をする。「学生?」「バイトは何してるの?」「趣味は?」「彼女は?」などなど。

「ひょっとして童貞?」

ドキッとした。私は頷いた。多分、彼女目的は「それ」だったんだと思う。

彼女は少し黙ったあと、私の腕を引っ張って、ベッドに押し倒した。

いかぶさって唇を重ねられる。舌を入れられた。ちょっとアルコール臭いがした。勃起する。

彼女に促され、服を脱いだ。脱がせて、と言われたので脱がそうとしたが、ブラの外し方がわからなかった。

彼女自分でブラを脱いだ。少し垂れ下がり気味の乳房リアルさに興奮した。

私の上に跨られる。

「いいよね?」

彼女は私の返事を待たず、唾液でアソコを湿らせて、ずぶり、と腰を下ろして私のアレを包み込んだ。童貞卒業

ゴムはつけていない。

締め付けは強くなかった。(そもそも女性の締め付けがどのくらいが平均なのか当時はわからなかったが)

でも、熱く湿ってヌラヌラしたものに包まれて、腰が抜けそうだった。気持ちいい...

彼女が腰を振り始める。

「イクときはイクって言ってね」

頭がクラクラした。いま私はセックスをしている。

ただ、射精感はなかなか訪れる気配はなかった。少し焦る。彼女の腰振りもちょっと疲れた感じになってきた。

「そろそろイッちゃえよ...」

彼女は腰をズンと下ろし、腰を前後に揺らしながら私の乳首をレロレロと舐めた。あっという間に射精感がこみ上がってくる。

「イキそうです...!」

寸前で彼女は腰を上げ、手コキに切り替える。ドクドクと精液が溢れ出る。今までに経験したことがない量だった。

気持ちよかった?」と聞かれ

「すごかったです...」と答えた。

シャワーは浴びなかった。少し彼女麻雀(2人でやった)に付き合ったあと、もう一度した。

それから数回、彼女の家に遊びに行ったり、カラオケに行ったりした。家に行ったときは必ずした。

童貞じゃない私に興味がなくなったのか、ある日を境に彼女からの連絡はぱったり途切れた。

私が喋るのが下手で、一緒にいてあまり楽しくなかっただろうことも原因だと思う。

私が進学で上京してしばらくして、彼女から一度だけ電話がきたことがある。

東京にいることを伝えたらすぐ電話は切れてしまった。

多分彼女はもう40くらい。いま何してるんだろうな。

相変わらず童貞食いしてるんだろうか。

2019-11-12

乳幼児スナイパー vs ステンカラーズ

本来なら横のつながりのない乳幼児スナイパーの業界で、唯一ひそかに徒党を組んでいると思われる同業者たちがいる。この季節になるとなぜかステンカラーのコートを好んで着たがる女性だけで構成されたその部隊を俺は「ステンカラーズ」と呼び警戒している。

コートの色がそれぞれ違うのは、きっと彼女たちの中で仲間を識別するためと思われ、特にベージュのそれを身にまとう者は士官クラスであると俺は踏んでいる。

テンカラーズの恐ろしい所は、俺のように鬼気迫る一瞥や、標的を恐怖のどん底に突き落とす表情や、特殊攻撃モジュール必要とせずに、「にっこり」と笑顔だけで乳幼児の動きを封じてしまスキルにある。おそらくは精神波による強制暗示の使い手だろう。射程距離は多少短めだが、その分至近距離から確実に乳幼児を仕留める恐ろしい奴らだ。この業界における、目的のためには恫喝白兵戦も厭わない彼女たちの専横ぶりを同業者たちの警戒を促すべくここに記す。

さて平日の朝の、ここはとある私鉄の某駅に停車中の車内である。乗り換えの急行から降りてきた家族連れが満員の車内に乗りこんできた。ベビーカーをたたみリュックを前に抱えたパパがいる。つまりそれはその背後にママに抱っこされた赤ん坊がいる事を意味している。あのスーパーワゴンみたいなんじゃなくてたためるベビーカーと言うことは首が座ってるくらいの赤ん坊だろう。長年の電車通勤をしている大人の俺はそれを肌でわかっている。

果たして俺の狙撃の標的となるやもしれなかった赤ん坊ママに抱っこされてだらしなく口を開けて惰眠を貪っていやがった。何かおいしいものを食べてる夢でも見てるのかときおり口をもぐもぐさせている。いい気なもんだ。とりあえず勘弁してやろう。大人からな。

状況が動いたのは表参道の駅で乗客大勢入れ替わる乗り降りの瞬間だった。目を覚ました赤ん坊は周囲をキョロキョロして「あぁ」とか「たぁ」とかわけのわからない言葉を発し始めた。本当に語彙が貧困で活舌も悪いガキだ。もちろん俺は一瞥を開始している。しか赤ん坊はなかなかこちらを見ない。にぶいガキだなあ。ところが「つぎはぁ霞ヶ関ぃ」とスピーカーから聞こえてきた瞬間泣き始めた。霞ヶ関に何かトラウマでもあったようだが、遂にプロの出番だ。しか今日立ち位置問題がある。俺の隣にリュックベビーカーを抱えて直立不動父親がいるのだ。

「えへっえへっえへぇぇっ・・・・」と赤ん坊が肺の中の空気を残らず吐き出した。これはシン・ゴジラよろしく次の瞬間一気に「すうっ」と深呼吸して「っびゃああああ!」と大泣きするサインだ。プロの俺は知っている。乳幼児スナイパーが警戒すべきなのは親に気づかれることなのだが、周囲の目にも気を遣わなくてはいけない。目撃者存在自分危険に追いやり、とき社会的地位を脅かされるリスクもあるのだ。大人には大なり小なり社会的地位があるからな。たとえ底辺リーマンであってもだ。

しかしこれはA+級の泣き声を上げるサイン。ここは多少の傷を負うことは覚悟して俺はバッグの中にしのばせた、昨日酔っぱらってゲーセンクレーンゲーム両替機に足を運んでまで入手した特殊攻撃モジュールの在り処を確認した。頭にゴム紐のついたライチュウハロウィン仕様)のぬいぐるみだ。

だが次の瞬間、母親の右前に立っていた女性が振り返った。

テンカラーズ!しかベージュ

間髪を入れず彼女は至近距離から「にっこり」攻撃赤ん坊精神支配下に置いた。初弾でこの威力!まさにステンカラーズ。赤ん坊は恐怖のあまり泣き声をピタリと止めて凍り付いた表情で彼女を見つめている。

くそ!俺の獲物を貴様!頼むからそっち向いてつむつむでもやっててくれよ!そんな俺の殺気など意に介さず彼女は「ひとがたくさんでびっくりしちゃったねぇ」。なんと恫喝まで加えるコンビネーション。おそらくはステンカラーズの中でも相当の上級者と見た。

テンカラーズの女の攻撃はなんと母親にまで及び「うちの甥っ子もこれくらいなんです」と恫喝し、母親のガードも破壊した。なお父親空気である。俺も空気である

多少ぐずりつつも少し落ち着いた赤ちゃんに、彼女人差し指をそっと突き出した。おいやめろ、まさか白兵戦に引きずり込む気か。目の前に突き出された人差し指赤ん坊は反射的にぎゅっと掴んだ。これは・・・握手!ステンカラーズ士官のあざやかな手口に母親は「すみませぇん」父親は「ありがとうございます」と完全に彼女支配下におかれた。俺は空気だった。俺のバッグの中のライチュウハロウィン仕様ももはや出番はなかった。

家族連れは日比谷で降り、なんと別れ際には赤ん坊降伏意味するバイバイまでせしめ、ステンカラーズの女は何事もなかったかのように二重橋前で颯爽と降りて行った。その後ろ姿はまさしく大人女性の貫禄。

から突然現れたステンカラーズに戦況をがらりと一変させられ、何もできず一方的な敗北を喫し車内に取り残された俺はぼんやりと、目に留まった週刊文春中吊り広告に今週の原色美女図鑑をチェックしていた。ヤンジャングラビアのチェックじゃないぞ俺は大人からな。

11/14→https://anond.hatelabo.jp/20191114000736

2019-11-11

鬱とアルコール依存

私も鬱というほどではないが精神的につらいときに酒に頼ってしまう面があり、酒を飲みながらぼんやりと考える。

つらいことを忘れるために酒を飲むというが、実際にその精神的なつらさが翌日にすべて消えるかといえばそうではないと思う。実感としてはその日の入眠が近くなるかもしれないが(ただし浅い睡眠だ)翌日以降は運任せだ。

ただ、ある程度酔っ払って眠りに落ちれば、変に寝る前に考え込んでつらくなることもないし、飲みすぎてアルコール摂取が許容量を超えれば翌日つらい二日酔いにさいなまれて、精神のことを考える前に二日酔いでつらい自分からだの状態を考えなければならなくなる。

中途半端に飲むと飲酒を変に後悔しちゃってかえって翌日精神的につらくなるんじゃないかな。二日酔いならそれどころではないので。さすがにこれを動機にして連日深酒をしようとは思わないけど。

こんな感じで、アルコール依存というのは思ったより身近なところにあるのだろう。もしかしたら片足を踏み入れているのかもしれない。

anond:20191111125741

おめー、頭いいな~!

ぼんやりと感じてた事だけど文章化すっとこんな感じになるんだな!

ストンと入ってきた感じあっぞ!あんがとな!

しか基準は難しいな、オラもそれ普段から思ってんだ。

例えば、動物同士の交尾表現するとしても、ケモナー目線エロ漫画を描くように描いてもそりゃ動物交尾だよな

ただ動物交尾なんてーのは学校教科書にも載ってるもんな!

その二つの差は目的の違いではあんだけど、表現されているもの動物交尾って事象だもんな

でもエロ目的動物交尾をそれを好まない層に届けないってのはそんなに難しいんかなぁ…?

そりゃ、オラも方法はわかんねえけど

無用な争いが起こらずにそれへのアクセスが出来ればいいんだけんどなぁ

2019-11-07

いつもいく定食屋で、夫婦でやってるぼいんだけど厨房夫婦げんかしてるの始めて見た

けんかといっても少し口喧嘩してるだけで口調なんかはあまり変化ない

さっきの客にコーヒー出した?出してない?で言い合いになってる

・・・って話してるなぁとぼんやり聞いてたら奥さん朝ごはんつまみ食いしてて痩せようと思ってるのにあんな美味しそうなの置いておいたらたべてしまうやんって文句言ってる

なんかまあいろいろ溜まってんだろうな

2019-11-06

お気持ち」と言われない、論理的問題提起方法

少しずつでも社会が良くなるようにって一生懸命声をあげてるのに「お気持ちでしょ」で片付けられて腹が立つよね。

でもそれはやっぱり論の展開に粗が多くて、本質的に伝えたいことよりもそっちに引っかかっちゃうってことなんだ。

じゃあどうすればいいか

外資系コンサル(笑)の俺が叩き込まれ論理的思考方法を教えます

まりは「お気持ちから

最初から論理的じゃないじゃんって思った?

でも問題発見っていうのはやっぱり気付きなんだよね。

「これ変だな」とか、「なんか嫌だな」とか、そういうのがスタートになる。

この気付きというのが奥が深くて、気付くためにはそもそもその分野に敏感でいないといけない訳だ。

から違和感を見つけられたという事は、あなたはその分野についてよく勉強してるってこと。

で、ここが大事なんだけど、スタートを見つけたら仮にでもゴールも考えてみること。

「A. 現状はこうだから嫌だと思った」というのがスタートで、「B. だからこうあるべきだ」というのがゴールになる訳だ。

ちなみにこの「Bであるべきだが現状はAだ」という2点間の差分のことを「問題」と呼ぶよ。

似た言葉で「課題」というのもあるけど、ロジカルシンキング(笑)的には使い分けがあるから興味があったら調べてみてね。

言い忘れてたけど、スタートは必ず事実に基づいていることね。

河原ぼんやり空を眺めていて思い浮かんだのはただの妄想だってこと。

スタート地点が妄想なんじゃ、ゴールも、問題も、課題も、全部まるっきり無意味

から、「この漫画の何話のこの部分が不適切だ。」って説明できるようにしてね。

気付きを分解して構造化する

ここから論理的思考の本番ね。

あなたが「不適切だ」と思ったそこに描かれているものを要素ごとに分解してみよう。

どれくらいまで分解すればいいのかというと、もうほんとバラバラになるまで。

それ以上分解できないところまで。

そこまでやったら、中にはきっと「あ、この要素は別に関係ないな」ってものがあるはず。

そしたらそれらを退けて、最後に残ったものを組み立てると、あなたが本当に問題だと思っているものがきちんとした構造を持って現れてくる。

これができると何がお得かというと、構造化は同時に抽象化でもあるってこと。

から、同じような問題を抱えた他の具体例が集めやすくなる。

これで、「なぜ不適切かというと、XXXがYYYでZZZだというように描写されているからだ。」と説明できるよね。

しかすると、気付きのきっかけは女性差別だったけど実は性別関係なくて人権一般の話なのかな、とか、自分でも思いもよらない構造が見えてくるかもね。

ここまで来るともうあなた感情とは関係がないものになってるから、そう簡単お気持ちとは言われないよ。

事例を列挙して普遍性を示す

別にあなた問題だと思った一例で主張してもいいんだけど、それだと普遍性が無いよね。

ゴールがその漫画のその話を回収させるとか謝らせるとかならいいかもしれないけど、そうじゃないよね。

ちなみに一例だけを挙げてもっと大きなものを論じようとすると「主語がでかい」ってなるよ。

あなたにはさっき作った問題構造があるからもっと色々集めてみよう。

こうやって事例を列挙することで普遍性を示す方法を「帰納法」と呼ぶよ。

「同じジャンプで連載されてるAAAという作品BBBという作品でも同じ問題構造を持った描写がある。だからジャンプという雑誌編集方針としてこういった描写容認しているのだ。」と〆ましょう。

この事例の数が多ければ多いほど説得力が出てくるね。

ちょっと脱線するけど、プレゼンするとき話し言葉としては1〜2例くらいにして、他は資料に書くだけにしておくとスマートだよ。

ダラダラ例示を読み上げてると、聞いてる人は手元の資料しか見なくなっちゃうからね。

ちなみに帰納法には限界があって、それはどんなに例を集めたとしても、あくまあなた観測範囲の中のできごとに過ぎないってこと。

からそうじゃない例を示されて反論されることもあるよ。

こうなったらもう数の暴力だね。もっと例を集めて撃退しよう。

さら

最後にここまで勉強してきたことをまとめるよ。

問題提起をするならば、以下のように論理的にね。

この漫画の何話のこの部分が不適切だ。

なぜ不適切かというと、XXXがYYYでZZZだというように描写されているからだ。

同じジャンプで連載されてるAAAという作品BBBという作品でも同じ問題構造を持った描写がある。だからジャンプという雑誌編集方針としてこういった描写容認しているのだ。

これができないなら、それはあくまあなたお気持ちだよ。

anond:20191106124124

ガイドブックエリア毎の犯罪傾向なんか書かなくない?「治安が悪いので特に女性は注意」くらいのぼんやりした表現限界な気がする。

2019-11-05

鬱で復職してからの小さな復讐。どうしたらいいかからない

鬱で休職、そして復職した。

復職先時は部署を変えるのがベストプラクティスらしいが俺は元の部署に留まった。何故か、元々所属していた部署愛着は残っていたし、環境を変える勇気もなかった。当然上司もそのままだ。

その上司パワハラタイプではなく超放任タイプ仕事をしない男だった。俺はそいつの尻拭いに走ったり、勝手責任感を持ったりして倒れた。

復職してからその上司は俺に仕事押し付けた事を後悔して、罪悪感を持っていたようだ。いや、ほんとに持っていたかは分からない。自分で」罪悪感を持っていたようだ」と書いてすぐにひっくり返すのもなんなのだが多分何も感じていなかった。

俺は腹を立てて、復職してからそいつに何度も何度も強く当たった。ミスがあれば過剰に責め立てたし、上司を徹底的に攻めた。

怒りがあった。復職してからというもの頭はぼんやりしっぱなしだし、すぐに怒るようになったし、査定は低かったし、最前線からは外されたし。その怒りを全て上司にぶつけたし、なんとか責任を取らせようとした。俺を治せと。お前が壊したんだと。

頭の中でそいつにどうやって復讐しようか、そしてどうやって俺のこの現状から救い出してもらおうか考えていた。それだけが肩身の狭い職場でできる俺の精神安定法だった。

話は急転。先日、その上司が降格なって俺は上司が変わった。降格の原因はあまり放任主義故の数々の炎上プロジェクト退職者の続出だったようだ。

俺は行き場を失った。

どうすればいいんだろう。

新しい上司自分休職してたこともあまり分かってないようだし、元々なんの仕事をしてたのかもよく知らないみたいだ。

上司は降格になってからも相変わらずのらりくらりやってる。

分かってる。分かってるよ。休職してから今まで俺は1つも正しい事をしてなかったし、この文章を書きながらも自分自分に呆れてる。疲れた消えたい

ぼんやりガンアクション随想

ジェミニマン見てストーリー感想とは別に思ったのが、邦画アクションが低クオリティって言われがちなのって予算諸々は大前提として、銃文化の無い国だからこそガンアクションに不自然さがあるのかもな〜と思った。‬

‪向こうは一般人でも銃が扱える国だからこそ、銃に対する色々な面からの心構えとかって無意識下で身についてる訳で、そこはもう環境的な話だからいくら予算があろうと埋めようがない差だと思うのよね。(今後も日本は銃とは縁遠い国であって欲しいからそこは埋まらなくていいんだけども。)‬

‪それなのに邦画でガンアクションを演じるのってだいたい「公安」とか「殺し屋」みたいな、銃を扱い慣れているであろう役柄なのよね。構え方だとかある程度しっかり習うんだろうけど、なーんか薄っぺらく感じてしまうのは予算以上に根本的な文化の違いが原因なのかもしれないなあ。なんて思ったりした。‬

シン・ゴジラみたいな、日本にだけ通用する文化みたいなものをふんだんに使ったアクション映画が見たいなあ…でもそうなると何が適任なんだろう。やっぱ日本刀かな?そういや忍者アクション最近見ないな。見たい。‬

イエローナイフ行方不明になった女性

今急に私が死んだら、流石にあの人もあの人も傷ついてしまうというか、

単純に滅茶滅茶迷惑をかけるので旅行計画に頭をすり替えている。

2014年イエローナイフ行方不明になった日本人女性のことをたまに思い出す。

1人で行って、消えてしまうことができるんだな…。とたまに彼女のことを思い出す。

クミコ、ザ・トレジャーハンターのこともよく思い出す。

(あまり人気のない映画だと思うけど、逃避用にディスクで買った)

だって、あの航空券を取ることができるんだな…と銀行口座数字を思い出しながら思う。

100万円強。どこかにいきなりとりあえず行ける金額はある。

流石に今、いきなり私が死んだら、あの人やあの人は随分と厄介な感情を、人生の重荷を、ずっと抱え込んだままになってしまうだろう。

何にしても、死ぬよりはマシだ。

友だちの親が首を吊った時期、近くにいたことがある。

あれはとてもきついだろう。

それを誰かに押し付けたいわけでもない。

今の私は昔と違って、自分がいない世界の方が綺麗に回るという思想に取り憑かれているわけじゃない。

昔は取り憑かれていた。

母は小学生の私に「このマンション死ぬなよ、私たちがここに住めなくなるんだから」と言った。

そして「そんな暗い顔をしてるから嫌われるのよ」と言い捨てた。

そうか私はそんなにも鬱陶しいのか、と思い続けていたけれど、

もうなんでもいいやと思い色んな人に投げやりに頼んでいたら、意外となんとかなり続けた。

村上春樹を読んでニーチェの話をしていたらモテた。

なんでみんな自分を押し殺す?

春樹読んでニーチェの話して、村上龍の話をしだした男の子の胸に耳を当てて「これは俺の歌だ?」と言うとモテる。

そういう人にさえ好かれたら、200人に1人くらいに好かれたら人生は十分だ。

これは私がものすごく投げやりだった頃の話。

母の気持ちを今想像することができる。

肉体が40歳くらいで、仕事家事(私の父は家事ができたが)もあり、疲弊していて、

母は自分がどうして欲しいか、私にコミュニケーションを取ることをあまりしなかった。

私も近づくと嫌味しか言われないのであまり近づかなかった。

母は寂しくなっただろうし(父は精神的なケアをするタイプではない、家父長制の毒もないけれど)、

単純に、疲弊をしていたんだと思う。

身体中が痛くて、マッサージも高く感じて、ジムに行くというのがメジャー時代でもなかった。

母が随分と私を鬱陶しく思っていただろうというのはわかる。

かなり鬱陶しく思っていたんだろう。

今わかるよお母さん、疲れていたんだろうね。

でも言っていいことと悪いことがある、それで一生信頼しないことにした。

わかることと許すことは違う。

私は母を自分精神的支柱部分から切り離した。

私を傷つける人、として認定して、そしてそのまま切り離した。

尊敬には値するけれど、私の精神的な支えには今後ならないだろう。

孫が生まれたことで、母は分かりやす幸福の証を取ることができて、どうやら落ち着いている。

1ヶ月分丸々残してある睡眠薬、例えばこれを持ってあの人のようにイエローナイフに行ったら、と時折思う。

睡眠薬と100万円。

どう考えても死ぬほど追い詰められた生活じゃないこともわかる、

だけど昔から20年前から、この気持ちは消えないんだよ。

イエローナイフ行方不明になった彼女のことが気になって、久しぶりに調べたら、白骨死体発見されていた。

ストーリーをつけるのは簡単だ。何パターンもある。

でもふわふわとしている。

ふわっと、台湾に行くみたいにチケットを取って、飛行機に乗ってしまえばぼんやりと進むことができるだろう。

私がニュースで見たのは、普通にダウンジャケットを着て明るい店内の椅子から立ちあがる様子を映した防犯カメラ映像

あんなふうに、消えてしまうことはできるだろう。

睡眠薬を処方されるときに、これは1000錠飲んでもまぁ死にませんから、と話題に出された。

きっとOD死ぬことはないんだろう。

何かを組み合わせなくては。

例えば一酸化炭素、例えば氷点下の外気。

彼女ドキュメンタリーがあるらしいのだけど、日本からアクセスしても見られなかった。

村をあげて探さなくてはいけないというのは大変だろう。

そっか、そんなにも大変か…と思いながら、彼女気持ち勝手にわかった気になっている。

ふらりと消えたくなる、別にこの命で長生きしたいというのでもないし。

だけど流石に迷惑だろう。

でもそんなの、よくわからないんだ。

私が死んで悲しいのは、私じゃないんだもの

あの人やあの人が死んだら悲しい、そんな世界を生きたくないと感じる。

でも、私が死んでも悲しいのは、私じゃないんだもん。

痛いのも苦しいのも嫌だけど、

ここにある薬とパスポート、やれることはまだあると知っているけれど

2019-11-02

おっさんずラブ」は母への殺意を救うか

50代の私の母は、ドラマを見ることだけが趣味の、専業主婦だ。

取り立てて悪いところもなく、派手でもなく地味でもなく、子供には少しお節介な、ごく一般的なおばさんだ。

対してその娘の私は、アラサー社畜だ。

母娘関係は、決して悪くはない。

しろ良好だとさえ言える。

だが、母に対して、澱のように溜まっていく思いがひとつだけある。

私は、レズビアンなのだ

だが、それを母にうちあけることは生涯ないだろう。

母は、心優しい人間だと思う。

ドキュメンタリーに涙し、ニュースに憤り、親戚や友人だけでなく、隣人や知り合いにも親切だ。

だが、そんな母が顔を歪めることもある。

たとえば、マツコ・デラックスを見たとき

たとえば、レインボープライド同性婚ニュースを見たとき

「生きていて、恥ずかしくないのかしら」

「どうしてこうなってしまうのか理解できないわ」

「言ったら悪いけれど、化け物よね、この人たち」

そのたびに私は曖昧に笑う。

いま貴女の横に化け物がいるのよと言えないまま、何かが自分の中に積もっていくのを感じている。

母は優しい人なのだろう。

でも、その優しさは、彼女の狭い常識埒外にある「化け物」には向けてもらえないのだ。

今日たまたま実家に帰ることになり、久しぶりに母と夕食を共にした。

母が何気なく言った、「今日の夜見たいドラマがあるのよね、おっさんずラブ?とかいうやつ」という言葉に私は凍りついた。

「それって、貴女の嫌いなやつよ」と咄嗟に言いそうになって、私はそれを飲み込んだ。

勿論、前回あれだけの反響を残したドラマだ。私は見てはいないが、友人にもファンは多く、内容はなんとなく知っている。

ショックを受けたまま相槌を打っていると、どうやら母は前作の内容を全く知らないで見始めようとしているらしかった。

私は最後まで何も言えず、帰り支度を始めた。

今、電車の中で、胃の腑で煮えそうな何かを反芻しながらこの文章を打っている。

多分母は明日、「見たら同性愛の話だったわ。騙された。気持ち悪いドラマをやるのね、今時は」と、連絡してくるのだろうと思った。

そして私は「そうなんだ。それは残念だったね」と返すのだろう。

可愛らしくしょんぼりしたウサギスタンプかなんかをつけて。

そしてきっと、殺意に似た何かを、静かに噛み締めることになるのだろう。

でも、もし、と思わずはいられない。

もし、このドラマが、母の何かを変えてくれるのなら、と、子供じみた願いを持とうとする自分が恨めしい。

家についたら、きっと私も「おっさんずラブ」を見るのだろうな、と今ぼんやりと考えている。

anond:20191101232510

「とぼとぼ」は江戸時代初期から使われはじめた近世語のようだ。

https://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/ko_tame114.html

大言海

とぼ‐とぼ〔副〕老人などの、よろぼひ歩む状、又、歩みのはかどらぬ状に云ふ語。よぼよぼ。よろよろ。よぢよぢ。よたよた。

博多女郎波枕(享保近松作)中「姥が出れば惣左衛門、こりゃ姥、何をとぼとぼする、今の銀(かね)は隣の道具賣ッた銀(かね)」〔三-576-2〕

https://kotobank.jp/word/%E3%81%A8%E3%81%BC%E3%81%A8%E3%81%BC-584747

精選版 日本国語大辞典

[1] 〘副〙 (「と」を伴って用いることもある)

ぼんやりしているさま、元気なく、疲れたさまなどを表わす語。しょぼしょぼ。〔続無名抄(1680)〕

浄瑠璃・鑓の権三重帷子(1717)下「ろくに寝ぬ夜の目もとぼとぼとほこりまぶれの髪かたち」

② (「とぽとぽ」とも) 力なく緩慢に行なう動作特に歩くさまを表わす語。

たけくらべ(1895‐96)〈樋口一葉〉一一「少しうつむいて居るらしくとぼとぼと歩む信如の後かげ」

[2] 〘名〙 (形動) ぼんやり、うす暗くおぼつかないこと。また、そのさま。

浮世草子好色産毛(1695頃)五「ある夕暮のとぼとぼより、誰やら我につき添て目にありありとみゆる」

ちなみに「よぼよぼ」も近世語で、1628年の「醒睡笑」に出ているらしい。

その元になったのが「よろばう」で、これは「あちらに寄ったりこちらに寄ったりする」=「よろよろする」という古語

https://kobun.weblio.jp/content/%E3%82%88%E3%82%8D%E3%81%BC%E3%81%B5

「しょぼしょぼ」は15世紀には見られた言葉で、その語源古語の「そぼつ」らしい。

https://kobun.weblio.jp/content/%E3%81%9D%E3%81%BC%E3%81%A4

「そぼつ」は「濡れる」という意味で、今だと「濡れそぼつ」とか「雨がそぼ降る」とかに残っている。

「大雨でずぶ濡れ」というよりは「小雨がずっと降り続く」ようなイメージで、そこから「雨がそぼそぼと降る」→「しょぼしょぼ」になっていったわけだ。

「とぼとぼ」は単純に「よぼよぼ」や「しょぼしょぼ」から転訛という可能性もあるけど。

この二つには「よぼける」「よぼくれる」「しょぼつく」「しょぼくれる」みたいな動詞形があるので

そうすると「とぼとぼ」も「とぼける」「とぼつく」「とぼくれる」などと結びつけたくなるよな。

日本国語大辞典の「ぼんやりしている」という説明からすると「惚(とぼ)ける」と関係なくもないのかな。

ところで「とぼける」は「惚(ぼ)ける」に語調を整える「と」がついた形らしいけど(遠惚る・言惚るなどの異説あり)この変化が起きたのはいつなんだろう。

「そらとぼける」の用例が1420年にあったなら大丈夫か、というかもしかして「とぼける」より「そらとぼける」のほうが古いのか。

https://kotobank.jp/word/%E7%A9%BA%E6%83%9A-2057783

2019-11-01

沖縄のことを書いておきたいと思った

から首里城燃えてるのをニュースで見て陰鬱気持ちになった。沖縄の方や血縁の方、首里城を訪れたことのある方はなおさらだろうと思う。

私もルーツ沖縄に持つ一人として、ほんの少し心が痛い。といっても、沖縄を訪れたことはないし、今となっては戸籍証拠も残ってない。このまま消えてしまう私のルーツ個人的沖縄との関わりを書き残しておこうと思う。

私の母方の祖母沖縄出身。母は昭和一桁生まれ戸籍大阪市内小学四年生父親が亡くなり、母ひとり子ひとりで苦労したらしい……と、母からは聞いていた。祖母が亡くなったのは私が三歳の頃。当時は沖縄アメリカ占領下にあり、本土復帰が成されてから実の弟さんが訪ねて来られた。たしか夜だったと思うが、フェリー見送りに行ったのか迎えに行ったのか、夜の港へ行った記憶はある。後に聞いた母の話を繋ぎ合わせると、ようやく連絡がとれたものの、祖母がすでに亡くなっていたので、分骨して持ち帰られたのだという。だからおそらく、祖母は生まれ育った土地に帰ったのだと思いたい。しかし、母はその後積極的には沖縄の親戚とは連絡を取らなかったし、向こうからも連絡はなかったと思う。今でも実家手書き電話帳が残っていれば、沖縄の『Tさん』の名前電話番号が残っているかもしれない。

(私が、親が亡くなってから実家没交渉なので確認するすべが無いのが残念なのですが)

……と、思っていたのだ。母の話は整合性あったし、墓には祖母名前が刻まれていて、分骨はしたもの祖母の骨が入っている。沖縄から来たおじさんの記憶ぼんやりとながらある。

しかし、母が亡くなった時に確認した戸籍に、母親(私の祖母)の名前はそこにはなかった。

そこにあったのは、親戚より仲良くさせていただいていた、とある女性名前が書かれていた。親戚よりも仲良くさせていただいてはいたけど、戦争直後に母子家庭同士で助け合ったから仲良かったんだろうなと勝手に思ってたんだけど、そうじゃなかった。

そこから遡って、いつぞや母から聞いた細切れの情報繋ぎ合わせると、えらいややこしい話が出来上がってしまった。

母が生まれた頃(昭和一桁代)、沖縄日本ではなかった。出稼ぎ本土へ来た人は、港湾関係女性は紡績工場で働いてる人が多かった。沖縄出身者は差別を受けてたんで、コミュニティを作ってその中で生きるか、もしくは沖縄出身だということを隠して自活するかのどちらかだったと思う。

祖母沖縄コミュニティを離れたのだと思う。で、何らかのきっかけがあって、大阪とある商家長男の娘を授かることになる。が、ここで祖母戸籍問題になる。

たぶんここで、母の記憶にある『杖に長刀を仕込んだおじさま』が絡んでくるのではないかという推測ができるのだが、これはあくまでも推測であるので置いておく。とにかく、何らかのすり替えが行われて、母はH家の長女に納まった。『大事な一人娘に掃除なんかさせなくていい』と言われるくらいのお嬢様だったらしい。小学四年生父親が亡くなったというのに、終戦直後私立キリスト教女学校入学して高校まで通っているので(同級生だった友人もいたし、写真も残っているので与太話ではないはず)、お嬢様だったのは間違いない。

母は小学校学童疎開生駒の方に行ったという。そこに時々、会いに来てくれていたとも、祖母が食料を求めて京都の奥だか北陸の方だかに度々買い出しに行ってたらしいという話も聞いた。

で、なんだかんだあって、次男坊だった父が婿入りって形で結婚したわけですが、祖母と母はずっと一緒にいたわけで。子供が二人出来て、下の子が1歳になるとほぼ同時に祖母が亡くなったんだけど、この時に葬儀ができないってんで大騒ぎになったとかで。

今考えると、戸籍がない、娘もその事実を知らないって、大騒ぎにもなりますわな。

でも、また何らかの大人たちの仕事により『H家のS子』として葬儀をあげて、H家の墓に収められたんですけどね。

小さい頃、祖母のことも知ってる知り合いに、よく言われたんですよ。黒々とした髪や、大きい目が祖母によく似てるって。

写真で見る祖母はすでにおばあちゃんなので、本当に似てるのかどうかは自分ではよく分かりませんが。でも、沖縄の血を引いてるから目が大きいんだって言われるのは、ちょっと、いやかなり子供心に嬉しかったのを未だ覚えています

でも、祖母本人から沖縄の話は聞いたことがなかったし、祖母沖縄へ行った(帰った)話は聞いていない。

私が知るのは、祖母旧姓が『多和田』だということ。その苗字の弟が、亡くなった祖母の骨を沖縄へ持ち帰ったということ。

母は沖縄のどこに祖母の遺骨が埋葬されてるか聞いてるはずではあるが、それを書き残してはいなかった。その理由はわからない。ただ、電話帳に弟さんの名前電話番号が書かれていた。一度も電話することはなかったけれども。

私には沖縄ルーツとする遺伝子があるはずなのだけれども、戸籍がなんだかよく分からないことになっているので証明する手立てはない。

ただ、無口で気が強いという祖母という、周りの人から聞かされる印象が『沖縄出身』というフィルターを通してみると違ったものに見えてくる気がする。

無口なのは沖縄出身であることを隠すため。漏らさぬため。

気が強いのは、強く在らねば生きられなかったから。沖縄出身者のコミュニティにいれば居心地は悪くなかったろうけれども、大阪人達から差別を受け続け、港湾付近状態の良くない場所に住み続けるしかないわけで。それを抜けるには、そうするしかなかったのではないだろうか。

祖母沖縄へ帰らなかった。母がいたから。沖縄戦場になった時も、祖母沖縄へ帰らなかった。帰れなかった。だから戦争が終わったあとも帰らなかったし、連絡も取れなかったのかもしれない。

祖母の骨は半分沖縄へ帰った。

戸籍では繋がりがないけれども。でも、私の祖母なんだ。どこに埋葬されたのか、今の私ではもう探せないけれども。探すなら、母が生きてるうちに言いくるめてやれば良かったとは思うんだけど。今更言ってもしょうがない。

戦争中、首里城燃え落ちた時、それを聞いた祖母はどう思ったのだろう。帰れない故郷を思って泣いたのだろうか。

私が3歳になる直前に亡くなった祖母の心を今更知ろうとしても難しいけれども。祖母沖縄から大阪へ来て、何を考え、何を隠し、どう生きようとしたのか、もう少し考えてみたい。

2019-10-31

言霊」なるもの

先日、30代になったばかりの方と会話をしていた時のことだ。

「私もうおばさんだから
全然若いじゃないですか。あんまり自分のことおばさんとか言わない方がいいですよ」
「あっ、そうだよね。言霊ってあるもんね」
正直な所、この人は何を言ってるんだ?と思った。急に何をオカルトいたことを言い出すんだと。

しかし実際、世の中では星座占い手相なんかと同様に、「言霊」なる概念一定市民権を得ている。
一般的には「言葉には霊的な力が内在し、発することでその言葉意味通りの現象を引き起こす」という理解でよいだろう。呪術廻戦で狗巻がやってるアレだ。

本来ならばこういったスピリチュアルな話は信じたければご勝手にどうぞと言って提唱者と距離を置くところだが、この言霊というヤツに関してだけは少し話が違う。
霊力やら何やらはともかく、言葉に「力」があるという認識自体は正しいからだ。

言葉機能

言葉とは、我々の「意識の切り分け」を可能にするツールであると言える。
例えば「犬」という言葉によって、我々は「犬」と「犬でないもの」を区別することができるわけだ。
物の名前に限らず、喜び、怒り、悲しみといった感情もその名称によって漠然とした意識から切り分けられて初めて取り扱えるものになる。

言葉がなければ人の認識する世界もやもやとした掴みどころのないものになってしまう。その一端を切り取って、ある意味で強調する効果言葉にはある。

では、日常生活で人が言葉を使うとき、いったい何が起きているだろうか。
例えば私がトマトを持って「これおいしいです!」と言った場合聞き手は「おいしい」という事前情報を持ってトマト認識することになる。
私のことを信頼している人や、人の意見に流されやすい人はトマトに対しておいしいという先入観を持ち、逆に警戒心が強い人などは「おいしくないんじゃないか」という目でトマトを見る。
また、いずれにしても私の発言を聞いた人は「おいしさ」という評価基準第一トマトに向き合う可能性が高く、万人が事前情報ゼロの時と同様に、ニュートラルトマトに相対することはなくなる。

これが言葉の持つ一番の分かりやすい力だ。口コミ効果と名付けてもいい(もっとまともな名前が既にありそうだが)。

この口コミ効果(仮)によって人はそれこそ宣伝をしたり、不用意に他人を傷付けたりする。
「太ったね」という言葉をかけられ、ショックを受けた経験を持つ人は多いだろう。いわゆる「言葉が刺さる」という状態だ。
これは他人の「太った」という言葉自身の「太っている」という属性を明確に認識させられ、その印象が先鋭化することで起こる。
妻に「かわいいね」と言い続けると本当にかわいくなってきた、みたいな話も同じ理屈が通じる。

他人をある言葉記述することはその人をその言葉タグ付けすることを意味するので、特にマイナス表現は慎重に使わねばならない。
仕事ができなくて「使えねえな」と言われてしまった人は、自分に付いた「使えない」というタグを一度は背負うことになる。「んだとコラ」と奮起できればいいが、その余波は暴力の形を取っても不思議ではない。
考え無しの悪口はやめようねという話。

ところで、言葉を発している方はどうだろうか?

発言者に返ってくるもの

知人に悪口がめちゃくちゃ得意な男がいる。
とにかく人の汚点を見つけるのが早く、それをイジって笑いにしようとする。
人を笑わせるための彼なりのスキルではあるのだから悪質ではないが、じゃあ問題がないかと言われると到底そうは思えない。
彼は自分の話をするにしても自分能力不足であるとか、才能の無さに話のオチを持って行こうとするきらいがあり、恐らくこれは彼自身意識していることではない。
聞いている方としては「自分もそうだよ」「あるある」同調はできても、気持ちの良くなる話では決してない。どうしてこんなことが起きるのか。

スマホ等の予測変換では、直近に使った言葉が一番上に出てくる。それと同じ現象は、頭の中でも起きている。
要するに、普段使っている言葉はパッと出てくるということだ。
これ自体別になんでもない。普段からヤバイヤバイ言ってる奴は別にヤバくなくてもヤバイ言うってだけの話だ。

ただ、ある言葉をよく使っていると、次第に人格のものがその言葉侵食されていくことがある。
経験したことはないだろうか。幼稚園の頃は一人称が「ぼく」だった子が小学校で「おれ」に変わり、以前より気が強い子になったように感じたことを。
妻のことを「お前」と呼ぶようになった夫が、妻に対してぞんざいな態度を取るようになることを。

当然こうした変化は複合的な要因の産物であり、態度が変わったか言葉が変わったという逆の影響もあるだろう。
しかし、それと同時に言葉人格に影響を及ぼしているというのもまた事実だと考えられる。
上述した「意識の切り分け」が発言者の中でも起きていて、その言葉リンクする意識が先鋭化しているということだ。
普段から死にたい」と繰り返している人は別に死にたくない時でも「死にたい」と口走り、そのうち自分は死ななきゃいけない人間なんだと心の底から思い込むようになる。理由もなく。言葉の力によって。


この先鋭化はただ頭の中で考えているより明文化すること、さらには実際に口に出すことでより顕著に効果を発揮する。
部活円陣組んで「絶対勝つぞ!」とかやったことある人は多いだろう。あれが典型例だ。
口に出した言葉は音になり、耳を通じて自分の頭の中で反芻される。この一連の流れで意識付けを強く行い、「勝つ」という目標を明確にする。

風呂入るのめんどくさいな…とぼんやり考えることが多い人は一度、「風呂入るか」と声に出してみてほしい。
やる気の入り方がぼんやり考えているだけの時と段違いなはずだ。言ったからには風呂に入らなきゃいけない気がしてこないだろうか。

このあたりが一般に「言霊」と呼ばれる言葉の力の正体だと私は考えている。つまるところ、意識の先鋭化だ。

話し手にとっても聞き手にとってもこの先鋭化は起こり、ある種その言葉エネルギーを持たされた状態になると考えてもよい(決してスピリチュアル意味ではない)。
冒頭の話で私が言いたかったのは、「私もうおばさんだわ~」とか言ってると本当におばさんになるからやめとけということだ。

ナントカ伝言のように「ありがとう」と声をかければ水が綺麗になるなんてことは一切ないが、人間の方は感謝気持ちを思い起こし多少優しくなるくらいの効果はあるのではなかろうか。
私自身、「いいね」とかの肯定的言葉を多く使うようになって心が安らかになった自覚がある。
安らかになりたいあなた、ぜひお試しあれ。

というわけで、風呂に入ってきます

2019-10-30

anond:20191030152150

違うぞ

上級国民>>>国>>>>>>>>>国民

だぞ、国のこと考えたらおかしいことも沢山してるけど、上級国民に対しての裏切りはこれまでしてきてない。

ぼんやりと見てる人には保守に見えるし、リベラルからみても上流に対しての政策ばっかだから保守に見える。

anond:20191030161825

そんなことより聞いてくれよ

昨晩中華料理店唐揚げ食べたんだけどさ

オフホワイトの四角い皿にごつい肉がいくつももられてきて

かりっとして衣が分厚くてハーブも入ってて美味いけど

少し味にしまりがない気がする

 

たべおわりごろにぼんやりと皿みて急に気づいたんだが

皿のすみっこ花椒塩が山になってた

 

みえねえよ!

アルミカップにいれてくれよ!!!

 

追記:あれっいつのまにか元増田よりブクマ稼いじゃった★

anond:20191030125325

ここは脳みそをお砂場で遊ばせて自分ぼんやりそれを眺めてる場所から基本つまんないよ。

死にたい」は「救われたい」だ。

あなたの「死にたい」は「かまって」でしょ」

この言葉を私に投げかけたのは当時の会社の同僚だった。

彼女は私の同期にあたり、同じ部署で働いていた。お昼に数名の仲間とランチに行ったり、プライベートで出かけることもあった。

入社して2年ほどたった頃、彼女は私に好きな人ができたこと、その相手がSという男であることを打ち明けた。

Sは別の部署で働く同期だった。私は彼と入社当初から知り合っていて、彼が片想いであることを知っていたため彼女には「そうなんだ、がんばって」などというありきたりな返答しかできなかった。

彼女は私がSと仲が良いことを知っていたが、「仲を取り持ってほしい」などと言ってくることはなかったしする気もなかった。私は彼と友人であり今までの距離感を不自然に変えることは避けたかたからだ。

しかし2年の付き合いともなると距離も縮まり、その距離感によって彼女は私に怒りを抱いた。

話は変わるが私は昔から希死念慮に苛まれている。本気で死にたいと何度も思ったし泣いて夜が明けることもあった。

そしてそんな暗い胸の内をよくTwitterで呟いていた。何人かの友人だけと繋がっているだけのアカウントだったが、そのフォロワーの中に彼女も含まれていた。

彼女は私への怒りを、私に見えるように呟くようになった。そして出てきたのが冒頭の言葉である

実際には私の名前を挙げることはなかったが、誰が見ても私だとわかる文面だった。

この言葉を見たとき、私は「それは違うな」とぼんやり思った。「死にたい」と確かに私は思い、それを呟いた。

彼女曰く、本当に死にたいと思うならとっくに死んでいるだろうという。「死にたい」と呟くだけで今も生きている私は本当は死にたいのではなく「かまってほしい」だけだろう、ということだそうだ。

彼女に言わせてみれば私は「死にたい」と思いながら死ねない死に損ないのかまってちゃんなわけだが、この言葉がずっと引っかかるようになった。

私にとっての「死にたい」には何が隠れているのだろうと考え、至った答えは題名の通りである

私は救われたいのだ。

この漠然とした不安から。自らへの嫌悪から。どうしようもない自分から

自分を好きになることもできず、未来希望すら抱けず、ただ日々をこなし「死にたい」と思っても踏み切るほどの勇気も出ない。結局私は「死」を選びきれない。

そんな現状から脱したいからこそ「死にたい」と宣うのだと思う。

他人にそれを望んでいる点で言えば「かまってほしい」という言葉あながち間違いではないのだが。

そういうことをこの数年間考え続けてきた。いまだに死にたいと思うしTwitterで呟くこともあるが、もう彼女とは縁が切れているし他の友人はそんな私を心配してくれるいい子たちのためTLはとても平和だ。

私はもう転職しているし彼女に会うこともこれを伝えることもないだろうが。

2019-10-29

「男女逆にしたらこうなる」系の表現をいくつかぼんやり考えてみたけど

一番「あかん…これはガチあかん…」となったのは、

ブルマじゃなく少年悟空エッチ要求をする亀仙人だった

対称性が完全イコールにはなっていないのはわかってる)

別にこの例を以て何かを主張したいわけじゃなく、軽い気持ち想像したらビックリするほどやばくなったから、誰かに話したかったんだ

武天老師様のことは大好きです

anond:20191029160524

そうだよ。ぼんやりと不死が好きなんだ。

それに不死の定義って誰が決めてもいいんだぜ。ただ、絶対的定義存在するわけじゃない。多様性があるんだ。そこが面白いんだけどな。

本気で絶対に死なない不死でもいいし、太陽けが弱点の不死でもいい。

君は単に他人志向ケチをつけたいだけなので、あまり相手にする気はしないな。

2019-10-27

推しカプの攻が最終回で女と結婚した

タイトルの通りである。この文章タイトル以上の何がしか存在しない。面白いオチも無い。所謂お気持ち文章という奴なので、余程暇か、同じ境遇で涙を飲んだことのある腐女子以外は読まないだろうなと思って書いている。ただただ私個人慟哭が続くだけであり、意味はなさない。そういったことをご了承頂き読み進めて頂きたい。

それからタイトルで嫌な予感がした人は読まない方がいいと思う。NLで好きなカップリングがある人も避けた方がいい。これは別に読んではいけないというのではなく、単に無意味時間を過ごさせる自信があるからだ。

私がハマっているジャンルは「食戟のソーマ」という週刊少年ジャンプで連載していた料理バトル漫画だ。

「ああ、あの、メシを食うと女の子の服が脱げるやつだろ?」

そう、それである。実際には男の子もおじさんもおばさんもおじいさんもおばあさんも建築物もみんな脱げるが、ともかくそ漫画だ。

ジャンプ本誌での連載を終え、その後ジャンプGIGA(ジャンプの別冊雑誌)で短期連載していた後日談最終回を迎えた。ここで言う「最終回」はそのジャンプGIGAでの最終回のことである

ここからはその最終回を含めたファンブックネタバレもあるので注意されたし。

最終回配信日、夜中を前に私はスマホを前にうろうろしたりもんどりうったり神に祈ったりして配信を待った。具体的には友人たちに、「最終回を迎えた後の精神状態に異常を来たす可能性が非常に高い。ついてはLINEがめちゃくちゃ荒れるかもしれないが今回ばかりはご容赦願いたい」というLINEを送り、「用意周到過ぎでは?」「骨は拾うからな」などという優しいお言葉を頂戴して過ごした。

今まで推しジャンルが最も推している最中最終回を迎えたことのなかった私は、最終回という現実自分の身が耐えられるかわからなかったのである特に最終回では「未来の話」をやるという予告が最初からあったため、主人公・幸平創真くん(推しカプの受)の結婚エンドや子どもができているエンドがあるのではないかとずっと怯えていた。最近ジャンプではNARUTO然りBLEACH然りそうした最終回が多かったので、もう物凄く怖かった。そういったエンディングが悪いとは言わないが、それまでナルト一護応援してきたのに突然知らない子ども未来を託されても全然感情移入できなかったのである

そして0時。心臓が異常な爆音を奏でる中、最終回配信された。震える手でページをめくった。

正直な話、良かった、と思った。

最終回概要を述べると、25歳になった主人公たちのその後が描かれ、今後もそれぞれのフィールド料理の道を極めるぜ、みたいな終わり方をした。

主人公である幸平創真くんとヒロインの一人である薙切えりなさんの間に恋心のような特別感情が芽生えているという表現はあったものの、その描き方が絶妙で、明確に付き合ったり結婚したりという宣言は無かった。各キャラの進路やビジュアル変更について色々物申したい事があったが、とにかく結婚エンドは免れたのである

よかった。へとへとになったものの、私はひとまず布団に横になった。そしてよりにもよって感想検索してしまった。これがいけなかったのだが、感想の中に見つけてしまったのである

葉山くんの指輪相手はきっと汐見先輩だよね!」というような言葉を。

ハ?指輪…?

慌てて最終回を読み返すと、確かに葉山アキラというキャラクターの左手薬指にはあったのだ。どう考えても結婚指輪しか見えないものが。

その葉山くんこそが、アキ創という私の推しカプの攻めだったのだ。

荒れた。

翌日は一日潰れていた。元々の体調不良もあったのだが、完全に気がふれてしまっていてダメだった。

食戟のソーマを2巻くらいまでしか読んでいないオタクのために葉山アキラというキャラクターについて簡単解説すると、超嗅覚というめちゃくちゃ高性能の嗅覚を持った主人公ライバル料理人で、プライド高めの銀髪褐色だが心を許した相手には世話焼きオカン気質になるイケメンである

彼が幼少期、海外スラム街で親もなく彷徨っていたところで、スパイス取引で騙されそうになっていた汐見潤という女性を助ける形で出会う。彼女スパイス研究者であり、葉山の超嗅覚に着目した。日本に連れてこられた葉山汐見のもとでスパイス研究者料理人としての道を歩むようになる。それもこれも潤のため。自分を救ってくれた彼女の恩に報いたいと努力し続ける。

…というようなキャラクターで、これまでも彼女とのフラグガンガンに立っていた。葉山自身汐見先輩には自分がいないとダメだみたいな台詞を何度も言っていたし、秋の選抜という一年料理大会で優勝した時の彼は汐見先輩を抱きしめていたし、彼女人質にとられて闇堕ちしたりしている。(なお闇堕ちからは創真くんが彼を救っている)

自分で書いていて「そりゃくっつくよな…」的な要素しかない。声を担当されている某方がおまけVTRで「彼は多分女性として汐見先輩のこと大事に思ってると思いますよ」的なことをおっしゃっていたこともあり、いい加減な発言をされない声優さんからきっと原作サイドからもそういう話があったんだろうとは思っていたが…。

それに理解る(わかる)。きっと葉山くんは遠月を卒業と同時に汐見先輩にプロポーズして、けれどまだ未成年から20歳になってからという条件をもらって20歳にゴールインしたんだろう。もう手に取るようにわかる。私の推しカプ、アキ創なのに。なんでやねん

だが問題は、最終回汐見先輩が一ミリも出てこない上に、指輪相手についても全く触れられていないことだった。ただ指輪のはまった薬指があるだけ。絶妙にぼかされている。それは我々への思いやりなのか、それとも葉山くんと汐見先輩の間に年齢差が10歳以上あるため明言を避けたのかは未だに不明だ。

LINE告知していた皆に案の定悲しみLINEを送ったところ、「ジャンプ生殖エンドじゃないのは評価に値する」「もしかしたら創真くんとのペアリングかもしれない」「モテるから他の女の子を散らすためのファッション指輪じゃない?」などご提案を頂いた。ありがたいことに別ジャンルなのに二次創作会話文まで送ってくれた友人もいた。ありがとうございます。もちろん創真くんが指輪をしていないかしまくりました。首にチェーンがないかも目を凝らして見ました。無かった。それも伝えたら「そりゃお前、創真くんは指輪なんかに頓着しないから無くしたんだよ」って言ってくれてありがとう推しは頓着しませんが私は頓着しまくっています

なお職場の後輩男子に伝えたら「え…そりゃそこがくっつくと思うんですけど…」って戸惑いがちに言われた。わかってるよそんなの!課金してまでアニメソーマ見てくれてありがとうな!君が作って差し入れてくれた化けるふりかけご飯おいしかったよ!でもやめてよそういう正論で殴るの!…というお気持ちになった。

だが、事態はこれでは終わらなかった。

勝手に受けた時間差爆撃で頭がクラクラしている所で、最終回と同時に二つの重大発表があったのを思い出したのだ。一つはアニメ4期決定。そしてもう一つは、ファンブックの発売決定である

アニメはもちろんのこと、ファンブック食戟のソーマファンは多分みんな待ち望んでいたもので、私も純粋に嬉しかった。

しかしハッとした。

もしかしてファンブックであの指輪話題に触れられてしまうんじゃないか?と。

そこからは更なる地獄の幕開けだった。ジャンプGIGAでの最終回からファンブック発売までは1ヶ月以上あり、その間「ファンブックであの指輪について何か言及されたら死ぬ」とずっと思っていた。もう葉山くんと汐見先輩がくっついたと決めつけて脳内妄想浮気ものにしたくらいの荒れようだった。

ファンブックについては2019年10月27日現在電子配信があるが、発売当時は書籍のみだったので、当日に確実に読めるようにAmazon楽天hontoで予約して、近場の本屋も何軒か回って予約した。考えられないかもしれないが私が住んでいる地域ではジャンプ単行本の発売日が一日遅れる。本屋は無理だろうと思っていたが、それでも最後くらい売り上げに貢献したかったし、…今思えばそれよりも、駆けずり回っていると気が紛れたのかもしれない。

ファンブック発売日、仕事から帰ってきて最初から順番に読んでいった。

原作者の先生によるキャラ紹介のところに差し掛かる。葉山くんのページにも汐見先輩のページにも結婚文字は無かった。

しか先生へのインタビュー記事の中に、その記載はあった。その小さな「こぼれ話」という記事自体、「元々は創真とえりな結婚させるエンドにするつもりだった」というものなのでジャブとしてはかなり強力だったのだが、最後にこう付け加えてあった。

ちなみに、最終話では葉山けが唯一薬指に指輪がありましたね。きっとね、恐らく…あとはご想像にお任せします。


はい!死!!!!!

空笑いというか、やっぱりなというか。全身の力が抜けた。

急所を正確に突かれてやられてしまった。

この文章の凄いところはそれでも「結婚」の二文字を頑なに出さないところで、あの指輪が何の意味で誰との間の物なのか情報としてはゼロということだ。ある意味二次創作者には優しい。

でも、身勝手な言い分だとわかっていても、他の誰も結婚していないのに、葉山くんだけどうしてと思ってしまった。

他のキャラをくっつけるとファンが暴徒と化すから?(特に創真くんがどのヒロインとくっつくかについては論争が凄かったようだ。)でも葉山くんと汐見先輩はほぼ公式みたいなものから大丈夫だと思った?単純に公式推しカプだった?

私がこんなにもショックを受けていても、周りはそうでもないみたいだった。そもそもソーマクラスタの友人がそんなにいないので全体がどうだったのかはわからないが、感想検索した限りではおめでとうとかよかったねとか、当たり前に二人の関係を受け入れる文言ばかりだった。

元々その二人が好きな人たちが喜ぶのはわかるが他カプクラスタの人たちが祝福しているのも見て、「ああ、これを喜べないファンは私だけなんだ…」と膝をついた。だから二人をくっつけるエンドにしたのかな、だってこの世でこんなに醜く喚いてるの、私だけだもんね。そんな風なことを思って苦しかった。

ジャンルに喩えて恐縮だが、あっちが刀剣乱舞ならこっちは歴史修正主義者なのである歴史という概念としての正しさで言えば向こうが圧倒的上。こちらがどんなに原作を読み込んでも、些細なやりとりに萌え見出しても勝てる筈がない。もちろん上下や勝ち負けなんていうもの二次創作界隈には無いし、意味もない。彼と彼女のカプを好きなファンの人たちと交流ほとんどないけれど、偶然出会った折には皆さんとても優しく接してくれる。カプは何なんですか、と問われるとちょっと困るけれども…そりゃ刀剣男士も隣に突然歴史修正主義者が現れたら驚くよね…ごめんね…という気持ちになる。

つらつら書いたが、ファンの中ですらひとりぼっちになってしまったみたいで、みんなと同じように楽しめなくて、自分だけ公式から置いていかれたみたいで、悲しかった。公式から認知されていないファンなのかなとか(むしろ認知されていたら困るのだが、この時は理性もなくなっていた)、自分勝手にぐるぐる考え込んでしまって鬱々とした。

心にぽっかり穴が空く、という表現があるが、この時の私は頭にがらんどうの穴が空いていた。考えるだけでつらくなるから妄想すら躊躇われて、大好きなカプなのにできるだけ考えないようにしようとしていた。

空いた穴を埋めたくて現実逃避したくて、久しぶりに他のアニメを見たり、他のゲームをしたりしてみた。でも何をしても推しカプ変換してしまう。パロったら楽しそうだなとか、中の人が同じだなとか、トロ推しカプの知識を授けよう…とか、そんなことばかりだった。

さっき突然刀剣乱舞の話を引き合いに出したが、とうらぶも好きだったので、そちらで妄想息抜きをしようかなとも一瞬思ったが、まるで逃げ道に利用しているみたいでダメだった。とうらぶの私の推しに顔向けが出来ない。

何をしても楽しくなくて、しんどいなあと思った。指輪ネタも無理になってきた。今後どのジャンルでも指輪を贈るネタが無理とか笑える、と笑っていた。

だが、自分傲慢だなと感じ始めてもいた。

かに自分の思い描いた形になってほしいという理想押し付けるなんて、なんて傲慢なんだろう。それは作者様に対しても、他のファンの人たちに対しても、作品の内容に対しても。

結局のところ、「自分がどうありたいか?」ということしか私の自由にできる事はない。それがわかってはいても認めるのがずっと辛かったんだなと思う。

それから自分妄想推しカプをあんまり卑下するのも良くないな、と思った。マイナーカプでも、公式から半ば否定されても、私が好きになった二人だから自分勝手大事にしたいと思う。

私にできるのは妄想することだけだから、今後も自分萌えている内は推しカプについて考えていくしかない。苦しい気持ちや後ろめたい気持ちを抱えては、時折下ろして一休みしながら。

…などとまともなことを書いてはみたものの、正直に言うと一日一回は推しカプがくっつかない世界に未練はないので明日地球が終わらないかな?とか思ったりする。何を生き甲斐にしたらいいのかよくわからない。そんな風にぼんやり生きている。

余談だがAppleMUSICに入ったので推しカプソングにできないか色々聞いていたらOfficial髭男dismの「Pretender」を聴いてしまった。コンフィデンスマンJPの曲ということくらいしか知らなかったのに歌詞で死にかけた。

君とのロマンス人生柄 続きはしないことを知った

もっと違う関係で もっと違う設定で

出会える世界線 選べたらよかった


……。

このお気持ち文章を書く前に読んでいた記事でも別のオタクの方がこの曲を推しとの別れの曲としてとらえており、だからApple MUSIC一位なのかな…などとぼんやり思った。

お気持ち文章は以上で終わりです。面白いオチも何もなくてすみません

あーでも、本当に萌えるんだよなアキ創!!!!!

食戟のソーマ21〜23巻にアキ創の料理バトルが収録されています。攻めが受けを俺の天使します。よかったらそれだけでも読んでください。よろしくお願いします。あと最終巻36巻に何回読んでもよくわからない葉山くんによる「俺の幸平創真語り」があります

あと何故だかよくわからないのだが原作以外からは推されることが多くて、今回大阪であったコラボカフェでも上記料理バトルで二人が出した料理が同じプレートにセット盛りされてきた。美味しかった。ありがとうございます

最後に、友人から送られたLINEが強かったので載せておきます。同じように苦しむ腐女子に届きますように。

容認し難い公式情報は『見なかったことにする』もファンの立派な行動だから真正から受け止めるのも考えものだぜ

強い。でも二次創作する上では正論かもしれないな…。

初めて本気で人を殺したいと思った話(かつての同僚Tのこと)

昨日、胃痙攣を起こして、胃液もどしつつ、苦しい中、ぼんやり、かつての同僚Tのことを考えてた。


私が初めて胃痙攣を起こしたのは、29歳頃で、仕事ではデスマーチ(デスマ)の真っ最中だった。

過労と睡眠不足が重なって、身体限界だったんだろうね…。でも、突然、すごい目眩不快感吐き気が一度にやってきて、原因も分からなくて号泣しながら便器にゲーゲー戻してた。 それ以降、くせになっちゃってるから、もう10数年のお付き合いになる。

同僚Tとは、その頃一緒にデスマを乗り切った頼れるやつで、「業務システムとかやってたら、身体持たないから、IT業界も辞めたい」とか真っ先に私が相談したのも彼。 会社辞めて、2年位ニートやってた時も、都度都度飲みに誘ってくれたっけ…。

結局、その後彼も身体壊して(慢性疲労症候群鬱病だったらしい)、会社をやめて、それから転々としてた。 結局、無理が効かない身体になると、仕事をロングスパンで続けられなくて、どんどん蓄えもなくなって、それに伴って精神状態もどんどん悪くなっていった。

宮城県出身の彼は、3.11家族と大半の親族を失ったことが決定打だったかも。 喪失感で、頼れるのは一緒に住んでる猫だけ、生活保護アルバイトプログラム下請けで、なんとか喰ってる感じだった。 私も、彼には立ち直って欲しくて、金を無心されて、家賃の建て替えとかしてあげた。 40万くらい貸してたんじゃなかろうか。

2年前のある日、警察から電話あって、彼が死んだことを知る。 飼っていた猫が死んで、もう生きていけなくなったか自殺したらしい。

遺書には、あなたのことが書いてあって、死後のことは任せたい、とあるのですが」

もうこの時ね、彼を殺したいと思ったよ。 っていうか、もう死んでるんだけどさ。 少なくとも、責任感の強い奴だったから、金は返してくれると思ったし、もう一度立ち直る姿を見せてくれると信じてたから、裏切られた気持ちで、悔しくて、久しぶりに声を出して泣いた。

熱い胃液を戻しながら、「もう一度久しぶりにTに会いたいな」と脳裏では思っていた夏の夜だった。


2015年07月27日日記転載です

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