2019-11-02

おっさんずラブ」は母への殺意を救うか

50代の私の母は、ドラマを見ることだけが趣味の、専業主婦だ。

取り立てて悪いところもなく、派手でもなく地味でもなく、子供には少しお節介な、ごく一般的なおばさんだ。

対してその娘の私は、アラサー社畜だ。

母娘関係は、決して悪くはない。

しろ良好だとさえ言える。

だが、母に対して、澱のように溜まっていく思いがひとつだけある。

私は、レズビアンなのだ

だが、それを母にうちあけることは生涯ないだろう。

母は、心優しい人間だと思う。

ドキュメンタリーに涙し、ニュースに憤り、親戚や友人だけでなく、隣人や知り合いにも親切だ。

だが、そんな母が顔を歪めることもある。

たとえば、マツコ・デラックスを見たとき

たとえば、レインボープライド同性婚ニュースを見たとき

「生きていて、恥ずかしくないのかしら」

「どうしてこうなってしまうのか理解できないわ」

「言ったら悪いけれど、化け物よね、この人たち」

そのたびに私は曖昧に笑う。

いま貴女の横に化け物がいるのよと言えないまま、何かが自分の中に積もっていくのを感じている。

母は優しい人なのだろう。

でも、その優しさは、彼女の狭い常識埒外にある「化け物」には向けてもらえないのだ。

今日たまたま実家に帰ることになり、久しぶりに母と夕食を共にした。

母が何気なく言った、「今日の夜見たいドラマがあるのよね、おっさんずラブ?とかいうやつ」という言葉に私は凍りついた。

「それって、貴女の嫌いなやつよ」と咄嗟に言いそうになって、私はそれを飲み込んだ。

勿論、前回あれだけの反響を残したドラマだ。私は見てはいないが、友人にもファンは多く、内容はなんとなく知っている。

ショックを受けたまま相槌を打っていると、どうやら母は前作の内容を全く知らないで見始めようとしているらしかった。

私は最後まで何も言えず、帰り支度を始めた。

今、電車の中で、胃の腑で煮えそうな何かを反芻しながらこの文章を打っている。

多分母は明日、「見たら同性愛の話だったわ。騙された。気持ち悪いドラマをやるのね、今時は」と、連絡してくるのだろうと思った。

そして私は「そうなんだ。それは残念だったね」と返すのだろう。

可愛らしくしょんぼりしたウサギスタンプかなんかをつけて。

そしてきっと、殺意に似た何かを、静かに噛み締めることになるのだろう。

でも、もし、と思わずはいられない。

もし、このドラマが、母の何かを変えてくれるのなら、と、子供じみた願いを持とうとする自分が恨めしい。

家についたら、きっと私も「おっさんずラブ」を見るのだろうな、と今ぼんやりと考えている。

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