2019-10-31

言霊」なるもの

先日、30代になったばかりの方と会話をしていた時のことだ。

「私もうおばさんだから
全然若いじゃないですか。あんまり自分のことおばさんとか言わない方がいいですよ」
「あっ、そうだよね。言霊ってあるもんね」
正直な所、この人は何を言ってるんだ?と思った。急に何をオカルトいたことを言い出すんだと。

しかし実際、世の中では星座占い手相なんかと同様に、「言霊」なる概念一定市民権を得ている。
一般的には「言葉には霊的な力が内在し、発することでその言葉意味通りの現象を引き起こす」という理解でよいだろう。呪術廻戦で狗巻がやってるアレだ。

本来ならばこういったスピリチュアルな話は信じたければご勝手にどうぞと言って提唱者と距離を置くところだが、この言霊というヤツに関してだけは少し話が違う。
霊力やら何やらはともかく、言葉に「力」があるという認識自体は正しいからだ。

言葉機能

言葉とは、我々の「意識の切り分け」を可能にするツールであると言える。
例えば「犬」という言葉によって、我々は「犬」と「犬でないもの」を区別することができるわけだ。
物の名前に限らず、喜び、怒り、悲しみといった感情もその名称によって漠然とした意識から切り分けられて初めて取り扱えるものになる。

言葉がなければ人の認識する世界もやもやとした掴みどころのないものになってしまう。その一端を切り取って、ある意味で強調する効果言葉にはある。

では、日常生活で人が言葉を使うとき、いったい何が起きているだろうか。
例えば私がトマトを持って「これおいしいです!」と言った場合聞き手は「おいしい」という事前情報を持ってトマト認識することになる。
私のことを信頼している人や、人の意見に流されやすい人はトマトに対しておいしいという先入観を持ち、逆に警戒心が強い人などは「おいしくないんじゃないか」という目でトマトを見る。
また、いずれにしても私の発言を聞いた人は「おいしさ」という評価基準第一トマトに向き合う可能性が高く、万人が事前情報ゼロの時と同様に、ニュートラルトマトに相対することはなくなる。

これが言葉の持つ一番の分かりやすい力だ。口コミ効果と名付けてもいい(もっとまともな名前が既にありそうだが)。

この口コミ効果(仮)によって人はそれこそ宣伝をしたり、不用意に他人を傷付けたりする。
「太ったね」という言葉をかけられ、ショックを受けた経験を持つ人は多いだろう。いわゆる「言葉が刺さる」という状態だ。
これは他人の「太った」という言葉自身の「太っている」という属性を明確に認識させられ、その印象が先鋭化することで起こる。
妻に「かわいいね」と言い続けると本当にかわいくなってきた、みたいな話も同じ理屈が通じる。

他人をある言葉記述することはその人をその言葉タグ付けすることを意味するので、特にマイナス表現は慎重に使わねばならない。
仕事ができなくて「使えねえな」と言われてしまった人は、自分に付いた「使えない」というタグを一度は背負うことになる。「んだとコラ」と奮起できればいいが、その余波は暴力の形を取っても不思議ではない。
考え無しの悪口はやめようねという話。

ところで、言葉を発している方はどうだろうか?

発言者に返ってくるもの

知人に悪口がめちゃくちゃ得意な男がいる。
とにかく人の汚点を見つけるのが早く、それをイジって笑いにしようとする。
人を笑わせるための彼なりのスキルではあるのだから悪質ではないが、じゃあ問題がないかと言われると到底そうは思えない。
彼は自分の話をするにしても自分能力不足であるとか、才能の無さに話のオチを持って行こうとするきらいがあり、恐らくこれは彼自身意識していることではない。
聞いている方としては「自分もそうだよ」「あるある」同調はできても、気持ちの良くなる話では決してない。どうしてこんなことが起きるのか。

スマホ等の予測変換では、直近に使った言葉が一番上に出てくる。それと同じ現象は、頭の中でも起きている。
要するに、普段使っている言葉はパッと出てくるということだ。
これ自体別になんでもない。普段からヤバイヤバイ言ってる奴は別にヤバくなくてもヤバイ言うってだけの話だ。

ただ、ある言葉をよく使っていると、次第に人格のものがその言葉侵食されていくことがある。
経験したことはないだろうか。幼稚園の頃は一人称が「ぼく」だった子が小学校で「おれ」に変わり、以前より気が強い子になったように感じたことを。
妻のことを「お前」と呼ぶようになった夫が、妻に対してぞんざいな態度を取るようになることを。

当然こうした変化は複合的な要因の産物であり、態度が変わったか言葉が変わったという逆の影響もあるだろう。
しかし、それと同時に言葉人格に影響を及ぼしているというのもまた事実だと考えられる。
上述した「意識の切り分け」が発言者の中でも起きていて、その言葉リンクする意識が先鋭化しているということだ。
普段から死にたい」と繰り返している人は別に死にたくない時でも「死にたい」と口走り、そのうち自分は死ななきゃいけない人間なんだと心の底から思い込むようになる。理由もなく。言葉の力によって。


この先鋭化はただ頭の中で考えているより明文化すること、さらには実際に口に出すことでより顕著に効果を発揮する。
部活円陣組んで「絶対勝つぞ!」とかやったことある人は多いだろう。あれが典型例だ。
口に出した言葉は音になり、耳を通じて自分の頭の中で反芻される。この一連の流れで意識付けを強く行い、「勝つ」という目標を明確にする。

風呂入るのめんどくさいな…とぼんやり考えることが多い人は一度、「風呂入るか」と声に出してみてほしい。
やる気の入り方がぼんやり考えているだけの時と段違いなはずだ。言ったからには風呂に入らなきゃいけない気がしてこないだろうか。

このあたりが一般に「言霊」と呼ばれる言葉の力の正体だと私は考えている。つまるところ、意識の先鋭化だ。

話し手にとっても聞き手にとってもこの先鋭化は起こり、ある種その言葉エネルギーを持たされた状態になると考えてもよい(決してスピリチュアル意味ではない)。
冒頭の話で私が言いたかったのは、「私もうおばさんだわ~」とか言ってると本当におばさんになるからやめとけということだ。

ナントカ伝言のように「ありがとう」と声をかければ水が綺麗になるなんてことは一切ないが、人間の方は感謝気持ちを思い起こし多少優しくなるくらいの効果はあるのではなかろうか。
私自身、「いいね」とかの肯定的言葉を多く使うようになって心が安らかになった自覚がある。
安らかになりたいあなた、ぜひお試しあれ。

というわけで、風呂に入ってきます

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん