はてなキーワード: 共有地の悲劇とは
と言うと、「いや、円などの法定通貨を維持するコストと比べると、ビットコインの環境へのコストは低い」と返ってくるだろう。
しかし、ビットコインは「暗号資産」と呼ばれてしまっている通り、貨幣の機能である「価値の保存、決済手段、価値尺度」のうち、決済手段の機能を持たない。持たないというより、決済手段としてあまり使われていない。
もし日本円と同じ規模で決済手段として使われた場合、ビットコインの環境負荷は今よりも上がるのではないだろうか。
従って、ビットコイナーの言う「ビットコインの環境負荷は比較的低い」という言説はうんちである。
【主張】コロナと店名公表 私刑誘発の姑息な悪手だ - 産経ニュース
https://www.sankei.com/column/news/210111/clm2101110002-n1.html
これはまあ正論なんだけどさ。
でもねえ、日本社会の悪い所兼良い所って
「他人様に迷惑をかけない」「みんなが我慢してるのを破って迷惑かけたやつ村八分」というモラルであり相互牽制じゃん?
何故そんなもんが生まれたかって、この社会規範がまさにケガレとか伝染病とか色んな災厄を食い止めるからだよ。
「自分が良ければいいんだ」「やりたいことをやらせろ」っていう奴は安全で安定性の高い社会では新しい駆動力になることもあるけど
危機に瀕した場面では自分の感情だけで勝手にバリケード壊してセーフゾーンにゾンビを招き入れる定番の迷惑バカと同じ。
そういう奴を出した家ごと村の外に放り出して殺すぞ。
それが嫌なら周りに迷惑かけないように家族でちゃんと注意し合え。
周囲と相互に貸し借りを絶やさないようにしながら一蓮托生の意識を確認し合え。
村のみんなの川の水を独り占めしようとするなら生きていけなくしてやる。
一人一人がその独特の息苦しさで嫌な思いをすることはあっても
助かる人命は絶対増えてる。
豊かさや安全性が高まってきたらその息苦しさがただの不合理性になって
あーこんな田舎嫌だ都会に出るーって感じになってきてそれも合理性なんだけどさ。
いまこそ日本人の強みである村社会根性を発動するタイミングなんじゃねーの?
たとえば変異株持って帰ってきて隔離中に知人2人と会食してばっちり移したっていう奴。
もちろん公式発表とかは現代日本で難しいので、裏口からのリークだ。
そいつは仕事を失うし実家も引っ越しをしてさまよう羽目になるし会食相手の友達まで巻き込まれる。
じゃああいつも。こいつも。
民間の便乗含めて10人ぐらい特にケシカラン感染者や会食マンが晒されて私刑をくらう。
それぐらいやってみなよ。
あ、これ今はそういうフェーズなんだ。
みんなで足並みをそろえる時なんだ。
万が一隔離違反やクラスターかましたような奴がいたら全力で私刑しよう。
そういう空気が出来上がってみなよ。
「コロナ予防意識が甘い=みんなに迷惑かける悪」が世間の空気になった時の日本人は
元からそういう意味では強靭な方の社会だったけど、そろそろはっきり引き締め直す必要がある。
モラルって言うのは本質的にやべーものだけど、もっとやべーものが蔓延してる危険な環境では抵抗力になるんだよ。
我々はアベやスガに従ってるんじゃなくて世間の空気に従う国民だから。
はてなのリベラルだってコロナに感染しながらスーパー銭湯行っていいですか?とかほざく自分のことしか考えない愚民はモラルの下にリンチしたくてうずうずしてる。
ウヨもサヨも団結して頑張れるのは潜在DNAを刺激して村社会モラルを発動した時だよ。
こういうのはもちろん近代の自由主義の流れと完全に逆行するしそういう抵抗感はあると思う。
でも人の命がかかってるんだからさ。
これから増えるコロナ死者に「ポリティカリーにコレクトであることと引き換えにあなたは死んでください」なんて言える?
今一度村社会根性に戻って晒しと私刑を始めれば救える命があるんですよ。
どっちの悪を選んで何を掴むのか。
村社会の悪を選んで人命を掴むべきなのでは?
晒しと私刑は近代の社会にも普通に組み込まれている効率的メソッドなんですよ。
例えば大型脱税者の名前がマスメディアで報道されるのも国税局が裏口からリークしてるからだからな。
「一匹殺して吊っておく」を国税庁がやっているの。
韓国なんかは日本より危急時の法律が強いから不用意な感染者の晒しを公的にやれるらしいけど
日本はそんな法律なくたって世界1レベルにモラリスティックな遺伝子を眠らせているから。
でもあらためて要点を強調するための「バカな生徒の質問」として百点満点だから使わせてもらう。
我々日本人は政府やトップが主体性のある指導してくださる時より
世間の空気に従う時にこそ強い自制心を発動する民族だと言ってるんだ。
お前も日本人なら自分が自然に服するのはどっちか考えてみたらいい。
アベやスガの求心力なのか、世間の空気と「人に迷惑かけるな」という躾けなのか。
アメリカ人なんかはプレジデントのカリスマ性にうっとりして従うのが好きだ。オバマもトランプもうおおおお!!!ってなる国民が大勢いる。
日本ではあんな熱狂的な支持を受ける首相は保守にも革新にも表れないだろう。
自分が目立ちながら責任感ある演説ぶつことではなく、裏から手を回してケシカラン奴何名か吊って晒すことだ。
生きづらいぞなんて俺がはっきり書いてるだろ!
「息苦しくても近代の価値観に逆行してても人命の方が大事だよな?」って言ってんだ。
お前はほんとに国語0点ですげーよ。
今回は利用価値あったからいいけど、そこまで日本語読めないなら生意気にレスなんかしなくていいぞ。賛成反対以前じゃん。
閉じたコミュニティの掟や制限を受けるのは理解しても、公にして個人の人生を奪うのは下品の極み。そういう感性は理解できない。
後進的な悪のソリューションだと言ってんじゃん。
でも人の命がかかってるんですよ?
「あんたは品性のために死んでくれ」と言い渡すガッツでそれ言ってんの?
「弊害があるから」って選ばず検討せずなにもしないでタイミング流していくのも人殺しだからな。
そういう奴が一番多いんだけどさ。それで何らかの手を打った奴に対してこんなに弊害があるぞって批判だけ元気一杯やるんだよな。
私刑をなんだと思ってんだ?
語彙をまともに整備してください。
非常識ってのはつまり語彙がちゃんと揃ってないor精度が出てないやつのことです。
いや、本当にビックリするわ。
一匹殺して吊っておくカラスは極論無罪の濡れ衣でもいいだろうが。
こいつも話をまるっきり!理解してないよね。
3000人ちょっとでおさめてるのも我々の村根性DNAのおかげだろ。個人の権利だ自由だという意識より人様に迷惑かけんなという意識がガッチリ強い後進的国民性のおかげだ。
これ以上強く人命優先せんでもいいわってことならもちろんDNAブーストなしもオプションだな。
別にどっちの悪を優先しろとか特定方向へ説得する話する気はねーよ。
お前らだってお前やお前の家族が野放図に広まるコロナで死ぬ可能性考えてないんだから同じだろそれは。
それをやった太平洋戦争がどうなったか小学校で習ったことがないのかな。社会の価値観を単一に染めると別の脆弱性が生まれてどうなるか色々実例があるから調べてごらん
太平洋戦争が挫折したのはアメリカが日本より強かったからだよ。
今言ってるのは「総力戦で力を絞り出すときに村社会性より効率的なソリューションがあったのか」という話だ。
日本が限界まで効率を高めたって敵がそれより強けりゃ負けるが、それは効率を否定できる話か?
どうもあんたは妊娠後期くらいから思考力が弱りっぱなしのように見えるぞ。
誰が刑罰の話をしてんだよ。
法律や刑罰なんか関係ないところに国民性というものはあるぞと言ってんだ。
他にも何人かいるドヤ顔で憲法31条!とか言ってる奴らは、俺が近代的な人権精神尊重前提に同意してるように見えるのか?
頭が悪いとはまさにお前達のような奴のこと。
話の前提がわからない、相手がどういう奴かわからない、会話に当たってのフレキシビリティゼロで、どんな場面でも自分の覚え込んだ念仏唱えればタスク解決だと思ってる。
ほとんどの仕事や遊びで絶望的に使いでのない脳みそだろうそれ。
何を考えてどういうチューニングを加えながら生きてきてそんな絶望的な仕上がりの脳になったんだお前等は。
いやぁ、人間ってさらに愚かで残酷だから、ここで踏みとどまりたいなぁ私は。七人の侍を見直したくなった
わ。
自分の家が防衛線の外だと知った農民数世帯が村全体の防衛から抜けて自分達の家のみ守ろうと(守れるわけないんだけど)するんだけど、そこで普段穏和な勘兵衛が刀抜いて追いかけるだろ。
そんで腰抜かした農民に
「己のことばかり考える奴は、己をも滅ぼす奴だ!
今後勝手なことを言う奴は···!(軍規にかけてぶった斬る)」つって竹槍拾わせて列に戻らせる。
そのソリューションに合ってるのはハンセン氏病みたいなのだよな。
もう一歩進んでHIVくらいの感染力とキャリア数なら皆殺しでも追い付くかもしれない。
その程度のもん未読な訳ねーだろ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/news/20140714k0000e040217000c.html
上の事件と集まったブコメを読んで、色々と考えさせられたので、自分なりに簡単に書いてみる。
本人のウェブサイト中の以下のページによると、彼女は自分の女性器をスキャンして「プッシーボート」を作るためという名目でクラウドファンディングを募り、
出資者(又は募金者)に対して、貢献額に応じて、自分の女性器のスキャンデータを送付すると約束している。
その結果、以下のページによると、100万円が集まったそうだ。毎日新聞の記事によれば、30人以上が「出資」に応じたという。
(1)送付された女性器のデータは生データであり、特にアートとして加工・デフォルメされたものではない
(2)行為の全体を通じてみると、対価性のある形で(お金を貰って)女性器のデータを送付していたと判断される。
■2.ブコメで気になった点
・「どの程度リアルなだったんだろ?サイト見るとかなりデフォルメされたキャラみたいだけど」、
「バイブやオナホの図面とか仕様書をメールすると逮捕ってことにな」る、
「次はフィギュアの造形データで神奈川県警か京都府警によるタイーホだな」、
等のコメントについて。
今回の件では、デフォルメなしの生データが送付されている点が問題とされているので、
サイト上のデフォルメされたキャラや、バイブ・オナホ・フィギュアのように人の手で加工されたデータの問題とは、
一応切り離して考えるべきだろう。
また、「神社とかで御神体とかが性器型どったものとかあるけど、あの辺もアウトなんだろうか?」というコメントもあった。
もし、本物の男性器を勃起した状態で3Dスキャンし、それをご神体としてかついで回ったら、さすがにアウトだろう。
公衆の面前に晒され、ゾーニングができていないだけ、むしろこの件よりひどいとすらいえる。
ご神体の類は、生々しさを感じない程度にまでデフォルメされているから、問題とされていないのだと思う。
この点を考えていくと、では、解像度の低い3Dスキャンだったら違法にならなかったのか、という疑問が浮かぶだろう。
この解像度の程度については、結局、AV等に対する運用に照らして、モザイク程度まで解像度が粗ければ違法にならず、
それを超えて鮮明な解像度になれば違法だ、ということになるのだろう。
・「自分の体の一部を自分の意志で希望者にのみ公開することが違法なのは異常だと思う。」
しかし、このコメントをした人は、AV女優が無修正写真を自分の意志で希望者にのみ販売した場合にも違法とすべきでないと考えているのだろうか。
今回の件では、上述のように、対価性のある形で自分の身体のデータを配布していると考えられ、その意味では無修正ビデオの販売と同じ行為類型に区別されうる。
勿論、ゾーニングさえきちんとすれば、どれだけ猥褻でも規制すべきではないというのはひとつの見識であり、
私自身もその考え方にある程度共感するが、ブコメ者がそう思っているかはよく分からなかった。
・名前や年齢が出るのは可哀想という意見には、心から共感する。
今回の女性は、ネットベースで広く自分の活動を発信していたが、自分の実名や年齢は公表していなかった。
この件を機に、彼女の名前・年齢は広く世界へ公表され、しかも半永久的にネットの空間を漂うことになってしまった。
他方で、今回の犯罪は、被害者のいない類型の犯罪であり、事件の凶悪さというより物珍しさから報道されてしまったケースだと思われる。
これで実名・年齢が公表されてしまうのは、やや酷だなと感じる。
他方で、同じ理由で、私は、芸能人が実名・年齢を非公表にしていた場合は、軽微な犯罪で逮捕されたときにこれを報じるべきではないと思う。この点は議論があるところかもしれない。
とりあえず、思いついた点を挙げてみた。
他にも考えさせられるコメント等があったら、追記するかも。
■追記1:
3Dプリンタで性器の造形を出力できるデータ配布 漫画家「ろくでなし子」逮捕
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1407/14/news072.html
こちらは実名・年齢は報道されていない。記者の判断を全面的に支持する。
しかし毎日新聞が既に報道してしまった今、実名・年齢はネットに漂い続け、報道前の状態に彼女を戻すことは不可能に近い。
報道機関は、ネット社会の下で実名報道が昔よりも格段の不利益をもたらしうることを踏まえて、必要性の高くない案件では実名報道を控えるべきだと思う。
と言ってみつつも、共有地の悲劇問題の典型例のような状況であり、自主的な取り組みを求めてみても問題が解決する気もしない。悩ましい。
■追記2:
「ご神体は結構生々しいぞ」とのコメントを貰ったので、いくつか画像を見てみたところ、結構激しいのも中にはあった。
これは確かに生々しい。→http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-c1-61/ueda9162/folder/1500365/02/67093802/img_7?1401355162
自分が昔見たものは、左右対称にデザインされているなど形が「綺麗」に整えられ、膨張時に血管が浮き出る様やエラが張り出るような「生々しさ」はないものだったが、
世の中は広いなと改めて感じさせられた。コメントに感謝したい。
いただいたコメントを受けて若干補足しておくと、日本の判例におけるわいせつ性の有無の判断基準は、性的表現の内容や手法そのものだけでなく、
性器の表現が表現全体の中でどのような位置づけ・意味づけをされているかや、「芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度」、
受け手の好色的興味に訴えるものであるかという点をも、あわせて考慮することとされている。
そして、例えば性器そのものを写真で撮ったケースでも、メイプルソープの写真集のように、全体として芸術的表現の一部であると判断されれば、わいせつ性はないと判断されることになる。
(参考→http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/file/48617/olj_060_1_161_165.pdf)
ただ、性器を直接撮ったようなケースでは、芸術性が高いと認められないかぎりわいせつ性ありと認められるように思われる。
(上記の参考PDFでは、芸術性があることがわいせつ性該当阻却事由になると考えられると指摘している。)
この考え方からすると、メイプルソープ写真集のように高い芸術性が認められる場合や、道祖神信仰の対象であると認められる場合には、例外的にわいせつ性が阻却されうるものの、
今回のように、単に自分の性器のスキャンデータを送付した場合には、芸術性はないとして、わいせつ性を否定する理由なしと判断される可能性が高いように思う。
「ろくでなし子」氏としては、性器をかたどったゴムボートの制作資金を集めるために性器のデータを配布する、その一連の行為が全体としてアートなのだ、
と主張することもできるかもしれない。作品だけでなく、その制作過程をも公表することで、活動全体をアートとして位置づけるという理屈だ。
私の大学に企業の推薦内定を受けておきながら、他企業の自由面接を並行し、最終的には推薦内定を蹴って自由に行った人間がいる。説明しておくと推薦応募をする場合には自由で内定をもらったとしても、推薦で内定すればその企業に行くのが暗黙のルールである。ただし法律的な罰則もないし、それが元で卒業を妨害されたりすれば大学の問題である。これはいわば個人のモラルに依るのである。
一方で、これは企業側と大学側の見方であって、学生側から見れば推薦をもらった企業に必ずしもいけるわけでない時代に、推薦一本に絞らせるのは一方的に不利だとの見方ができる。本来、推薦というものは間違いなく学生が企業に入るのを保証するものであり、そのために自由を放棄するというのがあったわけだ。しかし、いつの頃からか企業は推薦を受けた人間を平気で落とすようになってしまった。これもまた、モラルに依る問題である。
要するに企業と学生、双方が個の利益を優先するようになってしまったわけで、なんとなく昔聞いた「共有地の悲劇」を思い出させる。これからの時代、こんなモラルによるルールはドンドンと崩壊していくのだろうか。今問題となっている多くのこと、雇用問題や格差問題など、を資本主義に絡めることは多く行われているが、こういった些細なモラルの消失による問題の言及はあまり行われていない気がする。モラルの崩壊は、今は凶悪犯罪や経済停滞には直接結びついていないかもしれないが、いずれ大きな問題となるであろう。貧すれば鈍する、この言葉を今の時代以上に感じたことはない。
「共有地の悲劇」路線での日本の損失を高く見積もれば、日本が率先するほうが日本にとって合理的ではないかと
最終的に他国がついてくればそのとおりです。もし誰もついてこなければ「共有地の悲劇」での損はほとんど減らず、なおかつ産業競争力減少の損も被るわけです。
米中あたりの動きを待ってから動いた場合(あるいは結局誰も動かなかった場合)でも、他国以上の「共有地の悲劇」損を被るかもしれませんが、それは「率先したけど駄目だった」場合とほぼ同じ損でしかありません。産業競争力減少分の損は避けられるわけです。
日本が率先すれば他国もついてくる(悲劇回避の動きを早められる)という確証があれば別ですが、そうでないなら、あえて産業競争力減少分のリスクを取る意味があるのでしょうか?
結局の所「共有地の悲劇」で被る損害額が他国より大きかろうが、少なかろうが、「日本一国の国益のため」「経済的な利益を重要視」する限り、率先は損なのです。「共有地の悲劇」を回避できればそれにこしたことはありませんが、それを実現する方法は「全世界的な合意」以外に無いのです。他国を説得できる環境が整う前に日本が率先して炭素税的な政策を実施するのはハイリスク・ローリターンすぎると思います。
「共有地の悲劇」路線での日本の損失を高く見積もれば、日本が率先するほうが日本にとって合理的ではないかと
実際どれぐらいの損失がでるか/でないかはわからないわけだし
「自分たちが経済面で損しても、エコを掲げて理想の方向に世界が変わるよう訴えていく」
ならおかしな主張だとは思いませんよ。ただそれをするなら損は覚悟しようね、という話です。
「日本が動けばすぐに(米中含む)世界が動く」とはいきませんから、世界が動くまでの間、損をかぶる覚悟はあるか、と。
「共有地の悲劇を避ける」という全体最適の実現は、「自国の産業競争力のハンデを背負わない」という部分最適と矛盾するのです。
例えば
・「共有地の悲劇」路線
米-200円、中-200円、日-300円
→合計-700円
米-100円、中-100円、日-200円-200円(国際合意までの一人負け分)=-400円
→合計-600円
に変える、ということに納得が得られるか、ということです。
私自身は(我慢できる限度というものはありますが・・・)「日本だけ損」という選択もあってもいいのではないか、と思いますが、国内の「経済重視派」の合意を得るのは難しいと思います。まして国際的な合意を得るのはもっと難しく、この「合計-600円」程度のシナリオの実現さえ、かなり非現実的な話だと思います(率先した国の経済低迷を見て各国世論がエコから距離を置くとかね)。「共有地の悲劇」は原則的に全プレイヤーの協力が無ければ解決できない問題ですので、これは残念ながら(米中あたりが動くまで)黙って見ているしかない、日本としては解決策がない問題だ、と思っています。
消費量多いのに生産ができない日本が訴えないで、どの国が訴えるの?
米中が率先してやるわけないでしょ?
と思うのですがどうでしょう
「最終的に」「全員の合計なら」損です。
・Aさん-10円、Bさん-10円、抜け駆けCさん-10円+20円=+10円
→全員合計-10円、でもCさんは10円得してる。
ですね。
国際的な合意を持った枠組みがない限り、「反エコ方面で抜け駆けをした方がお得」なのが経済上の現実です。
国内でエコに政策的に取りくむのは、それはそれで一つの理念ですが、「未来と人類全体のために善いこと」をしたからといってそれに見返りがあるとは限らず、むしろ別の面でハンデになるかもしれない、というのがグローバル資本主義社会の現実。その現実が「気に入らない」のは自分もそうですが、「間違っているから現実を変えろ!」というのは国際社会全体の話だけに単なる理想論。訴える力を持たないでしょう。
・自分たちが経済面で損しても、エコを掲げて理想の方向に世界が変わるよう訴えていく
・現実を変えるのは誰かにまかせて、世界の潮流において行かれない(非難されない)程度のエコ政策に止めて、経済を重視する