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はてなキーワード: 葬儀とは

2023-11-20

岸田が池田大作の弔問にいったけど

安倍ジャニー喜多川葬儀に弔電送ったのと、どっちがはてな的に悪質?

岸田は義理父親葬儀を切り上げて葬儀済みの池田大作を弔問した

首相動静(11月18日)

(略)

 19日午前0時13分、米サンフランシスコでのAPEC首脳会議出席などを終え、政府専用機羽田空港着。同30分、同空港発。

 午前0時53分公邸着。

 午前1時25分現在公邸。来客なし。

首相動静(11月19日)

 午前7時46分、公邸発。同8時9分、羽田空港着。

 午前8時33分全日空673便で同空港発。

 午前9時37分、広島空港着。同46分、同空港発。

 午前11時4分、広島県三次市斎場「平安祭典 三次会館」着。裕子夫人の父・故和田二郎氏の葬儀に参列。

 午後1時39分、同所発。同2時5分、同市の火葬場「三次市斎場悠久の森」着。

 午後3時28分、同所発。

 午後4時36分、広島空港着。

 午後5時18分、全日空682便で同空港発。

 午後6時41分、羽田空港着。同7時1分、同空港発。

 午後7時28分、東京信濃町創価学会本部別館着。同30分から同45分まで、同会の故池田大作名誉会長の弔問。原田稔会長池田博主任副会長と面会。

 午後7時49分、同所発。同58分、公邸着。

 午後10時現在公邸。来客なし。

和田二郎さん(わだ・くにじろう岸田文雄首相の義父)11日死去、94歳。通夜は18日午後7時、葬儀は19日正午から広島県三次市十日市西6の8の1の平安祭典三次会館で。喪主長男成一郎さん。

創価学会名誉会長SGI創価学会インタナショナル会長池田大作先生が15日夜半、老衰のため、東京新宿区内の居宅で霊山へ旅立たれた。95歳のご生涯であった。葬儀17日、近親者のみで家族葬として執り行われた。

いやわかるよ、政党トップとして所属議員たちを食わせにゃならん、そのためなら池田先生のケツでも遺灰でも舐めてやるってんだろ

全く支持はしないが覚悟はわかる、ずいぶんな賭けだな、俺は立派だと思うよ

でもさ、それって義父の葬式をさっさと切り上げてまですることか?池田葬儀は2日前にとっくに終わってるんだぞ、時と場合ってもんがあるだろ

アメリカAPEC会議ついでに6カ国との首脳会談ほか行事たくさん、深夜に帰国し義父の通夜には出られず、翌朝一番広島入りして葬儀、そして信濃町創価学会本部トンボ返り

大変なスケジュールだと思うよ

からってお前、火葬滞在1時間23分間ってまともに骨拾えたのかよ

義父との別れを、妻への慰めを、喪主への労いを、広島滞在7時間でまっとうできたと言えるのかよ

それらを投げ打って既に葬儀の済んだ創価学会本部に馳せ参じてまで票が欲しいか

政治家岸田文雄は立派かもしれないが、俺は今、人間岸田文雄軽蔑しようとしている

https://www.jiji.com/amp/article?k=2023111800255&g=pol

https://www.jiji.com/amp/article?k=2023111900133&g=pol

https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S15791659.html

https://www.seikyoonline.com/article/1105A80AC3B8C9691D68205F3E12D455

2023-11-19

anond:20231119142452

家族葬儀に行ってる間に近所のジジババが家に上がり込んで掃除するってクソ風習があるんだが

プライバシーもなんもなくて時代に合ってないか廃止してほしい

2023-11-13

ただ弱者男性というだけで各種行政サービス地方自治体運営する公営住宅への入居または同居、生活保護児童扶養手当受給)が受けられなくなったほか、ライフラインである、電力、都市ガスプロパンガス水道使用契約スーパー等のポイントカード[44]、クレジットカードの入会、銀行口座の開設(既存口座の維持[45])、不動産の購入・賃貸契約[46]、自動車購入の契約[47]、ホテルへの宿泊[48]、携帯電話の購入、ゴルフ場でのプレーファミリーレストラン公衆浴場カラオケボックスゲームセンターテーマパークへの入場、葬儀をはじめとする告別式火葬アルバイト日雇い短期も含む)をはじめとする労働契約などができなくなるなど日常生活に大きな制限が掛けられるみなさん

2023-11-11

anond:20231111142534

つきましては元増田氏のチンコ葬儀を執り行いたいと思いますので、生前よりご厚誼を賜りました皆様におかれましては、ご参列のほどよろしくお願い申し上げます

2023-10-24

三大「ブクマカたちも年とったな」と感じるブコメ

2023-10-10

anond:20231010165228

葬儀に参列してたら傘下に入るんだ

そういう風習地方もあるのかな

2023-10-05

アスペ(診断済み)ワイ、ワイに教育虐待を繰り返した学歴厨パッパのことを考えてた。

なおワイは教育虐待甲斐もあり、なんとか旧帝院卒の学歴を得たが、在学中からうつ病入院したり自宅療養したりで、常に具合が悪く、父が望むようなキャリアは歩めていない。それもあって勘当されている。

父は寡黙で口数が少なく、友人が居ない。口を開けば空気の読めない発言をする。例えばワイの母の母、父にとっての義母が急死した葬儀で、父は悲しむ母方の親族の集まる中で「ピンピンコロリで元気なうちに死んでくれてありがたいっすわー」などと臆面もなく言い放って顰蹙を買っていた。本音だとしても、言ってはいけないタイミング相手があるということが父には理解できないのだった。

見るからに父はワイと同じ(か、それ以上の)アスペだった。

アスペのワイがそうであったように、おそらくアスペの父にとっても社会人間関係というものは良くわからず、怖いものだった。

そんな中で、良い大学大企業に入ることで生活保証されるストーリーは、アスペの父でも「わかりやすい」貴重な社会ルールだった。

から子供教育にはそれにこだわったのだと思う。

アスペは一度こだわりを持てば愚直なまでにそれを遵守しようとする。

教育重要性に気づいたところまでは良かったが、虐待の末に高学歴になれてもうつ病になるまで追い詰めたら意味がないというところまでは父は思い至れなかった。

一度こだわり始めたら目的手段が入れ替わってもひたすらそれを追い求めてしまう。

そうだとしても私が父の望む成績を軽々と取れるほど優秀なら虐待はされなかっただろうが、残念ながら私は出来が悪かったのでひたすら「教育」されていた。

子供の頃は父はなぜこうなのか全くわからなかったが、自分自閉症と診断されて、父もそうだったのだろうと考えると、色々と納得がいく。

やり方は明らかに間違っていたが、父も父で不器用になんとかしようとしていたのだろうと思うと同情もする。

2023-09-27

激冷めな俺が父親の「死にたい」に放つ言葉

俺「やり残したこととかないの?」

父「ない。みんなよく育ってくれた。」

俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」

父は実家に帰るたび「死にたい」と漏らすようになった。

会社定年退職後、家にこもるようになる。

死ぬ3年ほど前から、ストゼロキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。

同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。

強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。

アイコスやウォーキングマシンプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリかぶっていた。

一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。

本当は生きたい事は分かっていた。

けど相手無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。

ある時から父を生かそうとすることを諦めた。

会うたびに、父に感謝手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。

死んだとき自分気持ちが収まるよう父を使った。

それから1年も経たず、大動脈破裂で亡くなった。

から死んだと聞かされた時、自殺でないことに驚いた。

葬式

準備が始まったが全く悲しくなかった。

死ぬ前に感謝言葉も伝えれたし、完璧に立ち回った。

式はそつなくこなせればいい。

ただ、葬儀に来る人の事を考えた。

(みんな時間と金を使って悲しい気持ち体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)

俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。

せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。

俺が幼少期のエピソード仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成

式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。

喪主挨拶の番、それを広げ、一行目。

「私がいちばん幼い時の父の記憶は、父が・・・

眼が潤ってきた。

(あれ?字読めないじゃん)

「抱っこしてくれた目の前に父の笑顔があり、タバコ臭・・・

またたく間にダム決壊して顔がぐしゃぐしゃになった。

そこから先は早口で全く何を言っていたかからなかったらしい(参列者談)

激冷めな俺が父親の「死にたい」に放つ言葉

俺「やり残したこととかないの?」

父「ない。みんなよく育ってくれた。」

俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」

父は実家に帰るたび「死にたい」と漏らすようになった。

会社定年退職後、家にこもるようになる。

死ぬ3年ほど前から、ストゼロキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。

同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。

強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。

アイコスやウォーキングマシンプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリかぶっていた。

一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。

本当は生きたい事は分かっていた。

けど相手無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。

ある時から父を生かそうとすることを諦めた。

会うたびに、父に感謝手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。

死んだとき自分気持ちが収まるよう父を使った。

それから1年も経たず、大動脈破裂で亡くなった。

から死んだと聞かされた時、自殺でないことに驚いた。

葬式

準備が始まったが全く悲しくなかった。

死ぬ前に感謝言葉も伝えれたし、完璧に立ち回った。

式はそつなくこなせればいい。

ただ、葬儀に来る人の事を考えた。

(みんな時間と金を使って悲しい気持ち体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)

俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。

せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。

俺が幼少期のエピソード仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成

式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。

喪主挨拶の番、それを広げ、一行目。

「私がいちばん幼い時の父の記憶は、父が・・・

眼が潤ってきた。

(あれ?字読めないじゃん)

「抱っこしてくれた目の前に父の笑顔があり、タバコ臭・・・

またたく間にダム決壊して顔がぐしゃぐしゃになった。

そこから先は早口で全く何を言っていたかからなかったらしい(参列者談)

2023-09-25

私人逮捕私人裁判私人死刑私人葬儀

すごいいいこと思いついたんだけど、

犯罪者Youtuber勝手逮捕して裁いて死刑にして葬儀までやるのどうかな?

 

正直、いろいろすごく助かるんじゃない?

2023-09-21

死んだ時、私の貯金はいくら残ってればいいのか、つまり自分葬儀はいくらかかるのか調べてみたが、最低限のものなら10万円とかでも可能らしい。

世間体を何かと気にしそうな私の家族のことだ、なんかもっと使いそうなものではあるが

2023-09-19

風俗に嵌ってしまった、そしてガチ恋してた

気持ち悪いおじさんの独り言です。自分感情吐露してすっきりしたいだけ。

スペック

特定されない程度に

歳:20後半~30前半

性別:男

身長:160cm台 

ゲーマーが170cm以下は人権なしって言ってて割とその通りで笑ってしまった。

マッチングアプリやってみるとわかるけど身長素直に乗っけるとマジでマッチしない。

身長を隠してみるとそこそこ返信くるし、会う約束まで取り付けられるしオスとして見られる人権の一つ。

体重:50kg

職業:エンジニア正社員

年収:600万ちょい

住んでるところ:東京

恋愛遍歴:4人

みんなどれぐらい付き合えているのかよーわからんけどモテてはないと思う

キモオタ陰キャだもん。

趣味:映画鑑賞ゲーム読書

その他

2-3年前ぐらいに父親が急死してから母親と二人暮らし。母は専業主婦

家賃光熱費はすべて自分持ち

風俗に嵌った背景(結構、前置き長いのごめんなさい)

3年前に自分転職して、仕事でチームリーダーポジションを任命されて四苦八苦していた。

仕事よりもプライベート優先人間だった自分にはつらいことだった。

幸いにもチームメンバーが良い人ぞろいで忙しいけど、嫌ではなかった。

前職は人間関係仕事内容もクソで頑張る気もならなかったからだ。

仕事は順調だった。責任仕事も増えたけど。

ただ、プライベートに関しては悲しいことがあった。

一つ目は趣味繋がりで知り合った彼女と別れた。きっかけはしょーもない趣味関係ことなんだけど、趣味の界隈が狭いため伏せます

もともと元カノとはソリが合わなかった。

自分は会話するのが好きで相手の反応を観て話す内容を考えたり、どうしたら笑ってくれるかなって思ったり、どんな返答がくるかな?って相手の考えを聞きたいタイプだった。

彼女はそうじゃなくてただ話を頷いてきいて欲しかったみたいで「~って本当?」「自分はそう思わないかも」とか意見いうと不機嫌になる。肯定共感以外全部だめ。

なんならキレて口もきかなくなる。

もちろん、自分が悪いところもあって慰めてほしいときイランこと言っているときもあったのは反省する。

ただ、前に付き合ってた歴代彼女は「そっかー、そういう側面もあるよね」とか「なんだよー、ひどいじゃん慰めてよ!(ちょいおこ)」みたいな感じで

いい感じにコミュニケーション取れていたから、つらかった。

だんだんと話すのがこわくなってきた。嫌な上司プレゼンするみたいな感じだ。

会いたくなくなってきてお互いに話し合って別れた。

なんてことはない話だが、自分にとってはつらかった。

それより前に彼女がいたのは4-5年前で、その間は本当に彼女できなかった。

合コン街コンも行ったけど相手にされなかったからだ。ぶっちゃけあきらめてた恋愛を。

元カノ趣味繋がりで向こうから告白してきてくれた、まさに救いの女神だったからだ。

別れた後は呪いだった。女性と話すのが怖くなった。また怒られるのかなとかご機嫌取らないといけないのかなと思ったりして嫌になった。

その半年である

そんなこんなでしばらくゲームしよと思って家でゆっくりしていると母から電話が来た。

時間は21:30ぐらい。なんだろと思って電話に出ると「驚かないできいて欲しい、パパが死んだ」ってギャン泣き

父は健康体ってわけでもないが大病しているわけではない、ガンとかなかったし。

なんなら一か月前に退職再雇用書類サインしに会いに行ったからね。

びっくりして病院に向かうと冷たくなってた。泣いた。

母は叔母の介護実家中部地方)に帰っていたか自分が一番乗り。

どうやら親父は職場の元同僚と飲んでる最中心筋梗塞で急死したらしい。

父と母は貯金がなくて葬儀費用300万ちかく肩代わりしたのはここだけの秘密だ(あとで親父の退職から返してもらった)

このあとが自分にとってつらい期間だった。

母は父の社宅に専業主婦として住んでたので社宅を引き払う必要があった。

母は役所手続きとか、引っ越し相見積もりとか銀行口座解凍とか書面での契約交渉事が苦手で

自分が全部主体になってやった。もちろん、母はできる限りで協力してくれた。ただ、仕事の合間には無理だったので3カ月ぐらい休んだ。

一人暮らしは無理(収入的に)、実家には帰りたくない(介護メインになるのは嫌だ、田舎は嫌い)で自分と住むことになった。

最初のうちはかわいそうだなと思って心配になったのでしょうがいかと思った。

一緒に暮らし始めるとショックからか怒りっぽいし買い物は働いている自分と同じぐらい買っちゃうし(服とか)注意とかもしてたけど

「楽しみがこれしかない」、「気持ちを立て直すにはしょうがないじゃん」と言われかわいそうになってあんまり言えなくなった。

ただ、愚痴の聞き役ってのが結構辛い。「なんで死んだのか」「どうすればよかったのか」と毎日言われて返す言葉もなかった。

「なんで自分はこんな目にあうのか」と言われたときはやるせなさを感じた。

一人暮らしが好きだったんだ、自分は。こんな目にあったっていうけどそれは自分も同じだよ。言葉を飲み込んだ。

仕事終わりは地元趣味の集まりがあるので定時で上がれればいつも向かっていくのだが

母は「なんでおいてくの、一人にしないで」と言われると心苦しくなった。

そりゃあそうだよな、確かにひどい息子だよ。でも、これ以上一緒にいると自分も苦しいよ。

母にも仕事趣味コミュニティがあればよかったのだが、人付き合いがへたくそなのだ

親父の代わりには慣れないなと思った。母を父と同じ役割で愛することはできない。

自分は元気になるまで支えるか見守ることしかできない。

そんな暮らしの中で「自分人生を生きれてないんじゃないのか」「このまま一生終わるのか」と思い始めてきた。

しまいには飛び降り自殺しようと思ってた。

母親付きで婚活とか条件不利すぎるし、そもそも彼女って今の俺にできんの??女性と話すの怖いのに。

友達にも愚痴れないし、困った(話せはするけどみんなコメントに困ることはわかるからだ)

そんなとき、夜の街のことを思い出す

■そしてソープ

ただ話すだけならガルバとかキャバでもいいんだけど、ぎゅっとしてほしかった。好みの女性に。

そして話をきいて欲しかった。現実を忘れさせて欲しかった。

経験のために1度は行ったことはあるソープランドがよぎる。ただ、すごいお年が上のお姉さんが出てきて萎えしまった思い出が。

その時は申し訳ないけどすごく後悔しました。自分が下調べしないのが悪いのにね。

お話は上手だった気がしたのと、夜職の人は勝手イメージで話聞いてくれそうが先行してた。

HP爆サイを観て予約。気持ちよかった。なかなか重い話なので話せなかった。ヘタレだ。

スレンダーな子だったので次は巨乳にしようと思い、半年後に爆サイですごい人気のある子を予約。

これが自分にとって運命出会いだった。

女神がそこに

普段いかないお店でせっまいところでおっかなびっくり

待合室は人が二人座るのがやっと。せっま。

呼び出されて2階にいくとそこには凛とした顔立ちの女性がいました。

最初のどんなことを話したかはもう覚えていないけど

裏を返して3回目ぐらいには自分の身の上話というか悩みを言える関係になっていた。

元カノのことに関しては「それは彼女さんの精神年齢あなたと合っていないだけ。あなたのほうが数段上」

母のことに関しては「自分のことを優先している部分もある。よくやっているよ。」と言ってくれた。

後ろに抱き着いて話をしてたんだけど泣いた。

彼女についてもタブーなんだけど身の上話を聞いた。やっぱりそれなりに理由があった。

セックスに関してはお互いに気持ちのいいところがわかってきて楽しくなってしまった。

ここをゆっくり触ると気持ちいいんだとか、激しくつきながらキスされるの好きなんだとか。

元カノセックスするときより楽しかった。相手と会話しているからだ。すべてを委ねてもいいって安心するからだ。

気づいたら毎週通ってた。好きになってしまった。

好きな本の話をして本をプレゼントしたりした。趣味の話で熱く議論してお互いに汗かきまくって笑った。

ポケモンのホゲータが好きでなんか意外だったなーとか、食べることがすきでいつもお腹なってたなーとか思い出す。

そんな彼女大学生で1年後には卒業するらしい。そのために資格勉強を頑張っていた。

その話も本当かわからないけど自分は信じた。夢の国だし、それ以上効くのは野暮だからだ。

ただ、「辞めるときは言ってね」とだけは伝えた。

彼女は「絶対に言う、もしかしたら泣いちゃうかもしれない」と答えてくれた。

そんなこんなで一年半ぐらいかよってた。

間で喧嘩というか気まずいこと話題にしちゃっていかなかったときもあったけど

なんだかんだで通った。彼女は今年の4月に辞めることを言っていたけど続けていて「?」だったけど。

■終わりは突然に

お金がさすがに減りすぎてきているので自粛して月2回ぐらいの頻度に抑えることにしたのは今年の5月ぐらいから。

それと少しずつ元気が出てきた。

8月友達旅行があるので8月二週目とずれるけど9月の初週にあってお土産渡そうと思ってた。

8月2週目にあったときは珍しく手コキで終わってしまい、攻めがうまくなっててチクショー次は負けないぞと思っていた。

旅行から帰ってきて予約しようかなと思うとHPの出勤予定は全部ない。あれ?

胸騒ぎがしながら写メ日記をみると別れの日記

ショックだった。最後の出勤日は絶対に行きたかった。

別の常連の一部は知っていたみたいだった。まあ、その時点でお察しだ。

もっと上がいて自分はそこまで仲良くないだけだったのだ。というかそれは一方的な思いだ。

その後の仕事会議は頭に入ってこなかった。渡せなかったお土産が机の上に置いたままだ。

彼女は聞かれなければ答えないタイプだったので最終出勤日を明確に聞けばよかった。

いつ辞めるのか?は2月ぐらいに聞いたけど「まだ辞めないよ」だけだった。

一方的気持ち押し付けで「付き合えてたらよかったのに」とぼやいてしまたこともあった。

「それは・・・・無理だろうなぁ・・・」と返したくれた誠実さを思い出した。

最後絶対会いたかった感謝言葉を伝えたかった。

まあ、向こうはもう会いたくなったかもしれないしこれもエゴなんだ。

これを機に風俗遊びを辞めて彼女探しをしようと思ったが

また、近場で新しいお気に入りを探している自分にあきれてしまった。

気づいたら女性と話すのも平気になってきた。

怖いのは日常選択肢風俗へ行くが加わってしまたことだ。

最後

読んでいただきありがとうございました。

特にオチも何もないですが文章を書きたくなったので書きました。

もしこれから初めて風俗いくぞーって人が見ていたらアドバイス

プロフ絶対読んでおいた方がいいと思います。責めが得意とか受けがいいとかその子の良いところを書いてくれてます。大体本当です。嘘なのはウエストバストサイズだけ。

爆サイ書き込み話題なる子はいい子か気難しい子だと思います。いい子のレビューは見れば同志が細かくレビューしてくれているのでわかると思います

依存しない方がいいです。経験で一回は行ってみるのもありかもしれませんが嵌ると終わりです。お金時間も信用も。自分女性だったら彼氏風俗に嵌っていたって嫌だもん。

もう自分あきらめましたが彼女まだあきらめていない人はほどほどに。

2023-09-16

[] 柴田道子 被差別部落生活伝承 (ちくま文庫)を読んだ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210810181919

https://web.archive.org/web/20210810225700/https://anond.hatelabo.jp/20210810181919

原著刊行は71年、当時の部落解放同盟書記長中山氏とともに長野県内の被差別部落の古老たちを訪れて聞きとり調査したもので、現代よりずっと差別苛烈で激しかった時代大正デモクラシーの波にのった解放運動記憶もまだ生々しく覚えている人が多く、本当に大変貴重な証言ばかりだった。

(まず基礎知識ですけど、部落をよく知らない人はなんとなくイメージで、関西しか無い、関東関係ないと漠然と思っている人が多いみたいですが(私もそうでした)葬儀処刑人農村で使ってる牛馬の解体処理など死に関わる仕事(ケガレ仕事)全般を請け負っているので、基本的にどこにでもある(最北端は旧松前藩あたり、最南端奄美大島らしい)。私も北海道には存在しないと思っていたが間違いのようです)(被差別部落の中でも同和事業を適用される同和指定地区をうけなかった地区も多いのがこのような認識を生んだ理由でしょうか)

この本はまず信仰の話から始まるんだけど極貧の生活のためか日頃より信仰心が篤いのに死んだら畜生と同じ埋葬方法で墓が作られても墓地北側の日のあたんねえ所とか、雑で差別的な戒名つけられたり、それでも檀代は一般(部落外)より高い額ふんだくられてたりもうさんざんで、序盤からひどい話ばっかりなんだけどこのあともひどすぎてこれがジャブ程度に思えてくる。長野といえば教育県を掲げているけど部落民は一般と同じ学校に行かせてもらえない、行かせてもらえても徹底的なイジメが待っている、教師すら[チョオリッポをチョオリッポと呼んで何が悪い]と差別に荷担する。さら生活苦ゆえに家の仕事を手伝わなくてはいけないといった理由も加わってまともに学校通った人の方が珍しくて、聞き取り対象の老人のなかにはいまだに文盲の者も少なくない。それから公衆浴場も別々で回り風呂といって運搬が可能なお風呂部落じゅうを回ったりしてたらしい。ケガレ仕事だけでなく、今でいう巡査牢屋の見張りのような危険仕事押し付けられたり、農家の手が足りないときだけ日雇い従事したり季節労働をやったり等収入が安定しない..

もう要するに公権力が徹底的にそうやって差をつけている。また、同じ人間であると思わせないためか、部落民は睾丸が四つある、あばらが足りない、血の色が違うなどいわれのない身体的特徴をでっちあげられてそれを理由侮蔑される。今でこそ誰もが馬鹿馬鹿しいとわかるけどこんなことが真剣に信じられていたんである

それから今でこそ同和事業で部落インフラが整備されて、見かけは一般と変わらない町並みになり、住民流出流入が容易になり、その結果元々部落だったと知らずに引っ越してきてずっと知らない人などたくさんいるけど、明治の末ごろの話だけど比較的裕福だった部落の老人が一般大通りに家を建てたら村じゅう大騒ぎになって、

村役場が主導して執拗嫌がらせを開始。果ては物理的に家ぶっ壊されて(!)老人は訴訟をするけど村役場殺し屋差し向けてきたり費用問題などで訴訟断念するしか無かったらしい。役人殺し屋を雇う???????????????? ???????

?????????????????

明治といえばその初頭に四民平等令、部落解放令がやっと出た時代なのに..この解放令ってやつもうほっとんど意味なくて、差別は続いて、でも以前は免除されていた税金一般と同じように徴収されるようになっていっそう生活が苦しくなっただけらしい..てかまじ、体制側が一市民殺し屋差し向けてくるとかまるでフィクションの話みたいであまりに信じがたくてここ読んだとき一日くらいずっとポカーンとしてた。殺し屋て…殺し屋て..明治の末とかって歴史からみたらほとんど最近じゃん 最近の話じゃねえか ひでえやばすぎる。どーなってんのよ

どこそこの地域部落みたいな程度の浅い知識ならネットでちょこっと調べれば出てくるけど、こういう具体的な差別事例ってこんなふうに本でも読んで能動的に調べないとわからないんだよね、、まぁこういう時代からは随分ましになったとはいえいまだに部落の人にたいして暴言吐く人、差別する人はゼロにはなってなくて、全然過去問題じゃないんですけど、同じ部落の人のなかでも[部落問題を知ってほしい][寝た子を起こさないでほしい、学校なんかで教えるから差別再生産されるんだ][もう差別なんかないんだからほっとくべきだ]とさまざまに意見が分かれていて人間から当然と思う。

でも悲惨歴史にふたをして忘却してしまうと過去の人々の苦しみまで無かったことになってしまわないか?というのと、現代人間過去から教訓を得られなくなってしまう、それと苦しみだけでなく部落にも豊かな文化生活があり、(著者は部落文化遺産と呼んでいたが)文化のものも葬られてしまう。そういう理由から現在の、部落の[ぶ]の字すら言ってはいけないようなタブー空気はいやだなと思うので積極的に気軽に部落の話をするようにしてる。

でも後述するけどこのタブー化が差別の緩和に繋がったわけで、でもそれを加味してもやはりもうそろそろタブ一の段階は終わっていいだろうと思う。

私は部落民ではない女性なんで女性差別しか興味がありません。主にどうして被差別部落がここまで差別を打破できたかの部分に興味があって調べておりその歴史女性差別に対抗するすべを学べないかとそう思い何年も前からあれこれ勉強しています

はっきり申し上げておきます部落差別より女性差別のほうがひどい。上記にあげたような苛烈差別事例を知った上で言うことです。その理由ひとつに無徴の存在である部落民に対して女性は有徴の存在であり、部落差別から逃げるために素性を知られてない遠方に引っ越すという手段もあり実際多くの人がそうしていたようですが、女性女性であることから逃げる手段自殺しかありません。

(当然、無徴ゆえにだれも[被差別部落][部落民]とはなんなのかをはっきりと定義できないゆえに権力側に恣意的身分を決められていた歴史もあるでしょう。それも知っています。でも、なお..なのです。ちなみに、部落民とは一般先祖ルーツが違う別人種なのではと思う人もいるでしょうが一般人でも部落民になったりするし、どうもそのへんあいまいというかはっきりしていないようです。本書には、とある部落民にむかって自分たち先祖が同じだ]と言った一般民がいたという証言もあります差別根拠など全くないのです。さらに言うなら死にまつわる仕事ケガレというのも恐らく権力恣意的に決めたことがし、ケガレ仕事ではない、たとえば内職などしかしない部落民も沢山あってケガレともイコールで結びつかないのです。)現在進行形でさ女は毎日女ってだけでなぐられ殺され犯されおとしめられてんだよ

から一歩出るだけで醜いおっさんジーロジロ品定めここから逃げる手段ないんすよ

公権力が女の味方してくれたことないんすよ

女性参政権だってGHQ鶴の一声であって日本の男はんなもん女に与えてくれたこと無いんですわ

すいません話それました!

国を動かしての解放令発布でもやむことがなかった差別現在ここまで緩和されもはや部落問題を全く知らない人も多くなった、その主たる理由はやはり水平社(のちの部落解放同盟)の強硬な、時には暴力的闘争姿勢によるものだったのではと思います。著者の柴田いわく、長野のなかでも東信地方は寒風が吹きつけてひどく底冷えがする地域で、昔から気骨のある男、気性の荒い男が多く、それが東信で水平運動がさかんだった理由ではないか分析しています。逆に寒さがゆるやかな地域では[寝た子を起こすな]の論調が強かったり水平社よりも穏健だった同仁会がさかんだったらしい。でも同仁会も交渉の場では「水平社の連中よぶぞ]が殺し文句だったらしく虎の威を借りてたとか..そして水平社と同仁会、歴史に名を残したのはどちらかというともうこれは言うまでもありません。ふだんから竹槍の戦闘訓練も行い、武力闘争も召さなかった水平運動こそ歴史を変えた。彼らが起こした暴力事件の仔細はネットでも簡単に読めます部落民は乱暴だ、奴らは犯罪者だといった風評も辞さない徹底的な闘争で、部落は怒らせると怖いと、部落がなんなのかよく知らない人すら何となく感じて、アンタッチャブル話題だと感じる。タブーだと思う。その空気を牽引したのがテレビマスメディアの徹底的な自主規制でしょう。部落解放同盟にらまれたら厄介だという理由で前述のように部落のぶの字も出さない、触らぬ神にたたりなし。先日もエタヒニンと発音しただけのアイドル活動自粛に追い込まれたけどそういう過剰なまでの自主規制が、差別存在のものを透明化した。長い間メディアは頼まれてもないのに四本指の表現すら自主規制していた。

そのような、暴力脅迫で勝ち取った自由歴史勉強していると、心底彼らがうらやましく、やっぱり権力もなにもあてにならずとにかく徹底的に相手に恐怖という根源的感情を植え付けて支配するしか対抗の方法は無いのかなと思ってしまう。なんだかわからないけど女性差別問題は怖いから少しでもセクハラと誤解される表現自主規制しよう、万が一表に出てしまったら即座に責任者の首とばそう、そんなふうになってくれたらいいのにと夢見て泣きそうになります

しかしながら水平運動に加わった男たちがそこまで暴れることができたのも男という性別ゆえかなと、同時に諦念を抱きます

女はやさしさや思いやりといった(あえて言いますが)宿病をかかえています。それは先天的ものか、それとも後天的ものか、両方だろうか?とにかくフェミニスト自称する人たちすら、女性は優しくなければ、人の気持ちが分からなくてはという教条に縛られているので、そういう人たちと肩を並べて武力闘争可能かどうかはあやしいものです。ねえ、やりすぎは良くないよやめよう、とお目目ウルウルのいい子ちゃんが必ずまざってしまい男たちはそのすきをついてくる気しかしません..

この本書のなかにはある村の一般村長が出てきます。彼は比較リベラルで、部落の子でも学校入学できるようはからったとのこと。そのせいで彼は妻の実家の敷居をまたぐことを拒否されるなど反発され、水平社の者も彼のそのような行いを知っててもそれでもダメな所は徹底的に糾弾したので、「両方から突き上げ食らってもうさんざんだ]といったことを自嘲してるんですけど女性たちも同じように全く糾弾の手を緩めないってことが可能かと考えると難しい。

男の攻撃性が本当にうらやましくなります

痴漢の手に安全ピンぶっさそうという(本来痴漢は殺されてもいいくらなのだから穏当すぎるくらいなのに)呼び掛けにすらいい子ぶりっこがそういうのよくないよとたしなめるしまつ。

繰り返すけど殺されてもいいのに。

やさしさというのは女たちが生まれつき体に埋め込まれた起爆装置なのだろうか?差別に抗戦しようとした瞬間、それは作動し、女の体は爆発四散するのでしょうか?

この本の巻末、作者の生前の夫だった人による復刊によせての解説言及されてた2014年長野県連続差別事件やばい部落民の女性に対して、真ん前に引っ越してきた男が差別語連発で罵倒するのをやめない。裁判所から禁止令が出てもやめない。逮捕されても執行猶予で、けっきょく彼が万引きという別件で再逮捕され収監されるまでの2年間なにも解決しなかったそうです。

昔も今も権力なんてなんのあてにもならないどころか被差別階級にとっては敵でしかないんじゃないのとますます不信感がつのます2014年とか最近じゃん昨日じゃんか

みんな本気で、ハッシュタグ(笑)だのツイッターデモ(笑)なんかで女の現状が救われるとおもってんのかな..こんなのなんにもならんってうすうす気づいてるんじゃないかな。男に殺される女が一人でも減るかそんなんでって思う。やってる感だけ得られたらいいんすか? けっきょくレベルを上げて物理で殴るしか無いんじゃないのか。それもわたし一人がやったところで社会的インパクトいか組織だってやるしかないけど、以下ループ

水平運動の男たちは献身的に支えてくれる妻がいてそれで運動なりたってた部分でかいと思うけど女には妻おらんのですよな~

暴力ができないならせめて男がみんな自分に正直にホモ願望を解放してホモセックスし、抑圧している内的女性現実女性投影するのをやめればミソジニー無くなって平和になると思うんですけど、でこう書けばホモ差別語だから差別はいけませんとかほざくぶりっこフェミニズム邪魔をしてくるのでもうどうしようも無いです! バーカ!ちんこ

それで思い出したけど水平社=部落解放同盟は徹底したシングルイシュー在日朝鮮人差別して反省しなかったり、男と女で日当に差をつけて差別してたという話も聞きますイシューを抱え込まないことがやはり運動成功秘訣ひとつであったのかと感じます女性女性というだけでやはりシングルイシューはいけないといった脅迫をされます。色々な差別問題に敏感ではなければいけないような圧力にかかって、あらゆる差別に眉をひそめなきゃなんないあの感じ、全ての弱者のために涙しなきゃいけないような義務感、女だから聖母を求められてるんですよね。それもバー死ねでございます女性差別以外知ったこっちゃねーでいいんだお

ところでこの本の作者柴田道子は童話作家部落民じゃない一般です。長野市に引っ越してきて被差別部落接触し、興味を持ち、この本を上梓したあとは狭山事件被告サポートに尽力、当該事件の本を執筆わずか41歳の若さで急死したとか。

解説文でだんなさんが男社会のなかで女性としてうけていた差別があったか部落問題に熱心だったのでは的なことかいとるけどんじゃー女性差別問題に集中すればよかったのでは、女なら自分当事者である女性差別問題に注力すればいいのに、しろよと思ったし、そうすべきだろがいすら思うんだが、そういった、正しくない女柴田の正しくない思いで発刊された、正しくない存在である力作のこの本によって後世の人間である私が歴史を知ることができたわけで、そしてこれは間違いなく後世に保存し読みつがれるべき大名著なんです!!!何が正しいか間違っているのか、どう思うべきか、どう行動すべきかって本当は一切なにもないのかもしれない。なのでフェミニストならこうすべきだ、こう思うべきだ、こう感じるべきだみたいな考えに固執している人はちょっと考え直したほうがいいな、正しいか間違ってるかなんて時代によって基準がぐにゃんぐにゃんで明日にでも真逆になるけど、なんか結果だけ見て、他人ジャッジしてもシャーナイつか、結局ね、なにかにかい真剣にがんばったりさえして、懸命に生きさえすれば、それはもう…だれにも、文句は..まあいいや

おばあちゃんが死んじゃった

妻の母だから義母さんなんだけど、子どもたちにとってはおばあちゃん

ガンとわかってからほんの数ヶ月。平均寿命より数年若いからまだまだ生きててほしかったな〜。

まり苦しい思いしなかったのがせめてもの救い。

妻と付き合ったころ、尋問されたな〜。女性関係仕事のこととか。でも一度心を許したらほんとに優しかった。義理の息子のおれの好きなものお土産にくれたり。妻の好きなものよりおれにくれた。

最後の日、病室からライン通話子どもたちはびっくり。ついこないだ遊びにいったのに。

葬儀では上の子号泣、下の子はあまりピンときてなくてわりと明るい。それに癒やされる。

の子遺体に触ったり「おばあちゃ〜ん、休んでね〜、また会おうね〜」って。いい子に育ったよ、おばあちゃん〜。

日下の子も、ふと「もう〇〇送ってくれない…」っておばあちゃんからいつも送ってもらってたものを思い出してた。

しばらくさみしいな〜。時間しか薬はないな〜。

2023-09-15

激冷めな俺が父親の「死にたい」に放つ言葉

俺「やり残したこととかないの?」

父「ない。みんなよく育ってくれた。」

俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」

父は実家に帰るたび「死にたい」と漏らすようになった。

会社定年退職後、家にこもるようになる。

死ぬ3年ほど前から、ストゼロキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。

同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。

強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。

アイコスやウォーキングマシンプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリかぶっていた。

一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。

本当は生きたい事は分かっていた。

けど相手無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。

ある時から父を生かそうとすることを諦めた。

会うたびに、父に感謝手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。

死んだとき自分気持ちが収まるよう父を使った。

それから1年も経たず、大動脈破裂で亡くなった。

から死んだと聞かされた時、自殺でないことに驚いた。

葬式

準備が始まったが全く悲しくなかった。

死ぬ前に感謝言葉も伝えれたし、完璧に立ち回った。

式はそつなくこなせればいい。

ただ、葬儀に来る人の事を考えた。

(みんな時間と金を使って悲しい気持ち体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)

俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。

せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。

俺が幼少期のエピソード仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成

式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。

喪主挨拶の番、それを広げ、一行目。

「私がいちばん幼い時の父の記憶は、父が・・・

眼が潤ってきた。

(あれ?字読めないじゃん)

「抱っこしてくれた目の前に父の笑顔があり、タバコ臭・・・

またたく間にダム決壊して顔がぐしゃぐしゃになった。

そこから先は早口で全く何を言っていたかからなかったらしい(参列者談)

anond:20230915103133

釣りかもしれんが、ゴミ扱いは酷いな。

先ずは狂犬病関連の法律だか条例だかが有って、犬の場合保健所に届け出が必要だったはず。

市区町村で違うけど、所によっては火葬もしてくれる場合があるらしい。

普通民間ペット葬儀業者火葬だけど、自分ちの敷地内なら埋葬も可能かも。

でも後々面倒な事にならないように市役所かに聞いてみた方がいいよ。

https://www.petsogi-nabi.com/dog-hokenjo/

2023-09-12

どうにもならない

最後に、唐突ジャニーズ性加害についての自分の考えを述べているため、ジャニーズが好きな方や苦手な方は見ないで。全体的に暴力を受けた?ような話だから苦手な人は読まないでください。

文章力がないから上手くまとめきれないけど、ジャニーズ性加害の報道を見てから、ずっと苦しい。苦しいという感情と怒りが頭の中をぐるぐるして、どうにもコントロールできそうにない。

普段は、ツイッターの鍵アカ毎日の不満を叫んだり推し活ではしゃいだりしているけど、それもいまは無理。鍵アカフォロワーは完全なる赤の他人ではなくて、たまに会って遊んで話をする友達だ。

友達にも言えない。会社の人に言ってもしょうがない。家族にはもっと言えない。無理。

心配されたくないし、同情されたくないし、でも、吐き出さないとやってられない。顔も声も、自分のことを、誰も知らない人に、聞いてもらいたい。

数ヶ月前にも今と同じような混乱と絶望と虚しさと生きにくさを感じたときは、匿名性のカウンセラーに助けてもらえて、3ヶ月くらいしたら落ち着いた。でもまた、いま、苦しくて、手は震え食べ物を吐き夜は眠れず何をすることもなく時間けが過ぎていってる。

なんでこんなことになってしまったのか。

当時は気づかなかったけど、幼い頃に祖父母から虐待されていたようだった。

虐待というと、殴られたり蹴られたりタバコの火を押し付けられたり性的な加害や、酷い言葉を浴びせるなど、悲惨な状況を想像すると思うが、自分はそんなことはなかった。

夜に騒ぐと、裸足とパジャマで外に追い出された。騒がなくても、遅い時間まで起きていると怒鳴られた。だから夜9時には寝ていた。

彼らにとって不都合なことが生じたときに、兄弟が殴られた。兄弟を殴ったことに抗議した母は、暴力をくわえられていた。母は殺されそうになっていた。自分はそれを黙って見ていた。自分が泣くと、怒鳴られるから、泣くことはできなかった。

1番新しい記憶の中では、彼は私に刃物を向けて、殺してやる!と叫んでた。ふとした時にあの瞬間を思い出す。あの時、自分は、兄弟と一緒に家の1番遠い部屋に逃げて、鍵をかけて座っていた。ついに殺されるんだと思った。無力だった。

今考えると、本気で殺されると思っていたなら、家から逃げて、近所の人に助けを求めるべきだった。でもそれができなかった。今なら、周囲の人に助けを求めたり、警察電話したりするべきだと思えるが、当時の自分には選択肢がなかった。

家族に殺されかけたなんて、家族以外の人には知られたくなかった。

そんな祖父母も、もう亡くなった。

葬儀に参列したあと、夢を見たり、突然頭の中に刃物を向けてくる人の映像が浮かぶようになった。映像に襲われると、足元がぐらつき立っていられなくなりあの時の無力感でいっぱいになる。涙が出てきて、どうしていいかからなくなる。死にたくなる。自分は死んだ方がいいと思う。死んだ方が楽なんだと思う。

でも死に方がわからない。辛い。どうにもならない。

個人的にこの体験は、児童虐待というやつで、フラッシュバックというやつなんだと思う。

でもこの決めつけも、自分勝手にそうだと思って、自分を慰めているだけかもしれない。

自分自分悲劇的に脚色するのは許されると思う。別に誰に迷惑をかけるわけでもないし。

ただ、誰かにこの体験自分の考え、苦しみを吐露しようとしたときこの話を聞いた相手に、

コイツ自分に酔っているだけだ、

と思われたらもう死ぬしかない、と思う。

この体験感情否定されたら辛いし、嘲笑われても引かれても辛い。同情されても困るし、そもそもこの話をしたところで自分は何も得られない、と思った。だから友達にはとても話せない。

自分の顔と名前を知っている程度の仕事上の付き合いの人に話ても意味はない。

そして家族家族に話すのは1番辛い。父母は、自分たち兄弟を守るために抵抗してくれた。でも自分は、今現在過去を思い出して泣いたり吐いたり絶望したり希死念慮を募らせたりしている。こんなことを父母が知ったら、きっと自責的になると思う。父母を、苦しめなくない。そして自分も、楽にはなれない。

兄弟は話し相手としてどうか。同じ経験をした身だから、話し合えるか?話したことはないが、そうは思わない。同じ経験をした身だからこそ、自分兄弟体験を話すことで、過去に苦しんでいない兄弟が苦しむようになったら、そう思うと、兄弟にも話はできない。

以前、会話をすることで楽になったカウンセラーにまた頼るのはどうか。

カウンセラーとて暇ではない。予約が取れない、そもそも仕事を抜け出してカウンセリングを受けることも勇気がいる。会社の人にも知られたくはない。

自分児童虐待にあっていた。だから今も精神的に不安定だ。」と、詳細を語らずも良いのでないか?と思った。ダメだ。

本当に、自分でも意味がわからないけど、今でも苦しめられている相手を、虐待した人だ と声に出さない。報復が恐ろしいわけではない。報復なんてされるわけない。

本当に、信じられないことに、祖父母虐待加害者として扱うことに抵抗がある。意味がわからない。思い出が邪魔をする。優しい祖父母のことも知っている。当時は、ただ厳しいだけの人たちだと思っていた。でも、テストでいい点を取ると褒めてくれて、こっそりお菓子をくれたり、一緒に遊んでくれたときは楽しかった。幸せだった。

混乱する。事実感情がごちゃ混ぜになって涙が止まらない。ここ数日は仕事にも集中できず、何もできない日々が続いている。

そんな自分が情けない。

悪い奴は悪い奴だから、と裁ければいいのに。感情なんて無くなればいい。事実感情の整理ができない。烈しい記憶と優しい思い出と交互に出てきてもうどうすればいいかからない。死にたい。それだけで頭がいっぱいになる。

今、ジャニーズの性加害問題話題になっている。

自分は、加害者絶対に許せない。

でも知らなかった人や知ってて無視した人はしょうがないと思う。逆らえるわけない。

被害を受けたのにも関わらず、愛情を持っているように見える行動についても、理解できる。思考感情は結びつかない。精神科医ではないからよくわからないけど、そうやって、自分の心を守ってしまうらしい。本当に守れているのかは疑問がある。

誰が悪いのか?加害者100%悪い。加害行為を知っていて隠蔽した人も100%悪い。噂程度にしか知らなかった人は、しょうがないと思う。

被害者が悪いという声がある。被害者が、被害を訴えなければ良かったと。本当に被害にあったのか疑う声もある。二次加害。二次加害が1番見ていてきつい。被害者が本当のことを言っているのかわからないけど、今後補償検討する際に在籍時期とか証言妥当性を判断するだろうから自分にはどうでもいいし、自分にはどうすることもできない。

フォロワーが、二次加害を行っている。

被害者に対して「金目当てでしょ」「デビューできなかったひがみ」「ブスが調子に乗るな」と。

広告取り下げ企業に対しては、「タレント人権侵害だ!」と突っかかる。見てられない。

嗜めた。不満そう。納得できないらしい。

「本当の被害者なら、加害者を慕うわけない」

「本当に被害にあったならもっと早く言えたはず」

加害者が死んでから被害を訴えるなんて卑怯だ」

警察に訴えないということは金目当ての揺すりに決まっている」

と。

本当にきつい。自分にも当てはまる。

おそらく、世間一般的にはこういう考えなんだろう。

いわゆる普通に生きてきた人には通じないらしい。

もう、対話する元気も勇気もなく、ツイッターアカウントはログオフした。

死にたいとか希死念慮うんぬん言ってるのに、お前生きてるじゃんって思うひともいるんだろうなぁ。そうなんだよ、なんで自分は生きているんだろう。早く死んだ方がいいんだよ、生きる価値がない。

ここまで読んでくれた人がいたら、ありがとうございました。

anond:20230911181157

今はそうではないかもしれないけど、

田舎の方だと葬儀の後の会食っていうのかな、そういうのが行われていて、

その席に住職も呼ばれることが多くて、出席できない場合はその料理を折り詰めにしてお届けする。

その時にまだ子供だったワイは何となくいたことが有る。

和尚さんって、肉や魚食べられるの?」と

そしたら周りの人達が、和尚だって人間だもの何でも食べるよ、と。

後にお寺関連の人にも聞いたことが有るけど、余程の修行僧でもない限り食事制限は付けないんだそうだ。

2023-09-10

ジャニーズ陰謀論妄想

ジャニーズ事務所タレント移籍させて補償団体としてのみ存続、

せめて株式を半分以上譲渡してジュリー氏は経営から引くべきだと思ってはいるが

それはそれとして陰謀論的に引っかかるところがないわけではないので書いておく

 

なによりこの問題ジャニー氏、メリー氏どちらも他界した今、盛り上がってるところ

日本が全体で見て見ぬふりをしてきた問題だというのはそのとおりだと思う

しかし、ジャニー葬儀の時点でも海外報道性犯罪疑惑について触れていた

まり疑惑を知っていながら、容疑者が生きているうちにこの問題を暴かなかったのは、日本のみならず海外報道も同様ということだ

 

被害者誹謗中傷しているジャニオタたちの主張は唾棄すべきだと思うが

その中にも1つだけ確かにと思うことがあった

「長らくジャニー氏の側近だった飯島氏や滝沢氏への取材が少なすぎるのではないか?」

記事によっては飯島氏の名前はI氏とぼかされてさえいる

全くジャニオタではない増田でさえ、SMAP解散騒動の際に知っている名前だと言うのに

 

ジャニー氏、メリー氏がいなくなり、ジャニーズ事務所の影響力はほとんど先代からの慣習的なものになっていたのではないか

(ちなみにだがジャニー氏の葬儀には故安倍氏総理として弔電を送っている)

力が弱くなったところで、情報提供告発の手助けを行い、

もともと長らくあった脛の傷を顕にした人間がいるのではないか

 

もちろんそうだとしても悪事告発する必要性はあり

ジャニーズ事務所が隠然と影響力を持ち続ける世界よりずっと良かったと思う

それはそれとしてこのタイミング告発に踏み切ったことの裏には誰かがいてもおかしくないよなという陰謀論

2023-09-01

昔勤めていた会社で、経営者親族葬儀に動員されてイラついたけど、ストライキだったら喜んで参加するわ

2023-08-30

anond:20230830130106

葬儀描写だけで

増田奥さんはどこに消えたんだろう

増田の親も死んでるんだろうか

子供がいる場で、20年も会っていない大して仲良くもないいとこ相手にそんな話しだすいとことその母親も謎

葬儀主催側なはずのいとこの母、随分暇そうだな

・つーか他の親戚も誰も来てないのか、一般参列者もなしか密葬にしても人いなさすぎだろ

・ごく少人数の身内だけの葬儀としたら20年も会ってない増田とその子供だけを呼ぶ理由が謎

可愛い妹みたいないとこから自分けが特別扱いされている、って妄想かな?

ってツッコミが浮かんだ

後半は読む気もない

被害者独り言

ジャニーズ報道を見ると動悸が早くなって胃の中が全部逆流しそうになる。

その理由は単純で、自分性的被害と人にしてしまった加害を同時に思い出して心臓が締め付けられるように痛くなるからだ。

被害者面だけしたいわけではないので、先に言ってしまうが、自分性的加害者でもある。

相手は妹みたいにかわいがっていた2つ年下のいとこで、親戚同士のお泊まり会ときに寝ているところを触りに行った。

生々しい描画がしたいわけではないので詳細は省くが、直接触ろうとして下着を少し下げたところで目が覚めそうになったので、慌てて部屋から出ていった。

その時は自分兄弟含め何人もの親戚が泊まる会だったのでおそらくは特定されることはなかったと思う。

その後もたまにあったりしたときはやはり兄妹みたいな関係でいられたので、そんなことを少しずつ忘れつつあった。

それから20年ほど会わない時間があったのだが、その子父親が亡くなったという話を聞いて、葬儀に参加することになった。

その時自分はすでに結婚していて子供も二人生まれていた。結婚式はやらなかったので親戚にはハガキで報告を送った程度だった。

の子母親自分母親の妹にあたる。

葬儀が終わってからも母と妹の話は終わらず、しんみりとした雰囲気の中でうちの子供達だけが騒いでいた。

すると、妹みたいだったいとこが子どもたちと遊びながらふとした瞬間に手を止めて泣き出してしまった。

どうしたのか聞いてみると、父親自分の子供を見せられなかったことが悲しくなってしまったのだという。

の子母親も、亡くなった夫に孫を見せてやれなかったことが本当に悔しいと一緒に泣き出した。

そんなところに子供を連れてきてしまたことを少し後悔した。

少し落ち着いてそういえば結婚はどうしたのか聞いてみたところ、「じつは、〇〇ちゃん増田名前)は大丈夫なんだけど、、、」という枕詞とともに自分男性恐怖症であることをこちらに告げてきた。

はっきりとした理由は言わなかったけど、親戚を含めて自分以外の男性が怖いのだという。

今回の葬儀についても遠回りに自分以外の男のいとこは参列を断っていたという。

その瞬間、それまで忘れていた自分がしてしまたことがフラッシュバックのように思い出された。

それはつまり自分性的加害をその子にしてしまたことが原因で男性恐怖症になり、今日今日まで苦しみ続けていたということではないか

いとこが泣いているのも、母親が泣いているのも、全部自分のせいではないか

それなのに加害者である自分けが許されているとはなんておかしな状況なのか。

今頃あの世ですべてを知ったこの子父親が、どんな形相でこちらを見ているのかを想像しただけで背筋が凍る思いだった。

すべてを白状して懺悔したい気持ちが、自分だけは信じつづけてきたこの子真実を突きつけてしま残酷さに負けてしまった。

保身と言われればそれまでだが、真実を知ってしまうことが今更傷を深くえぐり返してしまうことのように思えてできなかった。

ここから言い訳になる。

自分性的被害にあったのは小学校5年生のときに、民間キャンプ体験合宿に参加したときのことだった。

インドア自分に対して、仕事で忙しかった親が夏休みに無理やり参加させたもので、同年代の子10人くらいが、30歳くらいの優しい男性インストラクターに色々と教わりながら自然体感する教室だった。

キャンプ体験自体はとても楽しかった。

悪いことをしなければ怒らることもなく、みんなで料理を作ったり自然に囲まれテント眠るということ自体が新鮮で楽しい経験だった。

2日目の夜、尿意を感じて夜中にふと目が覚めると隣にインストラクターが横たわっていた。

その片手が、自分下着に入れられて股間を直接触っていた。

自分が何をされていたのかの自覚はなく、なんとなく嫌だなと思いながらも「トイレに行きます」といってその場を離れた。

戻ってきたときにはすでにインストラクターはその場にはいなかった。

これが性的被害だと気づいたのはずっとあとのことだ。

今にしてみれば思い出すだけで背筋がぞわっとするほどの嫌悪感がある。

ただ、そのことは自分にとって歪な形での性の目覚めとなった。

一つは尿意によるもの快感によるものかわからないながら、勃起してしまった自分への戸惑いが強く残ることになった。

同性愛者を差別するつもりはないが、自らが同性に対して性的な何かを感じることに猛烈な嫌悪感と恐怖を覚えるようになってしまった。

今に至るまで、男性恐怖症(男性過敏症)は解決されないままでいる。

もう一つは、性的欲求解決手段として、「寝ている相手を触る」という行為が強烈に印象付けられてしまった。

あの瞬間に印象づいたわけではなく、思い返し疑問を反芻している間に塗り重ねられるように刻まれていったのだと思う。

そして、自分性的加害へとつながってしまった。

自分はいとこのことが本当に好きだった。

それは自他ともに認めることで、それが恋愛感情であるのか、兄妹間による愛情であるのか、長女であるいとこにも、末っ子である自分にも分からなかった。

相手がどうかはわからないが、小学生くらいまでの間のことでありながらも自分には命と同じくらいに大切な存在だった。

それが一切の言い訳にならないどころか、それなのにどうしてそんなことをしてしまったのか自分でもわかっていないというのが正直なところだ。

全ては想像力の欠如であったのだと思う。

好奇心に負けてしまったというよりは、たまたまできる環境が揃ってしまったところに、されたことがある人間がいただけのことなのだと思うしかなかった。

ただ、本当に、本当に今では後悔しかない。

自らを呪い殺したい気持ちばかりが頭を支配している。

ジャニーズ報道を見るたびに、そのことが思い出されて心臓が締め付けられる思いがする。

自分への性被害がなければいとこへの性被害がなかったかどうかはわからない。

そればかりは本当にたらればで、だからそのことについて性的加害者を責めるつもりはない。

それどころか、もし自分への加害がなかったらという思いが持ち上がろうとすると同時に、そんなもの相手への加害の言い訳になるわけがないという鉄槌が下るのだ。

加害者なのだから苦しんで当然という言葉が、いつでも自分を苦しませてくる。

それを当然のことと受け入れなくてはならない苦しみから逃げることはできない。

自分はこのことが原因で男性恐怖症になった。

学生時代同級生との関係をうまく築くことができずに孤立してしまったし、未だにゲイホモセクシャルに対する直感的な嫌悪感払拭できないままでいる。

思春期を迎えて、されたことに対する意味理解できるようになればなるほどその考えは強くなった。

そんなことさえ、いとこのことを男性恐怖症に陥らせておいて言えることではない。

わたし被害は、自らの加害によって全てが甘じて受け入れざるを得ないものへと変わってしまった。

断じていうが、それ以降自らが痴漢行為に手を染めるようなことはない。

される側の辛さを知っているつもりだし、それによって人生がどのように狂ってしまうのかも知っているつもりだ。

そんなことを考えているときでさえ、狂わせた側としての責任という鉄槌が脳天に振り下ろされ続けている。

ジャニーズ報道を目にする度に、自らの責任によって脳天への鉄槌が繰り返され続けている。

報道を止めてほしいわけではない。

ただ、被害者数百人という数字を巨悪を叩くだけのエンタメで消費しないでほしい。

繰り返すが、自分の加害を擁護するつもりは一切ない。

その上で理解してほしいことは、ジャニーズの最も醜悪な点として被害者を共犯関係にさせている点にある。

ただ単純に、一人の大人から数百人の児童被害を受けていたと言うだけの話ではないのだ。

彼らは「アイドルとして成功したい」という正義のもとに、黙認や通過儀礼という解釈による加害の助長を担わされていた。

それが分別のつかない年端も行かぬ年齢の頃から組み込まれるように作られていたと考えれば、その仕組みのあり方がどれほどおぞましいものかわかってくると思う。

大人であれば立ち止まれものであり、大人になれば後悔するようなことを、信じてる大人にやらされていたのだ。

彼らは被害であると同時に加害者である

そのことが今まで被害を表沙汰にしなかったし、ジャニー喜多川氏はそれを理解した上で、分別のつかない年齢の子供だけを集め続けてきたのだろう。

金に目がくらんだ親さえも巻き込んで。

それはもう端的に言って地獄だ。

どれだけ表向きに眩しいエンターテイメントを演じていても、その土台に埋もれているもの地獄すぎる。

今回の一件が巨悪を叩くエンタメで終わってしまえば、さらなる地獄が地層として積み重なるだけになってしまう。

そんな地獄地獄を生む呪い連鎖を断ち切るためには、一つ一つのケースと向かい合い、絡まりあった被害と加害を解いていく必要がある。

少なくとも、今のままただ単に巨悪を叩けば叩くほど、少しでも加害に手を貸してしまった被害者の心の傷さえもえぐっていくことを理解してほしい。

もちろんそれがあなたにとっての正義だというならば好きにすればいい。

自分天国に昇っていく家族を、一人地獄から見送る覚悟ができている。

そんな辛い覚悟を、ただただアイドルを目指したかっただけの少年たちに背負わせていいとは到底思えないのだ。

2023-08-28

[]まとめ5

はてサ勝ち組になりたいっていうから

3億あればお前も勝ち組になれるよっていったら

はてサ勝ち組になるためにFIRE勉強会に出かけて

着々と意識を高めていった

勝ち組になるためには投資をしなければいけない

はてサ世界金玉インデックスという

世界中の金玉価値投資する商品を積み立てで買い

爆速勝ち組に到達すると息巻いていた

そして金玉価値を上げるためには何が必要か考え

出した結論世界中の金玉の数減ればいいだった

はてサは鎌を持って世界へ向けて飛び立っていった

はてサアメリカFIREされたという

anond:20230828073359

はてサが語りたいっていうから

金玉はなぜ存在しているのかっていうお題を与えたところ

はてサ金玉子供を産むためにある

とかふざけたことを言い出したので

はてサ金玉

見てよし

触ってよし

擦ってよし

揉んでよし

炒めてよし

刻んでよし

しゃぶってよし

煮てよし

揚げてよし

投げてよし

握ってよし

何をしても答えてくれる万能の素材であると言ったら

はてサ泣いちゃった

anond:20230827082743

はてサ中日ドラゴンズを許せないっていうから

悪いのは立浪ってやつだって教えてやったら

天誅を下すと言って駆け出していった

はてサ立浪を見つけると

米を食わせろ米を食わせろと

金玉を投げつけて攻撃した

立浪は得意の二塁打金玉を打ち返す

はてサ素人の球もHRにできないのかと暴言を吐いて

Tはダメージを受けたので

から出したチャカで反撃した

はてサ金玉銃弾を受けて死亡した

はてサは米を食わせろ米を食わせろと

言いながら生き絶えた

Tはそれでも米を食わさなかったという

anond:20230826080117

はてサアイドルになりたいって言うから

金玉アイドルしかないと考えたもの

金玉アピールすると襲撃されて

金玉を奪われて金玉アイドル失格になってしま

しかはてサから金玉を取ってしまえば

アイドルになれるはずもなく

はてサには金玉を除いた魅力が必要

って語ったら

はてサ泣いちゃった

anond:20230825075012

はてサが死んだってうから

葬儀に参列したら

ギラついた目の人間が集まっていた

一通りの葬儀が終わると

司会らしき人間

これより金玉争奪戦を始めます

宣言すると

屈強な男たちがどこからか取り出した武器を手に野太い雄叫びをあげた

予選として問答無用の殺し合いが始まり

血みどろの小地獄ができあがっていく

誰も止めないものから

予選なのに全員が死んでしまった

では私がこれをもらっていきます

と司会らしき男が金玉はてサ死体から引きちぎり

颯爽と歩き去った

その後本物の司会の死体発見されたらしい

葬式なのに人が死にすぎる

はてサ金玉は争いを生むのだ

anond:20230824074801

はてサ投資を始めたいって言うから

インデックス投資方法説明したら

そんなのじゃダメだと全然足りないと怒った

金玉に金を出して貰えばいい

そう言ってはてサ野村證券に行って

はてサセクシー金玉投資できる商品を作ってもらった

はてサ金玉セクシーにすればするほど価格が上がっていくような商品だった

はてサはがんばって金玉をぷりぷりにして価格を上げていった

ある日はてサは家に訪ねてきた投資家に金玉を奪われた

はてサが作った商品は満期になると

金玉現物を引き渡す商品だったのだ

はてサ大金と引き換えに金玉を失ったのだった

anond:20230823075116

はてサラーメン屋をやり始めたって言うから

食べに行ってみたら

予想通り金玉出汁の効いた絶品味噌ラーメンだった

味噌は何使ってるんだい

と聞くと

うんこです💩

と答えた

ラーメンのために美味しい味噌毎日食べて

うんこの味を調整しているそうだ

はてサうんこは美味しい

anond:20230822073711

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