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はてなキーワード: 牧歌的とは

2024-06-22

最近バンドモノが流行ってる理由

美少女モノの需要が高まったことで美少女を主役にしたい

・様々な統計データによりバトル要素やスポーツ要素がないとストーリー理解できない層の多さが判明

・バトルモノは異世界需要とかち合うためやるなら異世界ハーレム

普通スポーツモノは展開の遅さがネックに

スポ根要素があり展開の早い美少女バンドモノが乱造される

凄いな。

完全にコンテンツ産業」だ。

利益を得るための仕組みを大前提として「商品」が作られていってる。

昔のように「監督のこれやりてー」を主軸とした牧歌的コンテンツを作るのはもう難しいのだろうな。

2024-06-13

人が集まればいいというわけでもない

去年、とある子供向けイベントに行って、とても良かったので今年も行った。今年も悪くはなかったが、去年のほうが良かった。主催の人は「去年より来てくれた人はずっと多い」と言っていた。そうだろうなと思った。

また別の話で、私のお気に入り洋菓子店フェイク)がサロン・ド・ショコラフェイク)に出展したことがある。せっかくのイベントからと用意したもの話題を呼び、予想以上に出展ブースが混雑し列もできてしまって、ゆっくり商品を見てもらうことはできなかったそうだ。

インターネットの、SNS時代である

良いものは知られる。地道に続けていれば、やがては知られる。牧歌的だった時代は終わる。

参加者・来場者が増えると、それを捌くための人員必要なことはオタクならよくわかっていると思う。壁サークルには混対チケットが配られるのだ。それでも間に合わなけれ運営スタッフを増やし、それでも間に合わなければ会場を大きくするしかない。それでも間に合わないこともある。サロン・ド・ショコラの大行列がもはやお馴染みであるように。

ビジネスなら金を取れば良いだろうか。チケットの値段上げても上げてもずっとキャパオーバーしてるディズニーリゾートを見ると、人の多さに対する銀の弾丸はないのだと思わされる。

結論はない。

2024-06-08

アメリカに住んでいたときの話

住んでいたのは都市近郊のベッドタウンで、地下鉄路線バスを利用して生活していた。ジャームッシュ映画パターソン』はアメリカ路線バス運転手主人公だが、そんなバスの話。

地下鉄駅までのバスは1時間に2本しかない。家周辺は治安が良いエリア(つまり金持ちが多い)であるためバス利用者は少なく、乗客はほぼ貧しい人たちだ。お金持ちの家に通うお手伝いさん店舗従業員、そんな感じ。白人ほとんどいない。

そんなバスにかける予算は少ないのだろう、運転は荒く、遅延どころか早発もよくあること。『パターソン』のような牧歌的雰囲気は全くなく、非常に匂う客がいたり、車内は常に小便臭い

駅周辺は、治安が良いといわれるエリアでも例外で、スリスマホ強盗がいる。バスターミナルに綺麗な身なりの人はおらず、くすんだ色あいの薄暗いロータリーは、電灯も少なく所どころ天井板が垂れ下がっている。

ある日ターミナルで、通りがかる人ごとに「ティッシュをくれ」と頼んでいる男性がいた。身なりは貧しい。私も一旦通り過ぎたが、彼が「どいつもこいつも冷たい奴らだ」と悪態をつくのが耳に入った。

トイレに困っているのだろうか?駅にトイレはなく(乗客には使わせない)、公衆トイレもないので私も苦労することがある。ふとカバン日本ポケットティッシュがあるのを思い出し(日本ほどポケットティッシュは身近なものではない)彼に渡した。

間近で見ると、汚れた帽子からはみ出したちぢれ毛は白髪が混じり、黒い肌に刻まれた皺は深い。彼は私の手を取って感謝し、左手指輪がないのを見て「結婚してないなら付き合ってくれ」と手の甲にキスした。意外なほどに唇の感触は柔らかかった。

適当にかわして立ち去ろうとすると、ナントカという名前YouTubeをやっているから見てくれという。来たバスに乗り込み、彼が追いかけて来ないのを確認してホッとした。

家に帰ってその名を検索してみたけれど、そんなチャンネルは見つからなかった。

2024-06-03

引っ越しテーマにした漫画小説

あんまりないジャンルだけど、面白いと思うんだよね

自分自身現在絶賛引越し準備中なのだけど、引越しのものが意外と面白いと感じている

ちなみに通算10回目

ごく普通引越しだとしても、こんなことが大体イベントとして発生する

そう、考えること、やることがとにかく多いんだよね

ということは1つ1つの引越し差別化ができる

1エピソードにつき一家族紹介しても、恐ろしく良い題材になると思うよね

状況にも大きく左右される

直ぐに考えただけで

と様々な要因が関係して差が出ている

異世界や悪役令嬢にしなくても、現代普通の家庭を出すだけで十分

引っ越しなんて単純なことだけど準備から完結まで扱えばすごく面白い題材な気がする

結婚仕事と違って大抵の本では一行で語ること多いんだけど、個人的にはそれだけで物語作れると思うよ


例えば

もうこれだけでなんか作れそう

ゴルゴ的な何でもできる引っ越し屋を主人公にすれば、連載だってできそう



追記

沙村広明「おひっこし」は初耳だった

とんがった設定が特徴の面白い漫画家なので、ちょっと読んでみるよ(この日記主題合致していないみたいだけど)

夜逃げ屋は絵柄が好きになれなくて、ほとんど読んだことがないんだよね

自分おもしろなーって思うのは、そういう裏側的なものじゃなくて、牧歌的普通引越しの中にあるドラマなんだよ

例えば引っ越し先の寸法がわからないのに収納家具だけを先に買いそろえて大失敗するとか

転勤先の交通事情を下調べしていなかったらまさかの車オンリーだったとか

ガチ引越しマニア実家しか知らない人が結婚したとき温度差とか

アパートを綺麗にしてから退去する人 VS ゴミ家具放置ちゃう

一人一人がどういう視点引っ越しというものを考えているのか可視化するのってとても面白いと思う

2024-05-19

わびさびの基本

わびとさびは、日本重要美的概念

わび

わびとは、新鮮で素朴なもの

シンプルさと静けさを表し、素朴な美しさも取り入れている。

自然によって作られたもの人間によって作られたものの両方が含まれる。

また陶磁器流れる釉薬によって作られる模様のように、全体に優雅さと独自性を与える偶然の要素 (あるいは小さな傷さえも) を意味することもある。

さび

さびとは、年月を経て美しさを増すもの

経年変化のことを指し、使い込むことで変化していく概念が、物をより美しく、より価値あるものにしてくれるかもしれない。

これには、人生のサイクルを正しく理解することと、損傷を注意深く巧みに修復することも含まれる。

その他の見解

「わびとは、素朴でありながら洗練された孤独な美の性質です。さびとは、青銅緑色腐食であれ、木や石の苔や地衣類の模様であれ、風化と経年変化によって生じるその特質です。」- 精神の反映:アメリカ日本庭園マギー・オスター

「もともと、日本語のわびとさびはまったく異なる意味を持っていました。さびはもともと「寒い」「痩せた」「枯れた」という意味でした。さび本来社会から離れて自然の中で孤独に生きる悲惨さを意味していました...14世紀頃両方の言葉意味は、よりポジティブ美的価値観の方向に進化し始めました...その後何世紀にもわたって、わびとさび意味は大きく交差し今日ではそれらを分ける境界線は実際に非常に曖昧になっています。」- 「アーティストデザイナー詩人哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン

「わびという言葉は、翻訳には向きません。孤独寂寞、素朴な素朴さ、静かな風情、骨董品に対する優しい愛情、気取らない、そしてむしろ憂鬱な洗練など、さまざまな意味を持ちます。」- 「日本建築古典的伝統現代版」数寄屋の流儀伊藤貞二、二川幸雄

「...小堀遠州桂離宮設計者として広く知られている男。建築庭園適用された遠州様式は、宮廷伝統優雅さと優雅さと、千利休が好んだ厳格な素朴さを統合したものでした。この組み合わせは、思っているほど突飛なものではなかった。なぜなら、利休さび(人里離れ、静けさ、牧歌的簡素さ、自然への近さを暗示する美的理想)は、長い間伝統的な日本人の顕著な特徴であったある種の現実逃避的な要素に似ていたかである。」- 「桂 王子の隠れ家」内藤彰、西川丈志

「わびさびとは、不完全、無常、不完全なものの美しさです。控えめで謙虚ものの美しさです。型にはまらないものの美しさです。...わびさびに最も近い英語はおそらく「rustic」でしょう。 ……わびさびものは、研究されておらず、気取らないものである……彼らの職人技は、見分けるのが不可能かもしれない。- 「アーティストデザイナー詩人哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン

「侘び寂びは、謙虚さ、抑制、単純さ、自然主義、奥深さ、不完全さ、非対称性を特徴とし、シンプルで飾り気のない物体建築空間を[強調]し、時間と手入れが素材に与える穏やかな美しさを[称賛]します。」-「はじめに:茶の湯」、裏千家シアトルホームページ

「荒々しさに対するある種の愛が関係しており、その背後には隠された美しさが潜んでいて、私たちはそれを独特の形容詞で渋い、侘び、寂びと呼んでいます。...この内に秘められた美しさを渋いと呼んでいます創造者によって鑑賞者の前に提示される美。鑑賞者が自分自身で美を引き出すことができる作品世界には、それぞれの性質環境に応じて、美のさまざまな側面が溢れていますしかし、その味わいがさらに洗練されていくと、必然的に渋い美しさにたどり着くのです。」- 「知られざる職人:美への日本洞察」、柳宗悦バーナード・リーチ

日本滞在中、渋いという言葉を頻繁に聞いたことがあるはずです。この言葉英語に正確に翻訳することは不可能です。「厳格」、「抑制された」、「抑制された」、「陰気」、これらの言葉は許容される代替品に最も近いものです。語源的には「渋い」という意味で、奥深く、控えめで、静かな感覚を表すのに使われます...この単純な形容詞が最高の美しさの最終基準です。」- 「日本民芸柳宗悦

2024-05-10

ブルアカアニメの目指す場所さえ感じ取れないてないニワカ・ニセモノ・エアプ・アンチは清渓川で洗礼をして出直しから口を開きな

ブルアカへの怒り

あーマジで見てられね―な。

お前がブルアカのこと好きでもなんでもないことは明白なんだよ。

バ レ バ レ って奴ね。

ブルアカ本質、透き通るような世界観の青を理解していればブルアカアニメが何を目指していたのかぐらい秒で理解できる。

ブルアカが目指していたのは「韓国原産ゲームアニメ化という偉大なる成功体験再現」なんだよ。

韓国ゲーム二次元大国日本文化侵略を繰り返し、その象徴としてアニメ化というゴールへと到達した日々の走馬灯こそがブルアカの見る夢なのだ

原作ゲームを荒削りに再現し、キャラ萌え狂気と闇(ニチャァ)で安易オタクを刺激しようとする牧歌的原色的な平成中期のポップカルチャーをやり直しているわけ。

原作ブルアカOPを聞いた時、君は言いようのない懐かしさを覚えたはずだ。

ブルアカはね、若いオタク青春を味わうゲームじゃないんだよ。

老いオタクたちが、自分たちの夢見ていた青春を思い出すゲームなんだ。

青春を夢見ていた頃の気持ちを共有することで、オタクとしての若々しい情熱を蘇らせてくれるんだ。

ブルアカは決して最新型の体験ができるゲームじゃない。

今風の技術と絵柄を使っているだけで根っこの部分は何十年も前に流行ったような王道楽園美少女動物園だ。

偉大なるキム・ヨンハが目指しているのは、まだ美少女動物園が青々と輝いていた頃を懐かしむことなんだよ。

レッドオーシャンしていくなかで差別化のために迷走を繰り返し、パイを広げていくためにオタク臭の脱臭を図りだす前の時代追憶だ。

彼は未来を見通す賢者ではなく、自分経験によって学んできた歴史課題評価する愚者だ。

愚者であるからこそ、余計な知恵を振りかざさないからこそ、その実直な気持ち受け手の心を捉えるのだよ。

日本カルチャーが忘れた原始的萌え体験を愚直になぞり続けるキム・ヨンハの繰り出した新たな一手こそが、オタク黄金時代風なアニメ化なわけだ。

OPだけやたら気合が入ってて本編の作画はちょいちょい手抜きを感じさせるこの空気、これを懐かしめない奴はブルアカのことを何も分かってねえ。

声優がフルボイスで全部の台詞を読んでくれているだけで嬉しいと思えるかどうかが試されていることが、自分が本当のファンであることを証明してくれる試練となっていると思えねえのか?

ブルアカアニメは俺達に大事気持ちを思い出させてくれたぜ。

このガッカリ来るような気持ちがよ、当たりの少なすぎるガチャのような理不尽さがよ、スコッパーたれと言うが如くの玉石混淆、これが俺達の脳をぶっ壊してきたんだろうが!

☆3が全然引けねえから☆3を同時に引けただけで自慢スクショ取っちゃうような、そんな賭博性が快感大原則なんだよ!

ブルアカアニメから成功して欲しいという気持ちが裏切られたと感じる時、その気持ちに「コレだよコレェ!」となれないような奴がブルアカをいっちょ前に語ってんな。

過酷オナニーとやらでもやってるがいい。

そしてアニメ版エデン条約編の評判の良さを聞きつけて帰ってきてから「クソすぎて途中離脱してたわwwww」と言ったこから炎上して全部のアカウントが凍結されるがいいさ。

2024-05-02

学歴コンプレックス卒業した 1/4


約十年前に、とある4年制大学卒業した。名を佛教大学という。

高校生の頃は、仏教を学ぶための大学だと思っていたが、それはごく一部の人に限ったこである

実際には文科系総合大学だった。ちょっとだけど理系もある。

なんで、この増田でこんなことを書こうと思ったのか。それは、この大学での思い出や記憶に踏ん切りがついたからだ。人生の一部に納得ができたというか。それで、卒業シーズンということで、今回書いてみようと思った。書き始めは3月下旬である。ずいぶん時間がかかってしまった。

普段から増田投稿してるわけじゃないから、ヘタクソな箇所があるかもしれん。ご容赦を。なお、「学歴コンプレックス」という言葉は、当日記中では使用していない。

佛教大学は、いわゆる中堅私大と呼ばれるところだった。平均偏差値は……なんとも言えない。理学療法士作業療法士になるための学部は高偏差値なのだが、それ以外の学部はお世辞にも偏差値が高いとはいえない。Fランクではないが、基本的には関関同立不合格だった人が入学してくる。滑り止め率が極めて高い大学である

なんで自分がここに入学たかと言うと、やはり滑り止めだ。第一志望としては同志社大学(政策学部)に行きたかったのだが、実力があと一歩及ばなかった。残りの関関同立も全滅して、残念ながらこの大学社会学部に進むことになった。

大学4年間のことはそこまで覚えてない。実際には、いろいろあったんだろうけど。

学業一生懸命に取り組んだ。授業をサボることもあったけど笑 成績はいい方だった。卒業単位が揃った後でも、まだずっと授業に出続けていた。学問が好きだった。

アルバイト金閣寺にあったマクドナルドで、部活(実態サークル)は地味めの文化系だった。いわゆる【文芸サークル】みたいな感じか。みんなでドキドキ(?)な文芸を書いてたんだが、大学生なんで、俺を含めたほぼ全員が既存作家コピペだったのが記憶に残ってる笑

ただ、今になると記憶がない。本当に記憶がない……自分はこの大学で何をしていたっけ? そんなに無為ではなかったはずだが。

学食は1人で食べることが多かった。それ以外の行動も、1人または少人数のどちらかだ。授業は半期ごとに目いっぱい取った。32単位分を。教職課程は2つ取っていた。186単位を取得して卒業したんだっけ。サークル飲み会では、やっぱり1人でちびちびと飲んでいた。大した思い出は詰まってない。

冒頭が退屈なのはよくない。本題に入ろう。まずはアブストラクトだ。

大学1回生の時に思ったんだ。「このままじゃダメだ」って。第一志望の大学に入れなかったけど、大学生活をエンジョイして、就活では結果を出して、大学入試の結果をバカにしてきた家族兄弟や親戚を見返してやろうと思っていた。

でも、正直心が折れかけたよ。1回生の頃からそうだったけど、とにかく在学生の質が低すぎた。ヤバイと感じていた。ただし、これは当時の考え方にすぎない。今だと「どこの大学生でもあんなもん」くらいの緩い考え方である

当時は、実力を高めることに貪欲だった。飢えていたのだ。強い自分に。弱い自分が嫌だった。人としてレベルが低い学生を見ると腹が立った。自分がこいつらと同じなのかって思うと腹が立ってしょうがなかった。一刻も早く、ここから卒業して、立派な社会人になりたいと思った。

そういうわけで、学業とか、TOEICとか、文芸サークルとか、アルバイトもそうだけど、とにかく何でも頑張って、最後は……いい会社から内定をもらうことができた。アベノミクスの始まりの頃で、景気はゆるやかに上向いていた。

入社したところは、いわゆる一流ではないけど、佛教大学卒業者で会社員~という観点からすると、いいところだった(電子機器を作ってるところ)。同学年では、全学部を含めて№1の結果だった。

さて。ここからは、各学年の時の思い出を綴っていく。

一番最後に、今の自分気持ちを書いてみたい。



大学1回生の頃~

入学式と最初オリエンテーションが終わった後、知恩院という重要文化財のある宗教施設に行くことがあった。大学がやっている新入生向けのイベントだった。浄土宗大学だったので、そういう縁からか、知恩院僧侶の方々が歓迎的な催しをやってくれた。

今思えば、重要文化財のお堂にあれだけの新入生を詰め込んで、いろいろやってくれるってスゴイことだったと思う。

この時はまだ、この大学に悪い印象はなかった。しかし、本格的に授業が始まってからは、上に挙げたようなマイナスイメージが付きまとうようになった。大学時代日記を参考に書いていく。

以下、特定の思い出エピソードを語る場合は、太字タイトルを付けて1字下げにする。

1.授業中の男子学生

 新入生向けの英語の授業だったかな。前の席に座ってた男子学生が、先生の話を聞かずにケータイを弄っていた。先生がさ、「授業中です。携帯電話はやめなさい」って言ったんだけど、彼は聞かなかった。

 先生それから何度か指導をするんだが、やっぱり聞かない。で、そいつは「う~い、わかりやした~」みたいな感じで答えている。先日まで高校生だった人には、授業はきついのだろうか(と当時の日記に書いてあった)。

「もういい。お前は落とすっ!!!!」

 先生が小さい講義室の中で、声を張り上げた。いやあ、あれは久々にびっくりした。その学生は退出を命じられ、教室には重苦しい雰囲気が漂った。

 当方は、京都まれ京都育ちである佛教大学には、高校生の時にオープンキャンパスで来たことがあった。その時は、悪い環境じゃないなと思った。学生以外にもいろんな人がキャンパスにいた。学食には障がい者とか、ご老人とか、浮浪者の人とか、中高生とか、とにかく多様性に富んでいた。どんな人でもキャンパスに受け入れる空気感が好きだった。

 しかし、【カオス】というのは多様な方向に拡がる。それは、いい方向ばかりとは限らない。そういうものなのだ……。あと、ついでを言うと、この頃はちょうどキャンパスの再整備工事最中だった。今ではクソデカ超立派な新一号館が鎮座している。仮校舎とかもあった。実際、授業中の思い出と同じくらい、工事現場が間近にあったイメージが強い。

2.想像を絶する張り紙その他

 一般的に、若い人ってモラルが低くなりがちである。それはいい。若いんだからマナー常識もこれから勉強すればいい。

 しかしbut。自分学内で見た貼り紙の中には、「え……?」というものがいくつかあった。以下に列挙する。

(貸出物品のこと)

 多目的情報ルームみたいな施設があったのだが、職員カウンターの前にこんな趣旨張り紙がしてあった。

「今後は学生への事務用品の貸し出しは行いません。貸した後で帰ってこないことがあまりに多いためです」

 久保帯人ブリーチじゃないけどさ、俺にしてみれば「なん…………だと…………」だった。

体育館張り紙

 キャンパス内の鷹稜館(おうりょうかん)という建物には、体育館兼式辞ホールがある。飲食禁止である。昼休み中に駄弁るのもダメ。そういうルールだった。しかし、学生の中には、スポーツとかするエリア内でメシを食べたり、授業の空き時間ステージ上で寝てる人が多数いた。

 いつからだろうか、「館内での飲食や休憩はできません。見つけ次第指導します」といった貼り紙が増えていた。その際の、自分認識としては……「なんでこんな貼り紙存在するのだろう。管理者ダメって言ってんだからダメなんだよ。なんで従わないって選択があるんや?」というものだった。

 大学生になって一年も経ってなかったが、高校時代とは違う風景がそこにあった。大学自由なところとは聞いていた。でも、俺が想像していたのはこういう自由ではなかった。

コピーカードのこと)

 何円だったかは忘れたが、学内のどっかで【コピーカード】を販売していた。ただ、部活(サークル)が小説などを書くところだったんで、印刷物を刷る時の負担が大きいんだよな。100%公的もの(ex.学内新聞関係)だと部活動費で賄えるが、個人的趣味出版物だと難しいものがある。

 同じ部活にいた文学部学科は忘れた)の女の先輩が、趣味同人誌を作ってたんだけど。その人が、ゼミ教授から一時的に借りているコピーカードがあって……教授が持ってるコピーカードって、枚数無制限なんだよな。もしくは1万枚とか度数があったと思う。

 もうわかってるとは思うが、その先輩は、印刷無料販売用のマイ同人誌を大量印刷していた。確かあれは、『TIGER & BUNNY』か『ギルティクラウン』のどちらかだった。さすがに今では、どっちか思い出すことはできないけど。

  「先輩、それヤバいっすよ」と言ったけど、先輩は素知らぬ顔で答えるのだ。

増田君。文学活動にはね、お金必要なんだよ。これも社会のためだと思って、見逃してほしいな♪」

 だってさ。あまりクールだった。いやぁ、あの時は痺れたね……笑

 (参考:https://d.kuku.lu/m3mguzmej)

 ※度数1000のコピーカード画像自分教授から借りてそのままだった笑

この頃から自分は佛大の学生とは距離を置こうと考えていた。

早く、とにかく早く実力を身に付けたい。レベルが高い社会人になるべく、今から努力を積み重ねるのだ!! この課題については、なんとしても早く――昨日のうちにでも達成する必要がある。

そして、大学卒業後は、一流どころの大企業へ。そんな牧歌的なことを考えていた。

https://anond.hatelabo.jp/20240502193039

2024-04-30

ビットコインは悪意を前提にシステム設計されたがまだ悪意に対する認識が甘かった

世界で1ノードのみがブロック生成の報酬を得られるという仕組みは牧歌的すぎたし、

マイニングプール運用するメリットが無くなるような仕組みが必要だった。

2024-03-29

スキップローファーをまとめ読みした感想 ネタバレ注意

持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。

人間だれしも自分特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、

自分自分環境立ち位置理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。

高校生のみつみちゃんは「まだ」自分ちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。

作品内で扱われている「人間関係ポジショニングゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップローファーキャラクター演出をしている。

氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。

作中では、稠密人物内面描写キャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間相互作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。

グループで過ごす時間不協和音スレスレスクールライフコメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的空気を持っているのは作者の技量だと思う。

スキップローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。

田舎と都会、陰キャ陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃん水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。

そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女物語を大きく動かす役割もつ可能性は高いか

このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。

恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来パートナーのために舞台装置出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、

ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。

本当はもっと掘り下げたり、メタ視点から感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクター名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。

需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性ありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。

自分には価値自己肯定感がないから……自分肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。

スキップローファーではそもそも都内進学校に通える学力があって、経済的問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。

志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。

スキップローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺世界とは無縁だよね。という強がりの業か。

アフタヌーン掲載漫画結構心理描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。

漫画を読んだ後、こうやって乱文でも書かないとやっていられない27歳誕生日

スキップローファーをまとめ読みした感想 ネタバレ注意

持ってる人間と持ってない人間の関わりあいを狙って描いていそうなところに注目したい。

人間だれしも自分特権を持っていることには無自覚で、社会を生きる上で、持ってない側からそれを直接的に指摘されることはないから、

自分自分環境立ち位置理解できる程度の観察力や内省力がないと、「ああ自分は(相対的に)恵まれている」という考えには至らないし、そこに至るまでにある程度年を重ねるものだと思う。

高校生のみつみちゃんは「まだ」自分ちゃんと愛されて育ったことと、志摩くんが愛されずに育ったこと「まで」は気付いていない。

作品内で扱われている「人間関係ポジショニングゾーニング」についても、自覚的な側と、無自覚的な側、愛されている側と、愛されてもいない側、かなり繊細な部分まで、スキップローファーキャラクター演出をしている。

氏家くんの脆さと強さ、八坂さんの愛着への強かさと諦め、志摩くんの自己のなさ、みつみちゃんの自信ぶり。

作中では、稠密人物内面描写キャラクターを掘り下げる描写こそないけれど、彼らの言動を恐ろしくリアリスティックに感じるのは、人間相互作用することで起きる「トラブル」を上手に躱していることにあるかと思う。

グループで過ごす時間不協和音スレスレスクールライフコメディ”を謳っているだけあって、やっぱり、かなりとげとげしい描写もある作品なのに、大部分が牧歌的空気を持っているのは作者の技量だと思う。

スキップローファーが学園青春群像劇としての価値をもっているのは、それぞれの人物属性振りやキャラクター性に無理がないからだと感じる。

田舎と都会、陰キャ陽キャ、一軍と日陰者、現実では水と油のように混ざらない関係だと決めつけているのは「ああ、自分自身じゃないか」といえるくらい、みつみちゃん水と油をなじませる乳化剤としての機能をもっているし、こうあってもいいなと感じるまっすぐさは物語の中だけでなくてもいいじゃないかと思える。

そのみつみちゃんに、わざとらしくなく「あなたはでも、愛された経験をもっていますね」っていえる八坂さん、今後、彼女物語を大きく動かす役割もつ可能性は高いか

このストーリーは愛されて育ったみつみちゃんと、愛されずに人の顔色をうかがって生きてきた志摩くんをどう解決するかになっていくかというとこに落ち着くのか、正しさに生きるみつみちゃんを掘り下げるのか気になる。

恋愛漫画というフォーマットだと、主人公+未来パートナーのために舞台装置出来事が用意されていて、寄り道は誌面のためのフック、引きでの巧さとしてみてしまうけれど、

ここまで群像劇の色味が強いと、寄り道の寄せ集めこそが本題という印象になってきて、今後のストーリーがどうなっていくのか楽しみ。

本当はもっと掘り下げたり、メタ視点から感想を書きたい気もするけれど、ちょっと一気読みをするとキャラクター名前を憶えられないので、あの子があの子に対していった「少しのホントウ」をたくさんあつめたような作品でそういうがっつりした考察はしたくないな。

需要があるから、「らしく振舞う」とか、自我が強いから周りに合わせないとか、社会に対して協調性ありすぎることも、協調性がなさすぎることも、結構うんざりすることだと感じるけれど。

自分には価値自己肯定感がないから……自分肯定してくれる、承認してくれるあの子が好きなんだ」という解決にも、素直に納得できず「結局最低限、自己愛や社会的な地盤という下地必要だよね」という皮肉を放つ八坂さんに共感してしまう。

スキップローファーではそもそも都内進学校に通える学力があって、経済的問題に直面している子が出てきていないことも、この愛着(attachment)への問題を抱える青年という描写の分は物足りなく感じる面があるなと感じてしまう。

志摩くんがそういう意味で、単に幼稚・稚拙、初々しいという印象になってしまうのも、自分の中では頷ける。でも、やさぐれた感じとか、荒んだ感じを出したいキャラクターとしては彼は恵まれすぎている。

スキップローファーに感じる物足りなさは結局、それなりの予後可能性をもっているんだから。そんなに悩んでも君たちが最底辺世界とは無縁だよね。という強がりの業か。

アフタヌーン掲載漫画結構心理描写にも力をいれているように感じて、かなり好きなんだけれど。美大生とか高校生とかだと結局、上澄みの世界側だよね……って言いたくなってしまうらしい。

漫画を読んだ後、こうやって乱文でも書かないとやっていられない27歳誕生日

2024-03-02

anond:20240302090503

趣味牧歌的プロとのはっきりとした棲み分けがあったのって平成の途中くらいまでじゃない?

どのジャンルでもSNSだと本職にしてないだけのプロ顔負けが掃いて捨てるほどいてレベルが高すぎて〇〇が好きですとかもはや言い出せないし作り手としてコミュに参加することは不可能だし

2024-02-06

令和最初の5年間を代表するゲームゼルダ・ブルアカ・パルワールドの3つで決まりっぽいね

3つに共通

・親しみを感じるが唯一無二でもあるビジュアル

アクションRPG

暴力による問題解決

・ほのぼのしてて割りと残酷

ソロプレイ最後まで攻略可能

2作に共通

インターネット環境対応

・協力要素あり

女の子可愛い

なるほど。

今のゲームネット環境が前提であるとでもほざくつもりだったが、よく考えたらブルアカもパルワールドソロクリア可能なんだよな。

ぶっちゃけパルワールドマルチがメインってほどではなく、ソロの延長としてマルチがある感じだな(ARKと比べてサクサクから皆で協力しないと何も始まらんって状態じゃないのがデカイ)。

まあ売れるゲーム最大公約数ぐらいは語れそうではあるな。

ビジュアルでまずプレイヤーを惹きつけられないと何も始まらないってのは間違いない要素だろうな。

どこかで見たことがあるようなビジュアルでは似たようなゲームに埋もれて終わりだ。

ゼルダが毎回チマチマちょっとずつデザインを変えるのもユーザーに飽きられたら終わりだと思っているのだろう。

変にビジュアルが毎回一緒だとユーザーに新しい体験をさせようとしているうちに変な方向にズレてくか、ユーザーガチで飽きて終わりだからなあ。

映画が3作目ぐらいかおかしなことになりがちなのも、ユーザーを飽きさせない工夫が迷走した結果だろうな。

からといって全く真新しいものが来るとユーザーの警戒心が高まりすぎるので、どこか既存の物に近い感じにする。

そうすることで個々人の頭の中にあるクラウド的な所に保存されたイメージでどういうゲームなのかがキャプ画像を見るだけで想像もできて相乗効果だ。

絵柄とゲームジャンル乖離してないってのは大事だろうな。

たとえば、パルワールドコミカル雰囲気えぐいことをするというゲーム性と絵柄はマッチしている。

全部アクションRPGってのも見逃せないな。

コマンドポチポチ型のRPGはいい加減飽きられてきてるんだろう。

客を熱中させたいなら画面にずっと釘付けにさせた方がいいってことだ。

プレイヤースキル要求が低いゲームは段々とダレてくるのもあるな。

からといって難易度が高すぎるとプレイヤーが絞られすぎるのでアクションオンリーではなくRPGにする。

遊ぶ側が自然自分レベルに合わせた進行度で遊べるように勝手に調整されていくのがアクションRPGの魅力なんだろうな。

上手くなれば早解きが出来るし、下手くそでもいつかはクリア出来る。

でもこれをちゃんとやるならゲームバランスの調整は難しくなる。

正直この辺は運も絡むかな。

まあゼルダは流石に人海戦術とかでいい感じにやってそうだが。

アクションRPGの忘れちゃいけない要素に暴力がある。

敵を暴力で倒すのがアクションRPGだ。

これは実にシンプルで爽快だ。

ゲームルールがすぐに分かる。

敵を全部倒せ。はい終わり。

何よりこれは現代人に未だに組み込まれっぱなしの狩猟本能を適度に解消してくれる。

現代社会で獲物を堂々と狩れる場所なんて早々ないからな。

からハンマーガラクタを壊す店なんかが開かれる。

敵を殺して問題解決というシンプル世界現代人は求めているんだなあ。

世界観における残酷さは現代における重要要素だ。

一見すると暴力支配する世界に見えるが、やってみると意外と牧歌的な部分もある。

だけどやっぱこの世界暴力が全てを解決するんやっていう割り切りがある。

その割り切りの元でエグいことが色々起きていて、そのエグさを眺めてプレイヤーは安全愉悦に浸ったり可愛そうな被害者を笑ってたりするわけだな。

繰り返す暴力麻痺させないための適度な暖かさ。

そうしてリセットされた意識に再び暴力を叩き込むことで新鮮な脳内物質が出てくるわけだ。

甘味塩味で交互に楽しませるようなバランス感覚

娯楽としての重要気遣いやね。

なにより重要だと思うのが、結局のところソロクリア出来るのかってことだ。

ゼルダはほぼ完全にソロゲーだが、ブルアカソーシャルゲームだし、パルはオンラインゲームだ。

もしここで「このゲームは4人用なんだ。でもネット友達が見つかるから大丈夫だよ^^」と言われたら、ビビって遊ばない引きこもり日本には大勢いる。

ネット出会う仲間たちはクソの役にも立たない初心者だったり、説明を聞かない文盲挙げ句99999ダメージ無限に出し続けるチーターだったりの可能性がワンサカだ。

こんな状態ではクリアしたときにあるのは達成感よりもクソ味方を引かなかったことへの安堵感だろう。

まあそれはそれで独特の快感があるが、万人向けじゃない。

自分のペースで、自分の手で、ラスボスを手に掛けるっていう体験がやっぱ求められているんだろうな。

あくまで、ゲームが売れるための最大公約数的な意味でだけど。

こうしてアレコレ言ってみたが、なんかこうマジで「売れているものありがちな要素」って感じだな。

振り返ってしまうと売れるべくしてく売れているものが売れたって感じは強い。

そりゃそうだ。

刺さる人にはめっちゃ刺さるとしても、その刺さる範囲が狭いほどに売れなくなる。

スレスパはあのジャンルにおいて売れる要素の塊だが、それでもあのジャンル自体が刺さらない人が大勢いる。

アクション要素がないなら遊ばないとか、やるたびにリセットじゃ嫌だとか、そもそもカードゲームルールがごちゃごちゃしてて嫌だとか、ストーリー重厚じゃないと嫌だとか、売れなくなる要素が目白押しだ。

ストーリー的なゲームアーケード的にぶつ切りで遊ぶのは不可能ではないが、アーケード的なゲームストーリー的に遊ぶのはそもそもが無理という構造上の代替不可能性なんかもこの辺に絡んでくる。

たとえば、ブルアカエッチな見た目だから皆の前では遊べないけど、スマホゲーだから一人でこっそりは遊べるし、人前に見せて自慢したいならスクショを裏垢で公開すればいいわけで、ユーザー側の自由裁量で好きな遊び方が選べるゲームほど最大公約数的な条件下で有利って話だ。

こっからが、この話のオチなんだが、そもそもゲームの良し悪しを売れた売れてないで測るのはやっぱ無理なんじゃねえかな。

狭い範囲しかさらないけど、俺には滅茶苦茶刺さったか神ゲーだって作品が皆にもいくつかあると思うわけだ。

それこそ、outer wildsやLoL人類全員が遊ぶべきだって主張するやつがいたら、そいつが今後変なイデオロギーに染まる前に人格矯正されて欲しいと願ってしまうだろ?

売上はゲームの良し悪しを測る重要指標じゃない。

レビューの点数でさえそれぞれの好き嫌いが延々と喧嘩してるわけだ。

まあでも強いて言うなら「一見してイメージした内容から少しでもズレがないゲームであって欲しい」と思ってしまうよ。

そういう意味じゃ、ゼルダの最新作も、透明感のある学園銃撃スマホゲームも、ポ◯モンっぽい見た目のマイクラARKも、ちゃんと見た目や看板PV広告通りのゲームになってる。

そこは本当に立派だったし、そういう誠実さを持てるかは創作商売においてやっぱ重要なのかも知れねえなって。

2024-02-02

X

今のXに比べれば、政治的信条に基づいてリベラル系の政府批判や、

フェミ系の男女対立を煽る記事を有料でトレンド欄に乗せる程度だったTwitter時代はまだ牧歌的と言える程平和だった…

5chのアンチスレ渡り歩いてる俺ですら、今のXに渦巻いてる自発的対立煽動に恐怖を覚える

間違いなく、今日本で展開しているネットサービスで最低最悪の無法地帯だよ

2024-01-25

女がセックス生計を立てるってかなり原始的最近は逆に好感がある

管理したり組織化するヤクザ大人がおるから闇になってしまうだけでそういうのがなければ牧歌的で住み良い世界だったかもしれん

2024-01-01

情報量のない情報が欲しい

ネット散見するとたいていネガティブ記事ばかりが目立つところにある。

増田でも話題に上がるのはネガティブものばかりで、対立を煽るほど話題になる気がする。

そういうのはもういいんだ。疲れたんだよ。

もっとこう平和で、牧歌的で、偏った意識を植え付けてこないようなものを見たいし読みたい。

意味がないものでも心を満たしてくれるような、そんな素敵なものが欲しいんだ。

2023-12-30

ゼルダ最高傑作はブレワイらしい、

俺は違うと思うが。

時オカだよなあ?


トライフォースゼルダガノンドロフといった基本的設定の丁寧な再構築。

当時最高レベル3D殺陣アクション

多彩なアイテムを用いた謎解きながら子供でもクリア出来る程よい難易度

不気味の谷有効活用したあの時代ゲームけが出せるホラー感。

個性的かつ豊富ダンジョン

無限世界の広がりを感じさせるハイラル平原を中心としたマップ配置。

多彩な種族牧歌的生活とその破滅王道ファンタジー世界観。

過去現代タイムパラドックスによるSF要素。

RPG要素とアクションの融合による圧倒的成長感。

いやマジで全てのレベルが高い。

そして何より寄り道要素が必要以上に多くなく、コピペ的な部分がほぼない。

新鮮な体験だらけの世界なんだよ。

数合わせの要素がないっーか「アレもコレも全部入れたい!入り切らない!」って感じなの。

ブレワイはなんつーか「やたら世界を広く見せるために水増ししといたのねん」みたいな所あるやん?

そこの差だね。

変な虚栄心がなく、それでいてクソほど広大に感じる。

ブレワイは日本ゲーム集大成みたいな感じで祀られてるけど、そこが良くないんだなあ。

ゼルダ集大成ではないんだよ。

日本ゲーム最高傑作ランキング作るならブレワイのが上に来やすいかも知れない(まあ俺が3票持ってたとしたら、ドラクエV、SEKIRO、東方紅魔郷に入れるけど)。

でもゼルダの中で一番を決めるってなら、お山の大将として君臨すべきは時オカなのよね。

わかる?

品格が違うのよ。

2023-12-21

anond:20231221122708

ソース忘れたが、ドイツだかフランスだかも、15歳くらいで、大卒になるか職業訓練校行って一般労働者になるか決まるんじゃなかったか

18歳でようやくぼんやり進路が決まる日本が、世界的には牧歌的な方なのかも?

ブクマ米だと、ここで言われる「いにしえの00年代インターネット」って、2ch(今の5ch)のような匿名掲示板や、それを含めた総合的な評価として語っている人が多いけれど

でも00年代インターネットってそれが全てじゃなかったよねとも思う。

そういうもの存在特に知らず、趣味個人サイトブログmixiのようなSNS牧歌的に繋がったりあるいはただひたすらに壁打ち的に創作表現を発表したりといった、

『表の』インターネット存在だってかにあった訳で。

自分00年代個人サイトブログをやってそこから色んなイベントに参加したりして交流してそれが楽しかったタイプから

「昔のインターネットに女の居場所はなかった」みたいに言われても、それってあくまで限られた場所の話でしたよねって思う。

特にから叩かれるとかなく、女性だけで楽しめた空間も確かにあったんだよ。

勿論そういった場所に何の問題もなかった訳ではないしギスギスした人間関係トラブルもあったけれど、

背後に金の匂い企業存在が見え隠れしない、実在する人間が営むインターネットコンテンツが楽しかった時期であったのも確かだと思う

「いにしえの00年代インターネットへの憧れ」はわかる気がする - シロクマの屑籠

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231220/1703074278

2023-11-27

anond:20231126225408

あーなんかあなたが言ってる通りな気がする

関東怖い→埼玉牧歌的なところに住む→住みやすいやん!→転勤で関東外に→家がなくて千葉

なんだけど、埼玉西側千葉ってなんか雰囲気違うんよな

ヤンキー文化っていうの超納得だけど、ヤンキーというよりなんか貧困‥って感じ

地元マイルドヤンキーは金だけは持ってたし

2023-11-26

anond:20231126224223

同じ田舎でも東側ヤンキー文化西側農民文化ってイメージがあるなあ

西側田舎はほのぼのしてる感じ

ギリ都内あと一駅でさいたまって処に住んでたけど、なんか牧歌的だなあと思った。樹木農地が多いせいか、季節になると道が這いずる蟲だらけになって気色悪かった

東側それこそ千葉にも住んでたけど、運転マナー最悪だった。そして雪が降ると亀よりもゆっくり走行になって笑った

(雪道で飛ばし事故るほど頭悪くなくて幸いではある)

2023-11-22

大谷グローブ運用外野から見ても大変だと思う

anond:20231112000907

大谷グローブ運用が大変になる、というのは当然だし教育現場は色々気を揉んでいるだろう。当たり前のことだ。

学校としては寄贈を希望すれば寄付される、ということだけど、これだけ大々的に話題になったものに対して「希望しない」という選択をとるのは難しいだろう。生徒としては普通に考えて納得できないだろうし、生徒以上に怒る保護者がいることも容易に想像できる。生徒や保護者、またあるいは地域の住人を納得させられるだけの理由説明しなければいけない。いや、する必要はないんだけど、絶対どこかで教員が詰められるだろう。

では寄贈を希望してグローブをもらったとする。今度はグローブ管理運用について考える必要がある。

寄贈の意図形式からして「ちゃんと使ってもらいたい」感が非常に強いので、ケースに入れて校長室に飾っておくわけにはいくまい。仮にグローブを死蔵していることがバレたら保護者から怒られるからである。「大谷選手の思いを無駄にしている」「せっかくなのにもったいない」「うちの子可能性を奪った」何でもいい。

じゃあちゃんグローブを使おうとした場合ブコメでは「他のグローブとかといっしょに倉庫に入れて使いたいやつが使えば」なんて意見がいくつもあったけどそんなことが実際にできると本当に思っているんだろうか。ほぼ確実に盗まれて終わりだろう。

はてぶの超上級国民様たちは大変牧歌的平和小学校生活謳歌されていたのだろうが、校内で窃盗・物隠しなんてごく当たり前にある現象で俺が小学生だった頃にはAIRMAXの盗難が続いたのでナイキ禁止だって出た。別に特別治安の悪い地域ではなかったがそんなもんである

まれたり、無くなったりしてそれでいいならいいが、保護者は納得しない。

グラブ3つあるうち、どれか紛失してしまったら即保護者にバレる。

親「今日学校でどんなことあった?」

子「大谷グローブが盗まれた」

当然保護者は怒る。「大谷グローブですらちゃん管理できないなら給食費も盗まれて当たり前ですよね」「ちゃん犯人は見つかったのでしょうか」何でもいい。

じゃあグローブを3つ、誰か教員監督下において貸し出しの名簿を管理させようという話になる。それぞれグローブに番号をふって、使いたい人は名簿に名前と貸りた時間/返した時間を記入させるようにする。おそらく大体の現場ではこうなるのではないかと思う。別に特定教員監督下に置かなくてもよさそうだけど、備品である以上は保守必要なので責任所在を明確にするためにもとりあえず名前だけでも定めた方がいいだろう。何かあったらその教員責任である。ただその教員には何も見返りはない。グローブと名簿の管理という仕事が増えただけだ。仕事が終わってもう帰りたくてもグローブが返却されていないとヤキモキしながら校庭の様子をながめる。

そしてその教員大谷選手ファンだったとしてもグローブ使用することは許されない。許されるだろうが、リスクが伴う。

大谷グローブ、生徒を差し置いてファン教員使用!!」なんて見出しニュースになってもおかしく無いし、実際はもっと露悪的な見出しになるだろう。そんな教員はいないだろうけど。

こんな感じで大体学校内部の事情というよりは外部から目線内面化による理由ほとんどだろう。

そんな保護者無視すればいいと言うだろうがそんなヤベーやつから担任教師は少なくとも一年間は逃げることができないのである。そして教員クレーム処理の職能に特化した人間ではない。そしてそんなクレーム対応して当然の給料果たしてもらっているのだろうか。日々の業務に追われ、残業時間や持ち帰り仕事の深刻さが問題視されるなかで。

もちろん、寄付を心がら歓迎しありがたく思う学校の方が多いだろう。ただ全国諸手を挙げて嬉しいと思っている、嬉しいと思うべきだ、と思っているならさすがに想像力に問題があると思う。

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