はてなキーワード: 介護福祉士とは
地震のような、健常者も障害者も生命に関わる非常時については確率が低いからと切り捨てるのに、その口でバリアフリーを進めろと抽象的なことを言う。
その理屈が通るなら「車椅子ユーザーはマイノリティなんだから専用スペースだけあれば十分でしょ」が通ることに気が付かないのだろうか。
かの人への批判は大体まっとうなんだから、その批判に対して無理筋でエクストリーム擁護しない方がいいのでは。
「映画館には車椅子専用スペースがあるが、車椅子ユーザもプレミアムシートを利用したい。
しかしプレミアムシートへのアクセスがバリアフリーになっておらず、介助者を要する現状がある」
という具体的な話をすればいい。
ただまぁ全部そうだが、その主張をもって社会が優先度と実現可能性と対費用効果など諸々から対応を判断するだけだ。リソースは有限。
映画館の運営会社が場内をスロープ化するのか、従業員の介護福祉士取得を進めるのか、
介護福祉士やってるけどもう無理
介護福祉士やリハ職、吸引できるんやん。こっちは忙しいのに「吸引お願いしまーす!」って…自分でやれやって毎回思ってるんだが。「あなた、理学療法士/介護福祉士なんだからできますよね?」指摘してやったら「看護師の仕事ですよね(半ギレ)」と。はぁ?看護師の仕事なんてどこにも書いてないが?マニュアルみたいなの見たら「理学療法士、介護福祉士、医師、看護師が適時行う」と書いてある。なんで自分でやろうとしないの?何かあった時の責任逃れ?
百歩譲って医療行為は怖いからしたくないとして「うんち出てるから対応お願いー」「トイレ誘導お願いー」とかそれこそ自分でできるだろ。何故看護師を呼ぶ?ぼーっとテレビ眺めてる時間でテメェ誘導できんだろうがよ。こっちは他の仕事で忙しいんだっつーの!
過去に勤めた介護の職場全部クソだったので供養してほしいです。
気が狂ってるので文章めちゃくちゃです。
そもそも一般的な精神をしてたら介護の仕事できないのではないか?
私は普通の精神をしていないので今介護の仕事をしているが……。
・仕事に真面目で優しい人がわりと居た
・優しいを通り越して感情死んでる人が多過ぎた
以前は派遣でパソコンカチャカチャやる感じの仕事をしていたのですが、コロナ禍で切られてしまい、ここらで資格取っとくかぁ!と思い軽い気持ちで介護の仕事を始めました。
休みが月4日だったり日勤早番遅番夜勤の変則労働で体調崩したり、職場でクラスターが発生して防護服を着て暑さのあまりフラフラしながら働いたり、夜勤に月8回入ったり32時間連続睡眠休憩無し労働をしたりしましたが手取りが14万を超えた事はありません。
グループホームとサービス付き高齢者住宅と訪問介護を経験しました。あまりにも頻出する狂職場と狂人が怖くて転職したんですけど、どこも似たりよったりでした。
でも、今まで出会った介護の仕事をやってる人ってみんなやたらにマジで優しい人が多かったんですよ。
ここで私が言ってる優しいって事は「感情の起伏が穏やかでめったに怒らない、イライラしない人」の事ですね。一緒に居るこちらも心穏やかになれるんですよね。実はそういう人がこの世にはわりと居るんですよ!介護職に居ました。
私がめちゃくちゃ運がいいのか介護の仕事で人間関係全てクソ♥️という職場にはまだ当たってないです。まぁ職場の人間皆狂人なので結果としてはクソなんですけど。
それはそれとして、全ての職場で今までこんなに丁寧に勉強や仕事を教えてもらった事ないってぐらいどんな事も懇切丁寧に教えてくれました。
この老人は老化ではどんな症状が出てる?介助でどんな事に気をつければいいですか?今何をすればいいですか?などなど、嫌な顔ひとつせずにとても分かりやすく穏やかに教えてくれる。私の知識欲が擽られて気持ちよくなっちゃってなんやかんやで今も続けてるぐらいには優しい人が多かったです。
そんな優しさ故か、私が働いた全ての職場で尋常じゃない頻度でサービス残業が発生していました。
季節や誕生日行事の企画と書類作り、行事の飾り作り、残って掃除、家に持ち帰っておじいちゃんおばあちゃんの敗れた服の修繕、退勤直後にウンチもらしたばあちゃん居ればいいよ私がやるよ、なんて、タイムカードを切った同僚がやってるんです。頭おかし〜〜〜〜ですよ。まじでみんなやってるんです。私も普通にやってますが?と思ったこの文章を読んでる貴方、貴方はおかしいし職場に毒されているので今すぐ仕事をやめてください。
でも様々な要因があってすぐに仕事やめれないね……わかる……わたしもだよ……🫂
上司も先輩も後輩も外国人技能実習生の方も皆タイムカード切った後に仕事してた。5分とか10分でも嫌ななんですけど普通に30分とか3時間とか。
お馬鹿さんですわ〜〜〜〜〜〜〜〜ここが人間の権利を与えられていない最低階級の労働施設でして?
違いますお嬢様、令和5年の日本の介護施設の現場の一例のようです。
なるほどねじいや。もっと人間らしい働き方をしている職場もあるの?
いやお嬢様、不思議とこの職種の人間は何故か嫌々ながらもサービス残業を必ずやってくれるんです。
不思議ですわ〜〜でも無料で働かせ放題なんて搾取する側の私側からしたら最高この上ありませんわ〜〜〜〜。
介護職に限らずみんなはどんなに圧力が掛かっても絶対に絶対にタイムカードは会社から出るその時まで切るんじゃないぞ。労基は証拠が無いと意外と何もしてくれないし、同僚に違法労働の証拠提出の協力を求めても、そんな職場で働いてる時点で全員気が狂ってるから「そのぐらいたいした事ないんじゃない?」「みんなやってるし…」「お世話になった職場に恩を仇で返すの?」と言われました。マジィ?
私が貴方の財布からお金盗んだら多分出るとこ出ますよね?私の時間を搾取泥棒強奪しておいて私は出るとこ出ちゃいかんのか??
書面上は全て残業月3時間です(残業は何故か休日に開催される全体ミーティングのみ)なんてホワイトな会社なんだ。わたしもそこに就職させてくれ🥹
全体ミーティングのあとにトイレ介助させないでください。夜勤明けだぞ私は!そして夜勤明け日を休日扱いするな〜!
労基は何もしてくれない。っていうか労基の相談をしに行った時対応した職員がおじいちゃんおばあちゃんだったから現代の労働感覚じゃなかった上介護の仕事に全く理解無かったし証拠が無いと…って感じで改善望めなさそうでした🥹
そしておじいちゃん職員がグループホームの事を「頭がおかしい老人たちの施設」ってメモに書いててヤバ…となった。これはめちゃくちゃ珍しい事例であって欲しいんですけどもしかしたら世の中の認識ってそんな感じなのか?こんな事ある?世界のバグ??
ちなみにグループホームっていうのは認知症の人が居る施設の事ね。認知症は5人に1人が発症する病気なのでこの文章を読んでる貴方も余裕で認知症になる可能性があります。
働いてる最中に暴力があったり水をかけられたり味噌汁かけられたりシチューかけられたりハンバーグかけられたりうんこかけられたりしっこかけられたりセクハラがあったり身体が常に痣まみれだったり同僚が老人の暴力で救急車で運ばれたりとかはまぁ普通にあったしあまり珍しい話ではないので割愛。インターネット見たらもっと悲惨なのが沢山出てくると思うので……。介護の仕事してたら必ず経験します。
だから本当にマジでこれらのことがあってショックを受けない人はみんな感情死んでるんだって。やばいって、自分大切にしなって。
狂人に恐れ再就職したばかりの今働いてるところの上司は介護職月6000円賃上げのニュースを見て
「介護職の賃金が上がって介護職が高給取りになると、お金目当てで介護の仕事始める人が沢山出るから介護の仕事の給料は安い方がいい」
と言っててもうこの職場辞めたい気持ちが天高くぶち抜けちゃった。
そんな事言ってる暇あるか??これから老人がやばいぐらい増えるっていうのに?????
上司君、あなたさぁ、もう10年くらいして介護される立場になった時、お金が無くて生活に追われ心の余裕が無い人と、お金がある事で得れる人生経験を詰んだ事で心に余裕が生まれてる人どっちに介護されたいんや???
うちの職場はホワイトですが?こんなに労働環境酷くない!って思った人は、本当に、その職場大切にしてください。良かったですね。是非一生そこで働いてください。
介護の仕事をしてて良かった事は?って聞かれるとウーン、仕事が上手くいった時とか人と連携取れた時とかうれし…💕ってなるけど別にこの喜びは介護じゃなくても得れるんですよ。
何で介護の仕事したの?って聞かれると、私は私のおじいちゃんとおばあちゃんが好きだったからって理由です。あと資格持ってたら今後の仕事に困らないかなと思ったけどこんな人間扱いされない職種嫌すぎる、もう少しで介護福祉士の資格取れるけどこんな仕事二度とやってたまるか。
貴重な休みの一日をこんな脳直文章書くのに費やしてしまった。とにかく私から言えるのは介護の仕事なんてするな、それだけ。さよならおやすみ。
大学卒業後就職に失敗。アルバイトから物流会社に勤務するも辛すぎて数ヶ月で退職しそこから10年以上引きこもり。
母が職場で倒れたことをきっかけに介護施設に就職し、数年経って介護福祉士となった。それからしばらくして転職し現在も勤務する私立病院の事務職に就いた。この時41歳。
そこで知り合ったのが妻。
同い年でバツイチの看護師。自分も向こうも職場で同僚との人付き合いが殆どなかったが、何故か挨拶する様になって会話するようになって付き合い始めた。女性と交際したことは40年以上生きてて一度もなかったが、その歳だったからか初デートでも初セックスでも一切緊張しなかった。
約2年交際してから結婚。お互い歳で向こうは既に子宮を全摘してるってこともあり子なし夫婦。最初は母と3人で住んでいたが間もなく亡くなったため以後は二人きりの生活になった。ご飯食べて、仕事行って、ご飯食べて、各々本読んだりテレビ観たりして、2日か3日おきくらいにセックスして、休みの日には道の駅に行くか近所を散歩するような生活をしていた。
結婚して一年半で妻の病気が骨盤に再発。医師からは抗がん剤と放射線で進行を抑えられるレベルって言われたけど、結局そこから1年持たずに妻は亡くなった。
結局自分は独りで死ぬことになったし当然後始末とかで誰かに迷惑をかけてしまう。傍から見たら孤独で不幸な人生に見えるだろうけど「自分の人生は不幸だったか?」って言われたらそうは思えないんだよね。30半ばで社会人になってから妻が亡くなるまでの10年とちょっとの間に一生分の生きがいのような物を味わった気がする。テレビの前に置いてある等々力渓谷で妻と母と3人で撮った写真とかを見てたまに寂しくなるときあるけど「孤独」な気持ちにはならない。
認知症などで暴言のような問題行動が発生し家族が大変な場合、普通の病院や介護施設では介護される家族の意志を尊重しないといけない為ごねると入所入院させれないけど、医療保護入院(医者の許可がないと退院できない)制度を使って負担を軽減できる。
基本こっちは書かない主義なんだがお困りの様子なので私が父を精神科の保護入院まで持ってきた過程を晒す。参考にしてほしい。
私の父は80代後半で要介護1がついてた(これがめちゃくちゃ効いた。すぐ介護や医療のプロに繋がれた。申請してくれてた母に大感謝)だが、母が持病の悪化きっかけに認知症の初期に入ったための介護始まり、それををきっかけに父も一人暮らしになったので介護サービスの開始検討始めたが元々元記事のお父様の様な孤独ヒキこもり老人でコミュニケーションスキル皆無の上物忘れが進んで暴言炸裂のため(それでも元記事のお父様よりはマシな状態)担当のケアマネージャさんに母の介護プランも含め相談始めた。これがまず良かった。
担当のケアマネさん優秀な方で初めててで介護の右も左もわからん、もち精神科の入院まだ考えてない状態の私に今までの経緯はもちろん
*早めのかかりつけ医への相談と父への説明と説得をお願いする事(精神科入院にはかかりつけ医の紹介状が必要なため、この相談実績がいる。家族の状態がマシな場合はこれだけで家族の言うことを聞く時もある。この手の暴言吐くタイプの認知症の人は権威に弱くえらい人や医者には比較的素直)
*市役所や介護施設の申請方法(役所は申請主義のためとにかく早め早めの申請が問題解決のスピードを上げる)
*医療、介護は別分野なので職務責任やサービスが違うこと、できることとできないことをはっきり説明
上記を的確に指示してくれたので、かなり入院までの事務申請や他病院への相談の手間や時間を省くことができた。ケアマネージャは介護サービス運用の責任者で介護のキーパーソンなので大事なお付き合いである(但しハズレのケアマネさんもいるとわ聞いたわ・・)
上記のようにプロへの相談はとっても大事なのでなるべく相談先は確保
*地元担当地域包括センター。市役所介護窓口、相談することで困ってる度合いを自治体にアピールしていざって時の援助をスムーズに。もち情報は市役所他部門にも共有するので相談実績積む方がいい。元記事の方地域包括センター職員さんの訪問あるっぽいのでバッチリ記録残ってると思うぞ。市独自の介護サービス教えてくれたり暴言や暴力振るう患者も運んでくれるタクシーの紹介もしてくれたぞ!
*病院の医療相談員。入退院できる病院は基本ずっと患者に居てられると儲からないんで退院支援するんだけどこちらの担当がこの方々。でも病院内の介護福祉専門家なんでこちらでも相談できる。上記ケアマネージャさんと事務上の連携もいるし、退院時相談する事になるんで先にこちらも声がけしといた方がいい。
*もち家族を担当してくれたお医者さんや看護師さんには医療内容を報連相。
てな感じでガリガリプロを巻き込む。手間も時間もかかるけど結果ある程度の解決まではスピードアップできる。(但しこちらも当たり外れがあるといるとわ聞いたわ・・)
*家族が今まで起こした暴言や困った行動などの経過をなるべく日付つきで記録しておく。メモでもいいと思うけど私はGoogleドキュメントにまとめてメール使える医療機関さんには共有URL教えたり、共有URLをQRコードにしたり、コピペでメールに貼ったり、FAXしかない病院でも印刷してコンビニから送ったりしてなるべく家族の訴えをスムーズにした。口頭だけだとここでも時間取られて大変。
*介護申請してもサービス受けるの難しそう(介護申請して要支援1〜2、要介護1〜5認定降りるとサービス受けれることになる)なら元記事の方のお父様素人目には認知症っぽいので精神科の「物忘れ外来」って名前で地元の病院探して(地域包括センターでも紹介してくれる可能性あり)受診。認知症の診断できるの精神科なので、こっち先に受診してもいいと思う。元記事のお父様酒多いのでアル中の依存症で診断出る可能性もあり。うちの場合は医者にはまだ行く人だったけど精神科は嫌がる可能性あったんで「前の病院で診断書でた」と言ってそれ以外何も説明しないで精神科連れてった。バレないよ、どうせ認知機能落ちてるもん。
こんな感じで先にケアマネさんから紹介いただいた精神科に事前面会して、かかりつけ医&他の病院の紹介状添え医療保護入院となりました。入院したら早めに
*看取り(ぶっちゃけ死ぬまで)病院で面倒見ていただけるか?できないならそれに対応できる病院を紹介してほしい
まあ上記の様な経過で私の場合は一旦落ち着く状態には持って行けた。プレイヤー多いしいっぱい申請あるけど、ここまで持って行けたらだいぶ負担減るので元記事の方の参考になったら幸いです。なお
*暴言暴力家族が精神科のお医者様や看護師さんなどスタッフの方々に迷惑かけるんじゃないかと心配されると思います。私もしたんでスタッフの皆様に頭下げました。経過報告いただいたがちゃんと投薬調整していただいて大人しくしてる様です。それきいた私&旦那&息子's「プロすッゲーー!まじスッゲーー!!」
*「暴言暴力行うとはいえ家族の世話できないなんて」って悩むとても良い性格の方もいると思う。優しいなえらい!でも下手に素人が介入してっ事態ややこしくするよりプロに適切な介入してもらった方が暴言暴力家族本人のQOLも上がると思う。
結構ブコメ&コメントついてて同じような立場の人が多いなとは思った。「姥捨山」と言われる件については私個人としては「はいそうです」と答えます。
父の暴言については親子関係がガッタガタになる程度の言葉は吐かれたので、ぶっちゃけ父のQOLがあがろうが下がろうがどーでもいいと言うのが正直な話。何より父の暴言から家族を守りたかったので。ただ世の中私の様な薄情もんばかりではなく親御さんの介護問題について悩むめっちゃ良いお子さん方がいっぱいいると思うので、そうゆう人には「暴言暴力家族本人のQOLも上がる」と言いたい。実際問題私の父は認知機能落ちて飲まなければいけない薬の管理はできてなかったし、当然昔の人なんで家事一切できない、実家は荒れ放題で不衛生この上なく娘の私、介護のプロの介入も一切受け付けなかったので法的に申請できる私が対応した次第。
あと、医療保護入院利用して思ったのがちゃんと医師の紹介状や病院の相談員の介入がないと難しい仕組みになってること。上記の記事に登場する専門家みなさん介護福祉士、医師、社会福祉士、精神保健福祉士など皆さん見事に国家資格持ちの方々で、こちらの皆様は法律に則った運用しないと法律違反なっちゃう立場と思うので、患者の家族が患者の人権無視した行動したらそれなりの対応は取られると思いますよ。そこで患者の人権守るための仕組みを担保されてるのではないかな?とは思いました。
あとプロや詳しい方コメントで解説や補足ありがとうございます。助かります。
あともう少し補足
医療介護受ける際この書類は必ずいるので必ず実家から探して念の為写真撮ってクラウド上げてスマホで持ち歩くと各種申請や書類作成時便利。とにかくプレイヤーが多いのでケアマネさんや相談員の方の名刺や名札も失礼のない範囲で写真撮影してスマホ入れとくと連絡とりやすい。
*お金について
私と夫はフルタイムで働いてるのでまだ費用面についてはマシな方なんでこの辺りは調査甘いけど、病院も取りっぱぐれたくないのでパンフレットにたいてい治療費の相談窓口を掲載して各種医療費の補助相談乗ってくれる。介護もケアマネに相談できるんで諦める前にやっぱりまずプロに相談だ。
この記事は私が親の介護医療に関わって役たつなってことを紹介する目的なんで、父と人間関係上何起こったかを詳しく書く気はない。読んでいただいた方もそこは読みたくないと思うし、胸糞悪いよ。ただ母に関してはプロに頼りつつ腹括って介護する気ではいる。同じ認知症でも今までの生き様含め周りの対応に差は出るとは思うよ。独身でも周りに信頼されてる人も入れば元増田の親御さんみたいに認知症発症前から家族からの信頼0の人もいるし死に様はそれまでの生き様でるわ。
残っているのは自分を含めて2人だけ。
同じ系列の近隣施設からは「人手が足りないって言っても、〇〇(うちの職場)はもっと少ない人数でやっているんだぞ」と評判だ。
ちなみに自分は、親が職場の系列の上層部なのでぶっちゃけコネ採用で入職した。
(と言っても、常に人員が不足しているので、コネが無くても全然余裕で入れる)
とにかくモラル・ハラスメントがヤバい。
あまりに酷くてやめてくれ!と言うと口答え扱い。上司から喧嘩両成敗とのお叱り。(本当に両成敗してるの?)
さらに、年長者への態度が悪いとして注意を受けて自分が謝罪。(年長者への注意はしてないみたい)
「夜勤手当はありがたいけど、欲張って稼ぎたいと思ってない」と言ってるのに。
同僚には3,4回とかの人も居るんですけど......
ずっと我慢してきた。
幸い、友人達に恵まれてるお陰で、職場内では一番プライベートが充実しているからこそ、今まで我慢できていると思っている。
けど、もう限界だ。
断言しても良い。
これはコロナのせいじゃない。
職場は冬場の吹き溜まり地帯。働く人間もなんだか吹き溜まりみたいな感じなのかもな。
先月末、遂に我慢が出来なくなって、夜中に泣きながら親に電話した。
親が定年なる前に、転勤させてくれと根回しを頼んだ。
一応、自分で職場のトップに転勤願いを出した。(「直属の上司には言わなくて良い」と親からのお墨付き)
「業務に支障が出るくらいに職場での人間関係が悪くて、このまま働き続けると近い将来、仕事が出来なくなってしまう」って言った。
昨日、親に会ってきた。
親「まだ転勤の話進んでないのか?」
私「分からない。年末で忙しいとか、人手不足で(転勤が)却下されてる可能性もあるかも......」
親「分かった。後はこっちでやっておく。□□さん(うちの職場のトップ)はやる気の無い人だから」
これまで親の権力に頼らなかったのは、甘えだったのかも知れない。
あと、実際どんくらいの仕事までならやれる、みたいなのはあるのかね。
基本なんでもやります?
引越ししても良いなら冗談抜きでトヨタ系の期間工はお勧めだったりする。
愛知県豊田市近辺で寮完備の会社も多いし、他県からの受け入れも普通にやってるし、年収も400は出る。
期間工のままだと年収は正直頭打ちだけど500くらいまでは上がるし、期間工と言いつつ実質無期限だったりするし。
ただトヨタが工場止めると仕事が無くて一気に収入下がるデメリットはあるけど。
仕事がメンタル的にクッソきついのでお勧めできないが不動産と新聞屋の営業マンは職歴不問でも採用される。
前にも書いたけど介護系も若手男性社員ってめっちゃ少ないので飛び込む気さえあれば割と雇ってもらえるのでは。
ただ介護福祉士取ってようやく年収400行くかどうかくらいのはず。施設長くらいになればもっと上がるかなあ。
要約すると、人があんまやりたがらない仕事・業界は慢性的に人手不足なので、そういうのでもよければ増田さんもどっかに就職できると思うよ。
嫌かもしれないが、自覚もあるんだろうけど、今の職歴だと所謂ホワイトカラーな仕事は無理だと思うので、まずは職歴をなんとか。
人がやりたがらない仕事って、具体的には、
なので、そのどこかを妥協できるなら色々あるよ。
例えば、危なくて汚くて夜勤ありだけどその代わり高給って仕事だと鉄工所関係の現場作業員とかそうだよね。
増田さんは、こんな自分だとまともな就職無理って認識でひょっとしてリクナビネクストとかも見てなかったりする?
意外と(キツいのが前提ではあるが)職歴不問学歴不問な仕事なんていっぱいあるよ。
頑張れ。
バイト掛け持ちできてるくらい体力と一応のコミュ力があって、まだ30代?なら、所謂3k系の仕事ならだいたいとこでも雇ってもらえるのでは。
会社の金で資格取らせてくれるとこも多いし、介護福祉士まで取れば少なくとも介護業界内なら転職にも困らないぞ。
あとは清掃系とか。某大手がフランチャイズだから、自家用車必須だけど働いた分だけ意外と給料は貰えたりする(てか個人事業主になる)。
ホワイトカラー的な方向に立て直したいとなるとどうかなあって気もするけど、運送業とかもそうだけど、そういう現場系の人って老若男女問わずだいたいパソコン作業がクッソ苦手なので、パソコン作業ができるなら現場職から事務所に配置転換あったりするし。
ホントに職歴問わず系だと不動産の営業とかあるけどあれはマジでおススメできない。
あとはインフラメンテナンス系とかかなあ? 消防設備とか空調設備の保守点検やってるみたいなとこ。
あとそういう現場系の求人ってハロワにすら出してなかったりもするので、家から近いとこでそんな感じの会社があったら、ダメ元でそういう募集してないですかって電話で聞いてみると良いよ。
積極的に募集してなくても、30代とかなら予定外でも面接してくれるかもしれない。
比較的若くて長く勤めてくれそうな人ってだけで業界によっては大人気物件になるから。
頑張れ。
それから長い時間が経って、今は野良のプロとして漫画を描いている。特定の組織には所属していない。ごく稀にR18雑誌に寄稿したりもするが、基本はずっと一人だ。
今回、こうしてエッセイみたいなのを増田に投稿しようと思ったのは、感謝の念が芽生えたからだ。
ずっと、社会に恨みを抱いて生きてきた。子どもの頃からストレスが多い環境にいたせいだろう。最近、ようやく周りに感謝ができるようになった。以前は、作品を認めてくれるファンの人だったり、SNSで意見やコメントをくれる人だったり、本気で叱ってくれる人にしか感謝できなかった。
最近になって、子どもの頃から散々な目に遭わされた家族とか、昔々の、辛い状況でも諦めなかった自分に感謝ができるようになりつつある。ちょっと長くなるけど、自分語りをさせてほしい。
虫取り網を叩き折られたり、廊下を歩いていると後ろから蹴られたり、みんなで遊んでいる時も置いてけぼりにされたり、自分の家で遊んでいる時は貯金箱からお金を盗まれたりした。
イジメから助けてくれる先生はいたが、見て見ぬ振りをする先生も多かった。中学に上がってからは、暴力がますます激しくなって、週に1,2回くらいしか学校に行かなくなった。保健室通いというやつだ。
学校だけじゃない。家族もそうだった。自営業(工場主兼農場主)をしている父はただ黙々と働いているだけだったが、母(介護福祉士)がとにかく理不尽だった。小四くらいで整体マッサージを覚えさせられ、母が夜ドラマを観ている最中、足や背中をひたすら揉まされた。
数学のテストで20点を取ったり、ワイシャツを洗濯に出さなくて洗濯機で汚れが落ちなかったりすると、決まって布団叩きで頭をぶん殴る。その後は決まって反省文の提出と朗読がセットで付いてくる。
一番ムカついたのは妹(現在イラストレーター。女性誌の挿絵とかリクルートの雑誌の4コマ作ってる)だ。3つ下だったが、自分が中学一年生の秋に不登校になり始めてからは、ひたすらバカにしてきた。
母と一緒になって、「役立たず」「頭が悪い」「人間性に問題がある」「兄ちゃんのせいで学校で嫌な思いをする」「早く家から出て行って」など言いたい放題だった。
中学を卒業して偏差値52の公立高校に通った。イジメに遭いそうにない環境や生き方を必死で探したおかげか、陰キャラとして3年間を過ごすことで平穏無事に高卒の肩書を得た。
人間としては全然ダメだった。今でもそうだ。青春期に、部活とかボランティアとか、人と関わる活動をしてこなかったせいか社会性に問題がある。クリエイターを目指す専門学校に入っても変わらなかった。マックでアルバイトを始めたけど、根本的なところはいっしょだった。
自信がなかったのだと思う。自分自身の生き方に対する信仰、というか。それが社会性のなさに繋がって、いつまで経っても結果が出せなくて、それで自信を失っての悪循環だった。
普通の20代前半くらいの人間だったら、「お前はすごい」と言われたことがあるはずだ。自分にはそれがない。もどかしい気分になったけど、当時は鬱蒼鬱屈(教えてくれた人サンキューです笑)とした気分で街を歩くしか手段がなかった。
ちょっと前に、マクドナルドに面接に出かけて、遅刻して店長に怒られて逆切れをした人のはてなブログがバズったことがあったはずだ。まさにそんな気分だった。あれは自分だった。もう一人の自分。今思えば愛おしい。
専門学校に入学してすぐだったか。あるまとめサイトを見たのは。
絵師の上達みたいなタイトルの2ちゃんねるのスレッドだった。いろんな神絵師の上達していく過程が何枚かの絵を抜き出すことで説明されていた。ところで、自分はシナリオ学科だった。イラストとは縁がない。けど感動したのは覚えている。
ある神絵師の最初のイラストは、東方のチルノだった。最初は小学生が描いたみたいなシンプルな鉛筆書きみたいなノリだったのだが、年を経る毎にどんどんうまくなっていって、最後のイラスト、神輿と一緒に映っているチルノはまさに圧巻だった。
この時になって思い出した。小学生の頃は、授業中のノートに絵を描くのが好きだった。当然、大したことはない。まさに子どもの落書きだ。中学生になる頃には一切書かなくなっていた。
自分もイラストをやってみたいと思った。確かな感情だった。自分が好きなアニメのイラストを描いてみたい。あの時、確かにそう感じた。
まずは自由に描いてみた。
一番最初に描いたのは実家で飼っていた猫だった。灰色のやつで、自分と妹が小学生の時に拾ってきた。自分達が近付くと、「ヌアァン」と鳴いて田んぼの稲穂の中に入って行った。
出てくるまでに20分はかかったろうか。「いつまでも一緒に待つんだぞ」と妹に提案して、出てきた猫を妹が抱えて家に持って帰ったんだっけ。父には反対されたけど、母を味方に付けることに成功した。
そんなこんなで初めて描いた猫は、猫ではなかった。よくわからない物体だった。耳がへなっと折れていて、ほわほわとした毛並みを表したはずの鉛筆でのなぞり書きは、角が折れたトーストの上に浮かんだような暗黒物質を生み出していた。小倉トーストだった。
二番目に描いたのは、好きなアニメのキャラだった。アイカツ!の星宮いちごを描いてみた。二次元だったら何とかなるかと思ったが、ぜんぜんそんなことはなかった。一応人間にはなっていたが、こっちの方がまだ猫に似ていた。
三番目は、風景に挑戦した。上で田んぼと書いたが、当時は関東圏でもそれなりの田舎に住んでいた。実家の近くに小高い山があるのだが、そこに昇って、自分が住んでいる町を見下ろしてスケッチをしてみた――結果は燦々ではなく、散々とした出来だった。透き通った空気の中に浮かぶ田畑が並んだ一帯を描くはずが、自室の襖に飛び散ったとある黄ばんだ一角のような、痴態のようなものしか描くことができなかった。
独学で学んでいるからダメなんだと思い、ネットで上達方法を学んでみた。といってもツイッター検索だが。「とにかく量をこなせ」というメッセージが心を掴んだ。
次は書店で本を買い、何周も読み返して基礎的な人体の描き方を頭に叩き込んだ。新しい何かが開けた気がした。
そんなこんなで、何を描いたのか判然としないようなモノを1週間につき1枚のペースで仕上げていった。努力しただけあって「ヘタクソ」の領域に到達することができた。
これでいい。あとはpixivに投稿しさえすれば、絵描きへの第一歩を踏み出せる。ここまでに約二ヶ月かかっている。今までのpixivの使い方はといえば、好きな漫画やアニメのイラストを見たり、さあ寝るかと思った時に、より深く就寝に至るための聖なる行為(SeaCallと呼んでいた)をするためだった。
それが今、人生で初めて本気で描いたアイカツ!のキャラ絵を投稿しようとしている。色々と入力していって、最後に「投稿する」ボタンを押すと、ブラウザ画面がぐるぐると回って投稿が終わった。
最初のブクマ数は、3時間で「5」だった。閲覧数は70くらい。コメントも付いた。テンプレだったけど。
嬉しかった。自分のイラストを気に入ってくれる人がいたのが嬉しかった。この時が絵描きとして人生で一番最高の瞬間だった。この時以上に嬉しかったことはない。
ところで、検索で一番上に出てくる上位勢とは月とすっぽんだった。それくらい画力に差があった。子どもの頃に観ていた夜ドラマで喩えると、彼らがお空に浮かぶお月様だとしたら、自分は味噌汁の出汁に使われる煮干し様だった。彼ら彼女らを引き立てるための数多のヘタクソの1人。それが当時の自分だった。
今の自分は、漫画的な儲けであれば、彼ら上位勢のほとんど全員に勝っているだろう。もしかすると、pixiv出身の若手作家という括りでは自分が歴代一位かもしれない。いや、多分そうだ。
しかしbut。あいつらの画力には到底及ばない。あれは常人が至れる領域じゃない。努力できる天才だけがあそこまでいける。
当時は、気が狂ったようにイラストを描いた。専門学校の授業が終わると、真っ先に家に帰ってイラストを描いた。アルバイトは当初週4でシフトに入っていたけど、週2に減らした。
ここでいったん筆を止めて、pixivのマイアカウントを眺めてみる。過去に描いた作品を時系列に巡ってみたのだ。すると、端的なある特徴が出てきた。割とすぐに一般絵からエロ絵主体に移行しているのだ。もっと遅いと思っていた。
今の自分は、一応プロだ。エロ絵で生きている。絵の初心者だった当時は、そんな未来は全く想定していなかった。自分が描いていて楽しいものを作っていただけだ。自分はおそらく、エロに興味がある人間だったのだろう。
とにかく、たくさん投稿していた。週に2~3つ上げていたこともある。今だと月に1枚が限度だ。暇な時間がなくなってしまって、好きなキャラ絵を描く時間も体力も気力もない。専門学校を卒業する頃には、200本以上のイラストや漫画をアップしていた。子ども向け~若者向けのアニメが多い。アイカツ!とか、プリパラとか、ポケモンとか、ラノベ作品とかそんな感じだ。
すっかり絵描きになっていた。マックのアルバイトで貯めたお金でペンタブを買ったりした。今でも使っているお気に入りのやつだ。
絵を好きになれたのはよかったが、専門学校を卒業しても就職しなかった。シナリオの勉強は存分にさせてもらったけど、別に脚本家になりたいわけでもなし、ゲーム制作の実績があるわけでもなし、就職活動やコネ作りなど当然しているはずもなく。文章を書くのは好きだったが、小説書きには興味がない。そんなことより絵が描きたかった。
いや、違う。専門学校に居た時、違う学科同士でグループを作ってゲーム制作をしたことがある。途中で抜けることになったが。コテコテのRPGだった。
ツクールで制作を進めていて、魔法の名前を考えている時、自分が水属性の魔法として「シーコール」を提案したのだ。それで、3人居た仲間の1人が噴き出した。また別の子が、「海をイメージしてるんだね。きれいな名前だね」と言ってくれた。それで、「発展形はどういう名前になるの?」と聞いてきた。
「ゼンイン・シーコールというのはどう?」と自分がいうと、さっき噴き出した奴が机に突っ伏していた。「それは、どういう描写をイメージしてるん?」とさっきの女の子が聞いてきた。
「みんなで力を放出して集めたやつを、その聖なるやつをさ、敵に流し込んでやるんだ。思い浮かべてみて」と言ったところで、また別の人が「お前はふざけているのか。帰ってくれ!!」と憤った。
以後は、それなりのペースで開発は進んだ。順調だったように思う。上の女の子が、みんなをうまくリードしてくれた。自分にキレた人も、開発の途中からは冗談を言うようになっていた。
「増田君、いいシナリオが思い浮かばない? じゃあ、この主人公がトツゼン・シーコールをするのはどう?」
と冗談を言ってくれるようになった。
懐かしい記憶だ。ちなみに、シーコールをきれいな名前だと言ってくれた子は、卒業後にガンホーに入社した。当専門学校では一番の出世株だ。同窓会ではスマホゲームを開発してると言っていた。参考までに、マジメに考えた技や魔法も一応提出した。
・無窮動(ペルペトゥーム・モビーレと読む。それ以外は亡失)
・規律ある発狂状態(ディシプリナ・インサイアと読む。それ以外は亡失)
・夜明けの羽ばたき(〃。たぶんミネルヴァの梟から取ったのだろう)
こうして自分は、絵を描いていたいがあまり、フリーターとしての道を選んだ。父や母からは馬鹿にされ、軽んじられた。当然、妹からも。
当時の妹は、実家の台所で自分の存在を認める度に、ごみを眺めるような感じで素通りした。なんというか、存在を認識していないのだ。あいつも高校を出てすぐに入った会社で嫌なことがあって、1年ちょっとで辞めてしまって辛かったのかもしれないが、とにかく目線が冷たかった。
自分もフリーターの身分なので、家族内で大したことは言えなかった。母にはよく「役立たず」「プーの分際で」「一生トイレ掃除でもしてなさい」など冷たい言葉を吐かれた。
フリーターだった頃の自分は、何を思っていたのだろう。「見返してやる。世の中で絶対成功してやる」などと思っていたのだろうか……いや、そんなことは思っていない。自分がやりたいように、やりたいことをして生きていきたい。そう思っていた。それだけだった。
マックで週2~3回のアルバイトをして、家に帰ったら小学校に上がる時に買ってもらった児童机に座り、ペンタブを握って作業に没頭した。傍らの床には、スケッチ帳を破って放り投げた下書きが何十枚も落っこちている。そんな毎日だった。
できた、できた、できた!! 作品を完成させた時のあの感覚、自分がまるで神にでもなったかのような、いま過去最高を更新し続けている、今この瞬間の自分は過去のどの自分よりも優れている――という、あの頃の高揚感にはもう戻れない。あの日々、俺は俺で満たされていた。我を忘れるほど。自分が決めて進んでいた道のなかで。
成長しすぎてしまった。10ヵ月以上かけて長編作品を完成させたとしても、喜びはあまりない。それよりも、ホッとした、安心したという感情の方が強くて。ある時期を境に、自分は作者として堕ちているのか、このままで大丈夫なのかという疑問が湧いてきた。一方で、FANZAやDLsiteで多くの人達が楽しんでくれているのを観ると、やはり絵描きをしていてよかったと感じる。
DLsiteに長編作品を投稿しようと思ったのは、ある夏の日のことだ。アルバイトが終わり、家に帰って夕食を食べていた。すると、台所の四角い卓の斜めに座っていた妹が、「ん」と親指を床に向かって指した。そこには、おそらく何日か前のご飯の残りカスみたいなものが落ちていた。妹は、ウザそうな顔で「拾え」というジェスチャーを繰り返した。
しぶしぶ右手を屈めて拾ったのだけど、それから何時間か経って、自分が相当馬鹿にされていることに気が付いた。あれはそもそも、自分が落とした残りカスだったのだろうか? 違うんじゃないのか。とにかく馬鹿にされていたのは間違いない。怒りが込み上げてきた。許せないという気持ちが何日も続いた。
ある日、ようやく思い立った。自分の思いに決着をつける方法を。解決になるかはわからなかったが、とにかくやってみようと思った。
R18作品を扱っている販売サイトを見て廻った。それで、処女作はDLsiteに捧げようと思った。これまで同人作品や同人ゲームを購入したことがあるというシンプルな理由だ。「此処で作品を売ろう」と思ったら判断は早かった。すぐにpixivのマイページを開いて、これまでに投稿した約250作品をひとつひとつクリックしていった。読者の反応を観るためだ。
長編作品と向き合うにあたっては、自分の強みでとにかく突き抜けようと思った。専門学生の頃に、ヒルティという人の『眠られぬ夜のために』を読んだことがある。あまりに感動してしまって、つい何篇かの言葉をメモ帳に書きつけていた。
突き抜けよ。この短い言葉は、内的生活の多くの危機に、ほとんど魔術的な効果をもつものである。
195ページ
あなたの義務を行いなさい、できるならば楽しい気分で。できなければ、そうした気分なしでもよい。この方が一層ほむべきことであり、一層大きな実りがある。
211ページ
まことの人生の楽しみを得ようと思うならば、なによりもまず、その楽しみがいったい何にあるかをはっきりさせ、それを妨げるすべてのものを、断然さけなければならない。
237ページ
今でも好きな本のひとつだ。
とにかく、突き抜けてみようと思った。頭に閃いた何かを形にするために、これまで作品をお気に入り登録してくれた人達の意見を集め、この試練に立ち向かうのだ!
スケッチ帳への下書き(追記 専門用語でいうネーム)から始めて、セリフを付けて、大まかに色を塗って(追記 色鉛筆でザザッと塗るだけ。難しい場合は✓で表す。自分の場合は一度紙で表現しないとデジタル作業に移ることが難しい)、効果音のイメージを書いて……いや、大事なことを忘れていた。基礎設定はできていたのだが、キャラクター同士の人間関係をまるで作っていなかった。これでは駄目だ。というわけで、もう一度スケッチ帳への下書きからやり直した。「うん、これでいい。やっぱりやり直してよかった」と、当時の日記に書いてあった。
今でもそう思う。キャラクター間の繋がりが何よりも大事だ。特にR18コンテンツにおいては。「男性はカタログとシチュエーションに萌え、女性は物語と関係性に萌える」のだから。
粉骨砕身の末、三ヶ月以上かけて初めての長編作品ができた。50ページ近くはある。誰に対しても胸を張ることができる妹凌辱ものだった。
精一杯、想いを込めて突き抜けた作品だった。2022年6月現在のインターネット掲示板での自分は、近親相姦ジャンルの大家として知られている。恋人たちの予感がするほど、そんなラブラブな作品は作らない。ガチ凌辱とかではなくて、『ライト強姦』とか『ソフト凌辱』とか言われるコンテンツになる。
以下に続きます。
どこをどう見たら女性じゃないと決めつけられるのか謎なんだが
投稿作品が東方とかバンドリとかゴリゴリ男の趣味でしかもイケメンが描かれている作品が一切ないから「あれ?」って思ったけど辿ったら案の定じゃん
職場とか婚活とか生理とか女性特有っぽい内容で検索かけてみたんだけど、
@zumikuni
https://twitter.com/zumikuni/status/1319778479970217986
@zumikuni
介護好きだし、相手の親の介護は出来るけど、どうしても私が精神障害者って打ち明けないと行けないからな、婚活は厳しい。介護福祉士と管理栄養士持ってるから共稼ぎ歓迎だけど今の年収300万代だしなー辛いね現実。
https://twitter.com/zumikuni/status/1319528369952681985
結局男性の精神疾患患者の物語には絶対理解ある彼女ちゃんは現れないし、
女性の精神疾患患者のお話には必ず理解ある彼くんが出てくるし自分語り上に出てこなくてもそれは隠しているだけか男が女を装ってるだけっていう絶望的な結論がわかるだけのオチでした
費用は一万円ほど。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyoin/mext_00110.html
抽選で介護施設に行ったあの2日間は無力感と無駄を感じた。介護福祉士になるわけでもない教職志望が行ったところで、お年寄りのお話を聞くしかできないのである。それ以上でもそれ以下でもない。役に立ったことなんて何もない。
特別支援学校へ5日行った方が明らかに学びがあって今も生きている。職場にだって何かしらの障害を持つ人がいるけども、具体的にどう支援したらいいか先生方に教わったことや、その後学問として学んだことが、障害を持つ人を職場に受け入れる時にも、障害がない人に対してもバリアフリーに近づけることができたからだ。
世の中に不満タラタラ言っといて「子どもほしい」って、自分は生きてて社会に不満抱えてんのにそこで生きることを子どもに強制するってどう自分の中で整合性とってんの?って思うわ。
猫や犬飼うだけでも飼えるだけの経済力あるか?甲斐性はあるか?飼うことで背負うリスクや怪我した場合、怪我させた場合のことも納得してるか?って嫌でも色んなところで言われるのに
人間の子どもは犬猫以下だからなんでも手放しで「おめでとうございま~す!」だもんな。
子どもを人間だと思ってないんだよな。結婚の次の社会的ステータスを得るための道具。
結婚した後の女が社会でかろうじてアイデンティティ保つための道具で老後の無料使い放題の介護福祉士要員でしかないんだよ。
子どももうける前に一度でも自分は「親(あるいは保護者)」という役割にふさわしい人間かって考えないのかな。
あ、さすがに考えてるんだよな、自分は親として子ども育てるに値する人間だって自信があるから産んで育ててるんだよな、すごい自己肯定感高くて素晴らしいな~!
メンタリストと名乗る男性が、ホームレスや生活保護受給者に対して発言した内容で炎上しているのを目にした。
その男性やその発言に憎悪を抱く人が多く、Twitterでも多くの人が非難しており、さらに厚生労働省が「生活保護の申請は国民の権利です」と書き込みもしていた。
私は生活保護受給者ではない。だが、母が世の中の目を気にしながらでも生活保護を受給してくれたことによって、母だけでなく、私も助けられたと思う。
世論の思いも分かるが、生活保護を受給したことで本人だけでなく、扶養者も助けられるということも、どこかの誰かに知っておいて欲しい。
先週、64歳で母が亡くなった。ステージⅣの乳がんと3年9か月向き合ったが、この状態の乳がん患者における5年の生存率、33%の中には入れなかった。
母の乳がんが発見されたとき、すでに手の施しようがない状態だった。意識がある時の母は何度も、何度も、治療費がないことについて私に謝った。
母は何年も前に離婚し、家を出ていったが、性格は気難しい、親戚、友達づきあいもない、実の親は精神病を持つ高齢の祖母一人、頼る人は子の私一人という人だった。
母は職業が定まらない人だったが、あるときハローワークの職業訓練にお世話になり、介護福祉士の資格を取らせてもらってからは、職場を変えつつも何とか介護の現場で頑張っていた。
乳がんが発覚する前日、母から「やっと新しい職場が見つかった。これから頑張るね。」と言っていたが、様子がおかしかった。
私はその様子のおかしさから病院に行ってくれとお願いしたが、母は「新しい職場で保険証もらったらね。」と言っていた。
今となっては、なぜ私は自分の扶養に入れなかったのか、扶養に入れられなくても、お金を渡して保険証を作れるようにしなかったのか、自分を責める。
当時の私は無知で、無力だったのだ。
月々20万の給料は、納税、奨学金の返済、同居する父に渡す生活費、勉強費、交際費、通勤費などの雑費、自分の身になにかあったときのための貯金。そして毎月母に少し貸す。
そんな中で、母の生活までしっかり見る余裕がなかった。
母は、胸から謎の汁が出てきている、胸に大きな穴が開いているのはただ事ではない、全身が痛い、手がしびれるなど様々な異常を感じてはいたが、治療費も入院費も出せない。
職場に採用されるためには、この異常を隠し通すしかないと思い、薬局で買った包帯や軟膏を塗って、給料と保険証を手にするのを待っていた。
しかし、どれも手にすることが出来ないまま母は入院することになった。
病院に運び込まれたとき、すでに母の意識はなかった。そんな状態でいろいろな検査が始まった。
保険証のない母に施される医療費は簡単に3桁に上った。そんな高額な金額は母にも、私にも払えない。年金暮らしで透析が欠かせない父にも頼めない。
色々あって最初は、私が80万ほど払ったが、母の家賃、入院費、手術費、私一人ではまかないきれなかった。副業もできない。借金をすべきか本当に悩んだ。
そんな折に、病院のソーシャルワーカーから生活保護の提案があった。私は迷わずお願いをしに行った。
すんなり認められたわけではなかったが、手続きのために何度も市役所を訪れ、色々あったが、ソーシャルワーカーの方にも協力して貰い、なんとか受給できた。
途中からは在宅医療に切り替え、月1の受診を続けていたが、最後の方は病院でお世話になった。
母は「元気になったら働きたい、生活保護を止めたい。」と、いつも言っていたが、死ぬその日まで生活保護を脱することはできなかった。
ニュースで流れてくる不正受給、それに対して誤った知識や無知からくる受給者に対する攻撃的なコメント、今回の某メンタリストのような考えを持つ人々に、母はいつも怯えていた。
一度、母が自宅に戻った時、私の車が停まっているのを見た大家から「生活保護なのに車を持ってていいのか」とお叱りがきたことや、
市の職員が巡回に来るたびに「元気そうなのに、仕事はしないのか」「なんで倒れるときに貯金なかったのか」と言われ続けたことなど、
周りの人の言葉や態度が母の心に強く残り、3年9か月いつ死ぬか分からない恐怖に加えて、生活保護受給者としての負い目も感じ続けていた。
そのたびに私は「大丈夫、これは国民の権利だから」「私がお金を出せなくてごめん」と言い続けた。
ひょっとしたら、生活保護受給者は負い目を感じて当然、細々と生きよ、という人もいるかもしれない。私はそれに対して、否定することも肯定することもできない。
ただ、生活保護のおかげで、私の母は3年9か月生きれたと思う。そして私も生きることができたと思う。
厚かましくも、最後の火葬費用を、葬祭扶助でお願いしようかと思ったが、それはできず、結果自腹を切ったが、それまでのところで、生活保護の恩恵をたくさん受けたから仕方ない。
火葬のみの25万を私が支払えたのは、母が生活保護を受給させてもらえたからだと思う。
墓を建てるほどの貯金はできておらず、また、母が借りていたアパートの退去費も自腹を切らねばならないが、
それでも生活保護のおかげで、今私は父の面倒を見ることができ、なんとか一人の人間として今生きることができている。
不正受給の人もいるかもしれない、収めた税金が自分以外に使われることに腹が立つ人もいると思うが、
生活保護を受給することでその扶養義務が発生する人も助けられていることを分かってほしい。私みたいな人がいることも、どこかの誰かに知っておいて欲しい。
保育士の仕事は介護士や運送業と同様に立派な仕事だと思うぜ。もっと給与を貰うべき
ただ世間で言われてるよりはフツーに立ち回ってれば給与貰うけどな
でもそのフツーの立ち回りが福祉の仕事につくような優しい人間には難しいことが多いからな
そもそも福祉関係無いサラリーマンだって何故か転職で給与あげられない立ち回りが下手なヤツおるしね
薄給の代名詞の介護士もそこそこ稼いでる人もいるっちゃいるんだけどな
3:理学療法士 兼 介護福祉士 兼 ケアマネージャー
グエー滅されたンゴ
ワイさんはウルトラ・スーパー・ハイパー・ミラクル良い人を自称・自認しているが、
どれだけ自分のことしか考えていない身勝手なトンチキ野郎か思い知らされる聖人。
正しい意味での意識高い系男子。茶々を入れるとしたら多忙な彼の奥さんは大変そうだなぁくらいか。
彼を見ていると自分自身が恥ずかしくなるし羨ましくなる。誰だって人の役に立つ・社会のためになる仕事がしたいよなぁ。
人様のおうちのお財布事情は知らないが、お子さんの持ち物・カッコ見てる限りではそこそこ稼いでるご様子。
やりようによっては稼げるなら介護やりたいなぁって思うが、ワイさん本質的に福祉や介護に向いてないのよね。
性格的にも特性的にも人の話聞かないし、性格的にも特性的にも注意散漫なので。
人の役に立つ意識高い仕事ができないなら、せめて意識高い風の生活は送りたいよね。
誰の役にも立たないけど穴が埋まる感じはする。