はてなキーワード: 一言とは
こんなプロフィール自分で書くようなやつがスポーツ応援するか?
好きなアニメ ロミオの青い空(世界名作劇場)、銀河戦国群雄伝ライ
本名 T.K
趣味 雑学、読書、政治について熱く語る、歴史について熱く語る、みんなの厄介者になる
外見 181cm 67キロ
補記 一応徹歴の主宰者。
普段は常に冷静で紳士の鏡であると自負しておりますが、ふとしたことで正反対の性格になるようです。かなりの皮肉屋・毒舌家で「ちょっと一言」のコーナーでもその才能は十分に発揮されている。要注意人物(自分で言うあたりが危険だね)
長年お気に入りに入れ合う関係だった人だ。お互いはてなと同じIDとアイコンでTwitterアカウントを持っていたのでなんとなくTwitterフォローしたら、フォローを返してくれた。リプライとか空リプを送ったりして楽しかった。ブコメも面白いし価値観も好きだなと思っていて、お互いに東京近郊に住んでいるのはブコメやツイートで知っていたと思う。
ある日はてなでホットエントリーに上がっていた美味しそうなお店の記事に「行きたい」と一言だけブコメされてるのを見て、DMで一緒に行ってみませんかと誘ってみた。そしたら快諾してくれて一緒にご飯を食べに行くことになった。
その後も何度かはてなで話題になったお店に二人で行くようになり、付き合うことになった。つまらなかったということはなかった。でもブコメやツイートの印象ではもう少しお喋りな人なのかなと想像していたけど、そこまでお喋りは得意ではなかったみたいだった。それでも会話中に出てくるワードセンスが流石だなと思うことがよくあった。
そこからなんとなく交際が始まってまだ付き合ってる。増田に書いていいか相手に聞いたら、あのこととこのことを書かなければ、書いていいですよと了承をもらったので書いてみた。
とにかく内容はいろんな宗教の神の名前あげて伝説とは無関係の土地を書いて
まあ要約すると「北海道は邪悪」ということが山本和美のランドくらいの厚みの本に書いてあっただけで、神話に関しては意味不明だった。
本の感想は以上。
ここからは、身近なところに変な活動をしている人がいて、遠巻きからどう見えているかということを書く。
ただ、本を執筆した人は母親の知り合いで俺自身は一度しか会ったことがない。
だからぶっちゃけそこまで詳しく書けないし、親もあんまり興味ないからあくまで野鳥の目撃例みたいな話しか書けない。
西村は教団の幹部のひとりだそうで、他の幹部のヒロユキ・ヒロチョ・ヒロユカナイと協力して
あまり活動的でない教祖の代わりに全国を行脚し、地道にセミナーを行っている。今回の執筆もその活動の一環だそうだ。
他のヒロシリーズがどうかは知らないが、元々西村は神話に関して全く知識がなかったらしい。
そこに上手いことつけこんだのが動かない教祖・ダンさんである。
教祖と言っても普通の人らしい…まあ変なパワーは使えるらしいが。
そして、入信すれば変なパワーが使えるそうだ。
もともと厳しい人で口数も少ないし笑ったところも見たことがなかったらしい。
それがある日、別人のように明るくなったそうだ。
母と仲の良い別のオバチャン(ニライさんと呼ぶ)の会話に割り込むようになったとかどうとか。
やがて変なパワーについて口を外すようになった。
俺を心配する母を見かねて、変なパワーを使って神に俺の鬱を治してクレメンスと毎日1時間掛けてお願いしてくれたそうだ。
そして俺が知らん間にとうとう俺の体に神を埋め込んだ。やめろや。
職場のよしみもあって動かない教祖・ダンさんのセミナーへ参加することとなったのだ。
当時の俺は西村を悪い人と思わなかったし、母が誰かとご飯を食べに出かけるところを見たことがなかったので
むしろ喜ばしく思えた。
だが話が違った。出かけてから数時間、夜も遅いのに帰ってこない母。あの母から返事がない。
いつも持ち歩いているカバンも置きっぱなしで、何かおかしい…と勘付いた。
あれはカルトだ。
すぐさまカバンから連絡先メモを取り出し、西村と思しき人物に鬼電する。
すると、5分後に電話が返ってきた。
その声色は俺の焦燥に反して落ち着いていて、それが俺の神経をサカナでした。
「親を返せ!このエセ宗教家!」その後、西村は1時間掛けて俺を諭した。
思い返すだけでも恥ずかしい。
俺が鬼の形相でまさに鬼電をしていた時間、動かない教祖・ダンさんのスピーチが行われていたそうだ。
だから変な気持ちにさせたのなら申し訳ない、西村はそう俺に謝ると一言、優しい言葉をかけてくれた。
「無理しないでね」
その後、母とはすぐに連絡がついた。マジで意味不明なダンさんの話・エンドレスと極度の空腹で寝ていたらしい。
だが、その日を境に母は西村の話をしなくなった。不信感からではない、動かない教祖・ダンさんの態度が気に入らなかったからだそうだ。
一方でニライさんはインスタに神社の写真ばかりあげるようになった。
それから2年後。
俺が西村と落合う事になったのは、地元にある小さな神社。節分祭が終わったばかりの夕暮れ時の神社だ。
そこを集合場所にしたのは西村の方で、曰く「神がそこに来るから現地集合で」ということだった。
初めて訪れるその神社は、町に近い場所にありながら堀江に囲まれた不思議な造りで、
すぐそこに町の明かりが見えるのに、神秘的なほどに静まりかえっていた。
成り行きで決まった予定なのに、西村を待っている閑静で暇な時間が無駄に期待を高めさせる。
ようやくこの目で見ることができる。
まだまだ変なパワーについても謎が多いところだが、ネタバレすると神通力(宇宙の神を引っ張り下ろしてその一部を体に埋め込んでいる)で対話しているそうだ。
俺にはボソボソとつぶやいてるようにしか見えなかったが、西村と神の対話があまりに楽しそうだったので酷いことは言わないでおく。
とにかくその日、俺は初めて行った神社の境内で西村と西村妻と神(見えない)に会った。
西村はあの時の電話での語り口のように、聡明で感じが良かった。だが、目の奥に熱いもの〜俺を鬱に追い込んだ中途半端なベンチャー社長のような〜を秘めているようだった。一方妻の目は終始申し訳なさそうだった。
早速、変なパワーを見せてくれる西村。曰く「神は鳥居から数えて3本目の木に降りてくれたんだ。抱きついてみて。」もちろん拒否。
代わりに西村が木にしがみつくので、その様子を俺はすかさずスマホに収める。
西村と神(*木のなかにいる*)の交流は5分におよんだ。俺のケツからこっそり顔を覗かせていたスマホは、
カラスの鳴き声と遠くからかすかに聴こえる移動販売のななひらボイスをBGMに、オッサンが木にしがみついているだけの静止画を映像として無事に収めると、やがて火を吹いてホッカイロに変わった。
その様子を俺がとやかく言う道理はない。儀式は静かに終わったのだ。
その後西村は熱心に動かない教祖・ダンさんへの想いを俺に語ったあと、俺に会った目的を簡ケツに告げた。
てっきりダンの会に誘われるのかと思い込んでいたが、ダイゴサンだったようだ。
西村は活動範囲を広げるべく、仕事を辞めてまで布教のために上京するので最後に挨拶したいということだった。
「東京でも頑張るから、陰ながらでも良いから応援しててね。」なんて、声優になりたくて上京した幼馴染みと同じことを言っていたか。
なんで疑っちゃってたんだろう。
だがあと5年もすれば、ダンの会を…あの西村の顔をネットで見ることができるのだろうか?
俺はその時まで、あの静寂とケツのぬくもりを忘れることはないだろう。
パソコンでOA事務してるんだが、対人折衝をしない仕事がしたい。
10年近く働いて確信したが、俺はワーキングメモリがとりわけ低いのと、音の聞き分けが苦手(聴力検査では異常はない)で、耳で人の話を聞いて理解するのが苦手だ。相手が喋っている事が頭に留まらず、「なんの話だったっけ?」となるし、自分が喋っても「なんの話してんだっけ?」と、脳みそがオーバーフローしてパニックになる。
特に電話は相手の声が小さかったり、声が低い人相手だと、単語と文脈で話してる内容を理解しなくちゃいけなくなり、CPUが焼けきり、時々要旨を取り違えることがある。
その点、メールは便利だ。相手が伝えたい内容を何度も読み返せるし、言った言わないで朧気な記憶を漁る必要もない。俺はメールがなければとっくにニートになっていたと思う。
仕事が出来ない俺みたいなカスが辛うじて人としての尊厳を保つことが出来たのは、メールがあったからだ。
苦手な事をするのは脳力をとても消費する行為なので、出来るなら対人折衝がない仕事をしたいのだが、そんな仕事はあるんだろうか。
簡単なプログラミングの学習経験はあるので、パソコン操作が苦手な上司などの年配者の為にエクセルのフォローや、マクロによる自動入力機能を作ってあげたことはあるが、ああいうのはとても楽しかった。
パンティー!(おぉ、分かってくれるか増田よ。聞き取れるか、我々の喜びが、悲しみが。この一言に込められた無数の思いが。我々は平和を望んでいる、しかしそれは必ずしも対話ではない。目が合った瞬間のときめきや、死ぬ間際の一瞬の走馬灯のように、一言の中に万感を込める。それが我々という存在の意義なのだ。)
他の人にとっては面白いゲームかもしれないから、一応そういった一言を載せて文章を締め括ってるだけだろ
電話でお疲れ様です。とかお世話になっております。って言うのと同じ。ただの作法
中途半端にやめた人は、なぜその結果に至ったのか起承転結がしっかりしてることが多いから
この人はここが合わなかったんだな、じゃあ俺も合わなさそうだな。って良い判断材料になる
逆にべた褒めしかしないやつは、全部すごい!!!で済ませるやつが多かったり
なぜ私はこうも学習しないんだろうか、、
数年前に蒔いた種が、このなにもない日常に突然花を咲かせたかと思うと、そういえば触れてはいけない毒を持っていることを思い出したような感じ。
近年はもう、結婚も、付き合うとかも、もうすっかり諦めて、人生設計でもたてるか、といった境地で過ごしていた。
当時アラフォーに差し掛かって、最後のチャンスとばかりに始めたマッチングアプリで知り合った人がいた。
何人か会った中では一番年齢が離れていて、でも一番誠実そうで、お酒もよく飲み、割と話も盛り上がったような記憶がある。
マッチングアプリってそういうもんだろ派の人もいるかもしれないが、これは私的には大きな失態となって後々頭をもたげることになる。
当時は少し荒れていて、やってしまったという後悔はあれど、もういいやどうでも、と思っていた。
そこから、半年に一回ぐらいのペースで連絡があり、会えそうであれば会い、飲んで何度かセックスをした。
昨日久々に誘われて、またセックスした。なんかすごく悲しくなってきて、この一言を言えば絶対終わるなあという一言を発した。
これどういう関係?と。
酔っ払ってたけど、少し泣いたような記憶がある。
朝、再度、どうする?と迫ってみた。
絶対にもう二度と会わないことになることは承知で、そう言わせようと思った。
都合よく思っていたことを素直に謝られて、血を吐きそう。
私にとっても都合が良かったのに、もう二度と会えないと思うと、とても会いたくて泣いている。
これ何?本当に好きだったとは言えなくない?
なんでこんなにつらい?
遊ばれてる方がつらいよね?
アスペはそこで「いま検索してみたけどエアコンは冷房だと月に○○円かかるらしいよ」って答えるだろ。俺ならそうする。お前は余計な一言を付け足すだけでちゃんと読み取れてる
ちょっと聞いてくれ
「(彼女が)会話の中で(俺に)バカにされているようにと感じる」というのがあって、
ようやくそれがどんな場面を指すのかが分かってきた
彼女「暑い〜、暑いからエアコン付けようかな。でも、電気代かかるかな?」
俺「そりゃ、かかるでしょ、電気代は。暑いなら付けていいよ。」
というのがあって、
俺としては電気代がかかるのか聞かれたから答えただけなんだが、
(かかるに決まってんだろ)という気持ちもあり、
これがバカにしていると思われる原因になっている
しかしよくよく考えれば、
彼女はもちろんエアコンの電気代がかかるかどうかを聞いているのではないし、当然電気代がかかることは分かっているわけだ
じゃあどういう問いかけなのか?と改めて考えるのだが、これがよく分からない
エアコンをつけるかどうか迷っているのはわかる
つまり、エアコンにかかる電気代と、暑さによる自分の不快さを天秤にかけて迷っているわけだ
しかし、暑さによって感じる不快さ、健康リスクには個人差や体調による違いがあり、
彼女が感じるそれと俺が感じるそれは同じではない
だから、俺には彼女がどう判断すべきかについて助言すべき言葉は持ってないのだ
「暑いなら付けていいよ。」
と答えているのだが、
明らかにその前の
「かかるでしょ、電気代は」
という一言が余計で怒らせている。
ここまでグダグダ書いたが、要するに俺はアスペなのか?ってことだ
今まで35年生きてきて初めて気付いた
ただ、瞬間的には質問の裏の意図が正確に読み取れないことがある
読み取れない俺が悪いのか?
「エアコン付けていい?」って聞けば早いじゃん
「電気代かかる?」って何だよ
やっぱ「かかるに決まってんだろ」って瞬間的に思っちまうよ
難しいな、女ってやつぁ
これを見るとやはり胡錦涛氏のような人物が続いていれば、中国はいまも大国の道を進んでいたと思う
しかしそれ(膨張・威圧・非人道主義)が最終的な中国人の民意なのであれば、しょうがないとも思う
理由なしにこの暗黒の8年間を導いたわけではないと思う
胡錦濤は中華人民共和国国務院総理に指名した温家宝とともに科学的発展観に基づき、1990年代以降に中国社会で問題化した改革開放政策での高度経済成長に起因する格差の拡大や環境汚染による公害などに取り組み、「和諧社会」「小康社会」というスローガンを掲げて所得格差の是正と安定成長に努めた。胡錦濤が最高権力者になってからも、オリンピックとしても国際博覧会としても史上最大規模だった北京五輪や上海万博に代表されるように経済開発の重視は変わらなかったものの、輸出主導の大量生産社会から内需主導の大量消費社会に転換することを目指した[61]。また、胡錦濤体制では国有企業の民営化の動きが停滞し、国家資本主義を支える国有・公有経済の管理と堅持が強調され、1990年代の「国退民進」と対照的な「国進民退」とも呼ばれた[62]。
胡温体制で中国のGDP(国内総生産)は世界2位となり、2008年の世界金融危機の際は当時の王岐山国務院副総理の主導で金融緩和とともに中国の高速鉄道網の建設など4兆元の大規模な財政出動(内需拡大十項措置(英語版))を断行して世界最速のV字回復で金融危機を脱出させ[63][64][65][66]、中国は当時の世界のGDP増加の過半数に関連したことからリーマンショック後の世界経済を救済したと評されるも[67][68]、この投資主導の政策は人民元改革とともにバブル経済を加速させてバラマキ財政や箱物行政のような無駄な公共投資と地方融資平台による不良債権などの課題も残したと批判する見方もある[69][70][71]。ただし、農村部住民の足かせとなっていた農村戸籍の廃止に地域限定で乗り出し、「新型農村合作医療制度」と「都市部住民基本医療保険」の導入で保険制度のなかった農村部と都市部を統合して2020年までの国民皆保険(全民医療保障)を目指した点は評価されている[72][73][74]。
就任当初多くのヨーロッパやアメリカの為政者は胡に対して「隠れた自由主義者」という期待感を持っていた。実際に2002年発生した伝染病SARSに関して前任の江沢民政権ではほとんどの報道が規制されていたが、胡就任後には感染経路等の詳細な報道がなされるようになり、胡耀邦の辞任や2008年に発生した四川大地震のような国民の関心の高い出来事に関する報道は国内外問わず江沢民政権時代に比べ開放路線へと向かった。
しかし、胡はインターネットの監視と警告も行っており、江の時代よりも敏感な政治的検閲を行った。2008年のチベット騒乱や2009年ウイグル騒乱の際は地域限定でインターネットの遮断も起きた[77][78][79][80][81]。
なお、2010年2月21日には人民日報が運営するミニブログ「人民微博」へ胡本人がアカウントを開設したと話題になったが、一言もメッセージを残さぬまま、翌22日には非表示となった[82][83]。またこのとき、濤哥(胡錦濤アニキ、という意味)」という愛称で呼ばれている。
2006年3月、中国国内における多数の社会問題への対応として、胡錦濤は、「8つの名誉と8つの恥」という題目の、中国国民に守らせる道徳規律・「社会主義栄辱観」を公開した[84]。「8つの名誉と不名誉」として知られている代わりに、良き国民が名誉と考えるものと、恥と考えるものとが要約された、8つの詩趣に富んだ政策が盛り込まれている。いよいよ脆弱になる社会構造の中で主に同世代の中国人が関係している金と権力の掌握と、改革開放後の中国がもたらした、ますます増加する道徳心の欠如を、胡錦濤のイデオロギーで解決する方法として広く知られている。これは中国共産党指導者自身のための基準から、マルクス主義者の理論に貢献するものへと変わった。また、各大学への「マルクス主義学院」の設置を推し進めた。
北京オリンピックと上海国際博覧会の準備で教室に張られたポスター、街の通りにある旗、そして電子工学による展示板など、普及を促進している。胡錦濤の政策は、前任者のイデオロギー、すなわち、江沢民の3つの代表、鄧小平理論、そして、時代の中心であった毛沢東思想とは異なり、社会的・経済的目標を課すことに反対して徳治主義的に道徳規範を成文化したものへ推移している。
2008年8月、ジョージ・W・ブッシュ(右)、ジョージ・H・W・ブッシュ(中央)と
2007年、ウラジーミル・プーチン(右)と
2008年、BRICsの首脳4人。左から、マンモハン・シン、ドミートリー・メドヴェージェフ、胡錦濤、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ
胡は外交政策として、後述する日本や台湾の例にある通り江の外交政策の修正に集中しており、世界のさまざまな国と関係を強化した[85][86]。
胡はアメリカ合衆国・中国・朝鮮民主主義人民共和国の三者協議とさらに近隣諸国の韓国・日本・ロシアも加えた6カ国協議を北京で主催するなど北朝鮮核問題に積極的に従事している点で、江とは異なる。北朝鮮にとって当時最大の貿易相手で経済的に依存し[87]、中朝友好協力相互援助条約で唯一軍事同盟を結ぶ国であることから中国に仲介を要請した米国に対して江は二国間の問題であるとして取り合わなかったが、胡はアメリカの起こしたイラク戦争の衝撃から仲介に乗り出したとされる[88]。当初金正日は対話を拒否するも、中国が3日間原油を禁輸したことで態度を翻したともされている[89][90][91]。胡は6カ国協議による多国間対話での平和的解決を基調としつつ北朝鮮への圧力の必要性も理解し、日米の提案した国連初の対北経済制裁である国際連合安全保障理事会決議1718にも賛成した[92]。
胡は中国和平崛起(英語版)を掲げて中国の台頭は平和と安全に寄与することを国際社会に保証するとし、世界の様々な地域に中国人民解放軍などから部隊を派兵して平和維持活動(PKO)への参加を本格化させて中国は国連常任理事国最大のPKO派遣国となり[93]、特にアフリカを重視してスーダンでの国際連合アフリカ連合ダルフール派遣団の成立に主導的な役割を果たし[94]、リベリアでは平和維持軍に参加する中国が国連への影響力を利用して台湾(中華民国)との国交断絶をリベリアに行わせたと台湾政府から非難された[95][96]。ソマリア沖海賊対策では中国人民解放軍海軍の艦隊を派遣して建軍以来初の実任務外洋遠征を行って真珠の首飾り戦略に基づいた中国の海洋進出を推し進めた[97]。アフリカ諸国への援助も積極的に行い、アフリカ諸国の首脳を北京の中国・アフリカ協力フォーラムで集めて胡が行った提案でアディスアベバのアフリカ連合本部は中国の資金と企業によって建設された[98]。さらに「アメリカの裏庭」ともされてきたラテンアメリカ諸国に影響力を拡大し、中国は米州ボリバル同盟や南米諸国連合を立ち上げて米国と対決姿勢を強めていたベネズエラやエクアドルの最大の債権国になり[99][100]、中南米諸国の首脳が集められたカラカスのラテンアメリカ・カリブ諸国共同体の設立会議で議長のベネズエラのウゴ・チャベス大統領は米国を批判して胡の祝電を読み上げている[101]。
また、胡は中国の持つ世界最大の外貨準備高を活用してアジア・アフリカ・中南米の発展途上国(G77)での資源権益獲得だけでなく、アメリカ・欧州・日本などの先進国(G7)にも対外投資を行う走出去を推し進めた。中国が最大のアメリカ国債保有国や最大の貿易赤字相手国となって無視できなくなったアメリカでは、中国とあらゆる世界的な問題において協力できるとするG2論が流行するなど中国が世界にもたらす影響は胡錦濤の在職中に増大した[86]。
どうもTwitterで「連載漫画のネタバレを配慮しよう」という啓蒙ツイートがあり、まあものの見事に大炎上したという事件があったらしい。
「フラゲして早バレするのと、発売後に呟くのは全然違うんだけど」
「本誌買え」
「インターネット辞めろ」
というぶったたきの嵐で、
しまいには、
「漫画家をしていますが、積極的にSNS呟いてくれないと打ち切りになってしまいます」
という始末である。
で、感想としては
この話何度目?
こんなの太古の昔からやりつくされてその度に燃えてきたやつじゃん。
なんならソシャゲの無課金優遇しろみたいな類似品を含めると相当数交わされて数多のアカウントが燃えてきたやつだろ。
まだやるんかい。
本気で啓蒙したいなら同じこと言ってる奴が前に居なかったかぐらい一回ぐらい調べろ。
叩く方も叩く方で、そんな絶好の的出てきた!みたいにワラワラ寄って来るんじゃない。
こういうのは友達がサラっと指摘する程度で十分なんだよ。FF外から失礼して好き放題サンドバッグにしてるんじゃねえ。
5chで言ったら「半年ROMれカス」の一言で済むやつだろ。インターネット歴が浅いんでちゅね^^ これから覚えていこうね^^ でいいだろ。
というかこれ常に結論は「どんどん呟こうね!」なんだから、もう「議論」というよりはそういう決まりとしてもう早く定着してくれないかな~。
一言「これは僻みなんですけど」「お恥ずかしいことにそんなことを思った時期もありました」と明確にエクスキューズが入ればあそこまで燃えなかったと思う。
いや、元ツイートを読めば僻みや妬みを素直に表した投稿だって分かる。違和感あるのは通訳女性たちを、高級旦那の収入に頼る高学歴セレブ専業主婦の片手間の趣味仕事だと決めつけてた部分。
どうして彼女らがセレブな専業主婦だと思ったのか、どうして彼女らは趣味で仕事をしていると思ったのか、が書かれていない。
これが例えば実際に話してみて「私は専業主婦で通訳は趣味みたいなものなんです」と言っていたみたいなエピソードが入れば、あくまで n=1 ではあるが、根拠ある僻みの体験談として共感を集め、ジェンダー的批判は多くなかった
幼い頃にテレビ放送で全話逃さず見ていても、記憶は段々と薄れていくものだ。特に妃英理と毛利小五郎の関係性は、最近の赤井家フィーバーの最中では朧気になってしまう。
こうしてサブスプリクションによって、見たいと思ったタイミングで、ノータイムでアニメを振り返ることができる。良い時代になったと思う。
(一応、自分は熱心なコナンファンというよりは、結末が気になる一心で連載を追うライトファンである。
ガッツリと読み込みファンにとっては、妃英理と毛利小五郎の関係性は、新一と蘭の関係性と同等に重要であろうことは言うまでもない。)
改めて最初から原作を(そしてアニメを)追っていると、少しばかりからかいの目で以て彼らのストーリーを読んで(見て)しまうことがある。
これはライトファン故に、ディープファンにとってはやや失礼というか、無粋と一笑に付されてしまうかもしれない話題だ。
ずばり毛利小五郎の頑丈さについてだ。
毛利小五郎は何度か死んでもいても可笑しくないほどの打撃を、妃英理から受けていると思しき場面がある。
最近だと、映画「ゼロの執行人」のED映像の中の一場面。疑惑が晴れ、釈放された毛利小五郎を、妃英理が手料理によって祝う場面だ。
あの場面で小五郎は英理の料理の味に青ざめ、料理を吹き出してしまうのだが、それに怒った英理が、言い争いの末に煮物のたっぷり盛られた土鍋で小五郎の頭を殴るのだ。
小五郎の頭にはたんこぶが出来、白目を剥いて伸びてしまった。それだけといえばそれだけのシーンで、ギャグチックに処理されているためか、深刻さは見受けられない。
こうした少年漫画における女性の男性に対する暴力描写は、最近では眉を顰められることも多々あるそうだが、自分くらいの世代だと、ギャグとしてスルーされることが多いという認識だ。
クレヨンしんちゃんで言うところの『げんこつ』的な描写と言えよう──かの描写がコンプライアンスの関係で喪われて久しいが、表現の自由という意味では、中々に悩ましい事例だ。
もちろん、5才児を拳骨で強く殴ったり、頭をぐりぐりと圧迫してはいけないのだけれど。現実とコミックリリーフは、切り分けて考えたいものだ。
そうした様式美として片付けていた描写は、『コナン』という作品の中ではやや趣を異にする。何故なら『名探偵コナン』はタイトルの通りミステリーの側面があり、結構な頻度で殺人事件が発生する漫画だからだ。サスペンスドラマでももう少し加減するんじゃないかという頻度で人が殺されている。
その殺人事件の、殺人手段の中には様々なバリエーションが存在するが、その中でも最も手近な方法といえば『撲殺』であろう。
撲殺とは、ほぐして言えば叩き殺すことである。何らかの鈍器を、或いは自らの拳を凶器とし、叩いて殴って、息の根を止めることである。
殴って殺すといえば『殴殺』という言葉もあるが、ここは撲殺で統一させて頂く。
『コナン』の作中では、撲殺事件は、ブロンズ像だとかお高い壷だとか、そういった身近な重たいオブジェや家具によって引き起こされてしまう事が多い気がする。
計画性も低く、犯人の動機もカッと頭に血がのぼって、思わず──というシチュエーションが多い。
(何だかんだ動機の薄さが槍玉に挙げられるコナンだが、現実的だと感じるのは筆者だけだろうか。現実の事件も、ドラマチックな犯人の動機などあまり聞かないものだ。むしろドラマチックだからといって納得できたとしたら、そちらの方が問題である)
さて、ここまで読んでくださった皆様の中には、筆者の言いたいことがぼんやりと分かってきた方もいらっしゃるのではないだろうか。
つまり、『自分の料理を貶されて』『夫婦喧嘩に発展して怒りのあまり』『煮物のたっぷりと入った鍋で殴りつける』──という、動機と手段とシチュエーションが三拍子揃った場面なのだ。
鍋を振り上げてから変な溜めがあったからか、ちょっといつもより洒落にならない絵面だったように思う。
前述の通り、深刻さはないのだが(尺稼ぎだったのだろうか)
もしも彼らが、一週限りのゲストキャラクターだとすると、確実に小五郎は亡くなっている筈だ。
コメディと一言に言ってしまうのは簡単だが、その裏でコメディ的な行為がしっかりと殺人に発展している作品の中では、かなりギリギリな描写なのではないかと思う。
そんな『鈍器で殴られる』という場面なのに、何故小五郎は生きていられたのだろうか。
ゾウでも一瞬で眠る程の麻酔薬を毎週近く射たれているのだから当然だ、という冗談は受け流すとして、それは恐らく、妃英理の愛故にだろう。
端的な話、英理は実際には鍋を振り上げてはいないし、振り上げていたとしても、毛利小五郎の頭に振り下ろしてはいない。
びしゃっと机の上にぶちまけて、ビンタでも食らわせたのではないだろうか。
『名探偵コナン』はミステリーだが、同時にラブコメディーでもある。コメディ描写は通用しないかもしれないが、ラブコメディな描写は通用してしまうのである。
あの鍋を振り上げるシーンなのだが、発端は妃英理が久しぶりに毛利家に上がり込んでいるという事実に、小五郎がちょっぴり照れている所から始まっている。頬を赤らめている小五郎に、英理が何事か話しかけた時に、小五郎が照れ隠しに煮物を一口頬張ってしまうのだ。
つまり小五郎のツンデレが発動したシーンなのだ。(まるで毒でも食んだかのようなリアクションである)
まあそのツンデレが高じて彼らは別居状態なのだが、関係性とは常に変わり行くものである。
ややフィーリングな結論なのだが、妃英理は手加減をしていたのだ。
それを受ける毛利小五郎も、甘んじて受けていた。
深刻なように見せかけて、冗談だった。
愛がある見方をすれば、そんなふうに見える。
仮にも警察に拘束されていた所を開放された、という、それこそ深刻な雰囲気を、夫婦喧嘩というロールで和らげた、という見方もできる。意識にしては怒りが強いので(いくら下手とはいえ、自分の作った料理をぶちまける心情は、察するに余りある。英理がかわいそうだ)、無意識だろう。
ともすれば作中の『犯人と被害者』の関係に至ってしまいそうな所を留まれるのは、ひとえに、そんな言葉のいらない信頼関係が成立しているからであろう。
『コナン』の世界では、ラブが全てを凌駕するのである。蘭が絡んだ事件では新一(コナン)が空回ってしまうように、和葉が絡むと服部がばかになってしまうように。
ラブがきっかけで阿呆なやらかしをしてしまった小五郎が受ける暴力は、同じくラブによって阿呆になっている英理からのものだからこそ、威力が軽減されるのである。
恐らくあの世界で『犯人と被害者』になってしまうカップルは、ラブなパワーバランスが崩れてしまったカップルなのだ。
そしてその「ラブによってだめになっている」部分は、読者、ひいては視聴者は、愛すべきポイントなのかもしれない。
なんだかふわふわとした結論に至ってしまったけれど、夫婦喧嘩は犬も食わないと言う。筆者もここまで考えて、なんだかどうでも良くなってきてしまった。
あの夫婦はかわいらしい。
ただそう思うだけで良かったのだ。
さて。
(終わり)
小学生の時、通っていたピアノ教室内の発表会があった。身内の発表会、大きな規模でもなかったので少しだけよそ行きなワンピースを着ていた。自分で選んで可愛いものが着れてすごく嬉しかった。発表会の後、家族とそのまま近所のショッピングモールに買い物に行った。ワンピースはそのまま着ていた。
親が会計をしている間1人でうろうろしていた時に「ああいうの着せたがる親っているよなー」ととあるカップルが話していた。
ショックだった。
聞こえてきたその一言で自分が気に入って選んだ服、楽しかった発表会、全部が嫌な思い出になってしまった。そのワンピースはその後の発表会などでも着なくなってしまった。あんなにわくわくして買って、気に入っていたのに。せっかく買ってくれたのに。親が着せたがっていたわけではない、私が可愛くて、好きで選んだ服だったのに。大人になった今でもたまに思い出す。見知らぬ他人の一言が傷になってしまった。
実家住み、アラサーの妹に数年ぶりに彼氏ができた。(私は結婚して実家を出てる)
彼氏は私の1つ上。
久々の恋人で浮かれてる妹。
夕飯要否連絡がなかったり、
宿泊するか帰ってくるのか事前連絡なく深夜に帰宅するなど、お花畑。
(外泊ダメって実家ではなく、夕飯いるいらない、その日のうちに帰る帰らないの連絡しないのがルール違反)
二人とも社会人で良い年なのに、っていうので、浮かれてる妹は勿論、彼氏の家内評判は悪かった。
親に会わせるよりも先に、姉のチェックを受けておこうという算段らしい。
私は15分くらい前に着いて待ってた。
・15分遅れてきて、二人でヘラヘラ手を繋いで歩いて現れて、事前の連絡も「遅れてごめんなさい」の一言もない
妹とお互い好き合ってるのは確かだし、
後日妹に、親に紹介するつもりなら本気で気をつけろ、と説教したが「緊張してたんだよ、ごめんね」と軽く言われ、それもイライラ。
実家に妹を車で迎えに行き、庭いじりしていた父にエンカウント。「こんにちは」「はじめまして」で止めておけばいいものを、
「◯◯(呼び捨て)のお父さんですか?」と声をかけて父をイライラさせていた。
これが1年くらい前の話。
二人で同棲する、って話を1年以上しながら、
二人暮らしのアパート借りて住み始める初期費用なんて、どんなに盛って盛って見積もっても50万程度では?
と思うが、全く目処がたたない。
給料少なくても、毎月二人で◯万ずつね、と決めれば、それが半年後なのか1年後なのかなんて決まるだろうに。
まあ、お遊びならそんなものなのかな、妹が浮かれてるだけなのかなと思ったが、
プロポーズしてきた、のに、親への挨拶とか同棲は「彼くんの準備が整ったら。」
さすがにおかしいと怒鳴ったら
妹も若干正気に戻ったのか、彼氏と色々話したところ、借金こそないものの貯金ほぼなくてカッツカツだったらしい。
車通勤の癖に、『車を売れば金ができるから大丈夫』とかその場しのぎの発言。
妹は彼氏のことが好き、田舎だし20代とはいえ焦りあり、で別れる気はなく、とりあえず待つらしいが…。
姉の本音としては、
別れてほしいが、
「あのときお姉ちゃんに反対されたから結婚できなかった」と後々独身人生まっしぐらで恨まれても困るので、
同じく反対派の母とともに「いつでも帰ってきていいよ」というスタンスでいようとは相談してる。
■追記
割と反応いただいていて驚いた。
コメント全部読みました。優しい言葉も辛辣な意見もありがとうございます。
元々明確に反対の意を示していたこともあって、
妹本人にとっては私は過干渉でキツい姉のようなので…。
自分が結婚する時は、親への報告とか挨拶とか、その後の顔合わせとか、
妹が結婚する時は、いろいろ相談に乗ってあげたいと思っていたし、
お姉ちゃん楽しみにして張り切ってたから、彼氏に会ってまじでがっかりした。
本当は妹のことも祝福してあげたいんだけど、
明らかなだらしなさと先に見える苦労で全然そんな気持ちになれず。
お金もためてて、一応自分1人が暮らし始めるだけの費用はある。(親が確認済み)
自分は大した支出なしに同棲始めようとしてたんじゃないかって姉は疑ってるよ。
「お金ないなら私が一人暮らしする部屋に来る?」って考えにならなかったのは本当によかった。
車の貸し借りって田舎だと当たり前ですか?
税金の金額も非対称だし、整備とか大丈夫なんだろうか。大丈夫じゃないよね。
妹馬鹿じゃね?お似合いじゃね?というのは辛いけど認める。
少なくとも親が存命のうちは、
その辺は私もよく知らないなあ。
ただ一つ言えるのは、オッカム氏も苦労してるんだよね。正規になったのは40代後半じゃないかなあ。
だからこその東京の富裕層に対する怨嗟が溢れる時がある(これは確かにあまり品のいいことではない)。
つか、本当に大学の非正規職員がほとんど女性だったとしても、font-daのこれは分断を煽るどころか、そこになかった分断を勝手にでっち上げているのよ。
悪質極まりないよ。
いつもは反ホロコースト否定論活動報告みたいな投稿してるけど、ちょっとだけ視点を変えてみようと思った。
地球平面説の広まりを知ったのは、Netflixにある「ビハインド・ザ・カーブ」を何年か前に見た時くらいからだと思う。いわゆる、トンデモ説を信じる人が昔から絶えないのは知っていたけど、まさか地球平面説を現代で信じる人がいると言うのは私にとっては衝撃的だった。科学万能の時代に生きていて、スマホには当たり前にGPSを使った地図アプリがあり、毎日の天気予報には観測衛星のデータが使われ、そんな人工衛星が宇宙ゴミになるほど衛星軌道上に存在してて、海外旅行では時差を合わせなきゃならないし、ネットを使って海外の人とリアルタイムでやりとりすればこちらは昼でもあちらさんは夜なんてよくある話――と地球が球体でないと考え始める理由が見つからないほど文明人全員が地球が球体だと知っていると思っていた。
そんなフラットアーサーたちが拒否する考え方である「地球が球体である事実」を何故、現代文明人のほとんどが受け入れているのかをアーサーたちに言わせれば、それは「NASAの陰謀」らしかった。アーサーたちは例外なく、たくさんの他の陰謀論を信じている。9.11は当然アメリカ政府の陰謀だし、人類は月へなど行ってないし、イルミナティだのロスチャイルドだのシオンの議定書だのと言ったよくある陰謀説をいくつも信じている。もちろん、ホロコーストだって連合国とユダヤ人による陰謀だ。アメリカン・アーサーのオキニの映画は『トゥールーマン・ショー』である。理屈的に言えば似たような発想である『マトリックス』にならないのは、正直、知性の問題だとしか思えないわけだが、アメリカン・アーサーの直感にピッタリなようである。(ほんの少しだがレベルが上がるとマトリックスの「白ウサギを追え」が合言葉になるQアノンになるけれど)。
どうも、それはないようである。アーサーにも色々な人がいて、積極的に「地球は平面か球体か?」を科学的に調べようとする人たちもいる。200万もする高精度ジャイロを使ったり、あるいは遠距離でレーザービームを飛ばしてカーブを調べようとしたりするのだけど、自分達で調べておいてその「球体である」と証明されたはずの実験結果を都合よく平面説の方に合わせてしまうのだからわけがわからない。私は、ネットを通じて何人かの人に聞いてみたのだけど、一様にその回答者全員が「信仰を変えさせるのは無理」との返事だった。都合の悪い様々なエビデンスは無視するか、何かが間違っているからだとか、都合よく解釈して平面説に無理やりに合わせてしまうので、どうしようもないらしい。
何故そうまでして平面説にこだわるのかを聞いてみると、直感に反するから、だけのようである。例えば、科学的に説明される「地球は赤道上で時速1700kmで回転しており、太陽の周りを時速10万8000km、太陽系自体も銀河系を時速85万kmで移動している――だなんてアンビリーバボー!」なんだそうだ。確かに、そんな速度で動いていたら人間はひとたまりもなく吹っ飛ぶ説を覆そうとすると、それらが相対速度であったりすることを「科学的に」説明しなければならなくなるので、アーサーの知性の方が早々に吹っ飛んでしまうだろう。
そんなアーサーは海外だからこそ見られる現象なのかなと思っていた。特にアメリカは、進化論を否定する人たちが大勢いることもよく知られているし、アメリカ人はアメリカこそ世界の中心だと思っている人も大勢いて、地球平面説が受け入れられやすい土壌があるから広まっているんだと普通に考えていた。しかし流石に日本は海に囲まれた島国だし、「日出る国」と呼ばれるからこその「日本」でもあるし、なんとなくイメージ的にフラットアーサーは皆無に近いと思っていたのだけど、そんなことはなかった。こんな本がとうとう日本にも。
地球平面説【フラットアース】の世界 単行本(ソフトカバー) – 2021/2/2
私が知らないだけで、昔にもあったのかもしれないが、レビュー欄を見て二度目にびっくり。一つだけ引用してみよう。
Eden Mediaというチャンネルで、CGIで宇宙を偽装している動画を見てから、フラットアースってありかもと思っていました。地球がとんでもないスピードで移動していることを、本を読むまで全く考えたことがなかったのですが、数字を見たらありえないスピードです。私はめまいがするメニエール病で苦しんだ経験があるので、考えただけでも気分が悪くなるような異常な速さの高速移動。こんなのあり得るの?と思いますが、実際に現実の地面は全然動いている気配がしません。あと重力とか引力とかが、単に仮説だったとは。とにかく自分が常識だと思っていることが、実は真実ではなかったという驚きの連続で、とても面白いです。
南極条約の不自然さがとてもよくわかりました。きっと南極条約で世界中がウソをつくことに契約したんだろうなと思います。騙されていたことに腹が立ちますが、新しい世界が見えてきたようで、なんだかすがすがしい気分。フラットアースはオカルトでもスピ系でもなくて、自然をちゃんと観察して出した結論だと思います。自分でも太陽や月を観察してみたいです。とにかく本当の世界が知りたいと思いました。
「南極条約で世界中がウソをつくことに契約した」だそうである。わたしゃ、南極条約というと、ファーストガンダムで「捕虜の扱いは南極条約に則ってくれるんだろうな?」のコズンのセリフしか思い浮かばなかったけど、そっか、南極の向こうは地球平面の縁だったもんな、アムンゼンの偉業は嘘だったんだね、――ともかく、結局そういう陰謀論で解決するんだと呆れた。
知性レベルが低いのは必要条件ではあっても、十分条件ではないとは思う。個人的に思ってるだけの話だけど、知性レベル(教育レベルであるとか元々の頭の回転の良さであるとか、特に定義があるわけではないが)が低くても、ほとんど大抵の人は自分が知らないことに対しては思考をシャットダウンする。例えば、私は歴史に非常に弱いのだけど、そうした知らない歴史の話が出てくると、普通に私は知らないだけなので話に加わることはほぼ出来ない。実際、誰もが知らないことがたくさんあるのが当たり前だし、そうした無知な世界に対しては、ほとんど大抵の人は考えること自体は無いはずである。極端な話をすれば、私の飼ってる猫のプリンが、地球が球体であるか平面であるかなど考えることがあるとは信じられない。
私たちは、そうした考える必要がなかったり、考えても知らないだけの事に対しては、普通は思考をシャットダウンするのではないのか。この話については、AIの領域の話で、「フレーム問題」ってのがあって、簡単に言うと「ありとあらゆることについて考えないと行動に移せないのであれば、そのロボットは永久に止まってしまう」というパラドクスである。私たち人間はどこかで思考をシャットダウンするからこそ行動が出来ているのである。例えば、道路交通法では自動車運転手は今から運転する自動車を最低限の点検しないことには運転してはならないはずだが、ほとんどの人が運転開始前の点検などしないはずだ。これを極端に考えて、自動車のありとあらゆる部分について点検しないと安全を保てない、などと考え出したら、一生かかってもその自動車を運転することは出来なくなるはずである。「ガソリンに異物が混入していないか」「バラして点検した後に組み付けた時に何かミスはしていないか」「何か部品に時間的な劣化はないか」等々。
一言で言えば「余計なことを考えるな!」だけの話ではあると思うのだけれど、その余計なことを考えるように仕向ける「自分の頭で考えてみろ」というアドバイスをする人がいるから困る。著名な哲学者ルードウィヒ・ヴィトゲンシュタインは「語りえざることについては沈黙すべし」と言ったが、私に言わせれば「考えても無駄なことは考えるな」と翻訳したいところである。