はてなキーワード: 一言とは
炎上案件なのでここに書く。「スポーツ競技では社会的性差と生物学性差は分けるべき」という為末大の意見に賛同する人が多いのを見て、違和感が強かったので一言。
結論から言うと、性的マイノリティへの差別を撤廃するという観点で言えば、トランスジェンダー女性の女性枠での出場は積極的に認めるべきである。男性/女性の枠組みに代わるものが現実的に準備できない以上は、そうするしかない。
そもそもこの問題は、トランスジェンダーへの差別を撤廃すべく、彼らの性自認に基づいて競技参加権を保障するのか、それともトランスジェンダーの人には「我慢して男性として出場」してもらい、シス女性の金メダル可能性を保障するのか、のどちらを優先するのかという問題にほかならない。前者が優先されるべきなのは、あまりに当たり前のことである。差別の上に乗っかった金メダルなどあってはならない。事実、「不公平だ」と言って、性的マイノリティへの差別を助長するような発言を無邪気にしている人が多い。
そもそも「社会的性差と生物学性差は分けるべき」というのは、あまりに雑で非現実的な議論である。当事者からすれば、両者はそんな簡単に分けられない。「男性というカテゴリーの中に詰め込まれて苦痛」というトランスジェンダーの人の訴えが、なぜ「生物学的」ではなく「社会的」と断言できるのか。身体的な能力差についてでは医学の専門家に委ねるしかないが、「男/女」とは別の基準であってもいいはずだろう。
もちろん不満を感じる女性アスリートは多いと思う。しかし、そうした「金メダルが遠のく」ことへの不満への配慮を優先するのか、差別への配慮を優先するのか、と言えば後者しか選択肢はないはずである。どうしてシス女性の金メダル可能性が、トランスジェンダー差別よりも優先されるのだろうか。
これは女性向けジャンルで二次創作の小説を書いているオタクによる、ただのお気持ち長文だ。
よく「消さないで」とか「消されてしまって残念だ」とかいったつぶやきは見かけるので、消す側の理由について残しておこうと思う。
もちろん、これはあくまで私自身の理由で、他の消した誰かと同じだとは思っていない。
結論から言えば、ピクシブがノットフォーミーのサービスになったから、という一言に尽きる。
原因はサイトそのものについてと、利用者(と取り巻く環境)について。
大きくこの二つに分けられる。
まずはサイトについて。
度重なるUIの改修により、ピクシブはとても「美しい」サイトになったと思う。
アクセスしたい情報はトップページからは隠され、管理画面に羅列されるのは個人的には不要な情報ばかり。
懐古厨と言えばそれまでだが、使いづらいというのが率直な感想だ。
もちろん、評価できる部分もある。投稿ファイルの種類をプルダウンから選べるようになった点、表紙の種類を追加し、タイトルを自動入力できるようにした点。
小説も主要サービスと認識されているのだとわかるのは嬉しい限りだった。(そもそも、イラスト投稿サイトで小説が投稿できるだけでも十分ありがたい話だとは思っているのだが…)
これらの改修を受けて、ピクシブがどの方向へ行こうとしているのか個人的にも察する部分があった。
サイト全体としては、プロのイラストレーターやその卵とその顧客をつなぐ役割に思える。だからおしゃれなサイトに、素晴らしい画力の作品を掲載し、ショウウインドウのように見せている。
では小説についてはどうだろうか。
オリジナル作品はコンテストを開催したり良作のピックアップをしたり、力を入れている。
小説版のトップページを見れば、かなり良い位置にそれらの企画が配置されていることからもわかる。自分で項目の表示順を変えられる機能は失われたので、見たい項目がそれらより下にある場合は必ず目を通すことになるからだ。
基本的な方針はイラストと変わらないのだろう。筆力のある創作者の囲い込み(とまでは現状では難しいだろうが)をしたいのだと感じる。
良い面もある。好きに書いていい。
だが率直な印象として、総閲覧数や総作品数を増やすための「だし」に使われている気がしてならない。
特に旬や覇権と言われるジャンル以外でほそぼそと書いている、つまり、私のような人間は。
ピクシブ側に求められている創作者ではないのだと、そう思うようになった。
わざわざ機能改善について問い合わせるまでもない、なんとなく「あ、もうここのお客さんじゃなくなったんだな、じゃあしかたないね」という感覚の話だ。
なので、どちらかというとより深刻に思ったのは、利用者側の問題だった。
ジャンルを問わず二次創作に触れるオタクなら、毎日のように何かしらの問題が発生しているのはご存知なのではないだろうか。
トレパクに焼きマシュマロ、欲しい物リストや投げ銭機能の是非。
舞台はおおよそピクシブではなくツイッターだが、おそらく、いわゆる学級会が開催されていない日はない。
絵師の問題だと高をくくっていたトレパクが小説でも設定文章丸パクリ、という形で発見されたツイートを見た時などめまいがした。
どんなに良いサービスでも、利用者がおらず収入が入らなければ長続きはしない。
だが、利用者が増えたことで、同人や二次創作の知識が浅い人、マナーを理解できない人、モラルがない人が増えたのも事実だと思う。
自分が書いた小説には愛着がある。世界で誰より自分が一番自分の小説のファンだと思っている。
プロはまた少し話が違うのだろうが、趣味で書いているだけのオタクなのだから、読者を選ぶ権利はあるはずだ。
問題を起こす人、そしてその人を支持する人。
そういう火種にくべられ、何かあった時に「この問題児が好きな人はこっちの小説も好きだから、こっちも警戒した方がいいかも」となるのが怖い。
しかし心が折れた。
小説をいくつか投稿し、幸いなことにコメントをいただいたこともある。
ピクシブの作品ページもそうだが、ツイッターでエゴサして見つけた時は本当に嬉しく、次も頑張って書こうという気になった。
なった、のだが、心を折ったのもまたコメントだった。
その理由となった例を二つ紹介して、終わりとしようと思う。
これから書く内容は、自分でも僻みが混ざっていると感じるという点は先に伝えておきたい。
一つ目は「『ジャンル名/CP名』は○○さんの小説が一番おもしろい、他の人のを読んでも物足りなく思うようになった」というコメント。
○○さんではないので、それならもう投稿しなくてもいいし投稿していたものも消して問題ないか、と思った。
オタクに限らず、何かを褒める時にどうしても無意識に他を下げる人はいる。
「○○しか勝たん」とかの言い回しも、同じように感じる人もいるかもしれない。
せめてジャンルやCP名は伏せて発言した方が、結果として好きなジャンルやCPの作品数は増える、ないしは維持されると思う。
書いた時点で満足できるので、このコメントでわざわざ他の人に見せる必要性を今一度考える原因になった。
二つ目は、問題を起こした人の作品をべた褒めしているコメント。
それだけであれば関わりたくないとミュートするだけなのだが、自分の作品に熱心なコメントを残してくれる人だと気づいて反射的にブロックした。
関わりたくない以上に、そういった作品を読んで褒めるような人に読んでもらいたくないと思ってしまった。
その人が起こした問題を何も知らず、作品を純粋に楽しんでいるだけなのだとしても許容できない。ましてや、全て知った上で「作品と作者は別だから」という人なら余計に近づきたくない。
繰り返すが、これは二次創作の話だ。書き手はほとんどがプロではなく、仮にプロやそれに近い技術を持つ人であったとしても、完全に自己と作品を切り離して制作する人はまずいないと思っている。
なぜなら、趣味で、好きなように書くものだから。二次創作とは、そういうものだから。
読んでもらいたくない人がいるのに、ネットに大々的に公開する意味なんてあるのか。
ある、と答えるだけの論拠は、持っていなかった。
そういうわけで、小説は全て消した。復活させる予定もない。
マナーを守って楽しんでくれた人には悪いのだが、それよりも恐怖や嫌悪感が勝った。
また、これらはあくまで投稿者目線の話で、閲覧者としては今後も利用する心づもりでいる。
今後は小説を書いたとしても、一人でひっそり楽しむつもりだ。もう二度と、どこにも出したくない。
なんでこうなったのか。
マスコミは偏ってるとか、1次情報の精査が大事だとか、色々言われたが、今のネットはマスコミの勝利だろう。
誰でも情報発信できるようになったが、多くがマスコミによる記事に一言物申すだけで、情報を比較するといったこともない。
1次情報の分析する人は少ないし、結局まとめたところで長文になって読まれない。
結局、誰が発信するかが重要視され、次第に誰もがコメンテーターになっていった。
「一言だけ相手を誹謗中傷する発言をして、すぐ消す」という行為が蔓延していた。
「相手を不快にさせる発言を残して、そのうえで相手に反論させない」という勝ち逃げができるという思い込みがあるらしい。
相手からはピンポンダッシュとしか思われてないのだけれど、この行為をやる人間は知能が幼稚園児並みなのでそのことがわからない。
この行為があまりに幼稚すぎてはてな運営も把握していなかったのだが、対策がされるようになった。
増田の仕様を変更して「トラバかいてた人間が消したら、履歴に残らなくなる」という仕様に変わった。
今までの履歴は残るのだが、2021年3月以降に投稿した増田については、書いた後消したらツリーに残らなくなっている。
これが何を意味するかというと
「ちゃんと相手が反応するまで読まれたかどうかわからない」「相手が読む前に消してしまったらただの時間の無駄」になってしまうということだ。
https://anond.hatelabo.jp/20210610184501
文面からおそらく弊社の、しかも関わりのある事業部なのだろうと想像した。そういう意味ではまずは今までご苦労様。
まず自己紹介からしよう。私は主に公共向けのSEをしている部長相当職(社内ではある固有名詞で呼ばれている)だ。社内の製品は一通り把握している自負はあるので、よっぽどマイナーなものでなければおそらく君のところの製品も触ったのではないだろうか。
開発に必要があるなら申請を出せば普通に入手できるし、Gitも普通に使っている。正直なことを言おう。そんな小さいことで辞めたのか?と思ってしまった。35歳で主任(これもある固有名詞で呼ばれてたんじゃないか?)ということはそもそも開発者なんてフェーズはとっくに過ぎてマネージメントを任される頃のはず。これはたとえ製品開発の事業部だったとしてもそんなに変わらない。それなのにその視座の低さがとても気になったよ。概して若いコーダーは顧客のメリットが0であるような単なる自己満足としてGithubの利用やDockerを使いたがるが、悪いけどそのまま大人になってしまった感じを受けた。開発環境の優劣というのはそんな低レベルな話ではなく、上流工程での品質の作り込みがしっかり行われているかとか、品質管理のKPIがしっかりされており、そのKPIに対するPDCAが回っているかとか、人月単価を適正に管理し競争力のある製品を作る予算管理ができているかといったことのほうがよっぽど重要。
弊社はあくまでも「ものづくり」「エンジニアリング」の会社であって、「コーダー」の会社ではない。そのためDockerだのGithubだのMavenだのといった要素技術に対してそんなに価値を認めてないんだよね。もちろんそういった技術で儲けようとしているWeb系の企業がたくさんあるけれど、年収を比べてみれば結局どっちの市場評価が高いのか、よくわかるんじゃないかな。「ものづくり」で大事なのはあくまでも顧客の要求を満たすことで、それはDockerだのGithubだのMavenだのを使うことととは次元の違う話だし、市場価値が高いところにコミットしてそうでないところを適正に管理しているからこそその年収が出せるものだと思ったほうがいい。今の年収と同じ水準でモダン 笑な環境に転職したじゃないかと反論されそうだが、転職市場は前職の年収ベースになるので結局君の実力ではなく弊社の実力が評価されただけなんだよね。そこは謙虚になったほうがいいと思う。
まずシステム開発は「ものづくり」ということが見えていない。「ものづくり」というのは単にコードを書くというだけでない(君はそこにフォーカスしすぎて、その環境の悪さだけが目についたように見えた)。市場の要求に対して適切に答えてるのが命題であり、技術は単なる手段ということを忘れてはいけない。プログラミングというのは手段である技術のたった一要素に過ぎない。そういう徹底的な顧客志向を日本のメーカーは長いことやってきており、高い生産性を実現してきたし、社員にもその精神を学んでほしいという一心でビジネスを動かしている。だが、最近のIT系企業は「ものづくり」ではなく技術を目的にしているところが多いよね。MacやGithubとか言ってる層は特にその気が強いと思うのだが、君は結局そこに行ってしまったようだ。
以上を踏まえておじさんから一つだけアドバイス。今のWeb系がやっていることは所詮大昔の技術を再発明しているだけであり、本質的に価値が薄いということ自覚した上で本当に顧客が欲しい物を作るということを忘れないでほしい。例えばDockerなんて大昔からLinuxが持っている機能の寄せ集めだし、Gihubなんて本質的にはファイル名に日付を管理するのと変わらない。弊社に関して言うと、AWSなんていってるけど所詮VMだし、弊社はハードウェアレベルでより高い技術を持っている。AI企業は専用AIを個別案件ごとに作っているが、弊社は汎用AIを世界で初めて開発した。でもそれらを積極的に宣伝はしていない。なぜか?それらは単なる手段だから。むしろお客様へのソリューションという形で宣伝していて、結局顧客のビジネスにフォーカスしているんだよね。だからこそ利益が出せ、年収も高いというわけ。なので、再度いうが、本当に顧客が欲しい物を作るということを忘れないでほしい。
利用者全員なんらかの主義や思想であることを表明するように義務付けて、
それよりも長文書きたかったらそれとは別にブログ形式でも投稿できたりもする
書き込みへの評価は支持を示すボタンだけじゃなく不支持を表明するボタンも付ける
上司に怒られショボショボと車で帰ってた時に
駐車場の目の前の道路で遊んでる親子が居たのだが、こっちが車で近づいても全く気づかない
クラクションを鳴らすと子供が驚いちゃうかな、と思って窓から「すいませーん!通ってもいいですかー!!」と声をかけたら
母親が怪訝そうな顔でこっちを見てきた。しかも、ちゃんと退いてくれるわけでもなく少し横にズレただけで終わり
お前の私有地なら我が物顔で使ってようが文句ないけど、夕方の帰宅ラッシュ時に我が物顔で道路を占領してるって何事?
わざわざ声かけて会釈までしたのに、なんで「すいません」の一言もなく怪訝そうな顔してんの?ていうか子供が巻き込まれないようにちゃんと注意しろよホントに親かテメーは
たったそれだけのことなのに、ワクチンは危険だと一言いうだけで、
やれお前は反ワクチン派か?非国民か?と騒ぎ出す人間が多くて辟易する。
免疫系が、ワクチンを危険だと認識したからこそ、抗体を作り始めるのであって、
本当に安全無害なワクチンであるならば、免疫系は抗体を作る必要性を感じないのである。
だから、免疫系はこのワクチンを排除するための抗体を研究し、生産し始める。
1回目のワクチン接種では、主に抗体研究のために時間が掛かり、
2回目のワクチン接種では、再びやってきた危険なワクチンに対抗するために増産体制を構築する。
事例1。住所が〇〇区と書いてあったから、「〇〇区と言えば、●●(有名な繁華街)には良く行くんですか?」と聞いただけで「プライベートなことはお答えできません」ってシャットダウンする女。別に家に押しかけようとしてるんじゃなくて、共通の話題見つけたいだけなんですけど。
事例2。次の週末に一緒に食事に行く約束をして「レストランAとB、どちらが良いですか?」と聞いて、AともBとも答えず、ただ「うふふー」と笑うだけの超優柔不断女。決められないならせめて「どっちでも良い」か「どっちも嫌」くらい言えや!
事例3。生理が始まった途端一言も口きかなくなって無言で帰宅する女。翌日「昨日は生理でした、すみません」とLINEしてくるが、10代の女子高生ならまだしも、30過ぎてそれ?そんなに体調悪くなるのわかってるなら、むしろその日はデート断ってくれや。
婚活ブログとか読んでると、女性は愚痴書いてる人多いけど、男性側はあんまり愚痴っぽいこと書いてる人も少ないので、思い切って書いてみた。
男も女も大概よー。
タイトル通り、本当に辛い時は大学の心理相談室なんかに電話せずに迷わず心療内科に電話するべきだ。という日記。
自分が鬱なんじゃないかという予感はなんとなくあって、病院に行きたいという気持ちもあった。
しかしその時の私はいわゆる躁鬱というもので、もう全然大丈夫元気100倍!な時期ともう駄目だ死にたい、の時期が交互に押し寄せてくるという面倒極まりない精神状態だった。
鬱が酷い、駄目だ、もう病院に行こう...と決意する頃になってカラッと躁になり病院に行く気が失せてしまうので、うだうだと1か月近く不安定な生活を送っていた。
しかしその日は本当に鬱が酷く、自分を放っておいたら勝手に地下鉄まで歩いて行ってそのまま線路にダイブしそうな恐怖があった。
これは駄目だ。ここで電話しないと詰む。
焦りを感じた私は、たすけてくれそうなもの...入学した際にオリエンテーションで名前だけ見た心理相談室に無我夢中で電話した。必死だった。
しかし、実際に電話の向こうから発せられたのは、「予約はしていますか?」という無機質な応答だった。
当然していない。
していません、と伝えると、それでは今日はお会いできないので後日改めて予約してください、と告げられた。
本当にびっくりした。こちとら今死にそうなのである。心理相談室ってそういうのを防ぐための機関じゃないの?
今本当に辛いのでどうしても今日がいいんですが、と粘って気持ちを伝えてみたが、すみませんの一言だった。
いや......今のところがたまたま忙しかったのかもしれない。
うちの大学はなにかわからんがそういうカウンセリング系の施設が名前を変え場所を変え4個も5個もあるのだ。
駄目だった。なんと全てに断られてしまったのだ。そんなことある?
とにかく予約が必要の一点張りで、私も断られるにつれて精神が不安定になり、最後の一棟にはとうとう自分でそこまで歩いて行って、受付に行って、本当に苦しいんです、どうしても話を聞いてはもらえないんでしょうか、と必死のていで頼み込んでみた。
駄目だった。
もう全然、無表情で、そんなのは管轄外だと言わんばかりにすげなく追い返されてしまった。
本当にショックで、ぽけーーーーーーーーーっとした顔でふらふらと施設の周りを彷徨っていたと思う。
そもそも予約が必要と言うけれど、自分が鬱になるタイミングがわかっていてそれを予め予約しておけるようなら鬱にはなっていないのである。
寧ろ予約予約でたらい回しにするのって一番こういう人にやっちゃ駄目なんじゃないの?
何のために4個も5個も同じような施設があるんだよ。目の前にいる私を助けてくれよ。
もう本当に地下鉄ダイブするしかないかもしれん...まで本気で思っていたのだが、最後の最後でもう1つの可能性を思い出した。
インターネットだ。
物心ついたときからインターネットの顔も知らぬ人々の言葉に何度も救われてきた。
よくわからんクソ施設を頼るよりも勝手知ったるこちらに頼るべきなのではないか。
インターネットに聞いてみて、そこで拒絶されたら潔く死のう。
そう思って、「鬱かわからんからアドバイスがほしい」など適当なタイトルでスレを立て、待った。
ものの数分でレスがつき、「悠長なこと言ってないで早く病院へ行け」「講義は休め」「薬を処方してもらえ」という信じられないくらい温かい言葉がたくさんもらえた。
もう泣きそうだった。
やはり頼るものはインターネットだ。大学のクソ相談室などではない。
さっきまでどん底で死にたかったのが、病院行っても治らなかったら死ねばいいか~~!くらいまで回復し、気持ちが変わらないうちに病院に電話して予約をとった。
同じ『予約』なのだが、病院の電話の方は電話した時点で既になんというかあなたを助けますという意思が伝わってきて嬉しかった。
具体的な症状とか今の気持ちとか聞いてくれるし、どうしても無理!今日診察を!と頼んだらとりあえず話くらいは聞いてくれそうな寛容さがあった。
数日後心療内科に行って、色々と話を聞いてもらい、薬を処方してもらった。
こんな小さい薬でこの感情の嵐が収まるのか半信半疑だったが、もう飲んだ瞬間翌日から驚くくらい冷静に生活できるようになった。
はやく病院行けとアドバイスしてくれた名も知らぬ人々には感謝してもしきれない。本当にありがとう。
未だ治療中の身だが、私と同じように鬱かな...鬱かも...と苦しんでいる人がいたら、間違っても大学を頼らず、まず病院に電話しよう。
うちの大学がクソなだけで他の大学はちゃんと話を聞いてくれるのかもしれないが、
https://anond.hatelabo.jp/20180728090909
このような増田もあることだし、なんとなく正式な医療機関以外のカウンセリングサービス、信用できなくないか?
たらい回しにされてショックを受けるリスクを負うくらいなら最初からちゃんとした病院に電話しよう。
当時貰ったレスの中でいちばん心に残っているのが「プリパラを観ろ」という一言だ。
プリパラは見たことないし、よく知らなかったが、死を前にして突然現れたかわいいアイドルアニメ、そしておそらくプリパラに何らかのネガティブな感情を救われたのであろうこの投稿者に、なんというかえも言われぬ共感を感じてしまったのだ。
私もオタクだし、好きなジャンルはたくさんあったし、なにかと救われてきた。
しかし鬱になってからはあんなに好きだったアニメがどれもこれも無味乾燥としてしまい、自分のジャンルに対する感情が、楽しさがわからなくなっていた。
でもそのレスを見た時、プリパラを観るまでもうちょっと頑張ってみようかな、と、すとんと、心からそう思えたのだ。
まだプリパラは見ていない。
この先もう一度鬱になって、なにもかもが駄目になってまた死にたくなった時に、残った最後の気力でプリパラを再生して、そして頑張って病院に電話をかけるつもりだ。
だから今鬱で苦しんでいるどこかの誰かがこれを読んでいるなら、変なサービスに頼る前にちゃんとした心療内科へ行って、プリパラを観ろ!
デザインって自分では違和感無かったり正しいと思ってる所が他の人から見てそうで無かったり、その逆だったり、
黄金比だの白銀比だのルールを数値化しても利用できるような機会も無い、っていうか割とこじつけだと思ってる。
正解の幅も広すぎて上の一言でひっくり返るから下々であーだこーだやる意味って正直無い。
あと「どれだけ違和感無く盛るか」の映えが目的になってて本来の目的見失うパターン多くね?日頃使う道具に映えを感じる必要ある?
いや富裕層向けだったら分かるけど俺ら相手にしてるの貧しい貧しい日本じゃん……みたいなのがしんどい。
あと多分自分の場合は実際に作る時の事まで考えちゃうのがダメなんだと思う。
デザインは見た目とこじつけとプレゼン。しかも見る人によって正解がふわふわ変わる。
そういう世界で働いてる人って凄いと思う。
好きであれば好きであるほど挫けそうになる。
いや、してるね。
なぜならばお前たちは元々、新聞も絵本も読まない頭空っぽ野郎だからだ。
詰め込んでいるのは夢ではなくおめでてえ同調圧力の所作だけである。
とまあ安直な叩きから入ってみたが、別にTwitterランドの住人が頭を振れば良い音がする、中身ゼロのアホ揃いなのは今に始まったことじゃないのでどうでもいい。
いやあ、絵本なんて発行してるところは流石、教養がおありなんどすなあ。という感じ。
二次創作というか、パロディの本質とは不理解とセンスのなさにあるということがわかっていない。
「やおい」が「やまなしおちなしいみなし」であることを理解している女性の二次創作愛好家の皆様は、特に、今回の流れにコッソリ眉をひそめたに違いない。
要は、偕成社さんは「ナンセンス」をご理解されていないということだ。
センスがないからナンセンスギャグなんですよという話だ。言わせんなよ恥ずかしい。
「あおむし」と「IOC」なんて微妙に似てないのがむしろ面白くなっちゃうだろ。
大体、「センスがない」なんて元ネタに言われた時点でパロディした毎日新聞が勝ってしまったことを理解できないのだろうか。それこそ、不勉強である。
あえて表層のみを掬い上げ、大衆向けカリカチュアとして処理した。
これではただの表現のプロの仕事である。偕成社があの作品を完成させてしまった。
本当に教養があり、ユーモア文化を理解している人間は、あんなつまらない抗議文を出す意味を知っているんだよね。
パロディに対して「理解がない」「センスがない」等とのたまうことが、どれだけ恥ずかしいことか知っているんですよ。
大体、今回の問題点は偕成社の、下らなさを許容できないケツの穴の小ささに、原作の故カール氏を巻き込んでしまったことにある。
まさに、死人に口なしというやつだ。
本人が生きてたら、「そんなのどうでもいいよ!」と言わない保証はないが、死んでしまっては偕成社のようなお堅い人々に代弁者になられてしまう。
結論。
故に「多くの人に話題にされた」。