はてなキーワード: キッチリとは
礼節を知らないとキチッとした人間になれないが、ただし衣食が足りないと礼節を知りはじめることができない。
McAfee ……。お前……。……。
新年早々、申し訳ないんですが。宜しかったら、愚痴聞いて頂けませんか?……
メモリ増設したんですよ。ええ。自作PCに。挿したのはクリスマス前だったんですけど。
PCのメモリ増設 なんてモンは。 PC改造の初歩も初歩。逆に失敗する方が難しいぐらいだけど、
そうは言っても失敗した時の被害も大きいので、若干慎重に丁寧に作業すれば、まぁ大丈夫な改造ですよ。
えぇ……。トラブリましてね……。
ウッキウキで増設して、メモリが増えてるの確認して、何時も通り楽しく使ってると、
幸い、原因の方は分かっているので、この時点では面倒臭いが深刻な問題では無いと考えてました。
作ったのは4年前。OSは[Windows 8.1 Update] マザーボードは[H87-PRO] CPUは[Core i5-4570] システムドライブはSSD
メモリは[DDR3-1600 4G]×2の合計8G ←これに、今回 DDR3-1600 4Gを1枚足して、計12Gに なるはずだが……。
→ 症状変わらず……。何で?…… 起動はでき、一見普通に使える。が、短時間で突然のシャットダウンと再起動を繰り返す……。……。
しかも、強制再起動時にUEFIを呼び出そうとすると、UEFIさえ固まる。……。えぇ……。
確認の為、新たに購入したメモリの方をWindows付属のメモリ診断でチェック。メモリエラーは無し。……。……。
控えめに言っても、比較的新しく、そして安定している環境の筈。
ブルースクリーンと言う単語さえ聞かなくなって久しい。筈……。
どう考えても、メモリ増設程度でブルースクリーンさえ表示されずに強制停止するような環境では無い。しかもUEFIが固まるって……。
頭を抱える。……。
◇念のため、試用として別HDDドライブに入れていたWindows 10も試す。
この時点で、自分では対処出来ないレベルだと認識。メイン環境の不具合の出なかったWindows 10での再インストールを決断。
しかし、データサルベージと環境の再構築の為にも、ある程度は復旧させたい。
→ 徐々にメインのWindows8.1の環境を初期設定に近づける事を画策。
☆[ページファイルが無効]になっているのに気付き!、デフォルトに再設定。ページファイルを無効にした記憶はない筈だが……。
→ 何とかエラーと『ブルースクリーンが見れる』状況になる。が、起動後おおよそ10分強でブルースクリーンと共に強制再起動は変わらず……。
年末は試用Windows 10環境でメインの再インストールの下準備を進める。
復旧の為のチェックリストを作りつつ。ISOイメージ、各種最新ドライバを揃える。
→▽強制再起動時に一瞬しか表示されないエラー表示画面をケータイで撮れば良い事に気付く! ……。
写真を見ながらエラーをググるが、日本語では分かり易い情報は無い。
まさかw 最近のセキュリティソフトがそこまでシステムに干渉する訳が無い。第一、原因はメモリの増設だ。
そもそも、セキュリティはデフォルトのWindows Defenderしか使ってねぇ。
……。……。……。
Flash最新にした時、McAfee憑いてきてたっけか?…… どうせ再インストするし、試しに削除しとくか。
……。……。……。
McAfee ……。お前だったのか。……。……。
おめぇがマルウェアじゃねぇか……。
えっ?! 俺の今までの手間暇、ストレス、不安、恐怖は?!?!?!
どうやら、Windows 8.1環境でFlashに憑いてくるMcAfeeを入れたままにして、メモリを増設すると。システムが壊れるっぽい。
ここまで、愚痴を読んでくれた人、ありがとな。
ちょっと前のハナシになるけど、都内の小劇団の公演を見に行ってきた。
というか、なんかこの2ヶ月、小劇団を観に行くことが多くて。
(いや、そんなマニアみたいに毎日、毎晩ってわけじゃないけど)
キッカケは、
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
この劇団で。
でもって、出演していたキャストが新宿ゴールデン街でバイトしているという情報を聞きつけて、その店を仕事の接待の2次会で使ったのよ。
いろいろと話も聞きたかったし。
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そしたら、その女優さん。
舞台の上の颯爽とした男装イケメンぶりとはまったく違うホニャホニャ~っとした実に気立ての良さそうなお嬢さんで。
思わず「よ~しオジサン太っ腹なところ見せちゃうぞ~!」と彼女の新しい公演のチケットを購入したのが一ヶ月以上前。
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演目は『人形を殺す』(劇団 竹/竹林 林重郎 作)
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例によって記憶を記録に変えるため、ここに自分の感じた印象を残しておくことにする。
随所にその後の聞き取りで得たデータもはさんでいくんで、そこはご参考までに。
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■全体として
いろいろと語りたいことはあるけれど。
まずは。
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まさかこのオッサンが芝居で爆泣きさせられるとは思わなかった。
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もう、その、なんだ。このイヤな感じに古びてネジれまくった心のどこに、こんな涙が残ってたのか、ってくらい。
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全体のアウトラインとしては。
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とある一家の主人、フトシの葬儀に彼の隠し子のミツルが訪ねてくるところからストーリーは始まる。
子供世代にあたる長男、長女、後妻の連れ子、隠し子の4人を物語の中心として、彼らの記憶にある父、父の愛人、母、後妻の姿が交錯する。
回想を交えて次第に明らかになっていく機能不全家庭のかたち。
すでにそれぞれの人生を発見、構築して、最後の手仕舞いとして葬儀に集まった子供世代が “その後の物語” を交換しあい、そして何を選択するか。
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という感じ。
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安直なプロモーター/宣伝担当者だったら “失われた家族の再生の物語” とか言うところだろうけど。
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これは “再生” じゃない、“自己修復” だ。
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どこからか聖なる光が降り注いで、そして全てが安直に元通りになるんじゃなくて。
命がけで力をあわせ、新しい家族システムとして自己修復していく物語だ。
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機能不全家庭のサバイバーたち、それぞれが心で悲鳴を上げながら過去を振り返り、つながりを模索して、あたらしい動態平衡を獲得する、そんな自己修復過程の身を切るような苦しみを描写し尽くした作品になっている。
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ただ、上に書いたような文芸路線の重たい家族ドラマってだけじゃない。
そこに、キリスト教、ヒンドゥー教、アミニズム、シャーマニズムの神々が乱入し、信仰とヒトの関係性が語られ、西武ライオンズの奇跡の優勝が回想され、ときにタブラ+4つ打ちテクノに合わせて踊る白装束の群舞とビデオプロジェクションのインサートシーンが交錯し、どこかサイケデリックな、なんというか……
.
うん! そうだ! “現代の寓話” だ!
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(どうしても想像が及ばない人は、ここで、
“もしも、もしも故・今敏監督が、重た~い家族の自己修復のドラマを
というのを想像してみてください。
当たらずといえども遠からずのはず)
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うん、これ以上語ってもしょうがない。全体としてはこんな感じ。
「傷ついた人は、傷ついた家族は、成熟とともに修復される……されるのか?」
というのがテーマ。
そして俺、爆泣き。
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そして、本公演の劇団である “劇団 竹” の主催者にして劇作家、竹林林重郎氏の作劇術、というかタッチというか、そういうのも、なんとなく見えてきた。
.
モノローグでもポリローグでもなく。
(回想シーンのフトシ、サダコその他は隣に聞き手がいるものとしてダイアローグにカウントする)
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ーーここで父フトシの隠された2重生活と、実の子以上に愛され、
育まれてきたミツルの姿が明かされる
↓
ーーいまではヤンママのシンママとなったツグミの愛に飢えた幼少期への思いが爆発
↓
ーー今となっては過去に見切りをつけ、自身の “家族” を獲得したヒデフミに対して、
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という大枠の流れに、回想シーンとして
・父フトシと母ノリコの外食
(後に愛人となるヤスコを含めると3人以上が登場するのはここだけ、だったかな?)
・フトシとヤスコの逢瀬
・夢の中でシュウタに、出奔という自分のギリギリの選択を明かす母ノリコ
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といずれも1 on 1。
対話の一方が次の対話に持ち越されるバトンリレー形式で話がすすむ。
(例外はサダコが壁のロザリオを叩きつけるシーンと、ノリコの出奔シーンくらいか)
.
というわけでダイアローグ主体の作劇なので。
最後に全兄弟が登場する対話のシーンを見たかった気もするが、そこはビデオで後日談が語られることで代替されている。
というか、前半のツグミ役のキャストのあの演技を見たら、後半まで登場したら、おそらく彼女のメンタルがもたないだろう。
.
ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
俺「おおっ! あなたはツグミを演じたラムネさん! アレくらい、余裕っすか?」
ラムネさん「んふふ~」
.
と、明確な答えは得られず。
ただ、別に彼女のコンディションに配慮したわけではなく、たんに作劇上、そうなっただけらしい。
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余談。
確かなことは。
無軌道な妊娠と出産、自分を一番に思っていた継母を鬱病と自殺に追い込んでしまった(と考えている)彼女が過去を悔いて流す涙。
ツグミの慟哭はそれだけの迫真・魂の演技だった。
余談終わり。
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もう1つ。
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気にしなければ流すこともできる。
気にして、拾い上げるつもりがあればハッキリと分かる。
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(いや、これは俺の思い上がりで、拾い上げてないレベルのメタファーがドッサリあるのかもしれないけど)
たとえば。
ミツルとツグミが同時に正座をといて、「ここから深い話をしよう」という意図を見せたり、とか。
ヒデフミが現在ではロザリオの製造業に努めていて、毎日キリストを十字架にかけている、つまり、 “完全な棄教者” であることを暗示したり、とか。
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いろいろなレベルで多層的にメッセージが投げかけられてくるのが気持ちいい。
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そして、ストーリーに大きな比重を占めているビデオプロジェクションについて。
冒頭、中間、エンディングと(自分が覚えている限りでは)3回、舞台の白壁をスクリーン代わりに、撮影・編集済みのビデオ映像が使われる。
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1回目はオープニングタイトルなので、深い意味はない。多分。
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2回目は、うーむ、解釈に困る。
シヴァ、ヴィシュヌ、ガネーシャ(ブラフマーも出てきた、かな?)とヒンドゥーの神々がサイケデリックなビデオコラージュで次々と諸々の事象と一緒にカットバックされる、ある種のイメージビデオ。
どことなく、今敏っぽい。
無理して考えれば、愛人ヤスコと隠し子ヒデフミの家にあったという、キャラクター人形を並べたデタラメな祭壇から喚起されたイメージの奔流、というところだろうけど。
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1)キリスト教
家族システムの自己修復の媒介者、というか見守り人としてのキリスト教の存在と、一般人レベルの、一般人なりの神学論争がたびたび登場する。
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愛人ヤスコは沖縄のユタ(シャーマン、巫女)の血を引いている、という設定で、ここでキリスト教的な硬い理論体型ではすくい切れないアミニズム、シャーマニズム、スピリチュアリズムの象徴として彼女の存在がたびたびクローズアップされる。
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3)フトシ人形
元愛人ヤスコいわく、「死んだフトシの魂が乗り移った人形」。
そもそも隠し子ミツルが「この人形を一緒に火葬してほしい」と持ち込んだところから全てのストーリーが始まっているわけで。
その後は、子供たちの亡き父に代わって踏まれるは、叩きつけられるは、この人形、まさに踏んだり蹴ったり。
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余談。
この人形、終演までよくボロボロにならずにもったよなぁ。
と思ったら、Twitterを見たら劇団の忘年会にまで生き残って参加してるし。
まじで何か乗り移ってね?
余談終わり。
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ビデオプロジェクションの3回目は、エンディング(後日談)とスタッフロール。
ここで、子供世代が集合して親睦を深める後日談が挿入され、ストーリーに一応の決着がつく。
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と、合計3回のビデオなんだけど。
うーむ、評価に困る。
なんというか、悪くは無いんだけど。
編集も音楽も上手すぎて、なんか、こう、才に疾りすぎているような印象を受けた。
芝居のシーンが不器用な人間たちの不器用なふるまいの話であれば、なおのこと。
逆にいえば、重苦しくなりがちな主題のハシやすめとしては、効果的だった、とも言えるけど。
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ラムネさん「お客さんのアンケートでは、良かった人と、悪かった人が半々くらいだったみたいですよ~」
俺「うーむ、人によって評価はマチマチか。まあ、そんな感じだろうなぁ」
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■観劇後
で、さてさて。
終演後、もう、あふれる涙をぬぐいながら、挨拶に出ていた竹林氏に突撃インタビューを敢行してみる。
.
俺「グスン、あ、あの、最後の後日談のビデオなんですけど。やはり、あれは小さな子供たちを舞台に出せないっていう制約があってのことですか?」
(と、最初の軽いジャブのつもりの質問だったんだけど、誤解したらしく)
竹林さん「あ……あれなんですけど……ハッピーエンドってわけじゃ……ないんですよね。
あの子供たちは全員ツグミの子供かもしれないし……。ヒデフミとシュウタが家庭を持つ踏ん切りがついた……とも言えないわけで……。そこはお客さんの判断にゆだねるっていうか……」
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え? あれ、ハッピーエンドじゃないの?
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∧∧
ヽ(・ω・)/ ズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
.
そりゃないよ竹林さん! こっちは希望の光に魂が洗われるような涙を流した直後だっていうのに。
と、ともかく、気を取り直して次の質問をする。
俺「と、ともかく、アレです。そうだ! あれ、あれ! あのキャストの4人が白装束で踊るダンスシーン! あの挿入シーンには、やっぱりなにか意味が?」
竹林さん「あ……あのダンスシーンには……特に意味は……ないんですよね……」
.
∧∧
ヽ(・ω・)/ またまたズコー
\(.\ ノ
、ハ,,、  ̄
 ̄
.
なんてこったい! 全部インスピレーションというか成り行きまかせかい! なんだよコラ! というか、あんな太っといストーリーを産み出しておいて、なんでそんな慢性自信喪失症みたいな振る舞いしとんねん!?
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ラムネさん「そんなこと、ないですよ~」
俺「おお! ラムネさん! するとあのダンスには深い意味が?」
ラムネさん「1つ1つの振り付けに意味を込めて、竹林さんが決めていったんです~。彼、ダンスができるわけじゃないんで、稽古の一番最初にダンスから始めていって、大変だったんですよ~」
俺「それじゃまた、なんであんなウソを……」
.
うーむ。
いろいろと事情はあるようだ。
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■あらためて全体として
というわけで、あらためて全体としては。
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もう、激烈に良かった!
チケット代の倍くらいのモトは取った!
劇団竹、というか竹林林重郎氏は今後も追いかける! 決めた!
という感じ。
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本来なら、ここでキャストの印象から書くんだけど、先に言っておきたい。
.
.
映画で言うところのプロダクションデザイン、美術のレベルが俺的には空前絶後のハイレベル!
舞台というかセットは “そこそこ成功した事業主が建てた一軒家の客間、中央には卓袱台” という固定化された空間なんだけど、まあ、ここの造作が細部まで実にリアル!
フトシと妻の外食シーン、ネパール料理屋ではビールが銅製のタンブラーに入っていたりとか、細かいところまで実にリアリティのカタマリ!
サウンドも隅々までハイファイで、SEのキューイング(演劇用語では “ポン出し”だったっけ?)もタイミング完璧!
後ろを見れば、おお! これまでの観劇で初めて卓(コンソール)の収まったコントロールブースがある!!
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今回の劇場、スペース雑遊の設備なのか?
.
ラムネさん「いえ~、あのブースは、わざわざ場所を確保して作ったんですよ~」
.
ですよね~。
照明も特段の過剰な演出に走ることなく、的確。
何もしていないかっていうと、そんなことなく、舞台のシーン、ネパール料理屋のシーン、
シュウタが心から祈るシーンと、細かく細かく抑揚をつけている。
ともかく、作品の作家性、キャストもさることながら、舞台全体をバックアップするスタッフの力量が、もう、これまでとまるで違う!!
彼らにはノーベル賞、ピューリッツァー賞、紫綬褒章を金銀パールをそえて贈りたい。
それくらい気持ちよかった。
.
劇場の “SPACE雑遊” もじつにいい。ほどよい温度で静かな空調。
ともかく見過ごされがちな観劇のための空間づくりだけど、ここまでストーリー没入を妨げない総合的な配慮は、うん! 控えめに言ってサイコー!
この劇団って、いつもこんなハイレベルな制作陣なのか?
.
ラムネさん「いえいえ~、前回までの公演は~」
俺「ふむふむ」
ラムネさん「セクマイ三部作っていって~、小さな民家を舞台にしたり~」
俺「なるほど」
ラムネさん「こんな舞台は初めてなんじゃないかな~」
.
うーむ、俺はひょっとしたこの劇団の大新機軸、大飛躍の場所に居合わせたのかもしれない。そうだったら嬉しいな。
.
そして、キャストなんだけど、はじめに言っておく。
キャスティング上の軽重はあれど、全員が全員、演技巧者の高能力者ばっかり!
どうなってるんだ!
.
ラムネさん「今回のキャストは~、じつはこれまで仕事をしたことがあるヒトばっかりで~」
俺「なるほど、すでに信頼関係のあるキャストばっかりなのね。アナタも含めて。ということは~、二度と呼ばれないヒトもいたりとか?」
ラムネさん「んふふ~、それはどうでしょ~?」
.
うむ。ノーコメントなり。
.
というわけで。
.
■石川雄也(フトシ)
一家のお父さん。酒乱。浮気。全てにおいて、だいたいこの人が悪い。
コピー機の販社を起業して営業のためにキリスト教に入信ってのが痛いくらいにリアル。
回想にしか登場しないのに、ほぼ主役。
劇団竹に所属。
地味に驚いたのが、ワンカップ半分ならワンカップ半分、ビール1缶ならビール1缶と、アルコールが入った分だけ、確実に立ち振舞いを変えてくる。
上手くいかない事業と美女の誘惑、アルコールへの弱さと、たよりない大黒柱の悲哀を全身で表現。
もっといろんな所で見てみたいと思った。
(↑そういう仕事をしていらっしゃるのデス)
.
■森川武(シュウタ)
長兄ってツラいよな。
いきなり子供が3人もできた父の辛い立場を理解したのは、このヒトだけ。
そして、彼の祈りのシーンで大事なことが示唆される。
それは、
.
神はどこにいるのか。
神は祈る心の裡(うち)にこそ顕現する
.
ってこと。
ツグミの嘆きを受け止める。
そして、ヒデフミの “シンカー投げ” という決別の儀式を見守るだけだったところに、ロザリオのカツーン! という落下(これを偶然か神の啓示か、はたまたシンクロニシティか、どうとらえるかは、それこそ観客にゆだねられている)からの、もう、怒涛の、言いがかかりに近い、というか完全に言いがかりの引き止め工作。
ここに俺は、家族システムが血ダルマになりながら自己修復していく音を確かに聴いた、ような気がする。
そして俺、爆泣き。
劇団竹に所属。
こうしてみると、キャスティングも要所々々はプロパーさんで固めているのね。わかる。
.
ラムネさん「このヒト、普段は “コボちゃん” って呼ばれているんですよ~」
俺「おお! 言われてみれば確かに似ているwwww」
(このあと、コボコラの話に盛り上がること5分)
.
■江花実里(ツグミ)
あれ、おっかしーなー。
つい1ヶ月前に月蝕歌劇団を観たときには颯爽とした美青年・明智小五郎(に化けた怪人二十面相)だったんだけどなー。
いま見ているのはチークの乗りも痛々しい元ヤンのシンママだよ。
しかも、そこに至るまで、彼女の感情は3段階に分けて少しずつ前面に出てくる。
最後に兄シュウタの腕の中で継母のサダコを想って感情を爆発させるとき。
役者ってすっげーな!
でも正直、この時の俺は爆泣きとまでは行かなかった。
でも、それでいいと思う。
この公演が竹林氏が観客の情動に仕掛けるカチ込みだとしたら、彼女は鉄砲玉というか切り込み隊であって。
あるいは、森川ー佐々木ラインという本隊の大規模侵攻の前に敵陣深く潜入する特殊部隊の役割であって。
「さて、この劇団、どんなものか見てやろう」という観客の批評眼をかいくぐってハートの深いところに潜入し、情動の扉をこじ開けて本隊の到着を待つ。
これが彼女のミッション。
いや、実に良かった。
.
■辻村尚子(ノリコ)
フトシの最初の妻。
夫の浮気のストレスから子供を虐待することを恐れ、みずから出奔。
舞台が2018年の設定なので、旦那の事業の立ち上げ期が80年代末。
キャラ作りが、なんというか、トレンディドラマの女優そのもの。
彼女が居間のふちに腰かけて靴を履いて家を飛び出すところが2回、描写される。
つまり天丼なんだけど、
なんでだろ、ビデオその他の映像作品だと天丼って、うっとうしいだけなんだけど。
なんか、生身のキャストがやると重く感じるんだよな。
劇団 竹に所属。
.
■大森華恵(サダコ)
フトシの後妻。
うつ病で自殺。
なんというか、いろいろと痛ましい。
(継子とはいえ)娘への配慮と、大人の知恵と、世間知と、いろんなものに押しつぶされて最後の選択として自殺、か。
この舞台で、壁に掛けられたロザリオは合計3回、床に落下する。
2回はサダコが床にたたきつける。この時はSEのみの描写。
そして1回はシュウタの祈りに呼応して、本当に落下する。
ここでも天丼(繰り返し)が重たい。
なんというか、堅物で悩み事に弱そうな人物像を的確に体現。
.
石川、辻村、森川と3人までは劇団正メンバーなんだけど、彼女だけがゲストにも関わらずダンスに参加。
ダンスシーンについては、べつに拘束期間とか難易度とか、そんなことは関係なく、竹林氏のメッセージにそった人選なのだろう。
.
子供が十分な子供時代を生きられず、そのままムリヤリ大人になることを要求されたようなアンバランスな感じ。
わかる。
そして、いまでは自分も義父のようにシンカーが投げられることを義兄シュウタに示すため、最後のキャッチボールを決別の儀式として実行する。
と、ここで舞台で実際にボールを投げるんだけど。
キャッチャーのシュウタは後ろに下がって観客から見えなくなる。
おそらく板に座布団とか、そういうギミックでボールを受けているはず。
.
ラムネさん「いえいえ~、あのシーンは本当にキャッチボールをしていますよ~」
俺「おいマジですかい?」
ラムネさん「本当に最初はキャッチボールの練習から始めました~」
俺「でも暴投とかしたら、危険じゃないですか?」
ラムネさん「ですから~、危険な場所には、あらかじめスタッフを座らせたりとか~」
うむ、配慮も危険対策もバッチリのもよう。
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空飛ぶ猫☆魂に所属。
みなさん、それぞれの所属先劇団の看板または主戦級の役者さんなのよね。
.
■森川結美子(ヤスコ)
沖縄のユタの血を引く、占いもできるウェイトレス。
なんというか、どの女優さんも年の頃もビジュアルも大差はない感じなのに、演技と役作りで、その、あれだ、いかにも浮気相手になりそうなフェロモ~ンなプリップリのツヤッツヤな感じに寄せてくるのがすごい。
ちなみに、ご本人に取材したところ、使われていた占いはネパール伝統の占星術(ピグラム暦、という独自の暦を使うそうだ)にタロットカードを組み合わせた架空のもの、とのこと。
.
鉄道会社というカタい職業につき、シュウタ以下の兄弟とは別の、なんというか、まっすぐな人生を歩んできたことをうかがわせる人物造形。
朴訥。
観劇直後は「なんか印象が薄いなぁ」だったんだけど。
それも当然で。
俺も含めた観客は、彼の人物ではなく、彼を通して見せられるミツルとヤスコの家庭の様子を見せられていたわけで。
キャラクター人形をでたらめに並べた狂った祭壇。
父フトシのハグ。
彼を通してフトシの別の人格と別の家庭を見せられていた。
この役者さんも、おそらく高能力者。ただ本人が嘆いたり動いたりしないだけで。
.
.
んー、こんな感じか。
ともかく、全体としては。
この劇団、劇団 竹、そして主催の竹林林重郎氏は、買いです。
次の公演にも注目して良いです。
自分もそうするし。
.
よく考えてみれば、経済と人権はセットで考えるべきなのかも知れない
(何を今更という点も含めた)騒ぎになっている12/14のクローズアップ現代+の「アラフォークライシス」特集にせよ、日本が経済的におかしかったから、ブラック企業や非正規で働くことになり、結果的にアラフォー世代の人権は保障されなかった、ということであるから
リベラル人文系の知識人の関心はアフリカ系移民の人権だったり性的マイノリティの人権なのであって(なぜならば、「先進的な欧米の研究を輸入してドヤ顔出来るから」というのが主な理由だと思うが)、日本人のアラフォー世代の人権には関心はなかった
労働組合はもっぱら大企業の正社員の既得権益であり、アラフォー世代の人権はその守備範囲外にあった
上記の二つの構造は未だに変わらない(仮にNHKで特集をやっていたとしてもポーズでやっているだけで、何の解決にもなっていない)
ただ、別に愚痴を書きたいという訳でもない、話の構造をハッキリさせた上で、キッチリ報復(リベンジ)するのがいいのではないか、という話を書きたかった
とは言え、「これから一緒に殴りに行こうか~!?」という訳でもなく、サイレントテロの継続も大いに結構だし、子供を作らなくても大いに結構、生活保護も大いに結構であり、人生を楽しんで生きれれば万事OKなのではないかと思った(経済が好調である以上、ここで主張すべきなのは「人権」だと思う)
相手がまともに対応しなかった以上、まともに話を聞く必要もないんじゃないじゃないでしょうか
もちろん、こういう妄言に惑わされずにキチンと働いて真人間になりたい人は色々チャレンジすれば良いと思うし、他人に自分の主導権を握られっぱないしでは面白くないと思うのだが(大体、それでは単なる「奴隷」だと思う)
なんか、ひょんなことから月蝕歌劇団(という小劇団が都内にあると思ってほしい)の公演を見に行って、それ以来なんか芝居づいている。
これまで演劇なんてぜんぜん興味がなかったのに。
いくつか劇場に足を運んだところで、もう1回くらい観ればもっと色々と見えてくるものがあるかと思い、また月蝕歌劇団に足を運んでみた。
.
演目は『ねじ式・紅い花』と『盲人書簡−上海篇』の2本立て連続公演
(前回の観劇の記録は
https://anond.hatelabo.jp/20170925212923
を参照のこと)
ということで、自分のログを兼ねて、また観劇記を残しておくことにする。
御用とお急ぎでない方は、しばしお付き合いを。
.
ただし。
自分は舞台観劇についてはとことん素人なんで、これから書くのは、通りすがりの素人が見た印象批評くらいのつもりで、紹介文としての情報は期待しないでほしい。
(というか印象批評というワードも小林秀雄みたいで偉そうだな。ほんとに感想文くらいの感じで、ひとつ)
.
■全体として
歴史の長い劇団というのは知っていたけれど、今回は公演100回記念とのこと。
で、旗揚げ時代からのライバル劇団その他のビッグネームが集結した大プレミアム公演だったらしい。
普段は若い女性主体の “少女歌劇団” っていう感じの劇団なんだけど、今回はキャストの年齢が大はばに高めだった。
.
ちょっと変わった構成をしていて、1つのシーズンというか公演期間を前後に分けて、2種類の演目を上演する。
さらに各演目について前座というか露払いというか、出演キャストの歌唱ショー、寸劇、詩の朗読その他をまとめたパフォーマンスとして “詩劇ライブ” というのがある。
.
なので、フルで鑑賞すると1シーズンで合計4演目。
これを多いと思うか、アリだと思うか。
いろんな作品世界が見られてオトクだとも言えるし。
リハーサルやシナリオの練り込み等々のリソースは分散されるから内容的に落ちるものになるかもしれないし。
自分が見たところ、器用な高能力キャストと、まぁそうでもないキャストでうまく仕事を振り分けて、不満を感じさせない作りにしている感じだった。
.
順番に見ていってみると。
.
先に不満点を言わせてもらうと。
演目『老人と子供のポルカ』の歌唱。
左卜前役のベテランキャストがカンペ片手に左右のキャスト(岬花音菜、慶徳優菜)を振り回して大暴れ。
休みなく次の曲『本牧メルヘン』が始まり、そのまま岬花音菜がマイクを握るが、息の上がった彼女にはキーが低すぎた。
おかげで貴重な戦力(岬)を空費。
トリの白永歩美がキッチリと『バフォメット(と、あとなにか悪魔がもう一柱)の歌』(詳細不明)で締めてくれたのが、せめてもの救い。
ハプニングなら再発防止策を取ってほしいし、プロットなら、申し訳ない、あれに快哉を送るハイなセンスは自分は持ち合わせていない。
しかし。
詩劇ライブというのがファンミーティング兼同窓会だというのなら。
いとしの大スターがいつにないハジケっぷりを開陳したほうがファンサービスとしてのお値打ち感は高いのかもしれない。
と、思って周囲を見回してみると、自分と同じか、あるいはさらに年配の観客がホクホク顔で舞台を見守っている。
ハテ、招カレザル客ハ自分ノホウデアッタカ。
うん、わかった。
.
■後半の前座『詩劇ライブ 暗黒少年探偵団』
詩劇三傑(←たったいま自分が決めた。はるのうらこ、岬花音菜、そして白永歩美の3人)のパフォーマンスがたっぷり見られたので実に良し。
はるの嬢は前回と同じギター伴奏かと思ったら、ギターからキーだけもらって、ほぼ独唱。それでいてピッチは正確、ハイノートも申し分なく出ていたし、なんというか、 “このヒト、ひょっとして劇団の隠れた屋台骨なのではないか?” という予感がさらに強まる。
(↑それは本編でガツンと証明されるんだけど)
なぜ合唱のときは控え(それはもう、あからさまな控え)にまわるんだろう?
リハーサルの負荷をソロに集中させるためか。
岬花音菜はカッパの舞。そして小阪知子を舞台に引き出してカッパの相撲。
あいかわらず、この人は歌って動いてが実に良い。
そしてトリは白永歩美。
朗読、歌唱と大活躍。
いつ見ても、この人は安定しているなぁ。
はかなげで、あやうげで、その状態のままガッチリ安定しているという不思議なキャラクター。
そういえば『Those ware the days』に日本語歌詞をつけたものを歌ってたんだけど、受付で立ち読みしたセットリストにそんなのなかったぞ、と思って調べてみたら、『悲しき天使』なんていう日本語版があったのね。
知らなかった。
.
さて本編。
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■前半の本編『ねじ式・紅い花』
つげ義春の原作、『ねじ式』『紅い花』『女忍』『沼』『狂人屋敷の謎』をまとめて1つのストーリーにしてある。
実を言うと、前回の公演を見たあとに、某氏から、
「なに、月蝕歌劇団が面白かったって? それじゃアレだ。主催の高取英のアレ読んどけアレ」
といって勧められたのが、『聖ミカエラ学園漂流記』(小説版と戯曲版)。
前回の公演を観たときに、
「この人の持ち味は “奔放に見えて実は緻密な複数世界のマッシュアップ” だろうな」
と感じていたのが、この本で確信に変わったのだけど。
原作が2作品や3作品なら、例えば2つの世界の登場人物が呉越同舟で共闘する、みたいな展開もあり得るけど、さすがに5作品同時となるとメドレー形式にならざるを得ない、という感じ。
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さて、もう1つ、高取氏の特長と思ったのが、ストーリーに必ずクライマックスを用意する、という点で。
(それが、エンターテイナーとしての氏の本性によるものか、それとも “客にはなんとしてもカタルシスを持ち帰ってもらわないと次につながらない” という興行師としての冷徹な計算によるものか、そこまではわからない)
それが、つげ義春の茫漠としたアンチクライマックスな世界とどう折り合いをつけるのか、そこに興味があったんだけど。
これが『紅い花』を中心に最小限の改変を加えただけで、見事に全ての原作が一斉に収束に向かうオチといえるオチになっているのは、さすが。
最後にはねじ式青年が『パーマー・エルドリッチの3つの聖痕』(P. K. ディック)みたいに無限増殖するあたりの幻想テイストが高取氏らしい。
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あと、前回公演みたいな「身捨つるほどの祖国はありや」的な大きな主題は今回は抑制されている。
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助成金云々の楽屋落ちは生臭いので忘れたことにする。
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そして、この劇団特有の時間がゆがむ感覚をまた味わう。
今回は、サヨコの祖父の楽屋オチ的な台詞。
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「最近、嵐山光三郎が書いたんですがね、松尾芭蕉は忍者だったんですよ」
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えーと、嵐山光三郎の “芭蕉忍者説” は2000年代なんですが。
高取氏の作品世界が戦前、戦後、昭和30年代、1960年代、1980年代みたいに複数の時代を放浪するように、劇団自体も、60年代、80年代、そして2000年代の全ての時代に存在しながら、どの時代にも存在しないような不思議な立ち位置。
それが、この劇団の持ち味でもあり。
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あ、あと、狐舞の意味がやっとわかった。
なんのことはない、 “ここから現実感と見当識がゆるんで、心象風景と象徴劇が始まりますよ” という演出効果だ。
多色発光LEDを掲げた葬列も、夜光塗料の試験管をもった少女たちも、おそらく同じ。
少女漫画で「なんでクライマックスに花びらが飛び回ってるの?」とか訊かないでしょ? アレと同じだ。
そういえば、最近の子供は漫符(怒りの青筋とか緊張の汗とか)がわからないケースが多いらしい。
つまり自分は月蝕の鑑賞において子供だったわけだ。
というあたりで。
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そして、問題の↓
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■後半の本編『盲人書簡−上海篇−』
あー、うん。
むかし『草迷宮』(寺山修司)を観て途方に暮れたことを思い出した。
あるいは、さらにむかし『原始人』(チャーリー・ミンガス)を聴きながら、
「これは良い音楽なんだ、良い音楽なんだ、みんながそう言ってるから良い音楽なんだ」
と歯を食いしばっていたことを思い出した。
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はっきりしたこと。
自分に “前衛” を受け止める感受性はない。
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それでも、なんとか受容を試みてみる。
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(1)1930年代の第二次国共合作を背景にした不穏で混沌とした上海共同租界。
(2)明智小五郎と小林少年という、戦前・戦後の言ってみれば “陽のヒーロー” をどす黒く改変したキャラクターと、堕落した母親としての小林少年の母。
(3)白痴の少年と娼窟の姉妹がからむ、不快にユーモラスな人物群。
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この3つの人物群を主なストーリーラインとして、失明した小林少年を中心に “目明きと盲(めしい)、世界が見えているのはどちらか” という問いを主題として話はすすむ(ように見える)んだけど。
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途中、影を喪失した少女、みたいな挿入話をはさみながら、ひたすらグロテスクなストーリーとも言えないストーリーの断片が続く。
クライマックスは小林少年と恋人(?)のマサ子の再開を中心にしながら、全てが虚構の中の虚構、悪夢の中の悪夢、という入れ子の構造をあからさまにするところで、唐突に終わる。
最後の最後には第四の壁も突破して現実のキャストの名前まで出てくる。
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うーむ、書いておいてなんだが、なんの説明にもなっていない。
ねぇ、寺山修司って、ホントに70年代、80年代の青少年のカリスマだったの?
(今度、『書を捨てよ云々』でも読んでみるか……)
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可能性としては、今どきの若者がP. K. ディックやら筒井康隆やら読み慣れてるせいで、 “崩壊する現実” やら “虚構の中の虚構” を普通においしく摂取しているのに対して、当時はその種の超現実的な幻想悪夢ワールドが知的にトガった青年だけの愉悦であったとか。
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ま、さておき。
これ以上はどうにも言いようがない。
自分にとって確かなことは。
ということ。
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さて。
キャスト、演出その他については、以下の通り。
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■白永歩美
女忍コジカの息子、宗近と小林少年を好演。
このヒトが、登場するだけで舞台が猟奇的でビザールな空気になるような、言ってみれば “嶋田久作” 的な怪優でありながら、それでいて結構な美人サンである、というのは劇団にとって大きなアドバンテージなんじゃなかろうか。
劇団のカラーを一人で体現しているような。
ビジュアル、演技、歌唱、トップの名称は伊達じゃない、って感じ。
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というか。
実のところ、トップというネーミング自体はどうでもいい。
それがプリマドンナでもソリストでもエースでも四番でも同じことで。
その種の人に求められるのは才能でも鍛錬でも、ましてやプロデューサー/ディレクターの寵愛でもなく。
それは「いつ、いかなるときでも、自分が前に出ていってなんとかする」という思考形態だと思う。
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例えば才能、というか生まれつきの資質なら。
前回の公演には高畑亜美という彼女に負けず劣らずのビザール美人さんがいた。
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例えば技能なら。
前回の公演で、白川沙夜というキャストは、ストーリーテラー、コメディリリーフ、仇役という3つの仕事を3本の腕で同時につかんでブンブン振り回して大暴れしていた。
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でも、彼女たちは今回はいない。事情は知らない。
いっぽうトップには「事情により今回は出演しません」という選択が無い。
脚光も浴びる、注目もされる、そのかわり劇団の出来が悪ければ矢オモテ、火ダルマ、槍ブスマと。
群像劇主体の劇団で、ある程度は負荷が分散するにせよ、あの細っそい体にかかっている重責を想像すると、なんというか、なんというか。
長くなった。
ともあれ、健康にお気をつけて。
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■川合瑞恵
前回までは “作りようによっては、いかめしく見える” ビジュアルを活かしたワンポイント役だったのが、今回は『女忍』パートのキーとなる女忍コジカに大抜擢。
これが大根だったら目もあてられないところを、実に器用に演じきってしまった。
本職はモデルさんだと思ってたんだけど。違うの?
芸能関係って器用な人が多いのよね。
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■岬花音菜
演技はさておき、まずは狐舞。
今見ているのがカラダのオモテなのかウラなのか、腕なのか脚なのか分からなくなってくる超絶変態空間機動がひっさびさに大炸裂!!
これだ! これが観たかった!
いや、じつは、このところモヤモヤしていた。
「いや、たしかに踊りも歌も演技も良いけど、ここまで追っかけるほどか?」
でも、たしかに思いちがいじゃなかった。
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そこには、たしかに岬花音菜がいた。
およそ2ヶ月前、片目の猫の舞で自分の脳味噌をブチ抜いた岬花音菜が。
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ちなみに。
あとから取材を試みたところ。
あの一連の動きは、ボランティア(アルバイト?)のダンス教室で子供たちに最初のウケを取るために編み出した動物踊りがオリジナルだとのこと。
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するとなにか。
自分の鑑賞眼は子供レベルか。
まあいいけど。
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というか、彼女の狐舞に視線をもぎ取られ、ねじ式青年と女医のベッドシーンの大半を見逃していたことに、劇場を出てから気がついた。誠に申し訳ない。
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さて。
キャストとしては『紅い花』パートのシンデンのマサジ、『盲人書簡』で白痴の少年を担当。
この演技、周囲の評価はウナギ昇りだろう。
じっさいTwitterを中心にネットを見ると、彼女と慶徳優菜の評価はウナギ昇っている。
ただ。
自分としては評価は保留としたい。
なぜって?
あまりに、あまりにもハマり役すぎて、いま見ているのがキャラクターなのか、それともキャスト本人なのか、観劇素人の自分には判然としないから。
(これ、自分の中では笠智衆と同じ位置づけだ)
大竹しのぶがアニーを演じたり、同じ劇団でいえば白永歩美がピーターパンを演るのとは、意味が違う。
『紅い花』ではプレ思春期の少年のいら立ちを、『盲人書簡』ではスケベなアホの子を、と、いろいろ打ち出しているのは分かる。
分かるけど、いずれも、まずは本人あっての効果であって。
このあと彼女は “月蝕きっての永遠の少年役” として存在感を増していくのだろうか。
それもアリだと思うけど。
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■慶徳優菜
『紅い花』キクチサヨコ役。
だけど彼女の評価も保留。
理由は岬花音菜と同じで本人そのものだから。
その意味では、娼窟の妹と小林少年の想い人のほうが、本人のポテンシャルがよく分かる気がする。
そっちの方はというと、うん、悪くない。
ただ、これは自分の思い込みかもしれないけど。
なんというか彼女は “月蝕、次世代のプリマドンナ育成枠” というのに完全に入っている気がする。
この直感が正しければ、それはおそらく本人の十分な資質と劇団の目算があってのことだろうけど。
なんかモヤっとする。ほかの新人も若手も、ひとしく頑張っている(ように見える)のに。
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■はるのうらこ
なんというか、詩劇ライブのときは “ひかえめな、でもシャレのわかるおねーさん” というオモムキの彼女。
キーとなる配役のキャスティングが多いから、信頼の厚いキャストなんだろうな、という以上の認識はなかったんだけど。
(そしてそれは、ねじ式青年という大役を見ても動かなかったんだけど)
これが。
『盲人書簡』娼窟姉妹の姉役。実にすごい。
あのフワっとしたキャラが、女の嫌なところを全部集めて煮詰めたようなキャラクターに大変身。
慶徳優菜をサポートに娼窟パートのカラーというか空気を完全に支配していた。
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あと、些細なことだけど。
キーアイテムとなるタバコをチャイナドレスに入れ忘れたか、取り出せなくなったか。
取り出そうと悪戦苦闘して2秒。
見切りをつけてアタマの中でプロットを切り替えるのにコンマ2秒。
架空のタバコをふかして場面転換の決め台詞につなげるまでの時間の空費がわずか2.2秒。
はるの氏にとっては迷惑な賞賛かもしれないけど、ここの所作の切れ味に地味に鳥肌が立った。
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■宍倉暁子
彼女が登場すると、そこだけ別の照明があたってるようだった。
さらに今回の千本桜ホールより少し大きめの劇場向けにチューニングされた、よく通る発声。
今回集結した “夢のベテラン勢” の中では、彼女が出色だった。
彼女だけは気になって調べたら、舞台を中心にTV、映画と活躍の現役大ベテラン。
たしかに分かる。
自分の外見と所作が人にどう見えるか、何十年にもわたって掘り下げていないと、ああは行かないと思う。
『紅い花』では漂泊の釣り人。すこし困り顔の茫漠とした旅客でありながら、マサジのカウンターパートとして要所を締める。
『盲人書簡』では軍人と密通する小林少年の母として、実に汚ならしい堕落した母親像を体現。
教科書的に言えば寺山修司の作品世界に通底するコンプレックスというかオブセッションというか、ともかく “その部分” を実に彼女一人で背負って担当していた。
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■大久保千代太夫
今回最高の当たり役の一人。
犬丸は尾張織田と敵対している設定だけど、人物造形はおそらく美濃のマムシこと斎藤道三がベースだと思われ。
自分に襲いかかった刺客を手籠めにして側室にする一代の梟雄らしい悪太郎ぶりと、戦国武将の透徹した死生観が、もう全身からみなぎっていた。
『盲人書簡』の方は。
うーん、自分の中では “生ける舞台装置” としての黒い苦力(クーリー)の集団は、なんというか、全員が均質な筋肉質の没個性の集団だったんで、あの巨躯が逆にマイナスにはたらいた気がする。
こればっかりは、いたしかたなし。
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■小阪知子
影の殊勲者にして功労者。
前説とカッパ相撲のときから(自分の見立てでは)この人は切れ者だろうな、と思ってたんだけど、今では確信に近い。
馬鹿をやる、それもビビッドに馬鹿をやれる人間は、なんというか、切れる。これは自分の持論。
自分が見るかぎりでは、月蝕歌劇団キャストのベテラン高位職者(?)には2つのカテゴリがあって。
1つは白永歩美、岬花音菜のように “スタア” 役を仰せつかってスポットライトを浴びる職種。
もう1つは、前回公演の鈴乃月葉や今回の彼女のように “ひとり10役をこなしてストーリーラインを維持する” という重責の担当者。
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■若松真夢
薄い眉、暗く沈んだ眼。白永歩美が陽のビザールだとしたら、彼女は陰のビザール美人。
もっといろんなキャストで見てみたいと思った。できれば和装で。
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■城之崎リアン
詩劇ライブのみに登場。OGか。
そりゃ、男女問わず固定ファンがガッツリと付いたことは想像にかたくない。
問題は、貴公子以外にどんなキャストをやっていたのか、想像がしにくいことで。
もっと昔から見ていなかったことがくやまれる。
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■登利忌理生
前回の中村ナツ子に続き、今回の「なにものだ! このひと!」ワクに期待のダークホースが登場。
自分は茶髪に偏見があるようで、「えっとぉ、学校卒業の記念にぃ、オーディション受けちゃいましたー!」みたいなハスッパな外見と、そこから飛び出す恐ろしい長セリフと演技巧者ぶりのギャップに舌を巻いた。
本当に何者だ! と思って調べてみたけれど、月蝕以前の芸歴がまったく引っかからない。
あれか。学生演劇出身か。
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■音無ねむ
今は、まだ大部屋女優といった立ち位置。
(たぶん。自分が調べた限りでは、まだ無名)
何者でもない。
何者にも、まだなっていない。
だけど、あの男に引けを取らない長身とキリっとしたマスクには、絶対に活きる使いみちがあるはず。
実際、『盲人書簡』の “新聞朗読笑い男” には何とも言えない味があった。
(キャスティングの認識、間違ってないよね?)
陵南の田岡監督ふうにいえば、「体力や技術を身につけさせることはできる。だが、彼女をでかくすることはできない。立派な才能だ」ということ。
まずは、その長身を恥じるような猫背をやめて、胸郭を開いてまっすぐ立つところから、カンバレ!!
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■J・A・シーザー(と音響)
ふむ。ふむふむ。
エンディング、こんな感じかにゃ? 間違ってるかもだけど。
(いま手元にGarage Bandしか無いんで大変)
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Bm....................BmM7(←Daugかも)
寺 の 坊 ん さ ん 根 性 が 悪 い
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Bm.............Bm........F#m..GM7
守 り 子 い な し て 門 し め る
.
F#m.........Bm........F#m......Bm.E
ど し た い こ り ゃ き こ え た (か)
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(間奏2+4小節)
E.................Bm.......Bm.......Bm.......Bm
+--------+--------+--------+--------+--------+--------+
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Bm.......D/A...GM7..........Bm.D/A..E..
守 り が 憎 い と て 破 れ 傘 き せ て
.
Bm.......D.....GM7.......Fm#......GM7
か わ い が る 子 に 雨 や か か る
.
Fm#.........GM7.......Fm#......GM7
ど し た い こ り ゃ き こ え た か
.
(間奏4小節)(以下同じ)
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メジャーセブンに合わせて変えたか。
採譜するまで気が付かなった。
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えー、日本のニロ抜き音階(いわゆる田舎節)で作られた民謡/童謡に、7th、9thがタップリ乗ったモダンコードをあわせて。
さらに、それを流行りのリズムパターンに乗せると、こう、実にカッコいいニューエイジ/ワールドミュージックになるのは皆さんご存知のとおり。
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こういう音楽はみんな大好き。ボクも大好き!
この種の音楽の嚆矢は自分が知る限りYMO(実質、坂本龍一)で、80年代ではあるけど、このスタイルが「教授(坂本)のパクリじゃ〜ん!」と言われなくなったのはEnigmaやDeep Forrestが日本でワサワサ紹介されて一般化した90年代のような感じがしていて。
(“姫神せんせいしょん” や喜多郎については、当時ノーマークだった自分に語る資格はない)
問題は、J・A・シーザー氏が、何故この時期にこの種のスタイルをぶつけてきたか、だ。
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本公演エンディングの『竹田の子守歌』はJ・A・シーザー氏の手になるものではないとの指摘がありました。
お詫びして、訂正します。
以下、上記の誤りを前提にした言及をカットします。
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でも、今回のエンディングが実にイイ感じだったことは確かで、これからもこの路線はアリなんじゃないか、と思った次第。
うん、自分に言えるのはそれだけ。
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最後に音響について。
なんか、今回の殺陣は斬撃の効果音のタイミングがやたらと良かった。
何か条件が変わったんだろうか。
ただ、いつもながら思うのは、客席一番奥にコントロールブースを置かないで、それでもあのレベルの音響を維持できているのは、それ自体が奇跡に近いことだ。
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ただ、生きている動物の仕込みはさぞかし苦労しただろうな、と。
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んー、今回の月蝕歌劇団はこんな感じでした。
全体としてどうなのかって?
うん、良いところもあれば、首をかしげるところもある。
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まずは。
自分はもともと聖子ちゃん、キョンキョンのころから、それほどアイドルが好きではないので、フレッシュなキャストのライブ感、というのにはそれほど重きをおかない。
なので、(おそらくは)キャストそのものに入れ込んでほしい、という劇団の方針には同意しかねる。
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しかしながら。
高取英氏の作品世界。これにはどーしても、どーしても不思議な引力を感じでしまう。
結果として、スケジュールが合って演目の印象が良ければ、これからも足を運ぶような、そんな感じがしている。
というあたりで。
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また機会があれば。
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洗濯物をするときに妥協できなくて衣類に応じて洗濯機を使いこなしたり
汚れがほんのちょっと残ってたら手洗いしたりするような完璧主義者が割といる
食器洗いも一度お湯に浸けて時間が経ってから洗うとか掃除も見えないところまでキッチリ掃除する人とか
それで生活が回ってるなら単に「有能な完璧主義者」なんだけれど、大抵の人はそれで生活が回らない
で、完璧主義者じゃない人はどうしてるかっていうと家事のクオリティを妥協して完璧じゃなくてもいいようにしてる
靴下と下着は一緒に洗ってもいいし、食器の汚れも少しぐらいなら妥協する
人によっては譲れないところがあるだろうけれど何かしら生活が回るようにクオリティに関して妥協する
ところが無能な完璧主義者はクオリティを妥協しないで手順、具体的には最後の片付けを妥協する
洗濯物は干すところまでは完璧に仕上げて畳んでタンスに入れることをしない
食器洗いも洗って乾かすところまではするけれど食器棚には片付けない
なので部屋の中には洗濯物がいつも干されているし
布団や雑誌がそこら中に転がっている
ちなみに本人は清潔だと思っているみたい
田舎で事件が起きたら執拗に、「また◯◯か」だとか「◯◯は陰湿」だとか「田舎の闇」とか地域を叩くくせに、
東京都内で酷い事件や気持ち悪い事件が起きたら、東京を叩くコメントがでてこないのはなんでなの?
はてなユーザーは首都圏に住んでいる人が多いから自分達のことを自己批判したくないんだろうけど、それってダブルスタンダードじゃないの?
そういうと決まって、「いや、東京は田舎者の集まりだから」とかっていうんだろうけど、自分達の住んでいる場所なんだから、キッチリ自分達の地域のダメな所をきっちり自己批判しなよ。
http://www.sankei.com/affairs/news/171127/afr1711270020-n1.html
JR埼京線で女性取り囲み集団痴漢疑い 4人逮捕、ネットで集まる?
以前からぽつぽつ理由無く休むことがあったが、とうとうまったく行かなくなったらしい。
制服やカバンをキッチリしまって、もう絶対行かないという態度を決め込んでいる。
特にイジメだとか決定的に嫌なことがあったわけではないらしい。
なんとなく嫌、なんとなく行きたくないという感じが積もり積もった結果のようだ。
問題はこの後。
今は家で自主的な勉強をやってはいるが、やっている時間は1日1時間程度で、学習量としてはかなり少ない。
大人だって自宅で仕事したら手につかないのが普通だ。1日1時間やっているだけで十分すぎるのだけど・・・。
家族以外と一切会わない生活になるのでそれも良くないし、一般の人が高校大学と進学していくのを傍目から見てて劣等感に繋がる可能性もある。
じゃあ、学校からドロップアウトした人はどこへ行けばいいのだろう。
色々調べたがぜんぜんわからん。
「普通」からはみ出したら終わり。もう「いらない存在」として何も出来ず人生が閉じそうになっている流れを見ていて胸が痛む。自分も欝で仕事を辞めてずっと無職だが、実績がないので次の就職が不可能に近い。自分も人生はほぼ終わっている。
同じ道を歩みつつある姪は、今後どうしたらいいのか。早めの対処をしたい。
追記)
俺は俺で頑張ってるよ?でも鬱がまだ直り終わってないから再就職できたとして続くかどうかぜんぜんわからんのだわ。発達障害診断されたし、発達障害は直るものではないらしいし、どうすりゃえーねん。
東西冷戦末期、1989年ベルリン。「壁」崩壊前夜のこの街で西側諸国のスパイ情報がKGBの手に渡ってしまう。それを奪還すべく、ロンドンから一人の凄腕女スパイが世界史に残る大イベントを迎えんとする狂騒の街へと送り込まれた――。
と、『アトミックブロンド』はベルリンでの任務から帰還した女スパイ(シャーリーズ・セロン)が上司のMI6幹部から事の顛末を尋問される形で進行する回想劇なのだが、タバコを吸いながらふてぶてしい態度で語られる女スパイの武勇伝のまぁド派手なこと。
まずベルリンに到着して数分でドンパチ(出会って4秒で合体かよ)。
その後も次々と修羅場が訪れるも、複数人で襲いかかってくる男どもをタマキン蹴り上げながら、ほとんど素手でバッタバッタとやっつける女スパイ。
まるで軽快さのない痛々しいアクションシーンに顔を歪めつつ、次第に慣れてきた観客は気づき始める。「ははーん、シャーリーズ・セロンが男のタマキンを蹴り上げたいだけの映画だな」
そんな男には容赦のないセロンもカワイコチャンにはめっぽう弱い。夜の盛り場で出会ったキュートなフランス娘に「これは即ハメボンバーですわ」とメロメロのセロン。辛抱たまらずクラブのトイレで濃厚キス。「スパイの用心深さはどこにいったんだ」と呆れる観客を尻目に滞在中のホテルにお持ち帰りして、「ほな、お先にアタイらのベルリンの壁、崩壊しますわ」とばかりに濃厚レズセックスを繰り広げる。
男に対してはあんなに厳しいのに女同士だとここまで激甘なのかとばかりのネットリ系プレイで、観ているだけで糖尿病になりそう。これにはMI6幹部も「その話kwsk」と身を乗り出し尋問に熱が入る。「さすが紳士の国」と観客は心のなかで日英同盟即日発効。
その後も「モブ厳」ならぬ「タマキン厳」シーンは続く。西ベルリンから東ベルリンへと潜入した女スパイ、入国直後に尾行され(スパイのくせに気づかれすぎだろ)、とっさに入った映画館で尾行を撒こうとする。非常ベルを押して混乱がおきた隙に逃げ込んだ先は、映写幕の裏。
映画が投影された映写幕をバックに格闘を繰り広げる女スパイ。タマキン蹴り上げノルマをきっちりとこなしつつ、「あの映写幕に突っ込むんやろなぁ」という観客の予感にキッチリと応え、頭から突っ込んで映写幕をブチ破る女スパイ。
これには私たち観客も阿吽の呼吸で「そのためのヤシの木かよ」と自分たちの観ている映写幕にツッコミを入れないわけにはいかない。
※参考資料:そのためのヤシの木とは (ソノタメノヤシノキとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
その後も、次々と襲い掛かってくる男どもの顔面にタマキンに攻撃をくわえ、奪い取った銃で頭をぶっ放し、弾が切れたら銃のグリップで頭を殴りつけ、タマキンを蹴り上げる。
「そんなのないよあり得ない」と思いながらも、激動のど真ん中にある東西ベルリンを舞台にしていることもあって「それがありえるかも」と思わせる力技で物語は進み、緊張感を保ったまま最後まで持っていく。
とまあ基本的にはご都合主義なんだけど、いちおうは男女のパワー差を考慮して、女スパイがエレガントに軽く一撃でやっつけるということはしない。普通に反撃を食らって、顔に大きなアザを作り、脳震盪を起こしてフラフラになりながらも戦い続ける姿は悲壮感すら漂ってくる。(それでも「素手で何人もの男をやっつける時点でご都合主義だろ」と言ってしまえばそれまでなんだけど)
それに、キュートな女性を目の前にしてスパイ失格レベルで知能を低下させている様を描いており、「男と変わんねぇじゃねえか」と観客に突っ込ませる余地も与えてくれている。
とにかく非現実的な「完璧な女性像」を作り上げて観客をシラけさせるということはしていないので、そのあたりは良くできていると思った。
ともあれ、モラハラ上司や元カレなど身近にいる男のタマキンを蹴り上げたい! と日々ストレスを抱えて生きている女性は「ぷいきゅあがんばえー!」のノリでシャーリーズ・セロンを応援できるし、心の日英同盟締結済みの紳士諸君(同士よ!)にも十分楽しめる映画となっている。ヘテロ男はお呼びでない。
【以下蛇足】
今まであまり映画を見てこなかったけど、最近にわかに映画欲が湧き出し、映画館に足繁く通うようになった。
それで思ったのは、「アメリカ人はいつまでソ連に怯えているんだろう」ということだ。
『ドリーム』は、「ソ連がミサイル撃ってくるの?」と怖がる3人の娘に「だいじょうぶ、母ちゃんNASAでがんばるからね」となだめて寝かしつけるも、ソ連の前にまず自国の差別と戦わないといけない黒人シングルマザー細うで繁盛記だし、
『バリー・シール』は「ソ連はこんなヒドい国なんですよ!」と国際社会にアピールするためにもっとヒドいことをするアメリカと、そんな母国に利用される小悪党パイロット(元トップガン)という話だ。
そして『アトミックブロンド』も言ってしまえば、西側のスパイ情報がKGBの手に渡り「ソ連に殺される……!」と怯える人たちの話であり、結局アメリカ人は冷戦が終わって何年経とうと「ソ連こわい」映画をこれからも作り続けるんだろうな。
ちょっと前に観た『ダンケルク』もナチスに怯えるヨーロッパの映画だし、日本人は「悲惨な戦争に翻弄される庶民」映画を、中国人は「我らの大陸を土足で踏みにじった野蛮な日帝」映画を作り続けることだろうし、やっぱり戦争ってよくないな(なんだそのまとめ)。
とにかく、劇場で映画を観るのはとても楽しい。単にデカい画面と音というだけでなく、何というか「体験している」という感じがあって良い。しばらくは映画館通いの日々が続きそうだ。みんなのオススメ最新映画を教えてくれ。
https://twitter.com/o_thiassos/status/921006058633490432
我が家の向かいの家が基礎から作られていくのを隙あらば見ていたんだけど、丁寧にウットリするような手つきで仕事をして、10時からキッチリとタバコ休憩して、昼はミックスフライ弁当みたいなの食べてキッチリ一時間休んで、丁寧に仕事して3時にまた休んで5時に帰る、みたいなの見て、惚れ惚れした
これ自体はいいことなんだけど、警備業やってると上の例で言う15時休憩とかの時に「その休憩いるぅ?さっさと帰りたいんだが?」と思ってしまうんだよな。
単なる感情の問題で、合理的にに考えれば休憩入る方が現場のトータルリスクが下がるのはわかるんだけどね……
警備業自体が作業前に現場入りして作業後に現場帰りするブラックな職業だからな真に改善すべきはこっちだと知ってはいるが、という
煽りとかじゃなくて純粋な疑問なんだけど、あれはどういう感じで答えて欲しいんだろう。
前提として、公開してる情報⇒私は20代終盤の既婚者で子供が居ない。結婚して6年経った。欲しいなとは思ってる。
聞かれたら相手によっては答えるけど率先して公開しない情報⇒2年ちょっと前から子供が欲しいなとは思ってるけど実ってはいない。一応検査ではお互い異常無しで様子見中。
子供居るの?までは解る。話題のチョイスも変わるだろうし、聞かれる事に嫌悪感も無い。
まだ居ないよ~って感じで答える事が多いんだけど、そうすると結構な確率で作らないの?と続く。大抵は和気藹々とした飲み会の席で。この質問の意図が解らない。
そもそもこの質問ってその後明るい話題にはなりにくい質問だと思う。
既婚者になって日が経っているって事はつまり社会的には子供を作っても何も問題は無い立場って事で、
それでも尚居ないって事は、何かの事情があって作らないって決意をしているか、ワケあって保留にしているか、望んでいるけど出来ていないかどれかになる。
なんにしろディープな話題だし、内容が重すぎる。軽い感じで話しても早々打ち消せない重さの話が出て来る可能性だってある。
でも踏み込んでくるんだよなぁ。もうかるーく踏み込んでくる。意外と年齢男女関係無くライン越えて来る。
とりあえず暗い空気にするのは嫌だから欲しいとは思ってるんだけどね~なんて答えてる。
個人的にはベターな答えかな?なんて思ってるんだけどどうなんだろう。本当はどんな答えを期待してるのかな。
とりあえず聞いてきたからにはどんな重さの話が出て来てもキッチリ楽しい空気に戻せよなんて思ったりもする。
以下追記
色々なご意見ありがとうございます。
悪意がある場合はさておき、そうじゃない場合は単に気になったから聞いたって事が多いみたいですね。
考えてみればお酒が入ってる場で聞かれる事が多いですし、普段より思った事がそのまま口から出やすいっていう面もあるのかもしれません。
今までずっと、なんでこんな楽しい空気の時にリスキーな話題をわざわざぶっこんでくるんだ……?そもそも聞いてどうすんだ……???と不思議だったんですが、
これにおもわず膝を打ちました。なるほど確かにそういうコミュニケーション方法ってある!
良し悪しは別としてコミュニケーション手段の一つに過ぎないって事ですね。内容に意味は無いと。
想像力足りなすぎかよ!って思っていた部分も正直ありましたが、トラバにあったハーフと問われる事をに関する件では私は今日まで想像力が足りない側でしたし、私も相手を一方的に責められないなとも思いました。
書き込んでくれた方々本当にありがとうございました。勉強になりました。
とりあえず返事は今まで通り適当な相手には適当にしようと思います。どうもそれが限りなく正解に近い感じ。
あとこれは多分信じられない人も多いと思うのですけど、私は不妊になる前からこの手の質問はゲェーッってなってたタイプでした。
自分が大丈夫なラインでも隣の人が大丈夫か解らないですし、ライトな人間関係って明るい空気を維持する事を前提としてる事が多いので、
これ下手な答え方して場の空気悪くすると回答者側が悪いみたいな雰囲気になる危険もあるよね。どう考えても質問者の悪手なのに。
ブコメにあるようなこういうリスクもあります。本当にあるんです…。文句があるなら質問者に言ってくれ……。
加えて私は嘘がド下手くそで苦手なので、質問に答えつつ、周りに居る人のどこにあるか解らない地雷を避けつつ、場の空気を崩さないように…って考えるとすっっっっごい面倒臭い!!んです。昔懐かしのイライラ棒を突然渡されてクリアする事を強要されてる気分です。
なので不妊とか関係無くこの手の質問を不快に思う人は居ると思うのですが、子作り保留期間中はそれが理解されず不快を表明すると不妊でナーバスになってる人扱いされたりお節介をされたりしてうんざりしたので、今実際に不妊になったらそういう逃げ場がある分ある意味では楽になりました。別の苦しみはあるけど。
なので不妊の人は不愉快だよね。って言い回しだと個人的には少し違うかなと感じます。質問自体が嫌な人も居るのねー程度に認識してもらえるとどこかの誰かがうへぇってならずに済むかも。
多分これがキッチリ交際したい向きにもご納得いただける告白ライン
二人きりで食事を3回ほど(これは学食でも可)繰り返した後、映画館・水族館などの初心者用デートコースに誘う(当然二人きり、グループならOKと言われたらノーカン)
↓
上記の初心者用デートを3回ほど行い、相手が次の約束を断ったり日程の摺り合せなどをしない等のお断りサインを出してこないのを確認の後、遊園地や観光地を日帰りで散策などの中級者コースに誘う
↓
中級者用デートをまた3回ほど行い、またお断りサインが出てないか確認した後、相性が良さげかどうか自己確認。<<ここが告白ライン
月2~3回のデートで大体3ヶ月から半年くらい。これくらいしてたら真面目な交際。
「○○ちゃんのこと好きなんだ。今彼氏とか好きな人いないんだったら付き合わない?」と告白すること。
多分それでも断られる可能性は充分にあるが、デートをこの回数してくれるなら少なくとも嫌われていないし、徐々に異性として意識してもらえば現段階で断られてもあとでワンチャンある可能性は大いにあり。
10代前半以前
10代後半
不思議な程に可愛さしかない。子供っぽい可愛さじゃないのにただひたすら可愛い。
着崩れても、丈やおはしょりがおかしくても、足元クロックスでもサンダルでも可愛い。
慣れてない感じも頑張っておしゃれした感じがあって可愛いし、キッチリ着付けてあっても当然可愛い。
洋服だと決して「可愛い」に分類されない子でも断然可愛く見える不思議。ゆかたすごい。
髪型もとりあえずまとめてあれば適当なひっつめ髪でも可愛い。存在が華やかだからヘアアクセとか無くても支障が無い。
ただスニーカーだけは避けた方がいいと思う……。
20代前半
足元クロックスからは卒業してもいい頃合い。下駄にこだわらなくてもいいからサンダルやミュールに移行してはどうか。
それでもまだまだ可愛さが勝る。多少おかしくてもそこは愛嬌でやり過ごせる。
小物で遊ぶならこのあたりが一番しっくりきてる気がする。派手なヘアアクセも一番似合うような。
20代後半
悲しい事にこの辺からぐっと粗が目立つようになってくる。
おはしょりは多少ぐちゃっとしててもいい。ただ丈だけは、とにかく丈はくるぶし近くを徹底すべき。もう短い丈が可愛い年じゃない。
まとめ髪は必須だし、そろそろ下駄を買おう。意外と高くもないよ。
若さからくる華やかさは無くなるけど、ポイントを抑えれば別の魅力が出て来る年頃。
30代前半
お遊びは程々にしてセオリーは抑えてもいい年。残酷だけどおしゃれしてる感だけで可愛い年じゃない。
帯締めはまぁやり方次第という事にしても、重ね衿は流石に可愛くない。帯揚げも暑苦しいかな。それやりたいなら夏着物着よう。
浴衣だから多少の皺は問題無いとしてもぐっちゃぐちゃのおはしょりもそろそろなんとかしよう。丈が短いなんて論外。
出来ないなら着付けを頼んじゃえ。
30代後半
10代じゃないんだから髪だって着付けだってお金で解決しような。自分でできなくてもどうにかする方法はあるよ。
まとめ