はてなキーワード: かんしゃくとは
タブレット端末を与えられた幼児は、後に怒りの抑制に関する問題を抱える可能性があることが12日に発表された研究結果で示された。子どもたちがネット上で閲覧するコンテンツを規制しようとする動きが強まるなか、社会に広く浸透しているモバイル端末が子どもたちの発達を妨げているという証拠がまた1つ増えた格好だ。
米医師会発行の小児科専門医学誌『JAMA Pediatrics』に掲載された査読付きの研究で、3歳半でのタブレット使用が、1年後に怒りやいら立ちを抱える傾向と「著しく関連している」ことが明らかになった。
カナダ、南アフリカ、ブラジルの大学の研究者グループは、タブレットの使用が幼児の怒りの爆発に影響するかどうかを調べるため、親からの報告と行動調査を評価して3.5歳、4.5歳、5.5歳の子どもたちの怒りといら立ちの示し方を調べた。
カナダ・ノバスコシア州の未就学児の親315人を追跡調査した研究者らによると、4.5歳でタブレットを使用していた子どもは、5.5歳時に怒りやいら立ちを爆発させることが多いことが明らかになったという。
4.5歳の時に怒りっぽくイライラしていた子どもは、5.5歳の時にもタブレットを頻繁に使用する傾向があることもデータで示された。これはうまく感情の制御ができない負の「サイクル」にタブレットが関与していることを示していると研究者たちは指摘している。
タブレットの使用は「日常生活の中で感情をうまくコントロールする」能力を損なうだけでなく、子どもたちが「かんしゃくを和らげるために、一層デジタルに頼る」ようになることが示されているという。
研究者らによると、タブレットやその他のモバイル端末の使用がなぜ子どもたちの情緒面での発達を妨げているのかは明らかではないが、子どもが感情の制御を学ぶのには主に2通りある。親の感情の制御法を観察するか、親から感情の制御方法に関する「感情のコーチング」を受けるかだ。タブレットの使用はこの2つの学習メカニズムを妨げ、「学習機会を減らし」、感情を制御する手法の「発展を損なう」可能性があると研究者らはみている。
そらそうやろ
最低でも7歳すぎてからのほうがええやろな
もし自称絶対音感がそう言っていたら、「全ての音をドレミにあてはめようと自分から勝手に必死になっている」だけだから気を付けろ。
【おさらい】
人には「音感」というものがあり、音感が優れた人は聞こえた音に対して、ド、ド#、レ、レ#、ミ……といった音階を瞬時に言い当てることがあります。
その時、「そもそもどのくらいの高さの音がドで、どのくらいがド#、どのくらいがレ」という比較対象があるわけですが、それを自分の感覚(絶対的な基準)で持ち合わせていることを「絶対音感」といいます。
直前に鳴ったものなど、他に存在する音と比較して高低差で音階を判断するのは「相対音感」です。
で。よく絶対音感持ちは「日常聞こえるあらゆる音がドレミに聞こえる」と言われることがあるけど、これは大嘘。
聞こえるわけねーでしょ。むしろ聞こえたらおかしい。
この世のあらゆる音が「ド~シ」までの12音に必ず分類されるわけがない。
大体、ドとド#の間って結構広いんだよ。事実としてそのスキマに幾つもの無段階の音が存在するのに、それを杓子定規にドかド#かに区分けするのは何の意味もない。
色覚で言えば、目に入る全ての色を絶対7色に分類する人なんていたら「キミ絶対色持ってるんだスゴーイ」じゃなくて「アホ」でしょ。ただの。
まあ言ってもそれは半分冗談で。実際のところ絶対音感持ちは、そういった隙間の音(微分音と言われる)を聞いた場合ちゃんと「やたら高いドだな」とかわかる。
でもそれを「全ての音がドレミになる」と表現するのは違う。
自分の中にある基準のドから離れてるな~であって、ドだと言っているわけではない。
「強いていえばドだな~」みたいな言い方はするだろうけど、「僕にはドに聞こえるんだ」みたいな話にはならない(それ言ったら「普通に耳狂ってるからちゃんとチューナー使って」と返されるだろう)。
それに何より、常にあらゆる音に対してそんな評価をいちいち下しながら生きてない。
そう、ここも大きな誤解で、絶対音感があるからといって、常に絶対音感を行使してはいない。
例えば手に持てるくらいの任意の箱を想像してほしいんだけど、誰でもせいぜい2~3cmの誤差で幅を当てられると思うんだよね。「絶対サイズ感」というか、自分の中で「1cmってこのくらい」という基準がある。
でも手に取るもの全てを「あ、10cm」 「あっ、8cm」 と考えながら生きてはいない。
絶対音感もそれと同じで、「聞くつもりで聞けば」わかるし、「意識してなければ」わからない。
「全ての音を音階で捉えようとする」のは、絶対音感とは別で、「単に他人の音が気になってしゃーない人」でしかない。
自分の中に絶対的な音程の基準があるのは確かに「絶対音感」だけど、受け取った全ての聴覚情報に対して積極的に音を言い当てようとするのはそれは「強迫観念」に過ぎない。
なので、もしタイトルのことを言うような自称絶対音感持ちがいたら、まあ事実絶対音感は持っているんだと思いますが、他人の生活音にいちいち耳を傾ける神経質なヤベー奴だと思うので休ませてあげてください。
で、なんでそんな誤解が生まれたかというと理由は2つ考えられる。
1つは「絶対音感を超天才だけが持つ特殊能力だと思い過ぎ」。あの、絶対音感、全く特別じゃないです。います、普通に。
音楽家じゃなくても、多少音楽に触れる環境があった人なら持ってます。
さすがに音楽はからっきしって人にはほぼいないかもしれないけど、アマチュアの社会人音楽サークルに必ずいます。ニコニコのボカロPを集めて石投げたら多分絶対音感持ってる人にそこそこの確率で当たります。たまに「日本の歌手に絶対音感持ちは1%もいない」とかドヤる人いますが、いや、そんなわけねーです。います。
お湯の温度を触って当てるのとか、荷物を持って重さを当てるのとか、カップラーメンで体感で3分計れるとか、絶対に目覚ましなしで6時に起きられるとか、そのくらいの技能です。
(個人的には幼少時までに訓練して身に付くものという説からして怪しいと思っています)
もう1つは昔あったテレビ番組の『特命リサーチ200X』のせい。アレで絶対音感を特集した時に、周囲のガヤ音が気になってかんしゃくを起こす再現VTRが作られてたので。
あとあの番組の中で、ピアノで5和音鳴らして当てる天才小学生みたいなのが出てたけど、5音もいっぺんに鳴らされたら「和音の感じ」という情報が増えるので逆にわかりやすい。
例えば「ドレミソシ」と鳴らしたら、ベースのドを絶対音で聞き取ったうえで、「メジャーセブンスコード」と呼ばれる「ドミソシ」の音の距離感特有の雰囲気がわかり、更にドと1音差でぶつかりつつナインス(ベースを1として白鍵9番目の音)の雰囲気を出してる「レ」に気付けるので、絶対音2割相対音8割くらいでいける。もうそれ絶対音感の実験でもなんでもない。
更に、当の絶対音感持ち自身もこの誤解を抱いているのがまずい。
変にもてはやすから、「絶対音感を持っている自分スゲー」となる。まあなるまではいい。だけど、「絶対音感を持っているとあらゆる音が~」という部分までトレースしようとする。
それが絶対音感であることの証左だと思い込むから。そうじゃないと絶対音感持ちとして扱ってもらえないから。
自ら、「周囲が求める絶対音感像」をやろうとする。
結果、「天才がゆえのペナルティを抱えた自分」に酔って、頼んでもないし自分ですら望んでも無いのに勝手になんでもドレミで言い当てようとするおもしろ人間ができあがる。
そんな必要ないんで、やめましょう。
あなたや私が持っているこの能力は、「赤色を見て赤だとわかる程度」のものです。まあ便利な時はあるので、その時に使えばいい「ちょっとお得な特技」でしかないです。
無い幻想を自分からまとうのはやめましょう。誤解を更に広げるだけなので。
ご近所のAご夫婦が、旦那さんの母親を引きとり同居することになった。
父親が亡くなって、一人にさせとくのが不安だから引きとったらしい。
A旦那母さんはかなり遠方に住んでいた人で、方言も習慣もこっちとは全然違う。
初対面の時、ちょうど日曜日で、早起きで午前に活動するのが好きなうちの夫(午後はお昼寝する)は菜園の草むしり、私は家の中で子供にごはん食べさせてた。
そしたらA旦那母さんに
って驚かれた。
いや旦那の趣味の菜園だし、草むしりもその一環なんですけどね。
その他にも
陰で残り物を食べるのが女のたしなみで、男に食べる姿を見せないのが誇り」
とか
「男尊女卑で有名な県みたいに思われてるけどそうじゃなく、女が尻に敷いてるのよオホホ~」
みたいなことを、こっちが聞いてもいないのに方言でまくしたてて帰っていった。
と思った。
(A奥さんがノイローゼっぽくなったら愚痴だけでも聞いてあげよう)
とか勝手に考えてた。
でも予想は外れて、弱っていったのはA旦那母さんの方だった。
「男はこう、女はこう」
と言っても息子夫婦もみんな
反論してくれば戦えるのにそれもなし。
ただみんな笑顔で
「そういうのもいいですね」「そうなんですか」
でやんわりスルー。
そしてだーれもA旦那母さんの言うとおりにしない。
いくら言っても息子は嫁のために重い物を持つし、息子夫婦は一緒のテーブルでごはんを食べるし、土日は夫婦だけでデートしたりするし、よその家もそう。
スーパーに行けば仲良く買い物してる夫婦ばかりだし、何なら奥さんの方がズンズン歩いて旦那が付いていくとか普通に見るし。
とどめに息子夫婦の勧めで習い事に通ったら、そこでは自分の死んだ夫と同年代~年上のお爺さんまで女性に優しくて、怒鳴ったりかんしゃくを起こす男性が全然いなくて、
Aご夫婦はよかれと思って習い事に行かせたのに、A旦那母さんは鬱になってしまった。
A奥さんが役所に相談して、福祉関係の人が今通ってA旦那母さんの話を聞いてあげてるらしい。
A旦那母さん
「ずっと女が尻に敷いてる、女のたしなみだと思ってやってきたけど、自分の人生は本当にこれでよかったんだろうか」
「まわりの人がみんな自分より幸せそうで、旦那さんに大切にされていてつらい」
死んだA旦那さんの父親はけっこうなDV夫で、A旦那さんはそれがいやでさっさと家を出た人だから、自分の母親に対してもちょっと突き放した感じらしい。
A奥さんが
「元気づけてあげたくて外に連れ出しても、幸せそうな夫婦を見るとさらに鬱ってしまうからどうにもできない」
って困ってた。
https://twitter.com/fugafugaOnline/status/1639540447998803968
https://twitter.com/fugafugaOnline/status/1639542108020424706
https://twitter.com/fugafugaOnline/status/1639543293699854336
ただ、5あたりからの岩崎の記事はさすがに批判記事としてもちょっと出来が悪くなってきた。
岩崎は、岩崎氏で、叩く際に叩きやすいように闇の岩崎の文章を曲解して読者に差し出している。
この人は自分の意見そのまんま受け入れられないとかんしゃくを起こして大げさにたたく。
あまりに自信満々にたたくからそんなにひどいのかと思ったらそこまでではなかったという箇所も多い。
多くの人から指摘されているが、以前はこの岩崎が迷惑系の人間であり、任天堂アンチとして有名だった。
私は
「男女平均で見れば女性の方がわがままだが、やばいクレーマーとか性犯罪者のトップクラスは男性が独占している」と今まで思って生きてきた。
でも、N藤Y乃みてたら、ハンターハンターのカミーラ様以外でこんなにわがままな人男でも女でも見たことないって感想になる。
とにかく話が通じない。「世の中が私の思った通りにならない」だけですぐかんしゃく起こして攻撃してくるやんこの人。
連帯というのは、共に怒り、痛みを分かち合い、どんなときも共にあろうとし、自分もこの社会を変えていく一人として共に闘う、声を上げる。そういうことだ。
性暴力や性搾取の被害にあった人たちに、もっともっと多くの人が連帯を表明するのが本来あるべき社会の姿ではないか。
被害者は孤立し、声を上げても連帯を感じさせないように加害者たちはさまざまな妨害を行う。当事者意識を持つ人たちの連帯が強まって社会的な影響力を持つことを恐れる人たちが、連帯が悪いことであるかのように印象づけようとしていることに断固反対する。怒りを言葉にし、女の連帯を強めていきたい。
連帯を表明することで自身の加害者性を隠そうとしたり、反省アピールや加害の矮小化に利用しようとする人もいるので注意だが、
第三者による連帯の表明を、被害当事者への攻撃材料とし、被害者を更に孤立させようとする者たちをよく見つめるべきだ。彼らは私たちの連帯を恐れて、壊したいのだろう。
「当事者意識を持つ人たちの連帯が強まって社会的な影響力を持つことを恐れる人たちが、連帯が悪いことであるかのように印象づけようとしていることに断固反対する。怒りを言葉にし、女の連帯を強めていきたい。」じゃあねえんだよ。
国語ってお前の思った通りに言葉の意味が決まってるわけじゃないんだってば。
ちゃんと通例とか考えろよ。
イケダハヤトと同じくらいひどいぞこの人。
https://twitter.com/IHayato/status/422151816026275840
多分このノリでひたすら自分の意見をゴリ押しし続けてきたんだろうな。
ヒステリーがひどすぎるしどう考えてもまともな精神状態じゃないしまともな精神状態なのだとしたら思考がゆがみすぎてる。
そういうのわかってても、つぶされないようにするためにほとんどの人は頭使ってるんだよ。
この人「レベルを上げて物理で殴ればいい」以外の方法知らんのかと。
抵抗勢力がいるって想定なのに、なんでその抵抗勢力は「怒りを言葉にし、女の連帯を強めていきたい。」しかソリューション導き出せないの。
絶対にこの人はただのゴリラであって、他にブレーンがいると考えないとつじつまが合わない。
tohokuaiki 押し付けが強い人とは関わり合いにならない方がいい。油断して少しでもリソースを割くと無限につけ込まれる。
子供A「叩いた!痛い!謝れ!」→Bを叩き返す
子供B「叩いてない!そっちが先だろう!」→Aを叩き返す
以下エンドレス
…といった、子供同士がよくやる小競り合いの場面に先日出くわした。
どう見ても「どっちもどっち、お互い様」の状況なので、一方だけを叱るわけにもいかず、どうにか双方を静まらせて通常は事なきを得るのだが…。
今回は子供Aが急にかんしゃくを起こしたかのように子供Bにつかみかかろうとしたため、私はとっさに子供Aを止めた。
子供Aはそれでも私の制止を振り切って子供Bにつかみかかろうとするため、私は力を強めて制止を続けた。
すると子供Aは物理的な力では勝てないと悟ったのか、制止する私の腕に爪を立てて引っかき始め、なおかつ子供Bに対しては「アフォ、ボヴォケ、カ○」等、漫画ばりの低俗な罵詈雑言を吐き始めた。
その様子に子供Bも若干引き気味だったが、逆にチャンスと思ったのか、私が子供Aを制止している隙に帰ってしまったようだった。
ようやくこれで収まった…と安堵し、制止する力を緩めたその瞬間、なんと子供Aは奇声にも近い大声を上げながら、先に帰ったと思われる子供Bを追いかけるように外に向かって駆け出したのだ。
その場には他の子供たちもいて、私は放置して外に出れる状況ではなかったため、その後のことまではわからない。
ときどきニュースなどに出てくるのは聞いたことがあったが、思い通りにいかない、気に入らないと急にキレる子供を見たのははじめてだった…。
そして私の右腕には5㎝程度の引っかかれた傷痕が…完全には消えないだろうな、これ。
男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。
男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります。
同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。
だから、世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています。
それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独な人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ、自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています。
「保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。
家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。
それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴も無視される差別として働いています。
若者が遭遇しやすい実例として、バイトやサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。
これは、男性の方が不安や心配事が少なく、お節介な干渉もされず自由に生きやすいというメリットととらえることは確かにできます。
しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ。男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分も男だから、自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります。
実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。
でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分の不安や恐怖に気づけなくなります。
しばしば指摘される中高年男性の自分語りの下手さや、困りごとをうまく伝えられずかんしゃくを起こす傾向などは、彼らが自分の苦痛や不安を認識する能力を社会に破壊されているからでしょう。まして適切な言語化などできるわけがありません。
他にも色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性は自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます。
たとえばトイレ。
男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器を露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。(道端は許されないと思うならハイキングや海釣りや森林浴を想定してください)
不安や羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまいます。
この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから加害者である男と戦えるもんね」という扱いでもあります。
一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性の感情は最初から考慮されていない。
このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分を勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります。
夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。
最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性を区別することは本人にすら困難です。
この論法は「たとえ当事者が男性差別を否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別は存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。
ネットでは、男性はセルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、男性のセルフケア能力の低さは数十年にわたる「男性は自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。
セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人のセルフケア能力を育て直すため、社会が反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。
しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって成長しろ、社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています。
男同士で友人を作っても、それは楽しさや得意分野を分かち合うには向いていますが、弱みを見せ合い癒し合うことには向いていません。「今日はパーっと遊んで嫌なことは忘れちまおうぜ」のような会話がその典型です。
男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。
腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿げやすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力と共感能力の低さ、など。
しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。
統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります。
そして、フェミニズムと弱者男性論の共闘が難しいのはここが主な原因でしょう。
「性犯罪は男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性が被害者になる方が多いですが)」「腕力が強くて制止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、フェミニズムと弱者男性論は真っ向から対立しています。
統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います。
もっとも「社会を運営するにはマクロ視点の統計的差別が必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態は現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。
今までも男性差別については、男性は加害者として認められやすく被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは女から男への悲惨なセクハラや暴力事件がほとんどです。
それも由々しき問題ですが、男性差別の根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。
特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います。
フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆である、過度の信頼による放置という男性差別は問題視されづらいのです。
「女子供は弱いから保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」という扱いは、信頼的差別などと呼べそうです。
この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係や恋愛や経済やジェンダーロール面の困難や、弱者男性の存在自体が不条理に否定される、などの論点と対立しません。
警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係や恋愛関係のハードルを上げます。
経済的貧しさについては、一般的な貧困問題に加えて、男性は公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力が社会により破壊されている点に、男性特有の困難があります。
男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。
弱者男性論自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われることや、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」の一種ですね。
また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。
現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。
少なくとも私は、男の乳首も露出NGにしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人のちんちんポロリシーンやハゲネタはダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントだから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。
男女平等に近づけることには合意されるとしても、男性も女性くらいに保護する方向と、女性も男性くらいに放任する方向では、目指すものは大きく変わるでしょう。
細かな調整が必要な問題ですから、今はまだ最終要求を問われてジャッジを受けるほど議論が深まっていません。
あくまで私の主観的な意見としては、消極的自由を重視して積極的自由には疑問を持っているので、保護よりも放任、安全よりも可能性を男女ともに重視する方がよいと思っています。
人間に限らず生物が「男性的な物、強そうな物、醜い物」へ抱く警戒と嫌悪は途方もなく根深いので、男性もケアされる男女平等の実現可能性は絶望的であり、女性も雑に扱われる男女平等の方がまだ実現可能性があるだろうという予想のせいでもあります。
本エントリの書き方だと皆が保護される平等を求めているように見えるかもしれませんが、私個人はそれが実現しそうにないと絶望しているので、皆が放任される平等を目指した方がマシだと感じている、ということです。この絶望感をぬぐえるならぬぐっていただきたい。お前にサン(son)は救えるか!
【追記】
母親と妻、そして「女をあてがえ論」についても書きました。
『男性が母と妻にだけ弱さを晒そうとするのは、皆に原因があります(anond:20220909191646)』
孤独な主人公。学費滞納のために大学から除籍され、サンクトペテルブルクの粗末なアパートに下宿している。
マルメラードフの娘。家族を飢餓から救うため、売春婦となった。ラスコーリニコフが犯罪を告白する最初の人物である。
予審判事。ラスコーリニコフを心理的証拠だけで追い詰め、鬼気迫る論戦を展開する。
兄や母の事を考え裕福な結婚をするため、ルージンと婚約するが、ルージンの横柄さに憤慨し、破局する。
以前家庭教師をしていた家の主人スヴィドリガイロフに好意を持たれている。
ドゥーニャを家庭教師として雇っていた家の主人。ラスコーリニコフのソーニャへの告白を立ち聞きする。
マルメラードフの遺児を孤児院に入れ、ソーニャと自身の婚約者へは金銭を与えている。
妻のマルファ・ペトローヴナは3,000ルーブルの遺産を残して他界。
ラスコーリニコフの友人。ラズミーヒンと呼ばれる。変わり者だが誠実な青年。ドゥーニャに好意を抱く。
居酒屋でラスコーリニコフと知り合う、飲んだくれの九等官の退職官吏。ソーニャの父。
仕事を貰ってもすぐに辞めて家の金を飲み代に使ってしまうという悪癖のため、一家を不幸に陥れる。最期は馬車に轢かれ、ソーニャの腕の中で息を引き取る。
マルメラードフの2人目の妻。良家出身で、気位が高い。肺病と極貧にあえぐ。夫の葬儀はラスコーリニコフの援助によって行われた。
7等文官の弁護士。45歳。ドゥーニャの婚約者。ドゥーニャと結婚しようとするが、ドゥーニャを支配しようとする高慢さが明らかになり、ラスコーリニコフと決裂し、破局する。
ラスコーリニコフへの当て付けにソーニャを罠にかけ、窃盗の冤罪をかぶせようとするが失敗する。
役人。サンクトペテルブルクでルージンを間借りさせている。ルージンのソーニャへの冤罪を晴らした。
高利貸しの老婆。14等官未亡人。悪徳なことで有名。ラスコーリニコフに殺害され金品を奪われる。
アリョーナの義理の妹。気が弱く、義姉の言いなりになっている。ラスコーリニコフに殺害される。ソーニャとは友人であった。
彼女の娘であるナターリヤ・エゴーロヴナ・ザルニーツィナはラスコーリニコフと婚約していたが、病死している。
ラスコーリニコフが住む区の警察署の副署長。かんしゃく持ちで、「火薬中尉」とあだ名される。
はてブのホットエントリ(総合)で月内に数多く[あとで読む]タグを集めたエントリ
278あとで/1848users セガがjavascriptでぷよぷよを作るプログラミング講座を出しているが、とても良いプログラミングの教材になっている「写経はとても大事」 | Togetter
238あとで/1666users ジャズのコード進行の原理 - アラクー Arakur
228あとで/1260users ソフトウェアエンジニアなら3秒で理解できる NFT 入門 - Okapies' Archive
220あとで/1885users Adobe製品と同じような事をフリーソフトでやりたい場合の対応表がすごく使える→他にも高機能なフリーソフトが集まる | Togetter
211あとで/1407users 「Visual Studio」の中の人が作ったプログラマー向け十徳ナイフ「DevToys」/今までググって探していたツールがひとまとめに | 窓の杜
210あとで/3113users ゲームの勝敗でかんしゃくを起こす子どもにできることは大人げない大人になること|フィンランドワークショップomena|note
201あとで/1188users 総務省「誰でも使える統計オープンデータ」無料オンライン講座スタート | ITMedia
198あとで/960users プログラムがメモリをどう使うかを理解する(1) | rita | Zenn
196あとで/1262users 仕様書の参考例と、こんな内容を仕様書に最低書くといいというお話|田辺めぐみ|note
189あとで/973users フロントエンドのデザインパターン | Shinya Fujino | Zenn
187あとで/1551users 英語面接で5歳児みたいなことしか言えないからカッとなってWebサービス作った【個人開発】 - Qiita
187あとで/1563users TOEIC満点ホルダーがやっているおすすめ英語学習法(2022年版)|Shin|note
177あとで/1554users 207で1年間磨き続けた1on1のフォーマットを公開します|207株式会社|note
171あとで/1530users エンジニアの"有害な振る舞い"への対処法 - Qiita
170あとで/1316users 顧客との打ち合わせが上手い人がやっていること|いまにし|note
165あとで/1551users 「この会社は詰んでます。潰れました」で気づいた“恥ずかしさ” DeNA南場智子氏がエンジニアから学んだこと | logmi Tech
158あとで/1342users 「勝手に学ぶ人」と「期待されて学ぶ人」の差が埋められない|柴田史郎|note
153あとで/1343users 強いエンジニアになるために英語が必要と聞いたので4ヶ月でTOEICスコア400→900まで上げた話 - Qiita
148あとで/1190users なぜ40歳を越えると「やる気」が出ないのか? 「中年の危機」を乗り越えるためのエンジンの回し方 | 野水克也, 萩原雅裕 | logmi Biz
148あとで/955users ITエンジニアが投票した「ITエンジニア本大賞2022」ベスト10発表。「シェル・ワンライナー160本ノック」「モノリスからマイクロサービスへ」「恐れのない組織」など | Publickey
142あとで/690users JavaScriptを遊び尽くす究極のWebサービス・ツールを厳選して大公開! - paiza開発日誌
138あとで/891users そこまで努力しないで生活をちょっと改善する100の方法 | 英紙が元旦に紹介 | COURRIER
137あとで/1237users 問題職員の正しい辞めさせ方 1/10 | anond.hatelabo.jp
136あとで/635users フロントエンドを集中的に学習できる究極の無料リソースを厳選してみた! - paiza開発日誌
133あとで/768users ミーティング・ファシリテーション入門 / Introduction To Meeting And Facilitation | ストックマーク株式会社 iwashi | SpeakerDeck
126あとで/1056users Future社員が使っているWindows便利ツール(新人さん向け) | フューチャー技術ブログ
126あとで/802users 『データ分析のためのSQL勉強会』資料公開|高橋 光|note
126あとで/859users エンジニアを始めてから便利だったツールまとめ | nakaatsu | Zenn
125あとで/757users 2022年におけるフロントエンド開発のベースライン - LINE ENGINEERING
123あとで/1202users 50歳になってようやく気付いた、人生で重要なことと、後悔したこと。 | fujipon | Books & Apps
123あとで/1055users 【必読】総務省直伝のExcelマニュアルが目から鱗が落ちるものだった | Togetter
ジャズのコード進行を解説したブログが2位になった。はてブでこんなページを目にできようとはとブクマカが驚愕。
COURRIERの「そこまで努力しないで生活をちょっと改善する100の方法」はペイウォールの向こうに行ったが原文は読める。 https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2022/jan/01/marginal-gains-100-ways-to-improve-your-life-without-really-trying
https://note.com/workshopomena/n/n55b156b4da74
・そもそも、ゲームは楽しむものでありゲームの勝敗が本人の全てではない
・大人が忖度すると子どもは自分の実力を見誤り勝つことが当たり前だと感じてしまう。大人の役割はわざと負けてあげることではなく、負けた時にどのような態度をとるか教えることだ
・勝ったことを自慢したり、負けた人を貶すのはフェアプレーに反する。勝った場合は「良いゲームだった」「君のおかげで楽しくプレイできた」などお互いのよかったポイントなど伝えあおう
・負けた時に相手のせいにしたり言い訳をするのはフェアではない。「負けた! 悔しい! 今度は勝つ!」と悔しい気持ちを言葉にしたりまた挑戦してみる気持ちをもとう
二歳の子供を育ててるんだけどあどけない声で「あぶないよ」って言いながら危険な行動をするし
言葉が通じないからいくら注意しても伝わらない。怒鳴るような言い方になってしまうけど、伝わってないなら怒鳴っても意味ないよな
やりたくないことはやらないし
思いどおりにならなければかんしゃく起こす
注意してもしても伝わらないし
二歳児知的障害と変わらないなって思った
でも、二歳の前半と後半て違いがおおきくて二歳半で親と日常会話が成立してるよその子供を見たことがある。
うちの子供は二歳一ヶ月だけどこちらが言いたいことは伝わるっちゃ伝わるけど、自分のやりたいことしか基本的にやらない
座れと言われても座りたくないなら座らないし(好物をだせば座る)
親がさわってほしくないものを触るなといっても触る。
チョウやガは適切な葉を選び、卵を産む。間違った葉に落されるとふ化した幼虫は正しい葉まで移動するか、死ぬしかない。人間の魂だってそうだ。適切な場所に適切な状態で産み落されて初めて正しい生を歩める。オレの魂は今世は欠陥を持って産み落とされた。体や心の不調は医学の発展で治せるが、魂の欠陥ばかりは人の力では治せない。オレの魂には片割れが居る。魂が誕生してからオレの魂はその片割れと常に一緒だった。共に輪廻を繰り返した。前世はインディアンのショーニー族、前前世はベンガルの王、前前前世はアイルランドの戦士、その前はパルティアの貴族、その前はアテネ市民、その前はパラオの先住民、その前はエジプトの貴族、その前はアッカドの役人、その前は縄文人、人になる前はステラーカイギュウだったり、アデリーペンギンだったり、オオハクチョウだったり、スラウェシメガネザルだったり、タイリクオオカミだったこともあった。
のろけ話になるので余り詳細は話せないが、どうやらオレと片割れはずっと一緒だったらしい。魂の片割れは鍵と鍵穴なんてものじゃない。体の右半身と左半身だ。二つで一つ。こういう例は魂全体の割合で見ればごくごく少数派なんだが、歴史上の人物では例が少なくない。ダーウィン、ジョージ六世、大正天皇、J・S・ミル、フォードとその妻は魂の片割れだったらしい。二つの魂は基本的にずっと一緒。ずっと一緒に輪廻し共に人生を歩む。基本的に輪廻の周期は誤差はあれど、500年ほど。つまり死んでから500年後ぐらいに再び産まれる。面白い例が二つある。劉秀・スレイマン一世と唐の太宗・ジャハーンギルだ。劉秀の妻は陰麗華。美人で慎ましく、賢妃の典型例とされる。彼女は劉秀を支え続け、二人の絆が後漢の繁栄と平和を築いた。もちろん二人は魂の片割れ関係にあるのだが、この二人が偉業を成し遂げたのは、一世だけではない、この二人は来来来世でも偉人に産まれたのだ。スレイマン一世とロクセラーナだ。ロクセラーナは美貌と知性を兼ね備えたウクライナ人で奴隷としてスレイマンに売られた。スルタンはロクセラーナを気に入り、事実上の一夫一妻関係を築いた。その気になれば妻を何人もめとれたというのに。この二人は魂の片割れであったことは確かだ。劉秀夫妻の来来来世である証拠に劉秀の没年は57年。スレイマンの生年は1494年。ひくと1437年。ざっと1500年ほどだ。歴史上に名だたる名君二人に産まれたこの魂は最も偉大な魂と言えよう。もう一つの例は唐の太宗こと李世民だ。その妻長孫皇后は陰麗華皇后と並ぶ賢妃だ。太宗を支え、唐の繁栄に貢献した。この二人もまた魂の片割れある。二人の来来世はムガル帝国の皇帝・皇后だ。ムガル帝国4代目皇帝ジャハーンギルはかんしゃく持ち、アル中、病弱ととんでもないろくでなしだった。しかし、そこに美貌と知性の妻ヌールジャハーンが加わることでその治世は酷いものとならずに済んだ。彼女は夫を支え、かんしゃく持ちやアル中を改善させた。それでいながら夫を立てることも決して忘れなかった。太宗の没年は649、ジャハーンギルの生年は1627年。引くと978年。やはりこの二人は同じ魂だ。劉秀の次に偉大な魂かも知れない。このように魂の片割れ同士は共に輪廻することで凄まじいパワーを生み出し、当人に多大な幸福を与えるのだ。
しかし、片割れ同士が離れると絶望的な苦痛に繋がる。当たり前だ。自分の体の半分がないようなものなのだから。オレと片割れはずっと一緒で幸せすぎたのでばちが当たったのだ。しかし、それも酷いもんだ。片割れと離ればなれになるだけでなく、魂に欠陥を持って産み落とされた。まさに間違った場所に産み落とされた卵だ。無論、それは不幸な人生。強い欠乏と苦痛が伴う人生。しかし、希望はある。この人生に希望はないが、死後に希望がある。少なくとも霊界で片割れに再開できる。来世はきっと一緒に輪廻できる。そしたら、今とは似ても似つかない幸福な人生が歩める。今は辛抱だ。片割れだって、今どこかで苦しんでいるのだ。自殺したっていいが、自分だけ逃げるのは卑怯だ。それに楽しみはとっておくもんだ。今苦しめば、霊界や来世での喜びはそれだけ大きくなる。
彼女は高3で、自分は大学生。1年半くらい遠距離恋愛中。中学の後輩で、最近は会えてないけど帰省した際に会ったりしている。
最近、「ヤングケアラー」という言葉があるのを知って、彼女が完全にそれに当てはまることに気づいた。そして今の状況から抜け出すのが非常に困難だということも。
彼女の母親は精神障害(適応障害)があり、仕事に就いていない。職業訓練も、朝起きれずに失敗してしまったらしい。彼女はそんな母親の精神的ケアを毎日している。家で勉強をしようとしても、母親が部屋に入ってくると相手をしないといけない。それを拒否すると、段々と母親の精神が不安定になり、最終的にかんしゃくを起こしてしまうらしい。自分が彼女と通話しているときにも、母親の叫び声が聞こえてきたり、母親の相手をするために途中で通話を切らないといけないことがよくある。母親の精神状態が悪いときは、介護の後で泣いているときもある。もちろん勉強など手につくはずもなく、成績はかなり下の方。
彼女の祖父母は娘の介護をしない。それどころか、祖父は彼女の母親に暴力をふるっていた過去があるらしい。彼女の母親には姉がいるが、そんな家庭の事情が影響したのか、現在は海外に住んでいて音信不通。
母親の元夫は、養育費は渡しているらしいが、こんな複雑な家庭に首をつっこみたくないのだろう。
このような事情で、彼女だけが精神障害者である母親の介護者となっている。そして、このような状況の子どもを「ヤングケアラー」と呼ぶというのを最近知った。
自分は東京に住んでいて、彼女にも上京してもらって寮のある大学に進学してほしい。彼女の伯母のように、今の家の環境からは逃げ出すべきだと思う。
ただ,このような環境でどうやって受験勉強ができるのだろうか。なるべく家にいないようにして、学校で居残って勉強するようにしても、家にいるときに介護に時間をとられるのは変わらない。あと学校の課題がやたら多いので、塾に行って塾の授業も受けるとキャパオーバーにならないか心配。田舎なので、まともに自習できるところが塾にしかないのだが。
家族の介護で勉強ができない、逃げるには勉強しなければいけないって、詰んでいるのでは?東京のFラン大なら勉強しないでも入れるのだろうか?
追記だけど、anond:20210411211737が参考になりそう。
厚労省の資料ではギャンブルにより日常生活や社会活動に支障が出ている状態をギャンブル依存症と定義しているようだ。
そう、私はギャンブルを趣味としている。趣味なんてものではなく、もしかすると依存症かもしれないという不安を抱えながら。
2人の幼児を妻と一緒に育てながらそれなりの企業でそれなりの給与を得て暮らしている。
妻は専業ということもありバリバリ楽勝伝説ではないものの、一定の貯金をしながらも節々には旅行もできるぐらいの余裕はある。
子を持つ方ならある程度おわかりかと思うが、子育てというものは幸せを感じながらもストレスともお友達にならなければいけない事が多い。
子どもが生まれてからは真の休日というものは無くなった。子どもが生まれる前は、妻に許可をもらい稀にパチスロに出かけるなどしたがもはやそんな行為は無理である。
休日は子どもたちと一緒に暮らすためにほぼ100%を充てている。
そんな中でお前はどこでギャンブルをやっているのかと言うと、平日の夜か子どもたちが寝静まった夜中となる。
平日の夜は妻に黙ってのギャンブルである。仕事で遅くなる日の1/3ほどはその実パチスロに行っている。
とはいえ大した時間は取れない。早くて20時に会社を出て閉店の23時まで打ってMAXだ。
状況によっては21時か22時に切り上げて大盛りラーメンを食べにいくこともある。
行くのは月に2,3回程度。その短い時間で小銭の行って来いを楽しんでいる。
「小銭の行って来い?はい嘘乙!収支計算しないでたまの勝ちでプラスになってる気になってるんデショデショー」
なんて言う貴兄もいるかもしれないがそんなことはない。
私はギャンブルで負けるのが大嫌いだ。若い頃に苦渋をなめながら負けない方法というものを模索し続けてきた。
パチンコは無理だと考えているがパチスロは正しい手順を踏めば勝てるといって良いだろう。
とはいえ、食っていくレベルで勝てるかというとそれはかなり高いハードルなるのであるが。
もちろん負けている人も多い、多いと言うか超多数派だろう。
しかし、意思を強く持って勝ちを目指せば勝てるのだ。負けるのは意思が弱く神頼みする者のみである。
ここ数年は正しく打ては期待値が100%を上回る台がいくつか出回っている。
中でもディスクアップという台は最低でも機械割103%, 一日回せば期待値としては1万5千円程度あるのだ。
まぁ確率なんてものは1日程度では到底収束しないので勝ったり負けたりではあるが。
他にも100%超えの台は多く、さらにパチスロには設定というものがあり、打つことによりプラスになる可能性がある台は存在する。
まぁ他にも少しでも期待値を上げる手法はあるのですが結論はこれです。
打つべきは"打ちたい台"ではなく、"打つべき台(期待値が100%を超える台)"を打つ。これだけです。
楽しい楽しくないは2の次3の次かんしゃく玉投げカン太郎の東海道五十三次です。
勝つことが楽しさであります。いや大当たりも楽しいだけど負けたらその楽しさ上書きされちゃうので。
そのような台のみを集中して打つことで私は負けていない状況を作っています。意外と現代のパチスロで勝つのは簡単です。
(技術的なものや、行って来いが落ち着くぐらいの試行回数(=時間)を費やす必要はあるけども)
私のギャンブルはこれだけではとどまらない。先に書いたもうひとつ、夜中のギャンブルだ。
ここまでの話はコロナ前の話だ。コロナ以降、弊社もリモート化が進みほぼほぼ今日まで在宅勤務が続いている。
コロナ禍の中、パチスロに行けずギャンブルがしたいなぁとモヤモヤしている日々。
あ、そうだ。と思い出し、一時期ハマっていたネットポーカーのアプリを開いた。
ポーカーご存知ですか?面白いんですよ。海外ではもっとメジャーなんですが、
テキサス・ホールデムという形式のポーカーがすげぇ面白んですわ。
もちろん負けたくない私は研究を重ねます。本業でこれぐらい勉強すればいいのにね!
ポーカーとは学んだものが学ばないものから金をかっぱぐ!これがポーカーであります。
ただですね。学びにより一定のプラスは生まれるようになったものの、
ポーカーは時間あたりの期待値が低いのです。小さい金額をちまちまと稼がなくてはならない。
高いレートは強者だらけで収支は安定しない。高額賞金のトーナメントは平気で10時間とかかかる。
そんな状況に疲れてポーカーからはフェードアウトしていきました。
でも、パチスロができない状況ではそんなこともってられず通勤時間が減ってちょっと時間も余裕ができたのでポーカー復活と思ってたらですよ。
アプリのポーカーのタブの横にカジノがあったので押してしまいました。
お前それそもそも違法じゃないのって話は「オンラインカジノ」という存在に法が追いついていないので結論が出せない。
ということでご容赦ください。一定のリスクは理解した上でやっているつもりです。
閑話休題。
いやですね。それ抜きにしてもオンラインカジノは基本ダメです。
ルーレットとかは約97%,一番高いブラックジャックで99%超といったところ。
当たり前ですが100%以上はないという状況です。
やればやるほど損をする。それがオンラインカジノです。
そんななかでも研究はする私。なんとか勝てる方法は見つけました。
はいはいワロスワロス、クソみたいなオリ攻なんでしょ?とか思われるかもしれませんがそんなんじゃない!!
ギャンブルの楽しさは排して、ただただ期待値を追うだけの方法です。
結局はこれなんですよ、勝つには地味な作業を繰り返すだけ。
そんなこんなでオンラインカジノ界でもなんとか勝つ方法を見つけてしまったのです。
しかし困るのは生活が困窮すること無くギャンブルが続けられるということ。
楽しいのだが虚無も結構ある。副業と割り切っても良いかもしれないが、あまり勝っても確定申告が必要となる。
多少家族に嘘ついてるけどこれは許容範囲じゃない?そんなことない?
このギャンブルがドラマ視聴という趣味だったらどう見えるだろうか。
しかしあまりドラマ依存症やゴルフ依存症という言葉は聞かない。
という具合になんだかわたし、もやもやした気持ちが続いているんですよずっと。
別に診断が欲しいとか、大脳がこわれておる、ワイコーワイコーと言われたいわけでもなくて、
ただなんか、わたしはこのままでいいのかな?もっとやることあるんじゃねーかな。
と思ってるので転機がほしくてこんな増田をしたためているのかもしれません。
ちなみに業務中(合間だよ!ちょっとした合間!)にこのような増田をしたためてしまうのも、現実逃避をしているので増田依存症な面もあるのかもしれません。
ばーちゃんと電話したら寂しくなってきたので、こっそりと書きます。
よんどころない事情で小さい頃からじーちゃんとばーちゃんと暮らしてたんだけど、当たり前のように貧乏だった。
田舎のじーちゃんばーちゃんだから、買ってくれる服やおもちゃのセンスも微妙に変で。
私はたまにわがままを言ったけど、幼いなりに家庭の事情もうっすらわかってたから、あんまり無茶は言わないようにしていたような覚えがある。それでもじーちゃんばーちゃんは困ってたかもしれないけど。
とある年の12月、私が通ってる保育園でクリスマスパーティーをする予定で、その年はみんなパーティーはおめかししてきてねってことになってた。
ばーちゃんはお迎えで先生におめかしの話をされた後、帰り道で「お金もないし、あんたはすぐ服汚すからどうしようかね」と言った。そこで私はかわいい服は買ってもらえないんだと察して拗ねて、それでも帰ってからばーちゃんと2人で手持ちの中でも派手な色のシャツを選んだ。ボトムスはいつも着ているような半パン。普段からスカートなんて買ってもらってなかった。
パーティーの前日、友達はシンデレラの服買ってもらったとか、お母さんがフリルの服作ってくれたとか、男の子はポケモンの着ぐるみとか、保育園児なのでまあウキウキで自分が着る予定の服の話してて、私は日中から機嫌が悪かった。
みんなはかわいい服着るのに、自分だけ普段と変わらない服なんていやだ、みじめだと大泣きして大暴れして、そのまま泣き疲れて寝た。
早朝、目を覚ますと枕元に当時めちゃくちゃハマっていたおジャ魔女どれみのコスチュームが置いてあった。
サンタさんだ!サンタさんがクリスマスパーティーに着ていきなさいってプレゼントくれたんだ!!と、大喜びして、じーちゃんもばーちゃんも叩き起こし、顔も洗わないうちから着ようとした。
嬉しくて嬉しくてばーちゃんを置き去りにするくらい走って保育園に行った。
その日のパーティーの写真を見ると、泣いたあとの腫れた目だけどすごく嬉しそうに笑ってる写真ばっかり。
今なら考えなくても、サンタさんじゃなくてじーちゃんばーちゃんの優しさだったな、とわかる。
元々プレゼントしようと用意してくれてたのか、私のあまりの様子に急いで買いに行ったのかわからないけど。
いや、毎年のクリスマスプレゼントはお金かかったものじゃなかったから、おそらく急いで買いに行ったんだろうな。
私が泣き疲れて寝落ちしてから、夜道を車で何十分もかけて大型ショッピングモールに行って、きっと子ども用のコスチュームなんて見分けつかなかっただろうに、私の好きなアニメを一生懸命思い出して探して買ってくれたんだな、と想像すると胸が苦しくなる。
じーちゃんにもばーちゃんにもなんとなくこの件の話はしてない。
いつかちゃんとお礼を言いたい。
じーちゃんはもう空の上の人になってしまったけど、ばーちゃんはまだ元気なので、いっぱい孝行したい。
あと何回元気で会えるかな、ばーちゃん。