はてなキーワード: いつまでもとは
ここ5年くらいは課税所得1000万前後くらいを行ったり来たりで
生活レベル的には額面で月25万くらいのときと同じ感じの生活してたんだけど
ふるさと納税しようと思って今年の収益整理してたら2000万くらいあってなんか吹っ切れてしまった
当然これがいつまでも続くわけでもないことはわかってるんだけど
____以下、AIの出力_____
僕は電車を待って立ちながら、ソーシャルメディアを見てそんなことを考えていた。テキスト中心のコンテンツはなぜか傲慢なオッサンが多い印象がある。そのオッサンはこう書いているのだ。
頭の悪い人の定義は、頭が悪い自覚がない人で、しかも他人が自分よりも馬鹿だと思っている人です。オイラは自覚がありますけどね。
「あー!」と思わず声を上げてしまった。的を射ているように感じて余計に苛つくのだ。
...とそのとき、後ろからドスンと押されたような感覚があった。
「え?何?」
と考える暇もなかった。この駅で止まらない電車が勢い良く走ってきて、ぐちゃぁ、と僕はあっさり死んだ。
===
ズズズ...「接続完了。今から、あなたにルールを説明します。」
何かが聞こえてきた。ここは...どこだ?どこという感じではないな。場所ではないのかもしれない。真っ暗で、意識はある。
「ルール2、過去に発言したことと矛盾することは実現しません。その場合、単に何も起こりません。」
「ルール3、発言内容そのものに矛盾がある場合、過去にあるかどうかに関わらず実現せず、何も起こりません。」
発言...ということは発言する能力はあるようだ。というか暗い。光があればな...
僕はこう言う「光が欲しい」
すると、あたりに光が満ちて、光と影からなる広い部屋になった。部屋の中で座っている自分がいた。
(なるほど、こりゃうかつに発言はできないな...そうだ、こうしよう)
「発言したことがダイレクトに実現するのではなく、このスマホに録音したことが実現してほしい」
さっきのルール説明した人の声がない。「おーい!」部屋の中で声がやたらと響く。
そうか、録音してみればいいんだな。そういって録音機能を立ち上げた。
このスマホの存在は僕にとって重要だ、と直感した。そして3つの録音を追加する。
「スマホがどのようなことがあっても壊れたり傷がついたり破損したりしないようにしてほしい」
すると、スマホは「ゔぉおおおおん」という音を上げて宙に浮かび上がった後、空中でくるくると勢い良く回転した。そしてゆっくり僕の手元に降りてきた。
「じゃあ、試してみるか」
そう言って僕はサイコロの録音を削除した。目の前にあったサイコロは音もなく消え去った。
「なんでもできるじゃないか!これじゃ天地創造もできちゃうんじゃなかろうか?...いや、なんのために天地創造なんてするんだろ?地球にいた頃って楽しかったっけ?」
思い出してみれば、地球は僕にとって良い場所でもあり、嫌な場所でもあった。社会の闇に目を向けなければ割と幸せに暮らすことができた。でも一歩闇を見ると、隠された汚い部分がたくさん出てくる。身近なところから言うなら、ホームレスを人間扱いしない都会人、プライバシー侵害を当たり前のようにやる広告業者、反応が欲しいという虚栄心のために過剰演技をする気取ったクソ女、動物をおもちゃ扱いするペットビジネス。もっと広げるなら、戦争、飢餓、環境汚染などいろんな闇がいくつもでてくる。
と僕は不思議に思った。こういうときに、正しい宗教を信じていればもっと確かなことが言えるんだろうけど、僕が住んでいたのは偶像崇拝で狂ってしまった極東だからなぁ。
ではこう考えてみよう。僕以外の人は全員が哲学的ゾンビで、僕だけが意識を持っている。そのような世界の存在意義はなんなのか。意識のないロボットみたいな存在と会話したり遊んだりして、楽しいんだろうか。いや、人間と区別がつかないなら楽しいんだろうけど、でもその世界は僕のためだけの世界になってしまって、せっかくの「願いを叶える能力」が無駄になるような気もする。
「願いを叶える能力で自由意志や意識のあるたくさんの人間や、その人間たちが住む世界を創造することに、何らかの意義があると言えるのだろうか」
ただ僕は可能性を追求したいなとも思った。つまり無限種類の世界が相互干渉することなく存在する可能性だ。そして僕はスマホに機能を追加して、僕が住める世界に自由に移動できるのだ。
「しかし...」僕はふと思った。例えば善人を地獄に送るような世界もあり得てしまう。これは倫理的に許されるだろうか?
「神はただ一人しか存在しない。偶像崇拝は良くないね。僕が神のフリをするなんて罰当たりだ。僕が与えられた能力でできるのは、僕自身が楽しむことであり、他の誰も傷つけてはならない。」
このルールはいつでも消せてしまうが、とりあえず安全装置にはなるだろう。
さて、僕はこの空間を楽しみたいのだが、どうすればよいだろう。
「たとえば、哲学的ゾンビの美人を呼び出してイチャイチャするとか?意識がないなら倫理的に問題がないのではないか?」
衝動に負けて録音を追加した。
「目の前に、僕がいた世界のアイドルの山田花子の哲学的ゾンビが出現し、僕の言うことを聞いてくれる」
と、やはり言ったことがそのまま実現したのだ。
「あれ、私は一体...ここはどこ?」
「僕とセックスしてよ」
「わかりました」
そういうと服を脱ぎ始め...あとは何があったのか想像してほしい。
「ふう、こんなことして、僕は一体なにが面白いんだろう?」
「私のことが嫌いになったんですか?」と山田花子が言った。
「いや、射精後だからこその発言だよ。こうすればいいんだ。録音。僕は性欲を持たない存在になる。録音。僕は見た目がカワイイの男の娘になる。録音。目の前に鏡が出現する。」
僕から性欲がなくなり、目の前の山田花子に性的魅力は感じなくなった。鏡を見てみると男の娘になっていたが、性欲がないので興奮しない」
「うーん、楽しみが主観だとしても、やっぱ男の娘になったら嬉しいとか、そういう感覚を味わってこその楽しみだし、感覚を奪うってのはやっぱナシがいいかもね。人間として自然な感覚を楽しみたいんだ。」
「整理しよう。僕はもともといた世界の闇の部分が好きではなかった。でも、人間として自然に楽しみたい。ところが、人間というのは僕がいた世界に存在した生物だから、僕がいた世界または近い環境でなければ楽しめないかもしれない。」
確かに、感情や本能や感覚など、そういうものを操って人間とは別の存在になることもできるだろう。でも僕は人間が良いのだ。
結局、なんでもできる能力が与えられたとしても、僕はそれを使いたいとは思わない。今、このくだらない空間にいる記憶を消して、地球、あるいは地球に近い環境で生まれ変わって、人間として普通に人生をやり直そう。でも闇や苦しみの部分にはあまり深く関わらないような人生がいいから、そういう設定にしよう。
「いきなり防衛費2倍」に防衛省OBとか身内からも疑念が出ているが、ここではめんどくせえので防衛力増強するのがいいかどうかは触れないでおく。
しかし過大な予算を付けられた省庁が何をするかの経験は共有されているのに全然言及されていないのがとても気になる。
一見トートロジーだが、要するに余らせないために必要のないことやモノに金をぶっこむって事だ。或いは設備投資などを前倒しにする。
前者の代表はコロナ補助金で作ったイカの銅像が有名で、後者の代表は年度末の道路工事だ。
そうして予算を消化しておかないとその部署は来年度の予算が減らされる。
「イカの銅像」みたいなことが何で起きるかというと、前例が無いからだ。やる事が例年決まっているなら予算が余った時は追加発注すればいいし前倒しにすればいい。
でも前例が無い、若しくは前例で処理できるのを超えた過大な予算の場合は頓珍漢な発注をして金を使ってしまう事になる。代表例がクールジャパン(以下CJ)で、CJ自体は0年代初期から細々と続いてきた政策だが、第2次安倍政権で予算を肥大させた結果、外国のデパートに誰も買いに来ないCJ売り場が出来たり国内の広告代理店に金が流れるという結果になった。「海外への日本文化の宣伝」の方ではあまり成功していないわけだ。「英語の日本文化宣伝チャンネル」には日本語コメばかりが並んでいる。
いきなり防衛費2倍もトップダウンの政策なので下の防衛省の方では予算の「適正な」消化が難しいのではないかと思われる。
適正な消化が出来ない場合どうするかというと、頭を捻って考える、というよりは商社に相談した方が早い。多分今頃各商社が名刺持って営業始めてる頃だろう。
でもその中には役に立たん、怪しい商社や営業も入ってくる。そして後に大きい予算の運転が軌道に乗った時にはそいつらがいつまでも居座ったままで予算を圧迫させるようになる。これは法人取引の粘着性の為だ。
ドライなネット取引などが出来ても新規事業でもなければやや高額でも営業経由で取引するのが主流なままだし、この辺は購買担当や対外的な職務をした事がある人なら判るだろうと思う。営業経由にしないと「営業との相談」が出来ないので担当者には高いスキルや調査する時間が必要で、結果「たかが担当者」を交代できなくなるという経営上のジレンマが出来てしまう。だからネット通販専業のDELLだって法人担当の営業マンは置いている。
そういう訳で調達元と癒着が出来るといけないので役所関係の調達は競争入札式や公開プロポーザルなどにして透明化して役人は接待されるな、ゼロ円入札させるな、という事になっている。
ゼロ円/赤字入札が可能なのは取引の粘着性がとてもとても強くてその後に楽々回収出来るからである。
そんな感じで変な商社や虚業シンクタンクみたいなのと契約すると後々まで切れなくなってしまう、という懸念がある。
とすると大事件のフィクサーみたいだが、なんてことない、防衛省では「あ~、それについてはA社さんと相談してそっちで決めて」っていうのが当たり前に行われて居たのだ。
当時運送会社に勤務していてオフィスプランニングの会社の下請けの仕事が多くあった。
オフィスの組換えで土曜日に居残りした事ある人は判るかもしれないが、例えば床を工事する時に「配線工事の上流ってどこの会社だっけ」とかいちいち考えるのは大変だ。今次作業の発注先の下の会社だったら相手に任せておけばいいが別会社の場合は自分の方で連絡取っておかないと作業日にその部分が出来ずにやり残し、追加作業って形になる。
だから各社の関係者が居る時にその2人で相談して決めたのを参考にしたりって事はままある。
でもこれは前述のように役所がやってはダメなのだ。規模極小であっても官製談合になるからだ。
防衛省の場合はなんというか普通に「相談して決めて」が行われていて昭和の役所っぽかった。それで休憩時間に他の人らと「あれってほんとはダメなんだよね(苦笑)」とか話していたのである。
下働きの我らがなんでそんな判断できたかと言えば、他の省庁では「あ~、それについてはオタクらで決めて…ってうちが言えないから(笑)あとで連絡する」一同ワハハ、ってやり取りがよくあったからなのだ。
しかも六本木庁舎から市谷への大引っ越しがあったのでその前後で大量の追加発注やポンギから持ってきたけどやっぱ不要とか机配置の変更など(セキュリティ高いオフィスではフロア毎のスタッカブルハブを使うので席変更は線引き直しになって大仕事)があって「あれはどこの社だっけ」というのが大量に発生しており「A社さんと相談して」も多かった。
つまり他の省庁が晒されて来た厳しい談合の監視みたいなものがなくてなんていうかルーズ。
そういう感じなので変な営業への耐性とか大丈夫なんですかね?というのは思うところなんである。
最近だとWILLとかHanada誌の周辺で自称防衛シンクタンク、実態はyoutuberやヘイト本編プロみたいなのが防衛省や防衛産業をよいしょしまくるっていう、田舎の水商売みたいな事をやっていて、その結果中に立ち入ったり中で講演したりしているようだが、こういうのも見ると大丈夫か?と感じるところである。自分なんかは営業におだてられたりすると逆に不愉快になるのだけど。
しかもそういうのを「人間誰でも肯定的な人に靡くのは当然だろ」的に擁護されていたりする。いや権限与ってる人間がそれやったら普通は左遷や免職されるんですが。
因みに「外国のスパイ」っていうのは煽てと肯定、腰が低くて実態がある事業の振りしてくるもんですし、ソ連のスパイは右派のサンケイ新聞にいたんですが。
この手の変な自称シンクタンク以外にも「ネットでの評価評判を自在に操作できます」と営業かける逆SEO業者など怪しい業者が手ぐすね引いて待ってますが大丈夫なんでしょうかね?
https://bunshun.jp/articles/-/59414?page=5
暇空茜が嫌だったのはせっかくアホな人を煽り立ててここまで問題をヒートアップさせてるのに冷静に問題を整理されること。とくに優先順位をつけられたらこまる。山本一郎が言う通りこの話は本来そこまででかい問題じゃない。疑獄めいた話が始まってるっぽいけど少なくともColaboに関してはいろいろ情報が出そろったらそこまで問題なかったというオチで終わり、暇空茜は名誉棄損で負ける。ここまでは俺の中では確定事項。左翼連合の陰謀みたいな話は絶対にない。そもそもAV新法は自民党の連中のワンナニカ連合の上川って人が主導でやってた話でAPP研と共産党を結びつけようとするなどはツッコミどころ満載だ。Colaboの会計とどっこいどっこい。それだけもうColabo叩きネタは創作に頼らないといけないくらいネタが切れてきてる。いくらでもネタがあるように見せかけているがもうネタはピークアウトしてる。弁護士連中が裁判まで何もしなければ暇空茜はネタ切れを起こす。
そういう状態になってから山本一郎がやってきた。こいつが出てきたということはもうそろそろ新ネタがないことを把握してるってことだ。いまこいつに出てこられてネタの打ち止め宣言をされるとColabo批判はトーンダウンしてしまう。今起きてる問題が東京都メインの問題ってのにみんなが気づいてしまったらこれまでヒーローだった暇空茜の重要度は激減する。Colaboの問題は後景となり、ここまで育ててきたとんびは議員たちに全部手柄を持っていかれる。なんなら「東京都の問題なのにいつまでもColaboをたたいて金を稼ごうとしてるあさましいYouTuber」みたいな立ち位置にされてしまう。暇空茜からしたらふざけんな今まで誰がくろうしてここまで話を盛り上げたと思ってんだといいたいはず。俺だって同じ立場ならキレる。
最近やたらと議員連中が食いついてきてるのは暇空茜の陰謀論を信じてるからじゃなくてむしろその逆。これColaboじゃなくて東京都に問題があるってことが見えてきたから。山本一郎はおそらく誰かの議員の仕込みだろう。
そうすっと生活保護みたいに「立ち直ろうとすればするほど損になるから、立ち直らないでお国の支援を黙って受けてた方がお得」ってなっちゃうからきっと難しいんよね……
それだと支援の必要な人とコストが積み上がり続ける一方になり、無料あるいは格安で入れる困窮者用の建物を永久に建て続けなきゃならなくなって困るから、現状の日本のハウジングファーストもどきとやらも期限を切ったりとかの条件つけてるんだろうし。
それこそ公営住宅なんていわば縮小版のハウジングファーストと言えるかもしれないけれど、一般相場の1/2〜1/3程度の低家賃で更新もなく一生住み続けられるもんだから、どうなってるかって貧乏人が貧乏人のまま死ぬまで居座って軒並み高齢化ですわ。
外に出てしまえば1.5〜2倍の家賃でせまくて防音スカスカな家にしか住めず、2年ごとに家賃1ヶ月分の更新料をぶん取られ、この際に賃料値上げや建て替えによる退去を迫られるリスクもある。年を取ったらそもそも入居させてもらえるかもわからない。そんな現実をわかっててよそへ引っ越す理由もないから残当と言える。逆にそれをわかってるから外の貧乏人も老後の安心を求めこぞって公営住宅に群がる(ちなみに今都営住宅の募集サイトで倍率見てきたら、立地によって応募倍率がかなりバラけてたけど平均して約45倍だそうな。絶望)。
おんなじことを政府がやったら現状の団地の状況に輪をかけた事態が起きるのが目に見えてるから政府もやるにやれないんじゃねっかなと思います自分は。
それこそ生活保護の受給者が保護から抜け出せないように、3号被保険者が伴侶の扶養内でしか働けないように、現状の本邦の福祉(そもそも福祉全体が性質としてそうならざるを得ないのかも…)ってどうしても「頑張れば、公助を受けてる現状よりもっといい思いができる」ってインセンティブを発揮しづらい。だからいつまでも困窮者は困窮者のまま、福祉を脱する意思を減じてしまう。
そうなるとお国としては一方的に福祉のコストを垂れ流し続ける以外になす術がなくなってしまうから、当然それ以上に手厚い福祉を与えることに二の足を踏む。結局やりますと手を上げてきた玉石混交のNPOや社団法人に個々の対応を端金の補助金でぶん投げて国としては静観するしかなくなる。
「ほんじゃいっそ国費で地価激安の僻地の自治体にでかい団地おっ立てて、生計の見込みのない困窮者はみんなそこで暮らしてもらうようにしたらどうや、仕事できない人を集めるわけだし雇用のない土地でも大丈夫やろ」とかちょっと素人考えをしてみただけで、素人にすら色々と面倒なこと(例えば、そこに暮らす人のインフラとか食料日用品の供給とか高齢化した彼らの介護とか困窮相談および対応とか誰がやるんよ問題など)が思い浮かばれて、「だから国は端金だけ配って知らんぷりしとんのやな」とさじをぶん投げたい気持ちになったりする……
私は、修士課程のころ、指導教員の印鑑を勝手に買って使ったことがある。
他人の印鑑を勝手に使用することは有印私文書偽造罪と立派な犯罪だが、なぜかバレなかった。
その研究室は、専攻分野の中でも際立った研究をしており、かなりの実績を出していた。
担当教員もかなり力のある人物で、設備も充実していたことに魅力を感じた。
研究テーマも、他の学生と全く異なるものを任せてもらい、やりがいもあるだろうと思っていた。
そこで論文執筆や国際学会発表をたくさんこなして博士課程まで進み、アカデミックに残りたいと思っていた。
だが、研究室に入ってすぐ、そんなことはできるわけがない現実に直面した。
まずコアタイムが厳しく、コアタイム外のゼミ会が毎週あったり、それ以外の時間も暗黙の了解で残らせるところだった。
夏休みも学部生が1カ月以上あるのに対しこちらは長くて1週間、春休みはなし。
書かれていないことは暗黙の了解に過ぎないと無視していたら、指導教員直々に「お前やる気なさすぎ」とまで言われた。
雑用当番や研究室行事も頻繁にあり、ただですら研究で疲弊しているところに追い打ちをかけるようだった。
また、研究室が優秀ならメンバーも非常に優秀ですぐについていけなくなった。
そんな中、研究成果をうまく出せず、指導教員に叱責される毎日を送っていた。
指導教員は言うことが頻繁に二転三転するうえ、こちらの意見は全く聞き入れられず、ストレスが溜まっていった。
うまくいかない実験に関しこちらが改善案を出しても一切認めず、ただやり直せと言うのみでにっちもさっちもいかなくなった。
学生相談制度で別の教授と会ったときも「ここまで緩い研究室すら無理なら退学すべき。就職も今は人物重視だから問題ない」と言われた。
学内の相談員も同様に、遠回しな言い方ではあったがやたらと退学を勧めてきた。もしかしてそういう校風だったのだろうか。
そしてある日、ついに限界を迎えてしまい、半ば喧嘩別れの形で研究室を飛び出してしまった。
その後は好きな講義を受講するなど学部生に準じる生活を送っていた。
ところで、私は学内で国際教養を認定するプログラムに入っていた。
それは対象の講義をいくらか受講し、さらに留学すると大学から認定証とともに国際教養のお墨付きがもらえるというものだ。
もちろん国家資格とかじゃないからこれで食えるわけではない。ゆく先々話のネタにはなる程度だ。
ちょうどお金もたまっていたのでそれに応募しようと思った。
しかし、大学院生は何をするにも教授の許可がいる。授業の履修だけでなく休学・退学ですら例外ではない。
もちろん留学にも指導教員の許可が必要で、願書には指導教員の記名押印をもらう必要がある。
しかしその時の私は指導教員と仲違いしており、のこのこと研究室に出て「ハンコ下さい」なんて言うわけにもいかなかった。
実際、これまでのことを謝罪しに行ったことはあるのだが、取り付く島もなく追い返された。
となるとどうにかして印鑑を押してもらったことにするしかない。
研究室へ行くとバレてしまう。ならば指導教員と同じ苗字の印鑑を買って押すしかない。
ダメで元々店に赴くと、かなりメジャーな苗字だからか簡単に入手できた。
指導教員の名前はWordで印字し、買った印鑑を押したら問題なく受理された。
(後で知ったが「記名押印」は印鑑さえ押していれば氏名は印字やハンコでもOKだという。氏名も手書きが必要なのは「署名捺印」)
申し込むとすぐに「学内選考合格。返済不要の奨学金付きで先方に推薦するので応募手続きを進めるように」という返事が来た。
そのまま応募手続きを進めたところ、留学先による選考にも合格してしまった。
ちなみに、一番大変だったのは英文の履歴書と志望理由書の作成だった。インターネットで調べて何とか出来たが。
留学担当部署へ合格を報告すると、選考だけでなく留学にあたり書く申請書にも指導教員の印鑑が必要だとわかった。
ここまできて引き返すわけにはいかないが、同じことをすればいいので良心の呵責はなかった。
こちらの行動がバレるきっかけはいくつかあったが、追及は全くなかった。その原因を考えてみたい。
まず印鑑を使った段階についてだが、これは簡単だ。印鑑を買って押したところは目撃されていないのでわかるわけがない。
書類を受理した側についても、建前上指導教員の許可が必要としているが、実際は印鑑の有無を事務的に見るだけだからだ。
銀行ではないのだから印鑑登録をしたり、その真正性の判定や所有者への確認はしない。
もし不備が見受けられるのなら書類を突き返して作り直しを命令するだけでよい。
受理された後も、書類は関係する諸手続きにしか用いない。つまり用が済んだら即時破棄が普通だ。
そこで一番バレる原因になりそうなのが教授会だ。
国際教養プログラムの担当教員によると、プログラム修了認定の議題を教授会に出したという。
となると、配布資料または口頭で私の名前が出ており、それを指導教員が認知しているはずなのだがなんの追及もなかった。
不思議に思ったので原因をいくつか考えてみた。
私としては、ありそうなのは順に③、①、②だと思う。
確かに指導教員の許可を要する物事は数多く存在するが、そうでないものも多い(証明書の発行、通学定期の購入など)。
従って、国際教養プログラム参加には指導教員の許可は不要と思っていた。
当然、私が無断でやったことにも気づいていない。
講座の受講や留学には指導教員の許可として記名押印が必要である。
指導教員は許可などした覚えがないのに私が勝手に受講を始めてプログラム修了まで至っている。
しかしながら、それを立証する証拠がない。留学の応募書類などを開示してもらうことはできるがこれでも立証は難しい。
(なお、卒業生については事務局が学位・単位の修得状況だけ保有し他は破棄するため、現在は教員による立証は不可能)
私を呼び出して話を聞こうにもいくらでもすっとぼけられてしまう。教授会の開催も私の修了間近と追及する時間的余裕もない。
もし事前に立証できているなら、学科内のエライ教授に話をつけて懲戒処分に持っていけるはずである。
とはいえ、私がこんなことをしていようとも指導教員自身や研究室には何の実害もない。
それに、ヒエラルキーの非常に強いアカデミックの世界だ、こんな不確かなことで騒ぐのはもったいない。
下手に騒いだせいでお偉いさんに目をつけられるとキャリアが台無しだ。
特に、私を大学から追い出さないといつまでも居座られる。ならば研究成果が不十分でも修了判定を出すしかない。
(一応、学生を放置することで在籍可能期間を満了させて除籍に持ち込むことはできそうだが、問題になるのだろう)
大学教員は如何に予算を取ってきて研究成果を出し出世するかが大事。
こんなことどうでもいいし、私がやったことについて調べるのも面倒。
帰国後は残りの単位を修得し、国際教養プログラムの認定要件をクリアした。
学内カウンセラーの方に仲裁してもらい、無事研究室にも戻れた。
研究室には指導教員とは別にもっとエライ教授がいたが、私が不在にしている間、何の前触れもなく退職した。
私以外のメンバーにも退職日や理由などを事前に知らされなかったそうだ。
そういえば私が研究室に入る前、その教授は「近い将来指導教員を独り立ちさせる」と言っていたので、それ絡みだろうか。
研究室に来なくても研究を進められるようになった。連絡は口頭でなくチャットソフトを使うことになった。
研究や生活面、あらゆることでこちらを詰めてきたはずの指導教員も対応が事務的になった。
今までは研究報告でさんざん貶されていたところを、提出したらすぐに「よいと思います」と言われるようになった。
高圧的に命令してきたところが、丁寧語で提案するような口調になった。
「どんなことよりも研究を優先せよ」だったのが、「やりたいことがあるならそちらを優先した方がよいです」と言うようにもなった。
ただ、「発言が二転三転する」と言われたのが心外だったのか、何度も「研究ですので変更もありえます」と言うようになった。
発表資料も何度も突き返されたところを、指導教員が大枠を作り、こちらはデータだけ書き加えればよいことになった。
雑用当番やゼミ会、研究室行事も免除となり、学部生に準じる夏休みももらえた。
修士論文は序論として先行研究に続いて自分の研究背景をまとめ、あとは研究報告書を要約していけば完成した。
その代わり、
・私の研究ポスターや発表実績を外部(研究室ホームページや研究棟の廊下など)に公開しない
・修了間近に私のデスクを片付けに行ったら、そこが荷物置き場になっていた(最も、研究室を飛び出す前からよくこうなっていたが)
など、私をいなかったことにしたいようだった。
学位記授与式を過ぎ離籍しても、就職先への出社日前日まで研究をさせるところだったが、私は修士論文を出した時点で解放された。
(本当はこれ、部外者を研究に従事させているので万が一のことがあった時を考えるとマズいことなのだが…)
結局、修士の学位記と認定証、そして「修了おめでとうございます。さようなら」とそっけない言葉をもらい大学から去った。
(なお、博士課程については、1年次後期の時点で指導教員直々に「テメーはダメだ」と言われたので断念していた)
何のつもりか研究室からの寄せ書きもくれた。数人はメッセージなしか当たり障りのない内容だったけど。
一応研究ノートとかは返してないが、こちらも特におとがめなし。まぁ「門外不出にする価値もない」ってことなんだろうけど。
研究室に感謝する義理もないので、研究室のパソコン内のデータや研究実験用ソフトなどを全消しするプログラムを仕組んでおいた。
バレにくくするため、研究室を去ってから数か月後に全消しプログラムを作成してから消えるパッチファイルだけ入れておいた。
全消しプログラム生成からさらに数か月後、そのプログラムが作動しパソコンがダメになるというわけだ。
今頃どうなっているか気になるが、今は部外者で研究室とも仲が悪かったため覗きに行くことができないのが残念だ。
ところで、私が去った後の研究室や専攻の方針がどうなったのか気になるところである。
私のような学生のニーズに最大限配慮した研究・進路指導をするようになったのか。
街でマスクをしていない人を観測していると、若い女性がマスクをしていない姿をチラホラ見かける。
そして、そういう女性は何となく自分に自信がありそうな人が多い。
そういう人を見かけると、近い将来、10代20代の女性の間で「マスクをしないで素顔を見せることがカッコイイ・イケてる」みたいなムーブが来たりしないだろうかと妄想してしまう。
街でみんながマスクをしている中で、顔が良ければ良いだけ素顔でいると顔の良さが際立つという図式に若くて容姿端麗な女性インフルエンサーが気付き、インスタやTikTokで女性が素顔で街を闊歩するだけのショート動画が流行り、それに憧れた若い女性たちがマスクをしなくなり、次第に「素顔を見せるのがカッコイイ」から「いつまでもマスクをしているのはダサい」みたいな風潮になり、その空気が30代40代女性や10代20代男性などにも広がって、若い女性をメインターゲットにするカフェやアパレルショップでは店内マスク無しOKを売りにする店も出ててきて、韓国あたりでも同じような流れになって、次第に街でマスクをしている人が減っていく……。
こんなふうになったらいいのになと思ってしまう。
colabo以上に大騒ぎになった森友問題やアメリカ大統領選挙不正疑惑だって攻撃側が決定的な証拠をいつまでも出せないで「疑惑は深まった」で終わりだったしな。
もう逃げ切りコースに入られたよ。
新品を買う習慣が抜けない
貧しかった学生時代の反発で就職してから新品を買うのが好きになったが、50代になっても全然変わらない。新品の方が好きになってしまった。新品にはメーカー保証が残っていて、派遣修理を頼むと修理員が説明をする。厳しい給料で開発してきた新技術を熱心に語る。そういうのを聞くのがすごく好きだ。
車も新車だし、服も靴も新品だ。椅子は座椅子。パナの加湿器もテントも大鍋も新品(大鍋は結婚祝いにもらった)。アマゾン専売の和平フレイズフライパンは蓋が別売りなのだが、それも新品で買った。横からおとしたためちょっとゆがんでいてきっちりしまらなくなったが蒸気逃がしにちょうどいい。
フェイルセーフなにそれ、蓋を閉めるたびに自分のミスを突きつけられているけど全然大丈夫。私は本人である。自分の些細なミスを引き受けるのは容易い。その蓋は「本来そういうもの」なのだ。2000円のぴかぴかのフライパンを買い、ちょうど2年したら皮膜がはがれてくるので鍋物用にしてまた炒め物用に同じ鍋を買う。煮込み(圧力)以外はすべてフライパンでやる。なにしろ底面が広いからガスの熱効率がいい(IHコンロは嫌い)。蓋は今日も目玉焼きを蒸し焼きにした。
オーブントースターはなくてウォーターオーブン。餅も魚も焼き芋も揚げないフライも全部こんがり。そういえば最近のコンロは過熱防止がついていて焼き芋ができないが土鍋の焼き芋窯(これも結婚祝い)も捨てずにとってある。
正直にいうと防水シェーバーを買って風呂でつかってたら防水のくせに中身がさびたので、保証期間内だと連絡したら修理よりはともう一セット送付されて来たけど古い方のさびをなんとかみがいたらまだつかえたので新品は未開封だ。つかえなくなったら次にあけて使う。一応過放電という言葉くらいは知っている。だが日常的に使いこんだ道具には特別な魅力がある。
住宅も10年前に買ったやつ。新しくても次々に汚れ壊れていく。修理に何度も業者を呼んだし(エアコン、エアコン、エアコン、ドア、食洗機、LAN、……)下水道高圧洗浄もシロアリ再施工も検討している。懐古趣味というか普通に生きるだけで大変だと思う。
食器も新品のパン祭りの方が好きだ。多くの人の手に渡って届く。百円ショップにはスレート皿とか、普通の食器コーナーにも柵を切っただけの刺身が高く見えそうな皿が売っててたのしいけど食洗機不可。開き直ったように、食洗機で自分を甘やかしながらものを愛している。実家からもらった器は母の顔を想像しながら取り出すこともあるけど、正直食洗機だと手を滑らすこともないのであんまり割らないし20年減ってないから普通にうちんちの皿になった。実家は地震が多い関東北部だからまあ避難といえなくもない。..あと赤い呉塗り?のお茶碗だけは全部食洗機ではがれてきたな。やっぱ藍染め最強。
状態が悪い中古もまた良い。手荒く扱われてきたものには独特のくたくた感がある。ナイロン・ポリエステルでスタジアムジャンパーみたいに暖かいのに身動きしやすい上着。20年前に親の買った正月の福袋からでてきてそこから着たおして親にも「まだそれ着てるの」とあきれられたけどポケットのはしがほつれてきただけだし着ればずっとほっかほかで暖かい。20年前に買った、首にヒモのはいってる色違いペアルックトレーナーも2歳ころの娘が抱き上げられながら首からヒモをすっかり抜いてしまってその娘が成人してから「おまえが全部抜いたからこっちだけヒモがないんだよ」といってくすぐったそうなカオをされる。今日も普通にヒモのない服を着てる。
本は同人誌が好きだ。12年前のジャンルすごかった、プロ漫画家が一斉に頼まれもしないのに二次創作同人誌を書き出してまるで自分で選べるアンソロジーだった。その前のジャンルはすごい人が多いとおもったらほぼのきなみプロデビューしてていやそこに混じろうとおもった自分すごいな?っておもった。プロデビューした方以外もなかなか捨てられないでいる。
そのあと公式アンソロジーがたくさん出るジャンルを見たが、テーマがきまっていたり無理矢理感があったりでいまいちだ。これは公式ということもあってたくさん売れて、そのあと古本にたくさん流れている。こういうのは古本でざっと目を通してすきな作家だけ切り取るのにも躊躇しなくていい。切り取らないけど。やっぱ古書店に放流するけど。資金に余裕ができたらとなりの土地買って書庫でも建てたい。
新しいものというのは、誰にも使われていないものだが特許や開発部や消費者の御沙汰を経て発売されている。自分には後世に残すべきものを見抜く目がない。最大多数の最大幸福は自分の幸福ではないので、選べる余地がある新品から選ぶ。まだ背の高い人が腰をかがめなくてよい台所が安価になってないのがイラつく。ただ古くてもいいものはブックオフスーパーバザールにいって見繕うのだけれど、だいたい見当がつく。
ああこれはまっさらだな、見た目で暖かそうなのに触ったら見た目より暖かくないからだ。
これは手入れが悪く見えてさびてるけど、直火にあたる金属はだいたいさびるから見た目ほど悪くないな。ただそれでもまだ高い。私が欲しいのはとなりの空き地の雑草をボヤにせず灰にするだけのための焚き火台だ。
これはすごく欲しいけどもしかしてもう持ってそうだな。やっぱ持ってた気がしてきた。だれか他の人に買われろ、おまえはいいやつだ。
そして、一番ほしいフィギュアはやっぱりブックオフになんかながれないな。なかなか再販されなくてプレミアついてメルカリで数万してるものをブックオフに売るやつなんかやっぱりいないんだな。
私の生活も歴史の集合であるが、モノは使い潰してどうにもならなくなってから捨てるものなので、めったに中古に売らない(本は放流はする)。
今日も、遠い小型家電ボックスに捨てるはずのモノに「これは遅いLANケーブル」とマスキングテープを貼っておく。さもないとまたゴミ箱をあさって再利用してしまう自分だから。
※追記1
元増田が消したのでなんかパロディが剽窃みたいになっててイヤ。なんで消すん……
おまえも消せよみたいな圧はあえて感じないよ
とおもったら普通にうちの回線が遅いだけだった。LANケーブルェ……
※追記2
「火を消そうとして水をぶっかけるとすごい音はするし灰かぐらはあがるし灰が水に溶けて強アルカリになって金属がさびて見た目が悪くてイヤになって売った」だと思う。
水に濡れた炭の始末にも困っただろうな。キャンプ場は炭をそのへんに埋めるの禁止だし。炭鉱みたいにいつまでも炭は地中に残るし。
婚活頑張れない
女の人が怖い
30年生きてきてずっと怖い
小さい頃からずっと不細工で親にも姉妹にも同級生にも馬鹿にされてきたから女の人=自分を罵倒してくる人というイメージが強い
頑張ってアポをとっても自分なんかが行ったらがっかりするんじゃないかとかまた馬鹿にされるんじゃないかと心臓がバクバクして、なんとか奮い立たせて対面しても心の中では写真と違うとか不細工がきたとがっかりしてるんじゃないかとか不安になって全然会話を楽しめない
だから2回目の誘いをしても返事が来ることはほとんどなく、多くはブロックされている
ずっと不細工な自分が悪いことはわかってる、何度も改善しようとしては失敗した、美容院もナンパセミナーも通った、でも変わらなかった、そうするうちにどんどん歳をとってますます不細工になった
親はどうやら自分のことを諦めたようだ、先日電話したら「もう好きに生きろ」と言われた、いつまでも結婚しないことに呆れ果てたようだ
婚活しないと社会に相手されないけど婚活も結婚もその先には異性と過ごす日々を送らなければならない未来があると思うと絶望する
横断する歩行者がいるのに車が停止しないのを「取り締まる」んじゃなくてちゃんと止まりなさいよと「啓蒙」する目的で。
だから隠れてるんじゃなくて見えるところにミニパトを止めて、警官本人も睨みを効かせるように道路上で車を監視しているの。
まあそういう環境だから当然、車は止まって歩行者を通すんだけど、ひとりのおばさんが何を考えているのか車が完全に停止しているのに「渡って大丈夫かな?」的な感じで右を見て左を見てクズグズしていつまでも渡らないのよ。
もちろんオバサンの位置からも警官ははっきりと見えているわけで、そんな状況で車が動き出すわけがないわけじゃん?
でもねオバサンはそれがわからないの。馬鹿みたいに時間をかけてようやく納得してから歩き始めた。
なんかね、それを見ててやっぱり車は横断歩道で停止する必要なんてないんじゃないのかな?とか思ったりした。
いや、もちろん横断中の歩行者がいれば止まるのは当たり前だよ。
でも、横断するための安全確認で立ち止まってるなら、そのまま車は通過したほうが結局は全員にとって利益があるんじゃないかな?とか思う。
さっきのオバサンも車が通過しきったあとなら安心して横断歩道を渡れるわけじゃない。
それで解決だと思うんだけどなあ。
eternal_reflectionさんへのお返事が長くなったので。
1 代表選手の間に「ジャパンズウェイ」の共通認識がないような
「ジャパンズウェイ的なるもの」は、私の理解だと、コレクティブな、いち早く奪い、すぐに攻撃に移り、前へ前へと攻撃する、いわゆるショートカウンターの種類になるようなサッカーかと思う(違ったらすいません)。
今回のW杯試合後のインタビューなどを見聞きする限り、今回の代表メンバーの中にもこれを必ずしも肯定的に捉えていない選手も複数いた。これは、その選手が悪いということではなく、「共通認識がない」ことの現れではないだろうか。指導者層がこの問題について選手との間にコンセンサスを形成できていないのでは、と邪推をしている。
その邪推の根拠の一つとして、森保監督の選手選定がある。ご本人のインタビューを見聞きする限り、そして私個人としても、「ジャパンズウェイの体現」ではなく勝つための(便宜的な)サッカーだったのではと思うし、勝つことが第一かつ最大に求められる日本代表に関しては当然だと思う。一方で、準備段階ではどうだったか、東京五輪でやったサッカーは「ジャパンズウェイ」的なものだった?違うと思うし、その前の親善試合でも、戦術や選手選定の試行錯誤でもあろうから責める理由はひとつもないが、芯があったようには思えなかった。繰り返すが日本代表は勝利が至上命題(じゃないと話題に上らないからね…)なので森保さんを批判する気にはならない。相手の良さを消すサッカーはねぇ、強いけどね、個人的にはつまらないサッカーやるよなーと思うけど。それは私が思ってるだけで今回とは関係ない話。
ともあれ、日本代表は4年に一回これをやっている。W杯に出られるようになって以降、毎度毎度、一部の選手から「俺の考えは少し違った」が必ず出てくる。「ジャパンズウェイ」という共通のサッカーを作り上げていく気があるようなチーム運営には見えない。繰り返すが選手や監督への批判ではなく、「そういうチーム運営をしている様子がない」という、運営の態度への批判である。
2 そもそも「ジャパンズウェイ以前というか、サッカーの試合における共通認識的な何か」の存在が、「必要だ」ということに、気づいていない選手や指導者(や何なら指導者予備軍の解説者たち)も結構多い気がする。
どちらかというと本題はこちらで、1については単なる試合ごと、大会ごとの戦術論と揚げ足取りでしかない。
示していただいたレポートはサカオタたちの間でも話題になって興味津々にあーだこーだ言ったものだが、あのレポートには割と当たり前のことしか書いていない。当たり前のことを明文化することはとても大切な偉業の一つだと思うが、すでに日本には獲得されつつあることについては比較的具体的な一方で、どうやって獲得したらいいかわからんのではなかろうか…と心配している「サッカーインテリジェンス」とか「考えるサッカー」といったあたりについては、ふわっとした内容だと思う。
我々批判側のブコメにイライラする程度には私なんかよりもずっとサッカーに詳しいのだろうから当然「岡田メソッド」にも目を通しているだろう。あれが今日本にある「サッカー知能獲得メソッド」的なものなんじゃないかと思うんだが、もっと良いメソッドをJFAが確立しているんだろうか。だとしたら私の批判はおっしゃる通りの的外れで偉そうな言説でしかないけど。もう開発済なのかな。それならいいんだけど、もうそのメソッド開発されててそれでこんな感じなんですか?という気もしないでもない。まぁ育成は時間がかかるから…とは思うけどね。
一方でさらに言えば、人選への不信に関しては、主に技術委員長と監督である。お二人とも「サッカー知能を育てる」タイプではないと思うのだ。特に技術委員長の反町さんは、監督がとても上手だが、サッカーインテリジェンスを獲得させるよりは短期的なディシプリンで何とか強いチーム作っちゃおう、みたいな監督だったと思う。森保さんも、反町さんほど極端じゃないにせよ同じタイプの監督だしスカウティングがうまくて相手の良さを封殺するのが上手な「受け上手」な監督だ。人選はそれでいいの?単にコレクティブなサッカーを「仕込む」のがうまい人を選んでるだけなのでは…という疑念がつい。
そして、こちらもまた運営体制への批判だ。代表監督の仕事ぶりを評価するのは技術委員長である。そして技術委員長の仕事ぶりを評価するのは当の技術委員長である。JFAはずっとこの組織で代表チームを運営していて、ハラヒロミが技術委員長だった時に、ご自身で「この体制もあんまりよくないんと思うんだよね~、俺の評価は誰がするのかってなっちゃう」と言っていた。14年に博実さんが退いた後ずっと体制が変わってない。これはあまり良いことだとは思えないのだが、どう思います?
私は横浜Fマリノスをずーっとじーっと見続けている者でもある。マリノスは2014年にシティ・フットボールのグループになって以来、外国人の監督を招聘し続けている(シティの意向でということでもなく、助言を受けマリノスが決定している。強化担当も外国人だったこともあるけど今は日本人)。
最初に来た監督、エリク・モンバエルツは、フランスでU代表の監督などをしていた「育成型」の監督だったからというのもあるのかもしれないが、それこそ練習風景はトップチームなのにこんな基本的なことをやるのか、というメニューがかなり多かった。「来たボールを受ける体や顔の向き、受けるチームメイトはどの場所にいればいいか」など基本的なことを、とても細かく練習していた。練習を見に行くと、顔の向きをしょっちゅう直されている選手もいたし習得できずに力業(走力とか)で何とかしようとした選手も多かった。「そういう基本的な決まり事」の必要性が、慣れによって封殺されてしまっていたのだと思う。
思えばこれはオシムもザッケローニも言っていたことで、どうやらこのレベルで日本は「できていない」と外国人監督からは見えるのだと思う。
ジャパンズウェイはショートカウンターサッカーを仕込むってことじゃないよね?こういう「基本的な知能」を身につけるための育成のメソッドって、ちゃんとあってJFAは理解して実践しているのだろうか。
してるんなら4年後また楽しみではあるんだけど。4年前も8年前も12年前も16年前も、似たようなことを思っていたんだよ私は。いつまでも選手の個の成長頼みオンリーなのは、やっぱりちょっとしんどいよ。組織は何をしてるんだという思いはどうしても出ちゃうわけよ。同じこと繰り返してっから。