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2021-06-03

anond:20210602232244

逆に「専業主夫に、俺はなる!!」と決意して邁進する男のドラマやってほしい。

顔よし家事よし気立てよし、あとは良い女を見つけるのみ!みたいな。

2021-05-14

俺のような二次元オタクオタクからオタクを叩くけどステレオタイプから外れた高スぺオタクも嫌いだしオタク以外がオタクを叩くのを許せないタイプオタクだっていうオタクの話

何でオタクなのにオタクを叩くの?と聞かれたから書く。

オタクからオタクが嫌いなのは当然の心理だ。

オタクってのは根本的にオタクを嫌うように出来てるはずなんだ。

理由同族嫌悪であり、嫉妬でもある。

オタクって本当に風呂入らねーやつ多いし、髪整えないやつ多いし、人間コミュニケーション能力が育ってないやつが多い。

そんな人間は嫌われて当然である。その上自分の痛みには繊細で、他人の痛みには鈍感で、言っちゃいけないことを平然と言いやがる。

から嫌いだ。総合点で社会人としてアウトなやつが多すぎる。これは同族嫌悪である

でも、清潔で、彼女がいて、ファッションに気を遣えて、面白い会話が出来て、社会に認められているようなやつがオタクを名乗るのもそれはそれで気に食わねえ。

当然だ。何が悲しくてリアルが充実してんのに二次元なんて逃避の場に来るんだよ。楽しい楽しい現実エンジョイしろや。

こっちは嫉妬だ。

要するに、オタクオタクから根本的にオタクが嫌いだって話だ。ああ、この場合二次元オタな。ゲームアニメ漫画好き。俺は基盤オタとか切手オタとかああいう奴らの心理は知らん。

とにかく、人生を間違えて何故かアニメ漫画ゲームに生きる意味見出しちまった人間達。それが二次元オタクだ。

人生のどこかで得るべき経験値を得られずに、コンプレックスと無根拠な自信の煮凝りになっているのがオタクだ。

俺はそう思ってる。

自己紹介を兼ねた純然たる悪口なんだけど、オタク能力不足や社会に不適であることを個性と履き違えてるやつが多すぎる。

君っておかしいやつだよね」って言われたら、むしろそれを喜んでしまう。悪口言われてんだぞ俺ら。

そういうのを総合採点されて「キモイ」って評価につながるのが何故わからん

オタクもっと社会迎合するか、世の中に認知されないように隠れるべきだと思っている。

まり最低限社会人として、オシャレして言動に気をつけながら、隠れキリシタンのようにオタ趣味邁進するのが俺の中での良いんじゃねえかってオタク像だな。

何せオタクってのは根本的にキモいんだから、秘匿と隠匿をみんな身に着けるべきだ。

だがまあ、キモくないオタクもそれはそれで最悪なんだよな。やつらはおかしい。

スキルもあってリアルが充実して彼女もいるのに萌えアニメ観て可愛い~なんてほざいてるやつらは全員会社クビになれ。嫉妬だ。クソが。

とまあ、散々オタク悪口言ってるけどサイドとしてはオタクサイドなんだよな。

オタクじゃないやつがオタク叩いて表現規制させようとしてきたり、見下してきたりするのはマジで許せねえ。何様なんだよあいつらは。

学校教室とかで深夜アニメの話してたり「オタクに恋は難しい」みたいなオタク勘違いさせる漫画に出てくるようなやつらはオタクじゃないからどうでもいいけどよ。

とにかく、正常であるってだけでオタクを叩いてくるようなやつらに立ち向かう術を俺達は持たなきゃいけないんだよな。

で、最初に戻るけど。

まり俺はオタクからオタクの悪い面も見えてるからオタク無限に叩くよ。同族同族を叩くのに理由は要らねえだろ。

オタクオタクから精神性の向上なんてできねーだろうけど、社会における上手い立ち回りみたいなのはお互いに叩き合う中でしかまれねえからな。

から叩く。

こういうやりとりが、上のオタクでもない癖にオタクを叩くようなゴミ共に立ち向かう何かを精製するんだ。

高スぺオタクはすまん、嫉妬で叩くよ。この二つが俺がオタクを叩く理由だ。

でも、とにかく、一番の敵はオタクでもねえのにオタクを叩くやつらな。

俺みたいにオタク叩いてるオタクは多いと思うけど、そこはしっかり意思統一して立ち向かうか、上手く逃げるか、上手く利用するかしていくべきだ。

2021-05-10

オリンピック中止に対する違和感

オリンピックをやめろという声が日に日に大きくなっていて、まるで親の仇でも見るかのようにオリンピックを敵視する人ではてブが溢れかえっている。

だが待って欲しい。本当に悪いのはオリンピックだろうか。

かにコロナ蔓延している状況でオリンピックを実行したら、感染リスクが上昇するかも知れない。だが、真の問題オリンピックの開催ができないほど、コロナを抑え込めなかったことではないか。悪いのはオリンピックではなく、まともなコロナ対策ができなかった政権と、未だに財政健全化などという妄言を吐いている財務省ではないか財政健全化などという妄想に囚われず、必要なだけ国債を発行し、休業補償を出してきちんとロックダウンしていれば、今のように医療が逼迫するような状況にはならなかったはずだ。GoToキャンペーンなんてクソのクソ以下だ。論じるまでもない。ファイザーとの交渉にしたって、金をしこたま積めばもっと早い段階からワクチンを入手することもできたかも知れない。政府が金をケチって日本経済全体が大きなダメージを被っているとしか思えない。ワクチンを入手できたのに遅々として接種が進まないのはもはや笑うしか無い。ワクチン注射だけは例外的医者以外にもやらせしかないだろう。もちろん医者以外の人が注射をするには訓練は必要だし、ワクチンを打ってから作業に臨む必要があるだろう。非常事態を乗り切るには通常時のルールを曲げる必要があるのは当然なのだが、現政権必要ルールの変更ではなく、憲法改正などという意味不明ルール変更に邁進する始末である。もしイギリス並みにワクチン接種が進んでいれば、オリンピックの開催のハードルは今より格段に下がっていただろう。そして未だに外出時のマスク装着が義務でないということも驚きだ。現政権の、いやその前も含めて、コロナ対策は本当にクソだ。

そして財務省存在がもはや悪だ。財政健全化の旗印のもと、コロナ復興税まで目論んでるなど正気の沙汰ではない。現在の惨憺たる状況は、潤沢な資金すら投入できなかったことと無関係ではない。この非常事態においてもまだ財政健全化第一なのである財務省としては、今まで散々「財政健全化」などという嘘を付き続けてきたので、いまさらそのシナリオは崩せないのだろうが、もし本当にコロナ復興税など導入してしまったら縮小した日本経済さらに萎むのは間違いない。まともな思考の持ち主なら、国が債権をジャブジャブ発行してきっちりロックダウンしつつも経済規模を縮小させずにコロナを乗り切るという政策をやるはずで、諸外国はそれで上手くやっているところが多い。日本の状況は目も当てられない。

未だにリモートワークをしていない企業もクソだ。業種によってはもちろんできないのは承知しているが、できるのにやらないヤツらは本当にクソだ。オリンピックよりも無用通勤の方がコロナ蔓延に大きく寄与しているだろう。そういう意味では、企業もっとリモートワークをしたくなるような政策全然足りていないとも言えるので、やはり現政権コロナ対策はクソだ。通勤を減らすために公共交通機関運賃税金を上乗せするぐらいの強硬策をとっても良かったんじゃないか。それと同時に公共交通機関への補償金や、リモートワークに必要な資材(パソコンアプリ等)の購入に対して補助金を出すと言った政策もやるべきだった。

オリンピック自身はというと、確かに聖火ランナーリレーコロナリスクを高めたし、実際にやるとなるとコロナリスクは高くなるのは間違いないのだけど、現政権財務省の足の引張具合に比べるとそこまで悪者じゃないんじゃないかなと思ってる。むしろ今はオリンピックに矛先が向いて、本当の敵である政権財務省への叱責が薄れてしまうことが心配だ。オリンピック中止をめぐって議論している場合ではないだろう。

2021-05-04

中国現代文化か…

韓流なんかはやたらと掃いて捨てるほど日本情報で溢れてるんだが、

それに対して中国文化が入ってこないのは本当に不気味なんだよな。

また韓国漫画なんかも、ネット広告に入っている漫画韓国系が多いと聞いて、

なるほどなんか変な雰囲気やノリだと思っていたがあれは韓国系だったのかと得心するとともに、

あいった韓国漫画系は韓流のような日本広告宣伝ラインには決して乗ってこないというところも不気味だ。

さて、前置きはさておき。

中国の喪文化の件である

ウィキによるともう2016年くらいから始まった文化のようだ。

葛優躺」や「我差不多是个廃人了」(自分廃人同然だ)といった喪文化の表情包

この一文だけで、中国若者文化ハイコンテクストさというか、

こんなに中国世界を席巻しておいて我が国ではこんな一文程度ですら解説を多くしなければ理解できないほど中国文化人口膾炙されていないのかと感じる。

1990年代に生まれ若者の一部の、受け身、無関心で、高望みをせず、世間を冷めた目で見る生き方」といった現状があるのか。

「下の世代の子供を養う必要があるとともに上の世代の両親の面倒を見る必要のある集団であり、それに家賃が加わる場合もあり、

 そのため生活上のストレスが大きく、喪文化に染まりやす集団

人民網は喪文化を「精神アヘン」と批判し、喪文化流行がもたらすマイナスの影響を警告し、その背後につきまとう文化侵食を警戒すべきとした。

また中華民族精神を発揮して、挫折や失敗には、後ろ向きに対応して喪文化の際限ない蔓延を許すのではなく前向きな態度で対峙するように述べている。

中国青年網は、人生において失敗や挫折に遭遇するのは必然であり、だれにとっても避けられないことであって、

文化による逃避は実際の問題をまったく解決できず、歪んだ価値観形成するとする。

前向きに対応すれば、困難に打ち勝ち、人生の進む先を発見し、人生理想を実現することができるという。

また中国青年網は、中国若者は喪文化抵抗し、中華民族の偉大さの復興にむけ戦うべきだとも述べた。

2019年1月9日中国網絡視聴節目服務協会は「網絡短視頻内容審核標準細則」を公表し、

インターネット上のショートムービーで喪文化を広めることを禁止した。

これが実に中国真骨頂で、思想すら中国共産党が"指導"していくということだ。

…こういう部分が、日本マスコミ等々が中国文化を紹介することを躊躇う一因であるのかもしれない。

何のことはない。

ウイグル思想改造が喧しく取り沙汰されているが、

中国共産党はウイグルだけ差別しているのではなく、

普く中国人民を平等に"指導"しているだけなのだ

復旦大学経済学博士、林采宜は、喪文化名誉利益を求めず、自らの身を大切にすることを提唱しており、

道教文化体現であって、功利が重視される現代社会への一種の解毒剤だと考える。

澎湃新聞の曾於里は、喪文化の生まれた原因を考え、現代若者が「喪」に走るのは、彼らが進取を嫌がるからではなく、

かつて成功を求めようとしたにもかかわらず、現代社会競争の厳しさなどのさまざまな問題によって成功しなかったためだと考える。

幾度もの失敗と挫折という打撃を受けたために彼らは喪文化の受容層となったという。

文化を通じ、彼らは自らの目標をふさわしく下げ、心情を落ちつかせ、絶望に陥るのを避ける、

これは一種自己防衛方法だといい、曾於里は喪文化悪魔化するべきでないと考えている。



ある意味中国という国家の「鬱病の初期症状」なのかもしれないな。

これを抑圧すれば、パッと見社会という名の会社一時的には復帰できるかもしれないが、

ひとたび「壊れた」ら、全治数十年は見積もらなくてはならないのかもしれない。

まあそれは脇においといて。

中国という国は爛熟期から衰退期にかけて大抵宗教王朝転覆要因となってきたが、

21世紀現代においては、若者文化においてこうした概念が普及することで、

それが一種宗教的な効用を務めることになるのかもしれない。


ところで、利路修である

翻訳で、番組制作に関わってたって前段があったんだな。

例のリアリティーショーは、スマホも取り上げて隔絶させるのか。

あいろいろ"ノウハウ"が蓄積されているんだろう。吐き気がするな。

私生活まで「カネ」に変換させられ、やめれば巨額の違約金。奴隷だなまさに。

家に帰りたい、疲れた、ってことか。

2021年には「躺平学」という概念も登場したらしい。

これはまだまだ日本検索では一切ヒットしない概念のようだが、

これから更に肥大発展する可能性はありそうだ。

若者文化とは言うが、最近読んだ明治期の発展なんか見ても、

若い連中は夢に向かって将来に大きな、バクダイな期待があると思うからこそがむしゃらになって夢に邁進する

楽しくてしょうがなく、強烈な使命感があるからこそ、あらゆる努力が全て自発的にでき、またエネルギーが生まれてくるのだろう。

その夢が中国から失われているとするのなら、

そしてそれを中国共産党が"指導"するというのなら、

スピリッツのない人造成長」の末路を、世界は目撃することになるだろう。

2021-04-29

で、黙々と料理邁進する真面目君は積極奇異恋愛工学徒ともどもまとめて切り捨てられるというわけですね

2021-04-04

anond:20210404174152

「反フェミニストは、もてない独身男(インセル)どもだ!」は鋭い指摘で「キャンセルカルチャー邁進するのはもてない独身女どもだ!」は差別発言なのか、さっぱりわからないし、わかりたくない。バカバカしすぎる。

2021-03-27

ジェンダーフリーの50年後

みんな今のジェンダーフリーの流れってどう思ってるの?

私は賛成だし、このまま進んで50年後がどうなるのか楽しみにしてる。

今の当たり前がどんどん古くなるって面白い

明治維新みたいな価値観の転換点にいると思う。

ということで未来を見てた幕末維新の男たちみたいに(おっとジェンダーバイアスを強調する表現だ)、

未来はこうなるだろうっていう予測を書き残したい。



東京ディズニーランドでも園内アナウンスの「レディースアンドジェントルメン」を「ハローエブリワン」に変えるらしい。

男女を区別しないセリフ。今流行りの、というか世界が向かっているジェンダーフリーの一環。

私はジェンダーフリーには賛成。

「男らしく」「女らしく」を規定されて、違和感をもってきたから。

「男だから~しなさい」「女だから~しなさい」がなくなるのは嬉しい。やっと時代が追いついてきた。

戦時中高度成長期、それ以前の時代に男女を区別してたのは、

そのほうが効率がいいからだろうけど(グループ分けして思考停止すれば、考えなきゃいけない対象が減る)、

もう元には戻らないだろう。

いまの足かせは、40代以上の頭が古いこと。

昭和価値観にどっぷりつかって成長したから、急には変えられないのはわかる。

森元首相発言問題や、炎上しているいろんなジェンダー関連の問題を見ていても、たいてい40代以上の旧世代

じゃあ、パラダイムシフト理論のように、あと50年経過して、

そういった旧世代引退したあとの世界はどうなるの? 

ということで予言

<現状のジェンダーバイアスの例>

鬼滅の刃:「男なら泣くな」「男なら戦え」というセリフ

・昔話:「桃太郎」→「桃花子」バージョンもそのうちできる?それか「桃人」

少年漫画全般:男はバカで単純でエッチ目的邁進する → そう思うとエヴァが新しかったのは少年漫画然とした主人公ではないから碇くん。

少女漫画全般:女は可愛くあって男に好かれて守られて恋愛して結婚したらゴール

サザエさん:お父さんの「バッカモン!」という怒鳴り → もう父権を強権発動する時代ではない → そう思うとシン・エヴァは(略)

・TVCM:男の乗る車はでかくてかっこいい、女の乗る車は軽自動車

ゼクシィパパパパーン花嫁

キムタク存在のものが「男とは」の権化

レースクイーン:今でもいるの?

<50年後になくなるもの予言

・男女別のトイレ → 飛行機トイレとか小さな喫茶店区別がないから、大きなトイレでも男女別がなくなる。

履歴書性別記入欄 → アメリカとかもうないんだっけ? 面接でも性別確認禁止。「更衣室の問題が」とか「制服の種類の確認が」とかもなくなる。

伊勢丹メンズ館 → 名称変えるか、もう男女で分けない。デパートフロア分けもなくなる。単なる「化粧品売り場」「洋服売り場」→そもそもデパートはなくなる?

・男のネクタイ → 女もネクタイするか、ネクタイのものがなくなる。てかネクタイってそもそもなんなん?

オリンピック種目の男女別 → 体重別とか身長別になる?

本屋の「男性著者」「女性著者」の棚 → この区別は今でも意味わからん。男女に当てはまらない作家はどこに陳列されてるの?ブックオフみたいに全部一緒になる。

女性専用車両 → この問題は難しいけれど、おそらくなくなる。

・「美人社長」「美人起業家」なんかの「美人**」 → イケメンとか美人とかの男女別の外見表現はなくなる

男子校女子校 → 共学

かにも色々あるだろうけれど、とりあえず思いついたもの

ジェンダーフリーが進んだら、表現行為は難しくなるかもだけど(「男」というキャラ、「女」というキャラ共通認識がなくなる)、

どうしていくかは私達の腕の見せどころだね。

2021-03-14

anond:20210314215327

知ってるよ

しかもそういうのに限って毎日のように投稿してるよね

そういう極端な例を除いても、他者との関係性の中で趣味に勤しむのか

自身欲望を具現する為に邁進するのかの違いは傾向として見て取れると思うけど

2021-03-08

同じように悩む社会になれという呪い

後輩たちの理想になることは諦めた。

からせめて、少しくらいは続くたくさんの後輩が働きやすくなるように。

今日国際女性デー

本当は、性別なんて関係なく、なるべく多くの人が健やかに生きていける社会になるのが一番だけど、日本というジェンダーギャップが大きい国に生きる女のひとりとして、女性が輝ける社会になりますようにと願いたいと思う。

塩谷舞さんのnote記事を読んで、私も筆を執ってみようと思った。あんな風に前を向ける記事ではないけれど。(リンクのつなぎ方がわからなかったので気になる人は探してみてほしい)

ここ最近、女とか男とか、人生で一番考えている。

小学校の時は、男友達とよく遊んでいた。一番仲良しだった幼馴染は女の子だったけれど、年の近い兄弟がいたせいか、外でフットベースやどろけいに明け暮れていたように思う。リカちゃん人形たまごっちにはあまり興味がなくて、ハイパーヨーヨーミニ四駆は持っていた。そして単純に身体を動かすことが好きだった、そういう小学生だった。

小学校4年生まではスカートが嫌いでズボンばかり履いていたし、つまるところあまり女の子っぽくなかった」のだと思うが(そもそも女の子っぽいとかぽくないとか、そういうのが時代錯誤なのはさておき)、幸か不幸か男の子と仲良くしていても、とやかく言われずに済んだのは幸いだったと思う。男の子と仲良くしている女の子の中には男好きだと陰口を叩かれている子もいたのだが、「まあAちゃんだし」と言われて女子から目の敵にされることはなかった(と、思う)。今になって思えば、女の子たちから「女」と認識されていなかったのだろう。要は、あの子恋愛対象にはならないかOK、ということだ。

中学に入ってもそれはあまり変わらなかった。

お互いを好き合った男女がカップルになったりしていて(同性カップルもいたのかもしれないが、私の耳に入ることはなかった)、仲が良さそうな男女がいれば噂になった。そして私は相も変わらず休み時間は割と男友達と話していた方だったと思うのだが、「Aちゃんだし」という理由特に噂の対象にはならなかった。おかげさまで僻まれることもなかった。

やっぱり、「女」ではなかったのだと思う。そしてそれは私としても自覚している。

そういう環境で育ったので、「男」だとか「女」だとか、そういうものには鈍感というより興味がわかないまま中学3年になり、進学先を決めることになった。私の出身都道府県には、今では珍しい公立の男女別学校があった。こだわりがない故に別学校を選ぶ必要もなかったのだが、当時私を可愛がってくれていた先生が、「あなた絶対女子高が合うと思う」と言ってくれたという単純な理由で、私は女子高を目指すことにした。

結論から言えば、私は本当にあの時にあの女子高を目指した自分を褒めてやりたいと思っている。

ギャルヲタクも皆一緒に学校行事に参加して勉強で競い合って最高の3年間だった。楽しかったというのもあるが、何より変な気を遣う必要がなかったのだ。当時から制服スカートズボンが選べたし、当たり前だが誰と仲良くしていようと噂されることだってなかった。

強くて逞しい人が多かったから、比較して自分の小ささに凹むことはあったけれど、とても刺激を受けたのもまた事実だ。

学校が駄目だと言いたいわけでも、男女別学であるべきだ!と思っているわけでもない。

ただ、あの3年間は間違いなく私の自立心を育てていて、「女だから」は理由にならないし、する必要がないことを学んだ。

日本という国において、絶対に、女子校が担っている役割は大きい。

そういう、とても私にとって意味のあった3年間を過ごし、大好きな分野の学問を学ぶため大学に進学し、こんなにも文理で男女差があるのかと驚いた。

高校では半々とまではいかなくとも、どの学年も大体文系の方が少し多いくらいで、理系女子も多かった。(どうでもいい余談だが私はゴリゴリ文系である自分文系なのでとやかく言えないのだが、何で女子文系が圧倒的に多いんだ?と不思議に思ったものである

入学してから数日、久しぶりに皆で連れ立って食事をし、皆で一緒に次の教室へ移動した。

多分1週間も持たなかった。

一瞬で最初グループからは離れ、ひとりで食堂に向かったら、浮足立つ新入生のグループが多い食堂で、明らかに新入生であろう女子が、ひとりラーメンを啜っていた。

見れば、同じ高校同級生だった。

そうだよなあ、好きにお昼くらい食べるよなあ、と安心し、少し離れたところで同じくラーメンを食べた。彼女とは今でも連絡を取る仲である

女子高を卒業し、大学学部バイト先も女子が大半を占めるコミュニティの中で過ごし、たまたま男女比9:1の会社就職した。

久々どころか人生初の男社会

総合職を選んだ以上、男も女も関係なく業務邁進するのみ!という心意気だったのだが、割と早々にしんどくなって泣いた。ひどいセクハラを受けたわけでも女を捨てることを強要されたわけでもないのだが、「男も女も関係ない」という自分意識と、「圧倒的に男が多い集団の中にいる若い女子」である事実を上手く融合させることが出来なかった。

どうしたって「女」を上手く利用している子の方が可愛がられる。可愛がられたいわけではないが、「女を捨てる」ことも出来なくて(いやしなくていいんだけど)、何とも中途半端位置になり、色んなバランスが崩れて勝手にしんどくなった。

社会の中で女であることに甘えられない・出してはいけないのだというプレッシャーはあるのに、貴重な女子社員として意見を求められるという矛盾した立場にいて、「女」を肯定すればいいのか否定すればいいのかわからなくなっていった。

「女」が主語になるコミュニティで生きていると、自分意識もそれに近づいていくのだと気づいたときが、一番怖かった。

「女は女に厳しい」「女は気まぐれだからやりづらい」「女は甘えればいいと思ってる」「女はすぐ子どもを産むからここから離脱する」「女は…」

前述のとおりあまり「女」としてカウントされない私は、そういう声もよく耳に入った。要は男性がそういう話をしている場面に出くわしやすいし、そういう話題を振られることが多かった。「Aさんは違うけど、」という枕詞を挟んだ上で、「女は…」と語られる。

今でこそ「それ、女じゃなくて〇〇さんでしょ(要は個人の話)」と言えるようになったけれど、しばらくの間は擁護をすれば自分もそう思われるのではないかと思うと怖くて、この手の話題が出た時に否定することが出来なかった。ずっと悔やんでいる。

会社の人が噂をする「女は…」に自分が入ることが怖くて、これは私を少しずつ蝕んでいき、この立場でこの仕事を続けながら「結婚」と「出産」を選ぶことは出来ない、と思うようになってしまった。

性自認は確かに女なのに、自分が女であることを肯定できなくなっていった。

もちろん、活躍している女性だっているし、今の現状に満足出来ている女性がいるのもわかっている。

自分が気にしなければいいのだとも思うけれど、30年生きてきていい加減わかっている。私は他人の声を気にせずいられるタイプではない。

いっそこの業界が嫌いになれたら良かったなと思う。

女性採用も増えたけれど、まだまだ圧倒的に男が多いこの業界を飛び出していけば、もう少し気楽に働けるのかもしれない。

でも、会社のことは変だと思っているし、決して誰もが働きやす会社ではないと思っているけれど、この業界が担っている社会役割だとか、やりがいだとか、そういうのは好きなのだ

から、やっぱり続けたい。

優遇してくれとは思っていない。

ただ、男性と同じところに立たせてほしい。

だってつらい、という声も聞くけれど、男優位に作られた社会で、女と同様男にも悩みがあるだなんてどうして言えるんだ。立っている場所が違うということをわかっているんだろうか。

結婚適齢期で子どもを持つ同期が増えた。「やっぱ子育てもしながらっていうのは大変だよ」と言った彼は、毎日残業していた。彼は優秀な同期で、残業しなければ終わらないような会社の仕組み自体どうなんだとは思っているけれど、彼が毎日残業出来るのは奥さん子どもの面倒を見ているからだ。他人の家庭に口を出すつもりはないし、1人が稼いで1人が家事を行うと決めているのであればそれも良いと思う。

ただ、この状態総合職男性)が圧倒的に多いこの会社で、この人たちと同じようにキャリアを積んでいくには、同じように働くしかないのだ、と思うと、まだまだ社会的に女性が家庭を守るべきという風潮が強い中でそんなことが可能なのか?と絶望する。

キャリア子育ての両立に男だって同じように悩む」と言っていたけれど、本当に同じなんだろうか。

同じだったら何故男女でこんなに差が出るんだろう。

「女は昇進させない」というほどひどい会社ではない。女だってちゃんと昇進できる。ただし、子育てを優先せざるを得なかった人たちの昇進スピードが落ちるから、見渡した時に男女で差があるように見えてしまうのではないかだって男で子育てを優先した人は圧倒的に少ない。子育てを頑張りながら同じように昇進していくことはかなり大変なのではないか。周りを見渡してそう感じ、夜中に大泣きするくらい悩んだ。悩んで、今はとりあえず結婚出産は考えられない、と判断した。

男性も本当に同じように悩むんだろうか。

大多数の男性社員と同じようにキャリアを積めた女性の、独身子どもはいない率に茫然とする。

きっとこの人たちも大変だった。この人たちはもっともっと苦労して、女性活躍できる場を広げてくれた。

ただ、こうでなければたどり着けなかったんだな、と思うと、自分が思い描いていた将来とは違うのだ。

一緒に頑張ろうと言っていた同世代女性が、何人も「もういいかな、仕事は。子ども産んで適当にやっていくよ」と言うようになった。あんなにたくさん将来のことを話したのに、もう話せなくなってしまった。そういう道を選んだ、というよりは、諦めたんだな、と思った。

幸いなことにと言えばいいのか、この会社は「子どもを産んで適当にやっていく」ことも出来る。制度は整っているし、相談すれば配慮もしてもらえる。

子どもを産んで仕事に復帰した女性なんてたくさんいるよ」

そうだ、確かにたくさんいる。でも多分、男性の同期と同じようにキャリアを積んだ人は少ない。

だって私は現時点で、お子さんがいる先輩方を結構な人数追い抜いている。

それでいい、という女性がたくさんいるのもわかっている。でも、それでいい、と思わせるような構造になってしまっていることが、そもそも問題なのではないか

男は、子どもがいようがいまいがほとんどが同じようにキャリアを積んでいくのに。

気が付けば私も、昔の私がその姿を見て茫然とした人たちと同じように、仕事だけを取る方の道に進み始めている。

これだけ家庭と仕事の両立が叫ばれる時代に、家庭を持たずに道を進んでいくことは、きっと後輩たちの光にはなり得ないのだと思う。私が昇進したところで、私が思ったのと同じように「あの人独身だしな…」と感じるんだろう。自分も思ったんだから自業自得なのはわかっているが、なんて地獄だここは。

男性諸君は、諸先輩方を見上げて、「あの人独身だしな…」と思うことがあるのか?女性待遇が上げられないというのなら、いっそ男性も同じように悩む社会になればいい。

そういう呪いにも近い気持ちが渦巻いている。出さないように、細心の注意は払っているけれど。

後輩たちの目標にはなりづらいかもしれないけれど、せめて家庭と両立を頑張ろうとする女性たちが働きやすくなるように、手助けが出来る社員にくらいはなろうと思う。

そもそも平等に働くことさえ出来なかった時代に、女性社会進出の場を切り開いてくれた先人のように、後に続く後輩たちのために粛々と働くのだ。

自分ラッキーなのもわかっている。男性優位な社会で、男が圧倒的に多い会社に、総合職として入れたのだから

それなりに力がある立場になろうと思えばなれる。トップダウンと言われようとも、権力を駆使して変えてやりたい。大企業が変わることは、多分それなりに意味を持つ。

私の心がそれまでに折れなければの話だけど。

日本社会ジェンダーギャップを埋める、ひとつの駒くらいにはなれるように。

なれるかな。

なれたらいいな。

この国に対してくそくらえとも思うけど、たくさんお世話になった人もいるから。

少しでも社会がよくなれば、それが一番の恩返しになると信じている。

2021-01-16

うまくいくといい

知人と知人を会わせている

今の所、3組

なんやかんやで上手くいっていて嬉しい

知人はいわゆる一般人じゃない人らが多いからなかなか出会いがない

そこで私がスイッチハブみたいに誰かと誰かを橋渡しする役目をしている

仕事でも遊びでも

いつもどこでも同じ様なポジションになる

望む望まないに限らずだ

人や世界を繋げるのは楽しい

ただこの役をするにはいっぱい知識経験必要

奢り高ぶる事なくこれから邁進する

2020-12-31

パプリカ」と嵐の「カイト」と米津玄師

アイドルグループ「嵐」2020年いっぱいで活動を休止する。最後テレビ歌唱12月31日の「紅白歌合戦」だろう。

おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソングキャンペーンタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。

本来ならば7月24日東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間一喜一憂しているはずであった。

嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。

また嵐自身活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。

そして国家総力を挙げた一大イベントアンセム日本トップアイドル記念碑を兼ねたこ楽曲トータルプロデュース制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である

まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。

合唱曲としての親しみやす

米津は前年にもNHKタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしプロデュースを行っている。

結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。

バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンス披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴出来事であった。

おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。

ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。

(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)

また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井ラップ二宮が上ハモ松潤が下ハモ相葉ファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。

カイトというモチーフ

なぜ米津玄師カイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体モチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。

同じくNHKテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。

これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである

地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナー冒険心を鼓舞する内容なのだ

対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である

さら面白いのはこのカイト最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。

まりカイトとは未来に向かって邁進する人間のもの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。

カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先から視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。

人は絶えず不安孤独に苛まれ瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイト手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分カイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以垣間見た気がする。

パプリカ」との関係

パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワード散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。

これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。

そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。

パプリカピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較甘味があること等で区別されている。ピーマン実像象徴とすれば、パプリカ子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカ花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れないである。僕の解釈では”パプリカ”もまた子ども次世代を見守りかつて子どもだった自分郷愁を寄せる歌である

よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。

カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。

パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。

これに加えて5人組の子集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。

 

カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカから託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。

そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます

様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂アイドルが抱えるドラマテック感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。

この物語徳島実家から独立ニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。

そして「カイト」はファンにとって嵐からの餞別でもある。

ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーコンサートテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズ存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。

オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的人間感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンス米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。

2020-12-10

anond:20201210072510

ありがとう

ゴリラ公立中に行くなんて!と言われることもあったけど、頑張って卒業たから今の自分がある

これからゴリラ人権活動邁進する予定

2020-11-18

anond:20201117173333

この手のお母さんってすごく多い。

子供が生まれてアホみたいに忙しくなって、旦那に言うべきことも一切言えないでどんどんいらいらを募らせていく、という女性

すっごくわかる、同じ男としてみても育児邁進するパートナーになんの敬意も払えない男性ってすごく多い。だけど同時に思うんだけど、「私が何も言わなくても旦那が全部察するべき、そういう余裕はない」という女性のなんと多いことか。

要は、旦那に対して一切のコストを支払うことなく変化してほしいと思っているわけで、それはそれで不条理だ。結局こういう女性は大爆発したときしか旦那に言うべきことを言えないので、完全に硬直した環境でいうべきことを言ってしまうので、余計にこじれる。

産後クライシスを「産後女性ホルモンバランスが崩れて精神的に不安定になることで起こる」というような自然現象のように言われるのははっきり言って嘘だと思っているし、この理屈はしれっと女性のせいにしていて差別的だ。完全に両者の間のコミュニケーション不全の問題だ。すでに起こっているコミュニケーション不全が女性ホルモンバランスの変化や、急激な環境の変化によって更に深刻になってしまっている、という問題だと俺は思っている。

こういうことをいうと「そんな余裕ないわよ」という女性陣の声が聞こえるし「仕事で疲れててそれどころじゃねーよ」という男性陣の声も聞こえてくるようだが、ここで言うコミュニケーション不全は、もっと以前から言うなれば小学校くらいのときから始まっていると言っていい。日本人コミュニケーション不全を起こすように育てられていると言ってもいいかもしれない。

日本人の中でこういう状況を見たりまさに渦中にいた人は多いだろう。

当然これだけじゃないだろう。思いつくままに書いたのだが、これらはどれもコミュニケーションではない。誰かの言ったことを全く尊重していないのだ。日本漫画とか見てるとこういうシチュエーションはよくあるので、それが正しいと刷り込まれている可能性もある。

自分意見を表明することに対して認知を歪められている。人の意見を聞くことに対して認知を歪められている、と言っていいかもしれない。

どんなにくだらないと思ってもそれは意見だ、きちんと話し合われるべきだ、という常識日本にもたらされない限り、我慢して一方を悪者にして愚痴社会は終わらないだろう。

2020-10-29

若者自殺を止めることなんてできない

ヨーロッパ文化圏なんてのは「自分負け組だー」みたいな劣等感を抱いてる人が少ない

自分はこの能力環境でやっていく、みたいな感じ

一方エリートも、勝ち組だーではなく、「私がこの重責を邁進するのは、自分の使命である」みたいな

日本は、アイツより給料がいい、上級死ねよ、リア充死ねよ、みたいに、

「もしかしたら自分はそこになれたかもしれないのに、なれなかった」という妬みや

「俺がこの地位にいるのは努力たから、この格差待遇は許される」みたいな歪んだ努力信仰がある

これはもうアジア系民族特有問題なのだから若者自殺問題解決なんてできるわけがない

サムライ時代から若者切腹してただろ

2020-10-26

anond:20201026025114

子供の頃になりたかった自分」なんてものにはとうに興味なく、今は「今の自分がなりたい自分」に向かって邁進するのみ。

2020-10-22

anond:20201009232649

いやいや、今日日、他人専業主婦だろうが共働きだろうが口出しする人はいないでしょう。

あなたが人を属性判断しているからそう思うのでは?他人ジャッジはしないに越したことはありません。

専業主婦の方には、家計に余裕がある方もいるでしょう。

でも、子供が多くて働けない人、

介護負担が多い人、

病気を抱えている人もいます

共働きの方には、キャリア邁進する人もいるでしょう。

でも、家計に余裕が無くて、本当は子供と一緒にいたいけれどやむ得ず働いている人、

または貧困のために子供自体を諦めている人、

夫は高収入でも経済DVにあっている人、

人の数だけ事情は様々です。ジャッジするだけ野暮。

選択夫婦同姓/別姓も同じことです。

アメリカでは夫婦別姓を選べても、半数以上が夫婦同姓を選んでいます

「なぜ夫婦○○なのか」と問われるのは同姓の方です。

そもそも夫婦同姓というのは夫と妻の双方が非改姓を選択した結果ですが、

手続き煩雑にするということは、夫婦それぞれ手続きがあるので倍になりますね。

あほらしいことです。

2020-09-04

部活動

部活動」を「部・活動」だと思ってる奴が多過ぎる。

何にも分かってない。

部活・道」だから

クラブ活動とは本質的に違うの。

道の探究なの。

剣道とか書道とか茶道とかと同じ。

根性論とか無駄練習とか今時丸刈りとか色々批判する人がいるけど、間違ってる。

道なんだから精神重んじるの当たり前。

から入るのは当然。

今時とか関係ない。道に流行り廃りなんてない。

エンジョイとかあり得ない。

疲れても怪我しても学業に支障を来しても、道に踏み込んだ以上邁進する以外ない。

それが部活動なんだ。

2020-08-26

anond:20200826121646

いや私が言う必要はないですよ。

だって宇崎ちゃんanan問題だと思っていないから。

問題があるから表現規制をしたい、という人が数値化なり科学的根拠をもって示す必要があるだけで。

今回は、根拠なない規制邁進する危険性を、ananが焼かれる可能性で感じてもらえればいいという趣旨ですから

2020-08-17

毎日じゃないけど、気が向いたとき自分PC開いて文章を書く癖はついてきた

もともと好きなことだったか楽しいし嬉しい

さっきツイッター相互フォローの人がRTかなんかしてたのみたけど、年取ってから趣味がないと悲惨なことになるってあったから、そうならないようにも趣味邁進する人生でいたいな

あわよくば趣味仕事にならないかなあなんて

2020-07-13

anond:20200713043857

ポリコレ=悪の宗教で撲滅すべき」

増田はそんなこと言ってないと思いますけどね。

増田が言ってることは、ポリコレを掲げるなら、自分趣味に対しても教義を全うしてね。

自分趣味BLだった場合BLポリコレに反するんで、自分趣味を捨てることになりますが。

っていう話でしょう。

からBL趣味の人にはポリコレに染まらないことをお勧めしてるけど、趣味さえ捨ててポリコレ道に邁進する人については別に否定してないでしょ。

2020-06-10

anond:20200610134410

育てるのがメインが妻かはわからんやん

増田がこれから専業として育児邁進する毎日を予定してるのかもしれんし

2020-06-06

anond:20200605114324

黒人差別に反対する人が想像する「あるべき社会」はそれぞれ違うしほとんどの人はそんなこと考えてない気がする。カリフォルニア都市部10年以上住んでいて感じるのは、友人や同僚たちが盛んに声をあげるのは、理屈理想に近づくためというより、おかしいことをおかしいと声をあげるのが「義務」という育ちかたをしているのも大きいと思う。だから声はあげるけど、どう解決されるべきかは彼らの責任とは考えていないように思える。ていうか解決策がはっきりしてればそれに邁進するのがアメリカなので、いまだにこんなにマジでひどいっていうのはまあそういうことなんだと思う。

あと、今回のムーブメント個人的体感したのは、「義務」を放棄しているやつは怒られるということ。「声をあげることができる立場にありながら声をあげないのは悪」なんだということ。俺は純日本人マイノリティに属するから許される部分もあるけど、だからこそ声を上げるべきという圧も猛烈に感じてる。おー怖い怖い。

2020-05-04

安倍首相応援しているかしていないかで言えば応援している

https://anond.hatelabo.jp/20200503011104

実は言われるまでもなく安倍首相のことを応援している。しか政治家としての安倍晋三、ついでに自由民主党は全く支持しない。どういうことか。

おれは安倍首相と同じく潰瘍性大腸炎を患っている。第1次安倍政権潰瘍性大腸炎悪化によって幕引きとなったとき、幼稚でバカだった俺は世の他の人たちと一緒に「下痢してやめた」などと揶揄していたものだが、いざ自分がなってみると安倍首相には尊敬の念しか無い。この病気は完治せず、下痢、血便から大腸全摘ぐらいまではトントン拍子に進行してしまリスクを常に抱えた病気である。消化に悪いものを食べず、体に負担をかけず、ストレス下に置かないことが大事だ。そんな中でも重圧に耐え、上記の通り病気揶揄する声がありながらも総理で居続けられるのは並大抵のことではない。

もっと尊敬できるところは、決して病気言い訳にしないことだ。この病気根本治療はできないが対症療法は日々ものすごく進化している。そのおかげでおれはドクターストップから退職寸前までいきながらも、今も定職について生活ができている。安倍首相10代で発症したらしいが、そのころは今からすると治療法に乏しく、内視鏡検査もかなり苦痛を伴うものだったろう。だからそれだけに、そんな苦労を経てでも総理大臣に上り詰めた彼のことを、どれだけ世間から叩かれようとおれは憎みきれない。おれにとってはとてつもなく偉大なヒーローだし、尊敬の念を抱かずにはいられない。

でも、だからといってやってはいけないことはある。消費税増税統計不正からこっち、政治家総理大臣としての安倍晋三は全く支持しない。なぜって、ハンディキャップを抱えているからこそ、真っ当な政治をして成功してほしかたからだ。れい新撰組の人たちとは違うとはいえ、おれの経験からすると潰瘍性大腸炎だってすごく大きなハンディキャップだ。だからこそ、そんな弱さを抱えてなお邁進する新時代リーダーになりうる可能性は決してゼロではなかったと思う。強く断言する場面を吟味し、真摯に学び、専門家意見尊重する。アベノミクス成功し、黒田総裁含め専門家への注目も集まり、景気は回復してみんなが豊かになる可能性はあったはずだ。でも財政政策成長戦略は実行されることなく、なぜか消費税増税だけには固執して、景気は悪化した。ついでに公文書偽造統計不正公職選挙法もろもろ不祥事ばかり起こしている。なんでそんなことになってるのよ。そんなどうでもいいことやってなければ景気回復立役者になれて、どさくさで憲法改正だってできたかもよ?後者は良いかは別として(草案は当然だめすぎるが、それは別として)、目的に対してどうしてそんな迂遠な道を選ぶんだろう。なんで虚偽の答弁して地位にしがみついて、おれはえらいと虚勢を張り続けるんだろう。こうしてみると、病気を持ち出さないのも彼の考える「古き良き日本の強いリーダー像」なのかもしれないと思えてがっかりしてしまう。

上にも書いたとおり、おれは安倍首相応援している。それは変わらない。でもだからこそ、すぐにでも彼には辞任してほしい。もろもろしらばっくれてしまえばみんな忘れると踏んでいるのかもしれないが、後世に彼が良い評価を受けることって、もう絶対にないだろ。今でも遅すぎるとはいえ自分に足りないものを認めることができれば、それなりに浮かぶ瀬もあろうよ。というかそんな社会をおれたちは望んでいる。こんな小さい声は届かないものとは思うけれど、それでもひとり、おれは安倍晋三応援しているし尊敬している。ベストはいかないまでも今よりもベター社会の中で、同じ病気を持つ仲間として安倍さんと生きていきたいと思っている。だからこそ言わせてほしい。安倍辞めろ。

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