はてなキーワード: 赤字とは
子ども子育て支援法では、特定保育・教育施設として、認可保育所、地域型保育事業(小規模・家庭的・事業所内)、認定こども園、幼稚園(給付型)などがある。
運営事業者は、株式会社、社会福祉法人、NPO法人、個人(個人運営は、都市部だと、家庭的保育事業でもない限りないと思う)など様々だ。
また、運営している園の数もまちまちで、株式会社だから多くの園を運営しているというわけでもない。(割合としては多いけど)
子ども子育て支援法は、個人給付のため、園数が増えれば増えるほど収入が増える。
また、株式会社は人件費比率が低めな傾向があり、利益を上げる。
認可保育所ではこの利益を30%以上保持することは許されない。
(そもそも、そこまで余る設計にしていないし、余るなら職員の給与や施設充実などに充てろということ)
しかし、弾力運用という制度があり、自治体と協議することで、新設園の整備資金などに回すことが出来る。
(確か、地域型保育事業だと協議すらいらない。これが地域型保育事業の増えた理由ともいえる。)
その場合、多くの園を経営することで、規模のメリットを享受し、利益を上げ続けることが出来るという算段なのかもしれない。
そのため、現在、株式は有象無象の勢力がひしめき合って、新規開所を競っている。
【良いところ】
株式会社の園は、組織的経営をしていることが多く、園運営に対する費用対効果で効果の方が高ければ、費用徴収はするが、保護者へのサービスも結構してくれることがある。(例えばオムツの処理など)
そのため、保護者と園側のルールが明確で、延長保育料などの費用負担が明確なことが多い。
【悪いとこと】
・保育士不足になると一気に回らなくなる。
採算性の点から、各園の保育士の配置をギリギリにしている傾向がある。
保育所は子どもの大きさに合わせた狭い設備のなかで、大人が働いており人間関係によって、大量退職などが起きることがある。
そうなったときに、一時の赤字を被ってでも保育士を配置するということが出来ない法人が多い気がする。
たぶん、貯めた給付費を前述した新規園の整備費用に回していたり、事務費とか委託費とかいう名目で本部へ吸い上げているからだと思う。
拡大路線を取っている法人がほとんどのため、営業推進部隊はいるが、管理部門が脆弱だったり、前述の人材確保能力・資力がない本部のことがある。
特に子ども子育て支援新制度(H27)以降に、拡大しはじめた法人はその傾向がある気がする。
昭和時代から運営している事業者などは比較的、安定した経営基盤があり、また地元にも根ざした園が多い。
新しい法人も比較的しっかりしていることが多いが、余裕は無い場合がある。
東京近郊以外の法人(京阪神や九州・四国)、一部北関東の法人が都内近辺に進出しているイメージ。(社会福祉法人に限らないか。)
【良いところ】
・余裕のある考え方をしてる。
古くからある園では、運営が安定していることが多く、余裕を感じる。(特に単園または2~3園位を運営している法人)
【悪いところ】
・トップの考えが古かったり、組織として機能不全を起こしていることがある。(特に組織としてのコンプラ面)
福祉とはこういうものだという考えが強い園や、逆にビジネスライクを超えたルールへの厳格性を求めてしまうことがある。
その場合、雇われ園長や主任が問題であるならいいのだが、法人のトップや実務担当者がそういう考えだった場合に、修正することが難しい。(株式のように風評や採算などを超越することすらある)
複数の園を運営している場合、本部機能が脆弱なことがある。また、地方の法人は株式会社に比べてレスポンスが遅い気がする。
また、東京都近辺のニーズを把握しきれていないことがある。(例えば園のルール。株式だとそこは考慮してくる。)
ここで気を付けてほしいのは、株式だからダメ、社福だからダメということではないという点。
認可保育所と幼稚園が違うように、地域型保育や認定こども園も全く違うものであることを知ってほしい。
①幼稚園
一義的には教育施設のため、教育カリキュラムが充実しています。特に絵画や図工、音楽系は保育所などに比べると熟す回数の差だけの効果は期待できます。
一方でほとんどの幼稚園は私立のため、児童が付いていけなかったとしても、徹底的にフォローするということ点では認可保育所に譲る気がします。
これは先生のスキルというよりも、幼稚園はあくまで私立学校であり、出来なかったり、したくないのであれば、園に来なくてもいいですよというスタンスが見受けられるためです。
そのため、事前に保護者にも行事への協力や費用負担を求める園が、認可保育所に比べて多い傾向です。
なお、預かり保育を行っている園が多くありますが、夏休み期間中はやっていない園も多くあるので、働きながら幼稚園に通わたい場合は注意が必要です。
幼稚園と認可保育所のいいところどりのような位置づけですが、結構曲者です。
確かに教育をしつつ、保育も行うという高い理想があり、それを実践している園もあります。
気を付けなければいけないのは、認定こども園は昔は幼稚園だった園が多いということです。(認定こども園は民主党政権時代に高い理想と待機児童解消に生まれた制度です。)
①で書いた考えの法人が認定こども園になった場合、産休を取るときに、実質的な退園勧奨をしてトラブルになったりしています。
今は下の子が生まれて育休を取ったとしても、育休が終わったら復帰するんだから、上の子は育休中も継続して同じ園に通えるというのが現行制度です。
しかし、3歳児神話でもないのに、「一義的には子どもは親が見るべき」という考えのもと、トラブルになったりします。
…何考えているんだろうね、こういう法人。そんなことしても少子化が加速するだけで、最終的には園が運営できなくなるのに寄与するだけなのに。
(この考え、保育園の運営法人でも持っている人がいて、考えを変えるのは大変なことなんだなと思うことがあります。)
いわゆる保育園です。入所可能年齢が低く、預かる時間が長いこともあり、一義的には生活の場であり生活を覚え、人とのかかわりを経験していく場と考えられています。
そんなの当り前だろうという人がいるかもしれませんが、例えば育休明け1歳児で預けたとして、一日12時間くらいいたりするのです。
しかも、大人のように社会のルールや、人との会話・接し方、食事の仕方、靴の履き方…
(もちろん一日の食事のうち2回は家だからとか色々ありますが、働いている親が土日にしていることを毎日保育士がしているわけです。)
そのため、教育(幼稚園のところに書いた絵画や音楽とか)という点では、どうしても熟す回数に差があります。
近年はそこに力を入れる園も増えましたが、一日12時間いる中で、そういったことを行うには、子どもも慣れる時間や訓練が必要ですし、保育士側にも相当なスキルや経験が求められます。
ということは、登園前やお迎え後、土日の保護者にもそれなりの余裕やスキルが求められるという点に注意してください。
(幼稚園は保護者に対して、元々求めています。保育園だけでやれば幼稚園並みの経験、教育が出来るというわけではないということです。)
つらつらと書いてしまいましたが、要は保育所や幼稚園を申し込むときには口コミや友達の話だけでなく、ちゃんと見学に行くんだよ!ってことです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191105/k10012165361000.html
ブコメを見ると、以前は行っていたのにもう行かなくなったの大合唱。
以前はよかったのに、いまはだめだという論調が主流だ。
それにしても、ここまで辛辣にコメントする必要があるのだろうか、と思われるほど、皆揃いも揃って大戸屋に冷たい。
たしかに値段は安くないけど、他の似たような定食屋系チェーン店に比べると、出てくるものがジャンクっぽくなくて、ちゃんとした食べ物になっていると思う。健康に気を使って食べるものを選ぶなら、これくらいの品質で、これくらいの価格設定は、今の物価を考えると、ぎりぎり許容できる範囲では?と思う方だ。
大戸屋屋を批判している人たちは、過去の価格設定で享受できていたサービスと品質がもう受けられないことで憤っているように見える。
フードサービスでは、客にいちど与えたものを剥奪すると、それぐらいの怒りを伴うものらしい。
げに、食い物の恨みは恐ろしい。
英会話学校の講師兼スクール運営をやっていた時、経験3年の東京23区のスクール責任者でだいたい同じ待遇だった。基本給25万/月+ボーナス2~4か月=年収350万~400万ってところ。残業代は管理職なのでありません。でも、立ち上げ責任者ならボーナスははずんであげて欲しいかな。
結婚物語。東京営業所のオープンメンバーを募集します 結婚物語。ブログ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/ameblo.jp/kekkon-monogatari/entry-12539251428.html
結局、結婚相談所や英会話学校のような参入障壁の低いBtoCのサービス業ではお客さんからお金取れないから、従業員にこの程度の給与しか出せない。他社との競争が激しくて差別化も難しいから安値で売って人件費を含む経費を削るしかない。
スクール1校の利益に責任を負う立場になって、この業界にいる限り満足な給料をもらえることは絶対に無いと悟って転職した。
ここから下は自慢。
英語+バックオフィス全部+マネジメント経験アリを売りに何社か経験して、今はインフラ会社でBtoBしかやらずに定年までこの会社に全力でしがみつくつもりでいる。
TEPCOや東京ガスに比べたら規模の小さい田舎の会社だが、それでも地域独占のインフラだ。
ゆくゆくは英語力を活かして海外のインフラ投資案件で働いてもらいたい……という話で採用されたのに今のところ全くそういう話が無くて普通に本社の管理部門勤務をやっている。
年収は、英会話学校の頃と比べて、すぐに2倍になった。もうすぐ3倍になる。
英会話学校の頃は、他社スクールが値引きを仕掛けてくるとすぐにお客様からの退会の申し込みが増えるので、
「ここだけの話で、今回だけは特別割引しますので、何とか続けていただけませんか?」と卑屈に引き留めのお願いをしていた。授業料は赤字ギリギリにして、後で教材や模試を売りつけて黒字にしようと必死だった。生徒に教材を買わせるように指示した外人の講師からは「俺はセールスマンじゃない!」と罵倒された。
今は、「どうしても年度内に工場を稼働開始したいので、なんとか2月末までに供給を開始していただけませんか?」
と客の方から頭を下げてお願いしてくる。
「無理です。最近はオリンピックやなんやらで工事業者の手配も大変なので、早くて来年6月です」
と切って捨てる。ついでに言うと、この客とのやり取りも部下がやってる。部下には定時過ぎたら客からの電話もメールも対応しないように言っている。客は絶対に甘やかさない。部署みんなニコニコ定時帰りが第一。
同人作家になってから貧乏になった。まあ聞いてくれ。具体的には夏冬のコミケに行く程度の活動域だ。移動は飛行機。まず、コミケに行くまでに旅行代理店で予約をするが、飛行機と滞在費だけで10万かかる。そして本の印刷費が3~5万。一部500円、200部でちょっと残るか完売する程度の規模でやってる。そうしたら、ものすごいビンボになった。収支で見ると、10万売れて、経費が15万ぐらいだから、まあ、もう少し頑張れば黒になるんじゃないの? と思われるかもしれない。しかし、オタクがコミケに行くということは、買い物リミッターが外れるということだ。これがまずい。すごい勢いで買ってしまう。呼吸するように500円玉が減る。1000冊も飛ぶ。気が付いたら10万ぐらい使っちゃう。それも1日で。よって、コミケで30万買い物をしてしまうのです。10万収入があっても、45万も使ったら大赤字です。誰か助けて。
違うよ。
そもそもアメリカのナーサリーは基本的に私立しかなくて日本で言う「認可保育園」ってのがない。
なので税金補助がないのでどこも高い。都心部なら月1000ドル以上当たり前。
それで日本の保育園と同等~それ以下のサービスしかしない。少なくとも給食は酷い(向こうは小学校以上でも酷いしね)
日本の認可保育園はそれ以上の金がかかってるんだけど、税金で補ってるだけ。
アメリカも虐待まがいの酷い施設であればもっと安いかもしれないけど。
なので貧困層だと共働きしないで子供の世話を自分でするのが普通。それで食えないなら生保。
或いは保育園に預けないで家に置いて働きに出るのもいるらしい。勿論違法だが(見つかったら子供は保護施設に入るんだろう)
んでそんな1000ドルクラスのナーサリーが待機児童大量にいたりする。
あちらだと「母親の給料は全部保育代で飛ぶか、下手すりゃ赤字だけどそれでもキャリアを保つために働く」って感覚が普通だよ。
それで保つほどの価値のないキャリアなら辞めて自分で子供の世話するだけ。
日本みたいに保育園に子供預けて働けば黒字になるのが当たり前、給料の半分くらいが保育料だとしても高すぎると文句つけるのとは感覚が根本的に違う。
この前、「すぐ打ち切る出版社はクソ。作品を想うならもっと続けてから判断しろ」というような意見をツイッターで見かけた。
流行りのWEB小説→書籍化という流れで、1巻の売上が芳しくなく続刊が打ち切られたパターンだったと記憶している。
別に打ち切り作家の八つ当たりはよくある話なのだが、俺が暇なので分析する。ブログでやってもいいんだけど、割とテキトーだからここでいいや。あとなげーし。
なお、打ち切りにも数種類の理由があるが……作家が女子高生に手を出したとか、レ〇プ描写で連載が続けられなくなったとか、そういうのは排除。
「売れなかったから打ち切り」という場合についてだけピックアップする。
あと、ジャンプみたいに「人気がないと打ち切り」ってのも除外。アンケ至上主義は実は特殊で、ほとんどの出版社は売上で打ち切るか判断している。
人気があるから売れるというナイーブな考えは捨てろ。最近はジャンプですら懐疑的になってきたのがアンケ至上主義ってやつだ。
さてさて、「すぐに打ち切る」というものは悪なのか、という問題だ。ここからは真面目に書く。
仮に悪だったとして、打ち切りは、「誰に対する悪なのか」という部分を考える。
「会社員は作品を打ち切っても給料が出る、直接的に生活に響くわけではない。不公平だ」という論法をよく聞く。
これはかなり偏った見方だ。まるで出版社は冷血な売上主義者で、作家を駒のようにしか考えていなくて、創作者を鵜飼いの鵜に過ぎないと小馬鹿にしているようにすら聞こえる。
だが仮にそうだとしても、だ。打ち切りは出版社にとっても手痛い。
ある程度売れる見込みがあったからわざわざ編集が作家とコミュニケーションを取り、内容を読み、校正部によって校正がなされ、デザイナーがパッケージを作り、印刷所が刷り、取次が配本し、書店が売るのだ。
そんな初期投資が「売れなかった」という理由で全部おじゃんになるのだから、当然「打ち切り」とは即ち「損」となる。
よって、冷血なる出版社様にとって打ち切りは悪だ。「損」は「企業」にとっての絶対悪だからだ。
だが悪ではない面もある。
初期投資が回収できなかったとしても、売れない作品を続けて赤字を垂れ流すよりはずっとマシだからだ。
「作品を打ち切れる自由」は出版社側に担保されているべきものだ。
多用なジャンルの本を作るのも、出版物を多くだすのも、返本制度を利用するのも、立派なリスクヘッジだ。
「打ち切りが可能」というのも、そのリスクヘッジの重要な一角である。
あらゆる点で、出版社というのは「作品が売れない」ことでダメージが受けないように工夫をしているのである。そうじゃなかったら怖くて誰も本なんか出せない。
「多くの作品が売れないのは問題だが、1本の作品が売れなかった程度で揺らぐ」ということはない。それを支えているのは「打ち切り」だ。
「売れない作品を、作家がNOと言えばコストを支払ってでも続けなければならない」という慣習が基本的にないことは、実はものすごく健全なことなのだ。
付記:上の文章、作品を完全に商品としてとらえていて、作品に対しての情や尊敬が全くないように見えるが、
そもそも「情」や「尊敬」なんてのはあるのが前提のもので、「特定作品が特別好き」でなければ仕事をしない編集など出版人失格だということは抑えておいてほしい。
面白いと思ったから出版するのだ。売れると思ったから出版するのだ。社会人として可能な限りの努力をした上で売れなかったから、打ち切るのだ。
次に「打ち切り」が「読者に対する悪」かというとNOだ。
何故なら売れていない作品というのは、それを商品として欲しがる人間が少ないということ。
だったらその作品を続ける労力を売れる作品=読者が欲しい作品に回した方が多くの人を幸せにできる。
正直、続きが見たかった作品が打ち切られたら出版社を恨む。キャラクター達の行く末をずっと見ていたかったのに!と怒り狂う。
だが、そこはその分の労力を作家も編集も「よりレベルの高い好みの作品」を提供するための準備であると割り切るのが互いにとって一番いいと思う。
とはいえ権利だけ抑えてWEBから作品削除させて続き打ち切るようなのはマジ許せんがな!うおお!
ここを書きだすと原稿用紙100枚くらいになるからやめることにする。
実はこれ、明確にNOと言いたい。
「売れないものしか作れないのに人生を浪費するな」という言葉だ。
実は本が売れないと、作家は生活できないのだ。「知っとるわ」と言われるかもしれない。
だが、原稿料は、安い。本当に安い。原稿料だけでは食っていけない。
なろうのようなWEB小説をまとめて単行本化するものに関しては、そもそも原稿料というものすらない。
だからこそ印税がある。印税があるから作家は食っていける。いや、大体の作家が食っていけない。だから兼業だったりバイトをしていたりする。
根本的に、
なのだ。実は、金額という意味だと作家と出版社の最低目標は釣り合っていない。
初版2万部の本を1000円で刷るとする。これ、今の大抵の出版社にとっては悪くない話である。全然採算がとれる。(初歩の話をすると、出版は「刷った段階で」、その分の「刷った部数だけ」売上と印税が出版社と作家に発生する)
だが、作家はそうも言えない。印税は10%だとして、200万円しか収入がないことになる。(かなり単純な計算だが論点がズレるのでカットする。そもそもみんな10%印税もらえてるんですかね……)
だからこそ作家業というのは割に合わない。ものすごく残酷なことを言うと、打ち切りレベル作家、そして打ち切りラインとまではいかないまでも、
なんとか食らいついていけるレベルの作家は、早めに諦めた方が人生を有益にする可能性が高い。価値観は人それぞれだが……
暖かい言葉は、「次の執筆のために早めに損切ができたね」という言葉だ。
実はダラダラ続けた場合の方が、作家にとってダメージはデカいのだ。
大きな前提がある。
『ありとあらゆる作品は、同じタイトルである限り1巻が一番売れる』
これは絶対だ。例外はない。あったとしても、マジで例外中の例外でサンプルにするべきではない。
作品の売上は、どんなに売れる作品でも絶対に1巻を先に逓減していく。
だから「1巻2巻が全然売れなくても、打ち切らないでくれ。続ければ売れるかもしれないだろ」という話は、まず破綻している。
もちろん、例えば続けているうちに時事ネタと噛み合ったとか、SNSでバズったとか、そういう意味で続けている途中で「1巻から」売れることはある。
だが、そんな「続けているうちに売れた」とか言える程度の時間が確保できている時点で、速攻打ち切られる作品よりずっと多くの売上は叩きだしていたということは覚えておいてほしい。
要するに、「続けたら売れる可能性がある」なんてのは初めから全ての作品の前提に入っていて、その上で見込みなしだという最低ラインを割ったと判断されたから打ち切るのだ。
加える。
「初版を決める上で重要なのは出版社ではなく数字しか判断材料にしない取次」
「取次と出版社はほぼ全ての出版社の出す本の売上を共有している」
これは、まあ最近は知れ渡っている話なので別に細かく説明することはないだろう。
だが、もう一つの事実がある。それは「取次は最新刊のデータを元に交渉をする」ということである。
上の二つを組み合わせて、「最初の方売れなかったけど打ち切らず続けた場合」どうなるか、ということを考えてみる。
『2万部の本を刷った。だが20%しか売れなかった。よって取次と出版社の会議の結果、2巻は刷り部数を減らし6000部で出すことにした。
2巻、6000部のうち10%しか売れなかった。しかし、打ち切らずに3巻は3000部で出すことにした。
3000部のうち、8%しか売れなかった。しかし、打ち切らずに4巻を出すことにした。部数は1000部……3%しか売れなかった』
上の流れを経た後、例えば別の出版社で企画をやろうとするとしよう。すると、取次的に見るデータはこうなる。
『1000部刷って、売上率は3%』
散々な数字だ。ちなみに上の数字はかなり極端に書いている。1000部の本とか紙代や印刷代すらペイできないから、まず刷ることはないし、%もかなり適当だ。
さて、話は戻るが売上率というのは、刷り部数が少ないと減るのだ。
上の事例を経た作家が次の作品を出す、となった時起こる事態はこうだ。
『出版社的にも、次の作品を出すとき、企画を立案する時、「でも1000部刷って3%の売上しか出てないけど今度は売れるの?」という追求を躱さなければならない』
『そして、取次はもっとシビアに、最新の数字だけを見て、そもそも初版を刷ることを許してくれない』
長くなったが、要するに「残念な数字を残すくらいなら傷が浅いうちに撤退した方が次に繋がる」構造なのだ。
おっと、賢明な人なら気づくだろう。「でもそれって電子書籍版の売上が入らないよね?」と。
「8割方、電子版の売上は打ち切り判断のプラス材料にならない。何故ならほとんどの出版社には、各ストアの電子売上を合算しデータとして参照できる能力がないから」
これは怠慢というよりも、現状の電子書籍ストアと出版社の、さらに言うなら業界全体のシステマチックな問題で、解決するには多大なコストがかかる。言いたいことはあるだろうが、すぐには是正できなさそうだ。
長文になってしまったが、「打ち切り」には多くの事情が絡んでいることが分かったと思う。
「打ち切り」そのものは、残念なものだ。できれば、そうならないでほしい。
出版社の努力不足、作家の努力不足、書店の努力不足。言い始めたらキリがない。
でも、過去に打ち切られた作品のケアよりも、未来を見据えて新しい作品を創る方が、現環境には見合っているように思える。
作品にとっては悲しいことだが、逆に言うと売れない作品のキャラクターと話に縋らないといけないのなら、それは商業作家ではない。残酷ながら。
書きたいものだけ書いていたいなら、同人誌でやるなり、それこそなろうにでも再び投稿して、自分を満たしていけばいいと考えている。
(本当、権利だけ持っていくのやめてほしいんだけどね)
どうすんの?
これまでも昼の番組でやたら札幌叩きされてたし、明日から楽しみだね。
多分こんな感じで叩かれるよ。
面白くなってきたな。
購入した商品がいろいろ欠陥だらけで、それを一切触れもせず、その写真も巧みにわからないようにしてした。
問い合わせたら返品はしないと。
購入者は購入者で値下げしろ、値下げしろって乞食かよ、カスすぎる。自分はしないけど。
運営者もマジでカスすぎる。マジ無法地帯。意図的に無法地帯にしてんだろ、だからフリマ界の西成なんて言われるんだよ。
儲かればなんでもいいのかよ。
そのうちの一つが「道徳なき商業」だ。おまらえの存在意義は悪でしかない。さっさとビジネスなんて辞めちまえ。
国内じゃメリペイってのもあって、そちらもいい感じに赤字垂れ流してるらしいな。
使うわけねーだろ。おまえらみたいな「道徳なき商業」やっているような企業、どうやって信用するっていうんだ?
外国に比べて人口比でベッド数が多いから、減らすってアホじゃないのか?
日本は、限界まで生存期間を延ばそうとして、既に四肢が拘縮している高度の認知症で発語も追視もできない高齢者に平気で胃ろうを作るのが現状だよ。
医療側は生存期間をできる限り延ばそうとする。なぜなら、それを患者側、特に患者の家族側が望むからだ。
生存期間をできる限り延長しようとすれば、そういう患者が増える。そういう患者が多くなれば、在宅介護は無理だから長期入院になる。
日本は外国に比べて在宅での介護力が低いからこうなるんだよ!それも当たり前だ。上記のような患者を在宅介護なんかできるわけがないんだから。
要するに、できる限り生存期間を延ばそうとする治療行為を止めさせることが最も必要なのに、ベッド数を削減なんて全く方向違いの政策だろう。
寝たきりの状態になったら、原則的にすべての内服薬を中止するように勧告せよ。
透析治療は1年までを期限として、1年以上継続する場合は保健診療ではできないようにせよ。
75歳以上の抗がん剤治療及びがんに対する手術/放射線治療を保険診療から削除せよ。
根本的な原因に目を向けずにベッド数を削減なんてことを断行したら、生存期間を延長させることを要求する患者家族側と医療側の溝が深くなって、もっと医療不信が強くなるだけだろうが!馬鹿じゃないのか!
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191028/k10012153731000.html
去年まで何度か出店出してたけど、頑張って美味しいもの作れば作るほど
仕組みとしてはこう。
となるわけないので、1回こっきりの売り切り勝負。
やたら「○○金賞」みたいな登り上げてたり、松坂牛!みたいな
素材訴求になるのも、それが一番売れるから。
1回、他の店と共同で出した時に、
「唐揚げに使ってる鶏肉が地方の農協か何かの金賞取ったから、それ看板に書きましょう」
みたいな話があって、詐欺かよとおもったけど、それ書いたらバカバカ売れる。
その前の肉の方が美味い確信あったけど、切り替えて正解。
あと、出店料が数万円〜100万くらいまで(たぶん、もっと高いところもある)
かかるので、2〜3日間で効率良く売れないと大赤字を食らうことになる。
500円のもの売るなら、2000食売らないと100万にならない。
3日で2000食をだいたい時間に直すと1日8時間として時間85食。
まあ、ピーク時とか売れる時は時間300食とか余裕で出るんだけど、
包材も持って帰るとクソ場所とるし。
3日間くっそ寒い中で外に立ってバイトの時給さえ、まともに稼げないとかマジである。
そうすると、当然リスク取りたくないから極力原価の安いものを使おうって話になる。
・原価が粉もので1割以下
こういう話書くと「店の看板背負ってくる屋台は大丈夫じゃない?」
と思うかもしれないけど、それも無い。
美味いもの食いたいなら行かない方がいいよ。
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フェスでありそうなやつだなーと俺が思ったからまとめちゃったけど。
催事のモデルはおそらく試食→持ち帰り物販とかの動線がしっかりしてて
おそらく客単価も物販含めて3000円くらいまで見込めそうよね。
今回の出店したところは出店は慣れしてたけど、催事慣れしてなくて
>出店でも有名シェフの店は美味い
これは、おそらく「招待枠」の話やね。
すべてのフェスがそうではないけど、フェス自体の客引きになるような超有名店は
出店料無料とか逆に最低保証を負担してもらって出るケースとかもある。
うちの店がそこまでどメジャーじゃなくて、招待枠獲得できないだけの
僻みでしかないけどさ。普通の飲食店が出すメリットは少ないよね。
ラーメン屋さんとかは、ふらっと行けるから、もしかしたら宣伝効果はあるのかもね。
読んでもなんにもためにならないただの愚痴&まとめです。
会社の内情を知れば知るほど、自分の父親がいかに適当で無計画な経営をしているのかがわかり嫌になっていく。
黒字経営を20年以上続けていることを日ごろから自慢しているが、実態を見てみれば不動産の賃料収入で黒字になっているだけで本業は赤字。その不動産も祖父の代で建てたものばかり。
製造業に近いことをやっているが、所有設備だってほとんど祖父の代で仕入れたもの。
父の代で設備投資なんて本当に必要最低限しかやっていないし、不動産もなんの手入れもしていない。
自分の代できちんと建て替えてこっちに引き継いでくれるならまだしも、そんな金は貯まってない。
築50年でもうボロボロですけど、使えるだけ使って自分はハイさよならなのか。
祖父から引き継いだだけの不動産収入で有能な社長を気取ってるのが滑稽。
仕事に関しても、人の粗探しが上手いだけで、実務は何もできないし知識も20年前の基礎知識だけだし、適正な判断ができない。そもそも判断をしない。
何か問題が起きても
「こんな状況じゃいかんだろ!」
「なんとか解決しないといけない。」
言うだけ言って解決策は示さず、というか示せず。問題の1年先延ばしは当たり前。
自分の年齢がもう65を超えているから、「それは私の代で決めることじゃないので」などといい様々な決断を回避しているが、引退の時期については徹底的に明言を避ける。
不妊治療のため仕事を辞めさせられた増田は、「生産性がないものにお金を出せない」と主張する夫から経済的DVをうけている。独身時代の貯金の大半は共同出資のタワマンの頭金に消え、残りの残高とともに、増田の物欲も枯渇していった。
ご近所づきあいが一切ない新築入居のタワマン社会には、この状況を相談できる知り合いができにくい。同じフロアの8部屋のうち、顔を知っている人はひとりもいない。
ある日、同じフロア共用の24時間対応ダストステーションに、ゴルフバックが3つ、中身ごとおかれていた。「*粗大ごみです ごみ料金シールを貼って出してください(3Fのサンクスに売っています)」と赤字で書かれた紙が貼ってあった。その状態が、3日も続いた。増田はゴミ清掃スタッフに同情し、逡巡した。その粗大ごみを一度家に持ち帰ることにした。夫は毎週末に1週間分のレシートを照会して、1円も使途不明金がないことを確認する人だ。かわりに粗大ごみシールを貼って置きたいが、夫に却下されるだろう。
増田はそのゴルフバックを、4LDKの空き部屋に置いた。夫はまったく気づかないようだった。
翌朝、ポストに不用品出張買取の業者の広告が入っていた。増田はすぐに電話をかけ、「夫が叔父からゴルフセットを一式もらったのですが、いらないんです、でも処分方法がよくわからなくて」と説明をすると、業者の弟がやっている中古ゴルフ用品買取業者が見積もりにくることになった。見積もり結果は7万円。身分証明書の写しとの引きかえに、そのまま現金を置いて行かれた。増田は驚いた。ごみが7万円になったことにも、突然自由に使えるまとまったお金が降ってきたことにも。
翌週、偶然テレビでフィリピンのスモーキーマウンテンを特集するドキュメンタリーを見た。ゴミ山からお金に換えられるものを探し当てて生計をたてるスカベンジャーというひとびとを知った。金銭的には不自由でも、心が自由である彼らをうらやましく思い、増田は自分が心身不自由であることに自覚したのだ。そしてメルカリやヤフオク、フリルなどのフリマアプリの存在を知り、ある決意をした。
増田は、ほかのフロアのダストステーションにも出張するようになった。増田の住むタワマンは、58階だてで、6階以上が住民用フロアである。増田は1~8階、45~50階にとまるエレベーターに乗れる。
白いエプロンを着て「ボランティア」と書いた自作腕章をつけていくと、ゴミの分別ボランティアと思われるため、ほかの住民や清掃スタッフに会ったとしても、一瞥されるか、「お疲れ様です」といわれるだけだった。
・嵐のツアーグッズ 5万円
・ヒステリックグラマーのデニムパンツ5本 合計6万円ぐらい
・ヒステリックグラマーのTシャツ 10枚あわせて9万円
・浦和レッズのグッズ一式 7万円
・ヴィヴィアン・ウエストウッドのストッキングセット 7000円
・アムウェイのなべセット 16000円
・ウシジマくん 1~28巻 6000円
・ミニクーパーのグッズ 15000円
・コーヒー浣腸の付け替えパーツセット 14000円
51階以上はメゾネットタイプ、ペントハウスになっており、増田は入ることができない。しかし、増田は非常用階段からの闖入に成功。
メゾネットフロアには2階ごとに3部屋あり、非常用階段とつながっている各部屋ごとのゴミ捨て場がある。51・52階は3部屋とも人が住んでいなかった。香港の業者を経由して買ったマレーシア人かシンガポール人が持ち主であることを告げる書類の写しが捨ててあった。
53・54階も同様だが、うち一部屋には定期的に生活のにおいがした。ブルーボトルコーヒーの紙袋と、RF1のサラダの残飯と、コーヒーがしみ込んだ今治タオル、中国語か台湾語の新聞がスワンナプームエアポートの紙袋に入れて捨てられていた。外国人の別荘なのかもしれないなと思った。
・クリスチャンルブタンのキンキーヒール 2サイズ(箱あり)と空箱1つ 合計5万円
・SK=2のトラベルセット 7000円
・新羅免税店の密封パック入に入ったままのディオール化粧品セット 1万円
そのころ、メルカリの現金出品がニュースで取りざたされていた。
同時に、身分証明書と実住所と銀行口座の名義が一致しないと送金できないといわれる業者が増えてきた。
金額によってはマイナンバーカードの提示が求められるようになった。増田は潮時だと悟った。
増田はフリマサイトの売上金の受け取りを、唯一残していた旧姓の口座に指定していた。母の葬式にも来なかった父が、子どものときに開設してくれたJFマリンバンクの口座。この2年半で、7桁の数字が刻まれるようになった。都心では使えないと思っていたマリンバンクは、ここ数年でコンビニATMとの連携が進んでいたことに気付き、増田は大きな一歩を踏みだす決意をした。
離婚はすぐに成立した。「家、買った時より高い値段で売れてよかったですね」と弁護士は言った。来月頭には増田の取り分が入金されるらしい。売却手続きを進めてくれた司法書士は、増田の元夫が横浜に転勤になり、武蔵小杉にある新築タワマンを買ったと告げた。そのマンションはのちの
でも使わなければ、この国の政治家(地方も国会も)には届かないんだろうな…
何なんだ。この世の中…
心が痛い。悲しい。
コメンテーターとして出演していた橋下徹さんによれば、「下流の都市部を氾濫させないために、上流で川幅をあえて狭めて決壊させている…」
下流地域の人たちは犠牲になった地域の人たちへの感謝を忘れるなと。
海なし県で生まれ育った人間として辛い現実であるが、橋下さん、勇気を持ってこの国の闇にメスを入れてくださったことに感謝申し上げます。
確かに、都市部で大災害が起これば、経済損失は大きいし、そうならないように対策をする。これは橋下さんの仰る通りその通りだと思う。
その中でも特に、花角英世、中原八一、篠田昭、塚田一郎、石﨑徹。
この輩ども3人は、選挙の度にこう言う。
「新潟の拠点性を向上させる」「新潟冬季五輪を」「上越新幹線新潟空港延伸を」と…
しかし、彼等の口からは一言も治水行政、特に上流地域への配慮の言葉を聞いたことなど一度もない。
信濃川水系の下流に当たる新潟市が水害の被害にならないように、我々長野県の県民や行政は、上流にいる人間の責任として治水対策について激論し、浅川ダム建設等自分達の出来る範囲のことで努力してきた。
このようにして、新潟県、特に新潟市を始めとする下越地方の人たちの生命と財産は守られている。
その裏では、我々長野の人たちは今回の決壊で、いろいろな意味で犠牲を背負ったのだ。
これだけの災害なのだから、大切な人を亡くし、家族の大切な思い出を川に流された…
そのような人がいてもおかしくないと考える。
下流にいる人たちは、上流の人たちの犠牲の上に、安全な生活環境や経済活動が保証されている…
今後、地価の低下や風評被害が何らかの形で表面化し、立ち向かわなければならない運命にあるのに…
話が反れるけれど…
新潟市は、これまで多くの地域の犠牲の上に発展し、80万の政令市まで上り詰めた。
国鉄の大赤字やオイルショックの最中であったのに、上越新幹線は造られた。
大した苦労をする事なく、易々と手に入れたのだ。
浦佐駅や、上毛高原駅など明らかに利用者数が少ないのに、どの駅にも待避線を備えた2面4線の豪華に造られた。
ホームドアだってこの時代には熱海や新神戸に既に導入されていたのに、わざわざ浪費をしたのだ。
そのツケが、国鉄解体と民営化に繋がり、その後建設された整備新幹線沿線地域には並行在来線の運営を押しつけられたのだ。
長野の場合、あるパターンでは運賃もJRだったら240円で済むのに、しなの鉄道になったことで同じ区間を350円払う必要がある。
長野だけではない、北陸新幹線沿線の、上越糸魚川、金沢など整備新幹線沿線の地域では同じように値上げで悲鳴を上げている。
しかも、長野県ではフル規格にするのかミニ規格にするのか、時の情勢に引っ掻き回され、振り回され続けてきたのだ。
それによって、いくつも疲弊した地域、地域間に確執が生まれたところも現実問題としてあるのだ。
そして、あえて言わせてもらえば、20年経ったいま、その影響が顕著に現れている。
JR東日本管内では、モバイルSuicaで鉄道を利用すれば、最大で5%、ポイント還元でキャッシュバックされるようだ。
しかし、長野ではSuicaは導入されておらず、住む地域によって格差が生まれている。
随分話は反れてしまったけれど。
そう考えたとき、選挙に於いて上流地域の治水問題に一切触れることなく、新潟の拠点性の向上などとふざけた戯言をよく言えるよね。
中原八一も花角英世も塚田一郎もいつもいつも上から目線ですよね。偉そうに。
被災地出身の者からすれば、はっきり言って、新潟市、死ね!、ふざけんなよ!、なめんなよ!
あんたたちが、安全で生活が送れているのは、上流の人たちの並々ならぬ努力の結晶なんだからね!
感謝しなさいよ!
上流の人たちの犠牲や苦しみ、悲しみ、涙や汗が流れていると言うこの事実の上に、新潟市が水害に強く経済活動できているということを忘れるな!
今回決壊した箇所には少なくともスーパー堤防及び貯水池を、氾濫が確認された地点には貯水池を、国と新潟県及び新潟市に全額負担させる事を前提に早急に整備計画を策定することを求めます。
今回の決壊で、我々は犠牲を強いられたのだから、これは当然のことですよね…
長野県民も、下流地域の首長がふざけた言動をしないように厳しく目を光らせ監視する必要があります。
市民ファースト、県民ファーストという意味でもこれは当然のことです。
新潟県や新潟市が、財政難だからと言ってしらを切るようなことを新潟市の犠牲の下にある被災地出身の者として絶対に許すわけにはいかない。
勿論、新潟市の住民に痛みが伴うかもしれないし、財政破綻するかもしれない。
しかし、新潟県や新潟市は華々しい政令市を妄想して無計画に市内の至る所に大型ホールなどの公共施設を造りまくり、無駄であると指摘されている県立病院もきちんと見通しを立てることなく建設され…都市高速並の8車線国道バイパス網が整備されていて…
そのしっぺ返しとして、いまの財政難に陥ったのだから、財政難を理由に補償金支出は出せませんというのは、言い訳に過ぎないのである。当然だよね。
確かに、花角知事や中原市長は、財政再建に向けて給料とボーナスを20%削減した。
しかしながら、所詮20%。知事や市長にとっては、痛くもかゆくもないんだろうな!
我々庶民目線、被災地出身者目線からすれば、よくもこんな、なめた真似が出来るよね!
これで、この人たちは身を切る改革をしていると言うが、皆さんはこの現状で本当に改革らしい改革の努力をしていると思いますか。
財政難であるというのならば、ボーナス、退職金のぐらい丸ごと返上してみろよ!
名古屋の河村たかし市長みたいに、ボーナス、退職金返上で50万とか60万とかにしてみろよ!
当然出来ない事ではないですよね!
軽々しく身を切る改革などと言ってんじゃねーよ!
どうせ最後は保身に走るんだろ。