はてなキーワード: 試行錯誤とは
配慮というのは、
・自分がされたら嫌な事をしないということ
・自分がされて嫌じゃない事だとしても、他人が嫌がる可能性について想像力を働かせて、どちらの感性を優先すべきか客観的に判断し、場合によっては譲歩する柔軟性を持つということ
この2点に考えが及ぶことを言うと思う。
たとえば一緒に暮らしてるのに、風呂に先に入った時に湯船の中で体をこすりまくり、水面に垢がびっしり浮かんでいる状態で出てくる。
それを何度注意されてもやめない。毎日イライラげんなりしながら垢を掬っている他人の気持ちを想像しない。
たとえば自分で勝手に間食した後の食器を自分で洗うまではいいが、下手糞すぎて、洗った皿にべとつきや食べカスが付着しているケースが5割以上。結局こっちが洗い直す。
しかも水切りカゴに元からある食器を片付けることを一切せず、その上にドカドカと積み上げていくから乾いていた皿もまた濡れてしまう。また毎回シンクに生ゴミが張り付いていて流しておくこともしない。
そういう惨状にも関わらず、自分では十分に元通りに片付けたと思っている。
だいたいの原因は脳にある。洞察力の欠如だ。面倒で気づかないふりをしているというよりも、本当に気づいていない。
なんなら、気づいていないことを「豪快で細かいことを気にしない俺」のようにポジティブに捉えている。
他人に対しても、世の中に対しても、自分の体のことや自分が行った契約についてさえ、知ろうとしないまま生きている。
そういう盲目な姿勢を崩さないほどに独善・独断的で、自分の判断を疑わない性質。
その結果失敗して叱責されても逆ギレするばかりで、学習しない。
そういう人間は公害に等しい。他人の時間や金を奪い続け、精神や肉体の健康を奪い続ける。
自身の精神を害するほどの過剰な配慮は必要ないが、コミュニティの中で他人と生きる以上は配慮が不要になることはまずない。
あるとしたら、あらゆる見解の相違について漏れなく言語化して感情的にならずに話し合える、インテリメガネみたいな集団においてだけだ。
そうだとしても議論が頻発して煩雑になりすぎるから、ふつうは暗黙のうちに配慮する部分のほうが多くなる。
一方、配慮に欠けた人間は、一切言葉でコミュニケーションを取ろうとしないで、世間的な感覚とはズレた俺ルールに基づく行動を押し通してくる。
報告・連絡・相談をしようとせず、それでいて自分の思うとおりにいかないと怒る。
とくに、遊びの機会の欠如が疑われる。どちらかというと、大人の遊びではなく、子どもの遊びとされるような種類の遊びの習慣が重要だ。
ビデオゲームを攻略したり、アニメ・マンガ・映画・ドラマ・読書のようなフィクションに深く感動したりする機会を一切もたず、それらに興味すら抱かなくなった人間は思いやりを失いやすい。
ゲームを攻略することは、試行錯誤、PDCAの繰り返しであり、洞察力を養い頭の回転を早くするのに有効だ。
フィクションにのめり込み、楽しむためには、自分と異なる価値観をもつ沢山の登場人物のことを理解しようと努めなければならない。
そうした洞察の積み重ねがあって、はじめて作品に感動できるものだ。
それが出来ないようになると、作品鑑賞を楽しめなくなり、足が遠のくのだろう。
遊ばなくなるから脳が鈍るのか、脳が鈍るから遊ばなくなるのかは定かではない。後者かもしれない。
だとしたら、脳への刺激のない日々を繰り返しているせいで、公害をふりまく無配慮な迷惑人間になっている可能性がある。
たとえば、起きて仕事して飯食ってテレビのバラエティをぼけーっと見て寝る、休日もテレビ見てるだけ。
ガッツリ遊んだり旅行したりすることはもう何年もしていない。そんな感じの人がそうなるのだろう。
とくに中年以降で出世せずにルーティンワークの事務や肉体労働をするような人は危うい。
脳がそういう状態になる前に、いっそ仕事を辞めて遊びのエリートに転向させていたほうが、本人や家族のQOLが向上するケースは少なくないように思う。
しかし経済的な問題に加えて、本人が遊びに消極的というか、娯楽に興じることをバカにしているケースが多いように思う。
人類を発展させてきた技術の多くは、知的追求という名の遊びによって生まれてきたと言っても過言ではない。
そして人間が生きる意味も、多くの人にとっては、楽しむこと=脳への刺激を与えること、だと思うのだ。
私の感覚では、日本人が「お仕事」と言っている作業の少なくない部分は、そうした本質的な遊び(=人類にとっての仕事)から外れた「ごっこ遊び」のように思える。
私がベーシックインカムが必要だと思うのは、こういう状況の是正を期待するからでもある。
話がだいぶそれたけれど、長くなりすぎたのでこのへんで。
・イベント開始と同時に入る支援艦隊の修正。支援艦隊使用前提の難易度なのに検証不足のまま試行錯誤しなくてはいけない
・イベント海域のギミックの多さ。何段階ギミック解除しなきゃボスまでたどり着けないんだよ。しかも相変わらずの出撃制限で札がどんどん付くし
・第三艦隊でしか七隻運用できない自己満足仕様。遠征枠潰れる、間違って第一艦隊で出撃すると出撃制限が付くとイライラしかねぇよこんなの
あークソゲクソゲ。とりあえずギミック増やしておけば面白いと思ってるならアホ。第三艦隊とか全然面白くねーんだよ。現行UIに七隻目が収まってないおまぬけ仕様は苦笑いしか無いわ。
ええ、、、、ラーメン屋なんてそれこそ栄枯盛衰の激しい業種の筆頭じゃないですか。
マズければ絶対客なんてつかないし、修行しないと旨いラーメンなんて作れないのに。うまくても宣伝やアピールや立地の仕方で客の付きも変わる。
まさに試行錯誤の連続。やり方コピーでうまく行くなんてありえない。
ココイチみたいにみっちり修行させて、本部が金を貸してフランチャイズで起こしても、それこそ新しい場所で新しく起こすわけだから
そこの地域特性に基づいた様々な顧客を掴んでやっていかないからうまく行くかどうかわからないのに。
それは頭働かせての試行錯誤です。「うまくいかなければ失敗です」
フランチャイズなんて、最近自分で金を調達したくないから、他のやつに出させてみたいな感じで、ブラック労働が多いのに。とくにコンビニ。
フランチャイズ本部がフランチャイズ加盟店への指導の仕方が慣れているとも限らない。
あなたの文体はうっすら判るんですけど、妊婦とか、腫瘍抱えて1ヶ月休養が必要な人にまで起業を薦めてましたよね。
自分の体調すら万全ではないのに、それこそ悪魔みたいなのがいっぱいいるビジネス環境の中で頭全力で働かせててなんとかうまく行くかどうか。
この人たちが成功する起業家になりえますか?自分の体調すら万全でないのに試行錯誤と臨機応変が必要な起業なんて無理です。
労働者であれば法的に様々な保護があります。ブラック労働者であっても、証拠を持って役所に駆け込めば幾らかはまだ保護されます。
むしろ詐欺師みたいなのうようよ寄ってきます。逆に、こちらも詐欺師だと疑われるの覚悟でいかないとならない。
ちゃんとした財サービスを提供しないのも詐欺師と似たようなものですからね。
そこで、すでに商売やってるところはいて、そこで足りるものはすでにある店で買う。信頼ないし。新たに入るには搦手、スキマを絶対狙わないとならない。
だから、どうしてもギャンブルですよ。小さくやってみて、小さく失敗して、その繰り返しであるのは間違いない。
そして、その隙間にまず入るに幾らかの金が必要だとしたら?まあ、いきなり億のものは日本では無理でしょうね。
でも、何千万かぐらいなら、自分で少し始めて、有望そうだってところで、奪われるの覚悟で出してくれるところに突撃しないとならない。
相手が悪魔かもしれない。それでも「やりたいことがあるからする」「魂を売る覚悟でも突撃する気になれる」
問題は、ほんとうに変えようとしている人とそういうイベント大好きな人との区別はつきにくいのが問題。
いや、イベント大好き人間も変えようと始めは思っていたのかもしれない。でも、軌道修正ができなくて、イベントでちやほやされること自身が麻薬で囚われて、
起業して商売で本当に世の中を変えようと思えば、資金を集めて、何かを売らないとならない。
ある程度本来狙っていたところとずれていても商売が回せていれば、また本来の夢をおえるかもしれないということを認識しないとならない。
とすると、そういうイベントにでないとならないという面もある。
一方、なにかなそうとしても、自分がこれでいいのだ、わかってくれる人はそのうちいるんだと内側に篭もって試さない人間も多い。
そうして市場を全く見ない。
そういう内籠もり技術者が本当は世の中を変えるのに。着目してあげればいいのにという感じがする。だが、やはりそいつらも世界をかえれないよ。
自分の技術を、そのままそっくり受け止めてくれる王子様が現れるんだっていう情けない夢見るお嬢様と同じ。
えてして、その内籠もり技術者は、その技術者が思う通りにやってくれないと反発するからね。だが、内籠もり技術者の思うどおりにすぐ売れるとは言えない。
市場を見ないというのは内側籠もり技術者も、イベント大好き人間もどっちもどっちだがね。
体当たりで色々試して売れるところを探さないとならないが、自己顕示欲が暴走してると、
むしろ失敗が怖くなって体当たりでの試行錯誤ができなくなるというジレンマがある。
とくに日本人は恥の文化というが、逆に言えば恥をかくのを嫌うから、恥かくの覚悟の試行錯誤ができない。
本音と建前で、上キレイ事言ってても裏でどう考えてるの?というえげつなさもある。
まあ、イノベーションを起こそうというやつの大きな仕事としては、恥かくの覚悟で体当たりで色々試してみるというのもある。
誰かあんたの作ったものサービスに金を払うと言ってから、変革は始まるんだ。
ここ直したら言うのというのを言えて、かつ、直せればいいんだが難しいねぇ。
お疲れさま。
少々説教臭いですが、あなたは今大学生とのこと。今まで問題はすべて与えられてきて、それにこたえられてきた立場でしょう。で、これからは「課題を見つけたうえで」解決する立場になっていくのです。
塾講師としての課題は「教えること」もありますが、それ以上に「子供がわからない部分を見つけたうえで、解決させること」なのです。
良い講師というのは、そのどこが躓きやすいかというのを過去の試行錯誤から知っていて、把握してそこを重点的に丁寧にやれてるのです。
いままで、割とすんなりといろいろ進んできたから「子供の躓くところがわからない」のかもしれません。教科書通りにやるのが講師の役割のように見えるのですが。実は違うのです。
おそらくしばらくしたら就職活動が始まるでしょう。そこでも大事なのは問題を見つけたうえで解決していったという経験を書けるようにしていくことです。
学生は「商売」に対する認識が全くないからお遊びベンチャーしか生まれないよ。
商売ってやっぱり難しいものだ。なおかつ、新しい商売はどうしても世の中の隙間を、体当たりして試行錯誤の連続で切り開くもの。
だから、大人は起こさない。だけども、学生は商売に対する認識が薄いから「だまして起こさせる」みたいな認識がある。それで起業の実績にしようというのが横行してる気がする。
それで迷惑かけないならともかく、自己顕示欲暴走しているから、ほかのベンチャーがうまくいきそうで、自分のがだめだとよそのベンチャーを邪魔しに来る。
ある程度周りと違うものを見てて、自分の道を行くのが社長とはいえ、商売、マーケティングの認識まるでなしで、
馬鹿なおだて屋にとりこまれて有害ベンチャーとしか言いようのない存在になってたりする。
だが、何か技術があって、適切な大学教授と組んでのベンチャーってのは案外いいと思う。
ベンチャーってやはり陣容が足りない。研究開発だとお金の問題もある。さらに、何の後ろ盾もないと、なめられる。
だが、特許でも大学の名前が入っていればつぶしに来られるリスクは減る。各種研究費もまだとりやすい(一番は大学教員になるのがいいけどね)。よそとの共同でも少し意味合いが違う。
大学の先生はやはりその分野の知見があるからいいアイデアを出してくださったりする。ほかの大学の枠組みでサポートしてくださったりはする。
そこで、企業勤めして、こういう技術があればいいのにというのがあれば、共同研究+博士学生みたいな形で入り込んでやるのはいいと思う。
私は小さい頃より人付き合いが苦手だった。
正義感が強く、向上心も向学心もあり、みんなで助け合えば世界は少しずつ良くなるはず。
本人がどんな気持ちかも大切だが、それ以上に再発防止や真実を明らかにすることの方が重要だと思っていた。
甘い言葉よりも苦いアドバイスの方が、その先友人のためになるならと、後者を与えていた。
しかし、それをやると「人のことを考えていない」、「人はモノじゃない」だなんて言われる。
目先の雰囲気や厄介ごとや嫌われ者になることを回避するために、おざなりの対応をすることの方が人をモノとして見ているじゃないか。
嫌われても、今後友人が被る災難を1つでも減らすことが思いやりだと思っていた。
……どうやらこのやり方は間違っているのかもしれない。
試行錯誤して、人生に疲れて来た頃、なにもかもめんどくさくなって、前者の対応を取るようにした。
その人のためにならなくても、表層的な、場当たり的な求めている答えや対応をするようにした。
私の中では人をモノのように扱っていると思った振る舞いが、なぜか逆に人に好かれ始めた。
思いやりがある、優しい、一緒にいたい、信頼できる。
そんな言葉をたくさんの人からもらい、なんだか他人がゲームの中のキャラクターのような、
良さそうな言葉を選択すれば簡単に好感度が上がる、単純なプログラムやロボットのように思えてきてしまった。
今でもその考えは変わっていないし、一部の友人にしか「思いやりのある対応」はしない。
それで喜ぶ人・慕ってくれる人・私を好きになる人に関してはそういう見方が拭えない。
皮肉なものだが、「他人をモノ扱いするな」というのは一般的に良い人間の心得なのだろうが、現実は理想とは違うもので、逆の行いをした方が個人としては行きやすいものなのかもしれない。
今でも私は罪悪感を感じつつ、たくさんの人をモノ扱いをしている。
人間なんて、その場その場の自分の欲求を肯定するものと、まるで自分の人生を100%自分で選択したという実感だけを求めている、単純なプログラムや、もしくは家畜や虫となんら変わりないんだと思う。
追記
とりあえず、改行を指摘されたので修正しました。(ご指摘ありがとうございます!)
ブコメから想像するに、思ったことをズバズバ言うだけの人物を想像されていると思いますが、そうではありません。
また、自分と他者の好みや幸せの形は違うと言うこととはある程度理解はしているつもりで、
子供を私立に入れるとか公立に入れるとかはそれぞれの好みですし、
世帯収入はいくらであっても幸せの感じ方は違うので、収入を上げた方がいいなどのアドバイスはしません。
いくつか具体例を挙げたいと思います。
当時暴力を振るわれており、明らかに金づる扱いされていた友人に、カウンセリングを紹介したりアドバイスをしました。
もちろん、ただ別れなと伝えても好きという感情は複雑なので、客観的に見れるように、彼氏のいい面と悪い面を並べて、
表にまとめたりして説明。すると「私は機械じゃない」と言われ絶縁。数年後に別れたようですが、
その子は今では実家に引きこもっており、時々私に対し「おまえのせいだ」という連絡が届きます。
会社の明らかな不備を指摘
以前働いていたベンチャーの社長がいいかげんで、税務署がきたら明らかに突かれるような不備を指摘。
すると、不機嫌になり、「人の気持ちを考えろ」と言われ、私は不遇な立場におかれたのですぐに辞職。
その次に働いた会社でも同じような不備があったのですが(性格も経営者の人はみんな似ているのか1社目と同じようなタイプ)、
社長をとにかく気に入られる振る舞いをし続けると、それを処理するできるポジションに置かれるように。
ちなみに1社目は何があったかはわかりませんが、今では怪しげな健康グッズを扱う会社に変わったようです。
みなさんが私の立場ならどう振る舞っていたでしょうか。
私も指摘されればその場は少しマイナスの感情が湧くものの、結果的に自分のためになることであれば、最終的には感謝をします。
多分、あいつは生意気だとか、女のくせにとか、わたしより〜〜なくせにとか、その類の感情が先行するんだと思います。
世の中をうまく渡っていくには、数年先のトータルのメリットよりも、数秒後のメリットを追求した方がいいのかなあと。
そんな相手とのコミュニケーションは、さながら機械と対話している感覚なのです。
正解です。
特に猛烈なファンというわけでもなく、何気ない気持ちで観てみたんだけど、アラフォーの自分にはじわじわ刺さる作品だった。
ネタバレに触れるかもしれないが(そもそもドキュメンタリーにネタバレがあるのかわからないが)、簡単に感想を書く。
「90年代に活躍した伝説のバンド」みたいな扱いになっているが、イエローモンキーって当時の日本の音楽シーンでは、どメジャーって感じでもなかった気がする。
カラオケでJAMを歌うやつはたくさんいたけど、GLAYとかラルクに代表されるような90年代に流行ったV系バンドほど人気があるわけでもないし、MICHELLE GUN ELEPHANTとか、エレカシほど硬派で骨太なイメージもない。
当時流行ったUKロックとか、グランジとか洋楽が好きなやつからはダサいと馬鹿にされていた。そんな立ち位置。
でも見た目は日本人離れしてかっこよかったかな。だから女子のファンが多かった。
2001年、人気の絶頂といわれた時代に突然活動を停止して、その約3年後に解散。理由は明らかにされていない。
映画は、2016年5月の代々木競技場での再結成ツアー初日から年明けのカウントダウンライブまでのステージと楽屋裏を淡々と密着していて、それにメンバーそれぞれのインタビューと彼らの原点であるという渋谷のライブハウス「La mama」の無観客ライブを織り交ぜて構成している。
過剰な演出もなく、シンプルに追ってるだけなんだけど、たいしてファンでもなかった自分が引き込まれてしまったのは、きっと映し出されている人の「人間臭さ」なんだと思う。
皆50を過ぎたおっさんだというのに、メンバー同士アホみたいに仲が良さげである。トランポリンを跳ねたり、リーゼントにしてみたり、ライブ前後の楽屋風景はさながら中学校の昼休みだ。
そしてアホみたいに化粧が濃い。深い皺の刻まれた50男の顔にファンデーションを幾重にも重ね、アイラインを引き、口紅を施し、頭皮マッサージをされている姿は、ある種のおぞましささえある。
そしてその年齢ゆえ、過酷なスケジュールのツアー中に起きる、体の不調。
ぎっくり腰や熱、腱鞘炎に加え、ステージ中にボーカルの吉井が声が突然出なくなるという、最悪のアクシデントもある。ライブが中断され、騒然とした客席、ピリピリとしたバックステージもカメラは追っている。
ライブのリハやレコーディングでの音作り風景も興味深かった。「こんな細かいところまで?」「そこまでして客はわかるのか?」というくらい綿密で、本番ギリギリまで試行錯誤している。
それなのに、ステージの上では、煌びやかな艶とオーラをもつ、ロックミュージシャンの魅力をまとうから不思議である。
上手く表現できないが、そんじょそこらの30代、40代のミュージシャンには出せそうにない「凄み」があるのだ。
これまでの日本のロックシーンで、音楽に地道かつ真摯に向き合いながらも「華のあるビジュアル」の中年ミュージシャンは存在しなかったのではないだろうかと思う。
90年代、20代の頃はさほど魅力を感じることができなかったが、自分も不惑を迎えた歳となって、素直に「かっこいい」と思える年上のおっさんが世の中に存在するのは有難いことである。
「オトトキ」ってタイトルは最後まで意味わからないうえ、めちゃめちゃダサいし、キャッチコピーは「4Pしようぜ!」だし、ポスターのビジュアルはクソスベってるけど、この歳に出会えてよかったな、と地味に思った作品だ。
当然、何でもできるという万能感の確信があった。
誰でも必ず一度は感じる万能感、一人よがりではなく何かをするたびに人に褒められる快感。
義務教育をこなし、大した苦労もせずに高校も進学校!のようないいところに入れて順風満帆、これぞ人生を謳歌していた。
趣味でやっていたこともそこそこ評価があり、何事もうまく行くと信じて興味があること全てに手をのばした。
何一つ欠けることがなく、本当に自分が「珠」のような存在と信じて全てにのめりこんでいった。
好きな事がそのまま技術になっていったのと、嫌いな事を覆って余りあるほどの優位性。
前のめりで自分を研鑽し、試行錯誤を繰り返しながら磨き上げ、贔屓目に見ても一目置かれていた。
そうなると表舞台にあがるチャンスがあるし、掴むこともできた。
いやはや、これは才能というべきか。
と思っていたけれどもやっぱり壁はあるもので、今までと違う少しの違和感が即、無能感に直結してしまう。
今考えれば、迂回してもよかったものだったのだけれど、長年培ってきた万能感は全く許してはくれないし、
何よりも負けのような気持ちになってしまい、万能感を得るために意地でも乗り越えるため必死だった。
珠が石になっていくという感覚に囚われすぎて惨めな気持ちを味わった。
今は幼児的万能感という、誰もが体験する一つの青春なんだろうと思う。
大人になるということは出来ることもあるし、出来ないこともあるを知りながら、
なーんて都合のいいことがあるかと。
折られた骨は強くなって、今までやってきたことは古くなっていても、決して無駄にならない。
そして、万能感を持ち続けている人はそれを疑わない。
隠してでも幼児的万能感を持ち続けろ。
珠は転がるばかりだけど、石は坂道のどこかで必ず止まる。
https://anond.hatelabo.jp/20171110125209
過去に別のドナーさんから提供された骨髄を移植したレシピエントさん
https://anond.hatelabo.jp/20171110205203
どちらも普通に生活をしていると全く知り得ない出来事で、マンガやドラマの中によくある「ドナーさえ見つかれば万事解決」的な描かれ方とは程遠い、圧倒的で重くて細かい現実が良くわかる。
いい機会なのでここで骨髄移植について書いておこうと思う。
まず移植というと腎臓移植とかを思い浮かべるだろうし、コメントにもちらほら手術とあるから誤解を受けやすいのだが、骨髄移植に限っては、手術はしない。
ドナーが見つかったら移植日を設定し、そこに合わせて致死量を超える抗がん剤と放射線(移植前処置)により、レシピエントの免疫を完全にゼロに持ち込む。これは一旦Goとなったら止めることはできない。
そしていよいよその日、day0に移植となる。移植自体はむしろ輸血に近い。血管から提供された幹細胞を輸注するのだ。そして生着を待つ。
ここで幹細胞が入れられないと当然レシピエントは死ぬ。移植が受けられなければ、移植前処置とは単なる殺人行為だからだ。ドナーが提供前に危険を伴う行為を制限される理由はこのことに他ならない。
ただし、やはりドナーにおける負担は現状、相当重い。自身の健康を損なう危険がある上、仕事を休んで検査をし、入院して痛みを伴う処置に耐えなければならない。
また、レシピエント側の問題として、ドナーの上記の準備を待つ時間がない、ということもある。その間、少なくともがん細胞をコントロールし続けなくてはならないのだ。
そういう意味で骨髄バンク経由の移植というのは最もハードルが高い。
まず知名度もあり、利用も多いのが臍帯血バンクだ。出産のときに廃棄される臍帯血を保管し、移植に使用するものだ。骨髄バンクとは違い、もともと捨てるものを保管管理するだけなのでドナー側の負担はほぼゼロだ。(出産前に提供の意思表示をするくらい。)
問題点としたら、得られる造血幹細胞が限られており、レシピエントの体格が良いと足りない場合がある、再発した場合に効果が期待できるドナーリンパ球輸注が使えない、臍帯血を採取できる施設が限られており、なおかつ出産はいつ何時始まるかわからないため、週末や年末年始など、採取できないケースが結構ある、などだろう。
骨髄移植は白血球の型(HLA)が全て合うことが望ましいが、これが一致するのが非血縁者間(骨髄バンク)だと一万分の一以下である。
この合致率を下げて、血縁者をドナーとしようではないか、というのがハプロ移植である。血縁だけあって、兄弟なら50%の確率で、親子ならほぼだいたいドナーになることが可能である。縁もゆかりもない他人のためにドナーになるのは負担が大きいが、兄弟や子どもであればどうだろう。しかも、抗がん剤や放射線で叩ききれない残存がん細胞に対する抗腫瘍効果も高いと言われている。
こう書くとまるで夢の治療だが、実際行われているのは日本でも数施設である。なぜか。移植をするということは、他人の免疫細胞を招き入れ、定着させるということである。そして、免疫細胞の役割とは、自己でないものを攻撃することである。
移植された免疫細胞にとって、レシピエントの身体は非自己でしかないため、当然攻撃対象となる。これが移植片対宿主病(GVHD)だ。
消化管に出れば1日何リットル単位での下痢になるし、吐き気が出ることもある。皮膚がぼろぼろになったり、肝臓がやられる場合もある。
そして、何より問題なのが、GVHD に有効な薬剤があまり市販されていないことだ。免疫反応がその実態であるので、免疫抑制剤が主力になる。当然、移植後から全身性の免疫抑制剤は綿密な血中濃度のコントロールを行いながら投与されるのだが、強力な免疫抑制は感染と表裏一体だ。局所のGVHD 制圧のためにはその場所にさえ薬が届けば十分なのだが、なかなかそういう薬はないのだ。
ではどうするか。
作るのだ、病院で。
この、2017年の日本において、薬剤師が、カプセルに、手動で粉薬を、つめている!
また、健康な人の腸内細菌を移植する、と言えば聞こえは良いがその実態はちょっとここでは書けないような、そんな治療も医師が自ら犠牲(犠牲?)になって行われていたりもする。
骨髄移植、それもハプロ移植となれば最先端医療である。しかし、最先端であるが故、市場規模が小さすぎ、まだまだ製薬会社を始めとする企業が手を出しにくい状況であり、医療スタッフが手弁当で補わなければならない部分も多々あることは記しておきたい。
レシピエントの方が書いていた、骨髄移植が生きるか死ぬかぐるぐるポン!というのは確かにその通りであるが、移植後の生存率とQ O Lを少しでも上げるために、現場ではいろいろ、本当にいろいろ、試行錯誤を重ねている。
私自身がネット原住民の深淵まで理解しようとしたばかりに、随分ネットの匿名サイトに書かさせて頂きましたが、答えが出た様です。私がネット原住民に対する切り口での考えや視点でもって考えられる限りの考察は一巡し、ネット原住民の分析としても考えられる限りの領域はカバー出来たとの認識でいます。途中幾つか、試行錯誤でかなり手探りな部分も目立ちましたが、私としては、ネット原住民は、既に新たな発想でのネット活動が不可能だという結論が出ています。すなわち、今後のネット原住民は、単なる焼き直しの考えの反復が続き、いずれは行き詰まり、彼らの痕跡の全てが消滅するだろう、という結論です。ネット原住民には時代に適応するという着想が完全に欠けており、それはやはり、彼ら自身が傷付く事を恐れる余り、生の社会関係の経験に乏しく、結果として現代への不適応という結論を、ネット原住民自身が招いたという事です。ネット原住民の活動が困難なのは、一重に体力の欠如だという点であって、彼らの年齢を考えれば、彼らなりに生き延びる事は大変な困難が、容易かつ明瞭、自明な形で予想されます。以上の点を踏まえ、私の結論で恐らく間違いは無いだろう、との結論に至りました。私は、多分今後もネット原住民のヲチに関しては続けるのでしょうが、私はネット原住民では無いのですから、今後ネット原住民に関する感知は一切行わないつもりです。ただ一つ言えるのは、今後時期的に早い段階でネット原住民の消滅を見届ける事になるだろうという事です。それが、今までのネット原住民を観察し、深く考慮した中での、私の結論です。
※「内向的な人間が言われて嫌だった言葉とか色々」ってのがタイトルとしては正しいです。逆の意味で捉えられた方申し訳ありません。
内向的と外向的の大きな内訳についてはたくさんの人が絵付きで解説してくれているので知らなければ調べてくれるとうれしい
ざっくり言うと
という感じだろうか、個人的認識なので間違ってたらごめんなさい
意外と書いてくれてないことに、ベースに内向的と外向的があるだけで、殆どの人は偏りはあれど両方の面を持っており、最近たまに見る右脳左脳型テストみたいに、
超内向型、内向型、内向型寄り、ハイブリッド型、外向型寄り、外向型、超外向型
みたいなのが有ると思っておくとよいかと思う。
内向的でもコミュニケーションの場であるパーティとかウェーイのノリは状況次第で楽しむことは可能だがMPダメージをめっちゃ食らう、僕の体感は10倍位。
外向型でも一人の時間を楽しむ事は可能、但し内向型ほど長時間は難しいし、MPダメージになることも有る。
そしてお互いに程度は違えど、一人の時間と他人とのコミュニケーションは全員が両方必要としている。一方だけだとバランスが取れない、って感じで僕は理解してます。
内向型の僕が個人的にすごく嫌だった言葉がいくつか有るので列挙する。中には内向的関係ないのもあるかもしれないです。
なぜ嫌だったのかを書いているが、甘えに満ちた内容なのは承知の上ですが、一応一旦言葉になっちゃったものなので消さずに残してます。
とまあ色々上げてみたんだけど、文章にしてみると大半が甘えと判断してもおかしくないなとも思うわけで、理解を深めるため文にして整理してみたんだけど、やっぱ伝わりにくいなと思った
この手の話をしているとよく言われるのが、「お前めんどくさい」という言葉で、まあそうやって考えないと生きてこれなかった人と、そう考えなくても生きてこれた人にとって、後者が前者を面倒だと思う事は多いだろうなって思う。
最近、この状況を少しずつ良くするために下記は心がけている。
この行動に至ったのは上司に言われたのだけど、
「苦手な分野では小手先のテクニックのようなものでかまわないから、最低点を取れるようにしておかないと、必要ないところで敵に付け入るスキを与えてしまう」
という説得。なんかこれならやる気になる。
言葉がとても大事というか、自分が思ったより単純だったのかよくわからないけどすごく響いた。最終的には内向的と外向的のちょうど真ん中あたりを目指すのが、最も色んな人を理解できる可能性が高いのかなと思っている。
皆様ありがとうございました。
匿名日記の特性上、決して口には出さないけど心に浮かんできてしまった汚い感情と言うものを吐き出すような場所だと思っており、どうせ殆ど見ないだろうと思いながら書いてました。不快にさせてしまったら申し訳ありませんでした。
最後に書いていたように視野を広げる為にいろいろなことを試し始めて、最近少しずつ効果が出てきたかなと思ったので、自分がどう感じていたのかを整理するついでにここに書いてみました。
言い訳で申し訳ないのですが、長めの文章書くこと自体殆どやらないので、、、これだけ長い文章書いたら通じない事も多いだろうし、揚げ足も取られまくるだろうし、誤解与える事も多いだろうなと思っていたのですが、そもそもタイトルから2つの意味に取れるというレベルのやらかしをしていたのはホントにすみませんでした。
コメントを色々頂いているのでざっくりとした回答をば失礼します。
ほんとにすみません。反応が一番多かったのはここへのツッコミでした。本当に日本語勉強しないといけないと思いました。
これらについては、ネット診断などの判断基準を見ていると、結構該当するなとは思っています。一方で、所謂コミュ障、アスペ、発達障害というのは、自分でその状態が駄目だと思うことで、初めて自覚するものでも有るのかなと思っていて、その状態で駄目と思わずに対処方法を見つけていくと、深刻な状況にならない可能性もあるかなと思います。
うまい付き合い方見つけられると良いのかなと思うのだけど、そのあたりはどうしても他力本願になるのでまあ難しいですね。個人的にはその可能性がある人間を見つけた場合、そこを問題として矯正するのではなく、深刻化しない為に何が出来るかを考えられる人間でありたいです。
確かに以前は完全に見下してましたし、当時のことを思い出しながら書いてたのでその部分が隠せてないのも自覚してます。すみません。一度見下した人間がもう見下してないと言っても説得力ないのですが、いまは尊敬出来るところはしてますし、間違っていると思ったところはちゃんと言うようにしてますが、やっぱめんどくさがられることは多いですね。ここはうまくやるにはどうしたら良いか試行錯誤中です。
すみません確かに日本国内での比率は明確にはわかりません。僕自身が今までいたコミュニティでは違和感のない比率かと思い国内の比率を調査しておりませんでした。
おっしゃる通りで、代表しているつもりはなかったのですが、読み直すとその感じありますね、気をつけます。ただ僕の認識だと全く関係ないってことはないだろうなとも思っています。
もしかしたらコメントないけど一人か二人位こういうコメント残してくれたらちょっとコメ欄賑やかになるかなと密かに期待をしていたのですが、予想以上に多く反応してもらえて嬉しいです。逆パターン書いてくれた人がいたのは面白くて参考になりました。
回答できていない指摘などもございますが、一旦ここまでで回答とさせていただきます。
ありがとうございました。
広い意味での好意すら持てない人との間には、そもそも割と高い目の防波堤を築いて、平和的距離をとって対応する。
あんまり好きになれそうにない人に下手にノーガードで接しても、好かれて困ることの方が多いので自衛手段である。
なので、私の人間関係内には、主に、私が好意をもって接することができる人だけがいる状態である。
※相手が私に特に好意を持っていない、私の片思いケースもある。あくまでも「私が」プラスの感情で見られるかどうか。
好意には、人間としての好意から、知人としての好意、友人としての好意、恋愛感情、などの段階があって、
その中から、というのは不遜ではあるがまぁ、その中から、どうも特別に好きだなこの人と感じてしまう人が現れる。
現在この人に感じる友人としての好意の、その先に恋愛感情はあるだろうか、そうじゃなくて親友ルートなのだろうかと
自分の感情をスクリーニングする時間が納得いくまで取れるといいんだけど、なかなかそうはならなくて、
実際には、相手にも時間軸や感情の流れがあるなかで、相手から何らかのアクションを先に起こされてしまうこともある。
幸い?なことに、普段から「嫌いな人は私の人間関係内にはなるべく入れないように」という努力をしているので
こちらの感情が定まっていない状態で相手から不意に告白なり何なりをされた場合でも、
少なくとも好きな人からの好意ではあるというセーフティネットはある。
まぁ、どんな種類の好きでも恋愛対象になりうるわけでもないので、示談で済むレベルの衝突事故くらいは、時には起きるが。
このへんのさじ加減は、色々試行錯誤を経ても、なかなかコントロールが上手くならない。
基本的には「すき!」な範疇の相手なので、そこから先の距離感をつかむのが難しいし、
恋愛感情の温度がなかなか上がりにくい性質のようで、寝起きで何を匂わされても分らんという残念さもある。
実際、勘が鈍いとか鈍感だとか気付かないかとよく言われる。
告白よりも、俺あの頃お前のこと好きだったのにと事後報告?された人数の方が多い。
いや多い少ないったって、どっちも片手で数えられる程度でしかないけどさ。
つい先日は、じわじわとスクリーニングした結果私あの人好きかもしれないと思ったこともあったけど、特に何もなく
その後普通に友人を続けていた子から、おれお前のこと好きだったんだでもお前ときたら、と事後報告された。
なんだよコノー。
この時私が感じた「逃した魚……」とか「こっちは寝起き悪いんだから君が何とかしてくてれれば」という
我欲やわがままという残念な感情たちを引き起こした相手は、かつて私を好いてくれていた人であり、私も好きだと思った人だということ。
彼も、もう感情の清算もすっきり終わったはずのことを、なぜわざわざ報告をするのか、ということでもある。
いやがらせか。恨みはらさで置くべきかということか。私の寝起きが悪いばっかりに。
好意をベースにした感情推移が、結果的になぜかネガティブな彼岸にたどりつく羽目になり、
私と彼の胸に当時宿った恋愛感情たちに対して、面目次第もないという思いしかないけれども、
人間関係を動かすものは、好意や悪意という「感情」だけでなく、むしろより大きく影響を与えるのは
タイミングや時間の長さという時間軸なのではないか、という気付きもある。
まぁ一方で、大抵の場合は、こちらの感情が煮詰まる前にフライングされるとしっくりこないので、
そう考えると付き合うのってかなり奇跡に近いプロセスに感じるな。
よくまぁ、やってるわこんな面倒くさいことを。
だが、可能性があるものに善処する。今悪いものを改善していく。その積み重ねだ。
それが日本にはねぇってこと。
そんなものより、上司をおだてて覚えがいいやつのほうがよっぽど日本でのうまい生き方だってこと。会社が丸ごと沈没してそのうちなくなるけどな。
どうしても伝えたくなったので
神田昌典さん、來夢さん著書の「春夏秋冬理論」や、「なぜ春はこない?」を読んだことはありますか?
簡単に言えば、人生には流れがあって、大まかに分けて春夏秋冬の4つに分類されるという理論です。
流れを知れば、今自分がやるべきことや、これから起こることが予想できる、ちょっと違いますがこんな感じです。
全く科学性のない、経験則から導き出された理論ですので、このような話が苦手な方は注意してください。
著書では、3年ごとに分けて、会社や人生の話をしていますが、自分は、これが人間関係にも当てはまると考えました。
人との関係はここからスタートです。試行錯誤をして、これからの関係のきっかけを作ります。
この人とは合いそう、合わなさそうの確認とも言える時期です。
自分からしつこくLINEするなど、勢いよく走り出す時ではありません。ちょっとずつ確実に種まきすることが大事です。
ここで合わない人とは、次の季節に進めずお別れとなります。
冬を経て、お互い「この人いいな」と思っている季節です。会話の量が増え、友達だと思えるようになります。
お互い楽しく過ごせる時期となるでしょう。
何もしなくても会話が増え、遊ぶ量も多くなります。
自分でもこんなに仲が良かったのか信じられないぐらい、遊びまくるということもあるでしょう。
しかしこの季節の注意点は、ピークを迎えると、そこからだんだん関係が悪化傾向になるということ。
夏から一転、関係がころっと変わってしまう秋があるということを念頭に置く必要があります。
買いかぶらず、行き過ぎた関係にならないように抑える必要があります。
夏のころから切り替えるということが大事です。切り替えができないと、「自分はもっと遊びたいのに!」と思いのミスマッチが起こる可能性が大です。
自分を出すのを控えめにし、思いやり、気遣いといったことが重要になります。
また、今までを反省し、次の新しい冬から始まるサイクルへの準備をする時期です。
夏の感じが忘れられないのに勢いが落ちるつらい時期ですが、ここで次の冬にお別れすることになるか、またサイクルを繰り返すことができるかの分かれ目となります。
冬、春、夏、秋の見分け方は、感じろとしか言えません。
冬が1ヶ月なら、春も1ヶ月だし、夏も1ヶ月。もちろん秋も1ヶ月。
ここから言えることは、冬が短いことが良いことにはならないということ。
いち早く仲良くなろうと、冬を早くに終えると、その分春も夏も短くなる。
冬が長いと、春夏がその分長い。
冬は焦ってはいけないということです。
これは、あくまでも私が個人の考えとして、私ひとりの経験をもとに作ったものです。
間違ってる部分は絶対にあります。皆さん各々で、そこを修正して、自分だけのサイクルを作っていただければと思います。
ブコメでイヤーマフとか、ノイズキャンセリングヘッドホンが勧められていて、星もいっぱいついてるけど、
ここまでストレス抱えちゃってる状態の俺なら、なんでこっちが金払って試行錯誤とか努力とかして対処しなきゃいけないの?って感じちゃうかも
それで騒音問題は解決したとしても、ほんの少しでも、イヤーマフとかのせいで耳が痛くなったりつけ心地が悪くなったりした瞬間に、「隣がうるさくなければこんなことしなくていいのに」って気持ちが湧いてきて、勉強どころじゃなくなりそう
自分もこの感じ。あんまり試行錯誤を繰り返すと自信をなくすので、やると決めたら目標までとことんやると決めた。それから両立が苦手なので、あんまり多くに触れないようにした。とことんやるといってもだらだらやらないので、いまのところ何万年も集中と興味が続いている。
春から博士課程に進学したんだが、この半年で勉強の仕方が少しだけわかった気がする。
個人的には「勉強のための勉強」はクソつまらないし、頭に入らないし、理解できない。
一方で、「研究のための勉強」は、クソおもろいし、頭に入るし、理解できる。
つまり目的としての勉強はつまらんが、目的のための勉強はおもろい。それも内的な動機に基いていればなおさら。
その違いは、まずは大前提として「やりたいこと・理解したいことが具体的にあるか」という所が大きいと思う。
これはモチベーションだけの話ではなくて、具体的にやりたいことがあれば、それをできるようにするためには、どんな知識が必要か、という道筋が描けることが大きいと思う。
何かを独学で勉強しようとした人ならわかると思うけど、漠然とある分野を理解しようとしても、膨大な量があるので、どれをどこまで勉強していいかわからなくなってしまい、挫折してしまうということが多い。例えば、教科書の多くは、一つの目的を達成するために、色んな手段を網羅的に紹介してる事が多く、それをいちいち勉強していては時間がいくらあっても足りないし、そもそもそれらを全て勉強するモチベーションがない。個人的には、はじめは色んな手段を知ってることよりも、一つの目的を達成出来ることのほうが重要だと思う。とりあえず「これをやりたい!」というものを、必要な最低限の知識を仕入れていって、最短ルートで、出来ないか試してみる、それでだめなら、もう少しいい方法を探す、それでだめなら・・・という風に、「実際に使ってみて、試行錯誤をする」というプロセスによって、勉強が頭に入っていくんじゃないかと思う。「実際に使ってみて、試行錯誤する」というプロセスを確立し、それによってやりたい目的を達成でき、"自分なりの理解"に到達すれば、最高に勉強はおもしろい。
増田さんにも言及して頂いたり、色々コメントも頂いたので追記させて頂きます。
id:imizis 途中まで段落に分けて読みやすくしていたのに、最後の段落だけ改行がないから早口で喋ってるみたいで面白かった。
id:axkotomum これを読んで逆に目的のない勉強は好きで得意だけど目的のある勉強は苦手だと気づいた
目的がなくても勉強できるかは人によりますよね。また目的が外的(仕事、受験、テスト、単位)か内的(興味・関心)かによっても、違ってくるかもしれませんね。大学の学部の頃は、興味も関心もなさそうな講義を淡々と勉強できる同期が結構いましたが、自分は全くできなくて大変でした。
id:orangeitems これは博士課程レベルとは言い難い文章で残念
id:mouseion 博士課程でそれなのか。いや勉強のための勉強って大学入試まででしょって話で博士課程に入ってようやく理解できたって何か逆に凄い発見のように思えるので。応援してます。
すいません後期課程です笑 出来の悪い学生なので耳が痛いですが。
出来る人は、それこそ生まれたときから出来るけど、出来ない人は出来ないということでしょうね。
「興味・関心等の内的な動機に基いて、明確な目的を持って勉強する」というのを本格的にやり始めたのは、研究室に入った4年からですかね。学部と修士までの3年間は、それこそ「とりあえずやってみて、試行錯誤をする」という感じで、あれでもないこれでもないという感じでした。学部や修士の頃は、やりたい研究と、自分なりに咀嚼して理解できた勉強が乖離していたのが、やっと今になって勉強して理解した内容を、研究にアウトプットできるようになって俄然おもしろくなってきたという感じです。勉強した内容が実際に役に立つのって、やっぱり年単位でラグがあるから、それを乗り切るためには明確な目的が必要ということですかね。
id:n314 勉強の先に研究があるような書き方にめっちゃ違和感がある。まったく別物だと思ってて、研究はしてるけど勉強はしてないみたいな言い方してた。たぶん勉強に暗記っぽいイメージがある。
勉強の先に研究があるというよりは、研究のために勉強があるという感じですかね。ちなみにうちの先生は、奥さんに勉強してくるわと言って家を出ると仰っていたので、捉え方は人それぞれでしょうね。その先生を見てると、研究といっても興味関心があって勉強して理解したいことをやってるだけで、そのアウトプットのクオリティーが高いので研究になってる的な感じです。
id:augsUK 目的に入らないと勉強できない場合、研究や仕事の自分の中での定義を相当広くとらないと、すぐに時代遅れの技術にしがみつく人になるから気をつけてね。個人版イノベーションのジレンマは本当にサイクルが早いから。
これに関しては、自分も気をつけるようにしています。研究という目的だと、狭く深く勉強できていいのですが、陳腐化してしまうことも考えられるので、そうではなくトレンドなどをただ知っておきたい、少しは理解しておきたいという目的で、広く浅く勉強することもやったりはしています。
id:sukemasa_fujiwara 学生ん時、教授から「本に書いてあることは疑ってかかれ。お前らは著者に一方的に教えを受ける立場ではなく著者と対等の研究者だ」って言われたけど当時は「無茶言うなよ」って思ったな。今ならわかるけど。
教授あるあるですね。本も論文も疑ってかかれ、とはどの先生も仰りますね。高校生までは、本に書いている内容は絶対で、それを覚えるだけという感じでしたが、研究が始まると、それすらも疑ってかかって、とにかく自分の頭で考えろという風に考え方を変えないといけなくなりますね。自分はその方が楽しかったですが、苦手そうな人も結構みますね。
id:bookmarkmen ずいぶんはしゃいでるみたいだけど、3年後にも同じように笑顔でいられるかな?
○ゲーム日記アンケート「次にプレイするゲーム!『MS販売なのに未だOneの360互換機能で実装されてないゲームたち!』」
・No1:ナインティナインナイツ(360)
・No2:キングダムアンダーファイア:サークルオブドゥーム(360)
2がPS4とPCで出るとニュースが出てから音沙汰がない、キングダムアンダーファイアシリーズ。
RTSとアクションを混ぜ合わせたようなゲーム性なのかな。(この頃のゲームは説明書が分厚くていいよね)
いかにもなハイファンタジーで、ここ最近現代劇のゲームばっかりやってたので、そのへんのアートも楽しみ
ギアーズ、Haloに続くMSファーストタイトルになるはずが……
と、金メダリストになれない銀メダリストとしてよく名前が挙がるゲーム。
DmCみたいな感じで敵と戦うゲームだった、ような気がするが、その広告を見てから何年積んでるかわからないので、詳細はよく覚えていないぜ!
なんと発売10年以上経っているにもかかわらず、日本のインターネットコミュニティ上で爆発的な人気を誇り、世界選手権や宇宙選手権や全時間軸大会などの大規模大会が開かれる超大人気面白ゲーム。
とはいえ、対人戦だけでなく、一人用の「おはなしすごろく」もあるので、そこも遊んで上げないとね?
・No5:0票枠「5000円貯金」
貯金です、この枠のみ投票ではなく、誰からの投票もないときに選ばれます。
○朝食:ご飯、納豆(二つ)、卵、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)
○夕食:考え中
○調子
はややー。
遊んでいたトゥームレイダーはクリアしたので、次のゲームのアンケートも再びやってみます。
ただ、自由枠はあまりにも自由すぎるので、今回から無くしました。
アンケートは、積みゲーを崩す時なぜか自分で選んだゲームよりも、他人が選んだゲームの方が意欲が湧くことが発端なので、積みゲーではなく購入するゲームを決めるときのアンケートのときに自由枠は復活させようと思います。
●XboxOne
お話としては特に変わった設定や驚きの展開はなく、ヒロインのサムを助けて島から脱出して、おしまい。
泥まみれ血まみれになりながら幾多の苦難を乗り越えて、最後に「私は帰らない」とひとりごちるシーンは、しんみりしていいシーンだったなあ、と思えた。
ゲームとしても、収集物を無理に集めようとしなければ、ストレスなく遊べて非常に楽しかった。
特に良かったのが、ジャンプで崖や壁に捕まるところ、判定がとても広いしSEが気持ちよくてこの操作をしているだけでも、楽しかった。
3Dアクションのアスレチックがストレスなく遊べるのは、僕程度のゲーム力だと珍しいので、このゲームは良い感じ。
戦闘部分はイージーでも割と死ぬ程度には難しかったけども、弓を「射る」感覚が楽しくて、試行錯誤も苦ではなく、とても楽しかった。
https://anond.hatelabo.jp/20171103221045
●3DS
○ポケとる