当然、何でもできるという万能感の確信があった。
誰でも必ず一度は感じる万能感、一人よがりではなく何かをするたびに人に褒められる快感。
義務教育をこなし、大した苦労もせずに高校も進学校!のようないいところに入れて順風満帆、これぞ人生を謳歌していた。
趣味でやっていたこともそこそこ評価があり、何事もうまく行くと信じて興味があること全てに手をのばした。
何一つ欠けることがなく、本当に自分が「珠」のような存在と信じて全てにのめりこんでいった。
好きな事がそのまま技術になっていったのと、嫌いな事を覆って余りあるほどの優位性。
前のめりで自分を研鑽し、試行錯誤を繰り返しながら磨き上げ、贔屓目に見ても一目置かれていた。
そうなると表舞台にあがるチャンスがあるし、掴むこともできた。
いやはや、これは才能というべきか。
と思っていたけれどもやっぱり壁はあるもので、今までと違う少しの違和感が即、無能感に直結してしまう。
今考えれば、迂回してもよかったものだったのだけれど、長年培ってきた万能感は全く許してはくれないし、
何よりも負けのような気持ちになってしまい、万能感を得るために意地でも乗り越えるため必死だった。
珠が石になっていくという感覚に囚われすぎて惨めな気持ちを味わった。
今は幼児的万能感という、誰もが体験する一つの青春なんだろうと思う。
大人になるということは出来ることもあるし、出来ないこともあるを知りながら、
なーんて都合のいいことがあるかと。
折られた骨は強くなって、今までやってきたことは古くなっていても、決して無駄にならない。
そして、万能感を持ち続けている人はそれを疑わない。
隠してでも幼児的万能感を持ち続けろ。
珠は転がるばかりだけど、石は坂道のどこかで必ず止まる。