はてなキーワード: 試行錯誤とは
でもコーヒー飲みたい。どうしよう。
そうだ! 2年前に買った bodum のフレンチプレスがあるじゃん!
コーヒー豆は粗挽きじゃないとダメらしいので、いつも使ってるHARIOのコーヒーミルの調整ネジを左に数回カチカチ回す。これでオッケー。
1杯分のコーヒー120ccにつきコーヒー豆7gってことなので、今回は2杯分、240cc作ることにした。
14gのコーヒー豆をコーヒーミルに入れて、ハンドルをゴリゴリ回す。いつもより力が要らず回しやすい。かなり粗挽きに仕上がった。
続いて、中性洗剤とスポンジでよく洗っておいたフレンチプレスに、粗挽きコーヒーをガバッと入れる。そこへ、少し冷ました熱湯240ccを注ぎ入れ、フタをした。
そこでいきなりプランジャーを押し下げるというミスをやらかしてしまった。
だってー、だってー、日本語の説明文の文字がちっちゃいしー、なんか日本語も分かりにくいんだもんー(言い訳)!
あわててプランジャーをゆっくりと引き上げた。まあ、そんなに影響はないはずだ。たぶん。
で、4分待って、またプランジャーをゆっくりと押し下げて、あらかじめ温めておいたコーヒーカップに注ぐ。
うーん、なんか色が薄いな。微粉も全然出ない。もしかして粗挽きにしすぎたのか?
うん、薄い! 超薄い。 しかも超酸っぱい。なにこれ。
たぶん粗挽きにしすぎた。だってコーヒーオイルが全然浮かんでないし、微粉もゼロだし。
いきなりプランジャーを押し下げたこともなにかしら影響しちゃったかもしれない。
ペーパーフィルターいちいち買うの面倒だし、当分フレンチプレスでコーヒー淹れようと思う。おいしくなるまでいろいろ試行錯誤してみる。
「不真面目なことをやりたいです」といってどれくらいの人がこの気持ちに共感できるだろうか
この気持ちを抱えたまま、私は上野駅周辺の大きい交差点についた。
私はここ最近、土日にやる事がなくて暇になっていた。暇になったのであれば外に出れば良いと言うが、完全なインドア派の人間だったので、外に出るのは極力避けたかった。
だが、家にいても何かやる事がなく無駄に時間が流れるのがわかってしまう。
外には出たくはないが、家に引きこもってるのもなんか嫌な気持ちなのだ。
そんな相談を会社の同僚にしたところ、帰って来た答えは実に真面目だった。
資格勉強、習い事、ボランティア活動、副業などなど。やる事は沢山あるぞと言われた。
実際いくつかは過去にやった事がある。だか、どうにも義務感を感じてしまうのか、楽しいと感じる事も無く辞めてしまうのだ。
暇をどうやって解消するのか、試行錯誤の上で出た結論は、私は自主的に無駄な事をしたいのではないかと言う事だ。
「人生の中で常に最善を尽くして来た」と言う気はさらさら無い。
ただ、心情として自主的に不真面目な事をやろうとか、無駄な事をしようとおもって行動した事が余り無い。
喉が渇いても、自宅に帰れば水分補給出来るなら自販機で買い物はしない。
映画を観に行って、ポップコーンが美味しそうに見えてもポップコーンは買わない。映画館のポップコーンは割高で、わざわざ高い所で食べる必要は無いからだ。
とりあえず、私は仕事の帰りにコンビニで特に飲む必要はなかったのだが甘い紅茶の飲み物を買ってみた。
飲んでみたところ結構美味しい。
そのまま、上野駅を探索してみた。
若い頃は視力が良かったのだが、最近急激に悪くなってしまいメガネを2年ほど前に買っていた。
別にメガネを掛けなくても良かったのだが、久し振りに掛けて見ることした。
一般の人からみればこれはただの交差点だ。自分も眼鏡をかけるまではそう思っていた。
だがここは宝石のように輝くビルに綺麗な色の信号機。それと一台毎に違うライトを放つ自動車が延々と輝き続けていた。
「いきいきママ」が今わぁわぁ言われているけどさ、
みんなパートとかで正社やってる人なんてそんなに多くはなかったような。
ここ数年で初めてワーママが誕生して、結構そのの働き方で試行錯誤してる。
今までに4名、内1人が激務に耐えられず辞め、
1人が社内で部署替え、1人は少し働いたあと在宅勤務、
一般社員は1日平均11〜14時間くらいでさらにほぼ休日出勤の
はっきりいってブラックで、月間目標も膨大、全然うまくなんていってない。
給料はワーママが自分たちの7-8割ほどだから正直うらやましいと思うことだってある。
時短で7-8割もらえりゃ、私だってそうしたい、子どもいないけど営業終わり直帰してえって思うときもある。
でも、私(34)はいずれはとおる道かもしれんと思って頑張るし、
もう通らない可能性も高い45オーバーの社員もすっごく協力的に仕事を引き受けている。
経営者のことクソだなとは思ってるけど、仕事は好きだし断罪することでは終わらないんだよ。
労基でもなんでもいいんだけど、
この規模の会社だったら、ワーママ何人にこういうまわし方で、とか、
うまい業務量の調整の仕方とかを専門的にアドバイスする人が必要。
女性の活躍をうたうんだったら、コンサルタントを育てて全国の中小企業に派遣してくれよ。
会社のまわし方に関する寄り合い所みたいなものはネットにないのか?
あったらすまん知識不足だ、教えてくれ。
働き方改革の理想がこうだってのはだいぶ浸透してきた気がするよ。
ただ、それをどうやって実現するかのHow Toをまだそれほど多くの人は知らないし、
身近な世界だけではなく、日本中で方法を共有し探っていくべきだと思う。
楽ちん仕事しかないワーママがいるとか、そういうこともあるかもしれないが、
うまく仕事内容を評価し反映する仕組みをみんなで探る方が先決だ。
共働きでもしないと子どもの1人も育てるのは難しいってことだと思うけど、
1本1本増えてってどうにか轍っぽくなってきたとこだろう?
まだ、ここ道ですよね?って感じでみんなが恐る恐る通ってるとこなんだから、
科学主義というのは「仮説がある」「検証がある」「有意な結果がある」の3点整ってないとならんからね。
けど、その間に撹乱要因がある。
だから、物理、科学あたりの自然科学なら大分科学は強いんだけど、
経済学を含めた、社会科学、医学だと撹乱要因が多すぎて、厳密な有意な結果が出るのが困難か、べらぼうに費用がかかる。
まあ、物理だって、原子の動きをシミュレーションできるのはせいぜい数百個程度の話であって、
それ以上になると、絶対近似が入る。
有意な結果も微妙なライン上の基では数を増やして対応しないとならないんだけど、そうすると、仮説の方で、標準化を派手にかけてやらんとならない。
医学は人体の安全があるから、金をかけてでも二重盲検とかやって対応する。けど、薬なら二重盲検できるけど、手技的なものはできない。
まあ、そのあたりの科学主義の限界があるから、どうしても医学は薬偏重になるんだよね。あるいは、べらぼうな効果がある手技に中心になるか。
ちょっと健康にいいかもしれない食材なんてものは似非科学の烙印をはられがち。安いものなら自分がやって効果があると思えばそれでいいと僕は思うけどね。
だけど、経済学あたりはもう怪しい近似がいっぱいだよ?
しかも、ビーカーは国全体で一つだ。
さらに、金かけれんから、まともな検証もしてないのもいっぱいだ。
とすると、過去の知識の蓄積を大量に学んで、その中での試行錯誤していくしかないんだよね。
失敗したモデルは失敗したと認めないとならない。
共産主義の失敗の本質は官僚主義と、トップの自己愛/権力欲だと思う。
けど、こんな数式化できないものをモデルに入れてなんてできないよ。せいぜい「自己愛・権力欲で暴走する懸念があるから、それをなくす枠組みを作る」
ぐらいしかできない。
自分起業して、周りで起業してるのみてるが、申し訳ないが、「自分がこれやりたい」といってる連中は最初のステージにすら立ててないなと感じることは多い。
最初のステージとは「誰かが足りない何かを満たすために金を払う」ってことを理解するってこと。
「誰もお前がちやほやされることのために金払ってくれねーよ」ってこと。
だけど、大概のものは「満たすために既に商売をやってるやつ」がいるんだから、どうしても世の中の隙間になる。
今までないものになる。いろいろ聞いてみて、行けるかいけないかの試行錯誤の積み重ね。
はずれの可能性のことが多い。
だけど、起業なんかするやつは多少なりとも自分の技術や知識に自信がある。
その自信を傷つけられることを恐れる。とすると独りよがりなものになる。最悪なパターンが「世の中はわかってくれないだけなんだ!」と自己完結すること。
起業家に一番必要なのは「恥かく覚悟。恥かいても平然としてる面の皮の厚さ。でも、それをもとフィードバックして改良できること」
ましてや、目立ちたいために起業するやつは、うまくいかなかったら嫉妬して他のやつ邪魔するからほんまに起業なんかするな。人に迷惑かけるなと思う。
でも、世の中社長になったらちやほやしてくれると勘違いしてるんだよねー。
まあ、起業したってだけで一応はちやほやしてくれるんだけど、あんなもの役所に20万つみゃ誰でもなれるんだし。
一方、軌道に乗ると、まねたり商売を奪いに来る奴もいる。それを乗り越えて、自分の手元で売り上げと利益を上げ続けなければならない。
ま、ほとんど失敗するね。僕もそうかも。
やとわれって楽よ、やとわれてて、言われたことやってる限りは金もらえるし食ってけるわけだしな。ブラックや人間関係は注意しないとならないけど。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/NBD/20121026/238610/?ST=pc
で、これを読んで、それでもなしたい何かがあるやつだけイカレタこっちの世界に来い。
とくに、外部資本を入れないスモールビジネスならともかく、外部資本を入れて、大きな何かをなることを視野に入れるベンチャーだと、
悪魔にも等しい誰かに自分の商売の一部を切り渡して、それでも何かを得られるか?という話になる。
えげつないやつ世の中多いしね。
何アホなこと言ってるんだろうこの人。
ガス欠だって、パンクや、下手したらバーストしたって路肩に移動するくらいできるだろうに。
そのために通行できるくらいの巾で路肩が設定されてるんじゃないか。
まぁ、田舎の交互通行な高速道路では難しいところも多いけど、そういうところは須らく速度制限がきつく設定されているわけでしょ。
昔から日本の交通取締りは母性的に過ぎると揶揄されており、今でも過度の取り締まりだと言われているのに、更に増やすのか。警察官増員できて警察は喜ぶかもしれんけどな。
制限速度を全体的に引き下げたら、物流の効率が一律に低下するんだけど、交通インフラにかけているコストが物流のコストに対してよりペイできなくなるだけじゃないか。
新東名とかの路面技術の向上によって、制限速度の引き上げを行おうとしている昨今、技術革新の方向と逆行しろとか、一部のキチガイの対応のために技術開発や試行錯誤を無駄にせよとか短絡的に過ぎるね。
無謀運転する輩の取り締まりはいいし、適切に排除する方策を模索するのも良い。
追い越し車線にのろのろと居座り続ける下手糞に運転教育を徹底するのも効果があるんじゃないか。
そもそも論だけど、スバルとかでだしてる追突防止システムをより進化させて安全性の高い車を作る技術開発を進めた方が事故は減ると思うけどね。
30歳まで彼女居ない歴=年齢の素人DTだったが、なんとか結婚できたので、これまでをふりかえってみた。
彼女を作るためのアクションを起こしたのは26歳ぐらい。30のときに妻と出会い、初めて付き合うことが出来た。
その子にとっての100パーセントの男は自分で、二人はなにもしなくても自然と結ばれる。
だから、がっついても良いことは無い。真面目に誠実に、どっしり構えるのが大事。
100パーセントの女の子は出現しない。(周りには9割の男と1割の相手が居る女性しかいない。)
どっしり構えているつもりの自分は、何もしていないだけだった。
社会人になって、周りの友人(同じく女っ気が無いと思っていた)に立て続けに彼女が出来て、流れに置いて行かれているかのような危機感を抱いた。
よく観察したら、自分と同じだと思っていた友人達は、みな何らかの形で努力して状況を打破していた。
このまま行くと取り残されそうな気がして、自分を変えようとした。
以下、時系列で取り組んだことを順に書いていく。
自分を変えようという意識があったので、だいたい過去の自分なら絶対にやらない行動をルール化してチャレンジした。
職場は出会いが期待できないので、まずは女性と知り合う機会を増やした。
友人は増えても交際には至らなかった。
など、交際に至る道が見いだせなかった
友達になってしまうと先がないと気づいたので、知り合って間もないときから積極的にアプローチするようにした。
二人で会ってくれるからといって男性として意識されているわけでは無い。
という事実に気づいたので、早めに友達ルートからの脱却を目指した。
あなたが好きだ。もっと親密になってあなたのことを知りたいから、付き合ってほしい。
すぐに答えなくても良いから、今まで通り食事やデートする中で、友達ではなく彼氏として合格ラインかみてほしい。
2人失敗後、妻と付き合えた。
妻も最初は警戒して答えを保留していたが、何度か会ううちにOKしてくれた(その間 1ヶ月ぐらい)。
後から妻に聞いた話では、当時他にも気になる人からゆるいアプローチがあった上、告白されるまで俺のことは何も意識していなかったらしい。
だけど一般的な倫理規範の上で生きていたい気持ちも同等にあるので、そこから外れてまで性欲を満たすことには後ろめたさがある。
性風俗にも嫌悪感があるし、名前も知らない相手とヤリたいかというとNoである。
しんどい。
数年ほど付き合っている恋人は、本当にできた人間で、自身は淡白ながらもこちらの性欲の強さは理解してくれる。
それでも根本的なしんどさを解消/共有できるわけではない。
もうひとつ。相性とかいうふわふわしたものは、時間と技術と歩み寄りで何とかなると思って試行錯誤してきた。
相手を性に積極的な方向に変えるよう努力はしてきたし、ある程度そうなってくれたとは思う。技術的な部分も、今は進んで勉強してくれる。
それでも、認めざるを得なかった。
今では徒労感と諦めが先に立って、相手に触れたり触れられたりすること自体に忌避感がある。
自分でも「性欲なんかに振り回されちゃって、そんなのただの獣じゃないの」とは思う。
でもその思想がいま、このときの、このつらさを解消してくれるわけもない。
相手は歩み寄ってくれているのに、どうして満足できないのか。
頭の中をエロが埋め尽くしてくるのを、どうして止められないのか。
時々、仕事も手につかない気持ちになってトイレに篭もることもある。恥ずかしい。
どうしてこんなになってしまったんだろう。
他の人はどうやって折り合いをつけられているのだろう。
つらい。
情けない気持ちでいっぱいだ。
人間でいたい。
そこでよく見かける、オーブンとコンロが一体になった、ステンレスの質感がイカスデザインの調理器。
あちらのご家庭では一人暮らしの小さな賃貸なんかでもわりかし標準的に備えている雰囲気なので、そんなに高くないのだろうと導入を検討。
しようとしてみたものの。
まず名前がわからない。英語で「built-in oven」などで検索し、どうやらfreestanding cookerと言うらしいことが判明。(ついでに、1000ドルくらいのユニットだと判明)。
こりゃ違うだろうなあと思いながらも一応カタカナで「フリースタンディングクッカー」と検索してみると、直訳っぽいマイナーサイトが多少引っかかるだけ。
仕方がないので別の言葉で検索し、色々試行錯誤した結果、日本では「フリースタンディングガスレンジ」という名前で知られていたことを知った。
そう、知られてい「た」のだ。
今はもう売ってないから。
”日本では年間にガスコンロを原因とする事故が約5,000件と他国より多く、その対策に”導入された温度センサー規制のために、海外メーカーのフリースタンディングガスレンジは日本で売れなくなってしまったのだそうだ。(http://www.well-reform.com/reform-blog/staff/6273/)
そして当然の如く、日本製のフリースタンディングガスレンジも存在しない。
つまりどうやら、今では海外製のfreestanding cookerをウン十万かけて輸入しないと日本では手に入れることができないらしい。
”《約5,000件》と他国より《多く》”ねえ……
株取引で生計を立てようと試行錯誤やっている。ふん、何をバカなことを。まともに働きやがれってんだ。病気だ病気だ。何の病気だってんだ。普通にメシ食ってクソ垂れ流してんじゃねえか。生きてられてんだ、そんなお前が病気なわけはないだろう。甘ったれるな。他の人間はもっと苦しんで真剣に生きている。お前がどうしようもない野郎なだけだ。相当きつい生活は容易に想像できる。金が無くなったらどうしよう。何の仕事をしよう。もしするとしても人とは極力関わらない仕事がしたい。チーム作業を必要とする仕事は今までの経験上、苦手だ。40歳、金が無けりゃ地獄。覚悟して生きていけよ。「死ぬか、死ぬか」の二択だと思え。今までのツケがここにきて来たんだよ、てめえには。稼ぐか死ぬか。いい加減ハッキリさせろよ、てめえ。鼓舞でも何でもない。ただの現実だ。てめえが招いた現実だ。苦しくったって生きるしかねえんだよ。絶対にやりたくない仕事で早10年。それじゃメンタルもやられて皮肉屋にもなるわ。くそ!くそ!くそ!何十年もトンネルだ!太陽が見たかったのに!太陽が見えたならそのまま崖下の海へ真っ逆さまでもよかったのに!
作画が完璧で、非常に可愛かった。ズラ丸最高。また、作画について言えば、全体的に幼くなってた印象で、例えば果南とか最初もっとキツかった感じがしたけど、目元とか丸くなって可愛らしさがアップしたと思う。
シナリオが粗い。1期最終回から1年間という期間は短かったため、手始めのシナリオは急ごしらえになってしまったのだとしたら、これはマネジメントの責任だが、1期最終回の評判の悪さを知っててなおこれだとしたら絶望的。
ネットのまとめサイトではまた廃校ネタ持ち出すの、といった感想があったが全くその通りで、一つのアニメの第1話の展開としてあまりにも盛り上がりに欠けるのではないか。そして、輝きたい!とか超抽象的なワードの連呼、これはaqoursのテーマになってるのかもしれないけど、どこらへんを指して、または具体的に何をすることが輝く、ということなのか観ていて分からない。だから全体的にふわっとした印象になる。μ'sなら廃校阻止、次にラブライブ制覇という明確な目標があったけど、aqoursの目標ってなによっていうのが分からない。これからどういう流れで話が広がっていくのか掴めない、だから観ていて不安になる。キャッチーな楽曲を出すでもなく、新たな展開を見せるだけでもなく、1話からこれか〜って感じがしたのは私だけではないんじゃないか。
aqoursのいいところは都会と地方の比較という点において、地方の緩やかで落ち着いた雰囲気であると思う。μ'sもお嬢様学校という特殊な環境ではあるが、秋葉とか都会の真ん中にあるので多少雑然とした感じがあるし、中央ゆえ、A-RISEとかライバル校に常に脅かされているような描写から緊張感も多少あった。
沼津は田舎でありかつ景観もいい、ライバルも今のところ2人組の戦闘力が高いのか低いのかよくわからないユニット位しか意識しないから(忘れているだけかもしれないが)、安定的な環境の中、学園の廃校とか問題はあるけど、こまけぇこたぁいいんだよ的な感じで、キャラクターの成長を安心して見ていられる。それはそれで萌えキャラアニメ(死語?)としては良いことだと思う。もはやズラ丸が可愛いアニメとして見続けるだろう。
先程触れた緊張感だが、μ'sとの違いについては、アニメ化されるまでの期間も考えておきたい。つまり、私はこのあたり不勉強だけど、アプリ先行で、アニメ化するまで色々な試行錯誤があったとのことで、PVとか見ているとアニメとは明らかにキャラクターとか世界観の設定が違っていたり、3Dモデルのカクカク具合が見ていて不安になる辺りなど、アニメから入った組としては、まだ未完成である印象が強い。アニメでも最初の頃は3Dモデルはもうちょっとなんとかならないか、と思ったことは少なくはない。
何が言いたいかというと、μ'sには、廃校阻止という明確なミッションがあり、かつ中央にあるがゆえの競争的環境にあり、更にコンテンツ的にも発展途中であった、キャラクターのアイデンティティー含め不安定な要素があったため、常に緊張感を見るものに与えた。そして、3年生の卒業というテーマは、ラブライブの総括的な位置づけにもなったため、アニメ以前のPVとかの歴史をある程度知っている人間にとっては、それなりのカタルシスだったのではないだろうか。
そして、aqoursにはそれがない。環境の緊張感もなければ歴史もなく、単なる二番煎じ。非常に不利だし、ズラ丸が可愛そうである。
この二番煎じという点は、想像するに、μ'sの成功体験を前提とした企画段階において、保守的な意見が勝ったのではないか。そうでなければこんなシナリオは書きようがない。
これはもしかしたら海外展開の観点から、そうせざるを得なかったのかもしれない、知らんけど。
もしμ'sと差別化しよう、という観点があったとすれば、例えば町おこし、とか、もしくはラブライブ出場ではなくもっとヒューマンドラマ的な展開に焦点を当てるとか、こういったテーマは過去にやってるだろうから、なんかのドラマをパクるとかやりようがあるだろう。その場合楽曲もμ'sより少なくなるかもしれないが、明らかにμ'sより楽曲の質が変わっているので、それはそれでありなのでは無いだろうか。とにかく下手したら劣化μ’sの烙印を押されかねないこの展開をなんとかして避けてほしいのである。まあ言ってももう遅いだろうけど。
楽曲について触れたのでそれについても言わせていただくと、今回をきっかけに、改めて昔のPVやら曲やらを見た次第である。すると明らかにμ'sとaqoursの曲の質が違う。まあこんなことは私のようなニワカ者ではなく、ファンの方々で話し尽くされているだろうから細かくは語らないけれども、一言で言うとパンチが足りない。
これはμ'sの初期設定が割と普通の高校生っぽい感じで描かれており、青春というテーマを直接的に感じさせるためかもしれない。つまり、言い表すのが難しいけれど、青春といった普遍的かつ情緒的なテーマで訴えかけてくるため、私は女子高生ではないけれど、ちょっと感情移入するのだ。古今東西やられてきたこのテーマだが、短い青春、一瞬で過ぎてしまう今を精一杯楽しみたいという、切なさである。そこでキャラクター性がそこまで確立していないPV、そして畑亜貴のキャッチーな曲は、感情にバッチリ訴えかけてくるのだ。
一方aqoursについては、まあアニメが始まるまでの期間はあるにしても、μ'sの前提知識がある状態で見ており、展開が読める。そして、まあ正直に言うと曲もちょっとトーンダウンしている。恋アクとかはμ'sに負けず劣らずだと思うけど…
だから、印象がμ'sに比べてどうしても薄くなってしまう。非常に不利だし、ズラ丸が可愛そうである。
述べたことは、そんなこと続編であれば普遍的に言えることと、と言われるだろう。aqoursが劣化μ'sとしての誹りを免れないだろうと諦めてはいる。
それでも頑張って欲しいのはひとえにズラ丸が可愛いからである。ズラ丸だけではない、ダイヤ、ルビィ、果南など、お嫁さんにしたいキャラは実はμ'sよりaquasのが多い。地方という部分も好きだ。だから、いいかげんμ's、μ's言うのはやめて、aquasらしい活躍をしてほしいのです。μ'sのプロットを改悪して乗り切ることはしないでほしいのです。
もう夏は終わりだバカヤローという声が聞こえますが、たまに出る娑婆の空気はまだまだ暑苦しいと思います。
二度の長期休職を許してくれるなんて、弊社はなんて懐が深いのだろうと思います。
そこそこ規模の大きい会社ゆえに下手なことができないからでしょうか。それとも人手不足なだけでしょうか。
新卒で入社してから初めて関わった仕事では、それなりに新入社員らしく、従順に仕事をしました。
管理職に叱責され、家で泣いたこともありましたが、翌日にはかすかな殺意を胸にしまって仕事をしていました。
ある程度慣れてくると、言われたことに従うだけでなく、おかしいと思ったことに口答えができるようになりました。
おかげで、少しだけ方針を変えることができたり、賛同してくれる味方ができたりもしました。
物理的な辛さで言えば、あのころが一番辛かったと思います。精神的にもそこそこだったと思います。
ただまぁ、なんで大丈夫だったかといわれれば、少なからず「面白かった」からだったのかなぁ、と思います。
しばらくして、異動になりました。まったく畑違いの部署でした。
管理職からは、「お前くらいしか推薦できる奴がいなかった」と言われました。
成長すると見込まれたからでしょうか。それとも厄介払いということだったのでしょうか。
管理職はすぐ定年退職してしまったので、真偽のほどはわかりません。
新人同然なので、おとなしく従順に仕事をしました。新しい管理職は穏やかで、叱責するような人ではありませんでした。
残業もほとんどなく、始発まで拘束される飲み会もない、ホワイトな職場でした。悩める就活生はあそこにいくといいと思います。
申し訳程度の繁忙期に、私は疲弊しきっていました。くだらないミスが増えました。
取引先に頭を下げにいった時も、管理職は「そんなこともあるさ」と穏やかでした。
決算を終え、部長からの指名で、来期に向けた業績目標を全社員の前で高らかに宣言した次の週、私は会社を休みました。
会社にいる間、自分の一挙一動すべてに、何の意味があるのか、そんなことばかり考えていました。
今振り返れば、最後まで「面白さがわからなかった」のだなぁ、と思います。
しばらく休んで、私は前に所属した部署に戻ることになりました。当時一緒に仕事をしていた管理職が呼び寄せてくれたそうです。
しかし、休み明けであったり、色々と人事上の都合もあり、当時とは異なる担当に配属されることになりました。
私には、休み明けなので早めに帰るように、と指示が出ていました。他の人は、休日も仕事をしていました。
また毛色の違う仕事なので、必死に仕事をしました。新しい管理職は「まかせたいことは山ほどある、期待してるよ」と言っていました。
部署に新人が入ってきました。私はその教育係になりました。やったことのない仕事を覚えながら、必死に教えました。
私はそのまま、担当の長になりました。やったことのない仕事を覚えながら、自分より年上の部下に、必死に指示を出しました。
部下のひとりがクビになるかもしれない、と伝えられました。それを知らない部下は、ニコニコとお茶を飲んでいました。
今まかせている仕事の出来によっては再考されるかもしれない、とのことでした。一緒に試行錯誤しながら、仕事を進めました。
途中から、会社にいくことが怖くなりました。朝準備しても、家を出ることが難しくなりました。遅刻が増えました。
大事な打ち合わせの日、私は欠勤をしました。管理職が何を言っていたか、今では思い出せません。
そのまま、私は再び休むことになりました。部下がどうなったかは知りませんが、今では人はだいぶ入れ替わった、そうです。
今回、私は頑張った、という自覚がありました。そして、もう頑張れない、と心が折れた自覚がありました。
振り返ってみれば、今回も「面白さがわからない」ままだったな、と気づきました。
今回の休みは、面白いことをして過ごそう、と思いました。結果、起きて、ぼんやりして、寝る日々です。
私はゲームが好きです。プレイヤーを楽しませるシステム作りや、質が高く考えさせられる物語は、とても面白いものです。
働いていた頃に興味がありつつ買わずにいたゲームを買ってみました。とても面白かったです。
ユニークなシステム、濃密な物語、本当に面白くて、疲れました。クリアは当分先になりそうです。
他にも趣味はありましたが、少しやってみては、疲れて布団に寝転がる毎日です。
二度休んで、自分のこれまでを振り返って思ったことは、「面白いこと」ならやれる、のではないかということでした。
しかし、今、この暮らしを続けて気づいてしまったのは、「面白がることも疲れる」ということです。
結局、働くこと、生きることを面白がろうとして、疲れてたどり着いてしまったのが、この夏休みなのかなぁ、と思います。
初めて休んだ時は、暗い気持ちになりながらも、どうやって戻るか、どうやって社会復帰するか、ということで悩み続けていました。
今回は、もうどうすればいいかわかりません。先が真っ暗というよりは、無色透明で何も見えないといった感じです。
会社を解雇されるかもしれない、貯金が尽きるかもしれない、親族が死ぬかもしれない、そんなことも、どこか遠い世界の話に思えます。
面白いことも疲れて考えられないなら、面白くないことにはどう向き合えばいいのでしょう。
なんでも死ぬことは悪いことらしいです。命があるってけっこう面白いことらしいです。いやだなぁ。疲れるなぁ。
テレビで言っていましたが、だんだん寒くなるそうですね。夏ももう終わりらしいです。風邪はつらいので上着を買いました。
最近、そう思うことが多い。プログラミングの勉強をしていると、僕と年齢の変わらないすごい人がたくさんいる。憧れる。そういう人たちはだいたい早い頃からプログラミングに触れていて、僕ももっとはやくプログラミングをはじめていればよかったと思う。
頭が悪かった、というよりも勉強をしなさすぎて大学に行けずに専門学校に入学し、そこで初めてプログラミングを勉強した。それからは自分の好きなものを試行錯誤しながら作っては快感を得ていた。自分が思うものを作れるのはとても楽しかった。そうやっているうちに、僕と変わらない歳の人が手の届かないレベルにたくさんいることがわかった。焦った。でも、自分なりに必死に頑張ってはいるけれども追いつける気がしない。プログラミングをはじめた頃に比べれば格段に成長しているけれど、それでも全然届かない。
もっとはやくプログラミングをはじめていれば、違ったんだろうか。そう思ったところで意味が無いのはわかっているけれど、ふとした時にそう思ってしまう。
来年4月からは社会人になる。IT企業でプログラマ、会社の人達のレベルについていけるか不安でいっぱいだ。でも必至でくらいついて、成長して、いつかは僕もだれかに「すごい」と思われるようになりたい。