配慮というのは、
・自分がされたら嫌な事をしないということ
・自分がされて嫌じゃない事だとしても、他人が嫌がる可能性について想像力を働かせて、どちらの感性を優先すべきか客観的に判断し、場合によっては譲歩する柔軟性を持つということ
この2点に考えが及ぶことを言うと思う。
たとえば一緒に暮らしてるのに、風呂に先に入った時に湯船の中で体をこすりまくり、水面に垢がびっしり浮かんでいる状態で出てくる。
それを何度注意されてもやめない。毎日イライラげんなりしながら垢を掬っている他人の気持ちを想像しない。
たとえば自分で勝手に間食した後の食器を自分で洗うまではいいが、下手糞すぎて、洗った皿にべとつきや食べカスが付着しているケースが5割以上。結局こっちが洗い直す。
しかも水切りカゴに元からある食器を片付けることを一切せず、その上にドカドカと積み上げていくから乾いていた皿もまた濡れてしまう。また毎回シンクに生ゴミが張り付いていて流しておくこともしない。
そういう惨状にも関わらず、自分では十分に元通りに片付けたと思っている。
だいたいの原因は脳にある。洞察力の欠如だ。面倒で気づかないふりをしているというよりも、本当に気づいていない。
なんなら、気づいていないことを「豪快で細かいことを気にしない俺」のようにポジティブに捉えている。
他人に対しても、世の中に対しても、自分の体のことや自分が行った契約についてさえ、知ろうとしないまま生きている。
そういう盲目な姿勢を崩さないほどに独善・独断的で、自分の判断を疑わない性質。
その結果失敗して叱責されても逆ギレするばかりで、学習しない。
そういう人間は公害に等しい。他人の時間や金を奪い続け、精神や肉体の健康を奪い続ける。
自身の精神を害するほどの過剰な配慮は必要ないが、コミュニティの中で他人と生きる以上は配慮が不要になることはまずない。
あるとしたら、あらゆる見解の相違について漏れなく言語化して感情的にならずに話し合える、インテリメガネみたいな集団においてだけだ。
そうだとしても議論が頻発して煩雑になりすぎるから、ふつうは暗黙のうちに配慮する部分のほうが多くなる。
一方、配慮に欠けた人間は、一切言葉でコミュニケーションを取ろうとしないで、世間的な感覚とはズレた俺ルールに基づく行動を押し通してくる。
報告・連絡・相談をしようとせず、それでいて自分の思うとおりにいかないと怒る。
とくに、遊びの機会の欠如が疑われる。どちらかというと、大人の遊びではなく、子どもの遊びとされるような種類の遊びの習慣が重要だ。
ビデオゲームを攻略したり、アニメ・マンガ・映画・ドラマ・読書のようなフィクションに深く感動したりする機会を一切もたず、それらに興味すら抱かなくなった人間は思いやりを失いやすい。
ゲームを攻略することは、試行錯誤、PDCAの繰り返しであり、洞察力を養い頭の回転を早くするのに有効だ。
フィクションにのめり込み、楽しむためには、自分と異なる価値観をもつ沢山の登場人物のことを理解しようと努めなければならない。
そうした洞察の積み重ねがあって、はじめて作品に感動できるものだ。
それが出来ないようになると、作品鑑賞を楽しめなくなり、足が遠のくのだろう。
遊ばなくなるから脳が鈍るのか、脳が鈍るから遊ばなくなるのかは定かではない。後者かもしれない。
だとしたら、脳への刺激のない日々を繰り返しているせいで、公害をふりまく無配慮な迷惑人間になっている可能性がある。
たとえば、起きて仕事して飯食ってテレビのバラエティをぼけーっと見て寝る、休日もテレビ見てるだけ。
ガッツリ遊んだり旅行したりすることはもう何年もしていない。そんな感じの人がそうなるのだろう。
とくに中年以降で出世せずにルーティンワークの事務や肉体労働をするような人は危うい。
脳がそういう状態になる前に、いっそ仕事を辞めて遊びのエリートに転向させていたほうが、本人や家族のQOLが向上するケースは少なくないように思う。
しかし経済的な問題に加えて、本人が遊びに消極的というか、娯楽に興じることをバカにしているケースが多いように思う。
人類を発展させてきた技術の多くは、知的追求という名の遊びによって生まれてきたと言っても過言ではない。
そして人間が生きる意味も、多くの人にとっては、楽しむこと=脳への刺激を与えること、だと思うのだ。
私の感覚では、日本人が「お仕事」と言っている作業の少なくない部分は、そうした本質的な遊び(=人類にとっての仕事)から外れた「ごっこ遊び」のように思える。
私がベーシックインカムが必要だと思うのは、こういう状況の是正を期待するからでもある。
話がだいぶそれたけれど、長くなりすぎたのでこのへんで。
俺は大概のことは不快に思わないというか、一瞬不快に思ってもおもしろいとうけとめてやろうだとか認知を変えるので、ガンガン不快なこと言われてもやられてもOKだし、 他人もちょ...
配慮というのは、 ・自分がされたら嫌な事をしないということ ・自分がされて嫌じゃない事だとしても、他人が嫌がる可能性について想像力を働かせて、どちらの感性を優先すべきか客...
唐突に出てきたベーシックインカムに呆然
ビデオゲームを攻略したり、アニメ・マンガ・映画・ドラマ・読書のようなフィクションに深く感動したりする機会を一切もたず、それらに興味すら抱かなくなった人間は思いやりを失...
バランスだとも思うけどね。 フィクションでかじった見聞を、現実でためす。うまくいったら続けて、うまくいかなかったら違うやり方を試す。の連続。 オタクはフィクションに、し...
横だがいろいろちがうぞー。 オタクとか関係なく、この世のコンテンツをちゃんと考えて消化してるやつが思いやりをもてる。 >ゲームを攻略することは、試行錯誤、PDCAの繰り返しで...
他人との関わりというか、自分が当事者になると学ぶこと多いよね。
おんなじ言動をしても人が違うと評価も反転する
自分が豆腐メンタルなもんで、他人も同じくらいに弱いものと仮定してなるべく配慮してるつもり というか、強い人の精神というものが想像できないので、不快でも平気と言うのがよく...
お互いに遠慮忌憚なく言葉を交わせる間柄を良しとするコミュニティもあれば お互いに配慮と思いやりに満ちた関係を良しとするコミュニティもある 同じ言葉をしゃべってはいるが、前...
コミュニティがどういったプロトコルを持っているか外部から判断することはほとんど不可能なんだな。 そしてコミュニティ内部ですら、自分たちの現在のプロトコルが正しいか分かっ...
配慮は無くてもいいと思うよ。相手への敬意があるならという条件付きだけど。敬意も配慮もない議論はただの喧嘩だ。
こういう奴たまにいるけど幼少時の教育は 「自分がされたことがイヤなことはしない」ではなく 「”自分ではない”他人がされたらどう思うか考える」にするべきだな 特に自分と他...
悲しい事いうけど他者との境界線を引けない低知能に教育したところで 大人になってから毒親だの糞教師だの言ってくるから意味ないよ 死ぬまで低知能は伊達じゃない
配慮は他者にするもの。増田が大丈夫かは問題じゃないし、何故みんながお前と同等の鈍感さを獲得せにゃならんのだっつう話でもある - houjiTのコメント / はてなブックマーク ブーメラ...