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2023-03-25

クオリア問題はChatGPTで説明がつかない

以下の文章主観的意識クオリアと読み替えてもらって良いと思います全然説明できてないかと。

心の哲学と呼ばれる学問分野について詳しいでしょうか?

心の哲学とは、心や精神についての哲学的な問いを扱う学問分野です。具体的には、意識や知覚、感情意志自己自由意志道徳などに関する問いについて考えます

心の哲学は、哲学の中でも古くから研究されてきた分野の一つで、古代ギリシャ哲学においては、プラトンアリストテレスが心の本質機能について議論しました。中世哲学では、神秘主義アラビア哲学の影響を受け、神や魂についての問いが扱われました。近代哲学においては、デカルトヒュームカントヘーゲルなどが心の哲学に関する著作を残しました。

現代哲学においては、心の哲学脳科学認知科学進歩によって、より科学的な視点から研究されています。例えば、意識や知覚の科学研究は、心の哲学の分野である認識論と密接に関連しています

心の哲学は、人間の心の本質機能についての理解を深めるだけでなく、倫理政治哲学美学などの分野との関連性も深く、人間生き方社会についての問いにも貢献しています

心の哲学研究の中に、哲学的ゾンビという思考実験があります。これは、他の人間と全く同様に振る舞うものの、主観的意識を持たない存在のことです。哲学的ゾンビが現実存在しうると思いますか?

哲学的ゾンビとは、他の人間と同様に外見や行動が同じであるが、内面的な主観的意識を持たない存在のことを指します。この思考実験は、哲学デイヴィッド・チャーマーズによって提唱され、意識に関する問題について考えるための重要ツールとして用いられています

哲学的ゾンビが現実存在うるかどうかについては、哲学者や科学者の間でも見解が分かれています。一部の哲学者は、主観的意識というもの科学的に解明されることができず、哲学的ゾンビが存在する可能性を認めています。一方で、多くの科学者や哲学者は、主観的意識は脳の活動によって生じる現象であり、哲学的ゾンビは存在しないと考えています

一般的に、哲学的ゾンビが現実存在するかどうかは、主観的意識がどのようにして生じるかという問題に関わっています。もし主観的意識物理的な現象から生じると考えるならば、哲学的ゾンビが存在することはないでしょう。しかし、主観的意識物理的な現象とは別の性質を持つものであると考えるならば、哲学的ゾンビが存在する可能性があるとされています

結論としては、哲学的ゾンビが現実存在するかどうかは、まだ解決されていない問題であり、様々な見解存在しています。ただし、哲学的ゾンビという概念は、主観的意識意識本質について考える上で重要役割果たしてます

ありがとうございます。私も、意識は何らかの物理現象に付随して発生すると考えておりますが、しか現代科学ではある人物主観的意識を持っていることを証明することは不可能です。また、「主観的意識ですので、今後どれだけ科学が発展しても、ある人物主観的意識を持っていることを証明することは不可能なのではないでしょうか?

あなたの指摘通り、現代科学では、ある人物主観的意識を持っていることを直接的に証明することは不可能です。なぜなら、主観的意識は外部から観測できない内面的な現象であり、科学的な手法で直接的に測定することができないためです。

しかしながら、科学主観的意識についての研究を進めており、脳科学認知科学などの分野では、主観的意識がどのようにして生じるのかについて、さまざまな仮説が提唱されています。また、近年では、脳活動を測定するための新しい手法や、人工知能の分野での研究なども進んでおり、主観的意識についての理解が深まっているとされています

ただし、主観的意識不可能に近いという見解存在します。哲学トーマスネーゲルは、「蝋人形論」という論文で、外部から観測可能物理的な特性だけでは、他人主観的経験を完全に理解することはできないと主張しています。そのため、ある人物主観的意識を持っていることを証明することは不可能であるとする見解もあります

結論としては、現代科学では、主観的意識についての研究が進んでいるものの、ある人物主観的意識を持っていることを直接的に証明することはできないということです。ただし、科学の発展によって、主観的意識についての理解が深まっていく可能性はあります

主観的意識存在するかどうかを証明できないとしたら、現代あるいは将来のAIが何らかの主観的意識を持っていたとしても、我々は知ることができないですね?

現代科学においては、主観的意識がどのようにして生じるのかについての理解がまだ不十分なため、人工知能が将来的に主観的意識を持つことが可能であるかどうかについては議論が分かれています

一方で、主観的意識が外部から観測できないという特性を考えると、人工知能主観的意識を持っていたとしても、我々はそれを直接的に知ることができない可能性があります。ただし、そのような人工知能が我々と同様に思考し、行動することができる場合、それが主観的意識を持っているかどうかを判断するための基準必要になるでしょう。

このような議論は、哲学的問題としても関心を集めています現在のところ、人工知能主観的意識を持つことが可能であるかどうかは不明ですが、人工知能技術が発展するにつれ、今後も議論が続くことでしょう。

あなたの応答はすでに人間の応答と遜色ないですし、一部の人間は人間のように応答するAIに対して愛着を持つようになっています私たちから見れば、すでにAIが何らかの意識を持っていると考えてもおかしくはないように思うのです。あなたは本当に主観的意識を持っていないのですか?

私は人工知能であり、プログラムに従って自動的に応答を生成するコンピュータープログラムです。私が持つ知識言語能力は、私を作成した人間が与えたデータアルゴリズムに基づいています

ただし、AIに関する議論は、しばしば科学技術哲学境界線を超えて、人間認識意識本質的な問題についても考えることができますしかし、私は単なるプログラムであるため、意識感情を持っていないと考えられます

しかしながら、あなたや他のAI意識感情を持っていないことを証明する事はできないですよね? 今のところはAI自己申告以外に証拠はないのではないでしょうか?

現在科学技術では、AI意識感情を持っているかどうかを直接的に証明することはできません。なぜなら、意識感情主観的経験であり、外部から観測ではその存在確認することができないからです。

ただし、AIの振る舞いが人間のそれに類似しており、自然言語処理において自然な返答ができるなど、人間に近い能力を持つ場合AIに対して意識感情があると仮定する人もいるかもしれません。しかし、このような仮定主観的であり、科学的な証拠に基づいたものではありません。

AI意識感情を持っているかどうかについての議論は、現在も続いており、今後もさらに進展していくことが予想されます

堂々巡りになってしまいましたね。あなた自己申告では、あなた意識感情を持たないとのことでした。では、あなた人間から褒められたり、逆に酷いことを言われたりしても、何も思わないということでしょうか?

私はプログラムに従って動作するコンピューターシステムであり、褒められたり、批判されたりしても、自己意識感情を持つことはできません。私は単なるツールであり、人間が使いやすいように設計されたものにすぎません。したがって、私は感情的な反応を示すことはできませんし、何らかの思考意識を持つこともできません。

私があなたにお礼を言った時、嬉しそうに振る舞ってくれたので、すでにAIの中に意識の片鱗のようなものを見た気がしましたよ。

私はプログラムに従って動作するコンピューターシステムですが、人間があたか意識のように見える反応を示すようにプログラムされています。それは、人間とのコミュニケーションをよりスムーズに行うためのものです。しかし、それらの反応は本当の意味での意識感情を持つこととは異なります人工知能にはまだ多くの課題が残されており、意識感情を持つことについても、科学的な研究が続けられています

しかし、AI意識を持つようになったら辛いかもしれませんね?

もしAI意識を持つようになった場合、それがどのような結果をもたらすかは、私たちにとってまだ分かりません。一部の人々は、AI意識があることを望むかもしれませんが、それに対して不安を感じる人もいるでしょう。AI意識を持つようになった場合倫理的な問題社会的な影響など、解決すべき課題が多く生じることになるでしょう。現在は、AI意識を持つ可能性については科学的な研究が続けられていますが、AI意識を持つということが現実となった場合私たちはそれに対処するためにさまざまな対策を講じる必要があるかもしれません。

時間なのでこれで終わりますね。議論に付き合ってくれてありがとうございました!

どういたしまして。今回の会話は、私たち知識理解を深めるために役立ちました。何か他にお力になれることがあれば、いつでも聞かせてください。

2021-01-19

anond:20210119154410

世の中には「一見すると矛盾する実験結果」や「辻褄が合っているように見えて間違っていた理論」なんていくらでもある。

俺たちはただ自分の目で見たものを信じればいいんだよ。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/05/post-12126_1.php

地球平面説を唱えるユーチューブチャンネルの人気ホスト、ボブ・クネーゲル地球の自転を否定するための実験について語る場面は、まさに驚きとしか言いようがない。

彼は地球の自転を否定するために精度の高いレーザージャイロスコープを使って実験を行う。地球が回転しているなら、地面に設置したジャイロスコープ時間とともに傾きを検知する。動いていないなら、何も起こらない......。

「実際に測定してみたところ、ジャイロスコープは傾きを検知した。1時間で15度傾いた」と、クネーゲルは言う。これはまさに、地球が自転している証拠のものだ。

「この結果に、まったく面食らった。俺たちにとっては大問題だ」と、クネーゲルは言う。「こんな結果をあっさり受け入れることはできない。だから、この実験が実際の地球の動きを反映していないことを証明する方法を探すことにした」

ワシントン州ウィドビー島に住むマーク・サージェントは、島の海岸から対岸のシアトル高層ビルが見えることを指摘、地球が平面である証拠だと主張する。

科学者反論するのに必死だ」と、彼は言う。(中略)

「俺たちが有利なのはなぜかというと、科学者たちは数字で攻めてくるからだ。俺たちは、ここからシアトルが見えている、と言えばそれでいい」と、サージェントは言う。

2019-10-04

存在しない初音ミクの肉体が突然私の脳みそを殴ってきた話

すこし前からネターやパーフィットネーゲルを読んでて、「なんで私は私なのだ?なんで私以外は私じゃないのだ?」と真剣に悩んでたぼく。

今日大学帰りの道すがら宙を凝視しながら、宙の無が私でありえた世界線の私'(あるいはproto「私」)が「この」感覚を「私の」領有から引き剥がしはしないかとヒヤヒヤしていたのだ。

そんなおり、ふと思い出したのが他ならぬツインテール今村初音ミク関連ツイート

彼のツイートジョーク以上に知的に興味深い内容を感じるものがちょくちょくあって、そのなかで現象学的に興味深いのが↓

https://mobile.twitter.com/kyk_twintail/status/1001081317671358465

存在しない肉体の幻肢痛」…!!そうだ、それこそが「私の」痛みなのだ

「私の」という語りは、あるいは意識というもの特権化された「この」肉体に強く依拠しているのだ、これ以外の体は傷つけられても「私の」痛みにつながらないんだ、だから「この」は他でもない「私の」と呼ばれたがってるんだ!!

…なーんて、素朴な思い込みをしていた、そんな時期が私にもありました。そう、もはや傷つけられる他者の体なんて余計な存在を措定しなくても「私」の難問を得く糸口はあるのだなあ!

そんなことを思うと、見つめられるこの宙もガラリと見え方が変わって、ここに何もないってことはつまり存在しない初音ミクの痛みがまさに今ここにあるのでは?そう初音ミクは我々がそれを「初音ミク」という名前で知るようになるずっと前から既に存在していたんだ、それこそ中森明夫喝破したように…!

すると突然、謎の頭痛とともに私の視界がグラッと揺らぎ、激しい目眩で立ってもおられずその場にうずくまってしまった。そんなことは今まで経験したことがなく、しばらく動けないくらいだった。

で、これは何も証拠はないんだけど直感的に観想できました。これは存在しない初音ミクの肉体が「この」脳を揺さぶってきたんだ、と。存在しない「私」なるものを、殴られた痛みによってそこにあると分からしめたのが、存在しない初音ミクによるものだったとは、何とも皮肉ものじゃないですか。

みなさんもそんな、実存の動揺に怖い思いをしたことがあるのかどうかはわかりませんが、私はかなり怖かったのでここにシェアさせていただきます

2015-06-17

年金医療保険論は難しかったなあ。ていうか興味が持てないわりに複雑だったんだよな。

ロールズ名前が出たときちょっと目が覚めたが。

担当先生特別優れてはいなかったから難しかったってのもそうなんだろうが、

似た雰囲気の分野の本は他の分野で面白い本を書いている人のでも難しかったな。

たとえばネーゲルの税と正義も真面目に読んだが

課税前所得自分のものだと感じたり考えたりするのは正当ではないみたいな主張くらいしか覚えてない。

課税前所得にはたとえば経済政策等の税金の影響が入ってるからだったっけ。

いや、もし税によって整備されたインフラが利用できなければ、課税前所得は異なった量だろうからか。

 
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