ネット発で独特な低めの視点から発言を繰り返し、単著を出したらネット上ではわりと時の人扱いになって、本人もわりとその気になっているらしい感じなのだが、プロの物書きとして身を立てていこうとするにつれて、どんどんつまらなくなってしまっている書き手がいる。
どうしてこうなってしまったのだろうか。この人の創造性が痩せ細っていく過程を他山の石として考えてみたい。
自らを繊細で、あいまいで、弱いが、やわらかい知性があり独特の視点をもった書き手として売り出していくことは、諸刃の剣なんだろう。
その人の発言が書籍化されて、広い範囲の人々の共感を得るにつれて、書き手はもう弱者ではなくなってしまう。
自分の発言の根拠を自分で掘り崩してしまうというか、読者から共感を得ていた理由を自分自身で消去してしまう。受けていた鉄板ネタがなくなってしまう。書くことがなくなってしまう。
そのことを自分でも気づいており、年を取るにつれて独自の視点が失われてしまうので、これまで何者でもなかった自分というあいまいな状態を脱却して、プロの作家として身を立てようと、クリエイティブなクラスタとの付き合いに移行する。
そうすると、自分を書き手たらしめていたある種のアマチュアリズムがますます失われてしまうので、自己イメージとしては作家であろうとしても、書くことはもうない。
自分のコンテンツが痩せ細っていることは自覚していながらも、自己意識としてはすでに作家なので、イベントをしきりにやったり、書いたものにペイウォールを設けて読み手に課金させようとするが、周囲の人間は興ざめしてしまって離れていく。
創造性とは、予期していないときに突然与えられる恩寵のようなものなのだろう。
さまざまなものを吸収していながら、それを外に出そう、売りに出そうと思っておらず、暇になったときに、不意に面白いものができることがある。
そんなふうに、泉が静かに満ちて滴り落ちるような瞬間を待つことができないのなら、もう覚悟を決めて、職業的に、自分を毎日油種のようにして絞り上げて、書くしかない。
どちらもできず、自分はオリジナリティがある、自分はほかの人がない物を持っている、と思って、クリエイティブな人と付き合って、自分もクリエイターになった気持ちになっているだけでは、なにも生み出すことができない。
単に才能の枯渇でしょ ワンピやジョジョを見ていればどんな偉大なる作家先生様もその才能の泉が有限だということが分かる
どうした。()は使わないのか?