「海人族」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 海人族とは

2022-03-07

人類は再び海へでたあと陸にあがったのではなかろうか

なんか先日すごい動画を見た。xvideosというところなので、いわゆるエロだ。

エロなのだが、これには人類神秘を感じた。

人類もしかして一度海にはいった後、再び陸にあがったのではないだろうか?


何人だかわからない覆面をした男性日本人女性がまぐわっていた。

この覆面男。やたらとアレがでかいのだ。

ものすごくでかいという表現陳腐だが、2つのももあいから女性の腕がこんにちはしていた。

50cmをかるく超えている。男が寝そべっているのに騎乗位の女性が中腰にもなれないのだ。

性器の形が違いすぎて同じ人類とは思えない。


そしてなにより凄いのはフィニッシュだ。

イギリス10ccというバンドがあるが、この10ccはいわゆる成人男性の一回の量を意味している。

黄色人種10ccもないのではないかと思うが、件の動画人物は200ccぐらい放出していた。

やたら玉がでかいので嫌な予感はしていた。

放出の瞬間はドピュなどという擬音ではなくドバシャーーーーだ。

ティッシュなら一箱ダメになるし、トイレットペーパーなら拭きとるのに1ロールが必要となるに違いない。

なるほど50cm以上の尿道を駆け上がるのに10ccぐらいの量では先っぽまで辿りつけまい

そういうサイズから、そういう量なのだと納得した。


同じような放精をかつて鯨でみたことがある。

鯨はその豊富な精液の量で他のオスのものを洗い流すのだという。

これではまるで海生哺乳類ではないか

ゴリラ人間性差より大きな遺伝子差を感じた。

仮にそのような民族海人族とする。

中東の人のアレはものすごくでかくて日本人と形が違いすぎてあれがなかなか普通にはできないといううわさ話しがある。うわさ話だ。

アフリカで生まれ人類中東あたりで一度海や磯辺生活する種に分化したのではないだろうか?

例えば日本にも、父系をたどると海に沈んでしまった南海洋あたりをルーツとする人たちがいる。

ものすごくアレがでかい人の遺伝子をたどると、何か違う系統がわかるのではないかとすごく興味が湧いた。


別に賢者タイムではない。

2020-12-28

村田ワンパンマンの展開が心底気に入らねえ


 村田パンマンについてはずっと前から気に食わなかったけど、今回最新話でのタツマキとブラストの邂逅のシーンで完全にキレたわ


 まずこのブラストの登場シーンが背景ホワイトになってるのが気に食わねえ。ここは、村田意図的原作との方向性を変えた部分だと思う。

 原作においてブラスト趣味ヒーローとしての役割を貫徹する一種の異常者として描かれており、一種ダークヒーローとしての役割を持っている。一方で村田パンマンにおいて、ブラストヒーロー化身として全てを救済する完全な理想図、言わばヒーロー青写真として描かれているのだけれど、はっきり言えばこれは村田解釈の逸脱である上に、「とりあえず原作とは方針逆にして攻めてみました」くらいの浅い作品理解が見え見えになってて辛い

 まず原作ワンパンマン106話におけるブラストセリフ「いざという時に誰かが助けに来てくれると思ってはならない」を、村田は、「強者の心得として」という(余計な)一言を付けてダウングレードした解釈を行っている。

 ちがう。全然違う。

 第一に、原作ワンパンマンにおいてブラスト純粋に異常者なのである主人公サイタマがそうであるように、ブラストは一介の人間趣味ヒーロー活動をしているに過ぎず、その精神根本には「趣味楽しいからやってる」という以上の信念が存在していないことは、原作最新話に至るまでのサイタマ発言を見れば一目瞭然である。そして、ポイントはサイタマにせよブラストにせよ、自身一種の異常者であることを自覚しているところだ。そう、普通人間ヒーローに憧れて自分を血反吐ぶちまけるまでに鍛え上げて怪人とタイマンで戦ったりしないのである。誰かを助けるためにスタコラ駆けつけたりしないのである。じゃあ何でそんなことをするのか、ヒーローとしての義務感があるのか? 誰かを助けなければならないという強迫的な使命感に促されているのか? 違う。「趣味」なのである

 そんなあやふや精神条件において何年ものヒーロー活動を行い続けることができているブラストとサイタマ根本的に異常者なのであり、また、サイタマ自身が述べているように、そのような常軌を逸した行動の反動として、そもそもサイタマ自分自身空虚さを日々感じているのだ。強くなりすぎてしまった、と。


 その辺の解釈が全く村田パンマンに通っていないことに俺は以前からかなりの怒りを抱いていた。勿論、村田イラストレーターとしての技術画力業界随一のものであることは確かなのだけれど、彼はそもそもジャンプ編集部から何故自身原作作画双方を担当する漫画を任せてもらえなかったのかを根本的に理解していない気がする。そう、作品理解構成根本的に浅いのだ!

 多分村田雄介という漫画家は努力と才能の二本の柱によって自己ブラッシュアップしてきた人間から、ある種の才能の無い人間葛藤とかそういうもの無理解なんだろうなと思う。ある種の人間の心の動きとか細かい心の機微といったもの無知なんだろうなと思わざるを得ない。才能がある人間特有浅薄さが彼のアイディアからは漂ってしまう。彼にはそういう意味編集から仕事を受け渡しづらかったんではないかと思う。ハァーーーーーーーーーー。

 とりあえず一番最初違和感を抱いたのは「海人族編」である。同編のクライマックス自分の腕の中に倒れ込んだ無免ライダーに対して、サイタマがポツリと言うシーン。

「よくやった ナイスファイト

 村田版と原作ONE版においてそのシーンの描き方の差は顕著である


 村田版:サイタマ笑顔で無免ライダーを受け止める。まるで部活コーチ選手を褒めるかのように。

 ONE版:サイタマは無表情に無免ライダーを受け止める。感情の動きは伺えない。


 この時点で二人の作品理解の深度が全く異なっていることは明らかであるONE原作なのだから当然なんだけど)、そう、先に述べた通りサイタマ日常空虚を抱えているのでそもそも根本的には無免ライダーの奮闘に感動していないのである。それは、同編ラストシーンにおける「つまんねえな、今回は期待したんだけど」というセリフからも明らかである

 村田に対して言いたいのは、何でそんな感情豊かやねん、という話である。勿論、これと同趣旨ツッコミは散々浴びせられてるだろうから村田にとってはこういう意見は今更なんだろうけれど。でも、それにしても作品解釈が雑すぎんかね? という話なんです。

 他にも、同場面において、背後から一撃を加えたにも関わらず何らダメージを受けたようには見えないサイタマに対して、海人王が沈黙の後に名乗りを上げるシーン。ここも明らかに原作意図を掴み切れていない浅薄描写となっている。本編において海人王はサイタマ生物としてのポテンシャルの高さを如実に感じ取っており、やや苦戦したジェノスと比較してさえなお「今までのゴミとは明らかに違う」と述べている。このことからして、海人王はこの時点で自身の敗北を些か覚悟していた可能性が高い。その上で、これまでどのヒーローと相対した時にも発さなかった「名乗り」を上げるのである

 つまりこの名乗りは、自身の敗北の予感を覚えつつも、目の前の強者推定)に対して敬意を表した「名乗り」だと言えるのだ。自分と同等かそれ以上の生命体を目の前にして、戦闘を開始する前に礼儀を尽くそうとしたのである敵役ながら天晴な心理描写に俺は感動してしまっていた。でも、当然ながら村田パンマンにおいてはそのような感情機微が捉えられている様子はない。ガッカリ


 そういった村田パンマン原作との齟齬は全体的にはそれほど多くないものの、時折というペースで伺えてしまうのである

 例えば地獄のフブキとサイタマ最初に邂逅するシーン。フブキは戦闘においてナイフを取り出しサイタマに切り掛かる。その目尻には涙が浮かんでいる。

 この涙は、フブキのナイーヴさの表現であることは明らかなのだけれど、その解釈ONE村田では幾分異なっているように見える。


村田版:子供自分の願いを聞き届けられなかったかのような悔しさを滲ませた涙

ONE版:目の前の相手に対する恐怖、そしてナイフという直接相手を傷つける武器によって相手殺傷することへのストレスを含んだ涙


 やはりこの描写からも二人の作品に対する深度の違いが現れているようでならない。村田普段仕事はきちんとしてるんだけれど、こういう見せ場みたいなシーンでしょうもない解釈ドヤ顔ブツけてくるからホント辛い。上記の通り、フブキはナイーヴであるため根本的に他者を傷つけることにストレスを感じていることが前後の流れから読み取れる。更には、相手武器で傷つけてまで自分地位を守ろうとすることへの葛藤さえもその表情から伺える。一方で村田……ヘイ村田

 上記の通りフブキの涙についての解釈が、その表情に関する解釈が、村田パンマンには希薄であるように思われるのだ。

 というわけで作品解釈がところどころ浅いっつーか、キャラクター人格根本の部分について村田は読み違えているように思えてならないのだ。いやまあ大体は大丈夫なんだけど、原作ファンとしては「ここが見せ場!」ってなってる場面でやらかすのが村田って感じなんだよな。例えば無免ライダーナイーヴファンボーイ的なキャラクターとして描写してるきらいが村田にはあるけれど、無免ライダーヒーローに対して明るい観念ばかりを持ってるファンボーイじゃなくて、ヒーローとしての自分への失望とか周囲の人間自分に向ける視線への恐怖(タンクトップタイガー発言「C級1位の座寄越せ!」などに代表される)と日頃戦っているキャラクターの筈なのだ。つまり根本的に暗くて弱い人間の筈なのだ。それでも、信念に従って倒されても立ち上がって戦い続けているから彼は魅力的なのだ

 なのに村田ときたら無免ライダーのことを「スパイダーマンに憧れたのでとりあえずスパイダーマンコスプレしてみた」的なファンボーイとして描いている。ハァー、バカチンが。


 まあ勿論繰り返すように全体は丁寧で、仮に褒めるとすればボロス編とかは全面的に良かったと思うんだけど。でもところどころやらかしてんだよなあ村田は。

 長くなったけど今回の最新話での蛇足描写もそうで、「強者の心得として」っていうセリフはいらなかったの。

 これは俺の作品解釈なのでONE想像と合ってるかどうか分からないけれど……、恐らく「いざという時に誰かが助けてくれると思ってはならない」というセリフは、根本的にブラストの優しさと厳しさの混じったセリフっていうところは当然村田解釈しているのと同じなんだけど、根本的にそこには齟齬があるようでならない。

 つまりあのセリフは「人を助けるってことは普通人間にはできない」という意味が籠もってると思うんだよな。

 だから普通人間にはできないことを期待しちゃいけない、って意味なんだと思う。そしてここで述べた解釈もまた表面的な解釈に過ぎず、裏を返してみればブラストが言いたかったのは次のことだろう。

「人を助ける人間は異常者だ」

 ってこと。

 繰り返すように、ブラスト趣味ヒーロー活動をしている自分の異常性について幾分自覚である。「普段は働いていて、これは趣味なんだけどね」と原作において付け足している部分からも明らかであるように、「自分はこんな異常者じみた活動をしてるけど、普段普通社会人なんだ」という、既に解消され消化されたであろう葛藤の、単なる痕跡としての「後ろめたさ」を匂わせているのである。そう、ヒーロー活動なんて本来は異常者の行うことなである。サイタマしかガロしかり、本当にヒーロー活動に真面目に取り組んでいる連中なんて皆まとめて異常者なのだ

 そしてブラスト自己意識においてもソフィスティケートされているので自身の異常性を認識している。彼はこう言う。「(自分ちょっとおかしいか趣味の一環で君を助けたりはするけれど、そうじゃない普通の人が君を助けることなんてまずないのだから、)いざという時に誰かが助けてくれると思ってはいけない」と。そしてここには更に裏の意図が込められていて、つまり「誰かを助けるなんてことを考えるのは、誰かに助けてもらいたいという弱者の望みを叶えようとするのは、根本的には異常者の仕事だ。君が、そういう弱者の望みを叶えたり、あるいは、『誰も助けになんて来てくれないのが普通の世の中』に対して忸怩たる感情を抱いているなら、君自身が異常者になって、つまりはただ助けを待ち望むだけで誰かを助けることのない普通人間から抜け出して、誰かを助ける側に回るしかないんだよ」と。


 ブラストはそういうヒーローなのだ。異常者としての、しかしサイタマガロウと同じく善なる傾向を持つと同時に、冷徹感情をも持ち合わせるダークヒーローであるのだ。その辺のしっかりとした解釈を、村田自分仕事に持ち込んでもらいたい。以上一読者から意見でした。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん