はてなキーワード: 繋ぎとは
名前だって如何にも女の子らしいものだ(男性にもわたしと同じ名前の人はいるかも知れないが、何年もずっと人気な名前ランキングなるものに自分と同じ名前が入っているくらいだし、世間的にはこれは「女の子らしい」名前なのだと思う)。
女性として生きているからには、多くの人が男性に恋をするのだろう。
もちろん恋愛対象が同性であったり、異性も同性もどちらもであったりする人も少なくはないだろう。
そう長いものではないこの人生の中でも、わたしには男性の恋人が居たことがある。
告白したり付き合ったりにはならないまでも、同級の男子に恐らく恋と思われる気持ちを抱いたこともある。
そして、ただとても仲が良い友達であるだけのはずの女の子に彼氏が出来て、ひどくショックを受けたこともある。
おかしな話だ。
仲の良い友人に、彼氏が出来た。
それは、わたしにとってその彼氏が余程憎い人間であるだとか、彼女本人がそれを辛いことだと思っているのが見て取れるだとか、そういった特殊な場合以外は、祝えて当然とも言える出来事なのではないだろうか。
「今まで通りには遊べなくなるかなぁ」と少し寂しく感じることはあっても、何故だか少しもめでたい事だと思えなくて涙が出そうになるなんてことがあるのだろうか。
わたしは友人の彼氏の事を憎いと感じたことは無かったし、彼氏が出来たんだ、とわたしに報告してくる彼女は本当に嬉しそうだったし、なんであんなにもショックを受けたのか、全く分からなかった。
わたしはもしかして、彼女に恋をしていたのだろうか。あの涙が出そうなくらいの大きなショックは、失恋だったのだろうか。
人に対してどんな想いを抱いたら、それを「恋」と呼べるのだろうか。
一緒に話していて楽しいな、と思った。
くじ引きで行われた席替えで隣の席になったことが、ひどく嬉しかった。
わたしがこれは「恋」なんだろうなと思ってきた気持ちはそんなものばかりだった。
「恋」には付き物であろうそういう気持ちは、一度も抱いたことがないことに気が付いた。
では、わたしが今まで「恋」だと思ってきた気持ちはなんだったのだろう。
友人に彼氏が出来た時に感じたあの絶望感は、なんだったのだろう。
わたしは今までの人生で、「恋」をしたことがないのではないか。
そう思った瞬間、ひどく恐ろしく思った。
わたしがこれまで「恋」だと思ってきた気持ちが、本当に「恋」だったとしたら。
わたしはきっと恋愛対象が同性だけでも異性だけでもない、両性愛者、バイセクシュアルとされる存在なのだろう。
それならそれで、まあ、いい。
わたしがこれまで「恋」だと思ってきた気持ちが、本当は「恋」ではなかったとしたら。
こんな文章を長々と書くにあたって、何も調べなかったわけではない。
「恋」がわからないのが、まだ「恋」をしたことがないからなのか、そもそもわたしに「恋」という感情が備わっていないからなのか、全然わからない!
そうだとしたら、わたしはいつになったら「恋」が出来るのだろう。
恋がしたいわけではないけど、この気持ちへの答えは欲しい。
わたしは一体なんなんだろう。
岡田斗司夫の元愛人を名乗る人物がtwitter上で暴露漫画を描いたことでネット上で物議をかもしている。
これが非常に面白いのだ。
そもそも岡田斗司夫は80人近くの女性と彼氏彼女の関係をもっていたと発言したのだが、ふたを開ければというかあけるまでもなくわかっていたことだが、それは愛人契約以外の何ものでもないということがわかった。
もちろんその事実がわかった段階では岡田氏を擁護する者は少なかったし、消極的に岡田氏を擁護する者はいても、全肯定したり、女の自業自得だ自己責任だと切り捨てる者は感覚的に少なかったように思われる。
しかし、この暴露漫画がtwitter上で話題になると岡田氏批判と擁護が拮抗しているように思われるのだ。(勝手に思っている)
何故なのか?
この疑問こそが僕の出発点だった。
僕の立場を言えば岡田氏のやっていることは100%間違っている。全否定派である。
のにだ。何故か批判派の論理はどこか矛盾しているように感じ擁護している側のほうにも正当性があるように感じてしまったのだ。これは考える価値のある疑問のように思われたので拙い知識で少し論じてみようと思う。
何故、岡田氏擁護側のほうにも論理的正しさを感じ、批判している側に矛盾を感じたのか。
これこそフェミニズムとネオリベラリズムのねじれ現象だと思うのだ。
批判派の論理はフェミニズム的思想によって行われ。擁護派の論理はネオリベラリズム的思想によって行われているのだ。
しかしこの二つの思想は僕にとっては共闘関係にあり手と手を繋ぎあっている仲間だと思っていたのだ!(書いてる途中でしったのだが、どうやらフェミニズムとネオリベラリズムはの関係性は大昔から論じられてきたらしい)
もちろんフェミニズムもネオリベラリズムも一枚岩ではないということは重々承知なのだが、もともと自由平等博愛という世界観を生み出した自由主義者たちが資本主義者と手を結びその中でで男女同権男女平等を唄うフェミニズム思想が生まれたのだと思えば、フェミニストは基本的に自由主義者だしネオリベラリスト達が掲げる国際化グローバリズム的思想とも
フェミニスト達は手を組めてしまうのだ。なぜならネオリベラリスト新自由主義者達は歴史、伝統、文化、国家などを解体し国境や国籍をなくし市場を開いて自由に! 平等に! 競争し貿易し取引し資本を儲けるという考え方なのだとしたら、
フェミニズムにとって邪魔な伝統や文化、家や血、身分や階級からの開放と非常に親和性の高いものだということがわかる。
つまりフェミニストの大半はおそらくグローバリストでありネオリベラリストなのだ。
ネオリベラリストたちの多くは自分のことをフェミニストだと思っている事だろう。
岡田氏擁護の論法はこうだ岡田氏はちゃんと見返りを与えている、それに選択肢も与えている、だったら女性の自己責任であろう、と。
これは男女の関係を金や権力または見た目の美しさかっこよさのみで取引できるという考え方が染み付いているのだろう。
さらに付け加えれば金や権力、美貌以外の価値観こそ女性を抑圧し束縛するものだと思っている可能性すらあるのだ。
最近togetterにまとめられていた「フェミニズムを拗らせた結果、レイプものや売春もの等しか受け付けなくなった人達(と、百合しか受け付けなくなった人達)」というのを読んだのだが、彼らは金、権力、美貌以外のもので男女が恋愛できるということを信じられなくなっているのだ! これは歴史でも伝統でも文化でも宗教でも国家でも家でも血でも身分でも階級でもなんでもいいんだけれど、そういったものにまったくリアリティを感じられない人たちに起こる現象ではないか? 彼らが異性と共有できる価値観なんてもはや金しかないと信じているのである。
そんな彼らがフェミニズムを拗らせたと名乗っているのだから面白い。
フェミニストがネオリベラリズムに正当性を与えネオリベラリストがフェミニズムの理論を武装したのである。
ネオリベラリズムの思想のなかには間違いなくフェミニズム的思想を取り込んでいるし。フェミニズムのなかにもネオリベラリズムと共有する価値観はあるということは間違いない。
しかしこの岡田斗司夫問題で、一見、僕からすれば同じグループの人間たちが喧嘩を始めるという奇妙さによって、フェミニズムとネオリベラリズムには価値観の多くを共有しているが、決定的に相容れない全く共有できない価値観があるということが浮き彫りになったのだ。(岡田氏本人がネオリベかどうかはよく知らない)
そんなの当たり前だろとおっしゃる方もいるだろうが、僕にとってこれは発見であり、フェミニズムという思想には大きな矛盾と逆説を抱えているように思ったのだ。
もちろん岡田氏を批判している多くの人は別にフェミニストなどではなくただ直感で不愉快に思ったからだろうが……。そのなかに紛れているフェミニスト達を見ていると(岡田はパワハラで性暴力で女性の敵! といった意見)岡田氏の様な恋愛資本主義的な思想に正当性をもたせたのはフェミニズムなんじゃないのかと思わずにはいられないのだ。
これまでフェミニストはどう考えてもネオリベラリストたちを利用してきたように思われる。
歴史、伝統、文化、国家からの開放という理念、男性社会からの開放という思想は
国家主導の経済政策ニューディーラーやケインズ理論のような社会主義的な政策を嫌うネオリベラリストをフェミニストは利用し、
男女同権をネオリベラリズムによる労働規制の緩和と非正規雇用や外国人労働者などを使った低賃金化といった改革によって達成した。
そして行き着いた先これである。
自由と平等を過激に極端に推し進め規制は悪であるという考え方が導き出した論理こそ弱肉強食なのだ。
クルーグマンもスティグリッツも最近話題のピケティも言っている格差問題はネオリベラリズムによるところが大きいが、
フェミニスト達にも米国におけるトップ1%が金融危機以来95%の富を得ている等の責任があるように思えてならない。
ネオリベラリズム的政策に正当性を与えたことは言うまでもない。
僕は今フェミニストがネオリベラリズムを利用したといったが、もちろんネオリベラリストがフェミニズムを利用したことも疑いようのない事実だとは思う。お互いがお互いをうまく利用してやろうとしたのだろう。
だからこそフェミニスト側が、ネオリベに裏切られた! 私達は被害者だというのはやめてもらいたい。ネオリベラリズムの思想によってフェミニズムの目的の大部分は達成したのだろうから。それが仮に弱肉強食にさらされるという事であっても……。
別に男と女が対立するのも結構だが、格差問題が深刻になりつつある今、フェミニストがやることはネオリベラリズム批判ではないだろうか?
フェミニスト達が今回の暴露漫画における岡田氏擁護派の論理、つまり弱肉強食という考え方を否定し資本による自由平等を批判しても、恐ろしいことにそれを望んでいたのは(少なくともそう見えた)フェミニストなのだから自分で自分を殴っているような滑稽さ、それが僕の違和感であり矛盾であり、擁護派にもそれなりの正当性があるように思えた理由なのだ。
家や見合いを否定し自由恋愛が生まれ、今度は家庭を否定し、恋愛資本主義にまでいきつき男女ともに恋愛による価値観は金と権力と美貌しかなくなるのも頷ける。
金と権力があればモテルやただしイケメンに限るなんてのもネオリベラリズムに毒されれば必然的な帰結だろう。
このような思考回路を持つ、岡田氏を擁護する人間や岡田氏の様な人間を作り上げたてしまった責任の一部にフェミニスト達が関係していることを考えるとなんともいえない気持ちになる。
男女の平等を達成するためにネオリベラリズムを利用したらネオリベラリストによって性的被害を受けた、なんと皮肉なことか。
弱肉強食と男女平等が共存する社会が仮にあるとすればそれは旧石器時代のようなものではないか? それこそがフェミニストとネオリベラリストの理想郷であることは疑いようもない。
絶頂数 3回
総評 ★★☆☆☆
3月、春の訪れと言うにはまだ早いが梅の花が咲いているのを見た。
そして花咲けるのは梅だけではない、この千葉のど真ん中にもひときわ大きく咲き乱れる「女体(ハナ)」があった…。
わたしはデブなのでマイクロビキニがピコ、フェムトって感じになった。
乳首がギリギリ隠れるぐらいの布面積、四捨五入して実質裸みたいな。
今度こそ好きな人と1戦交える…と。
メイド服については自炊の時のテンションを上げるために買っただけなので割愛する。
また興奮したのでスマホで動画を漁り、マイクロビキニ着た女が複数人に責め立てられてるものを見つけた。
「おーいおーい!なに普通に感じてんだ!!」「こういうの好きでしょ?好き?早く言えよ」などとうるさいヤジが飛び交っていた。
言葉責めも悪くない。正直好き。
想像だけでクリチンポが爆発しそうだった。
バイブあてたら逝った。外イキ1回。
ちなみに隣の部屋に好きな人が住んでいる。
また聞かせてやろうと思って中で2回ほど逝ってやった。
外イキを決めた時からあかんなあとは思っていたがやはり気分が乗らなくなってしまった。
好きな人を部屋に連れ込んだことは数度ある。
もちろん男なのでたくさん触ってくる。当たり前だ。
おっぱいも揉むし、股間をパンツの上からさするぐらいはしてくる。
酒が入ってた時はズボン越しに股間を尻に押し付けたりもしてきた。
明言はしないが恐らく彼が枯れているからだ。(ダジャレじゃない)
「好きな子は時間かけて大事にしないと」と言っていたがたぶん違う。ちんぽの霊圧が消えている。
別にできないならしなくていい、手を繋いで寄り添うだけであんなにも楽しかったのだから…。恋焦がれている…。Jet'aime…。
このように外イキをすると、ディルドーを
はめたまま恋の空想に耽るマイクロビキニを着たオタフクソースが生まれてしまう。
次に梅が咲く頃、きっとわたしはこの部屋にいない。
それまでにどうにかワンチャンもっていけるだろうか。
お昼休憩中にホッテントリ見てたら、40代で新卒採用の話などがあって、触発されたので書いてみる。
ちゃんと正社員になって半年くらいお勤めしてから書こうと思ったけど、生理痛で眠れない夜でもあるので書いて眠気を誘ってみようという意図もある。
よろしければお付き合いください。
当方30代前半の女で、大学を卒業してからずっと非正規雇用で働いてきたが、来月から正社員として働くことになった。
派遣社員の無期雇用制度が実質的にこの4月から始まり、それを阻止しようとしての派遣切りなどが取り沙汰されている現状で本当に有り難いことだと思う。
そもそもにして、大学にはとある資格を取りたくて行ったのだが、勉強すればするほど自分に向いてないと思い、資格だけ取って卒業。
事務職を希望して就活したが、「どうしてその資格生かさないの?」と言われ続けて惨敗、新卒カードを失った。
中途半端に資格だけあってもむしろ邪魔だと悟ったが、後にこの資格が間接的にだけど生きることになる。
派遣や他の非正規雇用として食い繋ぎ、無職になるたび正社員を目指してハロワ通いをしたけれど、
25才以下で5年以上の事務職経験者が応募可能などと無理ゲー条件ばかりで、やはり就活は負け続けであった。
市役所で受付したり、総務事務の手伝いをしたり、はたまた電子書籍を作ったりなど、履歴書の職歴欄ばかり無駄に増やしてから今の職場に派遣された。
職務内容としては、専門職をサポートする事務全般といったところ。
専門職として長年活躍されてきた方は、もちろん職種にもよるのだが、全般的にパソコン操作に疎い方が多い。
私はパソコンがそれなりに得意だった。はてなーの方々のようにプログラミング言語がもの凄くできるという訳ではないし、
MOSなどの資格がある訳ではないが、ExcelやAccessがある程度は出来たし、変な動画の作成をしたりだとか、趣味のサイトを持っていた時期があった。
なのでOffice系に限らず動画や画像の編集なども含めてパソコンの仕事を引き受けたり、あるいはいわゆる「パソコンの大先生」をしていたら、専門職の方々には気に入られた。
また、時期は前後するけど、職場でシステムの入れ替えがあったのね。
これは自分でもうまく説明できないのだけど、社内で使用するシステムの把握が、自分は他の人よりも早く出来るようだった。
システムがどう動くかとか、どのマスタをいじればあそこが動くとか、ここを動かせばあそこが上手く回るとか、そういうことを把握するのがなぜか得意だった。
(総務事務の仕事をしていた時にもシステム入れ替えがあり同様のことがあったので、システムの構造の把握?のようなことができるんだと思う。
ここら辺は自分でも何で得意かは分からない。感覚的に動かしてみれば大体解決する感じ)
加えて、入れ替え後のシステムは以前のシステムの機能を全て再現できる訳ではなく、しかしその機能はないともの凄く不便だったので、
AccessやVBAなどでその機能を補完できる仕組みを作ったりとかした。出力したCSVをぶち込めば自動処理、みたいなヤツ。
あとはどうしてもシステムが苦手な人のために、マニュアルを作ってたりもした。開発会社から渡されたマニュアルは純粋に機能の紹介だけだったので、
実際の業務に即したマニュアルを隙間時間を使ってちょこちょこ作った。
そういう感じで「パソコンの大先生」をやりつつ、「システムが一番できる人」もやって云年間。
社員になりたい気持ちはあったけど声は掛からないし、派遣会社に無期雇用の話をしたら嫌な顔されたし、他にもきな臭い話が出ていた。あと実家の母の調子が悪くなった。
派遣社員にしてはそこそこいい条件で働かせてもらっていたのだが(地域の最低時給+200円、交通費半額支給、社会保険加入)、
通勤に1時間以上かかるし、実家からも遠い場所にあったので、それじゃあ多少条件は下がっても、実家に近いところでまた探そうかなと思って退職を申し出た。
そしたら、ちょっと待ってと言われて待っていたけど、どうせ探すんなら年度の切り替わりの時期がいいので、派遣契約はこの3月で終了、更新の意志はない旨ははっきり伝えていた。
そうして退職の準備をしていた先日、上司と人事の人に呼ばれて、今度の4月から正社員にするからという有り難い話をいただいたので、二つ返事で了承。
上司はいつの間にか推薦書を書いてくれて、上に掛け合ってくれていたらしい。ほんといつの間にそんなことしていたの、ありがとうございます。
実家の母はめっちゃ喜んでくれて、どうにかなるから初めての正社員生活頑張れって言ってくれた。社員採用の話を聞いたらちょっと元気になったんだって。これまた有り難い話である。
何のかんの書いたけど、私は事務職として優秀という訳ではなく、今日もとんでもないミスをして上司に助けていただいた。
恩を仇で返すというのはこのことである。今日からまた気持ちを入れ替えて挽回します。
あと、今の職場にいる専門職の方には、私が持っている例の資格を生業とされる方もいらっしゃるので、本当に間接的だけど役立っている。
これも全然書いてなかったけど、システム動かすのも楽しければ他の業務も(得手不得手は別として)とても楽しい。
天職だと思っていたから、正社員になれたのは本当に本当に嬉しいし、これからもっともっと頑張ろうって気力が湧いてきている。
派遣社員を取り巻く情勢は厳しくなるばかりだし、私のこの経験が派遣社員として働く方の希望になるとも全く思わない。
なりたくてもなれずに涙を呑んだ人もたくさん知っている。
でも私にはこういうことがあったというだけ、頭の隅っこで覚えていてもらえると、ちょっと嬉しい。
さてさて、いきなりタイトルがこれですが、何で書こうかと思えば2月14日に配信したミリオンのニコ生がミリシタのことは触れてもコンテンツとしてのミリオン5周年に全然触れてないので、5周年前日というこの日にこちらが勝手に振り返ってみましょうかと。本当は副題に「-ミリオンライブ 5周年に寄せて-」と入れるつもりでしたが、入らなかったのでここに記載w
なお、筆者はどちらかといえばデレマス寄りの人間ですので、それを承知の上でお読みください。
元よりこの作品、あらゆる意味で「大人の事情」が複雑に絡み合った作品でした。遡ること2011年11月に先んじて「シンデレラガールズ」(モバマス)がリリースされたわけですが、想定の10倍の売上を記録したもんだからバンナムにとってもソーシャルゲームは稼げると確信付けたに違いありません。しかしモバマスはCygamesに外注したが故に当然レベニューシェアが何割か取られることになります。そこで本家の開発陣で作った純正のアイマスソシャゲを作ることで自社の収益を最大化したいのは言うまでもありません。
一方でモバマスの人気に指を咥えていた会社もいました。モバゲー(DeNA)のライバルであるGREEです。元々他でヒットしたソーシャルゲームを模倣して売上を伸ばしていた同社からすれば、アイマスは喉から手が出る程欲しい作品です。こうした利害の一致からバンナムとGREEは戦略的業務提携し、GREE版アイマスの開発がスタートしました。
ところでこのGREE版アイマスは当初男性アイドル物になるはずでしたが、坂上総合プロデューサーによって時期尚早と待ったがかけられ「765プロの新人」という設定に変わりました。また、上層部からはモバマスのように100人のアイドルを出せとの指示もあったようですが、結局は50人(765AS13人+新規37人)に落ち着きました。グリマスがいわゆるSideMのようなものとして生まれてたらどんな未来だったか想像つきませんよね。
さらにバンナムはもう一つの課題を抱えていました。IP(知的財産)を軸としたグループ企業間の連携です。今までアイマスの音楽CDは日本コロムビアが販売してますが、これを自社グループ傘下のランティスからも発売すれば当然グループ連結の売上にも寄与します。そんな形でGREE版アイマス、即ちミリオンライブ!(以下グリマス)は誕生します。
ここで寝耳に水だったのはモバマスの開発元であるCygamesやモバマスの出演声優陣です。木村取締役(当時)の「サイゲームスとモバマスユーザーはズッ友だよ」発言や、一部出演声優からの発言からも察するに、グリマスが出れば自分たちはお役御免になってしまうのではないか、そういう危機感があったのです。
奇しくもモバマスのテーマ曲「お願い!シンデレラ」(4月10日)とグリマスのテーマ曲「Thank you!」(4月24日)はほぼ同時期に発売、しかも「Thank you!」は8thライブの先行抽選販売まで付いていました。極め付けは2014年公開の「THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!」でミリオンのアイドル7人が出演すると聴いてアニメ出演まで出し抜かれてしまいます。なお2013年当時のモバマスはオンラインゲームとしては「艦これ」、二次元アイドル物としては「ラブライブ!」という強力なライバルの奇襲に囲まれてました。つまり前門の艦これラブライブ、後門のミリオンライブ!という状況だったのです。
もっともこれがモバマスが奮起する原動力にもなりました。CINDERELLA MASTERシリーズや年1回の総選挙でボイス付きのアイドルを増やし、新規イベントを次々と増やすことでユーザーの繋ぎ止めを図ったのです。単独ライブもアニメ化も、いわば自分達で掴んだようなものです。
さらにCygamesが水面下で開発していた新作RPG「グランブルーファンタジー」も助け舟になりました。2014年秋に開催されたコラボイベントはモバマスを梃子にグラブルのユーザー数や売上を拡大した契機になり、またアニメ化前にPの熱気を暖めることにも成功しています。つまりこの逆境が無ければ今のシンデレラガールズもCygamesもなかったことでしょう。
2015年から始まったアニメが軌道に乗ったシンデレラガールズに対して、ミリオンライブ!は苦境を迎えることになります。初年度から2年目こそ毎月のようにCDがリリースされる程勢いは良かったのですが、コアであるゲームのアクティブユーザーや売上が漸減していってたのです。それもそのはず、グリマスがリリースされた2013年は前年に「iPhone5」が発売し、「パズル&ドラゴンズ」(パスドラ)等のヒットでブラウザソーシャルゲームからネイティブアプリにトレンドが移行していました。アイドル物でも「ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル」(スクフェス)などアプリを主戦場とするタイトルが中心となり、前時代的なブラウザソーシャルゲームでは太刀打ちできる状況ではなかったのです。でも楽曲のストックは沢山あるのだからリズムゲームを中心にしたアプリに移行すればいいと皆考えるでしょう。
ところがここで思わぬ伏兵が出てきます。そう、シンデレラガールズのリズムゲーム「スターライトステージ」(以下デレステ)です。完成度の高い3Dモデルによるリッチな演出、アニメまでの楽曲の少なさを逆手に取ったイベント新曲の導入、まるで玩具箱の人形が飛び出してきたかのようなルーム機能…元よりのシンデレラガールズ達の知名度の高さも手伝って、デレステは瞬く間にスマホ向けリズムゲームのトップシェアに上り詰め、今や国産ゲームアプリでも年間10位以内の売上を誇ります。想定以上の大型タイトルが出現したため、当初2Dで開発していたというミリオンライブのアプリ化計画は振り出しに戻されます。
そして2017年にようやくリズムゲーム「シアターデイズ」(ミリシタ)をリリースすることになります。デレステを越えるアプリにすべくパートによる歌い分けやフルポリゴンによるコミュニケーションパートなど意欲的な技術が導入されるのでした。サービス開始当初は配信楽曲の少なさやイベントスケジュールの遅さなどが響きつまづきましたが、最近になりようやく毎週のセールスランキングで上位に食い込むようになりました。さすがにデレステ程でなくてもリスクヘッジのようにデレステが売上の谷間を作りやすい月の半ばから下旬を補完するくらいにはなったのです。P視点ではグリマスサービス終了の影響か「俺たちがミリオンを支えなくてどうするんだ」と奮起するようになったのではないかとも考えられます。
てな訳で皮肉なことに同じアイマス一家の姉シンデレラと妹ミリオンがライバルとして、互いを高め合うべく切磋琢磨しているのです。しかしシンデレラもミリオンもまだ安穏としていられません。スマホ向けアイドルリズムゲームの元祖スクフェスが3DCGを身につけた新アプリとなって逆襲の機会を伺ってますし、今春グリマスのサービス終了と引き換えに、完全新作「アイドルマスター シャイニーカラーズ」(シャニマス)が控えています。同じアイマス一家にも新入りの後輩というライバルが生まれるのです。
思えばアイマスの歴史は逆境を乗り越える歴史でした。大体最初のアニメ化はサンライズ側の都合で設定や声優まで替えられてしまうような作品でした((ゼノグラシア自体はスパロボX-Ω参戦など、むしろ公式も積極的に弄ってくれてるのでもう誰も気にしてませんがね))。それでも9.18という混乱を乗り越えてアニメで栄華を極めた765プロ、所詮傍流という立場から奮起し、今やアイマスは元より二次元アイドル物有数の稼ぎ頭に進化したシンデレラガールズ、先の9.18で生まれたが故に「忌み子」扱いされたJupiterが新たな事務所、新たな仲間と共に真の栄光を掴んだSideM…みんな苦難を乗り越えて今の栄華があるのです。
ならばミリオンライブ!の逆境はまさしく今ではないでしょうか。原典の終了、アニメ化の目処も立たず、シャニマスという後輩が生まれる今だからこそです。ミリシタを拠点に再起を図り、逆境を乗り越えた先にこそミリオンライブ!の真の未来が見えるはずです。だって、「765プロの未来はここにある」んですから。
原作ではゼノンが自ら宣戦布告して人類にデーモンの存在が明らかになる流れだったが、crybabyでは了が自ら権力を駆使してデーモンの存在を知らしめるためにあの手この手滅茶苦茶やる。その行為に必然性が感じられない。
露骨なまでにデーモン優位になるような状況を作り上げ、嬉しそうに「これで人類はみんな死ぬぞーアハハハ」と明に演説するのは一体何がしたかったのだろう。
「今作の了は最初からサタンの記憶を持っていた」ぐらいじゃないと、これらの了の奇行に納得のいく説明を付けられないと思うんだが。
でも明が「デビルマン軍団を作って戦う!」宣言したとたん「や・・・やめろ!!!」と途端に焦りだす。「裏目にでやがった」なんて原作台詞まで飛び出す。いや当たり前だろ、そうなるに決まってんだろ普通。マジで何がしたいんだよ了、馬鹿かよお前。
この後原作通りサイコジェニーにサタンの記憶蘇らせてもらうわけだが、そんな事しなくても最初からサタンモードだっただろ今回の了。
原作では了が完全に人類を裏切ったと判断したから了を捕えるために覚悟の出撃をする、その間に牧村夫妻の救出もしなくちゃならなくなったので、牧村家に戻って美樹を守る機会を失ってしまう。
crybabyでは、その前の話数ですでに牧村夫妻と太郎(原作でいうところのタレちゃん)はあっさり処理られるように死んでしまってる上に、きっと何かの間違いだから了に話聞きに行くわ的な感覚で牧村家を離れようとする明は正気か???状況分かってんの?????と言わざるを得ない。で、途中悪魔狩りを諌めたり(これがまた説得力が感じられない)ゼノン達に襲撃された挙句、了に会いに行く事なく「美樹、戻るよ!!」お前何しにいったんだよ!!!!!馬鹿かよ!!!!!!!!!!
んで、「地獄に落ちろ人間ども!!!!!」をやって次の回(最終回)では何の説明もなくまた「人類はデーモンに屈しねー!!!」お前本気で馬鹿だろ!!!!!!!!!!!
・ミーコのコンプレックス何も解決してなくない??何で良い感じに浄化された風になってんの???
・明に守られたのに速攻裏切って速攻殺されて何のフォローも無い幸田。ゲイ設定いる?海外にいい顔したいだけ?
・ラッパーのチビが裏切るのはミーコに友達食われてんの察したからなのはわかるけど、その結果他の友達もみんな殺されてんのに悪魔狩りとウッホウッホやってんの何それ
・リンチして殺したりしてんのに、ガキが明をぎゅっしただけであっさり改心する悪魔狩り。お前ら死ねよ本当に。
・あんだけ魔改造したミーコにしときながら、それとは別に原作通りのミーコもチョイ役で出すのはファンサービスのつもりの嫌がらせか。
・扉に666のプレートってそれはひょっとしてギャグでやってんのか
・太郎(タレちゃん)がデビルマン化したのは数少ない良い改変だと思ったし、これでデビルマン軍団に加入して最後のハルマゲドンも明と一緒に戦って散る展開なら燃える流れになったのに、実際は明に救出されたと思ったら次の瞬間お墓に入ってて盛大に吹いた。それはひょっとしてギャグで(ry
(結局子供の首チョンパがネッフリといえども無理だからデビルマン化させてサクっと処理しただけのように思える。牧村夫妻もその煽りを食っただけのようにしか。)
crybabyが酷いのは了が原作を凌駕する勢いで馬鹿だからとしか
原作だと了は明の心情も痛いほど伝わるから最後の戦いも悲壮を強めたのに
今回は人間どころか明の気持ちすらちっとも理解できていない始末。
「えっ、明死んじゃったの?うそっ;;そんなの聞いてないよ;;何で死んじゃうんだよ;;;;まさか死ぬとは思わなかった」ゴゴゴゴゴゴゴ(完)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・馬鹿か。
別に原作と違ったりするのは全然良いんだけどさ、こんだけいじくり倒しておいて中途半端に都合の良い時だけ原作なぞったりしてんのがすげえ気持ち悪かった。
登場人物の知能を軒並み下げる事が現代の空気に合わせるリメイクって事なんですか。
電化製品を解体して、元通りに復元できもしないのにとりあえず繋ぎ合わせたフリして収拾つかなくしたのがデビルマンcrybabyというアニメ。
「物語・・・・・・・ストーリーとはなんだ・・・・・・?――それは時間の表現なのだ!"時"の流れを表すことだ。"マンガ"も"小説"も"映画"もストーリーを表現するものは時間の流れを表していくものだ・・・・・・時間を表す以上・・・そこには因果関係が描かれる、それはマンガの架空の物語でも同じことだ!原因には結果が必ず起きるという因果に支配される、それが"自然の流れ"必然性というやつだ!『デビルマン』をたんなるヒーロー物にはしないと編集長に約束した時からこうなる必然性が生まれていったのだ!」
crybabyではこの"因果"というものがとてもじゃないが描けてない。
強いて言うなら、"原作"という因果に縛られて何がしたいのかよくわからなくなっている。
牧村夫妻をあんな所で勇み足的に殺してしまったり、シレーヌとソープで童貞捨てたり独自の展開を盛り込みながらでも結局は原作と同じ流れに無理やり戻そうとして相互作用の不備を招いてしまっている。
作り手が、自分流のデビルマンを創ろうしてるのに最後は原作に頼ってなんとかしてもらおうとしているのは、なんだかとても志が高いようで低く見える。
ずっと羽生結弦が嫌いだった。
発言は優等生、行動はドラマチック、絶対王者の名に相応しい勝率。それにあの綺麗な顔と、二次元から出てきたような体と、二次元のキャラクターみたいな名前の字面。
肝心のスケートは全く好みではないが、並の実力と精神力では不可能なジャンプの堪え方と、演技中にジャンプの構成を即座に計算・変更する頭の回転は尋常ではなく、そこだけは本当に認めていた。
どこを取っても全く隙がなく、面白くなくて不愉快で大嫌いだった。
自分はあまり人気ではないスケーターのファンだったので、僻みだとか言われたらあまり否定できなかった。
僻み半分、完璧すぎる存在へのおぞましさ半分といったところだろうか。とにかく嫌いだった。
それが、平昌五輪で変わった。
もともと好きではなかったので、あまり見てなかったために今まで気付いてなかったことは多かったのかもしれない。動画などで彼の演技をとりあえずおさらいするくらいのことはしていたが、ただの流し見で足元までは注視していなかったので、今までも同じことはあったのかもしれない。
ショートプログラム、怪我でずっと休んでいたのに素晴らしい演技だった。相変わらず魅力は感じなかった。でもやっぱりすげぇ奴なんだなと思った。
これは両足着氷の判定になるはずの降り方だった。きっとそれは本人が一番わかっているはずなので、いつもの通りすごいリカバリーをしてくるのだと思った。
彼も怪我でしばらく氷に触れていなかったとのことだったので、まだ本調子でないのかもしれない。後半は失速し、3回転ジャンプの着氷も乱れ、ステップパートは彼らしい気迫が見られたが、繋ぎのスケーティングは遅く、これは宇野ハビエルの演技によっては金メダルを逃すかもしれないと思った。
しかし実際はそんなこともなく、フリーレッグのことはなかったかのように満点のGOEがつけられ、後半明らかに滑りきれていなかったスケーティングも素晴らしく加点され、彼は金メダルを獲得した。
このような事はこの競技ではよくある。
演技以上に何故か不明瞭な加点減点がされる、それはもう10年以上もこの競技を蝕む癌のようなものである。銀メダル銅メダルの選手にも、それがないわけではないことは知っている。
しかし自分が嫌いになった羽生結弦はプライドが高く、スケートにひたむきで、「全員がノーミスの中圧倒的に勝ちたい」と発言するなど、誰よりも高みを、競技の成長を望む人物だった。こんなことで満足するわけないと思った。不正な採点をされたとまでは言えなくとも、「満足はしていない」くらいは言ってくれると思った。
それなのに現実の羽生結弦は涙を流して連覇を喜び、他の選手の肩を抱いて健闘を称え、とても満足げだった上にあろうことか「演技が終わったとき(SP僅差の2人が後ろに控えてるにも関わらずに、だ)勝ったと思った」とメディアで発言した。
なんだそれは。
見間違いだっただろうかと何度演技を見直しても、フリーレッグの着氷を主張するように削られた氷が飛ぶ。
安藤選手が「もっと流れのあるサルコウを飛べるはず」と完璧ではなかったことを指摘する。
首相が祝電で後半の疲れを指摘する。
右足靭帯損傷で全治何週間とか報じられていたのにも関わらず、検査ができてないとか注射ができない位置だとか(注射ができない足ってなんだ)、まぁ紆余曲折あってあんまり良くないので団体は欠場、痛み止めを飲んで競技に臨みました!と言っているのに、よくないはずの右足を携えて表彰台に勢いよく飛び乗ったりする。その後のインタビューではやっぱり「良くない」と言うのに、21日の練習では問題なくアクセルジャンプを飛びまくる報道があった。日の丸を大事にするくせに団体戦は休むほど重症だった足は、ある日突然治るものなのだろうか。
おまけに怪我の休養が明けて五輪に出たらまぶたが二重になっている。
二次創作についてぽつぽつ思うところがあるためここで吐き出し。ただの我が儘野郎の性格の悪い勝手な愚痴なので流して下さい。
そこで今ハマっているカップリングについて語っていきたい。まず、カプにハマるのは基本的に物語でビビっときてハマる。
まず推しが可愛いな、こんなところがあるのかいいなってなってそこから普通に関係性を見てカプにハマる。
逆とかのが多い。
最初自分がすごくいいと思った推しは、世間的には存在感が無かった。いわゆる不人気。それでも大好きでまぁ小さなコミュニティでここがいいよねとかわいわいそれなりに楽しくやってた。
そんな折、じわじわと推しが評価され始めた。ストーリーで面白い話が来て、それなりの存在感を出すようになった。
しかし。ここに来て、流行り始めたのがCB。本命はABなので何故そこに?と…
ただ、自分は推しは受けにする傾向があるし、別段そんなに抵抗もなかった。
好きになったものは人と共有したいし語りたい。「好きなもの」をいっぱい見ることが出来るのは幸せだし、供給が増えるは本当に楽しい。推しがみんなに好きになってもらえるのも嬉しかった。
CBは覇権とまではいかずともそこそこのカプになり、上手い人が付き、それなりに賑わった。良い話や絵がポンポン出て来て私は喜んでブクマしまくった。
私の本命はマイナーであるため供給が少ない。とっくのとうにpixivでは作品も漁り切り、飢えに飢えている。そのため、CBは良質な食い繋ぎになった。
そして、私は今までは本命ABでブックマークを固めていたためそこにBCが流れ込んでくることになった。
ここで私は思ってしまった。
あれ?本命カプ少ないな…
楽しんでるだろう何贅沢なこと言ってんだと思われそうだが、その時私はなんだか虚しい気持ちになってしまった。
こんなにBC界隈は楽しそうなのに改めてABは世の中に全然ないんだな、と思い知らされ羨ましくなった。
ただ、確かにこれはそこまでではないかもしれない。これから書くことでもっとダメージを受けた。
日頃からABに飢えていた私はAB作家さんを固定して追っていこうと考えた。
ここで説明しておくが、私は解釈命である。つまり、このキャラはここでこのようなことをして、ここではこのようなことはしない。本当はこんな部分もあってこんな良いところがある。という風にキャラ観には敏感である。これを満たす選りすぐりの好き作家さんに囲まれることにした。
しかし悲しいかなマイナーカプであるため、更新はそこまで多くない。活発な方もいるにはいるが私は足りない!もっと!と、ある時好きな作家さんのブックマークを漁った。
あーあ、と思った。
自分は推しが大好きで大好きで、推しさえいればなんでもおいしいし、とにもかくにも推しメインに世界が回っている人なので、推しが居ないカップリングをブックマークした好き作家さんにショックを受けてしまった。
また他にも、もう一人の本命カプ作家さんによって波乱が起きた。
推しの攻め本を出したのだ。しかもリバでなく他キャラとのカプ。
どうってことない人もいるだろうが私にとってはなかなかの衝撃であった。
今までAB単一で描いてらっしゃったのに。
私の推しのBはジャンル内では攻めばかりであり、また、Aはあまり人気がない。
私が一方的に目の敵にしている常日頃から目につく覇権の対抗は、Bを棒にしてAは雑な扱いしており、このようなことに過敏になっていた私はなかなか堪えた。
対抗のようなことをされて勝手に裏切られたような気持ちになってしまった。
しかもこのカプはこの作家さんだけでなく、私の好きな作家さんがたちがみんなこぞって描いていた。一人二人でなく結構な人数の界隈の作家さんたちが描かれているのだ。なんでだ!?
私は基本的に地雷でも何故か見てしまう。絵が上手い人のはなぜか意地になってどんなものを描いてるのか見てやろうという気持ちが起こってしまう。止めたほうがいいのにね。
なのでそのカプも例にも漏れず確認した。その内容がなかなか苦手な作風だった。推しの性格が少し悪意のあるように描かれているな、と感じてしまった。
他にも推しの事で色々あってちょっと弱っていた私はそれで拒否反応が出てしまい、このカプは少し苦手になってしまった。
もちろんそのカプにもかわいくて微笑ましいのも沢山ある。しかし、私の大好きな作家さんで推しのことを好きになってくれるの人にそのような描かれ方をしたので、こんな子じゃないのにな…と悲しくなってしまった。
自分の界隈はいわゆるどのカプでも好きな雑食さんばかりのようだ。今まで推しがいれば良かったが、そのようなことがあって、そこには苦手意識が芽生えてしまった。でも解釈が本当に合致する作家さんがそこには多いんだよね…。
絵がとても好きで上手いのは対抗だし、話がとても素敵でストーリーが上手いのは逆カプ。しかもそこら辺の方々は固定が多くうらやましい限り。人気の母数レートの違いだね。
やはり雑食さんのが上手い方が多く素敵。なぜだ。
これは本当に個人の意見だが、読み手としては色々なカップリングに行くよりも、やはり単一で一途にかき続けてもらったほうが嬉しい。たまに気分でカプ変して本出して売れない…とかいうのよく見る。
とかいって…敏感地雷持ちきめえと思われているでしょう。本当にその通りです。こんな事いいつつ結局雑食のが生きやすいよね。
周りを気にしないように生きていきたいな~。クソマイナーすぎて全然仲間いない。
なんでこっちを好きになったんだろ。なんで色々見れないんだろつらい…。
私は今年度で退職をする。
円満退職である。しかし今とてつもない不安感と罪悪感と劣等感で頭がいっぱいだ。
退職届を出す前は絶対に辞める、辞めたらやりたいことをやるんだと意気込んでいた。それがなぜなのだろうか。今では辞めなければよかったのではないかという言葉が頭の中をぐるぐる回っている。
の二点だ。
①に関しては、介護職なため利用者対応に追われていた。支援は楽しいし好きな仕事だったが、同じくらい精神的にきつい仕事だった。いつかカッとした瞬間利用者に手を上げてしまうのではないかと不安になることも少なくなく、少し生きづらい環境だった。体にも少しずつ影響が出てしまい、逆流性食道炎になったこともあった。また、事務作業も過酷で一年前までは全く残業代がつかないというブラックぷり(現在改善されているがいつ元に戻るかわからないと言われた)。
②留学
イギリスにワーホリを使って留学をするのが夢だ。そのために仕事をしてきたといっても過言ではない。
他の人から見ればこんな理由で?となるかもしれないが一応動機はある。退職届を出すまでは本当にこの動機で満足していたのである。
ではなぜこんなにも気持ちが落ち込んでいるのだろうか。少し考えた
正確にはイギリスのワーホリビザを取得することができなかった。
辞めたことにより暫く収入が激減する。そのことへはかなり不安がある
イギリスのワーホリビザを取得できない場合、9月を期限に他国のワーホリに挑戦するつもりでいる。しかし、その9月までの間に何の仕事ができるのか?そもそも仕事がしたいのか?
④現実を目の当たりにした
お気付きの通り私はかなり計画性がない。辞める=自由 という方程式ばかりに目がいっていた。急に今まであまり良い印象を持っていなかった『無職、フリーター』が間近に迫って現実味が増してしまったのではないか。
おそらく他にもあるだろうが、なんとなく上記の理由がもやもやの原因と思われる。
少し気をぬくと、今辞めるべきじゃなかった…今後どうすれば…という気持ちでいっぱいになる。なにをしても面白く感じることができず、挙げ句の果てには夢であったワーホリでさえ本当に行きたかったの?と懐疑的になってしまっている。
今すぐに絶対動かなくてはいけないことがあるはずなのに、悪い考えばかりが頭を巡らしてしまう。どうしよう。ほんと、どうすりゃいいんだ。以前のがんばればどうにかなるよ私!みたいか考えを持っていた頃の自分になりたい。答えを自力で探すなんて状況に陥ることがあまりないから、ついはてなに投稿してしまったとさ…。
「何かをひたすら信じてるだけで救われるんだ自分で何も決めなくていいぞ」と怠惰を受け止め
「神を信じている俺達は信じていない馬鹿どもとは一味違う」と高慢を認め
「なんでアイツは上手く行って俺が上手くいかないのかというと俺が神に愛されているからだ」と嫉妬をなだめ
「許せねえ神を信じない奴らのせいで世界が滅びるから許せねえ」と憤怒を正当化し
「神が産めよ増やせよと言ったのだから人が子作りに精を出ししちゃうのは当然だろ」と色欲を肯定し
「神を信じまくれば天国に言って幸せになれるんだから祈りまくるぜ」と貪欲すら満たしてしまう
聖書は人間の持つありとあらゆる感情を圧倒的共感を通じて信仰心という物語として昇華させることで読者達を繋ぎ合わせその共感を循環させるのだ
世界で最も共感される物語である聖書が世界で一番売れているのだ
小学生?幼稚園?覚えてないけど、それくらい昔から月島雫と天沢聖司のことが好きだった
というかあの爽やかで甘酸っぱいラブストーリーが大好きだったんだ
現在22歳
まだ憧れは終わっていない、終わる気配もない
今まで付き合った男は2人
1人は2週間、2人は2ヶ月で別れた
けどこの歳で0人なのは恥ずかしいから、人に話すときは一応2人って言うようにしてる
期間はうまく誤魔化して触れられないようにね
少女漫画も大好きで恋愛脳だけど、人を好きになったことなんて殆どない
まあ結局二股されて終わった話なんだけど
いや本当、今となっては何が好きだったのかもわからない
あー・・
にしても私、まだ間に合うの?
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
ウィリアム・ハリソンみたくポックリいかれたら、アメリカ国民にとってはたまったもんじゃないだろう。
前例がある以上、慎重にもなるだろうさ。
余談だが、この質問に答えるために歴代のアメリカ大統領を軽く調べてみたんだが、割と地味というか・・・・・・繋ぎみたいな大統領も結構いたんだなあと勉強になったよ。
「地味なアメリカの歴代大統領、日本で例えるとどの人物?ゲーム」で友人と盛り上がった。
ハラキリってのが昔あったからなのも理由だが、現代でも自殺する人間が多いから。
だがそれがステレオタイプだって言われても、こちらとしてはすごい困るよな。
例えば『大阪の人に「バンっ!」とやったらやられたフリをする』ってイメージがあって、私も期待に応えて一応やられたらやるんだが、それみたいなノリで出来ないしなあ。
あと、手を合わせてお辞儀されると、いよいよ困る。
まあ、大なり小なり各国はステレオタイプのせいで苦笑いしているんだろう。
いい質問だ。
意味はあるように見せているが、意味がないようになっているというのが答えだ。
ふるさと納税と一緒だ。
誤解しているようだが、一般的に知られている桃太郎の話は、元の話をお子さま向けに脚色しているのだよ。
不思議な桃を食べた老夫婦が若返り、そのとき"あれこれ"して出来たのが桃太郎なのだ。
タイトルから荒い言葉で申し訳ないが、こちらとしてはもはや我慢の限界だ。
自分はある声優やあるアイドルがそれなりに好きなオタクである。激烈なファンという訳ではないしファン界隈にもいないが、Twitterで彼ら彼女らの名前を検索したりアカウントをフォローしてよく確認したりする程度には好きな感じ。
そんな風に遠くから眺めて楽しんでいるのだが、Twitterを見ているとファン以前に同じオタクという種族として見てどうも常識が疑われる輩が男女問わず大勢いるようだ。
以下に記すが、だいたい自分が嫌いなのは大まかに2タイプのオタクである。
まずこれ。女性声優やアイドルに対するセクハラは以前から問題視されていたが本当に酷い。本人の目に確実に入るであろうリプライチェーンで喘ぎ声がどうの、膜から声がどうの。
公式側でリプライ表示のフィルタがけやミュートはしているだろうし自由に話すことを否定はしないが、そういうのは個人的な呟きか掲示板でやりなさいクズ共。
さあ安心しているそこの女性オタク、そちら側にも関わりのない話ではない。男性声優に対して腐ったリプライ投げつけてるのはどこのどいつだ。これも立派なセクハラではないか。
男女どちらもこういうオタクはどっこいどっこいで気持ち悪い。ホモ営業だか百合営業だか知らんがハァハァするなら他所でやれ。鍵アカウントにしろとまでは言わん、だが個人的な呟きやチラ裏に留めなさい。悪いことは言わない。
ツイ消ししても誰がアーカイブ取ってるか分からん。晒されて恥塗りたくっても知らんぞ。
これも酷い。写真の相手は生きている人間だ。ほかの人間の体に顔だけ繋ぎ合わせたり、もともと離れていた被写体同士をコラージュでくっつけてみたり、顔を変形させてみたり、必要以上にハート撒き散らしたり。
友達の顔とか自分の顔とかで日常的に無断コラやって遊んでんのか?その延長でアイドルや俳優も対象にしてんのか?反吐が出る(加工なしでも本人の写真をアイコンにしたりする時点で個人的にあまりいい気はしない。転載だろそれ)。
貴様らの子供時代の写真を奪い取って軒並みAVの写真や寄生虫に体をすげ替えてやりたい衝動に駆られるが、それをやるとそちらの親御さんに申し訳ないことこの上ないし、何よりそちら側と同レベルになってしまうので自分はやらない。
これは上記のリプライ問題より酷いかもしれない。というかこれを本人にリプライ等し始めたらそれこそ笑えない。露出狂の盗撮犯が「こんにちは!盗撮してます!」と言いながらチンコを100%ボロンするようなものだ。
どうしても遊びたけりゃ完全に見えない内輪のコミュニティでやるがいい。
我慢ならない最低ラインはこのくらいか。これでも8割ほど削った。
有名人は名が売れた時点でひとつの概念・偶像と化し、人々はテレビやラジオに見出したその概念をつかまえて好き勝手なことを言う。相手が生身の人間であることはしばしば忘れられがちだ(これは自分にも言えることではある)。