はてなキーワード: 発症とは
ネット民「10年越しの特大ブーメランワロタww10割負担できないなら死ねよwww」
長谷川「摂生していたのに糖尿病になって残念。これは体質だから仕方ない。ちゃんとコントロールすれば透析は必要じゃないから早とちりの馬鹿ども乙。」
それで20年後に結果としてコントロールがうまくいかず透析が必要になったとして、
長谷川「自分はこれこれこういう努力をしたのに透析が必要になった。このような人間には補助が必要だと元々言っていたはずだ。自堕落な馬鹿どもと一緒にするな。」
っていう話もあり得るかと思うんだけど、本人からすれば一貫して矛盾のない主張に見えるだろうけど、第三者から見たときにそれがどれだけ滑稽か想像できてないことだよね。
ザッカーバーグが現在存在する世界の全ての疫病撲滅に30億ドルを投ずると表明したようだ。
今世紀中に全ての病気を治療、予防、コントロールすることが目標だという。
現代人の死因の多くを占める心臓病、がん、神経疾患、感染症などの研究を加速させるという。
これ自体は素晴らしいことだ。
しかし、上流階級育ちで健常者のザッカーバーグは気づいていない。
死ぬ病気は対して辛くないのだ。だってほっとけば死んで苦痛から解放されるのだから。
死なない病気、例えばアトピー性皮膚炎。こっちのほうが数億倍辛い。
この病の中度~重度の患者は、常に痒みや痛みに襲われ日常生活が困難になる。
おまけに、皮膚の炎症により、肌が赤くなったり、乾燥したり、ぐちゃぐちゃ液が垂れ流しの醜い容姿になる。
この病気は不治の病であり、ほっといても死ねない病だ。死ぬには自殺しかない。
なのに国からは何の支援も得られない。健常者と同じ扱いをされる。
そして、健常者からはアトピーは痒みを我慢できない甘えた精神のせいで完治しない病だと思われている。
健常者からの無理解な発言や視線で精神的に追い詰められ、二次被害である鬱や対人恐怖症を発症しやすい。
俺は成人して就職してしばらく頑張ってたんだけど、
ある時二次障害を発症して家を出られませんみたいな状況に陥ってから、治療の過程で色々検査をしてADHDとアスペを併発していますねと診断された。
それ自体は、ああ、やっぱり俺はおかしかったのか。と割と素直に受け止めて、それならそれで親からもらった顔や体の特徴みたいなものだし、
そこでゴネても何も変わらないからあるもので何とかやっていかないと仕方ないよねと考えて、自分でも症状について調べたり、自分用の対策を考えて試したりするようにしている。
まあ、うまくハマる方法を見つけるまでは劇的に変化があったりはなかなかしないし、いい変化があってもそれを継続するのは難しいので、
なんだかんだと仕事をクビになりそうだったりならなさそうだったりしながらどうにか日々を凌いでいる感じだ。
ともあれ、自分でも色々と情報を探していたわけだけれど、診断された当初は、とりあえず最近話題の成人の発達障害だとか、発達障害そのものの記述ばかり読んでいた。
本も数冊読んだけれど、ネットの方がやっぱり手軽なので手の空いたときにふらふらと検索している。
そして最近になって、発達障害児関連の情報に割と有用なものが多いことに気付いた。
最初は内心「そうは言っても、もう俺成人してるしな……」と思いつつ読んでいたのだけれど、
「こういう部分が理解しづらくてつまづくことがあるので、その場合はこうやって教えていくと理解しやすいかも」といった記述を読んで、
そういうことだったの!?それでいいの!?と驚いたり腑に落ちたりすることが、とても多かったのだ。
そこには、幼少期にいくら言い聞かせられても、なぜそうしなければならないのかピンとこなかったようなことについて、
「それならそうと初めから言ってくれればよかったのにー」と言いたくなるような、すんなりと頭に入ってきて自然に受け止められる言葉の数々が並んでいた。
このことから考えると、どうやら自分の発達レベルが幼児レベルで早々につまづいていて、
なんとなく腑に落ちないまま表面上だけ誤魔化してきたけど、実際の理解はそのままそこで止まっていたということらしい。
30歳近くなって、自分の発達レベルがところどころ幼児レベルだと思い知らされるのは正直なかなかクるものがあるが、現実なんだから仕方ない。
というか、いくつかの情報を得たときの目の前のモヤが晴れていくような感覚がショックすぎたので、60や70になる前に気付いただけいいじゃないかと開き直って考えている。
この調子で目から鱗がボロボロ落ちていくようだと、俺は自分でも気付いてないだけでまだまだたくさん取りこぼしてきているのだろう。
現在直面している不都合の直接的な解決策ではないけれど、そういった問題が起こる根本の原因として、
どうやら自分はここでつまづいていたようだ、ということが段々わかってくるので随分と助かっている。
というわけで、似た様な状況で、なんとかしたいなーと「発達障害 成人」とかでググってみても「あー、あるある」以上のものがあまりみつからない人は、
発達障害児向けの療育の事例について具体的に書いている記事に触れてみると、俺のように思いがけない発見があるかもしれない。
それにしても、何度かあった療育を受けるチャンスを、親が「ウチの子はまだマシでそこまでする必要はない」と判断せずにいれば、
人生のもっと早い段階でこういったことに気付けて習得できていたかもしれないなというのは、少しだけ口惜しい。
(追記)
でも誘導とかしたいわけじゃないし、既に長いし、というか正直ちょっと恥ずかしいし……と思っていたのだけれど、
ブコメでも例がないとイメージしづらいという指摘をもらったので、やっぱり一番強烈だったやつを一つだけ追記しておく。
「衝動性が強くルールが守れない子にルールを守る大切さを理解させるには、
衝動を抑えてルールを守ることが、結果的に自分の利益になる。と利益を強調して伝えてみます。」
こんな一文を読んで、誇張ではなく涙があふれてきた。
うわー!なるほど!なるほど!!確かに考えてみれば利益になる!なってる!うわぁ!そう言われるとめっちゃルール守りたい!!もうルール守る!俺がんばる!!
と泣きながら机をバンバン叩きそうになったけど、夜中だったからハッとなって机を叩くのをギリギリで我慢した。
先生、俺衝動を抑えられたよ……!こうすることで階下の住人からヘイトを集めることが回避できるんだね……!不利益を受けないという利益を!!
いい年したおっさんが何言ってんだとか、そう考えないとルールも守れないのかよ……と引かれるかもしれないが、
俺のようなタイプは本当に「こんなレベルのこと」が「わかってない」まま大人になってしまっている可能性があるのだ、恐ろしいことに。
それまで自分にとって法律も含めた他者との間のルールというものは、
「なぜか押し付けられて守らないとやたら怒られるから、しょうがないのでよくわかんないけどなるべく守っとくもの」
でしかなくて、言ってしまえばなにかと我慢を強いられる障害であり敵だった。
ああしろこうしろ。あれはするなこれはするな。本当に窮屈で仕方ない。世紀末はよこい。でも、ルールは別に敵じゃなかった。
(中には完全に制約をかける側だけに有利で、制約を受ける側にとって純粋に"敵"なルールも世の中にあるとは思うけど、そういう力関係の不平等さえなければキレてよさそうな案件は一旦おいておく。)
「とにかくルールを守れ!」「ルールとはそういうものだ!」「みんな守っている!」「なぜルールを守れないんだ!」
(怒鳴られる度に、思い出せませんでした!とか、守る意味がわからないからです!と正直に返事をしていたのはいつだったか……)
というようなことだけを何度も何度も言われたから、まあ世の中的にはそんなものなんかな?よくわかんねーな。みんな我慢して守ってるのすげーな、謎だわー。とだけ思って、
なんだったらルール違反を咎められない範囲でギリギリを突いたり、想定外のことをするのに血道を上げる感じで生きてきた。
そうやって、ルールや制約によって我慢を強いられるストレスと、ルールを守れなかった時の不利益ばかりに注目していたけれど、
ルールを守ることで自分にどんないい影響があるかとか、ルールを守ることで何らかのメリットが享受できるとか、そんな視点では一度も考えたことがなかったことにこの一文で気付かされた。
そうか、ルールはルールだから守るとかじゃなくて、内心自分のためってモチベーションでも、ルールを守っていいんだ!!
翌日から俺は、自分の意志に反することをルールに強制されたときに、そのルールを守ることのメリットについて考えられるようになった。
「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」を読むと、彼の主張は
ではなく
「生活習慣を帰院として糖尿病を罹患し、人工透析に到った患者は全額自己負担で医療を受けさせろ。それを拒否するなら死んでもらっても仕方ない」
であろうと思います。なのでここで
という反論をしてもきっとかの御仁の胸に響くことはないでしょう。なので反論すべきは
「なぜ自業自得の透析患者を殺してはいけないのか」あるいは「なぜ自業自得の透析患者を全額自己負担にしてはいけないのか」です。
まず自業自得による糖尿病ってなんなの? という問題があります。
糖尿病は生活習慣病ですから、食べ過ぎ飲み過ぎ、体重増加、運動不足によって病気にかかるリスクが高まることが知られています。
糖尿病 | 生活習慣病 | 一般社団法人 日本生活習慣病予防協会
と思いがちですが、どこからが食べ過ぎ飲み過ぎになるのでしょう?
・毎日、ご飯3合と焼肉400g、ビール1リットルを飲んだら自業自得?
・ケーキが大好きで毎日ショートケーキを1ピースずつ食べている人は自業自得?
・一日おきに牛丼を食べてる人は……?
食べ過ぎ飲み過ぎの線を引くだけでもこれほどあいまいで、境界などありはしないのに、糖尿病は遺伝などによっても発症しやすい体質か否かの差が生じます。毎日ケーキを食べて糖尿病になる人もいればならない人もいるわけです。
長谷川豊氏は一体どこに「自業自得」の線を引けというのでしょうか?
「ああ、あの時、ビール一杯ガマンすれば保険で治療できたのに、あなたはお酒飲みすぎラインを越えちゃったから今後は全額自己負担ね」
国民皆保険制度を壊し、こんな医療制度を実現することが可能だというのでしょうか。
100歩ゆずってみんなが納得する自業自得の線が引けたとしましょう。けれど、その線を引けたからといって、やはり自業自得な患者の医療を全額自己負担にするわけにはいきません。
我が国は国民皆保険制度の下で、どんな人も低額で医療サービスを受けることができるようになっています。これは日本国憲法第25条の第1項に
『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』
と規定され、第2項には
『国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない』
全国民に認められたこの「社会権」の下、医療保険制度は国民が保険料を負担し、健康機能がおびやかされるに至った別の国民は低額で医療サービスを受けることができる「相互扶助」の精神で運営されています。
つまり、「全員が健康で文化的な最低限の生活ができるように、みんなでお金を出し合って支え合っていきましょう」と決められているわけです。病気を発症する原因を問うことなく、「みんなで病気になった人を助けましょう」というのが日本の医療保険制度です。
人工透析の話に戻れば、長谷川豊氏はこの制度を否定し、「助け合える人間だけで助けあえば良い」「助けたい人間かどうかは助ける側(保険料を支払っている側)の人間が評価すべきだ」と主張されているわけです。
「自堕落な生活で病気になった奴を我々の金で助けるなんて不愉快だ」という感情をベースに人が人の生き死にを左右しようという考え方に見えます。
これほどに極端な記事を掲載した彼の思惑を察するに、「これを起点に医療皆保険制度の議論が活発になれば」ということなのでしょうが、人工透析が医療財政を圧迫していると考えるのであれば、透析医療の値段(診療報酬)を引き下げることを議論すれば良いのです。
あるいは腎臓移植、特に死後移植の活発化を訴えるべきなのです。
彼の極端な記事を読んで
「俺はそんなこと言ってないし、やっぱりネット民はバカばっかりだな」
となお一層調子に乗るだけでしょう。そうではなく、
・国民皆保険制度がなぜ今の日本に存在し、それを破壊することがどのような影響を及ぼすのか
・人が人の生き死にを決めることはどれほど危険な考え方かなのか
9月のある日、僕が体験したできごとは、あまりにも現実離れしていた。
その日会った人物の言うことを全部信じればの話だが、彼女がそこまでの嘘をつく理由も思いつかないので、とりいそぎすべてを信じることにして、話をすすめる。
その日、妻が義母と出かけるというので、僕は暇を持て余していた。ふと、最近、ツイッターで援交をしている女子がいるらしいから、どんなもんか検索してみよう、と思いたった。暇を持て余した男がすることはろくなもんじゃない。
検索するとかなりアカウントがヒットした。その中から、20歳の専門学校生とプロフィールに書いてあるアカウントにメッセージを送ってみた。するとすぐに返事があったので、条件や会う場所を決め、待ち合わせ場所に向かった。
そこにいたのは、20歳よりさらに若く見える女の子だった。嬉しいような、でもちょっと危険なような、そんな気持ちでホテルへと移動した。
ホテルに着き、やることを済ませた後、しばらく話をしていると、唐突に打ち明け話がはじまった。
人生うまくいかないんですよね。そんな始まりだったと思う。若い子にありがちな話だと思っておざなりなアドバイスをしていると、急に彼女が言った。
「記憶が持たない」という症状は、小説や映画のテーマにもなっているし、有名なミュージシャンも交通事故をきっかけに発症している。だから、存在は知っていたが、当事者を目の前にしたのははじめてだったので、すぐには受け入れられなかった。
彼女は、家族の話によると、ある時、自分の大切な人が目の前から姿を消したこと、また学校の先生からセクハラを受けていたことが重なり、鬱を発症したらしい。そしてそれと同時に記憶が徐々に消えていき、最終的に1日しか記憶が持たないようになってしまったのだという。
それから、彼女は1日の終わりにスマホに、「スマホのメモを見ること」というふせんを貼り、スマホのメモには家族の写真と、父、母、兄という説明を入れ、朝起きてまずやるべきことを書くようになった。
また、日々の記録を手書きの日記につけ、毎朝それを読み返すことで、自分の行動を把握しているらしい。そこに書かれていることは彼女にとっては他人事で、ふーんという感想しかないらしい。
さらに、記憶がないことで、自分はこういう人間だ、という内的一貫性もないため、ある出来事に対してどのような感情を持つべきかわからず、結果的には感情を失ってしまったという。それは暗い人間になるという事ではなく、全てに対してフラットなため、第一印象では明るい人に思えるのが不思議だった。
彼女は毎日、自分のSNSを開き、昨日と同じく行動を繰り返すことで、自分の1日を前に進めている、そこに援交を誘う投稿があればそれをそのまま投稿しなおし、僕のような男がひっかかれば寝る。
これからも彼女は昨日を繰り返して生きていくのだろう。あるいは病気がよくなれば、彼女は彼女の明日を生きることができるのだろうか。
http://synodos.jp/fukkou/17814
あなたの思う福島はどんな福島ですか?――ニセ科学とデマの検証に向けて
ブコメと一緒に読んでみた
#反福島のデマをばらまいた奴らは万死に値すると改めて思った。
#情報が錯綜していた事故直後はいざしらず,ある程度落ち着いた#2011年5月頃を過ぎてもデタラメを吐き続けた人間が,反省もせずのうのうとしているのを見ると怒りを感じる
確かに読んでみれば分かるけど、
#たとえば、2011年7月に発売された週刊現代では「残酷すぎる結末 20年後のニッポン がん 奇形 奇病 知能低下」とのタイトルで特集を掲載し、低線量被曝によってガンや白血病の発症率増加、新生児の先天性異常率増加などの危険性があると主張しました。
みたいにまぁ、ひどいもんではある
でも、これって極端な例だと承知してもらいたい
反原発派の中には、ある意味放射能の恐怖に妄執的に囚われとる人もいるんだろう
実際に、放射線量的には問題ないなんて政府から発表されてるのも知っとるが、結局当時は防げずにメルトダウンまで引き起こして、今更不手際をちょぼちょぼ認めてるような狡い真似をするような連中の言うことを一から十まで聞いて安心しろと言われる方が無理な話だ
流石に電力会社も福島原発の惨状を受けて全く対策を取ってないとは思わない
でもな、
#http://www.asahi.com/sp/articles/ASJ807DWVJ80ULBJ017.html
初めて原発を爆発させた時に「想定外」なんて言葉を使った時点で、もう信用度はゼロなのよ
対策とってまた事故られても、彼らはまた、「想定外」って言葉を使うだろう
まあ、話題が逸れたが、最初に挙げた記事のブコメで、反原発派を宗教やら話が通じないやらと、反原発派を一般化して語る輩が居たからな愚痴らせてもらった
仮にT小学校とする。
5年生の時に担任のOK先生に日頃から体罰を受けてたのが原因で不登校になったからだ。
その先生は顧問のサッカー部の生徒(とその父兄)には非常に慕われてる事で大阪市の小学校の中でもかなり評判の高い先生だった。
特に運動部に入ってた訳でもないけど、当時は勉強も頑張ってたので、今考えると調子に乗ってたかもしれない。
また、音声チック、今でいうトゥレット症候群に罹っていたけど、
当時はまだ先生どころか学校も教育委員会も発達障害について無理解で通っていた。
田〇小学校のOK先生(当時)は5年と6年と担任を二つ持ってて、5年の時に体罰を受けて親に訴えて貰ったのに
返って来たのはあてつけのような6年も同じ担任だった事が記憶に残ってる。
なまじいい先生で通ってたから俺の生徒にイジメや体罰なんか存在しないと言ってる口でよく俺は手を挙げられていた。
音声チックが酷くなったのはちょうどその頃からだった。
今日考えられてる発達は遺伝による先天的なものが一般的とされているけど、それが発現するのは家庭環境や学校の取り組みによって異なる。
俺もまた、○田謙〇先生によって酷くこれを発症したし、対人恐怖症にもつながり、結果不登校になった。
この時も親に色々言って貰ったけど無駄で教育委員会でさえ、現場に任せるという無責任な対処をされた。
○辺小学校は酷い学校だった。体罰について、ついに子供さんの音声チックが悪い授業を妨害されたの一点張りで終わってしまった。
当然この件が片付かないので小学校を卒業する日も欠席したので卒業アルバムには当たり前の様に○に顔写真であった。
こうした経験から、当時T小学校には全くといって良い程良い感情を持っていない。
それなのに近年はどっかの海外学校と提携したり、サッカー部専用の芝生が出来たりと色々な試みが実を結んで、東住吉区の優良小学校に認定されてしまった。
当時を知る俺にしてみれば何かの間違いなので、正直取り消して欲しいと思っている。
考えたら田〇小学校での思い出が一番今後の可能性を潰してきたなと感じている。
こんな学校が評判の良い小学校に認定されるようじゃ、大阪市はおしまいだ。東住吉区は徹底的に体罰やイジメの有無を調査するべきだった。
ショックが大きすぎて長文になって改行もままならない。そんな気も起きない。
風の噂では当時の担任は、後に教頭だかになったそうだが、その後何かが原因で自殺したと聞いた。
知り合いに聞いた話なので何とも言えないけど、正直因果応報を感じた。そのままくたばって死なねえかな。
http://www.sukesuke-mile-kojiki.net/entry/2016/09/02/062924
500ブクマついてホッテントリになってるけど、肝心な箇所がほとんど Wikipedia の「麻疹」の項目をコピペして文体を変えただけのように感じる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%96%B9
以下、似ている箇所
ブログ | カタル期の後にいったん下熱しますが、半日ほどで再び39〜40℃の高熱が出現し(二峰性発熱と言います)、発疹が出現しまう。発疹は体幹や顔面から出現し、後に四肢にまで及びます。 |
Wikipedia | カタル期の後にいったん下熱するが、半日ほどで再び39〜40℃の高熱が出現し(二峰性発熱)、発疹が出現する。発疹は体幹や顔面から目立ち始め、後に四肢の末梢にまで及ぶ。 |
ブログ | 1000人に1人ほどの割合でウイルス性脳炎を合併します。発症すると1/6が死亡、1/3に神経系の障害を残すという病気です。 |
Wikipedia | (ウイルス性脳炎) 1000人に1人くらいの割合で発症。熱発の程度と脳炎の発症率に相関はない。発症すると1/6が死亡、1/3に神経系の障害が残るとされる。 |
ブログ | 麻疹ウイルスに感染後10年ほど経過してから知能障害・運動障害が発症し、ゆっくりと進行する予後不良な亜急性硬化性全脳炎というものがあるようです。 |
Wikipedia | (亜急性硬化性全脳炎) この病気は麻疹に感染後7〜10年してから知能障害や運動障害が発症し、ゆっくりと進行する予後不良の脳炎である。 |
ブログ | 2015年には世界保健機関は、日本を麻疹の「排除状態」にあるとしています。「排除状態」とは、日本に定着しているウイルスによる感染が3年間確認されない場合に認定される状態です。 |
Wikipedia | 2015年3月27日、世界保健機関は日本を麻疹の「排除状態」にあると認定した。「排除状態」は、日本に土着するウイルスによる感染が3年間確認されない場合に認定される。 |
こんな感じで文章として一致する箇所があまりにも多い。現役の医師が医療情報についてわざわざ Wikipedia から引き移すものなのかな。
大学時代は、ある特殊な趣味に興じるサークルに入っていた。趣味を中心に過ごす日々はとても楽しくて、コレこそ人生という感じだったし、そこでは今まで続くありがたい友好関係を得ることができた。
大学を卒業して早数年、時間が過ぎて友人たちは大学生から会社員になった。そして僕もチョット変わった仕事をして、生活するようになった。仕事は自分に出来そうなことを選んで始めたものの、それなりに辛い。仕事で付き合う人間関係も辛い、というか表面だけのペラペラで心許せない感じが心を蝕んでいくのを感じる。大学卒業後、趣味は実質休止状態になっている。いまでも大学時代からの友人がときどき趣味に誘ってくれて、そのときだけは楽しめるが、一人でガンガン楽しんでいた大学時代の情熱は失われてしまった。
あの趣味は、今でも、好きです、本当に。
チョット休んでいるだけなんだ。あるときから、全く仕事にも興味が持てなくなった。仕事はメシを食べるため、そう割りきって始めたつもりだったが全方位から圧力を感じながら仕事を続けることが苦痛になってきた。
大学時代を共にした友人たちは、それぞれの人生を歩んでいった。サークルでも世渡り上手なA君は学生から社会人へ華麗なジョブチェンジを果たし、難なく生き抜いているように見える。不器用なB君は、就職先で困った先輩に当たっていつも愚痴を言っているが、僕は一番共感できる。忍耐強いC君はブラック企業に就職し、円形脱毛症になった。繊細なD君は、激務から心の病を発症し退職した。
仕事にやりがいとか、生きがいとか求めるのはどうでも良い。僕がほしいのは、生きていくのに必要な金銭、そして人生を楽しむ精神的な余裕なんだ。願わくば、あのとき一緒に過ごしてくれた友人たちに平穏な生活が訪れますように。
今の僕に残されているもの、それは思い出だけになってしまった。音楽を聞きながらあの頃を思い出して毎週末泣いている。みんな遠くにいってしまって、みんなボロボロになった。そして僕はなにもなくて、朽ちていくばかり。
苦しい発達障害の現状を伝えようと思う
彼は多動性の強いADHDだと思う。そして私は軽度のADHDだ。なぜ軽度と言っているのかといえば病院などで診断を受けているわけではなく自覚症状として勝手にADHDの気があると思っているからである。傾向を見ると間違いなくソッチの気があると自分でも断言できるのだが、ADHDテストなどを受けると辛うじてクリア(健常)してしまい、自閉的な強いこだわりであるとか衝動性は少ないので目に見える違和感は少ない。それゆえ今まで友人が出来、恋人が出来、定職にもありつけた。しかし、これが苦しい苦しい。
ADHDとはどういう病気かと言うと、キーワードクリックして詳しく調べてくれと言いたいところだが、簡単に言うと多動性と不注意性に分かれる。彼の場合は多動の傾向が強く、いわゆるお調子者、クラスでうるさいガキというやつだ。調子に乗ってウザいと嫌われるときもあれば、クラスのムードメーカーと愛されるときもある。しかしこの病気は、うるさく騒ぐことが面白いとウケる=認められる=嬉しいと思うあまり”やりすぎてしまう”ことが顕著で、決して迷惑かけてやろうと思っているのではなくて快楽に忠実に従って「どこでやめたらいいかわからない」だけなのだ。怒られたりして冷静に考えるとたしかに自分の行動はよくなかったなと終わってから初めて思える。彼の行動原理が分かるために切ない。アスペと違うのは空気や行間はわりと読める、でもやめどきがわからない。高難度の空気は読めないということになる。発達障害が高機能自閉症と言われる所以はここにあり、普通の生活は営めるんだけども細かいところが分からないのだ。でもこの「細かいところ」日本ではとても重要視しているために生きづらさを強く感じる。
私は不注意の傾向が強い。注意力散漫がどうとか学術誌には書いてあるが自分では注意力が散漫とは思っていない。知らない間に怪我したり忘れ物が多いとか遅刻をしやすいとかがあるけれどもみんなそんなもんでしょと思って生きてきた。しかしこの遅刻やらケアレスミスの頻度が多すぎるのだ。人間誰しも一度はミスを犯したり、忘れ物したり、寝坊してしまったりがあると思います。ADHDはほぼ毎日なにかしらやらかします。そうすると信頼を失っていきますよね。自己嫌悪に陥るからタチが悪い。いっそ脳の認知度レベルも落としてくれと思うこともある。それを許されないのがグレーゾーンのつらさ。私は遅刻魔のレッテルを貼られているし、大事なもの(ライブのチケット、パリのお土産、鍵、定期、財布)を幾度となくなくしてきた。平和な日本では財布や携帯を落としても大体の人が拾ってくれることを知っている。ディズニーランドのパスポートを駐車場まで持っていたのに入場前でなくして凹み、買いなおして貰ったが申し訳なく罪悪感で楽しめなかった事があった。
人間関係においてはからかってやろうと思うと行き過ぎてケンカを売っている状態になり嫌われる。でもからかわずにいられない衝動に駆られる。何の呪いだ
話を聞いていなく(聞いている途中で無意識に気がそれる)移動教室がどこのクラスで行われるかわからず授業時間始まっているのにもかかわらず彷徨い続けたことが人生で2度もある。
先読みが出来ない。モタモタ行動は遅い。帰りの会が終わり教室を1番に出ることは6年間皆無だった。
自分が生き辛さを強く感じ発達障害を疑いだしたのは大学生のころだった。大学生にもなるとゆとり教育などとも言っていられず自立が求められる、なにより友人知人の関係性がとても浅くなる。高校生までであれば今日は風紀検査があるよだの○○で移動教室あるよだの教えてくれる人が一人はいた。休もうものなら心配してメールの1本入る。だが大学生が授業フケこんで休むなんてザラにある。仲の良い友人だっていちいちメールしてこないのだ。私は始業日を1日間違え、無自覚のずる休みをしていた。それに気づいたのは翌日登校し「昨日なんで休んだんだよ~」と声をかけられてはじめて知った。ショックだった。大学では持ち物やレポート期限などをご丁寧にレジュメに発行せず口頭で伝えるものだ。手帳を普段携帯しないしメモってもそれを見ないので忘れ物の数が半端じゃなかった。また君か。やる気はあるのか。鬱になった。2限から始まる授業のほうが遅刻していた。余裕ぶっこいてダラダラ支度し、遅刻決定している時間に焦って家を飛び出す。そんなこんなで就活の時期になり自分が愚図なのを自覚していたので、誰よりも早く決めてやろう、そう意気込んだ。就活期間は3ヶ月、短期決戦で集中した。驚くことに志望していた会社にきまった。3年の11月ごろに決まっている奴なんか私くらいしかいなかった。
しかしうまくはいかない。見る目がないのでブラック企業にストレートインしていたのだ。めちゃくちゃ体育会系の会社にADHDの愚図が合うはずもなくいじめに逢い1年でやめた。1年がんばったのは逃げたくなかったこととすぐにやめるとその程度の能力しかないと思われ次の就職先に響くと思ったからだった。でもさっさと辞めればよかった。無理して働いたせいで心身共に病み、完全復活するまでに1年半掛かった。働いていた期間より長い。その後転職エージェントを使い再就職できたものの空白期間は当然つっこまれる。留学したとうそをついた。ADHDは怒られないようにうそを平気でつけるようになる。クズに拍車がかかる。ちなみにその1年の間に物は壊すわ顧客に失礼するわ遅刻もするわでいじめられる原因は自分が作っていることにうっすら気づきながらもミスは無意識に発生するためどうしようも出来ない。フォローもやりかたがわからないしうまくできやしない。リスクを未然に防ぐ想像力がなく、それによって起きたリスクに う ま く 対処できないのが特徴。
私が言いたいのは発達障害だからって有効な薬もなく対処療法になるし、一生ついて回るものだしどうにもできない。できるだけ健常なみなさんに広い心を持っていただきたく、我々もミスることを自覚して慎ましく生きなければならない。
発達障害って最近認知された言葉だけれど、急にふっと沸いた人種なのだろうか。
クラスに一人はやばい奴認定されていた奴がいたと思うが、あいつらは絶対にそう。でも特別支援学級に行くまででもない。
ほかにおっちょこちょいなやつ、忘れ物多いやつ、どんくさいやつ、こいつら全部軽度の障害。
ねえ、そう思ったら多すぎませんか。
なんでも規則でしばって、ちょっとでももたもたしていたら障碍児って、安直すぎやしませんか。窓際社員がいたっていいじゃないか。働きアリは全員が働いているわけではなく何割かはサボっていて、よく働いているアリグループを別のゲージにいれるとその中でまたよく働くやつほどほどのやつ、サボってるやつで役割が分担されるという。社会というのは何割か使えない奴がいて初めてうまく回るんですよ。私のようなかなりグレーなおそらく病名が付かないで”傾向”で済んでしまう人はずっとこれからの人生このまま生きていかなきゃいけないんですよ。働いて生活できるようにしないといけないし、結婚して家庭だってもちたい。発達障害は遺伝するから子を産むななんて悲しい事言わないでくれよ。人間やぞ。ショックなんやぞ。自分が障碍者かもって思ったことあるか。ガビーンだぞ。ショックすぎてむせび泣いたわ。これから先困難が予想されるけども、もう仕方ないから受け入れている。ひたすらメモにとってせめて忘れ物や遅刻はしないように気を使っている。
発達障害は往々にして鬱
高畑敦子の愛情によって、通常なら鬱を発症するはずが、裕太容疑者は明るいキャラクターを通している。
これってすごいこと、私は母親の教育は失敗に終わっていないと思う。
発達障害児は失敗行動が多いのでとにかく叱られたり嫌われたり自分でもやってもうまくいかないので塞ぎこみがち、というか凹むしかない。私は物心付いたときから割りと反抗的な性格もあってまわりからは規則を守れない奴とみられてきた。するとどうなるか。鬱になる。ずっと性格に卑屈な面が出てきてテンション低い、低度の鬱状態が延々続いていく。非行に走らなかったのは親が厳しかったためであるが鬱で息苦しい鬱蒼な毎日だ。高畑家はどうだろうか。おそらくやつの個性を認めて明るく育ててきたのだろう。途中まではうまくいっていたのになんとも悲しい結末だ。
ハメられやすい
私も若いころ経験があるのだが、予測行動を苦手とするために悪意を持った人間にハメられたり騙されたり非常にしやすい。そして騙されやすい。アホに違いないがアホっていうかなんというか知能テストはクリアするものの純粋ゆえに人を信じて騙されているんだろうなと思う。詐欺に引っかかる人、認知レベルが落ちている(高齢者など)か発達障害の傾向がある人だと思う。今回の事件、被害者は実際に被害にあっていると思うが、これまでもあいつならちょろいぜと美人局的な事件に遭っていそうだなと客観的に思った。
障害児の親も往々にしてそういう傾向がある。昔はお見合いだったから相手が不器用が過ぎる人間かどうか気づかず結婚していたのだろうと推測する。遺伝の可能性は否定できない。
また、高齢出産の影響も強い。卵子のタイムリミットをしっていますか。これはこの年齢を境に機能がガクっと落ちることを意味しているのだけれど、37歳なんです。今日本で結婚を意識する年齢って30歳前後ですね。仮に30歳の女性が結婚したとしてあと7年しかないんです。短くないですか。女性の社会進出や医療の発達などで晩婚・高齢出産をしても安心して生めるように環境はそろったけれども、肉体としてはあまり進化がない。元々人間の寿命は50年ほどでした。いたずらに長く生き過ぎているのかもしれませんね。精子も劣化します。男性は生涯現役だとばかりにジジイになっても性欲はおちないものですが、ジジイになればなるほど劣化します。精子が劣化しているとそれだけ不具合を持った子供が生まれやすい。福山雅治さんが先ほど第一子の妊娠を発表なされ非常にめでたいのですが46歳の精子はなかなかですね。顔はきれいだろうけれど、障害グレーが生まれる可能性高いです。イケメンは隠し子の1人2人いてもいいと思いますよw若いときに作ったほうがいい。
ここまで長く書いて何いいたいんだろうって話ですが、あまり糾弾せずちょっとどんくせえなくらいに受け止めてほしいということ。そして障害を持つものも幸いにして知能は高いのだから怠けたい衝動に突き動かされず、やるべき社会的行動にロジカルに対応すべき。ルーティーン作業ほどミスるので、日常生活をマネジメントしたメモをいたるところに張ってそのとおりに行動すればまだましかな?まったくの健常者だって忘れ物くらいするのだから、お互いがんばりましょうや、ということです。
躁うつ病は、一度発病してしまうと“体質”に近いところがあるので、高血圧やコレステロールの薬と同じ感覚で薬を飲み続ける必要があります。躁うつ病を再発させずに生活している人は服薬を怠りません。
配偶者でも上司でも両親でも構いませんが、ライフスタイル全般に手綱を握ってくれる人がいると心強いです。一人では躁鬱の気分に流されてしまう人でも、キーパーソンになる人が制御してくれるなら、症状も社会的問題も軽減できます。
躁状態になってしまうと他人のアドバイスをあまり聞かなくなるものですが、それを差し引いても有利です。反対に、唯我独尊の人は医師の勧めにも周囲のアドバイスにも耳を貸さないので、何度も何度も再発を繰り返して身を持ち崩すことが多いように見受けられます。
逆に言うと、社会的に孤立してしまった躁うつ病の患者さんの再発防止は難しい、ということです。
ほかの精神疾患にも言えることですが、不規則な生活リズムや寝不足はリスクファクターです。再発を防止している患者さんの多くは、生活リズムが狂ってしまわないよう注意深く暮らしています。
仕事を失うと経済的に困るだけでなく生活リズムも乱れやすくなってしまうので、仕事、とくに規則的な生活を約束してくれる仕事はあったほうが有利です。好きな時に働ける職業の場合も、ワークスタイルを規則正しくできれば対処できます。
……といった特徴をおおむね揃えているように思います。
これらの条件は発症して間もない頃は成立しやすいものですが、長いこと病気を放置し、人間関係や社会的生命を脅かされるにつれて難しくなっていきます。だからこそ躁うつ病は早期発見・早期治療が望ましい病気なのです
http://www.tm2501.com/entry/Dokusin_man-no-Bad_life
シロクマさんは、青二才はもう手遅れだと言いたいんですねわかります
http://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20160510/1462865729
発達期に発症する(明らかになる)一群の疾患を指した、ただのカテゴリー名にすぎない(DSM-5でいう「神経発達障害群」)。
また、「自閉スペクトラム症」というのは、あくまで自閉症および言語発達に遅れのなかったアスペルガー症候群までを含む、自閉的な特徴を持つ障害をスペクトラムと表現したものであり、
「正常範囲から重度の自閉スペクトラム症までのグラデーション(スペクトラム)」という主張は精神医学界でコンセンサスを得られた意見ではない(※)。
※「正常範囲から重度の自閉スペクトラム症までのグラデーション(スペクトラム)」という主張をしているのは、アスペルガー症候群を世に広めたローナ・ウィングである。
NEW GAME!第8話はロリ要員として涼風青葉と双璧を成す、桜ねねを中心に物語が進行する。
比較的序盤に、八神コウが冷蔵庫に入れておいたプリンをねねっちが食べてしまう事件が発生。
恐ろしいことに、この死ぬほどどうでもいい事案は最後の最後まで引っ張られ、尺の大部分はプリンの話なのだ。
あぁ、本作を途中から観始めた諸兄諸姉のために補足すると、この作品はデスマってるゲーム開発現場で過労死寸前のおっさんたちの幻覚を漫画・アニメ化したものである。
ゲーム会社でありながら、プリン消失に気づく心の余裕がある一点だけ見ても、完全にファンタジーであることがお分かりいただけるだろう。
今回のサブタイは『夏休みだぁああ!!』であり、無論おっさんたちの叶わぬ願望、魂の咆哮に過ぎない。
ちなみに登場人物たちが鋭意制作中のゲームは『フェアリーズ・ストーリー』というタイトル。
妖精さん(フェアリーズ)はおにゃの子たちだろうか、それともおっさんたち? いずれにしても本作は労基法の埒外に広がる幻想世界を舞台としており、妖精さんはきっと必ずいや間違いなくいるに違いない。
しかしながら、おっさんたちの妄想に終始しているというわけではなく、ときおり垣間見える現実が物語に奥行きを持たせており、日常系アニメに飽いたユーザーの視聴にも耐え得る作品だ。
例えば、冷蔵庫の中にレッドブルがチラ見えしたり、青葉とねねっちが土下座したり、寡黙なひふみん(今回は一言も喋らない)が失語症を発症した従業員のメタファーだったりと、ところどころにおっさんたちからのSOSが挟まれている。
エンターテイメント性を維持しながら、業界の窮状を訴える社会派アニメなのだ。
休みもろくに取れない、過労死に追い込まれるようなブラック企業より下の企業はないのでそんな働き方ははなから除外する
んで、どっちが幸せかだけど一流企業でダメ社員でいるほうがよっぽど幸せだ
理由は簡単。会社はは自分が思っているほど自分を評価してくれないから。
どれだけ活躍して上司に褒められたところでその快感は裸の王様みたいなもんで次の瞬間には「なんであいつと同じ給料なんだ」「なんであいつが先に出世するんだ」という醜い考えが浮かんでくる
よっぽど達観した人以外この考えからは逃れられない
で、この気持ちは結構厄介で仕事全般に対するモチベーションに関わってくる
どれだけ活躍しても給料は年功序列だ。逆に言えばどれだけダメ選手でもそれなりに貰えるという安定がある
それならとりあえず給料と世間体がいい一流企業に勤めようというわけだ
というわけでこれから就活始める若い増田たちよ。とても自分じゃやっていけないようなレベルの高い会社に入れ
そこで切磋琢磨しながらレベルアップするも良し、ダメ社員として周りに陰口叩かれながら過ごすもよしだ
一応言っとくが、一流企業に務めたことによる弊害、自分に無能感や嫌悪感を覚えたり、ろくな仕事回されなくて疎外感を覚えたり……それが原因で鬱を発症したり……
といったことは考慮していない。
あくまでいい会社で成果を上げられないのと、ダメな会社で成果を上げるの、どっちかしか選べないならどっちだっていうそれだけの観点から話してるのでご了承ください。ではよきリーマン人生を。
会社の殆どの人間が大丈夫なのに、1人だけ精神病になった人がいたとして、その場合「会社の人事、労務管理のまずさが精神疾患の大きな原因」と言えるもんなんですかね。
俺は増田の気持ちもわかります。似たような状況を体験したことあるから。
精神病を発症する前から、ちょっと変わった方で、1人2人におかしいと思われるだけならともかく、殆どの社員、またお客さんも首をかしげられるような方でした。
ストレスの感じ方は個人差があるから一概には言えないですが、そういうのを体験してると、まずもって増田を叩く気にはならないなぁ。
治療を続けている私の今の具体的な費用は、診療費 1570 円/月、薬 1020 円/月。
薬は抗うつ剤と睡眠導入剤で、新薬を使ってないし、薬の一部はジェネリック。
発症したのは 15 年くらい前。
けれど、私は精神医学を若干聞きかじっていたので、
どんどん不眠がひどくなり、朝に起きれなくなり、
希死観念が出てきたくらいの時点で、精神科を受診しなければと思った。
精神科を受診しようと思ってまず困ったのは、どこに精神科の病院があるのか分からなかったこと。
今ならググればすぐ分かるんだろうけど、当時ネットでそういう情報を得にくかった。
見つけたクリニックに飛び込みで行ってみたら、そのクリニックは予約制でその日に受診できなかった。
その後にいろいろ段階を踏んで受診できた。
今は、まだ完全には治ってないけど、無理しなければ普通な生活を送れている。
仕事で長期に無理せざるを得ない状況になってうつの身体症状が出る時期もあるけど。
過去に数年間働けなくて、貯金も尽きかけて、生活していけなくなった時期があるので、
そういう状況に身を置きたくないと思って今も働きながら受診してる。
都道府県知事が、自らの病識のない精神疾患を発症し、不適切が疑われる専決処分等を頻発するようになったらどうなるかという架空の想定につき思考実験をしてみる。
なお、あくまでメモなので、根拠条文等は記さない。後述の指定に従って使ってみようかな、という人は、自力でしらべるように。つかこの記事自体間違ってるかもよ?
ではまず、前提として、病識のない精神疾患の治療にあたっては、当該患者の人権に対する制限は最小限度にとどめられなければならないことは言うまでもないであろう。「四の五の言わせず座敷牢へぶちこめ」的な乱暴な意見には、筆者は断固反対する。
しかし、都道府県知事の職責は重大、かつ職権も非常に強いことから、専門医および一般人の殆どがその発症を疑うような状況下であれば、既に地方行政は混迷著しい状態におかれているであろう。かかる事態においては、当該患者から知事の職責を剥奪することもやむを得まい。本人の精神衛生においても恐らく負荷軽減の必要があるケースが多いのではないか。
さて、この場合、まず、「都道府県知事に事故がある場合」として、副知事等がその職務を代理することが考えられる。(副知事が存在しない場合も考えられるので、「等」としておく。)
疾患であるのだから、その認定は医師(専門医)によるべきであろう。
ところが、患者本人が同意しなければ、そもそも専門医の診断を受けることはできない。
例外的に、自傷他害のおそれがある場合(不適切な公権力の行使を間接的な「他害」と呼びうるかについては不知)であれば措置診察が可能であり、その結果措置入院が必要ならそうすることになるであろうが、自傷他害のおそれがない場合には措置診察に付するわけにもいくまい。
あるいは、他の疾病に罹患し入院治療を必要としているにもかかわらず、本人が(精神疾患に由来する愁訴を前提として)診察は受けるが入院を拒むといった場合においては、精神保健指定医の同席による医療保護入院が可能であろう(さすがに家族等も同意するであろうし)。入院は「事故あるとき」であろうから、精神疾患であると否とにかかわらず、副知事等が議会と一体になって粛々と不信任手続を進めればよい。
ただし、あくまで医療保護入院は必要な期間に限られるから、当該他の疾病によっては時間との戦いになる。
しかし、そうした特殊な事態でもなければ、本人の同意を経ずして確定診断名を出す(しかも、本人の同意なくその診断結果を公表しなければならない!守秘義務!)というのはほぼ絶望的である。
「成年被後見人の申立ではどうか」…残念ではあるが、それでどのような結果が出ようが、直接に知事の職位に影響はない。わが国では成年被後見人であるか否かに関わらず被選挙権が認められている以上、公職選挙法に基づく自動的な失職はないし、形式的には後見人の権限は財産に関することに限定されているはずである。もっとも、判断能力を欠く常況にあると家裁が認めた人物の名において下される行政処分に対しては、不利益を被る側から当然山のように異議申立てがなされることとなろうが、これとても知事の失職には足りない。
結局、地方自治法の本則に立ち戻って、リコールか議会による不信任決議、とならざるを得ないであろう。
では、リコールだが、こちらは地域事情もあるためなんとも言えない。
鳥取県と東京都では集めるべき署名の数に差がありすぎるし、署名の有効性確認のための事務手続に至ってはもうなんというか。
とくれば、議会による不信任だが、この場合、患者たる知事が黙っているだろうか?仮に地方公共団体の吏員が、「対抗する方法はないものか」と問われたら、職務に忠実に「議会解散という方法があります」と言わざるを得まい。ということで、議会は刺し違える覚悟で不信任を突きつける格好になる。
ところが、議会解散に伴う選挙だからといって、解散前と同一人物が再選されるとは限らない。その辺はフツーの地方議員選挙である。とくれば、前回薄氷を踏んだような議員は、正直いって議会解散には及び腰にならざるを得ないだろう。その中であえて知事の首に鈴をつける議員(団)がいるか?という話であろう。
…結局、住民の圧力に耐えかねた議会が不信任を突きつける(それもそうとう及び腰で)しかない気がするが、その間に失われるヒト・モノ・カネ・労働力・行政への信頼たるや…
考えたくない。
#本記事は、フィクションのネタ、または学術論文のネタとしての使用は自由です。但し、直接リンクはご勘弁ください…。また、上記目的以外の目的での利活用は禁止します。引用に名を借りた部分的/全面的転載も禁止しますので、
私は、文系院卒(修士)だ。事情により鬱病を発症したが、それに伴い発達障害(未診断ではあるが、ADHDとアスペルガーの合併症の恐れがあるスペクトラム)の疑いも担当医に伝えられている。
再就職をするにあたり、自分の適材適所を探すべく、GATBやウェイス3、学生時代のアルバイト経験での失敗・成功体験を思い起こすも、いかんせんこの「成功体験」が思い当たらず、なかなか職種の見立てが出来ない。
思い詰めて悩みを、公的機関のキャリアカウンセラーや心療内科の担当医に相談したところ、「もう一度、学校に通ってみては。」という事だった。違う大学、他の研究科でも良い、コツコツと興味関心のあるものを研究出来る環境が一番、あっているのでは。と言われた。
結論から言うと、それは難しかった。経済的な事もあるかもしれないが、もっと悲惨な状況になっていたからだ。それは、勉強のコツが思い出せない、集中して勉強出来ない、といった私は明らかに学習能力が低下していたのだ。
因みに今、院試に向けて勉強している分野は遺伝だ。自分の発達障害の一件がきっかけで一度じっくり研究したいと思った。文系出身の学位で学べるアプローチが、某大学院研究科の「遺伝」領域だった。特定出来てしまうかもしれないので、これ以上は言えないけれど、自分が携わる事が出来る所(居場所)欲しさに、とにかく躍起だった。
けれども、ほぼ初めてに近しい理系の勉強は困難でしかなかった。恥ずかしいけれど、今まで出来ていた文系の受験勉強や、文系分野の研究に対する学習能力に、疑問を持つ程に理系の勉強が出来ない。理系と言ってもすべての範囲を網羅する訳では無くて、あくまで研究科で出題される「遺伝分野」だけ。にもかかわらず、自分はなかなか頭に入ってこない。
自分はこんなに馬鹿だったのか。今までの自分は何だったんだろう。鬱のせいなのかな。それとも、実は興味・関心が無いのでは…?
そんな自己嫌悪で一杯になった。
じゃあ、他に何かやりたい事や現実的に私が「出来る事」はあるのか?一から戻って考えても、私がやれる事(成功体験)は思い出せない。
他の何らかの進路に切り替える事が出来る選択肢が浮かばないのだ。
そうこうしている内に、受験申込の日程が迫っている。志望理由所は書けても、本題の基礎知識が頭に入らない。英語もある。小論文もある。プレゼンもある。もう、自分の頭の悪さに劣等感で一杯だ。