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はてなキーワード: 桜の木とは

2022-07-02

カゲロウ系は?

ふわふわして鳥みたいだけど(最近ググりました)

セミが嫌いanond:20220702180955

セミが本当に本当に嫌い。

他の昆虫爬虫類両生類みたいな、友達と話してて「かわいい〜」っていうと「え?」って言われるやつだいたい全部平気だしむしろ好きなのに、何故かセミだけ異常に苦手。

多分羽音とまっすぐ飛べずに人に突っ込んでくるところが苦手なんだと思う。セミが鳥みたいにふわふわしてたら好きになれるのに。ごめんねこんなにdisって。

それなのに、家の近くに大きな桜の木があって、夏になるとそこからセミが家のドアの前に無限供給される。

暑い中家にたどり着いて、さあ入ろうと思うとヤツが待機している。耐えられない。ひどい時には4匹くらいいる。何かセミが好む物質みたいなのが家の前に塗られてたりする?

家の前にいると本当に帰れないので、ネカフェかに泊まることもある。そのくらい無理。

セミが嫌すぎて夏の間は引きこもりがち。ここ2年間はコロナ違和感なかったけど今年は遊びたい。けどセミは怖い。

なにかい解決策ないかな…

(水鉄砲で無力化するっていうのを前に試してみたら自分の方に飛びかかってきたからそれ以外で)

セミが嫌い

セミが本当に本当に嫌い。

他の昆虫爬虫類両生類みたいな、友達と話してて「かわいい〜」っていうと「え?」って言われるやつだいたい全部平気だしむしろ好きなのに、何故かセミだけ異常に苦手。

多分羽音とまっすぐ飛べずに人に突っ込んでくるところが苦手なんだと思う。セミが鳥みたいにふわふわしてたら好きになれるのに。ごめんねこんなにdisって。

それなのに、家の近くに大きな桜の木があって、夏になるとそこからセミが家のドアの前に無限供給される。

暑い中家にたどり着いて、さあ入ろうと思うとヤツが待機している。耐えられない。ひどい時には4匹くらいいる。何かセミが好む物質みたいなのが家の前に塗られてたりする?

家の前にいると本当に帰れないので、ネカフェかに泊まることもある。そのくらい無理。

セミが嫌すぎて夏の間は引きこもりがち。ここ2年間はコロナ違和感なかったけど今年は遊びたい。けどセミは怖い。

なにかい解決策ないかな…

(水鉄砲で無力化するっていうのを前に試してみたら自分の方に飛びかかってきたからそれ以外で)

2022-04-05

毎日お花見

寺でお花見

 お寺の境内花見子供達と私の両親と弟と私で行った。七分咲きくらいだった。早咲きの品種の桜ばかりある山桜は葉が出始めで、花はまだたった。

 去年までは無かった立札があった。桜の枝を折らないでとか根を踏まないでとか、書いてあった。花見に沢山の人達が来るのは今に始まったことではないのだが、去年に何か悪質な悪戯でもあったのか、それともつもり積もった我慢がついに爆発したのか。

 お花見ついでにお賽銭箱に賽銭を入れて行く人が幾人か。アラサーくらいのカップルで、女性の方がお賽銭を放り込んだら、男性の方が女性の袖を引いて、なんか文句を言い、それで二人は揃って姿勢を正し、一礼二拍手をしてからまた賽銭を入れた。

 境内には桜の他にも花をつけた木が植わっている。細い花弁4枚の、黄色い花をたわわに着けた、枝の細い木があった。それを父が見て、「これはミツマタ」だと孫達に教えていたが完全に間違っている。ミツマタはその花とは似ても似つかない。沈丁花にならちょっと似ている。名前の通り、三つ又に別れた枝の先に花を咲かせる。何でそれを私が知っているのかといえば、うちの庭に生えているからだ。

 ミツマタでなければなんなんだ? と問われたが、知らないので答えられないでいると、父は「じゃあやっぱりミツマタじゃないか!」と怒り出し、勝手にそういうことにしてしまった。昔から癖の強い人だったが、歳を取るにつれて、いよいよ悪化していっている。今はなき母方の祖母が庭に植えた芙蓉のことも葵だと言ってきかない。父は祖母のことが嫌いなのでなおさらだ。母は父の言う事を何でも肯定するので、芙蓉と葵どっちだ問題でも父の方を持った。そもそも芙蓉と葵は紛らわしい見た目の花だが、苗木を買った人(祖母)が芙蓉って言ったんだからそうなんじゃねえのかな、知らんけど。

 両親と弟が一緒じゃない日にも何度か寺に花見に行った。

桜並木お花見

 ドライブスルーなだけのお花見。二十年以上前、私がこの街引っ越して来た翌日か翌々日に、この桜並木の桜が満開で、しかも桜祭りが開催されていた。それは絢爛豪華な感じだった。

 あれから二十年。当たり前だが桜はとても大きくなり、枝が電線に触れるほどの丈となった。すると近隣住民からの苦情が入るようになったらしく、桜の花や落ち葉路上に落ちないよう枝を剪定することになった。ところが、それを自治体から依頼された業者下請けに丸投げし、更に孫請の建設会社押し付けられたため、単なる素人作業となった。今の桜並木は目も当てられない有様で、何本か枯死した。でも一応はソメイヨシノらしく、沢山の花を咲かせる。あまり見映えはよくないにしろ。桜祭りは、私が見た華やかな歳が開催日に桜が咲いていた、最初最後の年だったらしい。毎年桜の開花と祭りの日程が合わずしかも決まって当日に雨の降る冬日となるので、十数年前に祭り廃止になった。

運動公園お花見

 運動公園の外周には立派な桜の木が何本も植わっている。いつか見に行こうと思っていたのだが、子供達が運動公園を怖がるので、いけないでいた。何故怖がるのかというと、運動公園には地元少年野球チームやサッカーチーム練習試合をしにやって来るからだ。

 広い公園の半分ほどは小さな子供達のためのスペースと散歩者のための遊歩道や憩いの場で、半分がサッカー場野球場なのだが、練習試合のある時は選手達が広場まで侵出してきてウォームアップをしたり、暇と体力をもて余して走り回っている。彼らは余所見をしながら全力疾走で、幼児たちがよちよち遊ぶ広場を突っ切り、順番待ちをする親子を押し退けて滑り台を駆け上がり、お年寄りの歩く遊歩道をジグザグに走ってゆく。

 ある時、子供達を連れて遊んでいたらそこへ野球チームが練習にやって来て広場しっちゃかめっちゃかになったことがあった。その時子供達は小さかったのだが、よほど恐ろしかったのだろう。いまだにその時の事を覚えているのだ。

 コロナのご時世のため、スポーツをしている人達は誰もいなかった。もしかするとグラウンド団体に貸していないのかもしれない。公園の中をぐるりと一周し、子供達を遊具で遊ばせた。広場の端に、「ここは子どものための広場です。危険ですので野球サッカーチーム侵入禁止します。練習ウォームアップ等に使用しないでください」という立札があるのを発見。見たところ、比較的新しい立札だった。

 桜の木の下を通ると、ヒヨドリ金切声を上げて飛び立つ。すると、ヒヨドリのいた枝から私達の頭上に、桜の花が花柄ごと降ってきた。地面は鳥に啄まれて落ちた花がびっしり敷き詰められていた。

 公園事務所ラウンジから死角となる場所桜の木の下で、お爺さん達のグループ酒盛りをしていた。

市民体育館お花見

 毎年花見に来るスポット子供達は、桜の花よりも、芝生を侵食しているクローバーに夢中。四つ葉が欲しいらしい。

 昼時から少し外れた時間に来ると、近隣の老人ホームデイサービスの車が何台も、車椅子に乗ったお年寄りを運んで来る。毎年の光景だ。うちの子供達が赤ん坊の頃から既に恒例行事で、お年寄りを乗せて来る車も毎年同じ施設の名が入っている。しかし毎年ここに花見に来ているお年寄りいるかどうかは知らない。

公民館お花見

 家から徒歩で行けるが、住宅街の真ん中でうちから見えるところではないため、何となく行かないまま終わる年もよくある。

 満開の花が風に煽られてはらはらと散っているところだった。子供達が花びらを追いかけて、犬みたいに走り回る。風が吹くたびに強い芳香がたつ。どこか近所の家で桜餅手作りしているのかと思って周囲を見回したら、匂いは桜の樹の下から漂って来るようだった。木根の辺りからひこばえがぼうぼうに生えていて、葉っぱと花を同時に着けている。それが匂うのだ。桜の木の上の部分はソメイヨシノで、枝に着いているのは花だけなのだが、根の部分は大島なのだ。つまり挿し木の土台だった部分がまだ大島桜の性質を遺している。

 たぶん、今は公民館の桜を管理している人は誰もいない。数年前までは公民館のすぐそばにある小さな一軒家に住んでいたお爺さんが公民館とその近くの 小さな公園植物の面倒を見ていた。だが、今はお爺さんの家は空家で、お爺さんの姿はもう長いこと見かけていない。昔はうちの前の通りを散歩して、うちの庭の桜を綺麗だとほめてくれたりした。

2022-04-02

日本桜の木を植え過ぎじゃない?

この季節になると「毎日のように見てたこの木桜の木だったのか…」と思う。

綺麗だし植えたくなる気持ちもわかるけど、多過ぎて酔う。桜に。

ほかの緑の季節がきれいな木みたいなの埋めたりしないのかな。

2022-03-28

公園の桜

休みに外へ出て、公園に咲く桜を見たら、なんだか色々とどうでもいいな、という気持ちが湧き出てくる。一年に一度、渾身の桜を咲かせる桜の木に比べたら、年度末にあたふた数字を合わせる仕事の何と小さなことか。

早めに仕事を終わらせて(終わらなくてもいい)、夕方の桜を見に行こう。5時頃であれば、まだ花を楽しむだけの明かりがあるだろう。

2022-02-10

「トレパク」は悪いことではありません

世間で「トレパク」と呼ばれている行為は、単なるイラスト制作手法ひとつに過ぎず、それ自体は何ら咎められるものではありません。悪いのは、

です。つまり、きちんと法律準拠して作品制作を行っており、人としてのマナーを弁えていれば、「トレパク」だからと謗られる筋合いは無いということです。

以下では、多くの人が「トレパクは悪」と思い込んでいる要因を指摘し、それらが間違っていることを説明します。

現状、非の無いクリエイターたちが「トレパク認定厨」の嫌がらせに遭ったり、彼らの嫌がらせに怯えながら活動しています自分では何も生み出さず、他人成果物に難癖を付けるだけのならず者どもが幅を利かせています。このような不条理は正されなければいけません。以下に述べるような正しい認識が普及し、健全創作活動が行われることを望みます

「トレパク」の定義

まず、認識齟齬が生じないよう「トレパク」という言葉定義をはっきりさせておきます。以下に述べる定義は、「トレパク認定厨」が警察ごっこ対象にしている行為の特徴を、過不足なく正確に表していると思います

他人視覚的な著作物(*1)の全部または一部、またはそれを編集(*2)したものを、「トレース元」と呼びます

トレース元」に描写された物体と、空間または他の物体との境界線(*3)を写した(*4)曲線のことを「トレース線画」と言います

トレース線画」を自身作品の一部として使用することを、「トレパク」と言います

(*1) 絵画写真映像など

(*2) 拡大、縮小、回転、反転、トリミング、色彩の変更、その他視覚効果を加えることな

(*3) 輪郭線が明示的に存在しない絵であっても、色の区別錯覚等を利用して、物体境界存在すると理解できるものを含む

(*4) 模写する、思い出して描くのではなく、トレース元の境界線認識できる状態で、それをなぞって線を描くこと

ポイントは以下です。

まず、「トレース元」が他人著作物またはそれを編集したものであることです。自分過去に描いた絵、または自分撮影した写真などであれば、「トレパク」とは言いません。

また、他人作品をそのまま使う場合だけでなく、サイズ変更や反転してトレースした場合も「トレパク」になります

また、トレース元の境界線をなぞって描いた場合のことを指します。模写した場合、思い出して描いた場合は「トレパク」に含めません。また、線画が部分的にでも一致していれば「トレパク」になります。たとえば、顔や手だけ一致した場合複数の「トレース元」をキメラ的に組み合わせたものも「トレパク」です。

「トレパク」が悪とされる理由

多くの人が「トレパクは悪いこと」と誤解する原因は、下記の3つに集約されます

  1. 「トレパク」は著作権侵害であるという思い込み
  2. 「トレパク」はクリエイター本来の実力を誤魔化すという思い込み
  3. 「トレパク」はクリエイターモラルに反するという思い込み

以下、これらがすべて誤りであることを説明します。

「トレパク」は著作権侵害であるという思い込み

まず、「トレパクは著作権侵害である」という主張は誤りです。

「トレパクかどうか」が「著作権侵害に該当するかどうか」の基準になることは、法律的にありません。著作権侵害に該当するのかどうかの基準は、「表現上の本質的な特徴を直接感得することができるか否か」です(下記サイト参照)。「トレパク認定厨」が指摘する「線画が一致するかどうか」と著作権侵害ほとんど無関係です。

イラスト類似著作権侵害になるかどうかの基準は、たとえば以下のページ等で弁護士が詳しく解説しています

法律的な観点からは、「トレパク認定厨」が騒ぎ立てるような「手の線画が一致している」とか「背景の小物の輪郭が一致している」とかいう要素が、著作権侵害に該当する可能性はほぼありません。それらが「作品本質的特徴」とは言えないからです。

特に、構図やポーズなどは著作権保護されません。それらは単なるアイデアに過ぎないからです。たとえば、「男女が目を合わせるのをローアングルから描く構図」とか「顎に手を当てて考えるポーズ」などは、美術表現上ありふれたものであり、著作権保護されません(こういうものまで著作権保護されたら、誰も絵を描けなくなるでしょう)。

そもそも、「著作権侵害である」と指摘したいのであれば、その要件に該当するか否かを議論すればよく、「トレパク検証」は全く無意味です。トレースであろうが、模写であろうが、思い出して描いたのであろうが、著作権侵害要件を満たしていれば違法であり、そうでなければ違法ではありません。

「トレパクは著作権侵害」という風潮は、単に法律的に間違っているだけでなく、「トレースさえしていなければ、著作権侵害にはならない」と言った誤解を誘発する恐れがあります。こういった認識は、クリエイター法律リテラシーや遵法意識を低下させるため、有害でさえあります

「トレパク」はクリエイター本来の実力を誤魔化すという思い込み

一部の人は、「資料、素材、ツールを使って描いた絵は、本来の実力ではない」と思い込んでいますが、これは間違いです。

この誤解の根本には、「"実力"のある人なら、資料などに頼らなくても、あらゆる構図やポーズが描ける」という思い込みがあります特に、絵の経験が浅い人ほど、こういう思い込みをする傾向がありますしかしこれは間違いです。頭の中だけであらゆる構図を絵の中に再現するのは、プロでも不可能です(もちろん、プロの方が見ずに描ける構図は多いでしょうが)。むしろ、実力のある人ほど、きちんと資料等を活用する傾向にあります

資料を使わずに上手い絵が描ける」というのは一つの芸ですが、「それが出来なければ"実力"が無い」ということにはなりません。魅力的な絵を描く人でも、「スケブ」などで一発で描くのは苦手な人はたくさんいます。一発で描こうが、アタリラフを何回も描き直そうが、資料を使おうが、最終的に完成した絵が、そのクリエイターの実力です。

そもそもデジタル絵を描く人であれば、誰でも「選択範囲」や「レイヤー」などのツールに頼っていますアニメ映画では、建物の崩落とか爆発とかを描くのにCGを多用します。「それらのツール機能自分の手で再現できなければ実力ではない」などと主張する人はいません。

「トレパク」は資料活用する手法ひとつに過ぎません。そして「資料を使ったら実力ではない」などという主張は間違っています。したがって「トレパク」だからといって、クリエイターとしての技量に難癖を付けられる謂れはありません。

「トレパク」はクリエイターモラルに反するという思い込み

上記2つの理屈通用しなくなると、「トレパク認定厨」が最後に縋るのが、この種の「モラル問題だ」という論拠です。

はっきり言って、「トレパク」をモラル観点から問題視しているのは、ネット上の一部の「トレパク認定厨」だけです。

普通イラストレーターが、「あなたが以前描いた絵と、手の線が一致する絵を書いた奴がいますよ」なんて報告されたところで、「知らんがな」と思うだけでしょう。趣味日記を書いてる人が、「あなたが以前撮った写真に写ってた桜の木と、背景の木の輪郭が一致する絵を描いた奴がいますよ」なんて報告されたところで、「だから何だ」と思うだけでしょう。普通の人は、見るから盗作を疑われるようなものでもない限り、ある絵が「トレパク」かどうかなんて、どうでもよいのです。

プロであれば尚更です。プロは、あるモチーフを描くために既に確立された表現があることを知っています。したがって、それに類似する作品が多くあることを知っていますし、自身もそういう作品を多く生み出しているという自覚があります。だから、絵が似ているなんてことは当たり前のことだと理解しています

同時にプロは「何がオリジナリティなのか」ということも良く弁えています。「トレパク認定厨」にはそれが足りていません。彼らは、線画が一致したり、絵柄が似ていたりすると、すぐに「パクリ」だと騒ぎ立てますが、その中にはアマチュアが見たって明らかに異なるものが多く含まれます。「トレパク認定厨」は、絵に関する知識眼力も足りていないから、異なる絵が一様に同じように見えているのです。

しかしたら、「トレパクは悪」と思い込んでいる無知クリエイターも、一部にはいるかも知れません。しかし、法的には「自分の絵の線画や構図をマネされない権利」は存在しません。存在しない権利を主張するのはただの我が儘です。鉄道会社に「遅刻しそうだから電車を30分遅らせろ」と要求しているようなものです。

そして、繰り返しになりますが「トレパク」は盗作でも著作権侵害でもありません。また、「トレパク」をしたからと言ってクリエイター技量が低いことにもなりません。事実に基づかずに、「あいつは盗作をした」「あいつは絵が下手だ」と他人貶めるのは、単なる誹謗中傷です。

なぜ「トレパク認定厨」は、「トレパク検証」とかいネットサーフィンの傍らにできる単純作業に夢中になって、他人を貶すためにネットの海を奔走するのでしょう?おそらく、思うようにならないことが鬱積しているのでしょう。その欲求不満を、生産的な活動で晴らさずに、「トレパクは悪」というドグマに縋って募らせているのが、「トレパク認定厨」という存在です。

「トレパク認定厨」へ: 人の道を踏み行いなさい

最後に、「トレパク認定厨」に言っておきたいことがあります。それは、

卑劣なことをするな」

と言うことです。

「トレパク認定厨のしていることは、クリエイターへの侮辱嫌がらせ誹謗中傷以外の何物でもありません。

彼らの手法は、「線画が一致している」ことを以て、「この絵は盗作だ」とか「そのクリエイター画力が低い」と論理を飛躍させること、あるいはその結論を言外に仄めかすことです。これは既に述べたように詭弁です。彼らは、法律絵画技術議論を避けるために論点をずらし、何の意味も無い「トレパク検証結果」をあたか重要証拠かのように演出し、クリエイターを貶めています。これは卑怯です。

また、そもそも法律的に問題があるのは「トレパク認定厨」の方です。彼らは、クリエイター名誉を不当に傷付けていますし、「トレパク検証」と称して作品無断転載を行っており著作権侵害も行っています。実際に、「トレパク検証」のまとめブログ管理人が訴えられて負けた事例もあります前科持ちになりたくなければ、そういうことは今すぐに止めなさい。

「トレパク認定厨」へ。匿名からといって、何でも許されると思うのは止めなさい。自身言動が、親や友人に見せて恥ずかしくないか、胸に手を当てて顧みなさい。人の道を踏み行いなさい。

以上です。

2022-02-08

古塔がなぜ延焼するかというと、住んでる場所SNSから、という理由のほうが大きい

ましてクラスタとして絵師だと桜の木の下の死体勢が黙ってない

荒木は遠い存在であって、今どきの絵師からすると距離の近い古塔がズルした、という印象でしかない

2022-02-05

anond:20220205005348

そうなると来年春季五輪

みんなで花咲く丘に登って踊る競技や、桜の木を揺らして花弁を舞わせる競技があるんだろうか

2021-12-31

問題職員の正しい辞めさせ方 6/10

case4. D乃さん 

これまでの3つの例に比べて短めにしている。政治的話題になるからだ。代わりに、閑話休題補完的な内容に文章を割いている。

政治というのは厄介なもので、敵と味方を二分する性質を持っている。はてな民ならお分かりだろう。ちょっと前だと、弱者男性存在について大いに語り合っていたはずだ。本日2021/12/20)時点だと、オタクコンテンツ表現規制だとか、M1に出ていた芸人が人の見た目を馬鹿にするネタを~みたいな話題で盛り上がっているようだ。

から私が話すケースが好きな人はすごく好きだし、嫌いな人はすごく嫌いだろう。よって、短くまとめたい。

D乃さんは、労働組合で活発に動いているタイプ職員だった。もうすぐ定年で、K市に合併される前の海沿いの市町村採用された。人権運動同和教育に意欲的で、労働組合行事や集まりには必ず顔を出していたらしい。

さて、そんな彼女がある年、泊まりがけの研修に行くことになった。公民館で講座をしたり、まちづくり活動会合でコーディネーターをする人を養成するための、文部科学省主催し、都道府県運営を行うタイプ研修だった。

2日目に事件は起きた。D乃さんが県の職員と大喧嘩になったのだ。原因は、そう……『日本国旗』だった。国立研修施設だったので、毎朝誰かがラジオ体操の時に国旗をスルスルと掲揚するのだが、それに選ばれた彼女国旗の掲揚を拒んだ。

県の話によると、「太平洋戦争引き起こし部落問題を長年放置してきた人権侵害の象徴である日本政府、その国旗なんか掲げたくない」とのことだった。大騒ぎになったので、県内他市町の職員らにも知られることとなった。後日、県から正式クレームの内容が書かれた文書が届くことになる。大恥をかかされたK市の幹部は、D乃さんに対して停職以上の厳しい処分を与えるべきという結論を下した。

さて、私は、「この類の人と面談する意味はないな」と思っていた。まさにそのとおりになった。

指導面談の場では、D乃さんは「私は悪くない」をオウムのように繰り返すばかりで、「これ以上続けるなら組合に訴え出て解決する」という。この年齢の人にありがちだが、思想的にガチガチに固まっていて、新しい価値観を受け入れることができない。

結論からいうと、D乃さんには一番軽い処分を下した。文書戒告。わかる人にはわかるだろうが、文書戒告処分ではない。昔の人が考えた言葉マジックであり、実質的にはただの注意だ。

この処分の一つ目の用い方は、とある職員個人やそのチームがきっちり真面目に仕事をこなしたけれども、それでも大きな失敗をしてしまい、責任所在を示さねばならなくなった時だ。

二つ目は、この文書戒告を受けても、さらに悪行を積み重ねる救いのない者についてだ。この場合処分内容がどんどん次のステージに上がっていく。やがては退職勧奨へと至り、それでも改善が見込まれなければ問題のある職員から不要である職員へとカテゴリが変化する。かくして、そういった人間専用の部署ポジションに異動することになる。

______________________________

(以下、脇道)

上の『二つ目』について、不要職員判断された者について、①②③により一般的な例をひとつずつ示す。

男性場合は、事務から現業職種を替えたうえで、公園観光施設、し尿処理場や〇〇センターなどの施設管理特に肉体労働)の部署に送る。其処では、K市きってのサイコパス管理監督者を務めており、厳しいノルマが課される。かくして彼らは、精神的にも肉体的にも追い込まれていく。仕事をロクにしないサボりタイプ職員に多い配置パターンだ。

女性場合は、上下水道局のような男性が多い部署、それも自分以外すべて男性部署に異動させる。そこでは、水道メーターの検針管理上下水道用品の棚卸し、料金滞納者への督促や集金回りといった業務担当する。そのうちストレス過多になり、職場に来ることができなくなって辞めていくパターンが多い。私がこの類の人事案件担当することはなかったが、後輩へのいじめハラスメントだとか、勤務中に大声で他人罵倒するなどを繰り返した者に多いようである

③男女問わず、その職員が家庭の役割を担っている(介護家事や親の自営業など)場合、自宅から通勤が難しい(片道2時間近くなど)僻地に異動あるいは出向させる。毎日定時に退庁できるが、だんだん僻地職場が嫌になり、数年以内には「異動させてほしい」と上司や人事に訴え出ることが多い。だが、人事課内部では、「更生が認められない限りは定年まで〇〇支所。決して再任用を受け入れないこと」などと引き継がれているため、希望が適う可能性はゼロだ。組織にとって終生不要だと判断たから、そういう処遇を与えている。

この3例すべてにおいて、当人が苦境から解き放たれる可能性は少ない。「改善された」と人事課に認められない限りは、ずっとそのままだ。個人的な感覚だと、こうした処遇を与えられた人間の約3割が自ら退職を選び、残りの5割はゾンビのような人間的活力に乏しい人間になる。

最後の2割は、苦境の中で自らと向き合い、努力の結果として更生を果たし、十分な実績を挙げることで――晴れて一般部署に戻ることができている。

いま述べた行為残酷だと思われたなら、想像してみるといい。仕事をせずにのんべんだらりとしている地方公務員に、あなたの財布からお金を渡している場面だ。あなたが払った住民税所得税の一部が彼ら彼女らの給料になるのだ。

残念ながら、「私は最低限の仕事すらしたくない。首を切られることはないし、それが一番いい」などと心の内で考えている職員は多い。私の感覚だと、最低でも1割はそんなことを思って職場に来ている。

公務員チート若者言葉でズルくて強いという意味)と言われる由縁である。若手・中堅社会人向けのメディアnoteなど。後はビジネス誌ネット記事)を見ていると、『どうすれば成長できるのか』『圧倒的な価値創造するために』『自己研鑽がなぜ大事か』といった記事が踊る中、公務員はそんなことを考えなくても経済社会を生きていける。

仕事好きな人はとにかく働いているし、ほどほどにやりたい人は合格最低点より少し上の品質仕事を切り上げる。家庭や個人事情で働くことができない人間はそれに対応した長期休暇を取るし、そもそも働きたくない人間はこれ見よがしに無能アピールを行い、割り振られる仕事を減らそうとする。

上のどんな働き方を選んでも、犯罪などをしでかさない限りは首を切られることはない。まさに自由な働き方だ。給料は50代までは右肩上がりだし、有給休暇電話一本ですぐに取れるし、年金制度は手厚いし、希望すればほぼ全員再雇用される。

(脇道ここまで)

______________________________

話を戻そう。私は経験上わかっている。D乃さんの年齢の職員が更生することがないのを。

定年も近かった。たとえ免職処分にできたところで市にとってのメリットは薄いし、このことを根に持った彼女退職後にK市に嫌がらせをする可能性もある。

よって、D乃さんには普通に定年退職してもらった方がいいと考え、K市の幹部(繰り返すが、私の役職部長級だが実質的権限はない。プロパー課長にも劣っている)に対して以下の提案をした。

「D乃さんの場合組合内での役職立場を考えると、厳しい処分をした後の余波が重いものと考えられます。よって、今回は文書戒告とすべきです。ご希望に沿えず申し訳ありません。その代わり、もし彼女が定年後の再任用を希望した場合、私が責任もって拒否します」

※最終的には再任用ではなく、公民館職員になった。こっちの方がまずい気もするが……。

渋々の承認をもらった私は、「地方公務員って意外とヤバいな(※当時の日記そのまま)」と感じつつ、3階の窓から、人もまばらな夕方駐車場を見下ろしていた。終業のチャイムが鳴ったばかりであり、何人かが駐車場をポツポツと歩いて自家用車に向かっている。

視線を移すと、市街地住宅商業ビルに混ざって、田んぼや畑や空き地が点々とあった。やがて、K市の役場のすぐ前にある雑木林視線を移すと、遠くの方から、ぱたぱたと翼を羽ばたかせてメバルが飛んできた。

メバルは、たぶん小さい声でピピピ、と鳴いたのかもしれない――雑木林クヌギコナラの枝に止まった。周りをササッと見渡すと、ちょんちょんと枝の上を移動していく。春になると、桜の木の枝にも止まるのだが、これがまた絵になる。

カメラを持っていればよかったなぁ」と思いながら、私はそいつをずっと見ていた。昔、実家にある柿の木の枝にトリモチを付けて、メバルを何匹も捕えたのを思い出した。適当に作ったトリモチでも、これがまたよくひっつくのだ。最大で7羽もひっついていた。やり方は祖父に教わったんだっけ。

夕焼け雲に視線を移すと、数年間に、祖父から「ひ孫の顔が見たい」と言われたのを思い出した。見せてやれなかったのは残念だったが、もうこの年で子どもは難しいだろう。精子劣化している。なにより元気がない。風俗店を利用するのも年に数回あるかないかだ

2022/1/1 追記 メバルメジロの誤りです。

https://anond.hatelabo.jp/20211231220520

2021-11-27

第6章 地下室がしゅき

前回 https://anond.hatelabo.jp/20211127063143

死にたい?生きたい?

もう 死にたい でも生きたい

なにもかも投げ捨てられなくても?

うん なにもかも投げ捨てられなくても

世界全体が壊せるとしても?

うん 世界全体が壊せるとしても

自分が嫌い?

自分が嫌い

自分のままで生きていたくない?

自分のままで生きていたくない

でも生きたい?

でも生きたい

理系公務員がなにをやるのかは割と多様だ。

公務員ときの癖してそれなりに専門技術を身に着けて現場で働く人もいる。

ただやっぱり、そういうのってお互いに競争してる民間の方がクオリティが高いわけで減ってきている。

今の公務員民間業者仕事を投げるだけの装置だ。

別に偉い役人からこの業者やらせろとか来るわけじゃない。

ただ単に前と同じ業者前例踏襲仕事を投げるだけだ。

そのスタートOB圧力だったり役人の手回しだったのかはもう分からない。

そんな人達から回ってきた仕事をありがたくやらせていただく仕事をすることになった。

実質的税金で食っているようなものだ。

公務員ってやつだな!

競争しているのでクオリティが高いとさっきは言ったが、これは単に同じ金をかけた場合の話であって、当然安い価格やらせれば安い仕事しか出来ない。

もしも安い仕事しかできない業者お断りとなれば、本当にクオリティの高い会社が残っただろう。

だが、専門性が超高いのだけ製造業者かに頼むから軽いメンテはクソ雑魚でええわとなっているのが現状らしい。

まりは我々のような落ちこぼれを安く雇って安く使う会社けが生き残ったというわけである

競争入札を重んじる小さな政府国民が望むってそういうことよね。

淡々と日々が過ぎる。

思ったよりも忙しかった。

役所と同じように自分たちの所も人が減ってきているし、老朽化に対して予算ぐりが追いついてない。

アタリマエのことが出来なくなっていく日々が行政レベルで進行していっている。

その行政から回ってくるはした金と、「金がないかギリギリメンテで耐えて」な発注書。

それに従って首の皮一枚を二枚に増やし、一枚が吹き飛んでも耐えられる程度にする。

この国は老人なのだと痛感させられる。

健康新陳代謝と呼ぶにはあまりにも新しく生えてくる機能がなさすぎる。

延命処置技術けが発達していって、病人につなぐスパゲッティ装置コスパがよくなっていくだけだ。

死にかけの老人が若者に蘇る手術の予定はない。

この仕事ある意味自分にはあっていた。

どうしようもない人生の行き詰まりの果てに、同じように人生が行き詰まった奴らが、行き詰まった国の現状を直視しながら目を逸らしながら仕事をする。

精神を削る魔物を見つめるように、視線を交差させないようにしながら細部を見ながら、見すぎないように、覚えようとして、それでいてすぐに忘れるように。

自分の見てきた人生の有り様とある意味で噛み合っていた。

公務員なんてのは雇用セーフティネットなんだよ」と馬鹿にする声を前に聞いた気がする。

そのとおりだ。

その網にかかって私は今、いつか、あのベランダ屋上からコンクリートにぶつけるはずだった頭を今でも頭に乗せて生きている。

生活インフラの整備をしていると、人の目につかないような場所フラリと行くことがある。

町の内側にあるものは、人間で言えばハラワタのようなものだ。

それはどこか薄汚くて、嫌な匂いがする。

町を生かすために必死に動いているのに、それを見ていると気が滅入ってくるようだ。

こんなものを縁の下に引いて動いている町で、キラキラと働いていると思っている人がいると思うと滑稽だ。

私は便所掃除をする人を尊敬している。

誰かが便所掃除をするから汚物を日々ブラシで削り落としているから、汚物匂いがこびりついた便所で用を足さずに住んでいる。

子供の頃読んだ図鑑で、食物連鎖は結局の所、腐葉土の中にいる微生物によって支えられていると読んだことがある。

桜の木の下には腐葉土が作り出した栄養が蠢いている。

腐葉土自分はなったのだ。

なれたのだ。

これでいいのか。

からない。

ただ、世の中のためを思うなら死ななきゃいけないような、生きてるだけで迷惑人間と言われるほどの筋合いはないだろう。

どこかで税金泥棒じみたコスパの悪い働き方をしている自覚はある。

その原因は本物の公務員からやってくる仕様のせいだが、面倒だから逆らう気にもなれない。

状況を改善するには今この界隈にいる人間よりも一回り有能な人がいるだろうが、こんな所に有能な人は転げ落ちては来ないだろうし、転げ落ちた時点で才能を使い切ったあとの出涸らしだろう。

コスパが悪いことを自覚しながら、それに自分で苛つきながら働くことと引き換えに、身分給与保証された腐った匂いのする微生物としてこの社会の下で蠢いていく。

私の人生にもこんな惨めな気持ちにならずに暮らせる可能性はドコかに合ったはずだ。

ただ、それを選んで幸せになれるだけの才能があると信じられなかったのだろう。

そして、実際ソレが正しくなる程度の才能しかなかったんだろ。

私は、自分に与えられた人生社会に対して最低限ここまでは出してくれと願った価格よりは少しマシ値段では売り払えた。

もうこれで十分だ。

次回 https://anond.hatelabo.jp/20211128174631

2021-09-18

一瞬映った番組の背景オブジェうんこが見えてえっ!?ってなってよく見たら桜の木の枝のようなものだった

日頃テレビうんこなんて思ってるからうんこに見えたのかも 反省

2021-06-26

[] 第12話『スーパーカブ

小熊、礼子、恵庭花見に行こうといい、店を出る。

しかし聴き間違えた恵庭は花を売るなんてだめですよ、と忠告する。

礼子は、あなた何いってんの、と冷たくあしらうのだった。

恵庭は途中の休憩でパンを取り出すが、気泡の穴を見て頬を赤らめる。

まり想像力たくましさに小熊が思わず、しいちゃん色々大丈夫

と声をかけるが、恵庭穴があったら入りたい、となおも穴の話題継続するのだった。

あまつさえ恵庭琵琶湖INNにつくなりそんなに大きい建物入りません、と口走る。

結局彼女だけ締め出されて外でテントを張ることになった。

もちろんテントを張る、という行為に大いに興奮した恵庭だった。

海辺に来た恵庭想像力はとどまることを知らない。

潮の満ち引きに思わず笑みがこぼれ、吹き出ししまう。

当人アクションだけで潮吹きが完結していたが、残りの二人は知る由もない。

鳥取砂丘を見てもサンドから板挟みの3P想像してしまい、どうしても正視できない。

正視という言葉すらも脳内精子に変換してしまう始末だった。

ネットカフェで二人が寝静まったあと、個人席で好きなブツを堪能した恵庭

もはや珈琲どころではない。桜の木などどうでも良かった。

そんなもの些細な出来事に過ぎない。

恵庭帰宅するとリトルカブを購入して次の興奮に備えた。

珈琲屋のパパは娘があらぬ方向に成長しているさまを暖かく見守るのだった。

2021-06-04

コロナ感染して死ね神社に神として祭られる

覚えておけ

コロナで死んだ後には神社にいけ

入って三番目の桜の木の下で会おう

2021-06-02

昔、花が咲くと同時に葉の出てくるバカかい桜の木が家の近くにあった

今日ようやくそういう咲き方をするのが山桜だということを知った

薄いピンクも綺麗だけど、白い花と爽やかな黄緑の葉と黒褐色の幹の色合いが一番好き

ある日突然ただの切り株になってて愕然としたけど

それまでは植物が死んでもなんとも思わなかったけどその時は通学途中なのに泣いてしまった

2021-04-22

祖父桜の木の下から蘇生した

桜の木の下から祖父が出てきた。代々続いてきたうちの庭からだ。彼は奇妙なカプセルに入って眠りについていた。何でも当人いわく数年タイムマシンになっていたという。

彼は桜からエネルギーを得る謎理論をまくし立て、一息つくと僕の父である息子は元気かと問いかけてきた。父はすでに他界したし、僕はもうハタチだと述べると、祖父は「あの坊主がねえ」と目を丸くした。子供がそのまま大きくなったかのような無垢な風貌は、今見える60歳そこそこの雰囲気ではない。それこそ同い年程度の印象を与えるのだった。

床の間の明治時代から受け継がれた鳩時計が鳴くと、そこから粒上にくすんで灰色になった鳩が出てきた。祖父はそれを見て、こりゃ婆さんと一緒に買ったもんだといった。年代の辻褄が合わない気がしたが、なにか祖父の中で記憶違いでも生じているのだと思うことにした。

奇妙な祖父との生活は不思議なほど違和感なく始まった。彼は嫌味のない性格で、誰にも壁を作らず、生意気なことを言う近所の子供すら手なづけてしまった。食べ物は妙に現代的なゼリー状のサプリ系の食事をとったかと思えば、なつかしむように漬物を食うと言ったちぐはぐなもので、食べるものには一貫性がなかった。母は父が出てきて今に至るまで、まるで違和感なくこの奇妙な人物を受け入れ、偏食にあわせて献立を用意した。

若葉が茂り、肌の産毛が少しだけ柔らかに感じられる季節になった。桜の木が緑色になると、物静かな雨が降り始めた。それから体の中を駈け抜ける涼風が町内に挨拶する時期になると、祖父は突然おかしなことを言い始めた。

バンジージャンプをやってみたい。

祖父は桜の木の下のカプセルから出てきた時点でおかしな人だったから、気に留めるほどではなかった。蝉の鳴き声が鳴り響く頃、母の了承も得て田舎のバンジージャンプ施設に向かうことになった。

某所、係の人に色々な忠告をされる父は、聞いてるのか聞いてないのかわからないふうであった。相槌を打ちながらもその目線は川の中へと向かっており、まるで川床に吸い込まれるように思えた。母は祖父の性格を知ってか、あるいは祖母の性格を受け継いでか、のんびりとその様子を眺めている。

1,2,3バンジー! の声とともに父は見つめる川床へ向かって飛び込んだ。すると奇妙なことが起こった。父の腰辺りの装置が一瞬ロープの伸張に合わせて回り始めたように見え、彼が宙に放り出されて小さくなると、彼の周囲が光に包まれたのだ。

その瞬間母は叫んだ。ばあちゃんに見せられた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だわ!

何いってんだこの人、と思った。そうこうするうちに祖父は光の帯に巻き込まれて高速回転する小さな機械とともに空間の穴へと吸い込まれてゆく。僕は知り合って間もないはずなのに、思わずじいちゃん、と叫んでしまった。そうこうするうちに祖父は光の帯に巻き込まれて激しく雷光を放ったかと思うと虚空に吸い込まれて見えなくなってしまった。後には小鳥たちの鳴き声と緒川のせせらぎの音が響くのみである。母はなぜか拍手を始め、バンジージャンプの人たちもにこやかな笑顔とともに拍手を始めた。気が動転する僕にバンジー人たちはドッキリですよ、とYouTuberのような嘘をついて更に混乱させた。

数日後、事情を飲み込めない僕は、頭を整理するために家の桜の木を覗いてみた。良く調べると父の寝ていたカプセルの下から更に玉手箱のようなものが埋まっていることが発見された。そこには奇妙なことが書かれていた。

筆跡は祖父のもので、しかしかなり古びているように思えた。彼はある城下町で暮らしており、美しい町娘と出会って子をたくさんもうけたと語っていた。筆文字である。そして一枚の家系図がその時代から数世代にわたって描かれている。そこには自分の名前も存在した。とにかくいつもどおり楽しそうな様子が書かれている。バンジーは爺とかけてあったらしい。

その一枚の家系図を見て、僕はすべての謎が溶けるような気がした。そしてやはり祖父の子なのだと思った。多分、たくさん存在する祖父に僕はつながっているのだと思った。そういえばバンジーの人たちは子供の頃祖父に世話になった人たちだったという。若芽が葉を開き、たくさんのおひさまを吸い込む頃になった。僕は発掘された紙と箱を炭素鑑定にかけた。

入道雲が帰りの車窓から見えた。

『タイムマシンになって』

anond:20210330045112

2021-04-05

お花見に参加しました

スタイルの癖を隠すために再翻訳され、さらテキスト意味復元する程度に修正されています

私は大阪に住んでいるのですが、3月末、仕事が終わって買い物をしていると、近所の人に会い、「今日公園お花見に行くんだけど、一緒に行かない?」と言われ、思わず「えっ!」と思いました。吉村だって第4波だと認めているのに、何を言っているんだ?非常識だと思いましたが、近所の人たちもみんな来ると言っていましたし、お世話になっていたので、断るとややこしいことになると思いました。ジャイアンリサイタルの誘いを断る勇気のある人はそういないだろう。今思えば、「今日は友人と電話約束があるので、......」というのがベストな答えだったと思います。当時はそんなこと考えもしませんでしたが。また、正直なところ、私は料理上手な彼の美味しい料理を久しぶりに楽しめることを期待していました。

とにかく、私は愚かにも彼に付き合ってしまったのである。彼の言うとおり、近所の人たちがほとんど集まっていて、予想通り、食べ物はたくさんあった。桜は満開ではなかったが、ちゃんと咲いていたし、我々のような馬鹿集団は他にいなかった。公園椅子が空いていたので、せめて距離をとって静かに食べようと安心していたのですが、いつの間にかマスクを外した主催者が桜の近くにブルーシートを敷き始めていました。そうそう、そうなんですよ。こんな時期に近所の人たちを招いて花見をする人は、コロナ対策ちゃんとしていないのだ。

しかし、それにしても、近所の人たちのほとんどが本当にそこにいるのだ。どことは言いませんが、近所に大学があって、若者がたくさんいます無名お笑い芸人、お騒がせな自称映画監督、ユニバのスタッフもいる。最近特にお金に困っているらしいので、彼らは食事をするチャンスを逃したくない。医師国家試験合格したばかりの幼馴染とその両親(医師看護師)を見つけたときは、勘弁してくださいと思ったが、今さらコロナ理由に断るのはもっと大変だと思い、すべてを諦めた。自称監督が撮った集合写真には、4人どころか10人以上が写っており、料理を前にしてマスクをしている人はほとんどいない。料理をつまむ箸がないので、直箸で食べることになる。

それでも、ほんの少しだけだが抵抗してみた。マスクをして、黙々と逆さ箸で料理を皿に盛り、小さなブルーシートを出て、公園のベンチで(つまりブルーシートに出入りするたびに靴を脱いだり履いたりしなければならない)、口元に持っていくとき以外はずっとマスクをして、静かに食事しました。こんなことをしていたのは私だけだったが、喫煙者の中にはタバコを口実に距離を取ろうとしている人もいたようだ。前述の医師とその家族は、全員がアルコールスプレーを常時携帯しており、その習慣を知っている私も常時携帯し、動くたびにスプレーをした。

すべての料理を一通り食べ終わった後、一人が帰ることになったので、私も一緒に帰ることにしました。それでも1時間半ほど滞在しました。帰宅後すぐに、手洗い、うがい、スプレーシャワーなどをして、まるで風邪を引いたかのような格好でベッドに入りました。

幸い、私は4月から自宅で仕事をしているので、まだ一人で家にこもっています。その気になれば、すでにあと3週間は持ちこたえられるだけの物資を持っているし、食料品をオーダーすれば、さらに長く居座ることができるだろう。昨年から続けているように、滋養強壮の薬をおまじないのように飲み、毎朝体温を測り、花粉症の症状をコロナ可能性を気にしながら過ごしています。今のところ、参加者感染したという報告はありませんが、もし感染していたら私も感染しているだろう。そんなことを考えています。先日の集合写真では、桜の木の幹に何かが巻き付いていました。よく見ると、「ブルーシートの下で飲食しないでください」と書いてあるんです。もう、大阪バッシングに何か言い返す権利はありません。皆さんも、急なお誘いに断れるかどうかシミュレーションしてみてください。私と同じ轍を踏まないようにしてほしいものです。

2021-03-30

タイムマシンになって

父は奇妙な人間だった。TV鑑定団骨董品を出すと言ってはスーパーマーケットの皿を買って来たり、タバコを買ってくると言っては駄菓子ハッカタバコを買ってくるという人だった。その天然ぶりと珍妙さは折り紙付きであり、近所からも道端の湿ったコケ類の如き柔らかな中傷を浴びた。

ある時父は失踪した。まるで真冬の嵐に巻かれた雪景色の向こう側に消えるようにいなくなった父であったが、家族から不思議心配されることはなかった。母は変わり者の父のことだからきっとどこかで生きている、とのんきな様子でせんべいを頬張り、そうした様子で何年も過ごした。母がせんべいのことすら忘れる頃になると俺も成人になったのだが、どうにも父のことは今すぐそこにいるように感じられて仕方がない様子だった。そのように語る俺ですら、父が死んだという認識はない。父の失踪はまるで都市伝説のみたく脈々と受け継がれてゆくようにも感じられた。

ある日のことだ、こつ然と消えた父が庭に立っていた。それも推定年齢は4,50歳ほどでしかない。せんべいを忘れる年齢どころではない。彼はいきなり奇妙なことを口走った。

タイムカプセルになりたいと思って」

そういって息を切らす父は、庭の一角を指した。そこには卵型の器と接続されたパイプが地中に没している。それらは複雑に絡まりながらも各々が支え合い、一本の太いチューブとして機能しているようだった。

父の話はいつもどおり単純なものだ。タイムカプセルにいろいろなものを入れたら、思い出とともに風化せずに出てくるものだ。父たる私もタイムカプセルに入ればそうなるに違いない、と。

彼の話自体はいいだろう。実際にはまるで良くないのだが、父のことだから許容しよう。しか現実的には風化どころか、母の加齢を考えればありえない年齢で目の前に姿を現している。大切な部分がすっ飛んだ俺の質問に父は笑顔で答えた。

「いやあ、それでも結構風化しちゃったねえ」

以降、父は自分の野望をまくし立て、地球テラフォーミングされる日まで待つ、という辻褄の合わない台詞を残して再び原理がよくわからない機械に入っていった。それ以降再び父はいなくなり、母は数年後に安らかな顔で他界した。そうして家を受け継いだ俺の目の前に桜の木が映り込んだ。それは父が埋まっているはずのタイムカプセルから伸びているようだった。桜の樹の下には死体は埋まっていない。奇特父親が何年も埋まっている。あるいは父は桜になって喋りだすのだろうか。そよ風とともに花びらが鼻先をかすめた。

2021-03-29

桜の花が満開間近増田須磨加地カンマが那覇の落差(回文

おはようございます

桜咲き始めてるかしらってもう私の所は満開間近って感じでマジか!って感じよ。

よくよく考えてみたら

よく考えなくてもだけど

桜の木ソメイヨシノってほぼ全部が遺伝子が一緒のクローンでって話しは有名なんだけど、

ある意味それホラーな感じすると思うと

うかうかお花見もしてられないわよね。

一斉に咲く理由は全部遺伝子が同じだからって。

ホラーよね。

野菜育てたことある人なら分かるかも知れないんだけど、

ホームセンターとかで売ってる

野菜の種もF1種って言って

同一の遺伝子の種って話しなので、

収穫が一斉に出来る!って仕組みらしいのよ。

一応そのF1種からなった野菜とかからも種が出来るんだけど、

劣性遺伝子が働いて、

一発目に育てたよりも大抵はポンコツな収穫しか出来ないヘボまった野菜になる確率が高いらしくって、

そう言えば植えて育てていたお野菜も代を重ねる毎に

なんか出来栄えあんまり良くない気がしてきて、

いろいろとそう言う家庭菜園の本を読みまくりまくりすてぃーしていると、

まりはそう言うことなだってーって。

へーって感じよね。

そう思いながら愛でる桜も恐怖である

そう言った人間操作されている感じが

なんか手塚治虫さんの火の鳥のなんかの話しにも通じる感じもしないこともないわよね?

からこの時期になると遺伝子は一緒だけどやたらピンク色の強い桜の根元には、

そう事件で遺棄された未解決のソレが埋まっていて、

その人間の成分のリン成分が

桜の花をよりピンク色に仕上げて咲かせるらしいわよ。

からこの時期の刑事さんは

桜を見回っていくんだけど、

ソレがまるであんパンと牛乳を持ち歩いて調べているか

よその人から見たら、

刑事さんがお花見とは暢気なものね!って言われるのがこの時期辛いらしいわよ。

からそれに伴ってまた、

あんパンと牛乳消費量が爆上がりなので、

大抵の白いお皿を集める人たちの半数以上は刑事さんでもあるとともに

それ以外の半分は松たか子さんになるって

明日春が来るならそれはパン祭りなのよ。

そう考えると恐ろしくない?

私はそのパン祭りシールの置いてあるパン屋さんが近くにないか

そのことをすっかり忘れていたけど、

桜が咲く頃になると

すっかり思い出すのよ。

ああまた桜咲く季節あんパンが爆売れ!シール集め放題なんだーって

あなたももしかしたら、

よその桜よりピンクみの強い桜があれば要注意なのよね。

ソレはまるで、

餃子の王将餃子

お店で1つ1つ作られることなくなって

工場で大量一括生産されるのと全く似ているとは思わないわ?

そう思うでしょ?

ほんとまるで火の鳥の話しと一緒だわ。

私も桜が散る前に

あんパンと牛乳買ってって

私ならテイクアウトした揚げたてから揚げとレモンハイにしようかしら?

なぜなら、

あんパンと牛乳じゃ

刑事さんと間違えられちゃうじゃない?

さてそろそろ捜査に戻ることにするわね!

うふふ。


今日朝ご飯

カフェオレしましたもちろん無糖よ。

微糖でもいいけどそれはイサオだわ。

甘かったら加糖だってことね。

デトックスウォーター

イチゴウォーラーにしたので、

今日もわりかし最近続いている気味の春イチゴウォーラーです。

春らしいことみんなもしてみてね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-03-23

利きブランド牛がぎゅーっと詰まった増田須磨太っ松戸っーゅギガウュ着丼ラブ利き(回文

おはようございます

なんだかみかん花咲く丘公園の桜も咲きそうな頃というかもう咲いてる感じがしてるわよ。

みかん花咲く丘公園と言いながら、

普通に桜の木もあったりと

もちろんミカンの木もあんだけど、

そう言えばミカンの花ってどんなんだっけ?って意外と思い出せない感じもするわ。

それはさておきとしてさ、

ご当地牛肉ってあるじゃない、

葉山牛と赤坂牛か何とか牛とかそういう類いのやつ。

あれってさブランド牛の種類たくさんあるけど、

利きブランド牛ってやったら食べ当てられること出来るのかしら?って謎がまた謎を呼ぶわ。

私がユーチューバーだったら、

都道府県ブランドお取り寄せ利きブランド牛!ってタイトル動画を作るわ。

もう誰かやってるかも知れないけど、

ふとそう思っちゃったワケなのよ。

牛だけに牛の旨味がぎゅーっと詰まってる場合でもないのよね。

美味いものはだいたい美味いんだけど、

あの百貨店でよくある

九州物産展とか大北海道展とかで試食で食べ歩く

プロ百貨店催事巡りの人もいるって言うから

全国の百貨店催事巡りをしている人だったら、

しかしたらもしかしたらよ、

利きブランド牛当てられるかも知れないわよね。

ひょっとしたら

格付け芸能人のあの大会の出場する人の方が

利きブランド牛を食べ当てられるかも知れないわよね。

ここまで何回利きブランド牛って言ったかからないけど、

私は利きブランド大会当てられないと思うから

全国ブランドスタンプラリーならやってみても良いかなーって思ったわ。

本当に全国津々浦々の

ブランド牛にまみれるチャンスなのかも知れないわね。

その利きブランド牛は自信ないけど、

利きブランド鶏肉選手権

名古屋コーチン部門なら私いい線行くと思うんだ。

あれって名古屋コーチン名古屋コーチンの味でしかいか名古屋コーチンって一発で分かっちゃうのよね。

でもまた思っちゃったんだけど、

オージービーフ牛とかアンガビーフ牛とか

あれはあれで国で大掴みでまとまっちゃってるから

もっと本当に細かく分けていったら、

海外ご当地ブランド牛ってのも本当はあるかも知れないわ。

オージービーフでもどこのオージービーフだよ!って

またオージービーフマニアからしてみたら、

オージービーフ100パーセントロマンハンバーグの味だって当てられるのかも知れないし、

利きブランド牛って

ステーキ的な焼きのでこそ分かるものの、

ミンチにして100パーセントのつなぎなしのロマンハンバーグにしちゃうと、

もはや牛の旨味がぎゅーっと詰まってるしかない味になるから

いくら何でも、

あれはあれで

利きブランドハンバーグ部門もかなりの超絶難問ばかりだと思うし、

つなぎなしのビーフ100パーセント

ロマンハンバーグ

レオンの表紙の人が作ってそうなイメージなんかが一切無いところがまたいいわよね。

まあ今日はずっとしたかった牛の話が出来て良かったわ。

中身はないけどね!

牛だけにって!

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドしました。

お腹調子悪いのかしら?か分からないけど、

優しい感じのするタマサンドしました。

タマサンドサンドイッチ界のお粥でもあるぐらいお腹に優しいから、

ちょっと弱ったときタマサンドにしてみても良いかもしれないわね。

ウソだと思うなら海外じゃ風邪引いたときお粥的なものを食べさせる一番のものタマサンドだって言うことをすぐに気付くはずよ。

デトックスウォーター

寒いかったので

ホッツ緑茶ウォーラーしました。

ホッツルイボスディーウォーラーでもいいんだけどね。

棚開けたらルイボスティーの茶葉が一杯あったのよね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-02-25

花見客を減らすため

その日

全国で桜の木が燃やされた

2020-12-01

義務教育限界を感じる

Twitterブログをうろうろしていろんな素人の書いた文章を読むのが趣味で、コメント欄もちらっと見たりするんだけどその度に読解力ない人間って一定数いるな…と痛感する。小中に通ってしっかり卒業して義務教育終えてるはずなのにこれ?と思う人間ゴロゴロいるので、教育子供に受けさせる義務が定められていなかった時代もっと格差が酷かったんだろうと思わざるを得ない。教育制度を整えた昔の人すごい。

「A+BはCです!」という内容のツイートブログに「Cってなんですか?」「A+Bはどうなるんですか?」とリプコメントがついてるのを初めて見た時はその場にへなへなと崩れ落ちたい気分になった。

何回読み返しても〇〇に繋がることなんて1ミリも書いてないはずなのに「なんで〇〇になるんだ?おかしくないか?」とコメントがついてるのを見た瞬間、瞬きの回数が3倍ぐらいに増えた。

最低限の勉強大事だなと思う。

ーーーーーーーーーー

(追記)

深夜のノリでバーッと書いたということもあり、「最低限の教育」という括りは乱暴だったなと感じた。

ここでいう「教育」とは、国語道徳の授業に限るものではないと私は考えているので、長文追記をしてみる。蛇足なので読まなくてもいいです。

たとえばジョージワシントン桜の木逸話がある文章引用されたとして、求められている感想、想定されている感想は「ワシントンの正直さとその偉大さをこの話と引用者は伝えたいんだな」もしくは「正直に過ちを認めることの素晴らしさについての話だな」のような内容だと思う。このようなことをテスト宿題でだけではなく、日常生活においても行う能力こそが学校教育を通して培われるべきものであると私は考えている。強引に言い換えるならば、日常生活への応用力である。(「ワシントンすごい!えらい!」は、方向性は間違いではないだろうがもう少し踏み込んで考えたい)

しかしクソコメントクソリプ(乱暴な言い方でごめんなさい)をしてしま人間は、義務教育を終えているのにも関わらず「ワシントンって誰?」「なんで桜の木を切ったの?切ったらダメなのに」「何が言いたいのかさっぱりわからない」というような感想を抱くのではと予想する。彼達はそもそも話の本質理解できていないので、その考えがどれだけ的外れなのかも理解できない。だから恥という感情を覚えることなく平気でコメントやリプ欄に書き込んで送信ボタンを押してしまう。

学校勉強ができてもクソリプマンになる人間はいるし、逆に勉強が苦手でもすぐ話の本質(話し手意図)を理解できる人間もいる。

それから「その桜の木の話はデマだろwwwそんなことも知らねーのかmg(^O^)プギャー」で頭がいっぱいになる層、それを実際にコメントしてしまう層も一定はいると思うのだが(この駄文を読んでくれた人の中にも一人二人はいるような気がする)、そちらはどちらかというと精神年齢人格問題なのでは…と思う。まあ、そういうリプがついてるのを見たら私は「クソリプだな…元ツイの人も大変だ」と感じるであろうことは間違いない。

小学校算数簡単四則演算勉強をしたあと、文章題や発展問題という形で「八百屋リンゴを三つ、モモを二つ買いました。リンゴは〇円、モモは●円です。全部で何円払えばいいですか」というような問題をやらされたと思う。

社会でも、フィールドワークを通して地元文化歴史について調べた経験があると思う。

理科でも何かしら実験などで日常生活との関わりを意識させられたことがあるはずだ。

中学校義務教育ということだけあって、教科書内の事柄法則現実日常生活対応させることを最終目標としている節がある。知識経験に結びつけさせることで、日常生活への応用力を高めさせたいのだと思う。残念なことに、大学を出ていても、教科書現実生活をくっきりはっきり分けてしまっている人間一定数いるのだ。

2020-11-13

韓国コロナ増えてきてるから、やっぱ気温だな。

桜咲くまでロックダウンしようぜ。合言葉桜の木の下で会おう。

2020-08-08

anond:20200806181042

いやw

桜の木の下の死体、を読み違えてんのはお前。

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