はてなキーワード: ひこばえとは
お寺の境内で花見。子供達と私の両親と弟と私で行った。七分咲きくらいだった。早咲きの品種の桜ばかりある。山桜は葉が出始めで、花はまだたった。
去年までは無かった立札があった。桜の枝を折らないでとか根を踏まないでとか、書いてあった。花見に沢山の人達が来るのは今に始まったことではないのだが、去年に何か悪質な悪戯でもあったのか、それともつもり積もった我慢がついに爆発したのか。
お花見ついでにお賽銭箱に賽銭を入れて行く人が幾人か。アラサーくらいのカップルで、女性の方がお賽銭を放り込んだら、男性の方が女性の袖を引いて、なんか文句を言い、それで二人は揃って姿勢を正し、一礼二拍手をしてからまた賽銭を入れた。
境内には桜の他にも花をつけた木が植わっている。細い花弁4枚の、黄色い花をたわわに着けた、枝の細い木があった。それを父が見て、「これはミツマタ」だと孫達に教えていたが完全に間違っている。ミツマタはその花とは似ても似つかない。沈丁花にならちょっと似ている。名前の通り、三つ又に別れた枝の先に花を咲かせる。何でそれを私が知っているのかといえば、うちの庭に生えているからだ。
ミツマタでなければなんなんだ? と問われたが、知らないので答えられないでいると、父は「じゃあやっぱりミツマタじゃないか!」と怒り出し、勝手にそういうことにしてしまった。昔から癖の強い人だったが、歳を取るにつれて、いよいよ悪化していっている。今はなき母方の祖母が庭に植えた芙蓉のことも葵だと言ってきかない。父は祖母のことが嫌いなのでなおさらだ。母は父の言う事を何でも肯定するので、芙蓉と葵どっちだ問題でも父の方を持った。そもそも芙蓉と葵は紛らわしい見た目の花だが、苗木を買った人(祖母)が芙蓉って言ったんだからそうなんじゃねえのかな、知らんけど。
両親と弟が一緒じゃない日にも何度か寺に花見に行った。
ドライブスルーなだけのお花見。二十年以上前、私がこの街に引っ越して来た翌日か翌々日に、この桜並木の桜が満開で、しかも桜祭りが開催されていた。それは絢爛豪華な感じだった。
あれから二十年。当たり前だが桜はとても大きくなり、枝が電線に触れるほどの丈となった。すると近隣住民からの苦情が入るようになったらしく、桜の花や落ち葉が路上に落ちないよう枝を剪定することになった。ところが、それを自治体から依頼された業者が下請けに丸投げし、更に孫請の建設会社に押し付けられたため、単なる素人作業となった。今の桜並木は目も当てられない有様で、何本か枯死した。でも一応はソメイヨシノらしく、沢山の花を咲かせる。あまり見映えはよくないにしろ。桜祭りは、私が見た華やかな歳が開催日に桜が咲いていた、最初で最後の年だったらしい。毎年桜の開花と祭りの日程が合わず、しかも決まって当日に雨の降る冬日となるので、十数年前に祭りは廃止になった。
運動公園の外周には立派な桜の木が何本も植わっている。いつか見に行こうと思っていたのだが、子供達が運動公園を怖がるので、いけないでいた。何故怖がるのかというと、運動公園には地元の少年野球チームやサッカーチームが練習試合をしにやって来るからだ。
広い公園の半分ほどは小さな子供達のためのスペースと散歩者のための遊歩道や憩いの場で、半分がサッカー場と野球場なのだが、練習試合のある時は選手達が広場まで侵出してきてウォームアップをしたり、暇と体力をもて余して走り回っている。彼らは余所見をしながら全力疾走で、幼児たちがよちよち遊ぶ広場を突っ切り、順番待ちをする親子を押し退けて滑り台を駆け上がり、お年寄りの歩く遊歩道をジグザグに走ってゆく。
ある時、子供達を連れて遊んでいたらそこへ野球チームが練習にやって来て広場がしっちゃかめっちゃかになったことがあった。その時子供達は小さかったのだが、よほど恐ろしかったのだろう。いまだにその時の事を覚えているのだ。
コロナのご時世のため、スポーツをしている人達は誰もいなかった。もしかするとグラウンドを団体に貸していないのかもしれない。公園の中をぐるりと一周し、子供達を遊具で遊ばせた。広場の端に、「ここは子どものための広場です。危険ですので野球やサッカーチームの侵入を禁止します。練習やウォームアップ等に使用しないでください」という立札があるのを発見。見たところ、比較的新しい立札だった。
桜の木の下を通ると、ヒヨドリが金切声を上げて飛び立つ。すると、ヒヨドリのいた枝から私達の頭上に、桜の花が花柄ごと降ってきた。地面は鳥に啄まれて落ちた花がびっしり敷き詰められていた。
公園の事務所とラウンジから死角となる場所の桜の木の下で、お爺さん達のグループが酒盛りをしていた。
毎年花見に来るスポット。子供達は、桜の花よりも、芝生を侵食しているクローバーに夢中。四つ葉が欲しいらしい。
昼時から少し外れた時間に来ると、近隣の老人ホームやデイサービスの車が何台も、車椅子に乗ったお年寄りを運んで来る。毎年の光景だ。うちの子供達が赤ん坊の頃から既に恒例行事で、お年寄りを乗せて来る車も毎年同じ施設の名が入っている。しかし毎年ここに花見に来ているお年寄りがいるかどうかは知らない。
家から徒歩で行けるが、住宅街の真ん中でうちから見えるところではないため、何となく行かないまま終わる年もよくある。
満開の花が風に煽られてはらはらと散っているところだった。子供達が花びらを追いかけて、犬みたいに走り回る。風が吹くたびに強い芳香がたつ。どこか近所の家で桜餅を手作りしているのかと思って周囲を見回したら、匂いは桜の樹の下から漂って来るようだった。木根の辺りからひこばえがぼうぼうに生えていて、葉っぱと花を同時に着けている。それが匂うのだ。桜の木の上の部分はソメイヨシノで、枝に着いているのは花だけなのだが、根の部分は大島桜なのだ。つまり、挿し木の土台だった部分がまだ大島桜の性質を遺している。
たぶん、今は公民館の桜を管理している人は誰もいない。数年前までは公民館のすぐそばにある小さな一軒家に住んでいたお爺さんが公民館とその近くの 小さな公園の植物の面倒を見ていた。だが、今はお爺さんの家は空家で、お爺さんの姿はもう長いこと見かけていない。昔はうちの前の通りを散歩して、うちの庭の桜を綺麗だとほめてくれたりした。
借家の庭に八重咲きの枝垂れ桜が植わっている。私がここに移住して来た時、大家さんが「庭は好きに使っていいし、要らない木は伐っちゃってOK。でもこの桜だけは私の祖母の形見だから残しておいてほしい」と言った。
あれから10年。そこそこ若木だった桜はいつの間にかずいぶん年季の入った感じの、ゴツゴツした見た目になった。枝が道路にかかるくらい長くなり、通行人に迷惑をかけそうなほどなので、私がおっかなびっくり枝を剪定している。桜って、伐り口から腐り易いんじゃなかたっけ? だが桜は私の下手くそな剪定にもびくともしない。
歳を取った大家さんは、桜の手入れが面倒臭くなったらしく、桜を伐り倒すと言い出したが、伐りに来るのが億劫らしく、宣言から二年経ってもそれは実行されないままだ。
だが、桜と同時に伐採を宣言された楠は、去年、中途半端に伐られた。これは5月頃にひこばえが沢山生えて元気に復活する予感!
楠はいいとして、桜のことだ。今は綺麗なピンク色の花を咲かせている。木の一番高い所にある枝には全く花がないが、下の方の、去年私が切った枝から新しい芽が出て伸びた枝には沢山花がついている。
秋には楠と同じように半端に伐られて、すってんてんの丸坊主にされるかもしれない。元気とはいえ桜なので、そこまでやられるとさすがに病気になって枯れてしまうかもしれない。
だから、花が散ったら、その枝を数本切り落として育ててみようと思う。調べてみたら、水栽培で根を出させることは案外簡単そうだ。枝垂れ桜は盆栽にもなる素材なので、根っ子と枝の手入れをすれば小さい鉢でも育つかもしれない。樹形とかは気にしないので、まあいずれ花を咲かせてくれればいいなと思って。