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はてなキーワード: 書籍とは

2024-06-14

anond:20240614220457

合併する前のドワンゴのメイン業務ニコニコ動画やったからなあ

ただ出版業界に限ってもシステム障害書籍発注が今回以上の期間や規模で停止したのは聞いたことないので

ひょっとして日本出版業界システム障害では最大規模の被害ちゃうんか?

本を書いたら、縁を切ったはずのアンチ言及されて「やっぱお前がドリームブレイカーだったのか」と確信した話

本の発売を、自分SNSで告知する前の夜に、増田

「どうせ見つけられないだろうけど、【粘着アンチ言及するから全面否定できないような本にしたぞ】」

的なことを書きました。

すると、次の日の夕方ぐらいかな?

ぼくに粘着している人が、縁も切ってるのに、なぜか言及してサムネイルだけたまたま見ちゃって(ブロックしてるけど、本のタイトル検索したらでてきちゃうからサムネだけ見たんだけど…

「どうせ酷いこと書いてるんだろうなぁ」

「どうやっても論破しようとしたら、最低でも本20冊分の記事思想宗教ビジネス書の全てに対応した内容を1つの記事に閉じ込めて批判することになるからどうせ重箱の隅をつついて書いたんだろうな。」

20冊以上の文献を引用するには、あまりにも時間が足りなすぎるので、ほぼ100%重箱の隅か、話のすり替えです。サムネだけで全部わかります。彼の文章機械的な親切さだけは高くて、機械みたいな文章好きな人には人気ですからね。

ぼくみたいに文章に血が通ってるを通り越して、血潮が浮かび上がるどころか、血肉をぶっかけタイプ文章にはないわかりやすさが好まれるのでしょう。彼は文章配列だと思ってて、私は血液だと思ってるから、そこは最後まで理解できなかったみたいですけどね)

「だから君と縁を切ったんだよ。ぼくがどれだけ話そうと、君は君の物差ししかモノを測らないどころか、理屈自体本質がなくて、結局感情(というにはあまりにも子どもっぽすぎる個人的本音)ありきだから、君と話すのをやめたんだよ」

といいたくなる内容なんだと察しました。

その2日後かな?☆1.0の完全に筋違いアンチレビューまでつきました。

(彼本人か、関係者かはこの際どうでもいいけど、状況的にまず「アイツだろうな」と私が思うような時系列だよね?あなたほど長くブログをやってる人間が、「この事態を想定できなかった」とは言わせないので、私の中では「そんなんだからあなたのことを俺は影で根尾昂って呼んでるんだ。カタログスペックだけは一級品だけど、高いレベル勝負で実績を残すものがない人という意味でそう呼んでるんだ…エリートまりという意味でね。」)

10粘着したと思ったら、女使って連れ戻しに来たと思ったら、新しくチャレンジした書籍にもイヤミたらたら…。

それだけ経歴も資産も立派な人間で、「ぼくが欲しいもの・やりたいことの9割はあなたがやってるか持ってる」とさえうらやんでいた時期があるほどの人物の、そんな姿を見ることになったのはとても悲しいよ。

まり、ぼくが本を書く前に考えていた「最強」に限りなく近いのはあなただったんだよ…。

そんなあなた10年もネットで一個人粘着するドリームブレイカーに成り下がっているところを見たくなかったし気づきたくなかったよ。

おかげさまで、「あなたが持ってなかった1割を持ってる友達」のことを大事にできる人生に変わったけどね。

機械的で血が通ってなくても、機械並の性能で自分自身の子どもっぽさをカバーすることはできても…所詮は、「秀才」なのよ。

天才でも鬼才でも奇才でもない。

あなた自分のこと「邪悪」とか言ってたけど…私に言わせれば、「かわいてるだけ」だよ。

あなたの乾きは一生満たされない。いや、満たされることを怖がってるから、何に対しても斜に構えたようなことを言ってしまうんだろうね。

ぼくは本の終盤パートを本を一緒に作ってきた友人とシェアした時に「満たされるとはどういうことか」がわかったから、満たされることを恐れない。

なんなら、1日1日小さく不満はあっても、いつも満たされてながら寝てる。

私は本をヒットさせたいのは「満たされてるという感覚をわかちあいたい」からだよ。

答えは全部キミの出身地に答えがあったのに…ここを見つけられないところが「秀才」止まりなんだよ。

キミの人生が良くなるヒントも本の中にたくさん仕込んだのに、キミのレビューサムネイル

「キミはキミのままでいることを選んだんだね」

「キミの乾き続けることでしか、生を実感できないんだね」

といろいろ諦めました。

なんで、こんな面白くない文章にしたのか?

だって、俺のことはバレてもいいけど、彼のことや女のことがバレたら…彼らかわいそうじゃん?

から、誰だかバレてもバズらない文章にしてる。

意味不明ポエムなので、どうせ増田の底に沈んでサルベージされないと思うけどね

2024-06-13

そろそろみんなに届いて欲しい囲碁一問一答。全部おれに聞け

囲碁最大の問題情報が届いて欲しい人に情報を届ける手段がない事だと思う

はっきり言って何度も何度も同じ事を書いているが未だにぷよ碁を知らない人がいるし、入門コンテンツから先に入るべき人がいきなり対局を初めて挫折している

ブクマを見ていて、そいつ情報さえ届ける事が出来れば解決するのにそれができずに毎回もどかしい思いをしているのである

そこは俺に任せろと言いたい。全部俺に聞けと

からこの増田を見たらブクマしてバスらせてくれ

自分囲碁を覚えた瞬間から普及活動に携わっているから入門指導プロフェッショナルである。数々の人間囲碁に入門させてきた。

囲碁入門書を読み終わった瞬間にどうしてこのシンプルかつ楽しいゲームがこんなに広まってないんだろう、という想いに駆られた。

このシンプルでかつ面白いという両輪の部分が重要だ。面白いけど複雑だったり、シンプルだけどつまらなかったら、そりゃ広まらないよねとなってここまでの普及意欲が湧くことはなかっただろう。

簡単面白いのになんかみんな難しく考えて挫折してるし広まらない、このもどかしい想いが私のリビドーとなっているのである

ここで疑問をブクマしてるやつらはわからない事は全部おれに聞け。ボイチャでもなんでもわかるまで付き合うし初段まで手助けする所存だ

この増田リビドーに任せて書き綴っている。囲碁普及のためにはいても経ってもいられないのだ

ということで、はいそこのあなたブクマして拡散して!

以下、一問一答。全部おれに聞け

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/gouponline/n/nedbf64883c00

将棋は優勢具合を数字化したのがうまかったと思う。初心者でもわかりやすい。

囲碁もしてるよ!

リアルタイムで地が分かるようになって隅の定石をサジェストする機能を追加したアプリがあれば(ある?)取っつき易い気がする。

KatrainとかAIソフトで打つのがいいと思う

囲碁が陣取りゲームなのはいいとして、なぜその升目が自分の陣地(他人の陣地)になるのかが分からないんだよな

そこに他方が入れないかである

20240204144432(←参照。トラバなっちゃうから数字だけ)

この手の疑問がある人はまだ「二眼」や石の生き死にの概念出会っていないだけの可能性が高いです

自分囲碁がわからなかった時代があったが、二眼を知ったことでようやくこのゲームが腑に落ちました

そういや囲碁っぽいゲームって知らないな。おかげでイメージがつかめない。

スプラトゥーン

石を置いたらリアルタイムでお互いの陣地感が可視化されて、ヒントみたいな感じで次にどこに置くと良さそうか見えたりしないだろうか。

一部で試みられています

https://youtu.be/_BgY0QVJgRo?t=5799

わしヒカルの碁が3周読むぐらい好きなんだけど、結局囲碁ルール全く知らないままなんだよな。どうぶつ将棋囲碁版みたいなのを出してとにかく触れてもらうしか

どうぶつ将棋っぽいのはぷよ

あるいは、そのヒカルの碁の監修をしている梅沢由香里先生監修の『囲碁であそぼ』で覚えましょう

ソシャゲ要素があってかなりとっつきやすくなってます

何度やってもルールが分からない…

囲碁であそぼ』で覚えましょう

仲邑菫プロ韓国棋院で初優勝したニュースあんまり盛り上がって無いよね

韓国ではめちゃくちゃバズってたりするので日本でもこのくらい注目してほしい

https://x.com/lexifdev/status/1799998059029594489

ちなみに毫釐千里というサイトで仲邑菫の対局情報網羅されていてYoutube中継へのリンクも貼られてます

シンジンソ(世界最強棋士)、崔精(女最強棋士)、金恩持(韓国天才少女)、仲邑菫の4人が韓国囲碁界の視聴率四天王と言われており、仲邑菫の対局は高確率Youtube配信されます

ぜひチェックしましょう

ちなみに今日も中継されてますね。半目を争う熱い勝負中です(2024/06/14 15:46)

→K바둑 LIVE [스미레vs김주아] 2024 Dr.G 여자최고기사결정전 | 8강 4경기

一手10秒にして画面上に体力ゲージを表示しよう

すでにあるある!そうなってる!

NHK杯は一手30秒(毎週日曜日のお昼にEテレでやってるよ!)

https://shochian2.com/wp-content/uploads/2023/12/IMGP2726.png

シン竜星戦は一手+5秒

https://youtu.be/d7dwt4hXioU?t=631

囲碁も良い機会だから覚えようとしてアプリで試しに打ってみたけど、試合の終了条件がまじで分からんかった。少しググって調べても理解できなかったので諦めたわ。

これも「二眼」や石の死活の概念出会う前に終局を覚えようとしている可能性があります

二眼がわからないとこの石この後どう打っても死ぬから続ける意味ないよね、ってのがわからないので先に二眼を覚えるべきなのです

そしてそれよりもっといい方法がまずは『純碁』から入ることです。

オセロと同じで盤上に置いた石のみが得点です。それ以外は囲碁と同じ

得点を高めるために盤上に石を埋めていく過程否が応でも石の死活と直面し、この石最終的にどうやっても取られるよねという場面に出くわします。

石の集団は二眼がないと必ず将来的に取られる現象気づきます。攻め合いで負けてたら取られることに気づきます

その運命の決した石こそ『死に石』であり、それらが確定して点数が変動しなくなった局面囲碁での終局の場面です。

ただしその判定にはちょっとした慣れが必要です。

なのでそんな石の運命を見極めなくても、石の運命が決するまで打って死んでるとわかるのが、純碁のいいところです。

まずは純碁から入り、囲碁が純碁の無駄時間を省略したバージョン、今風に言えば「『純碁』のタイパを上げたバージョンが『囲碁』」であることが理解できるまで純碁を続けましょう

純碁はぷよ碁か純碁公式サイトWebサイトがよい。後者教育コンテンツもかなり充実しています

https://www.jungo.games/#/intro

結局はゲーム本体の取っ付きにくさが苦しい

ところが中国では現在こんな状況です

まりやりようがあるということであり、囲碁ゲーム性の問題だけではないということです

https://i.imgur.com/byM8nFI.jpeg

https://imgur.com/x6gjQBV.jpg

https://i.imgur.com/Xq0U6Wv.jpg

ぷよ碁一ヶ月くらいやってやってやり続けて何が面白いのかさっぱりわからなかった私には向いてない競技なのか教えて欲しい。将棋信長の野望三国志エイジオブエンパイアスタークラフトダイスキなのに。

こういう人はむしろぷよ碁みたいな小路盤じゃなくて19路やるのがいいと思う

小路盤でもシチョウやゲタの手筋とか覚えて戦略の奥深さに触れるのがいいと思う

ちなみに9路盤ではYoutubeに『桜ゴルフ杯』という9路盤のプロ大会が上がっているのでそれを見るとよい。解説も昔から初心者向けの解説に定評がある石倉九段だ(『ヒカル囲碁入門』という書籍もこの人)

総論

難しく考えすぎ!

言ってしまえば石をいっぱい置いたほうの勝ちのゲーム、お互いの石がどっちのHPを0に先にするかという競争(攻め合い)をしてるだけのゲーム

オセロの角を取ったらそこに連結してる石の集団が二度とひっくり返されないのと同じで、二眼できたらその集団HP減らし合戦から離脱できる、人生上がりになるというだけの話だ

この原理原則を肌で感じ取れるようにまずは純碁、あるいは中国ルールから入ることをオススメする

日本ルールなんて最後でいいしなんなら別にそのまま覚えなくても囲碁理解できる

そしてここまで読んだきみ、せっかくなのでブクマして行ってくれ

ブクマしないと届かない、また届かない。書いただけ!情報必要人間必要情報が届かないんで終わるんだ

そしてそいつ必要情報にありつけずに一生同じこと言ってるんだよ





↑本文ここまで。以下この記事ブクマへの追加返信

終局とか死活とかはいいんだよ、序盤の「なぜそこに打つのか」の感覚がさっぱり

かいところに打ちたい(大場)、敵陣がでかくなる前に抑制したい(消し)、

敵の弱い石を攻めたい、あるいは自分の弱いところを守りたい(急場)と言ったいろんな欲求の元に打たれていると思う

で、このでかいところとか攻めとかの感覚はは一朝一夕で身につくものではないがヒントになる情報提示できる

生きている石の周りは価値が小さい

自分の石でも敵の石でもすでに生きている石の周りは価値が小さい

自分の生きている石の近くに打っても、すでに地のある所から少ししか地が増えないし効率が悪くこれは終盤のヨセで打つ手

相手の生きている石の近くに打つのも同様、すでに生きているため何の脅しにもならず、生きている石は無敵なので逆襲に遭うだけだ

コンビニ出店、あるいは漁場を想像しよう。すでにいっぱい店のあるところ、漁師のいるところに出向いても効率が悪いのだ

厚み、強い石に近づいてもいいことがない

これも上記と似ているが、相手の強い石(生きている石含む)に近づいても旨味より逆襲される可能性が高い

囲碁現実と同じで石同士の”相対的な”力関係が大きな影響を及ぼすゲームです

強い石には遠慮し、弱い石には優位に立ちます

弱い石(眼形のおぼつかない石)を見逃さず急所に接近して眼形を脅していくことで相手に逃げるだけの地にならない手を打たせ、自分は攻めながら地を稼いでるので効率がいいよね、というのが攻めの基本。

場合によっては大石をまるごと仕留めることもできるが殺しにいくのは自分もキズだらけになるためリスキー

序盤の理屈はこれら書籍オススメ

指導プロが教える 初段になるための囲碁上達法

・有段者のための囲碁

・一手ずつ解説!碁の感覚がわかる棋譜並べ上達法シリーズ

そして何よりこの辺の一番の教科書はトビサキ囲碁実況動画である

彼女よりわかりやす囲碁作戦、手の意図を喋りながら打ってる人は他にいないのでぜひ見ることをオススメする

専門用語多くて何言ってるかさっぱりわからん

一問一答なので各々のセクションによってターゲットが違うのでターゲット知識に合わせて用語や補足の度合いは調整してある

まり用語は使ってないはずだがわからない部分はターゲットではないのでわからなくてOK

二眼という言葉の事を言ってるのならそもそもその単語に辿り着かせるための記事なので使用必須事項

10年くらい入門しているけど、いまだにアタリが見えてないことがあって落ち込む。もっとぷよ碁やり込めばいいのかな。

アタリを見落とすのはプロでもあるので気に病むことはない(検索アタリに突っ込むプロもいる)

ぷよ碁でもぷよ碁じゃなくても対局の数を重ねると目が慣れてくると思う

神の一手

そのアタリに突っ込んだプロの一手が神の一手と言われている

さまざまな要望に対して「すでにあるよ!」状態なのに囲碁流行っていないことに問題の深刻さを感じる

存在する物でもその存在が知られてない、届いてないからね

からこそこういう記事や周知活動必要ってわけ、そのために自分がいる

正しい情報にありつけない人がたくさんいるしGoUPのように日の目を浴びないプロダクトがたくさんある

ぷよ全然勝てない全然わかんない。次はここに打つとこんな理由でうまくいくよ、ここに打つと〜〜だからダメ、敵はこう考えてここに打ってくるよ、て解説ほしい。1手ごとに。白黒両方自分で打って試せたらいいのに

現状、自分で両方打つのは他のを使うしかない。オンライン碁盤で検索すればCOSUMIのやつとかが出てくる

【入門02】攻略ぷよ碁で勝つための「10ポイント」←この動画いいんじゃないかな

棋譜共有してくれたら一手ごとにアドバイスできるよ

姉歯建築で陣取りしつつも相手の家の材木引っこ抜くという以前別の方の解説が思い出された

囲碁ぶっちゃけて言えば姉歯一級建築士になりきるゲームみたいな所あるからね。

石をつなげて陣地を囲むんだけど、効率よく囲むには「一見つながってないけど相手邪魔しに来ても確実に撃退できるギリギリの強度で設計する」ことが求められる。

無駄に頑丈にしているとその間に鉄骨抜いてる相手ガンガン空間広げて侵食してくるから絶対に勝てない。

面白いんだとは思うけども世の中の人の平均IQ100なわけで。。

IQ100あれば十分すぎるよ!

自分が作ったオンライン囲碁部で抜き打ちIQテストをしたところ面白いことにたしかIQ高い人のほうが高段者である傾向があった

けど普通に楽しむ分には100前後あれば十分すぎます

turanukimaru, ata00000 ,sqrt「こいつは広める気がない!」

→20240613212420

どうして導線や引用じゃダメでワイが全てこの記事説明するという手段にこだわるんだい

目的はその人に必要情報を届けることなのに手段目的化してる典型だよあなたたちは

純碁なら一手=1ポイント無駄にはならない(よね?)

しょういうこと

素人にも分かりやすキャラ立ち囲碁棋士にもあればねぇ

ちゃん上野愛咲美は結構キャラ立ちしていると思う

AI登場以後の囲碁は、序盤で三々に入る(陣地を取りに行く手)ことが主流になっているのだけど菫ちゃんはほぼ絶対にそれを打たない

陣地が多い方が勝ちのゲームなのだが、かつての宇宙武宮正樹のように地を取りに行かず中央志向の手を打ち続けている

囲碁の攻めは、必ずしも相手を殺しにいくためではなく少しだけ相手より得をするために行うのだけど

上野愛咲美は少しでも相手の石を殺せそうなら殺しに行く、そしてそれが決まってしま

それが豪快で楽しい

大石虐殺しに行くハンマーパンチ上野愛咲美

宇宙流の仲邑菫

ルールブック読んだだけで面白さが分かる天才肌(嫌味じゃなく)

全く天才ではないが、それまでに自分の中のボードゲームといえばMTGとか遊戯王

「◯◯されたら◯◯の時、◯◯になる」「◯◯は◯◯の時◯◯してはならない」

みたいなカード一枚一枚がルールを持ってるようなめちゃくちゃルールに修飾されたゲーム世界を当たり前だと思ってたか

このシンプルルールでここまでのゲーム性が成り立つのかって感動したよ

二眼の生きもTCGとかなら「眼が2つあったら生きとみなす、そこに打ってはいけない」みたいになると思うんだけど

着手禁止点というシンプルルールから導かれるただの事実自然現象定理しかないことに感動を覚えたね

囲碁を覚えるまでは、自分オセロ将棋も弱々だったしこの手のゲームは苦手なんだと思ってたけど囲碁は石が動かないから読むのが簡単ですぐ手筋が覚えられたし、ただ学習法を知らないだけだった、書籍を読むということをしてないだけだったと知ったよ

囲碁を覚えた後は将棋も強くなった。オセロからっきしだ。間違いなくオセロが一番むずい

ちなみに中原誠囲碁をやると将棋が強くなると言ってるし将棋派の人間もやる価値はある。米長の書いた囲碁本もあるのでそれがオススメ

囲碁の強さってどうやったら分かるの? 勝ちが一瞬で分からないのでいまいち乗り気になれない

棋力のことなのか、局面の勝ち負けのことなのかわからんけど

棋力のことなら打ってればこの人は何級くらいってのはわかる。ネット碁サイト申請した級で数局打ってみれば自分の実力がどのくらいなのかもわかる

局面の優勢具合のことな最近将棋と同じでAI評価値が当たり前になってるので数字を見ればわかる

「二眼」や石の死活なるものがそんなに重要ならルールと一緒に教えたらいいのにそうなって無いのが問題なのでは?

一緒に教えられてるよ。そこに辿り着く前にふんわりした情報囲碁わからん、陣地わからんって判断してる人が多いということ

そりゃわかるわけないよってのが現状

文章じゃわからいから直接教えてほしいという人へ

はっきり言って教える側も文章じゃつらい

いくらでも配信で図と音声を使って教えるので「kukulu 囲碁広めるマン」と検索して見つかるアカウントDMして日時と要望を教えてください

anond:20240613101304

学術出版場合そもそも費用構造自費出版と変わらないと言うのはある。

だいたいこんなルートを取る

ただ、学術出版助成に受かってるとか、学術出版社がこれはモノになると踏んでると言うフィルタは通ってるのでそこは違うけど。

2024-06-12

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0D6NCB574/

☓1つの文章に山程の文献の知見を入れながらも → 知見は入ってません。読んだのかもしれないけど本人がフィルタになってしまって全部濾し取られてしまってます

ガリレオニーチェまでほんのりと →実際のガリレオじゃなくて本人が知ってるつもりの偽ガリレオとかが書かれてるだけです

哲学仏教心理学ビジネス書に書いてあることを1つの文章の中にケンカしないように、整合性取れるように入れている → 全部取り入れようとした結果薄味になって哲学以下。仏教以下。心理学以下の薄っぺらい内容になってます

☓1冊の本に数十冊ぐらいの情報をブチ込めたはず →作者の自己満足に過ぎず、読者としては一冊分の情報でいいからしっかり濃い話をしてほしかたです。まじでめちゃくちゃ薄いです

☓「これちゃん書籍にした人いる?」 「このテーマの本より、私の方が上じゃないの?」 →気の所為です。本人が普段いか読書をしていないかがすけて見えるセリフですね。

☓「バックグラウンド」でさえ、哲学者が3人ぐらい絡まってる →本人は絡めてるつもりだと思いますが、先程述べたようにこの人がベースだと考えてるサルトルとかも全然理解できてない薄っぺらものでそのような話はありません

2024-06-11

anond:20240601175041

彼らがわざわざ映画越しに学んでいるらしい社会問題価値観アップデートちゃんとした本を読んで学んでいる。

本読むにしても良書と呼ばれるものは少し古くて、過去から言われていることを書き直してる

それって映画も同様じゃない?

それとも最新の書籍は何か革新的なことでも書いてあるの?

anond:20240611101154

コンピュータサイエンス書籍見ながら「nand素子からCPUを作り、そのCPUを使ってテトリスを作る」ということをやったことあるけど、こんなのハード系の開発企業でもない限り使わんよね

妄想内のツヨツヨエンジニア(笑)が怖い

思うところがあってプログラミング言語勉強を初めた

これといって作りたいものは無いが、新しいことを始めたいのと、あんまりお金をかけずに気軽にに始められるから

ただ、環境構築でそこそこ時間がかかった

テキスト通りに進めているつもりだけどできておらず、書籍名で検索とCHATgptに聞きながら同じ手順を3回繰り返してそれっぽい環境を作ることができた

原因が全く想像できないメッセージをみるたび、妄想のツヨツヨエンジニア(笑)がマサカリ投げてくる

「こんなこともできないの?」

日本語と英字すらまともに読めないのに新言語とか(笑)

とか言ってくる

エンジニア向けも質問サイトもおんなじことを婉曲に言ってるようにしか読めないか質問どころかユーザー登録するのも怖い

そうだった、一度勉強しようとしたあの言語やその言語も、環境構築と初心者へのマサカリで心が折れて断念したんだよな

お金うから初心者向けにただただ甘やかしてくれるような、プログラミング学習できる環境がほしい

2024-06-10

ニコニコや角川系サイトだけじゃなくて書籍の受発注システムも止まってるらしいな。

ニコニコよりこっちのほうがヤバいやろな。

復旧するまで1日うん億円レベルの損害が発生し続けるわけや。

カドカワやべえじゃん

ニコニコだけじゃなくて書籍アニメもみんなみんなやばいんじゃん

もう二日以上経つのにこれって売り上げどんだけ吹っ飛んでんだ

このあとお詫びで一人当たり500円ポイントとか配るとかやらないといけないんだろ

株価暴落したら買いじゃん

anond:20240610174229

まれつきだと思うな〜、私もそう

私は奥手すぎて全然経験はないしソロプレイ探求ばっかりだけど…

思春期の頃は悩んだけど、最近はもう開き直って性欲っていう神秘を探求することに決めたよ

関係研究とか書籍とか読んで知的好奇心性的好奇心を両方満たしたりしてる

ブルマー増田まとめ、その6【終】

熱量が薄れて文章が短くなり、対象へのリスペクトが失われて興味本位の乱文になり始めている。かつてのように事実関係をきちんと確かめず、表層的な調査や単なる和訳で終わっている。

短文では、読者の知的好奇心も満たせまい。

そろそろ潮時だろう。

ブルマーについての調査をこのあたりで一度終わりにしたい。


投稿記事ブクマ
2024/2/12オランダブルマー短信、それからコーフボール5
2024/3/11北欧ブルマー考、それからへそ出しブルマー、ブラトップブルマー (1)1
2024/6/10ウクライナ、イスラエルなどのブルマー、オーストラリアのタブー0
2024/6/10ルーマニアのブルマー続報0
2024/6/10ズボンを下ろしてパンツ見せて腰を振る動画と超ハイレグなエアロビ67



過去のまとめはこちら。

バズる増田の書き方と、ブルマー増田のまとめ

ブルマー増田のまとめその2、noteでやらない理由

ブルマー増田まとめ、その3

ブルマー増田まとめ、その4

ブルマー増田まとめ、その5。それから少しだけ返信。

ネットの浅瀬ではこれくらいが限界だ。ネットアップロードされていない郷土史的な情報は、書籍に当たらなければならない。当たり前だが情報はタダじゃないのだ。汗を流して足を運ばねば、肝心のところはわからない。

得られたのは、論文ではほんの一行で済むような事実実証するのにも、膨大な労力が費やされている実感だ。以前はライターになるのはどれくらい大変かを実感したと書いたが、こういう実感は、泥臭い調査をする真っ当な情報発信者に対する敬意を持つことにつながる。

はっきり言って、ブルマー学校採用されていた地域年代を正確に理解することは、一個人能力を超えている。reddit質問スレを立てることも考えたが、調査対象地域年代が膨大になると気づき、諦めた。学校採用されていた地域の大まかな分布は、イングランドから北欧中欧東欧旧ソ連を含む共産圏それから日本とごく一部の東アジア地域、及びイスラエル、というのが当面の結論だ。イスラエルヨーロッパにも分類しているウィキペディアを見ると納得できそうだ。だが、例えばイングランドのすぐそばアイルランドではブルマかどうだったかさえ分からない(追記ブクマカによれば、イスラム圏では体育の授業がない地域もあるそうだ。そうなると、女性の体育の授業があった地域ではかなりの割合ブルマー採用されていたことになる)。

ぜひとも、どこかの大学研究してもらいたい。できれば、日本研究と同じように、採用された経緯や背景にあった思想、つまり自立と恥じらいの葛藤共犯みたいなも知りたい。

ブルマはい運動していた人がいつまでも生きているわけではない。SNS画像理由もわからずにBANされる。アーカイブはいつまでも保存されるわけではない。魚拓を取ってもいつまで残るか。

ところで、証言といえば不思議なのはブルマーについて好きだったとか嫌いだったかとか腹が立ったとかと情報発信しているのが、ほぼ英語圏日本語圏に限られていることだ。服装フェティシズムがこの言語圏で強いのか、個人情報発信するモチベーションの違いなのか、自分検索能力なのか、理由はわからない。

例えばチェコフェイスブックでも、ブルマーがどうだったかとかあまり書かれていない。懐かしいとか今の子もっと運動させるべきとかそんな言葉が多い。

もちろん、書きたいこともないではない。例えば天皇陛下のお好きな映画大林宣彦転校生」だが、ってことは小林聡美トップレスをご覧になったのかなとか、そんな小ネタがある。

しかし、どう書いてみても面白おかしい小話になってしまい、リスペクトが失われているのがよくわかる。表現の自由とつなげたところで、面白く書く自信が無い。だから、終わりにする。

以上。

よくもここまで続いたもんだ。

いつか誰かがこの研究を引き継いでくれることを祈って擱筆する。

はてな匿名ダイアリーはてなブックマークそれから他のSNS拡散してくれた皆様、そして読んでくれたあなた

お世話になりました。

【終】

メモ

https://x.com/ShinyaMatsuura/status/1792754892182061227

スレッド)

その後確かに女性解放文脈ブルマーは短くなっていくのだが

世界的なフェミニズム運動との共通点は「短くなった」ということだけ。それも並行進化っぽい

これ以上は服飾史の沼に潜らねばわからないだろうなあ。



【貼り忘れていたロシアブルマ

https://gatchinasport.ru/sport-segodnya/vidy-sporta/sportivnaya-gimnastika/

Слева направо 2 - Тамара Бояринцева, 7 - Юлия Пархоменко

すなわち

から右へ 2 - タマラ・ボヤリンツェワ、7 - ユリア・パークホーメンコ

スロベニア現代の短パン

https://osskse.splet.arnes.si/2019/04/23/gimnastika-v-osnovni-soli-program-gimko-2019/

2024-06-09

anond:20240609180837

発達障害普通に生きられなかったわたし交際0日で結婚するまで

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784794971746

著者等紹介

安藤まな[アンドウマナ

1997年東京都生まれ主婦。幼少期から登校拒否、落第寸前などを繰り返し、大学在学中に発達障害の診断を受ける。なんとか「普通のレール」に乗ろうという強迫観念から日々もがき続けるも、結婚し養ってもらうことで生きることを決意。当時気になっていた男性とお付き合いをせず、親に黙って交際0日で入籍。その後始めたブログで、発達障害毒親結婚エピソードが大きな反響を呼ぶ。『発達障害普通に生きられなかったわたし交際0日で結婚するまで』が初の著書(本データはこの書籍刊行された当時に掲載されていたものです)

大卒正社員普通と思っている人はそもそもどれだけいるのか

老人世代は、いまよりずっと大学進学率が低い時代を生きているので

大卒普通だとはあまり思っていないだろう。

派遣労働一般的でなかった時代なので、正社員普通だと思っているかもしれないが。


現代だって、例の書籍の図にもあったように

およそ半数の人は大学を目指していないわけで、少なくとも半数の人にとっては大卒普通ではないのだろう。

さら就職ドロップアウトする人も氷河期以降は多数おり、そうした状況が30年近く続いている。


とすると、それを普通と思っている人がもはやどれだけいるのかは大いに疑問だ。

ただ、子供の頃からエリート集団の中にる人にとっては今でもそれが割と普通なのだろう。

そういう中から教師官僚政治家といった人たちが出てくるので、

あれはそういう人たちに向けた本なのだろう、とは思う。

そういう人たちに現状を把握してもらうためにデータを示すのは必要だ。


あとは婚活とかで年収800万が普通だとか言っているような人が

自分のことを棚に上げてそのように言っているということはありそうである


逆にそれ以外の人にとっては、

大学卒業して正社員となり3年以上継続して勤務する」はもはや普通でも何でもない。

しかし例の図がネットでバズって、本来想定読者以外にも広まってしまった結果、

「そんな当たり前のことをこの人は何言ってるんだ」ということになり、

この図のここがおかしいとか、いらんことで色々言われてしまっている気がする。

2024-06-08

高等遊民みたいな人が占める職場でゆるく働きたいんだよな

書籍インターネットがあれば別にお金必要じゃないですみたいな感じの余裕ある人たちと一日4時間同じ職場でゆるく働きたいんだよな。

月収8~10万円でも生きて行けるような、ゆるい家に住んでさ。

残業すれば収入増えてうれしい!みたいな人とか、社会人としての自覚がうんぬんかんぬん!みたいなバイトリーダーくんとか、そういうのとは働きたくないんだよな。

でも、一日4時間でゆるそうな職場って、なんか、そういうしょうもない人ばっかりなんだよな。

高等遊民みたいな人が占めるパートタイマー職ってないのかな。

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(前半)


文字数制限にかかるようなので、前後に分けて挙げます。)


前置き


第8回横浜トリエンナーレ野草:いま、ここで生きてる」がこの土日で終わります。私も見に行って、なかなか面白く思いました。ところが友人によると、SNSでは批判の声が多いそうですね。あまりそういうものは見ないようにしているのですが、友人がその場で例を見せてくれたので、ついいくつか読んでしまいました。そのとき感想は、ひとことで言うと「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということでした。そこで友人といろいろのことを話し合ったのですが、今はそれを思い出しながらこの文を書いています


今回の展覧会には魯迅の『野草』という短編集が深く関わっていますが、魯迅は「おおむね、折にふれてのささやか感想を述べたに過ぎない」と述懐しています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。魯迅感想短編集『野草』を生み、『野草』がこの展覧会を生み、この展覧会が人々の感想を生み、そしてその感想がこの感想を生みました。もしこの感想を読む人がまた新たな感想もつならば、それで満足です。


人は物事に触れて感想を持つものだと思いますSNS批判の中にも、「これは感想にすぎない」というような留保をつけるものがありました。感想自由にあるべきと思います。そして、感想を読んだ感想というもの自由にあるべきでしょう。今はくだんの批判を読み直さず、またあまり調べものもせずに書いていますが、不十分なところはどうぞ悪しからずご理解ください。これは「論」ではなく、「感想」のつもりです。


野草』と「文の国」


今回の展覧会の特徴は、「作品」と「意味」のバランスを探る点にありました。多くの作品は、ただ「見て楽しむ」ものではなく、「意味を考える」ことが求められるものでした。そのバランスキュレーターの側でうまく作れているか、そして鑑賞者がそれをどのように読み解くかがカギになっていたと思います


今回のテーマは「野草」というのですが、その裏には魯迅の『野草』という著作が密接しています。これは展覧会中にも幾度となく示されており、魯迅の『野草』の本も展示してありました。この本は「二十四篇の短文から成るものですが、「スタイルはまちまちであって、詩あり、散文あり、また即物的もの追憶的なもの観念的なもの象徴的なもの風刺的なものなどが入り混り、内容形式ともに多傾向」なものとなっています岩波文庫竹内好訳『野草』の解説)。この本は意味があるようで意味がない、意味がないようで意味がある、詩のような文のような、芸術のような政治のような、一種独特雰囲気をもった作品集です。


これを読んでから展覧会を見渡すと、「キュレーターたちは横浜美術館を一冊の現代版『野草』にしようとしていたのではないか」ということに思い至ります


そう考えると少し納得できる点もあります。それは「文」への偏重です。友人は次のように話していました。「私は今まで、展覧会作品を見ればよいと思っていた。作品を見ずに解説ばかり読む人があれば、本末転倒だと考えていた。つまり言葉を軽視していたのだ。ところが、今回の展覧会では作品の多くに意味があり、その意味キュレーター解説を読んで初めてわかるようなものが多かった。入口にはタブレット文章が並べられ、その左側の階段の上には本を並べた一角もあった。さらには猟師へのインタビューがあったり、詩が作品として出ていたりと、言葉への重視が目立った。」


しかし、これは考えてみればさほど奇妙なことではありません。ふつう、広く「芸術」 (art) と言うときには「文学」を含みますし、「美術」 (fine art) というときでも「詩」を含むことがあります。「芸術」は「造形芸術」に限られたものではありません。もちろん、ただの書籍文章が「芸術」と言えるのかどうかは議論余地がありえますが、言葉芸術距離がそう遠いものでないことは確かです。


さらテーマの「野草」が魯迅の『野草』に由来するものであることを考えると、今回の展覧会の裏地には文学がぴったりと張り付いているような気がしてきますキュレーター中国出身であるということから、なんとなく心のなかに「文の国」という言葉が浮かんできました。三千年の歴史をもち、科挙試験にも詩が課され、書という芸術をいだき、詩文文字芸術でないなどと疑ったことのない文化の国のイメージとともに。


作品との対話


いっぽう、日本一般に「芸術」というとき、それは詩文を容れえないほど偏狭ものなのでしょうか? 批判の中には「文」への偏重に対する疑問もあったように思います。そのような人々にとっては、あたか展覧会からあなたの思う芸術とは何ですか?」という問いが投げかけられたような恰好になっているわけです。


では、「芸術アート)」とは何でしょう。批判する人たちの中には、自分にとって「美しくない」「面白くない」から芸術アート)ではない」と断じたい人もいるようです。でも、現代アートは「美」への問いかけを含むものではないでしょうか。デュシャンの「泉」などはまさにその代表だと思います。また、「芸術」における「言葉」といえば、シュルレアリスムと詩の関係だとか、20世紀初頭の芸術家たちがしちくどい宣言を次々と打ち出したりだとか、いろいろと思い当たることはあるはずです。そういうところに「美しいもの芸術なのか?」とか「言語表現芸術無関係か?」といった問題ゴロゴロと転がっているわけで、簡単に「これは芸術だ」「これは芸術じゃない」と判断できるはずはありません。その人たちの考える「芸術」は、どのくらいの狭さなのでしょうか。


鑑賞者は芸術に触れるとき、常に戸惑い、「作品の受容」ができない事態に直面する可能性をもっています。そのような時こそ、自分の中にある固定観念を見直す機会かもしれません。今回、批判したくなった人が多かったということは、それだけ作品からの「問い」を受けた人が多かったということでもあります。そうなると鑑賞者は、やっかいなことですが、自分の回答を練らなければならなくなります批判ひとつの回答ですし、その回答に満足せず、さらに新たな回答を考えてもよいわけです。陳腐な言い方ですが、「作品との対話」が必要展覧会であったと言えるのでしょう。


友人はまたこうも言っていました。「かつては『現代芸術抽象的すぎて何が描いてあるかわからない』という時代があり、その後に『現代芸術は難しくない、何も考えずに作品面白がろう』という時代が来て、それはひとむかし前まであった。でも、それが終焉すべきときに来たということかもしれない。今は言葉時代なのでしょう。考えずして何が現代芸術か、ということになっている。地味でつまらなかったといった批判もあるようだが、休日ちょっと芸術に触れてみよう、子ども芸術に触れさせてみよう、デート美術館に行ってみよう、特に『何も考えずにただ作品面白がろう』と期待した人にはつまらなかったかもしれない。」


しかに、昔からの(または昔ふうの考えをもった)現代芸術の鑑賞者の中には、「芸術とは面白がるもの」という考えから抜け出せず、新しい潮流に戸惑う人がいるかもしれません。「金を払って楽しみに来た」という手合いには、気の毒だったと言えるでしょう。しかも来訪者への間口は大きく広げられていたので、そのようなミスマッチを生むしかけは念入りに準備されていたともいえます。今回は横浜美術館改装後の久々の展覧会であり、規模も大きく、宣伝もあって、多くの人を誘い込む要素がありました。そのような場で横浜美術館は「人を面白がらせる」展示をすることもできたはずです。しかし、実際には「人を戸惑わせる」展示を行いました。だからがっかりした人も多かったのでしょう。


私も「キラキラ」な楽しい芸術が好きです。だからそういうものが多いと嬉しいし、その逆ならばがっかりします。しかし、美術館の目的には「レクリエーション」もありますが、決して「レクリエーション」だけを目的とした施設ではありません。今回、美術館はこのような大規模の展覧会で、作品との「出会い」と作品からの「問いかけ」を提供し、人々を「戸惑わせ」てくれました。その意味で、美術館はよくやったと思うのです。「キラキラ」な楽しい回があってもよいし、「地味」な考える回があってもよい。美術展はそういうものだと思います


過去トリエンナーレ


ここで、ちょっと過去トリエンナーレを振り返りたいと思います


私が初めてヨコハマトリエンナーレに訪れたのは2011年の第4回「OUR MAGIC HOUR ――世界はどこまで知ることができるか?――」でした。この年は東日本大震災の年で、印象としてはとにかくキラキラと輝くような回であったということです。震災後の混乱をアートがどう扱うか、芸術家の間でもまだ折り合いがつかずに、ただ思いつく限りのことをやってみたといった印象で、宝箱の中の宝石をぶちまけて転がしてあるような、たいへん魅力のある回でした。私にとってこの回は「よい」の標準になっています


2014年の第5回「華氏451芸術世界の中心には忘却の海がある」もたいへん期待したのですが、この回は言ってみれば「地味」な印象で、まだ青かった私は「ハズレ」だと感じました。しかし、友人はこの回も面白かったと言っています。この回は「忘却」がテーマで、戦争中に作家芸術家がいか体制側に立ってはたらき、戦後その責任もとらず、反省もせずに「忘却」したかということを、当時かれらが執筆した文章を並べて示していました。このころには震災後の政権交代脱原発などの流れの中で、世の中を動かすのは「政治であるという意識が出てきていたためかもしれません。


2017年の第6回「島と星座ガラパゴス」は、博物館の表に救命ボートがびっしりと張り付けられていました。「ネトウヨ」に関する展示もひとつふたつあったことを覚えていますが、これもきわめて「政治的」でした。長期化する安倍政権さなかにあって、政治右傾化懸念されていたことも影響していたのでしょうか。(「政治性」の話は、後で少し触れたいと思います。)


2020年の第7回「AFTERGLOW――光の破片をつかまえる」は久々の「当たり年」でした。2011年に次ぐキラキラの再来です。入口から光り輝くカラスよけのCDのような装飾、メビウスの輪のような形をした光り輝く金属の骨組み、巨大な腸を模した造形、赤いカーペットをひいたでこぼこの「道」映像作品「遅れてきた弟子」、そのほかここでは言い尽くせないもろもろの楽しい展示の連続


きっと第7回が初めてのヨコトリ体験であった方々は、2011年の私が次回に期待したように、第8回にも「キラキラ」を期待したかもしれません。しかし、べつに横浜トリエンナーレは「キラキラ展」ではないので、地味な回もあるのです。その意味で言えば今回はやや地味だったかもしれません。しかし「地味」には「地味」なりの「味」があるものです。今回はその意味で「ふつう」と「よい」の間くらいと感じました。決して「悪い」ではなかったと思います


いわゆる「政治性」


今回の展覧会が悪かったという人の中には、展示が「政治的」だという人もいたようです。もちろん、芸術政治であることの何が問題なのかとか、政治生活と密接なものである以上は程度の差こそあれ政治的でないものなどありうるのかといった疑問も出てきますが、今回の展覧会を見て私が感じたのは、むしろいわゆる「政治性」の薄い部分があることでした。キュレーター中国出身の方ということなので、もしや特に日本のために配慮(手加減)したのではないかという疑いさえ感じました。


しかに、今回の展覧会ではヨーロッパ戦争に関連する展示や国粋主義者移民反対デモ映像が展示されていました。それがひとっところに固めてあるのではなく散らばしてあったのは、この会場をひとつ世界見立てて、このような出来事遍在していることを忘れてはいけないと示したようにも見えます


そのデモ映像ひとつを見ているときでしたが、後ろを通りかかった人が「ヨーロッパ、壊れてんな」とつぶやきました。まことに然り! だがそれを言えば日本だって「壊れて」いるのです。日本でも人種差別デモが行われていますヘイトクライム危険もあります。「人種差別」がわたくしたちの身近にあることは、ネットを少し覗いてみればすぐわかることです。


思い返せば2014年2017年はかなり「政治的」な展示があったと思いますしかし今回、キュレーター日本問題ひとつも指摘しませんでした。日本美術展が国粋主義的主張をもった人々の抗議で中止に追い込まれ事件もそう遠い昔のことではありません。日本美術表現自由にできない国です。キュレーターたちは日本に気をつかってくれたのでしょうか? それとも日本で波風を立てて攻撃されることを恐れたのでしょうか? それとも今の世界を広く見たときもっとも新しくもっとも重い問題にしぼってとりあげようと考えたのでしょうか? それは知るよしもありません。もっと自由表現への危機は(またすこし違った形で)キュレーターたちの出身である中国にもあることでしょう。展覧会中に示されたように、ヨーロッパ安全ではありません。世界じゅうで似た現状があります


しかし、日本が名指しで批判されなかったからと言って、日本が許されたわけではもちろんなく、これらの作品なかに普遍性見出し、これを「鏡」として日本の現状を見ることが求められているのだと思います。それらの作品が見るに堪えない現状を示しているとき、それに怒っても意味がないでしょう。それは鏡をヒョイと覗き込んでみて、「ああ醜い! 私の美学に反する。美はいったいどこにある?」と怒るようなものです。


ところで、批判者の中には展覧会のこのような政治的な「傾倒」や「変質」がここ10年や20年の変化だと振り返る人もいますが、私には展覧会なかにその説明があったように思われます。今回の展覧会は、これも魯迅の『野草』をテーマとしているためかもしれませんが、歴史を強調するものが多くあり、あるところでは史料紹介の様相すら呈していました。木版画をめぐる日中交流史の展示では、魯迅木版画という簡易で複製可能芸術を通じて、民衆文化を届けようとしていたことが紹介されていました。これは「芸術」が一部の特権階級のものではなく、民衆のためのものであるべきではないのかという問題を、当時から現代に向けて投げかけなおした一面もあると言えるでしょう。また、皇国史観へのアンチテーゼとしての縄文土器や、学生紛争撮影した写真が展示されていたのは、芸術政治問題が降って湧いたものではなく、日本でも半世紀以上にわたって連綿と続いている問題であることを示していたと思います


(後編へ続きます。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093350


国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代新撰組の扱い

明治時代新撰組庶民からどのように思われていたのかを調べるために、庶民の目に触れていそうな(?)雑誌記事だとか読み物だとかを抜粋していく。

明治10年『昔今豪雄見競鑑』

こちらは明治10年頃の「番付表」を集めた書籍のようだ。

『昔今豪雄見競鑑』は歴史上の英雄明治期の英雄を対比したものだが「都ノ猛勇 悪源太義平」と並んで「脱走ノ勇士 近藤勇とある

近藤勇ってどっかから脱走したっけ?と思ったが、幕府瓦解後の旧幕府軍のことを「脱走方」と言ったらしいのでそのことだろう。

同じく「古今英雄競」「本朝今昔英雄鑑」「古今英雄三幅対」などにも近藤勇の名が挙がっている。

このような番付でよく名前が挙がる程度には知られていたらしい。

明治16年『徳川義臣伝』岡田霞船

まずは近藤勇について。

近藤勇武勇衆に秀で当時其英名尤も人に知られり新徴組の隊長となりて始め京師に在り又大坂に退き伏見の戦ひ幕兵乱るる中より取て返し迫る官兵を追捲り銃丸足に当ると雖も屈せず大ひに勇名を現し江戸に返りてより諸士を煽動して甲府に至り勝沼駅にて寄手を破りしが遂に衆寡せずして敗軍なし残兵を率いて走りたるが官軍厳重に探索を遂流山に於て勇(いさみ)を捕へんとす勇(いさみ)力戦して縛に就き板橋駅にて斬せらる

新徴組と間違えられとるやんけ!

新撰組時代よりもその後の甲陽鎮撫隊時代のほうに力点が置かれた説明のような気もする。

土方歳三も紹介されている。

土方歳三幕府の旗下にして始め京師にあり伏見鳥羽戦争破れしより江戸に返り諸士を募り主家を再興せんと謀り軍議を決して榎本永井の人々と共に品海を脱し函館に趣き尚ほ奥羽の士を募り官軍の来るを待受屡々寄手を脳す然れ共官兵は新手を入替無二無三に攻立たるに脱兵防戦に尤も苦む歳三毎も真先に進み敵を切る数十人に及ぶ後乱弾にあたりて死すといふ。

新撰組について何も触れられてねえ!

とはいえ「義臣」と銘打っているだけあって悪いようには書かれていない。

明治18年『汗血千里駒』坂崎紫瀾

『汗血千里駒』は坂本龍馬主人公として、その名を一躍有名にしたという小説。その龍馬暗殺犯として近藤勇が登場する。

縦令ひ其不意を打ちたるにもせよ鬼神と呼ばれし海援陸援の両隊長をば斯く容易く一挙に斃し負せる其の手練と謂ひ肝気と謂ひ天晴れ日本一の剛の者と思はるるも実に理りなり彼の刺客は当時徳川将軍の御内に其人ありと聞えたる新選組の旗頭近藤勇等にてありしと

近藤勇とその腹心の土方歳三が、二人で近江屋に討ち入り、坂本龍馬中岡慎太郎を斬って、「そのとき義経少しも騒がず…」と高らかに謡いながら出ていき、今際の際にそれを聴いた龍馬が「あの刺客は只者ではない、彼らのような豪胆さがあってこそ大事を成せるのだろう」と慎太郎に語る、という描写があり、これがのちの様々な作品踏襲されていったようだ。

当時幕府の亡びなんとするは天の命なり民の望なり社会自然の気運なれば今は百の勇(いさみ)ありとも亦之を如何ともすることなきをば思はずして健気にも唯忠を己が仕ふる所にのみ尽さんとしたるは愚かにも又哀れとや謂わん

時代の流れに逆らって忠を尽くした健気だが哀れな武人…といった感じで「敵役でありつつ悪役ではない」という扱いに思える。

明治22年『女侠松竹梅』奥村玄次郎

偖は其方が近藤なるか。其方幕府を笠に着て国を憂ふる正義の士を多く害せし大罪人。此処で遇しぞ僥倖なれこれまで其方の手にかかり不幸にも寃に死したる正義の志士の忠魂を弔ふための復讐せん

お松・お竹・お梅という三人の娘が勤王の志士を助けて新撰組と戦う、といった話らしい。

こうしたいかにも勧善懲悪な読み物では「典型的な悪役」として描かれていたようだ。

明治26年『活文字』鈴木力・佃信夫

近藤勇の話

江川太郎左衛門が琴の譚に比らべて、劣る事なきは、近藤勇の謡なりけり、以て幕臣中の双美とこそは為す可けれ、左に説かむ。

武勇と剛胆とは、麾下九万の士人中、勇(いさみ)ぞ其第一位を占めたりける、さればまだうら若き身を以て、新撰組の頭領として、海内動揺の中心たりし京城鎮護の命を稟げ、一時其独力をもて、鷙悍狂躁の浮浪はらを打鎮め、幕廷擁護干将莫耶とは成りたりけり。

めっちゃ褒めるやん。

土方歳三は、豪邁不屈、肝気非常の男なれども常に勇(いさみ)を相輔けて、死生を共にせむ事を約し、巴港戦死の時に至る迄、其生前の交義を追想し、風吹く日雨降る夜ども、寒窓の下に俛泣し、時世は既に望なし、片時も早く、泉下に亡友を尋ねましとぞ歎ちけるとぞ、其人をしらまく欲せば、先づ其の友を見るべかる、この一斑の譚を見ても、勇(いさみ)が全豹をぞ推すに足る。

国粋主義系の雑誌らしいんだけど朝敵をこんなに褒めていいのか。忠義を尽くして死ぬ話がやはり好きなのか。

コラムの後半では坂本龍馬暗殺の話が書かれていて、この頃はやはり「龍馬を殺した男」という印象が強かったようだ。

明治29年『近藤勇の少年時代』中野三鷹子

『家庭雑誌』という婦人向け雑誌掲載されたコラムらしい。

著者本人が古老に取材したもので、幼少期の勇が近藤周助の養子に迎えられて「近藤勇」と名乗るまでを紹介している。

是より後のことは明治維新の史にくはしく、今更いふべき要もなし、唯其妻の事継嗣のことおよび処刑後の事并びに近藤勇と尤も関係ふかき土方歳三ことなどは、世に知られざるふし多しそは又時をかへて語らん。

として次号に「近藤勇の妻及子」、また別の号に「土方歳三少年時代」が掲載されている。

婦人雑誌でも「今更いふべき要もなし」と言うほど近藤勇知名度は高かったのだろうか。

花を浮べし徳川の流れの末荒浪立ち騒ぎて、二百六十余年は名残の夢となりける時、武士道の意気地を立て貫きて、板橋の草に赤きこころの血を染めたる近藤勇の名を知る人は、函館の浦吹く風に露と消えたる土方歳三の名を忘れざるべし。

かっこいい。

明治30年『幕府名士近藤勇』松林伯知

松林伯知は、永倉新八から『浪士文久報国記事』を借りパクした疑惑があることで知られる講談師で、新撰組講談主人公とした最初期の人物だったという。

巻末に「夢物語」と題した短編が収録されていて、それは函館に入った土方歳三が「公武合体成功した新政府のもとで陸軍を率いる近藤勇海軍を率いる坂本龍馬が仲良く会話する」という夢を見る、というifルート的な内容のようだ。胸熱

本編では、坂本龍馬暗殺したのは近藤勇ということになっているし、新撰組結成前に江戸近藤勇坂本龍馬が手合わせをしていた、というような場面も描かれている。

明治30年『坂本龍馬(名士伝)』竹林巌

少年世界』という、その名のとおりの少年向け雑誌掲載された坂本龍馬の伝記で、そこに近藤勇が登場する。

人と為り魁夷、斗酒を嗜なみ、勇悍独歩肝臼の如し。幕の末路に当り新選組の長となりて徳川氏の為め新日本の活舞台上に仇すること実に巨多なりとす。彼は常に歩百歩の外に潜行して西郷大久保坂本等を暗殺せんと睨むこと茲に年ありき。就中龍馬が大勇は向に新選組百有余人をして全く色なからしめ、以て其長たる勇(いさむ)の面目を天下に唾し去り。(中略)勇(いさむ)は今や血燃え、涙滾りて自から禁ずる能わず。すなわち刎頸の友、土方歳三を招きて何をか耳語すること久し。忽ち相頷きつつ頗る決色ありき。

として近藤勇土方歳三は、二人して坂本龍馬暗殺に向かうのだった、という筋立てになっている。暗殺の場面は『汗血千里駒』を踏襲している。

明治31年『新撰組十勇士伝』松林伯知

こちらも松林伯知の講談を筆記したもの

前述の『幕府名士近藤勇』には沖田総司永倉新八は出てこないが、こちらの『新撰組勇士伝』には登場する。

ただし、沖田が天才剣士だとか、そういうキャラクター付けはまだ無く、せいぜい「名前のある脇役」くらいの立ち位置のようだ。

芹沢鴨暗殺山南敬助切腹伊東甲子太郎との敵対池田屋事件などのエピソードはある。

また、こちらでは龍馬暗殺近藤本人ではなく「近藤勇の命を受けた佐々木只三郎」によるものということになっている。

京都見廻組佐々木只三郎らが龍馬暗殺したという説は明治2年には出ていたようなのでそれを取り入れたものか。

明治41年『二十世紀之京都』

京都観光ガイドブックらしいが、壬生寺についての紹介で新撰組言及がある。

節分には疫除祈祷の為め参詣者群れを為せり、去れば維新前後天誅組と称し近藤勇土方歳三など当寺に立籠り壬生浪士といへば婦人子供の戦慄せし当時を思へば御代太平を喜こばぬ者はない

当時の京都人の認識がうかがえるものの、「天誅組」といえば倒幕派武装集団なので新撰組とは正反対存在である

単なる勘違いなのか、それとも庶民あいだでは混同されていたのか。

明治44年『幕府名士近藤勇』『怪勇後の近藤』玉田玉秀斎

松林伯知のものと同じタイトルだが別の講談師によるものらしい。

こちらには沖田総司永倉新八斎藤一らも登場するが、池田屋事件の場面において、

中にも沖田惣司の働きに至っては実に目ざましい、此処彼処と戦ふて居りまする中に、最う最後と思ふ、折りしも何処からか一人の敵が、惣司の袖の下を潜って逃げんとする 沖田「己れッ………」と云ひながら躍りかかつて、エイッ……只だ一刀に斬って落とした、其の時に急に持病の肺患が起つて其の場に気絶をした

とあり、喀血ではないが、沖田総司の発病の描写があるのが興味深い。

同じ明治44年に刊行された鹿島淑男『新選組実戦史』(デジタルコレクションには1975年の復刊版しかない)にも同様の記述があり、そちらは新聞連載をまとめたものだというので、講談師が紙面で読んで取り入れたものか。

ちなみに『新選組実戦史』は吉島力『新選組顛末記』の元ネタで、『新選組顛末記』は子母澤寛新選組始末記』の元ネタらしい。

まとめ

明治の始めにはまず「近藤勇個人が知られ、「新撰組」はそれに従属する情報にすぎなかった。

・『汗血千里駒』によって坂本龍馬の人気が高まるにつれて、「坂本龍馬暗殺した男」として近藤知名度を上げた。

近藤の腹心として土方歳三が登場することは多かったが、それ以外の隊士たちはほとんど取り上げられなかった。

近藤は概ね「維新志士の敵ではあったが立派な剣士だった」と捉えられていた。

しかエンタメ寄りの勧善懲悪ものでは典型的な悪役を演じることもあった。

・やがて永倉新八の『浪士文久報国記事』などをもとに、近藤勇主人公とした講談が演じられるようになった。

明治末にはさまざまな証言資料が揃ってきてディテールが深まり近藤土方以外の隊士が取り上げられることも増えていった。

・やっぱり京都からの評判は悪かったらしい。

2024-06-07

anond:20240607172357

これが元増田だとしたら他の変なレスは全部別人か。

元増田っぽいなという前提でレスを返してたわ。ごめん。

結婚前は自分の主張はそこまでなく、どちらかといえば俺に依存してるようなタイプ

言いたいこととか考えをまとめるのが苦手で、あやふやでも意見聞いて俺が要約してた感じ。

子どもできてからは、分からないことをネットでも書籍でもなんでも調べてこうなんだ!って断定していく感じ。

これが事実だとすれば、まあそうだろうな…って感じの典型的タイプに見えるなあ。

嫁にも自分自身の人生もっと真面目に向き合うことを覚えてもらう必要があると思うけど、難しいのはわかる。

子育て以外の何かに真剣に取り組めるといい気がするんだけどな。

あとはまあ夫婦カウンセリングに行くとかの月並な案しか思い浮かばないな…。

俺も昔付き合った女の子がそういうタイプで、こりゃダメだって思って真逆タイプ結婚したんだよね…。

元増田嫁みたいなタイプの方が(内情はともかく)世間的に標準の普通人生を送るにはいいんだろうとは思うけどね…。

anond:20240607164917

結婚前は自分の主張はそこまでなく、どちらかといえば俺に依存してるようなタイプ

言いたいこととか考えをまとめるのが苦手で、あやふやでも意見聞いて俺が要約してた感じ。

子どもできてからは、分からないことをネットでも書籍でもなんでも調べてこうなんだ!って断定していく感じ。

特に子供が多動みたいなとこあって、それに関しての書籍やらアレコレ買いまくって、ウチのはこうなんだから!こうして!って神経質になっていったかな。

頂き女子りりちゃんマニュアルというのは、極めて恋愛工学的な発想で、実践の中からまれボトムアップ理論により構築されており、効果も高かったわけだ

それはおぢから金を搾り取るという目的最適化されていたわけだが、人間関係コントロールして、リスクを軽減しながら目標を果たすための技術だったわけだけど、おそらくチューンアップ(ダウン?)すればもう少し汎用的な使い道もある

一般的な交友関係恋愛を、道義的問題がない範囲でこなすための、りりちゃんライトマニュアル改訂して一般書籍として販売すれば、一山あるで

  裁判官今崎幸彦の補足意見は次のとおりである

     フェルマー定理通称、FLTは、平成8年までは、法学界の至宝のようにいわれていた理由として、歴史的な経緯があったが、最近では、そもそも技術を編み出そうとした形跡すらない

  ほとんど嘘であることがばれてしまたことによる。FLTは、 昭和20年代から東京大理学部数学科志村五郎谷山豊、アンドレヴェイユなどが日光旅行をした際に共同研究していたとされ

  るが、その概要平成時代の者に説明する書籍論文もどこにも存在しておらず、実質的に考えた形跡はどこにもないと言ってよい。その、実質的に考えた形跡はどこにもないことがとっくにばれてしまって

  いるのが現況である平成初年の老人は、背理法によるアプローチを思い付いたらしいが、そのようなことすら実行されている形跡がない。30年前の数学者は、背理法研究して、完全背理法

   または、背理法帰納法を強く使うとかそのような手段を考えたとか、5000通もの証明案が世界中から出たが、全て間違っていたことが判明したというような解説の本しかない。しかし、その

 5000通の証明案の内容すら公表していないのだから、やはり完全な嘘だろう。またそのような哲学モデルを構築したからといって、幸福に生きていくうえで何か参考になるのかというときに、ここ

   10年の状況では何の参考にもならないから誰も考えていない。1つ参考になるのは、発達していて偉大で完全なものでないと技術的に応用できないとかいうことであるが、最近女の子が、

  発達していて偉大で完全で強力なもの自体忌避しているのであり、なんの魅力があるのか理解できない。発達していて偉大で完全なものとして、高速計算機の、Sicamoreなどがあるが、行政

   や大学がそのテクノロジー悪事転用していることはとうに露見しているのであり、日本列島に住む、その極めて悪質なもの関係せずに生活している者が、なぜその悪質なもの存在に気が

  付かないのか理解できないという他がない。

anond:20240607010615

書籍リンクでどうせ上野千鶴子あたりしか引き出しなさそうなバカだな。見てないけど。

2024-06-05

約6畳ほどのワンルームに住んでいる。引っ越し当初、既に収まりきらなかったので本棚を横倒しにしてその上に漫画を並べていた。

今や本棚の上にはギリギリバランスを保てる限界まで漫画が重ねられ、その上にすら置けない分は泣く泣くテレビ台やクローゼットの中にしまわれている。あれから漫画以外の書籍をかなり読むようになり、蔵書に占める割合を徐々に増やしている。

壁の片面のほとんどが本で埋められている。ちゃん本棚を買えば片面を超えるだろう。だが一向に金が貯まらないので新しい本棚の導入ははるか夢のまた夢である。ろくに働かずアルバイトの長続きしないことが原因である。いつになったらちゃんとするのだろうか。そういう日が自分に訪れるのだろうか。ではちゃんとしたいかと問うと如何せん首肯しかねるのでこれもまた夢のまた夢か。

本棚というのは見ているだけでなんとなく楽しい。狭い部屋のほとんど片面が本棚なので家にいると嫌でも視界に入る。少し眺めていると、この漫画のあの回は面白かったなぁ、この巻ってどのあたりの話だったか、などと一冊抜き取って気づくと時が過ぎている。

棚の中の本は少しでも多く収納するため手前と奥のニ列に分かれている。そのため時たまほじくり返すと思いもよらぬ漫画が出てくる。そうして忘れかけていた漫画を見ると買った当初の記憶や心象が蘇って何とも言えぬ喜びを感じる。棚の上に重ねられた漫画も同じように二列になっているのだが、そこに置かれたのが比較最近ことなのでそちらには同じような感慨は起こらない。

こうして後ろに隠しておくのはやはり忍びない、お気に入りのものは1巻だけでも棚の前面に出しておこう、そうすれば棚を見る楽しみも増すのではないかと深夜不意に思い立ち、棚の整理をしていたところ気づけば朝になり、カーテンの下は明るく、鳥はさえずり、寝ようにも本が邪魔だし、どかすにも億劫で手を付ける気にならんといったところで不意に思い立ちこんなものを書いている。行きあたりばったりは無職特権である。埃っぽくて喉がイガイガする。近所の皆さん深夜にうるさくしてごめんなさい。歯を磨いて寝る。

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