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2018-04-17

anond:20180417140403

筒井康隆増田君も『時をかける少女』好きでしょ? 大衆にヒットしなかったなんて言わせないよ?」

大林宣彦若者は誰も見に来なかったけどね…」

2018-02-10

anond:20180210060541

アニメ版けいおん!元ネタになった(と僕は思っている)「青春デンデケデケデケ」はやはり日常系萌え作品と通じるところがあって、

その「青春〜」は出版社東映から男子高校生がじゃれ合うだけの作品が売れるもんか、ヒロインを出せ。登場人物の誰か性別変えろ」と横やりが入ったんだけど、

原作者芦原すなお映画版監督大林宣彦はそれを無視して「男子バンド組んで高校生活を楽しく過ごすだけの作品」に仕上げた。

よって「青春デンデケデケデケ」は何も考えずに仲間とつるむだけの日々の尊さを描き出した名作になったわけだけど、

日常系萌え根底にあるのは特に目的もなく日々が浪費されるモラトリアムの賛歌だと思う。

その楽しく空虚モラトリアムは、将来の進路や恋愛事情というシリアス問題を前にするとたちまち崩壊していく。

青春デンデケデケデケ」にしたって「けいおん!」にしたって高3の文化祭ピークにして、以降は高校生活の終焉に対するノスタルジーや将来の不安フォーカスを当てている。

日常系萌え恋愛無頓着なのではなくて恋愛といった題材を排斥することで、なんとか脆く歪な青春モラトリアム表現しているんじゃないか僕は思う

でも「青春〜」やけいおん登場人物は奔放で、しれっと異性への興味を口に出したりはしているんだよな。

異性を舞台に登場させないことで、逆に登場人物たちに極々自然な異性への関心を持たせる余裕ができていたのかもしれない。

いくらでも異性がいる社会恋愛に興味を持たないのは些か禁欲的なところがある。

2017-12-28

裸を見せた女の子はつよい

こんな時間二度寝できなくなったので、頭の中のガラクタ整理しよ。

こないだ家でクリスマス会の最中CS番組大林宣彦版「転校生」がやってて、懐かしくてつい見てしまったのだが、まだあどけない少女小林聡美があけすけもなく、成長途中のおっぱいを丸出し、スッポンポンになってて驚いた。こんなに脱いでたっけか……。

それでふと思ったのが、若い頃にさっさとヌード披露してすべてをさらけ出してる女のひとって、実はかなり強い存在なのではなかろうか?(熟女ヌードについては、ここでは敢えて除外する。脱いで以降の未来を生きる時間が短いから)

裸一貫って言葉でないけど、どんなに容姿が美しくて自信があっても裸体を人様にさらす決意、度胸や覚悟を決めるのは並大抵ではないだろうし、それを若いうちにやってのけてるのが素晴らしいというか。そんな点でいうと、AV女優なんかも尊敬してしまうのだが。

その流れで連想したのが、宮沢りえの「サンタフェ」。当時中学校クラスの中で回し読みして衝撃を受けた世代なので、彼女はかなりメンタル強いのかなーと思ってたのが、つい先日のSNS誹謗中傷疲れのニュースだったので、あなたあんなに美しい裸体を見せてくれたのだから、こんなつまらんことで折れてしまうワケないだろう! と激励したい気持ちになった。

心も体も許したひとりの異性に見せる裸と、ファインダー越し=万人に見せる裸とでは、比較もできないし意味も違うだろうが、裸自体よりも、裸を見せるまでのプロセス意志などのパーソナル面が、裸=外観でない魂自体が美しく輝いているというか、とても興味深い。

今の時代スマホでこっそりセルフヌードを撮ったり撮られたりしてる女のひとも、おそらく少なくないのだろうが、できればうんと若い頃に、裸体の記録を撮っておいて、そっとどこかにしまっておいてほしい。いつか年老い自分や誰かに見せるためでもなく、撮るだけ撮っていてほしい。若い時分の私にはそれができなかった、思いつかなかったのが、今では少し後悔している。スナップ写真程度でしかからないけど、昔はもっとシャープな体つきだったのかな……と、すっかり入らなくなった20年前のジーンズを試しに穿いてみたら、案の定ももでつっかえて、若さゆえの眩さと危うさに気づく。

2017-03-06

大林宣彦転校生1982年

もう35年前の作品だよ?

知らないとおかしい名作だなんて言うのは無茶な話だろ

リメイクテレビ放送で時折やってたとしても現在の全国民が見ることなんて不可能

映画好きなら見とくべきだろうってレベルならまだわかるが

見てて当然みたいなのはただの傲慢だろう

2017-02-05

君の名は。が賞をどんどん逃す話

すげー面白かった映画だけど、それはそれで当たり前だろ

入れ替わりはもう大林宣彦から続く古典だし

ちょっと震災取り入れたからってそれはハリウッド災害パニック映画と変わらないし

どううまく構成するか、みたいな問題を言うと脚本は穴だらけだし

音楽と合わせて映画構成していくのは、洋画でも邦画でも何十年も前からある

大体そういうのは「面白くても賞で評価はされない」

たとえばそう、「エンド・オブ・ホワイトハウス」って映画はスゲー面白いけど絶対賞はとらないのが分かる。

インド・オブ・ザ・デッド」って映画も凄い人気なんだけど絶対賞はとらないのが分かる。

ゾンビーバー」とか…まぁだから色々賞はもらえないけど面白い映画ってたくさんあるんだ。

なんで「マッドマックス」が評価もきっちりされたかというと、いやちょっとわかんないけどアメリカ人じゃないし。

そこまで振り切っては無いけど、君の名は。もいわばそれ。

評価自分たちだけでしていけばいいんだ。賞とれないことに文句を言う映画では無い。

賞をとるには色々クリアしないといけないことがある。(社会風刺国内情勢、歴史的価値、斬新度、脚本の緻密さなど)

よく音楽漫画であるだろう。評価される演奏方法と、楽しんでもらえる演奏方法は違うって。(これは違和感があるが。)

そういうのを無視して、それでファンが出来て興行収入が凄いんだからそれでいい。

たくさんの人が見たものがどの作品よりも優れているのか?と言うとそれは映画に限らずに「NO」だろうが(風の谷のナウシカは15億にも届いていない。細田版「時かけ」は興行収入2.6億円)

でも誰かの人の心にしっかり残る映画だと思うよ「君の名は。

RADWIMPS最初流行った時に多感だった世代からすれば、凄い感慨深いものがあるねぇ。

この世界の片隅にサイコー!!

2016-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20161121104129

有象無象きらら掲載漫画原作でありながら

萌えアニメ文脈の中で限りなくJKリアリティ描写しようとし

それを大林宣彦青春デンデケデケデケ)のオマージュとして完成させたけいおんはやっぱり売れるべくして売れた作品だわ

2016-09-22

メスイキっていうけどさ

最近、「メスイキ」って単語をよく見る。

ツイッターとか、2ちゃんねるとか。

調べてみると、どうやら、「男が、アナル乳首などで女のように逝き狂う」ことをこう呼んでいるらしい。

は?

女の体なめてんの? そんなチャチなものじゃねーぞ、女の感じる快感は。

「まーたサブカル女馬鹿なこと言ってるよ」とかお思いの増田も多いでしょう。

いや、俺、男ですよ。

でも、男のいわゆる「メスイキ」も、本物の、女のメスイキも両方経験してる。

から、男の「メスイキ」では、どうしても最後最後で脳のリミッターが外せないことも、女のメスイキがマジでヤバいことも、みーんな知ってる。

俺ね。昼間に嫁さんとディープキスしておいて、寝ると、入れ替わってるの。朝起きると。

嫁と、意識だけ入れ替わって、体が逆になってるの。俺の体が、女の体になってるの。

この説明でピンと来ない方は、大林宣彦監督の『転校生』を観るか、山中恒の『おれがあいつであいつがおれで』を読めば、一発でイメージをつかめると思います

最近だと嫁も男の体にハマってるっぽくてね。毎週のように入れ替わってる。

土曜日は朝起きるや否やキスしてくるの。避けられねーよ。

そんでもって、日曜日朝起きるじゃん? おっぱいがついてるんだよ。体に。そして股間の相棒がいなくなってて、筋肉が減って体重も軽くなってるから、男の体の嫁にのしかかられると身動き取れなくなっちゃうし、簡単お姫様抱っこされて運ばれちゃったりする。

そして、これは俺の嫁の体の感度がいいだけかもしれないけど、抱きしめられて、耳元で「たきくん……かわいい……」って、自分の声で囁かれるだけでもう幸せなんだよね。

キスするだけでも気持ちいいし、後ろから囁かれながら乳首こりこりされちゃったら、全身をいじってほしくなって、ショーツはびしょびしょ。

嫁も自分の体をいじるわけだから、弱点も、感じるポイントも全部わかって責めてきて、こっちはすぐに「すき」と「だいすき」と「きもちいい」しか言えなくなっちゃう。

最後には「みつはああああ」って叫びながら、きもちよさで頭が真っ白になって、全身がガクガクして、何もわからない状態で、子宮に精液をたっぷり注ぎ込まれ感触すら愛おしくて、幸せ幸せで涙が出てきちゃうくらいまで、トロトロにされちゃうの。

ね?やばいでしょ?

終わった後はベッドから立ち上がるどころか、寝返り打つことすらダルいくらい全身が快感に犯されてるし、たいていの場合スイッチが切れちゃって一旦寝ちゃう

まあ、すぐに嫁にいたずらされて、気持ちよさで起こされちゃうんだけど。

そもそもね、人類歴史というか文化的背景からして、男が真のオーガズムに達せるわけないの。

男は女に比べて運動能力に優れているんだから、外敵が来た時に女子どもを守って戦わなきゃならない。戦う義務がある。

そんな男が、非常時にヨガり狂って足腰立たない状態だったら、やばいでしょ。

から、男の脳には、賢者モードがあるし、いくらドライ」で絶頂したとしても、快感のリミッターを完全には外せない構造になってるの。

まりね。

真のメスイキを味わいたかったら、女の体に意識を移して、女の脳で、味わうしかない。これが結論で、真実

しかったら、これ読んでるそこの君も、嫁さんと入れ替わってみればいいよ。

2014-07-01

「春を背負って」木村大作監督 蒼井優松山ケンイチ主演を見た

ボケ老人の情熱ってすごいね!(本気で褒め)

という感じでした。カット繋ぎ意味不明とか、でんでんとか2シーンくらいしか出てこねーじゃねーかとか、仲村トオルスーツの色wwwとか、なんでトヨエツの歌に別の曲BGM重ねるのwwwとか、いやそこはスキーとかソリとか用意してあんだろさすがに、とかもう突っ込みどころは大量にあるし、別に個人的に山の風景にさほど思い入れがあるわけでもないので、カメラの魅力とか「すげえな(ホジー」という感じですし、終始狂った抽象的な「山とは……」みたいなこと言ってるのは社会不適合者役のトヨエツだけにしといてくれよマツケンが乗ってきたらもうダブルボケじゃん話進まないじゃん……とか。

いろいろ有るんですが。

「このジジイ完全に蒼井優に惚れてますよね」と分かりまくる蒼井優撮り方というか、髪洗いシーン一発でもうフルボッキです。

タプタプの二の腕が! フルボッキ!

大林宣彦とは別の意味老人力昭和力を発揮しまくってて、素晴らしいなあ、と思いました。ほんとに。

剱岳の時と同じで、本編よりメイキングのが面白そうなので、ソフト化が楽しみです。

あと衝撃のラストシーンがすごかった。

映画館爆笑をこらえて顔真っ赤とか久々でした。

2013-09-04

マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子

これまでの記事。

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル


脇道から入りましょう。

資生堂松田聖子デビュー以来サポートしてきた企業でしたが、『Rock'n Rouge』の時に聖子はカネボウのCMに出演し、カネボウの業績が大きく伸びるきっかけになっています(『Rocn'n Rouge』の歌詞唐突に"pure, pure lips"と入っているのは口紅のCMに用いられたからです)。このことについて、当時、資生堂からは聖子を裏切り者扱いする声もありましたが、聖子をイメージキャラクターとして徹底して囲い込まなかった、資生堂戦術ミスでしょう。カネボウは一時期、資生堂に追いつき追い越せで急成長するのですが、元々は紡績会社であり、旧部門を整理しきれず、経営資源を集約化できない決断力の無さを「ペンタゴン戦略」と言い繕っていましたが、そのことが結局、命取りになりました。好調だった化粧品部門は今は花王の子会社です。

先年、アメリカではコダック社会社更生法適用を申請しました。写真フィルム業界は事実上日本2社、アメリカドイツがそれぞれ1社の寡占市場で、高収益を見込める市場だったのですが、ご存じのとおり、デジタル技術の普及によって市場が壊滅しています。その変化に対応しきれなかった、ということでしょう。

生物学では適者生存と言いますが、パラダイムの変化が起きる時に、真っ先に滅びるのは最適合していた強者です。似たようなことは生物史においてだけではなく、経済歴史文化においても起こっています

日本映画大国です。アニメーション映画も含めて年間400本以上制作されていますが、制作本数が割合多い方の国であるドイツの制作本数を日本人口に比例させて置き換えれば300本程度なのですから、相対的にも日本映画産業好調な国だと言えます。この映画産業が壊滅的に縮小したのが70年代であって、言うまでもなく、これはテレビの影響です。どこの国でも映画産業模索時代を迎えていたのですが、世界市場を持つアメリカ映画しか生き延びることは出来ないのではないか、そういう見方もありました。そのアメリカ映画でも従来の大手映画会社による支配が大きく崩れ、独立系の新進の若い映画人たちが大量に参入し、映画産業を立て直してゆくのも70年代のことです。ルーカススピルバーグらもそういう人たちでした。

日本映画製作会社大手五社のうち、日活はロマンポルノに特化し、大映はテレビドラマ向けの撮影所だけが存続しました。東映松竹東宝映画製作会社としては規模が大幅に縮小して、「洋画の興行」と不動産事業で何とか生き延びていたような時代です。日本映画はそのまま衰退していたとしてもおかしくはありませんでした。こう言う状況を受けて、70年代末期には独立系の志のある映画人、新興の映画製作会社市場に参入しています。代表的な企業としてはキティフィルムで、80年代には『うる星やつら』や『銀河英雄伝説』の制作で知られる、アニメーション制作スタジオとして有名になりましたが、元は映画製作会社で、『限りなく透明に近いブルー』を映画化しています

もうひとつ、大きな足跡を残したのが角川書店角川春樹事務所)です。薬師丸ひろ子はこの両企業の黎明期の作品に関わっています。そういう意味では日本映画復興を象徴する女優でした。


角川春樹事務所映画製作に乗り出しのは、本を売るためであって、メディアミックスの先駆けでした。メディアミックス戦略映画産業にとって荒天の慈雨となったのには理由があります。角川のように、映画出版、両方に関係していれば、グロスで元が取れればいいわけです。極端な話、映画の興行は赤字でも、本の売上で補えるなら、映画を作る意味はあります映画単体の採算ラインでは撮れなかった映画も撮れるようになりますし、制作費の規模自体が拡大するわけです。角川春樹映画人ではなかったからこそ、新しいビジネスフォーマットを提示することが出来たのです。

角川映画嚆矢は『犬神家の一族』ですが、『人間の証明』『野生の証明』と大作を毎年制作しました。この頃は、映画になりやす原作を選んでいましたが、本を売ることも目的ひとつなので、原作になる本は長ければ長いほどいいわけです(それだけ売れますから)。80年代アニメーション映画化した『幻魔大戦』は作品の長さで選んだきらいがあります

角川映画テレビCMをどんどん流し、サウンドバイトなコピー流行語になりました。『人間の証明』で言えば「母さん、僕のあの麦わら帽子、どうしたんでしょうね」です。続く『野生の証明』のキャッチフレーズが「お父さん怖いよ。何かが来るよ」でした。「母さん」の次は「お父さん」なのでしょうか。これは劇中、薬師丸ひろ子が演じる少女セリフのままです。


薬師丸ひろ子は『野生の証明』の一般オーディションを経て、デビューしています。当時14歳中学2年生です。どういうつもりでオーディションに応募したのかは分からないのですが、当時東京在住の女子学生にとって、あまり深い意味はなく、応募したのかも知れません。と言うのは、『野生の証明』で名を売ってからも、高校に進学するまで、薬師丸の芸能活動は抑えたものだったからです。当人も親も、深く考える間もないまま、日本中の喧騒に巻き込まれていった、その中で「普通であることを一生懸命守ろうとした、そういう感じです。

アイドル映画に出ることは多いのですが、薬師丸の場合は映画に出た後にアイドルになっています。その映画アイドル映画ではなく、日本映画界が渾身の力を込めた大作『野生の証明』で、監督スタッフキャリアがある人たちで、共演は高倉健という、新人デビュー作品としてはこれ以上はないほど、グレードの高い環境でした。おそらく薬師丸は今もってデビュー作ほどの環境に恵まれた現場は他には知らないでしょう。

彼女は日本映画界の最後王道を通って女優になった人です。アイドルとしてデビューしたわけではありませんが、彼女は日本中に知られ、彼女の台詞日本人なら誰でも知っているまでになりましたから、そうなってみれば彼女は角川映画資産です。彼女と言う資産をどう展開するか、それがその後の角川映画課題になりました。

薬師丸は学年で言えば松田聖子よりは3学年下になります。けれどもデビュー自体は2年早い。80年代と言う時代が聖子によって、聖子と共に輪郭をくっきりと明瞭にしたのだとしたら、薬師丸はその前に、登場した人です。70年代の色彩を持っている、だからこそ選ばれた、ということになります

70年代は学園闘争の時代が終わり、ノンポリティカル雰囲気が前面に出てきた時代ではありますが、成長がすべてを癒すのだとしたら、その果実がまだ蔓延なく行き渡っていない時代です。国民意識の総中流化が完成する一歩手前、むしろその完成が近かったからこそわずかな差違が表層に反映された時代でもあります。その時代に逢って薬師丸は本当の中産階級が持っていた無意識象徴する存在でした。

無意識は持てる者の特権です。異端は常に、自分が他と違うことを意識させられます無意識はいられないのです。薬師丸には70年代若い世代、それも東京山の手若い世代無意識が濃縮された形で詰め込まれています。薬師丸は男女の同級生の中で自然にリーダーシップをとる女子の役を多く演じているのですが、そのような存在無意識存在できたのは70年代東京だけだったでしょう。80年代には女子の商品化が進み、いずれの女子も商品としての自分無意識でいられることは出来なくなるのですが、70年代はまだマルキシズムの残り香のようなものがあって、ある意味都市部では若い女性の意識がニュートラルであることを許された最後時代かも知れません。

から薬師丸にはどこか、連合赤軍日本赤軍の流れみたいなものを感じます。彼女が政治見解として左翼的マインドを持っているということではなくて、ノンポリティカルであるがゆえに、マルキシズムの持っていた理想のようなものの流れを維持して、そこから生じた文化的な派生の中に身を置いている、そういう印象があります

それが以前言った、薬師丸にはジュヴナイル的な匂いがある、というものの正体です。

薬師丸は『野生の証明』以後、言ってみれば角川が彼女の鮮度を維持するために『戦国自衛隊』でカメオ出演させた他は、初主演で本格的に芸能活動を開始したのが、1980年公開の『翔んだカップルからです。高校2年生になっていました。この『翔んだカップル』は相米慎二の初監督作品でもあり、制作は角川ではなくキティフィルムです。やがて90年代にかけてそれぞれのジャンルで主流を担っていく人たち、そういう人たちが80年代最初期のこの時期に、ジュヴィナイル路線で台頭してきた、エポックメイキング意味がこの今ではほとんど知られていないこの作品にはあります。翌年、相米監督と薬師丸は『セーラー服と機関銃』で再び組むのですが、特に演技指導が厳しいことで知られる相米慎二洗礼を受けて、それだけに日本映画の最も濃厚な部分を最初から薬師丸は味わったことになります

今、『あまちゃん』で共演している尾美としのり主人公天野アキの父親役)とは『翔んだカップル』以来の付き合いで、尾美としのりもまた80年代日本映画界のジュヴナイルルネサンスの中心にいた俳優です。尾美としのり大林宣彦監督作品にほぼ漏れなく出演していて、大林監督は「彼は私の作品の署名のようなもの」と述べていますが、薬師丸が続いて出演した『ねらわれた学園』の監督大林宣彦です。

大林監督70年代後半、ホリプロに起用されてアイドル映画を撮っていますが、80年代以後は角川映画の印象が強い人です。『時をかける少女』は原田知世主演のアイドル映画でありながら、同時に自身の代表作品である尾道三部作の中核をなしているように、相当に監督側に委ねた撮影になっています(だからこそ今なお『時をかける少女』はアイドル映画の枠を超えて傑作として継承されているのですが)。

ねらわれた学園』は角川映画プログラムクチャとして初めて手掛けた薬師丸主演映画です。原作は当時の10年前の世相を背景にしていますが、それだけにジュヴナイル雰囲気特に強い作品です。この映画は、大林監督の名を売ると同時に、主題歌松任谷由実の『守ってあげたい』もヒットしました。松任谷由実の第二次黄金時代きっかけになった作品です。ただし楽曲の完成度自体は、第二次黄金時代に入る前、むしろ低迷期の方が出来がいいのですが。

この、『守ってあげたい』という楽曲も、ジェンダーフリーという意味において非常にジュヴナイル的です。ここでは女子は守られる側ではなくて、守ってあげたいという主体的な立場に立っています。こうして考えてみると80年代少女商品化の進行は、供給者としての少女立場を強めるのと同時に、主体的な消費者としてジェンダーとしての女性立場を弱めたのではないかという疑いが濃厚になってきます

私は薬師丸を理系的と言いましたが、薬師丸の映画キャラクターの10年後、20年後想像してキャリアのある姿は思い浮かべられるけれども、専業主婦ではおさまりがつかない、そういう印象があります。しかし松田聖子の場合、当人の生き方別にして、パブリックイメージとして結婚して主婦になって物語にエンドマークがつく、そういう側面を強化した面もあるのではないでしょうか。


一般にはアイドルとしての薬師丸のキャリアは続く『セーラー服と機関銃から始まります。ここから彼女は主題歌担当することになったからです。

角川映画は主に大作路線を手掛けていましたが、大作では数が作れません。これ以後、薬師丸らを主演に据えて、小品を季節ごとに提供してゆく、そういう手堅く儲ける路線に転化しました。薬師丸にとっては主演映画連続でしたが、初期の現場環境の完成度の高さに比較すればむしろ規模が縮小した感じもなくはなかったと思われます

歌手としての薬師丸の特徴は、中音域を含めてファルセットで歌い通すということで、本来のファルセット意味合いとは異なる用い方をしています。単に高音域をカバーするというのではなく、美空ひばりが「七色の声」と言われるように、歌唱に表情をつけて楽曲としての魅力を強める意味合いがあります。全編をファルセットで歌ったアイドルとしては天地真理がいますが、非常に嘘っぽい。そういう印象があります。薬師丸の場合は幸か不幸かファルセットも地声に近い印象があって、嘘っぽさはないのですが、表情に乏しい分だけ分かりやすい上手さもありません。

上手い下手で言えば、今聴くと異常に上手いなと感じますし、当時も上手いとは思ってはいたのですが、歌唱世界観が合いすぎて、印象に残らない、個人的にはそういう感じがあります

鉛筆で例えるなら原田知世は2Hで薬師丸は2B、松任谷由実がそう評したことは以前に述べましたが、薬師丸はわりあい線が太い、それが持ち味であるのに、薬師丸は歌唱では輪郭をぼやかしていますリアリティが無い。歌の題材も10代の少女不安げな感じをテーマにしているのですから、それが世界観に沿っているというならばそうなのですが、輪郭が細いのではなくて薄い、引っかかるところがないのです。ファルセットは本来、「引っ掛かり」として用いられるものですから、それで押し通すのは、強弱の表情が歌唱から無くなってのっぺりとなってしまうことを意味しています。非日常常態化すれば日常です。

彼女の楽曲では『Woman~"Wの悲劇"より』が比較的その弊害を免れているのは、歌詞が生々しい情事を歌っているからです。実態が生々しい情事であるからこそ、そこで用いられた詩的な表現が美しく浮かび上がりますし、薬師丸の加工的な歌唱現実の中のファンタジーにとどめられていて、現実と言う力を持っています。『探偵物語』や『メインテーマ』では、あら、きれいね、で終わってしまう、その傾向があります

器楽として美しいだけに、表現として弱いのです。

角川映画主演作品で主題歌を薬師丸が歌う、と言うのがアイドル薬師丸の代表的なフォーマットであるとすれば、実はそれに相当するのはシングルでは4曲しかありません。『セーラー服と機関銃』『探偵物語』『メインテーマ』『Woman~"Wの悲劇"より』だけです。『Wの悲劇』を最後にして、彼女は角川映画角川春樹事務所を離れ、それ以後も、主演映画主題歌を歌うというフォーマットは続きましたが、そこから先はもう、アイドルとしては取り上げなくてもいいでしょう。

続く

http://anond.hatelabo.jp/20130904155640

2007-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20070708221351

同意。

「どうせ主人公二人だけじゃなく、周りの人間まで和解して仲良くなっていくんだろ?」と

最初からはっきり分かるようなべったべたな展開、人物配置だけど、面白い。

心入れ替わりモノは「転校生大林宣彦映画)」と「放課後いしだ壱成観月ありさが入れ替わるやつ)」を既に見た事あったんだけど、

このドラマはあの時代にはまだ普及してなかった「ケータイ」「ネット」を効果的な小道具として使っているので

「あー、『今』ならこうなるだろうな」と新たな気持ちで見れた感じがする。

10〜20年後くらいに同じ題材でまたドラマ化なりしても、

今はないがその時には充分普及しているアイテムを効果的に使ってくれてたら

また「今」の雰囲気を感じながら楽しく見れるんじゃないかなーと思った。

 
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