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はてなキーワード: 担保とは

2019-12-03

anond:20191203153430

俺は最低限の清潔さを担保されてるチェーンか、少なくとも評判が聞こえる程度の店じゃないと入れない

元増田みたいな孤独のグルメごっこやるなんて無理

大外れも視野に入れないとできない遊びだと思う

2019-11-28

匿名性が担保してくれること

今更ながらこのサービスに手を伸ばしてみる。

ブログ日記などをあらゆるサービスに点在させて結局長続きしない私にとって匿名性が担保してくれるもの結構大きい。

このブログではこんなキャラでこういうことを書こう、いやこうしたほうがみんながみてくれるかな?なんて邪念を吹き飛ばすにはこういった匿名性のあるサービスがもってこいであるかもしれない。

匿名故に情報の波に攫われてしまうこともあるだろうが、それはそれで。

2019-11-25

Web小説プラットフォーム『BookBase(旧:BOOKPORT) 』は大丈夫

誰もが最高の物語をつくり、出会える世界をつくりたい(https://camp-fire.jp/projects/view/190315?utm_campaign=190315&utm_medium=stepmail&utm_source=4remind

 9月に新しいWeb小説プラットフォームを立ち上げよう! というクラウドファンディングがあった。私もWeb小説書き手なので、少々入れさせてもらったクチだ。結果は予定の213%成功、見事なものだ。そのリターンの中に「あなた小説作品、本気でレビューします!」というものがあった。

 五千円で五万文字、一万円で十万文字の2コースがあり、両方のコース支援すれば十五万文字ぶん、小説本文を読んでレビュー! というものだ。

 長年小説を書いていると、「信用できない相手作品を渡して、感想を求めてはならない」という経験則がしみつく。作品を渡した途端、なぜか居丈高になるやつ、異様に文章の読解力がないやつ、的はずれな説教をしてくるやつ、などなどがいる。

 だがこの場合、金を払う。有償ならば、その金が信用を担保してくれるだろう……と。

 そう思った私は、まだまだ甘かったらしい。

 2019年11月24日、「本気レビュー第一弾(https://note.mu/noraentrepreneur/n/n6ae15892151d)」がnoteにて公開された。

 対象作品は49万文字を超える長編作品で、全て読んでもらうとしたらクラウドファンディングで五万円ほどの支援必要だろう。私は作者ではないので、この対象者さんがどの程度つぎ込んだのか、知るよしはない。だがまあ、支援の設定から最低で五千円かかっているはずだ。

 いくら払っていくら読んでもらったかはさておき、ここで出てきたレビューは「約400文字である

「4000文字」ではない。

 一つ桁が足りない。たった400文字原稿用紙一枚ちょっとはみ出す量だ。

 その大半は作品概要紹介で、ちゃちゃっと軽くおすすめですよ! 読んでね! とまとめているが、正直内容がスカスカである。真面目な話、私が「五千円出すから五万文字小説読んで、レビューして」という案件を引き受けたなら、どんなに短くても2、3000文字記事にする。

 BookBaseさんがあまり人手がなさそうなのは知っている。Twitter確認している社員は現状二人だけだ。そしてクラウドファンディングの際、レビュー系リターンを取っていた人は2~30人はいたと思う。

 日々の生活仕事起業への準備に追われつつレビューすることは、大変多忙だろうと思う。

 だが、それを踏まえても、有料で出した400文字レビューを「本気」と言うのは嘘だろう?

 リターンの多くはプラットフォームが実際に立ち上がる来年から実行されるものが多い。

 そのうち、現在進んでいるのが「オンライン通話」リターンで、TwitterRTされてくる感想では満足したような反応だが、クローズドな場であり、私はそちらのリターンを選んでいないので、難しいところだ。

 社長オタクペンギンさんのnoteには、自分たち事業や、小説に対する思いを何千文字もかけて綴った記事がある。

Web作家のための新しい出版プラットフォームを!」と言って、Twitterでも様々なWeb作家を集めていた人間が、「本気レビューです!」で中身がスカスカの400文字レビューを渡されたら、相手がどう思うのか、想像がつかなかったのだろうか? そしてそれを渡す相手は、これからその事業の中で客となる人間のはずなのだ。釣った魚に餌はやらない、というやつだろうか。

 もし、自分がこれから商売相手にすることを何も理解せずこれをやっているなら、起業実業でやっていくのはやめたほうが良い。

 そうでないのなら――「詐欺では?」。最初から、新しい出版プラットフォームを立てる気などなく、クラウドファンディングで集めた数百万を持ち逃げする気でいるのでは? と不安になった。

 仮に……今回のレビュー対象がよっぽど読むのが苦痛作品だとしても、「有償で」「本気で」と言って400文字はやはりないだろう。軽く紹介された作品を読んでみた限り、「本当に作品を読んだのか?」という疑問すら感じる。

 なろう、チートハーレム異世界転生、そのように揶揄されても、多くの作家にとって、作品大事自分の子供だ。それをわざわざ金まで払ったのに、こうも投げやりで、中身のない、誠意を感じられないものを「本気でレビューしました!」と言って出されるぐらいなら、私ならいらん! とすら思ってしまう。正直、この作者さんは怒らないだろうかと心配になってくる。

 そして前述のように、私も一口支援しているので、「損したな」と思った。……そういえば、どういうわけか三十万も支援を入れた太っ腹な人がいたが、あの方は大丈夫だろうか(支援の中に三十万円コースがあるが、そちらは支援0人なので、どれかのコースで三十万円ぶん何か支援されたのだろう)。

 ともあれ、Web小説とかそういうことは一旦抜きにして、金を受け取ったならば、ちゃんとそれに見合った仕事はしてほしい。最低でも5千円受け取って、わずか400文字を「本気」のレビューと言い張るのは無理がある。

 もしオタクペンギンさんに物凄くWeb小説界隈での起業センスが無くて、悪意なくこれをやってしまったというだけなら、今後改めてしっかりしたレビューやリターンを行って欲しい。だが彼が悪意ある人物だった場合……まあ、私は訴訟を起こして返金を迫るほどのものでもないが、三十万つぎ込んだ人は、その金額無駄にならないよう、祈ります

2019-11-22

anond:20191122141012

日中ともにマトモに答えんだろこういうの。

というか、海外アンケートに答えてる連中がガチだよ、って担保はどこにあるんだろ。

国際医療研究とかそういうガッチガチ学術ネタサンプリングして調査、とかなのかな?

この手の民族性剥き出しの偏見ヘイトアンケート結果、気持ち悪いんだよね。相手が誰であれ。

ギリシャ人はやりまくり、とか逆方向に利用してるクズインフルエンサーもいたなぁ。

2019-11-19

anond:20191118184931

わかりやすくて良いんだけど参考文献とか付けてほしいなあ

そっくりそのまま信じ込むっていう恐れが解説系にはつきまとうからこそ参考文献や主な法学者名前とか挙げておいてほしい……まあこれはインターネット解説記事全般に言えるんだけどさ

先行研究とか出せとは言わんので。まあタダでやってくれてることに文句つけるのもさもしいけどさ(タダで匿名からこそ余計に信憑性担保してほしいというのはある)

青識亜論(@dokuninjin_blue )は以下4点に回答しない限り卑怯

①「青識亜論が石川優実評価すること、その行動の中で観客をアジテーションした」のは、意図的だったのか、無意識だったのか。

②「青識亜論が石川優実評価すること、その行動の中で観客をアジテーションした」ことを問題だと思っているのか、いないのか。

③間違った行動だと仮に思っていた場合、その事を石川優実さんに謝罪する必要があると考えているのか、いないのか。

謝罪する必要があると仮に考えている場合石川優実さんに謝罪をする意思があるのか、ないのか。

これは青識亜論という人間の信用性を左右する決定的な問いである。すべて「はい」か「いいえ」かで答えられる質問にしている。できればその二択で答えてほしいし、その二択で答えられないならその理由も書いてほしい。③と④は必要に応じて無回答でも構わない。

二人が「討論」の結果致命的な断絶に至ったことは、大変悲しいことだろう。本当に。本増田立場としては石川優実寄りだけれど、青識亜論にも限りなく同情する。何せ、石川優実は当該イベントを「歩み寄り」の場だと思っていたのに対して、青識亜論は「討論」の場だと思っていたのだから辞書的な言葉用法としては青識亜論が正しく、石川優実が間違っている。ググればわかる。そのレベルでの断絶が存在することを、相互理解していなかったというのは、お互いにとってとても悲しいことだ。私なら絶望するし、おそろしいほどの徒労感を抱くだろう。

青識亜論が、イベントの場をセッティングするために、可能な限り石川優実要望を聞き、イベントの為に事前に担保できるフェアネスを用意しようとしたことには、最大限の称賛をしよう。石川優実ブログ話題にしている後出し論点も、半分くらいは「それはその場で言えよ」という話であり、単純に石川優実イベントで弁が立たないという能力不足の問題しかない。

それでもなお、青識亜論がフェミニズムについて学んでいるというのであれば、「男性女性評価する」という行動自体石川優実への挑発行為である理解していた筈だ。理解していないなら無意識だったのかもしれない。ただ、紛れもなくそれは石川優実にとって挑発行為だった。勿論、青識亜論のような「主張を戦わせる」ことがフェミニズムとの歩み寄りだと思っている人であれば、そのような振る舞いを取るという選択自体は、一貫性があると増田は思っている。それでも、「相手が嫌がると理解していること」を「嫌がるのを承知で行った」のか、それとも「無意識的におこなってしまったのか」はとても重要問題だ。それは、対話相手からすれば、「相手自分嫌がらせをする可能性を常に考えなければいけない」ということを意味するのだから石川優実のような立場人間にとって、「セッティングの場における事前の公平性」よりも「その場における、実際に起こったことの公平性」の方が遙かに重要だし、賢明な青識亜論であればそのことを理解していないとは言わせない。

故に冒頭の4つの問いに戻る。

これらは、現在石川優実が青識亜論に対して抱いている圧倒的な不信感と、その様子を見る青識派・石川派双方にとって、今回の出来事に一つ、大きな相互理解を促すものだと認識している。如何か。

2019-11-12

anond:20191110185048

雌性さえあれば世代再生産は可能であり、雄性は多様性担保のためにあるようなものハチとかアリ見てりゃわかるだろ。

そして現代の手持ちの技術でも、女性だけの世界は持続可能な形で構築できるんだよ。

もちろんこれで社会的問題が全て解決するわけじゃない、そんなの当たり前だ。

でも生物学だの進化心理学だのを持ち出して男の行動を正当化しようとするなら、こういう選択肢だってあるんだよ、という話。

男女差別生物学だの進化論だので正当化してれば、こういう反撃食らうのだよ。

寝れない日記

0時前に寝床に入ったが全然眠れん。

スマホでTwi見てさらに目が覚めて、PC起動して増田に書こうとしてるしアホやん。

7時前には起きないと駄目だというのに。寝れなくて焦って更に眠れんしどうかしてる。

こんな生活続けて体調不良休日使っているし先週なんか当欠してるし。

最近は本当に精神的にどうかしちゃっている。

別に何かあったわけでもなし、仕事の状況は大していつもと変わらず。

誰かの仮初の安心を作るだけのやらなくてもいい仕事毎日やっているだけ。

時間が刻々と過ぎるのが本当に怖い。

試しに10秒数えていたら14秒過ぎていた。

時計の針ってこんなに早く動くもんなんかよ。

昔誰かから聞いた寝れないときは布団の上で横になっているだけで良い、って言葉守れてねえ。

まあ守る気もないんだろう自分は。

会社人達全員スーパーマンよな。よく精神もってられる。

というか同期が辞めてからなんとも寂しいというか、遠い部署にいても心の支えだったり頑張る仲間意識があったんやろうな。

相談できる人もいないし精神蝕みだした自分を助けてくれそうにもない。

30代の中堅社員が悉くいないのは会社風土が悪いんやろうなあ。

残っているのは頼りになるんかならんのか分からん、悪く言えば年数経った人ばっかりってところやし。

人の扱いが悪いというか、マンパワーだけでなんとかしようとしてるというか。

田舎から情報システムというか、ISO関連で文書改訂履歴さな遺憾のに

別のエクセルファイルに記録残しますとかそれ最新版担保改訂内容の担保ないやろって思いながら会議聞いてたけど

あれ誰が改訂履歴メンテするんやろうか。

まあ出身からしての畑が違うからそういう発想に至らんというのは仕方ないんやろなあ。自分も畑が違うと分からんことばかりやろうし。

最近機器の稼働状況調べるようなラズパイIoTみたいなのやってみたいけど、

なんか暇が出来そうにないな。家で酒飲んでないでラズパイ弄ってろってことかな。

それよりも先に内線規程ベース基本仕様についての文書も整備せないかんなあ。

かい機器略語辞典とかもあれば便利やろうし、なんせ自分勉強にもなるやろし。

言うてWiki弄ってたら遊んでる扱いされてたのムカつくわ。

Redmineとかもサーバ建ててるみてるんやって趣味やけど、いつかこれ役立つとき来るんやないかなあおもてやってるんやで、はあー

2019-11-11

桜を見る会はこれまでの不正とは別次元の話

いやいやいや。

なにこの扱い。

もっと騒がなきゃだめでしょ。日本がひっくりかえるぐらいの話でしょ。

モリカケだの統計不正だのももちろん悪いけど、

桜を見る会に関しては他とはまったく次元の異なる話でしょ。

 

今までは最終的には「イヤなら選挙で落とせ」って話になってたわけじゃん。

「いろいろあっても自民党選挙で勝つんからこれが国民の総意」っていってお目こぼしされてた。それはそれで一理あるとおもうよ。

 

でも税金支援者接待してたことがわかったわけでしょ。

そうなると「イヤなら選挙で落とせ」が通用しないよね。

選挙不正におこなわれてるんだから

不正選挙で選ばれた政権なんだったら、権力正統性担保するものはなにひとつない。

逮捕、辞任以外の道なんかない。

(「民主時代も~」も通用しないよ。もし旧民主党議員も同じことやってたんならそいつも辞職すべき)

 

これで辞職しないんなら、政権に不満のある国民はもうクーデターを起こすしかないって話になるよ。

正当な選挙政権交代させる術がないんだから

 

今の報道見ていると、招待人数とか予算の話になってる。

そんなことはどうでもいい。支援者に1円でも贈ればアウトなんだよ。金額多寡の話にすりかえるな。

 

こんな話しているうちにこれまでと同じく「数ある不正ひとつ」としてフェードアウトしていきそうで、ほんとにこわい。

2019-11-10

はてブ読む価値ない説

ブコメはクソだから読む価値がない

詭弁スターを集める

八つ当たりみたいのがスターを集める

裏の裏(ちゃんとしたソースなし)がスターを集める

よって読む価値がない

本文は叩かれているだけだから読む価値がない

ブコメで叩きやすいから伸びてるだけ

ブコメとセットで読まないと伸びてる理由がわからない

ブコメを読めばわかるが単にリンチ対象にされているだけ

純粋面白さで伸びているものは半分もない

その残った半分未満の多くははてな村住民による身内アゲ


ツイッターのがマシだと思われ

ツイッター個人用にニュースTLやリスト作成してそこでやろう

情報信頼度は発信者回覧者の信頼度によって担保しよう⇔はてなでは誰が伸ばし始めた記事なのかが不明

溺れた犬を叩いたり火事場に石を投げ込んで気持ちよくなる行為下品であるという認識を「忘れない」ようにしよう

2019-11-03

anond:20191103163514

お気持ち表現規制派を殴るついでに社会構築主義殴られても困るんだよねぇ,正直.

私は人文系別にジェンダー問題には関心ないけど,構築主義的な考え方は別にフェミニズムに限られた概念でもないし,社会学だけじゃなく人類学歴史学でも受け入れられてる.

民族」が構築されたもので云々みたいな話はさんざんされてきていているわけで.きちんと実証的にやろうとすればするほど構築主義の考え方を取らねばならない局面って多いんだよね.

社会構築主義への批判もあるにはあるけど部分的修正を促すものだし(たとえば「老人」というカテゴリの特殊性から社会構築主義の大前提を疑った論文もあり,これはかなり面白い),本質主義に戻れるかといえば戻れないので,まあ構築主義を受け入れた上でどうやって実証に活かすかという話になるわけだけど,そもそも社会構築主義おかしいって言われると「ええ……」ってなるよな.

社会構築主義批判が悪いわけではなく,きちんとした論を立てて批判してくれるなら全然大歓迎なわけだけど,一部のアンチフェミな方々の議論は耳を傾けるべき水準に達していないので.

正直もう本当にうんざりなんだけど,お気持ちフェミニストを殴りたかったらお気持ちフェミニストをピンポイントで殴ってほしい.社会学批判とか始めるならネット上の断片的な社会学についての解説だけじゃなくてちゃん社会学の本やら論文やらをちゃんと読み込んでほしい.当たり前のこと言ってるはずなんだけどなぜか通じない.いやキズナアイを叩くなら彼女配信ちゃんと見ろとか宇崎ちゃんポスター批判するなら漫画を読めよとかと同じことを言っているはずなんだが? という.

表現規制を求めるお気持ちフェミニスト批判ならオタクとして賛成するけど,雑きわまりない構築主義批判を始めるならそれは文系学問喧嘩を売っているに等しいわけで,こちらも文系アカデミシャンとして「は? お前何言ってんの?」というモードに入らざるを得なくなるんだよな.

からまあ私の感想は,去年キズナアイが叩かれてたときに書いたの(anond:20181011062902)と同じになるわけだけれど.

そうやって文系オタク対立構造にされて困るのは私みたいな文系オタクなんだよ.ほんと勘弁して.

とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.

仕事仲間から趣味を貶められ趣味仲間から仕事侮蔑されるのそろそろ勘弁してほしいわけですが,まあこの流れは収まらないんですかねと諦めモード.どっちの陣営にも話通じない人がいて辟易

まあせめて自分が誰に喧嘩を売っているのかはちゃんと把握してくださいね表現規制派を批判するためにフェミニスト全体を殴ると性の解放を唱えるフェミニストに流れ弾が当たるし,社会構築主義にまで戦線を広げるならフェミニズム社会学だけじゃなく人類学とか歴史学にまで喧嘩を売っていることになるわけだけどそこはちゃんと自覚してます? 自覚がないなら攻撃対象はもうちょっと限定しようね.もしそれらの分野に喧嘩を売るなら各分野の基本書はちゃんと読んで勉強してねという話になるけど,その覚悟はありますか?

(もちろんこれは男性向けジャンルの潮流とか文化かについて碌に知らずお気持ち批判してくる一部のフェミニストや社会学者にも当てはまることだけどね.よりにもよってそのジャンルデータベース消費論に基づいた雑分析をやりますか? ほんと勘弁してくれ.男性向けだからどうせ女体目当てのポルノだろうみたいなその偏見をどうにかしろオタク,というよりも男のセクシュアリティ単純化するな.参与観察なり文献調査なり統計なりの実証手法を使いこなせ.表象分析やるならちゃん作品に向き合え)

ところで献血行って冴えカノのクリアファイルもらってきたんだけど,今期アニメ白衣着て献血ポスター採用されてほしいキャラって誰? 僕は,クリーブランドちゃん! アズレンプレイなんだけどアニメは見てます.出来いいよね.さすが艦これより先にアニメ化されるだけはある.ユニオンロイヤルと鉄血と重桜でそれぞれ1種類ずつナース服のクリアファイルとか作って献血ルームで配布してほしい.あ,『放課後さいころ倶楽部』も捨てがたい.翠ちゃんいいよね……仮にコラボやるならやっぱり京都府限定かになるのかな……(やると決まったわけじゃないだろ起きろ)(もう一回『ヤマノススメ』とコラボしてほしいよぉ……)(いま気づいたんだけどアズレンの鉄血って「血」って字が入ってるから献血にちょうどいいんじゃないか? プリンツ・オイゲン上から目線献血要求してくるポスターとか,どうすか)

ブコメに応答

似たような話題を似たような面子で似たようなコメントで殴り合うの見てるのは正直言って苦行なので、色々な所に飛び火するのは割とありがたい

勘弁してください.俺は楽しくオタ活や研究して気分よく献血したいだけなんです.献血ポスターを燃やされ趣味を踏み躙られた挙げ句仕事ケチつけられるとかただただ迷惑しかないんです……一部のフェミ放火してまわって一部のオタク焦土作戦しかけてきてるのは巻き込まれた村人Aとしては消耗するだけなんだ……

これはっきり言っておくけど,去年のキズナアイバッシングに付随しての文系バッシングときにも,私が書いた増田を読んで「こういうのが読めたのはよかった」と言ってる人大勢いたけど,私まだ根に持ってるからね.なんもよくねーよ.水が言葉記憶しないことについてやたら解説が充実していたり数多の歴史的事件のなかで南京大虐殺にだけやたら詳細なFAQがあったりするのはちっとも良いことじゃねーよ.文系バッシングはこれっぽっちもありがたくないです.一部のフェミに好きな作品を燃やされてもちっとも嬉しくないのと一緒.宇崎ちゃんの売上は上がったらしいけどそれを素直に喜べるかといったら喜べないでしょ.宇崎ちゃんバッシングなんてない方が遥かに良かったわけで(もちろん表現の自由というものがあり,作品への批判をするなとは言わないのだが,しかしその批判をどう思うかというのはまた別の話で……).

社会学部に運動家が集中しすぎている。法学部経済学部文学部とは比較にならないほどに集中して存在する。社会学社会学部全体がうさんくさいものとして見られるようになった。

社会学部なんて設置してる大学は少数派なんですが本当に印象論でしか語ってないんですねというのがよくわかる.偏見正当化したいだけのノイズ

この世界は全て物理法則に従って動いている、というのが本質主義なら実際それは多分正しいんだよなぁ…そこに戻れないのは単に人間の知性が追い付かないから「仕方がない」だけなので/クリーブランドロリから

ここで言ってる本質主義ってそういうことじゃないから……

本質主義採用しないことで非アカデミシャンとの対話がほぼ不可能になるリスクもっと多めに見積もった方が良いと思う

学問良心からたかだか門外漢との対話なんぞのために本質主義採用するなんてできませんわ.

私は社会学有益だと思うのだけど、ジェンダー学が社会学部全体の評価を落としてる気が。

社会学部を設置してる大学は少数派でたいていの大学社会学部なんてものはないわけですが本当に印象に基づいたお気持ち社会学を叩いているんですね(それとも,ひょっとして社会学部がある大学卒業生なのかな?).

主語サイズ問題だな。アカデミックの人は文系コンマピリオドなのか、と感じる。

人によります普通句読点使う人とかカンママル好きとかコンマピリオド派とか.出版社だと東京大学出版会横書きの本は基本コンマピリオドですね.岩波もそうだっけ?

「お気持フェミ自分のお気持の裏付けとして使用していますそもそも関係ありませんし用法も間違っています」というならわかる。フェミニズムと深い関連があるなら批判に耐えるだけの論拠が欲しい

耐える以前の問題批判側が雑すぎてマトモに相手してやる価値もないというだけの話なんですが.社会構築主義批判するなとはもちろん言わないけど,批判の質が悪ければ歯牙にもかけないよ.当たり前でしょ.

というかそもそも社会構築主義の是非と一部のお気持ちフェミ表現規制要求の是非って無関係だし.勝手にその2つを結びつけたのはアンチフェミの側.一部のお気持ちフェミには自由主義とか哲学とかのツールを使って対抗すればいい話で,社会構築主義を疑う必然性はどこにもないし,疑うっていうなら俺の立場表現規制反対派のオタクから文系研究者に変わりますよというだけの話.文系研究者としては雑なアンチフェミ議論なんて支持できるわけないでしょ.一介の市民としてなら喜んで性的解放とか表現の自由とかを叫ぶけどさ.

本来ならそこは互いに削り合ってこそ信頼性担保されるはずなのにおフェミさん達は互いにお手々つないで仲良しするからこうなの。社会構築主義信頼性担保たかったらおフェミがそれを乱用するのをたしなめろよ

マジで社会構築主義フェミニズムあいだでしか通用しない概念だと思ってんの? 馬鹿じゃないの? もう何度でも言うけど本当に馬鹿じゃないの?

文系学問について無知なのは別に悪いことじゃないけど無知なのにこんな勘違いしたままでドヤ顔で物申すのは馬鹿恥知らずだと思う.勉強しろよ.

社会構築主義ポスター批判からかにあんまり出てなかったけどいなかったかといえば居たような…。「表象」とかゆってた人はソレとは違うの?教えてください!

表象の話は『世界5月号に載ってた小宮さんのやつかな? あれは社会構築主義とはあんまり関係なくない? いやもちろん関係ないということはないんだけど,小宮さんが言ってるのは表象女性差別問題だよね.

実のところ社会構築主義ってマジで社会について分析する上でのベースとなる考え方だから社会構築主義が滲み出てくるのはある程度仕方ないところはあるんだけど,anond:20191104014500でも書いたように社会構築主義の是非以前の問題だなと思うことはあるんだよね.ジェンダーは(というかセックスも)社会的構築物だけど,それは議論の前提であって,じゃあその上でどの程度の女性表象を許容すべきかみたいなそういう話は倫理とか哲学とか思想とかの領分じゃないですか.そこに社会構築主義はどうなんだみたいな話を持ってくるの不毛すぎない? ロールズとかの話しません?

ちなみに私は小宮さんの主張には反対するんだけど『世界掲載論文の注10(236ページ)には同意する.みんなもっと本質的な話しよ.「そもそも男性だって公共空間性的消費されてるんだから架空女性が多少公共空間性的消費されてたって別にいいじゃないですか」「性的自由の拡大が目指されるべきであって表象を制約しようとするのはおかしいでしょ」「医療のための広告には高い倫理性が求められるのだとしても,人気マンガの多少えっちイラストを使った広告すら問題とされるのはおかしい.それは医療のための広告に求められる倫理範疇に収まるはずだ」みたいな話しよ.

……この規制反対増田を多数の「お気持ち棍棒」で殴り倒して口封じし「パワフル表現規制」した方が、学問論破するより遙かにコストって事は確実そう。だから規制派は扇動するのか。なるほど、俺でもそうするな。

それは過大評価ですよ.私はフェミニズム学問反論を加えているのではなく,フェミニストの一般社会に対する主張の一部に対して一人の市民として反対しているだけだもの.私は知の体系としてのフェミニズムにはちっとも触れていないので学者としてフェミニストに勝つことはできません.それはジェンダー研究の偉い先生が私の専門分野で私に勝てないのと同じ.

気持ちはわかる。が、賛成批判両側ともに多数の人間がいる以上、雑でなんも考えてない意見は出るだろうし、そういう意見は大体過激ツッコミ所が多いから目立つんだよねえ。正直、どうしようもない気がする。

フェミニストのお気持ち趣味を殴られるのもオタクお気持ち仕事を殴られるのも正直疲れ果てたというお気持ちがあるけど,でも流石に今回は献血ポスターが叩かれたということで全血献血15回以上行ってるワイもちょっとプチッと来たよね.これまでは割とフェミの言い分もわからなくもないという感じだったけどキズナアイバッシング献血ポスターバッシングで「こいつらの主張は基本聞く必要ないな」くらいにまで変わった.メチャクチャすぎるものこの2件.でもこの2件でオタク界隈に吹き荒れた文系バッシングの嵐も忘れてないからね.キズナアイバッシング献血ポスターバッシングを主導したフェミ社会学叩きや文系バッシングを煽ったオタクはどちらも僕の中では絶許という扱いです.あとpixiv論文事件での学問きのことも忘れてないぞ……(しつこい)

まあフェミことなんて無視して表現の自由満喫してオタクことなんて気にせず学問自由謳歌すべきなんだろーけども,オタクであることも学者であることも私の重要な一部なので,そう簡単に忘れることはできないんだよなー.

あー、キズナアイの時と同じ人か。私の感想としては当時のこちら(https://anond.hatelabo.jp/20181010204115)の増田とほぼ同じです。ていうか、学問重要さを訴えたいなら匿名じゃない場所でやったほうが効果的でしょうに。

ネット上の有象無象学問disってるときになんで納税者様への説明責任みたいな話になるのか理解できんわ.科研費報告書とかはちゃんと出してます論文も書いてます納税者様への責任はそれで果たしてるはず.はてブ民とか棘の米欄住人とかに丁寧に説明して差し上げる義理はどこにもないよね.

というかそういうこと言うなら同じ口で二度と民主党政権事業仕分け批判しないでほしいんだが……

匿名じゃない場所でやれ? 嫌です.自分の専門分野を誠実にさらけ出して物申した先生方がいたけど,どうなったかといえば物知らずの連中が学問分野ごと燃やしに来ただけでしょ.私は私の専門分野に無知思い込みケチをつけてくる連中を招き入れるつもりはありません.

内容はともかく、学部じゃなくて専攻なら社会学専攻は都内の大抵の大学には置いてあるぞ?

あのさ,それは何一つ否定してないじゃん? 法学部文学部と並んで社会学部って書くのはおかしいよねって話じゃん? 誰も社会学専攻は置いてないなんて言ってないじゃん? 学部名前学問分野の名称は往々にして乖離するもので,そんな肌感覚もなしに批判してるのかよって話じゃん?

ただ関西の方だと有名な私大には社会学部を設置しているところが多いので,関西の有名私大を出た人だと社会学部があるのは当たり前って思っちゃうかもしれない.関東大学でも,例のキズナアイバッシング急先鋒だったセンセの勤務先は社会学部だしね.けど繰り返すように全国的には社会学部を設置してる大学は少数派です.

社会学部」と「社会学専攻」を混ぜて論じてよいと思っている人につける薬はありません.文学文学部法学法学部区別できないってことでしょ?

ツイッターで異常に社会学者が目立つのは何故なのか

歴史学者や政治学者文学研究者もヒウィッヒヒーには生息して色々発言しているわけだけど,社会学者への偏見があるから社会学者が目立っているように見えるだけでは???

「すぐ打ち切る」のは悪なのか?

この前、「すぐ打ち切る出版社はクソ。作品を想うならもっと続けてから判断しろ」というような意見ツイッターで見かけた。

流行りのWEB小説書籍化という流れで、1巻の売上が芳しくなく続刊が打ち切られたパターンだったと記憶している。

別に打ち切り作家八つ当たりはよくある話なのだが、俺が暇なので分析する。ブログでやってもいいんだけど、割とテキトーからここでいいや。あとなげーし。


なお、打ち切りにも数種類の理由があるが……作家女子高生に手を出したとか、レ〇プ描写で連載が続けられなくなったとか、そういうのは排除

「売れなかったか打ち切り」という場合についてだけピックアップする。

あと、ジャンプみたいに「人気がないと打ち切り」ってのも除外。アンケ至上主義は実は特殊で、ほとんどの出版社は売上で打ち切るか判断している。

人気があるから売れるというナイーブな考えは捨てろ。最近ジャンプですら懐疑的になってきたのがアンケ至上主義ってやつだ。

さてさて、「すぐに打ち切る」というものは悪なのか、という問題だ。ここからは真面目に書く。

仮に悪だったとして、打ち切りは、「誰に対する悪なのか」という部分を考える。

まず、「出版社にとって悪」かというとYESでありNOだ。

会社員作品を打ち切っても給料が出る、直接的に生活に響くわけではない。不公平だ」という論法をよく聞く。

これはかなり偏った見方だ。まるで出版社冷血な売上主義者で、作家を駒のようにしか考えていなくて、創作者を鵜飼いの鵜に過ぎないと小馬鹿にしているようにすら聞こえる。

だが仮にそうだとしても、だ。打ち切り出版社にとっても手痛い。

ある程度売れる見込みがあったからわざわざ編集作家コミュニケーションを取り、内容を読み、校正部によって校正がなされ、デザイナーパッケージを作り、印刷所が刷り、取次が配本し、書店が売るのだ。

電子書籍だって手軽に見えて、コストとしてはかなりのものだ。

そんな初期投資が「売れなかった」という理由で全部おじゃんになるのだから、当然「打ち切り」とは即ち「損」となる。

よって、冷血なる出版社様にとって打ち切りは悪だ。「損」は「企業」にとっての絶対悪からだ。

だが悪ではない面もある。

初期投資が回収できなかったとしても、売れない作品を続けて赤字を垂れ流すよりはずっとマシだからだ。

作品を打ち切れる自由」は出版社側に担保されているべきものだ。

多用なジャンルの本を作るのも、出版物を多くだすのも、返本制度を利用するのも、立派なリスクヘッジだ。

打ち切り可能」というのも、そのリスクヘッジ重要一角である

あらゆる点で、出版社というのは「作品が売れない」ことでダメージが受けないように工夫をしているのである。そうじゃなかったら怖くて誰も本なんか出せない。

「多くの作品が売れないのは問題だが、1本の作品が売れなかった程度で揺らぐ」ということはない。それを支えているのは「打ち切り」だ。

「売れない作品を、作家がNOと言えばコストを支払ってでも続けなければならない」という慣習が基本的にないことは、実はものすごく健全ことなのだ。

付記:上の文章作品を完全に商品としてとらえていて、作品に対しての情や尊敬が全くないように見えるが、

そもそも「情」や「尊敬」なんてのはあるのが前提のもので、「特定作品特別好き」でなければ仕事をしない編集など出版人失格だということは抑えておいてほしい。

面白いと思ったか出版するのだ。売れると思ったか出版するのだ。社会人として可能な限りの努力をした上で売れなかったから、打ち切るのだ。

まあ純粋クズもいるけど。人間からね。

次に「打ち切り」が「読者に対する悪」かというとNOだ。

何故なら売れていない作品というのは、それを商品として欲しがる人間が少ないということ。

だったらその作品を続ける労力を売れる作品=読者が欲しい作品に回した方が多くの人を幸せにできる。

かに好みの作品が打ち切られてしまうのは悲しい。

正直、続きが見たかった作品が打ち切られたら出版社を恨む。キャラクター達の行く末をずっと見ていたかったのに!と怒り狂う。

だが、そこはその分の労力を作家編集も「よりレベルの高い好みの作品」を提供するための準備であると割り切るのが互いにとって一番いいと思う。

とはいえ権利だけ抑えてWEBから作品削除させて続き打ち切るようなのはマジ許せんがな!うおお!

ここを書きだすと原稿用紙100枚くらいになるからやめることにする。

さて。最後に、「作家に対する悪」なのか。これが本題だ。

実はこれ、明確にNOと言いたい。

暖かい理由と、冷たい理由がある。

冷たい言葉から言う。

「売れないものしか作れないのに人生を浪費するな」という言葉だ。

実は本が売れないと、作家生活できないのだ。「知っとるわ」と言われるかもしれない。

だが、原稿料は、安い。本当に安い。原稿料だけでは食っていけない。

なろうのようなWEB小説をまとめて単行本化するものに関しては、そもそも原稿料というものすらない。

からこそ印税がある。印税があるから作家は食っていける。いや、大体の作家が食っていけない。だから兼業だったりバイトをしていたりする。

根本的に、

出版社が採算のとれる売上<作家の食っていける売上

なのだ。実は、金額という意味だと作家出版社の最低目標釣り合っていない。

初版2万部の本を1000円で刷るとする。これ、今の大抵の出版社にとっては悪くない話である全然採算がとれる。(初歩の話をすると、出版は「刷った段階で」、その分の「刷った部数だけ」売上と印税出版社作家に発生する)

だが、作家はそうも言えない。印税10%だとして、200万円しか収入がないことになる。(かなり単純な計算だが論点がズレるのでカットする。そもそもみんな10印税もらえてるんですかね……)

からこそ作家業というのは割に合わない。ものすごく残酷なことを言うと、打ち切りレベル作家、そして打ち切りラインとまではいかないまでも、

なんとか食らいついていけるレベル作家は、早めに諦めた方が人生有益にする可能性が高い。価値観は人それぞれだが……

暖かい言葉は、「次の執筆のために早めに損切ができたね」という言葉だ。

実はダラダラ続けた場合の方が、作家にとってダメージデカいのだ。

大きな前提がある。

『ありとあらゆる作品は、同じタイトルである限り1巻が一番売れる』

これは絶対だ。例外はない。あったとしても、マジで例外中の例外サンプルにするべきではない。

作品の売上は、どんなに売れる作品でも絶対に1巻を先に逓減していく。

から「1巻2巻が全然売れなくても、打ち切らないでくれ。続ければ売れるかもしれないだろ」という話は、まず破綻している。

もちろん、例えば続けているうちに時事ネタと噛み合ったとか、SNSでバズったとか、そういう意味で続けている途中で「1巻から」売れることはある。

だが、そんな「続けているうちに売れた」とか言える程度の時間が確保できている時点で、速攻打ち切られる作品よりずっと多くの売上は叩きだしていたということは覚えておいてほしい。

要するに、「続けたら売れる可能性がある」なんてのは初めから全ての作品の前提に入っていて、その上で見込みなしだという最低ラインを割ったと判断されたから打ち切るのだ。

加える。

初版を決める上で重要なのは出版社ではなく数字しか判断材料にしない取次」

「取次と出版社はほぼ全ての出版社の出す本の売上を共有している」

これは、まあ最近は知れ渡っている話なので別に細かく説明することはないだろう。

だが、もう一つの事実がある。それは「取次は最新刊データを元に交渉をする」ということである

上の二つを組み合わせて、「最初の方売れなかったけど打ち切らず続けた場合」どうなるか、ということを考えてみる。


『2万部の本を刷った。だが20しか売れなかった。よって取次と出版社会議の結果、2巻は刷り部数を減らし6000部で出すことにした。

2巻、6000部のうち10しか売れなかった。しかし、打ち切らずに3巻は3000部で出すことにした。

3000部のうち、8%しか売れなかった。しかし、打ち切らずに4巻を出すことにした。部数は1000部……3%しか売れなかった』


上の流れを経た後、例えば別の出版社企画をやろうとするとしよう。すると、取次的に見るデータはこうなる。


1000部刷って、売上率は3%』


散々な数字だ。ちなみに上の数字はかなり極端に書いている。1000部の本とか紙代や印刷代すらペイできないから、まず刷ることはないし、%もかなり適当だ。

さて、話は戻るが売上率というのは、刷り部数が少ないと減るのだ。

書店そもそも並ばないのだから露出も減るためである

上の事例を経た作家が次の作品を出す、となった時起こる事態はこうだ。

出版社的にも、次の作品を出すとき企画立案する時、「でも1000部刷って3%の売上しか出てないけど今度は売れるの?」という追求を躱さなければならない』

『そして、取次はもっとシビアに、最新の数字だけを見て、そもそも初版を刷ることを許してくれない』


長くなったが、要するに「残念な数字を残すくらいなら傷が浅いうちに撤退した方が次に繋がる」構造なのだ

よって、「早めの打ち切り判断」は実は作家のためでもある。


おっと、賢明な人なら気づくだろう。「でもそれって電子書籍版の売上が入らないよね?」と。

説明すると長くなるから、この場では結論だけ書く。

「8割方、電子版の売上は打ち切り判断プラス材料にならない。何故ならほとんどの出版社には、各ストアの電子売上を合算しデータとして参照できる能力がないから」

これは怠慢というよりも、現状の電子書籍ストアと出版社の、さらに言うなら業界全体のシステマチック問題で、解決するには多大なコストがかかる。言いたいことはあるだろうが、すぐには是正できなさそうだ。


長文になってしまったが、「打ち切り」には多くの事情が絡んでいることが分かったと思う。

打ち切り」そのものは、残念なものだ。できれば、そうならないでほしい。

出版社努力不足、作家努力不足、書店努力不足。言い始めたらキリがない。

でも、過去に打ち切られた作品ケアよりも、未来を見据えて新しい作品を創る方が、現環境には見合っているように思える。

作品にとっては悲しいことだが、逆に言うと売れない作品キャラクターと話に縋らないといけないのなら、それは商業作家ではない。残酷ながら。

書きたいものだけ書いていたいなら、同人誌でやるなり、それこそなろうにでも再び投稿して、自分を満たしていけばいいと考えている。

(本当、権利だけ持っていくのやめてほしいんだけどね)




長々と雑に書いちまったけど俺の持論は、「打ち切りは悪ではない」だ。おっぱい

2019-10-31

身の丈

身の丈にあった生き方をする、これは格言的であり、立派なように思えるが、文科大臣発言への反応を見るに、教育ということになれば話は違うようである

私はどのような生き方にも価値があるように思えるし、人生のどのような瞬間にもある種の価値を認めたい。しかし、この考えが危険なのはアフリカで今まさに死んでいく子供生命をも肯定してしまう点である。そして、それは自明に間違っており、ここに私の思考矛盾する。

この矛盾社会個人を丸々包摂できないことを原因とする。どのような人生でもその一瞬一瞬意味があるが、主観を離れた社会的な観点から見れば、社会を成立させるために無意味であると捨象しなければいけない要素になってしまう瞬間もあるのだ。

最近まどかマギカを見たのでそれに照らし合わせてみる。キュゥべえ視聴者から毛嫌いされているらしく、それは地球少女をこの宇宙というプラットフォームを維持するための捨て駒としてしか見ていないかである

私たちアフリカの子供の存在社会問題だと考えることは同様の構造に当てはめられる気がする。アフリカの子供が死んでいくのを肯定でいないのは、社会根底人権という概念が支えているからだ。アフリカの子供はそんな概念存在しないことをあからさまにし、私たち社会に対する疑念を抱く。いや、抱くべきなのだが、社会という存在なしに生きられない私たち社会ではなく、アフリカの子供達の存在に疑問を抱く。果たしてそんな命あっていいのか、いいはずがない、と。

アフリカまどマギがどう一致するのか。まず、結果において、まどマギでは少女は消費させるが、アフリカ場合には救われつつある。一見相反するようにも見えるがそれはyes/no、on/offのどちらかということであって構造は一致している。魔法少女が消費されてしまうのは、宇宙という社会のためであり、キュゥべえ少女を消費することを躊躇わないのは少女主観に重きを置かないかである。そして、アフリカの子供が救われるのは、ひょっとすれば当人のためというよりは我々の社会のためであり、子供を救うことが完全に肯定されるということは、子供主観人生否定することである

果たして上記文章構造が一致していると説明できているかも、果たして本当に一致しているのかも不明であるが、ここで一つ加えておきたいのは、アフリカの子供の命を救うことはその子本来主観的生を否定している、故に子供を救うのはやめろと言いたいのではないし、私の主観ではそのような活動は勇ましいものであると思う。最近netflixで公開されたビルゲイツ映像面白かった。今年のノーベル経済学賞もそんな感じだったしね。

話をアフリカから比較平和日本に移すと、私たち生活には当たり前に人権が備わっている。まあ虐待されている子供や、台風でも避難所に入れてくれないホームレス存在はあるが、アフリカとの比較対象ではないだろう。そしてその人権は、政府私たち生存させ教育を施すことを要求するわけだが、果たしてそれはどの程度が妥当なのだろうか。

アフリカに関しては上記のように、子供を救うことはその子供の主観人生を損なわせるものだと私は主張した。社会というものが守られるべきものであるとすれば、個人主観を損なうことは、少なくとも生命を維持するというレベルでは非難されるべきことではない。しかし、それを推し進めていった人権私たちにとって幸せなのだろうか。

人権担保する領域が増えるに従って、我々は主観的な存在領域社会的な存在に明け渡す。人権肥大化極値に達せば人は単なる社会歯車であり、キュゥべえ非難されたように、おそらくこれも望ましくはない。

人権肥大化させる仮説もアフリカの例も極端である。前者は極端に社会的であり、後者は極端に主観である

落合陽一が何かで、プラットフォーム個人より優先されるということを言っていた気がする。これはキュゥべえ発言である。この発言肯定できるか否かは、各人が、その存在社会的な領域主観的な領域にどのような割合で分割しているかによるのではないだろうか。

疑問は、私たちはどれほど主観的で、どれほど社会的であればいいのだろうか。

2019-10-30

anond:20191030110230

>実際リブラも価値担保方法として他の仮想通貨に頼る方式採用しようとしてる訳だし。

はじめて聞いた。債権とかで運用するって話はみたけど。

anond:20191030105931

普通に自国運用する仮想通貨作る際にビットコインを基軸とした貨幣作るわ~」とか発想したって事だろ。実際リブラも価値担保方法として他の仮想通貨に頼る方式採用しようとしてる訳だし。

2019-10-27

anond:20191027080534

100万円現金があるから担保にしてもう100万借りてビジネスするのが金持ち

ユニクロで服買ったりパチンコするために1万借りるのが貧民

2019-10-25

フェミニストミュンヒハウゼン症候群一種に分類するべき

https://ja.wikipedia.org/wiki/ミュンヒハウゼン症候群

患者病気創作もしくは既に罹患している病気をことさら重症であるように誇張し、通院や入院を繰り返す。一つの病気問題解決したり、虚偽が見破られたり、小康状態に陥ると新たな病気を作り出す。重篤患者と見せかけるために自傷行為検査検体のすり替え偽装工作などを繰り返し行うことがある。

患者怪我病気という口実を利用して周囲の人間関係操作することを目的にして、同情をかったり、懸命に病気と闘っている姿をことさらアピールする。また、病気のものに関わる関わらないに関係なく独特の世界を作り上げるエピソード創作する虚言癖を伴うことが多い。患者エピソードによる病歴は多彩であり、多種多様な既往歴を話すことが多い。ただしそのエピソードや時期に関しては曖昧なことが多く、時期や内容も話す相手によって異なることが多い。

 ミュンヒハウゼン症候群詐病重症版なので、厳密にいうと違う。しかし、現代において「病気」というのはADHDASDのように弱者属性の一つとして認識されており、そこにフェミニズムを代入することは可能である

留意してほしいのは、ミュンヒハウゼン症候群は実際に病気を持っていた場合でも、そこに誇張や嘘が含まれていると診断される場合があることである

患者=フェミニスト被害者 病=女性差別 

代入してみる。

フェミニスト女性差別創作もしくは既に罹患している女性差別をことさら重症であるように誇張し、通院や入院を繰り返す。一つの女性差別問題解決したり、虚偽が見破られたり、小康状態に陥ると新たな女性差別を作り出す。重篤被害者と見せかけるために自傷行為検査検体のすり替え偽装工作などを繰り返し行うことがある。

フェミニスト怪我病気という口実を利用して周囲の人間関係操作することを目的にして、同情をかったり、懸命に女性差別と闘っている姿をことさらアピールする。また、女性差別のものに関わる関わらないに関係なく独特の世界を作り上げるエピソード創作する虚言癖を伴うことが多い。フェミニストエピソードによる女性差別は多彩であり、多種多様な既往歴を話すことが多い。ただしそのエピソードや時期に関しては曖昧なことが多く、時期や内容も話す相手によって異なることが多い。

こうすることで、具体的なエピソードが思い浮かぶだろう。代表的なのは、「子宮検索事件である

そのフェミニストはある日、「子宮検索するとエロ画像ばかり出てくる」とツイートした=誇張。そして仲間内から同情をもらうよう求めた。

しかしその虚偽が見破られ、「子宮 エロ」でセーフサーチを外さないといけない事、つまり虚偽が発覚した=偽装工作

しかし発覚後は開き直り、それは当たり前だろと言う=内容も話す相手によって異なることが多い

そしてまた新しく次々と差別ネタ投稿している。

「実際に女性被害に遭ってる」という反論をする人も居るかもしれない。

しかに、セクハラ被害、性被害を受ける人は実際に居るが、それは男女共にそうであり女性だけに限定されるものではないし、両方社会の協力の元解決される問題だ。

仮に二項対立で比べるのならば、現状男性女性を比べると、女性の方が男性より幸福であり、一方責任その他の多くが男性押し付けられていて、

フェミニスト一方的被害者意識というのは統計的には実証されていない。現状労働環境が整ってないと言われているのに、その労働に多くの男性従事していることを社会進出していると呼ばれていても、

現状は地雷原を裸で歩かされているにすぎないのである女性被害に遭っている事は、フェミニストの正しさを実証するものにはならない。

フェミニスト発言の多くが攻撃的で、合理的で無く、論理的担保を持っていない。現状に即してないものである

そればかりか、上記のような虚言、ダブルスタンダードが多くみられ、反応も病的である

フェミニスト思考病気であることを認識し、まずはその合理性論理性、統計的な正しさを検証対処していく事が大切であり、

フェミニスト自身自身の過ちに気づき精神科受診し適切なカウンセリングを受けるべきだと考える。

2019-10-24

音感障害者への差別をなくしましょう!

学校教育合唱などの授業により、長らく音感障害者差別されてきました。

音感障害者音感需要音感表現が人より劣っているだけで、知能に問題がある訳ではありません。

またその症状も、リズム喪失音程喪失・音量喪失などいくつかの分野に分かれ、症状もスペクトラムを描きます

劣悪な学校での音楽の授業のせいで、いわれない音感障害者へのからかいいじめが後を絶ちません。

2076年4月の「改正 音感に関する法律」の施行以降、音感障害者への配慮により学校教育の場では音楽の授業を個別化してきました。

すなわち、児童生徒は席で個別に声を出し、合唱の際には匿名性を担保するよう学校教育改正がなされました。

こうした政策が進展する中で、音感障害者への差別意識は低減され、かつまた「音痴」(あるいはその表記変えの「音ち」)という差別用語もマスコミでの表現規制により用いる人が少なくなってきています

こうした社会的動向があるなかで、一方では年配者を中心に音感障害者への根強い差別が残っています

例えばカラオケボックスを利用する際に、マイクに内蔵された音程調節機能を装備せず、歌の巧拙をことさらに競う風潮は、年配者の中に多く残っています

カラオケボックス音程調節機能ポスター表示が義務付けられてから8年が経過し、また音感プライバシー法が制定されてから14年が経過しています

理解のない、歌のうまさを競うような旧世代の人々により、差別は未だ消えません。

歌のうまい者もそうでない者も平等です。等しく世界に生まれてきた者です。

歌が下手な障害者を論う事は絶対にしてはいけません。

2019-10-20

anond:20191020205604

から「住所」っていうのは一定安全を得るための担保でもあるんだよな・・・

anond:20191020113905

政策金融公庫って頭金が無いと1000万円借りれないはずと考えていたけれど、そうか100万円あるなら現金担保銀行から100万円借りれるのか

一瞬で金増やしていっていて、こういうのがノウハウなんだろうなぁ

anond:20191020112902

先ずは現金担保で100万円を担保銀行から100万円借りる

これで資金は残金200万円

1円起業政策金融公庫から1000万円借りる

これで残金1199万9999円

役員報酬で月間収入100万円を超える跡取りの居ない鉄工所などの小さな企業を1000万円で買収する

これで残金199万9999円

役員報酬で100万円を銀行へ返済する

これで残金99万9999円

達成

2019-10-19

アニメ「ぬるぺた」で物理数学

アニメ見てたら3話で物理数学ネタが出てきてすごく嬉しい。

ぬるぺたにはこの調子ディープネタを続けてほしい



唐突位相幾何ネタNewtonを読んでイキる大学1年生には鉄板ネタだよね。

2019-10-18

anond:20191018231431

> 各個人の行動分析データ

というのが何によって価値担保されているのかというのに興味があって、お金を払ってくれる消費者(と予想される)のではないかと。

機械学習トレーニングデータ必要からというのも、最終的には利益につながる、つまりお金を払ってくれる消費者いるからで。

2019-10-17

anond:20191016151558

評価軸を「献血」側だけに置くことは、議論客観性放棄することになりませんか。政治的には(要するに相手を〈ぶん殴り〉たいだけならば)そのやり方は正解かもしれませんが、議論をする上では間違いだと思います

批判者に同調する訳では無いけれど、彼らはそもそも性的メッセージ社会にあふれ許容させる世論作り」の一貫である、としてアレを批判しているわけで、しかもそれを個人の店でおっさんがやってるのではなく(それでも一定公益性があれば彼らは批判するでしょうが)ある程度公共性のある団体が加担していることに厳しい目を向けているわけでしょう。その評価軸、つまり(彼らの思う)「自由公共」性がより担保されるか/毀損されるか、という点を無視した議論は、議論としての有効性を欠くと思います


自身で「宗教」と断言(自虐?)しておられるのですから、いいんだよそこは政治性なんだよオレは議論なんてしてねーんだよ、ということなのかもしれませんが、それなりに分析的な文章で、対話を目指して書いておられると感じたので一応。

なお、個人的には、「批判者の言うことも分かるが、方法論としてこのような『片端から噛みつく』というやり方は、主張としても不親切だし啓蒙手法としても成功しておらず、むしろ社会の分断と対立を深めるという観点で『私の思う公共性』を毀損している」と思っています。彼らは、分断と対立を深めるなかから新しい社会誕生するという運動論に基づいて、むしろ確信犯的にそれを行っているつもりかもしれませんが、それって単なる腕力勝負だと思うんですよね。つまり「殴り合って勝った方の言うこと聞けや」ってことです。そりゃ短期的にはそれで一定の陣を得られるかもしれませんが、それで長期的に問題が片付くのかというと疑問ですし(バックラッシュなど)、あらゆる考えや立場の人が自ら発信できる社会ではそういう、ダイナミックに物事が変わることはもはや期待できないと思っています批判者のやっているこのようなやり方もまた、仲間内に向けたある種の〈政治〉的行為だと言っては言い過ぎでしょうか。

私はそれよりも、次代のスタンダードを作るのに必要なのは上野さんやその世代の人々がやってきたセンセーションではなく、あるいは誤解をおそれずに言えば"MeToo"のような魔女狩りでもなく、もっと落ち着いた対話理解を行う姿勢であり、抑制の効いたオープン議論だと思います。その意味で、批判者の現在のやり方は不適切だと思いますし、可能であれば、〈殴りかかられた〉側にも、あえて冷静な対応議論姿勢を求めたいと思います

最後一言。「『ネタマジレス』は増田の華」。

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