はてなキーワード: 担保とは
そーだよなw
割と一家言ある年配なのか、追記がされる毎に感情が波立ったり深掘りされたりしているので若干の感心と敬意は覚えつつローバシンめいた言及を。
いや若いつもりんだけどな、この人よか俺。ww
一部が細かな言葉遣いで揉めてきたweb史のある側面とかまとまってたりするといいんだけど、たぶんそーいうのはない。(吾妻ひでお氏の御冥福をお祈りします)
天下国家を憂う、も有難いんですがね?
結局、中央集権を排してきたwebで誰が"言葉"を決めるのかって話が最終的にありまして。…ええ。
んで、文芸周辺や批評近辺なんかが「我々こそ主導すべき」でこれをやると、必ず炎上するんッスよ。
従って先達の言葉を引くと、出版やそれに伴う公言が一部の人間の物だった時代に“溢れたニンゲン”の怨嗟を買いますのでどうか御注意をば。
加えて貴方が"そちらのニンゲン"だった場合、売名の誹りと商行為に対する反発を伴い、相互に責任を追及しない事で発言の自由が担保されてきた"ユルい"市井の共感も失うでしょう。
更には漢書を以て説けばご時世から「何が愛国か」のツッコミも入り、貴方の知識とその積み重ねが深ければ深いほどにご自身の拠り所を失う危険もございます。
ですんでまぁその辺りを加味して頂いて、よっぽど上手くやんないと煙たがられて「ナンにもいーことねぇじゃんw」ってなっちゃいますよ? って。
ええ…。思うんスけどね? 自分は。
まその辺りをクリアしてカジュアルな言葉で啓蒙して貰うと割と面白い話になるかなぁーって期待してたりもするんで、見てたらここにアドレス貼って下さいね。(笑)
言及とか追記とかどんどんしちゃうのって昔の(一部の)文人の美学とそぐわないっしょ?
煮詰まって苦労すればするほどに「何故解らんのだ?!」ってなりがちだし、喋り言葉と書き言葉の他にネット言葉みたいのがあったっていーじゃん、とかも思うんだけどさ。
http://lty.hatenablog.com/entry/2020/02/02/223200
一部ブコメに言いたいのは「作者が変わらないと言っている」イコール「だから変わってないことを担保する」ではないということ
この場合ありうるのは「本当に変わってない」か「作者自身も違いがわかってない」のどちらかだ
そして私は後者だと思っている
ぜひ2枚の画像を横に並べて見比べてほしい
いいか、まず、第一弾のポスターを見たときの"オタクでもフェミでもない人"の第一印象を想像できるか?
ここでは細かい定義は後回しだ、要はネットの議論に参加してない、そのへんの、大多数の人、ということだ
正解は
だ
普通は なんかおっぱいがデカい知らないアニメキャラ と認識するだろう
オタク以外の人間がアニメの女の子のキャラを見たとき、それがジブリやディズニー以外の絵柄だったとき、かなりの割合で「キモい」と感じる人がいる
そこには「(気持ち悪い)アニメオタクが見るような絵だから」が含まれる
ましてや宇崎ちゃんのような巨乳のイラストだと、さらにキモい度があがる
では第一弾のポスターを印刷してお母さんお父さんや学校・会社のオタクではない人に見せてみよう
どんな反応するか想像できないか?かわいいね~って言うと思うか?
まず「画面を占める乳の面積」が全然違う
位置も違う 見せ方も違う
第二弾は「萌キャラドーン!」「おっぱいドーン!」が相当緩和されている
ゼロになったのではない、緩和されていると言っている
この「緩和された」のが「わからない」とか「ゼロになってないから何も変わってないのと同じ」と思ってる人たち、本気なのか????
漫画がある
だ
それから1コマ目を見て「なんかおっぱいがデカい知らないアニメキャラがいる」だ
(悪い意味の)インパクト、不快感、「ウッとなる感じ」、が相当に薄れている
「どっちも気持ち悪い」という人はまだわかる、だが気持ち悪さが緩和されているのは間違いないだろう
これを「変わってない」と思うならもう何を見ても不快だと思うのでしょうがないですね
「どっちも問題ない」「どっちも悪くない」という人は、ちょっと世間と感覚が乖離しすぎている
大きな違いはこれだけ
なんかおっぱいがデカい知らないアニメキャラが、画面全体にドーンと位置するか、漫画のコマの中に登場人物として配置されているか、これだけ
「印象」が全然違うよね?
他のことは何も論じてないし論じる気もないからね、いくら説明されても「変わってない」を連呼する人たちに「変わってるだろ」と言いたいだけだからね
第一弾と第二弾は「変わった」し、不快に思う人も減った、それはなぜかというと、巨乳のキャラが中央ドーンだったのが漫画のコマの登場人物として小さく配置されるようになったから、です
製造業なんて古いのは諦めて、これからはソフトウエアやサービスに変わるんだという話はずっとされている。
GoogleやAmazonやFacebookを例に、これからはこの方向だ、と理由付けされる。
とはいうものの、差別化を支えているのは真似ができないほどのサーバーなどのハード資産を持っているからだ。
通常の工場の生産設備と毛色が違うのは、汎用性があってラインを組み替えるよりも容易に転用ができる点だ。
中で流すものも食品や機械とは異なり、データなので高速だ。ラインを極限まで早くしたのがサーバー群と言える。
海外から買ってきて、自分達で作っているわけではないのでノウハウの蓄積もなく産業育成にも失敗した。
サービスの時代だと言われるが外貨を稼げるくらい差別化ができたサービスがあるかと言われると疑問がある。
地方のパチンコや娯楽に流れていたお金が、スマフォと通信によって東京に流れていって、まだ東京はマシだが全体で見れば徐々に衰退していっている。
地方交付税交付金で一時的に地方に戻しているが、地方が頑張ろうとすると東京の企業に流れ込む構造で変わらない。
物流よりもデータの方が速く、これからはデータが価値を生むと分析結果を出し、じゃあサービスだとと言いたくなるのもわかる。
とはいえ、お金が誰かの借金とその返済能力で支えられているのを遡れば、資源と誰かの労働だ。
製造業を諦めるということは、そのうち資源というカードを捨てるということになる。
金本位制じゃないんだから国がいくらでも金を刷って支えればいいというのも、誰かの返済能力が担保なのだから労働だけで支えられるのか。
「書く/消す」を広範囲で「低コスト/簡便/安定」で行えるツールとして黒板は優秀。また、あのサイズにすることで、動作を交えて「指示する」働きもある。40人程度の人間に授業を行うツールとしては群を抜いて優れている。
プリントは「提示する」ことしかできなくて、「消す」「指示する」ができない。それに印刷機が使えないと途端に詰む。
タブレットはそもそも低コストではないし、エラートラブル、機器・電気代を考えると簡易性、安定性で黒板には遙かに劣る。また、地味に響くのは「同じものをみんなが見ている」という状況を担保できないことだ。タブレットはそもそも個人的なツールなのである。
ホワイトボードは悪くはないし白地に黒で視認性もよいが、マーカーが地味に高コストである。
黒地に白の黒板は、同程度の視認性を担保でき、共同性をもち、低コスト/簡便/安定なツールとして、やはり替わる者がない。「黒板自体は安くない」という声もあるかもしれないが、耐用年数はかるく30年に及ぶ。
また、万一黒板のない状況に陥ったら、極論地べたを「黒板」として使用してもいいわけだ。つまり黒板を用いた授業スキルを身に付ければ、おおむねいかなる状況でも授業ができる。たとえば大震災直後とかであっても。
ただし、黒板には以下の課題もある。
・「書く」という時間が掛かる。
・粉が飛び散る(少し良いチョークを買えばかなりマシではある)
・運用コストとして黒板消し、黒板消しクリーナー(及び電力)が必要。ただし、黒板消しをパンパンしてよければ、クリーナーは不要。
・「黒板を消す」「黒板消しを綺麗にする」など、運用上、生徒という無償の労働力を使うことが前提となっている。
以上を踏まえて、今後は、黒板の利点を生かしつつ、他の道具も適切に活用することが求められるだろう。(たとえばプリントと同じように「提示」にしか使用しない、大量のデータや内容を示す必要がある、といった場合はプリントを使用する。大量のデータを記録させ後で見返してレポート制作をさせる、といった場合はタブレットに資料配付する、など。)
多様性というのは「現実にそこにある以上、認めるしかないもの」でしかない。
功罪共にあったとしても、その流れを断ち切ることは不可能なんだから、それに合わせて社会を変えていくしかないって話。
それは共産主義が失敗したことと本質的に同じ。「人類の活動」という自然現象を、少数が政治でコントロールするなんて無理だということ。
LGBTを認めようが認めまいが、当事者たちは現実にそこにいる。
「人権は守られるべき」という標語は「多様性」とは何ら関係がない。多様性があろうがなかろうが「人権は守られるべき」である。
LGBTは、女性は、人種的マイノリティは、別に「社会の多様性を担保するために存在している」わけではない。それぞれが生きるために生きているだけだ。彼らの存在が社会の多様性を広げようが狭めようが、そんなこととは関係なく「人権は守られるべき」である。
「多様性が不快なものの許容だ」という人たち、さぞ多様性が不快なんだろうなあと思う。実際は、快か不快かに関わらず、人権にのっとり受容すべきものは受容すべきなのであって、受容すべきでないもの(レイシズムなど)は受容すべきでない。多様性はその結果として生じる。— 北守 (@hokusyu82) January 23, 2020
リベラルの理想と現実の出生率、または女性のキャリアと高齢出産の間で矛盾が生まれていると決めつける記事が流行している
こんなもの、出生前診断技術の精度を完璧に上げたら高齢出産の問題はほとんどなくなって出生率は回復する
キャリアを積む→子供が欲しくなったら完璧な診断を受ける→診断で安心できれば産む
異性婚性愛主義の押し付けもやめて、未婚の女性でも子供を産みやすくすると出生率を上乗せできる
婚外子差別を撤廃して、魅力的で稼得力のある男性との間にできた未婚の子でも十分な保障を受けられるようにする
精子バンクのスクリーニングと質も担保して、出産希望者が希望の条件を満たす精子を購入できるようにする
お隣の韓国で実体経済に見合わない大幅賃上げしたら景気壊滅して失業率くそあがった話でもする? https://t.co/JFP2Km8TU6— もへもへ (@gerogeroR) January 17, 2020
まだこのレトリック使ってるのか…。
れいわの政策では政府保証により最賃上げ分の負担を担保するとしている。併せて消費減税により中小企業の負担も軽減できるという二段構え。
韓国の最賃上げは負担が企業にかかってしまうので似て非なるもの。
…と何度説明しても彼らはデマを止めないんでしょうね https://t.co/ElluwgcP94— cargo🌹🐾💴 (@cargojp) January 17, 2020
、という合わせ技だな。自分は「中田さんは御自身のブランディングのために間違いを広めている」という判断した。なので(どうひいき目に見ても良くはなく)悪いことをやっているなあ、と思っている。
この状況をたとえて言えば、遠い異国の地に日本語を教える学校があって、そこの教師が
と教えていたら、さすがに「その説明は無いでしょ」と言いたくなるよね。そのくらいならまだ笑い話で済むかも、だけど、
と教えていたらどうだろう。教わった卒業生が来日したときに交通事故に遭うかもしれない。そうなったとしたら日本語学校の教師は無実と言えるのかな。(日本の道路は右側通行か否か?、そんなこと詳しくは知らないのだけど、たまたま適当に読んだ本に書いてあってそれをうのみにした結果)「いやー知らなかったんです」で済むのかな?そうだとしたら事故に遭った卒業生は気の毒だろうなあ。
こう書くと、
という意見が出てくるのだけど、そもそも教わる生徒側はその対象について「わかってない」のだから、調べようと思ったとしても調べることができないことが多い。だからよく知っている人を教師と見立てて「教わる」わけだよね。自分で調べることができれば教師は不要なので。
だから、教師役の人は「できるだけ正しいことを教える義務」というか、自分が教える知識がどういうことに由来しているのかを説明しないとならないのではないだろうか。これは言いかえれば、
「ここまでは(これこれこういう理由で)正しい(もしくは多数の人に支持されている説)なのだけど、別のこの件についてはまだよくわかってない(とか、教師の自分は個人的にこう考えている)」
話題になっているPaidyの支払い方法を公式サイトで調べてみた。
Q.Paidyの支払い方法について教えてください。
1ヶ月間のご利用分を翌月にまとめてお支払いいただけます。
え、これコンビニで支払わなかったらどうなるの?
PayPayなり楽天Payなり、店頭で決済するときに電子的に現金相当額が引き落とされたことをスマホ上で店員が確認している。
クレジットカードも当然。
決済・商品受け渡しを一つのトランザクションとみなしたとき、現金の引き落としが確定しない この仕組みそのものがおかしくない?
paidyでの支払いがなかったら債権回収が店舗に責任があるのは、決済システムとしてありなのか?
後払いなら、クレジットカードみたいに審査もないし、ブラックリストもないのかな?
経営陣見ると、金融に詳しそうなんだが、、、メディアは各個人に名指しで取材もしてほしいな
メリルリンチ証券とゴールドマン・サックス証券を経て東京に株式会社Paidy(旧エクスチェンジ・コーポレーション)を設立。スタンフォード大学院数理ファイナンス修士。
富士銀行(現みずほFG)、アクセンチュアを経て、新生フィナンシャル代表取締役社長、新生銀行常務などを歴任。東京大学卒、コロンビア大学MBA並びに金融工学修士。
楽天にてトラベル事業の営業統括、イーブック事業の立ち上げ後、DeNAで渉外部長・事業開発部長を歴任、PayPalにて大手加盟店の拡大や各パートナーとのアライアンス統括に従事。
JPモルガンでM&A・資金調達アドバイザリーに従事後、カーライルで投資評価・実行、企業価値向上施策から上場含むエグジットまで関与。東京大学薬学部卒、東京大学工学修士。
AXA生命CTOやNN生命COO/CIOなど、生命保険会社でマネジメントに携わった経験を持つ。IT、オペレーション業務に深い知見を持つ。リヴァプール大学MBA。
キャピタルワン、クラーナなどにて勤務、リスクマネジメントに深い知見を持つ。Paidyではリスク・与信・分析業務に携わる。セントルイス・ワシントン大学卒。
VP of Experience
シリコンバレー、サンフランシスコで約20年間、Walmart、Electronic Arts、GlassdoorなどでUX/デザインディレクターの経験を持つ。サンホゼ州立大学卒。
東京とニューヨークを拠点に、Fortune 500及び日系大手企業の事業戦略・マーケティング戦略を電通、EYやNetflixにて手掛けて来た。東京大学卒、Ashridge Hult MBA。
VP of Product
東京にて20年にわたりモバイル、Eコマース、ペイメントに従事。VP PMO、CSOなどを経て、直近はPayPal、MastercardにてHead of Productを歴任。ラフバラー大学工学修士、リヴァプール大学MBA。
VP of HCM, GA and Compliance
マッキンゼー、ヘイグループなどで戦略および組織・人事領域のコンサルティングを国内外の有力企業に提供。東京大学卒、INSEAD MBA、一橋大学DBA。
はてブでは「正論!」と大絶賛だが、違和感があるので書いてみる。
話は飛ぶのだが、マイケル・ウォルツァーという政治哲学者が「複合的平等」という考え方を提起したことがある。
社会のなかには様々な領域があり、カネを稼ぐ人が優遇される領域、野球が得意な人が優遇される領域、プログラミングが得意な人が…(以下略)など無数の領域が存在する。ところが、往々にして人間社会ではそのなかの特定の領域で優れた人が、他の領域にまでその影響力を行使してしまうことがある。たとえば、カネを稼ぐのが得意な人が、なぜか専門知識もないのに教育の領域に口を出してくるとか。
ウォルツァーは、特定領域で優れた人が、その事実によって別の領域にまで支配力を及ぼしてしまうことをやめて、さまざまな領域の自律性を担保することで平等を実現しようと主張する。つまり、いくら金儲けが上手だろうとも、教育の知識がないなら、教育の話に口出ししてくんな、このスットコドッコイ!というわけだ。
他方、この考え方に従うなら、ある領域でものすごく能力が乏しい人であっても、そのことが別の領域におけるその人の評価に影響を及ぼすべきではないという話になる。要は、いくらスポーツが苦手だからといって、プログラマーとしてのその人の評価に何ら影響を及ぼすべきではないという当たり前の話。
ところが、世の中ではそういうことがしばしば起きる。なかでも重要なのが、人の「見た目」。確かに、ファッションモデルやアイドルが「見た目」で評価されるのは、ある程度やむをえない。そういう領域で活動しているからだ。だから、複合的平等の発想に立つなら、ミスコンテストやミスターコンテストは別に否定されないと思う。だが、ほとんどの人はファッションモデルやアイドルではない。
実際のところ、男性もかなりそうなのだが、とりわけ女性の場合、その「見た目」がその他の様々な領域での評価に大きな影響を与えがちになってしまう。
ここでようやく話が元増田に戻ってくるのだが、この元増田の場合、「仕事の実績で評価される社会人」と書いているから、まさに「仕事の実績」という領域で評価されたことが素直にうれしかったんだろう。ところが、見た目の麗しい新人が入ってきたことで、「見た目」という評価基準が不当にも拡張されているという感覚を抱いてしまった。
元増田自身も追記で「差別っていうのは確かに言い過ぎだったかもね」と認めているように、新人が入ってきたことで元増田に対する周囲の評価が変わったのでないのなら、元増田が差別されたどうかは微妙なところ。でも、複合的平等が達成されているかに見えた領域だったのに、また「見た目」という評価が不当に入ってきたことの失望は理解できる。
こういう観点からみると、元増田も「女子としてちやほやされたかった」という増田は、元増田の主張を不当にゆがめているし、言っていいならハラスメントですよ、それ。
そりゃあそうだよ、恋愛も出生前診断も、自分や社会が決めた枠に入らないものを積極的に排除する時点で、全て優生思想と繋がっている
いくら自分の負担がないところで多様性なんか無責任に持ち上げたって、そのために自分が何かを背負うことはゴメンだ、親の都合で障害児中絶して何が悪いというのが今の草の根優生思想
でもこれが広まれば結果として多様性を担保するものは誰もいなくなるわけで、やってること自体は昔の国家となんにも変わりゃしない
せめて「仕方なく殺している」という自覚ぐらいは持ってほしいが、親に後ろ暗い思いをさせたくないものだから、それすら問題ないと言い張ってしまう傲慢さ
みんな嫌いな奴や気に食わない国家が振りかざす時だけ「それは優生思想だ!」と殊更に非難するが、実は優生思想そのものは誰にも否定されていない