①「青識亜論が石川優実を評価すること、その行動の中で観客をアジテーションした」のは、意図的だったのか、無意識だったのか。
②「青識亜論が石川優実を評価すること、その行動の中で観客をアジテーションした」ことを問題だと思っているのか、いないのか。
これは青識亜論という人間の信用性を左右する決定的な問いである。すべて「はい」か「いいえ」かで答えられる質問にしている。できればその二択で答えてほしいし、その二択で答えられないならその理由も書いてほしい。③と④は必要に応じて無回答でも構わない。
二人が「討論」の結果致命的な断絶に至ったことは、大変悲しいことだろう。本当に。本増田は立場としては石川優実寄りだけれど、青識亜論にも限りなく同情する。何せ、石川優実は当該イベントを「歩み寄り」の場だと思っていたのに対して、青識亜論は「討論」の場だと思っていたのだから。辞書的な言葉の用法としては青識亜論が正しく、石川優実が間違っている。ググればわかる。そのレベルでの断絶が存在することを、相互に理解していなかったというのは、お互いにとってとても悲しいことだ。私なら絶望するし、おそろしいほどの徒労感を抱くだろう。
青識亜論が、イベントの場をセッティングするために、可能な限り石川優実の要望を聞き、イベントの為に事前に担保できるフェアネスを用意しようとしたことには、最大限の称賛をしよう。石川優実がブログで話題にしている後出しの論点も、半分くらいは「それはその場で言えよ」という話であり、単純に石川優実がイベントで弁が立たないという能力不足の問題でしかない。
それでもなお、青識亜論がフェミニズムについて学んでいるというのであれば、「男性が女性を評価する」という行動自体、石川優実への挑発行為であると理解していた筈だ。理解していないなら無意識だったのかもしれない。ただ、紛れもなくそれは石川優実にとって挑発行為だった。勿論、青識亜論のような「主張を戦わせる」ことがフェミニズムとの歩み寄りだと思っている人であれば、そのような振る舞いを取るという選択自体は、一貫性があると増田は思っている。それでも、「相手が嫌がると理解していること」を「嫌がるのを承知で行った」のか、それとも「無意識的におこなってしまったのか」はとても重要な問題だ。それは、対話相手からすれば、「相手が自分に嫌がらせをする可能性を常に考えなければいけない」ということを意味するのだから。石川優実のような立場の人間にとって、「セッティングの場における事前の公平性」よりも「その場における、実際に起こったことの公平性」の方が遙かに重要だし、賢明な青識亜論であればそのことを理解していないとは言わせない。
故に冒頭の4つの問いに戻る。
これらは、現在石川優実が青識亜論に対して抱いている圧倒的な不信感と、その様子を見る青識派・石川派双方にとって、今回の出来事に一つ、大きな相互理解を促すものだと認識している。如何か。
♪あーるのっかっなーいのっかっ、み、に、ゆ、こ、おーっ!