はてなキーワード: 感情移入とは
セクハラ系オジサンに若くて巨乳のヒロインがヤられちゃうの大好きな女なんだけど、感情移入してるのはヒロインの方なのね。
オジサンなら誰でもセックスしたいような巨乳OLの姿をしたサキュバスになって、サークラのように会社のオジサンたちを渡り歩きたい。
風俗に行った時の話なんだけど、騎乗位素股というプレイがある。
これは本番行為といわれるチンコをまんこに入れることが禁止であるヘルスなんかで行われているプレイで、
女の子が上になって、男のチンポをまんこでこすったり手でこすったりして疑似挿入感を与えるものだ。
俺はこれがそんなに好きでない。
疑似挿入に対してうまく感情移入できないのだ。
だからその日も女の子が騎乗位素股を始めようとしたとき、あーこれ要らないんだけどなと思った。
マジか?
生だぞ。
若い頃なら、ちょちょちょちょっと待ってと病気のことが心配で生は止めるところなんだけど、
もう最近ではすっかり無敵の人になってしまった俺はそのとき止めなかったし、
何より最高に気持ちが良くてそれどころでなかった。
会った瞬間、この子当たりだわ、
今までで遊んできた中でトップクラスにキレかわいい女の子だわって思ってた女の子のまんこの中に俺のチンコが入っていて、
それも生で入っていてメチャクチャ気持ちいいんだ、止めれるかよ。
でもこれすぐイクかもな、と思ったんだけど、
その日はバイアグラのジェネリック飲んできてたから、チンコがカチカチだったの。
男ならわかると思うけど、チンコカチカチになると感度が少し下がってそのぶんイキにくくなる。
気持ちいいし、イキそうにないし、俺は思う存分セックスを楽しんだ。
さっきも書いたけど、俺は実質童貞なの。
ソープとか、ちょんの間とか、本番ありの違法中国エステとかに、
何度も通ったんだけど挿れたら中折れしてしまってまともにセックスをしたことがなかった。
バイアグラ飲んでカチコチになったチンコを挿れようとした瞬間にヘナったとき、俺は風俗で童貞を捨てるのを諦めた。
経験のある人ならわかると思うけど、バイアグラ飲んでるときに性的興奮をしていて萎えることなんてありえないの絶対に。
それを超えてくる、過剰な自意識の持ち主である俺は風俗で童貞を捨てることは無理なのだと悟ったの。
それ以来本番系風俗には行かなくなった。
が、しかしだ、それがこの思いがけない展開だ。
そしてチンチンはカチコチのままだ。
俺は上になると、ベロチュウしながら夢中になって腰を動かした。
女の子がなんで生挿入なんてことをしてくれたのかは、よくわからない。
察してくれてると思うが、俺はキモいおっさんで金持ちでもない。
女の子がセックスがしたかっただけか、手とか口とかで射精させるより、
セックスのほうが楽だという考えの持ち主で客全員と生セックスをしているのか、
ただの気まぐれか。
正常位でセックスを続けていると、流石に射精しそうになってきた。
もっとセックスを楽しみたい、俺は腰を動かすのを止めようとした。
俺は腰を動かす。実直なライン工場のロボットアームのように規則正しく腰を動かす。
グラインドするように実直に動かす。
でも、イキそう。
でも、我慢しなければ。
そのとき。
女の子が予想外の大きさで嬌声を、部屋に響き渡るほどの勢いで。
俺もイッた後(きちんとおっさんらしい冷静さで外出しできた)、タイマーが鳴り始めた。
でもふたりとも放心していてなかなか体が動かなった。
そのうちに女の子のスマホが店からの電話で鳴り始めて、あわてて二人でシャワーを浴びてホテルを出た。
ちょっと俺の給料では月に何度も通えるようなお店ではないんだけど、迷わずすぐに来るぞ、と思いながら女の子と別れた。
その日の写メ日記という、女の子の営業用ブログに今日で引退しますと書かれていた。
俺はすごく残念でひょっとしたら他店に移籍してるのでは(移籍はしません完全引退ですと書かれていたが)と執拗に風俗サイトを探したが、その女の子が見つかることはなかった。
俺は別に観てないけど、どっかの有名なVTuberがノーブラ衣装を披露したんだってさ。
その子の経緯を勝手に考えると、なんかエロ漫画にありがちじゃん、って思ったよね。
俺が知ってるその子の経緯は、最初は清楚系だったけど普通に素を出し始めて、下ネタとか連発し始めたりしたとか。
知らんけど。
「見られること=シコられることに興奮してさらなる刺激を求めていって次第に露出度が上がっていって最終的に度を越す」
みたいな、いかにも配信者モノのエロ漫画にありがちなアレだよね。
VTuberってエロ画像に結構寛容なところあるじゃん、知らんけど。
だからVTuber自身もある程度自分のエロ画像を見てきたりするんだよね。
まあここで言う「自分」っていう言葉はこの場合結構複雑だけど。
でも一応、この時点ではデジタルにおける唯一の身体のはずじゃん。
で、「自分でシコる人が多くいる」という事実に、気を良くする女性と気を良くしない女性の割合がどれだけかはやっぱ知らんけど、性質的にVTuberにおいては前者がかなり多いと思うんだね。
ついにそれだけじゃ我慢できなくなって、いよいよ直接的な表現にいくわけ。
VTuberにおけるエロ画像とは思えば不思議なもので、「中の人」は我々と同じ次元に存在する人間であるということを暗に了解しながら、「現実」というストーリーからイメージ=キャラクターのみを抜き出して、性的消費するっていう、これまでにはあまり見られなかったエロの在り方だった。
だから中の人にとっては、素の姿を晒して配信をするよりも幾分は乖離するけれども(VTuberの中の人の大半はもともと配信者だったと仮定して)、それでもたしかに「自分」がシコられてるっていう、なんか不思議な感覚にあったと思う。
ノーブラ衣装も、「中の人」自身がノーブラであるわけではない。でも「自分」としてノーブラなわけであって、たしかにその浮き出た乳首は視聴者にとっては意味のある乳首なんだね。シコれる身体は、シコり人にとって存在する身体だから。
ただ「見られて興奮する」が必ず成り立つとは限らないからね。純粋なファンサービスである可能性もある。ただどちらにせよ、「ファンにシコってもらう」ことは前提だから。
さてその衣装でファンがシコるとき、普通のエロ画像よりもシコリティが高かったんじゃないかなと思う。
それは、普段のエロ画像が極めて「フィクション」であることに対して、その衣装は「オフィシャル」であり、そして「リアル」な「ストーリー」と接続しているから。
つまり、自分がそのストーリーの登場人物の一人になっているという点が、強い感情移入を引き起こすんだろうなと。
最初に示した「見られて興奮した結果次第に過激になっていく」みたいなストーリーはあくまで仮想のもので、現実と一致するとは限らない。
それでも、そうしたエロ漫画的構造への酷似を、おそらくは視聴者側の大半も分かっているんだと思う。そう意識していなくても、これまでの経験が無意識にそのテンプレを喚起しているのかもしれない。
もちろんそれを知らない人(アダルト童貞)にとっちゃそれ以上の刺激だろうけど(リアル無知シチュって感じ)。
彼らはね、これまで見てきたエロ漫画の登場人物の一人になってるんだよ。
VTuberが絵であるがゆえに、エロ漫画性が余計に強く再現されているっぽいし。
現実という三次元身体は、デジタルデバイスを前にして、その視線のみを二次元的に変換する。つまりこの電脳空間上において、エロ漫画が成立しているといえる。
彼らは、コマの外から、そして同時にコマの中からシコることのできる、二重の視点を獲得した。
そりゃエロいよ。
それを聞いて最初に思ったのは、ああ、あれ「最後にやりたいことやった」くらいだったんかな、って。
美しかったわ。
エロ漫画風にいうと、性調教され尽くしたアイドルが、満員のファンに囲まれるステージ上で、突然全裸になって「今日でアイドル引退しましゅ!最後にありのままのえっちな○○を見てくだしゃいいい♡♡」って言いながらめっちゃ激しいオナニーし始めるみたいな、そんなラストシーンを連想した。
エロ漫画の中のファンは、うおおおおと言いながらその場でシコり始める。
そしてオーガズムと射精が同時に起こり、届くはずのない精液がアイドルに大量にぶっかかる。
みたいな。
知らんけど。
留学先で女性を妊娠させて見捨ててしまう話なので、近頃は評判が非常によろしくない。そのくせ、この文体のせいで美しいと感じてしまう自分がいて、実はこれ、レトリックや文体によって騙されることに注意しろっていう警告なんじゃないかって気もする。「自分のおすすめ編」にも書くつもりなんだけど、ナボコフ「ロリータ」もそういう自己正当化がとにかくうまい。
余談だが、鴎外自身は東洋人だったこともあり、留学先では写真を撮らせてくれと頼まれたことがあったという。それに対して、構わないけどもあなたの写真も逆に撮らせてくれ、と言って、相手も満足させつつ日本人としての尊厳も守ったことがあって、これは割と好きなエピソードの一つ。まあ、漱石よりは世渡りがうまいよな。
古風な文体で挫折しかかるも何とか読破。これよりは幼馴染系の「たけくらべ」のほうが好きだったなあ。増田では古文がいるかどうかで議論になったことがあったらしいが、古文がすらすら読めるほうがこういう趣味というか楽しみが増える気もするし、純粋に実用面だけでいえば法律用語や古い公文書を読む必要がまだあるんじゃないのかな。
「舞姫」の話の続きだけど、古典文学にもやっぱりクズエピソードは結構あり、じゃあどれを教えてどれを教えないかは割と難しい。
僧侶が山間で美しい妖怪と出会う話。文庫のちくま日本文学全集で読んだ。全集と銘打っているけど、このシリーズは日本の近現代文学作家のベスト盤みたいな感じで、チョイスはいいのだけれどときどき抄、つまりダイジェスト版みたいなのが紛れていて、コンプリートしようとは思わなかった。
話としては幻想的ですごく好き。幻想譚が好きな自分がどうして泉鏡花にどっぷりはまるまでいかなかったのかが不思議なほどだ。当時は、著名な作品をどんどん消化しようと思って乱読していたからかもしれない。そういう意味でも、課題図書を読破することが自己目的化した読書には幾分害がある。
とても好き。小説が読めなくなったときには、文豪の書いたこうした随筆というか、風景描写の豊かな文章を読むことで、自分のリズムを整えたくなる。外出の難しい昨今、こうして空想の世界でだけでも豊かな自然のなかで過ごしたいものだ。五感が刺激される文章というのはなかなかない。
我輩を吾輩に修正。
ここ最近は漱石の評判はあまりよろしくないと聞く。所詮は当時の欧米の文学の輸入に過ぎないとか、結局は男社会の文学だとか。言われてみれば確かにその通りなのだけれども、日本の近代文学の開拓者にそこまで求めちゃうのも酷でしょうと思わないでもないし、この作品からたったの十年で「明暗」にまでたどり着いたのだから、やっぱりすごい人ではないかと思う。五十になる前に亡くなったのが惜しまれる。
で、肝心の内容だが。基本的におっさんがおっさんの家をたまり場にしてわいわいやる日常ものなので、当時の人にしか面白くないギャグを除けば、普通に笑える。最終回は突然後ろ向きになるが、もしかしたら漱石の本分はユーモアにあるのかもしれない。
余談だが漱石の留学時代の日記に付き合いのお茶会について「行カネバナラヌ。厭ダナー」とのコメントを残している。
素直に面白かった。若干のプロパガンダっぽさがなくはないが、読んだ当時は差別する側のねちっこさや意地の悪さが良く書けているように思われた。とはいえ、昨今は善意から来る差別についても考える時代であり、問題はより複雑になった。
被差別部落問題については気になっているのだがなかなか追えていない。日本史について読んでさまざまな地域の実例について断片的にかじった程度だ。それでも、地域によって温度差やあったり、差別対象が全く異なっていたりすることがわかり、どこかで日本全体の実情について知りたく思っている。
女中の布団の残り香を嗅いで悶々とする話だってことは覚えているんだけれども、読んだときにはあまり印象に残らなかった。なぜだろう。自分が読んできた近代文学は、基本的にダメな奴がダメなままうだうだする話ばかりだったからかもしれない。その多くの一つとして処理してしまったか。
で、自分が好きなのは飢え死にするほど悲惨じゃないくらいのダメさであり、親戚のちょっと困ったおじさんくらいのダメさなんだろうと思う。
読んだことがない。ただ、ドナルド・キーンの「百代の過客〈続〉 日記に見る日本人」によればこんなことを書き残しているそうだ。「僕ハ是レカラ日記ハ僕ノ身ニ大事件ガ起ツタ時ノミ記ケルコトニ仕様ト思ツタガ、矢張夫レハ駄目な様デアル。日記ヲ記ケ慣レタ身ニハ日記ヲ一日惰ルコトハ一日ヲ全生涯カラ控除シタ様子ナ気ガスル。夫レ故是レカラ再ビ毎日ノ日記ヲ始メ様ト思フ」(意訳。日記書かないとその日が無かったみたいで落ち着かない)。ここでツイッターに常駐している自分としては大いに共感したのである。そのうち読もう。
読んだはずだが記憶にない。「暗夜行路」で娼婦の胸をもみながら「豊年だ! 豊年だ!」と叫ぶよくわからないシーンがあったが、そこばかり記憶に残っている。これを読んだ当時は、この小説のように自分がどれほど理想を抱いていたとしても、モテないからいつかソープランドに行くのだろうな、とぼんやり思ったことを覚えている。
ちなみに、自分が初めて関係を持った女性は貧乳だった。だがそれがいい。
お父さんとうまくいっていない人は子供の才能をつぶす話である「清兵衛と瓢箪」が刺さるんじゃないかな。あとは少女誘拐犯視点の「児を盗む話」もよかった。
大学時代知り合った文学少女から薦められて読んだはずなのだが、覚えているのは「阿房列車」の何編かだけだ。それと、いつも金に困っていて給料を前借りしていて、そのことのまつわるドタバタを描いた作品や日記もあって、そうした印象ばかり残っている。
関係ないけど就職活動中に、この文学少女から二次関数を教えてくれと言われ、片想いしていた自分はそのためだけに都内にまで足を延ばしたことがある。いいように使われていたなあ、自分。あいつには二度と会いたくないが、元気にしているかどうかだけは気になる。
めんどくさいファンがいることで有名な作家。全集には第三稿や第四原稿が収録されており、比較するのも楽しい。俺は〇〇は好きだが〇〇が好きだと言ってるやつは嫌いだ、の○○に入れたくなる作家の一人。○○には「ライ麦畑で捕まえて」「村上春樹」「新世紀エヴァンゲリオン」「東京事変」などが入る(註:この四つのものとその愛好家に対する歪んだ愛情から来る発言です。僕も全部好きです。すみません)。サブカル系にはこれがモチーフになっているものが数多くあり、その点では「不思議の国のアリス」と並ぶ。
思想に偏りはあるが、独特の言語感覚や観察眼は今でもすごく好きだ。余談だが新書の「童貞としての宮沢賢治」は面白い。
知り合いにいつもぬいぐるみのキーホルダーを持ち歩いてかわいがっていた男がいたが、それで本人が落ち着くのならいいと思う。不安の多い世の中で、人が何か具体的に触れるものにすがるってどういうことなんだろう、って、ってことをこの作品を思い出すといつも考える。どこで読んだか思い出せなかったが、これもちくま文庫の全集でだった。
狭いコミュニティの中でこじれていく人間関係の話ではあるけれども、新潮文庫の場合は表題作よりも他の話のほうが気に入った。印象に残っているのは十二人の旅芸人が夜逃げする「時間」と、ナポレオンがヨーロッパの征服に乗り出したのはタムシのせいだったという「ナポレオンと田虫」。
実はこの作品は読めていない。谷崎作品は割と好きで、「痴人の愛」「刺青・秘密」「猫と庄造と二人のおんな」「細雪」は読んだ。「痴人の愛」という美少女を育てようと思ったら逆に飼育される話は自分の人生観に多大な影響を与えたし(例の文学少女に気持ちをもてあそばれても怒らなくなってしまったのもこれが遠因だろう)、「細雪」はただ文章のリズムにぷかぷかと浮くだけで心底気持ちがいい。ついでに、戦時中の生活が爆弾が実際に降ってくるまでは震災やコロナでただよう自粛の雰囲気とそっくりだったこととよくわかる。
ところで、最近久しぶりに谷崎作品を読もうと思ったら、ヒロインの名前が母と同じだったのですっかり萎えてしまった。というか、ここ最近趣味が「健全」になり始めていて、谷崎作品に魅力を感じられなくなっている。感覚がどんどん保守的になっていく。これはいかん。
高校生の頃に読んだのは確かに記憶に残っているのだけれど、高校生に川端康成のエロティシズムが理解できたかどうかはよくわからない。たぶんわかっていない。せいぜい伊豆の踊子の裸の少女を読んで、ロリコンを発症させたことくらいだろう。
太宰はいいぞ。自分は愛される値打ちがあるんだろうか、というテーマを本人の育った境遇やパーソナリティの偏りや性的虐待の疑惑に求める説は多いが、そういう心理は普遍的なものでもあり、だから多感な時期に読むとわかったつもりになる。芸術に何歳までに読むべきという賞味期限は原則としてないが、これもできるだけ若いうちに読んでおくといい。太宰の理解者ぶるつもりはないが。
もっとも、本ばかり読んで他の活動をないがしろにしていいものだとは全く思わない。あまりにもドマイナーな本を読んでマウンティングするくらいならバンジージャンプでもやったほうが話の種にもなるし人間的な厚みも出るというものだ。たぶん。
天才的。男性のあらゆる種類のコンプレックスとその拗らせ方を書かせたら彼の右に出るものは少なかろう。ただ、大学を卒業してから突然読めなくなってしまった作家でもある。息苦しくなるまで端正に磨きこまれた文章のせいかもしれない。
極限状況下でのカニバリズムをテーマにした小説なんだけれども、途中から戯曲になって、「食べちまう葬式ってえのは、あっかなあ」などとやけにのんびりした台詞が出てくるなんともユニークな小説。ただし、これは単なるブラックジョークではない。物語は序章、戯曲の第一部、第二部と別れているのだけれども、その構成にきちんとした意味がある。
人類全体の原罪を問うようなラストは必見。あなたは、本当に人を食べたことがないと言えますか?
祖父母の家から貰ってきた作品で、愛蔵版らしくカバーに入っていた。カフカにはまっていた時期だから楽しんだ。カフカの父親の影から逃れられない主人公とは別の種類の渦巻にとらわれてしまった主人公がだらだら、ぐだぐだしてしまうのだが、カフカが男性によって抑圧されているとしたら、こちらは女性に飲み込まれている文章だ。
未読。不条理な陸軍の中で、最強の記憶力を頼りにサバイブする話だと聞いて面白そうだと思い購入したのだが、ずっと積んだままだ。これに限らず、自分は戦争ものの小説・漫画をあまり読んでない。戦争に関しては文学よりも歴史書からアプローチすることが多い。
これは自分の悪癖だが、戦争ものになると庶民よりも知識人にばかり感情移入してしまう。
大江健三郎は初期の作品をいくつかと、「燃え上がる緑の木」三部作を読んだきりで、どういう態度を取ればいいのかよくわかっていない作家の一人だ。狭い人間関係の中のいじめだとかそうした描写に病的に関心のあった時期に読んだせいで適切な評価ができていない。
「燃え上がる緑の木」は新興宗教や原子力発電といった(結果的には)非常に予言的であった作品であったが、癖が強くカトリックの宗教教育を受けた自分であっても世界観に入り込むのに時間がかかった。「1Q84」よりもきつい。面白いが。
大学時代の友人に薦められて読んだ。「この家の主人は病気です」と、飢えて自分を食ってしまったタコの詩ばかりを覚えている。覚えているのはこれだけだが、この二つが読めたからいいか、と考えている。大体、詩集ってのはピンとくる表現がひとつでもあれば当たりなのだ。そして、それはあらゆる書物にも当てはまることである。
祖父が学生時代に送ってくれたのだけれども、ぱらぱらとしか読んでいない。
子供向けのものだった気もするし、近々原文にチャレンジするべきか。自助論(西国立志編)なんかと合わせて、自己啓発書の歴史を知る意味でも興味深いかもしれない。
読もうと思って読めていないけれども、これまたドナルド・キーンの本で面白い記述を見つけた。「墨汁一滴」の中に、つまらない俳句を乱造しているやつの作品にはどうせ碌なもんなんてありゃしないんだから、そういう連中は糸瓜でも作ってるほうがマシだ、という趣旨のくだりがあるそうだ。創作する上でのこういう厳しさは、いい。
「ローマ字日記」しか読んだことがない。たぶん日本で最初にフィストファックが描写された文学かもしれない。春画はどうか知らないけど。
堕落と言いつつもある種の誠実さについて語った本だった気がするが、それよりも新潮文庫で同時に収録されていた、天智天皇と天武天皇の家系にまつわる謎についてのほうが印象に残っている。
夜:野菜サラダ、オイキムチ、チーズトースト、豚の生姜焼き、宝焼酎(220ml)で作ったレモンサワー
2/18(木):1975キロカロリー
リングフィットアドベンチャー:下のプログラム2のCトレーニング
ホームトレーニーのリングフィットアドベンチャーレビュー #7 頻度とプログラム|すいーと|note
夜:豚の生姜焼き、オイキムチ、ご飯、もずく氏、アボカド、味噌汁
木曜のリングフィットアドベンチャーでマウンテンクライマーを止まることなくやることが出来た。結構うれしかった。限界まで息が上げることがあると、楽しいわ。
アマゾンプライムで百円の恋を見た。
https://www.youtube.com/watch?v=Pwk0yWnpBM0
4回目くらいかな。めちゃくちゃ好きだ。一子の初期状態になっていた可能性が十分にあるタイプの人間なので、一番感情移入できる映画の主人公かもしれない。一子は32歳で、俺は4月から32歳の年だ。今年は何回も見ることになるかもしれない。
そして予告が最高
タイトルのままだ
高校生2年からずっと、男子のすけべな二次創作をやってて、表現規制反対とか言ってたのに、
いつの間にか29になって、周りが結婚して、私は所謂喪女で、気がつくと女性向け二次創作をやりながら
正直自分でも理解できないので、ここに書いて自分が何をしたいのかなんでこうなったのか
自分でわかりたいと思う
これはおそらく後々大事になるので先に言っておくが、
私は客観的にみて、褒められた容姿ではないし体重も平均より重い
でも、小学生の頃はそれに気が付いていなかった
私の場合は絵がうまかったから、特にいじめに遭うとかはなかったし
褒めてくれて、私は自分がオタクであるとかそんなことも思ってなかったし
ブサイクであるとかデブであるとかそんなこともわかっていなかった
だから積極的にクラス行事に参加したし、「ちょっと男子〜」って感じの子だった
今思えば、そいつが悪いんだけど(本当にキモくても人にキモイとか言ってはいけない)
私は、なぜかそいつに謝った
それによって何かが始まってしまった
多分「拗らせ」みたいなものだと思うけど、うまく言えない
それから、私は「本心じゃないことを口に出して心で文句を言う」ことが異常に増えた
そして同時に容姿のコンプレックスも増えていき、恋愛に対するコンプレックスも出てくる
クラスメイトに彼氏ができた、と聞くたびに「恋愛とか興味ありませんけど」って顔をしながら
ナルトのサクラちゃんをネットでディスってサスナル本を書いていた(どうでもいいけど当時のブログが消せなくて困っている)
今思うと、男女の恋愛を女を排除した世界のイケメンで再現してただけだ
そうやって性欲を発散してた 商業BLにあまりハマらなかった理由も多分それで
当時流行ってたBL作品て、「男同士なのに…」みたいな葛藤があったりして結構俯瞰で見る感じのが多かったんだけど
多分私は、受けに感情移入して男女の恋愛の真似事をしたかっただけなのだ
これまでことは総じて自己防衛だ
「誰かにとってキモい私」「恋愛ができない私」「ブサイクな私」
これらを認められないし、開き直れないから、
私はブサイクなんじゃなくて化粧してないだけ
これらはどんどん肥大化していって私の本心みたいに居座るようになった
それをどうにか打ち消していた
私が恋愛できないのは見た目重視な世の中のせい
でも私はほんとはブサイクじゃない
すっぴんは私とそんなに変わらない
え?じゃあメイクしたらいいじゃん?
大体、男なんてみんな顔しか見てないし
(無限ループ)
今ならわかるけど、これ、全部「無」だよね
だって別に太ってることとかブサイクなことは改善しようとしてもしなくても
私が怒っていいのは馬鹿にされた時で、私の代わりにかわいい子や痩せてる子が
選ばれた時ではない
かわいそうであれば救われる気がしたんだと思う
まあ、そんな最悪のタイミングで大学生になり、出会ってしまったのがフェミニズムだった
「本当に存在する女性差別」ほど当時の私を救ってくれるものはなかった
講義で生きづらさを発言すれば褒められたし、イベントに足を運ぶと、誰もが私の味方をしてくれた
それに何より、私の生きづらさは私のせいではなかったんだ、という実感が最高だった
私はフェミニズムに没頭した
少しでも違和感を感じると、自分に都合の良い解釈やデータを探して必死に自分を納得させ、
「男のせいで生きづらいし、男がそれに気がつかない社会のせいで生きづらい」
でも外での振る舞いは変わらなかった
大学を卒業し就職しても、相変わらず文句は心の中で(またはフェミニズム垢で)言うのみだったし
なんとなく「男なんかにわかってもらっては困る」と思っていた
だから専門用語を連発してネットで男性やそれを支持する女性に噛みついていた
もちろんその中には社会によってどうしようもなく困っている女性や
酷い男性の話題もあって、それらは今も私は救われるべきで救いたいと言う気持ちがある
でも次第に、ツイッター上のフェミニストの言い方に違和感を覚え出した
彼女ら(彼ら)は、困っている人や現場のことを使って男性を責めたり自分を守っていないだろうか?と
思い始めた
例えば、「このアニメによってこういう被害が生まれる可能性があるからこういうゾーニングしませんか?」じゃなくて
「こんなものを好む男がたくさんいる国最悪」「キモオタってほんとこういうの好きだよね」みたいな感じ
あんまりうまく言えないけど、それを自分や仲間が繰り返すうちになんとなくの違和感がだんだん気持ち悪さとして迫ってきた
多分、高見千歌ちゃんのスカートにクレームしたあたりから…自分が大人になったからかもしれないし、
恋愛経験ないオタクの女がポジティブに生きるのを肯定するコンテンツが増えたからからかもしれない
でもそれが自分たちが文句言った功績とは思えないし、ちゃんと思ったこと言って生きてみたら意外と楽しかった
みたいなことであって…私、勝手に黙ってた(黙らされてると思ってた)だけじゃない?って思うようになっていった
でもそれをフェミニスト友達に相談したら「黙らされてるという刷り込み自体が男社会からの重圧なんだよ」という趣旨のことを言われて
その時は納得してしまった
ここがヤバいところの一つなんだけど、大袈裟ではなく自分以外のもので、自分が嫌いなものに辿り着くまで思考がやめられなくなる
ただちょっとキモいなって感じたイラストとかが「私は嫌いだな」で終わらせられない
「私が嫌いと感じるということはジャンダー的な欠点が必ずあるはずだ」って本気で思ってたし、
「私がただ嫌いなだけで表現を叩くわけないだろ!」って本気で思ってた
論破されても関係なかった だって「問題がないと感じてしまう感性を作ったのは悪い社会」だから
どんな論理があっても前提として不快だと思えないこと自体が、擁護派も被害者である、とそう思ってた
そしていつも最終的に「こんな変な人がたくさんいる社会、私が生き辛いのも当然だ」で落ち着く
でもジャニーズを見てかわいいって言ったし、雄っぱいばっかり描いた
その時点でお察しなんだけど、
いや、絵柄が嫌いというより、それを見て楽しんでる男がキモくて、
なんなら気づいた後もしばらく、「キモい男が悪いじゃん」って思っていたし、
いつの間にか中学の時私をキモいって言ったやつと同じことしてた
まじで地獄だと思った(前者はやめてしまったけど、後者の子にはここに書く許可を取った)
両方ともまとめられてるので知らない人は見てみてほしい
恥ずかしい話だが、若者と、それを叩くフェミニストによって目が覚めた
彼女らは女子とか子供とかそんなことを問題とせず自分の意思を持っていたのに
フェミニストから投げられた言葉は「名誉男性」だとか「ネカマ」だとかどう考えても
って言って返ってきたのは「え、ミソジニストの味方すんの?」
こんなのただの戦争だ、自分が何をしたかったのかわからなくなって
突然反省した
「怒らなきゃ男はわからないでしょ」って今までいわれて納得してたのがなんか恥ずかしくなった
なんにもしてない人を怒鳴りつけてて、今まで正義の鉄拳だと思ってたのは暴力だったし、正論だと思ってたのは暴言だったのだ
私はその日のうちにログアウトした
誤解が無いように言っておくと、私はフェミニズムを学んだことを後悔しているとか、女性の地位向上を否定しているとかではない
少なくとも私にとって過激なフェミニズムは自分を守り他者を傷つけることにしか機能しなかったし、
地位向上ではなく、他者の思想を縛り付けるものになってしまっている傾向が見られ、それは突き詰めると自分のコンプレックスを
私たちは自由だし、何をしてもいい、なりたい姿でいることは素晴らしいし、
だけどその個性を一人一人が好むかどうかは決められない
世の中には、自己責任とそうでないことが両方あって
私が全部悪いわけではなくても私が悪いこともある
そういう当たり前のことに長い間気がつけずにいたのは苦しかった
自分のわがままによって罵ってしまった男性や嫉妬によって叩いてしまった女性と
キャラクターに謝りたい
これを男性嫌悪とフェミニズムを一緒にするなという方がたくさんいるだろうが
私は本気で正義のフェミニズムだと思っていたし、これが男性嫌悪であるわけがないと
何かをこじつけて生きてきた
だからあえて今回はフェミ二スト、ツイフェミって言葉を使いました
多分これを読んで男がフェミニストの真似してるとかいう人もいると思う
私もこういうのを読むと毎回思っていた
「また男が私の邪魔をしている」って
せっかく気がつけたからっ書いておいた
お気持ち長文ごめんなさい
作者のハリウッドから声がかかったという記事を見てサブストーリー含めプレーした。
以下ネタバレ含む。
iOSとAndroidでプレーできるのでまだの人はやってみて。
ゲーム性はほぼないからストーリー重視な作品だが、これもそんなに出来が良いとは思えなかった。
チャプターごとのラストに「意外な展開」があって引っ張りはするけど、大半は伏線なしで新事実をどんどん言っていくだけ。いくつかレビューを見て伏線が凄いという感想もあったが、この作品は伏線ではなく「思わせぶり」だと思う。(あからさまに読者の印象に残る引っ掛かりを残すのは伏線とは違うと思ってる)
もう少しゲーム性が高ければ感情移入度が高くなるからこれでももっと惹きつけられたと思うけど、このゲームはちょっと操作するだけで謎解きも選択肢も全くないので、あまり思い入れることができなかった。
音楽の使い方も、ここは泣くところ、ここは驚くところ、みたいな感じで説明的だし逆に興を削がれる。
タイムリープと難病もののストーリーも、話のための話って感じでイマイチ乗れず。
難病すらオリジナル設定だから、なんでも都合良く設定できるのにそれだけですかという感じ。
タイムリープも2010年代後半の作品としては新しさに欠けると思う。
パッと元ネタが指摘できるようなポイントがいくつかあって、そこが肝になってもいるので、まあ元ネタの作品は超えれんよなという。
意識だけ戻る系だけどどうしてもタイムパラドクスは生じるし、そこが解消されないまま話上の意味しかない実験や、後付けみたいな設定により解決。うーん、勝手にやってくれという感じが強くなってしまった。
なんだかんだ最終的にこの絵のかわいさにやられるわけだしな。
タイムリープの凝った設定も面白みはある。タイトルの意味が何度も変わる感じは秀逸。
先般ブームになったNiziU然りハロプロの起源とも言えるASAYAN然り、ファンはアイドルが歯を食いしばりながら困難に立ち向かい成功する(または挫折し涙する)姿に感情移入して応援したい気持ちを育みます。
リアリティーショーの先駆けとも言えますが、彼女達の普段の姿も含めてエンターテインメントとして見ているのです。
リアリティショーならなおのこと彼ら彼女らが恋愛しててもリアルで盛り上がるじゃん
そりゃ男アイドルが彼女殴ってるとかだとまったく応援できんしなんだこのクズ男ってなるし、女アイドルが金のためにすげー歳の離れたおっさんの愛人やってるとかだとキメーってなるけど、本当に好きな人と恋愛を育んでるとかなら別にいいんじゃないかなーー
だってラブソング歌ってんのにそれがリアルで恋人いるとかの方が盛り上がるじゃん
なにがダメなんだ
先日、ハロプロの某グループのメンバーが文春に恋愛スキャンダルとして撮られてグループ脱退、活動終了しました。ツイッターのトレンドにも恋愛禁止が上がり盛り上がっていたのでそれを眺めながら考えた事をまとめてみます。
道楽ではない以上、ビジネスとして稼がなくてはいけない訳ですが、アイドルの活動における売り上げの大半はCD、音源販売やライブチケット、グッズ販売が占めます。そして顧客であるファンにそれらをより多く買ってもらわなければいけません。筆者のように気に入った曲のみ150円払ってitunesで音源を買うようなライトな層は大して売上の足しにはなりません。アイドルを支えているのは「推すメンバーとの握手券や2ショットチェキ目当てで同じ曲が収録されたCDを何枚も買い、一回でも多く会うために出演するライブを全国足繁く通い、グッズを全て買い集めるファン」です。月に何十万もかける姿は傍から見ると尋常ではありませんが、そういった太い客を無視してこの話は出来ません(極端な例ではありますが、リピーターが重要だという事です)。
ファンがそれ程までにアイドルに熱中するのは容姿が好みだという単純な理由だけではありません。先般ブームになったNiziU然りハロプロの起源とも言えるASAYAN然り、ファンはアイドルが歯を食いしばりながら困難に立ち向かい成功する(または挫折し涙する)姿に感情移入して応援したい気持ちを育みます。実際、容姿や歌唱力が優れたメンバーが必ずしも1番人気になる訳ではなく落ちこぼれから勝ち進んでいくメンバーが1番人気になったりするところが面白くもあるのですが。
歌って踊るアーティストではあるものの、作詞も作曲もしない作家性0のアイドルにおいて、ファンはアイドルが奮闘する姿にこそ作家性を見出すのです。メンバーが予期せず脱退すればまだまだ私たちはやれると一念発起する歌で腕を振り、卒業していくメンバーがいればまたいつかみんなで集まろうと穏やかな曲調に包まれます。リアリティーショーの先駆けとも言えますが、彼女達の普段の姿も含めてエンターテインメントとして見ているのです。グループの危機があればカメラを回し、大きい会場でライブを行えば舞台裏まで公開し、ファンはそれを欠かさずチェックします。一般的な商売における売り手と買い手の間で行われる営業行為ではある訳ですが、それらは多少なりともアイドルのプライベートを侵したエンターテインメントと言えます。何せ枠組みが決められた番組ではないので境界線がはっきりしないのですから。そんなアイドルの普段の姿をチェックするファンにとって、恋愛に興じるアイドルはどう映るでしょうか。まだまだ未熟なのに練習もせずに遊び呆けている?恋愛にかまけているからダメなんだ?好きだったのに幻滅した?どう思おうが個人の勝手ですが、大金を叩き少なからず好意を寄せている応援しているファンがそれで離れるのも個人の勝手です。しかしそういったファンに離れられるとアイドルにとっても困る筈です。彼女達を売上を支えているのですから自らの行いで自分の首を絞める事になりかねません。
恋愛禁止とはあくまでもアイドルが所属する会社と、アイドルと、ファンとの間に交わされた暗黙の了解です。もしアイドルが一般人のようにSNSに交際している人との2ショットを載せたり、寄り添う姿を投稿すれば大金を落とすファンは素直に応援するでしょうか。大金を落とすファンがいなくなった場合、アイドルの活動は継続出来るのでしょうか。人気商売である以上、恋愛をしていても隠し通す必要があるのはここにあります。バレた場合、その皺寄せはアイドル本人に来るのです。
今回文春に撮られ脱退することになったメンバーですが、彼女はグループの結成メンバーであり現役ハロプロの中でも上から5本の指に入るくらいの古株です。最近はその類稀なる歌唱力でピン仕事もするようにはなったものの、人気はトップではなく長年グループの縁の下の力持ちでした。グループ結成当初は、無理難題とも言えるライブ数をこなしたり必死に頑張る姿とパフォーマンスのレベルを着々と上げたことで人気を博したグループでしたが、彼女はその長いアイドル人生の中で良くも悪くもルーティンを卒なくこなせるキャリアにいました。研修生の頃のように必死に汗水垂らす姿を見せる時期はとうに過ぎています。同じ結成メンバーが次々に卒業していき、彼女自身のセカンドキャリアについても考える時期でしょう。
そんな中で起きたこの度のスキャンダルです。同様な理由で辞めた先輩後輩と仲良かった彼女が恋愛スキャンダルを起こした場合どうなるか予想出来ない訳がありません(恋愛感情に理性云々という話ではなく、頭をよぎらない訳がない)。発覚した場合辞めるつもりであったことは、報道から脱退発表までの早さからも推測出来ます。ハロプロの他グループで恋愛スキャンダルを起こしたメンバーは謝罪した後に活動を続けているのですから、継続の選択肢もあった上で彼女自身がそれを望まなかったのではないかと思います。それによって新曲発売延期や諸々の調整作業が必要になってきたとしても。そして、脱退が決定してからの最後のブログに「軽率な行動」と書かれていましたが、半同棲している相手の家からコンサート劇場に通う事は決して一時の迷いからくる「軽率な行動」ではありません。もちろん、彼女が書いたのか会社の意向によるものなのかは定かではありませんが、「彼女の行いは軽率な行動だった」と公式に発信したという事実がある以上、会社としては決して認めていませんよと顧客であるファンにメッセージを送った訳ですね。今後も恋愛禁止という暗黙の了解は有効だと言えます。
恋愛解禁してもアイドルという事業をやっていけるかは、アイドルが所属する会社が現在のビジネスモデルを変えられるかにかかっています。握手会や2ショットチェキで、1体1で向き合わせてアイドルに対するファンの好意を助長させ、そこからくる売上を享受している会社には難しいと思いますが。
あ、あと毎回こういった時にスキャンダルの相手のことを悪くいう人がいますが、誰が誰を好きなるかはお前の知るところじゃねーぞ。
情景もそうだし、登場人物が旅をするにつれての心の動きも描写されてるから、
感情移入してしまって本当の旅とはこんなにしんどいものなのだなと子供の時の私も思っていました。
とくに印象に残ってるのが食に関することです。
一枚食べるだけでお腹が満たされて元気も出るし味もいいという魔法のような食べ物なのだけれど、
毎日毎日そればかりを食べているから完全に嫌気が差してしまって、
ああ無理もう無理、これは無理、見たくもないとなっているのが、
今回のあんス〜くんのライブで、予定席数を超える当選者を出してしまったので
勝手にミスしてしまったぴあの担当者の気持ちになってめちゃめちゃ辛い。
ハピエレからのお怒りはもちろん、
今後会社の人達からも冷たい目でみられそうで本当にいたたまれないし、胃が痛い。
人間ミスしちゃうことはあるし、システムでポチって簡単に実行できる時代だから、
内情知らんのでなんともだけど一人の担当者に全責任を負わせるのはマジで辛いので、
会社全体で頑張って誠意ある対応してくれ、、、それが組織がある意味ですし。
それはそれとして、今回付随したぴあ垢の
・Twitterでの呟きが遅い
問題、
Twitterの動きが遅いのは
ぴあとか古い会社だから、Twitterの運用もかっちり決まってて、
のわりに運用は一人の人に任せっきりにしててIDもpassもその人しか知らないみたいな。(そんなわけないか。ぜ〜んぶ妄想)
インターネットや発信できる場が身近になったからこそ世の中の回転早くなってて、
それに順応できてない組織は動きが遅いってことになっちゃうんだなぁ。
ミス発覚翌日謝罪って遅いもんかしら??悲しいかなハピエレの迅速な対応と比べられちゃったね
(まじ夜遅く発表でびっくりした)(瞬足)(コーナーで差をつけろ)
実際にそんな例ある???
自分ミスしたら絶対ホームページで「会社 謝罪 方法」で調べちゃうわ。
消費者の溜飲が下がるような文かけるTwitter職人を広報採用とかでてくんのかな今後
信頼は無くなってしまったけど。
ま〜お金払ってるハピエレの立場からしたらコロナでイベント運営も大変な中の起きた事件で怒り心頭間違いなしだし、
巻き込まれたファンもぬか喜びさせられてふざけんなって感じだわな。
おわり
でも男女逆で考えると
「理解のある彼君に養ってもらってる女」だけじゃなく、男性の稼ぎに依存している大多数の女性を切り捨てる=自分が切り捨てられる
わけで、女が悪役の方に感情移入するのはわりと可笑しいことじゃないんじゃないのかな
ダメ男を養う女って「自分の中のダメ女を養ってるのだ」なんて言われるし
弱ってる虫とかを部屋とかで見つけて、自分を重ねて逃がしちゃうことはよくあるよね
オタクが暴力ヒロインに憧れていたの(今は嫌われているけど)好きな子を虐めてしまうヒロインに感情移入してたからじゃないかと考えてみる
一つのポリコレ説話として機能させようとしているのは最近のプリキュアの傾向からわかるけど
デュフフフエロイっすねー作者もエロエロなんだろうなーみたいなのは全然平気なんだどなにこれ……
主人公は「仕事はさっぱり、でもコスプレ配信での評価は高い(それもイベントを勝ち抜くほどガチ勢ではない)」というネット社会にありがちな女性です。
ある意味「現代人の病」でもあり、ネットで芸事を発信している人が陥りがちな「壁」を描いた作品でもあります。
エロマンガとして肉厚でエチエチなこともさることながら、それ以上に主人公に感情移入できる等身大なところが作品に没入感を生んでいてすごくいいんです。
さすがに自分が作った同人作品の感想でこんなん書かれたら目が点になるわ・・・
そんなもん狙ってねえよ!