はてなキーワード: 夏休みとは
嫁が仕事を辞めたいといった。あれこれ言ってたが、結局ダルかったらしい。
正社員は大変だからまぁ、いいかと思った。専業になったとしても、まぁ、いいかと思った。
そんなに稼ぎがあるわけでもないが、子供もいないので何とかなるかなと思った。
甘かった。
結局、2年くらい経つが嫁は専業主婦のままだ。洗濯や掃除、メシは作ってくれるので文句は言わない。残業多目でも文句言わないでくれている。
当然、電気代から公共費、貯金までがすべて自分の収入から出て行く。ボーナスでギリ埋め合わせしている。
生活費は5万渡している。飯代にちょちょっと足したらそんなものかと思ったのでそういうことにしている。
なんかカツカツらしいが。
元々そういうところがあったが、とにかくケチが面倒くさい。
何か損した気分になるのが嫌らしい。牛乳は1番後ろに並んでいるものを選ぶし、イートイン脱税も平気でする。
それだけならいいが、それを自分に強要する。自分がお土産に買ってきたものについて、上記に挙げたような点はもちろん、自分が気をつけているらしい事は全てチェックし、文句を言ってくる。
自分の財布から出しているから文句は言わないが好きなアイドルグッズや、PC周辺機器に対しては「たっか!」が口癖だ。
嫁はショッピングが好きで、雑貨屋によく行く。しかし、とにかく損をしたくないので、気になった製品はスマホで調べて、同じ製品が複数あれば一番状態のいいものを選ぶ。ちなみに自分はだらしなく、欲しいものは適当に一番前を選ぶ。
ちなみにこの買い物は自分の全ての休みに行く。週末の土日はもちろん、休日、夏休み、正月休み全部。
嫁が買い物している間、自分は興味がないのでチラッと商品を見て車に戻る。そして、寝る。基本的に残業続きだろうが、家を出るまでに昼寝しているので、そこで充分寝たことになっているのだと思う。
買い物が終わるのが21時くらい。そして夕食に自分は提案てきるが決定権はない。気分でなければ何個出しても決まらないときがある。ケチだが、焼肉やステーキが好きだ。ハンバーグは臭いから嫌いだそうだ。安いステーキも気持ち悪いらしい。
付き合っているころから自律神経がイカれていたが、歳をくったせいか、物忘れやイライラが強くなっている。元々だらしない自分には結婚は向いていなかったんだろう。
家って変だな〜と思う。
私は母親とその祖父母と暮らしていて、父親という存在の事を全く知らない。顔も名前も知らない。「お父さんが〜」とかそういう話を聞く度になんか不思議な気分になるけどそれはまぁよくて、自分の父親にはさしたる興味もない。知ろうとも思わないし、会いに行こうとも思わない。向こうも困るだろうし、新しい家庭とかもあるだろうし。知らない存在は知らないままの方がいいと思う。
夕飯の時間もバラバラだし、朝に至っては同じ家に暮らしてるのに誰とも会わない。同じ屋根の下で、マンションみたいな暮らしをしている。ご飯を食べろとも言われないので今日の私の夕飯はそこら辺に買ってあったピザパンとクラッカーだった。母親とは普通に仲がいいので母親の部屋でテレビ見ながら1人で食べた。
食育という言葉と縁遠いから、個食で孤食だ。家族の温かみとかそういうものに真っ向から喧嘩を売る生活をしている。
産まれてこの方、休日に揃って昼食を食べた記憶も無い。これでも小学生の頃は夏休みには家族で旅行に行っていた。でもそれも私の従姉妹がいたからだと思う。彼女が忙しくなってからというもの、旅行という言葉は出なくなった。反抗期というわけでもないような気がする。ほぼ関心がないというのが本当のところで、祖父母ももう私のことを諦めているんだと思う。
同じ家に暮らしているだけで家族だというならそうなんだろうけど、別に絆とかそういうものはない。
綺麗な言葉で言えばそれぞれの生活を尊重しているということになるだろうし、あけすけに言えば誰も他人に興味を持っていない。本当に時々夕飯の時間が被ると内心めんどくさいと思っている。多分それは母親もそうで、揃って夕飯を食べなきゃいけないときの私と母の暗黙の了解は話を広げようとしないことだ。
面倒なのだ、老人が概ねそうなるように同じ話がループする。「○○さんが〜今日は〜……」知らないし。誰だそいつ。機嫌を損ねるような事をするのも面倒なので聞き流す。右から左にふわ〜っと。ひたすら目の前のブツを胃に流し込む作業。めんどうだからほっとこう、ってよくアイコンタクトしてる。
こうなった事に特に理由はないんだと思う。物心ついた時には、そういう風になっていた。疑問を抱いたこともない。
理想の家族って、正しい家族の形ってなんなんだろう。多分、一生私とは縁がないんだろうな。同じ考え方ができるか、差異を認めて丁度いいぬるま湯みたいな場所を見つけられる人じゃないと一緒に暮らすこともできないと思う。ご飯の時くらい、とか言われても私は知らないからだ。家族の団欒とか言われても、揃ったら会話はほぼゼロだから。私は、祖父母といるとなんだか緊張するのだ。下手なことを言ってはいけない、自分のことを話すのは悪手、言いたいことは言わない。面倒を避けることに労力を割いた方がマシ。
なんだかよくわからなくなってきてしまったのでやめる。1人でクラッカー食べながら飲むお酒は美味しいしくっそ寒いベランダで吸う煙草もいいものだ。もしこの取り留めもない下手な文章を読んでくれた人がいたらありがとう。文字にできて良かった。ばいばい。
タイトルには5chって書いたけど、正確にはVIPで人を集めてゲーム作った。
念のため説明しておくと、VIPってのはかつて2chで最大規模を誇っていた雑談板のこと。昔はとんでもなく面白い場所だったんだが、現在はなんJとかTwitterとか、他の勢いのあるところに押されまくってて寂しい。
実は2chでのゲーム製作には十年以上の歴史がある。昔の有名どころだと『しぇいむ☆おん』(2006年)とか『僕と君の夏休み』(2010年)なんかがある。他にも、当時問題になった企業名をもじった『姉は一級建築士』というセンス抜群のタイトルがあるし、最近では平成31年分のエロシナリオを用意することを目指した『平成のエロゲー』(2019年)なんてのもある。
凋落して久しいVIPではあるが、こういうクリエイティブな動きは細々と続いていたりする。
素人でも簡単に使えるゲームエンジンとか、凄いクオリティのフリー素材なんかはインターネットにいくらでも溢れているので、作ろうと思えば俺一人でもノベルゲームくらいなら作れる。でも、匿名で燻ってるクリエイターたちに何か作る場を用意することで、なんか面白いことができるんじゃないかなーと思った。「一人でもやれる人が集まるとそれぞれ個々人の予想を超えた何か面白いことが起きる気がする」って『フルサトをつくる』にも書いてあったし。
あと、ちょっとした話題性を狙ったのもある。無名の個人が作ってるゲームなんて今じゃ誰も遊んでくれないが、「匿名の変な奴らがなんか集まって作った」というストーリーがあると、少なくとも2chに入り浸っているは面白がって遊んでくれそうだ。それに、匿名のよくわからない奴らが集まって一つのものを作るという状況そのものも、なかなかカオスで面白い。
自分にできること、できないことを仕分け、できることについては全力でがんばる。できないことについては、VIPでスレを立てて人を集め、できる人に製作スタッフになってもらう。人が集まらなければ、フリー素材で済ます。これが大雑把な流れになる。
例えば俺はシナリオとプログラムなら書けるが、絵は描けないし、曲も作れないし、デザインの知識もない。よって募集する人員は絵描き、音屋、デザイナーということになる。
当然だが、基本的にスタッフはなかなか集まらないと思った方がいい。まず、目的となるスキルを持った人員の母数が小さい。特に音屋はなかなか捕まらない。今回俺は音楽については早々に諦め、フリー素材で済ませることにした。
まずは企画立案をする。こんなゲーム作りたいなーってのをざっくりまとめて他人に説明できるようにする。俺は次のようなことを考えて企画を練っていた。
どうせ作るなら多くの人にやってもらいたい。しかし現在は無料で遊べるソシャゲとか動画サイトなどの隆盛に加え、優秀なゲームエンジンやプラットフォームの登場によって、ノベルゲーム界隈はレッドオーシャンと化している。そんな中で無名の素人が目立つことは難しい。かと言って、作ったゲームが誰にも遊ばれないんじゃつまらないし、集まってくれるであろうスタッフにも申し訳ない。
そんなこんなを勘案して俺が考えた企画のコンセプトは、超短期決戦だった。現実のイベントに合わせて、お祭り的に展開できるゲームを作るのだ。遊んでもらえるのは恐らくイベント期間のみに限られるだろうが、元々ロングテールは狙えないのだから、短期的にでも目立てることを目指す。ユーザーの可処分時間の奪い合いをしているような戦況で、あんまり長くて複雑なノベルを書いても敬遠されるだろうから、さくっと遊べるわかりやすい短編にする。スタッフの労力も少なくなって人を集めやすくなるだろう。俺が企画を考えていたのは10月上旬。製作期間を考えると、発表できそうな時期のイベントとしてはクリスマスがある。じゃあクリスマスを舞台にした短編ギャルゲを作ろう。こんな感じで計画を立てた。
次に、シナリオ作業と並行して、スタッフ集めのための募集スレを立てる。と言っても、匿名の奴に「一緒にゲーム作ろうぜ」と誘われてもなかなか信用できないのが普通だろうから、企画立案者は何かしら信頼してもらえるための材料を用意する必要がある。それは特別なものでなくて構わない。絶対に完成させてやるという熱意だったり、現状できあがっている企画書や成果物を見せるとかでいい。俺は誰も集まらなくても完成させるつもりだーとか言いながら全レスしてた。また、早々にシナリオの初稿を書き上げ、「もうシナリオほとんどできてるから後は素材当てはめるだけで完成だぜ」アピールもしてた。これなら傍から見ても完成する確率はそこそこあるように見えるだろうし、自分の作ったものが無駄になる可能性も低いと思ってもらえるだろう。あと当たり前だけど、やってもらいたい作業や作業量も事前に具体的に明確に伝えましょう。
今回の企画で集められたスタッフは、イラストレーターとデザイナーと賑やかしのギャラリー。彼らを集めるまでに掛かった期間は数週間程度。思ったよりもスムーズにスタッフが集まってくれた。
VIPは雑談板なので人を集めるのには向いているが、スレはすぐに落ちてしまう(書き込めなくなってしまう)ため、作業をするのには向かない。よって、他所に作業をするための安定した場所を用意する必要がある。2ch発の企画なので、したらば等の外部板に専用スレを立てるのも趣があるが、今回の企画では利便性のため、discordのサーバーを立て、そこでスタッフ間のやり取りを行った。もうこれVIPでのゲーム製作って言っていいのかわかんねえな。
毎週末には進捗報告会をすることにした。必要な作業量はそこまで多くないので、そんな頻繁に会議を行う必要はないっちゃない。実際、素材の提出も「公開予定日にさえ間に合えばおkだよ~」というスタンスでアナウンスもしていた。ただ、あまりにも締め切りまでの期間が長いとだれてしまう。コンスタントに集まる機会を用意するとそれを防げるし、モチベーションの維持にも役立つ。
そんなこんなで無事ゲームが完成した。
https://novelgame.jp/games/show/2684
15分もあれば終わる全年齢向けブラウザゲームだ。もちろんスマホからでも遊べる。最近のゲームエンジンは凄い。
作ってみて感じたのは、今でも匿名掲示板にはクリエイティブな人間はそれなりにいるということ。層の厚さはゲームの出来にも現れているんじゃないかと思う。ヒロインの立ち絵はなかなか可愛いし、デザインもこじゃれている。往年のVIPクオリティには及ばないかもしれないが、衰退期に入って久しいVIPでは多少は健闘できたんじゃないかと思う。
それと、匿名の書き込みの裏にはちゃんと人間がいるということ。普段は匿名である彼らと顕名でコミュニケーションを取るのはなかなか愉快な経験だった。
あとは、今回の企画の裏テーマとして、落ち目であるクリエイティブ系匿名文化を盛り上げたいというのもあった。それが成功したのかどうかというと、まあ微妙なわけだが、こういうノリはまだ死んでないってことくらいは示せたんじゃないかと思う。
古参のはてな諸氏におかれましては、恐らくニュー速出身の方が多いだろうから、俺とは肌が合わなかったかもしれない。しかし、匿名で長文を投稿して読んでもらえるwebサービスというと増田くらいしか思いつかなかったので、こちらで書かせて頂いた。最後まで読んでくれてありがとう。VIPPER兼増田の次回作にご期待ください。
工業高校に通っていた頃を、ふと思い出した話
時代だからかバカ学校だったからか、学校祭の準備期間になると制服を着ている人のほうが圧倒的に少なかった。
作業着を着てるのはまだ良い方で本番に着る衣装をそのまま来てる人も大勢居た。先生さえも変な格好している人もいたくらい。
正直自分でも可愛いと思えるほどに仕上がり、周りからは似合う似合うと煽てられて買い出しに行ってもまったく不審がられず、
周囲からは少し女を意識したような扱いをされて有頂天になった俺は何を勘違いしたのかその後も女装を続けることにした。
他のコスプレじみた格好をしている人に比べれば女装なんて大した問題じゃないと本気で思ってた。
委員だったので女装姿で校内を闊歩し、女子がいることに驚く男子の様子や、不穏な視線に過剰なスキンシップさえも心地よく
そのまま学校祭が終了した後も夏休みに突入するちょっと前までずっと女装してた
試験や夏休みを挟んだお陰で道を踏み外すことは無かったけど、女性がチヤホヤされたいって気持ちはもの凄く良くわかった。
女子→男子のチヤホヤと、男子→女子のチヤホヤはレベルが段違いで、心がフワフワしてとても心地よくなる。
何かにつけて話を続けようとしたり触れようとしてきたり、スカートが揺れたら視線で追う姿が何だかとても可愛いと感じてしまう。
最初こそ胸の大きさ控えめ・ヒザ下丈の長ーいスカートだったのに、煽てられたり貢がれている内に
高いウィッグとそこそこ大きな胸(柔らかい偽乳)・膝上20以上の超ミニスカ穿いてお姫様気取りだった。
実習の時間は流石に女装は解除していたけどそれでも周りの反応は全然違った。
今思い出しても結構面白い思い出なんだけど、道を踏み外すことが無くて良かった
そして何故先生は注意してくれなかったんだろう
公立学校教員の労働時間についての詳細な話等は記しません。「教職調整額」という名の搾取システムについては、このあたりの記事が分かりやすいかと思います。
教師に残業代が出ない理由を理解するために知っておきたい2つの事実
https://education-career.jp/magazine/career/2019/kyouin-zangyoudai/
残業代ゼロ 教員の長時間労働を生む法制度(内田良) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20171211-00079169/
今回は、公立学校や他の私立学校に先んじて「変形労働時間制を導入した私立学校」の実態レポートをお送りします。「何かの足し」になれば良かれと思いまして。
それまで、私の勤務先については「残業代」についての規則が存在しておらず、36協定も締結していなかった。
そもそも、私立学校の勤務時間管理は「一般企業」と同じ扱いであったらしい。そのことを私は知らなかった。なお、私は職場の組合の「代表者」を務めている。
酷い話だ。酷いのは自分だ。
私の勤務先は、様々な点において「公立学校に準ずる」という点が多かった。それは、学校法人が税金を受け取って運営されているという面もあろう。勤務についても、公立学校と同じく「残業青天井」だと思い込んでいた、それまでは。
そもそも、この話は何故始まったのか。
理事側が言うには、その夏に労働基準監督署からの指摘があったということだった。「36協定を締結せよ」「協定が無いままに、職員を残業させてはならぬ」と。嘘か本当か分からぬが、その夏休みに都内の私立学校の幾つかにに対して、同様の査察(?)が行われたという話も理事側から聞いた。
私はそれまでの20数年間、残業代が支給されないのは当然のことであると考えていた。
タイムカードがあるわけでも無く、管理職は各教員の詳細な勤務時間を把握しているわけでも無く。
また、部活動の指導に費やす時間についても、その状況は教員によって様々であった。「部活動指導」というパンドラの箱は、本校内においても「開きかけたり、閉じたり」している。本格的に開けてしまうと、カオスが増すからである。
2017年度においては、「各専任教諭は、何かしらの部活動顧問を務めるように」というお達しがあった。
2019年度現在、「なるべく、部活動顧問をやってくれ」という風に、理事(校長等)側は「言うだけは言って」いる。理論上は部活動の顧問を持たないことも、可能にはなっているようだ。
しかし、実際は「公立学校の部活動顧問の状況」と大差ないと言えよう。「やりたい人間」は放っておいても、年中ほぼ無休(かつ、ほぼ無給)で部活動指導に勤しむ。「やりたくない人間」も当然居る。また、「やりたくないけど、仕方なく」という者も。
理事側の希望としては、2017年の10月(年度の真ん中)より、36協定を発効させたいとのことだった。そのため、理事側は36協定の素案を提示してきた。
その素案は、全体として「現状の勤務・賃金形態を変更せずに、法に沿うように規則を再構築した」と言えるものだった。
給料等は一切変わらないが、現行の「調整手当」を「残業代の定額払い」として再定義するという話だった。
この「調整手当」とは、公立学校(等の地方)公務員の場合、「東京都(区部等)の物価が高いので、それを調整するため」に支給されているものである。従って、そもそも「残業代に相当するもの」ではない。
勤め先は私学であるが、この「調整手当」も「公務員に準じる」ということで、支給されていたのだ。
この解釈は、理事側が社労士(?)あたりに相談し、法的に問題ないことも確認済みだという話だった。
私を含めた組合側の代表も、「給料の手取りが変わらないのであれば、拒否する必要もないだろう」という見解を伝え、後に組合員全体に諮ったのであった。
その話し合いに付随し、理事などが言っていたことは、おおよそ以下の通りだった。
・来年度(2018年度)からは変形労働時間制を導入する予定。
・「週1日の『研修日』」を廃止し、「完全週休2日制」とする。
・40時間を超えた部分については、新規に「超過勤務手当」を支給する。
「研修日」とは、公立私立を問わず、中学高校ではよく見られるシステムだ。
週の1日程度、「担当する授業を持たない日」を設定しておき、その日は「出勤せずとも済む」のである。
数年前の又聞きではあるが、都立「高校」の教諭について記す。休日である日曜日(と土曜日?)の労働(だいたい部活動絡み)が「所定の数(詳細は不明)」を超えると、翌年度は研修日が設定可能になる、とのことだった。
私の勤務先の仲間である組合員(残念ながら、過半数は超えていない。しかし、私の職場はその意見を尊重してくれている)からも、「36協定」について、特に異論はなかった。
2017年10月に「遅すぎた36協定」は締結されることとなった。
36協定が発効する。
変形労働時間制の年間の案が示される。
その「年間計画」が妥当なのかについては、理事側と組合側で意見を摺り合わせる機会も無かった。
基本的なルールは以下の通りだった。作成したのは、基本的に人事担当職員だった様子。
・それぞれの教員(および事務職)について、平日1日を「法定外休日」として設定する。
・行事(各種式典・保護者会・入試等)で「頭数」が必要な日は、全員出勤となる。
・法定外休日がどの曜日にあっても、総勤務日数(250日強)と総勤務時間(2000時間強)が変わらないように設定する。(←この点に非常に苦労したはずである)
・会議が設定されている曜日などについては、10時間勤務で途中に1時間の休憩を挟む。
・育短、産休、育休、介護休業等に入っている者は、前述の「8時間勤務で間に1時間の休憩」。
私個人としては「カレンダーを作るのが大変だったろうなぁ」と考えた。また、その人事担当職員に対しても、普段の仕事ぶりには敬意を持っていた。そのため、特に「異論」を申し入れることはしなかった。
36協定も改めて締結。
2017年度と比較し、勤務時間等を含めた「働き方」自体は、概ね変わらなかった。良い点も悪い点も。
『出勤簿上の勤務時間と実際の勤務時間には齟齬がある』ということだ。ただし、結果的には「拘束される時間」は若干の増加を見た気がする。
この『齟齬』が労働基準監督署などに改めて見出された場合、指導が入ることになるのだろう。
36協定も改めて締結。
明らかな変更は、先に述べた「部活動の顧問は強制では無いが、なるべく何らかの顧問を担当して欲しい」という指示があったことである。
どこの学校であっても「あまり文句を言わず、仕事をコツコツと進める人物に、仕事が集中しがちになる」という面はあるのでは無かろうか。
私の勤める学校の理事も、それを改善するつもりはあるようで、「仕事分担は公平に」という意図のメッセージを随時発してはいる。
しかし、年度当初あるいは年度途中、各分掌(教務とか生活指導とか進路とか)や各学年、各教科内で様々な仕事を割り振る段階で、1人あたりの仕事量の軽重が発生してしまうのである。加えて学校幹部は「何らかのプロジェクト」を(勝手に)立ち上げ、その責任者に「忙しい人」を指名したりする。
なお、教科の違いについては、私の勤務先ではあまり考慮されていない。週当たりの「担当授業コマ数」については、概ね一定となっている。このあたりは、学校によって異なるはずである。
授業準備という「重要な仕事」をする際に、最も関わってくるのが「担当科目の種類数」でもあろう。このあたりも、私の勤務先では明文化されていない。
個人的には「教えることが一番楽な教科」は数学だろうと感じている。なお、私が担当している教科は数学ではない。「楽」イコール「楽しい」というわけでは無いだろうとも思う。私は、学生時代に最も好きだった、楽しかった教科の教員をやっている。それなりのやりがいを感じながら。
これはかつて私が結婚していた時の話である。たまに職場の人が義理の親に対する付き合いの面倒くささを語りだすと、私も現在進行形で元夫やその親族との付き合いにイライラさせられているような気分になり、なぜか自分が話を奪って当時の思い出話を語ってしまう。
私の元夫(以下、面倒なので『ヤツ』と呼ぶ)は実家とママが大好きだった。休みの日になるとお昼過ぎまで寝て、グータラテレビを見た後実家に出かける。当時土・日の夕食作りはヤツの担当だったが、ゴロゴロしてテレビを見ていたり、家で仕事をしていたママの手伝いをしたりして、なかなか妻の待つ家に帰って来なかった。今思えば自分だけコンビニ弁当でも買って先に食事をしておけば良かったのだが、なぜか意地になってヤツの帰りを待っていた。だいたいヤツは自分で夕飯を作ることはあまりなく、気を使った義母が作ったおかずを持って帰ってきたり、私を義理実家に呼びつけるという暴挙に出た。義母は家で仕事をしているのだから我々の食事の心配をする余裕なんてないはずなのに、ヤツは自分で冷凍食品をチンしたりインスタントラーメンを作って私に食べさせた。別に私はヤツに手の込んだ料理など期待していなかったが、わざわざ義理実家まで行って帰る時間のロスがイヤでたまらなかった。
私は独身の頃、家事を母に任せきりにしていたため、家事の要領が悪く、夫より先に家に帰って夕食を作るというのが恐ろしく苦痛だった。特にヤツが早く帰ってきて、「早く飯にならないかなぁ」みたいな態度でテレビを見てのんびりしているとイラっと来た。仕事帰りに何となくウィンドウショッピングをしたりしてのんびり帰る自由を奪われたことにもイラついていた。
土・日はヤツが私と同じ苦しみを味わうべきだと思っていた。だから家の中が汚れても散らかっても、ヤツが実家でのんびりしているときは絶対に掃除なんかしなかった。基本的に稼ぎも家計に入れる金額も二人一緒なのだから、家事の負担も平等に背負いやがれと思っていた。
今になって家事のベテランの女性たちが「○○はこういう風に料理すると美味しいのよね」などと話しているのを聞くと、家事は単なる苦痛ではなくて楽しもうと思えば楽しめる代物だったことに気付いたが既に時遅し。今は自分の気が向いたときだけ料理すれば良いのに、そもそも料理をしないで生きようとしている。だいたいスーパーの惣菜などを食べることが多いが、味つけが濃いし、どんな添加物が入っているか分かったもんではない。
それはさておき当時の姑は、我々夫婦と義理の妹夫婦を呼んで食事会などをすることを好んだ。そしてGWや夏休みは義母の実家に一族で出かけるのがお約束であった。私は旅行するならいろいろなところに行ってみたかったし、普段誰も住んでいない義母の実家でサバイバル生活みたいなことをして掃除や料理をしなくてはいけないということにムカついた。日常生活でイヤイヤ家事をやっているのに、わざわざ休みの日に全然好きでも何でもない一族と行動を供にし、日常以上にハードモードの家事をやることに耐えられなかった。その件についてヤツに文句を言いまくったところ、我々は近くのホテルに泊まってよろしいということになり、無事上げ膳据え膳の旅をすることができなかったがそれでも行き先を決める自由がないのがイヤだった。
私は結婚しているときも友人にそんな愚痴ばかりこぼしていたので「何が楽しくて結婚したの?」と聞かれたし、結局その不満が溜まりたまって離婚に至ったのだが、おかげで既婚者が義理実家について愚痴を言うとその気持ちが良く分かる。一度も結婚したことがなく、結婚生活というものに夢を持っている人は、結婚相手の候補が現れたときに、その人の家事能力とマザコン度をよくチェックすることをおすすめする。ここを見誤ると結婚するより独身でいるほうが楽だという結論になる。
離婚してから20年近く経つけどやはり結婚はしたくないと思う。もはや相手になってくれる人を探すのも難しいだろうけど、とにかく家事と義理実家との付き合いに労力と神経をすり減らすのはまっぴらだ。できることなら一緒に遊びに行ったりする彼氏は欲しいが、相手のためにご飯を作ってあげるとかその手の行動を期待されるのがイヤだ。
離婚するときに、義母に「あなたたち両方子どもなのよ!」と言われ、確かにお互い相手に要求するばかりで譲ることを考えない生活だったなと思うけど、自分のやりたいことを優先するには孤独に耐えるしかないのかなと。この経験が私にとって糧となったのかトラウマとなったのか自分でも分からないけど、とにかく「結婚=幸福」とは限らないことを身にしみて実感した。
平気で目の前で山に埋めるだのアガリが出せんとか殺すぞとか平気で電話していたしね。
一度目の転校は小学三年生の時で、母親の実家から転校した。どうも刑務所に入るとかで一端別れていたらしい。ここで父親と初対面で同居と言う事になった。
母親も頭がおかしいし若かったから永遠と当たられたり、精神的に不安定だったのか何かある度にあたるの母親張りに産まなきゃよかったとか言われる日々だった。
今思えば俺も精神的に不安定で環境になじめないし教師にもなつけないし、両親にもなついてなかったと思う。五年生の時には弟が出来たんだんだが、そのせいかどうかは分からないけどかなり放置されるようにはなった。
六年生のころにまた転校で出戻り。出戻りの理由は捕まったって言うのが理由で、父親が逃げたんだと思うけど警察に色々説明させられてしんどかった思い出がある。
もういつでもビクビクしていた。他人が信用ならないと言うか、未知の化け物なんだよ。それが理由か分からないけどイジメられて、それが他人嫌い?をかなりひどいものにしたと思う。
中学校では他人への恐怖の裏返しか分からないけど暴力的な衝動が止められないし、父親と同じなんだなぁと言うのが堪らなく嫌だった。それでもやめられないことに吐き気がした。
そのころになると母親は工業高校に入れと言いだした。弟を学校に行かせるのは金がないと言う話だった。
子供だったし、すっかり透明な俺に頼って貰えたのが嬉しかった?のか言う通りにしたんだが結局金蔓なんだよな。兎に角俺は親の求める通りに動いていって就職して金蔓。結婚もしてないのに貯金もなく月二万円のお小遣いを有難くもらう人間になってるんだもんなぁ。
夕食は弟と母親の残飯、それはずうっと変わらない。二人は夏休みに家族旅行に行ってるんだもんなぁ。
29で彼女はいたことはない。好きな人は一回だけ出来たけど、なんというか自分が汚いと言うか汚らわしいんだよ。こう存在そのものがそう感じる。シザーハンズなんて気取った感じじゃないんだけどさ。他人嫌いもきっと酷い。29年で一回しか人が好きにならないのは正直異常だし。
そんなこと言いつつ結婚も子供も嫌なんだよ。結婚はまず間違いなく相手に迷惑をかけるし、ヤクザの三親等は公務員になれないと聞くし大企業は無理だろう。可哀想なんだよ。俺の子供って言うのがもそうだけど、努力が決して報われない子供はかわいそうだ。
思考が上手くまとまらない感じが年々酷くなってきてる。鬱と躁?というか、感情の浮沈がちょっとひどくなってきているし死にたいと感じる期間が冬だけじゃなくなって久しい。
当方 アラフィフ男性、中学生の息子あり。こいつが 宿題とかテスト勉強とか 全然やらないんだな、これが。
成績はそこそこだが、今手を抜くと後が怖いんだが。。。。三単現のS如き間違えるな、といいたい。
>うちのより偏差値低いくせによ。
うちの長男は 公立中から開成高なので、学力はかなりあるほうかと。で、中学以降学習面では手のかからない子だった。
そんな家族でも、下の子は、やらないんだな、これが。やっぱり一人一人の個性はあるよ。
内申点=体重減と置き換えると、世の中自分の体重コントロールできない人がいっぱいいるよね。
増田のお子さん個人特有の問題じゃなくて、そういうことが基本的にできない、というのは 多分広く一般的なんだよ
今宿題をやらないと将来大変なことになるからアクションしなきゃ、って自発的に出来るのって、実はこれは一つの能力だと思うのだ。
>同じようなタイプのお子さんをお持ちの人はどうしているんだろう
母親はよく頑張ってる。なので、無茶苦茶疲れている。嫁には感謝なり。
自分は、テスト勉強を一緒にやってる。テスト範囲を全部読み込んで、間違えそうな問題を口頭で質問したり紙に書いたり。
後 どうしても出せない宿題は、手抜きを指示している。とにかく出せと。自分で書かせる。
夏休みの最終週は会社休んで、となりで指示出してたね。作業だけはさせる。品質低すぎるので嫁の目の入らないところで、黙認してもらう。
公立中の場合、テストの点数の他課題の提出状況も内申点に影響するから いらっとするよ。
手伝わないとどうしても後で後悔する(子供が失敗したときに自分が後悔する)のが嫌なんじゃないかな。
義弟のマンションは今は誰も住んでない状態で、義弟家庭の物置き状態です。
賃貸にもだしてないです
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情けないことに義弟夫婦のことでモヤモヤしていて眠れないので書き込ませてほしい。
私の心的問題もあるのかもしれない。不定期でモヤモヤがやってきて心を煩わせる。今日の夜がそれだ。増田に書くのは誰でもよいのでこのことについて意見が聞けたら、という思いがあったから。もちろん多少フェイクは入れている。
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私は結婚して10年になる。妻には弟が一人いる。義理の弟夫婦とは一緒に結婚式を挙げた。義理弟は姉思いの弟で姉より先には結婚式は挙げられない、と言ってずっと待っていたようだ。
両家はそれほど裕福ではないが、義父母はマンションを2つ所有しており、そのうちの一つを義理弟夫婦名義に変え結婚を機にプレゼントした。
もう一つのマンションは義実家として、義父母が引き続き住み続けることになった。
両家は飛行機がなければ行き来できない距離であり、私の職場は東京であった。
東京での仕事は比較的順調で、実家、義実家あたりでは得られないような好待遇であったので結婚後も引き続き、東京へ戻り賃貸生活をしていた。
ある程度お金がたまった。だけど東京で家が買えるほどではない。
そこで私たち夫婦は義実家付近で比較的大きなマンションを買った。その理由としては、
などであった。
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マンション購入後、義両親にとても喜んでもらったし、普段からとてもよくしてもらっている義母に孝行できたことが満足であった。
ところが、義両親が住み始めて間もなく、義弟家族(息子が一人いる)が朝ごはんだけ食べるためにやってくるようになった。
新実家と義弟マンションは比較的近くにあり、歩くと20分くらいの距離にある。
最初はたまにそういうことがあってもいいんじゃない、と気にしていなかったが、徐々にその頻度が多くなり、義両親が住み始めて1年もしないうちに、3LDKのうちの一部屋が完全に彼らの部屋となり、彼らは自分たちの家には帰らなくなった。
甥はその時幼稚園。義実家の手厚いサポートのもと幼稚園へ通い、小学校が新実家から近いということもあり、新実家からは離れられなくなった。
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妻は教員をしており、夏休みなどに娘を連れて、新実家に帰ったのだがえらい憤慨していた。
甥は甥で、自分の家だと思っているし。私も子供相手にあえてそれを正すこともできない。
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住むなら住むで何か一言あったら、私も気持ち的に納得ができるのだが、義両親にも妻にも私にも何の一言もなく今も住み続けている。
あと、生活費などは一切入れていない。普段の食費、光熱費、管理費などは全部義両親持ち。義両親、年金暮らしなのだが。
義妹は容姿的には恵まれているが性格がちょっときつい人で、ある一時は「家族間でお礼を言うなんてどうかしている。家族なんだから色々してもらうのは当たり前でしょ?」が口癖で、
ああ、この人とは基本的な価値観が違うんだなと思った。当然義母とはうまくいってない。
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義両親が東京の私の賃貸マンションに遊びに来ていた時、たまたま新実家付近に出張の用事が出来、新実家に泊まりに行った。
言うまでもなく、もう彼らの家のようだった。トイレの電球が切れていた。義弟に焼き肉をご馳走してもらった。
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妻は義母と甥を連れて1週間の旅行へと出かけた。甥は義弟夫婦に旅行に連れて行ってもらったことがないので、新体験にとても喜んでいた。
そして、妻になつきすぎてべったり。少し大人な娘は、その場では何も言わなかったが、このことがすごく不満で「お母さんを取られた」と言って憤っていた。
甥、娘ともに10歳です。
実家暮らしだけど、義弟夫婦はお金には余裕があまりない様子で、家族旅行に連れて行ったことは一回もありません。
仕事や遊び?も忙しいらしく甥の面倒は義母がほどんど見ています。
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何となく義弟夫婦もそれを望んでるような気がする。東京にマンションを買えばもうそこで定住するし、実家にもあまり帰らなくなるし、快適に住み続けられるし。
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恩着せがましい自分に嫌悪するときもあるのだが、今晩がそれだが。
ただ一言「生活助かってる、ありがとう」って一言言ってほしいんだ。それだけなんだが、それがすごく高望みな考えなのだと思う。
いっさい努力しないで(やりたくないことを何もしないで)月収手取り20〜30万円相当くらいの暮らしがしたい
それ以外は全部嫌だ でも無理じゃん
死ぬしかないと思うしそうしたいんだけど、彼女が悲しむだろうと思うととてもできない
かといって彼女のためならメチャメチャがんばるぞって気概もない 昔から気概があったことがなくて受験のときもダラダラやってたら1浪した
もうダメだあ まだ大学生だけどさ、頑張って良い企業入ったところで週5(以上)で働かないといけないんだろ 40年以上
大学の夏休みですらダラダラ寝てばっかで年金の振込すらできずに税務署の人が訪ねてきたんだぞ 週の半分以上やらないといけないことがある上長期休みがない生活を40年なんて絶対ムリだ
みんなどうやって耐えてるんだ 人生に いくら頑張っても死んだら無じゃん ビルゲイツもホームレスのオッサンも死んだ時点で等しく無意味と思うとモチベーションなんて皆無になる 満足感が大事っていうなら俺はいま自殺したらすごい得した気分(40年間の労役をスキップできるから)で大満足だろうと思うよ
子ども子育て支援法では、特定保育・教育施設として、認可保育所、地域型保育事業(小規模・家庭的・事業所内)、認定こども園、幼稚園(給付型)などがある。
運営事業者は、株式会社、社会福祉法人、NPO法人、個人(個人運営は、都市部だと、家庭的保育事業でもない限りないと思う)など様々だ。
また、運営している園の数もまちまちで、株式会社だから多くの園を運営しているというわけでもない。(割合としては多いけど)
子ども子育て支援法は、個人給付のため、園数が増えれば増えるほど収入が増える。
また、株式会社は人件費比率が低めな傾向があり、利益を上げる。
認可保育所ではこの利益を30%以上保持することは許されない。
(そもそも、そこまで余る設計にしていないし、余るなら職員の給与や施設充実などに充てろということ)
しかし、弾力運用という制度があり、自治体と協議することで、新設園の整備資金などに回すことが出来る。
(確か、地域型保育事業だと協議すらいらない。これが地域型保育事業の増えた理由ともいえる。)
その場合、多くの園を経営することで、規模のメリットを享受し、利益を上げ続けることが出来るという算段なのかもしれない。
そのため、現在、株式は有象無象の勢力がひしめき合って、新規開所を競っている。
【良いところ】
株式会社の園は、組織的経営をしていることが多く、園運営に対する費用対効果で効果の方が高ければ、費用徴収はするが、保護者へのサービスも結構してくれることがある。(例えばオムツの処理など)
そのため、保護者と園側のルールが明確で、延長保育料などの費用負担が明確なことが多い。
【悪いとこと】
・保育士不足になると一気に回らなくなる。
採算性の点から、各園の保育士の配置をギリギリにしている傾向がある。
保育所は子どもの大きさに合わせた狭い設備のなかで、大人が働いており人間関係によって、大量退職などが起きることがある。
そうなったときに、一時の赤字を被ってでも保育士を配置するということが出来ない法人が多い気がする。
たぶん、貯めた給付費を前述した新規園の整備費用に回していたり、事務費とか委託費とかいう名目で本部へ吸い上げているからだと思う。
拡大路線を取っている法人がほとんどのため、営業推進部隊はいるが、管理部門が脆弱だったり、前述の人材確保能力・資力がない本部のことがある。
特に子ども子育て支援新制度(H27)以降に、拡大しはじめた法人はその傾向がある気がする。
昭和時代から運営している事業者などは比較的、安定した経営基盤があり、また地元にも根ざした園が多い。
新しい法人も比較的しっかりしていることが多いが、余裕は無い場合がある。
東京近郊以外の法人(京阪神や九州・四国)、一部北関東の法人が都内近辺に進出しているイメージ。(社会福祉法人に限らないか。)
【良いところ】
・余裕のある考え方をしてる。
古くからある園では、運営が安定していることが多く、余裕を感じる。(特に単園または2~3園位を運営している法人)
【悪いところ】
・トップの考えが古かったり、組織として機能不全を起こしていることがある。(特に組織としてのコンプラ面)
福祉とはこういうものだという考えが強い園や、逆にビジネスライクを超えたルールへの厳格性を求めてしまうことがある。
その場合、雇われ園長や主任が問題であるならいいのだが、法人のトップや実務担当者がそういう考えだった場合に、修正することが難しい。(株式のように風評や採算などを超越することすらある)
複数の園を運営している場合、本部機能が脆弱なことがある。また、地方の法人は株式会社に比べてレスポンスが遅い気がする。
また、東京都近辺のニーズを把握しきれていないことがある。(例えば園のルール。株式だとそこは考慮してくる。)
ここで気を付けてほしいのは、株式だからダメ、社福だからダメということではないという点。
認可保育所と幼稚園が違うように、地域型保育や認定こども園も全く違うものであることを知ってほしい。
①幼稚園
一義的には教育施設のため、教育カリキュラムが充実しています。特に絵画や図工、音楽系は保育所などに比べると熟す回数の差だけの効果は期待できます。
一方でほとんどの幼稚園は私立のため、児童が付いていけなかったとしても、徹底的にフォローするということ点では認可保育所に譲る気がします。
これは先生のスキルというよりも、幼稚園はあくまで私立学校であり、出来なかったり、したくないのであれば、園に来なくてもいいですよというスタンスが見受けられるためです。
そのため、事前に保護者にも行事への協力や費用負担を求める園が、認可保育所に比べて多い傾向です。
なお、預かり保育を行っている園が多くありますが、夏休み期間中はやっていない園も多くあるので、働きながら幼稚園に通わたい場合は注意が必要です。
幼稚園と認可保育所のいいところどりのような位置づけですが、結構曲者です。
確かに教育をしつつ、保育も行うという高い理想があり、それを実践している園もあります。
気を付けなければいけないのは、認定こども園は昔は幼稚園だった園が多いということです。(認定こども園は民主党政権時代に高い理想と待機児童解消に生まれた制度です。)
①で書いた考えの法人が認定こども園になった場合、産休を取るときに、実質的な退園勧奨をしてトラブルになったりしています。
今は下の子が生まれて育休を取ったとしても、育休が終わったら復帰するんだから、上の子は育休中も継続して同じ園に通えるというのが現行制度です。
しかし、3歳児神話でもないのに、「一義的には子どもは親が見るべき」という考えのもと、トラブルになったりします。
…何考えているんだろうね、こういう法人。そんなことしても少子化が加速するだけで、最終的には園が運営できなくなるのに寄与するだけなのに。
(この考え、保育園の運営法人でも持っている人がいて、考えを変えるのは大変なことなんだなと思うことがあります。)
いわゆる保育園です。入所可能年齢が低く、預かる時間が長いこともあり、一義的には生活の場であり生活を覚え、人とのかかわりを経験していく場と考えられています。
そんなの当り前だろうという人がいるかもしれませんが、例えば育休明け1歳児で預けたとして、一日12時間くらいいたりするのです。
しかも、大人のように社会のルールや、人との会話・接し方、食事の仕方、靴の履き方…
(もちろん一日の食事のうち2回は家だからとか色々ありますが、働いている親が土日にしていることを毎日保育士がしているわけです。)
そのため、教育(幼稚園のところに書いた絵画や音楽とか)という点では、どうしても熟す回数に差があります。
近年はそこに力を入れる園も増えましたが、一日12時間いる中で、そういったことを行うには、子どもも慣れる時間や訓練が必要ですし、保育士側にも相当なスキルや経験が求められます。
ということは、登園前やお迎え後、土日の保護者にもそれなりの余裕やスキルが求められるという点に注意してください。
(幼稚園は保護者に対して、元々求めています。保育園だけでやれば幼稚園並みの経験、教育が出来るというわけではないということです。)
つらつらと書いてしまいましたが、要は保育所や幼稚園を申し込むときには口コミや友達の話だけでなく、ちゃんと見学に行くんだよ!ってことです。
夏休みの終わり、万年一回戦負けの弱小野球部に可憐な女子マネージャーがやってきた。
楚々として落ち着いた立ち居振る舞いで、近くを通りかかると甘い香りがふわっと立ち上る。
そんな彼女にヤル気を刺激された野球部は、彼女にいいところを見せようと猛練習を始めだした。
自信を得た彼らは彼女を甲子園につれていくためさらなるトレーニングを積む。
そして翌年、彼らは順調に勝ち上がり夏の地方予選決勝を目前にしたある日のこと
マネージャーは薬物所持で逮捕され、野球部には無期限の活動停止処分が下る。
みたいな感じな気がする
カッペ系リトルビジネスはお店のブランディングであったり、海外からの文化輸入であったり、
そういう点のこだわりがめんどくささを生み出してるんだと思うけど、
それとは別のもう少し庶民的めんどくさい店巡りが好きな先輩が大学時代にいたことを思い出した。
15年以上前の話だけど、夏休みには、イラクにいって、仲良くなった現地人と一緒にゲームセンター(プレステ置いてるだけ)で遊ぶという
豪快な先輩だった。
先輩は基本的には、オシャレ系ではなく、汚い系一見さんお断りっぽい常連だけの店によく乗り込んでは、
持前のコミュ力で、店主と仲良くなっていた。もちろんたまにブチギレられていたが、そこも含めて楽しんでいたようなので
新橋にあるポテトサラダだけが異常に美味いおばちゃんが一人でやってる店を発見して、常連のおっちゃんと仲良くなったり、
タワマンがまだ工事中だった古き良き時代の武蔵小杉で、オシャレを目指そうとするが、どうにも垢ぬけないバーで、カクテルを教えてもらったり、
平間にあるルールが厳格な焼き肉屋で、店主に気に入られて名刺をもらったり、
北千住の小料理屋でヤの人とトラブルになったり。そんな人だった。
彼の言葉で最も記憶に残っているのは、ある人気のあるショッピングモールも併設されている便利な新興住宅地に行ったときに、
有名な大手ディベロッパーが開発したショッピングモールの中には有名店の支店がずらりと並んでいる。
「あのなぁ、増田。そんな出てくる食事が想像できる店に行って何が面白いんだ。
このヤバい外観。なのに潰れていない店。客もそこそこいる。そういう店を発見して、
なんでこの店がつぶれずにやっていけているのかを食事を通して明らかにする。
たまに、ただの地主が道楽でやってるだけで、クソまずいものが出てくることもある。そういうのも含めて面白いんだろうが。」
学生だった当時は金もないし、せっかく外食に行くなら、雑誌やネットの有名店だったり、
いまでいうインスタ映えのするお店だったり、そういうところに行きたかったのに、
いつもよくわからない店に連れまわされて、なんだこりゃ、と思っていた。
でも、いまならわかる。彼は偉大だったと。
食べログやらミシュランやらGoogle mapsやら、いたるところで評価がなされていて、
美味い店を探すのも簡単になった時代。しかし、こんな時代でも、ネットに載らない情報があり、
そういう人たちの努力と尊い犠牲のもとで、われわれがこたつに足を突っ込んだまま、情報を貪れるようになっているということを。
よく攻略サイトを見ながらゲームをして何が楽しいの?という批判がある。私もそう思う。
食べログを捨てよ、町へ出よう
【ウィーン】真っ裸のサウナに衝撃/テルメウィーンでオーストリアの温泉体験。 : サボリーマンOL、ほぼ1人で海外ふらふらした記
ロッカーは細長いロッカーを借り、共用の着替え場所(試着ルーム的な作り)を使って着替える…が、男女関係なく通路で着替えてる人も多く、入って早々若い男の子たちのまっぱに遭遇して、ああ海外きたな〜と感じた。
【日本と海外の違い】日本の男女別グループはヘン!? 全然違う世界の「男女間」友情事情 | マイナビ 学生の窓口
その点、ヨーロッパの友達同士の男女を見ていると、本当に女性同士と同じ感覚で、男性のお友達と一緒にキャンプに出かけたリ、泊りがけで同じテントに寝たりとしているのですよね。もちろん念のためにお断りしておくとお友達なのでロマンチックなことは何一つありません。
スウェーデンで受けたカルチャーショック&驚いた話*第2弾* - スウェーデン新聞
スウェーデンは男女平等だからというわけではないですが、職場やなんかで着替えが男女一緒でもなんの躊躇もなく、お喋りしながら着替え始めます。
アメリカでは体操服というものがないので体育の時間でもそのままの服装で移動する。だから着替えはない。従って男女が同じ部屋で着替えることもない。夏休みのサマースクールでプールに入るときは4,5歳児の幼稚部でも男女別々の更衣室に行って着替えていた。プールで泳ぐときも男女別々の場所で泳いでいたぐらいだ。