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はてなキーワード: 夏休みとは

2019-11-05

年1くらいで仲良くなる友達自殺してた

突然メールが来たり送ったりして、そこから一か月くらいめちゃくちゃ仲良くなって遊んだりして、その後しばらくフェードアウトしてまたやり取り始まって復活、みたいな状態を何年も続けてた女友達

LINEしても連絡つかなくなったなーブロックされたかーと思って普段見ないtwitterの垢見たら結構前に自殺してたの知って、整理ついたので書いた

高2の終わりに知り合った当時、こっちは進路と親との不仲でとにかく最悪な精神状態だった時期で、向こうも色々荒んでたみたいで同い年、しか誕生日も近くて謎に意気投合した

ネットからの繋がりだから気兼ねなく言えないことを暴露して相談に乗ってもらってた。相談だけじゃなく、普通高校生みたくゲーセンショッピングモール海岸遊んだりもあって。

向こうの方が先に浪人終わらせて遠方に進学してからも泊まりに行ったりしてたんだけど、こっちが逆側の遠方に進学してからLINEで定期的に「今どうよ」みたいな連絡とる感じ。

情緒不安定思春期を共に戦った戦友みたいな?そんな存在だった

死んだこと知った時も悲しいとか寂しいとかより、喪失感?「あー、お前の方が先だったか」って感じだったけど、国際通りカラオケで一緒に歌った曲聴いた時はちょっと泣きそうになった。今は無き夜の首里城とか行ったら涙腺崩壊しそう

自殺未遂がどうとか人生はクソとかも沢山愚痴ってたけど、最後に会った時は大学生活も順調そうで「メンタルも安定した!」って言ってて、当時宅浪ニート社会不適合まっしぐら自分比較したらとてもキラキラして見えた。お前めっちゃ女子大生してんじゃねえか!とか煽った記憶がある。

しかそれから2年足らずで見事に逆転した。

彼女自殺した夏は何してたっけと思って過去写真を見たら飲み会海水浴遊園地デート、完全にキャンパスライフ夏休み謳歌してた。

何故死んだか、首吊り飛び降りかも知らないし正確に何月何日か、そんなことも知ることが無い希薄関係性だった。

でも当時相談に乗ってもらったからこそ、アドバイス背中押してもらったからこそ、今は自殺という同じ選択肢を遠ざけられていると思う。

例えば実家出た方がいいとアドバイスされた通り、北海道学校に進学してから本当に精神が安定するようになった。

同い年なのにいつ会っても話しても常に自分の先を行かれてるような感覚で、型にはまらないような自由さは、色々な"すべき論"で凝り固まっていた自分にはとても新鮮で、憧れであり、目標でもあった。

実際その目標は達成できたかはわからないけど、昔よりはだいぶ自由になれたんじゃないか

お礼は言いたかったのに言えずじまいだしということで一応、漫画みたいに夜の海に向かってありがとうございましたと叫んでおいた

ていうか沖縄行った時借りてた二万返したいんだけど、北洋銀行からあの世には送金できねえんだわ

出世払いで倍にしろ」って笑いながら貸してくれたけど俺が出世どころかバイト始める前に死んでどうすんだよ

100倍にして叩き返してやるから膣洗って待っとけカス

2019-11-03

帰省の移動グルメ

夏休み、父の車に乗って婆ちゃんの家に帰るとき、だいたい道の駅に寄っていた。

そこには軽食自販機みたいなものがあって、200円くらいで売ってるホットドッグが妙にうまくて毎回すごく楽しみにしていたのを覚えている。

実際たいしたことはなく、パンソーセージが挟まっててケチャップマスタードがかかってるだけのごくシンプルものなんだけど、非日常感や車に揺られた疲れとかが相まってすごくいいものだと感じてたんだと思う。

この前彼女が似たようなことを言っていて、彼女場合それはサービスエリアで売ってたじゃこカツ(愛媛B級グルメ)だったらしい。数回しか食べたことはないけどすごく気に入っているようで、地元おすすめ食べ物はなにかと聞くとだいたいじゃこカツと言ってくる。

帰省に伴う移動のとき決まって食べていた、大してうまいわけではないけど好きだった食べ物って案外みんなあるんじゃないかな。ありません?

2019-10-29

茨城一家殺人事件迷宮入りなんだよな

監視カメラ不審人物映像公開していたのに突然報道が切られた

栃木のは夏休みの終わりの自作自演だったんだろうけど茨城は死者が出てるから自演じゃないだろ

なんで突然報道が止まったんだ

警察関係者犯人上級事案なのか

2019-10-28

なんだかよくわからないうちのはなし

全然まとまってない、ずっと誰にも言わなかったことを誰かに見て欲しくなってそのままのテンションで書いている。面白みもない。嘘も混ぜている。よくある家族ネタだしつまらないので途中で読むのをやめてもいい。

うちの家は父 母 兄 自分の4人家族で3人暮らしだった。物心つく頃から父親は家に住んでおらず、週に1回〜月1くらいで家に顔出してた。頻度はまちまち。稀に泊まった。友達の家や漫画テレビに出てくる家庭では父親は同居しているか不思議だった。母に聞くと仕事しか言わなかったので足りない頭で出張が多いと思っていた。姓は全員父親と同じだったので、普通の家とちょっと家族のあり方が違うくらいにしか思ってなかった。あまり顔を合わせないので父親自分と兄には優しめで、車で遊びに連れ出してくれたことも結構あった。親同士は普通に会話していたけどよく口論になる。別に仲良い雰囲気はない。でも全然不満とかなかった。ちょっと母親は神経質でヒステリックだったけどそれは自分が悪いことしたときぐらいのことだったから気にならなかった。

小学校卒業までそんな感じ。中学から父親が買ったマンション引っ越したが新しい家に父の部屋はなかったので引き続き3人暮らし父親仕事母親パート。しばらく平和だったけど兄が3つ上で高校受験大学受験が重なったり、兄が浪人決定したり自分思春期だったりで家がどんどん殺伐としてくる。母親は常にイライラして、他の人間を家にあげるのを嫌がった。

更に父親会社経営難?で家が差し押さえられそうになってたっぽい。実際売りに出されたり家財が持ってかれることはなかったけど、よくわからないうちにその騒動は終わった。

自分はというと中学卒業後、高校適当に近い公立に決めてしまった。安いしいいかと思った。ただその後に何したいかは考えてなかった。学校生活を送ればいいと思っていた。いずれ大人になって働くことが全く想像できてなかった。高校でやりたいことも勉強したいことも見つけられなかった。当然やる気もなく勉強にはついていけなくなった。あれよあれよと月日が流れせっかく入った高校は3年生で不登校気味になってしまった。学校は行ったり行かなかったりで行ったとしても遅刻ばっかり。母親は驚き怒っていた。不登校気味になってから毎日布団で寝ていると母親が部屋に入ってきて、学校に行け勉強しろ、恥ずかしい ちゃんとしないからこんなことになる 生まなきゃよかったと言っていた。大学受験をしない気なら身体を売って生活でもしろと言っていた。なんとか学校へ行っても母親の声が聞こえてくる気がした。よくわからないけど母親学校電話して担任にキレ散らかしていたらしい。色々限界になり父親に連絡し、消えたい死にたいと話した。

そうすると謎のお金持ちパワーが発動して、あっというまに自分だけ引越しすることになる。正直びっくりした。家は貧乏だと思ってた。だって差し押さえられてたし、公立行ったのもちょっと気を使ったからだしこんな裏技人生にあるのかと思った。家賃光熱費も全部父親お金だ、夏休みから一人暮らしだ。でもうつ病になって毎日泣いて暮らしていた。

なんとか高校卒業すると父親から連絡があってこれまたびっくりしたのだが、結婚すると言ってきた。子供が生まれるんだとも言った。父親はいつの間にか新しいウクライナ人奥さん結婚していた。奥さんの方には連れ子もいるらしい。情報過多すぎて感情が追いつかなかったことだけ覚えてる。いつの間にか離婚したことは誰からも一切知らされていなかった。

なんとなくこの家の人を書いて終わる。

自分

半年前まで働いてもう辞めた。貯金で生きてる。高3の夏休みから一人暮らしだった家は出た。

看護師仕事介護系だった気がする。誕生日を知らなくて誰も祝ったことがない。春だった気がする。たぶん60代後半。離島出身

自営業 。この人も誕生日からないけどたしか1月。たぶん70くらい、東北出身ウクライナ奥さんとこに3人子供がいるらしい。

3個上 自分以外の家族で唯一誕生日はっきりわかる。頭良い大学卒業したあと派遣で働いてたはず。ほぼ片親状態の家であそんだり面倒見てくれてあんまり子供っぽくなかった気がする。小学生とき性的ないたずらされてたこと思い出してから連絡とってない。

というか全員と連絡取れない。これでおわり。

anond:20191027235712

私は夏休み旅行遊園地って言われたから、遊園地隣接のリゾートホテルマグロ解体ショーつき朝ごはん温泉、大きなプール、オーシャンビューの部屋風呂あり晩御飯無し大人一泊七千円を探し出して旦那に言ったら高いってドン引きされた。

旅行経験あんまりないとは言え、夏休みにこれは激安やろがい!!!

2019-10-25

今の大学生が単に大学生からというだけで海外旅行に行きやす立場だと思える人ってのがなんか凄いな

学期期間中の短い休みで行けるわけがないし、長期休暇で高い旅費はらって行けるほどの経済的余裕はない。

それでもって長期休暇に時間かけて貧乏旅行しようとも夏休みインターンだの補講だの集中講義だのが入る。四年生なら卒論関係タスクもある。

夏休み入ってから提出のレポートとかも仕上げなくてはならない。そもそもそのインターンとかの予定のために開けないといけないから早めの予約が厳しい。

下手したら恵まれ社会人旅行業の閑散期に一週間有給とって海外行ってるのを指くわえて眺めてるのが関の山

まあ、安い期間の料金でないと海外旅行も行けない立場人間大学に行くこと自体、「大学生らしく」ないって思われてるんですかねと。

2019-10-21

先月中頃に遅めの夏休み取って両親と海に行った、浜茶屋でなんか食べるかって

浜茶屋入ると先客がいた、年配…50代〜60代のご夫婦

この奥さんが本当に賑やかで、旦那さんのことをなんやかんやと弄っていた、

浜茶屋カップ麺注文するの?わざわざここまで来て?」

「この人昔からこんな感じで困るのよー」

なんて、店切り盛りしてる女将さんに言ったりして

田舎の小さな飲み屋でワイワイやってるノリだなと思って聞き流してた

店にはその夫婦自分たちと2組きりだったので、ちょっと雰囲気困ったけど うちの家族は静かなので

その後、自宅帰ってなんとなく浜茶屋話題になって、自分が賑やかなご夫婦だったねというと

父親が言った、夫婦じゃないわあれは

夫婦ならもっと静かだ、と

そんなもんなのかなと思った

その後、同じ店にいって、また別の観光客の連れと会ったけど

そのご夫婦は静かだった、うちの両親と同じ雰囲気

2019-10-20

anond:20191005004805

S担当Pです

同じようなことを思っている人に出会えて少し心が救われています

VtuberのCさんに関しては存在を知っている程度です


文章読んでて「わかるわ」連発した

CさんがS担当というのは後日知ったんだけど、それでもモヤモヤが消えない


Sというアイドルは強烈にぶっ飛んだ個性とかアイテムを持っていないから、正直言うと彼女について描かれたキャラソンでも何も知らない人にとっては無難なありふれたものに聞こえると思う

Sの性格や背景を知ったら「そうだよねSはそういう子だよね」と楽しめて、でも知らない人も「良い曲だね」と思えちゃうような曲

Sのキャラソン歌詞はP(やファン)に向けた感謝言葉が散りばめられているんだけど、それをそのまま歌ったCさんにファンが「こちらこそありがとう!」みたいな感想返してるのもしんどかった

Vとデレマスだったらデレマスの方が規模は大きいのは分かるけど、それでもSのキャラソンを初めて聞いた人に「Cさんの曲だ」とか思われたらどうしようとか、どうしようもないことを考えてる

ホワイトベリー夏休みを聞いたジッタリンジンファンもこんな気持ちだったのかな


あとこれはすごくゲスな話なんですけど、少なからずS担当拡散力を利用しようと思ったのかなと見ている

S担当の一部ツイッタラーはすごくS布教活動に熱心

Sの名前愛称所属グループが書かれたツイート発見次第即いいねリツイートするから、例えフォロワー数1桁のツイッタラーであってもS関係ツイートは高インプレッション稼ぐことになる

(「S可愛いかも」みたいな独り言すら補足されるから暇な人は呟いてみるといい)

で、彼らはもちろんS担当以外のツイッタラーとも繋がってるから拡散力が必要VtuberなんかはS関連を狙い撃ちするだけで割とお得


個人的にはこのS担当たちの反応もしんどかった

皆さんすごく大らかだから、Cさんを知らない人も今回の歌ってみた好意的な反応

総選挙ランクインすらしてなかった頃に比べたらキャラソンカバーされるなんていうのはSが有名になった証拠なんだからって喜ぶべきなのかな


あーーーでもやっぱそんな大きな心持てないや

言及先の>>「エモーション」のための餌にされるのが、死ぬほど嫌だったのだ<<というのが本当それ

Sを、Sの曲やそれに関わった人たちをもっと大事にしてほしかった


私もまとまらないけど同じこと感じた人がいるってそれだけで少しだけ救われた(2回目)

これからもSのことは大好きです

姪が生まれ刺青をいれたことを初めて後悔した

姪は可愛い、とても可愛い

よく笑い、よく遊び、よく食べ、好みが渋い

今のお気に入りは、豆腐もずくニガウリだそう

そして姪は、年に幾度も会わない僕を慕ってくれる

野山を駆け回って遊ぶタイプ家族の中で姪と僕だけというのも影響しているのかもしれない

そんな姪にプールに誘われた、来年、一緒に行こう

今年デビューした流れるプールが大変に楽しく一緒に遊びたいと

しかし、僕は刺青をいれているので一緒に流れることは出来ない、本当に残念だ

二十歳で刺青をいれた時に、将来を少し想像した

結婚は出来ない、子供は苦手、プール温泉は嫌い

海と川は好きだけど地元を離れ一緒に行く友達もいない

デメリットは、ないはずだった

事実、この十年何の問題もなく過ぎた

それが、まさか姪とは

兄が結婚する、姪の誘いを断ることを残念に思うなんて

欠片も想像していなかった

成長する姪はそのうち僕への興味を失うだろう、それまで暑い時期には帰れない

大人夏休みはなく仕事があるのだ、姪よ申し訳ない

教師労働時間

教員労働、年間で調整 「残業月45時間内」は指針に 東京新聞

https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201910/CK2019101902000129.html

さすがに意味がわからない。

今でさえ超過勤務が多すぎるのに、それを普段労働時間を長くして、見かけ残業時間を減らそうってことでしょ。

完全な詐欺じゃないの。なぜニュースはそこにつっこまないの?現場の声とか以前に解決策になってないことを言わなくていいの?

ちなみに夏休み労働時間普段より少ないのは確かだが、それでも年間の有給休暇を使い切る人などほとんどいない。年間で数日しか休まず、しかも月に50時間以上残業とかがざらの世界。その数字さらに見かけごまかして働かせるのが改革

2019-10-19

小学校教室にあったテレビ

テレビチャンネルを変えていたら日本シリーズが映った。ぼーっと見ていたらふと小学校テレビのことを思い出したのだ。

俺が小学生だった30年ほど前、日本シリーズナイターではなくデーゲームほとんどだった。その時期になると、担任は授業が終わって掃除時間になるころ「途中経過だけ確認してみようか」とおもむろに教室テレビをつけ、隣のクラスにバレないようみんな静かに見るのが常であった。野球の内容には興味なかった俺だけれど、そのテレビ観戦の雰囲気ちょっとだけ特別ものに感じていた。同級生と一緒に見るというのがやはり大きかったのだろう。

さわやか3組』や『たんけんぼくのまち』も、夏休みに自宅で見てもやはり教室で見るときの楽しさとは違ったのだ。他の学校はどうだったのかは知らないが、同世代で同じ番組の話で盛り上がれるところを見ると、全国的教室教育テレビを見るのは普通光景なのだと思ってきた。道徳社会科番組は見るのだろう、と。

ところが下の世代に話を聞くと、たとえば当時放送していたであろう『虹色定期便』のことを一切知らなかったりする。でも『わくわくさん』『ゴロリ』のことはよく知っている。小学校テレビを見る規準がどこかで変わったのだろうか。というか、現在小学校教室テレビはあるのだろうか?

改正健康増進法敷地内全面禁煙の現状 〜東京X大学場合

ご存知の通り、2019年7月1日から施行された「改正健康増進法」では、第一種施設病院学校行政機関)では敷地内全面禁煙となった。
例外として「屋外で受動喫煙を防止するために必要措置がとられた場所に、喫煙場所を設置することができる。」※1 ということで、施設によっては敷地内に喫煙室を用意し愛煙家の方々に配慮をしているところもある。

オリンピックを迎える2020年4月1日には、全面禁煙対象となる施設さらに増え、屋内は原則禁煙となる。

この増田では、改正健康増進法施行から3ヶ月経過した現状を、とある大学を例に挙げ報告したいと思う。
ここに挙げる事例を、2020年4月1日の「屋内原禁煙」に向けての反省材料として、広く活かしてもらえればと思う。

東京X大学場合

東京X大学最近メディア露出も増えてきたことで、以前は間違われがちだった他大学混同されることが少なくなってきた。これを読んでいるあなたも、恐らく名前くらいは聞いたことがある程度の知名度大学だ。
しかし悲しいことに、都心位置しつつも、お国から運営交付金国立大学の中でも下から数えた方が早いレベル都内大学に限っていえば、下から数えるのに五指も必要ない。
そしてこの社会情勢である。「生産性がない」「社会にすぐに還元できる研究がされていない」「論文数が少なすぎる」「運営交付金無駄から早く潰したい」とすら考える政治家役人もいるだろう。

さて、そんな東京X大学にも改正健康増進法の波が押し寄せてきた。

先に書いておくと、もともとこの大学学生喫煙率は高い。入試の倍率が高く、成人済みで入学してくる学生が多いのも理由の一つだろう。
数十年前と比較したら少なくなったのだとは思うが、それでも喫煙者は教職員学生の5%前後はいると思われる。
普段からタバコを燻らせている学生をよく見かけたし、喫煙所には常に人がいた。タバコ臭い研究室でゼミを行うなんてこともザラだった。

そんな大学で「敷地内原禁煙」なんてできるのだろうか?

心配を横目に、その日は近づきつつあった。

学内のいたるところには「7月1日から学内禁煙」となる旨を周知するポスターが貼られ、喫煙所であった場所からは灰皿が全て撤去された。
一部(法改正理解していない)学生反対運動があったりもしたが、準備は万端かと思われた。

そして7月1日が訪れた

「やればできるじゃないか

敷地禁煙のために奔走した事務職員は安堵したことだろう。
改正健康増進法施行後しばらくは、学内喫煙をする者を見ることはなかった。

受動喫煙を防止するために必要措置がとられた喫煙場所」のお陰かとお考えのあなた

甘い。

運営交付金下位の貧乏大学である東京X大学に、「必要措置が取られた喫煙場所」を設置する金銭的な余裕はない。
喫煙場所を作らずに7月1日を迎えたのだ。これにはタバコを吸う・吸わないに関わらず、色々な立場の人から異論が出たと思う。

しかしこの大学ルビコン川を渡った。

他の大学同様、この大学7月末には前期が終わり8月から夏休みが始まる。
タバコを見ないまま夏休みを迎え、そして後期になるのだろう。敷地内原禁煙成功したのだ…。
そう楽観視できたのは、7月に入って最初の1週間だけだったように思う。

7月の第2週にはすでに学内のあちこちタバコの吸い殻を見かけるようになり、第3週には喫煙者をも見かけるようになった。

施行後1ヶ月経たずして、東京X大学では改正健康増進法形骸化した。

状況は法改正前より悪化しつつある

改正法施行前は学内の数カ所に喫煙所があり、灰皿が置いてあった。
喫煙所はなるべく講義室などから遠い場所に設定され、喫煙所に通じる扉は「開放厳禁」とされ、不完全ながらも一定分煙がなされていた。
非喫煙者からすれば、たまにタバコ匂いがする場所がありつつも、そこに近づかなければ我慢はできるというレベルだった。
一部の喫煙者は喫煙所の掃除こそしなかったものの、灰皿に溜まった吸い殻は進んで捨て、燃えさしの処理もしていた。

しか喫煙所が廃止された今、モラルは完全に崩壊し状況は悪化しつつある。

もともと喫煙所だった場所は「人目につく」という理由で、一部の隠れニコチタンから避けられるようになった。
かわりに非常階段や、木々が茂り枯葉でいっぱいの緑地などがヤミ喫煙所として選ばれた。
よく訓練された喫煙者は未だ「元」喫煙所で喫煙を続け、灰皿がないので、その場に吸い殻を捨てている。
さすがに教授事務職レベル教職員禁煙ルールに従っているようだが、元喫煙所やヤミ喫煙所では、学生のみならず助手講師と思しき人々の顔を見かける。
敷地禁煙を訴える張り紙には、居直ったような趣旨芸術的ラクガキがされている。

喫煙者が開け放った非常階段は煙の吸気口となり、屋内では改正法施行以前よりも濃くタバコ臭いが充満している箇所さえある。もちろん、階段のあちこちに吸い殻が落ちている。
また燃えやす木材などの陰、枯葉の近くに無造作に捨ててある吸い殻を見かけることもあり、空気乾燥する時期には失火可能性もある。

学内のあちこち狼煙が立ち昇るようすからは、もはや圧政弾圧されし悲しき殉教者たちより、反体制を胸に秘めたゲリラが想起させられる。

現状

伝聞ではあるが大学としても禁煙問題には頭を抱えていて、たびたび会議の議題にも上がるらしい。
しかし話を聞く限りでは「吸い殻」の方が問題視されているように思える。
「吸い殻が無い = 敷地禁煙成功している」ということなのか、いかにも日本的論理だ。

学内喫煙をたしなめられた喫煙者が「いや、吸い殻は捨ててないですよ!」と慌てて反論しているのを見かけたこともある。
そういう問題じゃないぞ。

実際に国から違反を指摘され罰金を払う、もしくはタバコが原因の火災などの事故が発生するまで、この大学では状況は変わらないだろう。
これは別に組織批判しているわけではない。何故ならば下で述べるように、問題大学に止まらいからだ。

改正健康増進法問題

施行後3ヶ月が経過し、第一種施設病院学校行政機関である東京X大学に頻繁に出入りし、改正健康増進法を調べるなかで以下の問題点を感じた。

  1. 国が法律だけ作っておいて運用する素振りすら見せない & 喫煙場所に対しての補助もしない & 禁煙を推進するような施策や補助をしない
  2. 管轄である厚生労働省施設管理者向けにしか情報を公開していない
  3. 施設管理者が、喫煙場所設置コスト << 喫煙者による環境悪化コストを想定できない

以下に、詳細を書く。

1. 国が法律だけ作っておいて運用する素振りすら見せない & 喫煙場所に対しての補助もしない※2禁煙を推進するような施策や補助をしない

補助がないと喫煙場所が設置できない懐事情組織が、実際にある。ここで述べたように、結果として改正法施行前より状況が悪化する可能性がある。
またもう少し積極的禁煙を推進するような施策実施しないと、改正健康増進法自体意味・意義が薄いと感じる。
この法律について、国は要するに「ルールだけ作って、あとは施設管理者に全てを丸投げ」しているようにか思えない。

2. 管轄である厚生労働省施設管理者向けにしか情報を公開していない

厚生労働省などは、この法律施行にあたりHP特設ページを設けている※3施設管理者に向け改正法をことこまかに解説していて、相談窓口もある。
非常にわかやすいし必要情報は一通りまとまっている。一市民として、法律は常にこのように分かりやすくまとめられるべきだと思う。
しかし同時に、施設利用者向けの情報ほとんどない点も気になった。例えば喫煙場所に不備がある病院を見つけた場合はどうすればいいのだろう?この増田のように、違反者だらけの第一種施設についてはどこに報告すればいいのか?

そういったことは全く分からないし、窓口もない。

罰則規定があるにも関わらず、違反者がいた場合有効対処方法を考えてないのではないだろうか?

3. 施設管理者が、喫煙場所設置コスト << 喫煙者による環境悪化コストを想定できない

喫煙場所の設置には排煙設備敷地などが必要だ。組織の規模によっては大きな負担となりうる。施設管理者側に立てば「滞在中くらいはタバコ我慢できるだろう」と考えたくなるのはよくわかる。
しか喫煙者のニコチンに対するリビドーを甘くみてはいけない。外を歩いているときに下を向いてほしい。道端に捨てられているゴミほとんどがタバコの吸い殻だということに気づくだろう。

施設管理者は「喫煙者のために喫煙場所を用意せねば、必ず環境悪化する」という認識でいる必要がある。
目先の負担を気にしてばかりいると、長期的には環境維持コストがそれを上回る可能性もある。施設組織によってはブランドイメージ毀損にも繋がると認識した方が良い(もしブランド力があれば、の話だが)。

最後

もしあなた東京X大学学生であり学内喫煙であるならば、改正健康増進法には罰則規定があること、違反した場合には施設管理者に50万円、違反した喫煙者に30万円の過料が課せられる※4ことを覚えておいてほしい。
学生が払った学費は、いずれ改正健康増進法過料として支払われることとなるかもしれない。
貧乏大学の学びの環境の悪さを憂う前に、襟を正してみてはどうだろうか。

そしてもしあなた教職員なのであれば、もう少しちゃんとこの問題に取り組んでほしい。

※1 https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000489407.pdf
※2 中小事業者向けの補助・控除はある。第一種施設については記述を見つけられなかった
※3 https://jyudokitsuen.mhlw.go.jp/
※4 https://www.mhlw.go.jp/houdou_kouhou/kouhou_shuppan/magazine/2018/11_01.html

2019-10-17

失恋した話

大学生になってから初めての夏休みに、地元友達ご飯を食べた。

その友達とは小学校からの仲だった。

中学までは同じで、私はその子を溺愛していた。廊下で会う度に私から抱きつきに行ってはウダウダ言われるというやり取りが定番だった。

高校別になってからは年に1度会うか会わないかという感じだったが、いつ会っても変わらないやり取りが出来る良い友達だ。

私はその子に恋心を抱いていた。

とは言っても、私はレズではない。中学高校でも男の子を好きになってた。でも、その子なら付き合える。バイなのかと思ったが、今まで女性を好きになったのはその子しかいない。

大学に入ってから、よく分からないが異性と恋愛したいという気持ちが無くなっていた。なので夏休みにその子と会う事が決まった時、私は告白してみようと考えていた。

大学彼氏が出来たかどうか聞き、いないと答えたら、

「じゃあさ、私と付き合ってみない?笑」

冗談っぽい感じで言ってみよう。それで嫌でもなさそうな対応だったら本気で告白しよう……と。

そして当日。

チーズドリアを食べながら私はその子彼氏が出来たかどうか聞いた。

すると、

「あ、実はいるんだー。サークルの先輩でさ……」

………

いるんだな……へえ、院生で車も持ってるからドライブもしてるんだ……しかもかっこいいならまだしも、太ってて顔もいい訳じゃないんだ……なんで付き合ったんだろうか……

まあその子はとても良い人間なので、彼氏が出来たことは正常なことだ。何もおかしいことではない。

でも、やっぱり、軽い感じでもいいから「実は好きだったんだよねー」と伝えてみたかったなぁ。

普段文章書かないから変な感じの文章なっちゃったかもな。

私も恋人作らないとな…………

2019-10-15

私は昔偽善者だったことがある

確かあれは、合格して来春から通うことになった高校へ何らかの書類を提出しに行った帰りの電車の中だったように思う。

隣には友達のお母さんがいて、私はそのお母さんと一緒に電車に乗り込んで、3人がけの座席の前に立った。

目の前の席にホームレス男性が座って寝ているのに異臭で気づいた。

友達のお母さんも私も何も言わず男性のことには何も触れず、車両を移ろうかというそぶりも見せず、全く関係ない話をして目的の駅で降りた。

全く関係ない話をしながら(臭うなあ、ここに立つ前に気づいていたらこんな席来なかったのに。今更どこか別の場所に移ろうとお母さんに伝えたら、目の前の人は嫌な気持ちになったり怒ったりするだろうか。お母さんや全く気にしないそぶりで座っている周りの人は、この子ホームレス差別するような子だと思うだろうか)とずっと考えていた。

もう25年も昔の話だ。


就職して何年か経ち、もらったはいいが持て余した夏休みを、一泊二日の箱根ひとり旅に使おうと出かけた時のことだ。

よくある観光コースの例にそのまま倣って、旅館へは直行せず、ケーブルカーロープウェイに乗って向かうことにした。

観光シーズンからロープウェイに向かう行列は非常に混んでいた。だいたい30分〜1時間は並んでいたように思う。今のようにスマホで気軽に暇が潰せる時代ではなかったので、みな愚直に待っていた。

すると私の何人か後の行列で奇声が上がった。知的障害を抱えた成人男性特有の甲高い声だ。

声はそれからも断続的に上がった。静かにするよう諭す保護者の声はなく、誰も何も言わなかった。しかしその場にいる多くの人が無言のストレスを抱えていたこともわかった。

混雑もあいまって行列殺伐とした雰囲気に包まれていた。

(静かにしてくれ)と思いながら私は待っていた。(あの後ろの人と同じロープウェイに乗る羽目になったら景色台無しだ)というような事をおそらく考えていたのだと思うが覚えていない。

そのとき私は前に並んでいた人から罵声を浴びたからだ。

かにも、後ろの障害者男性から少しでも距離を離そうと歩を進め、無理に前に詰めようとしたから。

「ああ、後ろの人と一緒になりたくないのを見透かされた」という感情に頬を張られた衝撃しか覚えていない。

結局件の男性は一つ後の便のロープウェイに乗った。

この箱根旅行で唯一楽しかったと思えたのは、翌日の早朝にたった1人で散策した広場ウッドチップの柔らかさと澄んだ空気だけだ。

もう20年も昔の話だ。


私は昔偽善者だったことがある。

「お前は偽善者だ」という恥を突きつけられた、あの恐ろしい2つの思い出を忘れた事はない。

あんな思いをするくらいなら差別主義者だと非難される方がずっとましだった。


から今の私は差別主義者だ。

彼らとは関わりたくはない。彼らを助けるために税金が使われるのは全く構わない。けれど自分の目の届かない場所でやってほしい。彼らを助ける労力を担う人に十分な報酬を与えてあげてほしい。

私は彼らと同じ場所で過ごしたくはない。同じ避難所に入れというなら心底嫌だが甘んじて受け入れる。けれど不潔な人間免疫力のない子供妊婦病人、老人を近づける事を決して許したくないし、幼子でもないのにあたりの迷惑を顧みず騒音を垂れ流す人間に心近しく接する事は決してないだろう。

差別主義者の私にできることはそこまでだ。

かわいそうだから助けてあげるべきだ、それが人権だ、それをしない職員は人でなしの無能だなどと口が裂けても言いたくない。


私は差別主義者だ。

だが自分偽善を疑うことすらなかったあの頃よりはずっと明快な気分でいられる。

2019-10-11

Twitter適応できなかったオタクの行く末

オタクにとってTwitterヲタ活動の必需品であるTwitterは凄い。クリエイターに直に感想を送れるし、同志が良いツイートを回してきてくれる。凄い。時間無限に欲しくなる。

でも、俺はTwitterを使いこなせなかった。FFから失礼できなかった。FFでもふぁぼするだけの関係になってしまった。どうでもいい呟きが並び続けるノイジータイムラインを眺められなかった。絵や漫画に付くリツイートとふぁぼを同時押しするイラストイライラした。そのくせ自分から発信できるコンテンツも無かった。

なんだこれ、Twitterやらなくていいじゃん、俺…

結局俺は気になる人のツイートとか、追ってる作品ハッシュタグとmin_faves:100とか付けた検索結果を他ツールに通知させてるだけで満足してしまった。俺にとってTwitter二次創作作品収集するだけの検索エンジンとなり、そこに会話は無かった。

Twitter本拠地としないオタクも勿論居る。ブログをコツコツ書く人も居れば、掲示板に住み着いてる人も居る。彼らは彼らで凄いと思う。媒体は違えど発信が出来る人種なのだ。俺も彼らになろうとしたが、やはり駄目だった。というか、やはり発信ができない人種は、媒体に限らず発信ができないのだ。嗚呼

話が逸れすぎている。もちろん俺は今の状況が良いと思ってない。作品を見て、二次創作感想を漁って、自己完結する事はそれなりに楽しい。でもやはり発信したくなるのがオタクの性なのだろう。それゆえTwitter適応できないのがイライラするような、心が沈むような感じがするのだ。

さて、Twitterで発信できないなら、やはり挑戦するべきはブログだろう。なぜ俺は発信できないのか?それは単純で、まともな感想文が書けないからだ。Twitterでなら気軽に「ここすき」と鳴き声の如く書いていただろうが、俺はFFから引用RTも出来ない人間なのでここで八方塞がりだ。残念。

感想文を書くことは、それはそれは難しいことだ。夏休み読書感想文のことではない。あれは文字数を稼げばいい文章宿題だろう。俺が言いたいのは、作品を見て感じた、ときめきや尊さを表現することはとても難しいってことだ。加えて作品のどこに感動したか、それを書こうとすると作品のあらすじがうまく説明できないときた。表現したい気持ちはある。でも自身表現も、ストーリー纏める技術もまったく追いついてこないのだ。これに悩んで感想文は完成文にはならない。途中でゴミ箱行きになる。

感想文をしっかり書く技術が欲しい。しかし何を鍛えればいいかも分からずとりあえず感想を書き、捨て、書き、捨てている。そんな苦悩を心の片隅に感じつつ、今日自己完結するオタクとして過ごしている。

2019-10-10

痴漢を捕まえたのに意味がなかった

高校生痴漢を捕まえたのに意味がなかった。

半年渡り、通学の電車内で何度も同じ人に痴漢に遭っていた。

何度も被害に遭い、他の件でお世話になっていた警察官相談

また何度も被害に遭い、周りに助けてくれる人はおらず、犯人に逃げられ、テスト週間ながらも授業を休んで朝から警察署

また遭った。誰も助けてくれなかったことがトラウマで何も言えなかった

テスト当日の朝に遭うが、テストを休むと点がないので我慢。全く集中できなかった

夏休みが終わってもまた遭う

テスト前日だったけれど、耐えきれなくなり捕まえた

強制的被害届を出す事になり、テスト前日だったけれど授業を休む事に。

犯人は釈放

裁判示談も何もなく、もうそ電車に乗らないという約束で終わったそう

他の痴漢の件とも合わせて、私の精神状態不安定になり、母と一緒にカウンセリングへ通っていた。

高いカウンセリング料も全て親が負担してくれた。

なのに示談までないなんて。

自殺未遂もした。

指定校狙いで今まで頑張ってきたのに、3年生になりテスト前に何時間も拘束。

被害届を出すと犯人に罰を与えられると刑事さんに言われたから授業を休んでまで被害届を出したのに無駄

もう何も信じられない。

死にたい

涙が止まらない。

泣きながら書いたので文面が読みづらいかもしれません。ごめんなさい

誰か助けてください

道端に色々なもの増田落ちて血お出す間画のもなロイロイに束地味(回文

おはようございます

道端でお金落ちてると思ってみたらワッシャーだったってよくある話しだけど、

こないだ10円落ちてたのね、

さすがにスルーしたんだけど、

その次ぎまた歩いてるとごそっと130円落ちてるの。

なんか意味深じゃない?

そんなまとまった落ち方。

さすがにまたスルーはしたんだけど、

誰も見てなかったら拾って近所の神社のお賽銭箱に入れちゃうわよ。

そうはいかなかったので

きっと誰かが処理してくれてるはずだと思うんだけど。

たまにはそんなこともあるわよね。

あるときは、

みたらし団子のパックが落ちてたりして、

そこはマーケット駐車場だったので、

きっと袋から落ちちゃったんだと思うわ。

なんて活きの良いみたらし団子なのかしらって。

あ、すいませんお醤油取って頂けますかなんてやり取りで

渡したら手が滑ってなんて活きの良い醤油なんだって言うぐらい意味が分からないんだけど、

とにかく道端に落ちているみたらし団子ほどインパクトを与えた物はいまだかつてないわね。

車乗ってて

から魚が降ってきたことはあるけど、

親方空から女の子がーって言うのとまた違う活きの良さを感じつつ、

活きが良いからって海からそんなジャンプできいところは私も分かってるわ。

きっとカラスか何かが獲物を捕まえて重すぎて途中で落としちゃった件濃厚よ。

今思ったら海沿いを走ってたから、

そういうこともあるのねと当たり前のように思ってたけど、

それって当たり前じゃないわよね。

なかなかあり得ないわ。

わず海という先入観で当たり前な光景の印象になってしまったわ。

ほんとその時ばかりは先入観で思い込んではいけないしって思ったし、

大人からって頭でっかちなっちゃダメねとも思ったわ。

柔軟な物の考え方が出来るようになりたい。

から子どもの発想力を育む

子ども科学電話相談ドル箱コンテンツだと気付いたようで、

夏休みしかやってなかったんだけど、

え?今週一でやってるじゃんこれって最近気付いたわ。

子どもちゃん恐竜専門家質問するんだけど、

最近恐竜研究結構進んでるらしく、

恐竜には毛が生えててピンクだったとかって

もう恐竜図鑑には載ってない事柄が多くて、

ここ稀に見る新発見が多いんだって

私がもしミステリーハンター派遣できる立場だったら

モンゴルの発掘現場ミステリーハンターを送り込みたいところだけど、

1回に3つか4つのミステリーしか見つけられないので、

もっと見つけなさい!って檄を飛ばしたいわ。

頑張ってミステリー探してって。

アガサクリスティもきっと同じことをと言うと思うわ。

うふふ。


今日朝ご飯は、

なんかバタバタしていたのか七転八倒だったのかよく分からないけど、

食べ損なっちゃったわよ。

おにぎり夕方か夜の夜食にするわ。

デトックスウォーター

今朝は特に寒かったわよね。

こういう時は、

特製とろろ昆布ホッツウォーラーお好みにあわせて醤油を落としても美味しくなるわよ。

目をつむると料亭のお吸い物のような味になる気がするのは気のせいよ。

ホッツもいよいよ季節到来って感じかしらね

なんか朝からバタバタしちゃってたわ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2019-10-07

anond:20191007175136

神社にお参り→無駄からいまどき正月くらいしかやらない。初詣は季節を感じるための行事

墓参り坊主や墓守の食い扶持。既得権益はなかなか打破できないので仕方ない。

お盆社会人にとっての夏休み。それ以上の意味はない。

2019-10-06

ほんとうの格差問題はこれから

教育に金かけられた層と無理だった層の格差えげつないことになる。

自分年収900万で、子どもを無理して学習塾に入れてるけど、周りの親の金のかけ方に冷や汗が出る。

夏休みのたびにホームステイさせてたり、海外中学生に進学させてたり。

小学生に将来の夢を聞いて、たとえば宇宙飛行士だったらじゃあアメリカ大学のこの学部がいい、そのためにはこの高校がいい、そのためには今これを勉強しとけ、と逆算させてロードマップを作って、金をかけて達成させていく。

周りもそういうのばっかりだから子どもたちの意識も高い。親も日本の将来が暗いのはわかっているから、海外に行かせることが前提。子どもも同じ気分。

こういうのがゴロゴロいる。

それに比べて、塾なんて行かない、進路は親の言ったところに行く、毎日何となく過ごして高校大学も行けるところに行く……こういう子らとの格差がえげつなきことになると思う。

ほんとうの格差はこれから来るよ。2代目の格差もっとヤバいことになると思う。

2019-10-01

anond:20191001020822

うちはお金そんなになくて3人きょうだいだったけど、経済的な不満はなかった。というか、子ども時代はとても楽しかった。旅行夏休みにおばあちゃんち行ってた。あとは時々県内のどっかに日帰りで行くような感じだった。服は、まあみすぼらしかたかもしれないが、むかしか衣服にほぼ無関心なので全く不満は感じていなかった。姉はおしゃれしていた(のだと思うがよくわからない)。

きょうだいのいない人生は、全く考えられない。家庭の記憶のほぼすべてにきょうだい存在がある。特にローティーンまでの思い出はきょうだいのものが多い。きょうだいと話したり遊んだりするのは楽しかった。きょうだいがいなかったとしたら、日々何をして過ごすのだろうか。兄の趣味雑誌やらを読んで暇をつぶすこともなく、姉の好きなバンドの歌を聞かされることもなく、ゲームはいつも一人、とかそんな感じだろうか。そのかわりお金が余ってて塾に通ったりするのだろうか。きれいな服を着て両親と観光地を歩くわけか。まあそれはそれでいいのかもしれないが、やっぱりぴんとこないなあ。

2019-09-30

おばあちゃんのことを思い出す

秋になるとなぜか、おばあちゃんのことを思い出す。

おばあちゃんが死んだのは秋じゃない。中3の2月だったのに。

おばあちゃんちには、アメリカ冷蔵庫にあるみたいな大きなアイスがあった。

2Lぐらいあった。私たちのためにいつも買っておいてくれたそのアイスを、私とお姉ちゃんは大きい大きいといって大笑いして、はしゃいで、食べた。

姉なんて小さい頃食べ過ぎて救急車で運ばれたそうだ。

好き嫌いが多い私のために、おばあちゃんは甘い魚(ぶりの照り焼き)とポテトサラダにんじんときゅうりの薄切りが入ってるやつ)をよく作ってくれた。

子供の頃、ポテトサラダはいつもソースをかけて食べていた。

これが関東の一部の変な食べ方だと知ったのは、大きくなって嵐の番組かなにかでだったかな。

つのまにか、なにもかけずに食べるようになったのはなんでだろ。

おばあちゃんにの冷蔵庫のサイドポケットには、いつもお花の飴があった。

ピンクの個包装で、それぞれ別の花のイラスト名前が描いてあった。イラストが見たいのもあって、よくもらってた。

なんの味だったかはわからない。数年前にどこかで食べたソフトクリームがまさにその味で、コケモモだったような...違ったような...

また食べたいな、あの飴。

おばあちゃん過去の話を全然しない人だった。

前向きな人だから全然過去の話もしないし、人の悪口を言ったところも聞いたことがないってお母さんが言ってた。(お母さんはめっちゃ愚痴タイプなのに)

そんなおばあちゃんが唯一してくれたのは、関東大震災の話だった。

子供だったおばあちゃんはあまりの大きな揺れにびっくりして腰が抜けてしまったんだけど、近所に住んでたお兄さんが馬にのせてくれて、それで裏山に逃げて助かったとか。

おばあちゃん神奈川なまりがあって、「○○じゃんかよおおお〜」っていう話し方をよくしてた。

それをまねて面白がってた時もあった。おばあちゃんは照れたような困ったような顔をしてた。

おばあちゃんが倒れたのは中3の夏休みだった。

夏、全然おしっこが出ていない日が続いて、倒れて、救急車で運ばれた。(だから今でも今日おしっこ全然してないじゃん!怖い!とすごく思う)

人が死ぬなんて「まさか」って感じだった。実感なかった。死んじゃう前提の反応もなんか違う気がしてて、でもなんだか怖くて「ふーん」みたいなよくわからない態度をとっていた。

おばあちゃん子だった姉は悲しみを隠さないので、それがそのまま愛情として伝わってて、お母さんを安心させたと思う。すごいなって思った。

おばあちゃんは目を覚ました。

だけど、ボケちゃって、孫のことは忘れてしまった。

おばあちゃんが私とお姉ちゃんに「誰ですか?」ってキョトンとした顔で聞いた時、お姉ちゃんは泣きそうな顔をしながら「おばあちゃん...○○だよ〜〜〜おばあちゃん....」って言ってた。私は黙ってただ立ってた。ちょっと悲しそうにしたら悪い気もしたのと、本当に頭が真っ白だった。

お母さんは忘れられてなくてよかった。

冬、おばあちゃんはもうほとんど寝たきりだった。

塾がない日は学校の前でお母さんに車でひろってもらって、よくおばあちゃん病院にいった。

おばあちゃん意識はあるけど、息をしてるだけで苦しそうだった。

病院はいづらくて、いつも早く帰りたいと思ってた。

おばあちゃんは話しかけると少し頷くけど、それすらすごくつらそうで、なんかよくわからなかった。でもお母さんは話しかけろっていう。

「そろそろ死にそう」っていうのが分かってるようで誰にも分からない。

お母さんはおばあちゃんの手をさすって「お母さん、ありがとうありがとう」って言ったりしてて、なんでだよまだ生きてるだろって思ってた。

2月、夜12ちょっと前ぐらいに、寝ようと思って階段のぼりかけてたら、お母さんが急に話しかけてきて「おばあちゃん死んじゃったって、連絡きた」って言われた。

もう、本当によくわからなくて、「ふーん、そっか」とか言ってお母さんの目も見ずに階段を登って、それで部屋に行ってたぶん寝た。

お母さんはたぶんそのままトイレに行った。

いまだにあのときもっと私はやるべきことがあったんじゃないかって思う。お姉ちゃんはあのとき留学してていなかった。

そこからたぶん一度も泣かずに、翌日おばあちゃんちにいった。

でも叔父さんがおばあちゃんの顔から白い布のやつをとった時、めっちゃ泣いた。

どわーーーーって泣き過ぎて家から出てうさぎを買ってた小屋のほうで叫ぶように泣いたぐらいだ。叔父さんはなぜか、あとでごめんなあって言ってきた。私はうんって言った。(なにがうんだ)

葬儀場に移る時、仏壇のある部屋でおばあちゃん足袋をはかせた。独特の冷たくて身が詰まってて乾いた質感があった。(4年後ぐらいに、あ、これ冷蔵庫に剥いちゃった後のみかんいれておいたとき感触だ!って気づいてお母さんに言った。怒られるかと思ったけど、"○○は芸術肌ねえ"って笑ってた)

そのあとお通夜お葬式もなにもかも、なぜか自分の中で絶対泣いてはいけない戦いになっていて辛かった。トイレで泣いて戻ってた。

骨を焼く時、叔父さん②が、焼かないでくれ待ってくれって泣いておばあちゃんにすがって、叔父さん①がとめてて、うおおおおってなった。みんな泣いてたけど、私は泣いちゃだめだ状態だったので固まってた。

骨を拾うとき、いとこがお箸を強く持ち過ぎておばあちゃんの骨が砕けた。なんかそのときまぬけですごいホッとしたっけ。(3回忌かなんかでも靴下がやぶけてて法事絶対笑ってはいけない法事にしてくれたいとこ。)

3日ぶりぐらいに学校へ行った。

担任先生がおばあちゃんは何歳だったのかとかいろいろ聞いてきて、聞いてくんなしと思った。学校にいる間中、なんども泣きそうになって必死で別のこと考えてるんだぞこっちは!と思った。今思えばそれも礼儀というか優しさだったのかな。

保健室先生も、生理痛が辛くて保健室行ったら言葉にするでもなく気にかけてくれた。この先生、今思えば2年次に私が傷が残る怪我をしたあとにも傷が目立たない特別配慮をしようか?って声かけてくれて、本当いい先生だったな。そん時も私は本当は超気にしてんのになんかかっこわるいと思って「あ、イイッス〜別に見えてもイイっす〜」とかいって断ったんだっけな。なにも言えずじまいで卒業しちゃったな(なんなら名前も忘れた)


それで、中学生なりの頭で考えて、もう会えなくなってしまう人に一番伝えたいのは「ありがとう」と「大好き」だってことが分かった。

そんで詩を書いたりしてホムペに載せたりした。

おばあちゃんの死についてはなんも書かずに、ただ行き着いたことだけを抽象的に書いた。

そしたら同級生が「なんかあれめっちゃいいね」って言ってきて、ほーんってなった。

ほーんってなったけど、私はおばあちゃん「ありがとう」も「大好き」も言えずじまいだった。

から秋になると、おばあちゃんが死んだことがめちゃくちゃ悲しいし、自分がすごい不甲斐なくてめっちゃ泣いてしまう。

いやおばあちゃんと秋、全然関係ないんだけどさ。

2019-09-29

anond:20190929185145

まずは規則正しい生活をやってみることから始めよう。

子供の頃の夏休み計画みたいなものだ。

サラリーマンとして時間を売って給料をもらうには、時間に正確なのが必須だ。

毎朝決まった時間に起きて、朝ご飯を食べ、(通勤のかわりに)散歩をする。

通勤の体力がないと、サラリーマンしんどい

ハロワとか面接とかがない日のために、自分自分仕事スケジューリングしておこう。

ホームページ作成でも、メルカリセドリでもなんでも、なるべく仕事っぽいものならなんでもいい。

そんな生活を3ケ月続けられれば、サラリーマン生活もできると思う。

それが自信になって採用につながればいいな。

もちろん心身の状態が不調なら、無理しないで寛解するまで休むことだ。

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