はてなキーワード: 卒論とは
匿名なのに優しい増田ばかりでびっくりして涙出た。自己肯定感をあげてもらっちゃった、ありがとう。
卒論で友人が就活について書いてたけど海外では「就活」に値する単語はないみたいなこと書いてて日本は異質と言うか独特なんだなぁって思うことにして頑張るぞい。
これは4月1日の明るさに耐えられなくなったため書き散らす戯言であり社会への当たり散らしのようなものだ。
だから今からここに書かれることは社会に出られ日夜経済活動に貢献している方々にとっては非常に目に余る文ばかりだと思う。
推敲、校正いっさいなし、増田にベタ打ちの文章を読みたい変人の方は以下に目を滑らしてほしい。
さて、さきほど無職と自己紹介させていただいた自分だがもちろんこんな将来を2.3年前は想像をしていなかった。
様々な映像・文学作品のなかの描写や大学に入ってから先輩たちに聞かされた話から常々恐ろしさを感じていたため、正直まわりの友人達よりも早めに活動を始めていたと思う。
大学2年生の終わりごろには企業研究や適職診断などを行い、3年生の夏にはインターンへ参加した。高い講習費用まで払って就活塾にまで通った。
ここまで読むと意識高いと思われるかもしれないが、その逆意識が低いから予防線をたくさんはっておこうと必死だったのだ。
正直インターンと授業だったら後者を取るほど大学の授業が好きだった、学生インターンましてや自分が参加したような短期のものは業界や企業理解のための講習がほとんどで実務に触れる機会はなかなかない。(そもそも学生インターンに実務内情を明かせる企業などないと父親から聞いた)
そのため中小企業やベンチャーに絞ってインターンへ行って面接慣れをしようと目論んだ。おそらくここで面接慣れは出来たと思う、多少トリッキーな質問でなければ笑顔で回答できるほどには慣れた。
怪しげな個人就職エージェントではないが100社は落ちた。どれも2次面接、もしくは最終面接まで行ってから不採用通知を受け取った。
こういうことを言ってしまっては非常に品が無いかもしれないが周囲の友人と比べて喋れるほうだと思っており、面接では逆に喋りすぎないことを意識したほどだ。
「2次、最終まで行けるのに落ちる、何故」
ググるとたいていキャリアプランが出来ていない云々、企業への理解が出来ていない云々、そもそも相性が悪かった、などなど様々なifが出てくる。
キャリアプランとか働いたこともないのにわかるかよクソが、と思いつつインターネットやインターンで会った社会人を参考にして作ったんだけどな、日経新聞読んでいろいろ勉強したけどな、と絶望する。
就活後半戦の7月ごろ、そんなのばかり見てたら「くだらねぇ」の一言しか出てこなくなり人材派遣会社ばかりを受けた。しかし面接の志望動機もなにも出てこないので面接辞退を繰り返す無意味な時間を過ごした。
そして卒論のための調査などに追われ就活どころではなくなり、あっという間に新年を迎えた。
日に日に就活への焦り、身内からのプレッシャーで精神的にまいっていった。
夜中は泣きながらぬいぐるみを抱えて眠れない夜を過ごし、正直料理の匂いで吐き気を催すこともあった。(そもそも食事が好きではなかったため過去にもちょくちょくこういう症状は出ていた)
昼間に起き、リモートワークで仕事をしている家族に引け目を感じながら寝間着で求人を漁り応募する日々。たまにスーツに着替え、就活メイクなるものを施した自分の顔面に辟易しながらリモート面接。
地獄要素は書ききれないほどあるが大まかに分けると3つだ。配慮の無い人事との面接、家族への引け目、友人との比較。
配慮とは何か、一言で言うと就活生を尊重しながら会話をしようとする姿勢だ。
就活生と人事は対等であるだなんて詭弁、1ミリも信じてない。しかし、あまりにも就活生をおもちゃにしすぎている人事がいることは今回の就活で痛いほど知った。
「一発芸をやって笑わせてください」、「珍しい名字だから早く結婚して分かりやすい名字になるといいね」、「あなたが上司に従えることをここでアピールしてください」
Adoさん呼ぶぞ。
上記は一例だが人事からの質問はパワハラまがいなものからセクハラ、人権侵害なんでもござれの見本市。
もちろんコンプライアンスがしっかりしている企業もあったし、コロナに翻弄された就活生をいたわってくれる人事もいた。
しかし100社以上受けてみると割合としては少ない。あと企業規模が大きいほど質問はしっかりしている。なるほど皆大企業を目指すわけだ。
一発芸云々言ってきたところは大手芸能事務所だから業界的な色もあるのだろうが、パワハラすぎて固まってしまった。
腹立ったから逆質問で「先ほどの一発芸についてですが、実際に人事さんはどのような芸を披露されるのか見せて頂いてもよろしいですか」って聞いたら無礼すぎるってキレられて落とされました、草。
次に家族への引け目。家族が家で仕事をしている中、同じく家で就職活動するのは非常にしんどいものだった。
リモート面接、これがとにかく鬼門。いままでは対面の中で行うので多少キャラづくり、外部の人に見せる自分をいつも通りやっていればよかった。
しかしコロナの野郎のせいで対面面接が難しくなり、世はリモート面接時代に突入。
自室は防音機能0、部屋での音は共用部に筒抜けになる仕様のため、いままで友人との電話すら習慣になかった。
ましてや面接となるとさらにハードルが高い。自己PRを家族に聞かれながら面接するの非常に苦痛、一瞬でいいから露出狂の魂を取り込んでこの苦痛を快感にしたいと何度も願った。
また、就活後半になると家族が目の前で働いている中自分には職がないってことがすごい精神的に苦痛だった。
父親に就活が上手くいかなさすぎて慰められたとき、「惨めだよな、みんなは働いているのに」って共感(?)してくれたとき本当に死のうかと思った。
今まで自分は自分、己の道を行くタイプで生きていたので授業を一人で受けるとか、マラソンが周回遅れだとか本気で気にしたことがなかった。
そもそも気にしたところで精神的に負担になり、追い詰められていくと思っていたのであえて見ないようにしたりしていた。
しかし就活はそうもいかなかった。6月ごろに来た誰だかも思い出せない輩から「就職先どこ?俺は○○!」みたいなマウントLINE、やっと落ち着いたからみんな遊んで!みたいな匂わせインスタストーリー。さらにはメディアから随時発表される内定率。
周囲を気にしなくてはいけない、他人ではなく自分を選んでもらわなければいけない。そうだった、この世は競争社会だった。
幼稚園の頃大好きだったしまじろうの「自分だけを優先するのではなく誰かに譲ってあげようね」というストーリーで出てきていた「おさきにどうじょ」(ドジョウのキャラクターがとても可愛かった記憶がある)。彼はいま元気だろうか。
競争社会に絶望し、粘液が干からびていないだろうか。自分は体液が干からびるほど泣いて今まで他人を優先してきた自分を誇っていた気持ちが全部溶け出てしまったよ。
とまあ脱線したが他者と比較して自身を魅力的に見せ採用してもらうという就職活動に、マイペースな自分はどうにも適合出来なかった。
最終で落ちた企業にも、落ちた理由をフィードバックしてくださいって連絡したら他の就活生との兼ね合いでって返されたのでやはり競争に向いていないんだな。最終まで行けたのはたまたまなのかもしれない。
だらだたと書いていたら1時間を溶かしてしまった。これがクソヒキニートの第1日目であった。旧約聖書もびっくりな不毛さ。
これから自分は既卒就活生としてまだ就活を続けるつもりではある。しかしこんな就活クソだという気持ちを捨てられずに活動継続するため、きっと毎晩泣くだろうし苦痛を覚える日々を過ごすだろう。
ここまで読んでくれた人に自分は何を伝えたかったのかまとめることも出来ないが、とにかく就活は辛くて厳しい。働きたくないけど金は必要で働かなくてはいけない。とりあえず年金の徴収に怯えている。
働いている人がみんなこんな苦行に耐えて職を得ているという事態に非常に頭が下がる思いである。
皆さんこれからの新学期、ご自身の体に気を付けて過ごしてください。就活に耐え抜いた新社会人、また社会人の先輩方は本当に立派です。
自分はとりあえず職と金を手に入れるべく頑張りますので、お互いに頑張りましょう。
働きたくねえーーーーーーーー!!!!!!!!!!社会はクソ!!!!!!!!!!
以上、書き散らし終わり!
追記:まじ皆優しくて泣いてる、地元の友達かって並みに優しい言葉をありがとう。アドバイスとかもまじで心救われました、感謝。
大学の多様な在り方をこういった「大学ランキング」といった画一的な指標によって評価するのは大いに問題があります。
同様に、こういった指標が大学運営に影響を与えることを避けるためにこの文章を書きました。
利害関係のある企業による評価を多くの専門家を抱える教育機関が一方的に受け入れる今回の事態を不気味に感じます。
民間企業による指標ではなく、きちんとした調査を行い大学・研究所が協力をし、国もきちんと予算を出し、
大学の多様な魅力を踏まえた模範となるような「大学ランキング」に代わる大学紹介を行うべきです。
※「THE世界大学ランキング日本版2021」についての3つの問い
1.この調査の実施はベネッセが行っているが中立性が担保されているか調査を行ったか。
2.この調査自体に各大学をランキング付けする程の信頼性があるか調査を行ったか。
3.貴大学には教育学部が存在しているが、当調査に関して学内の専門家から意見を聞いたか。
「THE世界大学ランキング日本版2021」を実施したのはベネッセです。
http://between.shinken-ad.co.jp/univ/2020/03/JURshihyo.html
しかし、ビュー数の多いYahoo! Japanのニュースではそれには一切触れられていません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cd2428370025a1ef13e92665b18d20dacf01ae17
この記事の引用元の高校生新聞は「株式会社スクールパートナーズ 」が運営しています。
この企業は入試運営支援・入試広報委託サービスが事業に含まれています。
https://www.sclpa.jp/outline.html
要するに、大学入試に関わる企業(ベネッセ)が大学ランキングを作り、
それを同じく大学入試に関わる企業が(スクールパートナーズ)ベネッセの名前を出さず報道しているわけです。
一方で、2019年のベネッセと文科省の大学共通テストにおける癒着疑惑の報道や、
2020年のベネッセID問題の報道を覚えている方も多いはずです。
https://biz-journal.jp/2019/12/post_133401.html
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75062?page=6
さらに、ベネッセはベネッセ海外留学センターで生徒対象の校内セミナー、教員研修を事業として行っています。
ランキングの世界版は国際性が7.5%と低いのに対して、日本版は20%と比率が高く、日本版は国際性を重視している調査だからです。
https://www.benesse-kaigai.com/teachers
日本の“偉い人”は世界の大学ランキングに日本の大学がランク入りすることのみ重要視している傾向があるように思います。
一方で、世界ランキングの実態や、利害関係にある企業がランキングを実施する問題は驚くほど指摘されていません。
例えば、本家の「THE世界大学ランキング」のタイムズ・ハイアー・エデュケーションは2020年8月に海外留学生募集と学生住宅市場に参入しています。
https://thepienews.com/news/the-moves-into-international-student-services/
さて、ベネッセが大学ランキングを実施するのは勝手ですが、それが定着することは避けなければなりません。
大学の多様な在り方をこういったランキングといった画一的な指標によって評価するのは大いに問題があります。
「THE世界大学ランキング日本版2020」ではスコア100の内20%を占める国際性を以下のように定めていました。
例えば、大学の規模が大きければ当然、外国人学生比率は少なくなるでしょうし、
留学生向けに理解しやすい日本語で授業を行うことを重視している大学は評価が低くなるでしょう。
多様な大学の在り方が、この画一的な指標によって多様性を否定する本末転倒になる恐れがあります。
<国際性 20%>
外国語で行われている講座数÷全講座数
さらに、スコアの8%を占める日経HRという企業の「企業人事担当者から見た大学のイメージ調査」です。
『「THE世界大学ランキング日本版」の指標「教育成果」に使われている』ことを売りにして、
以下のサイトで全調査結果を大学向けに22万円で販売しています。
https://career-edu.nikkeihr.co.jp/category05/data.html
<教育成果 16%>
日経HRの「企業人事担当者から見た大学のイメージ調査」のデータを使用(2カ年分データ使用)
THEが世界大学ランキングのために各国の研究者を対象に実施した評判調査の結果から、日本の研究者が日本の大学について評価したデータを抽出。
東京工業大学では以下のように、Web上にページを作り、学生に協力をするよう「お願い」していました。
各大学により、学生協力を「お願い」する方法も違っていたようです。
ちなみに大阪大学では学生向けにメールが一斉送信されたのみで、問い合わせ先はベネッセのみでした。
この調査に関する大阪大学への問い合わせ先は一切記されていませんでした。
「THE 世界大学ランキング(日本版)の学生調査にご協力ください」
https://www.titech.ac.jp/enrolled/news/2020/047746.html
このようなランキングが定着するとこの調査を大学が民間企業に有料でお願いする、
それに付随する調査を法外な値段で買うようになる、という事態につながる恐れがあります。
これは個人的な意見なのですが、入試に限らず、就活も大学と民間企業の在り方に大いに疑問があります。
大学は今一度、民間企業と距離を見直す時期に来ているのではないでしょうか?
こういった卒論だと通らないようなレベルのものに参加してしまった数多くの大学にも責任はあります。
文科省との関係が深いベネッセだったので断れなかったのかもしれません。
幼少期は、場にそぐわないことを言ったりして周囲をドン引きさせるのを繰り返してきた。
ある程度成長してそれを自覚するようになると、周囲をドン引きさせないために何を言えば良いかが分からず、誰とも何も話せないようになっていった。
大学に進学して一人暮らしを始めると、周囲に話す人間が誰もいない生活がスタートした。
授業やゼミでの発表のような「論理的で一方的な発言」は得意だったので、そういう場は難なくクリアすることができたが、
普通の「雑談」の場で何を話せばいいか分からなかったので、授業に出ても誰とも雑談しなかった。
俺にとって誰とも話さない生活が最高に快適である、ということだった。
もう周囲をドン引きさせることを恐れる必要もない。何を話すかで思い悩むこともない。
俺は孤独耐性が高く、1~2か月程度人と話さなくてもまったく平気だったのだ。
しかしそうした生活は、少しずつ確実に俺の中の「会話能力」を衰えさせていった。
使わない能力は徐々に衰えていくものだが、大学院も含めた6年間の大学生活が終わる頃には
まず舌や喉の筋力が衰え、呂律が回らなくなり吃音を発症するようになった。
それから、会話をしても次に発言する言葉が脳裏に浮かばなくなり、会話のキャッチボールが難しくなった。
もともとキャッチボールで大暴投するような俺だったが、投げ返すことそのものが困難になったのだ。
卒論の発表などは問題なくクリアできたのに、人との会話は1分間も続かなくなった。
学歴がそこそこ良かったおかげでなんとかまともな企業に就職することはできたが、
会話能力の低さはあらゆる場面でハンデとなった。
仕事をしていると嫌でも人と会話をすることになるが、一度低下した会話能力は簡単には戻らない。
誰とも雑談しないので職場内の人間関係がほとんど構築できず、何かあった時に頼れる人がいない。
上司や同僚との信頼関係も築けず、それが仕事を進める上での間接的な障害となる。
こんな俺でも、専門性を武器になんとか10年以上働くことはできたが、そろそろ限界かもしれない。
この歳になると、マネジメントや難易度の高い交渉が仕事のメインになってくるが
会話がまともにできない、あるいはできたとしても大暴投する俺にはこれがかなりの無理ゲーなのだ。
結局、何度かの大失敗の末にマネジメントの立場からは外されることになった。
こんな俺をまだクビにせずに雇ってくれる会社には感謝する他ないが、
それもいつまで続くかは分からない。
結局、会話ができなければ生きていくのは難しいのだ。
ああそれでも、願わくば大学時代のように誰とも会話をせずに生きていきたい。
このまま会話能力が衰え、「どうも…」とか「うほ…」ぐらいの類人猿レベルの言葉しか話せなくなっても、
それでもいいから誰とも会話をせずに生きていきたい。
もう日本に帰ってきてから10年以上になるのだが、当時のことを書いておく。
私は、地方の公立高校からあの大学に進んだ。大学の中でも成績は上位で、演習や卒論も上手くやっていた。一方で、卒業後に会社勤めをするということに対して抵抗を感じていた。私の出身地では、大卒のキャリアというものが医者と教員他の公務員と、地方支店の銀行員ぐらいのもので、自分の所属する大学から卒業した後にどうやっていくかのイメージを持てなかった。またキャンパスの中に単純に居心地の良さを感じていた。そして当然のように大学院に進んだ。進学と同時に返済不要の奨学金を取れるぐらいの評価をされていた。私の大学では、修士に進んだものはそのまま博士課程までを修めることが既定路線のような、そんな中であっても滑り出しとしては非常に良かったとおもう。
ところが私は、結局のところ研究というものには全く相性が悪かった。大人数の中で、答えがある中で進める講義や演習で点を取ったり、教授や院生が程よい難易度のテーマをくれる卒論ではうまく立ち回るものの、自分で解決策を粘り強く探し続ける研究には忍耐力が続かなかった。また、私は元々怠惰だった。ゴールが見えている中でゴールに向かうときには瞬発力を出せるが、行き先のわからない中で努力をし続けるような精神力に欠けていた。そうして私は研究室からは遠ざかるようになってしまった。
意を決した私は教授のところに向かい、修士で卒業したい旨を告げたのだが、私のことを妙に高く評価していた彼は私のことを惜しみ、環境を変えて研究を続けることを提案した。私には人と話すときに相手の主張を、時に必要以上に、理解して共感してしまうという柔軟さと言うか信念のなさがあった。そして、私は彼の提案に乗って、修士でやめるという決意をアッサリと引っ込め、留学することにした。
持病を持っており、免疫を抑制する薬を飲んでいる私はコロナが怖い。
重症化の可能性も友達より高いし、そうでなかったとしても良くなりつつある持病の憎悪は避けられない。
同級生はコロナへの緊張感はもう無くなっていて、インスタグラムのストーリーでは飲み会や、カフェ巡りの様子が毎日上がっている。
大学最後の年なのに、卒業旅行もできないし、友達と遊びに行くことすらままならない。ほとんど毎日、学校と家との往復だけで、卒論発表を頑張ったのに打ち上げすらできなかった。卒論発表が終わったあと、帰って家で1人でテレビを見ながらお酒を飲んで少し泣いた。
それなのに、だらだらと伸びる緊急事態宣言、この状況を変えてくれない政治家たちは会食してるし、GOTOや五輪開催のことばかりだ。
まあこんな状況だったら遊んで思い出残して、仲を深めた方が若者にとってはいいよなーとも思う。だからだんだん飲み遊ぶ友達は増えてきたし、それでコロナの症状が出てないものだから、その体験を踏まえて、どんどん大胆に遊んでいる。
でも一方で、持病を持った私からするとそれは危機だ。患者が増えすぎると、毎月通っている病院に行けなくなるかもしれないし、罹った場合のリスクも高い。だから最近はあまりにも遊んでいる友達とはなるべく距離を取るようにしている。
遊びの誘いはラインで断ればいい。
それがもうすぐ行われる卒業式だ。一応縮小ということにされているが、卒業生は教室に集まる。感染に気をつけながらカフェを巡っている子も、特に気にせずキャバクラでバイトをしている子も、飲み歩いている子も、出会い系アプリで不特定の人と会っている子も、自粛をしている人間も、1つの教室にまとめて入れられる。
そこでどの程度の対策がされるかは疑問だが、感染していても不思議ではないような生活をしている友達と一緒に、長時間いるのは私にとって危険を感じることである。
そんなに怖いなら行かなければいいのだろうか。迷っている。ただ、卒業式が開催される限り、行っても行かなくてもそれぞれの後悔はあるだろう。
一年が経つ。卒業式までにもっと感染を抑えられなかったのかと憤る。私は、友達と過ごす最後の時間をこんな形で奪われなければならないのだろうか。
持病を持っており、免疫を抑制する薬を飲んでいる私はコロナが怖い。
重症化の可能性も友達より高いし、そうでなかったとしても良くなりつつある持病の憎悪は避けられない。
同級生はコロナへの緊張感はもう無くなっていて、インスタグラムのストーリーでは飲み会や、カフェ巡りの様子が毎日上がっている。
大学最後の年なのに、卒業旅行もできないし、友達と遊びに行くことすらままならない。ほとんど毎日、学校と家との往復だけで、卒論発表を頑張ったのに打ち上げすらできなかった。卒論発表が終わったあと、帰って家で1人でテレビを見ながらお酒を飲んで少し泣いた。
それなのに、だらだらと伸びる緊急事態宣言、この状況を変えてくれない政治家たちは会食してるし、GOTOや五輪開催のことばかりだ。
まあこんな状況だったら遊んで思い出残して、仲を深めた方が若者にとってはいいよなーとも思う。だからだんだん飲み遊ぶ友達は増えてきたし、それでコロナの症状が出てないものだから、その体験を踏まえて、どんどん大胆に遊んでいる。
でも一方で、持病を持った私からするとそれは危機だ。患者が増えすぎると、毎月通っている病院に行けなくなるかもしれないし、罹った場合のリスクも高い。だから最近はあまりにも遊んでいる友達とはなるべく距離を取るようにしている。
遊びの誘いはラインで断ればいい。
それがもうすぐ行われる卒業式だ。一応縮小ということにされているが、卒業生は教室に集まる。感染に気をつけながらカフェを巡っている子も、特に気にせずキャバクラでバイトをしている子も、飲み歩いている子も、出会い系アプリで不特定の人と会っている子も、自粛をしている人間も、1つの教室にまとめて入れられる。
そこでどの程度の対策がされるかは疑問だが、感染していても不思議ではないような生活をしている友達と一緒に、長時間いるのは私にとって危険を感じることである。
そんなに怖いなら行かなければいいのだろうか。迷っている。ただ、卒業式が開催される限り、行っても行かなくてもそれぞれの後悔はあるだろう。
一年が経つ。卒業式までにもっと感染を抑えられなかったのかと憤る。私は、友達と過ごす最後の時間をこんな形で奪われなければならないのだろうか。
と強い言い方にしてるところがあてはまるということね
「勝手に」はともかく「おおげさに改変」とまで言うほど改変してるとは思えない
ちなみに個人的にはそういった感想を事前に見てたから期待値高めでプレイしたら超絶ガッカリした
428とか街みたいなシナリオロックにしてる意味がほとんどないし、13人分あるけど一人ひとりは2時間程度のうっすいストーリーでほとんど記憶に残らない
記憶に残らない内容をロックされて別の話読まされるもんだから余計に記憶に残らないのダメダメスパイラル
ゲームパートもガンパレのPS1時代ゲーかよっていうクオリティの低さ
無邪気に大絶賛しすぎ
作る手間はかかってるんだろうけど、それがゲームの出来に結びついてないのに、クリエイター擁護で無理やり絶賛してるような文脈も気持ち悪い
卒業式で前出る人って学科の成績なのか卒論の出来がトップなのか結局どちらで選ばれたのかよくわからなかった
30人ぐらいのちっちゃいとこでも人の成績なんて把握できるわけなかったわ
運良く早慶の某文系学部の首席に選ばれた。これが何かに直接役立つことはないだろうけれどやはり嬉しい。
私みたいな馬鹿にも首席を取らせてくれるこの大学のこの学部に受かって本当に良かった。
思い返すと本当に、何故受かったのだろうと感じるような受かり方だった。やはり受験はロト6。(マークシートの場合)
元々高3の夏まではマーチに指定校推薦で行こうとしてた。(高校の偏差値が高くなかったので早慶の指定校推薦はなかった。)今思うと本当にやめて良かった。夏にオープンキャンパス行って通学時間長すぎると思ったのと、本当に早慶じゃなくて後悔しないか不安になったので、結局やめた。
浪人して早慶目指すつもりだったのと、学校通って宿題やるだけで疲れる人間だったから受験勉強は全然できなかった。予備校にも行ってない。受験勉強と言える勉強をし始めたのは高3の冬休み入ってからだった。学校が休みに入ったのと、一応で受けるセンター試験の結果を学校に報告するときにあまりにも点数が低いのは恥ずかしいと思ったからようやく基礎から勉強を始めた。といっても、その時ちょうど新しいソシャゲをはじめてしまったりとそれほど頑張れたわけではない。
寝不足でセンターを受けた。勉強不足と頭の悪さで国語は6割を切る始末だった。その後燃え尽きて一週間はほとんど何もやらず。その後ぼちぼち少しだけ勉強した。どうせ来年が本番だしと、始めたばかりのソシャゲのバレンタインイベを完走するなどした。
その後模試感覚でマーチを2,3回、早慶を2回だけ受けた。私は小テストにも一々気持ち悪くなるほど緊張する人間だったのだが、「どうせ落ちるし。お試しお試し。来年がんばろ〜」みたいな感覚で受けたのが功を奏し、緊張や焦りは抑えられた。しかしそれでも勉強不足。普通にマーチに落ちた。知ってたことなのであまりショックでは無かった。受からせてくれたマーチは1つだけだった。
その後1,2週間があき、早慶の受験。はじめに受けた方は赤本すら買っておらず過去問すら解いていない。「ここにいる人たちにとっては大事な日なのかな〜私はお試しお試し」と物見遊山感覚で受験。一応は真面目に取り組むも、英語でかなりの長文を書く問題が出され、めんどくさくなって放棄した。ここは落ちた。
そしてその次に受けた学部が私が何故か受かり、何故か首席をとれた学部だった。なぜだか忘れたけどここの学部の赤本は一応買っていて、一周くらいならしたような気がする。問題は平易な方だが合格点は高めの学部という感じだった。前に受けた学部とは違って、ここのは一応最後まで真面目に取り組んだ。模試気分だからこそ緊張せずに解けたが、それでもバカで勉強不足の私には難しかったから、まさか受かってるとは思わなかった。マークシートで運が炸裂したのだろうなと思う。(マークシートと記述混合)
そうして思いがけず早慶に受かって、浪人もすることなく予備校にも行かずに何故か早慶入学。模試も高校実施の以外面倒で受けなかったような人間なのに。受験って運の要素強すぎるのだなと感じた。
その後ちゃんと卒業できるのかも危ぶみながら学生生活が始まった。高校の偏差値は低いし真面目に勉強取り組めない人間だしマーチにも落ちるし、過去問等の入手もコミュ障ぼっちなので高難易度。単位取れないのでは?と思いながら授業情報雑誌とにらめっこ。
長くなったしここら辺で終わる。GPAとるために個人的にしたことなどやる気が出ればまた書くかもしれない。
とりあえず思ったのは、GPA取るのにあまり地頭は必要ないということ。過去問とかもあるに越したことはないが、無くてもA+はくるということなど。文系だけかもしれないが。
(追記)
首席(学部事務所の方曰く総代という言い方でした)に選ばれたのは学部の成績がトップだったからです。最終的にGPA約3.9でした。
オタク、よく「○○(任意のコンテンツ)に救われた」みたいなこと言う。
私は別にそんな事ない。好きなものは沢山あるけど、ひとつのものに人生を変えられたなんてことは無い。多分。
例えば米津玄師に救われない。いい曲だな、好きだなって思うけど、なにかひとつの曲に対してそこまで深い思いがあるわけではない。「私のことを歌ってる」とか思わない。
そう思う人がいるのはいい事だと思う。
苦しんだことがないと言われればそうかもしれない。
どん底なんて知らないよ。
うすい希死念慮だけはずっとある。橋の上から、全部の荷物を投げ捨てたらどうなるのかなって思う。やらないけど。環境とか汚染しそうだし。
「助けられた」と「救われた」の違いってなんだろう。
感情の重さかな。「助けられた」だと一時的なピンチを乗り越えた感じがするし、「救われた」だともっと恒久的で、人生に突き刺さるものな気がする。あくまで私の個人的な主観と感性によるものなので用語の意味が間違っていたとしてもいい。
提出一週間前にリサイクル資源にもならないような文字数をとりあえず稼いだボロボロの可燃ごみ(卒論)を書いてる時、ずっとパソコンの傍にシルバニアを置いていた。Wordで文字数が表示される画面左下あたりを見てるような感じにしたりして、同時にシルバニアを視界に入れることによってズタボロの可燃ごみ(卒論)を完成させ、とりあえず提出した。スペシャルサンクス欄があるなら、同じゼミで延々通話しながら一緒に卒論を書いた女とシルバニアファミリーを併記したかった。余計なものを付け足すことによってなんらかの弊害がでたら嫌だったので心の内に潜めておいたけど。
卒論の口述試問もオンラインだったので、シルバニアを握りしめて正気を保ったり、体調がズタボロになったときもシルバニアファミリーを握りしめてた。
頭痛にはEVEとシルバニアファミリーと温い布団。これで決まりだね!
他に頭痛によく効くものがあったら教えてください。気圧からくるタイプのやつと眼精疲労系のやつと偏頭痛系のやつお願いします。これからの人生に役立てていきたいと思います。
気持ちが落ちつかなくて、twitterの140字では収まらなくて、ずっと見る専だったここに初めて書き込む。
わたしの専攻は入試的にはゴリゴリの理系だったし、宮廷レベルの大学なので周りはみんな院に行く。それでわたしも3年生の12月までは自分の専攻の大学院に行くつもりだった。でも、わたしの専攻はいわゆるピペド的なやつ。企業と連携している専攻もあるらしいけど、わたしのところはそうではなく色々ググったら就職の役には立たない事を知った。専攻で学んでることは好きだけど、卒論もやってないのに研究を修士二年やれるのかわからないし、その後就職する見込みがないなら院行く意味ないと思って、4-6月で卒論進めながら教授とかに相談して決めようと思ってた。
そこにコロナが来た。
4月から大学は必修授業のない学生は立ち入り禁止で、教授とは一度も顔会わせず月一の研究計画書の提出と添削だけ。これがずっと続いたらやばいと思った。研究に向いてたらいいけど、向いてなかったら二年地獄だし、zoom会議もしてくれない教授の研究室なんて…
この時点で誰かに相談すればよかったんだけど、友達とか全然いないタイプの人間なんだ。同じ学部に話したことある人はいないし、軽音サークルの人とは音楽の話しかしない。就職課やエージェント?に相談する勇気もなく、教授にコンタクトをとる方法がわからなかった。ってか、レポートとかじゃない私用でメールを出すにはメール送信の許可を事務にもらう必要があると思って必死でHPで申請書探してた。今思えば阿呆らしい。
三年の時民間のインターンは10回くらい?申し込んでいたけど、いつも適性検査で落ちていたから民間は無理だと諦めてしまった。
座学だけは出来たので、色々ググった結果公務員試験なら受かると思ってギリギリで申し込んだ。初学の法学の区分で受けたけど、試験が遅れたおかげもあって余裕で通る。でも、面接で全部1日目で切られた。で、公務員試験が遅れたから、官庁訪問終わった時点で院試の出願期限三日前。公務員試験、クリアすれば官僚になれると思ってたんだよね。こんなことなら地方とかも出しとけばよかった
それで院試出そうと思ったけど、やっぱり研究に適正あるかわからんし、ブラック研究室の匂いがする。迷ってとなりの研究室にアポ取ったら、去年の研究不正の処分がまだ決まってなくて実験許可がでないかもと言われた。今いるm1は秋には全員研究室移籍するらしい。そんなことある?色々調べてるうちに出願期限、不戦敗になっちゃった
秋に卒論やりながら、自分にはそこそこ研究適正あるなって自信がついた。
で、似たようなことやってる文理横断系の地方大の院を見つけて藁にもすがる気持ちで出願した。
でも、受ける前からずっと行きたくない気持ちがあった。その大学じゃ文系の院卒だし、そもそも専攻自体就職ないから、文系院卒じゃ未経験の就職はキツイって聞く。だいたい、それやるのになんで地方行く?っていう話。今の研究室より確実にランクも落ちる。でも、今年の卒論優秀賞も貰ったのに留年するのも嫌で、受けに行ってアッサリ通る。
卒業決まって進学先に挨拶とかしなきゃいけない、それがマジでしんどい。贅沢な悩みよね、留年すればよかったじゃんって声が聞こえる。学部内で優秀な方だっていうくだらないプライドだったな…院のあいだに会計士でも取ろうかと思ってるけど、その時にはもう同期には追いつけないだろうな
2017年4月。新卒で入社した会社の内定式。就職活動に失敗した私はこんな会社はなんとして辞めなくてはいけないと入社前から決意していた。
なにせその会社は世間から聞こえはいい会社なものの実態は年間休日104日、残業月70時間以上(残業代が全部つくとは言ってない)で車を一年に一台買わされる(補助はあるが)という私の旅行・車という生きる楽しみを潰しにかかる地獄のような会社だった。
2016年8月に某一般社団法人の最終面接でやらかした自分が恨めしかった。私の就職活動は11月近くまで続き、とうとう内定を得た行きたくない前職に就くしかないと諦めたのは内定者懇談会の後だった。
他にも某黒い猫の会社の子会社にも内定していたが、親の強い勧めに負けるところがあり前職に就いた。ネームバリュー、東証一部上場とかそんなことはどうでも良いと気付くのは就職してからしばらくしてからだった。ネームバリューも東証一部上場も人を幸せにはしてくれない。現時点で私を幸せにするのは休みと旅行と乗り物だった。
誰かがアドバイスをくれても最終的に判断するのは自分で自分の判断を誰かを忖度して曲げてはいけない。自分の人生だ。
前職には本当に就きたくなくて4月に入社式を控えた1月末の午前4時に泣いたのをよく覚えている。
レールから外れることが怖かった私は結局卒論を出して卒業の日を迎えたが、嬉しいものではなかった。
嫌いな仕事だったが社会が転職を許容してくれる年次まではやむを得ず勤めようと丸2年勤めて3年目の冬に転機は訪れた。
転職活動を始めたキッカケはとある写真展だった。MPG写真展という名前のそれは2019年の1月末にあった。半ば強引に連れてきた同僚を乗せて会場の京都へと車を走らせ八坂神社近くのコインパーキングに車を停めた。
会場にはバイクと風景の素晴らしい写真が多数展示されていてこんな写真を撮れるように腕を磨かないと…!と思えてきた。(今年もやるそうです)
出展者の皆さんは所謂ホワイト企業に勤める方が多く、休暇をフル活用して各地に出かける「週末エクストリーマー」の異名を持つ方も居た。世の中にはそんな会社もあるのか…!と希望が湧いてきた。
自分も旅行が大好きな人間だったが、就職してからはどうだろうか?と振り返ってみた。
海外には全く行ってないし国内にも数回しか行ってなかった。余裕がなかった。休日は身体を休めることと家事に追われていた。
そんな「お休み過激派」の私はどんなに仕事をして成果を出しても「お休み」には繋がらないと分かると全く仕事にやる気が出ず、仕事が徐々にテキトーになってきた。
これではマズイと思うこともあったが、「お休み過激派」は止められない。
年間休日104日という少ない「お休み」を改善するには転職しかない。MPG写真展に行った翌日の昼休みには営業車の中から転職エージェントに連絡をしていた。
いざ転職活動を始めるとなかなか忙しいものだった。「お休み」が取れない中で転職活動をしなくてはならない。あらゆる嘘をつき「お休み」を作り出しなんとか面接に臨んだ。いくつかの取引先にもお願いをして「お休み」を無理やり作ったりもした。
転職エージェントとの面談を優先して面談中は絶対に職場、取引先からの連絡には応答しなかった。自分の最優先はこの職場をなんとしても抜け出すことでそれ以外は最早どうでも良いことだった。
仕事に粗が出てきたのか「君がわからない」と上司に言われたことがあった。分かってもらったら非常に困る。
30社以上に書類を出して面接にこぎ着けたのは7社程度だった。
一次面接も5社連続で落ちてかなり落ち込むと同時に受からなければこの会社で働き続けなくてはならないという絶望で頭がおかしくなりそうだった。
そんな中転職活動を始めてから3ヶ月後になんとか内定を貰った。最終面接を受けてから18日後のことだった。
自分の就職活動での失敗を自分で取り返した自分を誇らしく思う。よくやった。ありがとう。
内定を獲得してから30分も経たずにシベリア鉄道旅行の見積もりを取り旅行社に電話をかけていた。絶対行きますなんとかチケットを取ってほしいと電話口で担当の人に言っていた。
新卒入社してから数ヶ月後には転職に伴う旅行計画を策定しおおまかな計画は立てていた。ようやくソレが日の目を見るときが来た。
ラテン語は絶対にやっとけ。ラテン語できる大学も限られてるし。やっとけばヨーロッパ系の言語が楽しくなる。イタリア旅行に行った時にあっちこっちに書いてある教会の銘文だの碑文だのも読めるぞ。クラシックの宗教曲とかも楽しく聴けるし、美術館で宗教画にちょこっと書き込まれた文字とかも読める。他人と会話はできないが文化の解像度が上がって楽しい。
イタリア語もラテン語のついでにできる。もっと言えばフランス語もわりとついでにできる。ただ難点はむちゃくちゃ混ざる。
ちなみにイタリアでラテン語喋ってもそこそこ通じたけど、フランスでラテン語は通じなかった。あとラテン語には現代的な語彙がない。一応あるにはあるけど運用しないから覚えない。
菅首相の息子、東北新社社員の菅正剛氏が総務省幹部官僚を高額接待したとして国会で集中論議されている。追及する野党議員はかつての大蔵省官僚接待汚職事(いわゆるノーパンしゃぶしゃぶ)件以来だと糾弾する。週間文春記事には秋本芳徳・情報流通行政局長が菅正剛とみられる男性から賄賂を受け取り頭を下げられ見送られている姿の写真が掲載され、あろうことか録音された会話内容が公開された。これにより、秋本局長は虚偽答弁の疑いが強まりNHKにおいても全国ニュースで再三これが取り上げられている。また内閣広報官の山田真貴子氏も高額接待がなされた。山田真貴子氏といえば、NHKのニュース番組にて菅首相に日本学術会議の任命拒否問題について明確な説明を求めた件について、電話にて圧力をかけた疑いが報道されている。
私はある基礎科学分野に従事するいわゆる任期付き研究者である。基礎的な学問は社会にとって役に立たないとされ、安倍・菅政権下では徹底的に蔑ろにされてきた。大学では裁量にゆとりのある国交金を急速に減額させられており、競争力のない大学は弱体化の一途をたどり、就職支援学校となり下がった。大学の経営に竹中平蔵のような政権与党のお友達も浸み入ってきた。菅首相は国会にて大学研究者による"国会"ともよべる日本学術会議を既得権益と糾弾した。このように書くと、アンチ自民のように思われるが、私は世代的にはちょうど民主党政権下で行われた事業仕分けによって、危うく大幅予算削減にあいかけた日本学術振興会にて特別研究員として従事していたこともあり、その流れをくむ立憲民主や国民民主は支持できない。維新・ファーストは論外。いわゆる任期付き研究者の救済指針を明確にし、また露頭に迷う高学歴ワーキングプアを大量輩出した大学院重点化を失策として反省する旨を述べている日本共産党を支持する。党員ではない。国会中継はいつも見ている。支持政党を宣言できるのは現実・インターネット含めておそらくはてなアノニマスダイアリーだけであり、感謝申し上げたい。
以下は個人的な分析に基づくものである。ほぼ無根拠に等しく随筆に過ぎない点を詫びたい。また全くまとめるつもりもなくとりとめもなく書いている。
安倍・菅を支持せざるを得ない人とはどのような人たちか。(1) 政府系予算にてほぼ直接首をつながれ自民党を支持せざるを得ない人々、(2) アベノミクスによって益を得た大企業・あるいは傘下企業に就職した人々・あるいはその親族・配偶者、(3) カルト的に安倍・菅なるものを狂信する信者、である。
(1) には学校や役所など税金によって経営されている機関に勤める非正規雇用職員が多数含まれる。たとえば学校であれば常勤・非常勤講師、役所であれば派遣委託金も税金から。そして私のような大学に勤める任期付き教員、ここでは他にも触れられない多数の人たちもいる。
(2) 大学はもはや多数学生にとっては就職予備校に過ぎず、3年生になればインターンに参加するのはもはや常識と化している。学生が卒論や修論にかける時間など研究室に配属された全体の時間からすればほんの一部に過ぎない。実験やフィールドワークが重要な分野にとっては学生の研究活動・成果は重要な資源であり、全く無視することなどできない。リーマンショックにて極端に就職率が下がった時代に大学院に一時避難しその後企業の状況が良好となり一般就職した優秀な学生も多くいた。彼らが研究室・分野に残したレガシーは未だ活用されているし、彼らの中には今戻ってきても通用するであろう人もいまだ多数いると思っている。あれ以降、そのような時代は訪れていない。もしかしたら、新型コロナで不況になってしまった今、再び大学院は一時避難先となるかもしれないが。
アカデミックに身を置く私から見れば、安倍・菅はどうやら学問というか大学に対してコンプレックスというか憎しみに近いような感情を抱いている点はもはや間違いないだろうということが推察される(安倍氏はかつての家庭教師や大学時代の恩師からもダメ出しされている。)。非常に優秀な人たちが何だかよくわからないこと(基礎的な学問)にエネルギーを費やすことが無駄にしか見えないのかもしれない。こうした感情は多くの国民がシンパシーを感じているという点は見逃せない。日本学術会議の任命拒否問題はこれまで国会が定めてきた法の解釈に反するという一点が本質であるにも関わらず、問題は菅によってすり替えられた。つまり、学術会議の在り方に問題があると指摘し(既得権益だそうだ)、これになんと国民の半数以上がそうだと思っているとの世論調査が出た。(問題のすり替えという点が実にアンチアカデミックらしい思考だという皮肉も込めたい。)(ところで、全く非論理的あるいは違法ともいえる手段は安倍・菅政権で何度も取られてきた。安倍氏が自身の公職選挙法・政治資金規正法違反による逮捕を恐れ、当時の鑑定の守護神でもあった東京地検検事長黒川氏を違法に定年延長させようとしたのもそうだ。)
国民には学問が何か役に立つものだとは信じている人はそれほど多くないのが実情である。そんな20年も30年も時間をかけなければ芽が出るかもわからないことに税金を費やすくらいなら苦しい自分たちを救ってほしいのである。これが実情。だからアベノミクスのおかげで就職できたお子さんを持つ親御さんや祖父母さんは安倍を支持せざるを得ないだろう。個人的には東日本大震災のような日本に深刻なダメージを与えた地震や津波といったことを研究しているような地質学・地震学・あるいは地球流体といった分野や、ここ毎年のように繰り返される豪雨や台風による被害を予見するための気象学といった分野に、ごく少数の研究者しかかかわっておらず、むしろ次から次へと研究室が畳まれている深刻な事態に誰も何も言わない(言えない)ということに、絶望以外の感情が持てないというのが率直なところである。あるNHK特番で東北を襲った過去の津波から教訓を得ようとする名誉教授の先生が自らフィールドワークで沿岸を歩いて地層を見ていると聞いたときは膝から崩れるような思いになった。(当然だが津波や地震の研究者がいないわけではないと思っている。)これらの分野は地学の1分野とされ、役に立たない理学の一分野とされている。国民の大多数がこんな見方だろう。これ程に基礎学問を蔑ろにする政権がイノベーションだの科学技術立国などのたまうのだから滑稽極まりない(ちなみに私はもっと無駄であろう分野の研究者である)。いずれにせよ、大学院博士課程で教育を受け学位をディフェンド(審査だから自分の主張を守るのだそうだ)することが一流企業に就職する最低ラインと正しく認識されているアメリカ合衆国・ヨーロッパ・中国や台湾には追いつくことは二度とないだろう。一生彼らが最先端で開発するスマートフォンなどの端末やウェブ技術を使い続ければよいと思う。自動車だけが最後の砦になるのだろう。それもいつ世界の最先端から取りこぼされるのか。
トランプ政権の4年で良心を失ったことを顧み、バイデンを選んだアメリカが心底羨ましい。強いネガティブを避けるためにバイデンが選ばれた、という向きも否定できないが。やはり自分たちでリベラル(自由と平等)を勝ち取るという気概は失われていないと感じた。そしてアメリカのリベラルには非常に豊富な経験がある。この点が日本とは大きく異なる。日本が自民党を拒むときは、いつも不況だった。バブル崩壊後・リーマンショック。そして新型コロナでも非常に怪しいわけだが。このような積極的でない背景による政権交代しかなく、自分でドライブする準備が出来ていない野党が突然与党になってもなかなかしんどいのである。民主党政権はうまくいったとは言えない。国民も自分たちでリベラル的なものを獲得してやろう、という気概は持てないのである。何より、経済的・精神的にゆとりが持てず、いつ派遣先から切られるかもしれない恐怖と不安、巨大な大企業に庇護されているという虚栄ともいえる安心感が強く、社会全体を根幹から支えようとか社会的弱者や虐げられてきた人たちに目を向けようとか、つまり社会福祉や学問・教育に社会として注力して、たとえ遠回りであっても国全体の再生を目指そう、という気にはなれないのである。自分には介護対象の親や祖父母がいるから、とか女性であるとか、小さな子どもがいるとか、それらと家庭の経済状況を計りにかけている人もいなくはないだろうが。なにせ、かくゆう私も任期付きでいつ首を切られるかわからない立場である。そんな者が来年度予算の財源を握る政権与党を支持しないで大丈夫なのか、と思われそうだが、全くの事実。実は私も政権与党に首根っこをつかまれている人間の一人に過ぎない。だが、ここは増田。私がどこの誰かなど特定することもできない。だから、これから数十年先の日本が絶望的状況でしかないと言っているのだ。目を覚ませ、国民よ。