幼少期は、場にそぐわないことを言ったりして周囲をドン引きさせるのを繰り返してきた。
ある程度成長してそれを自覚するようになると、周囲をドン引きさせないために何を言えば良いかが分からず、誰とも何も話せないようになっていった。
大学に進学して一人暮らしを始めると、周囲に話す人間が誰もいない生活がスタートした。
授業やゼミでの発表のような「論理的で一方的な発言」は得意だったので、そういう場は難なくクリアすることができたが、
普通の「雑談」の場で何を話せばいいか分からなかったので、授業に出ても誰とも雑談しなかった。
俺にとって誰とも話さない生活が最高に快適である、ということだった。
もう周囲をドン引きさせることを恐れる必要もない。何を話すかで思い悩むこともない。
俺は孤独耐性が高く、1~2か月程度人と話さなくてもまったく平気だったのだ。
しかしそうした生活は、少しずつ確実に俺の中の「会話能力」を衰えさせていった。
使わない能力は徐々に衰えていくものだが、大学院も含めた6年間の大学生活が終わる頃には
まず舌や喉の筋力が衰え、呂律が回らなくなり吃音を発症するようになった。
それから、会話をしても次に発言する言葉が脳裏に浮かばなくなり、会話のキャッチボールが難しくなった。
もともとキャッチボールで大暴投するような俺だったが、投げ返すことそのものが困難になったのだ。
卒論の発表などは問題なくクリアできたのに、人との会話は1分間も続かなくなった。
学歴がそこそこ良かったおかげでなんとかまともな企業に就職することはできたが、
会話能力の低さはあらゆる場面でハンデとなった。
仕事をしていると嫌でも人と会話をすることになるが、一度低下した会話能力は簡単には戻らない。
誰とも雑談しないので職場内の人間関係がほとんど構築できず、何かあった時に頼れる人がいない。
上司や同僚との信頼関係も築けず、それが仕事を進める上での間接的な障害となる。
こんな俺でも、専門性を武器になんとか10年以上働くことはできたが、そろそろ限界かもしれない。
この歳になると、マネジメントや難易度の高い交渉が仕事のメインになってくるが
会話がまともにできない、あるいはできたとしても大暴投する俺にはこれがかなりの無理ゲーなのだ。
結局、何度かの大失敗の末にマネジメントの立場からは外されることになった。
こんな俺をまだクビにせずに雇ってくれる会社には感謝する他ないが、
それもいつまで続くかは分からない。
結局、会話ができなければ生きていくのは難しいのだ。
ああそれでも、願わくば大学時代のように誰とも会話をせずに生きていきたい。
このまま会話能力が衰え、「どうも…」とか「うほ…」ぐらいの類人猿レベルの言葉しか話せなくなっても、
それでもいいから誰とも会話をせずに生きていきたい。
私も最近してるけど音読いいらしい。まず喋るために口を動かすのが面倒状態から脱出できた。 職場の人との雑談なんて最低限のコミュニケーションとれれば問題ない。挨拶と天気の話...
増田が日頃感じている辛さは深刻なものだと思うけど、職場の面だけに限定した場合は増田が認識しているほど深刻でもないよ というか職場に重度の吃音の方がいて、申し訳ないけど...