2021-03-17

海外大学院に行って挫折する話

もう日本に帰ってきてから10年以上になるのだが、当時のことを書いておく。

私は、地方公立高校からあの大学に進んだ。大学の中でも成績は上位で、演習や卒論も上手くやっていた。一方で、卒業後に会社勤めをするということに対して抵抗を感じていた。私の出身地では、大卒キャリアというもの医者教員他の公務員と、地方支店銀行員ぐらいのもので、自分所属する大学から卒業した後にどうやっていくかのイメージを持てなかった。またキャンパスの中に単純に居心地の良さを感じていた。そして当然のように大学院に進んだ。進学と同時に返済不要奨学金を取れるぐらいの評価をされていた。私の大学では、修士に進んだものはそのまま博士課程までを修めることが既定路線のような、そんな中であっても滑り出しとしては非常に良かったとおもう。

ところが私は、結局のところ研究というものには全く相性が悪かった。大人数の中で、答えがある中で進める講義や演習で点を取ったり、教授院生が程よい難易度テーマをくれる卒論ではうまく立ち回るものの、自分解決策を粘り強く探し続ける研究には忍耐力が続かなかった。また、私は元々怠惰だった。ゴールが見えている中でゴールに向かうときには瞬発力を出せるが、行き先のわからない中で努力をし続けるような精神力に欠けていた。そうして私は研究からは遠ざかるようになってしまった。

意を決した私は教授のところに向かい修士卒業したい旨を告げたのだが、私のことを妙に高く評価していた彼は私のことを惜しみ、環境を変えて研究を続けることを提案した。私には人と話すとき相手の主張を、時に必要以上に、理解して共感してしまうという柔軟さと言うか信念のなさがあった。そして、私は彼の提案に乗って、修士でやめるという決意をアッサリと引っ込め、留学することにした。

  • 当時所属していた(日本の)大学では何の成果も出せなかったのだが、かと言って研究を切り上げることもできなかった時に、海外の大学に行くという選択肢が手元に残っていた。認めたく...

    • 日本の大学院でうまくやれなくて、逃げるようにして海外の大学院に行った。行き先はPIになってから数年の若手だがメジャーな論文にいくつも論文をだしている教授のいる、一流ではな...

      • 君たちはスポンジボブやニンジャタートルで笑ってる間に僕はエヴァみてポケモンプレイしてたんだけどね!って言い返せばよかったのでは

        • 例えば八重樫や山本昌のフォームはどんなものかとか、ビックリマンチョコのチョコを捨ててシールだけ集めて問題になった話とか、ズッコケ3人組の中ではどの話が好きかとか、同じ時...

          • 米国生活には「わかりケア」が足りんかったと どうでもいいけど年代的にラインとかなさそうね 今なら夜ふかしツイッターは24時間眠らないのに

      • 海外には都合3年いた。その間、向こうの学生とルームシェアをしたりもしたけど、結局打ち解けることができず、友人と呼べる存在を作ることができなかった。日本人が何人か住んでお...

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