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はてなキーワード: テキストサイトとは

2023-06-15

ログイン復旧したのか

やっぱ軽いテキストサイトってメリットだよね

DBアプリもミドルも軽くすむ

とっくにコンテナ化してるのだろう

運営ベストプラクティスとして学びたい

2023-04-09

アスペからカウンセリング受けた→医者「アンタはギリ定形範囲やろ(笑)気楽に暮せばいいだけじゃん(笑)

マジ?

ヤッター!

ってなるかボケエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ

いやマジで往年のテキストサイトだったらフォントサイズが32になってましたよ(私は令和の男なのでそんなフォント芸はしませんけどね)

しかマジで魂(こころ)の内(なか)ではどうしていいのか分からなさが牧怒りですよ。牧怒りとは牧歌的な怒りつまり一揆寸前の村人ということでアンガーwithグレープ5秒前ですよ。

つうかギリ定形ってことは、普通人間と同じやり方じゃ駄目ってことじゃないですか。

勇気を出して西洋医学の薬物面の力は素晴らしいぞしたかったのに「いやお前のレベル必要なのは気の持ちようやな」で終わりはないでしょうよ。

つうかヤクパワーを使わないにしても認知行動療法とか催眠療法とかなんかこうあるでしょ!

クリニックの地下に脳波研究施設が隠してあるぐらい言ってくださいよ!

マジで「じゃあ頑張れよ(笑)まだ若いやろ(笑)」で終わりって杜撰が凄いでしょう。

ちなみに杜撰っていうのは杜さんが杜撰っていう意味が転じたらしいですよ。民明書房みたいな語呂の合い方しててすげー胡散臭い

「ずーさん 中国(999~1111)」みたいな感じですかね?流用されるAA劉禅とかでしょうか?

と・に・か・く!杜撰だと思うんですよね!

アドバイスにしたって「日記つけなよ」「部屋の掃除はしたほうが良いよ」「メモアプリ使えよ」「クレカ持ちすぎると疲れるから一つに絞りなよ」とかなんかしらあるんじゃないっすか?

「気楽にな(笑)」は何もなさすぎるでしょ!

無だよ無!無駄だよ無駄無駄

マジでさぁ……医者に行けばそれで全部解決しますとは思ってなかったけど……完全に何の情報もなしで終わるとは思わなかったよ。

いやー相性とかもあるんですかねえ……。

臨床心理士だっけ、この業界って患者共感しすぎると頭がパーになるから聞き流すのが大事らしいっすけどかなりの聞き流されでしたよ本当に。

前にどっかでクリニック燃やされた話がありましたけど、こういう雑な扱いを受けると「あー俺が鬱の末期だったらお前も燃えたかもよ?」とかよぎりますよホンマ。

凄い凄いキチガイ相手してお金もらおうとか普通じゃないことしてて本当凄いね仁術だね。

でも義とか礼とか置き忘れてるよね智はあるんだろうねお医者様だもんねファーーーーーーーーッッッッッック!

あーマジ無理よ本当無理。無理無理無理!

こっちはさ結構悩んでいるっちゅうか本当に「遂に俺も自分ガイジって認めて……人生の真(ほんとう)の一歩を踏み出すときが来たらしいな……ver1.0章始まります……」って気持ちで挑んで空振りはちょっと気持ちの持ってき場所がないですわ。

はーマジ明日からどうすっかな。

今の配置って結構ミスが出やすい上にミスにも不寛容にならざるをえないんだが、配置されてから「ぼく無理でちゅ><お客ちゃんがかわいちょ><同僚もかわいちょ><無理でちゅ><」するにしても半年、せめて2ヶ月ぐらいはやるだけやった感出さんとよね。

いやー会社潰れないといいなあ。

こういう時に医者からバッサリ「コイツアスペ常人として扱うべからず」って認定貰えるとサッパリだと思ったんだがなあ。

ゆーてまあ変に認定貰ってからクビ切られても転職活動大変そうだし結果オーライか?

オーライなのか?

個人生存政略としても集団利益追求的にもあんま正しい道には思えないんだが?

うーむ。

悩むぜ。

「答えがないことに悩んでもしゃーないから気楽に暮せばいいじゃん(笑)

うっせーーーーーーー!!!!テメーはいい加減脳内でチャチな前向き論を俺にドヤ顔アドバイス罪するのやめろーーーーーーー!!!!!

俺の脳から出て行け記憶ーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2023-03-19

今の40代オタクがボクの師匠プログラムCGDTM師匠のおかげ その2

https://anond.hatelabo.jp/20230319133934 の続き

2000年代後半

そもそも前述のオーディションの告知すらDTM magazine以外で見たことがなく(実際はもう少し色んなところで告知していたのだろうけれど観測範囲ではDTM magazineだけだった)、ネット上で注目されるのはロイツマガールからニコニコ動画投稿される初音ミクのIevan Polkkaを待つ必要がある。
実は初音ミクのIevan Polkka以前に初音ミク自体は注目されていたのだが、それは深夜アニメブーム文脈藤田咲ファングッズという需要であり決して初音ミクの可愛さやら革新性がDTM文脈評価されたっものではなかった。
実際に当時のKAITOMEIKO立ち絵更新されたのは初音ミクブーム以降であって初音ミク登場時点でもまだ扱いは非常に小さい。

この時期に触れて置かなければならないのはニコニコ動画誕生だろう。実際のところ2000年代半ばの項で触れなければならないのだけれど、現在ニコニコ動画として成立するのは2000年代後半からなのでココにする。
御存知の通り当初のニコニコ動画違法動画アップロードサイトであり、何なら当時話題であったYoutubeから動画を引っ張ってきて字幕を流すという方式であったため、Youtube側に違法動画が溢れ、負荷も高まりすぎたためBANされるという全くもって褒められない頭のおかし犯罪サイトだった。ドワンゴもそれを自覚していて運営ドワンゴだって黙っていた。

VIPPERニコニコ動画移住が促進されるのは前述したパートスレ問題2ちゃんねるまとめサイト問題による嫌儲勢の興隆によってニュー速VIPスレ執拗に荒らされるという事態が起き、YoutubeBANからMAD動画ブームが萌芽し始めて面白いコンテンツニコニコ動画へ増えてきたからであった。
その初期では違法動画アップロードのノリで無編集動画がアップされていたが次第に編集の手が加わるようになりMAD動画へと変化していった。代表格はアイドルマスターの「tUNAK M@ster (THE iDOLM@STER アイドルマスター インド版)」や「るろうに剣心英語版(フタエノキワミ、アッー!)」など。

ほぼ同時期にはMikuMikuDanceが登場、次第に増えていくボカロ曲(カバー曲)へMikuMikuDanceによるダンス動画を付けるなどの動きが発生。それらがボカロ曲絵師によるカバーの依頼、次第にモーショングラフィックス化が促進され今日のようなボカロMVが生まれるようになった。
その当時を振り返れば、Flash動画黄金時代BUMP OF CHICKEN天体観測やKのような動画を作りたいという想いが強くあったことを今でも懐かしく思う。あなた師匠がボクたち世代にそうさせたんだ。

livedoorねとらじ勢はニコニコ生放送登場とともに移住する。
livedoorねとらじ時代からカラオケ配信などの動きがあったものニコニコ生放送登場直前くらいか版権曲へ対して勝手字幕をつけて(当時は違法に)アップロードするニコカラという動きが発生し、この動画ニコニコ動画から(当時は違法に)ダウンロード携帯動画変換君(FFmpeg)によってPSP向け動画へ変換し、実際のカラオケ店で歌うという学生文化が生まれた。
当時のカラオケにはアニソンはもとよりボカロ曲なんて配信されていなかったので、PSPコンポジット端子AVケーブルカラオケ店のディスプレイモニタAVアンプへ出力して歌ったのだ(後にJOYSOUNDがこの学生文化に気づいてアニソンボカロ曲積極的配信DAMがそれに追従する)。これらの学生文化からニコニコ生放送でもカラオケ配信をするようになり、そこから歌ってみた文化興隆する。
歌ってみたニコニコ生放送の影響は計り知れないが負の側面もあり、livedoorねとらじでもあったような過激化が一部で促進され、配信しちゃいけない女の子の柔らかい2つの丘を見せちゃったりしてBANされるのも跡を絶たなかった。
結局、人気取りのために手っ取り早く女の子という要素を売りに全面へ出すと女の子要素を強く訴えることでしか評価を貰えないため次第に過激化していくのだ。livedoorねとらじ時代(約20年前)から何にも反省してないヤツは結構居たし、今のYoutube LiveやTikTokでも居るのでそういうのやめておきなと言いたい。10年前と20年前の失敗を繰り返すな。エロであれ悪ノリであれ何であれ犯罪を伴う過激化はダメだ。合法的過激しろ

歌ってみたキーアイテムであったPSP、実はMikuMikuDanceとも関係があり、MikuMikuDanceでのボカロダンス動画ダウンロードし、同様に携帯動画変換君によってPSP向け動画へ変換し、ダンスコピーして踊るということへ活用された。小型であり物理ボタン再生停止逆再生スキップなどが可能であったためダンス練習に丁度良かった。そうつまりこれの流れが踊ってみた文化の萌芽であり、PSP踊ってみたでもキーアイテムであったのだ。
当時のPSP、実は学生に対して物凄く影響を持ったガジェットで、当時の学生文化に疎い世代には信じられないかも知れないがPSP本体を所有しているのにPSPゲームソフトを所有していない女子学生が居たくらい学生の間では物凄く評価が高かったのだ。その影響度合いは当時のiPod以上と言って過言じゃなく往年のAppleファンには信じて貰えないだろう。

このあたりに来ると当時学生であった自分からしてもオタクへの風当たりは非常に改善されていた。
未だに自分の姉などはオタクへ対して少々嫌悪感があるようだけれど、学生時代から部屋に引きこもって続けていたことが仕事になっている現状を見て「アンタあのままじゃ犯罪者か何かになると思ってたけど今はそれが仕事だもんねぇ世の中わからないわ」などと諦めた感じでたまに言っている。
そんなの当たり前の話なのだ。ボクは師匠たちに憧れて今のような大人になった。師匠たちがどんなに迫害されても面白いモノを作り続けてくれたからこそボクたちは師匠のようになりたいと思った。モノを作る人が何かを変化させ、何も生まれない世界は何も変わらないんだ。ボクは師匠たちの手によって変化させられモノ作りをするようになった。

かにボクたちの世代オタク迫害ほとんど無くなった無くした、でも迫害されてきた師匠たちがモノ作りを辞めなかったからこそ今のボクたちはあるんだ。
今でも覚えてるよ!粗いのに精緻ドット絵面白いテキストサイト発音制限の中で奏でられるFMサウンド、低処理性能で実現する疑似3Dブラウザゲームあめぞうスレッディングシステム夢小説ツクール吉里吉里HSPアナタ達が作ってくれたモノなんていくらでも挙げられる!
憧れさせてくれた師匠たちへありがとうございます!と深々と頭を下げたい。


そしてボクたち世代を見て憧れてモノ作りをしたいという新しい世代の子が現れているのなら作り手としてこれほど嬉しいことは無い。


P.S.まりにも書きすぎて3/4削った。つまりこのエントリは1/4まで圧縮してるので何かのきっかけがあれば補足するかも知れない。

2023-02-06

女性」というカテゴリへの偏見

メイクや服など外見を整えるものに詳しい

恋愛大好き(自分のも他人のも)

三次元男性の顔に恋できる

 ・他人の顔の美醜の評価可能

可愛い正義(実体験)

 ・自分善意100%喜ばれる

 ・頼んだらやってくれる

 ・謝れば許してもらえる

理論より感情(医学知識より承認欲求)

自分の中にこの偏見が強固にあるせいで、女性カテゴリに突っ込まれると自分全然こうではない恐怖で一言も発せなくなる。

コスメ・服(ブランド)・好きなタイプの話とか振られても一切回答できない。

「じゃあマンガだとどんなキャラが好きなの?」と言われても夢女子じゃないのでそのキャラ恋愛関係になりたいとは思わない。回答は誤魔化す。

最近ネットが普及してきて上記カテゴリに含まれない「女性」も割といることに気付いたけど、でもまだ偏見消えない、自分女性カテゴリに入れられるとすごい違和感を感じる。

かといって性自認男性という訳でもなく。

まぁ恋愛結婚セックスもしないなら性自認とか関係ない気はしてきてるんだけど。

女性カテゴリへの偏見がある以上、自ら「女性」を名乗るのは違和感ある。

やはりここは古のテキストサイトの如く「生物学的には女性」を名乗らせて頂きたい。

2023-01-14

ネット小説必要なのは劇薬

その昔、テキストサイトというもの流行っていた。

みんなが更新を待って、更新されたら喜んで読む。

理由は、みんなが話題にするからだ。

現在ではテキストサイトは廃れ、ブログも終わり、SNS文章から写真を経て動画に移行している。

その流れに取り残された一部の活字中毒者たちはネット小説にすみかを見い出した。

しかし、ネット小説では感想レビュー悪口を書くことは規約違反となることが多い。読者たちが好き勝手なことを言い合う文化はない。

ネット漫画の盛り上がりはSNSでのリプライ拡散コメント欄で得られる同調意見によって増長される。それはかつてのテキストサイトで得られたみんなとの共通話題の楽しみ方である

ネット小説自由感想を受け付けていない理由は知っている。ネット小説の作者たちが打たれ弱いからである

しかし、そこはあえて劇薬を飲んでみてはどうだろう?

きっと、ネット小説でも盛り上がりを作ることができると私は思う。

2022-12-14

無断リンク禁止からリンクフリーへの足跡

最近はてな内でインターネット老人会やおい腐女子部の方が過去を振り返っていたので、それに関連して無断リンク禁止からリンクフリーへ至った足跡記憶を振り返りながら記そうと思う。
ただし、当該エントリリアクションでも触れられている通り、まだまだ規模が小さかったとは言え個人視点で見れば広大なインターネットの全てを捕捉するのは難しく微妙個人間で差異があるものと思われる。
違いがあれば私はこうだったと教えてもらえると更におもしろくなるかも知れない。

さて、若者の皆さんはインターネットオンラインコミュニティではその当初「実名文化」であったことをご存知だろうか?
実名文化となった要因は様々あると考えられるけど、大きく影響を示した要因の1つは「JUNET」であると言われれば、まぁ納得はするのではないだろうか。少なくとも影響ゼロではないだろうなと。

JUNETは学術ネットワークで、その主要コンテンツ今日における電子掲示板群と非常に似通ったものがあり、つまり話題カテゴリごとに整理されたページが存在したのだ。
建前上、JUNETはごく真面目な学術ネットワークだったので書き込み責任は個々人にあり、書き込み責任持ってもらうため実名制が取られていたとされる。
電子掲示板群で「である」調の文体もJUNETで使われていた文体であり、由来は論文に使われていた文体なのだ

まぁ実名であっても責任?なにそれ?みたいな感じで至るところへ噛み付いたり、唐突にまったく脈絡なく関係のない話をはじめ、それを指摘され叱られたら逆ギレして大暴れする抜き身のナイフみたいな方が居たんだが・・・そのことについては別の機会に。
えっソイツどうなったかって?今でもTwitterで元気に至るところへ噛み付いてレスバしてるけど?
私の年甲斐もなく落ち着かない性分はなかなかだと自覚してるが彼女には負ける。私はそろそろ落ち着かないとと思ってるがキミはそのままで良いと思うよ。

まぁそんなこんなで日本インターネットはその当初実名文化であり、TCP/IPWWWデファクトスタンダードとなりWindows 95社会現象になるほど売れた時代ホームページ開設ブームなんてものがあった。
まぁブームと言っても現在に比べればまだまだ小規模のものではあったが、個人が自宅からウェブアクセスし、何ならウェブサイトを公開するというのは中々に特別感があったのだ。

そのホームページ開設ブーム期のホームページ実名文化の影響下にあり、住所から氏名、電話番号家族構成、勤め先などなどを載せているホームページが数多く存在した。現代個人情報保護の感覚からすると実におおらかと言える。
言ってみれば、その当時のホームページは後の時代に登場する「前略プロフィール」みたいなものだったのである
書いてある内容も個人日記帳しか実像へかなり近い個人日記帳のようなものであった。実名で交友関係がわかったし、ホームページ管理者学生であれば甘酸っぱい恋の悩みとかを隠すこともなく実名で書いていた。
この当時のホームページはあまりにもリアルすぎる個人情報の塊であり「ホームページ管理者が広く公開していないURLを無断で他所転載することはネチケットに反していた」という古の文言現代で記すこととなる。

現代感覚からしてみると「広く公開していないURLって何なんだよ」と言いたくなるし、情報技術から見れば「ローカルDNSサーバでも立てたのかな?プライベートIPアドレスならば個人利用だと事実上無限みたいなもんだ」と広く公開していないプライベートURL可能性を探り始めるが、当時の人の感覚からするとインターネットなんてドマイナーなのでインターネットを使ってる時点で隠しているつもりだったのだ。
実にバカバカしいと現代人は感じるかも知れないが当時の大半のインターネットユーザは至って真面目に本気でそう考えていた。

例えば過去時代NTTハローページという個人電話番号を膨大に載せていた冊子を発行していた。
この個人情報公開情報であるが、電話番号所有者に無断で何ら関係しない他所へ公開した場合倫理的問題いか?と言われれば現代人でも問題と感じるはずだ。現代では特殊詐欺とかあるしね。
じゃあ何でNTTはそんなもん発行していたのか?と言えば、当時の電話番号を取得するには加入権というもの必要であり、加入権は金融商品としての側面を持っていたこからハローページへ記載されているということはNTTがその個人の信用をある意味担保しているという判定が得られることがあったのだ。
まぁつまり電話番号すら持ってないヤツは信用ならんから取引しないという考え方がマジで存在したんだ。

現代の、それこそ若者感覚からするとNVNOで気軽に電話番号を入手できてしまう今では考えられない価値観だ。
ちなみに加入権の反動からか約20年前に契約書すら必要のないプリペイド携帯電話詐欺が横行するっていう失敗があったので約20年前が最も電話番号価値は低かった。

まぁそんなこんなで、URL公開情報であっても勝手に使うのはダメなんだ、URL無断転載禁止なんだ、無断リンク禁止なんだという価値観時代存在したが、それが急速に失われて「リンクフリー」が台頭する時代が来る。
リンクフリーが何故一気に広まったのか?と言えば「Yahoo!」が日本国内で営業開始したからであった。

当時のYahoo!ディレクトリ型と呼ばれるウェブ検索エンジン方式で、これはハローページなどと同様に人力でURL情報収集して掲載するという形のウェブ検索エンジンだった。
掲載されるには審査必要で、Yahoo!掲載されるということはウェブサイト一定価値と信用を与えてくれるものだった。まるで本当にハローページみたいだ。
この価値が失われるのは「Google」がロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンを開発したからであったが、リンクフリーGoogleが登場する前から使われ始めている。

リンクフリーYahoo!が登場したからだけでは実は説明しきれず、Yahoo!が人気サイトランキング形式掲載するようになったからというのが実際の答えである
人気ランキング存在するようになると競争が生まれる、当時のウェブサイトにおいてはアクセス数(≠ユニークユーザ数)こそが人気の指標であり、URL無断転載禁止無断リンク禁止スローガンはこの人気争いの中で邪魔になっていった。

そして同時にインターネット芸人みたいな人たちも続々と登場するようになり、個人の赤裸々な情報が詰まった日記帳のようなホームページは段々と廃れていき、匿名インターネット芸人が笑い話やお涙話で人気を集めるようになった。
うつまりテキストサイトブーム」の到来である

テキストサイトの思い出についてはこのエントリを読むインターネットユニークユーザ諸氏の方が詳しいしバラエイティに富んでいると思われるので任せた。

ディレクトリウェブ検索Yahoo!の登場は別にテキストサイトだけへ影響を及ぼしたわけでなく、2ちゃんねるの元になった電子掲示板群「あめぞう」の前身であるあめぞうリンク」は「リンクサイト」と呼ばれる種別ウェブサイトであった。
そのほか後年にはリンクサイトの発展型であるランキングサイト」も登場しており、ここまで来るともはや牧歌的インターネットなど想像も付かないような喧騒が起きるようになり、更に現代では当時を喧騒表現しても良いのか迷う程度に現代インターネット闘争本能が強すぎる人たちが多く生息している。
アーマードコアの新作発表されたしそっちでやれよ。

URL無断転載禁止無断リンク禁止派の最後抵抗はやはりGoogleによるクローリングだろう。
前述したロボット型と呼ばれるウェブ検索エンジンウェブページからウェブページへのページリンク自動的収集するというもので、人力で登録していたYahoo!よりも収集効率が物凄く高かった。
しか自動収集するからこそウェブサイト管理者からすると謎のアクセスが急激に増え、何なら当時「Google」という単語など知る由もなかったので特にリンクを多く持っていたウェブサイト管理者からするとDDoSアタックか?と疑念を抱かせる程度には迷惑千万だった。

もちろん静かに間内だけで楽しんでいるようなウェブサイト管理者としても急にアクセスが増えることは不快感しかなく、Googleの人気が増えていくに連れてリンクされない権利を求めるユーザもまた増えていったのだ。
この件であまりにも叩かれすぎたGoogleウェブ検索エンジン検索結果に記載されない「noindex」という施策を取ることとなり現代でも運用されている。
ただしこのnoindex、性善説運用されておりウェブクローリングする側がnoindexを無視すりゃ普通にクローリングできるので完璧解決手段ではない。

まぁこんな感じでテキストサイトあたりから日本インターネット匿名文化へ傾倒するようになりリンクフリー一般的になっていったのだ。何ならリンクフリーって言葉すら見なくなる程度にはリンクフリーが当たり前の価値観であるインターネットになった。

そう言えば、はてなブックマークでも無断リンク禁止勝手ウェブブックマークするなという意見が取り沙汰されたこともあったが、その辺の思い出話はブクマカのほうがよく記憶しているだろうし任せた。

いやはやインターネットというのはここ数十年で大きく変容したものだと懐かしんで私の昔話を終えよう。

2022-12-12

anond:20221212151345

その時代ならわかるわ

その時代同人サイト時代じゃなくてホームページ時代

若い連中には違いがわからんだろうけどホームページ時代実名文化他所勝手他人ホームページURLを公開するのはネチケットに反していた時代

ホームページ時代学術ネットワークであったJUNETの影響がまだまだ強く残っていた時代でJUNETから実名文化が引き継がれていた

匿名が前提となっていた同人サイト時代とは一線を画すぞ

流れとしてはホームページ時代テキストサイト時代同人サイト時代で、テキストサイト時代匿名化が進んだんだよ

ホームページ時代にもホームページ上で同人活動やってたヤツは居るだろうけど、それを同人サイトと呼ぶのは些か早すぎる

2022-10-04

anond:20221004100708

デイリーポータル上品さのラインを保ったまま文化的なおふざけをいい塩梅でしてくれる貴重なメディアだ。

下品おもしろを求めるパンピーと違ってはてなーはそのへんのハードルが高いかオモコロよりもDPZが好まれるのだろう。

とはいえオモコロのようなバーグハンバーグバーグ系統カヤック系統のぶっとんだ記事もモノによってははてなーバカウケすることがあるので一概には言えない。

虚構新聞がキレキレのネタを上げてきた時もちゃんと拾ってくるのではてなーの懐はわりと広いと思われる。

少なくとも品性ゴミ増田記事おもしろカテゴリ占領するよりは一応は企業がやってるテキストサイトもどきのようなものを拾ってきてくれた方が100倍マシだろう。

togetterがトゥギャッチだった頃から知っているが昔はらばQやヌートンのようなサイトも載っていたような気がする。

おぼえてないけど。

2022-07-28

そもそもフォロワータイムラインに俺のツイートほとんど表示されていなかった

なんかこないだ、自分としてはナイスアイディアを思いついてTwitterに書き込んだのよ。

恐ろしく反応がなかったんですけど。1000人以上フォロワーいるのに。

で、この反応の無さについて考えるに、最近一度だけ見かけた情報があって。

Twitterで、他者交流していないアカウントツイートは、そもそもフォロワータイムラインに表示されづらい」

あ! そうなのか!!

時系列順にフォロワーツイートが表示される……のではなく、

Twitterおすすめする、本人の嗜好にあわせた表示順になってる、って仕組みになったのはもう数年前だよなぁ。

それが気持ち悪い人は「おすすめ順」じゃなくて「時系列順」に自分で設定を変える必要があるんだけど。

俺はそもそもフォロワーツイートを全部追うなんてもう10年くらいしてないから、ずっと「おすすめ順」のままだったんだけどね。

その設定で使う人がふえて、俺もその一人で。

それでどうなったかというと……

Twitter側として嬉しい人=他社と交流してリアクションする人」のツイートフォロワータイムラインに表示され、

いいねリツイートもせず、ただ、タイムラインぼんやり消費するだけのユーザーツイートそもそもフォロワータイムラインに表示されない、ということになっていた!

のに気づいていなかった! のだったのだ!

そうか! 俺のツイートは俺のフォロワータイムラインに表示されていない!

俺、よっぽどのことがないとリプライなんてしないし、

いいねもたまにだし、

単純リツイートなんてほとんどしたことない。

Twitter上での他社との交流から意識的に遠ざかってきた俺のツイートは、そもそもフォロワータイムラインに表示されない仕組みだったのです!

……なんか、自分ツイート全然バズらない(笑)理由がわかって

妙に納得する、腑に落ちる感覚もありつつ、

なんかTwitter軸で活動してきた自分としては絶望感もあります

だって自分ツイートフォロワータイムラインに表示させたかったら、

頑張って日々、いいねして、リプライして、リツイートしないといけないんです。

今までの流儀を変えて、「これも読んでもらう為!」と心に喝を入れて、

自分の素直な気持ちに何十倍拍車をかけてリアクションをとらないといけないんです!

読んでもらう為には!

……あ。なんか思い出してきたな。

昔、ブログツールが始まるよりもっと前、テキストサイト全盛の時代から

そういう潮流、あったなぁ。

アクセスを稼ぐためには、他のサイトにいってコメントをつけなければ!

文中リンクエントリ管理人本人への感想を書き込まなければ!

俺の書いたツイートは、そもそも誰にも読まれていなかった。

そう思うとせいせいするような気持ちでもあり、

現在mixi日記と変わらないな、という気持ちでもあり、

mixi日記と同じ……というにはつっこまれリスクを避けるために相当ケアした文章にしなきゃいけないんだなというコストばかりを感じる気持ちでもあり。

なるほどなー2022年

いろいろ勉強になるなぁ。

ということで、一念発起、今日からフォロワーツイートガンガンに反応しまくることにします!

リプライいいねリツイート! やりまくります

自分ツイートフォロワータイムラインに表示させるために!!!

……というmixi日記をさっき書きました。

2022-07-14

anond:20220714154438

タイトルurlがずっとつながってることも知らない増田素人がなにしにきたのw

これ以上質問質問で返すなら回答料金払えよ知識乞食

出先から格安simからギガがキツキツでおえないとおもってんだろwwwwww

ここテキストサイトだぜwwwwwwwぶふーーーー貧乏人w

2022-07-03

あの頃のネットに帰りたい

フォント弄り系のテキストサイトや、くだらないFlash面白がってた頃に。

こう言うと、「あの頃のネットは女の存在を殺していた。女を亡き者として扱っていた」みたいなのが来るんだろうけど、見ていたコミュニティの違いだろうよ。2chとかのネットの極地を基準にしないで欲しい。

思えばネット空気が変わったのは①iPhone以降、ガラケー勢が流入してきたタイミング、②SNSが収斂していってTwitter事実上多数派になったの2つのポイントだと思う。

ガラケーが「閉じたインターネット」を作った理由がよくわかる。多種多様人間が混ざり合えば、やがて人は相争い合う。バベルの塔を打ち壊し、言語を乱し、人々を散り散りにさせた神は正しかったのだ。

2022-06-17

anond:20220617110848

何も違わないよ

古のテキストサイトのような文体が気に入ったはてな老害たちが

このサイト化石のような価値観を何とか肯定するために

婚活の場では許されるんだ!」っていう謎の理屈を捻りだしただけ

2022-05-28

次に流行りそうなウェブサービスってなんだろう

やっぱりVRかな?

それとも一周回ってテキストサイト流行ったりして

2022-05-08

anond:20220508114714

ゼロ年代自分テキストサイトなどを運営しようとして

HTMLの使い方を検索すれば皆が必ずたどり着いていたサイト

2022-03-27

はなれていくホロライブ

先日Vtuber事務所の最大手であるホロライブ音楽ライブ

「ホロライブ3rd fes つながるホロライブ」が開催された。

 

幕張メッセで2日間をかけてカバー株式会社所属する38のVtuberライブを行い、

そして同時にイベント展覧会を開いたVtuber業界において過去最大規模の催し物だった。

その規模は著名アイドルグループライブなどとも遜色はなく、

多数のファンが参加して大盛況のうちに幕下ろした。

 

その盛況さはTwitterトレンド1位を数時間にわたって独占して、

TVニュースなどでも取り上げられるほどのものであり、

Vtuberが巨大なコンテンツとなったことを多くの人に知らしめることになっただろう。

 

一方で、その盛況さを目の当たりにしながら、ホロライブを追いかけてきた自分にはどこか冷めるような気持ちに包まれていた。

Vtuberの始祖であったキズナアイVtuber四天王の今、

そして先駆者であったにじさんじを通じて現状を見直した時に、

「ホロライブリスナー達の手元から離れていった」という認識に至ったからだった。

 

私にとって今回のライブは「つながるホロライブ」ではなく「はなれていくホロライブ」だった。

 

その認識に至った理由と、その解説について、

テキストサイトから伝統自意識の過剰に依って、怪文書としてしたためておくことにする。

 

◆目次

 ■結論として

 ■Vtuberおよび、にじさんじやホロライブ

 ■Vtuberの人気とリスナーの近さ

 ■リスナーと離れていくVtuber

 ■配信からタレントへ、更にIP

 ■夢と嘘そして現実の生々しさ

 ■企業規模とコンプライアンス

 ■今後の変化と展望

 ■終わりに

 

文字数が多いためか投稿できないため、記事への反応へ小分けにして投稿していく。

2:https://anond.hatelabo.jp/20220327181133

3:https://anond.hatelabo.jp/20220327181216

4:https://anond.hatelabo.jp/20220327181702

5:https://anond.hatelabo.jp/20220327182118

6:https://anond.hatelabo.jp/20220327182315

7:https://anond.hatelabo.jp/20220327182410

8:https://anond.hatelabo.jp/20220327182441

2022-03-26

anond:20220325195927

テキストサイトとか、その裏でHTMLソース手書きしてるとかかな。

今だとYoutuberが裏で動画ソフトで頑張って編集してるのに近いか

あとはオウム事件は朧げに知ってるけど、その後継団体が未だに活動してることを知らないのは多い気がする。

2022-02-28

VNI(バーチャルネットアイドル)で言うところのちゆ12歳キズナアイだった

そしてバーチャルネットプリーストさやさや16歳が月ノ美兎だった。

 

元々VNIは『侍魂』や『ろじっくぱらだいす』といったテキストサイトの流れを汲んで生まれた。

ちゆ12歳はその影響を明言しているし、

その後生まれVNI四天王も同じく「自分たちテキストサイトである」という矜持を口にしていた。

 

ちゆ12歳の影響を受け様々なVNIが生まれたがその過程で生まれたのが

バーチャルネットプリーストさやさや16歳だった。

彼女は現パズドラ運営でおなじみのガンホー運営するMMORPGラグナロクオンライン(以降RO)の

プレイ日記投稿するVNIとして誕生した。

そしてバズった。

 

さやさや16歳はちゆ12歳に影響を受けて始まったVNIだった。

だが、それ以降「さやさや16歳に影響を受けて始めるROVNI」が大量発生した。

彼女(暫定)らは自身が「テキストサイト」を運営するものであるというという意識よりも

ラグナロクオンラインプレイ日記」を投稿するものであるという意識が強かった。

まりここでちゆ12歳から始まった「VNI」の流れが分断されてしまう。

 

テキストサイトから派生したVNI

ROプレイ日記から派生したROVNI

 

その後、あふれかえるROVNIに対して「こんなものVNIと呼べるのか」などという反発が多く起こったが、

ROVNIは多くの支持を得て勢力は拡大していった。

その理由は「圧倒的なコスパ」にあった。

テキストサイトは常に「新しい面白いこと」を自分の中からひねり出す必要があった。

だがROVNIROプレイしてそのプレイ日記投稿するだけでよかった。

 

その後、ROVNIRO凋落ととともに勢力が衰え消えていった。

VNI自体テキストサイト凋落と共にもっと早く消えていったのだが。

 

これは「Youtuberから派生したVtuberであるキズナアイ」と

キズナアイから派生したVtuberである月ノ美兎から派生したVliver」の風景によく似ている。

 

多くのVliver(ヴァーチャルライバー:Vのガワを被った配信者のこと)は、

自身Youtuberであるという意識はないように見える。

多くのVliverは自身出身であるニコ生ツイキャス、ツイッチなど生配信サイトで行っていた活動

そのままYoutubeLiveという新たな生配信サイトに持ち込んだ。

Youtuber定義自体が非常にあいまいあやふやであるのでもしかしたら

「いや、俺らは生放送するYoutuberっしょ」と思っているのかもしれないが。

 

他方でおめシスやぽこピー、ハクノといった

Youtuberであるという矜持」を持って活動を続けるVtuberもいる。

 

別にどちらが優れているとかどうのこうのということではない。

ただ、キズナアイ永久スリープに入った今、Vtuber界隈を見渡してみると

昔どこかで見かけた光景だなと少し懐かしくなっただけだ。

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

2022-02-14

インターネット経験

綾野辻子というアカウントツイート自分のTLにまわってきた。

驚愕オタクくんたちが大絶賛するサイゼリヤ勉強のために行ってみたら...(4年ぶり) ヴィーガンが注文できるメニューが一切なし。私への配慮ゼロ。15分メニュー表見ても何ひとつ頼めない。なにこれ?もう怒りでお腹いっぱいになったので店員さんにメッセージ付き注文用紙だけ渡して帰宅した。 https://t.co/2lwYoK5bhe

https://twitter.com/FeminiVjp/status/1492453148807811077?t=WDhVHvnSB39FDkb50MuKXA&s=19

なぜこんなに露骨釣り垢に皆突進していくのだろうか?

ダイヤルアップインターネットを始めBBSこてんぱん論破された中学生の時から早25年。齢40になるおじさんからしてみると引用ツイートでも触りたくない垢。

ひょっとして、今の世代(15-30)位の子達のインターネットの行動範囲って狭いのでは?

我々(主語大きくしちゃうけど)はBBSからまりスタービーチmixi(初期)魔法のiらんどの様な個人サイト2ちゃんニコニコテキストサイトブログ全盛期等の様々なインターネット経ているが、全てTwitterだけで完結しているインターネット弱者が多いのではないだろうか。

繰り返しになるが、あん露骨な垢の戯言にムキになる前に冷静に考えてほしい。

2022-02-07

anond:20220205220729

追記

いや、「ジョジョ人気なんてなかった」って言いたいわけじゃない。

これは書き方が悪かったけど。


絶対数でいえば、読者は(隠れも含め)大勢いただろう。

バオーの頃から根強いファンがいたのも知ってる。

言い訳じゃないが、6部の時点で80巻の漫画だし、こういうのは書かなくても当たり前に伝わる部分だと思った)


だけど相対的には、他のジャンプ漫画が「圧倒的多数派」でジョジョが「少数派」っていう立ち位置だったでしょ?

ジョジョの話をするとき、「日陰者」の意識はあったでしょ?


ネットで「お前も好きだったのか!」ってなって連帯したり、反動で盛り上がるのは全然いいよ。

ネット流行ったのも「そういうキワモノ感」の反動はあるだろうし。

刃牙シリーズだって今じゃ知らない人はいない大人気作だけど、「バキ」のころなんて、普通に「バキかあ。。(そもそもチャンピオンかあ)」って空気だっただろ。

テキストサイト面白枠」だっただろ。

既に40巻以上続いてる漫画だったけど。


で、元々のファンは「少数派の意識がある故」、荒木が変なこと言ってても「まあ、荒木先生だし」って大目に見るスタンスだったのよ。

逆に、「荒木瑕疵があること」なんて前提でしかないのよ、そういう作者だから

ゆでたまごファンと似たようなもんだよ。


あれだけ現代イラストレーターポーズを数えきれないほど「丸パクリ」しておいて、

ジョジョ立ちの起源ルネッサンス芸術で~ミケランジェロ彫刻が~」とか豪語する人間だぜ。

カーッ、荒木先生今日もトバしてんねい!ってのが「ファンとして正しい対応」だろ。


でもそういう「荒木は信用ならない人」というファンにとっての常識が、いつから通用しなくなったでしょ?


元々のファンは、「荒木は平気でパクリもやるし、それを開き直るし、発言は一貫しないし、展開は適当だし、そのくせインタビューでは大見栄を切るし、全然褒められた人間じゃないんだよ。。」と思ってるのに、

しろその破天荒さや恥ずかしさも含めて魅力だと思ってるのに、


今じゃ真面目な顔して「さすが荒木先生」と褒め讃える奴しかいないじゃん。

荒木先生がパクリ?あれはパクリじゃなくて~漫画におけるアイデアの借用は一般的なことで~」とか、したり顔で「擁護する奴」ばっかりじゃん。


そういう話をしてる。


ネットにおける「パクリトレース騒動」がいつ発祥かはわからないけど、おそらく初期と言っていい2000年代からジョジョはその俎上に上がってた。

おれは心あるジョジョファンとして当時のことを証言するけど、

そのとき、「ジョジョファン荒木だけは擁護して、冨樫義博を叩く」という分岐点光景を目にした。


当時のネット空気を覚えてる人もいるだろう。

今では考えられないけれど、富樫は「貶していい存在」だった。

一時期のBLEACHとまでは言わないが、とにかくネットでは「叩いていいもの」扱いだった。

そんで、「富樫のパクリは叩いていいけど、ジョジョパクリは何が何でも認めない」みたいな、俺からしたら意味の分からない連中がたくさんいて、荒木擁護・富樫disに連日邁進していたんだよ。

どっちも同じようなパクリをしているのに、「ジョジョ絶対擁護」という気色悪いダブスタ披露していた。

理屈」では擁護できないジョジョを無理やり庇う流れが、確実にあった。

その流れが、現代ネットに続いてると思ってる。


だって、今なんて荒木発言を「ネタ」として楽しむ余裕がまったくないじゃん。

ネタ扱いして突っ込み入れたら、「著作権とは~」って急に大上段の話をしはじめるじゃん。

おいおい、俺たちは「荒木飛呂彦」の話をしてるんだぜ?って思う。


それが通用しないから「神格化」と表現した。


後追いのジョジョファンには届かないかもしれないが、昔からジョジョを好きだった人間はいくらかは通じる話だと思って長文で追記した。

失礼。


追記終わり


この辺、荒木ジョジョ擁護するために急激に神格化が進んだよね。

からジョジョファンだと、温度感が変わったのがわかると思うけど。

ネットパクリとか色々指摘され始めた頃からジョジョ世界中で認められてる素晴らしい作品なんだアピールが妙に強くなったよね。

芸術理解のあるインテリ荒木先生はすごい人なんだ!みたいな、信者を増やして批判を減らす方法っていうか。

ジョジョなんて読んでる奴は少数派」「ジャンプの後ろに乗ってる気持ち悪い漫画」というリアル体験がないファンも増えた。


元々は荒木飛呂彦って適当なことばかり発言してたので、ファンからも「はいはい荒木先生、荒木先生」って扱われるのが共通認識だった。

それがいつの間にか「人間賛歌…!流石荒木神…!」みたいな、荒木発言自体を本気で受け止めて、祀り上げる連中が急増したんだよね。

ジョジョなんてご都合主義連続で、人間中心主義じゃ全然ないだろ!)

パクリに関して言えば、

「死んだ人間のまねをするのがオマージュ、生きてる人間のまねをするのはパクリで、パクリダメだ」って堂々とインタビューで言いながら、平気で「生きてる人間の真似をしまくってる」のが荒木先生クオリティですよ。

本来、「はいはい荒木先生、荒木先生」って扱うべき人物なんだよ。

マジでジョジョ荒木神格化したネットは最悪だと思う。

2022-01-06

はてなってフォント大きくできるんだ

フォント大きくしてるの初めて見たから新鮮だった

古のテキストサイトみたいなこともできるのかな、誰もやってないから考えたこともなかったわ

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