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はてなキーワード: 齟齬とは

2018-01-17

三田先生の件で解明されていない2点

ブコメ見てると勘違いしている人がいるのかなと思い書きます

1日10時間、週40時間までの範囲であれば残業代が発生しない

ref: https://mitanorifusa.com/news/329

労基署では、一日9時間×4日=週36時間労働ということであれば変形労働時間制をとっているということだろうけれども、たとえその形でも一日9時間を超えた場合と週4日を超えて働いた分は残業代が発生する

ref: http://kakuishishunsuke.hatenablog.com/entry/2018/01/17/110312

なので、変形労働制であったことは双方知っている上での今回の訴えだった訳です。

法的に週40なのか週36なのかは私は知りませんが、少なくとも36は越えていたからカクイシ先生が訴えました。

明かされていないのは2点です。

なお付け足しますが、三田先生が答えなければならない部分のみ答え、その他のことについて触れていないのは、対応としてとても上手だなと思います

2018-01-16

ももクロへの違和感というか

今日は久しぶりに感情を動かされました

ももクロ有安杏果卒業の件

私は彼女と同世代アイドルファンで、ミライボウルぐらい?の時に彼女らを知った覚えがある

当時はSKEスマイレージももクロか、みたいな時代だったので私も満遍なく追っていて、ももクロちゃんにも好感を持っていました

よくカラオケで歌ったりリリイベに行ったりという思い出

「Z」になった辺りからファンも増え、露出も増えだして、あれよあれよと言う間にトップアイドルに登り詰めたのに反して、私の中では違和感がどんどん大きくなっていきました

それであんまりいかけなくなっちゃったんです

最初自分でもあんまり理由はわかってなくて、まぁ楽曲の好みなのかなあとか思ってたのですが

歳を重ねるにつれてその違和感は徐々にはっきりしてきて、20代前半になった今、ようやく掴めてきたような気が

アイドルとしてのももクロちゃんたちは、大人になりません

スタッフの手によって、あたかも「昭和ギャグ漫画にでてくる、歳をとらない女の子」のように演出されてきたように見えます

いつでも明るくふざけたトークギャグアニメみたいな面白衣装元気一杯パフォーマンス

彼女たちはそれを笑顔でこなしていました

わかりやすキャラクター化された姿は、見る者に対しても、「彼女たちをそういうキャラとして扱っていいんだ」と思わせます

でも現実メンバーは生身の女性であって、歳を重ね、成熟していきます

いつかその齟齬には限界がきます そんなことは誰が見ても明白です

それは織り込み済みのプロレスなんだよとか、その限界突破しようと頑張ってるももクロちゃんはかっこいいんだよと言われるかもしれませんが

私にとって、それを見続けるのはしんどかった

なんというか、私も同年代の女として、彼女たちがアイドルとして過ごしている期間、「普通女の子」として生活してきました

彼女らと違って何も成し遂げてはいませんが、人生や夢や社会のクソさについて友人と語り合ったり、似合うファッション模索したり、何人かに恋をしたり・されたり、男性目線不条理言動に傷ついたり、反発したり、自分女性性に疑念を持ったり、憎んだり、肯定したり、

この期間は女としての自分に向き合う時間性的主体性を獲得する時間だったなと思います

そしてそんな中で、女としてどういう風に生きていくかとか、何を楽しんでどんな風に生きたいかとか、ちょっと見えてきたように思います

なんかこういう、10代後半〜20代前半の自分にとって一番大切だったステップというか、時間はきっとわりと普遍的ものなのかな

女友達とそういう話をするのも私は大好きです

でもアイドルとしてのももクロって、そういう「女っぽい」部分を徹底して排除しているように見えます

宮台真司か誰かが「AKBから生理匂いがするけどももクロからはしないのが良い」とか言ってた気がしますが(最悪発言すぎる)

そうは言っても彼氏くらいいるだろ的な、つまりそれが欺瞞だってことが言いたいわけじゃなくて、

私が違和感を感じるのはそれを演出するスタッフ側、受け入れるファン側の視点です

まず性的アイコンみたいなもの絶対に見せない、そうなんですよね

過激な言い方になるんですけど、ももクロってAKB乃木坂を筆頭とする、ストレートな疑似恋愛を売りにするようなアイドルカウンターカルチャーである割に、むしろその手のアイドルよりも強く"処女性"みたいなのを求められてることないですか

しかもこれはAKBメンバーに対する純潔の要請とは異なります

AKB場合、「自分だけの性的客体でいて欲しい」、そして「自分以外に性的主体性を発揮しないで欲しい」となるのはわかります

でもこの理屈は、疑似恋愛を主な売りにしていないももクロには当てはまりません

例えば彼女らは水着仕事しません

まあ無理やり脱がされるよりずっといいのは間違いないんですけど

なんだろうなー、

そんな彼女らを応援するファン一定層には「水着が見たくて応援しているわけじゃない」「彼女らを性的消費の対象にしていない」と自負するような傾向があるように見受けられます(観察した範囲では)

でも一方で、メンバースキャンダルが撮られたらものすごい拒否感を示すと思う(妹分であるエビ中スキャンダルの時に驚きました)

疑似恋愛対象にしてたわけじゃない、性的対象として処女性を求めるわけじゃないっていうのになんでだろうと

その中には「ももクロは性の匂いをさせないことがアイデンティティだったのに、それを崩された」という怒りもあるような気がして(さっきの宮台的発想です)

それは「自分が当該アイドル性的客体として扱わない」ことと、「アイドル自身性的主体性肯定しないこと」を混同してるのではないかと思うのです

まあこれはももクロファンに限らず、わりと世に根深蔓延る発想なのかもしれないですが

少女性的に消費しないということと、少女の(女性性を含む)主体としての人格成熟してゆくことを肯定しないことは別の話でしょと

当人は前者をおこなっているつもりで、後者のことをしてる事例が世間には間々有りませんかね?

ももクロ運営がやってることってその最たるものな気がするんですよね

それがウケることを知って、売るために故意にやってるのかもしれませんが

で、なにに違和感を感じたかという話に戻すとですね

世代として生きる自分にとって一番大切で興味がある部分を見せてくれない、それどころか否定されてるところが、魅力的に思えなかったのです

(あ、ちなみに女性としての成熟過程アイドルとして見せることと、表立った恋愛禁止の建前は両立すると思います

なんていうかなぁ、幼く性的主体性を持たない(ように見える)「少女」の姿と、成熟した「女性」の姿はスイッチで切り替わるものではなく

連続性のあるものだと思います

わたしはその過程を美しく尊いと思うし 自分にとっても大切だった

それを否定されるのを見るのは辛い

そして、これは余計なお世話かもですが

そんな大切なことを隠し、時に否定されながら、「少女」像をたくさんの人の前で演じ続けるってしんどくないかなって思うんですよ

私だったら絶対やりたくないなあって

個人的に、同性アイドル推し続ける理由は、その子たちにめちゃくちゃ憧れて、なりたいとすら思うからであって

ももクロはそういう意味で対極にいたんです

でも、ももクロはそういう姿だからこそみんなにパワーを与えてるのだろうし

その役目を真剣果たしてメンバーは本当に頑張っていて、めちゃめちゃすごいんですよ ほんとに

それはわかってるんだけど

まぁわたしがどんどん変わっていく中で

ずっと変わらないパフォーマンスをしているももクロを見ているのがしんどくなったんですよね

この点に目を瞑る限り、ももクロ永遠なんかあり得ないし

それを体感しながら応援するなんて残酷なことできないなあと

おもったんですよね

そしたら有安があんなこというから

勝手にあーと思っちゃった

こんなの全部わたし気持ち問題しかないし

彼女らはそんなこと歯牙にもかけてないのかもですが

とりとめなくなってしまった

ももかにはこれからもずっとずっと楽しい人生送ってほしいです

(疑似恋愛か否かのくだりはちょっと図式的な見方をしすぎてすみません、疑似恋愛してないけどAKBとかも好きです)

2018-01-15

怒り

どうしようもなくムカついたりイラつく事柄があって、それは理由とかはどうでもよくて単純にそう感じてしまうことだから仕方が無い、という側面がありますよね。

感情理由をつける場合解決手段模索する時のみそれが適用されると考えれば、とにかくどうでもいいからムカつく、と簡潔に述べていればその事についてはこじれずに済むと思っています

例えば相手が、それ考えは間違いであり、こちらにもこちらの理があるので正せ、というのであれば、両者共々折れるか戦うかするわけなんですけどそこで戦う事を選んだ場合理由必要になってくるわけです。

あくま平和解決若しくは健全事態収束、双方の納得を考えた場合必要不可欠になるもの理由であって、その内容が不健全であったとしてもどういった経緯で不快感情を感じてしまうのかを道筋立てて説明できなければならないと考えられます

現象には原因が必ずあり、それは感情にもハッキリとあることだと思うのです。

全てを説明する必要はない、相手がわからないのが悪い、と言ったコミュニケーションの隔絶、対話に対する拒絶等は片一方の確定的な「折れ」として扱うことが出来ます

現象によるストレスの発生にプラスしてもう一つのストレスを生むわけですがこれには相手ストレスを与え、行動の抑制を促す効果を期待して行う事が大きく、いわゆる野性的な威嚇とも言い換える事ができると思います

こういった野性的な威嚇はそこいらでよく見かける事ができます。様々な事柄を包括したコンテクスト押し付け等の不透明ルールに基づいた他者排他する行動は非常に労力が少なく、かつ成功したモデルケースが多ければ多いほどこの「野性的な威嚇行動」を選択する機会は増して行くと思います

そういった「野性的な威嚇行動」をより多く取るようになった人がモデルケースの少ない個人的かつ普遍的ではない嫌悪感を抱いた時にも「野性的な威嚇」の選択をとってしまうのではないでしょうか。つまり先程述べた通りの対話の拒絶が起こるわけです。

相手にみてとれる「対話の拒絶」状態は片方の健全事態収束を望む者にとっては、地獄に落とされたような気分の落ち込みを与えます。また、拒絶された側も相手を拒絶する「野性的な威嚇行動」に移るケースが多いと感じます。水掛け論、論点のすり替え相手が折れるまで続く無意味かつ徒労を感じる罵倒応酬、これらは全て威嚇行動です。

先程述べた「威嚇行動」と別の平和解決とは、結果的に全てを無に帰す事を目指す行動です。また労力に見合った結果に終わる事は、現象における規模によって変動していくと考えられます

また、解決とは折り合いを付ける場合にもそう呼びます。つまり現状に変化は無く、両者が状態を飲み込む事で解決とする結果です。これには不完全な箇所が多数あり、根本的な原因の解決が済んでいない状態ではありますが、原因の所在が明らかになっている状態にあります。両者に認識齟齬はあるはずですが、自身改善を促し問題の起きるキーのものを消化する可能性をもたらしてくれます

私が言いたい事は、話す気が無いように取れる一方的かつ単純で攻撃的な発言を見るとクソむかつき倒してしまうし目にすると気分を害するので消え失せてくれダボ共、くたばれ糞袋人間ゴミ世界中の全てありとあらゆる生命ある物質から愛と称される施しをうけること無くすみやかに死を受け入れ、余生を享受する暇もなく地獄無限落下し続けるその様はまるで薄汚い腐った豚の腸、見た者は顔面蒼白になり路端で嘔吐あわや蛙の如く胃ごと吐き出す始末、阿鼻叫喚地獄絵図、百鬼夜行悪鬼羅刹魑魅魍魎、南無三、神様仏様、織田無道様、御心のままにどうか私をお助けくださいませ、永遠に続くかと思われた地獄の果てに待つは地獄、これが無限地獄なのかと気づく頃には自失呆然五里霧中意識は散り散りになり脳のシナプスは煙をたちあげ体は爆発四散雲散霧消あっぱれ、さようなら現世さようなら天国永遠とは苦しみの中に見つけたり、想像を絶する、人智の外から来たような苦しみを味わってほしい。よろしく。

2018-01-13

anond:20180113105856

安倍botにとっても塀の中にぶちこまれた方が「やはりアベは本当に弾圧をしていたのだ!」って納得できて幸せなんじゃないかなあ

市井にいる限り一生妄想現実齟齬に苦しむことになるんだし

anond:20180113075451

つっまんねーこと気にしてゲームライフをつまらなくしてる馬鹿

増田くんは設定の齟齬を気にする賢いフレンズなんだね」なんて誰も褒めてくんねーぞ

2018-01-11

anond:20180106184350

既存出版社を通すとそうなるわな。

どっかの二次創作を元に名前を売ってオリジナルというのが最近は良さそうな気がする。

特に二次創作推奨を権利者が公言しているジャンル二次創作は驚きの白さだ。

それこそ、同人誌として少しずつ出していけばいいかもしれない。

「こういう表現がだめ」じゃなくて「出版社の俺はこういうのが売れると思ってるがお前のは売れないと思うからだめ」なわけで。

起業でもサブカルでも売れれば正義なところがある。そこで、そういう下卑た判断もあるはあるだろう。

君はそこで齟齬があるんでしょ。

その出版社の誰かじゃない顧客顧客候補があるかもしれない。

どのみち客に聞いてニーズを掴んでいく。

新しい商売と捉えると、高価で少ない顧客か、何らかのプラットフォームを用いてある程度の数に売るかのどちらかになる。当然、そのプラットフォームにある程度合わせないとならない。

プラットフォーム出版社もあるかもしれないけど、他のプラットフォームもあるかもよ。

ただ、文芸不安定から趣味お絵かき楽しすで当たったらぐらいのものがいいかもしれんけど。

2018-01-10

最近、周囲の人間幸せが辛い

辛いというか、憎い。

特定の誰かを憎んでいるわけではない。「特定の知人が憎い」、「有名なあの人が気に食わない」、「会社の〇〇さんとは意見が合わない」・・・そんなハナシであれば、逆にそれこそ万人が抱えているインシデントだと思っている。人間社会的生物である以上、他人との齟齬軋轢ははどうしても発生してしまものだ。それは分かっているし、今までの自分はそういった「自分はいひとつソリが合わない人々」ともうまくやってきていた。・・・はずだった。

だが、最近自分は明らかに何かがおかしい。友人の幸せな話を聞く度に心がすさむ。楽しそうな顔を見ると辛くなる。作り笑いの顔がばれてやしないかと変な汗が出る。


先日、友人の結婚式に行った。高砂に座る幸せそうな新郎新婦の顔を見て、「早く離婚すればいいのに」と思っている自分がいた。

facebookで、出産を報告している友人がいた。お祝いのコメントであふれる中、呪詛のようなコメント書き込みたくてしょうがない自分がいた。

twitterで、ソシャゲの最高レアカードを無課金で引けたと自慢している友人がいた。10万円ぐらい課金してゴミばかり引けばいいのにと願っている自分がいた。

そんな自分が、嫌でしょうがない。


逆に、友人の不幸な出来事に聞くと、妙に心が躍る。辛そうな顔を見ると嬉しくなる。口の端がつりあがっていないかと、無表情を装う。

先日、友人の子供が難病に罹った。1年以上は入院生活を余儀なくされるらしい。その話を電話で聞きながら、ニヤついている自分がいた。

facebookで、母堂の喪主を務めた旨の報告をしている友人がいた。故人の意向だかで家族葬ののちに報告となった事を詫びていた。お悔やみのコメントが並ぶ中、皮肉たっぷりコメント書き込みたい衝動かられている自分がいた。

twitterで、仮想通貨に手を出してウン百万円のマイナスになったと書き込んでいる友人がいた。「バカ丸出しだな」と思っている自分がいた。

そんな自分が、嫌でしょうがない。


これらの友人・知人達を嫌っているという事はない。むしろ好きと言って差し支えないと思っている。なのに、幸せな顔が、報告が、書き込みが、俺の顔を曇らせる。

人知人とは関係のない、インターネット別世界に逃避しようともした。だが無駄だった。炎上しているところを探して、ポリコレ棒持参で徹底的に叩くだけだった。左も右も主義も主張も関係なく、誰かが探し出してきたサンドバッグが設置されれば、ひたすらに叩き続けた。炎上の為の薪もせっせとくべたし、火のないところには煙を立てまくった。そんな事をしても誰も幸せになれないし、自分の胸のモヤモヤも大きくなる一方だったが、空虚行為が止む事はなかった。


自分は何故ここまで他人幸せを妬んでしまうのだろうか。

もうどうしたらいいのか分からない。

2018-01-07

語彙力が足りないので鍛えたい

自分は今まで「語彙力=同じ事を伝えるのに多様な表現を使うことで、自分言葉を沢山知っているのを自慢できる能力」だと勘違いしてた。

から、語彙力なんてのが身についても人に偉そうに出来る様になるだけなんだから身につける必要なんてないと考えていた。

違った。

語彙力っていうのは「自分が伝えたいことをより高い精度で他人に伝えるための表現を選ぶことが出来る言語能力」だったんだ。

ネットを通じて文章を色々と書くようになって、リアルでも日記をつけるようになって、そうして少しずつ色んな形で文章を書いているうちに、ようやくこの事が分かった。

時折はっきりと自分の非力を感じることがある。

自分の綴った文章と、自分の頭のなかにある伝えたかった出来事を見比べディティールの甘さにうんざりしそうになる。

自分の頭のなかにあるイメージを人に伝えるには、言葉や絵を使うしか無い。

絵の描けない自分には言葉しかない。

表現力の未熟さはそのまま、他人自分の間で齟齬が生まれ確率の高さだ。

共感理解もしてもらえない可能性、単なる誤解で全部終わってしまリスクの大きさだ。

もっと他人理解されたい。

誤解されたくない。

語彙力が欲しい。

完全には分かり合えないなりに、分かり合いたい部分で少しでも明確に分かり合うための手段として語彙力が欲しい。

いまさら東大話法

の話をするのもなんであるが、先頃「ああ東大話法だなあ」という会話を経験した

安富先生東大話法はある種の人に対する正当で的を射た批判であると思うが、一般向けに提唱されたためか、いかんせん書きぶりがフワッとしている

批判対象詭弁を駆使する相手である手前これはあまりよろしくない。「それは東大論法だ」などと言ってもあの手この手ではぐらかされてしまうだろう

もう少し体系的に、形式的記述できないものだろうか

  1. 動機批判に対してこれを認めることも正面から反論することもできない場合に、これを回避するための論法である
  2. 方策
    1. 相手批判無効化しようとする
      1. 相手批判自分の主張を正しく理解していないためであると主張する
        1. そのために、当該批判さらされた過去の自らの発言意味修正限定、縮減する
        2. そのために、当該発言当時に明示しなかった前提条件(そもそも~であったので)や限定条件(~の場合について言えば)を後から付加する
        3. 批判対象の主張を当該限定された形で読まなかったことを批判者の瑕疵であると主張する
      2. 相手批判の内容を(わざと)曲解し、その曲解した内容に対して再反論する(いわゆる藁人形論法
        1. 別の人が行っている(より稚拙な)批判を持ち出し、あるいは当該批判をそれと同一視した上で、これに対して再反論する(藁人形論法の変種)
      3. 批判の内容や批判対象である発言自体に関する批判者への論証責任転嫁
      4. 当該批判自体に一切の瑕疵がないことについての先んじた要求(bの各項へつながる)
    2. 論点回避
      1. 単純な論点回避
        1. 批判の内容と一見関係ありそうだが関係ない話題を持ち出す
        2. 批判に含まれるいくつかの論点のうち、もっとも周縁的な、あるいは瑕疵の軽微な論点に話を絞ろうとする(燻製ニシン
        3. そのために、当該関係ない話題、あるいは当該周縁的または軽微な論点こそが重要であるかのような旨の主張を行う
      2. 批判の内容ではなく、批判者の態度、心的態度、人格地位等を問題として取り上げる(人身攻撃お前だって論法、しばしばaの各手法とセットになる)
      3. その他各種詭弁手法
    3. 上記2-1、2-2をもっともらしく見せるための権威的態度と過剰に複雑な修辞

安富先生のまとめたことは2-1-2以降、および2-2以降に含まれることになるだろう。基本的には批判、あるいは"これからされるであろう"批判回避するための詭弁であり、それを「議論を"分かりにくく"するための修辞」や「自らの立場を利用した権威的態度、権威論証」が支える形である

さら詭弁の形の一つとして付け加えたいのが2-1-1にある「自ら発言の後から修正限定である。これは安富先生の挙げられた中に明示されていなかったように思うが、個人的にはこれこそが実は「東大話法的な」議論の中核を成しているのではないかとさえ考えている

もちろん「発言に対する後から説明注釈」は常識的範囲では普通に行われるし、従って直ちに論理的誤謬であるということはできない。意味が正しく伝わらなかった時に後から「より詳しく」注釈するのは当然のことである

しかしながら、権威的な立場から発せられるがゆえに重々慎重であらねばならない言葉に対して、それが批判さらされたからといって後から読み手の予想し得ない限定条件を付け加えたり、ある用語が通常用いられない特殊意味で使われていると釈明したりするのは誠実性の問題であろう

あまつさえ「元の発言は当然そのような(極めて限定された)意味に受け取られるべきで、そのように受け取らなかった読み手が悪い」といったようなことを言うに至っては、まごうことな詭弁である(「当然」という部分は権威論証的であるし、誤読責任相手転嫁することは「本当に意味齟齬があった」にしても不誠実である。もちろん大部分は、批判無効化回避するための方策として「相手誤読たことにする」べく、後から意図的に作り上げられたものである

言葉意味文法辞書文法書がア・プリオリに定めるものではない。膨大な一対一、多対多の関係の中において得られた広範な"合意"の集成であり、辞書文法書はそれを抽出しているにすぎない。まして特権的人物がその意味をなにがしかできるものではない

そのような合意の元に発せられた言葉意味せんとすることを、批判回避したい、相手責任転嫁したいという邪な欲求のために後から自分の恣にしようとすることは、言語活動の中でももっとも不誠実な部類の行為であろう

2018-01-02

anond:20180102122642

無は無であれば同意とは何の同意ですか?

価値観を持つ存在仮定しなければ同意考慮することは不可能ではありませんか?

無が最上であればすぐに死ぬこと、周りにも死ぬよう働きかけることが理想的ではありませんか?

今すぐ死ね子供を生む心配はありませんし、自分死ねば人が子供を生むことを知覚する心配もありません。

人生は最悪だけど死ぬのは怖いからできるだけ楽しく生きます自分の子供には苦痛を与えたくないので私は子供をつくりません。

までは齟齬がありません。それはその人の価値観です。

普通の人が自分エゴ子供を作ることを選択したように、

自分エゴで「子供を作らない」ということを選択しただけです。

その二つは等価です。

ですが、子供を作ること自体が罪なので人類絶滅すべき、と言うのは、反論できない生まれてくる子供価値観同意を得ずに規定していることになります

それは今まさに禁止たことではありませんか?無だからそれは良いですか?無だから別に良いのなら勝手に生んでも別に良いのでは?

論破しようとかそういうのではなく本当に疑問なだけなので、お付き合いいただければ幸いです。

https://anond.hatelabo.jp/20180102112753

柱2がおかしいですね

まず1行目は“同意を得られないのに”子どもを作る権利はない、が正しいです

2行目の「生まれない、という選択勝手にすることは良いの?」については、無は無だから良いとしか

3行目は(私が訂正した柱2の1行目)で否定されます、仮にプラスになったとしても同意が無い以上、いけません

4行目は「当人にとってブラスかは我々には判断できない。だがどう考えても →(柱1)」ではなく(私が訂正した柱2の1行目)ですね

自分としては「無は無ですよ」こそが反出生主義の肝だと思ってるので、何らかの価値観を持つ存在があると仮定してはいません

絶対的な無は価値観すら無化するでしょうが、それでも(それだからこそ?)「無は単に無だから」が尊いと思うのです

※柱1の3行目もおかしいので追記

→「それは価値観しだいだよね。その価値観でいけば生きてる人もすぐ死んだほうがいいじゃん。」“だから人類絶滅した方がいい”、が反出生主義的です

ちなみに「今すぐ死ねよ。」に関しては、不本意だけど生まれてきたからには出来るだけ苦痛回避して楽しく生きよう、しか子どもだけは作らない派と

本能的な死の恐怖、死に至るまでの苦痛に対する恐怖、この2つも生きる上での苦痛になっている派がいますので

反出生主義と自殺しないことに齟齬はないと思います

2018-01-01

けものフレンズ騒動妄想を交えながら読んでみる

前提

公式発言(Pの発言委員会からの発表など)は正しいもの仮定する

発言内容に食い違いがある場合意図的な嘘はなく、認識のずれなどからくる意見の相違とする

・参照した発言たつき監督の例の最初発言福原Pの発言委員会から公式発表の他、インタビューなどで一部触れられた関連すると思われる話題なども参考にしている

参考

https://togetter.com/li/1155008

https://togetter.com/li/1184144

実際にあったことと推測による穴埋め

8月会議があった(事実

この会議ヤオヨロズが二期から降板することになった(事実)。しか降板に至る経緯としては、福原Pは突然言い渡されたと認識、辞退とは思っていない。委員会側は注意したら辞退してきたとしている。(見解の相違)

参考になりそうな発言として、委員会側は「情報共有や事前連絡がないままでの作品利用」があったため、二期の条件として事前共有の徹底を申し出たらヤオヨロズが辞退した、としている。

12月福原Pの報告では、該当しそうな部分として12.1話委員会へ報告していた、同人誌は吉崎先生許可を得ていた、としている。

→文面をそのまま素直に受け取った場合同人誌は「原作者である吉崎氏には話をしていたが、委員会まで話が伝わっていなかったのでは?」となる。どちらも委員会に話をしていたなら、わざわざ前後区別をつける必要がない。

ただし、では誰が悪いのかということになると話が難しくなる。例えば単なる二次創作に関しては公式OKとされており、元の意味からすれば違うが、昨今の風潮で同人誌二次創作認識されているケースもある。「同人誌」の作成の可否について委員会にまで確認する必要があるのか、と考えたとき、ただの二次創作ならそこまで話を通さなくてもいいのでは?と思う。

しかし、「17年夏のたつき監督けもフレ同人誌」の内容を調べたところ、それは単なる二次創作ではなくてアニメ雑誌に使われたイラストであったり、他の媒体で使われたものを収録していたらしい。つまり同人誌のために書き下ろしものでも公に出ていなかったものでもなく、既に別の媒体で使われているもの。それを委員会許可なく使っていいかと問われたら、駄目だと思う。普通原作者ではなくて公式確認を取る話ではないかと思うし、実際、ソシャゲ絵師Pixivなどで寄稿した絵を投稿するときは大概説明文に許可を得ていることを書いている。

そのため、同人誌に関してはむしろ文面通りに取るならヤオヨロズ側(むしろ同人誌を発行したのはたつき監督名義なのでたつき監督個人?)に落ち度があるのではないかということになるが、新たに書き起こしたものを使うのか、以前に仕事作成したものを使うのかなどの詳細を互いに確認していなかったのならどちらがコミュニケーション不足だったかという別の問題になってくる。

※ここから妄想

もしも仮に吉崎氏がOKを出した時、委員会にも話を通しておくだとか、委員会への相談をその程度ならしなくていいだとか、直接委員会相談することを止めたり不要であるかのように言ったり説明を代行するようなことを話していたりしたとしたら、謎の怪文書吉崎観音黒幕説」が成り立つかもしれない。

※ここまで妄想

・吉崎氏は二次創作には好意的だった(事実

自由に使っていいよ」と監督本人に言っていたあたり、今後も非公式たつき監督けものフレンズ連作品を新たに作ることについてはむしろ歓迎はしていた。

ただし、当然ながら今までに作ってきたものたつき監督裁量自由にしていいという話ではない。

※吉崎氏の発言拡大解釈した可能性は、状況を見るにそれなりにありそう(確定ではない)

※吉崎氏がだんまりなのは、この自分発言が過大解釈されて「情報共有や事前連絡がないままでの作品利用」に繋がったためこれ以上のうかつな発言ができないのでは、という妄想もある

8月ヤオヨロズ降板が決定した(事実

これも降板したという結果そのもの委員会側とヤオヨロズ側で相違はない。ただし経緯の認識が違う。

しかしこれについては認識がずれていたと仮定すると割と簡単にどちらの言い分も嘘ではない話の流れの推測はできる。(あくまで推測)

委員会側は、「情報共有や事前連絡がないままでの作品利用があった」として福原Pと話をした(これが同人誌についてかそれ以外であるかは不明)が、福原Pは事前連絡のない作品利用に心当たりがなかったので「何を問題にしているのか分からなかった」。

※これが同人誌に関してであれば、この認識相互にある程度説明がついてしまうので、同人誌のことについてである可能性が若干高い

※ただし、声優オーディションけもフレ名前があったという未確定の話題もあったりするのでやはり確定ではない

※そして、どうも認識のずれはここの「情報共有や事前連絡がないままでの作品利用」のところにあるように感じる

※そしてここから妄想

福原Pは話し合いの中で、例えばダチョウ倶楽部的な「それならウチは止めますよ?(本当にそれでいいんですか?)」からの「どうぞどうぞ」があったかもしれないし、あるいは「(何をどう問題にしているのかも分からないので)正常化しろと言われても無理、(特に問題もなかったはずなのに後から問題にされてああしろこうしろと言われたら困るので)そのような話をされると仕事ができない」といったようなことを言ったら、「なら二期は依頼できませんね」となった、無理だと言ったのはヤオヨロズなのだからヤオヨロズの辞退だ、と思われた、なんてケースもあるかもしれない。

実際の話し合いがどのような流れなのかは妄想するしかないのでそこに関してあれこれ考えるのはあまり意味がない

※一旦妄想終わり

ここで言えるのは、話し合いに最後まで齟齬があったと思われること、言葉尻を取ったのか何なのかは分からないが福原Pの発言委員会側にヤオヨロズ側が二期を断ったという認識を与えたということくらい。

委員会ヤオヨロズのしたことを問題視していても違反があったとは言ってない(事実

連絡不足、確認不足、コミュニケーション不足であった点は否めないだろうが、それを一方的ヤオヨロズが悪いとは言ってない。本当に悪いといいたければ著作権違反だとかもっと強い言葉はいくらでも使えた。

どちらかと言えば「ちょっと雑になってた点があったから、二期という一大プロジェクトに向けてここできちんと整備しなおしましょう」というだけの話だったのではないか、と公式の文面であれば読み取れる。

※実際の話し合いの場でのニュアンス表現がどうだったかは置いといて、委員会としては別に即切ろうとは思ってなかったのではないだろうか。円満たつき監督の二期が作成できるならそれが一番なわけで。という妄想

※ただ、公式の発表としてそんな強い言葉は使えないので本音はお前らが十割悪いと思いながらも言葉を濁した可能性も当然ある。公式発表では悪いと言ってないだけで内心や会議の内容までは分からない





個人的感想

いい悪いの話ではなく巨大プロジェクト担当するにはコミュニケーション権利関係認識が雑だったね、というだけのことではないのかと邪推。もちろん単なる与太話でしかない。

2017-12-25

終局特異点から一年が経った

今日12月25日TYPE-MOONにとって特別な日であろう。

原初聖杯を生み出すセイヴァーの生誕の日、かの魔術の王が英霊の座から永久に消え去った日、愛を知らぬ獣が『人の王』となった日。そして、

オルガマリー・アニムスフィアの命日であり、私がFGOというゲームから限りをつけるターニングポイントとなった日である

私と型月との出会いZeroアニメだった。そこから転がるように世界観に傾倒していき、レアルタ・ホロウらっきょ月姫(漫画版チェンゲだが。リメイクはよ)等々沈みこんでいった。

私はキャラクターよりもそれを取り巻く「世界」に好意を抱く人間だ。そこで積み上げられた世界観不特定多数で共有したい、そんな思いかネット上の聖杯戦争を下敷きにしたTRPGセッションによく参加していた。

所謂月厨がよい印象を持たれないことはよく分かっていたので、そのセッションと型月板以外では大人しくしていたと思う。それが周りから見て「いいファン」たりえてたかは、今となっては分からないが。

そしてFate/Grand Orderサービスを開始した。あのメンテ地獄をどう乗り切ったか、既に忘却してしまったのだが、きっと同じ境遇掲示板上の同好の士が支えてくれたのだろう。

長いメンテが終わった先にあったのは、初めて抱いたキャラクターへの好意だった。

オルガマリー・アニムスフィア。

いつか「所長目当てにFGOを始めたら誰も彼女死ぬことを教えてくれなかった。愉悦部だ」といったツイートが流れてきた記憶があるが、それはどうだろうか。所長の魅力は彼女の死に対して最も輝いていたと思うのだが。

閑話休題

ともかく序章が終わった時点で私のFGOへの一番のモチベーションは所長になった。


その後も所長のみを求めて本編・イベントを進めていった。自身の形質もあってか、幸い「推しを引かねばならない」という焦燥感に駆られることなく、『「好きなキャラを引く」ではなく「引いたキャラを好きになる」(当然そこにあるのは「愛情」ではなく「愛着」だが)』というスタンスで進めるという割と健全プレイをしていたのではないかと思う。(結局課金は16年の福袋のみに徹した。余談になるが、私は意識高い系として散々弄られた庄司Pの「ゲーム価値顧客一人一人が決めるもの」という発言だけはマーケティングのいち真理だと考えている。今となっては喧嘩別れのようなかたちで引退した身であるが、払った金額ぶんだけの価値はあったと思うし、そこに後悔はない)

恋の続く期間のひとつ区切りは3ヶ月だ、などという話をよく聞く。私の所長への一方的な恋は、その区切りを何とか乗り越えることができた。

しかしその恋心に対してFGO残酷であった。マスターの皆様方ならお分かりであろうが、月見イベント以降シナリオ上で所長に関する言及がぱったりと途絶えるのである

型月の世界観は愛していた。しかしその時の私はそれ以上に所長に対しての思いが勝っていた。

そんな私に与えられたのが所長の情報の断然だった。そんな状態で、所長への思いは潰えない代わりに型月世界観へのそれが立ち消えていくのは時間問題だった。

きっかけが何だったのかはもう不明であるが(戦闘が面倒だとか案外そんな今更な理由だったのかもしれない)、メインシナリオへのモチベーションが第六章の途中ですっかり折れてしまい、数ヶ月間に渡ってログイン必要最低限のイベント周回を行うのみになってしまった。パーソナル・レッスンは当然限凸したが。


時は流れ、2016年冬。そんなモチベーションの転機となったのが終章前のキャンペーンであった。適当自己分析ではあるが、その時の思いは「所長・石30個への乞食感情・『リアルタイムならでは』という言葉に対しての勝手勘違い(恥ずかしながら、『終章そのもの期間限定である』と思いこんでしまっていた。この齟齬がどう影響するかは後に話す)」であったと思う。その時の私は、単純計算でも半分以上義務感でシナリオを進めていたに過ぎなかった。(6,7章のシナリオこそ読み飛ばしはしなかったが。それでもなお最近のエレシュキガルフィーバーに「遠坂凛である、以上の湧き上がる理由がわからない」と言ったらモグリ扱いされるのだろうか、といった程度の読み方しかしていないが)七章まで終わらせたのは終章開始ほんの数日前、だったように思う。

そして終章。そこで待っていたのは「素材激ウマクエストを周回する権利」という自業自得裏切りであった。これに関しては100%私が悪いのでFGOに対してどうこう言うつもりはない。モチベーションの柱がひとつ折れた。

マーリンは引けず、柱がもう一つ折れたなか、魔神柱は必要最低限の各一回のみ倒し、追悼動画なんてものをどこか冷めた目で見ていた。

もはや私に残されていたのは「最後に所長に関する言及があるかもしれない」という曖昧希望だけであった。


そして来たる2016年12月25日最後魔神柱陥落の知らせを受けた私を待ちうけていたのは、純粋ストレスであった。

勝てない。

勝てない。

勝てない。

休止期間中に溜まりに溜まった林檎を齧り、手を替え品を替え鯖を替え礼装を替えても勝てない。羅刹王の効果がなかったのは未だに許していない。

その時の私は確実にスレていた。「聖晶石は『未来確約するモノ』なのだからコンティニューは恥ずかしくない」なんて文章を見てしまったため、意地でも石を割るものか、と思ったほどだ。結局その意思すら割れしまったが。



人理は修復された。そこまでのストレス差し引いたらどうかとは思うが、悪い終わり方ではなかった。所長に対する言及さえなければ。

人理修復を達成したマスターならばここで疑問に思うだろう、終章にはオルガマリーのオの字も出てこなかっただろう、と。しか言及はあった。あってしまったのだ。

グランドオーダー開始時、レフ・ライノールの破壊工作で失われた二百名の命。

今も冷凍保存中のマスター、四十七名。それと---

……それと、終局特異点からの未帰還者、一名。

そう、「語られない者」、二百名の「その他大勢」として語られてしまったのだ。

ただただ放心した。奈須きのこの中には、既にオルガマリー・アニムスフィアという存在はいないものなのだと、そう感じた。

言及されない、ということも覚悟はしていた。しか現実に突き付けられたのは、「きのこは所長を覚えていない」という実質的死刑宣告であった。私の中で、もしかしたら復活するかもしれない、という希望が立ち消え、最後の柱が折れた。

故に今日彼女の命日。

一回忌。



SNS上で多くの人間FGOに対して感謝を述べるなか、漫然たる義務感と所長への思いだけで一年継続してきた私は取り残されてしまった。

そこで私と他マスターとの間に大きな亀裂が生じてしまった。妬ましいのだ。

何で俺が救われていないのにお前らは救われたんだ、感謝言葉を言えるんだ。そんな身勝手な、醜い嫉妬

そんな思いから一気にFGOへの思いが覚めてしまい、止まってしまった私は先達を気持ち悪い内輪ネタしか思えなくなってきた。

その後も惰性でログインイベントだけ続けていたが、その惰性すらチョコ礼装のテキスト「いつかこれに乗って、""四人で""颯爽と聖地荒野を渡る事を天才は夢見たのかもしれない。」に心折られ、近しいうちに引退した。


引退後は徹底的に自衛を行った。私の心理状態アンチのそれに近しいものだっただろう。ただ、それを行動に出すのはみっともない、そうも考えていた。

嫌なら見るな」とはよく言うが、本当にその通りだと思う。見えなければ怒りは湧いてこないのだ。そして、作品に対するアンチ行動は作品のものではなく「その作品を楽しんでいる人間」そのものに向けられていることも理解した(私が特殊なだけかもしれないが)。

一年が経ち、作品のものに対する不満は引いてきた。それを取り巻く人間に対しての嫉妬への対処は、まだもう少しだけ時間がかかりそうだが。

そして、この文章一年という澱みに対する気持ちの整理である一年前では良くも悪くもここまで冷静に物事を見れなかったであろう。


ただ、身勝手な望みでしかないのだが、願わくば所長には復活してもらいたくない。創造主から度忘れさられたものサルベージされたならば、それはもう菌糸類からキャラクターへの愛情ではなく只のビジネスだ。

好きでもないキャラクタービジネスとしてピックアップさせ、好きでもなかった人々から「ずっと待ってた」などと空虚言葉をかけられ性的性的搾取される。

そんな未来は、きっと耐えられないだろう。

追記

反応ありがとうございます

型月のエリート悲惨な末路をたどる

ソラウリベンジ

悲惨な末路をたどるのは十分予想できたことであり(ぐだおでもネタにされてましたし)その「悲惨な末路」があったからこそオルガマリーというキャラクターに惹かれたのは先に記した通りなのでそこに文句はありません。

ただ、その「悲惨な末路」が作中だけでなくメタ的な扱いにおいてもそうであったというのが只々残念であるのです。

2部

今になって言及されても「2年近く言及をしてこなかった」という疑念は拭えませんし、プレイヤーに対する心証の悪さ(悪目立ちしてるのはほんの一握りだというのは理解しているのですが)はまだ癒えていないので再開してもストレスしかならないでしょう。加えて引退において後腐れないように引き続きコード電子の海に放出したため所長がどうこう関係なく面倒なので復帰の予定はありません。(スマホスペック的にも去年はプレイに支障がなかった程度だったがそこから一年経って諸々追加されたらもうダメそう)

どうしても気になるというのならシナリオ確認する方法もなくはないですし。ただ、今はそれをする気力すらありませんが。

2017-12-24

童貞弄りという踏み絵

カネやチカラや性に関するスペック人間価値を測る。こうした価値観存在容認するのか?しないのか?その事を問う踏み絵としての機能を内在させるコミュニケーション。それが現代童貞弄りなのだろう。

そうした価値観の有無や有用性に対する見解関係なく、単純にその価値観容認するのか?しないのか?という事のみを問う機能を内在させるコミュニケーション

踏み絵を踏む事に躊躇いを感じない者同士にとっての童貞弄りネタは、冗談であり、コミュニケーションであり、表現として、半ば無邪気に、無自覚に処理される物である。多くの者はコレを無自覚に処理しているのではなかろうか。

他方、踏む事に躊躇いを感じる者は、自動的に「つまらない者」「チカラを否定し妬む劣等者」の側にカテゴライズされてしまう。或いは、それを自認したものとみなされてしまう。阻害された上に弱者としてのポジション押し付けられる。相当に一方的な扱いを受けたと感じる筈である

人間価値を測る基準に、大きな齟齬がある両者が揉めるのは当然の事であり、議論の末に何らかの合意点を見つけ出す事は、相当に難しい事なのではなかろうか。互いに距離を取る。くらいの事しか出来ないのではないだろうか。

2017-12-22

anond:20171222143735

言われてみれば長さではないな

というより配信文化ってのがまず齟齬があって

文化にもなんにもなっていないという点にあるのだから

2017-12-19

はあちゅうヨッピーゴミすぎる

最近セクハラ告発する「#metoo」なるハッシュタグがあり、ネット界隈で結構有名な「はあちゅう」という女性が、元電通の岸勇希からひどいセクハラを受けていた事を告発した。

この行動自体は称賛に値することだと思うし、岸という人間はなんらかの刑事罰を食らってほしいぐらいだが、それとは別にはあちゅうという人間があまりゴミだったのでまとめておく。あと、「ヨッピー」というこちらもネット界隈では有名なライターがいるが、こいつもクズなので記録のために書いておく。

結論

はあちゅうヨッピーも「自分はいいけど他人ダメ」という考えがあるから問題がある


■経緯など(はあちゅう編)

はあちゅうが元電通社員セクハラ告発

「お前だってクソじゃん」「お前も童貞バカにしてたじゃん。それはセクハラじゃないの?」という反論が来る

はあちゅう反論童貞という言葉に持つイメージ世代によって違うのでは?」

叩かれる


■経緯など(ヨッピー編)

はあちゅうが元電通社員セクハラ告発

「やっぱ電通クソだな」という意見が出てくる

ヨッピーが「電通が悪い、で済ませていい問題ではない」「他業界でもこんな話はあちこちに転がっている」などと発言

ヨッピー叩かれる

ヨッピー反論「今回のはあちゅうの話を公にしようって言ったのは俺だっつーの」「IT金融もそんな話のタレコミ来とるわ」

ヨッピーさらに叩かれる


はあちゅうゴミなところ

今回の騒動で、岸が「あれ(はあちゅうに対しての数々のセクハラ)は愛のあるイジりだと思っていた」等と弁解しているが、これとまったく同様の事を自分がしている癖に無自覚なところ。

(逆に自覚した上で「私はいいの!」と思っているならある意味大物である。)

セクハラパワハラ案件では「自分は軽いスキンシップだと思っていた」「悪気はなかった」「イジって笑いを取ってあげていただけ」等の言い訳が見られることがままある。そしてこれらの言い訳が全くの詭弁であるということは皆も周知のことと思う。

かに、「童貞」という言葉に対してのイメージは個々人によって異なるのだろう。そして、はあちゅうは「童貞」という言葉ポジティブイメージを持っているのであろう。

ならば「私は『童貞』というワードネガティブイメージを持っていないか他人に投げかけてもセーフ」となるのか?私はならないと思う。

この「自分ルール」を他人押し付け構造こそが、各種ハラスメント根底にあることを理解していない。


「今回の岸の件と、はあちゅう過去発言については分けて考えるべき」という意見には私も賛同する。

当たり前だ。「罪を犯したことが無い者のみが手斧を投げなさい」と言っていいのはキリストだけだ。まぁキリストはそんな事は言っていないと思うが。

からこそ、はあちゅう過去自身発言に対して真摯になって頂きたい。謝罪の一つもなく、「セクハラ告発したら叩かれた」等と被害者ぶっている現在の行動は唾棄すべきものである。今回の件ではあちゅう批判してる人間の大半は、その場の雰囲気はあちゅう批判している訳ではない。それなのに批判意見には「見当違い」とNOを突きつけ、賛同意見のみ称揚する。そんな人間を信用する人はいない。


ヨッピーゴミなところ

ライターを名乗っておきながら日本語不自由なところ

・「いっちょかみ」で色々なところに首を突っ込んでは叩かれるクセに、反省改善もしないところ

日本語」と言うか、言葉言語の出発点は「意思の疎通」であるはずだ。自身感情思想思考を、なるべく齟齬がない状態対象に届ける事ができるのが肝要であり、ライターともなればそういった事に気を配るのは当然であろう。捻くれた比喩冗長表現小説にでも任せておけばよろしい。

だがヨッピーは度々「ヘンな日本語」を使う。それを一種の「ライターとしての自身の持ち味」だとでも思っているのだろうか、改善するそぶりも見せない。

今回の件では「スケープゴート」という単語が引っ掛かった。以下引用する。

ttps://twitter.com/yoppymodel/status/942268335701368832

電通コメントなんかは残念極まりないし猛省して今後の対応をすべきだけど、電通とか広告業界関係なしにこういう話ってあちこちゴロゴロ転がっているので、「これだから電通は~」みたいに電通スケープゴートにして叩くのは少し違うんじゃないかなーと思った


案の定返信でつっ込まれまくっているが、本人はどこ吹く風である。だいたい、「自身の想定していた意図と異なって伝わってそうだなー」と思ったら説明ひとつもすればいいのに、それもしない。

過去の類例で「ボードゲームを紹介する記事につっ込みが入った際に、謝罪もそこそこに以降のやり取りをシャットアウトした」という前科ヨッピーにはある。これでライター業を名乗っているのだから気楽なものである


そのくせ、自身理解できない事柄に対しては容赦なく攻撃する。少し前にバズった「蹴鞠おじさん」の件などが該当するだろうか。

ttp://yoppymodel.hatenablog.com/entry/2016/11/10/111014

はあちゅうヨッピーも、いわゆる「信者」を大量に抱えているので、自身が気に食わない事柄があれば信者をけしかけ、相手が折れるまでボコボコに叩く。そこに正義はない。あるのはただ「俺が理解できない事を言うな」という、スターリンも真っ青の思考である謝罪など断じてしない。これとは別件だが、「ギガが減る」という文言で長々とバトっていた時も、ヨッピー自身の過ちは認めず、ひたすら信者達をけしかけていた。


そもそも、なんではあちゅう告発ヨッピーが「『公にするべきだと思います』って言ったの俺だっつーの」などと言っているのか。上から目線にも程がある。自身正義を疑っていない、辞書的に正しいほうの「確信犯」めいた狂気がある。

こういった「自身の誤ちを認めない・気が付かない・分かっていない」人間こそが、他者へのハラスメントを生み出している。ヨッピーなどは「いやぁ、俺飲み会で「あなたヤリマンですよね?」って聞いてたわー、俺結構聞いてわー、悪気はないけど」等とtwitterに書き込んでいる始末である。ここまでくると、もはや害悪である言葉を投げかけれられた人間だけではなく、この書き込みを見た第三者の気分すら害している。




Webでこいつらの顔を見てもただひたすらに不快なだけなので、もうライターとして活動しないでほしい。

2017-12-12

anond:20171211205035

独身女性はそれでも生きるために働かなければならない。

昔は専業主婦って立場もあったが、女性の自立との齟齬が目立つようになって非難され始めてなくなりつつある。女性は頑張ってね。

2017-12-05

anond:20171205104948

意訳して伝わらなくなるっていうのは

実際は意訳できてなくて重要情報消失していることが多い

例えば「みたらし団子を1串の2個食べていいよ」っていうのを

「団子2個食べていいって」っていうのは意味全然変わる

これだと2串食うかもしれんわけで言った方は団子2個のつもりかもしれないけど受け手はそうじゃない

それに最初発言にしても1串につき2個食べていいという解釈もできる

なので「1串全部食べたら駄目だが1串についた団子2個だけ食べていい、全部で2個以上食べるのは駄目」

みたいな意味の逃げ道をすりつぶさないといけない

これを短縮して言おうとすると前述になるわけだが情報が欠落するので齟齬が生じてくる

お互い分かってる間柄なら「何時に飯だから1串全部食わずに2個だけにしろよ」みたいなので通じる

ただ意思疎通の難しい関係性なら省略は危険しかない

 

だいたい常識だろうがとキレる低能相手自分と同じ常識持ちだと勘違いしてるから

大して親しくない相手自分の水準を求め出すからそうなる

貧民の多い駅で降りるやつが先ってルールすら理解できてないのにイチイチ怒るのも無駄

2017-11-27

わかりきっていることを質問するのを許して欲しい

妻が子どもパジャマを買ってきた。

1歳なのでまだ一人では着替えができない。私がお風呂上がりに着せるものだ。

風呂に先立ち、妻がパジャマについて説明をしてきた。

パジャマ上下に別れていて、お腹のところにボタンがあるから

それでズレないように止めてね」

自分はそれで、9割方理解できたと思った。

でも残り1割くらい、説明を受けただけだと自信薄な感覚がある。

最終的なお着替え完了イメージを共有したい。

そこで、こういう答え方をした。

「なるほど。ボタン最後に止めるんだよね?」

すると妻が明らかに不機嫌になった。

「はあ?それ以外何があるの?」

「なんでそんなわかりきったことを質問するの?」

「本当に面倒くさい!」

自分意図を伝えようとすればするほど、溝が深まっていく。

自分がした質問は、別におかし質問ではないと思っている。

ほぼほぼ理解はできているよ、というこちらの状況を伝えるための確認だ。

これで「そうだよ」という答えが返ってくれば、

自分理解は概ね合っているだろうと思えるし、

万が一「違う」ということであれば、パジャマの着せ方を根本的に勘違いをしていることがわかる。

簡単で明らかそうなことでも、一言軽い確認質問をすると、

全体をもう一度復唱するようなことなく、だいたいの齟齬の有無をチェックできると思っているので、

普段からよく使っている。

ほとんどわかりきっていることを質問すると苛立つ人は結構いるのだろうか。

できれば「そうだよ」とだけ言って許してほしい。

2017-11-26

普通」のセックス

ノルウェー国営放送が“ポルノではない『普通セックス』”を放送

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1174237

ポルノセックスはなぜダメなんだろう。

男女が普段見ているポルノのようなセックスをする。

どこに問題があるんだ?

男の見てるポルノと女の見てるポルノが違うから齟齬が生じる?

それはそのカップル性的願望の違いだ。

別の趣味の合う相手セックスするか、趣味をすりあわせていくしかない。

同意のない暴力的セックスレイプ)はセックス以前の話(対人関係の不能、犯罪)。

そもそもレイプものポルノのなかで多数派ではないし。

ポルノっていったって、児童ポルノから洗濯うつしてるだけで人間が出てこないみたいなものであるわけで。

この手のはなしで出てくるポルノは大抵定義が大雑把すぎてよくわからないな。

2017-11-25

セクハラに巻き込まれ

SIer 入社2年

[金]

・私、先輩、製造委託先の営業おっさん(といっても30代半ばらしい)と、3人で飲みに行く。

営業の方が終電を逃したので3人で始発を待つ。

・先輩が一瞬姿を消した瞬間、おっさんにいきなり顔を掴まれてに舌をつっこまれるというセクハラをうける。

必死に抵抗するも逃げられず、10秒程経過した後やっと解放される。

[土日]

・恐怖のためか思考が散漫になり何も手に付かない。

・食欲がない/手や脚が震える/常に涙が滲む 状態となる。

[月]

・出社。

思考が散漫になり、文章を読むことと話を聞いて理解することができず、仕事ができない。

・同期に相談する。上司への報告を勧められる。

 ただ相手処分が下ると、チームメンバー業務に多大な影響を与えるため、オオゴトにしないつもりだと伝えた。

[火]

・出社。

・怖くてトイレから出られない、常に動悸がする、廊下が怖いなど身体的な症状は悪化の一途を辿る。

・なんとか進捗会議(例の営業おっさんもいる)に参加するも体は動かず何も発言できない。

業務へ支障が出ているため、取り急ぎチームで一番優しい先輩に相談する

[水~金]

・休暇をとる(元々予定していた)

・この3日で、先輩→チームリーダー上司へと話が進む。先方も交えて様々なやりとりが行われたようだ。

[土日]

特になし

[月]

・チームリーダーから、私/例の営業の間で、直接的なやりとりが発生しないように対応たことを伝えられた(私の担当業務営業を、別の人間に変える/進捗会議などは別の営業を参加させる 等)

・ただ、他プロジェクトではその営業を引き続き使い続けるため、廊下エレベーターで出くわす等は覚悟しなければならない。

・弊社のルールに則ると、本件はもっとオオゴトになる事案だが、既婚男性二人と遅くまで飲んでいた私にも非があることを考慮し、また他プロジェクトにその営業存在は欠かせないため、今回は穏便な対応をとることとした と伝えられた。

・私に非があると言われたこと(悪気はなかったのかもしれないが)、私は所詮社員Aだがその営業は替えの効かない人間として扱われている事実が突きつけられた気がして悲しい気持ちになる。(実際にそうなのだが)

[火、水]

・早退しながら出社。

・熱が出る、会社を出ると涙が出る、眠れないなど、状態悪化の一途を辿る。

[木]

・チームリーダー上司面談をする。

上司から、今回の件で私にモラルがないとは思っていない、と弁解をうける。

・(「私は所詮社員Aだが~・・・、」という認識について)他社の人間より自社の社員大事なのでその認識は誤っている、と言われる。

[それ以降]

・段々元気になっている。

・ただ(認識齟齬のせいだとしても)上記対応で一度ショックを受けたため、どうしても上司への不信感が拭えない。

たか営業一人いないと回らない組織への気持ち悪さが拭えない。(弊社の技術力がないため、様々な判断自力で行えないという背景も含めて。)

・本件がなければ、優良な労働環境のため離れがたいが、一旦転職してみるのもいいのかなと考えている。

11/26 追記

暖かいコメント本当にありがとうございます。全部に返信したいくらい、嬉しいです。私は、ただ、手放しに、私は間違ってないと言ってもらいたかったんだと思います。そう言っていただけて、心が救われました。本当にありがとうございます

また、同期、後輩、最初相談した一番優しい先輩は味方になってくれました。

11/26 追記

会社バレが怖かったので、追記の一部を削除しまいました。すみません

意見アドバイス本当にありがとうございます

うそういう業務なんだと思って、頑張って然るべき箇所に報告しようと思います

また、身体的にまだしんどいので、早めにカウンセリングを受けてみようと思います

2017-11-20

赤ちゃんは無邪気であり、それとは別にまれた時からである場合がある

子供に罪はないというが本当だろうか。

子供善悪区別はつかないという。

なるほど、子供人生経験知識が乏しいため、そうであるだろうという予測は概ね納得できる。

しかし、善悪区別がつかないということは、善悪性質内包しているという反証である

また、善悪の見境なく生きるという事は、生まれた時は善悪に別れると言って齟齬はないだろう。

まりは、生まれた時から罪の性質に振れた赤ちゃん存在するのだ。

そして生まれ赤ちゃんに罪はないという決めつけこそが、大人エゴであり罪である

罪を認識できない人間を利用しているのだ

2017-11-19

プロポーズしたい女性は3.2% くらいしかいないんじゃね?

横なんだけど、君の主張は現実との齟齬ありすぎじゃね?

anond:20171119103108

http://kekkon-ashita.weddingpark.co.jp/639/

既婚・婚約中の女性に対し『彼からの「プロポーズ待ち」状態ときプロポーズしてもらえるように何かアクションを起こした経験はありますか?(単一回答)』という質問をすると、「はい(53.8%)」、「いいえ(46.2%)」という結果になり、既婚・婚約である女性の2人に1人以上が、プロポーズアシストするアクションを起こした経験があることがわかりました。具体的なアクション内容として、「プロポーズしてくれるつもりはあるの?ときいた(30代前半)」というような、明確な言葉を伝える“ストレート(直球)型”と、「友達プロポーズのことや、結婚式に参列した話をしまくる(30代前半)」というような、遠回しに気持ちを伝える“カーブ変化球)型”の2種類のタイプがいることがわかりました。

これも『男性プロポーズさせる』という酷いものまりないものだねー。面倒くさいなー。ちな私は既婚者だけどプロポーズっぽいことはしませんでした。嫁さんは好きだし素敵だけど。でも「私でいいんですか?」みたいな確認のみだったなー。

プロポーズしたい女性は3.2%』

https://www.mwed.jp/manuals/529/

こっちだと『プロポーズされたい女性』は8割強程度いるよ?

ただ情弱なだけなの?

2017-11-16

https://anond.hatelabo.jp/20171115141727

労働者からみればだれが生産しようがほかの世界流通うごけば富ができるしだれかが受け取るみたいに思うだろうけど

資本家という単位生産をしたいという欲求について労働協力者に協力を依頼して貢献の対価に給与を払っているの

大会社社長がでかい工場大量生産して売りさばくのと

自分ちの庭でとれた花を街で売ってきてくれたらお小遣いあげる自分の子供とは構造的に同じ

自分ちの花が人気になってみんなが売りに行かなくても買いに来てくれるになると子供お仕事はなくなるわけ

工場が全自動化したら業績達成という目標について人がいらなくなり人件費がうくわけ

じゃあその浮いたお小遣いと経費を働かずにいる子供に「再配分」しよっかってなるのん


富豪生産機械になったら貧しい人に再配分しても損じゃなくないってちょっとどうかしてない?

がんばった人に重税をかけて「なんかしらんが平等の旗のもとに努力結果を再配分しよう」ってどうなの

機械ががんばっているからおまえががんばってるわけじゃない不労所得だろってそれ権利権限私有化阻止だよね

共産主義なわけ?労働以外の資産価値はみな国有共有化がいいの?個人でもてないよね?もったら重税で再配分なんだから

もとより持つ意味もないし持ちたくもないよね?


ミクロマクロ齟齬がでて同じものではないということで家計マクロ経済が違うものだと思考停止してるのをよくみるけど

計測範囲、起算地点と決算位置比較位置がちがうからずれているだけで生産消費清算について同じ範囲でくらべたら同じ

かいから把握しきれず中途で家計とかさねるからおかしくなる

結局は家計とおんなじでみてもおかしくない

国という単位は家の敷地と同じ 政府単位は家庭の大きさ 土地をつかったり土地の労力をつかって生産したり換金したりする

たからずに国をうごかさずに収入があったらどうなるよ

日中ネトゲとか配給日にパチンコにならぶ人になるよ

そうならないためには支給される資金を経費として消費につなげないといけない

支給される資金が余剰資金はいけない 生活に最低限必要ものは対価であるべきで 努力コストを0にするための支給でなくてはならない

でなければ遊ぶだけ

遊んで金がまわることが大事だというならはじめから使う先に補助金ダイレクトに出してやった方がいい

機械化が進んで労働力不要が大きくなればさぼっていいではなく労働に対する補助が大きくなるとか

行動 活動 経費についての支援を大きくしていくべきでそうなれば個人で富が多ければ動く数は相対的に小さくなるため支援も小さくなり

個人の富がすくなければ行動しただけ補助される大きさは大きくなる

うごきもしないものにあまったとはい資金をながす意味がない

はたらかざるものくうべからずとはこういう意味だとおもうしこうであったらいいなとおもう

2017-11-15

ひろし「社会不適合者の敵はまた別の社会不適合者なんだ」

社会不適合者VS社会適合者→社会適合者が齟齬必死に埋めてくれる

社会不適合者VS社会不適合者→お互いがお互いの齟齬を埋められないまますれ違いは加速し最後には世界を巻き込む大戦争になる

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