はてなキーワード: 見だしとは
財産の面と他人の面と、あなたのメンタル面と3つに問題分けよう。
といっても、俺は法律をわかってるわけじゃないから、専門家に依頼した方がいい。けど、専門家は何でも屋じゃないのでその専門家の専門範囲以上は解決できない。
「財産のこと」
相続放棄については軽く検索をかけて見つけてきた。それから、法テラスと言って無料で相談できるところがあるからそこに聞いたらいい。それでしまい。相続放棄はリミットがあるから急いで。
https://so-labo.com/inheritance-tax/3110/
「他人のこと」
他人についてはうっとおしい親戚は縁を切ってしまったらいい。母親がその迷惑な親戚の肩を持つようなら残酷だけど母親もね。
注意するのは、迷惑なやつを切ろうとすると、その周りの人間が情や脅しを使って仲を保とうとすること。
けどね、そこで折れたってその周りの人間は何もしてくれないよ。むしろ、それで不祥事になったら周りの人間も一緒になって石を投げてくる。
迷惑なやつと仲直りさせようという周りの人間もまとめて切らないとならない。
ソースは俺。数多く迷惑かけてくるやつがいたが、最後なあなあで許していた。だが、迷惑行為をやめずに、コチラのやること、かつ評判まで巻き添えにして相当苦しんだ。
「お人好しは商売下手の代名詞」という言葉がある。(こんな社長が会社を潰す。野口誠一)
お人好しだと、連帯保証人に情で受けてしまって会社を潰したり、こいつは情に訴えたりおだてたら都合のいいことをしてくれるぞと周りにバレて、嫌なことを大量に押し付けられる。
聞かないと思ったら脅しとかきつい言葉込みで。
だけど、結局迷惑な人と関係を持っても幸せなことはない。だから。切るべき。
この本は商売について書いてる本だが、でも、それ以外でも当てはまる側面があると思う。
まあ、迷惑な人以外に対してはお人好しでいいのかもしれないけどね。
「デモデモダッテ」と思うだろうけど、でも、基本他人は変えられんものだから。ましてや財産目当てで目が円マークになってるやつは。
「自分のこと」
さいごに、「貪瞋癡にまみれてるときが地獄なり、それから離れると浄土なり」(一休宗純)という言葉がある。
怒ったり、欲望や、迷いにまみれているときこそが地獄で、それから離れられて、心が平穏な状態こそが幸せな世界なんだと。
母親に尽くしたい気持ちもわかる。というか、依存性って、高いストレスで起きるものなので、母親についても、ストレスを落としていかないとならない。
なお、依存症については、ゆうきゆう「マンガで分かる心療内科、依存症編、酒、タバコ、薬物」が参考になる。
母親は様子見だし、今までの恩があるからある程度尽くすのもいいけど、あまりにもダメそうなら、捨てる覚悟を。
そうやって高いストレスの頭を休めるのが瞑想。意識的に何も考えず、ストレス毒素を落とすこと。
ああ、でも一切宗教団体や自己啓発セミナーには行く必要はない。むしろ、あなたみたいな弱ってる人間を虜にして依存させて金をせびろうという団体は多いから行かない方がいい。
図書館でマインドフルネス、瞑想、禅辺りの本をいっぱい読んだらいい。
霊感商法に取り込まれたらもうどうしようもないね。それが俺の母親だ。20年喧嘩してきたが、無意味だった。
霊感商法は不幸を煽って依存させて金をせびるのに特化した集団だからね。それでいて不幸の真の原因には目を向けさせないから当人が不幸なのは永久に変わらない。
僕も、最近やっと、自分の人のお人好しさ、僕のお人好しさに漬け込むという人間の特性に気づけて、切るべき人間をみんな斬って少しずつ静かになっていってるところだわ。
彼のニュースはほとんど何も追ってなかったんだけど今たまたま目に入ったブログで知った。20年前くらいまでファンだった。当時小学生だった。なんかすごい勢いで色々思い出しまくってノスタルジーがすごいのでとりあえず書き散らかすことにした
「学校へ行こう」が全盛期で屋上から告白するやつとかが流行っていた(あれに出演した人は黒歴史になってるだろう)。深夜番組でV6の素とかマッハブイロクとかお笑いV6病棟とかを親に隠れてVHSに録画して超早起きして証拠隠してこっそり見たりしてたのを今すごく思い出した。多分そのVHSの山がまだ押入れのどこかに眠っているだろう。はめっちんぐ准一とかクソやばかった。あとイノッチと岡田のゆずのパクリユニット・・・「かぼす」?忘れた。
岡田くんと結婚したいと思って芸能プロダクションの就職などを考えていた、マネージャーになるには?結婚できる確率は?年齢差ありまくるけど大丈夫かな?10年以内ならいけるか?とか今考えれば相当痛い。でも小学生なんてそんなもんである。本気すぎて誰にも言ってなかった。そういえばレッチリが好きになったのは彼が雑誌やラジオで押してたからだし(Californication; "scar tissue" が一番好きだと言ってラジオで流してたのを今だに覚えている)、ハリポタ1巻を読み始めたのも彼が読んだと言ってたからだった(まだ日本で爆売れする前だったので本屋に行っても置いてなくて取り寄せてもらったのを覚えている)そのおかげで超ハリポタハマって続刊の日本語訳が待ちきれず原本に手を伸ばし英語がめっちゃ上達した。ありがとう岡田くん。
そして「オヤジぃ。」まで見たところで親にさりげなく岡田准一好きすぎるのがバレて(今思えば日記でも読まれたのかなあ)ものすごく恥ずかしくてそれ以降追いかけるのをやめてしまった。木更津キャッツアイが始まって姉と母が見だしたらもうクソ恥ずかしすぎてテレビの前から逃げてしまった。あとは木更津キャッツアイのあとかなり性格が垢抜けた気がした;それ以前は時々鬱々としたところがあってそれが好きだったんだが笑、そのあとはもっと前に出るのをあまり厭わなくなったように見えた。でもその後彼の活躍は追いかけていない(自分も海外に来たし日本のテレビをそもそも見ていない)
その後いつか雑誌かなんかで立ち読みした時に、彼はジャニーズ・アイドル業についてすごく悩んでて、いつかやめて教師になろうかと考えていたが、木更津キャッツアイをやって俳優業の面白さに気づいて、そこから本格的に仕事頑張ろうと思ったみたいなことを読んだ。私が好きだったのはやはり憂鬱な岡田准一だったんだなと、なんか腑に落ちるというか。ていうか10代後半だもんな。それにしてはすごい立派であった。私は今30にして完全に道に迷っている。人生は難しい。
その後大河ドラマの主演とかもしたようだし、俳優業を追い求めているのだろうし!宮崎あおいという素晴らし(そう)な人と結婚すると聞いて!!ああ!!説明できないが心から嬉しい。勝手に。ちなみに彼女の大河ドラマは見た。年齢もそう変わらんのに立派すぎると思う。人前に立つこと批判に晒されることは恐ろしいことではある。それが職業とはいえ。今は誰もがネットをやる時代で俳優やアイドル業はますます難しくなって来ているだろう。ここ数年でいろんな映画を見て俳優インタビューを読み漁ってるけど James McAvoy や Tom Hiddleston や Michael Fassbender や Sebastian Stan やJennifer Lawrence や Martin Freeman や Benedict Cumberbatch (ミーハーがバレる)読む人全員がそのインタビューで fame との付き合い方とその難しさについて述べている。まあ英語圏の俳優ともなればファンは全世界に広がるだろうからまた規模も違うのだろうが
という全く別の話になったが、話を戻せば:彼も色々言われたり言われなかったりするのだろうが、まあ、でもそれには慣れっこなのかもしれないが!一体自分が何を言ってるのかわからなくなって来たが、まあとにかく、おめでとうございました!!!
はてブってのはまとめサイトでも何でもはてブ以外のサイトを低俗だとか言って
(そもそも、はてブも人の記事を紹介しているまとめサイト並じゃ?)
はてブがネット世論で日本の代表とか勘違いしているのが結構いるが
もはや、はてブってのはフェイクニュースのたまり場じゃないのか。
はてブを見だしたのは、はてブには「一般市民」の意見があってそこで人気記事になれば
世論として注目されてるとか言ってるのもいたから見だしたんだけど、
全く違った。
いい加減に単なる「それはデマ」だということに気付けよ。
はてブなんてのは、
日本第一党とかと同じようなレベルで世論とかけ離れていて信用できないな。
『けものフレンズ』の面白さの本質は、ガイナックス的なアニメの価値観から抜け出しているところにある。
少し補足すると「抜け出している」という意味は、ある価値観に反発したり、故意に避けたり、過剰に抑圧したりすることではない。一例を挙げると「あんなクズな父親のような人間には絶対にならない!」と考えることはすでに父親の重力に捉えられている、ということだ。
もうひとつの「ガイナックス的なアニメの価値観」は少し複雑だ。細部へのフェティッシュなこだわり、現場のいぶし銀の技術者、ひとつの生物のように有機的に躍動する集団、学校文化と官僚システム/軍組織への熱い礼賛、マスメディアやと民主主義への蔑視……古い世代のアニメオタクの王道ど真ん中の価値観。この価値観の根底には「責任のとらなさ」がある。これについては後述したい。
私自身、『けものフレンズ』は話題になっているのをtwitterで見て、5話くらいから興味を持った後追い組のひとりだ。徐々にハマり、最後にはとても感動した。けれども、しばらくたってもその面白さをまったく言葉にできないことに気づいた。まるで「解」だけが前触れなく控えめに差し出されたようだった。この困惑について、福原慶匡プロデューサーもインタビューで語っている。
「皆さんも、なぜ魅力を感じるのか、はっきりとは言語化できてないと思うんです。食べ物でも、なぜかクセになっちゃうみたいなものってあるじゃないですか(中略)というのも、僕が5年前にその感覚を経験しているんですよね(笑)」http://a.excite.co.jp/News/reviewmov/20170327/E1490547358865.html
放送終了後、ネット上でいくつか探してみたが「大ヒットの理由」や「エヴァとの共通点」などIQの下がる批評しか見当たらなかった。その清新さや核心について書かれているものは無かった。自分で分析してみてもやはりわからない。一見すると『けものフレンズ』は、パワプロで喩えるなら「オールBでよくわからない特殊能力がたくさん付いている外野手」だ。ツッコミどころがあるようで、よくよく見ていくと隙がない。(あくまでも「一見すると」であり、構成についてはほんとに素晴らしい。監督自身は「怪我の功名」と謙遜するアライさんパートは発明と言っていいぐらいだ)
たつき監督の過去作を見ていくと、クオリティをまんべんなく上げた作品を作るというスタイルは昔から共通しているようだ。『けものフレンズ』では登場キャラクターの紹介とストーリー展開を均等に進め、両者が高いレベルで一体になることを目指したという。インタビュー記事「最終話放送直前! アニメを作るのが得意なフレンズ、たつき監督に『けものフレンズ』の“すごーい!”ところを聞いてみた!!」(以下、「最終話直前インタビュー」)ではこう話している。
「「キャラ先論」「話先論」があると思うんです。そこをまったく同じパーセンテージか、行き来をすごく増やして、キャラ優先なのか、お話優先なのか、わからないレベルでその2つが有機接合できるといいなと考えていました」http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12855680/
ところで、仕事でも3Dアニメを作り、休みの日も3Dアニメを作っているというたつき監督だが自主制作アニメ『眼鏡』発表後の2010年に行われたインタビューでは興味深いことを語っている。ここに一部抜粋したい。
―― アニメはお好きなんですか。
たつき 大学時代に「アニメ作りたいわー!」とか思い出したころからちょいちょい見だしたんですよね。
―― 「すごいアニメ好き」みたいな感じじゃないんですね。そもそもアニメをあんまり見てなかったのに、なぜアニメを作ろうと?
たつき アートアニメみたいなものは学校で見させられていたんですけど、もっと俗っぽいほうがいいなと思って「眼鏡」を作りました。http://ascii.jp/elem/000/000/532/532388/index-3.html
本人の発言を鵜呑みにするわけにもいかないが、そう質問せざるを得ないなにかを質問者も感じたのだろう。確かに『けものフレンズ』は熱心なアニオタが作ったアニメという感じはしない。1話の出会いシーンと休憩のシーンが例外に思えるほど性を表現すること行わない。その他ではペンギンの脚やカワウソのケツぐらいだ。もちろん全年齢向けというコンセプトもあるだろうし、動物と人間という認識の違いに厳密に取り組んでいることもある。だが、繰り返し見てもそこに「ほんとはエロくしたいけど抑えよう」や、「萌えを感じさせよう」などという作為が感じられない。肩の力が抜けているというか、監督の視線が別のところを見ているような奇妙な感覚があるのだ。
話題にもなったペンギンの脚については「最終話直前インタビュー」で、こだわったポイントは肉づきであり、それは未だ言語化できていないパラメーターと語っている。やはり焦点が別のところに当てられているようだ。このたつき監督独特の感覚について、チームの中では「ガラパゴス的」「ほどよく鎖国している」「天然」(「最終話直前インタビュー」)と表現されている。
たつき監督の制作に対するスタイルがかすかに見えてきたが、根本的なところ、なぜ面白いのか、なにが新しいのか、どこが違うのかが一向にわからない。繰り返し観ても「サーバルちゃんかわいい」「言われるも!」以外にこの作品を語る言葉は見つからなかった。
そんな時『シン・ゴジラ』についてのツイートがたまたま視界に入ってきた。ああ、あの作品は私にとって全然ダメだったな、なぜってあれはオタクのウェーイだったから。だから受け入れられなかった……だから『けものフレンズ』は良かったのか。本来なら過去や同時期に放送された作品に触れ、その違いを論じることで導き出すのが正統な論証だろう。だがここでは『シン・ゴジラ』を補助線に引くことでショトカしたい。
『シン・ゴジラ』はあの庵野秀明監督による作品だ。詳細は割愛しよう。宮台真司の批判とか概ね同意だ。私がアレルギー反応のような拒否反応をおこしてしまったのは別の部分になる。同作でも、指揮命令系統のフェティッシュともいえる再現、圧縮された膨大な情報量、巨大な生物のようにフル回転する官僚機構がたっぷりと描かれる。ああ庵野秀明だ、ああガイナックスだと感じた人も多いだろう。ただ、結構な面積が焼き払われ、放射能に汚染され、東京の中心で彫像のように固まったゴジラが実写として映し出されるとシニカルな感想も浮かぶ。「想定外の天災」とはいえ主要な登場人物はなんの責任も取らないだろうな、“庵野秀明だから”。
ガイナックスや庵野秀明に代表される彼らが、凝縮し、エッセンスを取り出し、世に提示してきた価値観。古い世代のオタクの王道ど真ん中の価値観。そこには、新兵器があるなら使おう、ボタンがあるなら押そう、ロケットがあるなら飛ばそう、人類補完計画があるなら発動させよう……後は野となれ山となれだ、という姿勢がその根本にある。責任の取らなさ。それが露出してしまうと、フェティッシュに埋め尽くされた119分はオタクが「ウェーイ!」とはしゃいでいるようにしか見えなくなる。
新しい爆弾が作れるなら作りたい、作ったなら使ってみたい。そういう欲望はギークな価値観として近代には普遍的にあるものだろう。それは責任とセットになっていなければ極めて危うい。『ジュラシックパーク』(1作目)に出てくるでぶが度し難いように。『シン・ゴジラ』の官僚たちは誰一人弾劾されず、断罪されずスムーズに復興へ移っていくだろう。彼らの合理性なら、半減期が2週間なら翌月から暮らすことができるだろう。三権が一体化した効率の良い行政システムを築くだろう。責任を切り捨てたからこそ、フェティッシュの興奮に耽溺できたのだ。棄てられた責任は野ざらしにされ担う者はいない。
2000年代、2010年代のアニメにおいてもガイナックス的な価値観は揺るいでいない。おそらくこんな声が聞こえるだろう。「『ハルヒ』は?『らき☆すた』は?『けいおん』は?『まどマギ』は?『化物語』は?日常系を無視するなとんでもない!“大きな物語”をまだ求めるのか?!」このあたりはもっとその分野に詳しい人の評論を待ちたいと思う。私の見立てでは、それらは(主に女性の)キャラクターについてのフェティッシュを深めたにすぎず、逸脱はしていない。フェティッシュに注力すればするほど与えられた価値観の中での反復行為となり、自らをその価値観の内部に限定させるという結果を生む。そして、目を背けた価値観そのものは形骸化しながらもしっかりと保存され、視聴者を貴族的な愉しみという隘路に導く。
もし汲々とした再生産のサイクルの中にどっぷり浸かった人なら、そこから抜け出すには並々ならぬ苦闘と意志が必要だ。たつき監督にはそうした努力は必要なかっただろう。『けものフレンズ』は最初から“できている”。
これは自由の味だ。
ジャパリパークではフレンズたちは当たり前のように責任を持ち、細部へのこだわりは新しい領域に向けられているがそれ自体に耽溺していない。古い価値観を超えるものを作ろうとして頑張った結果やっとできた、ということではなく、初めからそうした問題意識そのものが存在していないかのように新しい価値観を持っている。それほどあまりに自然に表現された作品として我々の前に現れた。
可能にしたのは主に3つの要素からなる。「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」。この3つは密接に関係している。「手書きには温もりがある」という言説は否定できないが、大勢が1枚1枚セルに色を塗るという時代ではなく、1人である程度は全部作れる3DCGという環境がたつき監督にとって不可欠なものだったことは想像難くない(実際はirodori時代から分業していたことはブログからも伺えるが、作業量や機材を比較して)。Wikipedia情報によると、彼はサンライズ作品のCGを担当することで商業的なキャリアをスタートさせ、以降手がけた仕事は一貫してCG関係だ。これがもし手書きのスタッフとしての参加なら、今の形の『けものフレンズ』は存在しなかったし、たつき監督もおそらく従来の価値観に染まっていただろう。
3DCG上で現在主流の2Dの表現をそのまま再現することは難しい。「不気味の谷現象」ではないが、3DCGから2Dアニメに寄せようとすれば違和感が増え、それを克服するためには新しいアプローチが必要になる。たつき監督はレイアウト(構図というよりも画角)の段階からキャラクターの正面を巧みに演出し、同時に正面ばかりで飽きさせないように一話一話を構成することでこの問題に挑んでいる。技術的な分野における刷新、さらに強く言えば断絶。これにより従来のアニメ表現から自然と距離をとることができたことは『けものフレンズ』にとって幸運なことだった。
次にバランス感覚が挙げられる。たつき監督のスタイルにも作品の全てをコントロールしたいという欲望が見える。映像作家としてこうした欲望は一般的なものだ。ただ、「監督、コンテ、演出、シリーズ構成、脚本・たつき」と商業アニメで網羅しているのは尋常ではない(脚本についてはWikipediaの項目を参考にした)。福原Pは、その秘訣はレイアウトからビデオコンテ、セリフ、声の仮当て、声優への細かな演技指導、修正、差し替え、調整という全ての作業をやりつつも「作業のカロリー計算ができる」ことだと語っている。
「そこらへんはプレスコで作ってきた『てさぐれ!部活もの』の経験が活きていると思います。たつき君はその場のグルーヴ感で「これはやったほうがいい」と思ったら作業しちゃうんです。その後のカロリー計算も、しっかりできる人」
http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395
「北風がバイキングを作った」ではないが、繁忙期は1ヵ月ほぼ泊まり込みだったという『てさぐれ!』における過酷な進行がたつき監督を鍛え上げたことは間違いない。余談だが、ファンによるスタッフロールの解析やたつき監督のTwitterでの発言から、『てさぐれ!』2期からirodoriメンバーを関西から呼び寄せたようだ。一部で話題になった出来事もこのあたりに遠因があるのかもしれない。閑話休題。
福原Pの言うカロリー計算とは、「作業量」と「かかる時間」と「納期まで時間」を正しく見積もることができるという意味だ。結果、各話を見ても全体を通して見てもまったく破綻していないばかりか、各話のバランス、全体のバランスがとても良い。ほとんどの工程にアクセスし、手を入れ、なおかつどこか一場面に片寄っていないということは特筆すべき能力だ。このバランス感覚はミクロの視点とマクロの視点、ミクロの作業とマクロの作業の両セットを備えていないと成り立たないものだろう。シナリオ含め、一貫してたつき監督の思想が反映された『けものフレンズ』。そこでは、「美少女の細部にひたすら耽溺したい」というような偏ったフレームは分解され、ごく抑制の効いたボリューム/表現としてバランスが整った形で配置されることになる。
最後は、アニメばかりを見ていないアニメ監督。これは富野由悠季が公言し宮﨑駿も暗に語る「アニオタが作るアニメはつまらない」という言葉の裏返しである。たつき監督がケニア育ちだったから、というわけではないが本人の発言ではアニメを「ちょいちょい」見るようになったのは大学で「アニメを作りたい」と思った頃からだという。この時点で「東浩紀は『セーラムーン』をリアルタイムで観ていなかったニワカ」とディスられたレベルでのガチのアニオタではないとも言えるが、ここではirodori制作の短編を元に検証してみたい。
1作目『眼鏡』にあるのはメガネ萌えの主人公、エヴァ風ギミック、NARUTO風アクション、ジョジョネタ(格闘ゲーム版)、東方という、既視感のあるオタネタだ。テンポの良さやオチの付け方など評価できるポイントはあるが、お約束というメタ設定(いくら殴られても負傷しない、カエルが空を飛ぶ、怒りで異形化、いくらでも撃てる弾薬など)のあしらい方はごく普通のオタクが価値観を共有している人向けに作った短編という印象だ。
続く『たれまゆ』では全体的にパステルカラーでキャラクターの柔らかい描写に取り組んだことが見て取れる。手描きによる2Dアニメで制作され、架空の田舎の超常的儀式を通して小さな世界が描かれる。しかし、作業コストが高かったのか、合わなかったのかこの後は2D手書き手法は行われていない。
第三弾『ケムリクサ』では再びソリッドな3DCGに戻る。NARUTO風のアクションはレベルアップし、設定も作り込まれている。リナちゃんズと呼ばれる5人の可愛らしさと非ー人間ぽさには独特の魅力がある。『眼鏡』のようにネタをそのままネタとして扱うことはなくなり、説明は最低限。たつき監督の作家性の輪郭がはっきり見えだした時期だろう。30分弱の作品にかかわらず、構成やカット割りに無駄がなくかなり洗練されている。しかし、完成度の高さと裏腹に、注目を集めた『眼鏡』よりも再生数や評価は低調だった。ニコニコ動画の過去のコメントを見ると『眼鏡』の軽いパロディのノリを期待する声が多く、制作側としては不本意な結果だったのではないだろうか。ここでは、1作目でふんだんに盛り込んだパロディで注目を集め、2作目では手描きアニメに挑戦。結果、手描きからは撤退し3作目では3DCGでストイックな作品に挑戦したという流れを指摘するに留めたい。
4作目となる『らすとおんみょう』は福原Pと出会うきっかけとなった作品と言われているが、1話を作ったのみで未完となっている。女性のキャラクターの表情はまた一段レベルアップしており、3DCGの中で2Dアニメ表現に歩み寄りたいという制作者の努力が見て取れる。何がこの作品を放棄させたのかは推測でしか語れない。多忙となったためや、異国の魔女と「適当だけど超強い男子中学生っぽい陰陽師(の下請け?)」が子作りするという設定に着地が見出だせなかったのではないかと思われる。現在残された多くの断片からは具体的な落としどころは示されていない。同作はいわゆるハーレムものの構造を取っており、一方でたつき監督の描く萌えはごく控えめだからだ。
5作目となる『のための』はirodoriとして最後の自主制作作品となった駅長さんシリーズ。できあがった時期は前出の『てさぐれ!』の激動を超え、プロフェッショナルとして確立した後になる。正確には『らすとおんみょう』より前に断片的な映像が出ていたが途中に長い中断があり、実質的に『てさぐれ』後に作られたものとみなすことができる。時系列で書くと2012年に2年がかりで『ケムリクサ』が完成。2013年前半に『らすとおんみょう』(1話)。2013年後半から2015年まで『てさぐれ!』シリーズ。2016年8月末に『のための』が『駅長さん フル版』(以下、『駅長さん』と便宜的に表記する)として完成した。この作品は5分という短い時間ながらプロの仕事というべきものだ。目が描かれていない駅長さんの動く姿には、これまでに向上した技術が昇華されシンプルな姿で完成している。
ここで「アニオタの作るアニメ」(以下、オタアニメ)の定義について考えてみよう。もちろん厳密な定義などできようもないが、本文章が求める要件は「特定の層だけをまなざしている作品」であり、具体的には「アニオタ視聴者を満足させることを目的とした作品」である。たつき監督は『眼鏡』では明白にオタアニメを目指し、続く『たれまゆ』では本格的に手描き2Dを試み、より迫ろうとした。ここで最初の転機が訪れる。手描きという手法があまりにハイカロリーだったからか、ここでこの方向は放棄された。なろうと思っていたがなれなかったのだ。以降、アニオタ視聴者をメインの観客に据えることはなくなり、アニメばかりを見ていないアニメ監督として本来の姿、幅広い層へアプローチする道を歩むことになる。
『ケムリクサ』の段階で3DCGによる手法に迷いはなくなり、削られたカットからも抑制の効いた演出を志向していることが見て取れる。この作品から作風が変わったようにみえるのはテーマがシリアスだからだ、という批判も予測されるが「ストーリーがシリアスになる=オタクに媚びていない」という短絡は採用しない。実際、表向きはオタク向けの作品ではないと装いながら水面下で「今回はこういう感じで行くのでひとつよろしく、へへへ」と、メタ構造(オタアニメにおけるお約束の構造)やメタ構造を逆手に取った仕掛けを差し出すという交渉を行う作品は実に多い。同時に「まったくオタクに媚びてませんよ」という宣言は、冒頭に挙げた父親の比喩と等しく、オタアニメの枠組みから実は一歩も踏み出していない。『ケムリクサ』では前2作であえて“なろう”とした努力が消えている。木の枝が河に落ちるように自然に、観客と交わす密約もなく、反発もなく、媚びていない。ピンポイントに評価される層よりも広い範囲をまなざしている。『眼鏡』よりクオリティは高いにも関わらず受け入れられなかったことは間接的な傍証になるだろう。
『らすとおんみょう』ではその揺り戻しといえる現象が起こっている。ギャグがテーマとTwitterで発言しているが、いかにもオタアニメという構造(そのままアフタヌーンあたりで掲載されても不思議はない)にチャレンジするも1話を完成させた後に頓挫。理由は色々考えられるが、これまで見てきた通りハーレムものの企画自体がたつき監督に合わなかったと考えるのが妥当だろう。この時期が2度目の転機になる。ある程度スタイルが固まったのだ。それは『ケムリクサ』で表現されたスタイルの延長にありジャパリパークへ続く道だ。キャラクターに瞳を描くことさえ取り止めた『駅長さん』は『らすとおんみょう』の続きは作らないという静かな意思表明とも受け取ることができる。
再び繰り返しておきたいのは「3DCG作画」、「バランス感覚」、「アニメばかりを見ていないアニメ監督」この3つはどれかひとつが先立つものではなく、お互いに深く関連しており不可分なものだ。『けものフレンズ』ではこの全ての要素が花開いている。この作品に超絶的な技巧が込められた作画や、ぴちぴちとした美少女あるいは美男子を求めることはできない。あるのはサバンナに向けて開かれたような、開け放たれた窓だ。振り返ると、室内にはエヴァ以降20年にわたる作品がある。時代を代表する色褪せない傑作もあるだろう。でも、もう昔の作品だ。新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、清々しい朝日に貫かれた後では、戸惑いつつも思い知らされるのだ。どれだけ偏狭な価値観に縛られていたか。こんなにもこだわっていたものは汲々としていたか。自由とはこういうことだったのかと。
自由の味。開放されるということは、決定的に変わってしまうということでもある。一度開放されたことを理解してしまうと、重さの無いなにかが失われてしまい、二度と戻ってはこない。それを無視して、例えば「エヴァ風けもフレ」というように馴染みのある文脈に引きずりこみ安心することもできる。「ローエンドなCGでもいいものは作れるんですよ」と心の平穏を装うこともできる。でも、そういうことはもうやめにしよう。『けものフレンズ』はこの20年間潜在的に待ち望まれていたアニメばかりを見ていない監督によって作られたアニメなのだ。その面白さの本質は、ガイナックス的なアニメの価値観とは別の場所に立っていることによるのだ。私はたつき監督の成果に最大限の賛辞を贈りたい。素晴らしい作品をありがとう。
ただ、アニメを見る目がこれまでとは違ったものになったことは少し寂しく感じてしまう。世に次々と出てくる新しい作品がどれだけ面白くても、それらが“過去の遺跡の新作”ならばそれだけで手放しで楽しめなくなったからだ。つまり、ちょっとした困難をかかえこんでしまったことになる。でもそんな心配はあまり気にする必要はないのかもしれない。なぜなら、すでに誰かが言っていたようなのだ。困難は群れで分け合えと。
http://anond.hatelabo.jp/20170401111105
絶賛拡散中の上記内容についていくつか
1.「銃剣道」は「旧指導要領から存在し、新指導要領でも残った」というのはガセ
上記ブログでは、
とあるが、現行の学習指導要領中学校保健体育解説では下記のようにある
また、
ともある。実はこの記述で現学習指導要領で「銃剣道」を教えることも抜け道的に可能なのだ
(逆に言えば、正式に学習指導要領に書き込むことで例外的ではなく、大手を振って「銃剣道」を教えられるともいえるだろう)
一応、「銃剣道」は「巻末参考資料」には「日本武道協議会加盟団体実施種目」として掲げられているが、
この種目の内容を行うようにという記載はない。あくまでも参考資料でしかない
とあるが、別に学習指導要領の「武道=日本武道協議会の種目」という規定はない
実際、政治的な背景から同協議会の種目が採用されたのは推測に易しいがそれが既定路線であるような書きぶりはかなりのミスリードを誘う。
ちなみに日本武道協議会自体、各種団体の寄り集まりの連絡団体だから、「正式採用種目」という表記も誤り。
これだとまるで日本武道協議会という権威が日本武道としてふさわしい競技を議論して採用したみたいな書き方になっている。
3.槍術を残したければ銃剣道ではなく槍術そのものを残せばいい
スポーツ化された「銃剣道」と軍隊格闘術としての「銃剣格闘」は別物で、
http://www.jukendo.info/jukendo-tankendo/jukendo
これは単純に論理破綻していて、槍術を残したければ銃剣道ではなく槍術そのものを残せばいい、で片付いてしまう。
中国の南方武術を残すために空手を普及しようなんて論理が成立するだろうか?
総括
これを「復活」「新たに追加」という見だしと表現で報じるのは限りなくイメージ操作意図の報道だと思う。
これのせいで騙された人間がすごく多い。
イメージ操作云々というか、事実誤認のオルタナファクトを垂れ流している書き手の行為自体がかなりまずい
なんというか、ひどいとしか言いようがない。騙してるのはあんただよとしか言えない
プリンスが亡くなった。前の職場の上司はプリンスは天才だと仕事で一緒に車に乗るたびに言っていたが、高校生の時に少ない小遣いの中でプリンスのベストアルバムを買って金をドブに捨ててしまった!と後悔して以来(その頃の俺のフェイバレットはスマパンとニルバーナだった)80年代なんてクソダサすぎて聞くかよと思ってた。その筆頭だよプリンスなんて、まあマイケルとマドンナはギリギリ許す的な。
でも亡くなったから何の気なしにyoutubeでパープルレインのライブ映像見たら何だこれ、めちゃめちゃかっこいいじゃないかと今更思った。とどめは隣で見ていた最近アニメでジョジョを見だした娘(小3)が「これ仗助じゃん!リアルでこんな人いるんだ!」と言われてジョジョ好きのお父さんは完全にやられた。やっぱりスーパースターって世代関係ないんだな。早すぎる死に合掌。
今回は匿名関連。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
私に聞くのか? まあ答えよう。
センセーショナルな、インタレスト(よく見るタグだが意味はよく分からん)な題材を用いることが基本だろう。無知で無理解に振舞えば更に確率は上がる。
一発ネタでもいいが、大事なのは逆にうまくやろうとしない、ナンセンスであることだ。あまり秀逸だと理解できない人が出てくるし、ブコメとかでそれより面白いことを書かなければいけないと萎縮してしまう。
が、文才すら必要ない、誰でもってなると……そうだな。
「欲しい」と声高に叫べばいい。「ブクマや星が全然貰えない」と嘆いてもいい。それでも貰えるし、下手すればそちらのほうが貰える。恐らく、毎日星やブクマを欲しい意を示した簡素な文章を投稿したほうが、貰える率は格段に高いと思う。
君も理屈の上では理解しているだろうけれど、ブクマや星に本質的には価値はない。どのような方法で手に入れたところで、そこに貴賎はないのさ(お金を“洗浄する”仕事などもあるが、それは一つの極致だね)。
でも、それらを求める人が多いのは、個人がそこに価値があると感じるからだ。つまり物差しや天秤が不安定なわけだね。無価値と紙一重だ。
……ここで最後に「星ください」で終われたら楽なんだけどね。
君は少し誤解している。その人は恐らく書き逃げしているわけではないのだよ。それにはここ匿名ダイアリーのデザインが関係している。
例えばトップページだが、これは新着順に1ページにつき25件表示される。これは内容に関わらず25件だ。
君がブックマーカー(苦笑)だとしよう。どうやってここで面白そうなエントリを探すだろうか。
そのホッテントリはブクマ数によって成り立っている。つまり、ここ匿名ダイアリーで、ホッテントリになる前からブクマしている人がいる、ということだ。
では、その人たちはどこからそれらを見つけているのか。注目エントリだ。だが、この注目エントリも小規模なホッテントリだといっていい。ブクマされなければ始まらない。まずは閲覧者たちの目にとまることが肝要となる。
だが、ここ匿名ダイアリーは漫然とエントリを探すには向いていない。トップページからだと、新着順から表示されていき、良エントリがあっても他の人が投稿すれば、どんどん流れていく。関心のあるワードを検索してもいいが、そもそも関心のあるワードがなければならない、ということでもある。
ここでホッテントリを狙う一部の人たちは、書く内容はもちろんのこと、投稿する時期や偶発的な要素をもって日々投稿しているわけだな。
だが、そんな志がやたらと高い人がいたり、或いは「名前を隠して楽しく日記。」にやたらと忠実な人と、多種多様なのがこの世界だ。そんな人たちが思い思いのことを書いていることが醍醐味でもあるが、UIの問題もあって閲覧者にとってはその全ての記事が目に留まるわけではない。
匿名掲示板よろしく、トラックバックをつけて議論を白熱させていることもあるが、そうなるとトップページのエントリはすごい勢いで流れていく。誰かが書いた良エントリも、そのまま埋もれてしまうかもしれない。
さて、いよいよ君の回答で出てくる人の手法を説明しよう。君の記事に何か言ってやりたい、でもレスポンスのためだけに他の人の記事が流れて欲しくない。さらに、自分のレスポンスに更にレスポンスがくれば、元の記事の話題でトップページがあふれてしまうかもしれない。その流れを辿って、閲覧者が君の記事をブクマする可能性は出来る限り排除したい。
ではどうするか。書いてすぐに消せばいい。消しても見出し部分は読める仕様だから、君の記事にはしっかりと爪あとを残せる、というわけだ。
ともかく、自分の些細な記事で他の人のエントリを流したくないという気遣いもあると考えると、かなり印象は変わってくると思わないかな? まあ反論されたくないだとか、書き逃げだとかの側面もあるかもしれない。書いたあとでやっぱり違うと感じて消すということだってあるだろう。
もし、何らかの対処法があるとするならば、消した記事は見だし含めて読めなくなる仕様にしてもらうしかないだろうね。まあ、運営の匿名ダイアリーの扱いから考えて、可能性は低そうだが。
なんかCharlotte見てたら、1話でAngel Beats!の二の舞いになりそうな匂いがプンプンして、あー見なくてよかったという気持ちにしかなれなかった。一時期のKey作品面白いっていう評判は他の人にはともかく、少なくとも僕個人でそれが信じられたのは京アニのおかげなんだろうね。一昔前の京アニ作品もそうだし、ハガレン1期のアニメ版もそうだし、原作にはストーリーがなくてまとまりにくいものにうまく落とし所を見だしたぱにぽになんかもそうだけど、アニメのシリーズ構成や脚本ってクリエイティブなことよりうまく噛み砕いてくれることがすごいんだろうなぁ~と正直思った
僕がアバン見た時に「あ、この設定というか、この言い回し変だ」と思った作品が殊の外人気だから、試しに見てみたんだけど…やっぱり開始6分で設定の破綻を感じてる。コピーしかできない奴が受験で1位って…。それって正解がわかってるってことだろ?2位以下にならないとおかしいはずなのに
あと、マドンナ的存在って言うキャラは死ぬほど聞くんだけど、これも実在しないんだよなぁ…。例えば、GTOみたく「ドジっ子アイドルになっちゃいました」とか、コクラセみたく「いいところのお嬢様で送り迎えがつく人がいるんだ」みたいな誰がどう見ても浮いてる理由が必要なのにそれがないとか…
トドメは事故ったのを救った時に女の子が「一組のだれだれくんが助けてくれた」ってこの台詞も変なんだよなぁ…。なぜクラス言った?
いやさ、僕がノベルゲーとか小説にハマれない理由って理由付けや情報開示の順番がわざとらしくて「あームダだなぁ~」と思うものがあるから。ムダならムダ、メタならメタで突っ込んでくれればいいんだけど、それがスルーされると、嫌な意味での突っ込みどころとして頭のなかに残って嫌になるんだよなぁ
この、テストで100点とったっていう理屈がだからおかしいんだって。おおよそ正しい答えなり、途中式なりを見抜く方法を知ってなきゃ、仮に他人の答案をカンニングできたとしても、それをカンニングによって100点を取り続けたり、学年トップになることは不可能。最低でも途中式を見抜く学力はある
と、これ、ここまでAパートの話なんだけど、この矛盾にいらついて普段の僕ならここでこのアニメを切る。これが流行ってるとしたらみんな頭悪いんだろうなぁ~みたいな感想を抱きながらね。あるいは、頭が悪いかどうかではなく「きっと1クールも経れば、忘れ去られるアニメだろう」と思うか
ちなみに、僕がグダグダ言ってるアニメはAngel Beats!と同じ脚本の人(有名な人だけどあえて名前は出さないで作品名を出してる当たりご理解いただきたい)なので、「あー数年の間に増えたにわかオタクか、作家名でアニメを見てどうやってでも擁護したい人が盛り上げてんだ」が感想。この脚本家には前科がありまして、最後まで見れば面白くなる・矛盾点はあるけど我慢しようと思って多くの人が見てたら、終盤の感動的なシーンが設定の雑さゆえに矛盾してて成り立たないと言うヘマを数年前にもした人なんです…それでお察しな気が
ちなみに、Angel Beats!のどこがおかしいかについては、ドナーカードの意味もちゃんと検索してない、ドナーがどういう条件で提供されるのかも確認してないいい加減な脚本家がドナーカードにできないことをドナーカードによって達成したという嘘っぱちの設定を作ったこと。犯罪的な捏造だよ。天使ちゃんと音無くんは心臓を提供した・されたの関係と言う話になってるけど、音無くんは衰弱死・餓死みたいな状態でとてもドナーとして成立しない死に方してる。だから、転用なんかとてもできないし、それ以前に脳死じゃないドナーは使える部分が限られているから心臓を移植できないのよね…ストーリーの根幹である部分の前提に現実的な設定を使う以上調べて欲しいといいますか、詳しい描写まではいらないけど、5秒で検索したらわかるようなウソは入れないで欲しい気はします…
そこら辺のところがわかったうえでもなおAngel Beats!がいい話だと言ってるバカとアニメの話はできないと改めてはっきり言っておきたい。作中に出てきたから言うけど「こんなのが売れるなんて世も末だな」とABの時から私はそう思ってました
妹のキャラクターが年齢不詳。兄よりも歳上であるかのような言い回しが多いけど、これは伏線?それとも雑設定からくるもの?
KANONやABだけではなく、アレだけ評判がいいリトバスもですか…。しかも、作者が患っている病気で…。流石にわざとやっているのではないかと疑わしくなってきましたなぁ…。 奇跡をゴリ押しされた挙句、他人事のように「なんか泣けるような胸を打つような近さはないけど、テレビ的なわかりやすいいい話とはこういうものなのだろう」とKANONに対して思ったので、「お伽話」は言い当て妙だと思います
よりポピュラーな病気やシステムを扱えば扱うほど「間違った知識の流布」「当事者を傷つける問題」に進展しかねないところがあるため、危うい傾向だと思えました。特にドナーカードの話は免許取ってから日が浅い時期だったのでなおさら気になりました
いやさ、「だーまえ作品における病気はいい話のための演出なんだ」と言うのはわからんでもないさ。ただ、普段「うつは甘え」「サプリで治る」みたいなウソを振りまかれてる躁鬱病患者としてはああいうものってすごく怖いんですよ…。ドナーカードも免許取って人間なら近しい話だからすごく怖いし…。例えば、「うつは甘えだ!私は君を甘やかさない」と心を病ませながらも自分の仕事場で面倒を見て、厳しきして社会復帰させたらそれはいい話かもしれない。だが、それはリスクを負ってくれる人が前提で「うつは甘えだ」と厳しいところに投げ込む風潮がマスコミやだーまえ作品の影響でできたらどうさ?
大体の鍵っ子は、実は自分が感動したシーンとギャグぐらいしか案外覚えていないのかもしれない。あと人物同士の関係の考察とかはするけど、現実に基づいた設定の考察はあまりしてないのかもですね。更に言うと、多分keyの全作品に共通するかもしれないのですが、後半だけ見れば問題ないってぐらい、前半はギャグと日常(現実的ではないですが)の塊なんです。あまり伏線を積極的に張って行かないレベルでね
寓話以上世界仰天ニュース未満ぐらいの位置の何かだと思わないととても安心して見られない感じはあります。京アニ作品として矛盾やギャグが気にならない形の物ではそこまで気にならなかったのですが、近年の麻枝准自らが脚本した作品は…。例えば、Wikipedia読んでもちんぷんかんぷんで日本にはほとんど患者がいない難病「多発性硬化症」みたいなものでだーまえ演出をなさるんだったらまだ批判浴びないし、なんとなくそんな病気があるんやろう…みたいなのがあるけど、ドナーカードはポピュラーすぎるもん!ちなみに、うつ病よりも関わっている人が多いドナーカードは日本中で8000万人の人(運転免許の裏はドナーカードなので免許保有者だけでもおおよそ8000万人)が関わりがあります。
超極論を言えば、だーまえは逮捕されるべきだったとさえ思ってます。だって、ドナーに関わる人間はおおよそ8000万人。免許の裏のドナーカードだけで日本国民の3分の2。それにありもしない間違った知識を流布したり、価値観を押し付けようと言うのだから怖いと感じないほうがどうかしてる。リプライを見た限りKANONやリトバスでも同じ脚本家が同じような病気や矛盾点を調べないで、創作物に流用しているそうです。Charlotteの脚本家に限った傾向なので脚本家全体の衰えとして捉えるのはちょっとむずかしいですが…すいません。流石に極端なたとえですし、「もし、あんな調子でうつ病を扱ったら」というエクスキューズが抜けてるので、不十分なツイートになってしまいました
この話、だーまえさんの作品が人気を取るたびに僕を含めた誰かが「ざっけんなコラー」と言っても言っても騙される人が後を絶たないから繰り返ししてるけど、したところで得るものないからこのへんでやめます。僕以外に…つうよりももう鍵っ子の間で議論され尽くしているであろうテーマなのに、意外と周りで盛り上がるのな…
まぁ、うまる見て「あの秀才キャラ、悩みがないキャラがハナについてギャグだけを純粋に楽しめなくて少し苦痛」みたいなことを言って「そこ!?」的な返事が帰ってきた偏屈な人間の言うことだからなぁ…。きっと受け入れられないんだろうなぁ
江戸しぐさ→歴史的には間違ってるけど、いい話だからいいじゃない!だーまえ作品(とりわけAB)→病気や患者が利用する制度を調べてないから間違ってるけど、ふんわりといい話だからいいじゃない。が重なる。僕が感じてた怖さはそういうことか!。遠い昔の話ならそれでも被害者は少ないのですが、それをポピュラーな病気や医療制度でやってしまうため、実際の江戸しぐさより被害者が出そうで怖く、またいい話だという言い分も江戸しぐさ的な押し売りや稚拙さが絡むため、賛否が分かれる…というところでしょうか
いや、ちょっと違うんだなぁ。
ただただ、人を見下したり障害者を叩こうとする奴はいくらでも居るし、増田にも出てくる。
で、そんなのはただうっせー、でおわるけど、
一方、そういった見だしで始まる文章は、最後には気付かされた、的な良い話に持って行って、ちゃんちゃん、と終わる事が多い。
よく釣れる話だ。
この話も、最初に「子ども」が何らかを教えてくれたと言う体のタイトルで、
これは、増田でなくとも、この様な否定的な母親を子供が諭したんだな?と言う推測に行く人は多い。
それが、この話ではそんな姉の話は殆どどうでもよくて、自分が子供の頃辛かった、と言う話に対し、
子供がそれを自分がタイムマシンで行って助けてあげる、と言った話。
ここで、裏切られた感満載。
姉の話は自分を不幸に見せるためだけの道具。
子供が言ったことは、単に親が酒を飲んで愚痴る、と言う醜態を見てしまったがために、子供がなんとか絞り出した言葉にすぎない。
(親が愚痴る事が良いことだとは思えないし、ましてや酒のんで子供に愚痴るとかあり得ん。
兄弟仲悪いところを魅せつけても何も良いことはない。てか意味が無い。)
そして何がすごいのかが全く分からん。
そりゃ、子供の前で酒のんで愚痴ってれば子供は何か言わなきゃ仕方なかっただけだろ、てか、それどんな状況だよ、と。
あまりにアホらしい話なのに、なぜか姉をこけおどすだけこけおどす。
あと、増田でよくある話だけど、なぜか皆、元増田が超不幸で悲劇のヒロインの様に断定して、元増田に敵対するものを史上最低のどうしようもない屑だ、と断定する。
それもキモい。
単にもてはやされてるブロガーが嫌なだけなんだから、もう、はてな自体見ないしか方法は無いっしょ。
どんなにフィルターかけようが何しようがもうサービスとしては質を保つのは無理もんで、
現状のブクマの付き方とかで良し悪しを判断するしか無いわけで。
それ以外でもTwitterでもなんでもgoogleで検索しても、嫌なブログが目に入ってくるのは否めないが、
まあ、下手な与太話みたいなブログは間違えて開いたら直ぐ消す様にして。
普通になんか必要な情報探すだけならそんな変なのひっかからないでしょ(アフィが強い物とかそういうのは駄目だけど。)
増田がブロガー嫌い、って言ってるけど、要するにそういうの沢山見るようにしてるからだよね。
おれもまあ、人のこと言えず、最初はそういうのちょこちょこ見だして、はてブも参考にしてりするようになって来て、
んで、最近、同じようにらいふはっくだのぶろがーだの、ホントにキモいし嫌な気分にはなってるけど。
最初、RSSで色んなブログとか登録してて、んで、ある時からそれだとあふれるからはてブとかキュレーション系だけに切り替えてたけど、
最近、それだと逆に偏る様になって来たから、やっぱり必要なサイトのRSSはきちんと登録しておいて、
はてブとかはホントにざーっと見逃してもいいから適当に流す様にだけするようにしてる。
なんとなく、タイトルで客寄せしようとするのも分かる様になってくると余計なの開かなくなるし。
後は新着ブクマとかでも特定のブログとか簡単にブロック出来たらいいんだけどね。。。(新着ブクマもRSSで取ってるんだけど、そいうのできんのかな?)
これは分かるわ。てか、ブコメしてるのも同じことだからね、ある意味。
いや、結構な人がかけて書いてるよね、少なくとも、毎日の様に炎上してる人たちってほとんどホントに仕事してない人たちじゃん?
はてなの上位有名人って皆人生失敗した人たちじゃないの?キチリン、もとい、ちきりんとかいう人だけが人生上がり後に書いてるみたいな感じで。
(でもまあ、ホントに同じ様な道で上がってる人はこんなくだらない形で表に出たいなんて思わないだろうし、仕事結局上手く行かない所があってまだ人生に欲求不満なんだろうけどね。)
具体例を挙げよと言われても遠慮します。
ネットの充実感とは何だろう。
① ネトゲなどでの優越感
② 萌え、恋いににた何か
③ 新しい情報の刺激
個人的にはこの3つだろうか。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ポーカーやFXなどで、稼げる時は確かに優越感があるが。 勝てない時は優越感どころか、嫌な気分になる。
そういうときは、ニコニコ生放送などで、煽りコメを書き込みまくる。
やっぱ、安定して勝てるわけではないというところが、ネットゲームの嫌なところ。
こう、、、なんつーか、トキメキ??? が無い。
アイドルの追っかけはする気にはなれない。
エロゲやギャルゲーもやる気がせず、とりあえず実況プレイでいいやっていう気になってしまう。
オナニーをしても、違うなあ という感じ。
クロスチャンネル、こっすこす、最終痴漢電車3、彼女×彼女×彼女、娘姉妹 あたりの、絵師が神とか、そういう感じっつーか。
萌え??? でもいいんだし、 美麗??? でもいいんだけど。
なんかこう、心に突き刺さってくる何かが無い。
20年くらい前のエロ漫画が俺は好きだった。 20年くらい前のエロ漫画って、ストーリーや表現が重視されてたんですね。
田沼雄一郎『seazon』 とか 大暮維人、小林少年丸、栗田勇午
なんでもいいんですが、 こう、エロを『表現』していたんですよ。 エロで抜かせるとか、そういう路線もありましたが、そうじゃない路線、ある種芸術だったんですよ。
萌えにしても、昔の萌えは『表現』だった。 小公女セーラ、あばれはっちゃく、ど根性ガエル、 なんでもいいんですが、 なんつーか、萌えを表現せず萌えだった。 というか。
今の萌え、って、ワルキューレロマンツとか、なんつーか、わかりやすすぎるんですよねえ。
これは、今でもそこそこありますね。
最近では、2ch名人 という将棋板まとめブログの実況系を過去までずっと読んでます。 将棋ってルールは知ってたけど戦法とかほとんど知らなかったので、覚えてみるとおもしろいですね。
ただ、問題は、 単にまとめブログやアンテナサイトを見ていても、刺激が少なくなってしまったことです。
まとめサイトを見だしたコロは、いろんな刺激にあふれていましたが。
現在は、1分ごとに100の更新があっても、どれも陳腐に見えてしまう。
一応、ニコニコ動画はおもしろい。 ゲーム実況、迫真空手部 あたりはおもしろい。 だけど、ニコニコはやっぱりペースが遅い。
ブログというのも、おもしろいのだけれど、おもしろいブログを書く人は、更新頻度が遅い事が多い。
まとめサイトじゃないけど、「個人がおもしろいと思うサイトを登録しまくって、他人がそれを自由に見れる」みたいな、そういうサイトがないかなーと探している。
わくてか速報
インモラル
ワロタあんてな
ニュー即vipあんてな
2ch名人
ひろぶろ
くらい。
おもしろいサイトって、 おもしろいというか、 おもしろかった という感じ。
新都社では、そういうのが多い。
おまえだけがバカなんじゃない
はおもしろかったのだが、終わったのか、中断なのか。
サイトのおもしろさ、っていわば、ホラー小説、ホラー漫画みたいな感じ。
日々の生活でなんか充足感欲しいなと思っていた。
だが、やっと気づいた。 俺、エロ動画アサリが大好きなんだわ。
「今日はどんなタグで漁ろうかな~」って考えるだけで日常のつらさから逃避できる。
5年前からエロ動画を見だした新参で。 麻倉憂すら知らなかった。 そこから、ずーっとエロ動画を見続けた。 多い時は日に500は見たと思う。 週1000は見てないかな、くらいは見続けてきた。
これだけ大量のメニューをこなせることもそうそう無い。 ネットがエロ道を一歩推し進めたと考えられる。 多分、一昔のエロ動画収集家が1年で見る分を、俺は1週間くらいで見ている量かなーと考える。
これだけ大量のトレーニングをこなした俺が到達したブックマーク量、境地。 でも、他の人もそれぞれすごくたくさんエロ動画見ていると思う。 知識を共有できればなあと感じる。
① AV女優
インモラルなり、ア動ブなりを、見て、AV女優一覧がある。 それを漁れば、かなりいい感じで知識は溜まっていく。
俺のおすすめは。 竹内みれい、sharah、小澤マリア、beata、希志あいの。 メジャーじゃねえかと言うけど、それぞれの世界観は1つの長編漫画並に味があると思うので、有名AV女優の世界観を解釈するのは一種の文学だと思う。
② プレイ
xvideosで難関となるのがこれ。 結構英語が思いつかない野が多い。 アナルなめがanal eater だったり。 ごっくん がgokkunだったり。
おすすめは tanned(日焼け)、amwf(アジアの男性、白人の女性)、massage、solo、oil(ローション)
③ サイト
ア動ブ、インモラル、eroi video といった、動画掲載だけを広く大量にしているところと、
チュパチュパチャップス、フィニッシュドーガ、汚物処理嬢、エログパラダイス といった、おもしろい動画やテーマにしぼった 動画を紹介しているサイト。
の2タイプがある。
もちろん課金サイトもあるんだけど、ある程度以上漁った状態じゃないと、課金しても外れを引きやすいかなと思う。
意外にいいのが、「ネットカフェに泊まるとついてくる、エロ動画が無料で見れるサービス」。 これはかなりいい感じでレベルの高い動画を見つけられると思う。
④AV男優
杉浦ボッ樹、ダイナマイト幸男、吉村 卓、 等々。 AV男優も幅が広い! 男優の世界観を知ればAVもおもしろいと思います。
以下、追記
トラバ、ブコメありがとうございました。もげろありがとうございます。
それと気分を悪くされた方は申し訳ない。
幸せになる方法はひとつだけじゃないです。結婚だけが解、という時代ではないでしょう。
ただ私が独身の時、結婚や恋愛に関してポジティブな情報に飢えていたのを良く覚えているのです。凄く検索もしたし、誰かに教えて欲しくて、会社の喫煙所で先輩に聞いてみたりもしたのだけれど集まらなかったんですよね。希望を持てるような情報を誰か与えてくれないかな、と探していました。
でも、考えてみると、こういう情報って個人と紐づくと、なんだか恥ずかしいものですよね。 そんな訳で増田があって良かったな、という次第。 元増田も別に婚活やめなくていいんじゃないかな、ブコメみると「自分もお見合い結婚で満足した口。しかも人の紹介じゃなくて、大手結婚紹介サービス会社で。」なんて話もありますし。 もちろん辞めてもいいんだけど。
某爺では?という指摘、敬愛する爺に間違われるのは光栄だなぁ、と1人でニマニマしてました。彼は著書によると4人の子持ちだったような。マジかよ。それ平成か?って数ですが。 あと彼もそれなりの年齢ですので、子どもいても赤ちゃんって事はないかな、と。間違いではあるのですが、ありがとうございます。
それと、「お見合い」というフレーズを聞くと「鹿威しがカポーン」な空間かな、と思っていたのですが、私の場合、親戚の紹介で東京駅地下の喫茶店でお食事でした。ので、お見合いが高貴な感じばかりかというと、違うケースもあるという事で。
ガルパンの件ですが長くなるので省きました。話題になっていたのは知っていたのですが気づいたのが出発前日(旅行にあまり興味がない)で予習なしで現地に。 なので、また冬に行く予定です。嫁さんの今度のターゲットはあんこう鍋。
それと好感度はもちろん高いですよ。 ただ、なんというか、アニメを見だしたのが移動中の電車の中でyoutubeという体たらくっぷり、あぁ、でもLTEにして良かった。ホテルが大洗シーサイドホテルでタクシーでホテルまでの道のりで高まる期待、チェックイン。嫁さんも「私と○○はせっかくなんで少し休みます。海の音も綺麗だし。。。 街に行かれます?」というので、街へ。
ただ現地でも「ごめん、僕はまだ全部みれてないんだ...」「ごめん、凄くニワカなんだ...」と思いつつシャッターを切ってました... やはり見てないと撮るにしてもアングルが良く分からないんですよね。当たり前ではあるのですが。 冬までに予習して再戦。
あんこう鍋の話も聞きたい
嫁さん的には大洗がいろいろと気に入ったみたいです。
アクセスのしやすさ、ホテルの対応、子どもに優しくしてくれたりとか、雰囲気。あと私がなぜかアクティブに外出しだしているのが。
で、また来たいな、と思っていて、調度良く冬の味覚として、あんこう鍋が。
私も食べたことがないので期待しています。
「さんさん録」てあんた不吉な... / 見合い婚だと「○○さん〜でしょう?」とか小説みたいな話し方してくれるの?悪くないな
敬語は私から始めました。 夫婦間の喧嘩の状況を検索してみると、どうも言葉遣いが問題で喧嘩になってるようなケースが多かったので。
例えば「○○もやっといてやったぞ」って言われるのと「○○も済ませておきましたよ」は違う印象。
「コーヒーいれてやったぜ」と「コーヒーが入りましたよ」も違う。という訳で私から開始。
気分は「姫と爺や」。 王子様ってガラじゃないですし。
姫には「なんか世の中の喧嘩って大抵ことば遣いで始まるような気がするんだよね」「僕は丁寧語で怒られると素直になる。喧嘩にならないと思う」と説明して開始した。
全部の会話が丁寧語ではないですが、面白いですよ。ふとした嫁との会話で萌える。
あと丁寧語で怒られても萌える時がある( 嫁の方はもちろん自分が萌えキャラという認識はない。私も言わない)
そういえば嫁に萌える日が来るとは独身の時には思ってなかった。 萌えって2D限定な印象がありました。
ああいう時、さりげなく回転に加われるのがイケメンなんでしょうね... 非モテから来ました。
とっさにできるのは見るばかりで。
そそそ、そうなんですよね。頭の中で、シーンが数点はしったり、コンテキストの中のココ?!みたいに思い出されたりする。うろ覚えなんですが。
で、現実の彼女が過去見たアニメや漫画のシーンで少しデコレーションされる感じ。
という事もあるので、惚れっぽいのかも。
ぐは、いい動画。 あと矮小化ってことはないんじゃないかな。 2Dであれ3Dであれ受け取ったインパクトが大きければ、それは素敵なことだと思いますよ。
可笑しいな。あれだけ言いたいことがあったのに。すっかり忘れてしまった。
イヤホンから流れる名曲は僕の思考を流し去って、あらたなイデオロギーで染めていく。
おれは怖いから。それが怖いから。
あるはずのモノが無くて。ないはずのモノが有る。
あるはずの幸福は感じることができなくて。無いはずの不幸が僕を襲う。
人生はそんなにさっぱりしたものじゃないって。今頃気づいたのは。僕がひねくれていたから。
建設的に議論は重ねることはできないの。
浮ついた紳士はプライドだけ高くて。相手を見下すことしかできない。
受け入れたフウに装って、反撃を伺う。いつまでたってもビルは完成しない。
歌は僕を蝕む。
いつか死ぬために僕は生きる。
いつか生きた証を残すために僕は死ぬ。
隣にいるあの人は僕と異なる視点と発想を持っている。ずっとずっと観察しても知ることはできない。
一人は孤独だけど。一人は賢い。
春アニメでネット上で一番盛り上がってたのは間違いなくけいおんだった。
始まったとたんみんなすごい勢いでけいおんけいおん騒ぎ出して、やれ「うんたん」やら「萌え萌えキュン」やら叫びだして、作中で使われていたギターはバカ売れ。アニオタ人気すげーなとか思ってたら「アニメとかに興味なさそうだった彼氏がいきなり私より熱心に見だして…」なんてのも結構あったから一般人受けもかなり良かったらしい。
でも俺にはなんでこんなブームになったのかさっぱりわからない。そりゃ京アニだから、なに作ってもイイかんじにヌルヌル動かしてそこそこの人気は出るだろうなとは思ってた。でも俺はこれはなんか苦手なんだ。
日常系は結構好きなほうだ。「ひだまり」とか「みなみけ」とか「ARIA」とか「ふもっふ」とか。でもけいおんはそういうのとはなんか違うんだよ。軽音部の日常やらライブやらをすごく引いた第三視点から見せつけられてる感じ。極め付けに違和感MAXだったのが最終話のライブ。観客に完全に背を向けて、ギターじゃかじゃかやって、なんなの?何がしたいの?こっち向けよ!ってかんじ
で、けいおんって結局誰が得してたの?