もしかして例の例学歴くんを傷つけちゃった? ごめんねw
でも、生まれたときからそこにあり、何の違和感もなく扱えれば、それはもうネイティブなんじゃ?
情報を正しく読み書きできる能力となると、それはリテラシーという言葉で表せる。
リテラシーは低いかもしれないが、デジタルネイティブであることは確実だと思うぞ。
ついでに書くと、日本語を母国語としているだけで Japanese native speaker と呼ばれる。国語の能力が低くてもだ。
別にデジタルネイティブに高尚な意味なんてないでしょ。せいぜい生まれた時、あるいは小さい頃からインターネットにアクセスできる世代って感じで。
俺もデジタルネイティブにギリギリ入ってる世代だけど、上の連中からしたらインターネットってのは大人になってからやるもんだみたいなもんなんだよ。でも、小さいころからネットなんて使ってるわけで、そんなこと言われる筋合いはないと思うでしょ。その程度の意識。
ハックルさん何してはるんですか
自分の勤めてる会社、今年で3年目になるんだけど、入社してから今まで一度も健康診断を受けた記憶がない。正確には入社時に一度だけ健康診断したけど、それ以来一度も受けてない。
あれって正社員なら一年に一度受けないと(正確には、会社が受けさせないと)ヤバイんじゃないのかな?義務なんだっけ、自由なんだっけ?
別に健康に不安があるとかじゃないんだけど、単純にコンプライアンス面で色々と問題のある会社だなと最近働きながら感じているので、これもなんか抜け落ちてるんじゃないかなーと最近心配になっている。
そもそもSFロボットアニメというくくりがおかしい。巨大ロボットアニメというべき。高千穂遥(ガンダムはSFじゃない論争をやって日本のSFを衰退させた人)にぶっとばされるぞ。
で、陳腐化したというのはおれ実感ないんだけど、何故製作本数が減少したかということについては、巨大ロボットというギミックに頼らなくても商売が成り立つ、ということにみんな気がついたからじゃないかと思う。大きいお友達向けにフィギュアを売るんだったら、正直言ってロボットじゃなくてもいいよね。おっぱいの大きいお姉ちゃんとかでも商売できるし、ってことなんじゃないの。
まあ元記事は長いのでちゃんと読んでない。
女同士の方が普通にありだと思うけど。
1行で言えば、「金遣いの荒い奴は貧乏人(とその予備軍)」ってことか。
こういうの見ると、もう一生好景気なんて来ないような気分になるなぁ。
平成生まれは大体デジタルネイティブと言われるけれど、自分はそういった実感が無い。
確かに、最初にパソコンに触れたのは家電量販店で小2くらいに触れたし、授業では小学校高学年あたりからWindows 98を触ったりしてた。
中学でも何やったかは覚えてないけど、パソコン触ってて結構楽しかったりした。
高1でケータイを手に入れて、まだ開設間もないモバゲーにハマったりして、ブログや携帯アプリで痛い行動して晒されたりもして、サイトも作っては潰したりして、色々やってた。
色々やってたけど、どれもインターネットをよく分かっててやってたという感じじゃなくて、ただボーッとやってたって感じで、今の中学生や高校生みたいにWebサービス作って公開するというのは無かった。
長い前置きになったけど、自分が考えるデジタルネイティブは、小学生や中学生の時点でパソコンやら携帯を通じて何かしらの情報発信や受信が出来る環境があって、発信した内容や受信した内容を適切に処理出来る人達を言うんじゃないかなと思う。
そして、それは若い世代だけに踏み止まらないと思う。
自分みたいに、入ってた情報をただボーッと眺めているだけという人はデジタルネイティブにならないんじゃないかなと。
現にこの文章自体が自分でも何を言いたいのか分からなくなってるし。
俺が前に書いた表題の床屋談義について(http://anond.hatelabo.jp/20100923234530)。
暇なはてな民の方々からそこそこ意見が寄せられてきたのでここらでみんなの意見を踏まえつつ再論する。人によってはSFという言葉に過剰反応したり、「SFロボットアニメ」の定義がわかんねえよとの声があったが、語義を巡る議論に深入りするのは主眼ではない。ここでは差し当たって「巨大なロボットとそれを指揮するキャラクターが物語の中心となる近未来アニメ」という意味として便宜的に使わせて頂くのを許して欲しい。近所のレンタルビデオ屋にある「SFロボ」のコーナーはこれで並んでおり、一般的な認識ともそう離れてないと思う。(これだとたとえば、「鉄腕アトム」や「攻殻機動隊」は近未来だけどOUTとなる、一方で「パトレーバー」はINとなる。)
で、上記のように定義づけると、「トランスフォーマー」のように「テレビくん」で販促しているようなキッズ向け作品に関しては好調なものはあるものの、従来の大きな柱であった「アニメージュ」で取り上げるようなティーンネイジャー以上をターゲットにしている部類では、陳腐化は間違いない。
たとえば最も有名なタイトルであるガンダムシリーズは、作品数の減少が顕著だ。90年代には「V」から「∀」まで5つのテレビシリーズ(加えて複数のOVA、映画)がリリースされた。しかし、00年代に入ると、テレビシリーズの新タイトルは「SEED」(続編含む)、「00」の2つだけだ。
ガンダム以外にも、90年代には「エヴァンゲリオン」「機動戦艦ナデシコ」など今も語り継がれる新タイトルのヒットがあった。今冷静になって振り返るとこれロボット出す必要あんのか、という作品までロボットが登場していた。具体的には、「神無月の巫女」や「エスカフローネ」、「サクラ大戦」(これはアニメというよりメディアミックス作品だが)などだ。00年前後までは「ロボット」は登場人物を引き立たせる定番の構成要素だったと言っていいかもしれない。
しかし00年代にはいって、男の存在を抹消した萌えアニメの隆盛と入れ違うようにしてSFロボットアニメのプレゼンスが消えていった。中でも象徴的な出来事は07年の「グレンラガン」だった。久しぶりにガイナックスが制作するSFロボットアニメで、内容的な出来も(個人的には)期待を裏切らないものだったが、その影響力は同時期に放送していた「らき☆すた」の方が完全に上回っていた。「エウレカセブン」や「創聖のアクエリオン」は、事前プロモーションやメディアミックスで力をいれていたものの、作品としてはことごとくコケた。この2作品が今でも人々の記憶に残っている理由は、アニメの成功ゆえではなくパチンコで行きを吹き返したおかげだ。
結局、世紀が変わった当たりからSFロボットアニメは定番タイトルの続編が少なく新タイトルもろくなヒットが出てこなかった、ということになる。
はてな民からのコメントに、「企業が興味を示さなくなったから」というのがあったが、これは結果と原因を取り違えている。企業側の主導で消費のトレンドを作るのは電気製品などではよくあるが、アニメのトレンドは消費者が主で企業が従、がこれまでの流れだった。重要なのはなぜ消費者が興味を示さなくなったかだ。
それは「21世紀の現代に適応できた新しいSFロボットアニメ像を提示できていないから」。繰り返しになるが、やはりこれが一番大きいと私は思う。「ロボが出てくる未来のおはなし」だけではもう飽きた、というわけだ。前回のエントリに対し、別のはてな民も『電脳コイル/ゼーガペイン見たときに思ったのが「これ、ロボアニメである意味あるか?」だったなぁ』と回顧している。SF的な未来世界の中に「巨大な人型ロボット」の存在は間違いなく時代遅れになりつつある。
実際、ストーリーはすでに出尽くされ感がある。たとえば、
14歳の少年・早瀬浩一は、ある日“事故”により、少女と出会い、巨大人型メカ「ラインバレル」を手に入れた。何も出来ず、正義に憧れているだけだった少年の周りは、彼が圧倒的な力を手に入れたことでめまぐるしく動き始める。新しい仲間と出会い、友人と別れ、守るものを背負い、自らを囲む世界と向き合い、やがて少年は成長してゆく。
これは2008年に放送された「鉄のラインバレル」のストーリー紹介だが、これにたいして海外の掲示板にすら「俺たちは同じようなアニメを幾つもみてきたんだよ!」って放送当初からキレていた人がいた。
設定や描写も現代では通用しなくなっている。空気のない宇宙でバキュンバキュンする銃撃戦は15年前までならOKだったが、今そんなことやったら恥ずかしくて目も当てられない。ネットでも炎上する。それと、お互いを「○○少尉」とか軍隊風の呼称で呼ぶことも、あのコクピット内の絵面(ごちゃごちゃした巨大なマッサージチェアみたいなところに腰かけて膝の横辺りにある操縦桿を握る)もそう。そもそも2足歩行があれだけ一般的な形式であり続ける工学的な理由は何?陸上を移動するならば足よりも車輪の方が機能的じゃね、と外人でなくてもそうツッコミたくなる。
もっと根本的に、少なくとも目の肥えた「大きなお友達」にとってはSFの持っていた神通力が衰退したことも大きい。前回のブクマコメントにあったように、SFはかつてテクノロジーの未来を提示する役割を果たしていたけど、今やSFにその力はなくなってしまった。小さな通信端末はもちろん、ファーストガンダムでアムロがいじくっていた電子書籍端末も今年Ipadが出てきた。20世紀にワクワクしていた未来技術の世界は、21世紀の今になって確実にワクワクできなくなっている。深刻なのはそれを21世紀の私たちがワクワクできるような形に上手くリニューアルできていないことだ。「SFロボットアニメがどうこうより科学の発展に大した希望をもたなくなった」という悲観的なコメントもあった。
だから結局、オーソドックスなSFロボットアニメが受入れられなくなってきたから、今はなんとかして新しいそれに代替するSFのあり方というか表現方法を模索してる、という段階なのだと思う。1つの流れとしては、『プラテネス』みたいな、自分と割と身近な人が宇宙に行って、みたいな話だ。ロボットなんてシロモノをあえて登場させず現実的な想像力で捉えられる範囲で、人間同士の関係を描写する。もう1つの流れは、SFロボットアニメの突飛さをあえて逆手にとり、腐女子的な暴走ノリを表す手段として借用する流れだ。ちょうど「コードギアス」がそれをやって大いに受けたし、近々放送される銀河美少年のやつもおそらくその形だと思う。「ガンダム00」?あれは本来やるべきワクワクするような未来世界を提示できずに単純な現代の延長でお茶を濁した失敗作であり、SFアニメの屈服だ。
歯並びが悪い
金運グッズを身につけている
クレジットカードを必要以上にたくさん持っている
銀行口座を必要以上にたくさん作っている
ローンを組みたがる
ブランド品を好んで身につける
今は女と付き合えるような状態じゃないとかもう少し余裕が出ないと彼女とか作れないとか思ってる奴いるだろ?
逆だよ逆。そういう時だから一緒にいる女を作るんだよ。
なんかもやっとする。
なんだか嫌な感じがしますねえ。
私は疲れました。
日本語はtexとlyxを用意しています。htmlはちょっと不完全ですね。
Sourceにあるので、拡張子を.tar.gzに変更してから展開して下さい。
Other formats http://arxiv.org/format/1008.2247v4
Source http://arxiv.org/e-print/1008.2247v4
P != NP (PvsNP)の証明ですけど、8月ぐらいに話題になったものとは異なります。
より洗練・汎用・簡易になっているかと思います。
こういう人達って、ありのままって感覚が理解できないんだろう。
結局他人の目が気になってしょうがないわけだから。そこから抜け出すために、成功者として「勝手に」考えてる像に自分を近づけて「変革」するんだけど、それで変わったって思える浅はかさに驚く。
脱オタするには理由があるわけで、脱オタする人、したい人に肯定的な理由なんてないんだよね。
彼らはオタクの持つ負のイメージから逃げたがってるだけだから。逃げた先にあるものが自分を救ってくれるという思い込みから抜け出せない。宗教みたいなもの。
嫌なら早く離れた方が良いんじゃないかな。