はてなキーワード: 裁量とは
消費税を下げて、法人税、累進所得税を下げたほうがいいというフラット税制志向は、新自由主義ゆえの結果だよ。
まず1930年代の世界恐慌で政府が何もしないほうがいいという自由主義は解を持たなかった。
大規模経済危機を迎えると、企業は金をためこみ設備研究投資をしなくなり、さらに景気が悪くなるという悪循環。
解を持つ英雄を求め、ドイツはヒトラー、日本は軍部が解だと思って暴走して戦争に至った。
そこでケインズが一般理論を発表した。政府が金融、財政、税制で金の循環を整えるという考え。軽いインフレを維持すれば経済は良くなると。
それで経済は順調に行き始めていたが、1970年代オイルショックや一部の国の経常赤字化で、「インフレだが不景気」という状態が生まれた。原因を仔細に見れば、資源不足や、産業劣化で外貨・金流出や外貨借金が増えた供給不足の問題ではある。
ケインズ主義だと政府は大きくなりやすい。政府が何もしないほうが良いという考えで、自由主義が復活した。それが故の小さな政府化とフラット税制志向。
経済は過去の貯蓄の取り崩しを含めて、資金調達しての支出を初項、収入のうち消費の比率を公比とした等比数列の和なんだわ。
資金調達しての支出は投資とも言われてるんだけど、設備研究投資に紐付いていない金融投資は貯蓄な。
だけど、設備研究投資に紐付いていない金融投資、平均消費性向以下の富裕層、そして、保身で資金余剰局面にある企業のフリーハンドの減税は公比を下げて景気を落とす。設備研究投資や消費など使った場合限定の減税は良いが。
日本では1990年バブル崩壊を迎えたが、大規模経済危機を迎えた後の停滞に自由主義が解を持たないというのは変わらず、それでいて消費税を上げて金を貯め込むところをバカバカ減税をした。
だけど、政府の裁量が働かないから理想的だという考えで、消費税を上げて、所得税、法人税を下げてきたんだよ。
1970年のような供給由来インフレを防ぎつつ、正しく金の循環を整えないとならない。無論使ったら増税の消費税は最悪の税制だからなくすべき。
https://anond.hatelabo.jp/20210228234557
を読みました。上の記事の方とは別人ですが、同業者として色々と思う所があったので書きます。初めての増田です。
自分を勝ち組とは思っていませんが、年齢や職位などはこの記事を書いた方と似ています。ただ、多分私の方が少し年上です。
各所で反響があったようですが、基本的には過酷な労働環境で頑張る若手教員、すごいな、頑張っているな、というような反応が多かったように思います。私も他人事として記事を読んでそう思ったのですが、ふと自分のことを振り返ると決して自分の労働環境が過酷とは感じておらず、大変幸せな日々を送れているなと思いました。大学教員のような仕事に対してよくあるイメージとして、好きなことをやっているのだがら、異常な労働時間も苦にせずに働く、といったようなものがあるかと思います。しかしながら、私の幸せというのはそういったものではなく、むしろ大学教員の裁量を最大限使うことでワークライフバランスを保ちながら、学生と刺激的な議論ができ、たまに面白い発見もありといった具合に割とゆるく楽しむといった感じです。こういったケースはレアかもしれませんので、私の大学教員ライフを共有できればと思います。
元記事の方も書かれているように、大学(院)教員として研究室やゼミでの学生指導は最も重要な仕事だと思います。が、私は1人あたりにかける時間としては元記事の方の1/2 - 1/3程度です。基本的には配属時に時間をかけて研究ゴールの共有と中長期のスケジューリングをして、あとは学生におまかせです。人前で発表したりする訓練は当然必要なので、週0.5時間程度/人ミーティングで発表してもらいます。もちろん、学生から議論したいと言ってきた場合はこの限りではありません。そのときには、なるべく少ない時間で議論の成果を増やすために、分からない事がある場合はなんでもいいので自分の仮説を持ってくること、をゆるやかに要求しています。そうでない場合は、「とりあえず2,3日考えてみて、俺も考えとくから、あとで答え合わせしよ」てな感じで一旦追い払います。2-3日後に答えが出なかったらその場で一緒に考えます。ちなみに、私は学生といろいろお喋りするのは好きなので、この部分が多少増えても苦痛ではないのですが、お互いの効率を考えてこのくらいの配分にしています。投稿論文を書くときはある程度時間を使って一緒に書きます。
このあたりは大学や学科依存で若手教員の負担がかなり違う部分だと思います。平均的な実負担時間でいうと私は元記事の方の1/5程度です。
私の学科では単純に教員の数が比較的多く、負担が少ないといった部分があるとは思います。ただ、学生実験に関しては、技官さんやTAと打ち合わせをしっかりして、学生実験の数ある業務(設営、実験前の講義、実験中の巡回、試問、採点などなど)のうち、どの部分が教員にしか出来なくて、どの部分は技官、TA、学生に担当してもらえるかはいま一度考えてみるといいかもしれません。意味もなく教員が実験室で巡回するといった無駄があるならばそれをへらす努力は必要(だが多くの学科でされていない)だと思います。
このあたりは同程度です(週3h程度)。好きではないですが、気晴らしと思えばそんなに苦ではありません。また、自分以外(秘書さん、大学事務、学生)にふれると思った仕事はどんどんふっていきます。例えばオープンキャンパスの運営が例にあがっていましたが、こういった毎年殆ど同じ内容の仕事(上の学生実験も実はそう)は、マニュアル化して多少のバイト代さえ工面できれば、自分で動く時間はだいぶ減らせます。
この仕事を苦にしないために、アブストをよく読んで1.本当に読みたい論文である場合 2.自分の専門に合致しており容易に論文の価値を判断できる場合 のどちらかに当てはまる場合以外は断るようにしています。1であればどうせ後々読む論文を先取りできてラッキーですし、2の場合は4-5時間くらいで査読レポートまで書き終えられるので、締切直前にぱぱっと終わらせます。月2くらいのペースなので、時間的には元記事の方の半分くらいです。この一年は皆引きこもって論文を書いていたからか、依頼がめちゃくちゃ増えました。査読をするといかにも科学コミュニティに貢献しているといった気分にはなるのですが、一方で、査読する価値もないゴミ論文も相当数投稿されるので、そういったものはしっかり査読する前に断るようにしています。
科研費はもちろん、プロジェクト型予算、色々な財団の助成金をとにかく出せるものはすべて出します。結局お金があると、秘書さんを雇えたり、学生にバイト代を出せたり、研究にしても既に新規性のない開発部分は外注したりと、かなり自分の時間を買えるので、ここは力を入れてやっています。募集が沢山ある時期は一日中申請書を書いているときもあります。
基本、断っています。個人的な感想ですが、研究者の数は増えないのに年寄り(に限らず若手の会みたいのも沢山あって困りものなのですが)の同窓会のような学会が増えて、お互いに何が違うのかも分からない研究会が乱立しているような印象を受けています。私も以前は参加していたのですが、そういう学会に行って懇親会なんかがあると、決まって皆大学事務の悪口や、如何に大学での雑務が忙しいかで盛り上がります。私達が今参加しているまさにこの会こそ意味の薄いものなのではないかと考えるようになり、基本的には学会には参加しないようになりました。
さて、残りの時間で自分の研究です。上の項目はあくまで平均であって時期によって忙しさが違うので、何週間も自分の研究が進まないこともありますが、逆にどかっと時間があいて没頭できることもあるので、無理せずに自分のペース進めています(それを可能にするためには、極端な競争になりにくい研究テーマを設定するなど、それなりに考えてやる必要はあると思います)。
随分な長文になってしまいました。自分の周りの若手助教の先生なんかを見ていても思うのですが、どうも大学教員は忙しい!雑務多い!それでいて待遇ひどい!学生は使えない!といったような思い込みに縛られている人が多いのではないかと感じます。過酷な環境で業務をこなすスーパーエリートってな感じでやっていくのも悪くないですが、現場でできる効率化をどんどん進めて、ゆるふわハッピーに研究をするっていうのもアリなのではないかと思う今日この頃です。今年度からは科研費等の研究費を一部自分の給料にあてることも出来るようになり、大学教員の待遇は良くなってきている部分もあります(予算とれば給料ふえる)。個人的には、大学教員は自分が研究を好きという点を差し引いても十分魅力的な仕事で、若者にすすめられる仕事です。
銀行という会社では、所詮誰が部長をやろうが役員をやろうが一緒
なぜなら、そもそもの業務が規制でがんじがらめになっているし、大半の仕事は長い年月をかけてマニュアル化され整備されてしまっている
そんな組織では所属長の裁量なんてあまり必要ではなく、ようは知識と基礎力さえあればこなせてしまう
その上、新卒採用では俗にいう良い大学を卒業した記憶力の良い若者を大量に採用するわけだ
残念ながらちょっと違ってくる
保守・運用はともかく、開発になるとデザイン力(UIとかの見た目ではなく、アーキテクトとしての広義のシステムの設計力)が必要になって、こうなると誰でも持っている知識やスキルでは追い付かなくなる
それにITの世界は変化も激しいのでマニュアル化は追いつかず、どうしても後手になる
そんなシステムの世界に、銀行流の「要は誰でも良い、人当たりが良くて、上の言う事聞く奴を引き上げていれば、問題ない」という人事をやるとどうなるか
それこそ表に出るのは10年おきだろうけど、日々細かい歪が溜まっていく
銀行系システム系会社がいつまでたっても、証券や商社系のシステム会社に追いつけないどころか、まったくかなわないのもそういうこと
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210225/k10012885111000.html
>>>>ただ、パーマや染色の禁止までは必要ないと思う。まして、身体的な特徴を申告させる地毛証明書はプライバシーの侵害で、個人情報を不必要に集める行き過ぎた指導だ
ということらしい。
ところで頭髪関連の訴訟でこんなのが出てる。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOHC10AFC0Q1A210C2000000/
で
>>>その上で、教師らの頭髪指導の妥当性について検討。「教員らは生徒の生来の頭髪の色が黒だと合理的な根拠に基づいて認識し、頭髪指導を行っていた。教育的指導における裁量の範囲を逸脱した違法があったとはいえない」と違法性を否定した。
とあるから、現状黒染め指導は「適法」なんだと思うけどそれを「人権問題」とするのがよくわからないのですが...
で基本生徒は都合のいい嘘をつくので「あなたは髪染めてるでしょ!」「地毛です」というやり取りをしないために地毛証明書を出すのは人権侵害とは程遠いと思うのですが。
地毛かどうかが指導の分かれ道だから、地毛であるという証明書を求めることは普通のことじゃないのか。
一部でこの問題が肝炎訴訟、過払い金に続く新しい弁護士殿の「飯のタネ」にしようとしているという指摘があった。地裁レベルだけど現状「適法」と判決が出ているだけどね。
それはそうだろうけども「1時間」という数字を出しちゃうのはあかんのよ。
あくまでも「自分でやり過ぎないようにコントロール(自制)できること」が目的であり大事なわけで、時間制限は手段の1つにすぎず、それを公的なルールに定めるのはダメなんだよ。
その目的を実現できるのであれば「時間制限を設けない」ことも許容される必要がある。
「ゲームを規制する」ではなく「良い行為(約束の時刻までに就寝するなど)に報酬を与える」というやり方もあるし、「どの手段を使うか」はそれぞれの家庭の裁量なので介入していいことではない。
なかまをふやすためにいじめをしたり敵をつくって反抗したり悪態をついたりするけどいじめられる側ってなかまをふやそうとも問題を解決するための努力をしようともしていないようにみえるけどいじめられる側になにも非がないとしてなにも対策を講じないのはいじめが悪いことだと言っているかとるに足らない事だとしているのとかわらないのでは?
問題をまず問題だとするのに自分がうけているいじめをともに不快だと感じてもらうための方策が必要だよね
自分がつらいのとかってどうやれば共感できるのか 共感に関しては男子よりはるかに秀でているといわれる女子のいじめのほうがより陰湿で凄惨なことを考えるといじめで仲間をつくる方法はすでに正解が見つかっているようだけれども「いじめられていることについて問題性を共感する」方法がいまだになにひとつないという証明になっているかもしれない
ということはつまりまずなにより「いじめが悪い事である」ということを解決に向かわせるべくなにより問題であるということと、具体的にどう解決するかを対策すべきなのじゃないかな
「かわいがり」と称して常識出来ではない練習量を課すことがいじめなのかどうか おきもちなんじゃないのってことを本人の限界を第三者が勝手に推し量って無理って言っていいかどうか
無理を繰り返すことで成功した偉人の話はいじめを正当化させかねないから禁止とか
実際いじめにみえる程度に指導しないとどうしようもない性格してたとかしてなかったとか
その人に与えたストレスが将来的に得になるか損になるかを総合的に判断できてしかも予知的な事に補償も用意できる第三者的な組織がそれをいじめだと判定できないと
どのみち個人がそうおもったから助けたとか手をだしたとかしてもあとから考えたら望みをかなえてもらったおかげでいま不足していることや損がでてるということになるかもだよね
ひとりにしといてとかほっといてとかをリーダーにさせたり仲間うちで話題にしたりからんできてうざくてそれっていじめだよっておもってたけど社会にでてから役立つとかあるかもしれないし
逆にほっといてあげたらコミュ障でひきこもって毎日子供部屋からオンラインゲームに常駐してて軍師みたいなアドバイザーになりたいとか言ってるそれって「望みをかなえてもらった」結果なのか疑問だし
傍観してるってのは個人が何人あつまって傍観しててもとめようもないし止めたらいいのか止めないほうがいいのかそれがどの程度悪くてどこまで関係性を突き崩すべきか判断しようがないと思うんだ
ガイドラインとかつくってそれ以上のストレスは与えられるべきでないとしたり 基準値をこえたらどう対処するかを明示していてそこに圧倒的な力量で介入される準備がないと傍観者って何人あつまっても結局傍観者でしかないから最大数の傍観者でいうところの「当事者以外のみんな」が傍観者で しかも無言なら肯定といわれたらもうそれは世界が肯定していることになるのでいってみたらいじめは正当化されてるともいえなくもないよね
ガイドラインがあればね 本人も選択できると思うよ 基準値以上のストレスがないことについて問題を考えるようなら過度なストレスを個人の選択で得られるようにしてもいいと思うし
与えることがいいことだとおもって指導目的でいじめをしている人はいないと思うのでコミュニケーションの達成目標もわかりやすく自己批判を他者に押し付けた鏡像の敵づくりとして行動化してるいじめをほかの目的で共通意識を育むように指導すればいいのだろうし たとえば軍隊的な特訓をなかよしチームに課していじめとかよりも強い団結心を養わせるとか
ガイドラインを作成するにあたっての環境調査でそういうのってわかるかもしんないよね
実際のところわたしたち個人が何人あつまっても政治も世間もかえられないので民主主義っていう同じ意見の人間があつまって10人が10個アイデアを持ち込んだら合計で100のアイデアができてしまうけれども
共通の認識としてお互いがまもりお互いが出し合ってお互いが守り合うというコミュニケーションが生まれるところのまずゼロポイントともいえる最初のあるべきあたりまえの多数決、10人のアイデアのうちの共通している
一つを一つのルールとして、段階的にほかの各のこり9アイデアの優先順位と譲歩内容をくみ上げていくべきなんじゃないの?
一個人が不快だといったから、権利を違反しているといったから、人権ひとつが10の平均よりも重いといきなり判別してなんでも言ったもの勝ちにしているとそれこそ
「いじめをうけている人間がいじめられているっていわないから、そんなの存在しないことになってしまってる」傍観者も存在しないし傍観者が個人の裁量でいいと思っていることを行うと
それ自体がいじめかもしれない あとからいじめだっていってもおかしくないと考えることもできるとかいうことになりえるんじゃないのかな
最終的におもったことまとめると
・個人がそれぞれ大きく声をはりあげたり、声のでかい人がまわりを巻き込んでそういう状況を局所的につくったとしても、そこだけの正義とかそこだけの悪とか判断してもそれはその局所的でのみ言えることで「いじめ」だとかそういう広義の単語の意味合いについてなんら影響するものではい
・環境を構成する個人たちが団体として行動をする指針をとりきめ、それを介入させる条件を作成し行動しないと意味ないのでは 意味ないってつまり言っても無駄だしやろうと個人でとりくんだところでそれが救済になるのか迷惑行為になってしまうのかもしかしたらいじめそのものであるかもしれない
・そういうとこから 意見があるなら意見を出すってだけはいじめとか迷惑行為そのものとかわらんし 悪い事をみつけて問題だと思ったり言い事だと考えて行動したいときにはまず「団体をつくろう」という行動に出るべきなんじゃない?
ってこと思いました
菅首相の息子、東北新社社員の菅正剛氏が総務省幹部官僚を高額接待したとして国会で集中論議されている。追及する野党議員はかつての大蔵省官僚接待汚職事(いわゆるノーパンしゃぶしゃぶ)件以来だと糾弾する。週間文春記事には秋本芳徳・情報流通行政局長が菅正剛とみられる男性から賄賂を受け取り頭を下げられ見送られている姿の写真が掲載され、あろうことか録音された会話内容が公開された。これにより、秋本局長は虚偽答弁の疑いが強まりNHKにおいても全国ニュースで再三これが取り上げられている。また内閣広報官の山田真貴子氏も高額接待がなされた。山田真貴子氏といえば、NHKのニュース番組にて菅首相に日本学術会議の任命拒否問題について明確な説明を求めた件について、電話にて圧力をかけた疑いが報道されている。
私はある基礎科学分野に従事するいわゆる任期付き研究者である。基礎的な学問は社会にとって役に立たないとされ、安倍・菅政権下では徹底的に蔑ろにされてきた。大学では裁量にゆとりのある国交金を急速に減額させられており、競争力のない大学は弱体化の一途をたどり、就職支援学校となり下がった。大学の経営に竹中平蔵のような政権与党のお友達も浸み入ってきた。菅首相は国会にて大学研究者による"国会"ともよべる日本学術会議を既得権益と糾弾した。このように書くと、アンチ自民のように思われるが、私は世代的にはちょうど民主党政権下で行われた事業仕分けによって、危うく大幅予算削減にあいかけた日本学術振興会にて特別研究員として従事していたこともあり、その流れをくむ立憲民主や国民民主は支持できない。維新・ファーストは論外。いわゆる任期付き研究者の救済指針を明確にし、また露頭に迷う高学歴ワーキングプアを大量輩出した大学院重点化を失策として反省する旨を述べている日本共産党を支持する。党員ではない。国会中継はいつも見ている。支持政党を宣言できるのは現実・インターネット含めておそらくはてなアノニマスダイアリーだけであり、感謝申し上げたい。
以下は個人的な分析に基づくものである。ほぼ無根拠に等しく随筆に過ぎない点を詫びたい。また全くまとめるつもりもなくとりとめもなく書いている。
安倍・菅を支持せざるを得ない人とはどのような人たちか。(1) 政府系予算にてほぼ直接首をつながれ自民党を支持せざるを得ない人々、(2) アベノミクスによって益を得た大企業・あるいは傘下企業に就職した人々・あるいはその親族・配偶者、(3) カルト的に安倍・菅なるものを狂信する信者、である。
(1) には学校や役所など税金によって経営されている機関に勤める非正規雇用職員が多数含まれる。たとえば学校であれば常勤・非常勤講師、役所であれば派遣委託金も税金から。そして私のような大学に勤める任期付き教員、ここでは他にも触れられない多数の人たちもいる。
(2) 大学はもはや多数学生にとっては就職予備校に過ぎず、3年生になればインターンに参加するのはもはや常識と化している。学生が卒論や修論にかける時間など研究室に配属された全体の時間からすればほんの一部に過ぎない。実験やフィールドワークが重要な分野にとっては学生の研究活動・成果は重要な資源であり、全く無視することなどできない。リーマンショックにて極端に就職率が下がった時代に大学院に一時避難しその後企業の状況が良好となり一般就職した優秀な学生も多くいた。彼らが研究室・分野に残したレガシーは未だ活用されているし、彼らの中には今戻ってきても通用するであろう人もいまだ多数いると思っている。あれ以降、そのような時代は訪れていない。もしかしたら、新型コロナで不況になってしまった今、再び大学院は一時避難先となるかもしれないが。
アカデミックに身を置く私から見れば、安倍・菅はどうやら学問というか大学に対してコンプレックスというか憎しみに近いような感情を抱いている点はもはや間違いないだろうということが推察される(安倍氏はかつての家庭教師や大学時代の恩師からもダメ出しされている。)。非常に優秀な人たちが何だかよくわからないこと(基礎的な学問)にエネルギーを費やすことが無駄にしか見えないのかもしれない。こうした感情は多くの国民がシンパシーを感じているという点は見逃せない。日本学術会議の任命拒否問題はこれまで国会が定めてきた法の解釈に反するという一点が本質であるにも関わらず、問題は菅によってすり替えられた。つまり、学術会議の在り方に問題があると指摘し(既得権益だそうだ)、これになんと国民の半数以上がそうだと思っているとの世論調査が出た。(問題のすり替えという点が実にアンチアカデミックらしい思考だという皮肉も込めたい。)(ところで、全く非論理的あるいは違法ともいえる手段は安倍・菅政権で何度も取られてきた。安倍氏が自身の公職選挙法・政治資金規正法違反による逮捕を恐れ、当時の鑑定の守護神でもあった東京地検検事長黒川氏を違法に定年延長させようとしたのもそうだ。)
国民には学問が何か役に立つものだとは信じている人はそれほど多くないのが実情である。そんな20年も30年も時間をかけなければ芽が出るかもわからないことに税金を費やすくらいなら苦しい自分たちを救ってほしいのである。これが実情。だからアベノミクスのおかげで就職できたお子さんを持つ親御さんや祖父母さんは安倍を支持せざるを得ないだろう。個人的には東日本大震災のような日本に深刻なダメージを与えた地震や津波といったことを研究しているような地質学・地震学・あるいは地球流体といった分野や、ここ毎年のように繰り返される豪雨や台風による被害を予見するための気象学といった分野に、ごく少数の研究者しかかかわっておらず、むしろ次から次へと研究室が畳まれている深刻な事態に誰も何も言わない(言えない)ということに、絶望以外の感情が持てないというのが率直なところである。あるNHK特番で東北を襲った過去の津波から教訓を得ようとする名誉教授の先生が自らフィールドワークで沿岸を歩いて地層を見ていると聞いたときは膝から崩れるような思いになった。(当然だが津波や地震の研究者がいないわけではないと思っている。)これらの分野は地学の1分野とされ、役に立たない理学の一分野とされている。国民の大多数がこんな見方だろう。これ程に基礎学問を蔑ろにする政権がイノベーションだの科学技術立国などのたまうのだから滑稽極まりない(ちなみに私はもっと無駄であろう分野の研究者である)。いずれにせよ、大学院博士課程で教育を受け学位をディフェンド(審査だから自分の主張を守るのだそうだ)することが一流企業に就職する最低ラインと正しく認識されているアメリカ合衆国・ヨーロッパ・中国や台湾には追いつくことは二度とないだろう。一生彼らが最先端で開発するスマートフォンなどの端末やウェブ技術を使い続ければよいと思う。自動車だけが最後の砦になるのだろう。それもいつ世界の最先端から取りこぼされるのか。
トランプ政権の4年で良心を失ったことを顧み、バイデンを選んだアメリカが心底羨ましい。強いネガティブを避けるためにバイデンが選ばれた、という向きも否定できないが。やはり自分たちでリベラル(自由と平等)を勝ち取るという気概は失われていないと感じた。そしてアメリカのリベラルには非常に豊富な経験がある。この点が日本とは大きく異なる。日本が自民党を拒むときは、いつも不況だった。バブル崩壊後・リーマンショック。そして新型コロナでも非常に怪しいわけだが。このような積極的でない背景による政権交代しかなく、自分でドライブする準備が出来ていない野党が突然与党になってもなかなかしんどいのである。民主党政権はうまくいったとは言えない。国民も自分たちでリベラル的なものを獲得してやろう、という気概は持てないのである。何より、経済的・精神的にゆとりが持てず、いつ派遣先から切られるかもしれない恐怖と不安、巨大な大企業に庇護されているという虚栄ともいえる安心感が強く、社会全体を根幹から支えようとか社会的弱者や虐げられてきた人たちに目を向けようとか、つまり社会福祉や学問・教育に社会として注力して、たとえ遠回りであっても国全体の再生を目指そう、という気にはなれないのである。自分には介護対象の親や祖父母がいるから、とか女性であるとか、小さな子どもがいるとか、それらと家庭の経済状況を計りにかけている人もいなくはないだろうが。なにせ、かくゆう私も任期付きでいつ首を切られるかわからない立場である。そんな者が来年度予算の財源を握る政権与党を支持しないで大丈夫なのか、と思われそうだが、全くの事実。実は私も政権与党に首根っこをつかまれている人間の一人に過ぎない。だが、ここは増田。私がどこの誰かなど特定することもできない。だから、これから数十年先の日本が絶望的状況でしかないと言っているのだ。目を覚ませ、国民よ。
経済は過去の貯蓄の取り崩しを含めて資金調達しての支出を初項、収入のうち消費の比率(消費性向)を公比とした等比数列の和。
この公比にがっつりと効くのが消費税。経済にとって最悪の税金。
なお、資金調達しての支出は投資とも言われるが、設備研究投資に紐付いていない金融投資は貯蓄。
また、所得階層により、消費性向は変化する。貧乏人は収入ほぼ全てが消費に変わる。富裕層は収入の一部しか消費に回らない。
企業は景気によって設備研究投資が変わる。景気が良いときには資金不足側になり、景気を上げる。景気が悪いときには資金余剰側になり景気を下げる。
設備研究投資に紐付いていない金融投資、平均消費性向以下の富裕層、資金余剰の企業の減税は、貯蓄を増やし、公比を下げ、景気を下げるんだよ。
税制は景気と密接に関わっている。また、状況によって減税が景気に良い影響を与えるか悪い影響を与えるかは変わる。
消費税増税、企業が資金余剰側の状態での法人税減税はまさに悪い影響を与える税制。だが、新自由主義のもとでは政府の裁量がないから良いのだと。そんな税制を30年続けてきたから不景気になったの。
それから、消費税がない時代というのは1989年以前であって、まさに一人あたりGDPが世界2位、世界トップシェア産業をいくつも抱えていて、トップ1%被引用論文を大量に出していて、日本が強かった時代だよ。
間違いなく消費税が日本を貧しく、衰退させた。そして、産業劣化が続き外貨借金が増えればこそ、輸入困難によるハイパーインフレと、通貨安からの外貨借金の急増による財政破綻が起きる。
わかる。超わかる。
でも、俺バカだからさ、周りには話し合わせて「マネージャーなんてやりたくないけど、給料上げるにはそれしかないよね。」とか言ってたけど、ちょっとやってみたかったんだよね。昔からそういうとこある。サークルの幹部にもやりたいなと思ってたけど実際やってみて後悔した。
会社のマネジャー職も、なってみたらマジで辞めたい。でも一旦もらってしまったら4万円/月の手当でもなくなると困ってしまう。子供達もそろそろ塾とか…
妻は専業主婦。働いてくれない。家事も万全とは言えない。専業主婦なら分業なんだから全部やってほしいし無理なら働いてほしい。妻には特別な学歴や職歴があったわけでもないし、俺がお願いして専業主婦になってもらったわけでもない。「子供ができたわけでもないのに仕事は辞めないでほしい。」ってお願いしたのに、まだ俺も低賃金だったのに専業主婦になってしまった人。子供がいない頃は短期間パートはしてたっけ。
会社の同階層の人達は、みんな揃って「マネジャーやりたくない。できることなら辞めたい。自分たちが心底そう思っているから部下でマネジャーやりたがるやつはいない。」って言ってる。たまに俺みたいなバカが現れても、しばらくすると現実を知って辞めたくなるし鬱になる率が滅茶苦茶高い。
裁量なんてないのに責任だけ放り投げられて、現場からの苦情と上司からの丸投げの板挟み。ただ、上司がひたすらに無能なのかと言うと、上司は上司で結局は中間管理職でしかない。よく働いているとは思うよ。大嫌いだけどな。信頼はしていない。偉そうなヤツは全員嫌いなんだよ。
まだ歴史のない若い会社で、長くいる人間の待遇を上げないとみんな辞めてしまうから、手当をつけるために階層を増やしたのよ。
でも、新設された中間管理職に昇格してその仕事だけをするわけじゃなく、グループ長的な今までの職務は兼務なのよ。どう頑張ったってプレイ9:マネジメント1くらいしか時間は取れない。そんで自分のグループと動き方が違うところこマネジャーにさせられるんだから、そりゃ残業や休日出勤になるさ。そんで監査で詰められるからサビ残になるじゃん。最悪だよ。東芝のチャレンジと同じ。1人の社員に何重もの仕事と責任を押し付けて、どう考えても無理なのに残業時間は削れとプレッシャーかけられて、サビ残がバレたら懲戒ですよ。
仕事でも家事でも、作業のあらゆる手順を伝えてそのとおりやってもらうっていうのは現実的に無理だ。
だからどうしても、細かい部分は指示不足になるし、そこは作業者の裁量でやるしかない。
もちろん全体の方向性を決めるような大きな部分で指示が足りていなければ、作業者も質問を返すべきだが、右からやるか左からやるかみたいな話をいちいち確認しながら行うのは合理的じゃなかろう。
もし、指示者が右からやることにかけて並々ならぬ拘りを持っているのなら、きちんとそこは指示に含めなければならない。
指示が不足していたら、そこは作業者の裁量に委託したも同然なのだから、作業者が左からやったことに対して怒ってはいけない。
せいぜい、次からは右からやって、と伝えるくらいだが、それも次回の作業に確実に反映されることを期待するのは筋が良くない。
最も良いのは指示者がそういった細かい拘りを捨てることだ。
それが許容できないなら、許容できない部分は毎回指示に含めるべきなのだ。
増産のための補助金は「事後の裁量」ではないでしょうか?むしろ、裁量で支出をすることを決めたからこそ増産は早くできたように見えますが。
増産のための補助金がないほうが増産が早くできたとでも?コロナが去ればマスク増産のための設備は無駄になるかもしれないのに?
裁量のやり方こそが問題であって、裁量がないというものの方が増産に時間がかかりますね。
あと
そんなものより、大規模経済危機を迎えると企業が保身に入って金を貯め込み設備研究投資をしないところを放置して不景気温存と産業劣化を招くこと。
これなんで無視するんだよ。これが新自由主義の致命的な欠点だと思ってるんだが。
また、とくに税制で消費税増税を叫び、フリーハンドで法人税減税、累進所得税減税をしようとすることも欠点だな。具体的に支出に使った分のみ減税のみで、貯め込んだら増税にするべきだ。
それから、新自由主義は事前の準備も否定しますよ。なぜなら、事前の準備というのは起きるか起きないかわからないものだから。まさに水害に対してのダムに対して石を投げまくったことだね。
うんだから、新自由主義の小泉政権ですら八ッ場ダムは推進したよね。
マスクの例についても政府がアベノマスクを作って配るなんて言ってもあんな物全然足りなかったし、不織布マスクの設備投資をしての増産は続けられてたな。
そう、今の日本みたいに事後の裁量があると、実際は供給不足が起こるし、増産には時間がかかる。
そう新自由主義の人たちは主張しているな。なんで君がそれを主張してるのかは理解に苦しむが。
企業がリスクを取れるところと、企業がリスクを穫れず政府がやらざるを得ない所があり、後者は確実に存在するということを無視することが新自由主義の重大なの欠点だという話だな。
だから優先順位があるというなら、「MMTを財源に子育て支援!」なる妄言には反対しないといけないよね。
それと、
これは間違いね。新自由主義が否定してるのは「事後の裁量」だから、事前に準備することは否定していない。
小泉政権ですら約200日分の石油備蓄を否定しようとなんてしてない。
新自由主義者が主張してるのは「事後の裁量」があると、それを頼って民間が十分に設備投資をしないと主張している。
例えば君の言うマスクの例でいえば、もし政府が事後にマスクを配るかもしれないと思えば民間企業は設備投資なんてしなう。売れないから。
ただし実際にマスクが配布できるかわからないから、政府が配布できなかったら深刻なマスク不足が発生する。
スタグフレーションは供給由来インフレってのはそうだし、起きてしまった後にはケインズ主義/MMTでもどうしようもない。
だけど、新自由主義は、政府の裁量を否定するから、政府が事前に供給不足に備えて金をかけて準備をしたりしない。また、一度大規模経済危機を迎えたら、企業が保身化して金を貯め込み設備研究投資をしなくなるから、これも事前に準備をしない。
供給不足インフレっていわば、マスク不足による高騰だとか、コロナでコロナ病棟不足やPCR検査不足だよ。マスク不足は一度高騰した後多くの業者が参入して供給を増やして値段が下がった。だけど、まず高騰して儲かる状態が必要。
また、PCR検査も一度高騰して多くの業者が乱入して確かに増えたが、必要な医師の報告もしないから役に立たない。
コロナ病棟なんか一つの病床作るのに1000万クラスとかだからな。自由診療だと一晩100万クラスの治療費取らんとやってられんって。ただでさえ不足している医師を駆り立てないとならないのと、コロナが終われば病床が無駄になるから、一晩1000万円必要かもな。
だから、稀だが重大な供給不足に備えるのは政府しかできないんだよ。だから、政府が何をして何をしないというのは永久に人類の課題ではあるだろう。だが、必要な投資は政府がする必要がある。
経済は過去の貯蓄の取り崩しを含めて資金調達をしての支出を初項、収入のうち消費の占める割合(消費性向)を公比とした等比数列の和。
なお、資金調達しての支出は投資とも言われるが、設備研究投資に貢献してない金融投資は貯蓄。
なので、設備研究投資に紐付いていない金融投資、平均消費性向以下の富裕層、そして、大規模経済危機後、金を貯め込み設備研究投資をしない企業のフリーハンドの減税は金を貯め込み、景気を落とすのだよ。
具体的に使ったものだけの減税であれば望ましいがな。
それでも「政府が何もしないのが望ましい」「政府の裁量が良くない」と、富裕層、企業のフリーハンドの減税、そして消費税増税をするというのも新自由主義ゆえであり、それ故に経済を低迷させる。
それから、労働賃金は、人の奪い合いで上昇します。今看護師が奪い合いで月収120万円の案件が出るみたいにな。人の奪い合いというのは労働需要が高いということ、ひいては軽いインフレで景気が良いこと。
それを無視して「政府が何もしないないのが望ましい」と新自由主義では不景気と相まって労働者はどんどんゴミクズのように使い捨てられるようになる。不景気で解雇規制を緩めることは労働者の賃金低下とブラック企業蔓延につながる。
これもまず景気を良くし、外国人労働者のような労働供給を増やす政策をするなというのが解になる。無論技能研究生のような世界の恥の奴隷制度は終わらせるべき。
新自由主義は「政府が何もしないのが理想的」という考え。政府の裁量が良くないというのだから成果の見えないこと全般。特に科学技術投資を嫌うのだよ。だから自民党でも民主党でもボロボロにされてきた。
売上までの期間と費用が読めるような技術じゃないと嫌うから。無駄遣いなんですと。
まず新自由主義を否定して財政出動を願う政党じゃないと未来はないと思いますな。その上でどのような財政出動が良いかという話。
自民党は言うまでもない。立憲民主党は隠れ新自由主義者が野田とか安住とか多いし「政府の批判をし尽くせば政権を取れる」みたいな感じで無為無策ゆえの実質新自由主義。
むしろ、法人税を下げてるのは新自由主義側でしょ。政府の裁量的な政策がないのが理想的だというものだから。
MMTはケインズ主義の流れをくむもので、不景気であれば、政府が、金融、財政、税制で調整せよと言う立場だから不景気なら財政出動をする。
といっても、オイルショックや、産業衰退から経常赤字化、外貨借金による輸入不可という供給由来のインフレがある。だから、政府の基礎萌芽研究投資と、企業の設備研究投資の増加で供給を強く維持しないとならない。
なお、新自由主義は政府の緊縮による基礎萌芽研究の崩壊と、企業が金を貯め込んで設備研究投資をしないことの放置で、サプライサイドと言いながら、供給を大幅に毀損する。現に日本は時折貿易赤字が出るほど産業が衰退してしまった。
MMTにつながるケインズ主義で、1970年代オイルショックや一部の国が産業が弱まり経常赤字化したことで、「どうしようもないインフレも存在する」「政府の裁量が良くないのではないか?」と言われたことで新自由主義に転じた。
だけど、一部の国が経常赤字化したのは、別の国が産業を強くして経常黒字化したから。
政府が関与したからと言って必ずしも産業が強まるわけじゃない。
だが、新自由主義は不景気だろうが政府が関与しない+不景気だろうが財政均衡が望ましいという考えだと政府の基礎萌芽研究投資の衰退と、企業が保身に入って金を貯め込み設備研究投資をしないことの放置でむしろ産業を弱体化させる。
日本もちらほら貿易赤字が出るまで衰退してしまった。起業だのイノベーションだの、すぐ金をかけずに儲かるやつが他所から来ないかと言うピエロ共がうごめくばかり。
「海外に売れるものを作り続ける」ことにより海外から見ての通貨の価値が維持できる。
それは一朝一夕にはできないし、いざ外貨借金が増えて通貨下落してからのインフレが起きてからでは遅いが、平時から基礎萌芽研究投資と、設備研究投資を誘導することにより海外に売れるものを作り続けることができる。
駄文なので最初にまとめておくと、知識ゼロ異業種から転職して何とかエンジニアとしての人生を始めました、という話。経歴がショボすぎて誰かの道標にすらならないだろうけど書き残しておく。実名で書く勇気はないので増田にて失礼。
PCを初めて触ったのは4歳の頃。
黒くてごついボディが幼心にぐっときたのを覚えている。この記憶があったためか、初めて自分で購入したPCはThinkPadだった。
我が家にインターネット開通。深夜に親が寝てからこっそり2chとニコニコ動画を見ていた。PS2でドラクエ8をやってグラフィックに感動する。まだプログラミングという言葉は知らない。母親のヒステリーと父親の拳骨に耐える日々だった。
地元の高校に進学。友人とホムペ(死語)を作成。html/CSSで文字の色か変えられたりアニメーションをつけられることに気付く。この頃もまだプログラミングに目覚めない。プログラム?理系の人がやるお仕事なんでしょ?という雑な認識であった。
もちろん文系学部に進学。人の視線が怖かったので前を向いて歩けず会話もままならなかったが、制服が可愛いという理由だけでお洒落カフェでバイトを始める。私は阿呆だが、この阿呆さないしは無鉄砲さでエンジニアになったと言っても過言ではない。
新卒入社した会社を3ヶ月で退職。支えてくれる彼くんとかもいなかったので実家でお通夜してた。鬱も発症して薬漬けになった。対面で人と話すことが難しいため、テキストベースで仕事ができる職を探し始める。ここでやっとプログラミングに出会う。
何にせよ無職だから時間は腐るほどある。ヨドバシでカモ丸出しの顔をしてThinkPadを買い、Javaで簡単なアルゴリズムを実装することから始めた。フィボナッチ数列を生成するとかクイックソートを実装するとか。あと5日ぐらいかけてServlet/JSPとMySQLでTODOリストを作った。
2ヶ月ほどJavaをやった頃、無謀にも機械学習に手を出し始める。本を一冊買って隅々まで読み込んだ。この頃から鬱が寛解し始める。プログラミングに夢中になって、1日12時間以上はPCの前に座ってひたすらコードを書いていた。不思議と疲れはなかった。ゲーム用に買ったデスクトップPCにそこそこ良いGPUがついていることが判明したので、Tensorflowでモデルもどきを作り、AI(笑)を組み込んだポートフォリオ用webアプリを3ヶ月かけて作成した。サンプルコードを超える範囲はドキュメントを読む、適宜技術書で知識を補うなどしてなんとかオリジナルと言えるコードをひねり出すこともこの頃覚えたと思う。なお肝心のモデルはチューニングは一切していないわ当然精度も悪いわでその筋の人が見たら鼻で笑うレベルであるが、一人でアプリケーションを作り切ることができたのは大いに自信に繋がった。
ポートフォリオを持って5社ほど受け、うち1社の小さな受託系企業に内定を貰い、無事職にありつくことができた。文系未経験第二新卒を雇う勇気を出してくれた会社には感謝しかない。
会社規模が小さいからか、個人の裁量が大きく、設計から実装、テストまで何でも任せてもらえた。良き上司に恵まれ、主にUnityやスマホアプリの開発を担当し、技術の奥深さ面白さに触れさせてもらった。自身が実装を担当したアプリが世に出ていくことの喜びみたいなものも味わえた。この会社は昨年度退職し、現在は500人規模の自社開発系企業でiOSアプリエンジニアをやっている。スキルは未熟だし対人恐怖的なものも治ってはいないけど、私はプログラミングが好きで、エンジニアとして骨を埋めたいとか身の程知らずにも思っている。
ご覧の通り、私は幼い頃からプログラミングに触れたりモノづくりをしていたわけではない。むしろ目覚めは遅い方である。そういう人でも興味があるなら、ITエンジニア目指してもいいんじゃないか、そうであってくれ、という気持ちで書いた。読んでくれてありがとう。プログラミングはいいぞ。