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はてなキーワード: 鏡像の敵とは

2021-02-25

anond:20210224154916

なかまをふやすためにいじめをしたり敵をつくって反抗したり悪態をついたりするけどいじめられる側ってなかまをふやそうとも問題解決するための努力をしようともしていないようにみえるけどいじめられる側になにも非がないとしてなにも対策を講じないのはいじめが悪いことだと言っているかとるに足らない事だとしているのとかわらないのでは?

問題をまず問題だとするのに自分がうけているいじめをともに不快だと感じてもらうための方策必要だよね

自分がつらいのとかってどうやれば共感できるのか 共感に関しては男子よりはるかに秀でているといわれる女子いじめのほうがより陰湿凄惨なことを考えるといじめで仲間をつくる方法はすでに正解が見つかっているようだけれども「いじめられていることについて問題性を共感する」方法がいまだになにひとつないという証明になっているかもしれない

ということはつまりまずなにより「いじめが悪い事である」ということを解決に向かわせるべくなにより問題であるということと、具体的にどう解決するかを対策すべきなのじゃないか

かわいがり」と称して常識出来ではない練習量を課すことがいじめなのかどうか おきもちなんじゃないのってことを本人の限界第三者勝手推し量って無理って言っていいかどうか

無理を繰り返すことで成功した偉人の話はいじめを正当化させかねないか禁止とか

実際いじめみえる程度に指導しないとどうしようもない性格してたとかしてなかったとか

その人に与えたストレスが将来的に得になるか損になるかを総合的に判断できてしか予知的な事に補償も用意できる第三者的な組織がそれをいじめだと判定できないと

どのみち個人がそうおもったから助けたとか手をだしたとかしてもあとから考えたら望みをかなえてもらったおかげでいま不足していることや損がでてるということになるかもだよね

その善意いじめだといえないこともなくない?

ひとりにしといてとかほっといてとかをリーダーにさせたり仲間うちで話題にしたりからんできてうざくてそれっていじめだよっておもってたけど社会にでてから役立つとかあるかもしれないし

逆にほっといてあげたらコミュ障でひきこもって毎日子供部屋からオンラインゲームに常駐してて軍師みたいなアドバイザーになりたいとか言ってるそれって「望みをかなえてもらった」結果なのか疑問だし

傍観してるってのは個人が何人あつまって傍観しててもとめようもないし止めたらいいのか止めないほうがいいのかそれがどの程度悪くてどこまで関係性を突き崩すべきか判断しようがないと思うんだ

ガイドラインとかつくってそれ以上のストレスは与えられるべきでないとしたり 基準値をこえたらどう対処するかを明示していてそこに圧倒的な力量で介入される準備がないと傍観者って何人あつまっても結局傍観者でしかいか最大数傍観者でいうところの「当事者以外のみんな」が傍観者で しかも無言なら肯定といわれたらもうそれは世界肯定していることになるのでいってみたらいじめ正当化されてるともいえなくもないよね

ガイドラインがあればね 本人も選択できると思うよ 基準値以上のストレスがないことについて問題を考えるようなら過度なストレス個人選択で得られるようにしてもいいと思うし

与えることがいいことだとおもって指導目的いじめをしている人はいないと思うのでコミュニケーションの達成目標もわかりやす自己批判他者押し付け鏡像の敵づくりとして行動化してるいじめをほかの目的共通意識を育むように指導すればいいのだろうし たとえば軍隊的な特訓をなかよしチームに課していじめとかよりも強い団結心を養わせるとか

ガイドライン作成するにあたっての環境調査でそういうのってわかるかもしんないよね

実際のところわたしたち個人が何人あつまっても政治世間もかえられないので民主主義っていう同じ意見人間があつまって10人が10アイデアを持ち込んだら合計で100のアイデアができてしまうけれども

共通認識としてお互いがまもりお互いが出し合ってお互いが守り合うというコミュニケーションが生まれるところのまずゼロポイントともいえる最初のあるべきあたりまえの多数決10人のアイデアのうちの共通している

一つを一つのルールとして、段階的にほかの各のこり9アイデア優先順位と譲歩内容をくみ上げていくべきなんじゃないの?

個人不快だといったから、権利違反しているといったから、人権ひとつ10の平均よりも重いといきなり判別してなんでも言ったもの勝ちにしているとそれこそ

いじめをうけている人間いじめられているっていわないから、そんなの存在しないことになってしまってる」傍観者も存在しないし傍観者が個人裁量でいいと思っていることを行うと

それ自体いじめかもしれない あとからいじめだっていってもおかしくないと考えることもできるとかいうことになりえるんじゃないのかな

最終的におもったことまとめると

個人がそれぞれ大きく声をはりあげたり、声のでかい人がまわりを巻き込んでそういう状況を局所的につくったとしても、そこだけの正義とかそこだけの悪とか判断してもそれはその局所的でのみ言えることで「いじめ」だとかそういう広義の単語意味合いについてなんら影響するものはい

環境構成する個人たちが団体として行動をする指針をとりきめ、それを介入させる条件を作成し行動しないと意味ないのでは 意味ないってつまり言っても無駄だしやろうと個人でとりくんだところでそれが救済になるのか迷惑行為になってしまうのかもしかしたらいじめのものであるかもしれない

・そういうとこから 意見があるなら意見を出すってだけはいじめとか迷惑行為のものとかわらんし 悪い事をみつけて問題だと思ったり言い事だと考えて行動したいときにはまず「団体をつくろう」という行動に出るべきなんじゃない?

ってこと思いました

2017-10-14

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