はてなキーワード: 生憎とは
そんな状況に心を痛める者が一人いた。
「あら、マスダ。奇遇ですわね」
ジョウ先輩だ。
「あ、どうも……」
俺は気まずそうに会釈をした。
とってつけたようなお嬢様言葉に、とってつけたようなお嬢様服。
見た目や言動が強烈なのも相まって、俺はこの人が苦手だ。
「へえ、マスダ。このような御令嬢と知り合いだったのかい。人脈が広いね」
隣にいたセンセイが会話に入ってくる。
実際にはセンセイと俺の会話中にジョウ先輩が入ってきた、といった方が正しいが。
「いえ、センセイ。彼女が在学中に先輩後輩の関係だっただけですよ。この喋り方や服装は彼女の趣味なんです」
「え、じゃあ、それはただのキャラクター作りの一環というわけかい」
センセイ、そこはあまり掘り下げなくてもいい。
「おや、それは……気をつけていたつもりだったが、見た目や言葉遣いで安易に人を判断してしまったようだ。申し訳ない」
「むしろ安易に判断してくれて結構ですわ。そのためにしているのですから」
「ほう、そこまで割り切れるとは、達観した考えをお持ちのようだ。あなたにとってそれは、もはや体の一部なのですね」
初対面なのに、センセイはよく落ち着いた対応ができるな。
居心地が悪いのは、二人に挟まれている俺だけのようだ。
「ただ……周りがどう思うかを気にしすぎないのも考えものですわね」
何やらジョウ先輩が通俗的なことを言っている。
いや、この人は普段から割と俗っぽいから、驚くには値しないが。
だが、ここで興味本位に追求はしない。
明らかにジョウ先輩は話を聞いて欲しそうな素振りだったが、俺はこれ以上、話に花を咲かせたくなかった。
「……と、言いますと?」
まあ、俺にそのつもりがなくても、センセイが聞き出してしまうため無意味ではあったが。
「話してもよろしいですが……長くなりましてよ、少々」
「大歓迎さ。目的地に着くのはずっと先なのでね。君もそうだろ、マスダ?」
「……生憎、そうですね」
「では……そうですわね、まずはワタクシの父について、お話しましょう」
そうしてジョウ先輩は、初めからそのつもりだったのを証明するかのように淀みなく話し始めた。
※タイトルから察せる通り、以下はMCU作品群(特にエンドゲーム)の重大なネタバレを含むので、自己責任で読んでくれ。
まず始めに言っておくと、この記事は通りすがりの他人のクソデカ感情を吐き出すために書いたお気持ちブログであることを承知の上で読んでほしい。
暇でもなんでもいい、別に誰一人として読まれなくてもぜんぜん構わないけど、自分一人で抱えるには大きすぎる感情のジェットコースターを体験した私が気持ちを整理するためのもので、読み終わった後に胸くそ悪くなったとか、そんなどうでも良いことで喚くなとかいう苦情は受け付けてない。
私が私のために書く私の気持ちを整理するお気持ちブログだ。ここまでで、なんだコイツと思ったヤツは悪いが帰ってほしい。
まず始めに言うと、このたび2019/04/26(日本公開)の「アベンジャーズ エンドゲーム」は最高の映画だった。
私は前作「インフィニティー・ウォー」を劇場で見てから「エンドゲーム」が公開されるこの日を、ずっと待ち遠しにしてきた。と同時に、死刑宣告を言い渡される日だと思ってきた。
そこについての詳しい話しは後ほどとして、弊推しはキャプテン・アメリカだ。ここからは8割かれの話しになるので、それを念頭に置いて読んでほしい。
上映が始まり、私はすぐにこう思った。
最高だ。
キャプテン・アメリカのカットはかなり多い方だと言って良いし、何よりその美しい顔面が際立つシーンが多くて終始動悸が止まらなかった。
登場初っぱなの髭を剃り終わったシーンなんかは大変興奮した。鏡越しに送られる目線にゾクゾクした。青い瞳が堪らなく美しかった。
過去に跳んだ先で、「アメリカの尻」と揶揄され腰からのヒップラインがドアップになって私が失神しそうになったり、宿敵のフリをするために「Heil HYDRA」と言って見せたり(!)、タイミング悪く過去の自分VS.現在の自分の凄まじい戦闘を繰り広げたり。
最終決戦なんかムジョルニアを使って(持てたの!知ってた!!でも公式でやると思ってなかった!!)、盾とのコラボ技を披露して無双するシーンなんかもあって、私は終始死にそうだった。
公式で見られないだろうから、二次創作に期待していたアレやソレがすべて公式で起こった。
何を言っているかわからないだろうが私にも未だによくわからない。公式が最大手だった。
上映中、頭に過ぎるのは命日の二文字だけで、あまりの怒濤の展開に呆然とスクリーンを見守るしかなかった。
こんなにも美しくもたくましい推しの姿をこんな大画面で見てしまって良いんだろうか。私は明日死ぬんじゃないだろうか。
決戦が終わったとき、私は本当にそう思ってたし、うぉーがしびってあれこれの解消し切れてない部分も、これなら許せそうだと思った。
あまりにも美しい終わりに涙すら出そうになった。
そう思ったこの瞬間の私をぶん殴ってやりたい。
私の地獄は、このおおよそ2時間半が終わり、あとはちょっとしたエピローグと、長い長いエンドロールだけだろうというタイミングで始まった。
彼は“キャプテン・アメリカ”の仕事として最後の後始末を受け持った。それはインフィニティー・ストーンを過去へ戻す仕事だ。
なるほど、それは重要だな。
このときまだ、呑気にも私はそう思っていた。今すぐそこで見るのを辞めろ。
しかし、装置を作動させても彼は戻ってこない。訝しんで、彼を見つけて。
彼は年老いて戻ってきていた。近くのベンチに座って。だから帰還に気付かなかった。
「もう自分の人生を歩んでも良いんじゃないかと思った」彼がそういった。
目の前が真っ暗になった。
自分の人生を歩むこと自体が悪いことではない。それは私が何処かで迎える彼のハッピーエンドだと思っていたから。
しかし、そうじゃない。そうじゃないんだ。
“自分の人生を歩む”と言っていいのは、戻ってきて、この先の未来を生きての話しではないのか?
なんで?
どうして?
彼が過去をやり直して戻ったと言うことは、“キャプテン・アメリカ”として行った任務を、石を返した時点で完遂したと自己判断し放棄して、過去を改竄して戻ってきたということだ。
MCUが何処までマルチバースを採用していて、タイムトラベルによる世界の分岐やパラレルワールドを取り扱っているのかはわからない。
あの正規の世界線の歴史が変わったわけではないのかも知れない。
それでも、だ。
吐き気すらも覚えた。
散々、タイムトラベルで過去を変えるコトは禁忌であるという下地を本作で作った上での、コレ。
キャプテン・アメリカというキャラクターを馬鹿にされているのかと思った。
頑固で考え方が古いかも知れないが、高潔なる精神の持ち主ではなかったのか。
自分が幸せになるために歴史を書き換えるような、そんな軽率な人間であったのか?
彼の信念は何処に行ってしまったんだろう? 呆然としてしまった。
私の知識はまだまだ浅い方だ。アメコミという沼はあまりに深すぎて年浅い私にはまだまだ知らないことの方が多いだろう。
それでも、複数の媒体から感じ取った「キャプテン・アメリカ」の信念と、今回の彼の行動はあまりにかけ離れていたと思う。
彼は、犠牲を尊んで、彼らのためにも前を向いて歩くタイプの人間ではなかったのか?
今までのMCUでの彼の扱いは、キャラ解釈の違いで殺されるかと思ったシーンが幾度もあった。(それもすべてエンドゲームの監督の作品だ)
それもコレも今日で終わりだと思った。そのはずだった。「シビル・ウォー」からずっと抱えてきたモヤモヤが解放されると思っていた。
まさか最後の最後で私が彼を好きになった信念そのものをたたき折られるとは思ってなかった。
この事実を認識した途端に、私は堪らなくトニー・スタークに嫉妬した。
怒りを感じたと言っても良い。但しこちらは、制作陣に対して、だが。
確かにトニーの最後は、ハッピーエンドではなかったかもしれない。
それでも、彼は誰にも害のない形で己の幸せを享受した上で、自己の“ヒーローである信念”を貫き通して死んだのだ。
誰にも疑いようのない唯一無二の英雄となったのだ。
それに比べて、彼は、スティーブは?
制作陣の都合で言いように改変を繰り返されて、彼のズタズタになった信念を、きっとこの最後で修復してくれるんだと思った。
そうじゃなかった。作品を丸く収めるために良いように使われただけだった。何一つ変わらないどころか、より最悪の形で悪化した。
彼だけではない、ソーだって、前三作で作られてきた彼をすべて壊して何事もなかったように進んだ。
スティーブよりは違和感は少なかったかも知れないが、何故このタイミングで、と言う気持ちが拭えなかった。
ツイッターでは英雄が一般人となって自己の幸せを歩んだ作品だとか、脱マッチョイズムだとか言われてたけど。
だからなんだ?
それって既存のキャラクターの基盤をぶち壊しにしてまで展開してイイモノなのか? しなければいけないものなのか?
仮にやるとしてもこの集大成とも言える全員揃う映画でやるべきコトではないんじゃないだろうか。
本当に、今も怒りで視界が赤くなる。
この映画は巨大なトニー・スターク賛美のための墓場となったのだ。
トニー・スタークを恨むモノは誰もいない。
これほどまでにキャラクターを理解され、制作陣に愛されていた。
本当に本当に妬みで爆発しそうなほどだった。
それなのにトニー派の連中はスティーブを薄情者だといって責める。
スティーブの劇中での言動は推しの私でもフォロー仕切れないところがある(だからといって全面的にトニーを擁護も全く出来ないが)。
だからそれ自体は、特に訂正しようとか思わない。どんな思惑に巻き込まれて信念がたたき折られたとしても、それは“現実”(そと)のはなしであって、“MCUの世界”(なか)には関係ないはなしだから。
それはまるっと彼の罪なのだ。
それでも。
心底羨ましいよ。
脳の神経がすり切れそうなほど羨ましい。
なんで、彼ら彼女らはこんなにも恵まれていて、私はこんなにも苦しんでいるんだろう。
私は作中に責めることの出来る人間などいない。あえて言うならキャプテン・アメリカ本人だが、自分の推しを悪意的に見るほど苦痛なことなどない。
悪人が悪人である所以を好きになったというなら、また話しは違うだろうが、生憎私が好きになったのはヒーローの彼なのだ。
多少の欠点の他に、悪意的に捉えられるところなど、少ないはずなんだ、本来なら。
「エンドゲーム」を見てから、一晩経った今でもずっと脳内をこの言葉が占めている。
私に過去に戻る力があるなら今からでも「ウィンター・ソルジャー」の撮影まで戻ってあの監督を始末してしまいたい。
彼の、キャプテン・アメリカのこのエンディングは、「エンドゲーム」で一区切り(実際は次作スパイダーマンで区切りだが)着くMCUという作品群を丸く収め、また次のフェーズ4に繋げるためには必要で、全体的に見れば“正解”であり、納得のいくモノだったのかも知れない。他人様の感想を読んでいて、そういう気持ちに全く為らないという訳ではない。
でも、理解が出来たからといって、納得が出来るからといって、許容できる訳ではないのだ。
だって彼は、すべての人を置き去りにして、己の幸せに走ったあの男は、もはやヒーローではないのだから。
それは、私の好きになった彼ではないのだ。
信念を貫くことを辞めた人間は、大体にしてこう言われる。
「昔とは別人だ」
MCUの世界では彼にそうなる資格があると思っている人間が多かった。だからこそ中の世界では受け入れられたんだろうが、確かに人は変わってしまっているのだ。
別人なのだ。
私はそれが受け入れられない。
ヒーローを辞めた彼には、もうムジョルニアを持つ資格はないだろう。
だからこその二代目、なのかもしれないが。
今一度言うが、私の推しはキャプテン・アメリカだ。
そもそものMARVEL作品を見始めた切っ掛けとして、彼の単独シリーズの第一作「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト アベンジャー」を見て、彼に一目惚れしたからだ。
そんな私の推しの彼を演じるクリス・エバンスは「エンドゲーム」を最後にMCUから卒業すると宣言していた。冒頭でこの日が死刑宣告の日だと言ったのは、そういう理由だ。
もう二度と推しを見ることは出来ないのだから、私は死ぬんだと思っていた。
だけど、違った。死んだのは私ではなかった。
死んだのはキャプテン・アメリカの信念だ。
巨大なトニー・スタークの墓場の奥深く下に虐げられ、無残にもうち捨てられた彼の正義が崩れ去った日となってしまったのだ。
キャプテン・アメリカの信念はすでに散々あのクソ監督兄弟に改変されまくって、ボロボロで、もう雀の涙ほどだったけど。
それでもわたしはかれらしいさいごをのぞんでいた。
一生消えないだろう傷を負った。
それなのに周りには「エンドゲーム」を賞賛する声しか聞こえてこない。
私にとっては、それこそが何よりの“彼が死んだ証明”だった。
私の推しの新作がもう来ることはない。
この先、カメオで出演するとしても、マルチバースの信念の折れてない彼でもない限りはそれは彼ではない。
この記事を投稿することによって私はキャプテン・アメリカの、スティーブ・ロジャースの死した信念への手向けとする。
「ここは市長がお忍びで利用する、行きつけの店だ」
そう言ってウサクは店内に入っていくので、俺も後ろをついていく。
店内を見渡すと、隅っこの席に本当にいた。
酒を舐めるように飲んでいたが、“舐める”と表現するべきか分からないほどペースが早い。
「あ、誰かと思えば市長じゃん」
「相席、失礼する」
俺たちはおもむろに市長に話しかけつつ、近くの席に座りこんだ。
未成年だけでわざわざ居酒屋に来る時点で不自然だし、セリフも些か白々しかったが、市長は酒が入っているようで気にも留めない。
「この店の接客サービスが好きでしてね。素っ気ない……と言えば聞こえは悪いですが、ほっといてくれるのは時に心地よいものです」
そう呟く市長の態度が何より素っ気ない。
遠回しに「話したい気分ではない」と言いたげだった。
まあ、プライベートでの過干渉なんて俺も嫌だが、そうもいかない。
まずはこちらに関心を持ってもらうため、何気ない雑談から始めよう。
「……この酒を知らないのですか?」
「生憎、酒は飲めないんで」
「なら知らないのも無理はないかもしれませんね」
コミニケーションのとっかかりは疑問をぶつけることだ。
「この『ドカシス月光』は作っている場所こそ違いますが、原材料は全てこの市が生産しているんです。カクテルや料理に使われることの方が多い酒ですが、そのまま飲んでも美味しい。自慢の名産と言ってもいいでしょう」
「作ってるのは別の場所なんだ」
「本当は酒の製造も市でやりたいんです。でも原材料にすら税金がかかっているのに、酒そのものにも高い税金が発生するから地元じゃ誰も作りたがらないんですよ。だから酒税のない地域で作ってもらって、それを個人で取り引きしたほうが安上がりなんです」
「なんだか脱法の密造酒みたいだな」
酒飲みの語りは老人の長話くらい聞くに堪えないものだが、今この状況においては都合がいい。
そうして十数分後、市長も酒が大分回ってきたようで、顔は明らかに紅潮していた。
「私にだって子供らしい夢はありましたよ。大統領になって、世界を愛と平和に満ちたものにするっていう……」
「この国、大統領制じゃないぞ」
深酒が過ぎたかもしれないな。
日を改めるべきか。
「……まあ、仮にそうだったとしても結果は同じでしょう。この町の市長であることが、私のこなせる精一杯の役割だった。だけど今はその役割すら失おうとしている」
本題に入るなら今だ。
「おいおい、市長。期日にはまだ時間がある。結果が決まるまで、やれることはやったほうがいいんじゃないか?」
「だけどこちらの不利は明らかです。やれることもやりました」
「いや、俺たちから言わせれば、まだやれることはたくさんある」
「市長、貴様が若造の意見を取り入れる意欲があるのならば、我々の言葉に耳を傾けろ」
数年前に小学校からの付き合いの友人(A)からたぶん友やめされた。
特に喧嘩しただとかの記憶はないんだけど、おそらくこれじゃないかというのはある。
※私とA・B・Cは友人同士
D:私とCと同じ高校で、私とは1年のみ、Cとは2・3年のクラスメイト
E:Dの友達
F:DとEがお世話になってるっていう人
Bから、就活中に話した子(D)が同じ県出身で、どこの高校→私とCと同じ高校で知り合いと判明し、そこで話が盛り上がり仲良くなったと聞かされた。
Dと私は特に仲が良かったわけではなく、話しかけられたら話すくらいの関係だったので、その時は「ふーん、そうなのねー、世間てせまいねー」くらいで話は終了した。
その話から4年後くらいだったと思う。
Bから「久々にDから連絡が来て、今度Dの家で料理会やるらしくて誘われた。あんたとCにも声をかけてみてと言われたんだけど、どう?」と誘われた。
暇だったし、Cも行くというし、久々にDと会うのもまぁアリかなーと思って誘いに乗った。
E主導で料理が進むんだけど、(察しのいい方は料理会というワードの時点で気付いただろうが)出てくる調理器具ほぼ全てに「Amway」のロゴがあった。
正直、「あ、しまった、油断してやべぇとこ来ちゃった」と思ったんだけど、別に勧誘されたりとかはなくて、ただ普通にご飯作って食べて帰った。
半年後くらいに、Dから「BちゃんCちゃんと遊ぶんだけど一緒にどう?」と誘われ、ほいほい行ってしまった私は、Dのお世話になってる方だというFという人の家に連れて行かれ、帰る直前にBCと共にDFから軽めのAmwayのお話を聞かされた。
5分ほどの話を聞かされた後に、ここで変に断って帰れなくなるのも嫌だと思い、とりあえず見るだけ見て見ますねーパンフレット的なものをもらって早々に帰宅した。
家についてすぐに親にこんなことがあったと話し、絶対にないけれど、万が一私がAmwayの商品を買おうとしたり、Amwayが素晴らしいんだという話をし出したら、全力で止めてくれとお願いをした。
その後私はDからのお誘いは全て理由をつけて断って会わないようにした。
でもBはDと頻繁に会っていて、私が気付いた時には結構な数の商品を購入していてセミナーにも参加していた。
あれ、Bやばくない…?と思って、たまたまCと2人で出かけた時にBやばくないか?って話をしたら、Cも同じように思ってたらしいんだけど、ネガティブだったBがポジティブになり以前に比べ生き生きしていたし、Dの話を振った時に「商品を使って生活が改善された!」「セミナーで話を聞いて考えが変わった」と嬉しそうに報告がある以外は、こちらに商品を買え買えと勧誘することもないし、セミナー参加のお誘いもなかったから、周りに勧誘し出したら全力で止めよう、ということにした。
しばらくして、ABC私のグループLINEに、Bから●日空いてないか?とお誘いが来た。
私とCは生憎都合が悪く、「ごめん無理だわー」と返したんだが、Aは「いけるよー」と返事、じゃあA個人LINEの方で話しよっかーとなってたんだけど、後で聞いたらそれがなんと料理会のお誘いだったらしく、後日AのfacebookにDやら他のAmway会員(ご丁寧にプロフィール部分に明記されていた)の友達が増えていた。
久しぶりにABC私で集まった時に、その料理会の話をされ、「あ、じゃあDもいたんだね」みたいなことを私とCが言ったんだけど、その後からどんどんAの反応が悪くなっていった。
で、気付いたらSNS全部切られてた。私もBもCも。
だらだらと書いたんだけど、多分これが友やめされた原因じゃないかと思ってる。
私とCもAmway会員だと思われたのかなー…。それか生贄にされたと思われてるのかなー…。
ちなみにBは気付いたら会員じゃなくなってた。Dの話も全く聞かない。
私は一昨年くらいにたまたま同級生の結婚式で再会したDからご飯に行こうと誘われほいほい行った。
びっくりドンキーで普通にご飯だけだったから、「あ、これはDもBパターンかも!」と思って2回目の約束もした。
1回目の時に食器洗ったりで手荒れがひどいんだよねという話をしたら、2回目の時に「これ手に優しいからぜひ使って」とAmwayの洗剤を渡されそうになったのでそこで完全に連絡を絶った。
3年近く経った今でも、憎くてたまらない奴がいる。
電子レンジの待ち時間やら、掃除機をかけているときやら、そういうときにふっと、どうすれば家族に迷惑をかけずにスマートにそいつに復讐できるか考えを巡らせている自分がいる。
できることなら殺したい。たとえば災害時にそいつが瓦礫の下敷きになって身動き取れなくなっていたら、周りにそいつ以外誰もいなかったら、自ら手を下すまでは行かずとも、自分では絶対助けないし、そいつが救助されにくい状況を作るぐらいはすると思う。
できることなら死んでほしい。レイプでも手足欠損でも顔面火傷でもなんでも、そいつに生き地獄に落ちてほしい。
そう思っているのに、実際には私は何もできない。
今日はどうしてもどうしても我慢できなくて、そいつの職場の口コミに星1つつけて消されない程度の悪評を書いて投稿した。投稿が完了した瞬間、胸がすっとしたのと同時に、罪悪感と、自分が投稿したのがばれたらどうしようという不安と、幼稚な言葉で幼稚な真似をしてしまった後悔に襲われて、すぐに消してしまった。
そんなに簡単に個人特定されるはずもないのに、どうしてこうも小心者なんだろう。自分でゴミ箱蹴っ飛ばして散らかしたゴミを自分で集める悲しさがなんとも言えない。
職場を辞めてすぐに、そいつの連絡先は削除していた。それを使って復讐ができそうだなと当時から思っていたのだが、実行しそうで怖くてその選択肢を消してしまった。今は後悔する気持ちと、やっぱり消しておいてよかったという気持ちが半々だ。
きっと一生憎み続けるんだろうが、一生復讐はできないままなんだろうなあ。せめてあいつが私より先に勝手に、できれば孤独に死んでくれることを願う。
母が亡くなってもう 5 年になるだろうか。
普段 tweet より長い文章を書くことはないけど、ふと浮かんだ誰にも言えない反省を増田に書き残したい。
紅白で話題だった米津玄師の Lemon を改めて聞いてみた。
歌詞について調べてみると、大切だった”あなた”の死の悲しみをレモンに例えた曲らしい。
米津玄師がレモンだと思うなら、私にとってのそれはあんずだと思う。
うざったくも優しかった母との思い出と、もう謝罪も出来ない心無い発言への後悔。
母は癌で死んだ。
母の意向により、母がステージ4の末期がんだということは父以外には伏せられていた。
今思えば、死が免れないものとなった母にとって最後の旅行となる可能性も覚悟していたのかもしれない。
結局、それから2年ほど闘病生活は続き、再び東京で会うこともあったのだが。
地元には無いたくさんの刺激に囲まれていた私にとって、母を連れての東京案内は正直気が進まないものだった。
曇りの日だった。スカイツリーの展望台から雲を眺めたあと、この後どこに行きたいかを母に尋ねた。
本場のもんじゃ焼きが食べたいとのことで、地下鉄を乗り継ぎ月島へ向かった。
日曜の8時ぐらいだったと思う。
その時間まで営業している店が少なくていらいらしていた私は、この時間になるとお店探しも厳しいんじゃない、そもそももんじゃ焼きなんてたいして美味しくないよ、といった冷たい発言をした記憶がある。
しばらく月島駅周辺を歩き、路地裏の店にたまたま入る事ができた。
店内でたくさん写真を撮る母を、店員に気さくに話しかける母を、私は煩わしく思った。
母と私で1枚ずつもんじゃ焼きを注文して食べたはずだが、どんな味だったかは正直記憶にない。
食後、母と仲良くなった店員の強い勧めにより、デザートとしてあんずをクレープのような生地で包んだものを注文した。
店員が目の前で焼いてくれた。2枚のヘラで器用にあんずを包んでいた。
これがすごく美味しかった。
あったかくほのかに甘い生地のと、冷えたあんずの酸味がすごく合っていた。
それだけはよく覚えている。
その後適当に解散して、私は当時付き合っていた彼氏の家へ行き、今日は母親の観光に付き合ってさ〜、と愚痴をこぼしていたことだと思う。
辛いとき、悲しいとき、母のことを思い出す。今でも月に1度は母の出てくる夢を見る。
起きた後、夢でどんな会話をしたかを思い出すとき、あのお店で食べたあんずの味も思い出す。
自他共に認める俺のライバル。
それが四天王の一人でもあるイノウだ。
イノウ「俺、悪い奴だぜ」
各々のテリトリーを持っていた四天王とは違い、ヤツは一つの場所に留まりたがらない。
部下を持たず、組織も持たない。
大体のことは一人で出来る俺ですら仲間は必要なのに、随分と気取ったヤツだ。
しかし気取るだけの実力を持ち合わせていることも確かだった。
イノウ「ガン・バルカンは子供の玩具じゃない。大人ですら安易に使えない先進的かつヤバい業物だということを忘れるな。それを気軽に使える俺は、つまり先進的かつヤバい奴であるということだ」
ヤツの持つガン・バルカンは、様々な重火器をごちゃごちゃと詰め込んだキメラ・カオス武器だ。
複雑怪奇かつ危険な武器を使いこなし、獣人特有のスキルまで組み合わせたヤツの戦術は強力無比。
単純な戦闘能力だけなら、他の四天王を優に超えていると言っても過言ではない。
そんなイノウと初めて対面したのが、第7話。
イノウ「これが俺のガン・バルカンだ」
ヴェノラ「この武器は何だ!? 俺の元いた世界の銃器に似ている気もするが、それよりも遥かに複雑で、禍々しい……」
この時は顔見せといったところで、ヤツのガン・バルカンに舌を巻くしかなかった。
12話でも邂逅。
第1シーズンのクライマックスとなる戦いで、今回はマジで戦う必要に迫られた。
そして、7話の時はまだまだ余力を残していたことを思い知る。
イノウ「スキル『一匹狼』! これによりガン・バルカンの威力を2乗する!」
ヴェノラ「なんだって!? 元のガン・バルカンの威力が100とするなら、2乗したら1万になるじゃないか!?」
この時は、咄嗟に発動したジャストコーズで防ぐことができ、イノウのスタミナ不足で勝負は有耶無耶となった。
一見するとジャストコースがあったから勝てたともいえるが、「なければ勝てなかった」と言った方が正確だろう。
もしもジャストコーズを発動できなければ、俺は本当にマズかったかもしれない……。
今度こそ決着をつけるときが来たかと俺たちは身構えたが、イノウの様子がどうもおかしかった。
ヴェノラ「イノウ! またお前か!」
イノウ「それはこっちのセリフだ。生憎だが立て込んでいてな、貴様らの相手をしている暇はない」
いつもはあちらから因縁をつけてくるくせに、相変わらず身勝手なヤツだ。
だが立て込んでいるのは本当だった。
パキケタス「イノウよ、あなたはもはや四天王ではない! 現役四天王による人事異動を、大人しく受け入れるのです!」
イノウ「もともと四天王なんて役職、こちらは好きで持ち合わせていたわけじゃない。そんな一方的な申し出を受け入れるつもりはないのだ!」
パキケタスは新四天王なだけあり、圧倒的な膂力を持っていた。
いや、むしろガン・バルカンと獣人スキルを加味すれば、イノウの方が上だ。
パキケタスの潮吹き攻撃は、体の半分が重火器で出来ているイノウには効果的だった。
イノウの旗色は非常に悪い。
俺たちはその潰しあいを眺めているだけでいい。
だけどそんなことは、俺がやるべき行動じゃないんだ。
ヴェノラ「一方的かつ暴力的な人事異動。これは許されることじゃない……イノウ、お前に加勢するぞ!」
イノウ「なんだと!?」
俺のジャストコーズにより、イノウのガン・バルカンは新品同然に……いや、新品以上の輝きを取り戻す。
ヴェノラ「お前が決めるんだ、イノウ! 当事者が打ち勝ってこそ、溜飲は下がりに下がりまくる!」
イノウ「不本意だが……見せてやろう! スキル『一匹狼』その他もろもろ重ね付け!」
パキケタス「ぐわあ、様々なダメージが五臓六腑に染み渡る。こんなのオーバーキルだあああ!?」
ヴェノラ「イノウのヤツ、あの時よりも更に強くなっている……」
こうして、俺とイノウの決着はまたも有耶無耶。
イノウ「お礼だ、これを受け取れ。俺のお手製だ」
ヴェノラ「……これは鉛のコップじゃないか!? こんなのでジュース飲んだら中毒になるぞ!」
イノウ「俺は悪い奴だからな。今度会う時は、鉛のコップではなく鉛の弾をくれてやる!」
因縁の深まりを感じながら、そう遠くない“今度”がくることを予見していた。
「ベタだけど、この展開はやはり好き。ニワカ呼ばわりされようとも、これは投票せざるを得ない」
「ライバルキャラとの、とりあえず的な同盟に熱狂的な盛り上がりを感じた」
「お礼に鉛のコップをプレゼントするイノウの不器用っぷりに憤死」
「作画も気合入りまくりだし、文句なしの神回。これからも、二人の因縁をどこまで引っ張れるか楽しみ」
繊細で、陰湿で、幼児的で、良い歳して毎週日曜日八時半にテレビに向かう大きなお友達の自分語りを増田に聞いてほしい。
性自認がどうとか、性指向どうとか、そういう話でもないし、素養もない。
両親もよく呆れずに付き合ってくれたと思う。
クリスマス、誕生日プレゼントはバンダイのおもちゃ、寝間着はプリキュアパジャマ、お菓子は全部プリキュア、帰ったら衣装を着て鏡の前だ。
勿論全て親が買ってくれたが、足りない小物は自作していた。
休日に家族で出かける場所といえばプリキュアショー一択だったし、よく最前列で「がんばえー!」と声を張ったものだ。
休み時間の過ごし方というと、同年代の女の子とプリキュアごっこ。彼女たちがプリキュアから「卒業」していくと、低学年の女の子とプリキュアごっこに興じるのが常だった。
プリキュアになるにしても、若宮アンリのようなスタイルの良い美少年なら良かったが、生憎俺は類人猿顔のド短足だ。
美墨なぎさに憧れて、髪を伸ばそうとした時期があった。でも酷い天然パーマがそれを邪魔した。
酷いいじめ、外見と理想のギャップに苦しんだ俺は、中学に進む頃にもなると、立派な醜いオタクの子に成長を遂げた。
熱暴走していた「プリキュアになりたい熱」は強制スクラムして、前々からやっていた女児向けアーケードゲームにずっぷりハマるようになった。
中学校は、行くのをやめた。
行かなくなるまでにも色々あったけど、今は関係ないだろう。
学校には行かずともゲーセンには欠かさず通った俺は、通信制高校を経て、私立のFラン大に自己推薦で入った。
今も、毎週日曜の朝八時半にテレビの前に座ることは続けている。
地デジになって、10チャンが5チャンになっても、プリキュアを、プリキュアになりたいという気持ちはずっと持ち続けている。でも、ひどいコスプレはやめた。
HUGプリは面白い。間違いなく。
若宮アンリというキャラクターの登場はプリキュアシリーズの中でもエポックメイキングだろうし、俺は彼の登場を好意的に受け止めている。
契機は19話だ。
池の平ホテルの「男の子は仮面ライダー、女の子はプリキュア」というCMが放送後に炎上したのも記憶に新しいが……
その回に登場する、恐らくは抑圧を象徴するキャラクターとして形作られたであろう、愛崎えみるの兄、愛崎正人に対して妙な親近感を感じたのだ。
らしさ、というのは重要だ。俺はいくら類人猿の顔をしているとはいえ、ブサイクを見るとブサイクに感じてしまうし、類人猿顔は類人猿顔だし、オタク顔はオタク顔に見える。女は女だし、男は男だ。
人は生まれ持った「らしさ」で生きればいいし、「らしさ」の枠を飛び越せるのは、若宮アンリのような才溢れる美青年くらいのものだ。
そうだな、君にとってはムダかもしれないけどな、俺は人生の大部分をムダにして、らしさに従うのも「賢いやり方」だというしょっぱい教訓を得たさ。
僕は僕の心を大切にする、君は君の心を愛せ?
分かったよ!若宮アンリくん、頑張ってくれ!君は若宮アンリだ!
俺は俺の類人猿らしさで頑張るよ!
彼の振る舞いにはそれに裏打ちされるだけの才能と、美貌と、それに裏打ちされた芯の強さがある。
翻って、俺はどうだ。
プリキュアになることをやめ、のうのうと生きている。悪いくせみたいにダラダラとプリキュアを見続けている。
ひどい人生だ。
俺は若宮アンリと、彼に感化された「少数者を自認する人々」が、正直よくわからない。
そして昨日の42話だ。
増田のプリキュアフリーク達は、「キュアゴリラ」というプリキュア戦士を覚えているだろうか。
お笑いコンビFUJIWARAが出演した、スマイルプリキュア!17話以来、俺は原西孝幸さんが好きになって、彼がプリキュアについて語る番組は殆ど見た。
「あれ、大きなお友達ってさ、ご法度の裏街道を歩く渡世、天下の嫌われものなんじゃないの?」
そうだ。俺はゲーセンでコソコソと女児のなす列に並び、プリパラのED差し替えでニチャニチャ笑い、ネットで陰湿に笑いを共有しようとする徒である。まとめサイトのコメント欄とかでね。
原西さんは娘さんの影響でプリキュアにハマった、ということらしいが、低身長低学歴低収入の類人猿が、家庭を作るなんて逆立ちしたって無理だ。
彼は大きなお友達であることを隠しもせず、プリキュアを芸に取り入れて人々を笑わせている。
そうか、俺は類人猿なのにキュアゴリラにもなれないのか、という落胆と、自分に対する失望だけが残った。
そのキュアゴリラが、若宮アンリがプリキュアへと変身するシーンで現れたのだ。
男の子でもプリキュアになれる、というより、結局若宮アンリがキュアアンフィニに足るものを持っていた、原西さんがキュアゴリラに足るだけの何かを持っていた、というだけじゃないのか?
ステレオタイプに従って生きるというのは、そんなに悪いことなのか?
プリキュアシリーズに共通するテーマである、個性と志向を互いに認め合い、共生していくという取り組みは素晴らしいことだ
しかし、これといった特別な自認も、指向も、笑いの才能も、フィギュアスケートの才能もない、マジョリティの最低層にいる一介の大きなお友達が俺だ。
俺はどうやったらプリキュアになれるんだ?
誰か教えてくれ。
「サッカーにおいてファウルのアピールは1つのトリックプレーである。転倒時に大げさな痛がり方をすることを批難する者もいるが、それはその選手が下手くそだからだ」
その言葉を体現するように、転倒時の痛がりっぷりが抜きん出ていたのがイッタ・イマージだった。
彼のサッカー選手としての実力は決して華やかとはいえなかったが、痛がり方だけは圧倒的な存在感を放ち、その様子がカメラに映されることが多かった。
それを見た他の選手たちや観客の中には「見てるこっちまで痛くなる」と、痛みを錯覚する者もいたのだとか。
その割に、彼は現役時代に一度もケガが原因で交代したことがなく、故障もしたことがない恵体。
そうして15年間ずっと現役で居続けた、ある意味ですごい選手だったという。
「……で、引退後は自国の観光大使として隣国を巡り、今に至るというわけっすね」
カジマの説明を話半分で聞いていたが、つまり痛がりのプロってわけだな。
ボーナスチャレンジの話を聞いたときは、ローカル番組にしては大盤振る舞いだなと思ったが、そういうことか。
これを企画したヤツ、どうやら俺たちを勝たせる気は毛頭ないらしい。
いわばプロモーションの一環だ。
「テーマは“フリースタイル”です。お好きな方法で痛がってください。では先攻カジマ選手、どうぞ」
全国を魅了するほどのイタガリアンに、一般人の俺たちが勝てるわけがない。
「えー……どうしよう」
さすがのカジマも、この状況に相当なプレッシャーを感じているようだ。
これ以上、恥をかかせないためにギブアップさせるべきか。
半ば諦めていた、その時。
「兄貴ー!」
弟の声が聞こえたので、その方向に視線を向ける。
すると、俺の目の前に「賞金2倍」の文字が書かれたフリップが目に入った。
諦念の相が出ていた俺を見かねて、どうやら弟が書いてくれたらしい。
……そうだ、つけ入る余地はあるはずだ。
いくら痛がることが上手いといっても、それは元サッカー選手としての副次的な能力であり必須スキルではない。
リアクション芸人みたいに痛がりのプロというわけでも、面白いわけでもないだろう。
「カジマ、これはチャンスだ。痛がりのプロともいえるイッタ・イマージに、お前の痛がりを見てもらえるんだぞ」
カジマの頭の中で、随分と前向きな解釈が行われているようだ。
まあいいや、そっちのほうが都合がいい。
「よし、じゃあ1回戦でやった木の棒、その“応用編”で行くぞ!」
「おっす!」
「じゃあ、行きまーす!」
俺は1回戦と同じように木の棒を構える。
「くたばれ!」
そして、ほぼ同じ動作で木の棒を振りぬいた。
「あ``あ``!?」
脛めがけて振りぬいた木の棒は、誤って狙いより上に当たってしまう。
股間にある“第三の足”にだ。
「ああ~っと! これは痛そうだ~~!」
「~~~~っっっ、ちょっとマスダぁ~!」
カジマは俺に怒りの声をあげるが、その姿と声量は情けない。
「ハハハハハッ!」
そんなハプニングに会場は盛り上がる。
当然、これはワザだ。
同じテーマが出てきた時、二回目はコレで行こうと以前から決めていた。
同じことはやればやるほど退屈になりやすい。
だが変に奇をてらおうとするくらいなら、同じことをやったほうがいいのも確かだ。
期待はそう簡単に裏切れない。
だが予想は裏切れるんだ。
「ははは……さぁ~て、ちょっとしたハプニングはありましたが、気を取り直して後攻イッタ・イマージ氏、どうぞ!」
俺たちのやれることはやった。
後はイッタ・イマージ次第だ。
俺は彼の痛がりを知らないから分からないが、いくらサッカー選手とはいえ先ほどのカジマを超えるのは難しいはず。
イッタ・イマージがつたない日本語で、痛めつけ役のスタッフと喋っている。
今回のために覚えてきたのだろうか。
大げさに痛がるサッカー選手なんてロクなもんじゃないと勝手に思っていたが、意外と真面目な人なのかもしれない。
「じゃあ、行きます!」
どうやら俺たちと同じ木の棒で行くらしい。
カジマのを見た上で、あえての真っ向勝負か。
よほど自信があるとみえるが、さすがに見くびりすぎじゃないか?
「おりゃあああ!」
「~~~~~~っっっ」
しかし、見くびっていたのは俺のほうだった。
それを思い知らせるかのように、その実力を見せ付けてきたんだ。
「お~~! さすがのイッタ・イマージ! 貫禄の痛がりっぷり!」
イッタ・イマージはその場に崩れ落ちると、殴られた足を押さえてもがき苦しむ。
生で見ているせいもあるのかもしれないが、圧倒的な迫力だ。
まるでサッカーのグラウンドがそこにあるかのように錯覚させるほどに迫真の痛がり。
会場の盛り上がりも最高潮を迎える。
エンターテイメント性という意味では、カジマの痛がり方も負けてはいない。
「ねえ、あれって本当に痛いんじゃないの?」
「確かに、そう思えるほどだ」
「いや、そうじゃなくてマジもんの……」
本当にあそこまで痛がるほどなのだと、俺たちまで思ってしまった。
その時点で、自ら敗北を認めているようなものだ。
完敗だ。
俺たちに悔しがる資格はない。
所詮、リアクション芸人の真似事でしかない俺たちでは勝てるはずもなかったんだ。
「いや~、素晴らしいイタガリアンっす」
そう言いながらカジマは、握手目当てにイッタ・イマージに近づく。
だが彼の顔を見た途端、なぜかカジマの動きが止まった。
「ん? どうしたカジマ?」
「イッタ・イマージさん……き、気絶している」
後に知ったことだけど、イッタ・イマージは痛みを感じやすい体質だったらしい。
俺たちがそこまで痛いと思わないレベルでも、イッタにとってはリアルに痛かったんだから。
『あなたたちは痛みに慣れすぎて、鈍感になってるのよ……』
少し前に母が言っていたことを思い出す。
今回の一件で、俺たちは“痛みに鈍感”であることの意味、その危険性を改めなければならなかった。
「ねえ、いまさら気づいたんすけど……」
イッタ・イマージが救急室に運ばれていくのを眺めていると、ふとカジマが呟いた。
「隣国の観光大使をこんな目にあわせるのって国際問題になるんじゃ……」
だが生憎、俺はそれに答えられるようなものを持ち合わせていない。
「……どうだろうな。まあ少なくとも、それが国際問題になると思っている人たちの間では問題になるだろうとは思うが」
「違ぇよ。つまり俺たちが気にしたところで仕方ないってこと」
今回、痛くも痒くもなかった俺では、そう言うのが精一杯だった。
結局、痛みを知らなきゃ本当の意味では学べないのかもしれないな。
まあ、そのためにわざわざ痛みを知りたいとも思わないが。
しかし世の中には創作をしない人間が大多数を占め、その大多数にとっては製作者の時間や想いなど関係がない。
厚かましい人間がいるものだとたまにネット上でも話題に上がる。
さて、A子の元にもそんな人間が現れた。
彼女ーB美ーはA子がお世話になっている人の親戚だという。
そういう事情と大量の注文により知り合い価格で、また、無料で追加制作を承っていたA子であったが、今度の注文はB美の友達へのプレゼント用であった。
もちろん面識などない。
正直に料金を言うと大層驚かれたようだ。
それがA子には我慢ならなかった。
「ボランティアでやってるんじゃない」
「厚かましいにも程がある」
普段からA子には何を言ったところで火に油である私だが、あまりの言い様に「創作しない人には分からないんだよ」とたしなめた。
それがやはり気に障ったらしい。
わかる。
なんだかよく覚えていないが、創作者らしいことを言っていたような気がする。
一介の創作者である私にも大変よく理解のできることを言っていた。
先に述べたように、それを作ることのしない人には分からない領域である。
知らないことは、分からないのだ。
一見、何の問題もなく見えるそれだが、この装飾はA子が描いたものではない。
なんと画像検索で出てきた画像素材、そのSAMPLE文字を消して使ったものである。
さらに無料素材ならまだしも、どこから取ってきたのかも分からないと言うから驚きだ。
SAMPLEが付いている時点で、無断利用はご法度であろう。
だから「創作しない人には分からない」と油を注いでみたところもあるのだが、そんなこと知る由もないA子はヒートアップ。
私も私で、よせばいいのに素材の無断利用のことに言及した。
A子の言い分はこうだ。
当たり前のことだ。
A子から見れば私は絵のことになるとムキになるらしいが、生憎私は絵を描かないので例えこれが画像素材でなくとも引き合いに出したであろう。
結局、何を言ったところでムキになるの一点張りで面倒くさくなり打ち止めた。
今回、良い機会だと思い素材のことに言及してみたのだが、どうすれば理解してくれるのだろう。
わかる。
だけど、とても悲しい。
第一回戦は早速、俺たちの出番だ。
ウォーミングアップを始める俺たちのもとに、見学に来ていた母は心配の声をかける。
「あなたたち本当にやるつもり?」
「ここまできて『やっぱりやめる』って選択はないよ。だったら最初からやるなって話になるからね」
俺と同じく、母もこの番組を面白いと思っている人間ではなかった。
だが、俺みたいな漠然としたものではなく、一応の“背景”があるから嫌悪感を露にしているのだと思う。
「“痛み”をエンターテイメントにするなんて低俗だし、それを楽しむのは不健全じゃないかしら……」
同じく見学に来ていた弟が母をなだめる。
弟は『イタガリアン』のファンで、俺が参加するとなったときも大層喜んだ。
今回の件で一番盛り上がっているのが、傍観者の弟ってのも妙な話である。
「諦めなって母さん。残念だけど、母さんみたいな繊細な人間相手にこの番組は作られていないし、そんな義務もないんだからさ」
「あなたたちは痛みに慣れすぎて、鈍感になってるのよ……」
母が言うと中々に重みのある言葉だ。
と同時に空虚さも感じる。
昔は人間の体のほうが多く比率を占めていたが、今では脳と心臓のみ。
つまり母は“痛み”に鈍感ですらなく、今では感じることすらできないわけだ。
だからこそ、自分が感じることができないものに対して慎重にモノを考えようとしているのかもしれない。
まあ、実際のところどうかは知らないし、知ったところで俺がどうこうするってわけでもないんだが。
「安心しろって。痛い思いをするのは俺じゃなくて、出場者のカジマのほうだからさ」
「そうそう」
「いや、それはそれでどうかと思うんだけど……」
そして第1回戦が始まる。
地元から参加者を募るから分かってはいたが、いきなり知り合いとの戦いである。
「お前ら、何で出場したの」
「オレはシロクロ! 最強の男!」
シロクロはそう言ってボディビルダーみたいなポージングをした。
どうやら大した理由ではないらしい。
恐らくシロクロの突発的な行動で、ガイドはそれに巻き込まれたってところだろう。
「さて、今回は“木の棒”です」
「出場者の方々は理解しているでしょうが、視聴者の方へ向けてルールを改めて説明をさせていただきます……」
数分かけて、司会者が丁寧すぎる説明を始めるが、ぶっちゃけ大したルールはない。
要はテーマ毎に決められた方法で痛めつけ、出場者はそれにいい感じのリアクションをすればいいだけだ。
こうやってルールを確認してみても、やっぱりこれゲームとして粗末すぎるな。
ルールを複雑化したら大衆ウケが悪くなるとはいえ、これだとテキトーすぎないか。
実際はどうあれ、パブリックな場ではノーと答えるのを俺たちは知っている。
そして、その答えが欺瞞であると反射的に思える程度には容認された、ありふれた光景であることも。
利己的に考えるなら、車にぶつからないと分かりきっている状態でも立ち止まるのは、実質的に時間の無駄だからだ。
だが、その“車にぶつからないと分かりきっている状態”、その認識を俺たちは共有できているのだろうか。
……なんて話をしていると、今回は交通に関する話かと思うかもしれないが、生憎ハズレだ。
“痛み”だ。
如何に簡単なクイズを出題できるかで競うんだが、参加者たちの分析によって攻略法が編み出されていくと内容がマンネリ化。
それを避けるためにルールを複雑にしていくが、そのせいで大半の視聴者はついていけなくなった。
結局『ライト・クイズ』は一年ほどでなくなり、番組側は新たな企画を作る必要に迫られる。
まずは『命の洗濯屋』という企画で、「疲れている人に様々な気晴らし方法を提供する」という趣旨だった。
だが、その実は無名の芸能人と一般人による観光番組の延長でしかなく、明らかな低予算感も相まって打ち切り。
そこで次に出たのが『あえての粗探し』という、賞賛の声が多い作品に対して批判点もあげていこうという企画。
他の番組がほとんど取り上げないようなレビューが見れるとして、これは割と好評だった。
だがある日、作品のファンによる抗議活動が行われ、その番組のファンとの間で争いが発生。
それが刑事事件にまで発展してしまい、番組は「不毛な対立煽りを助長した」として、已む無く打ち切りとなる。
その後は色々と迷走をするが、それを止めたのは『ライト・クイズ』での成功体験だった。
そうして出来たのが『イタガリアン』。
要はリアクション芸人がやっているようなことを、ゲーム形式で一般人もやってみようという企画だ。
これが見事に当たった。
『ライト・クイズ』での反省も踏まえてルールはシンプルにし、審査基準もあえてユルくすることで間口を広げた。
リアクション芸人たちのような体験が出来ることで番組は大盛り上がり。
更には、これがきっかけで俳優デビューする人まで出てきたことで一躍、有名企画となった。
ここまで話しといてナンだが、俺は正直この番組をそこまで面白いとは思っていない。
同級生の一部で盛り上がっているので、情報として知っているだけ。
じゃあ、俺はなんでこんな話をしたのか。
それは今回、その番組がロケ場所として、俺たちの住む町を選んだからだ。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
私は自分の書いたものが怪文書だと思ったことは一度もないが、君がそう思うことは尊重しよう。
興味本位でマネをするためにかける労力と、それで得られる快感は割に合わないからだ。
ここ匿名ダイアリーには様々な常連の書き手がいるが、彼らの真似をすることは難しくはないだろう。
当然、私のFAQだって例外ではなく、やろうと思えば誰でも出来る。
そして、それを継続して、相応の精度で出来る根性があるかとなったとき「何でそんなことしないといけないんだ」という答えに誰もがたどり着くだろう。
今回、学ぶべき教訓は「誰でも出来ることは、誰もがやりたいことではない」といったところだ。
出来たところで何の還元もないなら尚更な。
魚が食べられない者でも、何回かは食べるときだってあるし、食べたいかもと思うこともあるだろう。
だが、そのために綺麗な魚の食べ方を学んだところで大した意味がない。
魚を食べずに生きていけるよう努められるなら、そっちのほうが遥かに良いだろう。
短期的な興味本位は身を滅ぼすことになるというのに、それでも知りたいのか。
まあ、勿体つけるようなノウハウは何一つないので答えよう。
私が意識しているポイントは「個々の点に関しては一定の理があるが、繋がりは抽象的であること」かな。
例えば私がクリエーターだとしよう。
そして薄給だ。
そのことに不満を抱いている私は、ある日「私たちクリエーターに金が降りてこない」という告発記事を書くことにする。
その証拠として、スタッフ、スタジオやスポンサー企業などの問題点を散りばめていくんだ。
なぜなら、それを書いた私は“金の流れは分からないが、流れが止まっているのだけは分かっている状態”だからだ。
にも関わらず、自分が問題だと思っているものを挙げまくって、無理やり繋げ合わせる。
当然、傍から見れば「なんか問題提訴したいのは分かるけど、とっ散らかってて漠然としすぎている」という印象を抱かれるわけだ。
だが、そういう抽象的かつ不当な内容の文章でも一定の効力はある。
地方の大学に通いながら、これまた地方のIT企業でプログラミングするバイトしている。
そこの上司(30代前半)は、プログラム読めない書けない書こうともしない文系人間。システムの大まかな設計も把握できないらしい。
地方創生を自分の理念としてあれこれ動いているらしいが、聞けば地方創生の本読んで感動してそこに書かれているままに動いているらしい。
いろんなプロジェクトに首突っ込んで毎日忙しくしているが、どうもその全てに於いて上手くいっていない。
昼はぐうたら寝たりTwitterしたりベラベラしゃべったりして、仕事に全く手を付けない。
夜になってから焦って仕事してる。何が時間外労働じゃ、昼に働けや。
もうアホかと。
「じゃあ、どうすればいいんだ。ほぼ詰んでなくないか?」
この時点でかなり厳しい状況だった。
まあ、実を言うと、他の方法がなくはない。
多分、俺以外の奴も何人か思いついている。
「早くしてよ~、悩んでる暇あるならさ~」
カジマが余裕綽々といった具合に急かしてくる。
少し癇に障るが、ゲームで優位に立っている人間は得てして“ああいう風”になりがちだ。
それにカジマの人格を顧みれば、そこまで腹は立たない。
とはいえ、今の態度で確実に俺たちの僅かばかりの良心は消えたが。
「みんな、聞いてくれ。一つ方法がある」
まず俺たちがやったことは、数ターンかけてそれぞれの消費物を売買することだった。
「生憎、今は俺たちのもんだ。どうするかは俺たちが決める」
「オイラんところで働きたくないからって、そんな無意味なことしなくても……」
カジマはまだ気づかないようだが、当然この行為は単なる遅延行為ではない。
まあ、気づいたところで大したことは出来なかっただろうが。
そして、数ターン経過。
一人が買える消費物には制限があるから、随分と“調整”に時間がかかってしまった。
だが、これでひとまずは完了だ。
「……え~」
カジマはうな垂れている。
どうやら、やっと俺たちの作戦に気づいたらしい。
この時点で、俺たちは同じ数の消費物を持っている状態。
ただ、消費物がない人間がいる。
カジマもいるが、そっちじゃないぞ。
タイナイだ。
その代わり、あいつには大量の金があった。
俺たちから掻き集めた金だ。
これが作戦だ。
だったら団結して、カジマ以外に経営が出来る奴を作り出そうってわけだ。
意図的に金を一人のもとへ集めるため、それ以外はトップ争いから外れることを覚悟しないといけない。
実質的にゲームに参加させないことで勝つという、かなりエグいやり方だ。
だが、それでもカジマにやりたい放題させるよりはマシ。
「途中で裏切り者が出ないかとヒヤヒヤしたが、意外と上手くいったな」
後は流れである。
カジマは消費物を持たないため何も出来ない。
経営か、俺たちから買うことによって増やせるが、もちろん俺たちはどちらも拒否する。
良い条件を提示したとしても、だ。
カジマの“やり口”を知っている俺たちは、それが甘言でしかないと思っているからだ。
「みんな、酷くないっすか? 確かにオイラは悪どいやり方をしたけど、あくまでゲームとして戦術的に立ち回っただけなのに……」
カジマがいじけ始めたので、仕方なく俺はフォローに入る。
「尤もな主張だ、カジマ。だが、お前のやったことが戦術的だっていうのなら、俺たちのやったことだって戦術の範疇だって認めるべきだ」
「いや、でも、こんなの面白くないっすよ~!」
そりゃあ、面白くないに決まっている。
得てしてゲームにおける勝負というものは、“相手が面白くならないように立ち回る”ものだからだ。
そして、カジマが面白くないからといって、そこまで気遣う理由は俺たちにはない。