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はてなキーワード: 物質とは

2020-11-17

洗濯機の分解清掃後の雑巾を中性洗剤を入れたバケツ雑巾を浸け置きした結果界面活性剤の効果により浮き出た匂い物質には多量のネズミの糞が紛れている確率が高いと僕の鼻が判断した

所詮家を空けることが多く他の匂いとも紛れるクソ屋敷実家ではこうなる運命だった

猫が入りに来る訳だよ

まぁいいんじゃないんでしょうか

ネズミ取りしてるより有益でしょう

2020-11-16

ラインダンスレオタード少女ブルマー追記

宝塚レオタード

鉄腕アトム「透明巨人の巻」という話がある。若き天才である花房博士物質伝送機のせいで、ウサギ、魚、ロボットの融合した怪物になってしまエピソードで、「ハエ男の恐怖」が元になっている。その最終部で、博士悪党を罰するために物質伝送機であちこち飛ばしてヒーヒー言わせるドタバタがあるが、その中でラインダンスの真っただ中に飛ばす。悪党どもが冷や汗をかきながら一緒に踊ってごまかす横で、レオタード姿の女性が並んでいる。

また、これはどこで読んだのか忘れたのだが、手塚治虫宝塚劇場を訪れ、レオタードというか舞台衣装女性に囲まれて興奮のあまり卒倒しているコマのある漫画があったと記憶している。

つまるところ、こういうスカートレオタードラインダンス宝塚起源なのだろうか?

ラインダンスとは、というか、そもそもあれはラインダンスなのか?

まずは基礎的な情報を手に入れるために、ウィキペディアで「ラインダンス」を検索した。すると、意外な事実に行きあたった。

ラインダンスLine Dance)とは、ダンスフロアに整列し、全員が一斉に同じステップを踏むダンス。主にカントリー・ミュージックポップスなどの曲で踊られることが多いが、音楽ジャンル特に限定は無い。

また日本ではポンキッキーズという番組知名度を上げている。本番組場合では、主に小中学生女子椅子を一列に並べた状態で、ポンキッキーズれていた[ママ]曲や洋楽を流しながら座ったり立ったりしてラインダンスを行う形だった。それに加えて普通ダンスを混ぜて行う為に非常に難易度が高かったが、成功すると非常に見た目がよく、放送当時はこのダンス学芸会体育祭で取りあげる学校も多かった。

ひらけ! ポンキッキから視聴していた自分のような人間からすると非常に懐かしい。しかし、あの女子たちの踊りは確かに脚を上げるものではなかった。

それならば、あの踊りの名前は何か? 散々探し回った結果、次のことが分かった。横に並んで脚を上げる踊りはロケットダンスと呼ぶそうだ。なるほど、このキーワードで探すとたくさん見つかる。リンクが多いと投稿できないので、冒頭のhを抜く。

ttps://www.youtube.com/watch?v=4i7y6XE7sz8

ttps://www.nicovideo.jp/watch/sm31659056

宝塚だけでなく、松竹歌劇団映像も見つけることができた。

ttps://www.youtube.com/watch?v=fVewBno93RA&list=RDfVewBno93RA&start_radio=1&t=137

名称は、米国ダンスカンパニーロケッツからだろうか?(後ろの男性諸君笑顔がいい)

ロケッツは、1925年セントルイスで、「ミズーリロケッツ (Missouri Rockets)」として結成された。創設者ラッセル・マーカートは、1922年ブロードウェイの「ジーグフェルド・フォリーズ」で見た「the John Tiller Girls」(英国ダンスグループ)にヒントを得て、「もし、もっと背が高くてもっと脚が長いアメリカ人女の子たちに、複雑なタップダンスと目の高さのハイキックをさせることができたら...イチコロだ!」と確信した。

だが、ここから名前が来ているとすれば、ラインダンスフレンチ・カンカンではなくアメリカ起源ということになる。

宝塚レオタードはいからか?

第二次世界大戦終結後の1946年に、宝塚音楽舞踊学校宝塚音楽学校と改称し、4月22日から宝塚劇場で公演を再開した。再開第1作は『カルメン』『春のおどり』の二本立てで、大戦中に入団した計3期69名がラインダンス披露した。

とある。ここまでは想像がついた。宝塚ではなく松竹であるが、おおよそ同時代写真がある。

しかしながら、こんな記述もある。

1927年、岸田辰彌が欧米遊学から帰国。岸田はこの経験を活かして、日本初のレビュー『モン・パリ 〜吾が巴里よ!〜』を日本人の世界旅行記テーマにして制作する。同年9月1日から上演され、画期的な内容で大ヒットを記録した。主題歌レコードがヒット、当時としては露出の高い豪華な衣装話題となった。ラインダンスを初めて演目に取り入れ、16段ながら(現在は26段)大階段も登場した。以後、少女歌劇レビューに欠かせないものとして定着する。

まりラインダンス1927年にまでさかのぼるのだ! 実際問題、当時としては露出の高いと書かれているが、それがどの程度かはよくわからない。ウィキペディア写真はあるが不鮮明だからだ。歯がゆい

しかし、1930年の「パリゼット」の写真はあった。確実なことは言えないが、ほぼレオタードだ。日本国内で初めてバレエが演じられたのは1911年帝国劇場であり、レオタード的なものに対する抵抗は、わずかながらも減っていた可能性がある。

もちろん、戦時中はこんな派手な衣装ではない。

宝塚松竹カラーの違い

今まで、同じ少女歌劇団としてこの二者を併記したが、それぞれカラーは大きく異なる。長くなるが、「松竹歌劇団」の項から引用する。

宝塚歌劇との比較では、松竹歌劇の方がよりスピード感大人男性の嗜好(色香)を優先した演出を行っていた。これは片や下町浅草、片や山の手日比谷東京宝塚劇場)という、両者が拠点とした土地柄の違いによるものともされるが、前述のように、東京松竹が発足する以前から松竹レビューの基本要素には「エロティシズム」が含まれていた。青地晨は次のように述べている。「昔はズカファンにとっては松竹下品でみられなかったし、SKDファンには宝塚は気取って鼻もちならなかった。だが、二派に分れてシノギを削るほど、本質的な違いはなかったにせよ、宝塚松竹と、それぞれのカラアと伝統があったこはいうまでもない」。戦後占領期には松竹宝塚両方を取り上げる雑誌複数刊行されており、ある程度観客層の重複もあったとみられるが、戦前からファンには、両方を愛好するファンを「節操がない」と批判する向きもあったという。

こうした説を補強する、次のような画像がある。

1932年松竹の「らぶ・ぱれいど」公演の様子。 明確にレオタードを確認できる

また、個人ブログだが、こういう画像がある。

ここでは年代不明だが、ビキニ姿も確認できる。

報道姿勢問題

スポーツ新聞ではラインダンス撮影するとき、たいてい脚を上げているところを映しており、これってどうなのか、と思わなくもない。最近女子スポーツ写真をことさら性的撮影することを阻むため、JOC対策に乗り出すことにしたそうだ。いいことだと思う。女性スポーツを思い切り楽しむとともに、写真を撮る楽しみも守られるよう明確なガイドラインを望む。それと同時に、スポーツ新聞のこういうチアアンスコばっかり撮っちゃう傾向にも一定の歯止めがあってしかるべきだろう。ついでにノーバン始球式という表現ギャグが滑っている気がする。

しかし、自分も同罪かもしれない。ある程度読んでもらうためにはタイトルを工夫せねばならず、レオタードで読者を釣ってしまっている。

関係ないけど意外な事実

上記松竹歌劇団動画が含まれているリストをたどっていると、驚くべきものを見つけた。

https://www.youtube.com/watch?v=BVKkNAf1ruI&list=RDfVewBno93RA/

なんと、1940年代にはすでにチアの見せパンのようなもの存在していた! こうなると、見せパン歴史サーカス衣装などにまでその調査を広げないといけない。もっとも、これは見せパンなのかスカート付きレオタードなのか判然としない。一瞬お腹は見えてるけど……。

関係ないけど意外な事実その2

英語版ウィキペディアのshortの項には、bun huggers(ショーツみたいなブルマー)について次の記載があった。

In 2008 it was noted that the International Volleyball Federation used to require that female volleyball players wear such garments while playing.

2008年、国際バレー連盟女性バレー選手はそうした衣装ショーツブルマー)を協議中に使うように要求されていた。

なんと、ブルマータイプ衣装強制21世紀になっても行われていたのであるにわかには信じがたい。以前にはビーチバレー衣装強制について調べたが、問題はここにもあったのである

さいわい、こうしたことは昨今になって改善され、好きなものを着ていいことになった。動きやすいようにショートパンツが多いが、ブルマー強制されなくて本当に良かった。

僕はブルマーが好きだ。だが、強制は大嫌いだ。ブルマーが好きなら嫌がる女性にはかせて喜ぶなどもってのほかだ。

それとは別に「Short shorts」と呼ばれる短パンがあることも知った。自分が以前の記事1930年 The Women’s League of Health And Beauty=The Woman’s League of Health and Beautyブルマーのものナチス時代ブルマーカウントしていたのはこれだったかもしれない。やはり写真だけではわからないことが多いが、念のため訂正しておく。ブルマー世界的な分布についても、再考を要する。

結論

今後の展望

今回は、フレンチ・カンカンへの興味から派生して、ラインダンスについて調べた。1930年代にまでさかのぼることが分かったが、それがフレンチ・カンカンからの影響を受けているとはっきり示すには至っていない。彼がパリにいたのは名高いMistinguettが活躍した時期のことで年代矛盾はないが、証拠は不十分である

また、追加調査により、ブルマーや見せパンの広がりの年代がかなりずれる可能性が見つかった。今後も調査に役立ちそうなキーワードが見つかり次第、記録していきたい。

2020-11-15

NTRに目覚めたかもしれない

これNTRなんだろうか

NTRって意味不明だったんだけど

なんか浮気のような強い嫉妬ストレスが掛かった時に勃起することがわかった

そして抜くと何らかの脳内物質のお陰でストレスが緩和することがわかった

これが何度か繰り返されることで、ストレス欲情という変なスイッチが作られたと思う

ただこれ、世間ジャンル化されてるNTRと違う気がするんだけどどうなんだろう

強いストレス下における防衛反応みたいな感じ

多分ドM原理的には同じ

今にも自殺しようかみたいな状態から一瞬、だいたい30分くらいだけ沈静化する

そのまま眠れたら起きるまでは大丈夫

もちろんNTRを求める気持ちは一ミリもないし結局死にたいんだけど

NTRより泣きシコの方かもしれない

2020-11-14

anond:20201114143636

別に論破してやろうという意地悪ではなく、「生まれたくなった」レベル人生苦痛を感じている人が今すぐ安楽な自殺を選ばない理由が本当にわからない。

ネット検索すればほぼ苦痛を感じずに即死できる方法など見つかるだろうに(市販品を混ぜて化学物質を発生させるアレとか)。

自殺したら地獄に落ちて永遠の責め苦を受けるから苦痛の生を耐え抜くべきとか、そういう宗教的理由

2020-11-10

ヤリマンの先輩元気にしてるかな

高校の時近所にヤリマンの先輩いて

童貞卒業させてもらった

一番セックスが優しいからって理由しょっちゅうセックスさせてくれた

はじめてやらせてもらった時はこの世が天国のように思えてずっと幸せ脳内物質しばらく出っぱなし

その後の人生においても根拠のない自信に繋がったし女の扱い方もめちゃくちゃ勉強になって、好きになった人に自分の良さをアピールできるようになった

ヤリマンの先輩には感謝しかない

幸せになってて欲しい

わし神だけど、ちょっと生き物の設計する時に手抜きしすぎた

いろんな元素作って宇宙にばらまいたけ物質だけだと見てて飽きちゃうので

自律的活動する存在をということで生き物を設計して作ったんじゃが

手抜き設計しすぎてあいつら全体のバランスのことを考えずに私欲的に活動しよる

最初ハイペースで活動してて見てて面白かったんじゃけど

最近は手抜き設計すぎたと反省しちょる

ゴメリン神様適当仕事しちった

もうちょっと賢く活動する存在にすればよかった

2020-11-06

anond:20201106062025

からさ、金大中がどうだのって話が戦前戦中の事実に何か関連しますか?

懲りずにこれが!あれが!って言い続けてるあたり全く理解できてないようだけど

賠償謝罪も過ちを帳消しにはできるものではないので話としては同じこと

過ちの記憶反省継承することこそがまず求められることであって、物質的なもの言葉なんて二の次三の次なんですよ

これはもちろん慰安婦問題戦争犯罪に限った話ではないけれども、そういう行為拒否しようとしてるのが歴史修正主義のものでしょうよ

anond:20201106081600

食事といえば、ちょうどブリトニースピアーズくらいの世代が影響を受けたんだっけ?乳牛の飼料に人体を巨乳化させる物質が含まれてたのが後から調べて発覚したアメリカでの話があったような

2020-10-30

anond:20201030202544

そんな都合のいい物質はないか...それはそれとしていいこと聞いたわ

サーキュレーター注文するわ

洗濯進化しなさがクソ

水以外を溶媒として用いる洗濯手法ってないんか

親油基持ってて気温程度で気化するクソ安い物質ないんか?

洗濯物乾かなくてクソなんだが

anond:20201029002506

アットノンとかそういう系のヘパリン類似物質orヘパリンの入ってるやつは試してみた?

これはもうどうにもなりませんわwwwって思ってた低温やけどの跡がまわりの皮膚と同じ色にまでなったよ~

個人差あるだろうし絶対とは言えないけどよかったら試してみてね 私にはマジで引くほど効いた

2020-10-29

KKO人生もいよいよ9回裏の大逆転もなく敗戦試合が濃厚になってきた今日この頃

ミシェルウエルベック素粒子という小説を思い出すことが多い

素粒子現代フランス舞台にした小説で、異父兄弟の二人のフランス人が主人公

兄は子供の頃から非モテ人生を歩み続けて人格が歪んでしまったKKO

弟は天才頭脳に恵まれながら、コミュ障うつ気質科学者

この二人と周辺人物セックス翻弄された悲惨人生を描く小説

この小説では登場人物はみなそれぞれに孤独であり、心を通わせるコミュニケーションを取ることができない

そんな登場人物たちを物質構成する最小単位絶対に混じり合うことがない存在として素粒子に喩えているのだが、

ブリュノは非モテ性的コンプの塊なのだが、実はお見合い結婚してちゃんと嫁がいるんだよな

やはり愛とセックスの国フランスKKOハードルが高いぜと思わされた

anond:20181028171217

効果があるとか医療サイトで見たことある

カフェインと色々混ぜると元気が出る物質になるらしいぞ

カフカかい流行らない作家がいる

 勿論タイトル釣りで、カフカは全世界に影響を与えたユダヤ人かつオーストリアチェコ)人なわけですけど。

 独文学というとカフカカフカというと独文学。そんな感じですよね、実際のところ独(語)文学においてはトーマス・マンとかゲーテとか他にも様々な著名な作家がいるわけですけれど、カフカはその研究テーマとしては比較ポピュラーな御仁でありますユダヤ人の家庭に生まれ生地である現在チェコプラハ言語に依らずドイツ語にて創作を目指したカフカの、ミステリアス人間性はその作品群に対しても同様に、謎めいたベールを投げ掛けています

 カフカ文学をお読みになられたことはございますでしょうか。まあ僕もそれほど熱心な読者とは言えないかもしれないのですが、とりあえず『変身』・『城』・『審判』のほか幾つか著名な短編を読ませて頂きました。まあカフカ作品の特徴は、感情的な部分を敢えて抑制するところにあります。勿論十分に感傷的な部分を持った短編とかも散見されるのですが、基本的に、感情の伝達、あるいはその伝達の手段としての文学というものカフカはあまり信頼していなかったのではないかとも思われるのです。というのは、基本的に作中人物達は様々な問題に取り囲まれていることが多いのですが、弱音を吐くことがあまりなく、ついでに言えば仮にその感情というものが滲み出るにしても、基本的にそれはレトリック暗喩といった形によって示されるので、はっきりとした感情というものが作中に表れるということは稀なんですね。この辺に、カフカ抑制的な人格と、コミュニケーションそれ自体に対するカフカ立場というものが表れているように思われますカフカ基本的コミュニケーションというものを信用しておらず、また、コミュニケーションを通して自分自身人生をくつろげるものに変える努力に関しても、冷ややかな見方をしてきたように思われるのです。

 コミュニケーションという営みは人間基本的に切り離せないもので、人間はそれを用いて自分人生他人人生コントロールしようとします。しかし、そのような一般的コミュニケーション立場と、カフカコミュニケーションに対する立場は明らかに違うように思われますとはいえカフカの立たされていた環境を考えれば、我々が用いるようなコミュニケーションのあり方と、カフカにおけるコミュニケーションのあり方との乖離は、さして驚くべきものではないでしょう。

 つまりカフカユダヤ人でありかつオーストリア人でありかつチェコ人と呼べる極めて国家国民性というアイデンティティが複雑に錯綜した人物であったからです。これはカフカ研究においては極めて一般的な基礎知識ですが、カフカ現在チェコに当たる地域で生まれたにも関わらず、その日常においてはチェコの土着言語を用いずにドイツ語を用いました。また、当然のことながら創作においてもドイツ語を用いておりました。チェコで生まれながらにしてチェコ語を使うことを許されない――つまりカフカ自身の持つ言語によってさえ一種の疎外を受けていたと言えるわけです。超基本です。

 カフカにとってコミュニケーションとは――なかんづく、コミュニケーション根本的に支える言語というものは――自身人生リラックスさせ、他者との間に健全コミュニケーションを成立させる、我々における言語のあり方とは少しばかり違うものだったということです。カフカは生まれながらにして一種異邦人であった、ということですね。この「異邦人」という記述はもはや陳腐な言い方なのでしょうがしかしやはりこの視点カフカ理解する上では切っても切れない重要な点となりますカフカはそのアイデンティティの複雑さ故に、生粋異邦人でありましたし、そして彼が用いる言語レトリック基本的に、一種生存戦略だったのです。要は、植民地支配を受けた国家国民が土着言語を用いず宗主国言語を用いるのに近い、生存戦略の一環として言語を用いる生活を送ることが、彼の人生においては定められていたのです。我々にとって言語人格は複雑に結びつき、そして、自身人格感情を表す際に、極めて重要役割を演じます。恐らく、この世界におけるほぼ100%近い人類が、言語に対してそれと同じ感覚を抱いていることでしょう。しかカフカにおいてはそれは事実ではありません。

 カフカ作品群において、カフカ言葉によって感情を語ることはありません。カフカが語る感情は、物語構成依存しているか、ないしは物語中における舞台装置によって、つまり暗喩によってのみ語られることとなります。その、感情表現の大いなる欠落が、カフカ文章における特徴ですらあるのです。あるいは、それは仏教における「見立て」の感覚に近いかもしれません。つまりは、一種の擬似的な曼荼羅と言いましょうか、物事物質をある特定の配置に並べ変えることで、何らかの物質を超えたメッセージを贈ろうとする試み。枯山水現実自然を表すように、カフカはある種の機械や道具立てによってのみ自身感情説明しようとし、翻って言うならば、カフカは直接的な表現によって感情説明しようとなどしなかったのです。感情の欠落。

 この「感情の欠落」が文学の特徴であることは明らかにカフカが作り上げた文学の一潮流と言えると思います。後年の作家であるトーマス・マン文学においても、感情内省と言うべき人間の心のあり方が、敢えて描かれない抑制的な文体の影を見ることができるように思われます感情とはなんなのでしょうか? コミュニケーション言語は、我々にとって慰めと言えるものなのでしょうか? カフカはそれに対して否と答えます言語は、必ずしも我々に結びついていない。同時に、言語を基底として成り立っているコミュニケーションもまた、我々に属していない。我々は、根本的に言語によってコミュニケーションを取ることができない。

 しかしそのコミュニケーションへの失望結論ではないのです。何故ならカフカは、コミュニケーション失望をしていてさえなお、小説ものしたのですから

 何故カフカ文学を書いたのでしょうか? 文学自己表現である、という一般的見方と、カフカ文学的なあり方には乖離があるように思えてなりません。カフカにおいては寧ろ、文学自己から自己への感情乖離です。いわば自己自己に対する乖離のものです。

 そのような営みは、恐らくカフカ人間性に淀みを与えているようにさえ思えます自己自己に対する分離、乖離を通して、恐らく彼の感情も一部彼から乖離し、分離していたからです。そのような営みが、彼にとって一体何だったのか? それは我々には想像するほかありません。短絡的に考えれば、その営みは、その乖離と分離の営みは、単純な自己破壊行為であったと断じれるかもしれません。自己から自己を分離し、乖離させることは、明らかに自己にとって好影響を及ぼす行為ではないからです。とは言え、彼の行為は本当にその自己破壊目的にしていたのでしょうか? あるいは、世の人々が芸術家小説家に対してしばしば言うように、彼は文学というものを用いて、彼の生命生活痕跡世界に残そうとしたのでしょうか? それも、疑わしいと僕には思われます。つまりカフカ文学コミュニケーションに対する諦観なのですから。そこには、コミュニケーション言語に対する深い諦めの影の姿を見て取るほかないのです。

 結論から言えば、カフカ文章を書いていたのは、恐らく乖離目的とした、逃避行動だったと言えるでしょう。そして同時に、彼は自己から自己乖離させることによって、一般論的に自己省察を深めようとしたのでしょう。敢えて、自己から自己を分離させることによって、自己省察可能対象として対置する行為が、彼の文学目的の一部だったと言えるでしょう。


 このような記述文学における一般論範疇を出たものではなく、彼の人生文学目的は未だもって謎に包まれていますカフカに限らず、一部の文学者は、そして小説家は、コミュニケーション媒体である文字言語を用いながらに、コミュニケーションを諦めているのであり、つまりは何かを伝えようとしながらに、我々に対して何も伝えようとなどしていないのです。あるいは、最終的には彼らのような小説家の目的は、一言によって表せられるのかもしれません。

 つまりは、彼らは何かを諦めたかったのであろうと。

雨だ

月も雲隠れと言うやつか

青雲だけが月を見ており

地上の八つ当たり物質として垂れる人間には月が見え無い

のでしょうか

野で消化

2020-10-28

anond:20201028220641

ガスパン遊び説明不足で申し訳ない。

しろじっくり調べて欲しい。

こんな遊びをガチでしている未成年が居るのが信じれない。

シンナーとかカセットボンベの中身が引火性物質って常識なのに・・・

anond:20201028220303

脳みそ特定の部位を電気や音波や化学物質等で的確に刺激できるようになれば、あるいは。

子ども〉のための哲学永井均)を読んだ感想 前半

理解」をどう考えているか、これについての私の根幹(基礎)はオートポイエーシスに準じている。

オートポイエーシスの詳しい説明は省くが、神経細胞情報伝達を行う際、シナプス行為理解しない。ひとつ作業を行うのみであり、結果のための行為連想しない。シナプスにとっては、「物質を伝達する」という行為目的であり結果となり、それらが組み合わさって何が起こるかを理解しない。

まり、最終的に現れるもの(たとえば人体の中で起こりうる結果反応など)はすべて、「行為副産物」としてしか存在し得ないということ。これは非常に重要事実である

本来理解」というものもそのように行われるべきである。一番重要なことは「わからない」ことである。わからない、を通過しない限り、「理解(と呼びたくなるようなもの、それに準ずる、付随する周辺のものもの)」を得ることはできない。

これについては同授業を受け持っていた河本英雄の「飽きる力」なんかを読めば少しわかると思う。

この文を書き始めた当初は、この前提を元に本文を整理していこうと最初は考えていたのだが、結局本文に「哲学哲学をしている瞬間にしか浮上しない」とはっきり銘打たれていた。だからもはや、一文を取り上げて「ここの箇所は〜」などと言語化することは意味を持たない。それ(ここでは〈哲学〉とする)が"それ"たらしめるやり方でのみ、発見できることであるならば、そう(そのやり方で)やる他ないと思うので、それに倣おう。

あとあちこちに書くのも煩わしいので、一度に留めるが、わたしが書いている内容について読み違えや相当しない批判(等)があれば、気づいた場合指摘してほしい。(それこそがきっと哲学なのだろうし。)

はじめに(5p)、から問いの合間に(125p)までを読んで

・〈哲学〉(「哲学」ではない)について

本文にあるようなやり方の〈哲学〉については実感がある。実感はあるが、しかしそれは子どもの時からすでに最初から青年の」〈哲学〉であったように思う。少なくとも、目の前に与えられた課題は年端のいかない子どもには大きすぎたし、それについて、しかし取り組む以外の選択肢を(子どもながらの純粋性ゆえに)持つことができなかった。だから最初から、なぜ〈他者〉がいるのか、という疑問は生じずに、〈他者〉と対峙するにはどうすべきか、をひたすら〈哲学〉し続ける時間が幼少期〜思春期であった。

からなるほど、やはり「疑念」が問いを生むのであり、疑念を持たないものは問いに遭遇しない。よく感じる違和感は、「問いを持たない人間」と(「問いを持つもの」と)の世界の断絶である世界には大きな断絶があるということを改めて実感したのだった。(断絶の是非はここでは問わない)

・〈ぼく〉という特別さの有無について

さて、書いたようにわたしは「なぜ〈ぼく〉が存在するのか」という疑念を持たなかったのでその問いに衝突していないし、そして付随する「〈ぼく〉という存在特別さとはいかなるものか」という問いにも当たっていない。しかし読み進めていくと、「特別さ」を論じれば論じるほどそれは「一般性」に落とし込められていくという矛盾が現れ、結局「言語での言い換えを繰り返すよりほかない」という結論(?)に達している。とりあえず本文の結論についてはさておき、わたし感想を書いておく。結果から述べると永井均認識論的傾向(95p)とは真逆であり、非存在論的(本文に即して使う)立場にいると言わざるを得ない。

まず78pに自分が二人に分裂した際に、もう片方をどう「認識」するかという問題。少なくとも、それが「〈ぼく〉であるか、でないかは、ワカラナイ」というのがわたし意見である。つまり意識としての〈ぼく〉が2地点に存在して、それぞれの思考でそれぞれを〈ぼく〉としない、という前提にどうしても立つことができない。

特別さの証明からは少し離れるが、「攻殻機動隊」という作品はこの独我論観点なしには見ることができない。登場人物たちは車を買い換えるようにボディ(身体)を換えることができ、脳(アニメ内では脳核と呼ぶ)に宿った意識アニメ内ではゴースト)はそのままで、新しい肉体を得る。しかしそれは本当に連続性を伴った自己なのか?確認するすべはない。

まあ結局、「確認認識)できるとしたら」という前提で論じている内容において、反駁することはない(できない)。なので、真逆認識論にたった時に、どのようにしてその「特別さ」を得るかというのを考えてみるとこうである他者認識できている限り、その「特別さ」を論じることはできない。理由はなんでもいいのだが、例えば「論理他者に向かって開かれている」ことは明白である。少なくとも、本書のように、本は他者が読むことを前提として書かれている。おそらく永井均としては「普遍化できない偶然性の問題」を「論理」立てることこそが〈哲学である、ということを言いたいのではないか、と思う。しかし、わたしの知る範囲ではそれは矛盾する。であればやはり(今の所は)前提を変えてみるしかないのである

ないことの確認はできない。つまりそれを鑑賞する他者がいないことを確認できない位置に移動して、ようやく「特別さ」が浮上するのではないか。そしてそれはすなわち、99pで引用されているウィトゲンシュタインの一節に他ならない。結局は「理解されない」ということを目指さなければ、少なくとも「特別さ」を論じることにはならない、ということだろう。

(余談だが99p9lの永井解説についてはまだ理解が追いついていない。いずれ何度か読み直してみよう)

言語言語性について

ウィトゲンシュタインの本を読んだことはないが、ウィトゲンシュタイン友達をつくらず、本当に人里を離れてたった一人で暮らしていたという逸話を知っていて、勝手に親近感を寄せているのであるが、それはともかく彼の主題命題)に「言語」があったというのは興味深い。

わたしは〈哲学〉についての興味をある時点である程度(完全にではないが)喪失した。それはそもそもわたし最初に向き合った命題が「他者」であり、自己ではなかったことなんかも関係していると思う。そして、「他者」を自分なりに〈哲学〉して18年くらいたったころに、自分なりの「納得」(102p)に到達してしまった。本来、〈哲学〉のみならず、人生だとか生きるだとかいうことは「満足」を永遠に避けることだと考えている。「得て」しまったらそこはゴールなのだ。ゴールっていうのは何にもない場所だ。しかし、「他者」に限っては、(とにかくわたしがそれを生きる上で最も苦手としているがゆえになおさら結論を得てしまった。そしてわたしは〈哲学〉する目的(あるいは理由)を喪失したのだ。

しか言語に関する関心が残った(に関する関心は重言だろうか)。本文でも「読み換えが無限になされる場所(98p)」について書かれているが、この点に関してわたしは非常に興味がある。物事表現が、「言語分野」に大きく偏っている人間社会面白いことに動物社会とは全く異なるらしい)において、その役割は異常なほどである言語をどのように理解し、駆使するか(論理思考など)、これを〈哲学〉とどう関連づけるか、というのも面白い命題である。例えば思考についていうと言語以外の役割が大きい。つまり「頭の中で考えたことを文章にする」というのは、その時点で「考えたこと」から抽出が起きているのである。おそらく永井のいう〈哲学〉は「考えたことまで全部」を含むはずであるから抽出された、アウトプットされた結果のみを受け入れる(ざるを得ない)という現状には実は即していなかったりするのではないかわたしは今の本業言語ちょっとだけ"学")なのであるが、こういった観点を与えられるのは、やはり読書(時には他者自分の内側に入れてみること)もいいなあと思った。

・世の人が平均的に上げ底を見ようとする世界は遠い

なんにしても、とにかく、「無駄」が必要である(115~116p)という、それこそが本質であるという点にはその通りなのでその通りとしか言いようがないし、やはりそうであった、という安心を再び得る。結局資本主義的な世界にいると、いつ何時も、寝ても覚めても視界に入ったものから、耳に入ったものから、全てにおいてから常に四六時中見張られ、「資本主義的な価値観に即して生きているか」を刷り込みをされ続ける(そしてこれはきっと死ぬまで終わらない)。おそらく、これは想像しかないが、哲学をやろうとアカデミーなかに駆け込んで、その中で安息を得たとしても、その「刷り込みから逃れることはできないのではないか。(数学者望月先生のように「数学を生きる」ことができるレベルまで達せられていればもしかしたら、刷り込みから逃れられているのかもしれないが、これもまた憶測の域を出ない)

〈ぼく〉という特別さの有無を求めるより圧倒的に明快で単純で本質的なこと(無駄を生きるということは)なのに、たまたま、悲しいことに、全くもって信じられないほどの不運な状況であるがゆえに、それが通用しない(しづらい)世界にいるのだ。それを嘆くことは10年くらいやって飽きたが、時折(残念なことに恒常的な機会を得ていない)こうして「本質」に触れることで「正気」を取り戻すというのは大事作業である

さて本文の(前半部分の)感想は異常であるが、2点反駁したい箇所があるのでそれも書いておく。

1箇所目(17p,9l)

あっさりと「哲学し続ける内的必然性をなくした」などと書いてあるから吃驚仰天である。内的必然性と引き換えに得ることができるものほど「瑣末な」ものはない。これでは魂を売ったのと同義ではないか。何度か他の場所でも書いているが、「価値観他者に阿るのは心臓他者に預けているのと同じことだ」とわたしは思う。他者自己存在理由にはなり得ない。少し引用を用いるが「心の哲学まとめWiki」より、一文。「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」と考える(『〈魂〉に対する態度』p.123,p.187) 。

その原点である自己をなぜ切り売りできるのだろう?「欠陥を売り物にする方法で得た救い」なんていうチンケなものはさっさと捨てるべきである世界とつながる唯一の原点=〈私〉をもっと大事にしなさい。

2箇所目(111p,11l)

この人は政治政治議論をなんだと考えているのだろう。そもそも、少なくとも望むと望まざると関わらずに(生まれた時からすでに資本主義社会に生きているように)、法治国家に生まれしまったのだから、その国家の参画者である限り「政治を避けて」は生きれない。自ら国籍を捨て(例えばスノーデンのような)、亡命を図るなどの意図画策があれば別であるが、生きていれば必ず住民税がかかり、ものを買えば必ず消費税を払っているのと同様に、政治をせずに生きることはできない。酸素をなくして呼吸ができないのと同義だ。なのにこの人はまるで自分政治、または政治議論したことがないかのように宣う。しかし指摘したいのはそのアティテュードではなく、政治議論方法についてである

自分と同じ主張を別の論拠から擁護してくれる人は、最もたのもしい協力者だろう」とは一体、どうしたらこんな思想にたどり着けるのだろうか。圧倒的に間違っている。(これだから日本左派は無様なんだ)

はっきり言っておくが、政治議論はその主張の是非ではなく、その論拠にある。だから全く異なる人間政治家)を支持していても、その論拠次第によっては戦友となりうるし、同様に全く同じ政治家を支持していても論拠によっては一線を画する必要があるのだ。当たり前の話であるタイムリー話題したことだが、「マスクをつけないということは、マスクをつけたくないという人間擁護する態度を含意しない」。これは明白で、結果(マスクをつけない)が同じだからと言って論拠が異なる場合、それは全くもって「たのもしい協力者」なんかではあり得ない。

5000字も書いてしまった。後半は気が向いたらかく。

2020-10-23

anond:20201023115351

営業コンサルをやっていて性病になったり、ヤバ客に付き纏われたり、

経験を積むほど価値が下がるとか無いので

 

なにより業務中に性病になる職業セックスワークしかない

 

繰り返すけどデジタルセックスワークなら消極的に有りだと思うよ

メンヘラだと思うので人の親にはならないで欲しいけど

 

○ 1.注意したい病気

性風俗お仕事をされる場合特に性感染症への注意が必要です。性感染症には、代表的ものでは下記のようなものが挙げられます

梅毒、淋菌感染症性器クラミジア感染症性器ヘルペス尖圭コンジローマ、膣トリコモナス症、毛ジラミ症、B型肝炎C型肝炎HIV感染症、などがあります

腹痛、外陰部のかゆみ、痛み、おりものの異常、おりもの匂いがきになる、外陰部のいぼ、おでき、水ぶくれ、潰瘍、なかなか治らない手や足の赤い湿疹、微熱が続く、などなど、気になる症状がある時は、婦人科受診おすすめします。また、症状が無くても感染している場合もあります

次の章でくわしくご説明します。

 

○ 2.最低1ヶ月に一度は性感染症性病)の検査しましょう

 

性風俗お仕事をされている場合、症状が無くても定期的な性感染症性病)の検査必要です。性感染症には潜伏期間があります潜伏期間というのは、感染しても症状が出ない、または検査しても出ない期間のことを言います性感染症病気潜伏期間、症状についてご説明します。

1)性器ヘルペス

 

単純ヘルペスウイルスI型もしくはⅡ型によって起こる病気です。潜伏期間は2日から10日で、外陰部に痛みやかゆみ、水ぶくれができ、それが崩れて潰瘍になります。初めての感染では38度くらいの発熱頭痛、痛みで排尿ができないなど、入院するような重症になることもあります。再発の場合は、症状は比較的軽く、前回と同じ場所に水ぶくれや潰瘍ができますヘルペスが出る前にかゆみや痛み、神経痛のような症状が出ることもありますヘルペスウイルスが一旦体に入ると、完治することがないため、症状が出ていない時も膣の分泌物内にウイルスが排菌されています。これを無症候性排泄といいますセックス相手免疫力が低下している場合や、相手性器に傷があるとそこからウイルス感染します。直接膣内に、ペニスが挿入されていなくても、水ぶくれや潰瘍に触れると感染する可能性があります。また、家族間で濡れたバスタオルを使いまわしたりすると、感染することがあります

 

2)淋菌感染症

 

淋菌による感染症であり、主に男性尿道炎、女性の子宮頸管炎を引き起こします。(女性でも尿道炎になる事があります男性では2日から7日の潜伏期間ののちに症状が出ますが、女性では無症状の例が多く、感染していてもまだ治療を受けていない事が多く見られます腹膜炎を起こすこともあり注意が必要です。のどの淋菌感染症は治りにくいこともあり、治療後は必ず再検査を行いますクラミジアに続き、頻度の高い性感染症です。膣内にペニスの挿入がなくても、相手の分泌物や精液が外陰部や膣の入り口にかかったり、指などを介して膣内に入れば感染する可能性があります性交渉でのみ感染する性感染症です。

 

3)性器クラミジア感染症

 

大変頻度の高い性感染症です。女性場合は、感染後1−3週間で発症するといわれています感染すると子宮から卵管を経て、お腹の中に侵入し、子宮付属器炎や骨盤腹膜炎を起こすことがあります。卵管の癒着子宮妊娠の原因になり、不妊症の原因になります女性クラミジア感染症は、性交後の出血、おりものが多い、水っぽい、おりものが臭う、腹痛などの症状があることもありますが、全く無症状のことも多く、検査しないとわからないこともあります。膣内にペニスの挿入がなくても、相手の分泌物や精液が外陰部や膣の入り口にかかったり、指などを介して膣内に入れば感染する可能性があります性交渉でのみ感染する性感染症です。

 

4)梅毒

 

梅毒は2015年くらいか日本でも大変流行しています梅毒病原体であるTreponema pallidum subspecies pallidum(T.p.)による感染症で性行為またはそれに類する行為により感染します。一般に皮膚や粘膜の小さなきずからT.p.が入る事で感染します。梅毒はその感染時期によって第1期から第4期に分けられます

  

5)B型肝炎

 

B型肝炎B型肝炎ウイルスHBV)が感染して起こりますHBV感染では性行為による感染ののち、2−6週でHBs抗原が陽性化します。感染者の血液や体液に触れると感染する可能性があります。 感染力が強いので、キスオーラセックス、性行為感染します。同じ食器使用しても感染することがあります。症状は倦怠感、微熱、悪心(ムカムカする)嘔吐黄疸(白目の部分が黄色くなる)などの症状がありますが無症状のこともあります検査で陽性となった場合は、内科受診をお願いしております内科へのご紹介もできます

 

6)C型肝炎

 

C型肝炎ウイルスHCV)の感染によって起こる病気です。B型肝炎に比べて感染力は強くありませんが、性交渉感染経路の一つですがその頻度は低いとされています。症状は倦怠感などがあることもありますが、無症状で健康診断などの血液検査で肝機能障害を指摘されて発見されることもあります検査で陽性となった場合は、内科受診をお願いしております内科へのご紹介もできます

 

7)HIV感染症

 

HIV(Human Immunodeficiency Virus)感染症は、血液、体液などを介して感染する感染症で、現在日本では、異性間(男女間)または男性同性間(男性男性)の性的接触が主な感染経路です。感染者の多くは感染していることを自覚していないため、他の人に移していることや、効果的な治療を受けることもなく、エイズ(Acquired Immunodeficiency Syndrome AIDS)を発症する患者さんもいます。他の性感染症にかかっていると、局所傷害のためにHIVを伝搬しやすくなるとともに、感染を受けやすい状況になります

潜伏期間は、数週間~十数年間です。感染初期に、発熱、のどの痛みや倦怠感などのインフルエンザに似た症状が出ることもありますが、数週間でおさまります抵抗力が落ちてくると、発熱下痢などの様々な症状があらわれ、さら病気が進行すると、肺炎(ニューモシスチス肺炎)や脳炎HIV脳症)になったり、腫れもの(カポジ肉腫)ができたりするなどの日和見感染症悪性腫瘍を併発します。必ず、定期的に検査しましょう。

当クリニックでも自費で検査ができます、またお住いの地方自治体で(区役所など)無料検査が受けられます匿名でも受ける事ができます。詳しくはお住まいになっている区役所市役所ウェブサイトをご覧ください。

 

8)尖圭コンジローマ

 

潜伏期間は、約2.8ヶ月と言われていますHPVウイルス(6型11型)が原因で起こるウイルス性のイボです。コンドーム使用していても、コンドームで覆われていないところ、ペニスの根元、肛門周囲や、男性の陰嚢などにイボがあれば、それに触れたところに感染する可能性があります相手免疫力が低かったり、傷があったりするとそこからウイルス侵入してイボを作り、どんどん増えます。一旦治ったように見えても潜伏感染している事があり、妊娠中に再発し、大きくなることがあります出産の時に赤ちゃんののどに感染するとイボができて窒息することもあるため、子宮頸がんのワクチンにコンジローマワクチンが組み込まれました。現在日本で取り扱いのある4価のワクチンガーダシルに含まれています。詳しくはこちらをご覧ください。子宮頸がんワクチンの接種ご希望の際はクリニックまでお電話ください、予約制になります

 

9)膣トリコモナス症

 

潜伏期間は4日から7日くらいで、黄色悪臭のするおりものが出ます。外陰部のかゆみ、痛み、おりものが多い、変な臭いがする、性交時や性交後の出血などの症状がありますトリコモナスは性行為感染することが多いですが、まれ公衆浴場などで感染することもありますタオルやお風呂椅子シーツなどでも感染することがあります男性検査をしても出にくいことがあり、保菌者となっている可能性もあります

 

10)毛ジラミ症

 

吸血性昆虫であるジラミが寄生することによって発症し、主に性行為によって感染します。主な寄生部位は陰毛ですが、頭にも寄生することがあります。稀な性感染症ですが、かゆみを伴い、下着に小さな黒いしみ(吸血された後の皮膚から出血による小さい点状のしみ)が認められることがあります発症の多くは感染1−2ヶ月後が多い様です。あまりかゆみを訴えない患者様もいらっしゃいます。産卵後、卵は7日前後孵化し、脱皮し3齢幼虫を経て約20日前後で成虫となり、1−2日後に卵を産み始めますライフサイクルは3−4週間です。主に陰毛や頭髪の根元に卵を産みますが、セメント物質なので、なかなか洗っても取れません。陰毛に何か白い小さな粒がついていたら要注意です。すぐに毛を全部剃るか、スミスリンシャンプーパウダー薬局に売っています)を使うと治療できますシーツなどでうつることもあるため、下着や枕カバーソファーカバーシーツなどは洗濯して乾燥させ、アイロンをかけると毛ジラミの卵が付いていても死んでしまます

 

性風俗お仕事をされている方へ(1)注意すべき病気

https://ikuail.com/%e6%80%a7%e9%a2%a8%e4%bf%97%e3%81%ae%e3%81%8a%e4%bb%95%e4%ba%8b%e3%82%92%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e6%96%b9%e3%81%b8%e3%83%88%e3%83%83%e3%83%97%e3%83%9a%e3%83%bc%e3%82%b8/%e6%80%a7%e9%a2%a8%e4%bf%97%e3%81%ae%e3%81%8a%e4%bb%95%e4%ba%8b%e3%82%92%e3%81%95%e3%82%8c%e3%81%a6%e3%81%84%e3%82%8b%e6%96%b9%e3%81%b81/

 

2020-10-21

anond:20201021202846

かに漫画は向いてない。

電子ペーパーデバイスは精密な絵も苦手だし、絵や写真がメインのものは、電子ペーパーの端末で読むのはやめておいた方がいいと思う。

私は漫画電子書籍で読むなら、液晶デバイスを使ってる。

スマホとかiPadとか

あと、電子書籍は、あそこどうだったっけ?とざっくり見返すのが大変なのと、残りページが感覚でわからないので、クライマックスなのか、中盤なのか、ってのが体感で分からなくて。

電子書籍を買ってるけど、紙の書籍を買わなくなることはないと思う

(物質で持ってて、出版社から編集できないという安心感も買ってる)

2020-10-20

3Dスキャナ3Dプリンタがあれば物質伝送が出来る。

これで金塊とかも密輸し放題。

anond:20201019012408

おもしろそうなので日記を書いてみる

共感性とはなにか

教官(エンパシー(empathy)とは、他者感情を想定し共有すること

疾患との関連

自閉症アスペルガーサイコパス共感性の低さに関連があると考えられている

共感性の測定と定量

Emotional Intelligence (EI)を測定するテスト(EITest)によって、定量化を行えるらしい

個人

老人と女性共感性が他のグループに比べて共感性が高いみたい

共感はどうやって生まれるか

ミラーニューロンシステムバソプレシンオキシトシンシステムあやしいらしい

ミラーニューロン

ミラーニューロン自分他者の行動の両方で活動する神経細胞霊長類は持っているみたい

自閉症ではミラーニューロン機能不全が見られるらしい

バソプレシンオキシトシン

脳内情報伝達物質で、養育、求愛きずな形成に関与するらしい

男女で働き方が違うらしいという話もあり

オキシトシンミラーニューロン活動を上げることができる

共感遺伝するか

ある程度は遺伝する模様

遺伝子と共感関係いろいろ

複数人ゲノムデータ(ただしゲノムの一部で全体ではない)とEQの関連性を調べて、関連のある場所を探すといくつかの遺伝子がみつかった

いくつかの共感関係する遺伝子を変異させた動物の行動をみると共感性がおかしくなる

共感関係しそうな遺伝子の周辺の個人差は共感性を相関がみられる

anond:20201019201932

こういうふうに言われることがめちゃくちゃ多くてだんだん反・反・反ワクチンくらいの立ち位置になってきましたね(基本的ワクチンは打ってるはずだし、仮に子供ができたらワクチンを打ってもらうけど、今の過剰な反ワクチン叩きはおかしいという立場)。

そもそも自分身体に何を入れるか決める権利があるのは自分だけなのに何でワクチン強制してもいいと思えるんですか? いや、効果の有無とかそういう話は聞き飽きました。なんびとも身体に針を刺して不愉快物質を注入されなければならない義務はないし、むしろそれから逃れる権利を有する、っていうごくごく当たり前の自由人権の話をしましょう。

公衆衛生公共サービスを共有してるんだから、「社会的な秩序」が嫌なら山奥に行って生きればいいと思うわ。

 

後段、問題はそこなんですよね……義務教育の時代から「みんなで一丸になって頑張ろう!」みたいなのが嫌いで体育祭とかではなるべく手を抜いてた人間なので、おんなじ圧力かけられたらおんなじ反応しちゃいますわ……なるべく手を抜くしむしろ抜け道をどんどん探してやるぜ的な……

本気でやってひどい結果だと恥ずかしいもんな、気持ちはわかるぞ

 

個人営業のお店とかはね……仕方ないというか、元々「客を理不尽に選別する自由」を持ってる人たちっすよね。極端な話、阪神ファンの店主が巨人ファン入店お断りってやるのも自由でしょ。だからマスク強要理不尽だなと思ってもそこは尊重すべき点かなと思います。お店の自由なので。

でも、そういう理不尽な選別が許されない公共交通機関とかでの理不尽強要にはNOと言っていきたいっすね。

まあ都心部マスク無しで地下鉄乗りまくってるけど咎められたことなんて一度もないですけどね。地下鉄以外でも知らん人から物言いつけられたことはない。映画館マスク外して知人と会話したとき別になんも起きなかったっすよ。仮にそういうのに遭遇したら都知事選では平塚に入れてやろうと思ってたけど特に何もなかったんで宇都宮に入れました、はい

映画館マスク外して会話とか、ガイジすぎて関わりたくないだけだろ

 

そもそも論として私は去年までと同じ暮らしを送ってるだけですが。

去年まではなにも後ろ指を指されることのなかった当たり前の社会生活をしてるだけで社会不適合者扱いされる風潮、端的に言って狂ってるので積極的に抗っていきたいっすね。

去年までと状況が明らかに違うのに、それに合わせられないってのは社会不適合者だろw

状況や環境無視して「前までは大丈夫だったのにおかしい!」って言うのってパワハラセクハラ正当化させる年寄と変わらんよな。

2020-10-19

嫌なものは嫌なのでマスクは着けません

からさ、もう、そういう問題じゃないんですよ。

anond:20201018144514

嫌なんですよ。嫌なものは嫌なんですよ。

別にマスク自体は嫌じゃないですよ。去年までは花粉で鼻がムズムズしてるときとか普通につけてましたよ。マスクつけてかぶれるとかも特にありませんよ。

そうじゃなくて強制されるのが我慢ならないんですよ。

マスクじゃなくて強制が嫌なんですよ。

春先、ちょっとメンタルが弱ってたんですよ。でもそんなの、適度に遊びに行って人と交流して図書館に入り浸ってイベントに通ってとかやってれば自然と治まるくらいのメンタルの落ち込み具合だったわけですよ。

なのにそれを全部奪われた。

狭い部屋に閉じ込められた。ギスギスした環境で暮らすことを強いられた。テレワークの普及でただでさえ遅かった通信回線が激重になって、ネットすらできずそんな場所軟禁された。死んだメンタルのままで何ヶ月も過ごすことになった。ぶっちゃけ軽く病んでましたよあのとき

から、もう、これ以上何かを奪われたり何かを強制されたりするのは嫌なんですよ。

私をあんなふうに閉じ込めた連中の言うことなんて絶対聞きたくないんですよ。

マスクをつけろという圧力がはびこっているのなら私はマスクを外しますよ。マスクが嫌だからじゃない、マスク強制されているから外すんです。

これが仮に帽子かぶれという圧力だったら私は髪をむき出しにして往来を歩きますよ。眼鏡をかけろという圧力なら裸眼で街に出ますよ。視力クッソ悪いけど。

私は去年通りの生活を続けますよ。鼻がムズムズしているわけでも咳やくしゃみがすごい出てるとかでもないのなら別にマスクはつけないっていう生活を続けますよ。

それが抵抗ですよ。私のメンタルボロボロにした連中へのせめてもの抵抗ですよ。私を軟禁したやつらへのささやかな叛逆ですよ。

もちろんわかってますよ、あのひとたちも善意でやってたんだってことは。あのひとたちはあのひとたちなりに必死だったんだろうなってことは。

でもそんなのボロボロになったメンタルとズタズタになった人間関係とポシャった仕事の前では何になるっていうんですか。

許せない。私をあんなふうに閉じ込めたやつらのことは許せない。いや許してもいいけど、あいつらの言いなりになって行動に制限を受けるのだけは我慢ならない。

からマスク基本的につけてませんし、接触確認アプリも入れてません。嫌なものは嫌なので。

自分コロナにかかったらこれまでの判断を後悔する日がひょっとしたら来るのかもしれないけれど、少なくとも今の私は、圧力に屈さずノーマスクを貫くことで自分を支えてる今の私は、熱もなければ咳もしてないのにマスクをつけようという気にはなれない。

数年後くらいにはマスク和解できる気分になっているのかもしれないけど、残念ながら今の私のメンタルはまだマスクを許せていないので。

っていうか、繰り返しになるけど、許せないのはマスクじゃなくて、マスク象徴している監禁記憶なんですよね。あの閉じ込められた悪夢の日々の記憶が薄れない限りユニバーサルマスキングには協力できないなぁ。

追記

ワクチンもこんな感じなんかなぁ、公衆衛生タダ乗りする人?とでも言うのかな

anond:20201019202322

こういうふうに言われることがめちゃくちゃ多くてだんだん反・反・反ワクチンくらいの立ち位置になってきましたね(基本的ワクチンは打ってるはずだし、仮に子供ができたらワクチンを打ってもらうけど、今の過剰な反ワクチン叩きはおかしいという立場)。

そもそも自分身体に何を入れるか決める権利があるのは自分だけなのに何でワクチン強制してもいいと思えるんですか? いや、効果の有無とかそういう話は聞き飽きました。なんびとも身体に針を刺して不愉快物質を注入されなければならない義務はないし、むしろそれから逃れる権利を有する、っていうごくごく当たり前の自由人権の話をしましょう。

マスク自体は嫌じゃなくて、強要してくる圧力が嫌と…でも 感染対策全般が「みんなでやる」系だからな…

後段、問題はそこなんですよね……義務教育の時代から「みんなで一丸になって頑張ろう!」みたいなのが嫌いで体育祭とかではなるべく手を抜いてた人間なので、おんなじ圧力かけられたらおんなじ反応しちゃいますわ……なるべく手を抜くしむしろ抜け道をどんどん探してやるぜ的な……

強制されるのは嫌と言うのは分からないではないが、わざわざ逆を行こうとする必要はないのでは。マスクをつけるのが嫌なのはよく分かる。

別にわざわざ特別行為をしているわけではないですし……去年と同程度のマスク消費量暮らしてるだけです。つまりごくごく普通の、当たり前の日常生活を送っているだけ。わざわざ能動的な行為なんてしてないっすよ。

マスク着用のところを非着用で入ろうとして揉めるとか

他人に近寄って嫌がらせまがいのことするとか

そういうことしなけりゃマスク無し主義いいんじゃないっすか

anond:20201019203251

個人営業のお店とかはね……仕方ないというか、元々「客を理不尽に選別する自由」を持ってる人たちっすよね。極端な話、阪神ファンの店主が巨人ファン入店お断りってやるのも自由でしょ。だからマスク強要理不尽だなと思ってもそこは尊重すべき点かなと思います。お店の自由なので。

でも、そういう理不尽な選別が許されない公共交通機関とかでの理不尽強要にはNOと言っていきたいっすね。

まあ都心部マスク無しで地下鉄乗りまくってるけど咎められたことなんて一度もないですけどね。地下鉄以外でも知らん人から物言いつけられたことはない。映画館マスク外して知人と会話したとき別になんも起きなかったっすよ。仮にそういうのに遭遇したら都知事選では平塚に入れてやろうと思ってたけど特に何もなかったんで宇都宮に入れました、はい

飛行機で降ろされた人?

元々海外にはよく行くのとメーデー民なので飛行機基本的自由制限されることは諦めてますね。空港と機内ではおとなしくマスクつけます。

でも飛行機マスク拒否して降ろされたマンニュースには同じマスク拒否マンとして同情と連帯気持ちが湧いてきて市中では積極的マスク拒否していこうなというお気持ち高まるというか……

所属する共同体への貢献とか、チームプレイみたいな行為のことを、この手の人たちは「同町圧力が」「強制が」「全体主義足音が」とか言う。

anond:20201020092729

そもそも論として私は去年までと同じ暮らしを送ってるだけですが。

去年まではなにも後ろ指を指されることのなかった当たり前の社会生活をしてるだけで社会不適合者扱いされる風潮、端的に言って狂ってるので積極的に抗っていきたいっすね。

映画館マスク外して会話とか、ガイジすぎて関わりたくないだけだろ

anond:20201020101834

映画館マスクせずに会話するのなんて去年までは当たり前だったでしょ。その程度のことでガイジ呼ばわりしてくる人の方がどうかしてますよ。まあこっちに関わってこないのならどう思ってようがその人の自由ですけど。私も別に積極的あんたらに話しかけたりはしないので。

んじゃあ「生きろ」って強制されたら死ぬんですかね、的な極端なことを言いたくなる程度には「ああただの我儘か」で斬って捨てたい案件自分感染するのは勝手だけど「他人感染させる」リスクは考えてくれ。

じゃあ私がメンタル病みそうになったのもただのワガママってことですか。あまりにもクソ野郎の言い分すぎて「マスク拒否正当性を与えてくれてありがとう」としか言えないっすね。

っていうか、私が風邪をひいたときインフルエンザにかかったとき水ぼうそうになったときおたふく風邪をもらってきたとき水虫発症したときもなんかのウイルス死ぬ寸前の状態になって病院に担ぎ込まれときも、誰も私に感染させた人を責めなかったし、病気にかかってそれを他人うつしてしまった人もあくま被害者であってなんら責められるべきではないというのが良識的な態度だったはずなのに、なんで私が自分メンタルを守るために普通暮らしを送ろうとしたら「他人感染させるのか!」って責められなきゃいけないんですか? 理不尽 of 理不尽。こういう犠牲者非難には絶対に屈しない。人権を守るために徹底的に闘いぬいてやる。

大口叩いてる割には本気の怒られが発生する場所飛行機個人店)ではマスクするとか日和ってるな。大丈夫そうな所でだけマスクしないマンやって勝った気になってるとかダサすぎるわ。

いや、個人店ではしてませんけど。よく行く個人店でマスクしてなくて怒られが発生したことはないし今後もなさそうなんで安心してノーマスクで通ってますね。あくま民間のお店には巨人ファンを断ったりピアスしてるやつを退店させる自由はあるよね、という原理原則確認してるだけです。

たっくさん書いた後に「空港と機内ではおとなしくマスクつけます」って書いててズコッとなった。わがまま通せそうなところでは通そうとし、絶対無理なところでは長いものに巻かれとるやん。

上で書いたけど、コロナ前には旅行やら何やらで年に何度か飛行機乗る生活してたんですよね。で、もともと飛行機っていうのはコロナ以前から

という2つの条件があるから別に1つや2つ制約が増えたところで気にならないわけですよ。っていうか諦めモード。年に数回の非日常経験のために自分自由プライバシーが制約されるのはある程度仕方ない、嫌なら船なり列車なりそんな偏執的に身体検査とかされない乗り物に乗ればいいんだし、という話で。

それに対して1年で300日以上過ごし日常的に使う街や施設でこれまで享受できていた自由享受できなくなるのは受け入れられない、という話です。そんなにわかりづらい?

長期間マスクすると呼吸に支障あるので、それが必要な所にはもう行かなくなった自分には、メンタルが耐えられないと言いつつ何時間マスクして飛行機に乗れるというのは嘘八百しか見えない

たまにしか乗らない飛行機の中や空港で当たり前の自由制限された非人道的な扱いを受けるのは慣れてるしそんなもんかと耐えられるけど日常的に使う地下鉄商業施設でそんな扱いを受けるのは慣れてないし耐えられないし慣れるつもりも耐えるつもりもないという話なので……

監禁とかよくわかんないんだけど、強制が気に入らないというのなら卒業式の起立斉唱やら戦争中の飼い犬供出にも抵抗するんだろうか。だったら応援します。

卒業式国歌斉唱強制するのは明確に反対で、戦時中非国民呼ばわりされてでも全体主義に反対した人たちのことは尊敬してますね。まさかたかだかマスクをつけずに電車に乗る程度のことで先人の衣鉢を継げることになるとは思いもしませんでしたが……

マナーというより、小さな社会貢献だとおもってマスクつけるわけにはいかんのか

献血には定期的に行ってますけど、もしも仮に赤十字が「来てくれた人ありがとう! 献血できる人は献血してくれると嬉しいな!」じゃなくて「来て当然。来ないやつは社会不適合者」みたいな態度を取り始めたとしたら献血行くのやめますわ。当たり前でしょ?

こういうのはレア難病マスクがつけられない人みたいなものだと思えばいいのでは。徒党組んでマスク反対集会をするわけでもなさそうだし。

クラスターデモに参加しなかった最大の理由は「デモとかするとき顔バレとか嫌だからなるべくマスクを着けたい」というコロナ以前からの考えと完璧に衝突するデモからですね。どんなに良い目的であっても素顔をさらしてデモ行進とかするのは抵抗がある。でもまさかマスク反対デモマスク着けていくわけにはいかないので……

じゃあ増田が来たら同じ空間に居るのはお断りしますね。嫌なので。

あなたが出ていく分には私には止める権利理由もないので、どうぞどうぞ自由に出ていってくださいな。

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