はてなキーワード: 東海地方とは
今33歳だけど、一週間ほど経って落ち着いてきたから話をしたい。
100過ぎた頃まで生きてその辺りから記憶曖昧で、多分死んだと思う
そこで意識がはっきりしたのが一週間前なんだが、若い頃使ったネカフェで目を覚した。
文字にすると頭混乱してくるから文章下手なら申し訳ないが、とにかく情報だけを残しておこう。
読みなおしてみると何言ってるのかよく分からない。
夢って言葉じゃ片付けられないけど夢を見てたんだと思う。
普通に100付近まで生きてたはず。20歳~100歳くらいの記憶がある程度鮮明に残ってる
今は100歳丁度らしいんだが、逆に20歳までの記憶はすごく薄いというかでも今の俺は100年も生きてない状態なんだよ。
とりあえずぱっと思いつく大きい事でよければ書いておくよ。
あと、別に未来からきたーとかそういう事ではないから予知では無いとだけ断っておく。
東海地方と西日本で群発的な災害(地震と水害)があった。とにかくすごい被害の映像はよく見たな
それが原因で東京オリンピックだとか大阪万博の開催がすごい揉めてた気がする。結局開催した
この頃くらいに地球温暖化が悪化しているとか言って社会現象になってた
福島原発のなんか大事な撤去作業で原発の欠陥だかが大きく言われて全国の原発が事実上廃炉となった
Googleがインフィっていう携帯出した。小さいプレステのコントローラーみたいな感じの物で、今の四角い感じの携帯が一気に消えてった
鉄道の公有化や多国籍企業化が進んで交通難民が都市部や地方で大量発生し、公共交通が破綻する。
リニアが走りだして山梨と長野が発展する変わりに神奈川と静岡の衰退が始まった
この頃は日本の人口問題がすごい言われてた。けどこの頃を境に全然話題に無くなった
タイムマシン実現って騒いだ。光じゃなくて量子?だかなんだかの理論を応用したんだってさ
自動運転の車が急激に普及して鉄道会社が世界的に潰れ、東京や大阪など局地的で大恐慌になったと思う
西側諸国各地で社会主義革命が起きて、資本主義がオワコンになっていた
AIの極端な発達で人間の社会が大きく変化し、99%の雇用はまったく違う種類になっている。
この頃から煙草や酒の規制が進みすぎて吸う奴飲む奴いなくなった。
日本だけでこの規制の動きは2040年まで。それ以降は日本が主導で規制してそれに他の国が着いてくる感じだった
日本の人口は移民の殺到や出生率の回復などで1億5000万人に達し、アメリカの人口が4億人に達していた
同時期に世界中が社会主義と共産主義みたいになってえぐい事になってた。日本も影響受けまくってた
電気無線で飛ばすみたいな技術が一気に発展した。電力革命って騒がれた
おそらく地獄の時期というか、戦争でもなんでもとりあえず人類終わるんじゃねって一般的にでも思われだした酷い時期の始まり
あとこの頃は結構雑じゃなく細かい事も覚えてるけど、どうでもいいくらい大きい事多すぎるからそれだけに絞る。
アメリカと日本が技術協力して火星への移民やってるとかいう噂が出来て、日本でもデモが起きた
世界大戦ピークから終わりの時期だったけど、日本人の生活は2000年代に比べて発展しまくってたと思う。
三次大戦の時日本は兵器輸出だけってのが条件だったから生産ライン攻撃されたニュースはよく見た
兵器生産をやめろーとか、この県から兵器生産工場を無くせーってみんな騒いでた
ピーク過ぎくらいから世界中の国々が地球統一を望んでいてソビエト以来の巨大な国の併合の時期になってた
最終的に1つの国だけになった。
終わった後になって戦争の理由が火星への強制移住であることが明らかになって、記憶の中では最大のデモが起こった
俺も参加しちゃったくらい本当に皆デモしてた。首相変えられるくらいの
この頃俺が事故って脳に障害した。3割障害者みたいな感じになった
経済そのものが概念から破綻し、お金が使い物にならなくなり、日用品は配給制に、ぜいたく品は身分によって持てたり持てなくなったりした
食事もファストフードやSF食のような極端なものだけになる。お寿司?何それ?
地球の人口は40億人を切り、火星の人口は環境難から人口が伸び悩む上に災害や戦乱などによる死者が多く、12億人にとどまる。
結局地球の人口減少は32億人の時点で止まるけど、火星の人口はゆるやかな減少に転じる。
人類の病気や障害がほぼ完治できるようになり、また老衰の概念が消えて半永久的に生きられるようになり、死者はごく一部の不治の病と事故死と殺人などを除いて発生しなくなる
タイムマシンは過去と未来の両方に行けて、その技術を応用してワープが開発された
なんか病院でぼんやりしてた。病気と障害の完治治療が確立されてたのは覚えてるけどなんで死んだのか知らない
多分死んだ
ゴミの分類としては、
に分けられる自治体が多いと思う。
そして、資源ゴミの中には「プラスチック包装」という分類がある。
http://www.jcpra.or.jp/words/tabid/625/wordid/51/firstwordid/2/index.php
容器包装リサイクル法と言う法律があって、消費者が買う商品の包装には含まれないからプラスチック包装には該当しないと言うのが
公式な理由。実際はプラスチック包装と認められて、あの「プラ」マークを付けて貰うには事業者がお金(再商品化委託料金)を払わないといけないらしい。
話を戻す。
引っ越してくる前に住んでた東海地方のとある市では、この理由でクリーニングの袋は「燃えないゴミ」だった。
今度住んでいる市は「燃えるゴミ」に出せばいいらしい。
このルールに則って市指定のゴミ袋にクリーニングの袋を入れて、ゴミステーションに出したら
見事に回収拒否されたのだ。
どうすればいいのか?
平日8時半~23時まで仕事している身分なので、行政に電話するのは不可能だ。
30km離れた行政のゴミ処理場への直接持ち込みは月に1回だけ受け入れるらしい。
非常に困った。
(追記)ブクマありがとう!もちろんサンガリアのいちごミルク大好き。最近取り扱いスーパーが近所で増えてきて嬉しい。
「増田が飲んだのはトロピカルパンチ説」があったけど、これは東海地方限定だそうで
時期的に俺が飲んだのは94年発売の「スカッシュパンチ」の方かもしれない。
これだ!みんなありがとう!
追記終わり!
1994年頃。当時幼稚園児だった俺は、「ファンタフルーツパンチ」が大好きだった。
今は普通に飲めるし、なんならビールが大好きだが、幼稚園児だった当時の俺は炭酸は苦手で飲めなかった。すぐ腹が痛くなってしまうのだ。
親がコーラ大好きで家の冷蔵庫にコカコーラが常備されていたが、コーラじゃなくて炭酸のないカツゲンか雪印コーヒーを買ってくれ、と思っていた。
「カツゲン」なるワードでピンときた人もいるだろうが、俺は北海道民だ。
炭酸は苦手でも、北海道民のソウルドリンクである「ガラナエール」「リボンナポリン」は甘くて美味しいし腹痛も無いので、大好きだった。
つまり、「ガラナエール」「リボンナポリン」「ファンタフルーツパンチ」の3つだけは大好きだったのだ。
しかし、そんな大好きだった「ファンタフルーツパンチ」も小学校に上がった頃には気がつけばどこにも売っていなくて、いつしかすっかり忘れた存在になっていた。
2004年になり、高校生になった俺はスーパーでバイトしていた。
いつも通りドリンクを品出ししていたら、「シュウェップス フルーツパンチ」なる新商品を見つけて目が釘付けになった。
バイトが終わり、すかさずそのシュウェップスを購入したまらずその場で一口飲んでしまった。
これだ!この味だ!うまく言語化はできないが、このベタベタに、濃厚すぎる甘さのこの味が大好きだったんだ!
シュウェップスもコカコーラが販売していて、まさに俺が好きだったファンタフルーツパンチそのままの味わいだった。
この味がするドリンクってのは他になくて、いつまでも売っていてくれたらいいな、と思っていたのにやっぱり期間限定ですぐ無くなってしまった。
それから、数年おきにファンタが「復刻フレーバー」と銘打ってコンビニ限定でファンタフルーツパンチを期間限定で販売する機会がいくつかあったので、そのたび購入していたのだが
ファンタフルーツパンチの「復刻フレーバー」、俺が思ってる味とまったく違うんですよ!
濃厚なあの芳醇な香りなんて一切なくて、非常にさっぱりしていてあまり甘くないんですよ!
これじゃない!!
これは一体どういうことだ?
「ファンタフルーツパンチ」は、84年に発売され、90年代初頭まで役10年間販売されいた、かつてのファンタの代表的フレーバーである。
で、その「復刻フレーバー」が俺が思い描いた味ではないとなると、
80年代はあのサッパリした味、途中でリニューアルし90年代は俺が大好きなあの味になったとしか考えられないのだ。
で、復刻されんのは80年代のほうの味ばっかり!
や!俺の中でのフルーツパンチは2004年の「シュウェップスフルーツパンチ」のあの味なの!
「シュウェップス フルーツパンチ」でググると、当時のブログがいくつか出てきて「昔、これと同じ味のファンタフルーツパンチってあったよね」的な記述もみられるので
決して俺の勘違いや思い出の美化ではないのだ!復刻フルーツパンチよりも美味しいファンタフルーツパンチは確実に存在したのだ!
コカコーラさん!俺の好きなほうのファンタフルーツパンチの復刻お願いします!
っていうのも、昨日缶コーヒーでも買おうかとサントリーの自販機を見たら
「POP フルーツパンチ」という自販機限定ドリンクを目にして、「ありがとうサントリーさん!!」と興奮した勢いのまま飲んだら
「だヵらこの味じゃねーんだよ!!」ってなったのであの味が飲みたくて飲みたくて、書いたのだ。
「雪印フルーツ」は、これも俺が幼稚園児の頃はスーパーで雪印コーヒー、カツゲンと共に並んでいた雪印定番ドリンクだったのだが
気がつけばフルーツだけ無くなっていて、しばらく飲めなかったのだが
その数十年後、500ml紙パックで北海道限定(というかセイコーマート限定)で「まろやかフルーツ」として復刻したのだ!
これもベタベタに甘くてクリーミーな美味しさで、幼稚園児の頃バカほど飲んだのだが、まさに幼稚園児の頃好きだったあの味そのままでタマランかった。
しかし!昨年、唐突に雪印が販売中止。その代替品としてセイコーマートに並んだのは「明治フルーツ」なのだが、これはサッパリしすぎて違うのだ、俺は雪印フルーツが飲みたいのだ。
で、銭湯に雪印の牛乳瓶の自販機あるじゃない。あれで、瓶の「雪印フルーツ」売ってるのよ。
「まろやかフルーツ」が無くなって絶望してた俺は喜んで飲んだね。
でも味が違うんだよ!なんで雪印のフルーツも味が二種類あるんだよ!!ふざけんな!!
俺が飲みたいフルーツ味を名前そのままで悉く違う味にしやがって!なんなんだよ!マジ!ふざけんな!!
関西では紙パックの「雪印フルーツ」が今でも売っていると聞いているが、どうせ瓶のほうの味なんだろ!
あと、幼稚園の頃は、「タカラ カルシウムパーラー」も大好きで、これは爺ちゃんの家の隣にあるスーパーでしか売ってなかったから、爺ちゃんの家に遊びに行くたびに買ってもらうほど大好きだった。
これもフルーツと牛乳系のあんまーい飲み物でな。俺フルーツ系の甘いの大好きじゃん。
これもさ、物心ついた時にはどこにも売って無くてさ、気がついたら寶酒造がソフトドリンクから撤退してやんの。
でも、「カルシウムパーラー」の販売権を50円コーラでおなじみの富永貿易が買い取って、今も販売してるらしいんだけど
店頭販売してるところがどこにもなくて、もう1ケース箱買いするしかないの。
あの味を求めて買うのに、メーカーが変わったことによって味も変わってたら残りの23本どうすんの?って思ってなかなか手が出ない。
詩織「新たな愛を見つけるラブ発見型新感覚ラブリーラジオです」
愛海「なんですか急に? 今食べてる赤福だけじゃ不満ですか?」
詩織「……先週みたらし団子だったでしょ」
愛海「そうでしたっけ?」
愛海「おいしいよね」
詩織「……あなた、なにをそんなに東海地方に行く予定があるのよ」
詩織「……ははーんだわ。あれでしょ、お嬢さんをくださいでしょ。智絵里ちゃん三重県だものね」
詩織「だわよて…… じゃあ何でそんなにこの地方のお土産ばかり……」
愛海「レゴランドでの営業のお仕事がうちのプロダクションに毎週あるんですよ」
詩織「……なにそれ。なにその面白くなさすぎて面白そうなお仕事」
愛海「聞いてください! この間、休憩時間にレゴでできたスパイラルタワーの近くで朋さんがくつろいでたんですよ! これじゃあ名古屋占いカフェ名駅店の再現じゃないですかー! もう思わず、ラの壱食べたくなっちゃいましたよー! げらげらー!」
愛海「詩織さんひどいよ! 藤居朋さん知らないんですか? 我らが346プロの同僚ですよ!」
詩織「……知ってるに決まってるでしょ。同い年だし」
詩織「藤居朋を難解な固有名詞と判断しことが…… もはやあなたの失礼さの象徴よ……
愛海「じゃあもう、時子さまがコメダのKOMECAを持ってるだけでなく金シャチ会員だったこととが一番面白かったです」
詩織「……レゴランドいっさい関係ないじゃない。あとそれ…… ここで言ったことバレたら……」
愛海「……間違えました。仁美さんでした」
レゴランドはともかく…… そうも地方巡業ばかりだと大変そうね……」
愛海「同部屋になることはあまりないですけどね。家でも寮でもないところで夜に友達と一緒ってウキウキしません?」
詩織「……わからなくもないけれど。ほら…… 私ってアイドルのときは蒼いところあるから…… あのノリでいるの疲れるのよね……」
愛海「そうなんですよねー、あたしのピンクっぽいノリを要求されるの疲れちゃうんですよー」
詩織「……ピンクの意味が意味深すぎるし、あなたのピンクっぽいノリは間違い無くありのままだから心配しなくてもいいわよ……」
愛海「もー」
また、この日が来た。
そりゃ、あの災害を忘れないようにしようとするのも結構だが。その一方で忘れてしまいたいのも事実。オレが被ったヒデえ事件を以下列挙すると、こうなる。
第十位 家に帰れない
→津波被災のため、三日間国道が閉鎖されて家に帰れず。自衛隊の尽力で瓦礫が撤去されて家に帰れるようにはなったが、家には電気・水道・ガスも通っておらず結局なんでも揃ってる職場に一週間寝泊まりした。
第九位 物資が入らない
→震災直後、職場の目の前の国道が通行止めなったモンで、車を職場の駐車場に乗り捨てる不届き者がいないように見張りを頼まれた(独りでできる仕事か?)。で、駐車場の入り口で突っ立ってたら。目の前のコンビニに人が殺到して次々物資を買いあさっていた。「あー、こんな仕事してるせいでコンビニにも行けねえんだな。」って落胆。実際、復旧するまでの一週間。店でモノ買った記憶がない。
→でも、意外と支援物資が早く届いた。確か三日後には来はじめてた。ある日、水とインスタントラーメンが大量に届いたので、倉庫に職員のみんなで運んでいたときに。それ見てた職場のテナントの方が「実は私、避難所にいまいてて...。すみませんが私たちにも分けてもらえませんか?」と頼まれたけど。今後どうなるか検討もつかなかったオレは露骨に断った、ひでぇ事したなと今でも後悔してる。
第七位 インフラが壊滅
→電気・水道・ガスが止まるのは勿論の事、固定電話も不通。携帯電話も頼りない状況の頃。NTTが公衆電話に「お手紙ボックス」みたいなのを付けて郵便のようなサービスをしてた。もちろん、誰も使う人なんていなかった。
第六位 お役所が何もしてくれない
→震災当日、職場と関係のある役所がちっとも来てくれない(しかも電話が通じない)。しびれを切らして、職場の有志が
不通になってる国道を迂回して、瓦礫の中を5キロ歩いて役所に行ったら。全員、ショックを受け止められなかったか、唖然とした顔でデスクに固まっていた。使えねえ。みんな、今度生まれ変わったらお役人さまになろうな!
第五位 人の本性が丸出し
→日頃、仕事しない奴が昼はデスクでボケーっといてて。夜は定時でその辺のソファに毛布しいて寝てる生活を一週間繰り返してた。
→職場が24時間体制になって、夜シフトもあったんだが。普通は夜勤明けは寝られる筈なのにそのまま仕事させられた。夕方になって、急にシフトが変えられてまた夜勤させられた。
→その年の一月に別れ立ての彼女の家が津波で全損、「何かオレにできることはないか?」と携帯電話が復旧した頃メールしたけど。すんげえビジネスライクにお断りされた。フェーズは二次被害に進行していた。
→それから半年が経って、東海地方のある市長が被災地をバッシングした発言したのにとてもブチ切れてしまい。市役所に怒りの電話を入れた。でもよ、日曜日に電凸しても警備のおじさんが困るだけなんだよな。そういう訳で、市役所に電凸する時は平日にしよう(営業妨害だけど)、おじさんとの約束だよ!
→周知の通り、東日本大震災と原発事故がセットで起きたせいで。特にTwitterで「放射脳」がやたらイキってて、たまにバッシング先が我々被災者になって、しばらくSNSから遠ざかってた。
→当時、少しでも情報がほしくて入ったコミュニティでアンチが荒らしてて。とってもムカついたので特定作業を行って、そいつの通ってる専門学校に「お宅の生徒がイキってるんですが」とお知らせしたら、大人しくなった。なんでかな?
あー、思い出してくると色々腹立ってくんな。
「鳥山がいるだろ」との意見は却下。これからするのは4コマ漫画家の話だ
▼先日、中日新聞などに連載されていた「おーい 栗之助」が終了した。Googleに「おーい栗之助 つまらない」とサジェストされる有様であった
▼だが、「ののちゃん」や「コボちゃん」、「きんこん土佐日記」のようにコンスタントに面白いもののほうが新聞漫画としてはレアケースではなかろうか?
▼「おーい 栗之助」も新聞漫画の平均レベルの面白さはクリアしていたと筆者は考える。少なくとも前任の4コマ漫画版「ちびまる子ちゃん」にしばしば感じた不快さはなかった
▼この4月から中日新聞などに於いて「ねえ、ぴよちゃん」の連載が始まった。作者は「ママはぽよぽよザウルスがお好き」で知られる青沼貴子である
▼地方紙に連載する漫画家はその地域出身であったり在住であったりと、その地域に何らかの縁がある人物が選ばれるのが通例だ。「おーい 栗之助」の作者、森栗丸も出生は鹿児島であるが静岡で育っている。さくらももこにおいては言わずもがなだ
▼なのに、青沼貴子は北海道函館市出身、東京都板橋区在住なのだ。東海地方に縁が無い。青沼貴子が悪いとは言わない。「ねえ、ぴよちゃん」はなかなかのスタートダッシュを決めたと言えよう
○朝食:なし
○昼食:カレーパン、小倉マーガリン、たまごサンド、唐揚げ一個
○夕食:わさびふりかけご飯、焼きそば(冷凍)、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)
○調子
はややー。
月曜はしんどいねー。
ちょっと、昼前ぐらいから被害妄想とかそういうのが強くなってきて、フラフラしてた。
人生初東京だけど、日帰りだし週の真ん中だしなので、観光とかはしんどいかなー。
神保町ってところで古本を見て、カレー食べてみたいけど、これはまたの機会にしよう。
(念のため聞くけど、神保町って実在する地名だよね? 僕は東海地方で三十年近く暮らしてるにもかかわらず、森博嗣小説の那古野を名古屋をもじった架空地名だと思ってたぐらい、地理に疎いから、ちょっと怖い)
○積みゲーを崩したい
2017年の末にはスコルピオが出るし、年始にはスイッチが出るし。
ちょっとそろそろ腰を据えて、積みゲーをガッツリプレイしていきたい。
今日は疲れたし、10時から真面目に聞きたい大好きなラジオがあるしで、今日は何もできないけど、
明日から積みゲーを崩すために、こう、ちょっと何かしらの工夫をして、頑張りたいと思う。
まずは、リスト化かなあ。
早くアクジキングを厳選したいなー。
未プレイ。
ノー課金。
○ポケとる
ログボのみ。
ログボのみ。
いくつかツッコミ
これはどこでの事例なのかソースがあったら教えて欲しい。(都市部っぽいが。地域差は当然あるだろうし)
考えようによっては、生涯未婚率は5割を優に越える。なぜならば、それくらいの人数は病気などに対する抵抗力の弱い子どものうちに死んでしまうからだ。
そのような防ぎようのない未婚率を抜きにして、生きて15歳を迎えた人の未婚率は、東海地方での調査では1割以下らしい。
んなこたーない。理由は先述した通りに乳幼児死亡率が今と比べて比較にならないほど高い上に出産での事故による母親の死者も多いからだ。
・小作層ほど子どもが少なく、地主層ほど子どもが多く早婚傾向にある。
・小作層の子どもは男女問わず、多くが名古屋、京都、大坂に出稼ぎに行く。そして半数は帰ってこない。
・そうすると小作の家は断絶が増える。そうした世帯の減少を地主層や自作層からの分家による増加で補っている。
・以上のように下層ほど子どもが少ない傾向にはあるが、根本的に多産多死時代ではあるし労働力の需要も多かったので子どもはどの階層でも多め。もちろん、多すぎたら間引きすることもあったのだろうが。
・再婚は多い。なぜならば(離別も確かに多いのだがそれ以上に)結婚後数年も保たずにパートナーと死別することも多いからだ。特に結婚後1~5年後の夫婦は妻の死による死別が多く、おそらく出産での事故死が相当数を占めていることが推測される。
という結果が出ているそうだ。ソースは歴史人口学の大家である速水融先生の数々の著作。
史料として主に使われたのは江戸時代の宗門改帳だ。高校日本史でやったかと思うが、江戸時代にはキリスト教徒(および一部の禁止宗派)で無いことを示すために民衆はどこかの寺の檀家であることを必要とした。
この「村ごとの寺の檀家であることを確認する」調査が宗門改だ。これとは別に人別改という戸籍調査をしていたが、江戸の中期には事実上宗門改と人別改は一体化した。
この宗門改帳には、少なくとも「子どもが生まれて一定年齢を過ぎたら家ごとに掲載される」「結婚したらその旨掲載されるし、その際には『○○さんの所に嫁(婿も少数ある)に来たのは△△村の□□家の人だ』程度のことは書いてある」
「死亡したらその旨書かれる事が多い(抜けもあるが)」という特徴があるので、宗門改帳がまとまって残っていれば江戸時代の家族の実態はある程度把握できている。
余談だが、キリスト教圏、特にカトリックが強い地域でも神父の日記が残っていれば似たようなことができる。というかこちらが先にあって速水先生がそれを日本の宗門改帳に応用した。
村ごとにあるキリスト教会の神父には「赤ちゃんが生まれたら洗礼を施す」「結婚する時には誓いを受けるし、その際には村外からやってきた新婦の簡単な出自程度は書いている」「死亡したら葬儀を行う」という重要な仕事があり、
「君の名は。」を観た。映画としては面白かったが、監督の東京至上主義的発想がにじみ出ていて気分の悪い作品だった。以下ネタバレこみでどこが気持ち悪かったか書く。
まず、三葉が飛騨に住んでいるのに東京の話ばかりするところが気持ち悪い。飛騨は一応岐阜の一部であり東海地方である。テレビも名古屋のニュースが入るはず。ならば、まず三葉が向かうべき都会は東京ではなく名古屋のはずである。もちろん、東京と名古屋では都市の規模に明確な差があるけれど、「カッフェ」はたくさんあるし雇用も最低限はある。実家の様子を見に行くことを考えれば名古屋に就職するという選択肢も考えられるはずで、そこがすっぽり抜け落ちているのが不思議だ。小説版では三葉が名古屋のことを「大きな田舎」と表現する場面があるらしいが、当たり前だが飛騨よりは名古屋のほうが何倍も都会だ。三葉たちが困っていたのは「カッフェ」がないこと、雇用がないこと、訳のわからない因習があることだ。それらから逃れるためだけならば東京ではなく、岐阜市なり名古屋市なり富山市なり近くの地方都市に引っ越せばいい話である。(岐阜や富山は雇用が少ないかもしれないけれど)三葉が「田舎」を脱出したいという気持ちはわかるが、その向かう先が「東京」である必然性は感じられなかった。
次に、三葉たち糸森村の若者たちが最終的に三人とも上京するというのが気持ち悪い。繰り返し書くが、三葉たちが「田舎」から脱出するなら名古屋に引っ越すという手段もある。それなのに三人が三人とも東京に出てくるのはなぜなのか?また、百歩譲って名古屋が飛騨と同じレベルの「大きな田舎」だとして、「田舎」に彼らが残らなかったのはなぜか?糸森が消滅したとして、その地元に愛着があるなら欠点はあれど飛騨に残るという考え方も抱けたはずだ。特にテッシーは親父が土建屋でその跡を継ぐという選択肢も考えられたはずであり、岐阜で就職することもできたはず。東京に行った三葉と地方に残ったテッシーという対比もできたのに三人とも上京してしまうというのが腑に落ちなかった。
そして、彗星が墜落したあとの三葉とテッシー夫婦以外の糸森町民の姿が描かれないのも気持ち悪い。町は半分くらい吹っ飛んだが避難は完了したはずで、三葉の妹やおばあちゃん、親父さんは生き残ったはずである。それなのにせいぜい三葉の親父さんが週刊誌に載ったことがわかるくらいで妹やおばあちゃんの後日談はない。あたかも彗星によって三葉たち以外の糸森町民は抹殺されてしまったかのようだった。また三葉たちは生き残ったが、糸森という文化は彗星墜落によって消滅してしまった。これは瀧が過去を改変する前も後も実は変わっていないように思えた。田舎の文化や田舎に残った人たちを瀧は実は救えていないのではないか。
(そもそもおばあちゃんや妹は生き残ったのかという疑問もある。ラスト付近で瀧が彗星の被害について振り返ったとき、彼は「突然の避難訓練によって、奇跡的に『ほとんど』の町民が生き残った」といった。この言葉からわかるのはあの彗星墜落によって少なからず死者が出ていたということである。その死者の中にテッシーの親父や三葉パパや四葉が入っていた可能性も後日談が描かれなかったから十分ありうる。神社や土建屋といった「田舎の因習」の象徴である彼らを監督は観客にはわからない形で彗星で消し去ってしまっていたのかもしれない。)
①「君の名は。」の世界には「東京」と「ど田舎(=飛騨)」しか存在しないのが気持ち悪い。地方都市の存在を無視している。
②若者たちは必ず「東京」へ行かなければならず、彼らが抜けだしてしまった「ど田舎」は描く必要がないという思想が気持ち悪い。東京は必ずしも「地上の楽園」ではないし、若者たちが抜けだしても飛騨に残った人たちの生活は続いている。「田舎」は「東京」へ向かう若者たちの踏み台ではない。
この二つは監督の「東京至上主義」から出てきているのではないか。東京以外に日本に都会はなく、あとは全て「田舎」である。「都会(=東京)」は素晴らしく、「田舎(=東京以外)」はくそったれであり、若者は必ず上京しなければならない。自分は新海監督のファンではないので彼が今までどういう映画を撮ってきたかよくしらない。だけど、「君の名は。」を自分なりに解釈するとこういうメッセージがあるように思えて仕方ない。そしてこの発想は「東京以外」にすむ自分としては非常に気持ち悪い。セカイ系だなんたら言われてる人らしいがその手の批判もむべなるかな、と思ってしまうような映画だった。
・追記
一部ブコメに返信
「miruna 軽井沢の田舎のボンボンにはTOKYOがあんなキラキラに見えるんだよきっと。ファーストフードの豊かさを無視してブルジョア高校生がクソ高いカフェでお茶してトラットリアでバイトするんだから。」
これは全くその通りだと思います。自分がなんでこんな増田を書いたかというと恐らく新海監督は長野のご出身(それも関東圏にかなり近い)なので都会=東京なんですよ。彼の原体験にはど田舎(長野)と都会(東京)しかない。近くに札幌や福岡、名古屋のようなそこそこ都会な都市がない。だから地方都市をぶっ飛ばして若者がみな東京にすい寄せられていく話を書いたんだと思います。でもそれは福岡や名古屋、札幌のほうが東京より近いエリアでは微妙に事情が違ってくるはずなんですよね。だから本当はご自身の出身である長野東部を舞台にされたほうがしっくりくると思います。
「Phenomenon あんだけ飛騨を美しく描いてるのにその解釈②はないんじゃない」
この点については「星の降る夜に”『君の名は。』(ネタバレ) - 私設刑務所CHATEAU D'IF http://chateaudif.hatenadiary.com/entry/2016/09/09/232626」というエントリーが自分以上にわかりやすく解説しています。
“ 新海誠本人の田舎への郷愁は景色のみで、ヒロインの言う「都会に行きたい」、東京大好きが本音というところだろうか。彗星には世界が滅びる鬱映画『メランコリア』的な破壊衝動も感じる。人が死ぬ必要はさらさらないけれど、場としての田舎は滅び去れ! 災害描写は3.11メタファーなのだが、滅びるのが予言通り、みたいな乱暴さもあり、ババアの教えや伝統芸能が、街が救われることプラス自分の恋愛のために存在した、というのはすごいナルシシズムだ。 ”
“ ヒロインや友人ら主要登場人物はみんな東京へと去り、親以上の世代のその後は語られないあたり、まさに「親殺し」の物語であったとも言える。”
「メランコリア」は未見なのでよくわかりませんが、自分は「君の名は。」を観て「アクシズが墜落してしまった逆襲のシャア」みたいな映画だなあ、と感じました。人は死ななかったわけですが、彗星の落下自体を「奇跡」で回避できなかったということは、実はかなり絶望的な映画なのではないか、と。彗星の落下は自然現象ですが、その落下を設定したのは監督自身です。彼には田舎の人間(若者以外)を全て抹殺したいという願望があったのでは?少なくとも私は田舎に対する愛着は感じられませんでしたね。
とにかく自分は事実誤認(四葉や彗星の死者数)をたくさんしているということもわかったので、もう一度見返したいと思います。そしたらまた追記を書くかも
3月に大学院(修士課程)を修了して、4月から働き始めたんだけど、一足先に社会に出ていた学部時代の友人と話が合わなくなってきた。
大学は東海地方、大学院は北陸地方の別の大学の院に行って、就職でまた東海地方に戻ってきた。
友人たちは就職も東海地方のままだったので、私が就職して以来、よく連絡をくれるようになった。飲みに行ったりもする。
そこでの話題が、旅行の話、仕事の愚痴(上司がムカつくとか、お局がどうとか、そういう話)、彼氏の愚痴、さっさと結婚して寿退社したーいっていう話。
みんなが働いてお金稼いで旅行とか行ってる間、のんびり学生やってたから、まあ、旅行だなんだの話は聞き役に徹しているけど、みんなあんなに就活頑張ってたのになんで2,3年で辞めたいって口を揃えて言うんだろう。
今やっている仕事に憧れて、大学の学部も選んで大学院まで行った自分にはどうしても理解が出来ないでいる。
今の私にはさほど結婚願望も無いし、もし万が一縁があって結婚することになっても仕事は続けたいし、そうじゃなかったとしてもこの収入なら自分の食い扶持は稼げるし、その上で貯金も出来ると思う。仕事はつらいけどずっと夢見てた職種だから楽しいし、ようやく経済的に自立出来たからやりたいこともたくさんある。
だけどその分、久しぶりにあった友人たちとの間に大きな隔たりが出来たようで悲しいし、それ故に誘ってもらっても気が重くなってしまう自分がすごく嫌だ。
あのとき、当時していたmixi日記でこと詳しく記録していたが退会と同時に消去してしまった。
今あのときのことを少しずつ思い出し記録として残しておきたいと思う。
2:46 震度6弱の揺れ
職場の施設で作業をしていました。揺れ直後、すぐさま1人屋外に逃げました。
共にいたのは、上司を含め社員が2、3人とパートのおばちゃん20人くらい。
社員であるのにも関わらず周囲のことに気を配ることのなかった私は自己中かもしれません。
こpの2日前にあった震度4の揺れでも1人屋外に逃げ周囲からはバカにされました。
揺れがおさまらない。
地面が波打っている。電柱も勢いよく揺れている。近くにあった大きいフォークリフトもガタガタ揺れている。
停電していることが分かった。
何がなんだかわからない。
誰かがラジオを持ってきた。
すぐに無事であるメールがくる、母はあのとき、バイクで夕刊配達をしていた。
電話はつながりづらいし、ラジオで緊急以外での利用を控えるようにと呼びかけていた。
そんなときに、東海地方に暮らす、元同僚から電話が、奇跡的につながった。
無事であることを伝え、「緊急の人がいるはずだから」とすぐに電話を切った。
3:30すぎ 同僚のカーナビで釜石港の津波到達を目の当たりにする。
コンテナは積み木のように、車はミニカーのように簡単に浮かび、流れてゆく。
津波という言葉は知っていました。でも当時の私のイメージは高潮のようなものだと思っていました。
海水が少しずつ、少しずつ、量と勢いを上げて陸に入り込む。
どうにもならないんだ・・・
3:45 このままでは仕事にならないので解散になった。
当初の予定ではこの日の夕方スーパーで食材を買う予定でいたので自宅には食べるものはほとんどない。
コンビニは停電、スクリンプラーが作動したようで床は濡れている。
とりあえず、おにぎり、プリッツサラダ味、ビールを手に取る。とりあえず口に入れておきたいもの。
コンビニを出てから自宅まで6キロ、その間に信号機は3つ、停電しているので、信号機はついていない
でも意外と互いに譲り合い事故一つなく
16:30 自宅に戻る。
また今度思い出すことにする。
特定は簡単だろうがある関西の皮革産業が盛んな地域、正確に言うとその隣の町(挟まれてるとも言える)の会計事務所に勤めていた。
自分は東海地方で生まれ、進学で関西へ、そのまま関西で就職した。なので部落は単なる集落としての意味しかしらず、不勉強なこともあり同和地区の意味も分からなかった。
入社して3年目だったと思う。ある日その地域に登録している税理士がある依頼の為、一斉に税務署に集められた。
その税務署からの依頼は3年待つので正常な申告をするように皮革業者を指導して欲しいというものだった。その地域に住んでいる者にとっては常識らしかったが、皮革業者はまともに申告はしていない。業者は皮革組合に今年度はなめし皮製造業であれば何枚作ったか、裁断などの加工業者も何枚削ったかによって枚数×単価で消費税を納め、所得税はその枚数×単価で売上を決め、あとはいくら払うかを先に決めて、決算書及び申告書を“作文”していた。そのような特権が認められ、当然ながら納税額は10分の1以下という状態だった。
それが何のきっかけはわからないが3年後には正常にするようにと税務署が通達してきた。これは3年後には税務調査に入りますよ、その際不正があれば税法に則って指摘しますよ、という予告を意味していた。実際に3年後に比較的大規模な業者に見せしめ的に税務調査が立て続けに入っていた。
東海地方で生まれた自分にとってはまるで別世界のような出来事であった。聞くところによれば、つい最近まで部落出身者には小中学校においても放課後に特別な授業があり、教室に残されていたらしい。
どのように正常化していったかは長くなるので割愛するが、脱税のおかげで皮革業者はみな大金持ち。その地域の幹線道路沿いの大型店や全国チェーン店の土地の所有者がほとんどその業者の社長だ。(確定申告で分かった)
今日の朝日新聞に出た記事を見ていろいろ思い出してたの書いてみた。
業者の社長の年代は結婚も同和以外の地区では難しかったらしいが、息子の代では大分薄れてきていたらしい。その会計事務所を5年前に退職したが、今はより薄れてきているではないだろうか。
Twitterで「もし京都が東京だったらマップ」が回ってきた。
私も「こことあそこって雰囲気似てるなぁ」と感じることはあるし、それを見事に可視化した力作だと思う。
しかし。
これでは片手落ちと言わざるを得ないのだ。
私が主張したいのは結論から言うと、「京都も大阪も単体では都市として不完全である」ということ。
別に東京を模範にすべきだとか基準として正しい、と言いたいわけではない。そもそも何が悲しいて関東なんかにあてはめられなあかんねん。都市の構造として歪なのが京都と大阪なのだ、と言いたいのである。
普通、その地方の一番の難関校——つまり研究機関として多大な影響力を持っている大学——は、東京の東大、仙台の東北大、九州の九大といった風に地方の最大都市に置かれている。博物館や美術館に関しては、大規模なものは関東なら東京にしかない。都市としてのブランド力も抜けている。北海道と言えば札幌、東海地方なら名古屋、それぞれ明らかに同地方の他都市に比べて影響力がある。また、経済の中心地も同じ都市に存在する。札幌も東京も名古屋も福岡も金融センターを持っており、本社機能・支社機能をそこに置いている会社が多い。
最難関校は言わずもがな京大であり、東大と共に日本の双璧を担っている。国立博物館や国立近代美術館も京都にあり都市のブランド力は日本中を見回しても別格である。大阪があまり良くないイメージを持たれるのとは対称的だ。
(大証は無くなったが)近畿一円の金融センターは大阪に集約されているし、本社機能、関西支社の本部は大阪が圧倒的に多い。また大阪は芸能も盛んであり、テレビによる発信力が大阪にはある。京都の放送局は独立放送局のKBS京都だけである。
そう、京都と大阪は他地方では一つの都市が担っているはずの機能を分担して持っているのだ。アカデミアや権威的な部分は京都へ。商業的、経済的な部分は大阪へ。普通ならその全てを受け持つ都市が地方ごとに存在しているのに、近畿だけは二分されている。
これを理解していない人々は京都にも大阪にも多い。というかほとんどの人は理解していないからこそ大阪は「単体で」(国による優遇のある)東京と張り合おうとして負けたのだろう。
この地図は、その分担された都市・京都を東京に当てはめている。
もちろん試みとしては非常に面白いが、前述の通り京都は単体で成り立っているわけではなく大阪とセットで初めて語ることが出来るのであり(逆も然り)、東京のような、あるいは名古屋や福岡のような「地方の核としての全ての機能を受け持つ」都市ではないのだから、「片割れ」に「全体」を無理やり当てはめても何の意味も無いのだ。
京都と大阪を合わせて初めて東京と比較可能な都市になる。単体で比べても真の姿は見えない歪な都市。
だから、梅田は新宿であり、難波は渋谷であり、四条河原町は池袋、京都駅は上野、新大阪は品川であるというのならまだしっくりくるのではないかと思う。その間に多摩(両府下)が挟まっている。池袋が埼玉県民に支えられているのと同様に、京都の繁華街は京都人だけでなく山科or京都駅で地下鉄に乗り換える滋賀県民に大いに支えられている。
この特殊な構造は歴史的な要因があって出来上がっている。発展の為にはトップダウンが最も効率的で、地方の核都市への一極集中はそういう点では良かったのだろうし、実際九州も東海も地方全体としては人口が減少しているにも関わらず福岡や名古屋にはまだまだ勢いがある。それは全ての核となる機能をそこに集めているからこそ可能なのであり、近畿が日本で唯一不可能なことなのだ。叫ばれて久しい関西経済の地盤沈下は、大阪の権威不足も一因だろう。
だが、この近畿の特殊な形にも良い点はある。多様な価値観を容認できる、いや、せざるを得ないということだ。仮に大阪が札幌や東京や名古屋と同様に全ての機能を担っていたとしたら、大阪の経済自体はここまで停滞していなかったかもしれないが、大阪的価値観が絶対であるという姿勢がテレビ局などのメディアを通して関西一円に広まり、関西の文化は全くつまらないものになってしまっていたはずだ。
関西経済の発展には、京都と大阪がセットで初めて機能するということを理解しているリーダーが必要であり、またそれに応じた施策が必要になる。それが大阪の政治を握るおおさか維新の会なのかはたまた別の政治勢力なのかは分からないが、このことを肝に銘じて政治を行ってほしいと思う。
ニート、フリーターの時に神戸の友達に三宮のヘルスに連れていってもらった。
写真指名をして、
気持ちよかった。
(気持ちよかったのは、最後までイって、抜かれた感じで、です。)
それまで、親のスネをかじって生きていた。
太宰治の人間失格ではないが、なんか、ずっと、生きている意味を感じられなかったよな。
大学で、確かに、不細工な彼女とサルのようなセックスを何度もしたけれど、
やっぱり、きれいな人とやりたい。
働くモチベーションになった。
25才から40を超えた今でも、金がないときは、メンズエステで、20代の子に抜いてもらっている。
唯一の趣味というか、楽しみだ。
月に2度ぐらい通ってきた。
だけど、今じゃ、単なるストレス解消だな。
感激はするが、初めての時やお気に入りの子のメルアドをゲットしたときのような感動は、もう、ない。
だけど、きもちいいー。
あー。頭悪い文章だね...。はは。
疲れた。
疲れたよ。
働きたくないなー。
追記...
(なんで、ブコメで、私に嫁がいると、バレたのだろう。エスパーだろうか。)
(つか、こんなクズにも、ブクマがついて、かうじて承認欲求が満たされています。。)
初めての風俗は東海地方の、暗いぼったくりピンサロで、体重100kg程度の巨漢の女性が、相手でしたよ。
だから、
三つ指をつくなんてことや、天井に大きな鏡があったりしたことに、すごく驚いて、印象に残っています。
そんな高級店じゃないけど、京都とか大阪とは、もちろん神戸でも特殊なのかも。
気持ちよかったのは、最後までイって、抜かれた感じで、ですよ。
あ。実際、会社休職していて、適応障害という病気で、半年ほど、休んでるんですけどね。
嫁はんと嫁はんのお義母さん、二人が、就活しろって、いうんで。
失業手当(あるいは傷病手当)をもらうことをアテにすな、的な感じですね。
嫁さんに、バレたら、やばい。